武
拾
回講⁝話曾事よう︑延ひて債當今讐學者の随落に及び之Y 一月二十九日︵火曜日︶午後六時二十●︑新築内 改良・をべさ竜の吾人青年の職責なり芭論e︑其
科講堂に於て開曾o 當日木村講話部委員長止むY得さる事情により
〜欠席に付︑小川教授委員長を代理して先つ開曾
ぬ
認矯獄鶏い㌶詩パぷ
法 たる薗重して︑只理想的讐人こなるこ芭大に 必
要なウ巴論せられだうo
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一寸言巳︵声窪出忌工霊己Φ昌・・^︑巨巨窪質︸ξ隅エ︑米澤
啓君O 人類ε他動物ピの差違よ◇︑人の髄格︑
艘質︑髄の表面︑周径︑身長に及び︑頭︑躯幹︑
四肢に就ての一般の観察を濁乙語にて述らる︑
事
頗る流暢なうしo
つ 尿成分の瞼定︑入牧政孝君o 先つ尿槍査の理
學的豫論の大約︑尿成分曇生の源由より︑尿中
搬
御釦及於雰定重法に就三親しく實験の勢
Y
ピられて説明せられだり○
両側卵巣繊維腫の一例○森宙齊二君o 先つ多
くのリテラッールを塞けて︑本病の極めて︑稀
に來るものなるζピを確め︑旬其曇生縛機よう︑
本例の経過頗る悪く︑縫合縣扱去の移網膜創孔
︵倉報︶ の裂隙⁝より聡出L︑且つ氣管枝炎の症状Y現n
しだる四十三才の本病患者に就て︑委細に説明
の
勢を吝まれざ6き〇
一
〃
次 で 今回解剖學講師に任命せられだる
。
。
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〔石川喜直氏︒ はその大坂機學校在職中︑噛を
ぎ作苫れ奮顔面筋・咀嶋筋・及ひ喉頭筋の
以ア︑解剖標本を造るへきこピを曇見され︑試ゐ ⌒〜 へ
摸 型を示されたりQ之を見るゐ其精巧實に驚く
… 叢£るものありて︑恰曇物を見るが如き
ソ言らば・實書釜してしか嘉蓼るものピ 一
戚ありさウo此方法を以て諸種の標本を作るゐ〜
{い ふ ぺ
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休 憩をるこピ+分塒∪
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三 十 世 紀以后の醤導界︑湯本四郎右衛門君︑
先
つ人の畿達は皆な避苦就樂より起るものにし 毛
︵曾報︶
て︑從つて今後世の盆登達するよ從ひ︑体力を
用ふ乙ピ少なく︑︑脂力を勢する乙ピ多く渉るゐ
至るによ・り︑爲めに人体にも之に鷹して︑憂化 起ウて︑馨學も大に其趣を異ユするに至らん巴
蓮ぺられ鳶゜纏兀︶
叉 來 曾 者あ冠て︑ろの藪凡そ︑武百鎌名な6きo
● 武 道寒⇔稽古 一月十日よ冠劔道は午後山ハ賠よ
丁柔道13午前六塒よう行ひし単途柔警午后
〔
六 時よう始め二月入日を以て終了せう皆勤者左
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の皿
如し ︵
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差づ.註電︑長谷川葛君︒ 天氣に就ての一般〜の
観察よウ︑春︑夏︑秋︑多の各季に就て種々 精 細 の 意
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見蓮べられた・90猫逸語︑些の凝滞なく︑遼々如流水o 〃
へ
債 〜 當日は諸致授︑講師の有釜なる話談︑特ユ金子 へ 敷授の﹁夢﹂なぜもあ6たれ已︑聴問の後れた旦 爲惜いかな遽に果さ走︑夢n宿へ蹄うてゆつく︷
うと︑を告けられだうO當日は近來稀なる盛曾にして
さすがふ廣き内科講堂慾立錐の饒地喬きまでに
劔 道 渡 邊 十 治 藤 原 敏 夫 柔 道 土田久三郎
中 村 辰 入 井 上 只 次
巴小川委員長代理は乙れにて閉會する旨︷●射初式
を塞げたう
● 終日行軍
部 瓜 生 舜 重
月原秀範
林政雄 部
太田友一
鎌田勘之助
沼田甚次部
秘 村 魁
濱地藤太郎
二月三日無聲堂に於て弓術部射初式 月原秀範 根守政記
牛 塚 榮 太 郎 小 町 環 池田菱吉 二月工ハ日醤︷學﹂部馨墨・科二年藥學科
二年及び大學豫科二年蚕体n数官撰率の下に鶴 道大曾Y午前十聴よう無聲堂に開けウ市内の各 來 街 道より野々市村に出で十二貼舟分蹄稜せり 師範家及各縣立學校生徒の來聚せし竜の約三百 橋よう卯辰山に登ウ鈴見村に下ウ下田上上出上一道にn弘道舘流の形及び初段立合等の形あう次 ︹ 全十二旦馨學科二年及び大學豫科一年全体ハ天祠︹名︑数十番の仕合の後劒追ふハ師範家批形︑柔
村よう銚子臼の橋Y渡0小立野を経て販模せ冠 で北條曾長の演説あうて散禽せう術當口寒稽古
● 紀 節兀碗賀式 二月十一局午工66入時よo倫理 皆勤謹及進級讃書を授與せヅれさう 講 堂 に 塞ぐるこピ例の如し 當日進級されし入÷左の如し
● 御震署勅語冥観 二月十四口午后四塒よう醤 劒蓮部 ︵四級︶渡邊十治︑瓜生戸重︑培田貞吉︑
學 科第四︑一二︑二年全十山ハ目二塒よAり二年田汀全十 ︵五・級︶鎌田勘之助︑±縢原﹂敏夫︑小幡⁝燦︸⁝雄︑謂脳⁝閲士暑洋
入日午后二賠藥學科︑二年︑三賠より一年乙及 柔道部 ︵三級︶土田久三郎︑小町環︑︵四級︶
び 棄 學 科三︑一年生一同説れも 御震署の勅語 藤原敏夫︑伊藤顯徳
を奔観せウ ●解剖屍髄敷・我ゲ欝學部ゐ於て去る明治三十
●兎狩 二月十七口遠足部ハ田上村附近に於て 年より全三十三年十二月迄の四グ年間ユ讐學科
兎狩を催せろ 生徒實習用に供せる屍体敷⁝を禦ぐれば左の如し
●武道大禽 二月十日劒道大曾Y︑同十一日柔 明治三十年度 三十一麗
︵官報︶ 発
︵魯 報︶
全 三十一年度 四十二聖 全 三十二年度 エハ十入剛聴
全
三
十三年度
三十一髄
●寄附金 △遮浬一病院⁝醤ロ貝泥Aりし時⁝國冥作氏之今
費釜圓の外茎五圓を寄豊られな ⁝ 回豊璽舞㌻る︑に臨み我が裏§.
●竣工移輔 豫て新築中の内科講堂之既に竣工
せるを以て一月よう使用され内科二部診察所n 從前の内科爾警の跡霧﹄婦入璽の旦
プ
此 記 事
纏手二月二+ご百登行の國家竃色
〜 雑
を曇して之義警藷嘉介す
誌第百六十五號に記載せるあの参り今其全※へ事
奮聞に厨すれピも本會々員たる關屋林之助
氏
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昨 年 九月棘奈川縣下に赤痢の流行せしピ
六〇
き検疫官ピなり他の瞼疫官εなる人÷の爲ゐ
没すべうらさる事績あうた差ば柳か愛に蜴載
し置くぺt氏の捻疫官蓬なウしや誠心誠意を
以て其豫防撲滅に從事し 皇太子殿下厨子ユ
在らせられ今や還啓遊はさるべき時に先つて 其 御 通 路 の 民家に赤痢病を褒見し直に豫防浩⁝
毒 等 の 手 績を鑑して其御通路を安全ならしめ 金 参 千 疋
の 御 下賜あδたう叉小田原地方に出 張 せしや前後九十日間誠意を以て豫防沿⁝毒清 潔 怯等のこ巴に霊力し街余暇を以て赤痢の豫
防 法をロ演し或︽之を幼燈に示して深く一般
人 民に之を悟らしめ大ふ病毒の蔓延を頓挫撲 滅 せしめさ力而して昨年九月中旬ゐは其地方
の
流 行も全く漕⁝滅に蹄したれぱ同月十六日蹄
廃の途よ就δんξせしや之a先て足柄郡長ノ
左 の謝拙Y氏に呈しカう
貴丁本縣検疫官トシテ本郡に出張以來鏡意防
疫⇒從事セラレ清潔法チ働行シ健康診噺チ嚴へ
〜
施シ病舎.秩序チ正シテ治奪護.周到チ勉
メ一面幻燈二依リ衛生講話チナシ大⇒窟衛ノ⁝
墓チ促シ爲ご病讃挫讃ノ期近ごアヘ
バラゾrス凡ツ滞在丸旬ノ間書夜蓋力殊⇒小田・
原⇒於グル勤券多シトス洵⇒本郡ノ爲ノ=深へ
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ク謝セサルチ得ス依テ其大要チ述へ鼓二戚謝︸
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ノ意﹀表ス敬且ハ 〜 い
明治三十三年九月十四日 ﹇
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足柄郡長正七位︷勲山ハ等 士口野十郡﹂
祠
奈川検疫官關屋林之助殿 白 叉堂⁝聴小田原町の有志者︷銀盃壼個を氏に贈ウ
て戚謝の心を表し叉同町長今井廣之助は左の戚
︵會報︶
謝
拙を賂り△φ
回
顧
ス レ バ 本年エハ月上旬始メテ格蘭町二赤痢病
登
生
シ
漸 次蔓延ノ兆チ現ハスニ際シ其+七日 貴官ハ縣命テ奉シ特⇒當町=出張セラレタリ 當賠病威鴉頒チ逞フシ日二藪名ノ患者チ績出
シ此勢チ以デ推ゼバ其惨害測ルベカラズ人心
爲メニ檀蕊シ殆ンド其堵二安ンセス當局者亦
誠⇒憂幌⇒堪︵ス貴官ノ熱心ナル炎屠テ冒シ
煩苦チ辞セス極力防疫=霊力セラレ之力爲メ
⇒病勢モ頓二茨却シ今ヤ撲滅 蹄セントス是
レ畢寛君・能ク職責チ重ンジ誠意書悼セラソ
タルノ効二依ラスンバ焉シゾ能ク如此好成績
チ奏スル寸チ得ンヤ本職ハ實二君力功チ偉ト
スルモノナη依テ愛⇒蕪辞チ呈シ謹テ戚謝ノ
ー意ラ表ス
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︵倉報︶
明治三十三年九月十四日 小
田
原 町 長 今 井廣之助 禰 奈川縣槍疫官關屋⁝林之助殿
右亡實に關屋氏が誠意Y以て蓋力せし結果ゐ出
てし者ピ云ふべし御役目了簡宜加減了簡ゐてハ
逆も其地方人民総代の必よ参の戚謝胱は得らる
べき苛のに非走夫の知己友人等よウ普通の腕文
賀欝Y何あうの事ふ賂4來る竃ぱ同日の比にあ
ら硲又汀志蕎の銀盃を贈ウLが如き夫の會凪等
の傭醤が議末に當ろ幾許の賞興あるや竃霧に之
を心に待ちて當てふするが如き必よて15︑働已て
得らる.べき者に非走ッマリ縣徳の命Y以て蓑地
に出張し防疫ユ鑑力する43瞼疫官の任芭して當
然の事なξ其地の入民が之よ封して戚謝り心Y
表 せざるも表するも心次第洛宣關屋氏小田原地
杢
方に.出張して之Y得たるハ實に其地方人民Yし
て深く其難有き味を戚せしめだδに由るなう鳴
〜
呼今日如何に人情才︑⁝浄灘に傾きしピハ云へ如何
へへ
み世ば涜季に捗うしεは云へ我に満腔の至誠あ
…
れハ 人
誉芝ゐ戚せぎるヒ巴なし三蔭ん哉陸
看赤痢流行の髪はペスト瞼疫の際所謂梼疫官
…
嘉は莞る欝藁許あ乞や關曇の如くへ
戚…謝の意Y受けし者ハ幾許ありしや欝術開業免
俣尋;國曇て竪す︵篇あ−
∵︵思ぱしうらすξ申して旨き傭ねれ4く下宿
⌒
屋よ起て食て窯て居る吊面白しからず検疫官最
一
邑望む所をうピて俄記溌行地に飛出し一聴の給 料へを握ウて叉面白く之を散せんピするが如き了簡の若き馨士にして萬一a勺擦疫官a探用せら
れ たウピ假定せよ感謝歌廷蓮勺來かざるべし關