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⑧都

ドキュメント内 日本語の文法(下) (ページ 60-96)

以上の観察から,少なくとも次のようなことが分かってくる。

まず,「ときに」と「とき」はほとんどその使い方に違いが見られない。助詞

「に」がっくと何らかの差が生じてくるのは,たとえば次節の「まで」と「まで に」などのように,割合よく見られる現象であるが,「とき」の場舎には,あ るいはよく見ていくと微妙な違いがあるかもしれないが,今のところあまり 問題にするほどのことはなさそうだ。

 いったいに時を表す名詞には,「3時行きます」r厳月生まれました」のよう に,ふつうrに」なしには使えないもの,rきのうに行った∫毎日に行く」のよ うに「に」をつけないもの,「春,三臼前」のようにDこ」溺あってもなくてもよ いもの,の三種あるが,今の「とき」という名詞は,一応この第三種のものと 共通の性質をもっていると見てよい。

 次に「ときは」という形だが,まず,これに少なくとも二つの違った性質の ものがあることを知っておかねぼならない。一一つは,「ときに」が主題イヒし て「ときには」となり,さらに「に」がおちて「ときは」となったもので,もう一・

つは,主格に立つ「ときが」(あるいほ対格の「ときを」)が主題化して「ときほ」

になったと考えられるものだ。このような,主題化に伴って格助詞がおちた り残ったりすること一般については,葡に4((上)の29ページ)で見た。

 上の例文の⑧が,ほかの文と非常に違ったものと一見して感じられるの は,「若いときは」が,他の場合のように「若いときに」と並べて比べるべきも のでなく,「若いときが」が主題化したものであることが直感されるからだろ う。この(8c)文全体を無題化すると,「若いときが二度と来ない■と」とな る。(無題化ということについては同じ4参照)その他はすべて無題化で「と きに」となる。

 結局,ここで使いわけが問題になるのは,Fときgときに」と,「ときに」の 意味を含む「ときは」の二つということになる。英語のSwhen などは,この

どちらとも対応しているから,この使い分けは日本文法自体にかぎを求めな けれぼならない。

 まず次のようなことが考えられる。

 rときは」は,たとえば,(7}のように,一「般にこうこうする場合には」とい

うことを述べるときに使われることが多い。「ときは」は前文が表す二二で,

後文の事態が一般的に起こる,ということを表すのではないだろうか。これ に対する「とき(に)」は,一回きりの出来事の時点を特定しているのではなか ろうか。そう考えると,たとえば{1)ではa,bはよいがeカミ不適当であるこ と,(4)で,もし。が可能な場舎があるとすると,ある作家の小説に出てく る常用的手法とか,汚職事件では捜査がかなり進むと,きまってどこかの課        e  e  e  o

長クラスの入が自殺することが起こるというような文意にとれる場合だろ う,ということがかなりうまく説明できそうに思われる。しかし,この見込み は,例文③では。がむしろ自然であるという事実から,残念な演らた当たっ ていないことが分かる。(もっとも,この見込みが全く誤りかどうかはまだ 分からない。)念のためにもう少し例をつけたしてみよう。

(・願上に鰍 o1:欝)}雨が降り出し…

論士に齢

o1:盤)}醜ん( ・… ko

 これはどちらも一回きりの過去の出来事を記した文だが,⑨では「とき

(に)」はよいが「ときは」は明らかにおかしいのに,働では「ときは」は一向に おかしくない。(むしろ「ときに」はほんの少しぎごちない感じがする。)

 ⑨と囎の違うところは,見たところ,⑨では「降り出した」という瞬聞的な 出来事,ないしは事態の生起を示しているのに対し,α①は「止んでいた」とい う状態を表した文であるという点と,もう一つ,⑨は「雨が」,囎が「雨は」と なっている点の二つしかない。

 この第一の点は,たしかにほとんどの実用例についていえることのようで ある。つまり,主部が一[藤きりの具体的なある出来事,事態の生起を報告す るような文であるときは,「ときは」は使えない。過去の事態でも,ある状態 を述べるようなときには使える。「とき」はどちらの場合にも使用可能。いち おうそういうことがいえそうだ。ただし,「ときは」のうしろに,状態を表す

文が全く来ないものかどうかは,もう少し観察を広げないと断言するのは早 いかもしれない。

 第二の点,主文が「〜は」をもつ文か,「〜が」をもつ文かという点はどうだ ろうか。「頂上に着いたときは」に続く文では「〜が」は現れないのだろうか。

これは,しかし「雨が降っていた∫彼が先頭だった∫風が強かった」などとい えるから,一一般性がないことが分かる。(ただし,これらは皆,状態の描写で,

「風がやんだ」「彼が手を上げた」などとすることはできないから,先のag一一の きまりはやはりここでも通用する。)ただし,主文が有題の文であるか,無題 の文であるかという点と,それを修飾限定する「とき(に)∫ときは」の使い分 けとは,全く関係がないとはいえないと思われる。やや大ざっぱないい方だ が,次のような問答の形ででも示せるような,話し手・聞き手の聞きたいこ と,重点の違いが,「とぎ∫ときは」の使い分けに働いていると考えられる。

 a.「いつ……する/したか?」

   「いつ,どういうことがあったか?」

   一一→「〜とき(lc)・・…・」

 b.「〜とき,〔何々は〕 ・…どうだった/どうする/どうなる か?」

   一一→r〜ときは〔何々は〕……」

 以上の観察をまとめると次のようになる。

 (i)「〜ときは」が,「ときが」という主格を含んで,一文の主題を示してい   る場合(例:「若いときは二度と来ない」),「とき(に)」は使えない。

 ㈱ 物事の一般的な傾向,習慣,道理,心得,規劉などを述べるような性   質の文では,「とき」「ときは」のどちらも使われる。この種の文1# 一般   に有題の文である。

 ㈱ 具体的な出来事(多くは過去の出来事),事態を報告するような:文で   は,

  a) 出来事の生起(ふつう瞬聞動詞を述語とする)を報ずる場合,「〜

    ときは」は使え.ない。

  b)・状態を述べるときは,「ときほ」も「とき(に)」も使えるが,前者の     ほうが少なくとも普通である。

 なお,上の(ii)の場合,文はド〜は〜ときは……∫〜ときほ〜は…」となるか ら,どちらかが,ふつうはあとのほうが,対比的になるのがふつうである,

ということをつけ加えておこう。

13.3 「あいだ」と「あいだに」,「まで」と「までに」

 「とき」の場合は,「に」があるか否かで(ほとんど)差異が見られなかった が,「あいだ∫まで」などでは明らかに違いが出てくる。いずれも初級程度の 問題だが,多くの外国人学習者にとって難しいことの一一つだから,ひと通り 見ておくことにしよう。

〔聞85〕次の文のうち不自然なのはどれか。他の文がよく,それらの文がお  かしいのはなぜか。

ω君瀬・る o1:窓謝地震が2回あ・た・・

(・}君が寝ている

o1灘に}私はず・と…・を聴・・ ・・・…

(・}・欄乏し 閧P:論陣しko

(・)冬休みの o1灘に}旅肌

㈲私がも・・てくる o1:謝待・てKく臨

鰍・もど・てくる o1:謝・の仕臨ませてk… cく2・・

(7)

o1:糠に}寝・う・

 Fあいだ」は,時聞の流れの中である2点をきめて,その纒を主文の叙述と 関係づけようするいい方である。そこが時の1点をきめて関係づける「とき」

との違いで,だから「あいだ(に)丑こ先行する述語は,継続的な表現がふつう である。「まで(に)」は,時間の幅が意識されてはいるが,その片方だけ(終 わりの方)を定めるいい方だ。

 「あいだ(に)」「まで(に)」とも々ここのように時間の幅を問題にしているのだ が,それぞれに「に」を付けるかどうかは,後続の主文の表す事態のほうを点 として捉えるか幅(線)として捉えるかにかかっている。ヂあいだ」「まで」は,

どちらも主文の事態が,両方あるいは片方指定された時問の幅だけ継続する ことを示している。これに対し,「あいだに∫までに」は,その指定した幅の 中のどこかの一一点で主文の事態が生起する,起こることを示す。「事態が生 起する,起こる」というのは,「雨が降り始める」「寝床につく」のように「始め」

でも,「雨が止む∫仕事をすませる」のようにr完了jでもよい。「生起」か「継 続」かは,先に6.3.で見た金雛一分類の「瞬間動詞」とr継続動詞」で典型的には 表されるが,ここでの「継続」は状態動詞,形容詞,名詞+ダなどでも表さ れるし,同じ動詞,たとえば「寝る」r洗濯する」などでも,見方によって生起 的とも継続的ともとれるから,「あいだ,まで」はいわゆる継続動詞とだけ,

「あいだに,までに」ほ瞬間動詞とだけ共起する,というふうに言うのは妥当 ではないだろう。「10時まで寝る/洗濯する/勉強する/いる」などといえぼそ の動作が継続していることを示すし,「10時までに寝る/洗濯する/勉強す る/いるjといえぽ,寝床に入る,洗濯をすませる,勉強を始める(またほ終 える),その場所に行ってそこにいる(「い始める」)ことを示すだろう。ただ

「始まる,折れる,こわれる,生まれる」のように本来,生起性(inchoative)

の動詞は「あいだ,まで」といっしょには使えないのは当然である。

 なお,漢字の「中」を「勉強中∫冬中」「冬休み中」のように,「ちゅう∫ぢゆう」

と 読み わけるのも,上に見てきたことと岡じ原理からのようだ。(もっとも

「午前中(に)」のような例もあり,上と全く重なるわけではない。)しかし「中」

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