1.なぜ〈無常〉で終るのか
(ヨウ) 私たちは,〈神祇〉[第1章],〈釈教〉[第2章],〈恋〉[第3章]と歩んできた。それは概 括的にいえば,〈日本のカミ〉→〈日本のほとけ〉→〈日本のヒト〉の観察だった。とすれば,
その‘揚げ句’はなぜ〈無常〉[第4章]なのだろうか?これはただの‘起・承・転・結’で はあるまい。先人たちがこう言い慣わしきて,遂には〈猫〉までが「吾輩の尻尾には神祇釈教 恋無常は無論の事,満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の妙薬が詰め込んである」と見栄を切 るまでに至った歴史の果実である。だがこの‘妙薬’は本当に効くのか?どのように生きたら4 4 4 4 4 4 4 4 4 よいのか4 4 4 4という人生の難問に答える知恵を私たちに授けてくれるのか? 信じて服用してみる しかない。
2.「諸行無常・是生滅法」[シャカ]
(ヨウ) と言っても釈迦自身は〈無常〉と言ってはいない。「諸行無常」ともし誰かが言えば,そ の通りと答えるだろうが,それは当たり前のことだ,いまさら何を力んでそう言うのか,と思 っているだろう。
では何故これを彼の言葉として伝えるのか?彼の修行時代の物語りとして伝えられる『ジャ ータカ』[釈迦本生譚]のなかに雪せっせん山童子の話しがある。あるとき雪山で修行していた彼の様 子を探ろうと,帝釈天[インドラ神;須弥山頂の喜見城に住み,四天王を従えている]が羅刹 に姿を変えて近づき,「諸行無常,是ぜ生滅法‥‥」という偈げ じ ゅ頌を唱えたところ,童子はその後 段を聞かせてくれとせがんだ。これに対して羅刹は‘他日食を得ずにいるので説けない,人の 暖肉と熱血とを食せば,‥‥’と言う。童子はそれを与えようと約束し,偈の後段「生しょうめつめつい滅滅已,
寂じゃくめつ
滅為い楽らく」を聞いて,身をひるがえして樹上から跳び降りた。そのとき羅刹は帝釈天に戻り,
童子を支えて地上に安置した,というのだ。
(マイケル) 真理を究めようというこの雪山童子の物語りは,日本人の心を強く打ったらしく,法 隆寺の玉虫厨子[7世紀中葉]の背面左側に「施身聞偈図」が描かれているのを僕も見ました。
それにこの4句の偈から‘いろは歌’がつくられたんだそうですね。
(ヨウ) 問題は「是生滅法」の意味だ。すべて生じたものは滅びる。生れたものは死ぬ;これが通 り一遍の〈無常〉だね。しかしシャカはそれだけのことを言おうとしたのではない。彼自身の 言葉―といっても文章になって遺っているもっとも古い文献『スッタ・ニパータ』[その中 の詩句はアショカ王(~BC268)以前;散文の箇所はBC250~150とみられる]によるしかな いのだが―に「依りかかることのない人は,理法を知ってこだわることがない。かれには生 存のための妄執も,生存の断滅のための妄執も存在しない」とある。「生」「滅」という事実で4 4 4 はなく4 4 4,それらにこだわらない4 4 4 4 4 4こと,これが肝心なのだ。「生滅滅已」という第3句も,‘生き 死ににもう執着することがなくなれば‥‥’というのであって,‘死んでしまえば’というの
ではない。〈死〉についてのヴァッチャの問いに,ゴータマはタターガタ[全き人=如来]と いえども死後の生存如何はわからないと答えていることをさきに紹介したが,してみれば死ん だあとのことなど論じる意味はない。‘生死’というこだわりがなくなってしまえば「寂滅為 楽」[第4句],つまり‘静かな心境を楽しめる’と言っているのだ。
(マイケル) そう出来るかどうかはわかりませんが,ごくわかりやすい理屈ですね。
(ヨウ) 総じて,『スッタ・ニパータ』にみる限り,ゴータマの説教は極めて明快だ。①すべての ことに「執着」しない。②「貪欲」にならないよう‘自制’する。③そうなるには修行と「智 恵」が必要だ。④それができれば「心の平安」が得られる;これが彼のいうニルヴァーナ[「涅 槃」]だ。
(マイケル) ごく簡単ですね。明快だ。でもこの『スッタ・ニパータ』を読んでゆくと,前後矛盾 というか,論理的に一貫しないと思えるフシもあれこれありますね。
(ヨウ) それは説教だからだ。説得する対手がいる。対手のゆがみをみてその反対側を強調しなけ ればならない。「この世とかの世とを厭い離れ‥‥,‥‥生を滅ぼしつくすに至った人」とか
「‥‥この世とかの世とを知り‥‥」というのはレトリックであり,「‥‥過ぎ去るものは虚妄 なものである‥‥」「安らぎしは虚妄ならざるものである」とかいうのは,彼の主観的な「真4 理4」の過剰な表現4 4 4 4 4 4である。彼の真意はどうやって心の安らぎ0 0 0 0 0を得られるようにするか,つまり
「聖者は平安を説く者」だという自覚なのだ。それ以上でも以下でもない。彼がこうした説き 方をしたのは,当時支配的だったインド・アーリアンの‘ヴェーダ教’が人々の欲望を野放図 に肯定するものだったのを批判しようとしたからなのだ。彼は反ヴェーダの徒であるが,反ア ーリアンではない。よきバラモンたろうとしたと言ってもよい。「独坐と禅定を捨てることな く」勤勉に精励し,「智恵によって全く清らかなる」ことを目指した修行者だった。
3.「生死即涅槃」[リュウジュ]
(ヨウ) 竜樹(ナーガールジュナ)のこの点での見地をここでは「生しょうじ死即涅槃」としたが,これも 彼自身の正確な言葉ではない。そもそも彼の議論は,グルの1人である彼がその内弟子に向っ て説いた‘秘説’なのであって,舌足らずで前後の脈絡もない,と私は前に説明した。ともあ れ,私の理解した竜樹の〈涅槃〉は―シャカの考える‘彼岸’とは全く違って―一口にい えば「眼前のあるがまま4 4 4 4 4 4 4 4の世界」である。それは,私たちの日常生活の「因果のある均衡状 態」としての「眼前の総合的な現象」である。
(マイケル) それって,ずっとあとになってボーディ・ダルマが言った〈如にょ〉のようなものです か?
(ヨウ) まさにそうだ。すべての人の「主観的な独自性」はこの中に包み込まれてしまって,この
「ありのままの状態では,すべての発生はありえないし,消滅もありえない。永遠でないもの も永遠なものも,‥‥この世のものでないということは決してない」。それは静寂な世界であ り,われわれがその静寂を感受できる‘此岸’の出来事なのである。シャカでは主観的な努力
の到達点が‘彼岸’の〈涅槃〉だったが,リュウジュではそれは客観的な事実としてのいまの
「あるがままの世界」であり,「どこからともなく到来したものであり,何かであり,何となく 去ってゆくもの‥‥」なのである。とすると,そこに至るわれわれの営み,〈サンサーラ〉
[〈輪廻〉と不完全に漢訳された]も何か特別なものではない。それは〈流転〉であり「日常生 活の浮き沈み」以外ではない。そこでのわれわれの努力―〈煩悩〉―は‘苦’でもあろう が‘喜び’でもあろう。シャカにあっては制御できないこと―思うがままにならないこと
―は〈苦〉とされたが,リュウジュでは制御できるものはそうし,できないことは「あるが まま」に受け容れる,となる。
(マイケル) 結果は同じだけれど,その受けとめ方が違うんですね。どうしてなんでしょう。
(ヨウ) 性格の違いといえばそれまでだが,両人の育った環境,‘文化’の違いは大きいと思う。
シャカは‘インド’―とわれわれがいま一括して呼ぶ亜大陸―の東北部の出で,西北から 入ってきたアーリアンと早くから混じり合ったが,リュージュは南のマハーシュトラの出だか ら,階層としてはバラモンなのだが,おのずと先住のドラヴィダ的気質がある。シャカはヴェ ーダ教のバラモンたちとの間の「戯け ろ ん論」[形而上的論争]を禁じたが,中南部で圧倒的なドラ ヴィダ人の間ではそんな空論などはもともと問題にならない。「あるがまま」の現実を素直に 受け入れるのだ。
話しがインド人の仏教としてはじまったが,私たちはインドの人たちが仏教をどのようにと らえたかについてよく理解しないで,‘仏教といえばインド,それには小乗と大乗がある’と いった程度で済ましている。インド各地の博物館を廻ってみると,ヒンドゥ教の主神であるシ ヴァやヴィシュヌの彫像のアーカイックなことは,本当にこれが‥‥?と目を疑うほどだ。シ ャカ像らしきものはいくらかマシだが,大差はない。それでも西暦のはじめの頃の北西のガン ダーラの流れだというのだから,やはりアーリア的ということになるのだろうか?ともかくこ れをインド土着の彫イメージ像だと言われても当惑する。私たちは〈釈教〉の議論[第2章]を「仏像4 4 の4仏教」としてはじめたが,これらと隔たることはるかだ。私たちが‘インド的’と呼んでい る仏教4 4はインド人からみれば,古ヒンドゥ的世界とはまるで違うごく新しい時代の宗教なのだ と更めて思い知らされる。でもしようがない。私たちがこれまでに学んできたインド的仏教が いうところの〈無常〉をまとめておけば,図Ⅳ-1となろう。ともかくそれは動き続け,変化し てゆくのだ。
しかしここで肝心なのは,シャカとリュウジュの大きな違いだ。リュウジュがゴータマ離れ していることを大方の日本の信徒はわかっていない。シャカが生死にこだわらない4 4 4 4 4 4と言ったの は,そうかと思うが,そうなる前と後では質的な変化がある。でもリュウジュにとっては,何 も変らないのだ。人のいのちはこのあとも風雪にさらされるだろうが,それもまたよしとする。
すべての変動を楽しむのだ。