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−ア

ドキュメント内 国語史の中世論攷 (ページ 89-100)

下 接 語

9 23 音 便

6 16 原 形

60% 59

% 音 便 化 率

次に︑ヵ︵が︶行・サ行の四段動詞では︑音便形をとり得る場合︑イ音便になるが︑本抄における力︵が︶行・サ

行四段動詞が﹁テ﹂﹁夕﹂に続く際︑音便を起こしたり︑原形であったりするのは﹁ラ﹂行四段動詞と同じである︒すなわち︑

○所詮貴妃ヲ不殺ハ又何タル禍が出来ランコトヲ不い 知ゾ︒然レバ急イデ貴妃ヲ殺サンド申也︵長恨歌抄九五頁︶

︵天理本ナシ︑京都本﹁イソイデ﹂︶

○安禄山ガフレヲマハシテ楊国1ヲ伐ベキ由披露ス︵同九二頁︶︵天理本﹁フレヲマワシ﹂︑京都本﹁フレヲマハシテ﹂︶○誦居ノコトナレ八万ヅノ物思イノアル故力巳二歓楽ヲシ出シタゾ︵琵琶行抄一三四頁︶︵天理本﹁出タゾ﹂︑京都本﹁シ出シタリ﹂︶

のようである︒ただし︑ここで注目しなけれはならないのは︑次の表に示した本抄での力︵が︶行とサ行四段動詞の音便化率の相違である︒

第二 篇 中 世後 期 の語 彙・語 法400

︿

j 夕

− ア

接下 語

4 12 音 便

2 0 原 形

67% 100

% 音 便 化 率

︿

j 夕

J

− ア

接下 語

0 4 音

便 2 20

原 形

0

% 17

% 音便 化 率

ヵ︵が︶行四段動詞では音便化率が大変高く︑特に﹁テ﹂に続く場合には︑偶然であろうか︑コー例すべてが音便化している︒これに対して︑サ行四段動詞では︑音便形をとり得るにもかかわらず音便化することが大変少ないのである︒このことは︑ヵ︵が︶行四段動詞の音便化かかなり進んでいて︑現代語のように音便形が形態的に定着しつつあることを表していると言える︒また︑現代語ではサ行四︵五︶段動詞が﹁テ﹂﹁夕﹂に続く場合︑絶対に音便化しないのであるが︑本抄に見られるサ行四段動詞の音便形をとらない傾向も現代語のように原形をとる方向にあることを表しているものと理解されるのである︒

次に︑本抄における八行四段動詞の音便形に関して︑﹁テ﹂﹁夕﹂に続いた﹁アフ︵遇︶﹂﹁ウツ︵移︶ロフ﹂﹁オモフ︵思︶﹂﹁カイツクロフ︵繕︶﹂﹁ケハフ︵化粧︶﹂﹁シタガフ︵随︶﹂﹁ソフ︵添こ﹁タチヤスラフ︵立休ご﹁タマフ︵給ご﹁ヌフ︵縫︶﹂のI〇語コー例のうち︑﹁オモフ﹂﹁タマフ﹂かっこ﹁夕﹂につづき音便形をとらない次のIll例を除

401 第 九 章 国 語 史 上 に お け る 『 長 恨 歌 ・ 琵 琶 行 抄 』

いて︑他はすべてウ音便化している︒

○今ハ不思儀ノ遠国ノ住居ヲセラルゝ程二慰メント思イテ尋行也︵琵琶行抄一一九頁︶︵天理本﹁思イテ﹂︑京都本

﹁思ヒテ﹂︶

○貴妃ニソイ玉イタ時ハ夜ノ短キコトヲ恨ミ思召テ︵長恨歌抄一〇六頁︶︵天理本﹁ソイ王ヒタ﹂︑京都本﹁ソイ玉フ時﹂︶

○玄宗大二悦ビ玉イテ︑サラ八行テ尋テクレヨト仰ラルしソ︵同一〇九頁︶︵天理本﹁悦ビ玉ヒテ﹂︑京都本﹁悦テ﹂︶

八行四段動詞が早く撥音便形をとる例が見えるのは︑中世前期︵院政・鎌倉時代︶の東国資料からであるとされる

が︑中世後期では主に文語文︵訓読文︶や東国資料に現れる︒従って︑抄物においても︑東国系の抄物はもちろん︑

関 西 系 の 抄 物 に あ っ て も 訓 読 文 で は 促 音 便 形 が 現 れ ︑ 抄 文 で は ウ 音 便 形 を と っ た も の が 多 く 現 れ る ︒ 本 抄 の 八 行 四

段動詞が撥音便形をとらず全てウ音便形をとっているのも︑こうした事情を反映しているものと思われる︒

八行・マ行四段動詞が﹁テ﹂﹁夕﹂に続く場合︑本抄では︒10

七月七日ノ夜半二貴妃ト玄宗ト只一一人長生殿二御座アテ︑今夜ノ牛女ノ契ハ昔ヨリ少モ替ルコトナイ︑此ヲ羨

ミテ︑サラバ我モ世々二夫婦ト成ベシ︑天上人間ノコトハ云二不及︑或ハ鳥類トナリ︑又ハ非情ノ草木トナル

共契ハ替ルマイト私語シ玉フゾ︵長恨歌抄一一七頁︶︵天理本﹁浦ヤミテ﹂︑京都本﹁ウラヤミテ﹂︶

のように︑音便化しない例が﹁眉ノユガミタル﹂︵同九七頁︶﹁冠モ少シユガミタヲ﹂︵同一一二頁︶と併せて二語三例

見られるが︑音便化した例も見られる︒八行四段動詞の音便形は︑﹃琵琶行抄﹄に︑

○泉ノトヾコヲリテ︑ムセンデ流ルゝ如ナ声モアリ︵内閣本コー六頁︶︵天理本﹁咽センデ﹂︑京都本﹁ムセンダル﹂︶

のように︑﹁ムセブ︵咽︶﹂︵むせび呟くような音をたてる意︶の撥音便形が一例あるだけで︑他はマ行四段動詞の音便

形である︒

中世後期におけるパーマ行四段動詞が音便化する場合には︑撥音便化するものと︑ウ音便化するものとの二つが

中 世 後期 の語 彙・語 法 402

ある︒本抄において撥音便化したものは︑先の﹁ムセブ﹂の他︑﹁フクム︵含︶﹂︵長恨歌抄一〇一頁︶﹁小涙グム﹂︵同で一二頁︶の三語三例︑ウ音便化したものは﹁カナシム︵悲︶﹂二四頁︶﹁シラム︵白︶﹂︵同〇七頁︶フンム︵染︶﹂︵琵琶行抄一二二頁︶﹁イサム︵勇︶﹂︵同こ一七頁︶の四語四例である︒いかなる場合に撥音便形をとり︑いかなる場合にウ音便形をとり得るかということについては当時一定の法則があったようである︒すなわち︑パーマ行四段動詞の連用形語尾﹁ビ﹂﹁ミ﹂の直前の母音がa・・1・e・oである場合には長音便︵ウ音便︶︑uである場合には撥音便になる︒ただし︑語幹が一音節からなる語の場合には︑活用語尾の直前の母音に関係なく︑撥音便になることが多いという︒本抄に見られるパーマ行四段動詞の音便化は当時のこうした法則にほとんど符合しているが︑語幹がドー音節からなる﹁シム﹂については次のようにウ音便形をとって使われており︑法則に反するものとなっている︒第j○紅葉ノ時雨ニアフテ色ノ深ク染タル時分︑荻花モマツ白ニサキ散タルガ身ニシウ

︵琵琶行抄二二頁︶︵天理本フンウデ︶︑京都本﹁シミニシウデ﹂︶

デ ス サ マ ジ キ ヲ 慧 々 ト 云 ゾ

なお︑音便以外にも︑本抄には中世後期の語法上注意されるものが見えるので列挙する︒

動詞の敬語法としての﹁オ︵御︶⁝アル﹂や形容詞に﹁御﹂を冠しか例

○短夜ヲ御ナゲキアリシガ︑貴妃二御別アツテョリ初テ春ノ夜ノ短ヲモ事ノ外長イト思召也︵長恨歌抄一〇六頁︶jO玄宗ノ貴妃ガコトヲ忘ルゝ隙モナウ恋カナシマルゝヲ見テ︑御イタハシイ事哉ト感ズルソ︵同一〇九頁︶

助詞﹁の﹂﹁が﹂の尊卑による使い分けの例10

﹁玄宗ノ弟﹂︵同八〇頁︶

−O﹁楊玄玖力女﹂︵同八五頁︶

助詞コこが担う意味の領域への﹁へ﹂の侵入例i

○我住所が溢江へ近イゾ︵同二一四頁︶

図 語 史上 にお け る 『長恨 歌・琵 琶 行抄 』 403 第 九章

打消の過去を表す助動詞﹁ナンダ﹂︵なかったの意︶の例

○カヤウニ結構ナル衣装二酒ヲコボシテ汚セドモ︑何トモ思ハナンダゾ︵琵琶行抄二二頁︶

五語彙について

国語史上の中世後期は︑日常語の中に前代よりさらに漢語の使用が増大すると共に俗語が台頭する時代である︒

本抄には︑当時の日常語や俗語であったと思われる語の使用が目につく︒特に接辞︵接頭辞・接尾辞︶には︑それま

でには見られなかった新しい語形のものが現れ︑それらが既存語と結びついて派生語を造り出している点が注意さ

れる︒

接辞のうち︑接頭辞では︑﹁ちょっとした﹂という意味を冠する﹁コ︵小︶﹂が

○酔ホド酒ヲバノメドモ名残惜サニ小涙グンデ打クツロイダ体モナイゾ︵琵琶行抄二ご資︶

○低眉トハ︑コカタムキニ傾タル体也︵同一二五頁︶

のように見え︑﹁その度合いがなんとなく中途半端である﹂という意を添える﹁ナマ︵生︶﹂が

○此程ノ山歌︑村笛二耳モホウくトシテナマキコヘニアツタガ︑明ラカニ耳力聞ユルゾ︵同一三六頁︶

のように見える︒また︑﹁完全に︵まさに︶〜である﹂という意を表す﹁マ︵真︶﹂の促音化した﹁マツ

音化しか﹁マン﹂も︑それぞれ次のように見える︒

○ドコモカシコモ曇りナク︑江ノ水ノマツ白二打開二漫々トシタルニ︵同二回頁︶ ﹂と撥

︶︑

・:

第二篇 中 世後 期の 語 彙 ・語 法404

などがついて︑それぞれの意味を添えた︑次のような語が見える︒

○天河が牛寅ニナル時︑束ガアカウ成テ夜ガアクルゾ︒而モ星河モ牛寅ニナリ︑東モシラウデガ列如大二成ホドニ︑ウレシウ思召セバ︑未ダ明ザル也︵長恨歌抄一〇七頁︶

○光陰ハー飛鳥ノ如テッテイツノ間二年ヨルトモシラズ︒ハヤ白髪ダラケニナリシワモヨリタゾ︵琵琶行抄一三二頁︶

○何タル風流ナ人ゾト耳ヲ歌テキケバ︑都ニテ聞ヤウナル声ニテ田舎ビレタル声ハナイゾ︵同一二〇頁︶○貴妃が顔ヲフリムイテ見カヘリテ︑ソレハサウアツテ候ナド︑返事ヲシテニコリトー笑スレバ︑エクボガ出来テ何共云レヌ塩ガコボレテ︑アイソラシイコトガ百シナ計デクルゾ︵長恨歌抄八六頁︶

このように︑いろいろな既存語や新生語に接辞を付けることによって派生語を造り︑語を増やしたのである︒次に︑動詞について見ると︑ここにも古代語の世界には姿を現すことのなかった新しい語形が認められる︒jO貴妃が久ク湯二入レバ︑クタビレテソ八二仕ハルゝ女房達ニヨリカゝツテタヨくトシタ体︑誠子心モ詞モ不及ウツクシキヲ︑嬌j︵無力︶ト云也︵長恨歌抄八七頁︶

この﹁クタビレ﹂は﹁クタビル﹂︵下二段活用︶の連用形で﹁疲れ果てる﹂の意味を表す︒jO

玄宗大二悦ビ玉イテ︑サラ八行テ尋テクレヨト仰ラルゝゾ︵同一〇九頁︶

この﹁クレヨ﹂は﹁クル︵19ハ︶﹂の命令形で︑動詞の連用形に助詞﹁テ﹂を介して補助動詞的に用い︑フ・でくださる﹂の意味を表す︒

−︲○去程二三千人ノ宮女方御宿直二参ルヤウニトテ︑朝タノ隙モナウ粉黛ヲケワウテ居ルゾ︒訪中へ貴妃ノ更ニケツラハイデ出レバ︑忿ノカザリ立夕女房顔色ヲ被レ 奪影ガナイゾ︵同八七頁︶この﹁ケッラフ︵擬︶﹂は﹁よそおう︑めかす︑化粧する﹂という意味を表す四段動詞である︒この語について︑ 第九 章 国語 史上にお け る 『 長恨 歌・琵 琶 行抄 』

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﹃日本国語大辞典﹄の﹁けつら・う﹂の項の補注に︑﹁古い形に﹃けすらう﹄があり︑それが変化した形と考えられ

るが︑はっきりしない﹂としている︒それは︑この語の表記に﹁ケツラフ﹂﹁ケスラフ﹂という二通りがあって︑

しかもこの語の用例が現れるのは中世以降ということで︑必ずしも先後の関係を明らかにし得ないからである︒し

かし︑﹃日本国語大辞典﹄の見出しの後に﹁﹃けづらう﹄とも﹂と補記し︑﹁ケツラフ﹂の濁音形も存しかことを示

していることからすれば︑当然︑一方の﹁ケスラフ﹂にもその濁音形﹁ケズラフ﹂があったと考えられるはずであ

る︒また︑音韻の観点から︑﹁ジ﹂と﹁ヂ﹂︑﹁ズ﹂と﹁ヅ﹂のいわゆる四つ仮名に関しては︑発音に区別を失った

ことによる混同表記がかなり見られるものの︑﹁ス﹂が﹁ツ﹂に変化する形は一般的ではないと言える︒因みに︑

﹃岩波古語辞典︿補訂版﹀﹄では︑﹁けすらひ﹂の見出しの後に﹁﹃ケズラヒ﹄とも﹂としている︒このようなこ

とから︑本抄では﹁ケツラフ﹂は︑﹁ケズラフ﹂の﹁ズ﹂を﹁ヅ﹂と混同した﹁ケヅラフ﹂︵抄物にあっては︑片仮名

表記による清濁の区別はまだ極めて不徹底であった︶と考えてよいのではなかろうか︒

なお︑この用例に見える波線の﹁ケワウ﹂は︑﹁ケハヒ︵化粧︶﹂の動詞形︵四段活用︶で︑﹁︵顔を︶化粧する﹂の

意味を表す語である︒

○唐ノ法二︑軍破ルレバ大将ヲ必生涯サスル程二︑是ヲヨキ次テンテ皆訴へ申セドモ︑失ニアラズ︑士卒ノ過也︑

−i

○モシ貴妃ガ面カゲニ少シナリトモ似タ人アラバ︑御宿直ヲモサセラレウズレ共︑少モ似タ人ハナケレバ︵同一

○七頁︶

この二つの用例に見える﹁サスル﹂﹁サセ﹂の語形は︑使役の意味を表す﹁サス﹂︵下二段活用︶の連体形と未然

形である︒この﹁サス﹂は現代語の﹁什事をさせる﹂の﹁させる﹂と同しで︑本来﹁セ﹂︵サ変の未然形︶に﹁サス﹂

︵使役の助動詞︶が付いた﹁セサス﹂が融合して︑一語化したものである︒

ドキュメント内 国語史の中世論攷 (ページ 89-100)

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