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㻝㻥㻣㻤㻝㻝 㻥㻢㻣表 3.3 1970 年代に開業した西友(筆者確認分)
『大型小売店データ(ポイントデータ版)2012 年版』
株式会社 東洋経済新報社 より筆者作成
37
図 3.24 1960 年代と 70 年代ににおける西友ストアの出店状況比較
(赤点:60 年代 橙点:70 年代 着色 :DID)
店を見ると、東京から 20km から 40km 圏内の出店がほとんどである ことがわかる。右図は 1960 年代に出店した西友ストア(赤丸)、70 年 代に出店した西友ストア(橙丸)を比較して表した図である。これを見 ると東京圏半径 20km 〜 40km 圏内に 70 年代に新たに出店した西友ス トアはその近傍に 60 年代に出店した西友ストアが存在している割合が 高く、特に東京圏西部においてそれは顕著である。これは大規模な店舗 を建設する立地上の問題もあるであろうが、60 年代に建設された比較 的小規模な店舗を補完するひとつ上位の店舗がこの時期に出店されたこ とを示唆している。もちろん全てがそうであるということではないが、
この時期に建設された大規模店のうちでそのような役割を持っていたも のが少なからずあったのではないかという仮説が立てられる。
この仮説を裏付けるのが西友ひばりヶ丘店である。ひばりヶ丘店は 1978 年に開業した店舗であるが、売り場面積約 12000㎡という大規 模店であり、全ての売り場が自社のものであった。西友常務会議におい て「従来のドミナント地区の西友店舗とは全く異質の店」として計画さ れたと『セゾンの歴史(下巻)』153 項において引用されている。市民 ホールなどのコミュニティ施設、ベビー休息所などのサービス機能も充 実され、家族連れが自家用車で訪れることを想定し大規模な駐車場が周 辺部に作られた。さらに特筆すべき点は、このひばりヶ丘店を核店舗と する周辺のひばりヶ丘団地店などの 11 店舗において、商品の競合を避 けるために品揃えが調整されたという記述である
27
。これは端的にこのよ うな大都市郊外店の出店が既存の小規模店を従属させる核となることを 目指されたものであることを物語っている。また同様の戦略に基づいた 出店としては 1982 年に大改装が加えられる所沢店や 1983 年の大泉店 があったようである。
すなわちこの時期の大都市圏における出店戦略は、既存の店舗を束ね る核店舗の建設を通じて販売店の集団を形成し、商圏を面的に拡大し支 配していくものであったということが分かった。
27 『セゾンの歴史(下巻)』 154 項
38 3.3.4 西友の 1980 年代の出店戦略
右の表は 1980 年代の西友ストアの出店履歴である。これを見ると 80 年代には 22 店舗の出店があり、3000㎡以上の店舗は 15 店舗である。
比率を見ると約 70%ほどで 70 年代が約 60%であるのに比べ 10%ほ ど高くなっている。出店の立地状況を見ると、大半が東京 40km 圏内に 収まっており、70 年代以前の出店店舗の立地状況と比較すると大半が 既存店舗の近傍に出店、残りが既存店舗のない地域への新規単独出店と なっている。70 年代と比べてそれほど大きな差異は出店の立地状況に は見いだせなかった。
社史を見ると、1973 年のオイルショック後に鈍化したスーパーマー ケット部門の立て直しが 75 年あたりから課題となっていたことが分か る
28
。75 年には売り場面積 300 坪ほどの地域密着型店舗のモデルの模索 が行われ、76 年改行の南浦和店などがこのモデルを踏襲して計画され た。南浦和店は開業当初は好調であったが徐々に売上が鈍化したようで ある。これを受け、西友では新たな店舗計画に際し、従来の店舗とは異 なる性格を持った店舗にする必要があるとの結論に至り、非食品部門で の差異化が図られた。こうした流れを受けて 80 年代初頭に入ると競争 力を失った店舗を専門店に流用する試みが行われた。81 年に開業した DAIK 深沢店や 82 年改行の DOMO 川越店などのインテリア、DIY 専門 店や 81 年改開業の高級食材専門店ハウディ西武白金台店などがそうで ある。しかしこれらはいずれも周辺の競合店との競争に敗れる結果に終 わり、専門店によるスーパー業の活性化は失敗に終わった。
< ” 質販店 ” というコンセプト>
こうした中でその後の西友の方向性を決める一因となったのが 81 年 開業の小手指店である。小手指店では土地をグループ企業の西武都市開 発が購入し、西友ストアーにリースするという形で行われたため、コミュ ニティ昨日の充実が図られ、ディベロッパー的な視点での総合的な開発 がなされた。それに連動して小手指店の営業コンセプトは、「単にモノ を売る商業施設から脱皮し、商品を大切にし、生活の質の向上をお手伝 いする ” 質販店 ”」というものが提出された
29
。具体的には商品情報をミ ニコミなどによって伝達する、専門の販売員を配置し対面販売、ハウジ ングセンターを解説し住居に関する情報提供や相談窓口といった生活全 般を扱う非物理的サービスを充実させた。このような非物理的サービス の充実による販売の差異化は後に生活総合産業を標榜するセゾングルー プの基本的な姿勢となり、81 年から 82 年にかけて行われた大船、津 田沼、戸塚店といった店舗のリニューアルにおいてもこの手法が用いら れた。また、 ” 質販店 ” というコンセプトを掲げて新たな店舗づくりを 行なっていくにあたり、最重要テーマとなったのは商品の質の向上と安
28 『セゾンの歴史(下巻)』 154 項 29 同上 158 項
図 3.25 1980 年代に出店した西友ストア(着色:DID)
図 3.26 1980 年代出店店舗と 70 年代までの出店店舗の比較
(橙点:80 年代、黒点:70 年代以前)
表 3.4 1980 年代に開業した西友(筆者確認分)
『大型小売店データ(ポイントデータ版)2012 年版』
株式会社 東洋経済新報社 より筆者作成 ᗑ⯒ྡ 㛤ᗑᖺ᭶ ᗑ⯒㠃✚䠄䟝䠅 す 㻝㻥㻤㻜 㻝㻢㻡㻜 す 㻝㻥㻤㻜 㻥㻢㻣㻟 す 㻝㻥㻤㻜 㻢㻞㻢㻠 す 㻝㻥㻤㻟 㻝㻡㻡㻟 す 㻝㻥㻤㻟 㻝㻡㻞㻞
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図 3.28 無印良品宣伝ポスター(1981)
図版出典:『感性時代』リブロポート 1984 年 171 頁
図 3.29 無印良品青山店概観・内観(1983)
図版出典:『感性時代』リブロポート 1984 年 178 頁 図 3.27 無印良品の評価 出典:『無印良品<白書>』 (株)スミス、1986 年
さであった。この要請の中で無印良品というプライベートブランドが誕 生してくることになる。
<無印良品の誕生>
無印良品の販売が開始されたのは 1980 年、当初の販売品目は家庭用 品 9 品目、食品 31 品目での開始であった。もともと主婦の意見から生 まれた無印良品は「わけあって、安い。」というコンセプトのもと、通 常の製造過程でなされる見栄えのための無駄な工程や素材の無駄を省く ことで廉価で高品質な製品を提供することができた。販売初年度の売上 目標が 30 億円であったのに対し、実際の売上は 55 億円と無印良品は 消費者から大きな指示を得た。1985 年に実施された消費者による評価 では、支持された理由は順に、価格、素材、品質、使い勝手、機能となっ ている。この時点では個性やデザインといった点での評価はあまり高く ない。しかし販売商品の品目数が増加するに連れ、右図のポスターに見 られるような「愛は飾らない」などの次第にシンプルな商品の美学が提 示され始める。
無印良品の商品は西友内だけでなく、西武百貨店などでも当初から販 売された。さらに 1982 年には提携関係にあったスーパー丸善、さくら コマースなどへの卸売、83 年には外部への販売が始まり阪神百貨店内 にインショップが誕生した。このような状況の中で無印良品のブランド イメージを確固たるものとする出来事が青山への路面店出店であった。
外壁に古煉瓦をまとい、内装に古材、コンクリートという自然感のある しつらえによって無印良品は自然をイメージとしたファッション性を消 費者に植えつけることに成功した。無印良品のイメージ戦略については 次章で詳しく見ることにする。
< 80 年代まとめ>
西友の 80 年代は出店戦略は立地条件上は 70 年代と大きく変わるこ とはなかった。しかしサービスの面では従来の販売方式に変わり、非物 質的なサービスを充実させる ” 質販店 ” というコンセプトが採用され、
それが後の生活総合産業としてのセゾングループに影響を与えたと考え られる。またそのような状況で「無印良品」というプライベートブラン ドの販売が開始され、廉価に高品質のものを提供するというコンセプト は ” 質販店 ” と相乗的に西友を他の量販店から差異化せしめたと言える。