て、それぞれ、 31 6票対30 6票、 30 9票対30 2票と接近し、その 差はきわめて僅少であった。 (H a 1 ~ VY, op. c i t
, ・
v o 1. I、 1 7 9ー1 81. )ー
(3) ロンドンになけるラデイカルズの圧勝のためK、リベラルズ内部では保 守的念首相メルボーンの立場は窮地K追いやられたといわれる。
(Ha levy op.cit., Vol. I, p. 180.) (4)
Hal~vy
op. cit.,p.181.(5) Webb, o p
・
c1 t., p, 7 3‑8. Hale,
甲y,op. c i七.,p, 186‑7. (6) Webb, op・cit.,P• 7 3 8(7) Webb, op. cit.,p. 738, La此 i,.Jenning a, Robson, op.
c 1 t., p. 60.
(8) Maccoby, op. cit., p. 132‑3.
{仰 とれは、総選挙を前Kして、ビールがその政治的立場を明にした有名な 声明である。彼は選挙法改正を肯定して、 ζれを「憲法問題の最終的にし て変化しえ左い決着」と呼び、さらK、選挙法改正のコロラリーとして、
‑144‑
都市法人の必要を認め、ホイッグ内閣が任命した王立調査委員会の継承を 確認していた。(
Hal~vy,
o p・
oit.,Vol・ m .
:p. 1 1s ,
Laski, Jennings, Robson, ed., op. ci七., P•
6
o . )
。
。
Hammond, The Age Of chartist, p. 49‑50.コブデン がピータール一事件を引合にだしてく工nco百pora:もe your Bor 0・ ugh>と呼びかけたのは18 3 5年のζとであった。 (Hammond, op.cl.t.,P• 50.)ピールは、ウzリントン宛の手紙のなかで、「政府の提
案は、コーポ
ν
ーシヨンの統制権、したがって、コーポν
ーションの財産 K対する統骨折j権をく10 pound Freeholder>に投げ与えるもので ある」と述べていた。とうした認識があるにもかかわらず、ピールは都市 法人の改革は不可避であb
、かつ必要だと判断していたのであった。(Webb, op. cit句p.741.)
引〉プリストルの抗議と抵抗Kついてはef. We b b , op. c 1 t ., p. 4 8 0
‑4 81.ウzツプは、「とのよう念革命的法案が、かくも容易
κ
下院を通 過したζとは殆ど念いJ
と述べている。 (Webb, op. c 1・J・主 74 2.) (12)意見の開陳を要求していた 30以上の都市法人の代表のうち、 2人だけ出席を認められた。そのうちの1入、プリストルの代表は、 12時聞にわ たる反対演説を行った。 (We b b, op. c 1七.,p. 7 43‑4.)
。
3)上院の修正案は、一、現存の市書記、長老を終身制Kするとと。二、フ リーマンの特権を温存すること。三、新しい市民権の資格の格上げなどで あった。もう一点、デイセンターは、実数上の任命職に就任でき念いとい う提案は、否決された。。
の
5 and 6 Willjam IV. cap. 76.下院は、上院の修正案を拒 否したが、結局、プレイスをはじめとするラデイカルズの反対を押切って 上院の修正案に歩み寄った線で妥協した。新しくもりとまれた修正点は、一、市議会の営業許可権(Licensing power)を放棄し、二、フリー
マンは現存の特権を終身保持するとと、三、ポロを区(Ward) !tC分 割 す るとと、四、長老議員の選挙は、市議会議員が行いその任期は6年とする とと、 ζれらを主内容とするものであった。こうした下院側の譲歩にもか かわらず、上院のリンズハーストが反対したのは治安判事の任命権の問題 であった。との点は、再度Kわたる政府の譲歩によって市議会による任命 制を予定した政府案は訂正され、保守派の主援の線で最終案が妥結した。
(Webb, op. cit 句 P• 74 5‑7.)註17参照。左草子、都市団体法案
κ
対する賛成の請願は、 260. 129,反対の請願は、 26、53 4'で、 圧倒的K賛成の請願数の方が多かった。 (Mac co by, op. c 1 t., p.
1 3 2. )
0 5 )
Laski, .renni ng, Robson. op. cit、
p. 59‑64, FJ.ner, En gユ1白h Local Government, p. 65, Redlich and Hirst, op. cit., Vol. I. p. 124‑125.。
6) その他K、市会は、有給治安判事の任命を内務大臣に要求し、あるい は、別箇の四季裁判所法廷の設置を枢密院に請願しうる権限を賦与された。(Laek1., .renninge, Robson, o p・cit., p. 62. )
。乃 ラデイカルズは、都市の治安判事の公選と罷免制を強力K主張してきた。
しかし、 ζの措置は、トーリーの主張と正面衝突する可能性があったので、
政府の原案は、国王の任命制を採用した。とれに対しラデイカルズは、
「中央集権という呪われた原理を新法人の組織に接木
I
するもので、「自治 という憲法体系を不当κ
逸脱する」ものとみて、はげしい攻撃を浴せかけ た。(Webb,op. cit., p・740, cit Weekly Dispatch 31 th may 1835.)そとで、政府は、妥協し、公選による市長を職権上 の治安判事とし、他の治安判事の任命は、新市会の指名によるとととした。しかし、上院保守派を慰撫するためK、最終案は、市会Kよる任命制の方 針を捨て、市会の勧告は、くconsti七utional we1ght>を持つ
ものとしつつ、国王による任命方式が採用された。 (,JI e b b, o p. c i七・,
‑146‑
p. 739‑741, 747, Maccoby, o p
・
c1 t., p. 3 8 5,,
Halevy,
。予・ c1t., vo1. I, p. 216.)念辛子、従来は、都市法人の判事は殆 どすべてがトーリーであったが、新都市団体法の成立によって、マエユ フアクテュアラーズ、デイセンターズが治安判事職に就任するととと念 った。アレグィはとれを「静かな革命
J
だとのべている。 (Ha 1e ¥ .
yop. c 1 t ., p. 2 1 7. )
。
8) Las並t,JS nn、
ngs,Robson, 白4日, op. c:tt.,p. 40ー1'p. 62‑4, H.ammond,op. cit句p.49, Red11ch and Hirst, op. cit.,Vo1. I, p.125, Sme11ie, op.ci七.,p. 3
ス
ウエ?プ夫妻Kよれば、王立調査委員会も当時の期政者も、ミ且エシパ ル・コーポレーシヨンと荘園の近似性に気がつかず、また、 7・B 0の多 数にのぼるTrade Company k適用できるζとKも気づか念かったとい われる。 (Webb, op. p. 7 36‑7. )
09) Lak1, Jennings, Robson, ed., op. cit., p. 65. Hamm‑
ond, op. cit.,p. 53, Webb, op. cit.,p. 751, H. l!'1ner, op. c 1 t・0・66.フランシス・プレイスは、本文で指摘した理由によ って、との条文は実質上無効であろうと述べたといわれている。ホイヲグ 政府は、当時の権力状況にまpいて、約5百に倒まる各地のad hoc
bodyと斗うだけの余裕が念〈、またメルボーンは法案
κ
対ナる反対を 最少限K喰止めるためK も、とうした団体を温存したのであった。(Webb, Sta七utor y Authori•七 ie 日 for specia1 purp‑
oees, p. 344‑6・〉をか竜一般報告書は、との点について、「権 限が分割され、多〈の混乱が惹起されている」と指摘し、「現在、 ζのよ
う念諸団体によって行使され、しかも、住民の安寧と補祉にきわめて密接 念関連をもっ地方税賦課の権限は、チャーターの目的と一致するζとは明 白
J
であると述べ、しかし、「もし、これら(ad hoc body)の権限 を現在の都市団体に委託すれば、はげしい不満を引き起すであろうJ 、
と指摘していた。報告書の判断から推察すれば、 ad hoc bodyの 権 限 を新設の市会に移議するととは、理論上、当然考えられうる結論では念か ったといえよう。念事F、ad‑hoc bodyの新市会への吸収過程Kつい ては、 cf
・
Lipman, Local Government Area, 1834‑1 945, p. 67‑69, Webb, o p・Cit.,p.347.
C!J) 調査された28 5ポロのうち、 24 6ポロがミユエシパル・コーポレー シヨンの実態を備えていたといわれるが、その人口は、イングランドとウ ユールズの六分の一、約2百万人に達していた。ミユエシバル・ポロが
bu11t‑up areaと一致し念い場合は二つある。その一つは、ポロ の区域外 Kbu11 t‑‑up a re aを持つ場合、そのこは、農村地帯を区域 内
κ
包含するケースである。ケース
ポロの内容 外部(B.UbuTb) Br1ato1 57,000人 4 5,0 0 0人 Carli自11e 8.356 1 0.71 3 Hull 3 2.s 9 a 20.0 0 0 Rochester 9. 9 81 2 2.0 0 0 その1の
そのEの York 司4 人 一
−
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ケース Doncaster
Yor.kは、その区域内K35のタウンシ,プや教区を含有して主功、ある 場合陀は、一方向K1 O哩もひろがっているA1netyをふくんでいた。
またCoventryは、 'f842年まで、市城(
c
1 ty are a)のほかに、1 o. 1 5 0エーカ一、人口 1 0 7 6 0人Kt?よぶ農村部(Couny area)をふ〈んでいた。 (Lipman, op. c.it.,p. 28‑9.)
~) 農村部と市部の利害の対立は、市部の人口増大につれて激化する。ナ念
‑148‑
わち、船す部の人口が少数である場合は、市部K診ける都市改良に対する 地方税の増微に反対し、多数のときは、都市改良自体K反対したe (L1‑
pm an , o p. c 1 t ., p. 2 9. c 1 t Re p o rt C o mm 1 s e 1 c n e r自on mun主oipol Corp Boundaries 1837.)
0 2 )
Lipman, op. c1t.,p. 30, Webb, op. cit J・
722.(23) Outl.1er については、第8条により、①ポロの地域内のくmet自 白
and bounds>はポロK、外部にあるものはカウンテイに移譲し、@
1 7 8都市を二つに区分し、{a)93ポロは、下院議員選単区をその区滅とし て採用し、制85ポロは現存の境界を維持するとととした。 ζの問題は、追 って王立調査委員会の報告によって解決されるととに念っていたョ仏諸種の 反対のため実行されなかった。@による場合、人口の増減をみれば、
1835年前 1835勾殺 1835輔自
I
1 s3時 経 Ba七h 3 9.1 0合
5 4.24合
S七ock戸r七I
30.58ヂ
153835人Car・11Bli白 8.3 0 7 2 6.31 0 Sunderland 119.0 5 8 I 6 3,8 9 7 Hull 16.00 0 84,690
Liverpool 2 5 8.2 3 6 ( L 1 pm a n, op. c 1 t., p.6
←
68)375,955
~) La a孟1,Jennings, Robson, op. cit句Jennings,MUni圃
c 1pa1 Revo1u七ion p. 65. W白bb, op.c1t.,p. 727‑8, p. 7 31.中央統制と考えられるものは、以下の諸点であった。一、ポロ を「区
J
~分割し、各区選出の市会議員の人数は枢密院の許可をうるとと、二、職員がその地位を喪失し、その補償が十分で念いと考えるときは、大 蔵省K請願しうるとと、三、枢密院は新都市団体の条例を取消しうるとと、
四、警察委員会は四半期毎に内務省K報告書を提出する義務を負うζと、 五、市有地の分離、事Pよび31ヶ年以上にわたる貸借は、大蔵省の許可を 必要とするとと、六、有給の治安判事は国王が任命すること以上であった。
(Laski, Jennings,. Robson, edo., op. cit., Jennings・ Muni‑bi pal Revo1u.t1on) p. 63‑4. Smellie, op. cit,,p. 40.)
的 La目kl,Jennings, Robson, eds., op. cit.,(Je‑:inings, Municipa1 Rovo1ution)p. 63
第五節 都市団体法の成立とその歴史的意義
1 8 3 5年の都市団体法の成立の経織とその問題点の指摘を終えた段階で、
都市団体法の歴史的意義をどうみるべきか、最後にとの問題Kふれなければ左 ら念い。 1ず立法者の企図をうかがう手引として、同法の成立過程に重要念役 割を果したパークスの判断をひきあいにだしてみよう。パークスは、都市団体 法の成立をきわめアて高〈評価し、それは、「政治革命Jを遂行したものである (1) 述べて、「市政改革は、選挙法改正によって建設された工場の蒸気機関である」、
といいきっている。
「選挙法の改正は、事実、重要な改革であった。導入された諸変革は、広汎 かっ夜未簡ではあったけれども、都市団体法のように、特権階級K深刻念影 響を与えるととは念かった。選挙法の改正は、国家の市民としての特権階級 に主として影響を与えたのに対し、都市団体法は、地方Kかける特櫛皆級の 社会的優越性、個人的権威、診よび、長年培養してきた権力を一撃のもとK 根底から覆した
J
0(2)ζの意味にまPいて、都市団体法は、まさに、 18 3 2年の選挙法改正のコロ ラリーであったといえよう。都市団体法の成立が救貧法改正よりも、はるかに すぐれて、革命的改革だというジエエングスの判断は正当であろう。じじっ、
同法は閉鎖的都市法人のあり方、それにまつわる一切の伝統的な所有権を一掃 し去ったからである。都市団体法は、世帯主によって選挙される市会に都市法 人の行政権を移管し、トーリー寡頭制支配のもとにまPかれてきた都市行政の実 権をシヨツ・7キーパーズ、工場主、商人膚に代表される中産階級の手中K移管
(3)
した。それは、二つの操作によって行われたのである。
第一は、工灘E市のみならず都市人口の半数以上をしめ、富と力量の点でト ーリーを凌鴛している非国教徒に都市の行政権を開放し、ホイ?グとリベラル
‑1 50ー