要 約
本論文は、日本、オーストラリア、米国、インドにおけるインド太平洋戦略の策定・推進 において、リベラルな国際秩序(LIO: Liberal International Order)とそれに関連する概念(法の 支配、民主主義、人権など)が果たす役割を評価・批評することを目的とする。第1に、まっ たく異なる4つの国の外交政策を決定するにあたり、あらゆる側面を包括する概念としてLIO を用いる試みの潜在的危険性を示し、それに代わる大規模な戦略的枠組みの採用を主張する。
第2に、LIOの枠組みを利用して策定された外交政策をさらに批評するため、ある国の影響力 と、その国が別の国において行なうインフラ建設や投資との間に因果関係があるという仮定 に疑問を投げかける。またその関連で、中国のようにインド太平洋地域の国々に対し影響力 をもつことが認識されている国が、そこから何を得ようとしているのかを検証する。最後に、
「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)パートナーシップ」と中国の両者にとって要となる 国、ケニアを事例として取り上げて検討し、どのように、そしてなぜLIOの規範的言説が共 感を呼ばないのか、さらに中国の影響力が実際には低下している可能性があるのはなぜか、
その理由を示す。事例から得られた教訓は広く一般化できると同時に、より広範なインド太 平洋世界の多くの国々に応用できる。
*
2019年9
月14日、ジンバブエ建国の指導者、ロバート・ムガベの国葬に参列するため、数千人の人々がジンバブエのハラレにある中国が建設したスタジアムに詰めかけた。参列者の なかには、ケニアや南アフリカの大統領など、アフリカ諸国の高官らもいた。ケニアの大統 領、ウフル・ケニヤッタは、ムガベを知の巨人と呼び、「先見の明のある指導者で、たゆむこ となくアフリカの尊厳を擁護し続けた」(Winning 2019)と讃えた。また、キューバ、ロシ ア、中国の代表も参列し、植民地時代にゲリラ指導者として人々を導いた汎アフリカの英雄 であると讃辞を送った。
一方、自由で開かれたFOIPパートナーシップ各国(日本、インド、オーストラリア、米国)
からは政府関係者が参列しておらず、その不在がかえって目立っていた。FOIP諸国の不在 は、大いに理解できる。1970年代、アパルトヘイト国家ローデシアからの独立闘争の指導者 であったムガベは、南アフリカのアフリカ民族会議(ANC: African National Congress)といったマ ルクス主義運動や、キューバやソ連などの共産主義国家から支援を受けていた。一方で、日
本とオーストラリアは、米国率いる反共ブロックの一員として、リベラルな国際秩序(LIO)(1)
と呼ばれるものを形成した。また、理論上は反植民地運動への支援を標榜し、そう表明して いたが、反共ブロックの国として、いかなる形態であれ国際的共産主義に連なるグループと は、関係を避けてきた。そのため、ムガベに対しては冷たく、むしろムガベの敵対勢力を積 極的に支援するなどした。グループの異端者であるインドは、植民地支配に反対してきた確 固たる歴史を有する民主主義国であったが、折しも非同盟主義を放棄しようとし始めたとこ ろであった。そのため、米国主導のLIOよりもソ連陣営に近かったにもかかわらず、インド はムガベに対しあまり支援を行なわなかった。
ムガベは1980年から権力の座に就き、2017年に強制的にその座から排除されたが、その間 のジンバブエ指導者としてのムガベの実績もまた、FOIP諸国のムガベ国葬への不参列の背景 にあった。ムガベは絶対的な権力を手中にする一方で、ジンバブエを貧困化させた破滅的な 経済政策をとってきた。その結果、多くのジンバブエ人や、日本や西側諸国の政策立案者の 目には、ムガベは反植民地運動の英雄から無能で犯罪的な扇動政治家へと堕ちていったと映 ったのである(Chan 2003)。それゆえ、ムガベの国葬は「哀れ」で「卑俗的」(2)なものとみな され、LIOや、誕生したばかりの
FOIP
戦略・ビジョンと一般に関係付けられている国々の政 府関係者は、参列に値しないと考えた。本論文では、
FOIP諸国は国際関係の指針としてLIO
を用いることを再考すべきと主張する。今日の世界において、例えばムガベの国葬への参列(および不参列)は、アフリカ諸国の意思 決定者らに対して、外国との結び付きの影響、利害、根拠について、強力なメッセージを送 る結果となった。これは将来に影響を与える事柄であり、筆者が
LIOの概念そのものに、は
っきりと疑問を投げかけることにした多くの理由のひとつでもある。とりわけ、LIOは、FOIPパートナーシップにかかわるビジョンや戦略に関係があり、そのビジョンや戦略を形成
するにあたって基礎となるからである。本論文では、次の3つに分けて述べる。第1に、FOIP諸国の外交方針をLIOに基づいて決 定すべきではないと主張したい。FOIP諸国は、もてるリソースも、地政学的状況もそれぞれ 異なる4ヵ国であり、しかもそのうちの一国は、部分的にしかLIOの一員だとは言えない。加 えて、LIOは、複雑な外交政策の現実には合わない、粗削りで大雑把な理論・分析ツールで あり、最悪の場合には紛争を助長する可能性すらある。むしろ、LIOという視点を放棄し、
大規模な戦略的枠組みを採用すべきである。第2に、ある国によるインフラ構築や投資とそ の受け入れ国に対する影響力との関係について適切な疑問を投げかけることが、FOIP諸国に とって具体的な脅威に対抗する選択的関与のための実行可能かつ協調的な政策を立案するう えで有益であろう理由を示す。最後に、LIOの規範的言説をまとった外交政策や関与の試み は、インド太平洋の多くの地域においてまったくうまくいっていない。この点についてはケ ニアを事例として取り上げ、最近実施したヒアリングとケニアの日刊紙のテキストマイニン グをもとに詳説する。
1 LIO
:評論インド太平洋は、概念としては、現在も今後も、人によってそれぞれ異なるものを意味す ると考えられるものの、この造語でくくられる新たな国家戦略の数々が、この言葉がもつ強 力で顕著な重要性を表わしている(Cannon and Rossiter 2018)。だからこそ、関連するビジョン や政策は議論の的となるのだが、それらを明確に捉えることは時に困難である。こうした複 雑性にもかかわらず、ますます多くの政府や指導者が、将来の国際秩序のなかでの自らの立 ち位置を選択する際の拠りどころとなる考え方としてFOIPを持ち出すようになってきてい る。FOIP戦略を最初に作ったのが誰かはさておき、実際に、FOIP戦略は現在、日本および米 国の公式の政策となっている。また、現在インドが世界の安全保障において担っている役割 の拡大を是認するものともなっている(Miyake 2018)。
FOIPは LIOの同義語として、すなわち、それ自体がひとつの規範的目標
(物事のあるべき状態、維持されるべき状態)として語られることが多い(Hornung 2018; Kawai 2019)。また
FOIP
は一般に、経済(競争、開かれた市場、自由貿易など)と民主主義(法の支配や人権といった価 値観を含む)をその両輪とするものとして概念化されている(Saran 2018, p. 96)。しかしなが ら、筆者は互いに異なる4つの国の外交政策をLIO
に基づいて決定すべきではないと主張し たい。その理由として、以下の説が挙げられる。第1に、日本、インド、オーストラリア、米国は、保有するリソースや、地政学的状況が大きく異なっている。第2に、LIOは内向きの 概念であるため、同じような考えをもったLIO国同士の相互作用を説明するにすぎない(そ れすらうまく説明できているとは言えない)。第3に、既存の政治秩序の小さな変化から生じる 脅威を膨張させ、紛争に至るシナリオの可能性を高めることになる政策に関係国を固執させ てしまう可能性もはらんでいる。第4に、敵対国との間の相互作用を説明・定義するうえで はほとんど意味がないことである(Glaser 2019, pp. 82–85)。
インドを例にとって考えてみよう。LIOを参考に形成された
FOIP
にインドを含めて考える ことには概念上問題がある。インドはその戦略的競合国である中国と同様に、部分的にしかLIOの一員ではないからである。例えば、両国ともに世界貿易機関
(WTO)加盟国であるが、インドはLIOの両輪のひとつである経済的側面において、はるかに中国に及ばない部分があ る。というのも、インドの独立後の歴史は保護主義や国家主権主義、ライセンス・ラージ
(License Raj、許認可による統治)などの特殊性に満ちているからである(Aghion, et al. 2008; Roy
2002)
。つまり、経済的側面においてはインドよりも中国のほうが、むしろLIOの一員としてふさわしい部分も存在する。一方、インドは民主主義国家で、中国は一党独裁国家である。
このことから、民主主義的価値の側面からみれば、中国はLIOの一員としてふさわしくない。
ならばインドが部分的にしか
LIOの一員でないとしたら、中国もまた部分的にしか LIO
の一 員でないことがなぜ問題になるのか。それは、FOIPの他のパートナー諸国がLIOの枠組みを 通じて調和した一貫性のある外交政策を構築しようとする際に、問題が生じてしまうからで ある。日本やオーストラリアは、インドの外交戦略の背後にある動機や論拠について、ある いは友好国や中国などの戦略的競合国への働きかけや反応について、LIOという視点からいったいどれだけの情報が得られるというのか。実際はほとんどないに等しいだろう。それは 上述のとおり、LIOには本質的な弱点があるからである(3)。
また中国に対処するための外交政策を、LIOという視点から構築することにも、同様に問 題がある。というのもFOIPとは本質的に中国への対抗だからである。こうした見方について
FOIP諸国の政府からしばしば反論の声が上がるが、実際には FOIP
はその根本において、中国の台頭、国際体制のなかで影響力を強め、権力を握るために中国が推し進める政策や戦略 に対抗することを目的としている。またFOIPパートナー諸国や、その同盟国および友好国の 領土保全、存続可能性、主権に対して、中国がもたらすと考えられている具体的かつ目に見 える脅威に立ち向かうこともFOIPの照射に含まれるとされる。つまり、FOIPの政策は、南 シナ海における中国の人工島建設が、LIOに関連する規範的側面への脅威となるからという 理由によってかたちづくられるべきではなく、人工島建設および強大化する中国海軍の外洋 進出が、重要なFOIPパートナーである日本の存続可能性を脅かす直接的かつ具体的な脅威で あるから、それに対抗するための政策として立案されるべきなのである。そのためには、脅 威の諸側面を慎重に測り、具体的な脅威に対処する選択的関与のための政策と戦略の立案が 必要なのであって、むやみに「ビジョン」や「ミッション」の記述にあふれた、定着してお らず、時に矛盾をはらむ
LIOの概念に基づく曖昧な政策は不要である。またFOIP
パートナー 諸国は、中国だけでなく、他のパートナー諸国や競合国を対象とする大戦略(grand strategy)の形成へと結び付くような、共通の大きな戦略的枠組みを考案・活用すべきである。
一般にグランドストラテジーは、軍事、経済、外交などの政策を対象範囲とし、長期的戦 略として合意するものである。ある一国または複数国のパートナーシップによるグランドス トラテジーを構成する、相互に関連する概念として、ニーナ・シローブは、「大計画(grand
plans)
」「大原則(grand principles)」「大行動(grand behavior)」の3つを挙げている(Silove 2018,pp. 34–45)
。グランドストラテジーという視点からFOIPを策定すれば、FOIPパートナー各国特有の利益を明確にして列挙し、その利益を脅かす脅威を評価するとともに、他のFOIPパー トナー国との利益の一致を特定し、選択的関与を通じてそれら利益を達成し、脅威に対抗す る方法を明らかにすることが可能になる(4)。その枠組みを通じてFOIP諸国が経済的・政治的 安全保障を維持するだけでなく、政策の改善にも利用できるあらゆるツールを(協力、競合、
紛争などその形態はともあれ)広く特定できるのである(Glaser 2019, pp. 84–85)。加えて、
FOIP諸国が「勝つ」ためには中国が「負ける」必要があることを前提にした、粗削りでネオ
リアリズム的なゼロサム戦略を形成してしまうのを回避するうえでも有用である。同時に、
中国をLIOに統合するという希望的観測に根ざした、腑抜けた戦略を立ててしまう懸念も排 除できる。これは、現状維持のオプションが最も望ましいとする唯一の前提に基づくLIO外 交政策の枠組みを大幅に改善するものとなるだろう。結局のところ、日本の現状はオースト ラリアやインドの現状とは明らかに異なっているのである。新たに大きな枠組みを設けるこ とにより「……
LIOの文脈で提起された諸問題を米国
(あるいは、日本、インド、オーストラ リア)の現在の地政学的課題に対処するための幅広い選択肢という文脈に位置付けることに より、その問題をより上手く分析する」(Glaser 2019, p. 84)ことができると考えられる。2
疑わしい影響力筆者の現在進行中の研究によると、日本の政策エリート、報道機関、多数のアナリストは、
インド太平洋の全域において日本の影響力が急激に失われていると認識している(5)。しかし ながら、こうした認識は、FOIPパートナー諸国によって必ずしも共有されているわけではな い―少なくとも日本と同じ深刻さでは認識されていない。インドは、その影響力が高まる ことはあれ、結局のところ新興国である(Pardesi 2015)。オーストラリアは、そうした感情 を抱くには地理的に離れすぎており、人口も少ない。米国については、その影響力、信頼性、
国力が低下していると無数の記事や論文で言及されているものの、依然として経済・軍事大 国であることには変わりない(Layne 2009)。
影響力、およびそれに関連する力の測定が極めて難しいことはよく知られた事実である
(Kadera and Sorokin 2004; Tellis 2001)。しかし興味深いことに、他国に対する現実の、あるいは認 識されている影響力が実際のところ影響力をもつ国に何をもたらすのかについて、明確で具 体的な問いを投げかけることにより、世界の力の分布が変化しつつある時代のなかで外交政 策を策定しようとしているFOIP諸国は、さらなる調整策を得られる可能性がある。例えば、
中国の一帯一路構想(BRI)や東アフリカへの関連政策をみると、一方には、中国の関与、投 資、インフラプロジェクトの構築があり、もう一方には当該地域への中国の経済的・政治的 影響力がみられ、その両者の間に因果関係らしきものがみてとれる(Zhu 2016; Kastner 2016;
Eisenman and Heginbotham 2018)
。こうした中国当局が一貫した戦略とそれにまつわる政策をもって機能する単一主体であることを前提とした見方・考え方は広く受け入れられているが、実 は多くの理由から大きな誤解をはらんでいる。最大の問題は、中国の人々や企業の関与の場 当たり的な性質を考慮に入れていないことである(Greer 2018)(6)。加えてさらに大きな問題 は、大まかに言えば中国当局が多額の費用を要するリスクの高いプロジェクトを支持する理 由を説明できていないことである。
BRIは、中国の国内市場とインド太平洋地域の市場との統合を約束するものとされている。
結果、BRIによって諸国は地政学的に中国に近くなることから、戦略的にも中国に近くなる と一般に想定される。BRIに関する大半の分析は、中国がケニアやエチオピアなどの国々に おいて投資・建設を行なうとそうした国々に対する政治的・経済的影響力を実際に獲得する、
という基本的仮定に基づいている。しかし次のようないくつかの質問だけで、これらの分析 にはすぐに疑問符が付く。ケニアなど
BRIの受益国は、現在、中国の人民元を使用している
か。国際連合(UN)で中国に賛成の投票をするか。中国商品の販路を提供しているか。1番 目の答えは、はっきりと「使用していない」である。2番目の答えは「場合による」である(Mourdoukoutas 2109)。3番目の答えは「提供している」だが、中国製品の販路拡大について は、中国の強力な経済的影響力を考えれば、大規模インフラ投資があろうがなかろうが、何 らかのかたちで起こったことであろう。つまり、インド洋沿岸周辺に投じられた数十億ドル は、中国の影響力や力が高まっているという認識を強化しただけであり、その認識を習近平 国家主席や中国共産党が、実際の地政学的現実に変えることができるかどうかとは無関係だ
と、筆者は主張したい。
中国が考える正当な大国の地位にふさわしい国際基準や制度を作り上げたいと中国が望ん だとしても、それは驚くことではない(Chatzky and McBride 2019)。しかし、地政学的動機よ りもむしろ、国内の余剰労働力、余剰工業力、国内成長の鈍化など経済的動機のほうが、中 国のBRIに対する説明としては、より適切であると言える(7)。言い換えれば、BRIは「多すぎ る投資資本のはけ口であり、中国経済のエンジンスピードを落としたくない中国企業の販路 なのである」(Boucher 2019)。
興味深いことに、中国からの投資と中国の影響力との間には因果関係がほとんどないだけ でなく、研究者が言ういわゆる「契約陳腐化説(obsolescing bargain model)」により、東南ア ジアや東アフリカなどの地域において、中国の影響力の低下が生じる可能性がある。契約陳 腐化説は、受益国への投資額が増えれば増えるほど、当該の外国投資家の交渉力が失われる としている(Huang 2019; Lu, et al. 2018, p. 41)。このような影響力の低下の可能性に加えて、その プロセスにおいて中国が金銭的利益を得ることも保証されていない。問題は、実際のところ、
中国が長期的にどれだけの損失を被るのかという点かもしれない(Meyer and Zhao 2019;
Boucher 2019)
。中国が建設したインフラは経済成長を牽引するものと考えられているが、それを裏付ける証拠、ならびに中国に対する受け入れ国の借入金返済能力に関しては、大いに 疑問が残る(Warner 2014)。ケニアの標準軌鉄道(SGR: Sandard Gauge Railway)に関する筆者 自身の研究によると、ケニアやケニアの人々に対する中国の関与の仕方には大きな問題があ り、加えて、制度上・構造上の複雑な問題からそれらの問題が解決されない限り、ケニアか ら中国への借入金返済はほぼ不可能になるだろうことが示唆される(Cannon 2019)(8)。
FOIPパートナー諸国は「アジア・アフリカ成長と繁栄の大動脈構想
(AAGC: Asia-AfricaGrowth Corridor)
」のようなLIOに基づく地政学・地理経済学的ビジョンを策定する際、次のような点を自問する必要がある。中国と同様に、余剰の労働力や工業力を東アフリカや東南 アジアに移したいという論拠や動機が自分たちにあるのか。(筆者も、そのような質問をしばし ば受けるのだが)筆者の答えはシンプルで、米国も日本もオーストラリアもインドも中国とは 異なっており、労働力やインフラ投資を海外に投じなければならないという緊急性はなく、
ましてや中国のような規模で行なう必要はないというものだ。したがって日本は、中国の影 響力が高まっている一方で、日本の影響力が失われているという認識から、自国から遠く離 れた地域のインフラに的外れな投資を行なおうと慌てるべきではない。日本企業も日本の
FOIPパートナー諸国の企業も、政治指導者からの勧奨があろうがなかろうが、インド太平洋
全域で情報に基づいて投資や資金提供を続けている(Cannon 2018)。しかし、LIOの視点に 基づいて政策を策定すると、FOIPパートナー諸国は、中国に追いつこうと焦るあまり、現在 の中国が置かれている固有の状況でしか意味をなさない戦術を真似て、間違った情報によっ て判断を誤り、多額のコストを無駄に投じることになる危険性がある。3
影響力、関与、LIO民主主義や法の支配などの規範的な概念をまとった外交政策は、インド太平洋世界の多く
の地域においてまったくうまくいっていない。東アフリカの人々にとって、そうした外交政 策は、日本または西洋に蔓延する特有の見方、すなわち「〔アフリカ〕大陸が非戦略的地域で あるという思い込みにより、コンセンサスの形成や規範上の懸念を提起するのにうってつけ の大陸だという見方」(Bach 2013, p. 9)を示すものである。国際通貨基金(IMF)や世界銀行 といった機関から説教されるのにうんざりした、ほかならぬムガベこそが、こう巧みに主張 したのである。人権や公民権など、LIOが持ち出してくる問題は「西洋の利害に基づく、取 るに足らない、エリート志向の問題」であり、ジンバブエやサハラ以南のアフリカが直面し ている「経済的再配分という喫緊の問題とはほとんど関係がない」(Phimister and Raftopoulos
2004, p. 399)
(9)。実際、アフリカへの中国の関与の強みと言われている特徴のひとつは、中国は、少なくとも理屈のうえでは、LIOが後生大事にしている諸問題について他国に説教を垂 れたりしないという点である。LIO的文言や言説で現在の
FOIPを表現しても、インド太平洋
地域の人々に響かない理由をより的確に示すため、ケニアを事例として取り上げ、本論文を 締めくくりたい。FOIPが話題に上っているという証拠は、FOIP諸国、中国、一部の東南アジア諸国以外に
ほとんどみられない。確かに、シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)のような イベントでは大きく取り上げられているが、そうしたビジョンの策定に関係する重要人物や 計画立案者が主役のイベントでは当然のことである。FOIP諸国および中国の政策立案者、研 究者、専門家以外にとって、FOIPに関する何かに興味をかき立てられることがあるだろう か。期待感を抱くだろうか。投資や具体的なプロジェクトまたは製品をもたらしているだろ うか。ケニアの日刊紙を対象とした最近の調査結果が、これらの疑問の一部に答えを提供し てくれるかもしれない。調査によると、ケニアの人々は、中国のBRIについて書かれた記事
を多数目にしているようだ。2016年から2019
年にかけて計118
回、紙面で言及されている。それに対し、FOIPに関する記事を目にする機会はほぼ皆無である。FOIPに言及されていたの は1度だけであった(Cannon, Nakayama and Rossiter 2019)(10)。これはなぜなのだろうか。中国 は、鉄道や道路、港湾の投資や建設にあたり、民主主義や法の支配への言及を細心の注意を 払って回避しているからだろうか。もちろんそうではない。これは、コストの多寡にかかわ らず、中国のSGRや道路、投資のほうが、ケニアの極めて現実的なインフラや経済的なニー ズを満たしたことを反映しているのだ(11)。
FOIPパートナー諸国の政策立案者や専門家は、好きなだけLIO
的な言説を弄してもいいが、法の支配や民主主義に訴えることは、たとえ投資やインフラと組み合わせてもケニア政界の エリートはもちろん、ケニア人全般にとってうっとうしい小言にすぎないことを認識する必 要がある。このことは、経済的・政治的な機会という点でケニアの人々が不当な扱いを受け ているという証拠が十分にあることを踏まえると、ことさら理解されるだろう。要するに米 国やインドが投資モデル全体をどうにか変えて、ナイロビからウガンダ国境に至るケニアの
SGRの残り 450km区間を完成させる必要性と論拠とを明確に示すことができるようになるま
で(この件について、中国は現在、言い逃れをしている)、FOIPパートナーシップおよびそれが もたらす利益への関心をかき立てようとしても、耳を傾けてはもらえないだろう。
FOIPの基盤は、中国と中国の行動から生じる安全保障上の具体的な懸念であるが、これは
ケニアの人々にとってはほとんど重要な問題ではない。ケニアは、明確な地域安全保障複合 体の一部であり、自分たちに影響が及ぶか及ばないかわからないほど地理的にかけ離れた東 アジアの情勢など気にかけていない(Buzan and Waever 2003)。むしろケニアの人々が気付き 始めているのは、中国からもたらされる製品や活動は実はひも付きの場合があるという点で ある。例えば、ケニアなど西インド洋地域のいくつかの国々では、FOIPパートナー諸国の企 業が提供する5Gネットワークの導入に関心があると報じられており、これは中国が提供する ネットワーク上で通信を行なうことには、セキュリティー上の懸念を感じているためだとい う(日本政府関係者2019)
。インド太平洋地域において、FOIPパートナー諸国がもっと重視 すべきは、通信プラットフォームや防衛システムといったハイテク分野や専門分野、すなわ ち潜在的に国家安全保障に深くかかわる分野であり、橋梁や道路、鉄道をさほど重視するべ きではない。まとめ
LIOに関する言説については、その役割を正しく理解すべきである。FOIP
諸国の国民のなかには、中国との紛争の可能性を遠ざけるより、むしろ高めるかもしれない、新たな相互連 動型の同盟体制に取り込まれることを警戒する向きもあるだろう。そうした不安をなだめる 政治的策略が必要である。それゆえ、筆者はFOIP諸国の政策立案者や政治家は、理論的にも 分析的にも脆弱なLIOの枠組みを用いて外交政策を策定するのをやめるとともに、中国と懸 念される中国の行動を、大戦略の視点を通してみるべきだと考える。そうすれば、インド、
日本、オーストラリア、米国がそれぞれの独自の強みを発揮しながら、場合によってはそう した強みが海洋公共財の管制管理などの戦略的協力分野における外交政策の策定に役立つと 考えられるからだ。この手法は、その場しのぎに中国を模倣し追いつこうとする終わりのな いゲームを繰り広げるよりも、確実で持続可能性が高く、明らかに合意しやすいものである。
終わりのない危険なゲームには、多額の費用を要するリスクの高いインフラプロジェクトや 投資が関係してくるが、そうしたプロジェクトや投資は影響力を強化しないばかりか、南シ ナ海における人工島建設などの現実かつ現在の安全保障上の懸念に対する注意をそらすもの となってしまう。
しかしながら、このような大戦略の枠組みを活用して策定・遂行する外交政策は、決して 中国の封じ込めと同義ではない。宮家邦彦は「〔FOIPを〕利用して中国に圧力をかけたり封じ 込めようとしたりしても、明らかに失敗する。なぜなら、中国は封じ込めるにはあまりにも 大きすぎるし、そうした圧力に耐えるだけの十分な戦略的な深さを有しているからだ」
(Miyake 2018)と的確に述べている。むしろ、ディフェンシブ・リアリズム(防御的現実主 義)(12)やその脅威均衡論(13)に基づく大戦略の枠組みを用いるほうが政治的・軍事的能力を一 新・強化することに資源を有効活用でき、紛争を招く可能性がある中国の挑発的な行動を抑 制するうえで役立つと考えられる。また、共通のインド太平洋大戦略では、まずは中国がイ ンドと日本に与える脅威の地理的近接性と規模を、次に中国がオーストラリアに与える脅威
の大きさ(核兵器や海を越える攻撃能力を含める)を考慮に入れることになる。このような脅 威(地理的に自国に近い脅威と遍在する脅威)と、米国の圧倒的な軍事的優位性とが結び付い た結果、日本とオーストラリアは、すでに米国との書面による同盟や暗黙の同盟の強化に踏 み出している。同様に、インドもまた、こうした状況を考慮して、米国や日本、オーストラ リアにかつてないほど近づく具体的かつ明確な動きをみせている。つまり、これが、FOIPの 大戦略の本質なのである。
[謝辞] 有益なコメントを寄せるとともに、編集作業を行なってくれたアッシュ・ロシター博士に心よ り感謝したい。
(1) LIOには、相互拘束的な安全保障機関、米国の主導権の浸透、半主権の大国、経済の開放、市民 的アイデンティティーなどが含められる(ただし、これらに限定されない)。このような多面的かつ 相互連動的な特徴が、LIOに耐久性と重要性をもたらしていると主張する研究者もいる(Deudney and Ikenberry 1999)。
(2) 世界有数の雑誌のひとつとされる英国のニュース週刊誌『エコノミスト』は、ムガベの葬儀を描 写するために、こうした言葉を用いた(The Economist 2019)。
(3) LIOの弱点について、詳しくは、Glaser 2019, pp. 65–71を参照されたい。
(4) 海洋公共財の管理を目的に戦力をグローバルに投射できる能力を保有しているのは米国だけであ ることから、選択的関与が可能なのは、理論的には米国のみである。同盟国および友好国は、米国 が戦力をグローバルに投射するための公式、非公式の基地を提供することによって、米国にとって、
より重要かつ不可欠なものになる。選択的関与政策は、FOIP諸国がその地域を支配するために必要 な行動を起こさなくても、地域的な武力侵略を抑制するものとなるであろう(Posen 2003)。
(5) 筆者は、2018年夏に成蹊大学アジア太平洋研究センター(CAPS)客員研究員、2019年夏に東京 大学新領域創成科学研究科特任教授として日本に滞在した。産経新聞(2018年)も参照。
(6) BRIプロジェクトの場当たり的な性質は、本当に中国政府が推進するBRIプロジェクトと、単に
中国の組織や企業が出資、建設、計画しBRIの名称を冠しているプロジェクトとを識別するという 研究から明らかになっている(Hurley, Morris and Portelance 2019, pp. 146–147)。
(7) 新たな鉄道建設作業が、ケニアに入国した数千人もの中国人非熟練労働者に割り当てられること をケニア人労働者が知った際、多くの不満の声が上がった(Wafula 2018; Kuo 2016)。
(8) そうした問題には、ケニア港湾局(KPA: Kenya Ports Authority)の内陸の乾ドックのスタッフの 訓練・能力不足や、モンバサ港におけるガントリークレーンの配置や修理の問題などが含まれる
(日本のコンサルティング会社の代表者2019)。
(9) 米国が提起した正義と法の支配に関する懸念に対応して、当時のケニア首相、ライラ・オディン ガが「私たちは自国の統治方法に関するレクチャーを必要としているわけではない。統治や透明性 にかかわる問題についてわれわれに説教するのは悪趣味だ」(Opiyo 2009)と述べ、ケニアの多く の人々の怒りを表わしたことは有名である。
(10) ちなみに、FOIPに関する記事は確認できなかったが、だからと言って、ケニアの人々が、ケニア における法の支配や民主主義という問題に関心がないというわけではない。彼らはそうした問題に、
非常に関心をもっているが、具体的にケニアに関係している場合のみである。
(11) 筆者がケニア人の友人に、ケニアが中国に対し巨額の借入金を抱えていることについてたずねる と、それが大きな問題であることには同意した。しかし、彼は「でも、鉄道が整備されたじゃない か」とあからさまに付け加えた(Achola 2016)。
(12) ディフェンシブ・リアリズムでは、「国家は、全般的に、安全保障への最良のルートとして、穏健
な戦略を追求すべきである。大半の状況では、国際システムにおいてより強力な国家は、自制を促 す軍事、外交、対外経済政策を追求すべきである」(Taliaferro 2001, p. 129)と示唆している。
(13) スティーヴン・M・ウォルトが最初に提唱したディフェンシブ・リアリズムの脅威均衡論は、国 家は安全保障を脅かす脅威に対抗する行動をとり、脅威レベルは想定される競争国の4つの特徴、
すなわち、(1)総合的能力(Aggregate power)、(2)攻撃力(Offensive power)、(3)近接性(Proximate
power)、(4)攻撃意図(Offensive intentions)によって決定されるというものである。脅威均衡論に
従って行動するディフェンシブ・リアリスト(防御的現実主義者)にとっては、国家安全保障に対 する脅威が最初にあり、その後、カウンターバランス反応をとる。これと対照的なオフェンシブ・
リアリスト(攻撃的現実主義者)は、大国はまず、自国の力の強化に積極的に―事後的に対応す るのではなく―取り組むと主張する(Walt 1985)。
■参考文献
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Brendon J. Cannon カリファ科学技術大学国際安全保障担当助教授
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*原題=The Free and Open Indo-Pacific and the Liberal International Order: A Critique