(解 号Eココ〜 36 )
第 1 問 高 校 生のタカ シさんは地方政治 につ いて興味 をもち, 「地方行政 区画 の歴 史的変遷」という レポー トを作成 した。次 の文章 A ・ B は そ の一部で ある。 これ ら の文章を読み, 下 の問い ( 間1 〜 6 ) に答えよ。 ( 配点 1 2 )
A 日 本史 の教科書 を開いた ら, 「古代 の行政区画」として右 のよ うな図が載 って い
た。この地図には④畿内 ・七道諸国の国名などが記されていて,現 在の都道府
県 の区画 とは違 うところもある。地 図 を見 る と, ま ず陸奥 と出羽の大 きさが 目を引 くが, この 2 国 にはい くつ も の ア が 造 られたよ うに, 律 令国家による支配領域が しだいに広がっていっ た ことと関係す るよ うだ。一方, 比 較的小 さな国が まとまって いる地域 もあ り, 例 えば, 播 磨か ら長P l までは八つの国がある。 この地域 には, 全 国的にも重要な 道路で ある イ が 整備 されたよ うに, 古 くか ら, 近 畿地方 と九州や大陸 とを 結ぶ大動脈が通 っていた。
また, この地図では現在の○沖縄県や北海道 にあたる地域が除かれている。
このことは, 当 時の政権によって, こ れ らの地域が国家の領域 として認識されて いなかったことと関係があるようだ。そのような地域に住んでいた人々の生活や 社会の仕組みを, もっと調べる必要があると感 じた。
一‑ 76 ‑一
(2602 76)
古 代 の行 政 区画 ( 8 世紀〜9 世紀)
畿 内 ・七道 の境
―一一―――――一国界
日本史 B
六AWは町マυ 官
馬対
ざ R舘
ド W
く
︑
一‑ 77 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 7 7 )
間 1 空 欄 Eア コ イ に 入 る語句 の組合せ として正 しいものを,次 の0〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 1
0 ア 城 柵 イ 南 海道 ② ア 城 柵 イ 山 陽道
◎ ア 水 城 イ 南 海道 ④ ア 水 城 イ 山 陽道
間 2 下線部④に関連して, 律 令国家の地方支配に関して述べた文としてl l t し いも
のを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 2
0 大 学府 には, 西 海道諸国 を統括す る機能があった。
② 薩 摩国 には, 防 衛 のために衛士 を配置 した。
③ 七 道 の諸国 には, 交 易を管理す るために東西の市 司を設けた。
④ 束 国へ の入 口である近江 国は, 束 海道 に編入 された。
問 3 下 線部⑥ に関 して述べた文 として正 しいものを, 次 の0 〜 ④のうちか ら ヽつ 選べ。 3
0 1 2 世 紀 の沖縄 では, 尚 氏 によ り統一 されていた沖縄本島が三つの王国に 分裂 した。
② 1 3 世 紀 には蝦夷地 に も鎌倉幕府 の支配 がお よび, 貝 塚文化 が消滅す る こ ととなった。
③ 1 7 世 紀 にな る と蝦夷地 では, 松 前藩が アイ ヌ との交 易権 を家 臣に分r J す る商場知行制が とられた。
④ 1 8 1 世紀 にな る と沖縄 では, 琉 球 王国が薩摩 落や清 と対等 な外交 関係 を結 んだ。
一‑ 78 ‑一
(2602‑78)
日本史 B B 江 戸時代になっても国の名は残ったが, ⑥ 支配の単位としては落の領j D k が 大
きな意 味 を もった。
明治政府 によって廃藩置県 が行われ る と, 2 6 1 藩 が廃止 され, 3 府 3 0 2 県にな り, そ の年 の うちには 3 府 7 2 県 に整理 された。そ して, 統 一的な地方 制度 の整 備のために 1 8 7 8 年に①= 新 法が制定された。この法律によって, 府 県単位の議 会が設置され, 住 民の意向を地方行政に反映する道がひらかれた。近代以降の行 政区画は, ⑥ 地方自治のあり方とも関連していることがわかった。
1 9 5 0 年代 には 「昭和 の大合併J が行 われ, 1 9 9 9 年 か ら「平成 の大合併」が始 まっ た。 これか らは道州 制の議論 も活発 になるだろう。私たちが こうした問題 を考 え てい くうえで, 地 方行政区画の変遷は, さ まざまな ヒン トを与えて くれるのでは ないか と思 った。
間 4 下 線部⑥に関連して, 大 名について述べた文として正しいものを, 次 の0〜
④のうちから一つ選べ。 4
0 徳 川 氏 の一族 の大 名 は関東地方 のみ に配 置 され, 江 戸 の防衛 をはか った。
② 徳 川 家康 の とき に大 名 の配 置 を決 め た の ち は, 大 名 の領 地 替 え は な か っ た。
③ 幕 領 に置 かれ た関東取締 出役 は, 大 名領 には権 限 を行 使 で きなか った。
④ 明 治 政府 の も とで大 名 は知 藩事 に任 命 され て いたが, 廃 藩置県 の とき に罷 免 され た。
一‑ 79 ‑一
(2602‑79)
間 5 下線部③は三つの法律の総称である。その内容の説明として誤っているもの
を,次の0〜④のうちから一つ選べ。 5
0 戸 籍編 成 の規 則 を金田的 な制度 と して統一 した。
② 画 一的な大区 ・小区 とい う区画をや め,郡 ・区 ・凹r・村 の単位 を設けた。
③ 地 方税 に関す る規 則 を定 めて府県 財 政 の確 立 をはか った。
④ 公 選 の府 県 会 を設置 して民意 を くみ入れ るよ うに した。
問 6 下 線部◎に関連して, 地 方制度に関して述べた次の文X ・ Y に ついて, そ の 正誤の組合せ として正 しい ものを,下 の0〜 ④のうちか ら一つ選べ。 6
X ド イ ツ人顧 問モ ッセ の指導 の もと, 中 央集権 的 な府 県 制 ・郡 制が制定 され た。
Y 日 本 国憲法 に も とづ いて地方 自治 法 が制定 され, 地 方公共 団体 の 高長はl i 民 の直接選 挙 とな った。
O X t t Y 正
③ X t t Y 正
② X t t Y 誤
④ X t t Y 誤
一‑ 80 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 8 0 )
写真 写真
間 1 下線部③に関連して, 弥 生時代の集落に関して述べた次の文a 〜 d につい
て,正しいものの組合せを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 7
a 稲 作 によって集落の人々の生活が安定す る と, 狩 猟や漁労 ・採集な どの食 料採取はほ とん ど行われな くなった。
b 集 落の祭 りには銅鐸や銅父」・銅矛 ・銅尤な どの青銅製祭器が用 い られ, 共 通 の祭器 を用 いる地域的な まとま りも生まれた。
c 埋 葬は集落か ら離れた共同墓地で行われ, そ の墓には, 鉄 製の農具や武具 が大量 に副葬 された。
d 集 落の共同作業や祭 りを指揮 して いた指導者か ら, 集 落を越 えた地域の政 治的な支配者 とな る者が現れた。
O a ・c ② a . d ③ b ・ c ④ b ・ d
間 2 下線部⑤に関連して, 弥 生時代の社会に関して述べた文として正しいもの
を,次の0〜④のうちから一つ選べ。 8
0 『 後 漢 書』束 夷 伝 は, 当 時 の争乱 の状 況 を 「倭 国大 い に乱 れ, 更 本日攻 伐 し て歴 年主 な しJと記 して い る。
② 『魏 志』倭 人伝 は, 邪 馬台 国が, 朝 鮮 半 島南 部 の高句麗 と交戦 した ことを記 して い る。
③ 男 性 の兵 士 をか た どった土偶 を製作 し, アニ ミズム に も とづ く呪術 によ っ て,集 落 の戦勝 を祈願 した。
④ 兄 は ら しの よ い丘 陵 や 山頂 に, 戦 争 に備 え るた め の朝 鮮 式 山城 が 築 か れ た。
一‑ 83 ‑一 (2602 83)
写真
間 3 空 l l t l ア E王 王] に 入る語 句 の組 合せ と して正 しい もの を,次 の0〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 9
0 ア 6 年ごとに イ 賃 租 ② ア 6 年ごとに イ 出 挙
③ ア 毎 年 イ 賃 租 ④ ア 毎 年 イ 出 挙
間 4 下線部⑥に関連して, 律 令国家が地方で行つた事業に関して述べた次の文
I 〜 皿につ いて, 古 い ものか ら年代順 に正 しく配列 した もの を, 下 の0 〜 ⑥ の うちか ら一 つ選 べ。 1 0
I 束 北地方の蝦夷 との戦争のなかで, 北 上川の上流に志波城を築いた。
Ⅱ 諸 国に国分寺 。国分尼寺の建立を命ずる詔が出された。
Ш 官 道 ( 駅路) に沿って駅家を設けることが律令に定められた。
O I ― Ⅱ―Ш ② I ―Ⅲ―工 ③ エーI ―Ш
④ Ⅱ―田―I ⑤ Ⅲ―I ―工 ⑥ 皿―エーI
一‑ 85 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 8 5 )
画像
間 5 下線部①に関連して, 1 0 世紀以後の国家による地方支配に関して述べた文
として誤つているものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 11
0 1 0 世 紀 初 め を最後 に, 全 国的 な班 団収授 は命 じ られ な くな った。
② 耕 地 を名 とい う単位 に編 成 し, 有 力農 民 に耕作 を請 け負 わせ た。
③ 国 家 の財源 を確 保す るた め, 初 期 荘 園の開発 を奨励 した。
④ 国 司に一定額 の租税 の納入 を請け負わせ,地 方支配 を一任 した。
問 6 下 線部◎に関連して, 院 政期の文化に関して述べた次の文X ・ Y に ついて, その正誤の組合せ として正 しいものを, 下 の0〜 ④のうちか ら一つ選べ。
X 人 々の間に流行 していた歌謡である今様が, 後 白河法皇によ り『梁座秘抄』
にま とめ られた。
Y 木 来 は官 中の芸能であつた回楽が, 都 か ら地方に伝わ り, 村 の祭礼 に取 り 入れ られた。
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
―‑ 87 ‑― (26(〕2‑‑87)
日本史B
第 3 間 中世から近世初期までの政治と外交に関する次の文章A ・Bを読み,下 の
問い ( 問1 〜 6 ) に 答えよ。 ( 配点 1 8 )
A 治 承 ・寿永 の内乱 に勝利 した源頼朝は, 鎌 倉 に幕府 を開いた。頼朝 と主従関係 を結んだ武士竹‖家人) たちは, 頼 朝から守護や③地頭に任命された。
⑤1 3 世紀初期, 将 軍を補佐する立場にあった北条氏の政治的地位が上昇し, やがて幕府は, 北 条氏の指導のもと, 朝 廷との抗争に勝利し, そ の支配権を拡大
した。 この結果武士たちの勢力が強まると, 各 地で紛争が生じ, そ れらの解決を はかるために, 幕 府は裁判の基準となる法令を定めた。
この法令は, 制 定の中心になった人物が, そ の趣旨を⑥ 町‖成敗の妹( 訴訟 ・ 裁 判 の あ り方) を定 めて, 人 の高 下 を論ぜ ず, 偏 頗 な く裁定せ られ 候 はん」と説 明
して いるよ うに, 裁 判の基準を明示 し, 公 平な裁判が行われることを目的 として 定 め られた。
問 1 下線部④に関連して, 鎌 倉時代の地頭について述べた文として正しいもの
を,次の0〜④のうちから一つ選べ。 13
0 地頭は全国の公領のみに置かれた。
② 地 頭 の権 限は, 大 犯三カ条 とよばれた。
③ 地 頭 の収益 を保障す るため, 頼 朝 は新補率法 を定めた。
④ 地 頭 は, 年 貢徴収 ・納入や土地管理 ・治安維持に当たった。
―‑ 88 ‑一
(2602‑‑88)
つ い て ,そ の正 誤 の組 合 せ と して 正 しい もの を,下 の0〜 ④ の うち か ら一 つ選
源頼 家 が将軍 の地位 を追 われ, 幽 閉 され た。
北条義 時 は, 政 所別 当に加 えて侍 所別 当を兼任 した。
問 3 下 線部⑥に関連して, この法令が定められた理由に関して述べた次の文 a 〜
d について, 正しいものの組合せを, 下の0 〜④のうちから一つ選べ。
a 回 畑の等級 ・面積 を調査 し, 年 貢収入 を確保す るために定め られた。
b 笹 ‖家人同士や御家人 と十ほ園領主な どとの紛争解決 のために定 め られた。
c 守 護 ・地頭 の任務 ・権 限 を規定す るために定 め られた。
d 行 ‖家人所領 の売買 を禁止 し, 売 却地 を無償で取 り戻 させ るために定め られ た。
O a g c ② a ・d ③ b , c ④ b ・d
間 2 下線部⑤に関連して, 1 3 世紀初期の政治史に関して述べた次の文X ・ Y に
べ 。 1 4
X Y
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
一‑ 89 ‑一
( 2 6 0 2 8 9 )
日本 史 B
B 1 5 世 紀後 半以後, キ リス ト教布 教や貿 易拡大 な どを意 図 した ヨー ロ ッパ 人 は, 世 界に進 出 した。東南 アジアか ら東アジアにおける中継貿易に関与 していた コー ロ ッパ人のなかには, 日本近海に来航するものも出てきた。
1 6 世 紀 半 ば, 中 国船 に乗船 した ア 人 が種 子 島 に漂 着 した。そ の後, ヨー ロ ッパ船 も来航す るよ うにな り, 南 蛮貿易が開始 された。 1 5 4 9 年イエズス 会 の宣教師 フランシス コ = ザ ビエルが イ に 来航 し, 日本 にキ リス ト教 を伝 えた。 以後, 多 くの宣教師た ちが, 布 教活 動 を行 つた。南蛮貿 易 と①キ リス ト 教の布教 とは一体化 して行われ, 貿 易による利益 を目的 として布教 を認めた大名
もいた。
◎筒蛮貿易は, 当 時の日本人の文化や生活にも影響を与えたが, 江 戸幕府に よ るキ リス ト教 の禁 止や 貿 易制 限強化 のなかで衰退 して い った。
問 4 空 欄 ア E 王 王] に 入る語 句 の組合せ と して正 しい もの を,次 の0〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 16
0 ア ポルトガル
③ ア スペイン
間 5 下 線部①に関連して述べた次の文X・ Yに ついて,そ の正誤の組合せとして
正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 17
大友 義鎮 らは, 少 年使 節 を ローマ教皇 の も とに派 遣 した。
来 日した宣 教師 たち は, 教 会 や 神学校 な どをつ くった。
X Y
イ イ
一戸 一 戸 平 平 イ
イ
② ア ポルトガル
④ ア スペイン
② X 正
④ X 誤
Y 誤 Y 誤
鹿児島 鹿児鳥
O X
③ X
正 正 Y Y 正 誤
一‑ 90 ‑一 (2602‑‑90)
写真 写真
写真 写真
日本史 B
第 4 間 近 世の政治と社会に関する次の文章A ・ B を読み, 下 の問い( 間1 〜 6 ) に
答えよ。 ( 史料は, 一部省l 1 3 した り, 書 き改めた りした ところもある。) ( 配点 1 7 )A 「 将軍 のお膝元J と して栄えた江戸 は, 武 家地 ・寺社地 ・町人地 の二つ に分 け ら
れていたが, そ の大半が武家地であった。その中心に④江戸城があり,城 の周
囲 には防衛 のた め に堀 が幾 重 に もめ ぐ らされ, 多 くのP l が設 け られ た。 江戸 城 の 束か ら東南 の方角は, ⑤ 江戸 城下 にお ける町人地 の 中心 と して整備 され た。 と くに ア 地 域は江戸城下の商業 の中心地 として発展 し, そ の東側 は魚市場 と して にぎわ った。
外国船が 日本 の近海 に出現 し始める と, 長 崎で学び蘭学者 と交流 のあった林 子 平 は 『 イ 』 を著 した。そ の中で林 は, 「江戸 の E重 =コ よ り唐 (清国),阿 詣 陀迄境 な し」と述べ, 江 戸 と諸外国 とは海でつなが ってお り, さ えぎるものが何 もないのに, 幕 府 の海防政策が長崎 に限 られている ことを批判 した。
問 1 空 欄 Eア コ [イ コ に入 る語句 の組合せ として正 しい もの を,次 の0〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 19
0 ア 日本橋
② ア 日本橋
③ ア 堂 島
④ ア 堂 島
イ 海 国兵談 イ 戊 戊夢物語 イ 海 国兵談 イ 戊 戊夢物語
十‑ 92 ‑―
(2602‑‑92)
問 2 下 線部④に関して述べた文として誤っているものを,次 の0〜 ④のうちから 一つ選べ。 20
0 江 戸城や城下 の造営 には, 諸 大名へ 子伝 いが命 じられた。
② 明 暦 の大火では, 多 くの武家屋敷 とともに江戸城 も類焼 した。
③ 将 軍家茂の もとで公武合体策 を進めた老 中が, 城 門の近 くで襲撃 された。
④ 江 戸城 は, 江 戸 を占領 した新政府軍 の総攻撃 をうけて落城 した。
間 3 下 線 部⑤ に関連 して述 べ た文 と して正 しい もの を, 次 の0〜 ④ の うちか ら一
つ 選べ 。E王 Iコ
0 地 主 ・家持 ・地 借 ・店 借 が,町 の構 成 員 と して 自治 に参加 した。
② 天 保 の飢 饉 に際 し, 江 戸 の町人地 で, 町 奉行所 の元 与 力が, 貧 民救 済 のた め 武 装蜂 起 た 。
③ 江 戸 で は, 寛 政期 に飢 饉や災 害時 の対策 と して 日r 費 の節約分 の 7 割 を積 み 立 て るよ う命 じ られ た。
④ 江 戸 全体 の人 口に 占め る町人 の人 回の割 合は, 9 割 を超 えて いた。
一‑ 93 ‑一
(2602‑―〔)3)
写真
間 4 史 料 で 述 べ られ た地 域 ( 越後) の こ とが らにつ いて の 説 明 と して 正 しい もの
を,次の0〜④のうちから一つ選べ。 22
0 こ の地域 の名産である縮 は, 専 門の織人 を置いて生産 した。
② 縮 の生産は労 力を多 く必要 とす るので, 賃 銭 を与えて織 らせた。
③ 縮 の生産は, 農 業 のできない冬期 に女性が従事 した。
④ 親 は娘 に縮 を織 る技術 よ りも, 読 み書 きを第一に学ばせた。
間5 図についての説明として誤つているものを, 次の0 〜④のうちから ^ つ 選
べ 。 2 3
0 織 物 を生産す る織屋 の作業場が描かれて いる。
② 腰 か けにすわ り, 足 踏み して布 を織 る高機が使われている。
◎ 累 緑 りか ら機織 りの作業 まで, 分 業体 制が とられて いる。
④ こ の作業場での生産 のあ り方は, 問 屋制家内工業 とよばれて いる。
問 6 下線部⑥の著者鈴木牧之は, 1 7 7 0 年に生まれ, 1 8 4 2 年に没した。次の文
a 〜 d に つ いて, この人物 の生存 中に起 きた 出来 事 と して正 しい もの の組 合せ
を,下の0〜④のうちから一つ選べ。 24
a 幕 府 は,風 俗 の乱れ を取 り締 まるた め に,遊 里 を描 いた洒 落本作 者 の││1束 京 伝 を処 罰 した。
b 幕 府 は,天 皇 が 幕府 の許 可 を得ず に与 えた紫衣 を無効 と し, これ に抗議 し た僧 を処 罰 した。
c 幕 府 は,湯 島聖堂 の学 問所 にお いて,朱 子 学以外 の学 問 を教 え る ことを禁 止 した。
d 幕 府 は,歌 舞伎 が民衆 に人気 を博す る につれ て,女 性 が演 じる ことを禁 止 した。
O a ・c ② a ・ d ③ b ・ c ④ b ・ d
‑ 9 5 ‑ 一 ( 2 6 0 2 ‑ 9 5 )
日本史 B
第 5間 近 代の政治 ,社会に関する次の文章を読み, 下 の問い( 問1〜4) に答え
よ。 ( 配点 1 2 )
普通選挙 制 とは, 財 産 ・納税額 ・身分 ・性別な どによる制限な しに選挙権 ・被選
挙権を認める制度をいう。④普選運動が国民の支持を得て広がっていき,政 府が
対 応 を迫 られ て い くな か で, E ア コ 内 閣は普 通 選 挙 法 を成 立 させ, 2 5 歳 以 上 の 男性 には納税 額 に関係 な く選挙権 が与 え られ た。
だが, 性 別による差別は残された。明治期から⑤男女平等 ・女性の権利拡張を
求 め る声 は しだ い に高 まって いたが,女 性 の選挙権 は認 め られ なか った ので あ る。
また,政 府 は 同 じ議会 で Eイ コ を成立 させ,普 通選挙 によって予想 され る無産 階級 の政治的進 出をお さえようとした。 匡 Z王 ]は 戦前・戦中を通 して,④ 社会 主義や無政府主義の運動,政 府に批判的な人々を取 り締まるために用いられた。
イ イ イ
イ
② I ―田―Ⅱ
⑤ Ⅲ― I ―Ⅱ
‑ 9 6 ‑
田 I
問 1 空 欄 ア 匡 王王] に 入る語句 の組合せ と して正 しい もの を,次 の0〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 25
0 ア 加藤高明
③ ア 原 敬
間 2 下 線部④に関して述べた次の文 I〜 Шについて,古 いものから年代順に正し
く 配列し たも のを ,下の 0〜 ⑥のう ち から 一 つ 選べ 。E26コ
I 日 本初 の社会主義政党が結成 され, 普 通選挙の実現 をかかげた。
H 第 二次護憲運動が展開された。
田 選 挙権 の納税資格が直接国税 3 円 以上 に引き下 げ られた。
O I ― Ⅱ―皿
④ Ⅱ―Ⅲ― I
治安維 持法 ② ア 加 藤 高 明
治安維持法 ④ ア 原 敬
③ Ⅱ― I ―
◎ 皿―Ⅱ―
破壊活動防 止法 破壊活動防止法
( 2 6 0 2 ‑ 9 6 )
間 3 下線部⑤に関して述べた次の文X ・ Y と , そ れに該当する人物a 〜 d との純
合せとして正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 27
X 自 由民権運動 に活躍 したが, 大 阪事件で逮捕 ・投獄 された。
Y 無 政府 主義 に傾倒 し, 関 東大震災の ときに甘粕正彦憲兵大尉 らに殺害 され た。
a 景 山 ( 福田) 英子 b 市 川房枝 c 与 訪l 野晶子 d 伊 藤野枝
O X ― ■ Y ― c
③ X ― b Y ― c
② X ― a Y ― d
④ X ― b Y ― d
問 4 下線部⑥に関連して, 日 中戦争勃発前後の社会動向に関して述べた次の文
ばつはつX ・ Y に つ いて,そ の正誤 の組合せ と して正 しい もの を,下 の0〜 ④ の うちか ら一 つ選 べ。 2 8
X 政 府 による思想弾圧 は宗教 にもおよび, キ リス ト教や国家神道が迫害をう けた。
Y 人 民戦線事件で経済学者の大内兵衛 らが検挙された。
O X t t Y 正
③ X t t Y 正
② X t t Y 誤
④ X t t Y 誤
‑ 9 7 ‑
(2602 97)
日本史 B
第 6 間 近代日本における代表的な外交官の 一人であり,政治家としても活動した
幣原 喜 重郎 に関す る次 の文 章 A 〜 C を 読み, 下 の問 い ( 問 1 〜 8 ) に 答 えよ。
( 配点 2 3 )
A 1 8 7 2 年 , 現 在 の大 阪府 門真 市 に生 まれ た幣原 は, 大 学卒 業後外 務 省 に入 省 し, 外 交官 として の経験 を重ね た。第 一次 世界大戦下 にお いて外務次官 に就 任
し,そ の後の内閣において④ ロシア革命に対する日本軍の介入の事後処理など
に従 事 した。 そ の後駐 米 大使 と して ア メ リカ に赴任 した幣原 は, ワシン トンで実
施された国際会議において全権の一人として出席し, ⑤ 海軍軍縮および中国大
陸 ・太 平洋 にお け る列 強p F 4 区│ との権 益 調整 に尽 力 した。
問 1 下線部④に関して述べた次の文X ・ Y に ついて, そ の正誤の組合せとして1 1 :
しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 29
X 日 本は, イ ギ リスな ど他 の派兵国よ りも長期 にわたって介入 を継続 した。
Y こ の軍 事介入 の影 響で, 国 内の米価が下落 し, 困 窮 した農民が全国で騒 握 を起 こした。
問 2 下 線部⑤に関して述べた次の文 I〜 配について,古 いものから年代順に11:し
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
③ エー I ―Ш
⑥ 皿―Ⅱ― I
( 2 6 0 2 ‑ 9 8 )
く配列したものを,下の0〜⑥のうちから一つ選べ。 30
I 国 策 の手段 と して の戦 争 の放棄 を約 した不 戦条 約 に調 印 した。
工 補 助艦 の総 保有 量 ( トン数) を英 ・米 の約 7 割 とす る ことに合意 した。
田 主 力艦 保有 量 ( トン数) を英 。米 の 5 分 の 3 に 制 限す る ことに合意 した。
O I ― エーШ
④ エーШ― I
② I ―皿―工
⑤ 皿― I ―Ⅱ
一‑ 9 8 ‑ 一
1931年までの長期にわたるが,そ の間の外交方針はほぽ一貫 してお り①「幣原外 交Jとよばれた。軍縮条約への取組みな どにこうした姿勢は顕著である。 しか し
このような幣原の外交方針は,対 立勢力や ◎中国 における日本軍の行動によっ
て妨 げ られ る ことになる。最終的 に 1 9 3 1 年, 陸 軍 が 中国束北部で起 こした軍事 行動な どによって, 幣 原 の外交路線 は挫折 した。問 3 下 線部◎ に関連 して, 1 9 2 0 年 代 の 日本 は国 内で社会運動が活 発化 した時期 として も知 られて いる。次 の表 を参考 に しなが ら, この時期 に農村で起 こつた 小作争議 に関 して述べた下 の文 X ・ Y に ついて, そ の正誤の組合せ として正 し
いものを,ドの0〜④のうちから一つ選べ。 31
小作争議 の件数 と規模
項 目 小 作 争 議 件 数
A 参 加 小 作 人 数
B
加A参/のBり数当人件作1小
920年 922年 924左ト 9264十二 928年 930年 932年
408 1,578 1,532 2,751 1,866 2,478 3 , 4 1 4
34,605 125,750 110,920 151,061 75,136 58,565 61,499
84.8 79.7 72.4 5 4 . 9 4 0 。3 2 3 . 6 1 8 ̲ 0 ( 安藤良雅編 『近代 日本経済史要覧 ( 第2 版 ) 』よ り作成)
X 普 通選挙法が成立 した前後 の両年を比較す ると, 小 作争議件数は増加をみ せ たが, そ の後 は一時的 に減少 した。
Y 世 界恐1 荒の影響が 日本 に波及 した結果, 囚 第 した農民による個 々の争議が 大規模化す る傾向がみ られた。
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
。 幣原 が外務大 臣 と して活 躍 した期 間 は,一 時 の 中断 をは さんで 1924年 か ら
十‑ 99 ‑―
(2602‑‑99)
日本 史 B
間 4 下線部①に関連して, 幣 原が外務大臣として推進した外交政策について述べ
た文として正しいものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 32
0 米 ・英 との協調のため,南 満州鉄道株式会社の解散を決定 した。
② 中 国国民革命軍 の北伐 に対抗 して, 山 束半島に出兵 した。
③ ロ ソ基本条約 を締結 し, ソ 連 との間 に国交 を樹立 した。
④ 束 アジアの結束 を誇示す るため大東亜会議 を開催 した。
問 5 下線部◎に関連して, 1 9 2 0 年代から3 0 年代にかけての日本草の回外活動に
関 して述 べ た次 の文 I 〜 田につ いて, 古 い ものか ら年代 順 に正 し く配 列 した も
のを ,下の 0〜 ⑥のう ち から 一つ選べ。E33コ
I 日 本軍 が 中国 の都市 南京 を 占領す る に際 して, 捕 虜 や 非戦 闘 員 を殺 キす る 事 件 が起 きた。
工 中 国東 北部 で の 日本軍 の活 動 に対 して, 国 際連 盟か らリッ トン調査 団が派 遣 され た。
Ш 関 東軍 参謀河 本 大作 らが, 中 国軍 閥 の一人 で ある張 作示 を, 奉 天郊外 にお いて爆殺 した。
① I ―Ⅱ―皿 ② I ―田―工 ③ Ⅱ― I ―Ш
④ エーШ― I ⑤ 田― I ―工 ⑥ 田―Ⅱ― I
一‑100‑一
( 2 6 0 2 ‑ 1 0 0 )
C 戦 後 , 幣 原 は知 米 家 と して の経歴 を買われ, 内 閣総 理大 臣 に就 任 した。 幣原 内 閣は連 合 国軍 最 高 司令 官 総 司令 部 ( G H Q ) の いわ ゆ るT L 大改革 指 令 の実 現 に取 り 組 んだ ほか, 新 憲 法 草案 の作 成や 天皇 の神格 を否定す る詔 書 の草案作 成 に も携 わ るなど, ① 戦後改革の中′心的な政策を次々と実施した内閣であったといえる。
また, ③ 終戦直後の物価上昇や食糧危機への対策にもつとめたが, 1 9 4 6 年 4 月 に実施された戦後初の総選挙において勝利することができず, 総 辞職した。幣原 は,そ の後 も衆議院議長な どを歴任 し,1951年 3月 に 78歳 で没 した。ll■講和条 約 が調 印 され る約 半年 前 の ことで あ った。
間 6 下 線部①に関連して,戦 後改革期に実施された諸施策について述べた文とし
て誤っているものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 34
O G H Q に よ り労働組合 の結成が奨1 5 1 J され, 労 働条件 改善 を 目的 とす る労働 基 準法が制定 された。
② 特 別高等警察 の廃止や, 共 産党員な どの政治犯の釈放が行われた。
③ 経 済機構 の民主化 の一環 として,独 占禁 lL法が制定された。
④ G H Q に よ り教育制度 の 白山主義的改革が指示 され, 修 身教育が導 入 され た。
問 7 下線部③に関連して, 戦 後改革期における経済対策に関して述べた次の文
X ・ Y に つ いて, そ の正誤 の組合せ と して正 しい もの を, 下 の0 〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 3 5
X 降 伏 と同時に食糧の配給制度が金面的に廃止され, 価 格の統制 も撤廃 され た。
Y 物 価 L 昇 を抑制するため, 金 融緊急措置令 によって国民の預金が封鎖 され た。
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
‑ 1 0 1 ‑
(2602 11)1)
日本史 B
間 8 下 線部⑥ に関 して述 べ た文 と して正 しい もの を, 次 の0 〜 ④ の うちか ら一つ 選 べ。 3 6
0 こ の条約調印 と同時 に小笠原諸島が返還 された。
② こ の条約調印 をきっかけ として, 警 察予備隊が発足 した。
③ こ の条約 の調印 と同 じ日に, 日米安全保障条約が調印された。
④ こ の条約 の調印 には, ソ 連 を除 くすべての交戦国が参加 した。
一‑102‑一 ( 2 6 0 2 ‑ 1 0 2 )
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