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中国語における文末疑問助詞の変遷

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(1)

中国語における文末疑問助詞の変遷

長  尾  光  之

目   次

1. 『論語』 の文末疑問助詞 2. 『史記」 の文末疑問助詞 3. 中古(中世) の文末疑間助詞

3.1. 『生経』 (『生」) 3.2. 『雑宝蔵経』 (『宝』) 3.3. 『百喩経』 (『百』) 3.4. 『妙法蓮華経」 (『法』) 3.5. 『世説新語』

4. 「不」 「無」 から「E号 」 へ

5. ま  と  め

本稿では中国語の疑問語気助詞を 『論語』 にあらわれる古典中国語、『史記』

にあらわれる前漢の言語、漢訳仏典・『世説新語』 にあらわれる紀元後2 世紀

から5世紀の言語にっいて、その変遷を見たい。また、 2世紀から5世紀の言

語が唐代以降にも連なっており、近代語を経て現代語の基本的疑問語気助詞で ある、 「g与」 に連なって行く音音員的経緯についても論じたい。

なお、引用資料名は巻末に記した。

1.  『論語』 の文末疑問助詞

太田1958・序では、「春秋末より前漢にいたる言語」 を 「古典中国語」 とし、

(2)

中国語における文末疑問助詞の変遷 (長尾光之)

古典中国語はの記述にあたっては「まずその中心となる対象を確定し、 そのた

めにはまず一個の均質的資料を中心として記述されるべきである」  とし、『論

語』、『孟子』 『礼記檀弓』 を資料と定め「この三者の文法は細かい点ではたが

いに差異出入があるが、Karlgren氏も説くごとく、他の資料には見られない

共通の特点をもっており、 ほぼ春秋から戦国にいたる時期の魯国を中心とする

方言と考えてよいであろう」 と述べる。

言語を学問的に考究する際、歴史的資料を用いる場合厳密な取り扱いが必要 であり、 このょ うなァプローチは古典中国語のみならず、すべての時代に摘用

されるべきである。

太田1958では魯方言の文法が簡潔に整理されている。  まずこれによつて魯

方言の代表資料である 『論語』 の語気助詞を見よう。番号は『論語引得』 によ る。

『論語』 に用いられている助詞は次のようである。

述語助詞  者、之

文末助詞  (甲類) 乎、与、哉、夫

(乙類) 也、矣、焉、而已、耳(爾)、然  , 文末助詞を2個用いるときは乙類をまえにおき甲類をそのあとにおく。

疑問に用いられる 『論語』 の文末助詞は以下のようである。

「乎」

・是非疑問をつくる。

傷人乎(人に怪我はなかったのか) (10.11)

(3)

子路仁乎(子路は仁であるか) (5.8)

・形式的には是非疑問であるが、単に聴者の注意をひくために発問したにす

ぎず、実は反語であるもの。

欺天乎(天をあざむくのか) (9.12)

・特指疑間。すなわち文の中に「誰」 「執」 「奚」 「悪」 「馬」 など疑問詞を用 いるものでは「乎」 を併用しない。ただし反語では「乎」 を用いる。

不敬何以別乎 (尊敬するのでなければどこに区別があろうか) (2.7)

何傷乎(何を気にすることがあろうか) (11.24)

蓋徹乎 (いっそ徹の税にされてはどうか) (12.9)

「裁」

・疑問詞と併用し、感嘆の語気を帯びた反語を表す。

人焉度裁 (どんな人でも隠すことができるだろうか) (2.10)

天何言哉(天は何をか言わんや) (17.17)

「也」

・疑問をあらわす。後世の「那」 に同じ。

十世可知也(十代先の王朝のことが分かるでしょうか) (2.23)

其従之也 (それに従うのでしょうか) (6.26)

S226  「焉」

・ まれに特指疑問文に添用する。

君子之道、孰先伝馬、孰後倦焉(君子の道はどれを先にするとか、 どれを

後回しにして怠るというものではない) (19.12)

太田1964の文末疑問動詞をまとめると次のようになる。  

(4)

[疑問]  乎

中国語における文末疑問助詞の変選 (長尾光之)  与  也  馬

疑問と関連がある感11実をも含めると次のようになる。

[感嘆]  裁  乎  実

また、単独ではなくいくっかの字が組み合わされる場合が述べられている。 

助詞を連用するものには以下のような組み合わせがある。

仲由可使従政也与 (仲由く子路> には政治を行わせることができるか) (6.8) 説明+ 疑問 部夫可与事君也与裁 (っまらない人間は者にお仕えなどできないだろう)

(17.15)  説明+ 疑問+ 感嘆 女聞六言六蔽突乎 (お前は六つの言葉についての六つの害を聞いたか)

(17.7)  已然+疑問

斯謂之仁已乎 (それで仁と言ってよろしいでしょうか) (12.3)  結果+ 疑問 女得人馬耳乎 (お前、 人物を得られたか) (6.14)  已然+ 疑問 如斯而已乎 (そんなことだけでしょうか) (14.42)  限定+ 疑問 感E実を含めた連用例は次のようになる。

吾差匏瓜也裁 (わたしはまさか苦瓜ではあるまい) (17.6)  説明+ 疑問 周之徳、 其可謂至徳也已矣 (周の徳は最高の徳と言ってよいだろう) (8・20)

説明+限定+感嘆

中庸之為徳也、 其至矣乎 (中庸の道徳と しての価値は最高だろう) (6.29)

感嘆+ 感嘆 久実裁、 由之行言t 也 (長いことだね。 由く子路> がでたらめをおこなつてい

(5)

ることは) (9.12)  已然+ 感嘆

難矣哉 (なんと難しいことか) (15.17)  感嘆+ 感嘆 命矣夫 (運命であるなあ) (6.10)  感嘆+ 推測 其余則日月至爲而已矣 (そのほかの者では一日か一月のあいだゆきつけるだ

けのことだ) (6.7)  限定+ 感嘆

疑問、感嘆とも関連ある反語には次がある。  

仁遠乎裁(仁はなんと遠いのであろうか) (7.30) 

連用例は次のように整理される。 

[疑問] 

[感嘆] 

[反語] 

也与  也与哉  矣乎  已乎  耳乎

也哉  也已矣  矣乎  矣哉  矣夫  而已矣 乎哉

反語+ 反語

2.  『史記』  の文末疑問助詞

『史記』  には著者司馬選の時代の前漢の言語が反映していると考えられる。 

司馬選はB C145年に生まれ、 B C86年?に死去した。   しかし、  同書には多数

のその当時残されていた秦漢以前の文献の言語も引用されているため、  慎重に

取り扱わなければならない   (牛島1967参照)。

それらを考慮した上で  『史記』  の文末疑問助詞を見ると、  単字は

[疑問]  也  焉   矣  哉  乎  邪 (耶)  不 (否)

[感嘆]  矣  裁  乎

(6)

中国語における文末疑問助詞の変遇(長尾光之)  と整理される。 それぞれについて実例を見る。

[疑間]

「也」

若亡、何也 (お前が逃げたのはなぜか)

中公、何人也(申公というのはどういう人か) 

(92‑1b)  (28̲14b) 

「馬」

兵以利為上。尚何待焉(軍事は有利を最上とする。 これ以上何を待つことが (31̲7b)

あろうか)

君臣淫乱、 民何効焉 (主君も家臣も淫乱であったならば民は何を見本にする

(36‑2b)

のか)

「実」

敬諾。年幾何矣(承知しました。年はいくつですか)  (43‑17a)

君所治夷減者、幾何人矣 (お前が取り調べて一族皆殺しの刑に処した者は、

何人いると思ぅのだ)  (122‑5b) 

「裁」

勾践可不謂賢哉 (勾践は賢者といわずにすまされようか)  (41‑7b) 我登有所失裁(ゎたしに何か手落ちでもあったのでないだろうか)  (77‑2a) 

「乎」 (多数)

我何執。執御乎。執射乎(わたしは何を得手にしたものか。御者かね。弓か (47̲13a)

ね)

縦彼不言、籍独不愧於心乎(たとえあちらが何も言わなくとも、このわたし

(7)

が良心にとがめずにおられるものか)

豈望報乎 (お礼をしてもらおうなんて思うものか) 

(7̲16b)  (92̲ta) 

「邪(耶)」 (多数)

泄公邪。 1世公労苦如生平整(泄公だな。泄公はふだんと同じように打ちとけ

た態度で貫高をねぎらい)  (86̲6b)

汝西皇之使邪(おまえが西方の皇帝の使者か)  (118̲5b)

花叔有説於秦邪(きみは秦に遊説にでも来たのか)  (79̲5b) 

「不(否)」

「不(否)」 が文末語気助詞となるのは中古以降広くみられるかたちである。

詳細は後述するが、 『史記』 にはすでにこのかたちの萌芽がみられる。

秦王以十五城請易寡人之璧。可予不(秦王は十五の城とわたしの玉を交換し たいと頼んできた。与えていいかどうか)  (81̲1b)

可藤否 (厄よけのお破いをした方がよいか)  (32̲lOb) 丞相可得見不 (丞相に会えないものか)  (̲18b)

公奴有病不(あなたの下僕は病気ではないのか)  (105̲8b) 

[感嘆]

「矣」

過矣、君之謀(まちがっておりますよ、殿のご計略は)  (46̲4a) 甚矣、吾不知人也(ひどいものだなあ、わしに人を見る目のないことといっ

たら)  (86̲lOb) 

(8)

中国語における文末疑問助詞の変遥 (長尾光之)

「裁」

其不失国、直哉 (あのかたが国をなくさないのも、 もつともなことだ)

(21‑ta) 甚哉、水之為利害也(ひどいものだなあ、水の利害というものは)  (29‑4b) 

「乎」

公叔病甚、悲乎(公叔は重態だ、悲しいことだ)  (68‑1b) 惜乎、子不遇時(惜しいなあ、君がよい時世に出会わないなんて)(109‑ta) 文末語気助詞の連用

『史記』 には語気助詞が2字連用される例が。少数存在する。   3字連用は見 ることができない。連用される語気助詞は感嘆のみで疑問は見られない。

[感嘆]  也哉  也夫  矣哉  矣夫  乎哉  哉夫

「也哉」

断定のr也」 と感嘆の 「哉」 が組み合わさつたかたち。

大風也哉 (すばらしい歌だなあ)

「也夫」

ゃはり断定の「也」 と 「感嘆の「夫」 の連用。

是命也夫 (これも天命なのだ)

「矣哉」

(31‑3b) 

(130‑4b) 

(9)

断定の「矣」 と感嘆の「哉」 の連用。

至矣裁(最高だなあ)  (23̲6a)

怨毒之於人、甚矣哉(怨恨が人におよぼす力というのはたいへんなものだな

あ)  (66‑5b) 

「矣夫」

断定の「矣」 と感嘆の「夫」 の連用。

吾已矣夫 (わしもおしまいだなあ)

感嘆の「乎」 「哉」 「夫」 が連用されたもの。

「乎哉」

雖州里行乎哉 (州や里でも通るわけがないではないか) 

「哉夫」

善哉夫、山河之国(いいなあ、山河のあるこの国は)

3.  中古 (中世) の文末疑問助詞

(47̲13b) 

(67̲7) 

(65‑3b) 

中古中国語の基本的資料である漢訳仏典の文末疑問助詞はどうであろうか、

ここでそれを見よう。資料には『生経』 『妙法蓮華経』 『雑宝蔵経』 『百喩経』

を用いる①。

以後それぞれ、『生』、『法』、『宝』 『百』 と略称する。

以上四経のうち、最も古い3世紀後半から4世紀初頭の言語を反映している

ものと考えられる 『生』 の文末語気助詞、「乎」 「耶」 「不」 の実例を見よう。

(10)

中国語における文末疑問助詞の変遷(長尾光之)

3.1. 『生経」 (「生』)

『生』 には「乎」 「耶」 「不」 が見られる。

「乎」

[疑問]

寧審諸乎 (っまびらかにするだろうか) (『生』 10) 能悉念乎 (すべて念ずることができるのか) (『生』 11)

設使見者、能識之乎 (知ある者ならばそれを知ることができるのか)

(『生』 u)

卿等能任如是労乎 (お前たちはこのような苦労ができるのか) (『生』 23) [感嘆]

面色豈好乎 (容貌はなんと良いのだろうか) (『生』 5)

鳴呼。何以劇乎(ああ。 どうしてこう激しいのか) (『生』 21) [反語]

孰能爾乎 (どうしてそうできるであろうか) (『生』 1)

安能布施為福徳乎 (どう して福徳のために布施できるだろうか) (『生』 4) 面色豈好乎 (容貌はなんと良いのだろうか) (『生』 5)

寧審諸乎 (っまびらかにするだろうか) (『生』 10)

豈欲半国分蔵珍宝乎 (国を半分にし、珍宝を分けるの望むのだろうか)

(『生』 11)

(11)

此豈不易乎 (それをどう して変えることがあろうか) (『生』 11)

能悉念乎(すべて念ずることができるのか) (『生』 11)

設使見者、能識之乎(知ある者ならばそれを知ることができるのか) (『生』 11)

梵志当云何 (僧はどのようにするべきか) (『生』 13)

何謂世尊総持法乎(何を世尊の総持法と言うのか) (『生』 19) 鳴呼。何以劇乎(ああ。 どうしてこう激しいのか) (『生』 21)

卿等能任如是労乎 (お前たちはこのような苦労ができるのか) (『生』 23) 以何為爾乎 (どう してそうなのか) (『生』 38)

「耶」

[疑問]

是誰何求耶 (誰であって何を求めているのか) (『生』 5)

忽然没不復現耶 (突然なくなり もう現れないだろうか) (『生』 18) 為諸衆僧、有所弁耶 (多くの僧たちに話すことができるのか) (『生』 23) [反語]

云何相図、用以活卿耶 (どうして互いに図ってそれを用いてあなたを生かさ ないことがあろうか) (『生』 10)

安可廃那 (どう してなくすことができようか) (『生』 11)

「不」

仁者欲得知不(あなたは知りたいと望むか) (『生』 14)

(12)

中国語における文末疑問助詞の変選(長尾光之) 得其理不 (その道理をわきまえたでしょうか) (『生』 16)

『生』 ではr乎」 が最も多く用いられ、「耶」 がそれに次ぐ。「不」 の用例は

それほど多くない。

3.2. 『雑宝蔵経」 (「宝』)

『雑』 には「不」 が見られる。

「不」

汝先有父母不 (お前は前に父母がいたのかね) (『宝』 21)

而今此食、称適意不 (今のこの食物は気にいったかね) (『宝』 102)

3.3. 『百喩経』 (「百』)

『百』 には「耶」 「不」 が見られる。

「那」

十倍与1女、意不足耶 (お前に十倍与えたのに不足なのか) (『百』 30)

「不」

解作彼家端正舍不 (あの綺麗な家を造ったのか) (『百』 10)

未生子者竟可得不(子どもを生んだことのない者が手に入れることができる

か) (『百』 21) 
(13)

偸牛之時、在爾村東不(牛を盗んだとき、お前は村の東にいたか)

(『百』 46)  3.4. 「妙法蓮華経」 (「法」) 

『法』 については索引があるので、 その数字を包括的に見ることができる。 

『法』 の文末疑問語気助詞の数は次のようになる。  

不耶乎

出現数

28 5 2 (9) 

「乎」 のかっこ内は同一文をも加えたのべ数

これらを見るとと、『法』、『宝』、『百』 などの中古期の漢訳仏典に反映して いる言語の疑問語気助詞は「不」 が大勢を占めていると見ることができる。 

少し時代を遡った『生』 は漢代の言語から中古の言語への移行期にあり、前

代によく用いられていた「乎」 や「耶」 がより多く見られるのであろう。

すなわち、『法』、『宝』、『百』 の主要な文末疑問助詞は「不」 であるといい うる。 

3.5.  「世説新語」

『世説新語』 の文末疑問語気助詞数は索引では以下のようになる。

(14)

不乎那

中国語における文末疑問助詞の変遷 (長尾光之)

出現数

28 2 5 

やはり、「不」 が優勢であるという5世紀の言語が反映している。

なお、仏典以外の正史、『世説新語』 などの小説類、書簡文の句末否定言 司 に っいては坂井1992を参照されたい。

4.  「不・無」 から 「ロ ー g」 へ

盛唐以降になると 「不」 にかわって「無」 が多く文末に用いられるようにな る。 太田1958には唐詩からの引例があるa 。 

秦川得及此間無 (奏川はここにおよぶことができるのか)  肯訪流花老翁無 (流花渓に住む老翁を訪ねてくださるか)  実向権魚問楽無 (笑って備魚に向かい楽しいかときく) 

(李白詩) (杜甫詩)  (独孤及詩) 

そして、太田1958ではさらに、  この「無」 が「磨」 あるいは「摩」  と書か

れ、 末代にいたって 「麼」 と書かれるようになり、清以降には「E馬」 と標記さ れるようになる、 と指摘している。

「不」 が 「無」 等に交替してゆく際には、唐代における音音貴変化がその背景 にあるものと考えられる。 本稿では、 唐初には多く用いられていた、 「不」 が 盛富以降「無」 に交替していった音的理由について考察してみたい。

文末の「不」 は「否」 と書かれることもある。藤堂1965によれば、「不とい

う字白体はふっく らとふくれた植物のつぼみを描いた象形文字で」 「これを否 定調に用いたのは当て字」 であって 「否は言語行為に用いる否定言司だから」
(15)

「意符口をそえたもの」 であるとし、 さらに「不」 と混用される字として「弗」

を挙げ、「北京語の 〔pu〕 は『弗』 の後裔であるとしている8 。

それでは、六朝 唐の「不」 「否」 「弗」 等の音を知るために『広韻』 を見よ う。『広韻』 には「不」 は平・上・(去)・入各声調に現われる。  

平声尤韻

上声有韻

(去声有韻 入声者韻

不、 甫jl島切

缶、方九切 不、甫救切)  弗、分勿切

このぅ ち、去声の「不」 は去声の部分には見られないが、他声調の部分に又 音として現れるので、去声の「不」 も存在していたことになる。上声の「缶」

は小韻代表字で、 ここには「否・不」 と列記されている。「弗」  も小競代表字 で、「不」 は「与弗同」 としてこの小韻にあらわれる。

っぎに上田1975によって『切韻』 諸本の記載状況を見ると以下のごとくで

ある。 

平声尤言貴 上声有音貴 入声物韻

不、 南fl島

缶、方久 方負 弗、分物

分勿

切三、王一、王二、王三、広 切三、王一、王三、広 王二

王三、王二、p.3694背 王三、唐、広

ここでは、王二の反切下字「負」 が全濁上声であることに注目しておきた

い④o

これら『切韻』 系韻書の反切によれば、「不」 の反切上字には「甫、方、分」

が用いられているから、語頭子音は

(16)

中国語における文末疑問助詞の変遥 (長尾光之)

p

と再構成できる。競母は舒声が「尤・看・有」 言 貴(3等) であるから、

と、入声が「物」 言貴(3等) であるから

一Y3t

と再構成できる。  これを組み合わせて「不」 の中古音は、一応

pl3u  または  pY3t

と擬定できる。(再構音は平山1967Bによる)

ところで、「不」 の語頭子音をあらわしている反切上字「甫° 方'分」  は唐

代におこった「軽唇音化」 によって、 すべて唇歯音f一に変化した③。

「不」 系の字「缶・否・弗」  もこの変化にしたがって、現代北京方言などで は、f̲系の音を持っている。   しかし「不」 の北京音はpu (排音ではbu)  であ

り、切報系の反切上字とは対応しないことになる。

これと類似の現象は 「不」 に音注をした唐あるいは五代の資料にも見ること

ができる。水谷1994に紹介されているBrahmi 文字(8 9世紀)  の漢字音

を見ると 「不」 にたいしてはB

不  pa,pi

不   hvu:,hvu: 

(17)

の2系列の音がある。p̲、hv一 のちがいが重唇音、軽唇音のちがいである。重 唇音の韻母はさらにpa、pi に分かれている。陳国1960ではこのpa、pi は「不」

に後続する音によって区別されているのだ、  とする。すなわち、 後続する音が 舌根音のときにはpa となり、舌面音が来るときにはpi になるという⑦。

っぎに羅1933によって『金剛経』 のチベット音(8 12世紀)を見ると「不」

の音は

不 pu 

p'u  と音注される8 。

この2種の書き分けもやはり重唇音 (pu)  と軽唇音 (p'u) のちがいであり、

不が2種の音を持っていたことがわかる。Brahmi 文字と 『金剛経』 に見える

「不」 の重唇音は、前述の北京方言のpu音に連なってゆくものと考えられる。 

この重唇音系の 「不」 音は入声物韻に由来するのであろう。入声物言貴の字はほ とんどすべてが体系的に軽唇音化したけれども、「不」 音は口語中に常用され ていたために軽唇音化に抗し、 保守性をまもって両唇音を保ちつづけて来たも

のと思われる。

北京方言以外の方言にもつぎのように「不」 の現代音が入声である方言が存

在する③。 

合肥

揚州

蘇州 長沙 南昌

p3?  4

pc  4

f?7  4 (この方言では「弗」字を用い頭子音は軽唇音化)  pu 24 (言 貴 尾はなくなっているが入声体系がある)

p3t 

(18)

中国語における文末疑問助詞の変遷(長尾光之)

さらに『切韻指掌図』 では「不」 を入声言貴に入れており、 『中原音言貴』 では

「入声作上声」 として分類している8。

これらから、現代北京音pu の来源は入声韻であったと見てよいであろう。

それでは六朝・唐初に数多く見られる文末の 「不」 はいつたいどのように発 音されていたのか。  これにたいしては次の2説を考えうるo

1) 文末・文中ともにpl3u、pyatが混用されていた。

2) 文末はpl3u、 文中はpY3t と舒声・入声の使い分けがあつた。

『切書貴』 等の音状況の複雑性から、  1) 説のように、両者が混用されていた

といぅ可能性も否定できないが、  この点については今後の課題とし、   ここでは 単純化して、  2) の説をとり、文末の「不=否」 の音はpl3u であつたと考え てぉきたい。 またr不」 は語頭子音が両唇破裂音であるという音的特色を持ち、

この特色にょ って疑問文であることを明確にしていたものと思われるo したがつ

て、声調にっいても舒声として一括しておき、それ以上の細分化は問題にしな いことにする。

さて、 文末の r不」 にかわって盛唐からは「無」 が用いられるようになつた。 

太田1958では「白居易はとくに用いることが多」 かったとし、 敦煌変文でも

数多く用いられている。

r不」 から r無」 に交替した際には音言貴変化がその背景にあるものと考えら

れる。

それでは「無」 はどのような音を持っていたのであろうか。

『切言貴』 等では平声虞韻武夫切明母三等であるから

と再構成しぅ る。   これはm̲を語頭に持つ明母字である。 m一 等の鼻声声母は

(19)

Maspero 1920・水谷1994に指摘されるように唐代には規則的な非鼻音化現象 (denasaliz ation) をおこす。河野1978の記載を倍りると、「鼻音声母の疑'泥'  娘・明・日 等の5母はもともと純粋の鼻音・n ・n ・m ・n であったが、  唐代

(8世紀頃) 長安の方言に於て口音のoff‑glideを伴うn ・nd ・nd ・nd 'rub '  nzとなった。(中略)  この特色はしかしながら、non‑distinctive  featureであ

ってallophoneとして認められるに過ぎなかったと考えられる。   即ち例へば

音韻/ m/ はallophone として〔m〕 及び〔rub〕  をもっていたと考えられる

のである。」o

すなわち、無mY u にも非鼻音化によって、rub uの音が生じ、mY u、mbYu 

のallophone を持っようになった。  このうち非鼻音化されたmbYu の存在が、

「不」 が「無」 に交替するに際しての橋渡しになったものと考えられる。  「不 (否)」 は「軽唇音化」 以前には

p1‑au 

と発音されていた。 その特色は両唇破裂音である。  この「不 (否)」 音は軽唇 音化にょって唇歯音に変化した。  このことは文末の否定詞系疑問詞の音的特徴 一 両唇破裂音という特徴にそぐわないという印象をあたえるようになり、

「不(否)」 にかわって 「無mbYu」 が用いられるようになったのではないか。 

すなわち、p̲、rub̲の破裂音としての発音方法・聴覚印象の共通性から@ 、   さ

らには否定詞としての共通性もあってしばしば「無」 が用いられるようになつ

たのであろう。

そののち、「無」 の声母は軽唇音化によって m> ro,rev> w 

と変化する。すなわち、「off‑glideのv を発展させ、  これが後世の/ w/ の中

(20)

中国語における文末疑問助詞の変遷 (長尾光之)

に吸収されたのである」B したがって、 rub一またはp一系の音をあらわす字と し

ては不適当になり、かわって、「磨」 「摩」 などが用いられるようになるo

r無」 にかゎって用いられるこの2字の音を羅1933によつて見ると@、

となり、

磨摩 'ba (『千字文』)

'ba (『千字文』 ・大乗中宗見解・阿弥陀経』) 

'bu (『大乗中宗見解・金剛経』) 

とは、声母'b においては同一だが、言 量 母の部分は、 一 a、一 u のように異なつた

音になっている。

さらに、同書にょれば「摩」 の (羅著作成時の) 方言音は次のようになるB。

蘭州   mo 平原  mo 西安  mo 三水  mo

文水  mbm 興県  rub3

これらを参照して文末の「磨・摩」 の音がどのようであつたかを推論してみ

ょぅ。「摩」 の中古音(明母戈韻一等)  は

(21)

と再構成されうるので、唐代の「摩」 音も‑u一 のように円唇性を持っていたと 考えうる。蔵漢対音においては'ba と表記され、円唇性はない如くであるが、

唇音は円唇性を持つ傾向があるところから、 おそらく 'b'a のような音だった

のではないか。そこで非鼻音的な、「磨」 「摩」 の唐末五代における音は

rub'a  または  mbua のような音だったのではないだろうか。

非鼻音化されたrub̲は一部の方言では再び鼻音化してm一となった。  これに

従って「磨・摩」 の音もmua (mua) と変化して、現代北京方言の「g̲号 」 の音、

ma に連なってゆくという道すじが考えられるのである。

5.  ま  と  め

疑問、 感嘆をあらわす『論語』 と 『史記』 の単字の語気助詞は

『論語』

『史記』

乎、也、  焉、矣、与、哉

乎、也、 邪(那)、焉、矣、  哉、不(否) 

であり、中古への橋渡しとなる「不(否)」 が『史記』 にわずかに見られる程

度でおおむね同一であるe 。

5世紀の言語を反映している漢訳仏典『法』 『宝』 『百』、  と同時代の 『世説

新語』 に現れる主要な文末疑問語気助詞は「不(否)」 である。

否定詞「不」 の『切韻』 系の音はpl3u またはpY3t と再構成される。六朝唐

初における文末の「不」 はpl3u という音を持っていたものと考える。

「無」 は盛唐以後「非鼻音化作用」 によって、語頭子音がm‑> rub一と変化

(22)

中国語における文末疑問助詞の変遷 (長尾光之)

した。  そして音的類似によって「不」  にかわって文末に用いられるようになつ た。r無」 はそののち語頭子音が軽唇音化により w一に変化したため、  かわつて r磨」 r摩」 などが用いられるようになり 変選を経て現代語の 「g与」  につらな

ってゅ く 、Ii 。

①  『生経」 『法華経」 『雑宝蔵経』 については長尾2005参照。

②  太田1958、361ぺージ参照。

③  藤堂1965、 158ぺージ参照。

④  周知のょぅ に中古漢語の全濁上声は大部分の現代方言では去声に入つている。

r負1が全濁上声であることと現代語の 「不」 が去声であることとのあいだには、

音韻変化の過程でっながりがでてくるのかもしれない。  なお  『漢語方言詞彙」

にょると  「不」 は沈陽でも去声である。

⑤  平山67Aにょると  「切韻(601 成書)  に反映した6世紀末ごろの北方標準的 方言 (切義方言)  の音韻体系では、labial の声母(音節語頭子音)  としては、両 唇閉鎖音の̲ 系列しか存在しなかった。 すなわち、部/ p‑/ 務/ P'‑/ 並/ b‑/ 明 / m̲/ の4母がそれぞれである。  ところが唐代8世紀ごろになると、  これら両 唇開鎖音の中から、唇歯摩擦音の一系列が分化した。すなわち、  非/ f‑/ 敷/ f ‑ / 奉/ v̲/ 微/ ̲/ の四母がそれぞれである」  と述べる。 なお、  同論文に引く、

軽唇音化の生じた義は「東屋(三等)、鍾燭、微、度、廃、文物、元月、  陽葉、

尤、凡乏」 である。 (Karjgren  aEtudes  sur la  phono1ogie  ChinOiSe  によつ ている)

⑥  水谷1994ぺージにょれば「この写本はIndia Office Libra「y (eh・00120) に ぁり、serlnd1a1450ぺージに紹介され、さらにF.W.ThomaS氏により(BuddiSt chinese Text in Brahmi Script,ZDMG,1937,PP.1‑48) 原本の写真、  ローマ

字転写文、字象学的考察、素引を付して公表された。  写本は93行の断簡で漢訳 にぁてるに首完末欠のものである。文字は草書体のBrahmi 文字であり、  その 表記様式等から見て、干門人により諸写されたものであろうと考えられている°

書写年代はその外部的な徴象から大約8 9世紀のものとされる。」

0   陳国1960も水谷1994と同一のBrahm‑,文字の資料にもとずいている。

pa、pi のちがいについては 

(23)

pa  ksu pa  kha pi  uvu pi  iimgi

の例を出し、pa は「舌根元音」 の前に位置し、pi は「舌面元音」 の前に位置す る、  と述べる。pi、uvu の例については「uvu の上に抹消されたi を見出すこと ができ、  この字 (於) の字母はu のようであったにちがいない」  と して  「舌面 元音」 の例に入れている。

⑧  羅l933、  6ぺージに『金剛経』 のチベット音注残巻文書について次の説明が ある。 (和訳筆者) Stein が入手した敦煌石室写本の中に2種のチベット文の残 巻があった。

第1 は「褐色の厚手の破れた巻子;長さは24.5インチつまり、62cEl、  巾は12 インチつまり21clll、真中に40行がありうち6行は屯城(Miran) で入手した木簡 と敦煌で入手した紙写本にしばしば見られるものだ。  これは敦女皇写本のコレク ショ ン中より発見されたもので時代はみたところ8 11世紀である。」

第2 は「真中に10行あり上部はすべて欠けている。字体は第1のものと同じ。

裏面に同一人によって書かれたチベット文の書類がある。  この残巻は第1のも のと具合いよくかみあい、30に40行の文字を補充する。時代は第1 と同様。」  そ

して、F.W.Thomas は11島摩羅什が訳した『金剛経』 (Vajraccheddika)  の残巻 と断定しているという。

⑨  『漢語方言詞詞彙』 (1964年、北京大学中文系語言学教研室編、  文字改革出版 社) 447ぺージ参照。

⑩  王力1958、169ぺージにはこの他『切韻指南』 にも  「不」  は入声として分類 しているとの指摘がある。

⑩  河野1978、249ぺージ参照。

@   『中国語学辞典』 (1969、中国語学研究会編、光生館) 124ぺージ 「非鼻音化作 用」 の項に「通常の談話では破裂音に近く聞き取れることも多い」 との記載があ

るo

(B1  河野1978、250ぺージ参照。

(iii  羅 1933、17ぺージ参照。

⑮  同上、192ぺージ参照。

(i31  なお、「邪(耶)」 は「也」 が変化した語で、同字と見る。 また、『史記」  にも

(24)

中国語における文末疑問助詞の変遷 (長尾光之)

r与」 は『史記」 にも見えるが、  これは古い物語に用いられているので漢代の 言語ではなぃでぁろぅ。 なお、「邪(那)」 は「也」 が変化した語で、 同字と見

る。 また、『史記」 にも 「与」 は『史記」 にも見えるが、 これは古い物語に用い られてぃるので漢代の言語ではないであろう。例:孔子日「賜。爾以予為多学 而識之者与。」 (孔子はr賜ょ。おまえは私のことをたくさん学んで覚えた人間

だと思っているのか」 (47̲tea)。「与」 については周1957参照。

0   現代中国語の疑問文のぅ ち「a尾をともなう文」 と 「肯定と否定を重ねる文」

はまとめて1っとすることができ、平叙文に形態素 i一不一) が加わつたものと考 ぇることができる。 これを「否定詞系疑問文」 とする。

現代中国語の基本的な疑問文には「文末にe号を用いる」 「肯定と否定を重ねる」

r疑問詞を用ぃる」 の3種類がある。私見によればこの3種類は「否定詞系疑問 文」 と r疑問調系疑問文」 の2種類に整理され得ると思う。「否定詞系疑問文」

とはr文末にg号を置く文」 「肯定と否定を重ねる文」 である。 「疑問問詞系疑問 文」 名詞ゃ代名詞の位置に疑間詞を置くことによって成立する疑問文で、  この 分類方法は旧来の通説を受けたものである。

なぜr否定詞系疑問文」 をまとめて1種類にするのか。「E号」 疑問助詞と品詞 分類されるが、r疑問助詞」 と しても転用されうる他の語気助詞 「E尾」 「明」 な どとは性格を異にしている。

他是誰  ? 他是誰度足?

*他是誰P号?

の例を見ると rE是」 r明」 は「疑問詞疑問文」 の文末に用いることができるが、

r他是進g̲号」 の例は成り立たず、「a̲与」 は「誰」 等の疑問詞とは同一文中に用い ることはできなぃ。  このょうに「ea」 は語気助詞という よりは、  その文全体を まとめて rそぅ なのか (肯定)」 「そうではないのか (否定)」 と問うているので ぁる。 ここに、r肯定+ 否定」 型との共通性が生じてくる。 このようにこの2つ

の疑問文の本質はひとしく、外面的表現は異なっても理論上は同一のものと考 えられるのである。

以上から現代中国語の基本的疑問文は2種類とし、そのひとつ、 「否定詞系疑 問文」 は、平叙文に形態素{̲pu̲}が加わって成立するものだと筆者は考える°

rg.,,」 r不去」 は、形態素 {̲pu̲}の異形態(allomorph) と考え、それそれ/ l'ii / / 不去/ と標記できる。その他の異形態も加えてまとめてみるとつぎのよう

(25)

になる。

形  態  素 (morpheme)

{ ‑pu‑}  

異  形  態 (allomorph)

(/ 一 不/

/ ̲C号 / / V不V/

/ 没有/ 

異形態の現れる環境 文末  )

V=動詞 (マタハ 形容詞) 述語に̲了、̲過が加わったとき 異形態のうち/ 不/ は、現代語でも少数見られる「不」 が文末に来る例、/ ̲B号 / は「g号」が文末に来る例である。/ V不V/ は通例選択疑問と言われているか

たちで、肯定型と否定型が重ねられる。異形態/ 没有/ は/ V不V ?/ (「動詞 (形容詞) +不+動詞(形容詞)」) に一了、一過が加わって「去了没有?」 「去過没 有?」 などのようになった場合である。

本稿では、異形態のひとつ/ g号/ のさきがけとなる語の変遥について見ている。

allomorph (異形態) とはある形態素(morpheme) が、その生ずる環境によっ て、形を異にするとき、それらの形を同一形態素に属する異形態という。英語の 名詞につく複数語尾/‑z/、/‑s、//os (boys.cats,roses) および、不規則形//r、

(oxenchildren) teeth をtooth と区別している母音の変容、thosse  sheep にお けるsheepのゼロ接尾辞などではいずれも複数形態素  {‑Z}  の異形態である。

なお、 中国語では文末いう同一環境に/ 不/ 、/ g号/ の2異形態があらわれて いるが、/ 不/ は現実にはあまり用いれぬので (  ) をつけて例外とみなした。 

文献 (排音配列)

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(26)

中国語における文末疑問助詞の変遷(長尾光之)

訳ォソ ォ 生経サV語言サ1992.2.  ォ灯n 店師専学報サ7‑3 1984 r中国語における否定詞系疑問文の変選一文末の不、無、磨、摩、

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2005 3  同上  下、『行政社会論集」

17巻3 ・4号

陳  国  1960  r漢語軽音的歴史探討」 『中国語文」 93期 (原文B・ CSOngO「 ォA contribution  to   the  iistor y  of  the 軽音C'h'ing  yin Actac Orjentalia,Hung,Tonus,Fascicul us  1,1959)

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太田長夫  1958 『中国語歴史文法」 江南書院(1981 再版'明友書店、中国語訳本 1987  蒋紹愚・徐昌華訳・北京大学出版社、修訂訳本'2003) 藤堂明保  1965 『漢字語源辞典」 学習研究社

1964 『古典中国語文法・改訂版』 汲古書院

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(27)

刊」 29  引用資料

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『世説新語』 四部叢刊本

『生経』 大正新備大蔵経  第3巻  本縁部上  154.

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岩村裕等訳注『法華経」 岩波文庫  上中下

『雑宝蔵経』 大正新構大蔵経  第4 巻  本縁部上  203. 

『百喩経」  同上  第4巻  本縁部下  209. 

『根本説一切有部毘那那」 同上  第23巻、律部2、1442 

索引・引得

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『世説新語索引』 (1959年、高橋清編)

『法華経一字索引』 (1977年、東洋哲学研究所) 

参照

関連したドキュメント

 ここまでで,ba(あるいはdaba)が疑問詞(dogo, naitなど)と共起す

 とにかく, 「オキルネ/」と「オキル/」との,意味論的な質問内容の差異

 まず,潤村(1983:56)は,例示的な用法をもつものとして,「でも」と「など」を比較するもの

4) 伝統服飾とは何か,特に漢民族の伝統服飾とは何かという問題については,山内(2000)「漢 民族の服飾変遷に関する一考察」を参照されたい.

ほんとは makes↑だけど、それすらも省略というか、一般動詞は 全部これでまとめよう!という感じになっちゃってるの。だから make でも play でも go でも、一般動詞だったら

 この金日成のスピーチは,1966年の時点においても

れば, 「から」 を使わずに 「に」 を使うのが一番適切であろう, ⑮は, 「に」 を使えば

 例えばこの時期の資料としてまず挙げられるものとして、禅や儒家の語録がある。こ