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1925年 9 月に執筆、1926 年 6 月 17 日テアトル・デ・ザールにて初演。主な配役:ジョルジュ・ピ トエフ(オルフェ)、リュドミラ・ピトエフ(ユーリディス)、マルセル・エラン(ウルトビーズ)、 ミレイユ・アヴェ(死神)。舞台装置:ジャン・ユゴー。衣装:ガブリエル・シャネル。1927 年 6 月 の再演ではコクトーがウルトビーズを演じる。 書割の背後へ通りぬけられる扉や窓を設けてそれらを劇的な場面のために活用する、そうした工 夫がジャン・コクトーの舞台設定にしばしば施されている。その典型例が『双頭の鷲』(1946 年) と『バッカス』(1952 年)、両方の山場に共通して認められる。主人公の青年スタニスラスによっ て匕首のひと突きを背中にこうむった王妃が、なおも敷居へ歩み寄り、外で始まった軍楽に応える ために威厳をもってバルコニーに姿を現したのも束の間、ついには力尽きてその場にくずおれてし まうのが前者の結末ならば、後者の大詰めでは、群集の怒号を鎮めるために果敢にも露台へ飛びだ した若者ハンスが致命的な矢のひと刺しを胸に受けてふたたび窓から現れ、ほどなくして息をひき とるのだった。室内空間と化している舞台の奥に設えられた開口部は、この閉ざされた場に偽りの 奥行きをあたえるのみならず、その巧みな利用によって舞台上の「内と外」のコントラストをより鮮 明にし、枠取られた虚空の彼方にひろがる「戸外」や、そちら側からしか目撃されえないゆえに観客 の視線からは逃れてしまう決定的な場面へと見る者の想像力を駆りたてることに一役買っている。 常套的という以上に偏愛的と形容してもよいこうした舞台造形の端緒を、コクトー自らが宣伝ポ スターをものしたロシア・バレエ団の演目『薔薇の精』(1911 年)に求めることは、さして的外れ でもない。舞踏会から帰宅したうらわかい娘(タマラ・カルサヴィナ)が疲れのあまり肱掛椅子に 腰をかけるなり心地よい眠りにおちてゆくと、ニジンスキー扮する両性具有の精霊が開け放たれて いた窓から飛来し、あたかも夜会の記憶を呼び覚ますかのごとく乙女の夢のなかで彼女と軽やかな 舞を舞ったあと、ふたたび窓の向こうにひろがる暗闇へと華麗な跳躍で消え去ってゆくという、あ の極めてシンプルな幻想的雰囲気の始まりと終わりを画している架空の存在の出現と退場、それら

ナンセンスに敏感であること

――ジャン・コクトーの古代ギリシア伝説三部作に関する覚書(Ⅱ)――

家 山 也寿生

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一瞬の出来事はコクトーの脳裡にしっかりと刻み込まれたにちがいない。というのも、こうした舞 台装置が『薔薇の精』とは時間的にかなりの隔たりがある上記二作品にまで下って認められうるか らにとどまらず、すでに 1925 年 9 月執筆の戯曲『オルフェ』(1)において、壁面にうがたれた敷居 を介して人物の往来が再現されていたからでもある。すなわち、自宅に迫りくる殺気だったトラキ アの女たちに対して主人公オルフェが死を覚悟のうえでバルコニーへと駈け出していった場面はも ちろんのこと、あの鏡、舞台むかって左手の壁面に据えつけられた等身大のあの姿見までもが現世 とは別の領域への通行を可能にし、この超自然な出入り口をとおって死神とその助手たちが、オル フェとその妻ユーリディスが、そしてガラス売りをよそおった天使ウルトビーズが、生と死のあい だを往き来するのだった。鏡が死の世界にむかって開かれた窓であるという発想とそのあまりに素 朴な舞台造形はまぎれもなくコクトーのものであるが、書割に切り開かれた空間とそこからの不意 を打つ出現というモチーフは『薔薇の精』のものでなくて何であろうか。 もちろん、コクトーのこの戯曲が受胎告知のシーンを着想源にしていることは知られている。 「『オルフェ』の最初のアイディアはキリストの生誕に関する一幕劇で、そこでは天使がヨセフの 大工助手の姿をして登場するのだった」(2)という作者後年の証言から、「出現」のモチーフが詩集 『用語集』(1922 年)に収められた一篇≪村に来たガブリエル≫に痕跡をとどめていると指摘した のはクレマン・ボルガルだった(3)。しかしながら想像力の源をさらに遡って、窓からおとなう天使 ガブリエルが処女マリアに神の子の懐胎を告げる光景を、コクトーが『薔薇の精』のあの印象的な 場面から借用したものと考えることはやはり可能であろう。そもそも「窓から飛来する天使」なる主 題が受胎告知に関する図像系列においてほとんど正統なものでないだけに(4)、窓への執着が『薔薇 の精』との近しさをより確かにする。また、コクトー自らがガブリエルに扮して、マリア役のエチ エンヌ・ド・ボーモン伯爵夫人とともに、天使が処女懐胎を告げる場面をたわむれに演じたことがあ るほどの執心ぶりであり、その時に撮影された写真がアンドレ・ジッドに宛てた手紙(1918 年 1 月 19日付)に同封されてもいる(5)。どうやらアイディアの時期はこの頃にまで遡りうる。 『オルフェ』における奇抜な舞台表現のひとつが通行可能な鏡であるならば、もう一方は物言う オルフェウスの頭である。第一次大戦前のパリの文壇に華々しく迎えられた新参者ジャン・コクト ーを「高踏派・新古典主義の職業を選んだ」(6)詩人であると看破していたのは当時のアンリ・ゲオンで あるが、そうした素養の持ち主であるコクトーの脳裏を(いや、彼に限らずとも誰であれ)、象徴 主義・デカダン文学の偏愛したサロメ伝説、絵画作品ならば無論ギュスターヴ・モローやオディロ ン・ルドンの油彩などがよぎらなかったはずはない(7)。そしてアポリネールの詩篇≪地帯≫を結ぶ あまりに有名な詩句「太陽 首 切られて」にも詩人コクトーは一瞥をくれたであろう(8)、「太陽の秘儀 司祭」(O, 85)を自認していた戯曲『オルフェ』の主人公はトラキアの強暴な女たちによって切り刻 まれ、彼の生首だけが舞台後方の窓から室内へ投げ入れられるのだった。モローの『出現』(1876 年)に描かれた宙に浮かぶ洗者ヨハネの頭部やルドンの同名作品(1883 年)の沈鬱な面持ちをし た人頭のごとく神秘的な後光に包まれることがなかったにせよ、戯曲において実演されるもうひと

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つの「出現」にはやはり世紀末的な記憶の残滓を認めないわけにはゆかない。その反面、舞台上で作 り物の生首が醸し出す滑稽味は、この主題に関する芸術的系譜にパロディという形式で応じている ようにも思われる――この点については本章第三節で論じる。 いずれにしろ、コクトーが表現するオルフェウスの斬首には猟奇的な趣きがまったく欠落してい る。首を切断された主人公の頭部が第十場の人気のない舞台上で死後の不安をいくら声高に叫んで みても、肝心の惨殺行為はオルフェの自宅前すなわち舞台の背後でなされたのであり、室内に投げ 返された嘆く生首の滑稽感をカバーするほどの惨たらしさは微塵も伝わらない。そもそも人物の斬 首にかぎらず全体を通してみても、戯曲『オルフェ』はいわば無菌状態における清潔な、現実味に 欠けた、手品のようでもある死刑執行といった様相を呈しており、さらには生と死のあいだの往来 が鏡面を境にして何とも手軽に実現されるために、死の深刻さがあまりに軽々しく扱われているよ うな印象を観る者に抱かせる。また、オルフェの妻ユーリディスの死を準備する死神の助手二人が 覆面で外科医の格好をしていることなども戯事めいて、真面目な観客の神経を逆撫でしかねない。 もちろん外科手術というモチーフに関して言えば、コクトーの言葉「ラディゲの死は麻酔薬なし でわたしを手術した」(9)を想起しないわけにもゆかない。『オルフェ』の作者自身にとって死から抱 く苦しみは、おのれの肉体に課されるであろう苦痛にではなく、他人の死によって後に遺された者 が深手を負うときの苦悩から来ている。コクトーは、そうした者たちの魂の救済をもとめて、おの れや登場人物たちの身体的生命が犠牲となることを意に介さない。むしろ問題となるのは死者たち のあとを追うために用意される精神的次元での死への通過儀礼であり、霊魂を解放するための肉体 の放棄は可能なかぎり無作為に、結局は滑稽なまでに表現される。くわえて、オルフェの嘆く頭と いう表象には、凄惨さの欠如を補うかたちで詩人独特の連想も働いている。その連想は、いまだ自 分の運命を知らないでいる主人公が何気なく口走った暗示的な台詞――「ぼくたちは暗闇にぶちあ たっているのさ。首まで超自然に浸かっているんだ」(O, 29)に端を発する。意識下、眠り、冥界を 同時に喚起しうる「闇」から突きでた首は水面から顔を出しているように浮かんでいる。しかし人間 の頭部だけが浮かんでいるのではなく、その下には目には見えない胴体が潜んでいるわけだ。 いかにもコクトー流のだまし絵めいた映像であり、ならば同じようなイメージを用いて『詩人の 血』(1930 年)に登場するミューズ、ミロのヴィーナス像を模したこの女神はその見えない両腕で 詩人の運命を弄ぶのであろう。映画の結末部ではこの女神が眩いばかりに白い肌の貴婦人となって 登場し、命を賭けたカードの勝負で詩人を自殺に追い込むと、二の腕まで伸びた黒の手袋をはめて、 彫像であったところの真の姿を明かすのだった。あるいはまた解毒治療日記『阿片』(1930 年)に 添えられた一連の素描、腕や脚を切り落とされた痛ましい者どものフィギュアは、薬物によって四 肢の感覚が麻痺している状態をほのめかしているのでなければ、生と死の領域をつなぐ危険な地帯 を通過したときに何か鋭利な刃物で受けた切断の傷跡を物語っているかのようである。硬い鏡の表 面を通りぬけようとする人体のイメージは、のちに映画『オルフェ』(1950 年)において水銀を使 ってかろうじて表現可能となった手首の映像のように、鏡というギロチンで輪切りにされてしまっ

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た形をとるのであろう。実際、詩人夫妻が鏡を通過する場面を描いた水彩画『オルフェとユーリデ ィス』(1925 年)はそうした想像上の光景を図説している――しかし、コクトーはアンドレ・ブル トン『シュルレアリスム宣言』の有名な一節「窓でふたつに切られた男」からも想を得ているのでは ないだろうか。少なくとも、鏡を通りぬける人間の姿はかくもあろうかという光景は、シュルレア リスムの先導者によるあの鮮烈なイメージを喚起させずにもおかない。 さて、「まだ一週間前は、わたしのことを、経帷子をまとって大鎌を手にした骸骨だと考えてい たでしょう。妖怪だとか、案山子だとかを想像していたのでしょう」(O, 58)と、新米の助手アズラ エルの戸惑いのみならず、観客の軽い驚きまでも見透かすように語る優美な夜会服の女は、戯曲 『オルフェ』の死神である。死神像の定番である骸骨が大理石の彫像を想わせる女に姿を変えてし まったとしても、それは観客の意表を突こうとする作者の悪ふざけからではない。中世ヨーロッパ の死骸趣味から生まれた紋切り型にとってかわり、古代ギリシア的な新たな死神の姿として提示さ れた透き通る肌の女、この人物像もまたエリック・サティの想像力から譲り受けたイメージに準じ ている。コクトーによってその研ぎ澄まされた様式美を賞賛された『ソクラテス』の音楽家が、 「古代ギリシアのように白くて純粋な」作品を作曲して、「白いドレスをまとった四人の歌い手によ って大公夫人のアンピール様式のサロンで朗誦される」ように望んでいたことは第一章ですでに確 認した。そして楽曲の想を得た頃のサティが、東方趣味的郷愁に新たな息吹をふきこんだイサド ラ・ダンカンの舞踏を参照していたのであれば、この秘められた主題系(古代−白さ−清廉な女性) は、ニースの「スタジオ・イサドラ・ダンカン」で催されたジャン・コクトーのリサイタルにおいて確 かに受け継がれたことになる、1926 年 9 月 14 日の夕べ、詩人が『オルフェ』抜粋や新作の詩篇を 朗読すると、舞踏家はそれに合わせて霊感に満ちあふれた舞いを披露したのであるから。 古代ギリシアから大理石の(たとえばジョルジュ・デ・キリコ描くところの)彫像へと、そこから 物質的硬さと優雅な気品を帯びた白さを経て、怪しい魅力を宿した貴婦人につらなってゆくイメー ジの連鎖は、ついにはある種オプセッションとなってひとつの完結をみる。さきにも触れた『詩人 の血』に登場するミューズである。しかも世紀末的想像力がしばしば扱ったモチーフ「命取りの女」 の雰囲気をも漂わせるこのヴィーナスさながらの像、その立像を、悪夢のような鏡の世界から帰還 した主人公は怒りにまかせてハンマーで粉々に打ち砕いてしまうのだった――しかしその後もな お、この白いドレスをまとった宿命の女は『地獄の機械』におけるスフィンクスや『若者と死』(1946 年)の死神に姿形をかえて執拗に現れるであろう、映画『オルフェ』の王女は言うに及ばず。 戯曲『オルフェ』に立ち戻ると、肝心の死神が第六場にのみ登場してそこで果たす役割は間接的 にして微々たるものである。彼女はオルフェの妻を冥界に連れ去るにすぎない。けれども、戯曲の かなめ ... となるこの第六場では、夜会服の女と外科医の格好をした助手ふたりとの挙動に対して作者 の想像力が発揮され、死にまつわる既存のイメージを一掃するに余りある。奇妙な計測器具を用い て儀式の準備に余念のない助手たち、手品師か交霊術師のように目隠しをしてユーリディスの死を 執行する死神、隣の部屋から伸びてくるぴんと張った、おそらくユーリディスの生命を象徴するそ

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の紐を切ると、先端につながれた白鳩(聖霊のシンボル)が飛び去ってゆくという趣向など、いず れも稚拙な見世物に属する発想であり、子供の素朴な感性がなければとても真に受けられない代物 とみなされかねない演出である――もっとも、子供心だけでは十分に理解するには至らないだろう、 大人だからこそ判読できる紋切り型もやはり含まれている。余計な説明をくわえない彼女たちのテ キパキとした作業やその白昼夢のような入退場を目の当たりにした観客が、これら奇妙な光景に憤 慨するか、それとも狐につままれた思いを抱くか、あるいは魅了されさえもするか、彼らの反応は こうした舞台表現を受け入れる感性の柔軟さと知性の寛容に左右されることになる。 死神がオルフェとその妻のあいだに、後者の死というかたちで割ってはいる邪魔者であるならば、 愛情の裏返しである嫉妬ゆえに犬さえ喰わないような夫婦喧嘩にあけくれる二人の仲をどうにか取 り持ち、冥界へ消え去ったユーリディスを連れ戻すため鏡の通過を詩人に教える人物が、ウルトビ ーズと呼ばれるガラス売りにして天使である。「魔法の硝子、天国の硝子」を持っていないことを責 められるあのガラス屋(ボードレールの散文詩≪哀れな硝子屋≫)よりもチャップリン扮する『キ ッド』(10)の偽ガラス売りを思わせるこの人物は、背中にせおった透明の板がほとんど目に見えない 天使の翼を見立てているのみならず、山上昌子氏がコクトーの自画像デッサン集『鳥刺しジャンの 神秘』(1925 年)を踏まえつつ指摘するように(11)、大きな鳥籠をかついだ、オペラ『魔笛』の鳥刺 しパパゲーノの変化でもある。また、ウルトビーズの入場に天使ガブリエルによる受胎告知の場面 が重ね合わせうることは繰り返すまでもない。死神の場合と同じく、神の意志を人間に伝えるため に遣わされるこの霊的媒体のフィギュアにも、コクトーはそこから派生する諸々の形象といわば異 種交配を試みながら新奇な通俗化をおこなっている。 ウルトビーズなる固有名は、戯曲に先んじて、ジャン・コクトーにとって決定的な意味をもつ詩 篇『天使ウルトビーズ』(1925 年 3 月執筆)のなかですでに登場していた。1923 年暮れに夭折した レーモン・ラディゲの面影を偲ばせるこの架空の存在と、詩人は、生と死のあいだに介在するであ ろう特殊な詩的地帯でめぐりあうのだった。戯曲に再び現れる同名の天使はゆえにコクトーのかな り個人的な愛着を示している人物ではある。とは云え、たとえばオルフェ:ウルトビーズ=コクト ー:ラディゲなどという比例式を戯曲の物語内容をもとに成立させてみたところで、然したる作品 解釈の成果を望めはしない。むしろ、伝記的見地からの「テクスト使用」を避けるために、そして既 存のイメージ集を活用しているような痕跡を認めることに甘んじないために、それら以外によって 登場人物たちの存在理由を確約するであろう要素を作品に求めなければならない。またさらに、こ のあまりに人間めいた天使のみならず、アズラエルやラファエルと呼ばれる手術衣をまとった助手 た ち や 死 神 に 対 し て ほ ど こ さ れ た 神 話 的 ・ 宗 教 的 題 材 の 世 俗 化 、 そ の 行 き 過 ぎ ゆ え に 悪 用 (profanation)と断罪されかねない表現、これらを聖なる物語がたどるパロディの末路でしかないと みなして一蹴してしまわないためには、どのようなアプローチの転換と包括的な視点をこの現代化 されたオルフェウス物語のために提示すべきであろうか。もはや≪地帯≫のアポリネールが« Tu

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ている以上、やはりコクトーには神話の再説にともなう刷新の意欲が求められたはずだ。 ともかくも、物語内容そのものに関する解説や分析は極力避けながら、『オルフェ』を特徴付け る四つのモチーフを個々に取り上げた。こうした切り口によって、この戯曲をオルフェウス神話の 現代的翻案とみなすに終止していては決して明らかになりえない側面が浮き彫りになった。すなわ ち、ジャン・コクトーの想像力あるいは発明の才にも芸術上の系譜があり、『オルフェ』は過去の蓄 積から引き出されうる素材を独自に加工してできた混成物――アマルガム、否定的に言えば寄せ集 め――なのだ。明らかな影響関係が以上の踏査から一つひとつに関して認められたとは断定できな いにせよ、この作品に散りばめられた形象が「無からの創造」でもないことは確認されるだろう。 その一方で、戯曲はこれらの要素を凝縮したコンパクトなまとまりを成している。いかにもコク トーの表現スタイルである素早い筆致のデッサンに似て、全体を瞬時に把握し構成するヴィジョン が『オルフェ』にはあったようにも考えられる。次節以降では、第一場から始まって第十三場で終 わるという手順で『オルフェ』を要約するかわりに、さながら一筆書きの絵をなぞるように物語形 成の過程を仮想してみることから始めて、その全体像を探ってみたい。 ジャン・コクトーによって一新されたオルフェウス物語を、必ずしもその再生の出発点において ではなく、むしろその成立を保証している結節点において着目するならば、たとえばあまりに気ま ぐれで非現実的なためにその舞台表現が困難とさえ思われる要素、すなわち鏡を介して死の領域へ の往来が可能になるというファンタジーの側面をまず取り上げることができる。これは実際、「も し鏡を通りぬけられるならば∼」とか「もし鏡が死への入り口であるならば∼」といった仮定なくし ては戯曲『オルフェ』における冥府下りが再現されえなかっただけに、無視しえない要素なのだ。 そもそも、「もし∼だったら、どうなるか」という仮定疑問は、空想を働かせる場合にみられる初 歩的な技法である。しかも発想の出発点が素朴であるだけに、このファンタスティックな仮定法か らは無数の物語がそれぞれの論理にしたがって枝分かれしうる。「こうした仮定の内部では、すべ てが論理的であり人間的であるし、さまざまな解釈に向かって開かれた意味が充満していて、象徴 は自立的な生を生きている。そして、それに合致する現実はいくらでもある」と述べたのは、『ファ ンタジーの文法』を著したジャンニ・ロダーリ(12)であった。ならば『オルフェ』に関心がある者に とって、コクトーが足掛かりとした“ファンタスティックな仮定”から、何らかの論理にもとづい て選び取られていった象徴に導かれつつ話の道筋が構成されてゆき、現代を舞台にした架空のオル フェウス物語となった、と推測してみることもできる。ロダーニはまた、この種の仮定が“ファン タジーの二項式”の固有事例であるとも指摘している。たしかに、「もし鏡が死の世界に通じてい るならば∼」という仮定は「鏡」と「死」の接近の試みでもあり、想像力はこれらに類縁関係を見出そ うと、それに合致する現実を選択する。もちろん、「鏡と死」という二項目の場合には、ナルシスの 主題が二つのあいだに「水面」という補助線を引いてしまう西洋の想像力と記憶にとって、それほど

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斬新な異化作用をもたらしはしない。それゆえに『オルフェ』の事例もさほど独創的でないものの、 やはりこうしたイメージの連関に促されてコクトーの関心が受胎告知とキリスト生誕の物語からオ ルフェウス神話の再話へと移行していったことは押さえておく必要がある。 そこから作者の想像力は、「鏡を介した生と死のあいだの往復」という主題にふさわしいモチーフ を伝統的なオルフェウス神話から取り上げる。すなわち冥界からの妻の奪還、および愛する対象に 一瞥をくれることの禁止である。さらに、擬人化された「死」を鏡から登場させたり、鏡からの冥界 への侵入をオルフェに教える天使がガラス売りの格好をすることで、二項式の絆は補強される。あ るいは、この信憑性を何としても確保しておくために、空想は連鎖的にいくつかの物語展開や人物 像を自然発生させる。こうした連想は、何らかの寓意に立脚する以前にひとつの論理、言うならば ファンタジーの思考法に支えられている。その物語がどれほど非現実であろうとも、『オルフェ』 の筋立てにもやはり想像力を働かせるための論理的基盤があるのだ。 コクトーによって現代化されたオルフェウス物語、その根底にファンタジーの論理があることは 確かであろう。しかしながら他方、空想の力を借りて自律的に決められていった大筋のあとには、 人為的に物語の細部を調整する必要も生じる。つまり創作は途中から徐々に辻褄あわせの様相を呈 してゆく。たとえば、オルフェが妻の救出のために鏡から侵入する口実を設けねばならない――誰 もが鏡を通りぬけてハデスの支配する世界に足を踏み入れるというわけにはゆかないのだ。そこで、 死神がオルフェの自宅に忘れていったゴム手袋をはめればよいという条件を付け加えることにす る。あるいはまたトラキアの女たちによって詩人が八つ裂きにされる挿話を盛り込むために、これ ら現代のバッカントたちが詩人を殺害する動機を用意しなければならない。そこで、詩のコンクー ルにオルフェの応募した詩句« Madame Eurydice reviendra des enfers »が彼女たちを侮辱する言葉

« MERDE »を含んでいるという伏線が張られる。しかもこの詩句は、オルフェが戸外で出会って自 宅に連れてきた白い馬から、その足踏み回数をもとに書き取ったものであり、実はこの馬とは死神 が送りこんだ一種の悪魔、よってすべては宿命あるいは死神の差し金だったという展開になる。こ のような筋書き設定は、既存の伝承を創作の下敷きにすることで自由な空想力が制約されるという 事情に比例して細部がますます作り話めいてしまう、そうしたケースともみなされうる。 『オルフェ』のおとぎ話が単なる空想の域にとどまらず独自の正当性を得ること、そのためにコ クトーが怠らなかった配慮が場合によってこのような作為と映りかねないにしろ、もちろん消極的 な側面ばかりを露呈させているわけではない。ファンタジーの論理や物語内での辻褄合わせのみな らず、作者はこの空想的な物語を劇中の現実世界と接触させることによって虚構内部でのリアリテ ィを高めようとしている。それは、空想科学小説にみられる奇想が発明対象を擬似科学的に描きな がら説得力を保とうとする手法にいくらか似ている。「いくらか」、なぜならば『オルフェ』のファ ンタスティックな物語は現実に適合しようとするのではなく、その裏をかこうとするからである。 劇中の現実世界に属する人物として第十一、十二場に登場する警部と書記はオルフェ死亡の件を 調査する任を負っている。神秘の存在など端から信じていなさそうな警部は尋問を受けていたウル

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トビーズが突如いなくなってしまった変事――天使は、冥界に戻ったユーリディスに鏡の向こうか ら呼ばれてそこから退場したのだった――にも怯むことなく、雲隠れの形跡を室内に探ろうとする。 書記のほうは事態の不可解さを「奇跡的」と形容する。いずれにしても両人においては、神秘を受け 入れることができないこと、鏡を通って生と死の世界を往来するという現象があたかも手品のトリ ックのように現実の見えない部分で働いている事実を見抜けないでいることが明らかである。 コクトーは、まるで最初からマジックの種明かしをするかのようにひとつの神秘を提示しつつ、 「今、ここ」である現実とは異なる領域がそれと鏡一枚で隣接し、時には両者間の交通が成立しうる ことを観客に示そうとしている。警部らの登場こそは、現実と神秘のコントラストを際立たせ、ゆ えに前者との補完的な関係から後者の存在感を観客に印象付けることに貢献している。よって『オ ルフェ』で描かれる「神秘」はけっして幻想的なものではなく、現実世界の隠れた一面をなす「謎」の 類であり、表層から真相を究明する探偵小説の趣向に近い。にもかかわらず警部と書記はオルフェ 夫妻の、三面記事に類する出来事の不可解さを解くことができないままに退場してしまうのだった。 作者はむしろ、観客の前では神秘の種明かしをしてみせながらも、舞台上の現実世界でそれを解決 させないでおく。彼は、客席の暗がりにひそむ目撃者としての観客たちと一種の共犯関係を築こう とする。その合意のうえで舞台空間を二元化し、現実の横糸をなすもうひとつの世界の存在―― 『オルフェ』においてそれは死の世界である――を彼らに認めてもらおうと工夫を凝らす。 当時の観客が『オルフェ』に理解を示しえなかったとしても、その要因が稚拙さの印象をぬぐい さりにくい発想と舞台造形ばかりにあったとは言えない。幽玄な神秘なり犯罪小説的な謎が、この 戯曲では白日の下にまざまざと提示されていることに対する当惑にも起因しているにちがいない。 それは、コクトーが「神秘・謎 mystère」を薄暗く幻想的な怪奇的でさえある雰囲気のなかでではなく、 極めて簡潔にユーモラスに日常の光景のなかで舞台化していたことを意味する。『ジャン・コクトー の作劇術』を著したピエール・デュブールの寸言を借りれば、「登場人物たちはそこ[極めて早く厳 密なこの芝居]で夢幻劇の規則に従ってはいるが、どれほどの現実感でジャン・コクトーが非現実 的なものを表現していることか注記しておかねばならない。ポエジーは正確である。偽りの詩人た ちに馴染み深い物憂さやとりとめのない夢想を、ポエジーは避ける」(13)のだ。 ところで、警部たちの登場に言及したこの機会に付け加えておいて適当と思われる事柄がひとつ ある。あくまで冷静さをつくろったこの上司は退場間際、「なんて出来事だ!」 « Quelle histoire! » と叫ぶ書記にむかってこう言い切っている、「いささかも問題などありはせん。君はいたるところ で事を面倒にとるのだな」 « Il n’y a pas la moindre histoire. Vous voyez partout des histoires. » (O, 118) と。作中の会話において「事件・問題・出来事」や複数形で「悶着・もめごと」を意味する« histoire »であ るが、この文章はまた別の意味に解しうる。戯曲のなかでいくつかの言葉遊びを採り入れてみせた

ジャン・コクトーは(14)、ここでも警部の台詞が喚起するもうひとつの文脈に鋭敏であったにちがい

ない。というのもこの「イストワ―ル」がもつ「作り話・うそ」という意味でこれを解せば、警部の発 言を「作り話など微塵もありはしない。あなたたち観客はいたるところにうその話をみるのだな」

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(これは嘘偽りのない話ですよ、どうか信じてください)と読みうるからであり、まるで観客たち の「なんて出鱈目だ!」という反応を先取りして作者がうった布石のようであるからだ。うがった見 方をすれば、コクトー自身もその新奇なオルフェウス物語が作り話めいていることをいくらか察し ていた、あるいは十分承知してさえいたからこそ、こうした自嘲気味の弁明が可能だったように読 みうる。それだけに、話そのものが非現実的で、登場人物の心理に真実味がまったく欠如し、舞台 表現も突拍子のない『オルフェ』になにか本当らしさを求めることなどやはり無理なのである。 では、人物の心理描写や観客の広範な好みなどに甘んじようとはしなかったジャン・コクトーに とって、舞台芸術の人工的な真実味を請け合う要素とは何であったのだろうか。放棄された「本当 らしさ」はともすると極端なパロディやバーレスクなものに取って代わってしまう。しかし『オル フェ』の作者は、根底から演劇の枠組を打ち崩すほどに何か荒唐無稽な芝居を狙っていたのでもな く、ひとつのギリシア神話をもとにして「死についての瞑想」――これには次節冒頭で触れる――を 表現しようとしていたのであった。とは云え、このテーマをあまり深刻に扱おうとしていたのでも なかった。「コクトーはおそらく二つの障害物、滑稽さと大言壮語とを避けている。一幕全体はス ピーディで、無駄な言葉もなく、見事な一貫性をもっている。上演時には、その簡潔さによる演出 が実際に深い印象を観客たちに引き起こしたのだった」(15)と、コクトーのこの芝居に対して好意的 な観客であろうとするジャック・ブロッスは述べた。古代ギリシア伝説の現代的なアレンジは『ア ンティゴーヌ』ですでに試みられていた。荒削りな印象を免れない翻案を補うかのように採用され 徹底される簡潔さと素早さは 1926 年の戯曲にも遺憾なく発揮されている。だが、あくまでソフォ クレス作品の縮小版であった『アンティゴーヌ』と、何かひとつの代表的な文学作品に物語が定着 していないオルフェウス譚から想を得ている『オルフェ』とでは、やはり簡潔さの質は異なる。前 者ではテクストの切り詰めそのものが目的であり、そこから舞台表現としての無駄のなさも生じて いたのに対して、後者のスピード感は物語を成立させるための必要条件ないしは手段であった。一 連の挿話が論理的に、時には辻褄あわせのように配置されているという観点からみてこそ、うえに 挙げたブロッスの指摘はより説得力をもつだろう。すなわち『オルフェ』が有する展開の素早さ、 無駄の排除、一貫性は、もとより作り話になりかねない物語に余計な肉付けをおこなうことで却っ て辻褄があわなくなってしまうのではないかというような、目に見えない危険と隣り合わせであっ たにちがいない。何らかの露見しうる欠陥は様式の徹底によって排除されているのである。 無論こうした判断を下すことに作品の出来映えを不当におとしめる意図はない。積極的なもうひ とつ別の評言を引用して中立を保っておくならば、再びピエール・デュブールに示唆をあおぐこと が適当である――「作者は、劇の進行が再現する緻密なメカニズムの表現を学んだ。『オルフェ』の メカニズムは完全に整備されている。劇の筋とまとまりは幕が下りるまで緩まない」(16)。本論はこ こまでのところ主要なモチーフばかりを摘出したり物語の構想経緯を想定したりすることに意を注 いできたが、筋書きの統一感に対するコクトーの巧みさをも評価するべきであろう。物語の自律性 に対する配慮あってこそ、複数の形象や挿話を組み合わせながらも単一の筋書きを構成することが

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可能であったにちがいない。そして劇のまとまりを維持するこうした方向性から、コクトーはやが て最もシンプルな上演形態の『声』(1930 年)を実現し、『恐るべき親たち』(1938 年)が書かれた 時には、演劇は何よりもひとつの「筋立て action」であらねばならないと明言して、たとえば登場人 物たちの役割をほぼ均等に配分する(17)。そうした後々の創作経緯に照らしてみれば、1926 年の戯 曲において彼の作劇術の基礎が確立されているとやはり認めないわけにはゆかない。 (18) ところで時は下って 1951 年、アンドレ・フレニョーとのラジオ対談のなかで戯曲『オルフェ』に 話がおよんだとき、ジャン・コクトーはこの作品を「なかばファルス、なかば死についての瞑想」(19) と要約することになる。「死についての瞑想」という表現そのものは、『ジュルナル・ド・デバ』紙 1926年 7 月 2 日号の劇評で『オルフェ』を評したアンリ・ビドゥ(20)に負っており、この劇評を読ん だにちがいない詩人も 1927 年 12 月 7 日に行った講演会の最後を次のように締め括っている、「わ たしたち共通の友人アンリ・ビドゥは『デバ』紙上で以下のように書き、この作品の真の意味を要 約してくれました、“間違ってはなりません、この『オルフェ』は死についての瞑想以外の何もの でもないのです”と」(21) 。ビドゥの至言に意を強くしたコクトーは、観客なり読者が『オルフェ』 の斬新すぎる発想と滑稽すぎる造形とのうちに隠されている死の主題に鋭敏であることを示唆のか たちで要求し、あるいはまた形式の軽さと内容の重さのあいだで作者とともに均衡を保つことを請 うている。「一幕と中入からなる悲劇」という一見して奇を衒っているようにしかみえない副題がこ の戯曲に付されたこともそうした要請の表れであろう。コクトーは表現形式の軽妙さによって反比 例的に、物語内容に込められている悲痛な面持ちを滲ませようとしたのだった。 ならばこうしたコントラストをより鮮明にするためにも、『オルフェ』がファルスと定められた 根拠を見極めておく必要がある。1950 年に映画『オルフェ』を撮影したばかりのコクトーにとっ て、それより四半世紀も昔の戯曲などほんの戯れ・悪ふざけ(farce)にすぎなかったと事後的に事を 片付けて言うのであれば、その程度の発言を真面目に受け取ることもない。しかし、1920 年前後 のジャン・コクトーが『パラード』や『屋根の上の牡牛』、『エッフェル塔の花嫁花婿』といった奇 抜で、上演じたいが戯事めいている舞台造形を手掛けてきただけに、それらの延長線上にある『オ ルフェ』の笑劇(farce)としての側面を単なるいたずらに帰してよいなどと一概にも言えない。 ここで第一次世界大戦後のフランス演劇にしばし目を転じて、そもそもあの頃にファルスがどの ような舞台芸術あるいは演芸とみなされていたのかを見ておくならば、戦時中からブームを巻き起 こしていたサーカスの話題性を疎かにはできない。たとえば、コクトーのテクストにおいて「ファ ルス」なる言葉が初見されるのは、1919 年の春から夏にかけて『パリ・ミディ』誌に連載されてい た彼の文芸時評、その 4 月 7 日付記事においてである。このなかで彼は、フラテリーニ三兄弟がメ ドラノ・サーカスで演じる出し物「ビリヤード・ファルス」を観にゆくよう、読者に勧めていた(22) ジロラモ・メドラノ(1849 年-1912 年)によって 1897 年に旗揚げされたメドラノ・サーカスは、

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1912年に座長が他界したため一度は解散したものの、フラテリーニ兄弟が 1915 年に再興し、サー カス人気に拍車をかけたのだった。レーモン・ラディゲの遺作となった小説『ドルジェル伯爵の舞 踏会』冒頭部分にもメドラノでの観劇に関するくだり―― 「1920 年 2 月 7 日土曜日、この仲間二人 はメドラノ・サーカスにいた。そこでは素晴らしい道化師たちが劇場の観客を魅了していた」(23) ―があり、当時の演劇活動に取って代わるほどの盛況ぶりがうかがわれる。もちろん、肝心の演劇 がサーカスと何の接点も持っていなかったわけではない。すでにジャック・コポーはフラテリーニ 兄弟に強い関心を寄せ、しろ塗りの道化師に扮するフランソワを招聘して役者たちの演技指導を行 うこともあった。ファルスに寄せるコポーの熱意は、戦時中のアメリカ巡業で演じられた『スカパ ンの悪だくみ』にひとつの実を結び、このモリエール作品は、再開されたばかりのヴィユ・コロン ビエ座で 1920 年 4 月 27 日に上演される。また、コポーの取り組みは彼の学び舎で育った二人の演 出家、ルイ・ジュヴェとシャルル・デュランに受け継がれてゆく。たとえばデュランは、1923 年 5 月に行った講演の終わり部分でこう述べている、「思うに、戦争はロマンチスムを殺してしまいま した。夢想、この魅力的な気晴らしには、売り買いの場となってしまった人生に占める場所はもは やありません。[…]こうした状況において、感受性の強い人々にとって演劇の避難場所とはファ ルスなのです。というのも笑いは神々しいもののなかで常に残るでしょうから。[…]奔放なファ ルス、とげのない冗談こそがわたしたちを救うでしょう」(24)。演劇の革新と育成にひたむきなコポ ーとは肌合いが異なり、しかも戦争の過酷さを前線で体験していたこの独立精神あふれる演出家に とって、笑いの必要性はもっと切実なものだった。「避難場所」、「神々しいもの」、「奔放な」、「救 う」といった言葉に、塹壕での生活の記憶がいまだ生々しい彼の、笑いの渇望がうかがわれる。 シャルル・デュランは、うえの講演内容が『ルュヴ・エブドマデール』誌に掲載される数日前、す なわち 1923 年 6 月 14 日に「アトリエ座ミュージック・ホール」と銘打って、モンマルトル劇場でレ ヴューやパントマイムの興行を始める。また、その半年後 12 月 18 日にはマルセル・アシャール最 初の戯曲『あたいと遊んでくださる?』を上演して好評を博する。まさにサーカスのピストを舞台 とするこの作品では、道化芝居さながらに同じ台詞を二人で繰り返しあったり相棒の尻を足蹴りし たりする行為が観客大衆の腹をおおいに捩らせた……にちがいない。演技にあたってはここでもフ ラテリーニ兄弟の指導を受け、アルベール・フラテリーニ演ずるところのオーギュスト役とおなじ 大袈裟な化粧を登場人物の一人に採用していた。このようにいくつかの例から概観するだけでも、 当時のファルスがサーカスの道化芝居に息づいていたと考えるに十分であろう。 ジャン・コクトーに本題を戻すと、彼自身がファルスなるものを上演する考えを抱いた時期は 1919年末から翌年始めにかけて『屋根の上の牡牛』を企画していた頃であり、その出演者こそ紛 れもなくフラテリーニ兄弟をはじめとする道化役者たちであった。エチエンヌ・ド・ボーモン伯爵が 主催する「パリの夕べ」(於コメディ・デ・シャンゼリゼ)においてわずか三夜の興行―― 1920 年 2 月 21 日特別試演(ちなみにプルーストも足を運んだ)、22 日一般公開、23 日負傷兵慈善公演―― が行われたこの「パントマイム・バレエ」の初日、コクトーは『コメディア』紙上に、この薄命の演

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目に関するしかしながら興味深い文章を寄せている、「数世紀来、わたしたちフランス人のファル スはイタリア喜劇の登場人物たちに頼って生きている。ところでシネマトグラフによって、わたし たちは新しいタイプのファルスを徐々に認めつつある。それらは劇場で用いられるに値する。『パ ラード』にはまだ文学が、意図が含まれていた。今回は主題を、象徴を避けた。なにも起こらない、 もしくは起こっていることがとてもお粗末で、とても滑稽なので、なにも起きていないかのような のだ」(25) 。この文面からはそっくりそのまま三つの要点が剔出される。第一に、登場人物のおどけ た言動にこれまで依存してきたファルスは、それ以外の要素で新しくなりうること。次に、そのき っかけとなる表現手段が映像芸術なのだが、ここでおそらくアメリカの事情と比較判断されている のであろう、むしろ演劇が(フランスでは映画に関する技術や産業体制の不備・遅れからか)当面 その役割を担うにふさわしいこと。そして、ファルスの本質をなす事柄とはコクトーにとってテー マや象徴の排除、ゆえに無内容であること、あるいは徹底してくだらない内容であること。 そしてジャン・コクトーは、うえで言及している「シネマトグラフ」においてアメリカ喜劇映画、 とりわけチャップリンのこと(26)を念頭に置いている。そもそも『屋根の上の牡牛』を企画するきっ かけとなった音楽を、当初ダリウス・ミヨーはチャップリン映画の伴奏に用いられることを思いな がら作曲したのだった。フランスでは 1916 年から公開されはじめ、「シャルロ」の愛称で親しまれ たチャップリンの映画に関して、コクトーはさきにも挙げた『パリ・ミディ』紙連載記事 1919 年 4 月 28 日号において最近作の『担へ銃』に触れており、主人公が大木に変装して単身敵陣に乗り込 む抱腹絶倒の場面を「叙事詩的」とまで形容するほどの気に入りようであった。 ならば、あの一兵卒の安上がりでお粗末なメタモルフォーゼが敵兵たちをいとも容易く騙しおお せてしまう滑稽さこそ、コクトーが求めるファルスの手本のひとつになったと推察される。もちろ んあの映画の場面は物語の一挿話であり、そのなかで観客の笑いは話の展開をけっして乱すことは ない。しかしそこからコクトーは、芝居向けにファルスのエッセンスを抽出しようとした。その真 髄こそ、舞台上で展開されている出来事からあらゆる主題や象徴や寓意、つまり意味を取り除いて しまうことであり、ひいては、舞台のうえで意味のない造形的な何かが提示されている事態の可笑 しさを、意味を欠いた舞台表現そのもののナンセンスを前面に押し出すことである。笑いはもはや 観客の知性を心地よく裏切る要素ではなく、それ以前に、一貫性のある物語内容を無効にしてしま う前提条件となる。結果として、登場人物の身振りや台詞回し、発言の逸脱した内容など、なにが しかの物語にうまく嵌め込まれてしまうコミカルな人物の造形とはまったく関係がなくなる。 こうした方向性は次の作品、1921 年 6 月 18 日初演のバレエ『エッフェル塔の花嫁花婿』でさら に押し進められる。本来の『オルフェ』論のためにもしばしの逸脱がやむをえない以下の作品解説 において押さえておくべきポイントは二つ、安上がりな造形表現と言葉遊びの活用である。 舞台両脇では、蓄音機の格好をした人物二人が場面解説と登場人物の台詞をうけもっている。そ れらの畳み掛けるような話し方にみなぎるおどけた調子もさることながら、物語展開のナンセンス も引けを取らない。幕が上がるとまず一羽のダチョウ(張りぼてをかぶった踊り手)が通り過ぎる

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のだ。猟師が追いかけてきて狙い打つものの、天井から一通の電報が落ちてくる。このような場面 において軽い不意打ちとともに笑いを誘うのは、このダチョウが、シャッターを切るときの掛け声 「小鳥が飛び出しま∼す」に続いてカメラ・レンズから飛び出してきたという荒唐無稽な説明であっ たり、頭上から落ちてきた電報が「届いたばかりの電報 une dépêche qui vient de tomber」という表現 をそのまま視覚化したこと、しかもその電報が、いまでは無線通信の重要拠点たるエッフェル塔の 鉄骨に、まるで網にかかった鳥のように捕らえられていたというイメージであったりする。 こうして、エッフェル塔の支配人に宛てられたその電報が結婚式の依頼を告げると、やおら花嫁 花婿たちの入場となり本格的に事が進展してゆくのだが、ダチョウが飛び出してきてからというも の、調子が狂ってしまった写真機からは、撮影を試みるたびに珍事が発生する。まずは水着姿の若 い女が出現して踊りだし、次には新婚夫婦の未来の子供が登場してダダをこね、しまいにはライオ ンが現れて参列者のひとり将軍を喰ってしまうという始末。事態はダチョウが写真機のなかに戻っ てくれてようやく収まり、晴れて結婚式の記念写真が撮影されるのだった。なお、その直前に再び 現れたダチョウはいまだにハンターから追いかけられていたのだが、機転を利かせたカメラマンが この鳥の頭に目深に帽子をかぶせてやり、猟師からは見えなくしてやったのだった――というのも 古い言い伝えでは、ダチョウは頭を隠して危険から逃れようとするからである……。ともあれ、こ うして最後の場面を迎える。全員が巨大なカメラのなかに入り込むと、蛇腹の部分が伸びてくる。 その側面に切り取られた窓枠から一同がハンカチをふって別れを告げる。しかし、蛇腹の下からは 歩いている彼らの足が露わなまま。すなわち正常に働く写真機(l’appareil qui marche)とは同時に「歩 く機械」であり、エッフェル塔のプラットホームとはこれすなわち駅のホームであって、かくして 写真機は出発する汽車の車両に早変わりし軽快なリズムにのせて退場してゆくのでありました。 舞台上で繰り広げられる光景の突拍子のなさ、内容らしい内容のない物語のナンセンス、その徹 底ぶりは『パラード』と『屋根の上の牡牛』の延長線上にある。しかもこの『エッフェル塔の花嫁 花婿』には、ナンセンスを物ともせず何事かを次からつぎへと上演可能にしている新機軸が加えら れている。それが、冒頭と最後の場面において典型的にあらわれているように、言葉、とりわけ決 り文句の意味を字義通りにとって視覚化すること、そこから物語の一貫性によってではなく、言葉 とイメージの自由な連想によって別の状況へと飛躍させてゆくことである。常套句の慣例的な意味 と、その表現に文字通りの形を与えたときのありさま、これらの戯れ/作用こそ、意味を欠いた舞 台造形の根拠となっている。こうして、観客は舞台そのものの滑稽さを面白がることができるのみ ならず、その裏側で働いている機知、さらには両者のあいだの落差を愉しむこともできる。

エッフェル塔というフランス人にとって「共通の場所 lieu commun」を場面として「写真 cliché」撮 影をモチーフに展開する物語において「決り文句」の復権とでも呼ぶべき言葉の働きを舞台表現の拠 り所となし、登場人物たちの台詞や進行状況の解説を二つの蓄音機に受け持たせ、バレエ・ダンサ ーはというと同時にパントマイムの役者か無声映画の登場人物でもありえるという複合的な工夫、 それは 1922 年になってから書かれた序文にもうかがわれる。

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ブフォヌリーの精神が幽霊ども(大衆がポエジーと呼ぶところのものをわたしはここで幽霊と呼ぶ のだが)に不似合いな照明を含んでいるのみならず、またモリエールがその韻文劇以上に『プルソー ニャック』や『町人貴族』において詩人としての才覚を発揮しているのみならず、唯一ブフォヌリー の精神こそがある種の大胆な試みを可能にするのである。[…ロシア・バレエ団やスェーデン・バレエ団 によってフランスで生まれようとしている新しい演劇ジャンルは]その道の開拓者たちに大きく門戸 をひらく革命なのだ。若手らがこうして続けてゆくことのできる探求において、夢幻劇、ダンス、ア クロバット、パントマイム、ドラマ、風刺劇、オーケストラ、台詞が組み合わされて、未曾有の形式 のうちに再びあらわれる。かれらが大した資金もなく演ずるものは、公認の芸術家たちからは舞台裏 のにわか芝居と受け取られるだろうが、それでもやはりポエジーの造形的表現なのである。(27) 同一である二つの言葉をはっきりと区別するような説明がここに施されていないにせよ、詩情や 幻想を醸し出す「ポエジー」に反して、演劇表現の刷新を可能とする「ポエジー」の造形的性格が重視 されていることは明らかである。そしてこうした「大胆な試み」のために不可欠なものこそ「ブフォ ヌリーの精神」なのだ。作者のオプティミスムが『エッフェル塔の花嫁花婿』をして演劇ジャンル の新しい方向性を謳い上げる先駆的な作品に位置付けようとする狙いも容易く看取されるのだが、 そうしたマニフェストの戦略的性質はともかく、演劇における彼の試みが一貫して舞台の造形的側 面に注がれてきたことを考慮すると、この「スペクタクル」に認められる大胆さとは、決り文句を文 字通りに視覚化してみせたことに、そして内容がどれほど荒唐無稽になろうとも、文字表現やイメ ージの連鎖にまかせて出来事を展開させてゆく「ポエジーの造形的表現」にあったのである。あるい はまた、笑いの要素を人物の所作や発言にではなく舞台上で表現されるもの自体に置いた点で大胆 なのであり、しかもその表現を、あのふにゃふにゃの大木に変装したチャップリンのように、大枚 をはたかずにあえて安っぽく実現してみせることにもひょうきん者の大胆さがあるのだ。 さて、『エッフェル塔の花嫁花婿』に続くジャン・コクトーの道化芝居は、当然あの『アンティゴ ーヌ』を除外して 1926 年の『オルフェ』まで待たねばならない。ならば時間的な隔たりにも注意 を払いながら、以上のようなファルスに対するコクトーの取り組みがどの程度『オルフェ』にまで 及んでいるか、いよいよ検証してみる段とこれあいなった。 当初キリストの誕生にまつわる一幕劇として着想された『オルフェ』は、『用語集』の一篇≪村 に来たガブリエル≫を傍証として、1922 年頃からコクトーの計画にあるとされてきた。しかし、 彼自身が天使ガブリエルに扮して受胎告知の場面を撮影した 1918 年の写真、そして「何人もの専門 家を前にして自分の職業をよく知らないというのは我ながら恥ずかしいことで、だから戯曲をひと つ(『オルフェ』)書いてもよいかと思ったのも、七年間の研究を経て、パントマイムと翻案という 口実のもとでしかなかった」(28)という当時の証言を鑑みれば、計画の端緒はやはり『オルフェ』執 筆の七年前に遡ると考えられる。つまりはこの戯曲を 1925 年 9 月執筆の即興的な作品と考えず、 より大きな時間幅において熟していった作品とみなしうる。『薔薇の精』の精霊ニジンスキー、『ソ

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クラテス』の独唱歌手ジェーヌ・バトリ、古代ギリシアの清純さを漂わせる舞踏家イサドラ・ダンカ ン、『キッド』の鏡売りチャップリン、彼らの残影が『オルフェ』中に認められることはすでにみ てきた通りである。そしてこれは、一時の思いつきだけでは一作品中に一気に凝縮しえないほどの 時間の蓄積をこの戯曲台本から認めるに十分な証左でもある。 さらにまた、トラキアの女たちによって八つ裂きにされ舞台背景のベランダから投げ入れられる オルフェの首、それはもちろんオディロン・ルドンやギュスターヴ・モロー描くところの『出現』を 陳腐に舞台化したものであったが、それだけでなく、実はサーカスで演じられたギロチン刑の道化 芝居を真似たものではないか。註の欄に掲載しておいた写真(29)の人物は、メドラノ・サーカスを旗 揚げしたあのジロラモ・メドラノであり、彼は 1870 年代半ばからすでに人気を博していた道化師で あった。撮影時期不詳のこの写真からは、新世紀に入った時期の幼いコクトーに同じような出し物 を観劇する機会があったかどうかまでは定かではないにしろ、首切りをテーマにしたファルスがか つて存在したことは認められる。また、並べて載せたデッサン(29 bis)のように 1903 年にはまだこの 種の演目が――ここでは床屋という場面設定で転用されている――雑誌挿絵として存在したこと、 さらにはフラテリーニ兄弟ほか道化役者を出演者とした『屋根の上の牡牛』、禁酒法時代のアメリ カの地下酒場を舞台にしたあのパントマイムにおいても、巡回にきた警官にむかってバーテンダー が天井の扇風機を下降させ、回転する翼でその首を切断すると、赤毛の女性がこれを持ってサロメ よろしく舞を舞うという場面があったことを考え合わせると、戯曲『オルフェ』の首は必ずしも世 紀末的な想像力の残滓であるだけでなく、サーカスの出し物とそれ相当の関係があったはずだ。 サーカスとの近しさについてはさらに指摘すべき点がある。死神と助手たちの三人組を、物事の 進行役、その補佐役、不器用な下っ端というトリオとして捉えるならば、それはまさにフラテリー ニ兄弟が確立した道化芝居の新しい形態(クラウン、オーギュスト、コントル・オーギュスト)を 思い起こさせる。同じように、第十一場に登場する警部と書記のコンビは、フッティとショコラ、 白人のあるじと黒人の召使が繰り広げる幕間劇の系列に属するのではないか。あるいはまた、第六 場で死神がユーリディスの死を執り行う場面では、太鼓の響きが伴う。それはサーカスの綱渡り師が 転落するという息を呑む場面で緊迫感を煽るために用いられる音響効果に想を得ているだろう(30) そうした例を列挙してみると、これまで単に古代ギリシア神話を現代的に翻案した戯曲としかみ なされてこなかった作品は、そのあり方を大きく変える。各場にひとつずつ出し物が割り当てられ ているのではないにしろ、『オルフェ』もまた以下に一覧として挙げるような演目の一続きであり、 それぞれの芸がオルフェウス物語という素地のうえで次々と披露されてゆく、その一連の光景を眺 めることも観客にはできるはずである; 第一場:足踏み回数で文字を伝える馬(動物芸) 第二場:鏡売りに扮した天使の登場(受胎告知や『薔薇の精』、『魔笛』の鳥刺しや『キッド』 の鏡売りのパロディ) 第四場:宙に浮く鏡売り(瞬間芸)

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第六場:死神と二人の助手のトリオ(フラテリーニ三兄弟の道化芝居) 太鼓のトレモロ(息をのむ危険な場面を引きたてる聴覚的効果) 第八場:中入りの挿入 第十場:首切り(ルドンやモローの『出現』のパロディやサーカスの道化芝居) 見えないオルフェを連れて鏡のなかに退くユーリディス(パントマイム) 第十一場:尊大な上司とのんきな部下のコンビ(フッティとショコラ)(31) ゆえに古代ギリシア神話の翻案は、新しい舞台表現を模索していたジャン・コクトーがサーカス の趣向を取り入れるための「口実」にすぎなかった。あるいはむしろ、上記の見せ場こそが物語のア クションをつなぎあわせる結び目であった。戯曲『オルフェ』はもっともらしい筋書きを持ち、登 場人物たちもそれぞれの役割を担っているが、物語を展開させるのはそれらだけではなく、また 「死についての瞑想」という主題ばかりに固執して深刻な面持ちをする必要ももはやない。以上の雑 多な要素をすべて考慮してこそ、悲劇的内容とファルスの外貌とのあいだで保たれているこの作品 の均衡が、そしてジャン・コクトーの劇作者としての平衡感覚がクローズ・アップされるはずだ。 『エッフェル塔の花嫁花婿』はいくつもの決り文句を字義通りにとって視覚化することで物語の 本筋からつねに脱線しつつ、ナンセンスな舞台表現を可能にしていた。それほど極端ではないにし ても、戯曲『オルフェ』でもまた要所々々に仕組まれた舞台装置こそが物語の歯車であって、オル フェウス神話の物語内容や登場人物の主体性は、無意味とは言わないまでもある種の媒体でしかな い。『オルフェ』のあと書きである≪演出ノート≫において「断るまでもなく、戯曲のなかにはひと つたりとも象徴はない。あるのはただ貧弱な言葉遣い、働きかけられる詩 ........ ばかりである」(O, 122)と 作者が示唆的に述べているように、物語そのものから象徴や寓意、すなわち意味を読み取ることに 一方的な重要性はなく、彼が「働きかけられる詩 ........ poème agi」を強調して綴るとき、そこに欠落して いる動作主、「働きかける」主体とは、より大きな意図の持ち主、おそらくは舞台造形や物語全体の 構成に対する作者の造物主的な配慮であり、さらにはそうした配慮を超えた(と、作者が信じてい たのかもしれない)次元で言葉やイメージが引き起こす何らかの絶対的な作用因なのである(32) 確かに、死という深刻なテーマを扱った代償として、『オルフェ』のファルス的側面は笑いを誘 う要素に乏しい。しかしながら、「ファルス」の様式と「ブフォヌリー」の精神が観客のご機嫌にはお 構いなく、この戯曲において何かを巧みに歪め、換骨奪胎することを可能にしたのだった。その何 かとは、オルフェウス譚の主要なモチーフ群(本章第一節の論点)であり、この物語の伝統的な筋 書き(第二節の論点)であり、既存の演劇表現そのもの(第三節の論点)であった。そしておそら くは、これら様式と精神の結晶たる作品に含まれた「ナンセンス」が、舞台上で「死」なるものにどの ような形を与えるかという『オルフェ』の秘められた要請に応えているのではないか。なぜならば、 死が、愛するものとの突然の死別こそが、遺された者から生きることの意味と感覚を、さらには向 かうべき方角さえもときに奪ってしまうナンセンスの極みであるのだから。

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(1) Jean Cocteau, Orphée [1927], Stock, 1994. 本文中での引用直後に「O」を付してこの版の頁番号を記す。 (2) Jean Cocteau, Entretiens avec André Fraigneau, Éditions du Rocher, coll. « Alphée », 1988, p. 53.

(3) Clément Borgal, Jean Cocteau ou De la claudication considérée comme l’un des beaux-arts, PUF, 1989, coll. « écrivains », p. 134.

(4) 表題通りの美術作品を数多く収めた画集『受胎告知』(監修・鹿島卯女、編集・高階秀爾、鹿島出版会、 1977年)を参照すると、唯一ティントレットの作品(1583-1587 年制作)がガブリエルと小天使たち の躍動感あふれる降臨を描いている。

(5) Pierre Chanel, Album Jean Cocteau, Tchou, 1970, p. 40.

(6) Compte rendu : « Les Poèmes » d’Henri Géon, in La Nouvelle Revue française, septembre 1912, 4ème année

-n°45, p. 509.

(7) 十九世紀後半の文学と絵画が扱った斬首のテーマについては次の論文を参照のこと。Jean-Pierre Reverseau, « Pour une étude du thème de la tête coupée dans la littérature et la peinture dans la seconde partie du XIXesiècle », in Gazette des Beaux-Arts, septembre 1972, tome 80, pp. 173-184.

(8) もちろん、アポリネール研究の枠内に留まれば、首切られたオルフェウスのイメージを≪地帯≫の 結句に認めることが「間違いなく度が過ぎている」というピエール・ブリュネルの指摘(Pierre Brunel, Apollinaire entre deux mondes - Mythocritique II, PUF, coll. « écriture », 1997, p. 80)を蔑ろにはできない。 しかし一方で、そのささやかなアポリネール論をこう閉じるであろうコクトーの想像力も無視するこ とはできない。「夜になって、わたしたちは皆サン=ジェルマン大通りの小さな部屋に集まった。そこ では、次第しだいに、一本の大蝋燭と薄暗がりと沈黙の魔術によって、シーツからただ一箇所でてい る彼の顔が、そっくりそのまま、オルフェウスの切られた首となっていった。」(Jean Cocteau, « Apollinaire » [1954], in Poésie critique I, Gallimard, 1959, p. 96.)

(9) Jean Cocteau, Lettre à Jacques Maritain [Stock, 1926], in Poésie critique II, Gallimard, 1960, p. 32.

(10) この映画は 1921 年 10 月 6 日にチャップリンを会場に迎えてトロカデロ劇場で上映されており、コ クトーが初めて彼に出会ったのもこの時であった。Cf. Christian Rolot, « Jean Cocteau et Charlie Chaplin », in Le siècle de Jean Cocteau, textes et documents réunis par Pierre Caizergues et Pierre-Marie Héron, Centre d’Étude du XXesiècle de l’Université Paul-Valéry, 2000, p. 169 sqq.

(11) ジャン・コクトー、『鳥刺しジャンの神秘』、山上昌子訳、求龍堂、1996 年、訳者あと書きより。 (12) ジャンニ・ロダーリ、『ファンタジーの文法』、窪田富男訳、ちくま文庫、1990 年、54 頁。 (13) Pierre Dubourg, Dramaturgie de Jean Cocteau, Grasset, 1954, p. 43.

(14) ジャン・コクトー自身、「『オルフェ』において台詞をひとつでも聞き逃すことは、機械のネジ一本 を失うことであって、そうなるともう機械は作動しない」 (Jean Cocteau, Opium [1930], Stock, 1993, p.69) とのちに語っている。言葉の二重の意味を用いた台詞としては、事実、 « les fournisseurs qui volent » (O, 51)、« Vous êtes un ange » (O, 78)、« se donner des gants » (O, 79)などが挙げられる。

(15) Commentaire de Jacques Brosse, dans Jean Cocteau, Orphée (extraits des trois Orphée), édition de Jacques Brosse, Bordas, coll. « Univers des Lettres Bordas », 1985, p. 60.

(16) Dramaturgie de Jean Cocteau, op.cit., p. 38.

(17) 『恐るべき親たち』の作劇術に関しては、拙論「被造物の謎――戯曲『恐るべき親たち』の登場人物 について」(早稲田大学大学院『文学研究科紀要』第 45 輯第 2 分冊、早稲田大学大学院文学研究科、

(18)

2000年 3 月)をご参照ください。

(18) 本節は、早稲田大学フランス文学会秋季大会(2000 年 11 月 18 日)において筆者が行った報告『エ スプリ・ヌーヴォーとファルス――ジャン・コクトー初期の演劇をもとに』の資料と原稿を基にしてい る。よって本節をもって上記発表の採録とする。

(19) Entretiens avec André Fraigneau, op.cit., p. 51.

(20) Henry Bidou, « Chronique dramatique », in Journal des débats, 2 juillet 1926, n°1688, p. 45.

(21) Jean Cocteau, « Autour d’Orphée et d’Œdipe » [1927], in Œuvres complètes de Jean Cocteau [sigle : O.C.], Marguerat, tome IX, 1950, p. 345.

(22) Jean Cocteau, La Carte blanche [1920], in Le Rappel à l’ordre, Stock, 1926, p. 85. (23) Raymond Radiguet, Le Bal du comte d’Orgel, Grasset, 1924, p. 26.

(24) Charles Dullin, « Les Essais de révolution théâtrale », in La Revue hebdomadaire, 16 juin 1923, n°24, p. 303. (25) Jean Cocteau, article publié dans Comœdia, 21 février 1920, cité dans Odette Aslan, « Cirque et théâtre en

France », in Du cirque au théâtre, textes réunis par Claudine Amiard-Chevrel, L’Âge d’Homme, 1983, p. 183. (26) すでに挙げた講演において、デュランもまたチャップリンを「正真正銘のファルス役者 farceur le plus

authentique」と最上級の評価をしている。演劇界にとどまらず当時のファルス全般において、チャップ リンに代表されるアメリカ喜劇映画もまたひとつのモデルであったにちがいない。

(27) Jean Cocteau, « Préface des Mariés de la Tour Eiffel »[1922], in Antigone précédé de Les Mariés de la Tour

Eiffel, Éditions de la Nouvelle Revue française, 1928, pp. 22-23.

(28) Jean Cocteau, Le numéro Barbette, article paru dans la Nouvelle Revue française, juillet 1926, 13 année n°154-159 tome 27, p.33, repris dans Antigone, ibid., p. 156.

(29) La photographie où « Girolamo Medrano joue Le guillotiné avec un comparse de passage, Dubouchet », reproduite dans Clowns et Farceurs, sous la direction de Jacques Fabrri et André Sallée, Bordas, 1982, p. 46. (29 bis) « Clownerie », d’après Fontanez, extrait du Courrier Francais (1903), et repris dans Les Spectacles à

travers les âges, Éditions du Cygne, vol.1, 1931, p. 229.

(30) 道化芝居の名コンビ「フッティとショコラ」やはらはらドキドキの綱渡り芸にまつわるコクトーの思 い出は、七歳の彼がお手伝いさんに連れられて出かけた「ヌーヴォー・シルク」に由来する。それらの場

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