奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子 ―扉絵の
神像と賛詩に着目して―
著者
松井 美樹
雑誌名
美術史学
号
41
ページ
77-100
発行年
2020-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/00127374
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
奈
良
・
如
意
輪
寺
所
蔵
の
蔵
王
権
現
立
像
厨
子
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扉絵の神像と賛詩に着目して
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松
井
美
樹
は
じ
め
に
奈 良 県 の 金 峯 山 は 、 天 長 十 年 ( 八 三 三 )『 令 義 解 』 の 「 僧 尼 令 )( ( 」 で 山 居 者 登 録 の 範 例 に 挙 げ ら れ る よ う に 、 古 く か ら 山 林 修 行 の 場 の 代表であり 、聖宝 (八三二―九〇九)などの高僧が修行を行った 。 蔵 王 権 現 は 藤 原 道 長 が 金 峯 山 詣 の 際 に 祈 願 対 象 と し た よ う に )( ( 、 平 安 時 代 後 期 以 降 当 山 の 主 尊 と さ れ た 尊 格 で あ る 。 こ の 呼 称 は 道 長 の 供 養 し た 経 筒 の 願 文 が 初 出 で あ り 、 そ れ 以 前 は 金 剛 蔵 王 や 蔵 王 菩 薩 な ど と さ れ て い た が 、 本 稿 で は 蔵 王 権 現 と 統 一 し て 表 記 す る 。 金 峯 山 の 蔵 王 権 現 に つ い て 記 し た 最 古 の 史 料 は 承 平 七 年( 九 三 七 ) 成 立 の 『 醍 醐 根 本 僧 正 略 伝 )( ( 』 で あ り 、 こ こ で は 蔵 王 権 現 は 聖 宝 が 如 意 輪 観 音 と 共 に 祀 っ た 脇 侍 と さ れ る が 、 永 観 二 年 ( 九 八 四 ) の 『 三 宝 絵 )( ( 』 で は 弥 勒 下 生 の 際 に 用 い る 金 を 守 る 存 在 と し て 独 立 し て 語 ら れ て お り 、 後 の 当 山 の 主 尊 と な っ て ゆ く 予 兆 を 見 せ て い る 。 こ の 一 方 で 、当 山 に は 『 延 喜 式 )( ( 』 に 記 載 さ れ る 金 峰 神 社 、吉 野 水 分 神 社 ( 子 美 術 史 学 第四十一号 図1 蔵王権現立像及び厨子 奈良・如意輪寺美 術 史 学 第四十一号 守神社) 、吉野山口神社 (勝手神社)の三社もあり 、蔵王権現以外 の 神 々 も 祀 ら れ て い た 。 さ て 、 こ れ ら 山 内 の 神 々 と 蔵 王 権 現 を 一 図 に 表 す の が 吉 野 曼 荼 羅 で あ り 、 鎌 倉 ・ 南 北 朝 時 代 以 降 の 作 例 が 知 ら れ る )( ( 。 こ の う ち 、 山 内 の 如 意 輪 寺 に 伝 来 す る 蔵 王 権 現 立 像 と そ の 厨 子 【 図 一 】 は 蔵 王 権 現 を 神 々 で 囲 繞 し て 表 す 立 体 の 吉 野 曼 荼 羅 と い え る )7 ( 。 蔵 王 権 現 立 像 の 中 で も 優 れ た 出 来 映 え と し て 名 高 い 本 像 は 、 左 足 枘 の 銘 文 か ら 「 功 匠 筑 後 検 校 源 慶 」 に よ っ て 嘉 禄 二 年 ( 一 二 二 六 ) に 制 作 さ れ た と 判 明 す る )8 ( 。 一 方 、こ れ を 納 め る 厨 子 に は 底 板 裏 に 延 元 元 年 ( 一 三 三 六 ) 拝 領 と い う 墨 書 銘 が あ り 、 本 像 制 作 か ら 約 百 年 後 に 制 作 さ れ た と み ら れ る 。 こ の よ う に 本 厨 子 は 現 存 の 吉 野 曼 荼 羅 の う ち 唯 一 年 記 が あ る 点 で 貴 重 で あ る が 、 そ れ だ け で な く 制 作 者 の 信 仰 を 表 す 賛 詩 が 扉 上 部 に 残 さ れ て い る 点 で も 重 要 な 作 例 で あ る 。 こ れ ま で 、本 厨 子 墨 書 銘 の 年 に 後 醍 醐 天 皇 ( 一 二 八 八 ― 一 三 三 九 ) が 吉 野 に 行 幸 し て 南 朝 を 開 き 、 そ の 翌 年 に 天 皇 の た め に 護 持 僧 文 観 ( 一 二 七 八 ― 一 三 五 七 ) の 関 与 の も と 、 山 内 の 神 祇 の 供 養 法 等 を ま と め た 『 金 峯 山 秘 密 伝 )( ( 』 が 編 纂 さ れ た こ と が 注 目 さ れ て き た 。 ま た 天 皇 が 蔵 王 権 現 立 像 を 念 持 仏 と し た 際 に 本 厨 子 が 施 入 さ れ た と い う 伝 承 も あ る こ と か ら 、 本 厨 子 制 作 に は 後 醍 醐 天 皇 の 関 与 が 想 定 さ れ て き た 。 し か し 米 沢 玲 氏 )(1 ( と 清 水 実 氏 )(( ( に よ っ て 、 厨 子 内 部 壁 面 に 描 か れ る 八 体 の 童 子 像 が 『 金 峯 山 秘 密 伝 』 で は な く 『 諸 山 縁 起 』 に 説 か れ る 童 子像を典拠とすることが示された 。『諸山縁起』は慶政 (一一八九 ― 一 二 六 八 ) の 主 導 で 院 政 期 ・ 鎌 倉 前 期 の 山 岳 信 仰 の 口 伝 や 縁 起 類 を 集 成 し た 文 献 で 、 貞 慶 の 笠 置 再 興 前 に 編 纂 さ れ た と さ れ る )(1 ( 。 同 図 像 を 用 い た 作 例 に は 栃 木 ・ 輪 王 寺 所 蔵 の 二 面 の 役 行 者 前 鬼 後 鬼 八 大 童 子 像 板 絵 ( 一 三 三 一 年 銘 記 ) や 神 於 寺 縁 起 絵 巻 巻 一 第 一 段 ( 原 本 断 簡 は 穎 川 美 術 館 所 蔵 、 写 本 は 大 阪 ・ 神 於 寺 所 蔵 ) が あ る 。 米 沢 氏 は 、 後 醍 醐 天 皇 や 文 観 の 入 山 が 厨 子 制 作 後 で あ る こ と か ら 後 醍 醐 天 皇 の 厨 子 へ の 直 接 の 関 与 は 想 定 し が た い と 述 べ 、 ま た 、 慶 政 が 天 台 僧 で あ る こ と や 輪 王 寺 が 天 台 宗 の 有 力 寺 院 で あ る こ と か ら 厨 子 に 用 い ら れ た 童 子 像 の 図 像 と 天 台 宗 と の 関 連 を 示 唆 し た 。 そ こ で 本 稿 で は 、 以 下 の 二 点 に つ い て 検 討 し 、 本 厨 子 の 制 作 背 景 を 新 た な 角 度 か ら 探 る 。第 一 に 、童 子 像 の 図 像 の 典 拠 が 明 ら か に な っ た 一 方 で 、 一 部 の 神 像 の 尊 名 は い ま だ に 明 ら か で は な い た め 、 こ れ を 特 定 す る 。 山 内 に 祀 ら れ る 神 の う ち ど の 神 が 吉 野 曼 荼 羅 の 構 成 員 と し て 選 択 さ れ た の か を 解 明 す る こ と は 、 制 作 背 景 を 考 え る 一 助 と な る だ ろ う 。第 二 に 、こ れ ま で 視 覚 表 現 と 関 連 付 け て 考 察 さ れ な か っ た 扉 上 部 の 賛 詩 の 内 容 を 検 討 す る 。 以 上 を 通 し て 、 蔵 王 権 現 立 像 制 作 か ら 約 百 年 後 に 厨 子 を 制 作 し 、 単 独 の 立 像 を 吉 野 立 体 曼 荼 羅 へ と 再 構 成 し た 目 的 に つ い て 考 え た い 。
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
一
厨子扉と壁内面の概要
本厨子は屋蓋部 ・軸部 ・基壇部から構成された春日厨子である 。 軸 部 の 正 面 は 両 開 き の 板 扉 、 背 面 は 板 壁 で あ り 、 両 側 面 は 前 半 部 は 片 開 き の 板 扉 、 後 半 部 は 板 壁 と な っ て い る 。 厨 子 全 体 の 概 要 は 松 浦 正 昭 氏 が 詳 述 さ れ て い る た め )(1 ( 、 こ こ で は 本 稿 に 関 わ る 扉 面 と 壁 面 の 内 部 に 描 か れ た 絵 画 の 詳 細 を 示 す 。 い ず れ の 扉 も 、上 部 五 分 の 一 ほ ど の 位 置 に て 白 い 帯 で 区 切 ら れ る 。 帯 以 上 に は 二 色 ず つ に 彩 色 さ れ た 色 紙 形 が 配 さ れ 、 残 り は 濃 青 色 で 平 塗 り さ れ る 。 帯 以 下 に は 四 季 の 山 岳 風 景 が 表 さ れ 、 山 中 に は 截 金 で 荘 厳 さ れ た 土 坡 に 二 組 ず つ 神 が 坐 す 様 子 が 表 さ れ る 。 正面向かって右の扉 (以下 、秋扉) 【図二】には紅葉した秋の山 が 霞 で 遠 景 ・ 中 景 ・ 近 景 の 三 つ に 区 切 ら れ 、 中 景 の 山 に 束 帯 男 神 【 図 六 】、 近 景 の 山 に 甲 冑 男 神 が 童 子 を 伴 っ て 坐 し て い る 【 図 七 】。 正面向かって左の扉 (以下 、春扉) 【図三】には桜の咲く春の山 中 に 束 帯 男 神 【 図 八 】、 そ の 下 に 唐 装 女 神 が 童 子 を 伴 っ て 坐 し て い る 【図九】 。女神の周りには小さな滝が複数描かれ 、最下部には池 が 表 さ れ る 。 神 々 の 坐 す 近 景 の 山 と 遠 景 の 山 が 霞 で 二 つ に 区 切 ら れ る 。 側面向かって右の扉 (以下 、夏扉) 【図四】の山岳も霞で三つに 図5 厨子 冬扉 帯 以下部分 図4 厨子 夏扉 帯以下部分 図3 厨 子 春 扉 帯以下部分 図2 厨 子 秋 扉 帯以下部分美 術 史 学 第四十一号 図6 秋扉 上部 束帯男神 図7 秋扉 下部 甲冑男神・童子 図8 春扉 上部 束帯男神 図9 春扉 下部 唐装女神・童子
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
図10 夏扉 上部 束帯男神 図11 夏扉 下部 褐衣男神 図12 冬扉 上部 明王形 図13 冬扉 下部 行者美 術 史 学 第四十一号 区 切 ら れ る 。 中 景 の 山 に 束 帯 男 神【 図 一 〇 】、 近 景 の 山 に 褐 衣 男 神【 図 一 一 】 が 配 さ れ 、 そ の 手 前 に は 砂 州 の あ る 池 に 水 が 流 れ 込 む 様 子 が 描 か れ る 。 全 体 に 緑 に 茂 っ た 樹 木 が 生 え て お り 、 夏 で あ る こ と が 表 さ れ る 。 側面向かって左の扉 (以下 、冬扉) 【図五】の山岳も霞で三分割 さ れ 、 中 景 と 近 景 に 池 が 表 さ れ る 。 中 景 に は 三 面 二 臂 の 明 王 形 【 図 一二】 、近景の山の水辺には行者と二体の鬼 【図一三】が坐す 。遠 山 に は 雪 が 積 も り 、 近 景 で は 木 々 が 赤 い 葉 を 落 と し て お り 、 冬 景 色 が 表 さ れ て い る 。 板 壁 も 扉 と 同 じ 高 さ で 白 い 帯 に よ っ て 上 下 が 区 切 ら れ る 。 帯 以 上 は 白 色 の 下 地 の ま ま 残 さ れ 、 色 紙 形 の 輪 郭 線 が 側 面 壁 に は 賛 詩 二 行 分 、 後 壁 左 右 両 側 に は 四 行 分 の 幅 で 描 か れ る 。 帯 以 下 は 霞 で 覆 わ れ て お り 、 霞 の 間 か ら 紅 葉 し た 樹 木 の 生 え た 山 頂 が 覗 く 。 そ れ ら の 山 頂 に 一 体 ず つ 童 子 が 立 っ て お り 、 両 側 壁 に 各 二 体 、 後 壁 に 四 体 の 計 八 体 の 童 子 が 表 さ れ て い る 。 側 壁 と 後 壁 の 間 は 厨 子 軸 部 を 支 え る 柱 で 隔 て ら れ て い る が 、 壁 同 士 の 絵 が 連 続 す る よ う に 霞 や 山 の 輪 郭 線 が 柱 部 分 を 介 し て 繋 げ ら れ て い る 。 ま た 扉 を 閉 じ る と 側 面 扉 と 側 面 壁 の 絵 も 連 続 す る 。 以 上 の よ う に 、 厨 子 内 部 に は 七 柱 の 神 と 行 者 や 八 体 の 童 子 が 山 岳 中 に 出 現 し た 様 子 が 描 か れ て い る 。 制 作 年 代 に つ い て は 、松 浦 氏 は 厨 子 の 形 式 が 建 暦 二 年 ( 一 二 一 二 ) 頃 制 作 の 浄 瑠 璃 寺 所 蔵 吉 祥 天 像 厨 子 よ り も 新 し い た め 、 底 板 墨 書 の 延 元 元 年 ( 一 三 三 六 ) で 妥 当 と し て い る 。 こ こ で は 絵 画 表 現 か ら も 検 討 を 加 え て お き た い 。 注 意 す べ き 点 は 、 厨 子 壁 面 と 扉 面 で は 表 現 が 異 な る こ と で あ る 。 例 え ば 人 物 に 着 目 す る と 、 壁 面 で は 肉 身 と 着 衣 で 区 別 無 く 墨 線 が 用 い ら れ る 一 方 で 、 扉 面 で は 肉 身 は 細 く 均 一 な 朱 線 、 着 衣 は 肥 痩 の あ る 墨 線 が 区 別 し て 用 い ら れ 、 よ り 丁 寧 に 描 か れ て い る 。 壁 面 は 顔 料 の 剥 落 部 分 も 多 く 、 扉 面 の 方 が 制 作 当 初 の 表 現 を 伝 え る と 思 わ れ る た め 、こ こ で は 扉 面 の 絵 を 他 作 例 と 比 較 す る 。 人 物 表 現 に 着 目 す る と 、 面 貌 は 穏 や か で 整 っ て い る 。 褐 衣 男 神 や 秋 扉 の 童 子 【 図 一 四 】 は 上 瞼 を 半 月 状 に 表 し て 愛 嬌 の あ る 表 情 、 春 図15 秋扉 上部 男神 頭部 図17 金剛般若波羅蜜多 経見返絵 神人頭 部 大東急記念博 物館 図14 秋扉 下部 童子 頭部 図16 金剛般若波羅蜜多 経見返絵 童子頭 部 大東急記念博 物館
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
扉 の 女 神 と 童 子 は 直 線 的 な 上 瞼 に 瞳 を 点 じ る こ と で 理 知 的 な 表 情 を 表 す と い う よ う に 、 各 々 の 表 情 を 描 き 分 け る 工 夫 が 施 さ れ て い る 。 童 子 や 男 神 【 図 一 五 】 に 見 ら れ る 頬 か ら 顎 の 丸 く ふ く よ か な 輪 郭 線 は 、 大 東 急 記 念 博 物 館 に 所 蔵 さ れ る 文 永 十 年 ( 一 二 七 三 ) 制 作 の 金 剛 般 若 波 羅 蜜 多 経 見 返 絵 の 童 子 【 図 一 六 】 や 神 人 【 図 一 七 】 に 通 ず る 。 背 景 を 覆 う 霞 は 、 下 方 が 突 き 出 た 楕 円 形 の 霞 頭 を も ち 、 十 四 世 紀 前 半 に 描 か れ る 霞 の 特 徴 を 備 え て い る )(1 ( 。 樹 木 の 幹 【 図 一 八 】 は 峻 の 立 た な い 穏 や か な 墨 線 で 表 さ れ 、 玄 奘 三 蔵 絵 、 春 日 権 現 験 記 絵 、 石 山 寺 縁 起 絵 巻 【 図 一 九 】 な ど 高 階 隆 兼 周 辺 の 制 作 と さ れ る 作 例 に 同 様 の 表 現 が 見 ら れ る 。 た だ し 本 厨 子 の 松 は こ れ ら の 作 例 の 松 ほ ど は 湾 曲 し て お ら ず 、 形 式 化 し た 表 現 に 見 え る 。 以 上 よ り 、絵 画 表 現 か ら も 本 厨 子 は 十 四 世 紀 前 半 の 制 作 と み ら れ 、 底 板 墨 書 の 年 紀 を 下 ら な い と 考 え る 。 ま た 、 本 厨 子 で は 中 間 色 が あ ま り 用 い ら れ ず 、 土 坡 の 荘 厳 に 金 泥 で は な く 截 金 文 様 が 施 さ れ る 点 も 注 目 さ れ る 。 そ れ で は 次 に 扉 絵 の 神 像 の 尊 名 に つ い て 検 証 し て い き た い 。二
扉の神像
こ れ ま で 、 吉 野 曼 荼 羅 に 描 か れ る 唐 装 女 神 は 子 守 明 神 、 甲 冑 男 神 は 勝 手 明 神 、頭 上 に 牛 の 頭 部 を 乗 せ る 三 面 二 臂 の 明 王 形 は 牛 頭 天 王 、 鬼 二 匹 を 従 え る 行 者 は 役 行 者 と 解 釈 さ れ て き た が 、 残 り の 俗 形 男 神 像 の 尊 名 は 未 確 定 で あ っ た 。 本 厨 子 に お い て は 、 松 浦 氏 が 『 金 峯 山 秘 密 伝 』「 金 剛 蔵 王 行 法 次 第 」 の 前 に 図 示 さ れ る 吉 野 曼 荼 羅 諸 尊 に 基 づ い て 、 秋 扉 上 部 の 束 帯 男 神 を 天 満 天 神 、 春 扉 上 部 の 束 帯 男 神 を 佐 抛 明 神 、 夏 扉 上 部 の 束 帯 男 神 を 金 精 明 神 、 夏 扉 下 部 の 褐 衣 男 神 を 三 十 八 所 と 比 定 し て い る )(1 ( 。 し か し 童 子 像 の 典 拠 が 『 金 峯 山 秘 密 伝 』 で な か っ た こ と を 受 け 、 本 稿 で は 俗 形 男 神 像 の 尊 名 に つ い て 再 度 検 討 を 行 う 。 本 厨 子 制 作 以 前 よ り 同 時 代 ま で に 成 立 し た 史 料 の う ち 、 金 峯 山 で 祀 ら れ た 神 々 の 名 を 記 す 史 料 に 、 鎌 倉 後 期 成 立 と み ら れ る 『 金 峯 山 創草記 )(1 ( 』と延元二年 (一三三七)成立の 『金峯山秘密伝 )(1 ( 』がある 。 こ れ ら に 記 載 さ れ た 尊 名 の う ち 、 男 神 の 姿 で 表 し う る も の に 三 十 八 所 、 金 精 大 明 神 、 佐 投 (抛) 明 神 、 雨 師 大 明 神 、 天 満 天 神 、 大 南 持 、 八 図18 夏扉 中部 松 図19 石山寺縁起絵巻 巻一 松美 術 史 学 第四十一号 王 子 が 挙 げ ら れ る 。 た だ し 服 制 や 持 物 の 特 徴 に 関 す る 記 載 は な い た め 、 神 像 単 体 の 図 像 分 析 に よ る 尊 名 比 定 は 難 し い 。 そ こ で 扉 絵 背 景 の 山 岳 が 他 の 吉 野 曼 荼 羅 よ り も 丁 寧 に 描 か れ る 点 に 着 目 し 、 こ の 山 岳 中 の 神 像 の 配 置 を 手 掛 か り に 、 春 扉 上 部 の 束 帯 男 神 、 夏 扉 上 部 の 束 帯 男 神 の 尊 名 の 推 定 を 試 み る 。 ( 一 ) 春 扉 の 束 帯 男 神 各 扉 に 描 か れ る 山 岳 を 観 察 す る と 、 春 扉 以 外 の 三 面 で は 霞 に よ っ て 神 像 間 が 隔 て ら れ て い る 。 こ れ に 対 し 、 春 扉 の み 束 帯 男 神 と 子 守 明 神 の 間 が 隔 て ら れ ず 、 二 柱 が 同 じ 山 に 座 す こ と が 表 さ れ る 点 に 気 付 く 。 こ れ は こ の 束 帯 男 神 と 子 守 明 神 の 結 び つ き が 強 い こ と を 示 し て い る の で は な い だ ろ う か 。 そ こ で 本 厨 子 以 前 に 子 守 明 神 を 造 形 化 し た 作 例 を 確 認 す る と 、 金 峯 山 よ り 出 土 し 、 現 在 は 東 京 国 立 博 物 館 に 所 蔵 さ れ る 永 承 六 年 ( 一 〇 五 一 ) 制 作 の 銅 板 毛 彫 子 守 三 所 像 【 図 二 〇 】 が あ る 。 中 央 に 唐 装 女 神 、 向 か っ て 右 に 僧 形 神 、 左 に 束 帯 男 神 が 礼 盤 に 坐 す 様 子 が 線 刻 さ れ て お り 、 銅 版 下 部 の 銘 文 に は こ れ が 子 守 三 所 を 奉 顕 し た も の で あ る と 記 さ れ る 。 金 峯 山 か ら は 本 作 例 以 外 に も 女 神 を 含 む 三 柱 を 線 刻 し た 同 時 代 の 鏡 像 が 複 数 出 土 し て お り )(1 ( 、 平 安 時 代 後 期 に は 子 守 三 所 は 女 神 を 中 尊 と す る 三 尊 形 式 と 理 解 さ れ て い た と 考 え ら れ る 。 し か し こ れ ら の 鏡 像 が 制 作 さ れ た 時 点 で は 、 中 尊 の 女 神 の 両 脇 に 表 さ れ る の は 二 柱 の 女 図20 銅板毛彫子守三所像(白黒反転) 東京国立博物館 図23 若 宮 御 前 御 正 体 奈良・吉野 水分神社 図22 三 十 八 所 御 前 御正体 奈良・ 吉野水分神社 図21 小 守 御 前 御 正 体 奈良・吉野 水分神社
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
神 や 女 神 と 僧 形 神 、 僧 形 神 と 束 帯 男 神 な ど 、 そ の 組 み 合 わ せ は 一 定 し な い 。 こ れ よ り 時 代 が 下 り 、 嘉 禄 元 年 ( 一 二 二 五 ) に は 唐 装 女 神 像 【 図 二 一 】、 束 帯 男 神 像 【 図 二 二 】、 若 宮 像 【 図 二 三 】 の 三 体 を 一 具 と す る 彫 像 が 制 作 さ れ 、子 守 明 神 を 主 神 と す る 吉 野 水 分 神 社 に 祀 ら れ た 。 各 像 底 の 墨 書 銘 に よ る と 、女 神 像 は 「 小 守 御 前 御 正 体 」、 男 神 像 は 「 三 十 八 所 御 前 御 正 体 」、 童 子 像 は 「 若 宮 御 前 御 正 体 」 で あ る 。 し た が っ て 、 岡 直 巳 氏 の 指 摘 す る よ う に 、 嘉 禄 元 年 ( 一 二 二 五 ) 時 点 に は 吉 野 水 分 神 社 に 祀 ら れ る 子 守 三 所 は 子 守 御 前 、 三 十 八 所 御 前 、 若 宮 御 前 の 三 柱 と さ れ て い た と 思 わ れ る )(1 ( 。 そ れ で は 、 こ の 三 十 八 所 と は 金 峯 山 に お い て 何 者 と 考 え ら れ て い た の だ ろ う か 。『 御 堂 関 白 記 』 に よ る と 、 寛 弘 四 年 ( 一 〇 〇 七 ) 八 月 十 一 日 に 道 長 ら は 山 上 の 御 在 所 に 参 詣 す る 直 前 に 子 守 三 所 と 三 十 八 所 に 幣 を 奉 納 し 、 ま た 御 在 所 に お い て は 三 十 八 所 の 為 に 理 趣 分 を 供 養 し て い る )11 ( 。 曾 孫 の 師 通 が 寛 治 二 年 ( 一 〇 八 八 ) の 金 峯 山 詣 の 際 に 書 い た 自 筆 の 願 文 に は 「 久 保 金 石 之 寿 。 奉 仰 金 剛 蔵 王 之 霊 験 。 兼 攘八九之厄 。奉憑三十八所之神恩」 「仰願蔵王大菩薩 。三十八所八 大 龍 王 。 山 内 諸 神 護 法 神 等 。」 と あ り )1( ( 、 三 十 八 所 は 金 剛 蔵 王 と 並 ん で 祈 願 の 対 象 と な っ て い る 。 ま た 、白 河 法 皇 が 寛 治 六 年 ( 一 〇 九 二 ) に 金 峯 山 詣 を 行 っ た 際 に は 、 三 十 八 所 鳥 居 の 下 で 理 趣 三 昧 を 修 し て い る )11 ( 。 こ れ ら よ り 、 三 十 八 所 は 遅 く と も 寛 弘 四 年 ( 一 〇 〇 七 ) に は 山 内 で 祀 ら れ て お り 、 金 峯 山 詣 を 行 っ た 貴 顕 に も 重 視 さ れ て い た こ と が 分 か る 。 南 北 朝 時 代 に な る と 『 金 峯 山 秘 密 伝 』 の 「 三 十 八 所 本 地 垂 跡 事 )11 ( 」 に は 「 三 十 八 所 即 子 守 明 神 所 生 若 宮 兄 弟 也 。 或 行 者 於 神 山 勧 請 日 本 国 中 三 十 八 所 大 神 、 祈 悉 地 成 所 願 、 八 幡 賀 茂 春 日 熊 野 等 並 光 同 本 誓 、共 於 護 国 益 也 。 今 即 三 十 八 神 合 崇 一 所 。」 と 説 明 さ れ る 。 厨 子 制 作 時 に も 山 内 で は 子 守 明 神 ・ 若 宮 と 共 に 三 十 八 所 が 祀 ら れ て い た の で あ ろ う 。 以 上 よ り 、 春 扉 上 部 に 描 か れ る 束 帯 男 神 は 三 十 八 所 で あ る と 考 え た 。 本 厨 子 を 一 見 す る と 、 正 面 扉 二 面 の そ れ ぞ れ に 若 宮 を 連 れ た 子 守 明 神 と 勝 手 明 神 の 対 表 現 の ほ う が 目 を 引 き 、 子 守 明 神 と そ の 上 に 描 か れ た 束 帯 男 神 の 関 係 が 目 立 た な い が 、 霞 で 隔 て ず に 配 す る こ と で 子 守 明 神 ・ 若 宮 と 三 十 八 所 が 三 尊 で あ る こ と も 表 さ れ て い る 。 ( 二 ) 夏 扉 の 束 帯 男 神 次 に 、 正 面 扉 二 面 を 並 べ て み る と 、 下 部 の 勝 手 明 神 と 子 守 明 神 の 描 か れ る 高 さ が 揃 え ら れ て い る の に 対 し 、 上 部 の 三 十 八 所 と 束 帯 男 神 の 高 さ は 揃 え ら れ て い な い こ と に 気 づ く 。 同 様 に 側 面 扉 二 面 を 並 べ る と 、 冬 扉 上 部 の 牛 頭 天 王 と 夏 扉 の 束 帯 男 神 の 高 さ が 揃 え ら れ て い る の に 対 し 、下 部 の 役 行 者 と 褐 衣 男 神 の 高 さ は 揃 え ら れ て い な い 。 正 面 扉 の 勝 手 明 神 と 子 守 明 神 は い ず れ も 若 宮 を 伴 っ て 表 さ れ 、 対 と美 術 史 学 第四十一号 し て 意 識 さ れ て い る こ と は 明 ら か で あ る 。 高 さ を 揃 え 向 か い 合 う よ う に 描 く こ と で 対 で あ る こ と を 表 現 し て い る の な ら ば 、 牛 頭 天 王 の 対 と さ れ る 夏 扉 上 部 の 束 帯 男 神 は 何 者 で あ ろ う か 。 牛 頭 天 王 は 京 都 ・ 祇 園 感 神 院 ( 八 坂 神 社 ) の 祭 神 で あ る 。『 貞 信 公記抄』延喜二十年 (九二〇)閏六月二十三日の条 )11 ( に 「為除咳病 、 幣 帛 ・ 走 馬 祇 園 之 状 」 と あ る よ う に 、 平 安 時 代 か ら 疫 神 、 あ る い は 疫 病 を 退 け る 神 と し て 崇 め ら れ て き た 。 牛 頭 天 王 と 金 峯 山 の 関 わ り については 、『御堂関白記』寛弘四年 (一〇〇七)八月九日壬寅の 条 に 「 宿 寺 祇 園 宿 、 宝 塔 図 為 飯 、 両 寺 皆 有 諷 誦 、 奉 御 燈 」、 同 月 十 一 日 条 に 「 即 下 向 、 入 夜 宿 寺 、 祇 園 」 と あ る こ と か ら )11 ( 、 祇 園 社 の 祭 神 で あ る 牛 頭 天 王 が 金 峯 山 に 寛 弘 四 年 以 前 に 勧 請 さ れ て い た と 推 察 さ れ る 。 こ こ で 夏 扉 上 部 の 賛 詩 に 目 を 移 す と 、「 文 道 祖 」「 日 蔵 」「 大 政 天 」 と 書 か れ て い る 。 こ れ ら は 十 世 紀 に 成 立 し 、 天 満 天 神 と 金 峯 山 を 関 連 付 け た 日 蔵 蘇 生 譚 を 連 想 さ せ る ( 賛 詩 や 日 蔵 蘇 生 譚 で は 「 大 政 天 」 と さ れ る が 、 本 稿 で は 天 満 天 神 と 統 一 し て 表 記 す る )。 日 蔵 蘇 生 譚 と は 、 金 峯 山 で の 修 行 中 に 絶 命 し た 日 蔵 が 蔵 王 権 現 の 導 き で 天 満 天 神 の 居 城 や 地 獄 な ど の 異 界 を 巡 っ た 後 に 蘇 生 す る と い う 内 容 で あ り 、 そ の 広 本 は 内 山 永 久 寺 本 『 日 蔵 夢 記 )11 ( 』 と さ れ 、 略 本 の 「 道 賢 冥 途 記 」 が 『 扶 桑 略 記 )11 ( 』 に 収 録 さ れ る 。『 日 蔵 夢 記 』 や 「 道 賢 冥 途 記 」 で は 、 天 満 天 神 は 自 ら に つ い て 「 我 是 上 人 本 国 菅 相 府 也 。 卅 三 天 呼 我 字 日 本 太 政 威 徳 天 。( 中 略 ) 我 主 一 切 疾 病 災 難 事 」 「 我 眷 属 十 六 万 八 千 悪 神 等 。 随 処 致 損 害 」 と 述 べ る 。 眷 属 を 従 え 疾 病 災 難 を 司 る 点 は 牛 頭 天 王 と 共 通 し て お り 、 対 と さ れ て も 不 自 然 で は な い 。 ま た 、 本 厨 子 の 俗 形 男 神 四 柱 の 面 貌 表 現 を 比 較 す る と 、 夏 扉 上 部 の 男 神 【 図 二 四 】 の み 殿 上 眉 と 鉄 漿 で 表 さ れ る 点 が 注 目 さ れ る 。 貴 族 の 化 粧 で 表 さ れ る の は 、 天 満 天 神 の 前 身 で あ る 「 文 道 祖 」 す な わ ち 菅 原 道 真 が 右 大 臣 で あ っ た こ と が 意 識 さ れ た た め で あ ろ う 。 以 上 よ り 、 夏 扉 上 部 に 描 か れ た 束 帯 男 神 は 天 満 天 神 で あ り 、 さ ら に 牛 頭 天 王 と 対 に さ れ て い る と 考 え た 。 ( 三 ) 扉 絵 の 神 像 に 関 し て ま と め さ て 、 春 扉 上 部 ・ 夏 扉 上 部 の 束 帯 男 神 の 尊 名 比 定 に よ り 、 正 面 扉 に は 勝 手 明 神 ・ 若 宮 、 三 十 八 所 、 子 守 明 神 ・ 若 宮 、 側 面 扉 に は 天 満 天 神 、 牛 頭 天 王 、 役 行 者 が そ れ ぞ れ 描 か れ る と し た 。 残 る 二 柱 の 尊 名は比定できなかったが 、正面扉に 『延喜式』にも載る在地の神 、 側 面 扉 に 金 峯 山 外 に 拠 点 を 置 く 神 と 区 別 し て 描 い て い る 可 能 性 が 考 図24 夏扉 上部 男神頭 部
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
え ら れ る 。こ れ を 手 が か り と し て 残 り 二 柱 の 尊 名 を 推 測 す る な ら ば 、 秋 扉 上 部 の 束 帯 男 神 は 白 帯 に 被 る ほ ど 高 い 位 置 に 描 か れ る こ と も 合 わ せ 、 勝 手 明 神 の 吉 野 山 口 社 、 子 守 明 神 の 吉 野 水 分 社 と 共 に 式 内 社 で あ り 、 吉 野 山 最 上 部 に 位 置 す る 金 峰 神 社 に 祀 ら れ る 地 主 神 の 金 精 明 神 と 考 え ら れ る 。 ま た 、 夏 扉 下 部 の 男 神 が 着 る 褐 衣 が 他 の 男 神 が 着 用 す る 束 帯 よ り も 身 分 の 低 い 随 身 の 衣 装 で あ る こ と か ら 、 牛 頭 天 王 の 息 子 の 八 王 子 明 神 と 考 え 得 る 。 以 上 の よ う に 神 像 の 尊 名 を 比 定 で き る が 、 金 精 明 神 と 八 王 子 神 に つ い て は 証 拠 に 乏 し い た め 今 後 も 検 討 が 必 要 で あ る 。 さ い ご に 、 子 守 明 神 と 三 十 八 所 の 関 係 に 注 目 し て 吉 野 曼 荼 羅 の 作 例 全 体 に お け る 本 厨 子 の 位 置 に つ い て 述 べ て お き た い 。 子 守 三 所 か ら 子 守 明 神 へ の 呼 称 の 変 化 と 、 子 守 三 所 も し く は 子 守 明 神 と 三 十 八 所 の 関 係 の 変 化 よ り 、 以 下 の よ う に 山 内 に お け る そ の 信 仰 の 変 遷 が 推 測 さ れ る 。 つ ま り 、 貴 顕 が 参 詣 し た 平 安 後 期 に は 子 守 三 所 と 三 十 八 所 が 別 々 に 祀 ら れ て い た が 、 吉 野 水 分 神 社 の 三 尊 像 が 制 作 さ れ た 嘉 禄 元 年 ( 一 二 二 五 ) 頃 に は 、 子 守 三 所 の 中 に 三 十 八 所 が 取 り 込 ま れ て 子 守 明 神 ・ 若 宮 ・ 三 十 八 所 が 三 尊 で ま つ ら れ る よ う に な る 。 南 北 朝 時 代 に な る と 、『 金 峯 山 秘 密 伝 』 な ど の こ の 時 期 に 成 立 し た 文 献 に 説 か れ る よ う に 子 守 明 神 が 勝 手 明 神 と 夫 婦 神 で あ る こ と に 注 目 が 集 ま り 、 そ の 対 を 示 し や す い よ う に 子 守 明 神 と 若 宮 が 組 み 合 わ さ れ て 描 か れ る こ と が 増 え 、 子 守 が 三 所 で あ っ た こ と が 忘 れ ら れ 、 三 十 八 所 は 再 び 独 立 し て い っ た の で は な い か 。 こ の よ う に 考 え る と 、 子 守 明 神 ・ 若 宮 ・ 三 十 八 所 の 組 み 合 わ せ と 子 守 明 神 ・ 勝 手 明 神 の 組 み 合 わ せ を 両 方 表 す 本 厨 子 に は 、 そ の 過 渡 期 の 様 子 が 表 さ れ て い る と 見 る こ と が で き 、 し た が っ て 本 厨 子 は 子 守 明 神 と 三 十 八 所 の 関 係 を 示 さ な い 他 の 吉 野 曼 荼 羅 に 先 ん じ て 制 作 さ れ た と 考 え ら れ る 。三
扉上部の賛詩
本 厨 子 扉 上 部 に 書 か れ る 賛 詩 は 、江 戸 時 代 の『 金 峯 山 古 今 雑 記 )11 ( 』『 大 和 名 所 記 )11 ( 』「 勝 手 宮 御 寄 付 宝 物 目 録 )11 ( 」 に 写 さ れ 、『 日 本 彫 刻 史 基 礎 資 料 集 成 』 鎌 倉 時 代 造 像 銘 記 篇 第 五 巻 の 解 説 に も 翻 刻 さ れ る 。 そ の 内 容 に つ い て は 、 阿 部 泰 郎 氏 が 大 意 を 紹 介 さ れ て い る が )1( ( 、 厨 子 や 蔵 王 権 現 立 像 と の 関 連 に は 検 討 の 余 地 が あ る 。 本 章 は 各 句 の 典 拠 と 内 容 を 示 し 、 さ ら に 本 厨 子 制 作 の 背 景 を 探 る こ と を 目 的 と す る 。 以 下 正 面 扉 か ら 順 に そ の 内 容 を 確 認 す る 。 剥 落 に よ り 判 読 が 困 難 な 文 字 は ■ で 示 し 、 読 み 下 し 文 中 に て 補 う 。 ( 一 ) 秋 扉 : 正 面 向 か っ て 右 秋 扉 【 図 二 五 】 に は 以 下 の よ う に 書 か れ て い る 。 崛 月 下 為 教 主 崛 の 月 下 に 教 主 と 為 り 、美 術 史 学 第四十一号 金 峯 嵐 底 現 蔵 王 金 峯 の 嵐 底 に 蔵 王 を 現 ず 。 斑 荊 禅 客 安 居 砌 斑 荊 禅 客 安 居 の 砌 、 緇 素 群 焉 満 願 望 緇 素 焉 に 群 が り 願 望 を 満 た す 。 第 一 句 四 字 目 は 、江 戸 時 代 に 書 か れ た 三 書 で は 「 前 」 と さ れ る が 、 目 視 確 認 に よ り 「 下 」 と し た 。 第 三 句 の 第 一 字 目 は 、 三 書 で 「 斑 」 も し く は 「 班 」 と さ れ る が 、「 斑 」 で あ る こ と を 確 認 し た 。「 斑 」 は 「 班 」 と 通 ず る た め 、「 班 荊 」 と 同 意 で あ る 。 前 半 二 句 は 「 崛 」 つ ま り 耆 闍 崛 山 と 金 峯 山 、 教 主 と 蔵 王 を そ れ ぞ れ 対 比 さ せ て い る 。 金 峯 山 に 出 現 し た 「 蔵 王 」 は 、 ど の よ う な 点 で 耆 闍 崛 山 の 「 教 主 」 と 対 比 さ れ た の で あ ろ う か 。 蔵 王 権 現 関 連 史 料 を 成 立 年 代 順 に 整 理 さ れ た 藤 岡 穣 氏 の 研 究 )11 ( を 参 照 す る と 、 蔵 王 権 現 の 本 地 は 大 ま か に 三 系 統 で 説 明 さ れ る こ と が 分 か る 。 第 一 の 系 統 は 『 吏 部 王 記 』『 義 楚 六 帖 』『 三 宝 絵 』『 醍 醐 寺 縁 起 』『 七 大 寺 巡 礼 私 記 』 で 、 そ の 本 地 は 明 記 さ れ な い 。 二 系 統 目 の 『 扶 桑 略 記 』『 日 蔵 夢 記 』『 熊 野 三 所 権 現 金 峯 山 金 剛 蔵 王 行 者 御 記 文 』 で は 釈 迦 如 来 が 本 地 と さ れ る 。 三 系 統 目 の 鎌 倉 時 代 以 降 に 成 立 し た 史 料 で は 、釈 迦 ・ 弥 勒 の 二 尊 、 あ る い は 釈 迦 ・ 弥 勒 ・ 千 手 の 三 尊 が 融 合 し た と 説 く 。 例 え ば 『 沙 石 集 』 で は 、 役 行 者 の 祈 願 に 応 じ て 釈 迦 と 弥 勒 が 顕 現 し た が 、 末 代 に ふ さ わ し く な い と 役 行 者 が 退 け た た め 、 二 尊 の 代 わ り に 蔵 王 が 出 現 し た と さ れ る 。 厨 子 の 制 作 さ れ た 十 四 世 紀 に は こ れ ら の 説 が 混 同 さ れ て 伝 わ っ て い た で あ ろ う 。 し か し 秋 扉 の 賛 詩 に お い て は 、 耆 闍 崛 山 の 教 主 と 対 比 す る こ と で 、 第 二 の 系 統 に あ る よ う に 蔵 王 権 現 が 釈 迦 如 来 の 垂 迹 し た 姿 で あ り 、 耆 闍 崛 山 で 法 華 経 を 説 い た 肉 身 を 持 つ 釈 尊 と 同 等 で あ る 点 が 強 調 さ れ て い る こ と が 認 め ら れ る 。 図25 秋扉 賛詩
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
( 二 ) 春 扉 : 正 面 向 か っ て 左 続 い て 、 秋 扉 と 同 じ く 正 面 に 取 り 付 け ら れ て い る 春 扉 の 賛 詩 【 図 二 六 】 の 内 容 を 確 認 す る 。 慈 風 扇 境 四 流 渇 慈 風 境 を 扇 あお ぎ 四 流 渇 か れ 、 ■ 霰 晴 心 六 度 差 或 霰 心 に 晴 れ 六 度 差 なら ぶ 。 碧 樹 集 雲 飛 鷲 嶺 碧 樹 雲 を 集 め 鷲 嶺 に 飛 び 、 黄 金 敷 地 契 龍 華 黄 金 地 に 敷 き 龍 華 に 契 る 。 第 二 句 一 字 目 は 、 三 書 で 「 感 」 も し く は 「 惑 」 と さ れ る 。『 後 愚 昧 記 』 の 貞 治 五 年 ( 一 三 六 七 ) 八 月 十 八 日 条 や 『 上 井 覚 兼 日 記 : 伊 勢 守 心 得 書 』 の 天 正 九 年 ( 一 五 八 一 ) 十 月 二 九 日 条 に 書 か れ て い る 「 或 」 が 近 い )11 ( 。「 或 」 は 「 惑 」 と 通 ず る た め 、 こ こ で は 「 或 ( 惑 )」 と す る 。 第 二 句 二 字 目 は 三 書 と も 「 霞 」 と し て い る が 、 つ く り に 左 下 か ら 右 上 へ の 長 い 横 画 が あ り 、 右 側 が 攵 に な っ て い る こ と か ら 「 散 」 で あ る と し 、「 霰 」 と し た 。 前 半 二 句 の 「 四 流 」 は 「 四 暴 流 」 と 同 じ く 四 種 の 激 し い 煩 悩 を 指 し 、「六度」は 「六波羅蜜」と同じく菩薩が涅槃に至るための六つ の 徳 目 を 意 味 す る 。 前 半 二 句 は 対 句 で あ り 蔵 王 権 現 の 慈 悲 に よ り 四 種 の 煩 悩 が 消 え 、 心 の 惑 い も 晴 れ て 異 な る 六 つ の 徳 目 が そ ろ う こ と を 表 す 。 後 半 二 句 に は 金 峯 山 に 関 す る 伝 承 が 反 映 さ れ て い る 。 第 三 句 は 金 峯 山 を 霊 鷲 山 の 一 片 と 同 一 視 す る 金 峯 山 飛 来 説 、 第 四 句 は 金 峯 山 に 埋 蔵 さ れ た 黄 金 と 弥 勒 下 生 に 関 す る 伝 承 に 取 材 す る 。 厨 子 制 作 時 ま で に 伝 わ っ た こ れ ら の 伝 承 に つ い て 順 に 確 認 す る 。 第 三 句 の 金 峯 山 飛 来 説 に 関 す る 最 も 古 い 記 述 は 『 吏 部 王 記 』 承 平 二 年 ( 九 三 二 ) 二 月 十 四 日 条 に あ る 。 本 書 の 当 該 部 分 は 現 在 散 逸 し 図26 春扉 賛詩美 術 史 学 第四十一号 て い る が 、『 諸 山 縁 起 』 第 七 項 )11 ( や 『 奥 義 抄 )11 ( 』 な ど に 引 用 さ れ て お り 、 『諸山縁起』には 「貞崇禅師述 、金峯山神区之古老相伝云 、昔漢土 有 金 峯 山 、 金 剛 蔵 王 菩 薩 住 也 、 而 彼 山 飛 移 泛 海 面 来 是 間 、 金 峯 山 則 是 彼 山 也 」 と あ る 。 こ の 記 述 が 院 政 期 の 金 峯 山 信 仰 に 影 響 を 与 え て い た こ と が 、 保 元 元 年 ( 一 一 三 五 ) 成 立 の 『 勝 語 集 )11 ( 』 か ら う か が え る 。『勝語集』は覚印が師の恵什の口伝をまとめたもので 、恵什と 大 江 匡 房 の 会 話 を 次 の よ う に 記 し て い る 。 金 峯 山 是 一 片 霊 山 事 此 事 問 匡 房 朝 臣 ニ 、 答 云 、 慥 説 未 勘 得 之 、 貞 ( 貞 崇 ) 寿 僧 都 此 之 由 ニ 被 申 。 重 明 親 王 日 記 許 也 云 々 。 私 云 設 然 何 失 哉 、 大 唐 有 山 南 北 建 堂 一 名 天 竺 寺 一 名 霊 鷲 寺 、 彼 山 天 竺 霊 鷲 一 片 、 故 奝 然 云 、 実 客 山 ト 見 タ リ 。 仍 以 之 思 之 。 大 江 匡 房 ( 一 〇 四 一 ― 一 一 一 一 ) は 白 河 天 皇 が 寛 治 六 年 ( 一 〇 九 二 ) に 金 峯 山 詣 を 行 っ た 際 の 願 文 )11 ( を 作 成 し た 人 物 で あ る 。 そ の 願 文 に は「 初 在 西 海 之 西 。 乗 五 雲 而 飛 来 。 今 峙 南 京 之 南 。 掩 一 天 而 利 益 」 と あ り 、 金 峯 山 が か つ て 「 西 海 之 西 」 に あ り 、 五 雲 に 乗 っ て 飛 来 し た こ と が 示 さ れ る 。 こ の 部 分 の 執 筆 に 重 明 親 王 の 日 記 、 す な わ ち 先 述 の 『 吏 部 王 記 』 が 参 照 さ れ た 可 能 性 が 指 摘 さ れ て い る )11 ( 。 こ の よ う に 、『 吏 部 王 記 』 が 貴 顕 に 金 峯 山 詣 を 促 す 根 拠 の ひ と つ と な っ て い た の で あ ろ う 。 な お 、 匡 房 の 願 文 で は 「 西 海 之 西 」 が 漢 土 で あ る か 天 竺 で あ る か は 明 記 さ れ て い な い が 、『 勝 語 集 』 当 該 記 事 の 後 半 に 記 さ れ る 覚 印 の 私 見 で は 、 唐 に 霊 鷲 山 の 一 片 で あ る 山 が あ る こ と を 理 由 に 、 金 峯 山 が 霊 鷲 山 の 一 片 で あ る こ と が 肯 定 さ れ て い る 。 『 諸 山 縁 起 』 に は 、『 吏 部 王 記 』 を 引 用 す る 第 七 項 の 他 に 、 第 一 項 ・ 第 一 六 項 ・ 第 一 九 項 に も 金 峯 山 飛 来 説 が 記 さ れ る 。 た だ し 第 七 項 以 外で飛来するのは 「漢土」ではなく 「仏生国の山」 「鷲峯巽角金剛 窟 坤 方 分 」 で あ る 。 本 書 以 降 、 厨 子 制 作 時 頃 に 成 立 し た 金 峯 山 に 関 す る い く つ か の 文 献 )11 ( に は 後 者 と 同 様 に 漢 土 で は な く 霊 鷲 山 が 飛 来 し た と 明 記 さ れ る よ う に な る 。 こ れ が 本 厨 子 の 賛 詩 に 採 用 さ れ た の で あ ろ う 。 次 に 、 第 四 句 で 述 べ ら れ る 金 峯 山 と 黄 金 、 弥 勒 下 生 の 関 係 を 確 認 す る 。 金 峯 山 の 黄 金 に ま つ わ る 説 話 を 載 せ る 最 古 の 文 献 は 永 観 二 年 ( 九 八 四 )『 三 宝 絵 』 下 巻 「 六 月 東 大 寺 千 花 会 )11 ( 」 と さ れ る 。 こ こ で は 、 「 カ ネ ノ ミ タ ケ ノ 蔵 王 」 が 金 峯 山 の 黄 金 に つ い て 「 此 山 ノ 金 ハ 弥 勒 ノ 世 ニ 用 ル ベ シ 。 我 ハ タ ダ 守 ル ナ リ 。 分 ガ タ シ 」 と 述 べ て お り 、 金 峯 山 の 黄 金 は 弥 勒 下 生 の 世 ま で 蔵 王 権 現 に 守 ら れ る と さ れ る 。 こ れ に 続 き 、『 日 蔵 夢 記 』 の 「 其 地 平 正 純 一 黄 金 也 」 や 『 本 朝 神 仙 伝 』 都 藍 尼 の 条 )1( ( の 「 此 山 。 以 黄 金 敷 地 。 為 待 慈 尊 出 世 。 金 剛 蔵 王 守 之 」 と の 記 述 に よ り 、 弥 勒 下 生 信 仰 と と も に 金 峯 山 の 地 に 黄 金 が 敷 き 詰 め ら れ て い る イ メ ー ジ が 伝 わ る 。 本 厨 子 の 賛 詩 に お い て も こ れ ら の 説 話 と 同 様 に 、 黄 金 は 弥 勒 下 生 信 仰 に 関 連 付 け ら れ て い る 。 以 上 の 伝 承 が 、 第 三 句 で は 緑 の 木 々 に 集 っ た 雲 が 「 鷲 嶺 」 つ ま り
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
霊 鷲 山 の 一 片 で あ る 金 峯 山 に た な び い て い る 様 子 、 第 四 句 で は 金 峯 山 の 地 に 黄 金 が 敷 き 詰 め ら れ て い る 様 子 と し て 金 峯 山 の 風 景 と 二 重 写 し に し て 表 さ れ て い る 。 ( 三 ) 夏 扉 : 側 面 向 か っ て 右 三 枚 目 、 夏 扉 【 図 二 七 】 に は 次 の よ う に 書 か れ て い る 。 風 月 澄 心 文 道 祖 風 月 に 心 を 澄 ま す 文 道 祖 、 火 雷 宥 忿 法 陀 尊 火 雷 に 忿 を 宥 め る 法 陀 尊 。 日 蔵 聖 ■ 瑞 夢 處 日 蔵 聖 瑞 夢 を 感 ず る 處 、 ■ ■ ■ 為 教 誨 繁 大 政 天 教 誨 を 為 す こ と 繁 しげ し 。 第 三 句 四 字 目 、 第 四 句 の 冒 頭 三 文 字 は い ず れ も 剥 落 の た め 確 認 で き な い 。 三 書 と も 「 感 」「 大 政 天 」 と し て い る た め こ れ に 従 っ て 補 っ た 。 第 一 句 の 「 文 道 祖 」 は 、 承 久 本 『 北 野 天 神 縁 起 』 巻 一 第 一 段 で 天 満 天 神 が 昔 は 「 文 道 大 祖 」 で あ っ た と さ れ る よ う に 、 菅 原 道 真 を 指 し て い る 。 第 二 句 の 「 法 陀 尊 」 は 不 明 で あ る 。 「 文 道 祖 」「 日 蔵 聖 」 は 日 蔵 蘇 生 譚 の 登 場 人 物 で あ る 。 そ こ で 、 内 山 永 久 寺 本 『 日 蔵 夢 記 』 に 依 っ て 「 澄 心 文 道 祖 」、 日 蔵 が 見 た 「 瑞 夢 」、 「 大 政 天 」 の 為 す 「 教 誨 」 が そ れ ぞ れ 何 を 意 味 す る の か 確 認 す る 。 「 澄 心 文 道 祖 」 に つ い て は 、 天 満 天 神 が そ の 居 城 で 述 べ る 次 の 一 節 が 手 掛 か り に な る 。 然 而 彼 所 有 普 賢 龍 猛 等 、 盛 流 布 密 教 、 我 素 愛 重 此 教 、 故 昔 怨 心 十 分 之 一 息 也 、 加 以 、 化 身 菩 薩 等 悲 願 力 故 、 假 神 明 、 或 在 山 上 林 中 、 或 住 海 辺 河 岸 、 各 盡 智 力 、 常 慰 喩 我 、 故 未 致 巨 害 也 化 身 菩 薩 等 が 神 明 と し て 山 林 や 海 河 に 垂 迹 し 、 怨 心 に よ っ て 国 を 図27 夏扉 賛詩美 術 史 学 第四十一号 滅 ぼ そ う と し て い た 天 満 天 神 を 慰 め 諭 し た と あ る 。 賛 詩 中 の「 風 月 」 は こ れ ら の 神 明 を 表 す の で あ ろ う 。 天 満 天 神 像 は 威 嚇 す る よ う な 形 相 で 描 か れ る こ と が 多 い が 、こ の 扉 で は そ の よ う に 描 か れ な い の は 、 心 を 癒 さ れ た 姿 が 表 さ れ て い る た め と 考 え る 【 図 二 四 】。 第 三 句 に あ る 日 蔵 の 「 瑞 夢 」 は 蔵 王 権 現 の 神 通 力 に よ る 日 蔵 の 一 連 の 異 界 巡 り を 指 す 。 異 界 巡 り を 終 え た 日 蔵 に 蔵 王 権 現 は 以 下 の よ う に 語 り か け る 。 云 、 我 令 汝 知 世 間 災 難 衆 生 苦 悩 之 根 源 、 広 作 仏 事 、 利 益 衆 生 、 故 令 一 切 普 聞 知 宣 、 即 申 手 摩 頂 曰 、 人 身 難 得 、 汝 已 得 之 、 仏 身 難 見 、 汝 能 見 能 護 三 業 、 不 得 放 逸 、 捨 離 地 獄 、 往 生 天 堂 、 宣 教 授 既 畢 神 通 力 を 用 い て 日 蔵 に 異 界 巡 り を さ せ た 目 的 は 、 世 間 の 諸 難 の 根 源 を 知 ら せ 、 仏 事 に よ っ て 衆 生 に 利 益 を 与 え る よ う 促 す こ と で あ っ た 。 異 界 巡 り の 最 中 、 天 満 天 神 は 日 蔵 に 対 し て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 但 今 日 為 我 上 人 遺 一 誓 言 、 若 有 人 信 上 人 、 傳 我 言 、 作 我 形 像 、 称 我 名 号 、 有 慇 懃 祈 請 者 。 必 我 相 応 於 上 人 祈 賛 詩 の 第 四 句 で は 、 日 蔵 に 世 間 の 諸 難 を 除 く 手 立 て を 与 え た こ の 教 誨 が 懇 ろ で あ る こ と が 示 さ れ て い る 。 日 蔵 は 目 的 通 り 、 諸 難 の 根 源 と そ の 対 処 法 を 知 る こ と が で き た の で あ る 。 ( 四 ) 冬 扉 : 側 面 向 か っ て 左 最 後 に 冬 扉 【 図 二 八 】 に つ い て 確 認 す る 。 両 山 梯 峻 古 仙 跡 両 山 に 梯 峻 す る 古 仙 の 跡 、 四 海 舩 浮 権 化 神 四 海 に 舩 浮 す る 権 化 の 神 。 図28 冬扉 賛詩
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
行 積 僧 祇 鑒 末 世 行 は 僧 祇 を 積 み 末 世 に 鑒 た り 、 威 政 鬼 類 縛 其 身 威 は 鬼 類 を 政 ただ し 其 の 身 を 縛 る 。 第 一 句 「 梯 峻 」 は 「 梯 山 」 と 同 様 に 険 し い 山 に 梯 子 を か け て 登 る こ と を 表 す 。 二 つ の 山 に 梯 子 を 掛 け る 、 海 に 船 を 浮 か べ る 、 鬼 類 を 縛 る と い っ た 内 容 は 役 行 者 に 関 す る 説 話 に 見 ら れ る も の で あ る )11 ( 。 こ の 扉 の 下 部 に 役 行 者 の 姿 が 描 か れ て い る こ と か ら も 、 こ の 賛 詩 が 役 行 者 を 念 頭 に 置 く こ と が 確 認 で き る 。 役 行 者 に 関 す る 説 話 は 『 続 日 本 紀 )11 ( 』 が 最 も 古 く 、『 日 本 霊 異 記 )11 ( 』『 三 宝 絵 )11 ( 』『 本 朝 神 仙 伝 )11 ( 』 な ど に も 所 収 さ れ て い る 。 『 続 日 本 紀 』 で は 、 葛 城 山 に 住 ん で い た が 韓 国 連 広 足 の 讒 言 に よ り 伊 豆 島 に 流 さ れ た こ と と 、鬼 神 を 使 役 し て 水 汲 み と 薪 採 り を さ せ 、 命 令 に 応 じ な け れ ば 呪 縛 し た こ と が 書 か れ る 。 そ の 約 二 十 年 後 に 成 立 し た 『 日 本 霊 異 記 』 で は 、 鬼 神 を 使 役 し て 金 峯 山 と 葛 城 、 つ ま り 第一句の 「両山」に橋を渡させたことが追加される 。『三宝絵』に は 「 ウ ミ ニ ウ カ ビ テ 、 ハ ル カ ニ サ リ テ カ ヘ ラ ズ 」「 古 人 伝 云 、「 役 行 者 ミ ヅ カ ラ ハ 草 座 ニ 乗 テ 、 母 ヲ バ 鉢 ニ ノ セ テ 唐 ヘ ワ タ リ ニ ケ リ 」 ト イ ヘ リ 」 と あ り 、「 舩 浮 」 の イ メ ー ジ が こ こ で よ り 鮮 明 に な る 。 鎌 倉 時 代 に な り 、 修 験 の 始 祖 と し て 崇 め ら れ る よ う に な る と 、 霊 山 ご と に 独 自 な 伝 承 に 登 場 す る よ う に な る 。 金 峯 山 で は 役 行 者 は 蔵 王 権 現 を 念 じ 出 し た 人 物 と し て 伝 わ る が 、 こ の 賛 詩 で は そ の 伝 承 以 前 か ら 広 ま っ て い た 基 本 的 な 内 容 が 取 り 上 げ ら れ て い る と 言 え よ う 。 第 三 句 で は 役 行 者 が は る か 過 去 か ら 阿 僧 祇 劫 と い う 途 方 も な く 長 い 時 間 修 行 を 積 ん で お り 、 そ れ が 末 法 の 世 に お け る 亀 鑑 で あ る と 述 べ て い る 。 ( 五 ) 詩 全 体 の 構 成 こ こ ま で 扉 四 面 の 上 部 に 書 か れ た 賛 詩 の 内 容 と そ の 典 拠 を 確 認 し て き た 。 つ づ い て 、 こ れ ら の 説 話 の 収 集 と 作 詩 の 核 と な っ た 思 想 に つ い て 考 え て お き た い 。 正面扉二面の賛詩にはそれぞれ 「 崛」 「鷲嶺」とあり 、いずれ に お い て も 霊 鷲 山 が 意 識 さ れ て い る 。 春 扉 で は 過 去 釈 迦 が 説 法 を 行 っ た 霊 鷲 山 に 対 し 、 未 来 弥 勒 が 説 法 を 行 う 龍 華 三 会 が 引 き 合 い に 出 さ れ 、 金 峯 山 を 介 し て 過 去 と 未 来 の 法 会 が 結 び つ け ら れ て い る 。 そ の 一 方 で 、 本 厨 子 が 制 作 さ れ た 時 代 は 「 末 世 」 と 捉 え ら れ て い た が 、 そ の よ う な 時 代 で あ る に も 関 わ ら ず 、 金 峯 山 は 霊 鷲 山 と 同 様 に 釈 迦 如 来 が 垂 迹 し 、 禅 客 が 六 波 羅 蜜 を 揃 え る べ く 安 居 す る 地 で あ る こ と が 示 さ れ る 。 以 上 の よ う に 、 正 面 二 面 の 賛 詩 は 金 峯 山 が 霊 鷲 山 の 一 片 で あ る こ と を 軸 に 、 同 地 が 修 行 に 最 適 の 地 で あ る こ と を 讃 え て い る 。 側 面 扉 二 面 の 賛 詩 で は 、 山 中 修 行 の 結 果 、 験 力 を 獲 得 し た 役 行 者美 術 史 学 第四十一号 と 世 間 の 諸 悪 へ の 対 処 法 を 知 っ た 日 蔵 が そ れ ぞ れ 称 賛 さ れ る 。 末 法 の 世 で 山 中 修 行 す る 者 の 鑑 と し て 、 金 峯 山 と 関 連 の あ る 修 行 者 が 選 ば れ た の で あ ろ う 。 そ れ だ け で は な く 、 こ の 二 人 が 選 択 さ れ た 理 由 と し て 、『 諸 山 縁 起 』 第 一 九 項 「 一 代 峯 縁 起 」 の 「 爰 行 者 日 蔵 両 人 、 我 等 住 此 峯 末 代 行 者 守 護 」 と い う 記 述 に あ る よ う に 、 両 者 が 共 に 末 法 の 世 の 修 行 者 を 守 護 す る 存 在 と 捉 え ら れ て い た こ と が 考 え ら れ る 。 た だ し 、「 一 代 峯 縁 起 」 の 舞 台 は 金 峯 山 で は な く 一 代 峯 ( 笠 置 ) で あ り 、 役 行 者 と 日 蔵 の 言 う 「 此 峯 」 が ど こ で あ る か に つ い て は 注 意 が 必 要 で あ る 。先 に 引 用 し た 文 の 直 後 は 以 下 の よ う に 続 い て い る 。 当 山 是 非 此 土 地 、 但 耆 闍 崛 山 戌 亥 角 闕 此 土 来 也 、 其 時 他 国 声 高 童 子 常 此 山 来 、 六 人 也 、 其 間 金 峯 山 声 高 童 子 二 人 渡 給 、 滝 蔵 一 人 、 在 今 一 人 峯 間 、 行 者 随 意 守 護 給 、 幷 成 八 大 童 子 矣 云 々 「 当 山 」 を 耆 闍 崛 山 の 一 角 が 飛 来 し た も の と す る 説 明 は 、 金 峯 山 関連資料に多く見られる 。「一代峯縁起」に 「一代峯の極めの事は 金 峯 山 縁 起 に 垂 ら る 」 と あ る こ と も 考 慮 に 入 れ る と 、 こ の 縁 起 は 先 に 成 立 し て い た 金 峯 山 縁 起 を 基 に 成 立 し た の で は な い だ ろ う か 。 そ う だ と す る と 、役 行 者 と 日 蔵 が 末 代 の 修 行 者 を 守 護 し て い る 「 此 峯 」 は 金 峯 山 と し て 知 ら れ て い た 可 能 性 が あ る 。 こ の 点 に つ い て は 両 縁 起 の 関 係 を 確 認 し た 上 で 再 度 検 討 す る 必 要 が あ る が 、 本 厨 子 制 作 者 が 役 行 者 と 日 蔵 を 組 み 合 わ せ た 理 由 と し て 挙 げ て お き た い 。 さ て 、 本 厨 子 に 書 か れ る 四 篇 の 賛 詩 全 体 を 通 し て 見 る と 、 正 面 扉 二 面 に お い て 金 峯 山 が 修 行 に 最 適 の 地 で あ る と 讃 え 、 側 面 扉 二 面 に お い て 山 中 修 行 者 の 鑑 で あ り 守 護 者 で も あ る 二 人 の 修 行 者 を 讃 え る と い う 構 成 に な っ て い る 。 こ の 賛 詩 に 書 か れ た 内 容 を 最 も 期 待 す る の は 、 末 法 の 世 に 釈 迦 如 来 の 教 え で あ る 法 華 経 を 信 仰 し て 役 行 者 や 日 蔵 の よ う に 金 峯 山 で 山 中 修 行 し 、 そ の 功 徳 で 弥 勒 の 龍 華 三 会 に 立 ち 会 い た い と 願 う 山 中 修 行 者 で は な い だ ろ う か 。
おわりに
厨子制作の意図
本 稿 で は こ れ ま で 、 本 厨 子 の 制 作 背 景 を 見 直 し 、 蔵 王 権 現 立 像 制 作 か ら 約 百 年 遅 れ て 厨 子 を 追 加 す る こ と で 何 が 期 待 さ れ た か を 検 討 す べ く 、 扉 絵 の 神 像 の 尊 名 比 定 と 賛 詩 の 内 容 確 認 を 行 っ て き た 。 ま ず 神 像 の 尊 名 に 関 し て は 、 背 景 が 他 の 吉 野 曼 荼 羅 に 比 べ 詳 細 に 描 か れ て い る こ と に 着 目 し て 、 神 像 の 配 置 に 表 さ れ る 神 々 の 相 互 関 係 を 考 察 し 、 金 峯 山 内 の 先 行 作 例 や 文 献 を 参 考 に 俗 形 男 神 像 の 尊 名 を 比 定 し た 。 こ れ に よ り 、 本 厨 子 で は 、 十 四 世 紀 以 降 に 制 作 さ れ た 他 の 吉 野 曼 荼 羅 に も 表 さ れ る 子 守 明 神 ・ 勝 手 明 神 の 対 関 係 だ け で な く 、嘉 禄 元 年 ( 一 二 二 五 ) 制 作 の 吉 野 水 分 神 社 像 と 同 様 の 子 守 明 神 ・ 若 宮 ・ 三 十 八 所 の 三 尊 構 成 も 表 さ れ て い る こ と が わ か り 、 本 厨 子 が 後 者 の 関 係 が 表 さ れ て い な い 他 の 吉 野 曼 荼 羅 よ り も 先 に 制 作 さ れ た奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
可 能 性 を 提 示 し た 。 次 に 、 賛 詩 が 『 吏 部 王 記 』『 三 宝 絵 』『 日 蔵 夢 記 』 な ど 十 世 紀 に 成 立 し た 文 献 に あ る 説 話 か ら 取 材 し て 作 成 さ れ た も の で あ る こ と を 確 認 し 、 そ の 内 容 は 正 面 扉 二 面 で は 金 峯 山 が 霊 鷲 山 の 一 片 が 飛 来 し 釈 迦 が 蔵 王 権 現 と し て 垂 迹 し 、 か つ 弥 勒 龍 華 の た め の 黄 金 を 守 る 土 地 で あ る こ と を 明 か し 、 側 面 扉 二 面 は 金 峯 山 で 山 中 修 行 す る 者 が 鑑 と す べ き 二 人 の 修 行 者 、 役 行 者 と 日 蔵 を 讃 え る も の で あ る こ と を 確 認 し た 。 前 章 で 見 た と お り 、 賛 詩 は 金 峯 山 内 の 修 行 者 の 信 仰 を 反 映 し て い る 。 こ れ に 対 し 、 板 壁 に 表 さ れ る 童 子 像 は 、 修 行 者 の 守 護 者 と し て 金 峯 山 と 熊 野 を 結 ぶ 大 峯 で 祀 ら れ る 大 峯 八 大 童 子 を 表 す 。 日 蔵 の た め に 教 誨 を な し た 天 満 天 神 や 役 行 者 を は じ め と す る 、 扉 絵 の 神 像 も 修 行 者 の 守 護 者 と 考 え ら れ る 。 賛 詩 と 絵 画 は 山 中 修 行 を 促 し 、 さ ら に 修 行 者 を 守 護 す る と い う 目 的 を 共 有 し て ひ と つ の 厨 子 を 構 成 し て い る 。 最 後 に こ こ か ら は 、 こ れ ま で の 結 果 を 総 合 し 、 蔵 王 権 現 立 像 に 本 厨 子 が 加 え ら れ た 意 図 に つ い て 考 察 し た い 。 賛 詩 に よ る と 、蔵 王 権 現 に 対 す る 信 仰 に と っ て 最 も 重 要 な こ と は 、 その本地が釈迦如来であることだ 。その説は 、『吏部王記』に端を 発 し た 、 蔵 王 権 現 が 霊 鷲 山 の 一 片 と 共 に 飛 来 し た と す る 金 峯 山 飛 来 説 を 有 力 な 根 拠 と し た で あ ろ う 。 『 吏 部 王 記 』 の 記 述 が 白 河 天 皇 の 金 峯 山 詣 に 影 響 を 与 え た こ と は 先 述 の 通 り だ が 、 寛 弘 四 年 ( 一 〇 〇 七 ) に 金 峯 山 詣 を 行 い 、 貴 顕 の 参 詣 の 嚆 矢 と な っ た 藤 原 道 長 も そ の 影 響 を 受 け て い た 可 能 性 が あ る 。 道 長 は 金 峯 山 詣 を す る 二 年 前 の 寛 弘 二 年 ( 一 〇 〇 五 ) に 浄 妙 寺 を 建 立 、 供 養 し て い る 。 そ の 際 大 江 匡 衡 が 書 い た 「 為 左 大 臣 供 養 浄 妙 寺 願 文 )11 ( 」 に は 「 疑 是 霊 鷲 山 之 乗 五 色 雲 以 飛 来 歟 」 と あ る 。 こ れ は 浄 妙 寺 に 関 す る も の で 、 直 接 金 峯 山 に つ い て 述 べ て は い な い が 、 霊 鷲 山 が 五 雲 に 乗 っ て 飛 来 す る イ メ ー ジ が 表 さ れ て い る 。 ま た 、 金 峯 山 詣 の 四 か 月 後 の 寛 弘 四 年 ( 一 〇 〇 七 ) 十 二 月 の 「 同 寺 堂 塔 供 養 願 文 )11 ( 」 に は 「 雲 衲 霞 袂 、 或 来 自 霊 鷲 山 之 峯 」 と 書 か れ て い る 。 い ず れ の願文にも 、霊鷲山であるかと疑う 、霊鷲山から飛来したようだ 、 と 述 べ ら れ る よ う に 、 霊 鷲 山 が 強 く 意 識 さ れ な が ら も 浄 妙 寺 と 霊 鷲 山 が 別 の 土 地 と し て 捉 え ら れ て い る 。 も し 道 長 と 匡 衡 が 白 河 天 皇 と 同 様 に 『 吏 部 王 記 』 を 参 照 し た の で あ れ ば 、 道 長 の 金 峯 山 詣 も 同 地 が 霊 鷲 山 の 一 片 と さ れ た こ と を 一 因 と す る こ と に な ろ う 。 つ ま り 金 峯 山 は 天 竺 ・ 霊 鷲 山 と 同 一 視 す る 伝 承 が 広 ま っ た た め に 求 心 力 を 得 た の で あ り 、 蔵 王 権 現 は そ れ 自 体 の 性 格 の み か ら 有 名 に な っ た の で は な く 、 土 地 に 蓄 積 さ れ た 伝 承 を 根 拠 と し た か ら こ そ 信 仰 を 集 め た の で あ ろ う 。 こ こ で 本 厨 子 を 振 り 返 っ て み る と 、 そ の 絵 は 山 内 修 行 者 の 守 護 者 を 表 す と 同 時 に 、 山 内 の 神 や 大 峯 八 大 童 子 を 示 す こ と で 土 地 を 表 す美 術 史 学 第四十一号 記 号 と し て 機 能 し 、 賛 詩 は 蔵 王 権 現 が 出 現 す る 金 峯 山 が ど の よ う な 土 地 で あ る か 説 明 を 加 え て い る 。 本 厨 子 制 作 に よ っ て 意 図 さ れ た の は 、 蔵 王 権 現 立 像 に 土 地 の 情 報 を 目 に 見 え る 形 で 付 加 す る こ と で 、 本 像 が 霊 鷲 山 の 一 片 で あ る 金 峯 山 に 釈 迦 如 来 が 垂 迹 し た 姿 で あ る と い う 、 末 法 の 世 の 修 行 者 に と っ て 願 っ て も な い 価 値 を 与 え る こ と で は な か っ た か 。 そ し て 立 像 制 作 の 約 百 年 後 に こ の よ う な 厨 子 が 加 え ら れ た こ と こ そ が 、 十 四 世 紀 に お い て も 金 峯 山 を 霊 鷲 山 の 一 片 と す る こ と が 当 山 の 信 仰 に お い て 大 き な 意 味 を 持 っ た こ と の 証 左 に な る で あ ろ う 。 【 註 】 ( () 『 令 義 解 』 巻 二「 僧 尼 令 」 に「 凡 僧 尼 有 禅 行。 修 道。 意 楽 寂 静。 不 交 於 俗。 欲 求 山 居 服 餌 者。 三 綱 連 署。 在 京 者。 僧 綱 経 玄 蕃。 在 外 者。 三 綱 経 国 郡。 勘 実 並 録 申 官。 判 下 山 居 所 隷 国 郡。 〈 謂。 仮 如。 山 居 在 金 嶺 者。 判 下 吉 野 郡 之 類 也。 〉」 と あ る( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 令 義 解 』 吉 川 弘 文 館、 一 九 八 一 年、 八 五 頁 )。 『 延 喜 式 』 巻 九「 神 名 上 」 に 記 載 さ れ た 吉 野 郡 十 座 の う ち に 挙 げ ら れ る( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 交 替 式・ 弘 仁 式 延 喜 式 前 篇 』 国 史大系編修会、一九七四年) 。 ( () 道 長 の 金 峯 山 詣 に 関 す る 史 料 は、 特 別 展 図 録『 藤 原 道 長 極 め た 栄 華・ 願 っ た 浄 土 』( 京 都 国 立 博 物 館、 二 〇 〇 七 年 ) に ま と め ら れ て い る。 他 に『 大 日 本 古 記 録 御 堂 関 白 記 上 』 寛 和 四 年八月条。 ( () 『続群書類従』八輯下。 ( () 『 三 宝 絵 』 下 巻 第 二 二 項「 東 大 寺 千 花 会 」( 『 新 日 本 古 典 文 学 大系 三一 三宝絵 注好選』岩波書店、一九九七年) 。 ( () 『 延 喜 式 』 巻 九「 神 名 上 」 に 記 載 さ れ た 吉 野 郡 十 座 の う ち に 挙 げ ら れ る( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 交 替 式・ 弘 仁 式 延 喜 式 前 篇 』 国史大系編修会、一九七四年) 。 ( () 如 意 輪 寺 所 蔵 厨 子 の 他 に、 吉 野 曼 荼 羅 の 作 例 に は 以 下 の も の が 知られる。このうち西大寺本に関しては行徳真一郎氏が 「奈良 ・ 西 大 寺 所 蔵 吉 野 曼 荼 羅 図 に つ い て 」( 『 東 京 国 立 博 物 館 研 究 誌 』 第五七二号、二〇〇一年)で論じられている。 奈良・西大寺所蔵 吉野曼荼羅(鎌倉時代) 奈良・金峯山寺所蔵 吉野曼荼羅(南北朝時代) 京都・三室戸寺所蔵 吉野曼荼羅(室町時代) 兵庫・太山寺所蔵 吉野曼荼羅(室町時代) 奈良・金峯山寺 吉野曼荼羅(室町時代) 奈良・如意輪寺 吉野参詣曼荼羅(室町時代) 奈良・竹林院 吉野曼荼羅(室町時代) 他に江戸時代の作例もある。 ( 7) 本像と厨子の先行研究には以下のものがある。 『吉野町史 下巻』吉野町史編纂委員会、一九七二年。 松 浦 正 昭「 吉 野・ 如 意 輪 寺 の 蔵 王 権 現 像 ―― 新 出 の 銘 文 と 厨 子 絵 吉 野 曼 荼 羅( 口 絵 解 説 )」 (『 佛 教 藝 術 』 第 一 六 三 号、 一 九八五年) 。 『日 本 彫 刻 史 基 礎 資 料 集 成 鎌 倉 時 代 造 像 銘 記 篇 四 』 二 〇〇六年。 特 別 展 図 録『 蔵 王 権 現 と 修 験 の 秘 宝 』 三 井 記 念 美 術 館、 二 〇
奈良・如意輪寺所蔵の蔵王権現立像厨子
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扉絵の神像と賛詩に着目して―
一五年。 ( 8) 註 7の 松 浦 氏 の 論 文 に 紹 介 さ れ て い る 通 り、 本 像 左 足 枘 の 朱 漆 書 の 銘 文 は 黒 漆 で 上 塗 り さ れ 目 視 で は 確 認 で き な か っ た が、 昭 和六十年の X 線調査によって発見された。 ( () 『日本大蔵経修験道章疏一』 、首藤善樹編 『金峯山寺史料集成』 (国 書刊行会、 二〇〇〇年) 。佐藤虎雄「金峯山秘密伝の研究」 (『天 理 大 学 学 報 』 第 十 七 号、 一 九 六 六 年 ) に よ る と、 本 書 は 吉 野 山 内 の 真 言 僧 複 数 人 が 編 纂 し 文 観 が 統 括 し た も の で あ る と い う。 各神祇の利益として怨敵調伏が強調されている。 ( (0) 米 沢 玲「 吉 野 大 峯 八 大 童 子 に 関 す る 調 査 研 究 」( 『 二 〇 一 五 年 度 鹿島美術研究年報』三三号別冊、二〇一六年) 。 ( (() 清 水 実「 大 峯 八 大 童 子 に つ い て の 一 考 察 特 別 展『 蔵 王 権 現 と 修験の秘宝』 からの報告」 (『三井美術文化史論』 九、 二〇一六年) 。 ( (() 『 日 本 思 想 大 系 二 〇 寺 社 縁 起 』( 岩 波 書 店、 一 九 七 五 年 )。 本 誌の成立については川崎剛志 「『諸山縁起』 書誌攷」 (『就実語文』 第 二 五 号、 二 〇 〇 四 年 )、 上 田 さ ち 子『 修 験 と 念 仏 中 世 信 仰 世界の実像』 (平凡社、二〇〇五年)参照。 ( (() 註 7松浦氏論文参照。 ( (() 泉 武 夫 氏 が「 『 園 城 寺 境 内 古 図 』 の 制 作 年 代 」( 『 古 代 文 化 』 四 三 ― 六、 一 九 九 一 年 ) に お い て、 下 方 が 突 き 出 た 楕 円 形 の 霞 頭 と 緩 や か な 波 線 の 霞 足 で 構 成 さ れ る 霞 は、 「 融 通 念 仏 縁 起 」「 松 崎 天 神 縁 起 」「 石 山 寺 縁 起 絵 巻 」「 慕 帰 絵 」 な ど 十 四 世 紀 前 半 の 作例に見られると指摘している。 ( (() 註 7『 吉 野 町 史 』、 註 7松 浦 氏 論 文、 註 ((清 水 氏 論 文 に お い て 俗 形 男 神 の 尊 名 が 言 及 さ れ て い る。 『 吉 野 町 史 』 と 清 水 氏 前 掲 論 文 で は 夏 扉 下 部 褐 衣 男 神 を 三 十 八 所 で は な く 八 王 子 神 と し て いるが、他三尊は松浦氏と同様としている。 ( (() 首 藤 善 樹 編『 金 峯 山 寺 史 料 集 成 』( 国 書 刊 行 会、 二 〇 〇 〇 年 )。 山内の神名は「諸神本地等」 「顕密仏事」を参照した。 ( (7) 註 (参照。山内の神名は、 首藤善樹編『金峯山寺史料集成』 (国 書刊行会、 二〇〇〇年)の「当山諸神本地異説事」を参照した。 ( (8) 石 田 茂 作・ 矢 島 恭 介『 金 峯 山 経 塚 遺 物 の 研 究 』( 帝 室 博 物 館、 一九七九年) 。 ( (() 岡直己『神像彫刻の研究』 (角川書店、一九六六年) 。 ( (0) 『御堂関白記』 寛弘四年八月十一日条に 「詣卅八所、 同又供幣等、 五師朝仁申之、 賜被物」 「次参御在所、 献綱絹盖十流、 供御明燈、 供養経、法華経百部 ・ 仁王経 三十八所御為、幷主上 ・ 冷泉院 ・ 中 宮・ 東 等 御 為 理 趣 分 八 巻、 八 大 龍 王 為 心 経 百 十 巻、 請 七 僧・ 百 僧、 供 養 了 」 と あ る( 『 大 日 本 古 記 録 御 堂 関 白 記 上 』 東 京大學史料編纂所、一九五二年) 。 ( (() 首 藤 善 樹 編『 金 峯 山 寺 史 料 集 成 』 第 三 部 ― 三( 国 書 刊 行 会、 二 〇〇〇年) 。 ( (() 白 河 天 皇 の 金 峯 山 詣 の 詳 細 を 伝 え る「 江 記 逸 文 」 が『 説 話 文 学 研 究 』 第 四 九 号「 四 月 例 会 シ ン ポ ジ ウ ム 白 河 院 金 峯 山 御 幸 の 記 録 と 記 憶 ―― 新 出「 江 記 逸 文 」 を め ぐ っ て 」( 二 〇 一 四 年 ) に紹介される。翻刻は同誌掲載のヘザー ・ ブレーア氏による 「新 出「 江 記 逸 文 」 紹 介 ―― 白 河 院 の 寛 治 六 年 金 峯 詣 を め ぐ っ て 」 に収録される。 ( (() 註 (参照。 ( (() 『 続 々 群 書 類 従 』 第 五 記 録 部。 な お、 牛 頭 天 王 に つ い て の 先 行 研 究 に 井 上 一 稔「 平 安 時 代 の 牛 頭 天 王 」( 『 日 本 宗 教 文 化 史 研 究』第十五号―一、二〇一一年)がある。美 術 史 学 第四十一号 ( (() 『 大 日 本 古 記 録 御 堂 関 白 記 上 』( 東 京 大 學 史 料 編 纂 所、 一 九 五二年) 。 ( (() 『 神 道 大 系 神 社 編 十 一 北 野 』( 神 道 大 系 編 纂 会、 一 九 七 八 年) 。 ( (7) 『 扶 桑 略 記 』 廿 五 天 慶 四 年 辛 丑 春 三 月 条( 『 新 訂 増 補 国 史 大 系 十二 扶桑略記 帝王編年記』吉川弘文館、一九三二年) 。 ( (8) 吉野山内の竹林院城光 (一七六二年没) による筆録。 天明三年 (一 七 八 三 ) に 城 光 自 筆 本 か ら 書 写 さ れ た 竹 林 院 本 の 翻 刻 が 首 藤 善 樹編 『金峯山寺史料集成』 第一部―五 (国書刊行会、 二〇〇〇年) に収録される。 ( (() 内 題 は「 和 州 旧 跡 幽 考 」。 林 宗 甫 に よ り 天 和 二 年( 一 六 八 二 ) に 刊 行 さ れ る。 『 続 々 群 書 類 従 』 第 八 地 理 部 に 黒 川 真 道 所 蔵 本・ 内閣文庫所蔵本が掲載される。 ( (0) 寛 政 四 年( 一 七 九 二 ) 松 平 定 信 の 依 頼 で 宝 物 調 査 を 行 い 提 出 し た 「満堂中宝物目録」 の一部。首藤善樹編 『金峯山寺史料集成』 第 一 部 ― 十 五「 宝 物 目 録 」( 国 書 刊 行 会、 二 〇 〇 〇 年 ) に 収 録 される。 ( (() 阿 部 泰 郎『 中 世 日 本 の 宗 教 テ ク ス ト 体 系 』( 名 古 屋 出 版 会、 二 〇一三年) 。 ( (() 藤 岡 穣「 伝 説 の 尊 像、 蔵 王 権 現 」( 特 別 展 図 録『 役 行 者 と 修 験 道の世界』大阪市立美術館、一九九九年) ( (() 東 京 大 学 史 料 編 纂 所「 電 子 く ず し 字 字 典 デ ー タ ベ ー ス 」 を 参 照 した。 ( (() 註 ((参照。 ( (() 佐々木信綱編 『日本歌学大系 第一』 (文明社、 一九四〇年) 。『奥 義 抄 』 に は「 吏 部 王 の 記 に、 吉 野 山 は 五 臺 山 の か た は し の 雲 に 乗 り て 飛 び き た る よ し 見 え た り 」 と あ り、 漢 土 で は な く 五 臺 山 が 飛 来 し た と さ れ て い る。 袴 田 光 康 氏 は「 「 金 峯 山 浄 土 」 形 成 の 基 盤 「 日 蔵 夢 記 」 と 五 台 山 信 仰 」( 『 明 治 大 学 人 文 科 学 研 究 所紀要』 五一、 二〇〇二年) において 『諸山縁起』 は 『吏部王記』 当該記事の本文、 『奥義抄』は記事注記からの引用とする。 ( (() 『大正新修大蔵経』巻七八 二一五頁「勝語集巻下」 。 ( (7) 山崎誠 『江都督納言願文集注解』 二―一 「白河院金峯山詣願文」 (塙書房、二〇一〇年) 。 ( (8) 李育娟 「金峯山飛来説と大江匡房」 (『国語国文』 第七七号―二、 二〇〇八年) 。 ( (() 『私聚百因縁集』 『金峯山創草記』 『金峯山秘密伝』など。 ( (0) 註 (参照。 ( (() 『続群書類従』巻第一九三「本朝神仙伝」 。 ( (() 役行者に関する史料をとりあげる先行研究として、 銭谷武平 『役 行 者 伝 記 集 成 』( 東 方 出 版、 一 九 九 四 年 )、 特 別 展 図 録『 役 行 者 と修験道の世界』 (大阪市立美術館、一九九九年)がある。 ( (() 『 続 日 本 紀 』 巻 一 文 武 天 皇 三 年 五 月 廿 四 日 丁 丑 条( 『 新 訂 増 補 国史大系 続日本紀前編』吉川弘文館、一九五五年) 。 ( (() 『日本霊異記』 上巻 「孔雀王の呪法を修持し、 異しき験力を得て、 現 に 仙 と 作 り て 天 に 飛 ぶ 縁 第 二 十 八 」( 『 日 本 古 典 文 学 大 系 七〇』岩波書店、一九六七年) 。 ( (() 『 三 宝 絵 』 中 巻 第 二 項「 役 行 者 」( 『 新 日 本 古 典 文 学 大 系 三 一 三宝絵 注好選』岩波書店、一九九七年) 。 ( (() 『続群書類従』巻第一九三「本朝神仙伝」 。 ( (7) 『 新 日 本 古 典 文 学 大 系 二 七 本 朝 文 粋 』( 岩 波 書 店、 一 九 九 二 年)