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令制下のカバネと氏族系譜

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(1)

令制下のカバネと氏族系譜

著者 熊谷 公男

雑誌名 東北学院大学論集. 歴史学・地理学

号 14

ページ 111‑152

発行年 1984‑03‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024190/

(2)

令 制 下 の

カ パ ネ と 氏

族 系 譜

-

; a

下 0

:

- '

一 一 一

:

- a

-

a 一一

''

一 一一

(3)

令制下のカパと氏族系一

じ め

一一

津田

右吉によっ

︵ 一

︑︶ わが国のウ

一 一

'カパネは

義的には社会組織にではなく︑政治組織にかかわるもので

ることが明確にされて以来︑

バネ制度はもっばら政治制度として研究されてきた

この方向は基本的には

しかったと 思われ

カバネ制度と他の政治制度との種々の関係

たとえば

八色の姓

以前

カバネと世襲的官職との対応関係

︑ ﹁

八色の姓

の忌寸以上と令制

五位以上の対応関係

内外階制とカバネとの関係など

が明らかにされて

ている

︒ し

ながら

︑ そ

れに

かかわらず

ヵバネ制

一 一

e

-

n :

いては

︑ そ

の実態の解明が著しく進んだとはいいがたい

︒ そ

れは従来の研究には︑

パネ制度自体の性格・

構 造

を具体的に明らかにするという

ヵパネ制度の研究にとってもっとも基礎となる

ぺ き

内在的研究が

ずしも十分でなかったことによると思われる︒このような観点に

立 つ

とき︑ヵパネを専制王 :補的な身分秩序と規定し︑律令制下の身分体系をせまい意味で

律令制的な身分秩序

︵ ︵ - j

f︶ 臣 '百官人 '

'品部 '雜

・践民

と伝統的なヵバネ

身分秩序と

としてとらえられた石母田

正 氏

の見解は︑律令国家段階のカパネの構造的

解と

て注目に価する︒また︑最近︑

族伝承の体系的分析を精

的に進められ︑カパネ制度に

いても斬新な論を展開されている

陸子

連の服難は︑おそらくはじ

めての本格的なバネ制度の内在的研究という

ぺ き

もので︑ヵバネ制度をささえる理念の究明を軸に︑ヵバネ制度の性格と起源を考察されている

稿では轟口説を取り上げて

の検討を

こなうとともに

令制下

カパネの秩序の性格を︑主として氏族系譜と

(4)

の関

において考えてみたいと思う

l

左右吉

上代の部の研究

﹂ ︵

r日本上代更の研究

﹂ ︶ ︵

2

石母

古代の身分秩序

﹂ ︵ ﹁

日本古代国家論

︶ ︵

3

陸子﹃日本古代氏族系譜の成立 J︑同

ヵパ制度と氏祖伝承

﹂ ︵ ﹁

文学

一 1

子 氏

は︑戰後の古代史研究は

族伝承を

虚構の歴史

として捨て

り︑

姓と出自を切りはなして

たとして批判され

ヵパネ制度と諸

の出自

・ 氏

族系語

密接不可分なことを強調された︒すなわち︑

族系譜の成

般に考えられているよりもはるかに古く︑大化前代の大和朝廷において

︑ 天 皇

家と諸

氏 の

現実の政治関係を神 話的に翻訳して︑

天 皇

家との親疎関係として表現したのが

族系譜で

大和朝廷は

家の思想的基盤を︑大

が太陽神の子孫であるという︑その出自にお

︑日の御子

の 天

降りを核とした新しい匯史像を構築した

諸氏族も 大和朝廷

拿下に入ると同時に︑この大和朝廷の新しい歴史像の中での先祖の地位によって︑現在の自

の地位を説 明した

カバネ制度はこ

ような出自

=

天 皇

家と

親疎関係

にもとづいて

族を類別したもので

る︒

ヵパ

が臣

連などの称号をさす

うになる

はのち

ことで

カパネ制度の最初の段階は︑大国主命の後青の

!︶大彦命の後青

の 氏

々といった

︑ 建

国神話に登場する先組別の

族類別であったと考えられる

以上が︑私が理解する器口説の骨子で

るが︑

氏 の

所説は従来のパネ制度の通説的

解とは大

だたりがあ

令制下のと氏族系 a9

一一

(5)

令制下のと氏族系譜

一 一

四 り︑今後種々の方面から論義を呼ぶことと思われる

︒ 小

稿の間題関心からとりわけ注目されるのは

︑ 氏 の

考察の力点 がこれまでほとんど関心の払われることのなかったカパネ制度をささえる理念におかれていることである

そこで

稿では構口

氏 の

所論を手がかりとして考察を進めていくことにしたい

ただし︑

の説は

族系譜

体系的な分析が

の基礎となっており

︑ そ の

全面的な検討は

稿

よくなすところではない

ここでは令制下のカパネの理解に

要な範囲に限定して検討を試みることにする

講口

の研究には学ぶぺ

新見解がすこぶる多い

たとえば﹃日本古代

族系語

﹄の第三章でおこなわれた

粟鹿大神元記の考察は︑個別系譜

分析を通してわが国の

族系譜の構造的特徴をみごとに浮かび

がらせており︑

族系語の研究に新たな地平を切り開くものであろう︒また

が︑ヵパネ制度と先祖の出自に関する観念とがわかち

がたく結び付いており︑こ

ような系語観念の性格・機能を

9 き

にしてはカバネ制度の理解が不可能なことを強調さ れたのは︑従来

カバネ研究の欠陥をするどく

いたも

であり

今後継承される

ぺ き

観点で

ると思う︒

年︑

いても︑吉田華

天皇からウ

名を一陽た始祖のごとく︑そのヂ名を救

持ち︑その

象徴する﹃職﹄をもって︑永遺に

天 皇

に仕える

1

それが一

祖の名を継ぐ﹄意義で

り︑ヂの本質であった

といわ

M

︑ ︶義

江明子

奉事根源を記f系譜によって

︑ 氏 の

永続性が理念的に支えられて

いることを指摘されてい新

f

︑期

せずしてウヂをささえる理

として系譜観念が注日されて

ている

これら

年の・ヵパネ研究の新傾向は

荷山古城の鉄剣銘

の 発

見によって古代社会における系譜

重要性が再認識されたことと無関係ではあるまい︒

ように器口

氏 の

には継承すぺ

点が

なくないが︑承服しがたい点もある

器ロ

︑ 皇

神別という

(6)

r二元的出自構造

が臣・連という

的政治組織

に対応していることを軸に論を展開されているように︑ヵパ

ネ制度の起源を現

の政治組織と

関わりで考察されており︑私もこれは基本的に

しい方法であると思う

ところ

が︑

の間題関心はヵパネ制度の起源の間題に集中している観が

カパネ制度︑及びそれをささえる理念である

族系語が︑そ

現実的基盤である政治組織の変化といかにかかわり︑ど

ような歴史的変選をたどったか︑という

ことがほとんど追求されていない

そのため

ヵバネ制度

・ 氏

族系譜

の も っ

理念的

固定的な側面のみが非常に強調

される結果になっていると思う

しかしながら︑

も認められているように

カバネ制度はむろんのこと

氏族系語

ゎめて現実的な政治的機能を有するもので

るから︑本来固定的︑自

完結的な構造をも

ものではなく︑それ

自身のうちに現実の変化に対処しうる理念としくみを備えていたとみる

ぺ き

であろう

私の器ロ

の所論に対する疑

間は主としてこ

点に

以下

さらに具体的に検討を進めていきたい

まず︑一器

ロ 氏 の 氏

族系譜に

いての

解を取り上げてみよう

︒ 氏

によれば

大王への 0 '奉仕の起源﹄を語るのが︑結 局この時期の全ての家記の終極日的であ

﹂ g

傍点原文

︶ ︑ ﹁

先祖の表示は

-

⁝現在

の朝一内における地位を

拠 づ

けるためにこそ

るので︑

族系譜

焦点は

くまでも現在の自

にれ s

n ﹂

とされる︒こ

点は私もまったく

︒ 氏

族系譜は︑諸氏族の現

実 の

政治的地位を︑その先祖に由来するものとして

当化するという

︑ き

ゎめ て現実的な政治的機能を有していたので

る︒かかる性格をも

っ 氏

族系譜

・ 氏

祖伝承は

氏によれば

:H :

始祖 が︑

国時︑大

家の先祖との間にもっていた血縁関係

と︑

一 ﹈

:

その始祖がどんな役割で建国当時

大王家

先祖

かえていたか

ということをその主要な内容と

ているとい

一 一

6

a ︒

これまた

録などの

族系語に

いて

令制下のと氏族系譜

一一

(7)

令制下のと氏族系一

一一

六 いう

れば

︑ 基

本的に

しいといえよう

ただ

においては︑右

〇︑

一 ﹈

:をともに

族系譜に本来的な要素とみ なし

︑ し

かも

﹁ 皇

神別という始祖系譜

二大類別

大和王權によって諸

族が組織された当初まで通るとさ れ

︑ ヵ

パネ制度をこ

ような神話的出日にもと

族の類別制度と考えられるわけで

るから

氏は明らかに :- :

を重視されており︑

族系語とカパネ制度と

関係ももっばら :I :

によって説明されている

しかしながら r

別︑神別という始祖系譜の二大類別

がふるい時期まで通るとされる点にはにわかにはしたがいがたい

ロ 氏

は︑神別諾

の始祖がはやくからスヒ系三神に結び付られていたことを主張されるが︑義江明子

もいわれているように

こう

た系譜が記紀にはほとんどみられず

録・古語拾遺

先代旧事本紀などの平安初期の文献に多く

らわれることに

いて

納得のいく説明がみられない

h

7

a ︒

神別の諸氏が︑従来

始祖

うえにさらに

皇 室

に関係

ある神を祖先と

て加上

て︑系譜的に

統に結び

けるとともに

結果として始祖が単

化していくのは︑やはり記紀の

器前後には

まり

奈良末〜平安初期に

般化する現象とみるのが要当で

?

-

これは後述の渡来系

族の系譜

の 養 一

過程とも

致する

︶ ︒ そ

れ以前の神別系の氏族系譜で中心的な地位を占めていたのは

︑ 天

児屋命・太

命・野

宿称など

具体的な姿をもった始祖であったと考えられる

これらの始祖がか

て朝廷に仕えたごとく︑そ

の 子

中臣 '忌部 '土師

などの人々は永遠に朝廷に仕えるぺきだ︑あるいは仕えることがで

ると観念された

a

一 一

これら

の特殊具体的な世襲的職業は︑特殊具体的な始祖

存在によって

み十分に

当化されえたわけで

特定の世襲的職業をもって仕えるということが

なかった

別系

では事情がやや異なり︑皇室系譜との結び付

が比較的はやくから進行したと想像されるが

本来は武内宿称や磐鹿六雁命の伝承のような︑ r率仕

起源

(8)

を語る祖先伝承がそれ

れのウ

一 一

︐ に

出重貴料史譜古最存現は土鉄域古山荷たて

ろ稲銘剣

のでとしっう

るが

これは

事事根原

を記すために作成されたことが明記されており

その点で後世

の 氏

族系語と同

の政治 的性格を有

てい ︵製

- '後世

の 氏

族系譜と

相違点と

書 氏

上祖オホビnが大

王 の

系譜とまだ

ながっ

ていないようにみえること︑職掌の表示は

るが

一 一

の名前

の表示がないことの

f

を指摘されている

いずれも鉄剣銘

考察にとって

要な指摘で

ると思われる

後者に

いては別

機会にゆずることとして︑前者に

いては務

ロ 氏

知 の

ことなので省略

たという

方も後世の文献

例からみてで

ないわけではないが

まだ

-

. ︑

︑ ︵

l:;︶

︑ 量

語は成

して

vたとみることもで

とされ

度を保留されて

v

後世の文献の例

がど

ようなものを指すのか明らかでないが

録や古語捨遺は

ちろんのこと︑果鹿大神元記

丹生祝

本系

帳・和気

系図

海部系図など︑現存の奈良〜平安初期の系譜・系図でも

︑ 皇

祖神ないし歴代

天 皇

関係は

周知 のことと思われるにもかかわらず︑決して省略されてはいない

したがって

オホビコが記紀に

える大彦 命

大昆古命

-

孝元

天 皇 皇

︶ の

ことで

ったとしても

鉄剣銘においてのみ大

家と

系譜関係が省略されたとみ ることは無理であろう

まして

︑ 氏 の

ごとく始祖と

室と

系譜関係を

族系譜の本源的

案とみる

場からすれ ば︑系譜のもっとも重

な部分を省略したことになって

まい

きゎめて不自然で

やはり

鉄剣銘の段階では

オホビnは大

系諾に結び

けられていなかった

あるいは拳元

天 皇

の系譜自体がまだ成

していなかった

みる'のが

当で

ろう

私は︑いわゆる

﹁ 皇

系の

系譜は古い段階ではこ

ような形態が

般的で

ったと

思う

いずれに

も ︑

鉄剣銘は

率事根原

を記

ているにもかかわらず︑

族系語

つ の 要

素のうち

:- :の大

令制下のと氏族系譜

一 一

(9)

令制下のと氏族系譜

一一

王家との系譜関係に

いてはまったくふれておらず

:0 :

たる上祖のオホビコ以来現在のの臣まで

世々

一 一

校刀人首

奉事来

ことをもっばら

述 ぺ

ている

であるから

点からも

族系譜に本源的な属性で

奉 仕

起源

を記すというのは

本来始祖以来

祖先が代々朝廷にど

ように仕えて来たかを

述 ぺ

ることで

って

始 祖と

天 皇

家との系譜関係は付加的

後次的な

素にすぎないことが明らかで

ろう

ぉ 一

は︑

族系譜

・ ヵ

バネ制度

考察に

たって

本来的

本質的なものでないと考えられてで

ろうか

︑ 渡

来系

の 氏

族をはじめから除外されているが︑これはカパネ制度は

ろん

こと

︑ 氏

族系譜の研究方法としても

わめて問題で

ると思う

︒ 氏

がヵパネ制度をもって出自による

族の類別と解された理由の

一 っ

は︑

﹁ 皇

別︑神別 という始祖系譜

二大類別

連という大化前代

二大

バネの類別と

応してい

︵ -

ことである

しかしな がら︑姓

録が

別・神別・諾審という三大類別

三体

をとっていることが端的に示しているように︑渡来系

の 氏

族も

れの

族系語を所持しており

︑ む

ろんパネの秩序にも組織されているのである

しかも︑おそくとも

世紀末ごろまでには︑渡来系の人々が大和

権の政治組織の

都を構成していたということは古代史研究者にほぼ共

した認識といってよいで

ろう

︒ し

たがって

︑ ヵ

パネの秩序は本来的に渡来人をも組織しうる原理を内包していた

り︑

族系譜は渡来系

族にとっても同様の政治的

を有するもので

ったと考えなくてはならない

︑ 渡来系

族の系語は

奈良時代においても

の多くは

天 皇

系譜に結び

けられていないという

神別・

別系

系譜と異なった形

をとるが

それにもかかわらず他の

族系譜と同様の政治的性格を有していることが指摘でき る

すなわち︑まず第

︑ 文

筆を世業とする渡来系

族は︑それにふさわしい典籍に通

明した人物を始祖とするこ

(10)

とが多い

西文

の王仁や︑白猪・船

津三

の始祖

辰商などは

そ の

代表的な例で

るが︑吉水連や広階連など

の ︑ . . ︑

!S--

. ︑

︑中

・ 一

:

--の渡来系

族にも同様

事例

の あ

ること指摘されてしる

ぎに渡来系

族にお

vても特に奈良時代の末期 以降︑祖先が加上されていく傾向が頭著に認められる

阿知使主を始祖としていた東漢

系の坂上

めて

'--;

. ︵

l6

︑ ︑

'

阿知

王 ﹂

を後

a

一 一

一 一

管孫として漢室

後青を称するの力

居四年で

仁や

辰爾も

1l

︐ っ

で漢の高帝や

百済

貴須王に系語を結び

けるようにな ︵製

しかもこのような新しい系語は︑いずれも改陽姓の請願文

なかで主

張されており︑ヵパネの秩序と

族系譜が密接に関連していること︑これまた渡来系以外のの場合とまったく同

また

系統以外で

︑姓

録には中国

歴代

・諸候や百済・高句麗

の 王

室などの後青を名のる

族が多数収録されているが︑記紀にはこ

ような所伝はいっさい載せられていない

︑なかには奈良時代後半にお

︑ ︑ ︑ ︐

︐ ︵l

o

-ll

てもまだそのような系譜を称えて

v

︐ 一

こと力確認で

るウ

で案

をはじめ

れらの

族の多くは奈

tl l

1 9o︶良末〜平安初期に組先

上されて姓

録のごと

系譜になったとみて大過

るま

v

ように渡来系

族の系譜においても︑本来自分たちの政治上の

場にふさわしい始祖をかかげて

幸仕の起

述 ぺ

ることに

の中心的意義が

ったが︑奈良末以降︑従来の始祖にさらに祖先を加上して出自を権威

けて いった

これは既

述 の

神別系の始祖の性格︑祖先の加上一傾向とまったく軌を

にしており

同様の政治的意図を有し

ていたことが知られる

︒ し

たがって︑

族系譜

本源的形態や

の後の変選過程︑また

族系譜と

パネ制度の関係

などの諸間題は︑

来系

系譜をも視野に入れて考察されねばならないで

ろう

もし

このような

方が大筋

において認められるとすれば

︑ 氏

族系譜における祖先の加上という動

の重要性を認めず︑神話的始祖と

統譜の結

令制下のと氏族系譜

一一

(11)

令制下のと氏族系將

二〇 び

っ き

族系譜の本源的形

とみて

︑ ヵ

パネ制度を

皇 室

との系譜上の親球関係にもと

族の類別と解される器

ロ 氏

の見解は

基 礎

を失うことになりかねないで

ろう

述 の

ごとく︑器口

族系譜の現

的機能を強調されるにもかかわらず︑そ

歴史的変化に

いてはほとんど

ふれておられない

しかしながら

︑ 氏

族系譜がゥヂ

政治的

位の

当化という機能をも

かぎり︑ウヂの政治的地

位が

動すれば

︑ そ

れにともなって

族系譜も

1 む

ろんそれに

在する論

たがってでは

るが

1 そ の

形態

を変化させずには

実 の

地位を十分に根

拠 づ

けることはで

なくなって

まうで

ろう

後文でも

述 ぺ

るように

いったん

的に承認された

族系譜は種々

の 文

献に記載されて固定化されるということは否定で

ない

従来︑軽視

ないしみすごされて

族系譜

かかる側面

重要性を構

ロ 氏

が強調された功積は大

き ぃ

それにもかかわ

らず

は政治的地位が

化すると︑加上とか付会といった古

記載と

a a

齬しない方法によって従来

系譜を

実 の

地位に適合

たものに改

していくので

︒ 一

ロ 氏

の 序

文にもとづいて

︑ 氏

族系譜の誤りは

始祖

別祖などの名をでたらめに

くる

偽造

によってではなく

氏 の

先祖を自分

先祖にしてしまう

仮冒

によって

っばらおこることを指摘されてい

これは古代

の 氏

族系譜が

的な性格を有

ており

外部から種々の

規制がはたらいて

系請

定の

クがはめられでいた

c= :とを示す

も の

とし重要な指摘で

ると思うが

本節

で取り上げた祖先

加上とは︑まさに右

9 の 一

にほかならない

って

系一語

の 一

般的原則とも合致

する

すなわち

祖先の加上とは

具体的には記紀に記された歴代

の 天 皇 ・ 皇 子

や神代史に

場する神︑あ

るいは

間で信仰されている神

スヒ系

神な

ど ︶

'

さらには中国

朝鮮

歴代の

帝・

などを自

の系譜に取

(12)

んで始祖とすることで

って

新しく始祖を創作することはまずない

これは古

記載を変更することな く

の 開

を補うという形で新しい系語を

くるからなので

すなわち氏族系譜は

その内容を固定化する働

をもった古文献と

たえず自己に有利なように改

しようとする諸

動きの対抗関係によって

の歴史を反

しながら

定の方

によって変容していったとみるぺ

ろう

伴造系

族が︑大化後祖先を加上して自

己 の

系譜を

皇 室

の祖先神に結び

けていったことを指摘された阿部武彦

これは

氏姓制度の時代に

っては

現 実

の 氏

地位

職業を决定づけていた祖先が︑

姓制度が廃止されて新しい中央集権的官僚国家の成

と共に︑そ

祖先の権威を失い

︑ 天 皇

を中心とした古代国家にふさわしく

彼等はそ

祖先を

皇 室

に結び

るとい︵

一 P

︐︑

. - ︑ ︑

われて -v

族系

語の現

的機能を認める一ぎり私も記紀と姓

録などとの間の系譜

の ち

がしはこのように現

実 の

歴史

程を根底にすえて理解する

が正

いと考える︒

1

器口氏︑前掲密︑及び前掲的文

︒ ︵

2

一 一

︐ とイ

一 ﹂ ; : : ︵ ﹁

編日本更研究入門

﹄ ︶ ︵

3

義江明子

古代の氏と家

﹂ ︵

﹃歴更と地理

三二二

︶ ︵

4

a-口氏︑前掲一

︶ ︵

5

稱口氏︑前掲

:ーハ五買

︒ ︵

6

氏︑前掲論文

︶ ︵

7

義江明子

︐構氏の成立と氏神の形成

﹂ ︵ ﹁

日本史研究

二四八

︶ ︵

8

古事記の氏族系一語

﹂ ︵

﹃古事記大成﹄四

︶ ︵

9

︶ e

紀垂仁三二年七月己卯条

n

一 コ

1t

一 題

見宿称︑是土部連等之始祖也

とあるが

これは野見宿称が来は土師氏の文字

令制下のと氏族系譜

一一

=

(13)

令制下のと氏

通りの始祖とされてとを示すの

︒ ︵

l0

阿部氏︑前掲論文

︒ ︵

︵ ︒

︒︑︑前書論掲前以

注口

義氏江氏

︶一

下頁六三掲1 13

︵ ︒

︑氏

章二

一掲前

第l4 :︒ー︑頁七

一 ︶ ︵

掲前氏口

l3 ︒掲口氏︑前

書三六七頁溝1 2

︒序﹄照参文卷五第爾証考1 5

研録氏姓撰佐究の﹃

亥辛二年月 ︑

同四現出政図れ図禁中

歴惣主漢倭す後の尊御天を系な流布てい

じとしし 渡漢高来祖

年間魯王

呉王句高族麗王をのの大系氏同な民1進どのさっき

・ ・ ・

9

て〇でえ延八年

月乙系譜称のよをと ︑れぞれ二そ高続已の天宝字年四

氏臣の録朝麗高連波難

1 8氏句てないのず麗れとっも・

︒ ︑

〇年四七成辛已月延月7l

西

一 一

月六年四続1 6K I

︵ ︒ ︑

2 0

︶ 一

口氏前掲書二二頁

︒ ︶

阿部氏

前掲論2 l文

(14)

ぎに

のカバネ制度に関する

解に

いて検討してみよう

︒ 氏

族系譜・

祖伝承などによって示される系語 観

がカパネ制度と密接不可分なことを強調された轟

は︑

らさらに進んで

系譜観

こそはカパネ制度の 理

念 そ

のもので

︑ 氏

族系譜はカパネ制度の成

とともに︑

れを維持するために形成されたとみられ ︵

a

-私はカ バネの秩序が系譜観

と密接に関連する身分秩序で

ることは

氏 の

指摘のとおりであると思うが︑系語観念がヵパネ

秩序の理念

のもので

るとは考えない︒という

は︑系譜観念は現実の地位を根-

l n

づけるという機能を有すると

はいっても︑それ自体としては違い祖先たちに

いての神話的

伝承的性格の

よい観念であって︑現実

地位の変

化が系一語に反

するには

般的にいって

時間が

必 要

と思われるのに対して

ヵパネの秩序をささえる理

は︑ 現

の地位は違い祖先

の 功

續に由来するとする系譜観

と深く結び

っ き っ っ

も︑それに加えて現実の政治的地位

変 動をよりストに反

する性格をもっていたと考えられるからで

る︒具体的にいうと︑たとえば令制下におい て数は多くないが明らかに個人の功續を要賞した陽姓がおこなわれている︒坂上苅田麻呂ら

人が仲麻昌

乱の功絞

によって︑

a

:

一 一 一

とともに陽姓されている

の代表的な例で

通 ︑

ほかにも宮

の築

範 ︑

橘奈良麻呂らの一課議の

部︑

:-m

一 之

︶などを要賞して改陽姓が実施されている︒理由が明記されていないものでも

個人的な功績によ

る陽姓と思われるも

はほかにも

なからず存在する

またこれとは逆に︑罪人に対してはしばしば姓の度奪がおこ

なわれ

-これらはカパネ

が系譜観念

のものではなく

︑ ヵ

パネを負つている特定個人の政治上の功裁や罪過

令制下のと氏族系譜

二三

(15)

; a

下の 'と氏 :系 n-

二四

によっても

右されうるも

'と観

ていたことを端的に

示 し

ている

では

カパネ

秩序をささえる理

において組先に関わる系一語観念と現

実 の

個人の功演とはどのような関係に

たので

- l

-l

︒ っ ぎ

に掲

る古語拾遺の記

はこの間題を考える手藤りを

えてくれる

︒ 至 一一

御原朝

︑改

一 ︑

而;

a 一一

八等

一 ︒

唯序当年

一 ︑

一 一 天

一 ︒

ここで古語捨遺の著者

0 -

一 一 一 一

一 一 一

成は

直接には

武朝

の ﹁

八色

で中臣

が第二等

朝臣

忌部

が第三等の宿称 を陽

されたことを

︑ 天

採降臨

際における忌部・中臣商

氏 の

始祖

命と天児屋命

の功-

f

によらず

︑ ﹁

当年の 労

すなわち

武政推に

する功労によ

て决定された

のだとして批判しているわけで

本書は

︑ そ

こに働い ている一報進意図から︑

そ の

記載をただちに事実

または古伝とみなすゎけにはいかない

通 ︑

ここから

カパネに

いて

認識を読み取ることは不当では

るまい︒まず

︑ 広

成の

場からすれば︑ヵパネは

﹁ 天

-

a ﹂ ︑ 一

般的に

いえば祖先の

功 - u

にもとづいて

えられる

ぺ き

もので

った

古語拾遺

主張するところでは

一 一

神代

一 ︑

中臣

斎部供

一 一

l

︑無

一一

差降

患部

も中臣

と同等

カパネを陽

されてしかるぺ

だというわけ

点は

いうまで

なく

パネが系語観

と密接に関

していることを示

ている

るが

注意すぺ

はここでも

語観

とは

'

ロ 氏

がいわれるごと

き ﹁ 天 皇

家と

a 報

関係

ではなく

天 皇

対する祖先

功-

f

と理解されていることで

︒ つ

ぎに

成によれば

中臣

が朝臣を陽

されたのは

当年

によったためだと

いう

このような患部

の主張は

もともと申臣

通 の

カパネをもち

大夫を出す家柄で

ったのに対し︑忌部

は首

カパネで大夫を出した形跡もないことなどからみて

︑ 文

ど ぉ

りに信ずるわけにはいかないが

︑ ﹁

八色の姓

(16)

一陽

が祖先

の 功

績などの系語観

だけによった

ではなく︑

れに

当年

を加味

施されたということ

は事実で

ったと考えられる

︒ ﹁

八色の姓

の腸

には︑従来

自然

的な

パネ

秩序を継承しょうとする側面と

れを新たな

元的な政治秩序に適合的な序

に改

変 し

ようとする側面とがあった

後者ついては次節であらた

めて取り上げるとして

前者に

いていえば︑

八色

﹂ の

真人・朝臣 ・宿 :称・忌寸の上位四姓は旧姓の公 '臣 '

連・直にほぼ対応していて

それらを継承する意図

の あ

ったことが看取される︒ところが︑部分的ながら重要な変更

加えられているので

って︑ 朝臣を例にとると︑

神系の中臣連・物部連や地祇系の大三輪君などが

別系

旧姓 臣

を原則とした朝臣姓を陽

されている

このような修正は︑当時における諸氏の現実の地位を考慮して加え

られたものと考えられ︑

﹁ 一

色の姓

﹂ の

序列は︑全体としてみると

大化以来の諸氏の政界における地位・序列に

ほぼ

っている

のであ ︵

a

-もっとも

八色の姓

直接には

氏姓大

小 ﹂

を基準加えた

f

御原考仕令

o ll

施の前提として

必 要

な族姓改革

という

ゎめて現実的な政治日的をになって実施されたので

るから︑

当年之

を考慮に入れ︑現

実 の

政治秩序に密着したヵバネの秩序を構集しようとしたのはむしろ当然のことで

ったとい

えよう

ロ 氏

のごとく︑ヵパネを出自による氏族の類別と考えれば︑

八色の姓

における陽姓は︑部分的にでは︵g︶

るが本来の原則をくず

たも

ということになるが

後文で述ぺるようにカパネを支配者集団の母始となっている 同族組織

=

の編成原理とみる

場に

てば︑

ずしも本来

原則をくずしたとみる必

はない

私はもとも と

パネは違い祖先の功績=系譜観念にもと

くことを

本とするが

︑ ﹁

当年

が著しい場合にはそれをも考慮 して新しいカパネが陽

されることが

った

ではないかと想像する

︒ ヵ

パネ

一陽与に

当年

をも考慮するこ

令制下のと氏族系一

二五

(17)

令制下のと氏族系

a

-

一 : ー

ハ とによって︑

パネ

秩序はよりスズに諾

氏 の

政治的地位の変動に

応で

︑渡来人や地方豪族などヵパネ

秩序に編成されていなかった

々を新たに組織していくことも可能となるので

ヵパネ制度の推移などからみて︑私はヵバネの秩序をささえる理念に

本来このような現実的な

素があったと考える

︑私見によれば︑当時の

配層の

識において祖先

功續と

当年

は絶体的に

対 立

するも

ではなく︑連続するものと考えられて

おり

︑ ﹁

当年

はと

がたてばやがて昇華

て祖先の

紙の

部を構成するようになるので

って︑こ

点から

いっても

当年

はカパネの秩序をささえる理念と

ずしも異質のものではないと思われる︒

前節で検討

たように︑

族系譜とは諸

氏 の ﹁

奉仕の起源

を記したものであり︑

率仕の起源

とは具体的には

始組以来

代々

組先が朝延に仕えて

たさまをいう

るが︑ではなぜヵパネは

当代

のみでなく︑かか

る始祖以来の

續によって陽

される

きも

と考えられていた

ろうか

私はこの点も説明

なかぎり︑

ネをささえる理念を十分に明らかにすることはできないと思う

そこで注日されるのは︑カパネが

方では子孫が代

れを継ぎ伝えるとともに永違に朝建に仕えていく

ぺ き

と考えられていることで

り︑これがヵパネは代々

祖先の功績によるぺ

だとする観念と表

要 の

関係にあったと考えられる︒すなわち︑

パネは自分

代限りのも

はなく︑

々孫々へ伝えられていくも

であるから︑当人だけではなく先祖代々の功絞によって陽

される

さだと

観念されていたと思うので

天平八年に葛城王 '佐為

らは上表して

願陽

一一

宿 :- S

一 之

一 ︑

一 一

先帝

厚命

一 ︑

一 一

氏 之

殊名

一 ︑ 万

歳無一 a

a

︑ 千葉相伝

と願い出たところ

続紀同年十

月丙成条

︶ ︑ ﹁

語目︑・

:

一一

一 一 一 一 一

一 一

精宿称

一 ︒

千秋

歳相継

(18)

と許可された

続紀同年十

月壬辰条

︶ ︒

また

一 一

申請によって高安王らに大原真人

姓を賜

た語には

今依

賜 一一

大原真人姓

︒子

相承

一 一 万

而無絶︑孫々永継

一 一

千秋

以不

とある

紀同年四月甲

︒いずれ

も ヵ

バネ

カバネ姓

は子々孫々が永違に

たえていくぺきもので

ることが強調

されている︒またさ

き の

葛城王ら

上表

中には︑

らがかねてより臣籍降下を願ていたことを

諸王等願

-

一一

臣連姓

-朝廷

と述ぺている

︒ ﹁

臣連姓

とは

ここではカバネあるいはカパネ姓

般のことをいっている ものと解されるから

カバネ姓をも

ということは朝廷に仕えることの表徴で

ったわけである

また神

a

元年︑聖 武

天 皇

が即位したと

き の

宣命の末尾に

又官々仕率韓人部

人二人其負而可仕奉姓名陽

とあるが

続紀同年二 月甲午条

負而

仕奉姓名

とは︑

身に負つて官人と

て仕えるのにふさわしいカバネ

という意味で︑こ

こでも

パネナ︑すなわちカパネ姓を負うことと官人として仕えることが

体のものと観念されている

要するにカ

パネを賜

されるということは︑それを負つた父系の

=

々孫々にわたって

天 皇

に仕えていくぺきこ とを意味

である

さて︑そうするとこれは

続紀の宣命に

祖名

一 一

'一取持而

天 地 与

仕奉

﹂ ︵

天平

五年五月癸卯条

り︑

業集に t

一 一

-

:e︵r

f

一 一

:f

﹁ 皇

祖神

御門外重

一 一

候内重仕奉

葛弥違長祖名文継往

發 ﹂ ︵

四四三

︑ r用

都科

一 一 序 が

f

W ﹂ ︵

〇 九

などとしてみえるものと同

の思

想観念

を祖の居本宣長は

氏 の

でいななかに祖奉先各来仕名々

よらたうり fl l

一 一 ︵

lF ::

- ?る職業也

とし中田素

祖名は︑

名称

I

熊谷注

を意味する

と解してい

︒ む

ろん︑いずれも誤りとはいえないが

やや

令制下のと氏族系譜

二七

(19)

令制下のと氏系一

二八 意訳にすぎるように思われる

特に宣長の解釈は︑

^

- l:下の続紀や万葉集でさかんに

かわれていることからすれ

ば︑名を

般に職業と解してしまっては令制下の政治体制にそくゎなくなってしまう︒ r祖の名

とは︑第

義的に

はやはり

祖先の名

と解すべきで

ろう

ただこ

場合の

とは

:g

一一 ︑

大夫者名乎

立倍之後代尓聞継人毛 可多里都具我袮

﹂ ︵

万葉集四

六五

と歌われているのと同義で︑高名

名声といった意味であると思われる

した がって

祖の名

とは

祖先の名声

﹂ ︑

すなわち具体的には祖先のたてたかずかずの功績をさすことになり

r組

救持而

祖名文継往物

﹂ ︑

さら

﹁ 己

先祖

n

興継 '一

一 ﹂ ︵

続紀天平宝字八年九月甲實条

︶ ︑

ma-一nun

安多良之使吉用伎曽之名曽於煩昌

許昌於母比一

一 一一 一一

率奈許等母於夜之名多都奈

﹂ ︵

万葉集四四六五

といった用例の意味もょく理解できる

ところが︑祖先の功績よってヵバネが与えられゥをぉこすものと考えら

れていたので

︑ ﹁

祖の名

を絶つことは

︑ ﹁ 己

氏門

﹂ ︵

続紀天応元年四月辛

などともいわれたよう

現実には謀反などの大罪を犯してカバを割奪され︑としての存続がとだえてしまうことであった

換言す

れば

むしろパネ︑すなわちいわゆるの名称とヵバネを合わせたものといった方が正確であろう

はかかる意味での

祖の名

を象徴するものであり︑それを承け継いだ父系の子孫は父祖と同じ政治的地位に就

き ぅ

る資格をも

と同時

祖先の高名をけがさぬよう

祖先が仕えたごとく︑永遠天皇仕えていかなくてはならないと観念されたのである

このようにの秩序をささえる理念には

祖先の功績によってその子孫は代々父祖と同等の地位に

く資格を

有するとみなされると同時に︑始祖以来の地位を維持するためには

代々の祖先が仕えたように忠実天皇に

かえ

(20)

なけばならないという︑

わば互恵的・相互依存的性格があったことを確認しておくことが重要であると思われる

父祖と同等の地位

く資格をも

という前者の側面は︑族制的な政治体制適合的なイデォということがで きるであろうし︑祖先たちが仕えたごとく永遠に天皇

かえなければならないという後者の側面は︑ゥの存在が あくまでも王権の存在を前提としていることを端的物語ており︑天皇制をささえるデォギIとして機能した

であろう︒この点は律令国家段階における氏族︑あるいは

王民制的秩序

の存在意義を考えるあたってきゎめて

重要と思われるが︑

稿の目的からやはずれるので︑稿を改めて論じてみたい

1

器口氏

前掲密第二章第四︑五参照

︒ ︵

2

天平宝字八年九月乙已

︒ ︵

3

四年

︒ ︵

4

宝字元年七月幸亥

5

同右天宝字元年八月戊

6

義江明子

律令制下の公民の姓秩序

﹂ ︵

﹃史雑誌﹄八四

1 一

参照

︒ ︵

7

古語遺の研究

﹂ ︵

古典の研究﹄下

︶ ︵

8

原島礼二

天武姓の史的意義

﹂ ︵

﹃歴史論﹄

二二︑三

︶ ︵

9

拙稿

天武政権の律令官人化政

﹂ ︵

體 整

日本代史研究﹄

︶ ︵

l0

器口氏︑前掲書第二章第二

l1

本居宣

歴朝詔詞

版本居宣長全第七巻二七

︶ ︵

再中

史制﹃1 2考

祖蒸集

--一第三巻下

令制下のと氏系譜

二九

(21)

令制下のと氏族系譜=

一一

=

続紀の改陽姓記事を検討された器口

改陽姓記事中

理由を明記してあるものに

いてみると︑その殆んどが

出自を理由にしている

一照功を申し添えて

るものもまれに

るが︑出自はそれだけで

︑ っ

ねに唯

絶対の理由とな

り得てい ︵

a

-

﹂ ﹁

階層による繼の差を含みながら臥族臥

& - 風

私が働いている

例えば中臣

から︑

武改腸姓以後︑中臣系の

しうる姓は︑朝臣︑宿祢

連で

る︒

- -

臣になることは絶対な-

傍点

1

といわれている

︒ ﹁ つ

ねに唯

絶対

理由

という

は︑既

のごとく勲功による改陽姓が少なからずあった し

組先の功績を理由とした改陽姓もみうけられるの一 --

一 一

'いい

ぎといわざるをえないが︑奈良時代の改陽姓の多く が

同族

たることを根-

n

としていると考えられることは確かで

たとえば︑構

ロ 氏

げられているが

︑ 延

〇年に出雲臣祖人が 臣等本系

穂日命

一 ︒

其天程日命十四世孫日

一一

野見宿称

一 ︒

宿称

後︑土師

人等

或為

一一

宿称

或為

一一

朝臣

一 ︒

臣等同為

一 二

一 ︑

独漏

一一

均装

︒伏

彼宿称

︑同預

一一

と願い出て許可されている

のなどはそ

の 一

例で

続紀同年

月丁

︶ ︒

このような事例の多いことから器

続日本紀の改腸姓記事をみると︑カバネ

基礎は出自に

る︑という観

きらかにみてとれる

しかも

場合

出自は繰り

ぺたように神話︑ '伝説的な出自で

と も1

M ︑

バネを神話的出自にもと

族の類 別とみる考え

の 一 っ

と根拠とされている

(22)

ごと

改陽姓記事を

のように解することは

しいで

ろうか︒私はそう解する

要はないと考える

たとえ

ば右に

げた出雲臣組人

場合で

るが

請願文で

ぺているところは

これ以前に朝臣姓や宿称姓を賜

されてい

た土師

﹁ 一

るにもかかわらず︑いまだに臣姓で

ることを述ぺたてているだけで

って

カパネが

組先

の 功

載によって陽

されるも

るとすれば︑その祖先を同

くする︑すなわち同祖で

ることを理由に改陽 姓を請願するのはしごく当然な論理である︒実は︑

ぎにふれるように︑奈良時代の改陽姓の多くは

︑ 天

武朝に

八 色の姓

の忌

以上を陽

されたゥ '

一 一

の同族ないしは系譜上の枝流のヂに対しておこなわれた

って︑奈良時

代の改陽姓記事の多くが同族・同祖を理由にしている

はそのためで

令制下の朝臣陽姓を分析された字根俊範

も︑ァプのしかたは異なるが︑講

ロ 氏

と同様の事実に注目されて

いる︒すなわち︑

によると︑持統〜光仁朝の

朝臣賜姓六三例のうち宿称より朝臣に上昇したものは五例

ら朝臣に移たも

はまったくない

り︑その他の臣・

・連等からの改腸姓がその主たるものとなっているの

もし

︑ ヵ

パネが個人の昇進に印応し流動的な性格を持ているならば︑朝臣のすぐ下位にある宿称・忌寸よ

り朝臣へ上昇する改陽姓が

般的とならなければならない

︒ -

:・光仁朝まで朝臣陽姓されたもののほとんどは既存

︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑

の朝臣

族の同族に対して行なわれたものであって︑決してむやみやたら個人の官位の上昇に連動して陽与されて

いる

ではない

﹂ ︵

傍点

I

總谷

とされてい

︵ s n

︒期せずして

普 氏

と同様

同族

関係が奈良時代の改賜姓の重

要な契機として働いていることに注日されているので

る︒このことは︑従来漢然とは

られていても意識的に取り

げられることはなかったが︑奈良時代の改陽姓を考察するに

たってきゎめて重要な事実で

ると思われる

令制下のと氏族系譜=-

一 一

参照

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度の﹁士地勘 L

えいわれる。

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