人権・生徒指導・進路指導・権力
一学校における官僚制拡大一
Human Rights
,Guidance o f P u p i l Personnel Work (Leading Students t o Observe School Rules) , Career Guidance , and Power
‑The Expanding o f Bureaucracy i n Schools‑
東 克 介
K a t s u s u k e S a i t o
ABSTRACT
The ] a p a n e s e C o n s t i t u t i o n p r o v i d e s t h r o u g h A r t i c l e 2 6 t h e r i g h t t o r e c e i v e a n e q u a l e d u c a t i o n and t h e o b l i g a t i o n o f a l l p e o p l e t o e n s u r e t h a t a l l b o y s and g i r l s r e c e i v e a n e d u c a t i o n . T h i s a r t i c l e i s a k i n d o f s o c i a l r i g h t s
,b e c a u s e s o c i a l r i g h t s r e q u i r e l i b e r t i e s by n a t i o n a l powers
,t h e s e s o c i a l
become t h e expanded powers o f b o t h t h e n a t i o n a l and l o c a l govemments.
A f t e r World War
立.t h e more t h e economy o f t h i s c o u n t r y d e v e l o p e d
,t h e more t h e number o f s c h o o l s i n c r e a s e d . The r a t i o o f s t u d e n t s who go on t o s c h o o l s i n c r e a s e d a m a z i n g l y f r o m 1 9 6 0 ' s t o 1 9 7 0 ' s . I n 1 9 8 0
,i t amounted t o a b o u t 95%. I n s u c h c i r c u m s t a n c e s
,t h e most i m p o r t a n t r o l e i n s c h o o l s may have s h i
食e dt o d e c i d i n g i n which d i r e c t i o n s t u d e n t s s h o u l d go a f t e r g r a d u a t i o n
,f r o m i m p r o v i n g t h e q u a l i t y o f c l a s s e s and e x t r a c u r r i c u l a r a c t i v i t i e s 0
紅'er e dt o t h e m .
E s s e n t i a l l y
,t h o u g h t h i s r o l e h a s b e e n p e r f o r m e d f o r them and t h e i r p a r e n t s
,t h e s i t u a t i o n o f
pn~ssunng s t u d e n t s and p a r e n t s i n t h e s e a r e a have i n c r e a s e d g r a d u a l l y b u t c o n s i d e r a b l y by b o t h t h e s c h o o l s and t e a c h e r s . P a r τ i c u l a r l y
,i t can n o t b e d e n i e d t h a t t h e g u i d a n c e o f p u p i l p e r s o n n e l work s t u d e n t s t o o b s e r v e s c
加0 1 and t h e c a r e e r a s a means f o r
s t u d e n t s t o d e c i d e t h e i r c a r e e r d i r e c t i o n s i n j u n i o r and h i g h s c h o o l s have s t r o n g l y i n t e r f e r e d i n t h e l i b e r a l r i g h t s o f s t u d e n t s and t h e i r p a r e n t s . Moreover
,t h e M i n i s t r y o f E d u c a t i o n ( p r e s e n t l y c a l l e d t h e M i n i s t r y o f E d u c a t i o n
,C u l t u r e
,S p o r t s
,S c i e n c e
,and T e c h n o l o g y ) and t h e Boards o f E d u c a t i o n h a v e n ' t f o r c e d s u c h powers on t h o s e s c h o o l s
,i g n o r i n g i n e s s e n c e t h e p a r e n t s
,s t u d e n t s
,and s c h o o l s . For example
,s t r e n g t h e n i n g t h e c o n t r o l o f s c h o o
' s lu n i f o r m s and h a i r s t y l e s o f s t u d e n t s
,a s a p a r t o f l e a d i n g s t u d e n t s t o o b s e r v e s c h o o l r u l e s a t s c h o o l s and f o r g u a r a n t e e i n g human r i g h t s
,h a s r e s u l t e d i n s c h o o l s and t e a c h e r s c o n c e n t r a t i n g t h e i r e n e r g y o f g o o d w i l
' l( o r what we c a l l e d ' f o r t h e good o f t h e c h i l d r e n ' ) on t h e s t u d e n t s t h e m s e l v e s . I n o t h e r words
,' g o o d w i l
' lbounded w I t h s o c i a l r i g h t s have e n l a r g e d and s t r e n g t h e n e d t h e power o f s c h o o l s a s a
I n c o n c l u s i o n
,t h i s p a p e r s t a t e s t h e p r o b l e m s o f t h e above c o n t r o l
,w h i l e r e l a t i n g two c o n t r a s t i v e c o n c e p t s o f human r i g h t s and power w i t h l e a d i n g s t u d e n t s t o o b s e r v e s c h o o l r u l e s and c a r e e r g U l d e m c : e i n e d u c a t i o n a l a c t i v i t i e s o f t h e s c h o o l s .
{ ま じ め に 育活動であるむこれらの活動は、人権保障という らもきわめて重視されている。当然、これ
・高 らの教官活動は学校や教員の袈
1 1
からすれば、積極1
ていくための重要な教人権・斗
i
徒指袴・進諮指導・権))や教員の
f
善意〈生徒のためにりというエネル ギーが振り向けられるが、徒指導・進路指導をよる「秩序形成機能
J
ととらえたとき これらの活動には多くの議論すべき点が残さ いる。本論はこうした活動を権力的側耐からとら え、その問題点を指摘したい。今日、学校のみではなく、社会全体において人 権を尊重すべしとの声が大きくなり、
な 庄り方についても移くの議論がマス・メ ディア等においてな怠れるようになった。ま あらゆる行政分野において、人権擁護の推進・啓 発が行われてきたし、より一!習の拡大・深化がな されようとしてし、る
J
心を持たれ、1
てさらなる生徒の人 権が保障されていくことは望ましい。だが、学校現場(本論では主として
しては、主としてマス・メディア等が和矛盾 することをその矛盾に対する理解も沿く報道して
いると思われることがこれまでしばしばあっ ば、現状の平均的な中学・高校では、髪型・
服装をより長自にすることは、進路決定を確実に ごとと矛盾してしまう場合も多い。生徒の
H
の ~íTの進路をより確実にするには、成績・出席状 況・緊型・麗装等をより細かく管理せ
d "
るをえな い屈がある。また、いじめを学校が本気で徹践し てなくそうと思えば、生徒の行動をかなり細かくっていないが、論者の専攻が政治学・行政学 であることから、その立場からの小論であること
りしておきたし
1 学校と人権
1 8
世紀の人権立言は、法のドの平等、自由権 家権力からの自由)、参政権(国家権力への自 および若│二の請求権(請願権・裁判を受ける権利 など)を内脅とし、白山権と参政権を中心として いたO
このことは1 9
世紀の人権宣言も同様であっ た 印o 2
初o
世t
立は資本主義の発展.高度化につれて生じた失業、
しトヴた労働条件の悪化などの弊苦から、社 会的・経済的弱者を援助するために、国家権力の 積極的な捷策や給付を求めうる権利(国家権力に
よる自由)を含むようになった。
大戦後、こうした頼向が強くなっていった(ヘ第 多くの留に重要な影響をき二えた
1 9 1 9
年ワイマール憲法の社会権規定であっ た。本割憲法の第 26条教育を受ける権利・教育同を 受けさせる義務は、国民の社会権を規定したもの である印。このような社会権としての教育を受け る権利の内脅は、生徒が徐々にあるいは将来あら ゆる人権を享受およびわイ賢しうるように、京とし て学校で具体化されてしベ。社会権は国家権力に チェックしなければならないこともある。
人権保障が他方で生徒集問全体の臼 り よる自由を求めるものであることから、この権利 規制してしまう場合もあるのである。
進路指導を取り こ才Lら2 つが教育課程を単に統合する機能をもっというよ
り、その珂念は別にして、実際にはかなりの長い
f
支配的J
な機能を強めてきたのではないかと 考えるからである。それぞれについてることはできないが、多くの
校では、この 2つの教育活動に多くのエネルギ…
殺そそいできたし、現荘および将来にわたり、こ こにはさらに細かな工夫を加えながら取り組まざ るを得ない状況にあるといってよい。
論者は大学院に
6
年間荘籍後、悩岡県の私立高8
年間勤務した経験をもち、教育現場が 本論のような立場からのみ論じるごとができると3 4
の推進は出家権力の拡大を同時仁生じさせるもの うな行政にも、支配というものが 行政をつかさどるためには、
かならずだれかがなんらかの命令権力をに
g
って いなければならなしリ ω と、M.
ウェしている。つまり、社会権の控進を担う教背行 政機関とその具体的教育活動を青む教育機関は権
当然;持ち合わせている。
いう公教育(出立・公立・私立を含む〉の現場が 教釘という営みによってこうした側面が持立たな いか、覆い隠主れてきただけである
それゆえ、
現場への介入の在り
によって、生徒を合めた国民の自 影響を宇えうる
弘詰iJ学校大学社会福お
: 1
学 部 研 究 紀 嬰 第 2号(2002年)に中学・高校の生徒指導や進路指導が生徒や保護 者の自由権に強く介入してきた面は百定できな い。しかもこうした学校での権力的側面は、
省や教育委員会が保護者・ を
まったく ぎたものではない。
あるいは学校ごとに異なる事 しろ学校が生能や保護者の争 こたえて行ってきたともいえる。もっ とも、このような要請・応符は保護者や地域に開 かれた場設通じてのものでないことが争く、それ ゆえ個別の要請を学校側の都合の良い解釈でこた えてきたことも多かっ
にか
た。それへの
95%
前哉の進学卒は、本来自由な選 択ができるはずの高校進学をほとんど「義務化J
させてしまった( 9 )
。また、このような高校の普及・拡大は、同時に高等教育も普及・拡大させていっ た(1
0)
。高校・じて さらにはおも
学校を所轄する知事部局への官僚制拡大を招いて きた。注悲しなくてはならないのは、例えば高校 の場合、文部省や都道府県教育委員会による高校 に対するコント口一ルないし官僚制拡大のみでな
く、以下のよう 場である
かつてきたということである。
急速な高校への進学本上昇以前から、経消の発 展とともにいわゆる「終身雇用j・「年功賃金
J •
「ベースアップ
J
が大企業から急速に幣えられてい くO ほとんどの有力企業がこのようななく日
一生社会的に不利な状況に追い込まれてしまうか もしれないという
J
心理的圧力を国民に柚え付けて いった( 1 2 )
。進学のための受験競争のみでなく、就 職のための競争も厳しくなっていっこのように1960 またゲマインシャブ
ぜんシャフトが支配する社会へと大きく較換
学校も同様の変化を滋げていったといえる
( ] 3 J
。ま 企業が急速にウェーパーのいう官僚制化を発 せ、こいった
ら、ゲマインシャフト
していった。こうした中で¥!学校は、結果として
「料身属用」・「年功賃金
J
パベースアップJ
の保障 おれた行政や企業への就職を目指した競争を一間 激しくさせていった。そのため、組織と もたら
1
て、に得られないまま今日にいたってい る。そしてこの硬直化は決して多くの教員が、ど ちらかといえば「生徒の(君たち)ため(多くの 教員が繰り返し心の中に、あるいは同僚・生徒に をもって取り な
るい
介・斡旋のための指導
J ( ]
6)に力をいれて取り組ん できたということである。「終身雇用
J
パ年功序列J
・「べ…スアップJ
と結 びついた学卒・新卒採用が進学・就職の続争を激 ぎたことについては、 1980年代後半まで ことはな かっってもプラス の成長が続いてきたからであろう
O
もう一つに は、それまでの教育改革がおもに教育制度のみの 改革であったことである。そのために、改革の意 留とは逆の結揺に終わることが多かった。そしてじていること しミく
O
これらにみ 題は、一商では文部省・教育委員会・知事部局・管理職が、官僚制拡大による集権化宏、教育機関 の外的事現の拡大・整備と組合に対崎することで すすめてきた聞もあるが、他酉では学校・教員が 生徒の進路をより確実に決定さ
人惟・生徒指導・進路指導・権}J
等に基づく競争を前提として、生徒の進路をでき うる掠り保障することで、つまり、多くの生徒の 社会権
r
生存権的基本権を懐先する組織として発 展してきたともいえる1 9 9 3
橋崇は、自分たちが作成した政治・経済の教科書 で、従来の教科書とは異なり「人権の神髄誌
f
自 己実現~J と強調したにもかかわらず、文部省の検 定によりクレームをつけられなかったことを驚い た倒。しかし、「自己実現jなどの記述誌、すでl二 文部省のE
生活体験や人間関係を曜かなのものと する生徒指導~( 1 9 )
に示されていた。 学校で実際に り組まれるているかどうかは別にして、記述の みなら文部省発行の「生徒指導資料jに従来から ったわけであるG
ただ問題は、1 9 9 3
年に、文部 省から進路指導の在り方を抜本的に改革すべく 檎されるほど、学校岳ちが生徒の基本権的自由権 を削ぎ落としてしまい、およそ生徒が学校を「自 己実現jの場であるとは思えないほど、学校組織 が礎i
在化していたことである2
生徒指導と人権(1) 生徒指導の理念、と人権
文部省の
f
生徒指導の子びきjによると、「生徒 指導は、人間の尊厳という考え方に基づき、一人 ひとりの生徒を常に目的自身として扱うことを基 本とする。これは内在的な髄鑑をもった個々自己実現を助ける通報であり、人間性の最上 の発達を目的とするものである
o J
このような 生徒指導のとらえかたからすると、生徒指導と まさに生徒に対する人権保障のための活動である といってよ L可。しかし、この定義には補足それを一部省略してしめすと、「個人 の自己実現は、一…・その大部分は模倣や同一化に
1
て、親や大人の行動様式を取り入れること によって、子どもの身に付いてくるものであり、言わば社会化の結果でみる。…一・その個人の在己 実現は、常に社会的な価値との関連において行わ れるものとしての社会的な白己実現という
らざるを得ない
J
とある。前者の定義が人権の中でも公教育における 告白権jの保障を唱っているすれば、後者の 捕足説明は、能者の定識を大人の極{佐観、ないし
36
は学校という教育組織が持たざるを得なし よつて子どもの「基本的臼由権jが制限 されることを述ベ
する立派な定義が平再子在するも、本音はみごとに補 足説明に示されている。確かに、このような説明 を完全に否定すると、ほとんどの日本の学校は、
教育活動を営むことができないだろう
O
だが、現 在進行中の教育改革の原因は、長年このよう {直観を教員が生徒や保護者に、そして管理識やベ テラン教員が若い教員に意識して、あるいは無窓 識のうちに強く押しつけてきた結果ではなかろう あまりに定義が歪められ、定義の理想、を追求 する教員や生徒の討動あるいは行動を阻んできた のである。こうした雰揺気の強い学校では、生徒会等で基 本的告由権のおさやかな一端を生徒が行使しよう と患っても、教員〈管瑚職)が前述の補定説明に 類似した理患を使うことで、すぐにつぶしてしま いがちである。 みる教員が
ψ
しでも生徒の自主的 な活動を支援しようと思っても、能の教員の負担 が大きくなったり、管理鞍にとって都合が悪けれ ば、やんわりとそうでない方舟付けをされてしま う(的。これを乗り越えるには、徒を支援する教 日常の教育活動が周聞の教員や管理職に支持 されているか、瑚閣の教員や管理職が彼らの裁量 うした活動への理解を有しているか否か で決まる。つまり、何がより正しいのか、あるい は教育的なのかということより、まずは現状維持 が大前提となる人権が年齢にかかわらず、すべての国民(人々〉
されねばならないものとすれば、生徒の年 齢や成長の斑合いによって、これが制限されて誌 ならないということになる。しかし、人権の内官 によっては、すべてを成人と同様に生徒に適用す ることができないのは、文部省の「子引きjの
のいうとおりである。ただ、成人の人権 保障と、学校現場における人権保障との異なる蔀 常に学校や教員のみの、あるいは地方教育 行政機関の判断でこれまで出定化されてきたごと
( 2 )
生徒指導としての操繋・服装指導と人権 ここでは校務分掌組織におけるいわゆるキ徒指弘前学院太学社会
f福祉学部研究紀務
第2サ (2002年)い、とし‑cいる。したがって、文部省は、
自分のものとしてとらえ、白主的・
自律的に学校生活を送る態度を育てるという観点 からの指導に努める必要がある
J
としている( 2 5 )
。しかし、現代のように頭髪・服装の好みが多様 化した時代に、緩やかであれ厳しいものであれ、
│
山
i
.‑的な蝋髭・服:誌に関する校員J I
・生徒心得を自 分のものとしてとらえさせるというのは、非常に 厳しいものがあるといわぎるを得ない。さりとて、頭駐・線粧をまったく自由にしようとするなら、
争く
イメージ の中で学校や教員が日常的にもっとも重視するの 生徒に対する服装・頬髭指導である。学校に かかってくる地域の人たちゃ卒業生からの電話に は、頭髪・服装の乱れをなんとかしてほしいとの 強い要請がしばしばある。この外見で判断されて しまうという現実は、人権を大切にする立場や教 育学の:立場からいえば問題にされよう。
しかし、社会、とくに企業が(もちろん具体的 に基準をぶしているわけで はないが)現状を進ん で変えようとしない限り、多くの学校の頭安・
装をより行自にすることは凶難であろう。より自 由にして、地域社会や企業からよりよし
なることが多
という
'
v‑ ‑
される必要が
うど考える頭髪・
服装であるといってもいいだ、ろう。現在この支え をもし無くしたら、生徒に対して何ら頭髪・服装 に関して規制する合略的期出を教員は持たなくな るであろう
( 2 6 )
。ほとんどの学校・教員や保議者は、進学や就職 の耐接試験の白ijに頗髭・服装をなかなか整えよう としない生徒に対して、学校・教員が整えさせる ことをあたりまえだ、と考えている。ま
教員もこれにこたえてきた。現在のよう 況ドでは、頭駐・服装等が整えられて を受験させると、当該企業から は来なくなるかも
と
るかに難しいことが予測される。学校でさえ、頭 髪や報装の指導を穎数の教員で
f J
二っているところ が多いのが現実であろうO
担任のみの捌髪・服装 指導では、他のクラスの教員や生徒から、指導が 不平等だ、との不満が出たり、指導が難しいことも あるからである。以上のように、生徒指導としての頭髪・服装指 導は進路指導と非常に惰接な関係な持ち、進路決 定という人権保障としての側出宏支えている。そ れゆえにこそ、この
f
秩序形成機能J
が、教員 校)による「善意: J
としての人権使寄を生じさせ てしまうこともあるのである。3
進路指導と人権人権・生徒指導・進路指導・権}J
1
て述べたい。従来の進路指導の結果をと代表しているか のような言説を紹介しておこう
o
歳のある 一日に、どのような成績なとるかによって、彼の 残りの人生は決まってしまうO
いいかえれば、日 本の社会では、大学入試は、将来の経歴を大きく る選抜機構としてつくられているのであ そ の 結 果 、 生 ま れ が も の を い う 資 挟 主 義( a r i s t o c r a c y )は存在しないが、それに代わる一種
の学歴主義( d e g r e e ‑ o c r a c y )
が生まれてい と、OECD教育調査自によって 1 9 7 1
年にまとめ られた報告書に、入試が社会におよぼす影響とし いる。まさに、学歴が強い に結果したわけである。このような状況は
1 9 9 0年代の後半以降かなり
るが、他方で故然とし それに前段 のをいうJ
社 会でみった。例えば、現在では、かなり改善さ ているが、仮にいわゆる有名大学を卒業してまだ部活差別や症日韓同・朝鮮人長男Ijが厳 しく、彼らに対する就職差別は深刻なものがあっ た。中学卒や高校卒はいうまでもない。さらには、
女性や捧害を持つ人々に対する就職差別も '‑L..く存在していたの
る成績・(模擬試験)・生活態蔑・学校行事・
動などに懸命に取り組むかということばかり してきた。つまり、告に見える結果を出し なさいという形式的・表面的な指導である。それ ゆえ、指岡県の多くの高校でも、ブ口セスよりも 結果として「出口指導」を重点化した
を行ってきたといってよい。教員は生徒に、
希望であれ、就職希望であれ、ブロセスを「大切 過ごすように生徒に求めることになる。だが、
この場合の「丈切に
J
は、「進諮保障jという本来 での「進学・就職仁有 なるようにJ
と教員の間でとらえられ、生徒 くもそのように理解することになったと忠わ る。│可和教育における「進路保障
J
決してこのよ 日jの保障のみを求めるものではない。において、ある怠味でこ
なのが、受験の際に企業や進学希望先から中徒が 兼好jI選考を受けないように、生徒に助言・指導す る取り組みである。この取り
ともいうべきものである。
多くの学校における差別選考を受けないようにす るための生徒への指導は、一定の成果を者実に浸 透させてきた一方で、他方では学校や教員によっ てはこうした指導が形式的なものに終わっている 以後、同和(人権)教宵が、西 を中心に との評価があり、そうした課題が今でも残ってい 徐々に畏透・拡大していった。もちろん、この教
育は西吾本の府県でもその設透にはかなり るし、学校による取り組みの程度の違いもあ る 例 え ば 、 福 岡 県 で は 進 路 指 導 に
という人権保障のための理念と を問わず中学・高校で導入さ
‑私立 長年取り組ま れてきている。│進路保障
J
という生徒の学校から の「出口」保障な、できるかぎり実のあるものに するためには、「入口jから「出口J
までの生徒の プ口セスを教員が子寧に見たうえで、指導・助言 していくことが求められる。現実には多くの中学・高校でほとんど 日指導」しかなされてこえまかった(訓。生徒に自ら の将来録について時間をかけて、考えさせるよう してこなかったのである。学校や教員の 多くも、このような教脊の本資的なことより、
業までにいかに進学先・ な
: 1 8
る問題は
f
出口指導に偏り と批判的にいわ[ ] J
において生徒の進路を決め とっては今H
でも至上命題である ということである。例えば、青森では、持和(人 教宵が行われてこなかったが、2 0 0 0
年8
月に 弘前市長が来脊の新規高卒者の線用枠拡大役要請し という記事:など、
る記事が、
る。また、同年
1 0
月には地元の新開にr T i ‑ / ¥
の春J
を泣かせましリという社説(紛が掲載された。こは、し、ずれも高校生が卒業する させたい、
いとの地元の人々 期待にこたえる 進学するとき、
いは進学を決めさせた
弘前学院大学社会福社学部研究紀嬰 第 2
号( 2 0 0 2 年)
とき、 円道をするより、とにかく どこかに合揺をさせなければという強迫観念が多 くの教員につきまとってきた。学校や地域性によ
¥それに公立主私立との違いはあるにして もで、ある。私立高校の場合は、こうした結果が生 徒募集にもろに影響することもあり、教員 の側にこのような思いの強さがかなりある ちろん、はとんどの保護者も一般に卒業時点で生 徒の進学や就職が決まっていることを強く願って いる。
毎日の生徒指導および授業は進路指導のためだ っているわけではない。しかし、
は、日々の学校生活すべてが進路を議実にしてい くものとして指導される。前述した校内における あらゆる活動が、一面では生誌の進路に結び付け られて指導される。もちろん、他面ではそれぞれ の教育活動はそれぞれの教育的価値をもって指導
f
されているから、進路指導のド位に、他の教育活 動が位置づけられているわけではない。これらはかつてな
9 9 0
年代前半額ま に比べれば一瞬きめの細かい指導になっている。というのも、大学や短大で推薦試験が増えたうえ に、年様な試験内容に変わってきたからである。
偏差舘一辺倒の価値観による進路指導に比べれ ば、牛.徒の年面的な能力をいかしうることは教育 は詳細できると患われる。しかし、推薦試験 は場合によっては、生徒の自主性を推薦試験に 本
I J
な自主性.へと方向付けてしベ恐れもある。そうりも、生徒の~耐 逆に牛.徒 をより弱繰密に管理していくことになりうる。
教員が、まじめに取り組めば取り組むほどそうな る可能性が高くなる。みるいは、このようなプロ セスが形式化されていくと、教育や人権の側面よ り権力としての
f
秩序形成機能jという側面を強 めていくことも十分にうに、程度の長はあれ、「学校というの 子どもの自律化を日 僚としながら、他律によ る指導をするというパラドキシカんな組織(:加で あることをよく認識しておかなければ、教員の 意
J
とは逆の可能性をなってしまのである。つまり、社会権としての側 面の強い進路指導は、とりわけ生徒の自律化や自
に教員の冷静な斑臓が必要になるといえよ つO
お わ り { こ
学校の教員は、生徒に対して や人権保障を要求される。
りとあらゆることが学校教育に要求され、
これに可能なかぎりこたえようとしてきた。しか し、たくさんの業務を抱えるとと誌、これをこな して~¥くために、できるかぎり業務が速やかに処 理され、かっ問題が生じないように、事前のチェッ クが教員から牛a徒に対して行われる仕組みができ る事前の チェックも同様である。とのようにして学校にお ける官捺制拡大がはかられてきた。
これにより教員は、生徒の自主的な面をのばし ていく工夫とか、生徒が問題を記こしても、それ を生徒の成長の糧とさせるような発想すら薄らい で九、く。このようにして、学校における教育活動
‑形式化し、管理・権力的側面を強めて きた。本論で述べた進路指導における「入口Jか ら「出口
J
までのプ口セスの大切おはいうまでも ない。だが、これらのブ口セスを大切にするには、それぞれの学校がそれを可能にする環境づくりを しなければ、多くの教員の負担は‑層大きくなる だけである。それゆえ、最初から中途学端な取り 組みしかできないか、 り組んでも
これらのプ口ゼスは形骸化してしまう る。あるいは前述した環境を整え熱心に取り 組み続けても、生徒や保識者かちの反発を招くか
もしれiない。
つまり、本論で述べた「善意
: J
のパラドクスを 教員が意識せずにいると、いつのまにかまた生徒 指導や進路指導が学校や教員の棋のみの都合に変 わってしまうことになろうG
それゆえ、学校や教 員は一面ではと長徒に対して権力的作用• 1
麗人であるという自覚が少なくとも必要なの ではないか。でなければ、学校や教員が一所懸命 教育活動や人権保障に取り組んだにしても、こまでの学校の状況をいささかも変えることができ ないばかりか、学校の権力的側而としての「秩序 影成機能」がますますゆがんだ、結莱になろう。
人権・メE徒指導・進路指導・権
) J
{註】
(1)品
1 1 1
弘文『官僚(同支配のH常構造(善意による支配とはやI か)~、三 A書師、 1989 年、 24 頁。本J命での「官
僚制拡大Je
I官僚制化」という用語は、品山弘文のr1¥僚制拡大は、(行政d古僚制の体系としての)行政シ ステムのもつ社会的機能の変容に
1 ι 1
心的ニコアンス を置いた問題群を立味する鞭念である。ウぷーパ一 的官掠制化は、これに対して、近代的錦人の窓識や生 活隷式まで舟めた、広い意味での社会全鉢の合環fヒ・制捜{とのもつ間頼性をすぐれて文明論的な射絞め下 に問おうと十るjに故構して使った。(向上、
3 5
長。) ドHJ2のためJ
という用語については、学校現場で教 員がこれをよく使うので、この著書の「静設による交 配」という用組の「詩意」に代えて使った。( 2 )
例えば、2 0 0 0
年1 1
月2 8
Flに「人権教脊及び人権持発 の推進に関する法律J
が成立した。(3) ;!i部{亘書 f諜法学
z
人権総論』、有斐璃、1 9 9 4
年、1 9
: g
。
牧妊名 f出家・人権・教育j、坂出輝久能編 f教育の 原 理Iふ東京大学Hl版会、
1 9 8 5
年、2 1 3 2 1 4
説。( 5 )
佐 藤; ' J ]
は「第2 6
条第i項の定める Fひとしく教育を 受ける権不IJHム自社i権としての件ー践と生存権として の性質殺の凶j闘をもっといえよう。すなわち自1 I 1
権 の側耐としては、同氏が教育l什官に対して同の介入 や統制を加え』られることなく、fJrut:.教符を受ける ことができることを意味する。次に、この『ひとしく 教育合受ける総本IUは特に資)J
なきおも教宵を受け る機会を現実に柴持されるというノ左右:捧!としてのt t
紫をもっ e述べ、教脊を受ける棒:科は自由権と社 会棒:の両面の性質をもっとしている。(科:線工}Jf行本
i司憲法概説(全
J T
第:版u
、学i場選婦、昭t 1 1 5 5
年、2 2 9 2 3 0
到。)本論では後占ーの意、I
味として使ったが、学絞という社会権を優先せざ、るをえない場合が多い
組織の Il~ においても、その教育活動においては白山
権 が 吋 能 な 限 り 尊 重 さ れ な け れ ば な ら な い と 考 え る。( 6 )
マ、ソグス・ウ』ι
ーパー著、 j賓島朗、徳永拘訳引克1¥;;社 会学大糸5
(社会学論集辻、古本選出、1 9 7 1
年、2 8 8
長。
(7) 懇誠也は、「在、が、教脊政策とは梼
U J
によって支持 された教育時念であり、教育行政とは権力の機関が 教宵政策を実境しようとする活動である、というの は、作:{rにつL、ての現実科学的な定義である。他方、例えば教育裁判において、私が椴力の教宵内容統制 を不吋だと論じるのは、法規範による七張である」と 述べている。(宗像誠也『教育行政学序説(増捕抜
u
、右斐!語、Il{{表1.1
4
年、2 3 3
長。初版は昭和2 9
年琵行。ごめような宗像の分析にもかかわらず、
1 9 6 0
年代・1 9 7 0
午代の公教育の現場はその時代背景のためか、権力は患であり、良分たち(教員〉が行う教育は菩で あるとする感情的な存期気を麟成主せていったと、
論荷は考えているOこのことが学校の閉鎖性を強め、
京像のいう権力の側はもよ〉ろん、公教育の現場構成 政である教員の側の権力をも強くi写せていった。つ まり、学校では、京像のいう捧
U J
作用e
学校という組 織講成員である教員の権力作舟が混本し、強化され てきたのであるO4 0
なお京裁誠也教ff行政
t
識の変遷については、市JII昭 午「く補論〉宗像教奇行政学批判J
(lWII昭午 f教育 行政の用論と構造』、教育開発研究所、昭和5 0
年、3 5 5 ~- 4 2 1
氏。)営参照。( 8 )
本論では、学校の教肢をM.
リブスキ…のいうス卜1 )
卜・レベルの背僚として論じている。彼は以ドの ように述べている。「ストリー卜・レベルの官僚は、社会統制IJ~' としての役割を通して起ご η つつある蔀 藤の規鰐に決定的に重要な設訴を果している。公共
f
的
存
j
設な{梗更f袋主を受給しているi
点iむil民主.¥;は告分たちにある の行動を暫求ししrている公E伊的ド均j
訴組i織織‑と相113作/守ヤ!ド;用してい るo r t i [ 1
誌はその組織の要求を子践しなければならな い。サービスをlt請している占は、1 ' ]
分たちの行為 を、自分たちの受けるサービスとfJ分たちが相対す るストリ…卜・レベルの官僚に対して『踊切なそれJ
と~れる態慌に変えなければならない。教師は、学校 教子ずと教師自身および他の相台:f
' p
用における効率と に対して適正とおれる態度をもつように艇や子ども た ち に 、 そ の 期 待 金 伝 達 し た り 強 制 し たηしてい る。j(マイケル・リデスキー著、I‑H思雅夫訳行t
致サー ビスのヂィレンマム木鐸社、1 9 8 6
年、2 7
針。〉( 9 )
嬬t
え官、j
努『戦後殺打を考える』、行政新省、1 9 8 4
年、1 7
民。(1
0 )
国持j j
践広「国家戦略としての高等教育政被と学術u
政
J
、IMj村j幸雄糊『戦後教育の歴史構j長J
、社会評論社、1 9 8 8
年、1 7 3
以。(lI)島問晴雄『日本の雇用
J
、ちくま新書、1 9 9 4
年、4 8‑ ‑ ‑ 8 4
真。(I
2 )
むIH龍ff1'':墜主義の楚展構造ふ日本評論社、1 9 8 1
年、
1 2 7
災。福.JA:I
ぬfU
本社会の構進{第二販は、東 京k.学11¥版会、1 9 8 7
年、約百。テンコヱス器、杉之 原 寿 川 訳 『 ゲ マ イ ン シ ャ フ ト と ゲ ゼ ル シ ャ ブ(上)~、岩波文路、昭和 32 年。
(1
3 )
柳治男『学校のアナトミアJ
、東fr¥'堂、1 9 9 1
午、7
貞。( 1 4 )
前掲持、畑ru弘文、35H
。(1
5 )
川上、2 6 4 2 7 5
民。283¥284 i i o 4 2 3 44:~ R o
(16)文部省民高等''7:校進路指導資料第 2分
1
削、財団法人 日本進路指導協会、平成5
年、7
氏。前掲謀、 ft騒が
j
、1 1 8
九1 1 9
兵。2 2 1 r i
。( 1 8 )
斡丹新路、1 9 9 : 3 { f
(平成5
年)6}]9
日、{[犠崇f人 権の持艇はf白己実現j
政治・経済の教科書で実験 的試み(1
9 )
文部省 f'U占体験や人間関係な壊かなものとする生 徒 指 導 ム 大 蔵 省 印 刷 局 、 昭 和6 3
杯、1 6
氏。(20) 文部省教育助成川r.教育委民会月報~ 9
月 号 (N.o5 1 8 )
、平f皮5
年、4
~1 5
tlし「自口実I児J
という考え 万は、教育基本法のliij文「側人の時厳を重んじJ
、r
{l.訓1.ゆたかな文化の台1 1 ;
告をめXすj 、;p;~;長「個人
の細f[l告をたっとびj
、r n
r:的粍神に充ちた心身と もに{建設な国民の育成人そして第:条「自発的精持 を義しリなどの表境からして、あまりに巧黙なもの である。現実が違いすぎたというべきである。(21)文部室『生徒指導の子'JIき(改訂版
u
伶届1])、大巌 有印刷局、約五5
年、1 1
以。本:論では、具体的には 服装・頭髪指導という現実の生徒指導の典型的な部 分をおもに扱う。(22) lii] L、[,;
J
訂。弘前'字院大学社会福祉学部研究紀要 第
2
けは∞2
年)(2~j) 行1
!‑t,雄『成功信向の生徒指導ム東洋館出版社、平成 2午、 27~28 長。罰中は自らの{教脊持政と校長を
汗む)36年間の教織を通しての経験から織段会議の 雰囲気についてごう述べている。 rもう誰もが 主主く先は見えておη、すべては大同小異、ただ、移少混 し崎、早いかの僅かの互にj品さf
なく、あたv )
年も為れ ばはずれ年もある、まあまあにいけばそれでいいの ではないか』という見込み発担で通じf ?
っていくの である。そうしたところでは宕い教師たちがふとし た思い違いから的はfれの立見なごに附執しようも のなち不協和舟としてl l
iJかれるか『あとで』と将くあしらわれて進行主れてしまうごとになる。
J
(24) r斗i
、 二
27r c
(25)
ド村軒先 ~Q&A 生徒指導の法律知識J 、文教書院、
1989年、 13j;'(。
(26)毎日新問、 19961!".2月28fl、「去を髪 ピアス 縁談 にも支持
(27)文部省間毒性を生かす進路鼎縛をめざして
J
、u本進 路指導説会、平成5
if.、l
札7
真。(28)
OECD
教腎調出卦編著、深代将郎択 Hl本;の教育1&築ふ朝日新出社、 1976年、 92 93到。
(29)かつては
I P i J
和数寄J
と え ば 、 被 来 日J I
部落U I I
身) の人々に対する義務jをなくすための数台‑がほとんど であったが、現荘で拭地域・学校差はあるものの、r [ n J
布教育jと喜子iまうがi人権教脊jと将ほうが、様々な
A
jJjをなく寸ための数寄をりっている。だが、この双l 方の名称の使いJilこはいまだ議論のあるとごろであ る。現寂でも、らくの学校でf内孝LI教育jという名称 が妓われている r例制教宵施策J(福間諜教育委員 会作成のf‑成 10 の研鰐会資料タイトル)にみられ るように、行政施壊や内部組織にもrl寸平1 1
教脊jが能 われてし1
る。(30)
1 1 1 1
崎武、他縦『入門進路指導・相談』、耐村I U
瓶、 2000 年、 9到。(:11) IIi
J
和教育における「進路保障J
については別の機会に詳しく論じたし
(32)東奥訂報、 2000年、 8Jj 23日。 おお東経翌日報、 2000'午、
1 0
月けは心朝日薪~詩、 1991 年、 6 月 5 打。
(35)尋問新!語、 1991年、 7丹27fl。藤諒英会
t
r高校から 職安代理業務なくせj
。この記事の中で、藤!東氏は論 者が考える進路指導における官捺誕の拡人イヒを指摘 している。f①学校の進路揺導部が実質的に職業安屯 所の観を呈してし1
ること ③担当教nlliが熱心な教師 であるほど、実務にのめり込んで勢い、1仕業の )jへ 顔 を向ける度合いが強くなること 〈詩人間形成がます ます遅れているという新人額仁、その怠!どの有無に かかわらず、 ・律に職業選択を行わせるごとの般開などである。 j
また、官Ll
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次は次のように述べている。「職安の活 動力は、しかし、 60年代後半以降、大衆労働力の中 心が中卒から高卒へとシフトとするなかで急成に成 え、職業紹介の』: ι
投は職官カか、らた。今日では、高卒者ーの就職は企業と学校のi夜搬の結
び、つきを中核とする ~1同捜J のもとで行われ、一
ここでは求人の内脊が法的に滴切かがjかがチぶツク されるだけでJ
ある。 r,高校は求人禁に記載された『枠
J
に克合うように進銘指導を行って生能を選抜 し、企業に推薦する。教背出動の一環として行われる そこでの指導は、求人枠の制約のもとで、教師がJ
さま ざまな培報を積極的にテえて定徒にく自己選抜〉を促 すことで進めら紅る。こうした仕組みのもとでは、f主 体的主求人の提J誌に先立ってr.i議総iを選定ずると う鞍業指導の本衰のプ口セスは、そもそも成η
立ち ょうがない。J
(苅谷鰭彦、管IL!終次、行間治編f学校・職安と労{動Ifj場』、東広大学出版会、 2000年、 255 256区。)
(36)森 隆 夫 f教 宵 行 裁 に お け る 法 的 思 考 と 教 宵 的 思 考