東京圏における公共交通志向型都市開発
著者 鍛冶 智也
雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal
巻 102
ページ 127‑155
発行年 2017‑03‑07
その他のタイトル Transit Oriented Development in Tokyo Metropolitan Region
URL http://hdl.handle.net/10723/2992
東京圏における公共交通志向型都市開発
鍛 冶 智 也
Ⅰ 東京圏の鉄道事業者の財務構造
東京圏の鉄道の財務構造においては,「本業」である旅客輸送 (鉄道事業) は その「支柱」であることは確かであるが,売上の「主要」には必ずしもなって いない。これを理解するには,東京圏の鉄道事業者による公共交通志向型開発 の実態とその歴史を理解する必要がある
(1)。
図 1 の「連結売上高に占める非鉄道事業の割合」 をみると,東京の市街化地 域を運行する東京メトロ と大都市圏以外にも運行する JR 東日本 を除く,大手
「私鉄」各社の売上の大部分は,非鉄道業の売上に依存していることが理解で きる。
非鉄道事業 鉄道事業
0 20 40 60 80 100(%)
東京急行電鉄 小田急電鉄 相模鉄道 京王電鉄 西武鉄道 京成電鉄 京浜急行電鉄 東京メトロ JR東日本 東武鉄道
資料) 『会社四季報』及び各社ホームページの決算短信より算出。2013-14 度の平均値。
図1 連結売上高に占める非鉄道事業の割合
128
2015 年度の JR や大手私鉄の決算は,各社とも好調である。主に,訪日外国 人客を始めとした利用客の増加によるものであるが,構造的な側面も無視でき ない。各社の鉄道事業の売上高営業利益率は,軒並み 10%以上であり,製造 業の平均 7.9% (2014 年 3 月期) ,非製造業の平均値 5.6% (同) を大きく上回る。
鉄道事業は,設備投資など膨大なインフラストラクチャーを維持し,安全運行 を続けていくためには固定費が重くのしかかり,損益分岐点は高くなる。しか し,ひとたび損益分岐点を超えると,追加的なコストがほとんど発生しないた め売上はほぼそのまま利益となる。利用者が増えれば増えるほど急速に採算が 向上する特徴をもっている。
連結売上高と営業利益率の相関をみると,東京メトロでは,鉄道事業の売上 高は 3,453 億円 (営業利益率 25.2%) で,連結だと 3,969 億円 (同 24.9%) ,JR 東 日本では,鉄道事業売上高が 1 兆 8,792 億円 (16.2%) で,連結だと 2 兆 7,295 億円 (15.3%) と,鉄道事業の営業利益率と連結の営業利益率がそれほど変わ らない数値を示している。一方,他の私鉄各社も鉄道事業における収益率は,
11%から 24%の高い数値で推移しているが,連結売上高でみると収益率は下 がり,6%から 10%程度にまで落ちている。連結することによって売上額は,2.6 倍から 6.2 倍に膨れ上がるが,営業利益率はほぼ半減していることが読み取れ る。私鉄各社においては,本体の営業利益率の高さは,比較的利益効率の低い 非鉄道業の収益に経営を依存していることで支えられていることが理解できる。
以上のことから,東京圏の鉄道に関わる財務構造に関して,次のことがわかる。
1) 東京圏の私鉄各社のビジネスモデルは,旧国鉄の JR 各社や大都市の市街 地の地下に運行する地下鉄事業者である東京メトロのビジネスモデルとは 異なっている。
2)東京圏の私鉄各社の鉄道事業の営業利益率は,高い数値を示している。
3)東京圏の私鉄各社の経営は,鉄道事業以外の収入に依存している。
上記のような財務構造がなぜ生じているのか,以下に考察する。
Ⅱ 東京圏の鉄道網の特徴
1 山手線と複数事業者間の相互直通運転
東京圏の鉄道網は,地下鉄,JR,私鉄各社の 3 者が役割分担を行い比較的競 合のない共存体制が敷かれている。図 2 は東京圏の主要鉄道網を簡略に示した ものである。実際は,もっと多数の路線が営業しており複雑なネットワークを 形成しているが,理解しやすいようにモデル化している。中央の環状線は山手 線であり,東京圏の鉄道は,山手線の内側と外側では事業者が区分されている。
山手線の内側は,環状円内のぼかしで表しているが,ここは東京メトロと都営
東京
図2 東京圏の主要鉄道網
130
の 2 つの地下鉄事業者で計 13 路線
(2),路線延長約 300 キロメートルが網の目 のようなネットワークを形成している。ネットワークは,概ね山手線内に納まっ ているが,一部外側にはみ出ていたり,私鉄の路線と直通運転で繋がって運行 されていたりしている
(3)。1970 年までは,この地域は路面電車が運行されてい たが,順次地下化され今日に至っている。実線は JR 東日本の路線で,全国ネッ トワークの一部を構成する都市間鉄道路線である。一点鎖線は,上記以外の私 鉄の路線で,原則的に山手線 (破線) のターミナルに接続しており,このター ミナルを発着するか,地下鉄に接続して直通運転をしている。
このように東京圏では鉄道は,山手線の内外で事業者が棲み分けしており,
かつ路線域が競合している路線も少ないため
(4),私鉄各社と地下鉄事業者は営 業上の競争関係になく,異事業者同士で直通運転を妨げる要因は少ない。むし ろ,私鉄の山手線に接続する発着ターミナルは,同時に東京の副都心でもある ことから,地価が高く広大な自前のターミナルとして利用することは経営的に 非効率であるため,発着駅としてではなく,通過駅として運行することを選択 し,ターミナルの代わりに駅舎も見えなくなるぐらいの大きな商業施設が駅を 取り囲んでいる。改札が IT 化で IC カードの電子決済になり,事業者毎の乗車 券発行の煩雑さから解放され,利用者の乗り継ぎの利便性とターミナルの混雑 緩和のため直通運転路線を拡充している
(5)。複数の鉄道事業者が相互に相手の 路線に乗り入れる相互直通運転は,民間事業者にもかかわらず,各社間にサー ビスの競争や競合が少なく分業的な体制で成立するため,世界的にも例が少な い東京圏の鉄道網の特徴の一つとなっている。
2 地下鉄の運営の特徴
東京圏の地下鉄網は,概ね山手線内に納まっており,山手線のターミナルや
郊外と繋ぐ近距離電車と接続している。これまでみてきたように,地下鉄事業
者である東京メトロは,売上高にみる経営規模も大きく,営業利益率も格段に
高い水準になっている。地下鉄は,もともと市街化地域に敷設されているため,
軌道敷設以外の開発余地は少なく,駅構内も地下化されていて地上の施設も限 定的であるため,非鉄道事業の余地は少ない。
現在,山手線内の全地域は,あらゆる地点から鉄道駅まで徒歩 15 分以内で 到達できるよう整備されていて,郊外地域と比較して,駅の設置密度は最も高 くなっており,利便性は高い。しかしながら,ロンドン,ニューヨーク,パリ という公共交通機関の発達した他の大都市と比較してみると,駅の設置数,面 積当たりの数は,共に他の 3 大都市と比べて 2 分の 1 から 3 分の1に少なく なっている。加えて,中枢業務地区 (CBD: Central Business District) 内のオフピー ク時の運行頻度も相対的に低く,東京の中心部は他の大都市の中心地域と比べ ると,鉄道の利便性は相対的に低いことがわかる
(6)。
3 JR の運営の特徴
世界の各都市の駅別乗降人員数の上位 10 位までに 6 駅 (新宿,池袋,渋谷,
東京,品川,高田馬場) を含んでいる山手線の営業効率は当然に極めて高い。
2014 年の営業係数 (100 円の収益に要する費用) は 51.5 である。東京圏内の JR 各路線,すなわち東海道線 (87.4) ,横須賀線 (69.9) ,中央線 (57.9) ,総武線 (65.4) , 常磐線 (60.3) ,東北線 (44.0) も軒並み高い水準を示している。
1955 年から 70 年にかけて,日本では重化学工業の発達により都市人口が急 激に増加し,人々は住居を郊外に求めて都市圏が拡大し,通勤時間帯の混雑は
「通勤地獄」と言われるほどになった。1960 年の混雑率は,東海道線 251%,
中央線 279%,東北線 307%,常磐線 247%,総武線 312%と深刻さを増してい
た
(7)。国はこれに対して,当時としては巨額の 6,800 億円を投じて,上記各路線
の「五方面作戦」を進め,複々線化や緩急分離などの対策を講じた。この時の
資金は,財政投融資による借入金が投入された
(8)。2000 年になると,どの路線
も混雑率は 200%前後まで落ち着くようになり,現在では最混雑路線でも 200%
132
を切っており,東京圏の平均では 165% (2014 年) にまで低下してきている。
近年,他の私鉄会社と同様に鉄道事業以外の事業展開がめざましくなってい る。国鉄時代の 1872 年に新橋―横浜間に最初の鉄道が開通した際に,新聞の 立ち売り,駅構内の販売,構内食堂と駅における非鉄道事業が始まり,鉄道広 告,弁当販売,直営ホテルなど関連事業は拡大していったが,国有鉄道の公共 企業体としての立場と能力からあらゆる事業に出資することは妥当ではなく,
本来の運輸業の目的達成に必要かつ有益な限りにおいて認められるべきという 考え方に基づいていた (日本国有鉄道法第 3 条) 。その後,国鉄法等の改正により,
ターミナル駅の建設運営事業,駅レンタカー,スポーツクラブ等への幅広い事 業への投資が可能になり,いわゆる駅マエ開発が始まった。その後の国鉄民営 化によって,駅構内の生活サービス事業を充実させることが可能になり,駅ナ カ開発も進んでいる。民営化当初は,非鉄道事業の収入は 8%であったが,現 在では図 1 にみるように,連結ベースで 3 割を超えるようになり,今後も成長 の可能性を秘めている
(9)。このように JR 各社は,国有鉄道であった歴史的な 背景のため輸送業務以外の事業を展開することには規制が掛かってきたが,今 日では少しずつ他の私鉄各社のようなビジネスモデルに移行しつつある。
4 私鉄の運営の特徴
東京圏の私鉄網は,山手線から放射線状に延びている。山手線は 1925 年に 現在の環状運転形態が完成する。私鉄各社は,1907 年に東急田園都市線が渋 谷にターミナルを建設するのを皮切りに,概ね 1933 年までの間に山手線各駅 にターミナルを設置した。一方,山手線内は自治体である東京市 (当時) の運 営する市電・路面電車が順次路線網を拡大して,山手線の各駅に接続するよう になる。1938 年の陸上交通事業調整法に基づき交通調整が実施され,国の運 営する山手線の内側は,自治体 (東京市) の運営する路面電車が独占的に運行し,
帝都高速度交通営団に私営地下鉄が統合されたため,民間企業の運営する私鉄
は山手線内に参入する免許を獲得することができなかった。そこで,私鉄各社 は山手線から郊外に路線を延ばす戦略を採らざるを得なかったわけである。
1955 年には,都市交通審議会の答申で前記の相互直通運転が可能になり,地 下鉄を介して都心乗り入れを果たすことになった。
こうして今日見られる山手線の内外の分業体制が整うことになるのである が,当初は人口密度の低い郊外からの輸送は,地下鉄・路面電車の運行してい る市街化地域と比べて,輸送対象人員が少なく,上り下りの一方向だけが混雑 する片荷輸送の輸送効率が低い状態を強いられることになった。この経営上の 不利を打開するために編み出されたのが,地価の安い段階で大規模に土地取得 しておいた路線周辺地域の開発を,鉄道敷設に並行して路線一帯に住宅開発を 進め住民を呼び込むだけでなく,勤務地や観光地を誘致する地域開発を展開し てきた。都心の地下鉄 (路面電車) や JR (国鉄) の都市間鉄道事業者が,純粋 に輸送事業者であるのに対して,郊外と都心を結ぶ中距離鉄道の民間事業者は,
輸送事業者であると同時に路線地域一帯における開発事業者でもあるという,
日本独特の公共交通志向型の開発がなされるようになった
(10)。
Ⅲ 私鉄の経営構造と公共交通志向型都市開発
1 東京圏における鉄道経営のビジネスモデル
大都市の市街化地域内の都市交通は公営事業として地下鉄 (路面電車) が担 うことになったため,人口密度の相対的に低い郊外地域と都心を結ぶ機能を担 う私鉄各社は,独特のビジネスモデルともいうべき公共交通志向型都市開発を 構築し,収益性を上げる努力をすることになる。
すなわち,第 1 に,鉄道事業者は,山手線から郊外を結ぶ半開きの扇形をし
た沿線地域の鉄道を独占的に経営することで,鉄道の逐次延伸及び新駅設置を
134
郊外地域の開発の進捗に合わせて実施する。鉄道事業は大規模な設備投資産業 であるから,需要に対し過大な設備投資を行えば経営難に陥りやすい。適切な 規模の先行投資を行いつつ,順次相応の開発利益を獲得し,その利潤をさらに 開発と鉄道に再投資し,鉄道経営と沿線開発とを持続的に進めるという経営戦 略を立てていった
(11)。
第 2 に,鉄道と開発の一体的整備において,両者が相乗効果をもつ土地利用 の仕組みを構築していった。通常,郊外住宅地からは,朝の通勤・通学時にお いては都心方向へ,夕方の帰宅時においては郊外方向へ,一方向に偏した輸送 需要が発生するが,このことは逆方向では空荷 (片荷) 輸送となることを意味し,
非効率な運営となってしまう。しかしながら,郊外に大学や学校,工場や研究 機関,そして百貨店やショッピングセンターなど商業施設や遊園地や球場など の遊興施設などを開発誘致することにより,平日においては通勤通学の逆方向 への需要の喚起をし,休日においても都心だけでなく郊外に向かう輸送需要を 創出することで双方向での高い乗車率を確保する開発を進めていった。土地利 用規制は,地方自治体の有する都市計画権限に属しているが,鉄道敷設が国土 交通大臣の諮問機関である交通政策審議会の議を経て,認可されれば,沿線地 域一帯の土地利用規制は緩和されやすくなり,開発余地は多くなる。東京圏の 私鉄の特徴は,鉄道事業だけでなく,バス事業,不動産事業,観光・レジャー 開発,小売業など,多岐にわたる事業を行って本業との相乗効果をだしている ことである
(12)。
第 3 に,図 3 の「私鉄の沿線開発と関節交通」にみるように,私鉄路線の各 駅周辺には,商業施設を誘致し,経済活動が活発な地区として成長させる一方,
駅から少し離れたところに集合団地などの住宅地区を造成することで,駅周辺
一帯 (駅前商店街) を日常的な商業生活圏として成立させながら,緑豊かで健
康的な住宅環境を創造させようとしてきた。そうすると自宅からは,バスや自
転車などの交通手段を使って駅で乗り換え,駅から鉄道を乗り継いで都心へ (あ
るいは郊外の学校へ) 向かうという利用形態となるが,駅が交通のハブとしての 役割を果たし,周辺地域からスポーク状に駅に向かってバスや自転車,徒歩で 集まり,鉄道に乗って目的地まで辿り着くという駅があたかも関節の役割を担 う関節交通の形態を構築させてきた。駅周辺から駅と結ぶ路線バス (矢印) は,
沿線開発をした鉄道会社の系列バス会社が担い,鉄道とバスは一体的な運営が なされている。世界の他の大都市地域では郊外地域のバスは,直接都心と直接 結ぶ運行を行うのが主であるが,東京圏では近隣の鉄道駅と接続しているのが 通例で,同じ私鉄会社のハブ・スポーク型の公共交通体系ができている。
こうしたビジネスモデルは,輸送業と不動産業を中心とする地域のデベロッ パーとの極めて巧妙な混合形態であり,図 1 にみるとおり,東京圏の私鉄経営 の需要な柱となっている。東京の私鉄 6 社が開発した郊外の住宅地は合計で
直通運転で都心へ ターミナル
開発 商業施設 大学・学校
工場
宅地開発
劇場・球場
図3 私鉄の沿線開発と関節交通
136
13,947 ヘクタール (戦後に限っても 12,355 ヘクタール)
(13)であるのに対して,公共 セクターである日本住宅公団が東京圏で開発した住宅地の総計は 11,002 ヘク タール
(14)であることから比較すると,私鉄資本の住宅開発の重要な地位が理解 できるが,こうしたビジネスモデルが成立したのは,私鉄各会社が経営戦略と して工夫を重ねただけでなく,国や自治体の政策とも密接に連携してきたため である。加えて,大都市郊外に住む住民のために利便性を向上させることが,
路線地域の居住住民を増やし,ひいては鉄道の事業収益を上げていくことにつ ながるモデルであるため,郊外部での鉄道の列車運行の頻度や正確さ,駅の数 は,ニューヨーク,ロンドン,パリの他の 3 大都市と比較すると,格段に高い 数値を示していて,利便性が高い
(15)。東京の鉄道交通は,他の 3 大都市と比較 すると,都心部は相対的に不便で,郊外が便利になっているが,これは上記の ビジネスモデルがあることに起因している。
2 鉄道整備の財政助成制度
私鉄各社は,既述のように地域開発と鉄道事業をセットで進める経営である ため,鉄道事業者の投資リスクを国が軽減させて推進する必要がでてきた。こ の目的で 1986 年に「特定都市鉄道整備促進特別措置法」に基づき特定都市鉄 道整備積立金制度が創設された。通称,「特特制度」とよばれるこの制度は,
10 年以内に完了する複々線化等輸送力増強工事を対象に,この工事費の一部 を運賃収入の一定割合より非課税にて積み立てた積立金より拠出できるとする 制度で,事業者からみると,無利息の資金を調達できるメリットがある。一方,
積立金については,工事終了後取り崩されることになり,開業直後に減価償却 費が運賃原価に算入されることによる高率の値上げを回避できるという,利用 者にとってのメリットも生じた。
さらに,大都市地域において,鉄道整備を沿線の開発と整合性をとって一体
的に推進するために「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進
に関する特別措置法」が制定され,大量の住宅地の円滑な供給と,大都市近郊 と都心の区域を直結する大規模な鉄道新線の着実な整備が図られ,自治体の地 方債の特例を用いて助成金が拠出できるようにしたり,線路設備等の固定資産 税を一定期間減免されたりする税制上の特例制度が創設された
(16)。
Ⅳ 公共交通志向型都市開発に関わる基盤的な諸政策
これまでみてきたような鉄道を中心とする公共交通志向型の都市開発が,な ぜ東京圏で展開されるようになったのかを理解するには,関連する諸政策につ いて少しく遡って辿る必要がある。すなわち,東京圏では,1960 年以降の高 度経済成長期に,都心周辺から郊外にかけて開発が進み,市街地が拡大し,居 住機能特化型市街地が形成されるようになる。これと並行して,土地利用のス プロール化と共に長距離通勤,通勤混雑が顕在化したため,都心部への通勤需 要に対する高密な公共交通機関ネットワークが整備されるようになる。そして,
広範囲の市街地開発の結果,①都心部:業務中枢機能が集中,②都心周辺部:
密集市街地域や公共施設整備の不備,③郊外部:ニュータウン開発等による居 住機能特化型の新市街地形成,というような同心円状の都市構造が形成される ことになった。さらに,都心部の業務機能が拡大され,除々に周辺の核都市に 機能が付加されていくことになる。そして, 「日本の国土は狭いので地価が高い」
「都市部は既に飽和状態なほど窮屈」「都心部は生活環境が良くない」という 事実とは異なる ” 土地神話 ” が生まれることなった。
このような事態が生じたのは,歴史的には以下の 4 つの国家政策上の諸要因
が考えられる。第 1 に住宅政策上の要因,第 2 に都市計画上の要因,第 3 に交
通政策上の要因,第 4 に税制上の要因である。
138 1 住宅政策上の要因
戦後の経済政策 (住宅政策) は,所得の中間層の拡充を図り,社会モデルの 標準化を進めることにあった
(17)。すなわち,勉学に精進して高等教育を受け,
できるだけ安定した企業の正規職員として新卒で就職し,結婚して子どもを産 み育て,年功を経るなかで賃金水準を高めながら貯蓄して,賃貸アパート暮ら しから脱して庭付きの一戸建てを所有するといった社会的な「梯子」を登って いくことが,大方の若者の望む理想像であり,期待される人間像でもあった。
賃金労働者のうちの正規職員比率は 2015 年には 60%を切ったが (厚生労働省『就 業形態の多様化に関する総合実態調査』2015 年) ,1990 年では 80%を維持していた ので (総務省『労働力調査』) ,年功序列賃金体系は企業内で堅く維持され,転勤 は我慢しても転職しない方が経済的に有利な場合が多かった。アパートなど民 営借家の賃貸物件は,購入物件に比してその水準は劣悪な場合が多いだけでな く,賃貸契約の際には敷金や礼金として 1⊖2 カ月分 (東京圏の場合) を家主に 支払う慣習があったり,契約更新の際にも店子だけが更新料を支払う慣例があ り,身元保証人を立てなければならない非金銭的障壁も加えると,賃貸住宅は 望ましい条件を備えていない。政府も梯子を登っている人には,所得税や住民 税,果ては贈与税・相続税の配偶者控除が認められているし,取得した持ち家 には住宅ローン減税が適用され,所得税や住民税が控除されたりする。標準化 された社会モデルに誘導するために,結婚と雇用確保,そして持ち家取得に向 かわせようと,政府は各種施策で支援してきている。
1922 年 (大正 11 年) に東京府社会課が実施した『中等階級住宅調査』によれ
ば,「全体では借家居住が大半を占めているが,銀行員,中等教員等,収入が
比較的高い階層で持ち家への移行がみられる。郊外電鉄の敷設と結合した分譲
住宅の供給が進められ,この頃から大都市郊外部を中心に新たな都市持ち家層
が形成」
(18)されていた。その後,厚生省生活局が実施した 1941 年 (昭和 16 年)
の 24 都市
(19)に対する『大都市住宅調査統計表』によれば,東京市の住宅総数 は 121.9 万戸で,その内の 25.2%が持ち家である。この時に,持ち家 1 戸当た りの平均畳数が 27.5 畳で,借家のそれが 15.0 畳であるので,持ち家は借家の 約 2 倍の広さを有していたことが分かる。戦災を経て 50.8%の住宅が焼失した 東京では 1948 年には持ち家率が 48.5%に倍増する。バブル崩壊直後の 1993 年 には東京都区部の住宅総数は 337.7 万戸で,持ち家率は 42.3%となっている。
一方,郊外地域である横須賀市の住宅総数と持ち家率の推移をみると,3.6 万 戸/33.4% (1941 年) → NA/45.4% (1948 年) → 13.4 万戸/62.4% (1993 年)
となっている。こうしてみると,東京区部 (旧東京市域) の持ち家率は,第 2 次大戦期までで頭打ちになっているが,郊外では戦後に持ち家率が急増したこ とが分かる
(20)。
戦後の住宅政策の基調は,持ち家政策である。戦後の中心的な住宅法制は,
住宅金融公庫法 (1950 年) ,公営住宅法 (1951 年) ,および日本住宅公団法 (1955 年) で,「住宅の 55 年体制」
(21)とも呼ばれる。公営住宅法によって,地方自治 体が低所得層向けの低賃金の公営住宅を建設していったが,他の二法は主に中 間層向けの政策であり,住宅金融公庫法では持ち家取得に長期で固定の低金利 の住宅ローンを供給し,日本住宅公団は集合住宅の団地を開発し,提供した。
なかでも,住宅金融公庫の融資は,日本の経済政策と福祉政策に密接にかかわっ
て持ち家政策のエンジンの役割を果たしてきた。高度経済成長期は,インフレ
が続いていたため,持ち家取得のためには多額のローンを組んで返済しなけれ
ばならないが,所得も年齢と共に上昇し続けたので,住宅ローンの債務は実質
的に減少することになる。加えて,バブル崩壊までは土地神話によって地価は
上昇をし続け,効率的な資産形成の手段となっていった。同時に,持ち家とい
う不動産資産を保有し,ローンを完済した高齢者は,住み続ければ住居費は維
持費のみに限られるし,場合によっては,売却によって老後の生活のための資
金調達が可能になり,増大する社会保障費を圧縮する手法にもなっていたわけ
140 である
(22)。
東京圏における主たる住宅政策の供給地は,戦後からバブル崩壊直後までは,
「郊外」が中心であった。郊外とは,「都心周辺地域の,都心に通勤する人び との居住に特化した地域」
(23)であり,東京圏で言えば,東京の市部である多摩 地域と近隣 3 県 (神奈川県,千葉県,埼玉県) の市街化地域である。東京圏の新 設住宅戸数の都県別の割合をみると,1955 年には東京都内の住宅供給割合が 63%であるのに対して,近隣 3 県の割合は 37%であった。この時点では,東 京区部が住宅供給の中心であったことがわかる。一方,バブル崩壊直後の 1993 年の時点では,両者の関係は逆転し,東京都が 33%,近隣 3 県が 67%と なっており,前述の持ち家率の推移と符合している。この間に,住宅供給の中 心が郊外に移って行ったことがわかる
(24)。高度経済成長に伴い,農村部から若 年労働人口が大量に流入した結果ではあるが,郊外には,公務員,弁護士,医 者,銀行員,商社員など,「重化学工業化と都市化が進展するなかで生まれて きた,大学や高等専門学校を卒業した高学歴のホワイトカラー層,すなわち『新 中間層』が居住するようになった。彼らとその家族は,近郊私鉄の沿線に住居 をかまえ」
(25),鉄道を利用して通勤・通学するようになった。東京圏の鉄道網は,
1930 年代には現在のネットワークの基幹部分は整備されており,その後,90 年代までには郊外地域への延伸,地下鉄との直通運転,複々線化などで輸送の 広域化と増強化が図られ,人口の受け皿となっていったことが理解できる。
では,なぜ東京区部 (都心と都心周辺部) ではなく,郊外がその受け皿になっ たのであろうか。東京をニューヨーク,ロンドン,パリの 4 大都市間で比較し てみると,都心の人口密度は,ニューヨークは東京の 3.7 倍,パリは 3.4 倍,
ロンドンはほぼ同じであるのに対して,郊外の人口密度は,東京はニューヨー
クの 7.6 倍,パリの 9.2 倍以上,ロンドンの 5.0 倍となっており,東京におけ
る都心部の夜間人口の過少と郊外人口の過大と延伸化は際立った特徴になって
いる
(26)。この点についての経緯は,東京圏の都市計画と交通政策についてみな
ければ理解できない。
2 都市計画上の要因
都市人口が急増する大正中期までは,東京は江戸の町割を色濃く残す都市構 造を有していた
(27)。これは,1916 年の東京市 (15 区) の住宅の建物・敷地規 模をみることによって理解できる。都心区である神田区,日本橋区,京橋区,
麹町区の 4 区と,その周辺の 11 区を比較してみると,住民 1 人当たり建物坪 数は,麹町が 5.8 坪で突出している以外,2.0 坪から 3.9 坪までの坪数で特段の 違いはみあたらないが,1 戸当たりの敷地坪数を比較してみると,いわゆる「下 町」である神田と京橋は周辺区の半分程度坪数しかなく,麹町は 2 倍近い坪数 になっている。1 戸当たりの建坪数をみると,神田と京橋は周辺区と同じ程度 の坪数であるが,麹町,日本橋は周辺区の 2 倍から 3 倍近い坪数になってい る
(28)。武家屋敷の名残がある中心地域は庭のついたゆったりした比較的大きな 宅地であるに対して,中心部の町人地区は比較的狭苦しく住宅が立ち並んでい た。周辺区は比較的小さな住宅が密集している状態であった。すなわち,この 時点から都市の中心部よりは周辺部の方が,人口密度が高くなっていたわけで ある
(29)。
実はこの時の都市構造が,そのままの型で膨張・拡大して今日に至っている。
1888 年 (明治 21 年) の東京市区改正条例を継承して,都市計画法及び市街地建
築物法が 1919 年 (大正 7 年) に公布されると,用途地域などに応じた警視庁に
よる実効的な建築規制が可能になった。この直後の 1923 年 (大正 12 年) には
関東大震災が発生し,帝都復興事業と共に,大規模な土地区画整理事業が施行
された。幹線道路の拡幅や街路の整備などが行われたが,帝都復興事業が東京
の中心地域の都市基盤整備が主であったため,住宅供給の面では不十分で,私
鉄資本と結びついた沿線開発が郊外地域の住宅供給を先導し,郊外の市街地は
無秩序に広域化していた。東京市は周辺 5 郡 82 町村を合併吸収し,1932 年 (昭
142
和 7 年) に「大東京市」が成立し,市域は旧市の 6 倍余となり,大都市圏を一 自治体によって管理することが可能になった。
郊外地域の東京市への編入で大都市域は拡張されたので,これ以上の過大な 膨張を抑制するために,1938 年に都市計画東京地方委員会が環状緑地帯計画 を立案し,広域的なグリーンベルトを敷く構想が掲げられたが
(30),戦時体制で 中断した。その後,戦後の復興計画でグリーンベルト構想は復活し,英国のア バークロンビー卿 (Sir Patrick Abercrombie) による大ロンドン計画 (1944 年) に 範を求め
(31),都市近郊 50~100 キロ圏の緑地帯を保全するため 1958 年には首 都圏整備基本計画が策定されたが,宅地化を期待する近郊農家の地主層が政権 政党である自由民主党と連携して激しい反対運動を繰り広げたために,再び頓 挫する。市域 (戦後においては東京都区部) を超えて,市街化地域が拡張してい くことを抑制することができなかった。
この後,国は,1959 年に「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関 する法律」 (いわゆる工場等制限法) が施行され,62 年には制限施設の基準面積 が引き下げられて規制は強化されたが,東京区部の大規模な工場や大学などが 郊外に移転し,その跡地に商業施設や住宅を建設できる政策的余地を構築した。
さらに 1963 年に建築基準法を改正し,建築物の高度制限を廃止して,容積地 区制度を導入した。同時に,グリーンベルト構想を放棄した首都圏整備委員会 は,緑地である近郊地帯に替えて「近郊整備地帯」を設けることとした。こう した政策転換は,自民党の政策が強く影響しており,「計画的」であれば近郊 地帯の市街地開発を進めることが可能な態勢になったわけである
(32)。
同時に,東京都は,新宿副都心の建設と多摩ニュータウン建設のための都市
計画決定を 1965 年に行った。1982 年に発表された長期計画懇談会の「中間の
まとめ」に多心型構造の都市づくりのために都心の業務機能を再配置する政策
が打ち出されたことを契機に,1986 年の第四次首都圏整備計画に業務核都市
の考え方が示され,1988 年に制定された多極分散型国土形成促進法において
業務核都市の育成・整備が進められることになった
(33)。以上の一連の諸政策に より,丸ノ内・銀座周辺の都心から周辺地域の副都心への分散化が進んだが,
広域的な視点では単に都心地域が拡大して,さらに大都市圏域が拡散すること になったわけである (図5参照) 。都心の高層の賃貸住宅を供給して都市人口増 を受け入れる素地は整備されたが政策的な効果が充分ではなく,むしろ,広大 な郊外の農地を造成して低層の持ち家 (団地を含む) を取得することを奨励す る住宅供給を継続していくことを理解するには,これに道路交通の政策上の要 因をみなければならない。
3 交通政策上の要因
前記の都市計画上の諸施策が,人口動態にどのような影響を与えたのであろ うか。図 4 は,東京区部 (東京市) の人口・人口密度・面積を,国勢調査の始まっ た 1920 年から 2015 年までの推移を示したものである。1932 年に東京市が周 辺町村を編入して 35 区になった際に面積が拡大して,人口密度が減少した。
その後,戦中・戦後に疎開等で人口減から 1960 年に回復して以降,2000 年前 後に人口の若干の逓減期があるものの,人口密度に大きな変動はみられない。
戦後の高度成長期のみならず,バブル崩壊の後でも,東京区部の人口には大き な影響を与えてはいない。
これには交通政策上の道路行政と関連を見出すことができる。記述のように,
東京に容積率規制が最初に導入されたのは 1963 年である。その際,道路容量 と建物容量とが整合すべきとの考え方で,実際の容積率指定がなされた。具体 的には,23 区全体での 1985 年の将来時点の床面積のトレンドを用いて推計し,
これを道路率と土地価格および土地利用計画等をもとに各地区に配分がなされ 値が設定されている
(34)。その後,順次容積率指定の見直しが行われているが,
用途地域制が指定されるようになった 1973 年から 95 年までの間に,東京都の
25%以上の区域で見直しがなされ,住宅系・商業系の 90%以上が緩和の方向
144
に見直され,東京区部では 8,700 ヘクタールが増床建築可能になった
(35)。しか しながら,こうした容積の割増は,区部の人口増加には繋がっていないのが実 態である。
これには東京の道路整備との関係を理解する必要がある。東京区部の道路率 は 16.4% (2015 年) であり,都市計画道路完成率は 67.7%となっている。4 大 都市で比較して,道路率は低い水準で,ニューヨークは 23.2%,パリは 20.0%,ロンドンは 16.6%となっている。一方で,自動車保有率は高く,東京 区部は 308 台/千人 (2004 年) であるのに対して,ニューヨーク 208 台/千人,
ロンドン 384 台/千人となっている。ロンドンは,自動車で都心部に入る際の ロードプライシングが実施され,都心の慢性的な渋滞緩和を図っている。東京 は道路率が低いにもかかわらず,自動車保有率が高く,その上,都心への混雑
面積 人口 人口密度
人口
面積 人口密度
1920 1925 1930 1935 1940 1947 1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 19952000200520102015 12.5 10 7.5 5 2.5
(M)
1,000
0 0
200 400 600 800
(km2)
0.5 1 1.5 2 2.5 3
(万人/km2)
図4 東京区部の⼈⼝・⼈⼝密度・面積の推移1920~2015 年
資料)国勢調査より。
人口