揚 繰 網漁 村 の 諸 類 型
志 村 賢 男
Types Fishing Villages in Purse Seine Fishery Takao SIMURA
長崎県における戦後の揚繰網統数は約 5 6 0 統(動力揚繰,無動力揚繰,縫切網を含む〉で,西彼杵郡,南極 浦郡(五島),北松浦郡,南高来郡を主として,県下 7 0 余の漁村にわたって分布し,夫々の揚繰網漁村を構 成している。
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乙れらの揚繰網漁村の構成を地域別に検討すると,それらは次に述べるような地域的特徴をもっている
l)O1 . 西彼杵郡全般についてみると,動力揚繰網(片手廻し〉の顕著な発展が見られると共P : : ',一方,無動力 揚繰,縫切網,殊に小型縫切網のかなりの存在が特徴的である。
個別的l 乙各揚繰網漁村について見ると,野母,脇岬,樺島ーを典型とし,式見を含む第一の漁村群(野母半 島地域〉では動力揚繰の根拠としての性格を顕著に示しつ¥.,野母を除いては何れも小型縫切網を擁してい
る 。
これと対照的な西彼杵半島ーにおける第二の漁村群は典型的な縫切網漁村である。
動力揚繰の支配的な前者と小型縫切網の支配的な後者という対称的な性格の此のごつの漁村群の中聞に,
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蚊焼,三重,瀬戸,深堀等の基調としては縫切網漁村たる性格を保ちながら僅かに動力揚繰網漁業への進出 を,戦後において
i見せた漁村群がつらなっている。
2 . 五島で、は,当地域(南松浦郡〉における昭和 2 4 年縫切網統数 3 0 の中, 2 0 統(内, 1 6 統が大型縫切網で,
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の点,西彼杵,北極浦の縫切網漁村とは形態を具にする〉までを占める奈留島のみ特別な静態を示してい るが,それを除くじ五島における揚繰網漁村は全般的に言って,一方的な動力揚繰網(片手〉の確立の貫 徹を認めることができる
O而して,此の動力揚繰漁村の性格は, その発展過程において,無動力揚繰,縫切 網を再編, あるいは伴わなかった点で,先に述べた西伎杵の揚繰網漁村,後に述べる北松浦の揚繰網漁村と 対都的であり,類型を異にする。
3 . 北極浦郡は広汎な漁村にわたる縫切網,無動力揚繰の存在が特徴的である。そして,長崎揚繰におけ る此の地域の今日の縫切網の主力(第 2 表〉をなす地位は,専ら,動力揚繰の確立以後に形成された歴史的 特徴をもっ。つまり,北松浦郡の漁村群が動力化以後の縫切網の増大を担った点で,動力化以前の縫切網の 主力が五島ーにあったのとは史的地位を具にするもので, その生産構造においても極めて遅れた地盤の上に立 っている
O北松浦郡における揚繰網漁村のもう一つの特徴は,生月島‑を中心とする動力揚繰の集中的展開である。そ れはしかも,戦前,長崎動力揚繰の発展過程で先駆的展開巻遂げており,その後の発展においてい下関市 場に足場を置くアジ, サバ漁業,双手廻し揚繰として確立したのであって,長崎揚繰の特異な事例となって
も1る 。
4 . 南,北高来郡。〈橘湾沿岸〉無動力揚繰漁村として停滞的性格を持つ 7 漁村。この漁村の形態は,後に 述べる如く,揚繰の動力化進行過程で確立したものである。
5 . 歪岐,対馬のイワシ網の発展は極めて末発達で,安岐においてのみ僅かに無動力揚繰,縫切網の自生 的成長を見るに過ぎない。
数村において,戦後,動力揚繰(片手,双手〉がかなりの統数を占めたのは,対馬漁場の価値の増大と共 に非地元船が根拠港として船籍を置いた為と思われる。
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第 1 表によって揚繰網漁業の発展傾向を見ると,
第1表 揚繰網統数の変化
T. lol s. 21 s 10 15 24
動力揚繰
無動力揚繰
縫 切 網
226 151
数 統 270 60
92 1 i20 1
206 36
230
54 1
175 1 257 105 144
86 218
1.長崎揚繰の動力化は昭和5〜10年頃までに一一応の発展を完成している。
しかし,この動力化=沖合化は次のような条件の下で行われた。
2・動力化が一応完成する昭和1・年須までは灘切→無勤騨→1勤雛という上昇醗畢乱てい
ることから,沖合動力化≒資本制漁業φ展開が在来漁業の成長ダ、上昇によったものであろうことは明らかで あるが,筒.10年において無動力揚繰の圧倒的数は減じていない。これは次表に示す如く,その時期は,動 力揚繰の発展にもかyわらず,一般的には縫切→無動力揚繰への発展が基本的となっていることから生ずる のである。つまり,動力揚繰の発展は,一般的な発達が未だ皆野→無動力揚繰が基本的な段階で,部分的に.
進んでいったと言えよう。
3.動力揚繰は更に,戦時中,及び戦後期を画期として顕著な発展を示すが,それは昭和10年以降の無動 力揚繰→動力揚繰化傾向に明瞭に現われている。その限り.大正末から昭和10年までの動力学繰の発展が,
一般的には無動力揚繰の発展段階で特殊的に成立したのに対し,10年以降においては無動力揚繰→動力揚繰 の発展が基本とな弓ところの資本制沖合動力揚繰の本格的確立期であると見ねばならない。
しかしながら,この際,留意すべきは,10年以降の動力揚繰本格的確立干は,表に示されたように縫切網 の増大に伴われていることである。昭和15年,縫切網統数は大正10年(動力化以前)に匹敵し,戦後はそれ をはるかに上廻る。この動力化以後の縫切網の増大は,後に述べる如くごつの内容をもつて現われる。一つ は在来の漁業の発展の比較的遅れた地帯における後進的な漁業の成長として:sあり,一つは動力揚繰への上 昇的発展の進行過程が,地先漁場における旧形態の沿岸漁業たる縫切網等を再現,再編しつy進んで行く結 果である。
以上に述べた所から,長崎揚繰の動力化過程について次のように言いえよう。
資本制漁業の形成を条件づける沿岸から沖合漁業への発展.つまり,動力化は,漁村の一般的な在来の漁 業の自生的成長の不充分な段階(無動力への発展が基調をなす)において,部分的に展開していった。その ような発展は更に,10年以降の本格的確立期を経た後でも,漁村からのイウシ網の成長の極めて遅れた発展 に伴われている。
1に述べた所の揚繰網漁村の諸類型は,このようなイワシ網漁業における資本制的発展,動力揚繰の発展 の特質によって歴史的に作り出されたものである。従って,この諸類型について個別的な歴史的な検討をな すことによって,この中で貫いている発展法則,イワシ網漁村の資本主義発達の特質,つまりは一般に資本 制漁業として捕えられている動力揚繰の構造的特徴についての認識が得られるのであるが,こNでは,それ に関し,第2表を挙げてこ,三の点のみ触れることyする。
亙互亙
1.動力揚繰の発展と縫切網
縫切網は,既に大正末において,動力化発展以前に一般的に衰退していた。それは無動力揚繰への上昇発 展によって減少に転じていたものである。その間の事情は県水産史によれば.縫切回は「明治45年頃両手廻
(無動力)巾着網漁業ノ創始ヲミルニ至ルvデハ唯一ノ運用漁具トシテ県下一般二三友シオリシモ.ソノ後 漸次スタレ,現今くS.10>ニオイテハ,シラス,小イワシ以外二使用スル者稀ニシテ,逐年減少シッッアリ.
目下50余統ヲ算スルニ過ギズ」「大正5,6年須マデハ下切網ノ全盛時代ナリキ。大正7,8年頃二至リ手押 両手廻揚繰網漁業ノ開始ヲミルニ至リ,斯業ノ隆盛ヲ致シ逐年盛大二赴キ,現今,258統ノ多数二上ルニ至レ
リ」。つまり,大正中期のイワシ網の発展は丁丁網から無動力揚繰への上昇という形で,急速に進行し,動
力揚繰が正に始まらんとするころでは,縫切網は既1(1一一一4般に過去のものとなっていた。昭和5〜10年には.
第2表 郡別揚繰網引数の変化
T. 10 S. 2
西彼杵楠,北高来北松浦陣松浦
霧複螺力脚磯継黎力脚輝1鑛1煙涛陶網潔脚力御網
sl−
10 5 24 66
44 62 63 54 12
44 28
7
2 24 40
4 4
22 1 6 25 34 27
5 14 3 5 3
125 1 39
数統 64
136 37 36
88 47
15 5 12
9エ
6