• 検索結果がありません。

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

教員養成の諸問題(III)戦前の教員養成をふり かえって

著者 池尾 和子, 植田 正家

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 12

ページ 19‑28

発行年 1976‑03‑25

その他のタイトル The Problems of Teacher Training (III) Looking back of Teacher Training before The second (II) World War.

URL http://hdl.handle.net/10105/6359

(2)

教員養成の諸問題(皿)*

  戦前の教員査成をふりかえって

池 尾 和 子淋

KA ZUKO  IKE0

(理科教育教室)

植 田 正 家榊

MASAIA UEDA

(奈良県教育センター)

1.はじめに

 これまでに第1)報では,日本の現在の現職教育はどのように行なわれているのか・またどこに問題が あるのかという最も基本的なことに触れてみた。その後も何度か外国当局の人々と討議してみた。し かし日本の現在の教員養成制度,およびそれにまっわる歴史的な過程を知らな<ては,単に外国訪問 をしても現状視察をするだけに終ってしまうと痛感した。

 そこで第ω報では,明治維新以後の新しい学校制度によって学校ができ,教員がつくられ,教員免 許法等がどの様に定められ変遷してきたかをみわたしてみた。

      1沼和21年11946)・第1次米国教音使節        団が提出した報告書は,わが国戦後の教員養        成について重要な提案を行なったことは周知        のとおりである、この米国教育使節団が到着        する以前に【㌔領軍総司令部内の民間情報教育        局(CIE〕はEducation in Japanとい        う教育改革のための参考文献を編集して使節        団を迎えた。こσ)冊子の第」部「日本の教育        制度」の第5節 Teacher,.で教員養成に

  明治25年頃の奈良県尋常師転学校の旧校舎   ついて述べている。最初に教員免許について 明らかにし,小学校教員免許状を与えられた教師は,昭和9年(1934〕現在,師範学校卒業生が30.9

%,他の方法で免許状を与えられた教師が69.1弘中学校教師については,昭和19年(1944)現在 高等師範学校の卒業生が4.81%,その他の高専犬卒の卒業生が59.92%,その他の方法で免許状を得 たものが32.27%であると報告している。これらの資料によって日本においては,教員養成のための

‡   The ProbIems of Teacher Training(皿)

      Looking back of Teacher Tra i ning before The second(皿)Wor1d       War.

榊  KAZUKO I KE0  (Depar tment o f Sc i ence Educa t i on,

      Faculty of Educat ion,

      NへRA Un i vers i ty工)f Educa t ion,Japan)

榊* MASAlA UADA  (NARA Prefectura1Education Center,Japan)

(3)

学校を卒業した教師が少ないことを明らかにした。

 このようにC IEの作った冊子で師範学校における教員養成について問題があることを指摘した。

 しかし,たまたま日本の大学生の数がZαO万人に達し,高校よワ大学への進学率が38%というニュ ースが伝わった。200万人の大学生を育てるために,どれだけの教員が必要だったろうか。戦後30年 たった現在,戦前までの教育の基礎を,正規に責任をもって受持ってきた,いわゆる「師範型」の教 員があってこそ,現在のこの状況が生まれたのではないだろうか。こうしたことから,本報では師範 教育について概観していきたい。

2 師範教育制度の概日 2・1 師範学校の変遷

 明治5年(1872)に公布された「学制」の中で「速二師表校ヲ興シ小学ノ教員ヲ植成シ順次四 方二派出セシメ益以テ之ヲ増植シ其教規ヲ正シ似テ小学ノ教員ヲ完斉セシメソヲ欲ス」と述べて,

教員養成機関の設立を「当今着手第一中ノ尤急務」であるとした。そして師範学校が創設されたこ  とは,第(皿)報で述べたとおりである。学校制度の変遷とともに師範学校も表1のように漸次改革さ

れていった。

        表1 師範学校の変遷

22

21 20 19 18

1ア

16

15

14 13

12

11 10 9 8 7

6

 .

 . I

 . .  ・ .  一 一  I 一

小8

葬⑤

5

中要

④要

明19年    明40年    昭6年

(1886)      (1907)      (1931)

 ④,⑤などは修業年限を示す。

〔二二 .∵.二一.一Jは置くことができることを意味す飢

昭18年    昭26年

(1943)      (1951)

(4)

2・2 官立師腫学校の設置

 師範学校は昭和18年(1943)に,青年師範学校は昭和19年(1944)に,府県立から官立に移 され,専門学校程度に高められた。「大東亜戦争の完遂と大東亜共栄圏の建設」のための目的から 発しているにせよ教員養成史上画期的な改革であるといえる。

 その設置状況は表2のようである。

      表2 師範学校の改革と青年師範学校の成立 昭和18年(19鵯)

道府県名

師範学校i青年師範学校

道府県名 師範学校

青年師範学校

師範学校青年師範学校

北海道

◎○O

O

福井

O

山口

O

青森

山梨

O 徳島

O

岩手 O 長野

香川

O

宮城

O

岐阜

愛媛

O

秋田

静岡

◎O

O

  一高知.◎

山形

愛知

◎O O

福岡1◎○ O

福島 O 三重

佐賀◎

茨城

滋賀

O

長崎◎

栃木 O 京都 O 熊本

O

群篤

O

大阪 ◎O

大分◎ O

埼玉 ◎

兵庫

O

宮崎◎ O

千葉

O 奈良

O

鹿児島◎

東京

◎OO 和歌山 O 沖縄i◎

神奈」ll

◎ O 鳥取

O

  一

酎セ1◎

新潟 ◎○

O

島根

台湾: 3校

富山

O 岡山

O 朝鮮■15校 石川

O

広島

O 満洲 2校

1道府県に2校以上の男子師範学校を設置したときは,男子部 女子部をもつ学校を 第1節範学校,その他を第2、第3師範学校とよぶ。

   ◎…一一一一第1・師範学校   O一一一一第2・3師範学校

2・3 教員讐成曙学校

 教員養成学校の体系は,師範学校と高等師範学校を基本とし,小学校,中等学校の教員を養成す る機能を果してきた。  表3 教員養成諸学校の学校数・生捷数および修業年数 昭和19年(1944)

しかしその間1必要に 応じて臨時教員養成所 が設けられ,中等学校 教員を養成して教員の 不足を補充し,また農 工商の実業学校教員を 養成する機関として実 業教員養成所が設けら

学 校 名

学校数 総  数 修業年数

要子高奪師範学校

5 3,925 2,ア18 1,20ア

4年 師 範 学 校

56 64,828

462%

18,532

3年 青年師範学校

47 8,825

6932

1,893

3年 臨時教員養成所

15 1,870 r,502

368 3年 実業学校教員養成所

12 1,381 1,381

3年

榛業教喜専門学校

2

713

ア13

3年

137

81,542

591542

22,000

『文部省第72年報』1944年よワ 一

『文部省第72年報』1944年よワ

(5)

れた。体育専門学校,農業教育専門学校では、中等学校の体育と農業を担当する教員を養成した。

このように教員養成のための諸学校は,大別すると表3のように6種類となる。

2・4・1 明治8年以後の理科教育の抄略

  ・明治8年(1875)本県最初の師範教育機関の寧楽書院時代

  将来の着意の第3番目に「理学化学ハ器械ヲ用ヒ実験ヲ示スヘキ事」とあげヨ今すぐ実行し    たいが施行するを得ず明治9年(1976)の議按に附して徐々に着手せんことを欲すると附記    している。当時,実験器具はなく教科書を読む理科の授業が行われた。

  ・明治9年から11年にかけて(1876〜1978)政府が各府県師範学校教授用としてアメリカ    から購入した理化学器械を配布した。使用方法もなかなか分らず,陳列して最初は先ず眺め    ていたとのこと。ただし,これがわが国の学校教育で理化学器械を最初に使用した記念すべ    き授業であったといわれている。

  ・明治18年(1885)大阪府立奈良師範学校の規則    規則の中の第一章の教員一の中に

    第十七条 生理ハ総論骨格筋肉皮膚ノ構造反ビ消化循血呼吸器ノ効用及ビ養生法,感覚器         神経等ノ作用ヲ知ラーシメ天稟ノ生命ヲ保護スル緊要ノ理ヲ解セシム。

    第十八条 博物ハ動物植物金石ノ名称分科効用等ヨリ構造形状性質産地二及ホス凡ソ博物          ヲ授クルニハ務メニ浮華二流レス実用二供セン事を要ス

    第十九条 物理ハ総論物性重熱聴視ノ諸学ヨリ電気磁気二及ホシ器械ヲ用ヒテ実験ヲ明示          シ原理ヲ党リ応用ヲ知ラシム

    第二十条 化学ハ非金属金属ノ諸原素性質分量各元素ノ離合変化ノ原理及其効用ヲ知ラシ          ム器械ヲ用ルハ間物理二於ルカ如シ

    第二十八条 実地授業ハ附属小学校二就キ小学各等科ノ授業法を練習セシム

  ・明治21年(1888)奈良県尋常師範学校の理化学教室および器械室が完成した。同年,文部    省訓令により尋常師範学校設備準則が定められ,物理・化学器械や薬品等の品目,数量が示    された。

  ・大正元年(1918)物理化学生徒実験票日制定せられ,理化学教授振興に力を入れることとな    る。

  ・昭和14年(1939)早川督学官来校。理化器機製作状況視察さる。

2・4・2 明治32年(1899) 生徒心得その1

  第一条 生徒ハ教室内一般ノ事二就テハ級監ノ指揮ヲ受ケ授業時間中八受指教員ノ指揮ヲ受ク       ヘシ

  第二条 生徒ハ始業時間前二教室二入ルヘシ後レタル者ハ教員の許可ナクシテ着席スルヲ得ス       叉授業時間中疾病ノタメ退場セントスルトキモ教員の許可ヲ受ヶ且其レヲ舎監二届出       ツヘシ 授業時間ノ外狼二教室二出入スヘカラス

  第三条 生徒ノ席次ハ身長ノ順二体リ後列右側ヲ首位トシテ着席スヘシ

(6)

   第四条 授業時間ノ始終二於テハー同起立シテ教員二敬礼スヘシ

   第五条 常二姿勢ヲ正ノクノ礼容ヲ守リ静粛ヲ保ツヘソ質問応答講読等ノ場合ニハ起立ノテ発        言スルヲ常例トス

   第六条 授業二不用ナル物品ヲ携帯スヘカラス又硯ヲ持参スヘカラス

   第七条 試験ノ間題二就テハ狽二質問スルヲ許サス 試験ノ答善ハ成ルニ従ヒ之ヲ出シテ直二        退場スヘシ

   第八条 各自ノ使用二属スル机腰掛等ノ清潔及保存二注意シ且ツ当番ヲ設ケデ毎日教室ヲ掃除        スヘシ 習字図画二用ヒタル墨汁等ノ残余ハ退場ノ前菜ツヘシ

   第九条 器具建物等ヲ汚染シ著クハ毅損シタル時ハ直テニ級監二届出ツヘシ 事由二体リテハ        弁償等ノ処分ヲナスコトアルヘシ

 2・4・3 回想録より

   ・私の在職中に最も幸福を感じたことは,入学志願者の多かったことで,年によっては40人の     募集に400人以上の志願者があった。何回も筋にかけて入るものは皆秀才,落されたものも     また秀才であった。その時の所感,えり捨てた七草のより香りかな さて,下県で幾人かの     教育家と談を交えた時,この中の一人が私の前身を問われたので奈良県師範学校に勤めたこ     とを知らせた。驚いた表情をして「奈良県の教育は我々の模範で,県外出張といえば殆ど奈     良県です。」 といわれた。…・・……・………矢内岩次郎氏

   ・僕等の時代は,校長先生は川島庄一郎先生であった。校長先生は毎年卒業生には何か字を書     いて下さる例になっている。みんな額にできるような文句を選んで書いて出すのだが,「何     でもよろしい」と書いて出すと「何でもよろしい」と書かれると聞いていた。僕は教育勅語     を全部謹書して,従五位勲六等川島庄一郎謹書とまで書いて出すと,先生は例の字で大真面     目に書いてくださった。あとで「仲川は一番えらい目にあわっしょった」といわれたかどう

    カユ。 ・・・・・・・・・・…  與各。   ・・・・・・・・・・・・・… 一・・・・・・・・・・・・… イ中j l1  星月員…

 師範教育制度を考察する、Lに奈良県師範学校五十年史に貴重な資料が豊富に掲載されているので,

その一部をあげた。(理科教育についても貴重な資料が他にもあるが後日に報告する)

3.教員供給の実態

 明治18年(1885)再改正の教育令が教員資格の免許状制度を確立して以後,教員供給として.次 の二方式によって実施された。

/l;;;;篶1㌫{算箒簑

 初等教員の場合,表4のように直接養成方式である師範学校の卒業生は,おおむね3割を占めるに

すぎず,間接養成の検定方式が5割に近いことがわかる。さらに,DT,DE,および1E でもなお

不足し,表5に示すように代用教員(助教)を補充していたことになる。別の統計によると,小学校

(7)

本科正教員の8割は師範学校卒業者となっている。これが後述の閉鎖社会をつくりだす一因になった ことはいなめない。

      表4 小学校の有資格教員免許状取得理由の割合(殉

正 教 員 准 教 員 合   計

取得方式 DT IE DF

DT

IE DE

DT

IE DE

明36年

15.3 38.8 0.3

444

15.6 83.2

明41年

25.ア 32.5 o.3 40.1 26,0 72.6

大2年 32.9 15.6 21.4

14.2 「5.8 32.9 29.8 37.2

大ア年

28.9 16.5 16.4

27.0 「1.3 28.9 43.5

2ア.ア

犬12年

28.5 20..ア 21.0 16.8 13.0 28.5 3ア.5 34.0

昭3年 36.0 28.5 19.6 12.O 3.9 36.0 40.5 23.5 昭8年 35.8 34、口 14,5 12.ア 3.0 35.8 46.ア 17.5

昭13年

24.3 33.4 19.ア 18.5 4.1 24.3 51.9 23.8

      『文部年報』より

表5 小学校教員中の代用教員(助教)の占める割合

註 DT直接養成方式      (師範学校)

  I E間接検定方式     (無試験検定)

  D E直接検定方式      (試験検定)

 准教員のDTとは,師  範学校簡易科を意味す

  る。

全教員故

代用教員数 代用教員の割合

全教員数 代用教員教

代用教員の割合

■ ■ 一 一  一一      一  一I      −L     一 一 一 一

明40年 122,038人

23,28r人

19%

昭4年 233,4ア3人 r9,87ア人 8%

明45年

r58,601 28,155

18

昭6年 233.854 15,883

犬5年 r66.064 22,8アア 14 昭8年 245,71ア 22,048 9

大10年

189,475 2ア,335 14

昭10年

25ア,684 22,62ア 9

大15年

216,829 24,176 11

昭12年

268,6フ8 28,050 10

昭2年 225,690 22,206 10

昭14年

2ア8,98ア 35,534

13

中等教員の買合,妻6および表7のような結果になっている。

 表6 公私立中学校の有資格教員免許状取得理由の割合(殉

D  T

I  E 敬具り白のる刮百榊,

灘曇

DE

その他

明28年 全教員故

1,324人

覇資格教員暮

34−89%

明40年

15.14 4.99 20.13 10.39 25.91 36.30 43,5ア

明32年

3,102 44−55

明45年

1ア.65 4.42 22.07 11.ア8 28.09 39.% 3ア、9ア

明3ア年

4,681 43.41

大6年 22.76 3.69 26.45 13.43 26.58 40.01 33,54

明40年

5,462 28.12

大11年

20.94 2.ア8 23.ア2 9.65 33.48 43.12 33,15

明45年

.6,220 22.57

大15年

15.67 6,30 23.97 18,88 29.31 48.19 27.84 大6年 6,ア82 20.23 昭4年 14.42 8.53 22.95 19.76 34.24 54.00 23.05

大11年

9,00ア 29.55

大15年

12,何8 22.48

昭2年

13,686

16173

昭8年

13,314 11.30

表7 公私立中学校教員中無資格

  教員の占める割合碗)

(8)

4.師嘔教育に対する改革案

 昭和初年(1926)から提案された多くの学制改革案とその解説の中に,師範学校が作りあげたい わゆる「師範型」についてとリあげている。例えば昭和10年(1935)全国中学校長協会提出の「師 範教育制度改善案」では「従来師範学校卒業生ハ概シテー種ノ師範型卜称セラレル陰籠ノ性質ヲ有シ

児童教育二最モ必要ナル明朗快活純真ノ気象ヲ欠クモノ多ギガ如シ」と述べ,その原因としては,「之 レ金ク彼等ガ入学ノ当初何レモ年少ニシテ,ソノ学校ガ自己ノ性格二通スルヤ否ヤラ検スル能カナク 概ネ勧誘セラルルママニ漫然トシテ入学シ教育者タラントスルノ抱負モ熱意モナキニ,強制的二師道

ヲ修セサルヘカラザルノ境遇二陥レル結果タラスソパァラズ」と記している。また「師範学校卒業生 ハ中学校卒業生ノ如ク社会ノ各方面二知人ヲ有セズ,其交友ノ如キモ小範囲二止マルガ敬二句トナク 世間ガ狭ク淋シギ境遇二社リテ学校経営上ニモ不便少ナカラザルガ如シ」と述べている。

 このように師範教育への批判がなされると同時に,いろいろの改革二案が提出されたが,それら改革 案を大別すると次の二種類になる。1つは昭和9年(1934)文部省の師範教育制度調査委員会の作成

した中学校卒業生を入学させる師範学校と師範大学によって教育養成を貫く閉鎖制の改革案であった。

もう1つは近衛文磨氏を中心にした教育研究会の一般大学の卒業生に教職教養を与えて教員とする開 放制の改革案であった。この二つの案が結論に達しないうちに終戦を迎えたわけである。

 終戦後の昭和21年(1946)第1次米国教育使節団が提出した報告書は,わが国の教授法と教員養 成教育に対して重要な提案を行ない,くしくも結論の出ないま㌧終戦を迎えた改革案が改革のはこび

となった。

      昭和21年3月 同使節団報告書の「要約」中,

  第1次米国教育使節団の勧告  (       )         教授法と教師養成教育〃よワ  交部省訳

 新しい教育の月内を達成するためには,つめこみ主義,画一主義および忠孝のような上長への服従に重点を置く 教授法は改められ,各自に思考の独立・個性の発展および民主的公民としての権利と責任とを。助長するようにす べきである。例えば,修身の教授は,口頭の教訓によるよワは,むしろ学校および社会の実際の場合における経験 から得られる教訓によって行われるべきである。教師への再教育計画は,過渡期における民主主義的教育方法の採 用をうながすために、樹立せらるべきである。それがやがて教師の現職教育の一つに発展するよう計画を立てるよ う提案する。師範学校は,必要とせられる種類の教師を養成するように,改革されるべきである。師範学校は現在 の中学校と同程度の上級中等学校の全課程を修了したるものだけに入学を許し,師範学校予科の現制度は廃止すべ きである。現在の高等師範学校とほとんど同等の水準において,再組織された師範学校は四年制となるべきである。

この学校では一般教育が続けられ,未来の訓導や教諭に対して十分なる師範教育が授けられるであろう。教員免許 状授与をなすその他の教師養成期間においては,公私を間わず新師範学校と同程度の教師養成訓練が十分に行われ なくてはならない。教育行政宮および監督官も,教師と同等の師範教育を受け,さらにその与えられるべき任務に 適合するような準備教育を受けなくてはならぬ。大学およびその他の高等教育機関は,教師や教育関係官吏がさら に進んだ研究をなしうるような施設を拡充すべきである。それらの学校では,研究の助成と教育指導の実を挙げる

べきである。

 この勧告をうけて組成された教育刷新委員会における師範教育に対する論議は非常に今後の教員養

成を考える上で貴重な示唆を与えてくれる。そこで次報で詳細に考察していきたい。

(9)

5、教員査成をふりかえって

・ C I Eの勧告をかりるまでもなく,師範学校で養成した小学校教師の数は全体の教師の数の半数  に達していないことをみても,教員養成の教育が充分に行われていないことがわかる。また直接養  成による教員(DT)の数が間接養成による教員(DEおよびI E)よりも少なく,また臨時の代  用教員(助教)の数が,かなりの%を占めている。理科教育の立場より,これにたずさわる教員が  学校において直接実験指導をうけていれば,授業の場でも,実験による授業が可能であるが・検定  試験により免許をとる教員,及び代用教員は実験の経験がないまま実際の授業に望むわけで,ここ  に大きな問題が潜在していることがわかる。

・ 昭和1g年(1944)のデーターからも,正規の教員とそれ以外の教員の数の間に大きな開きがあ  る。正規の教員の不足は,臨時教員養成所および臨時免許法により,一次的にまかなわれて終戦ま  できたが,これは至急改められねばならない。前述した如く必要な数,必要な種類の教員が供給さ  れない教員養成制度はあらため,必ず50年,100年のスケールで必要な教員を確保すべきである。

  臨時教員養成所は,戦後30年たった現在でも存在している。教員の不足している現状はわかるが  何故見透しをもって養成しなかったのか,臨時という名称のため臨時教員養成所を卒業した教員が  肩身のせまい思いをしているとよく聞かされる。またひいては教員全体の評価をさげる原因を作っ  てはいないかO

  教育は尊敬せられる教員の存在により可能になるが,肩身のせまい思いをする教員自身に問題を  負わせることは出来ない。臨時教員養成という考え方は至急に払拭せねばならない。

  この意味で,長い見透しのある教員養成制度を是非実施していただきたい。

・ 「師範型」といわれる戦前の教員について色々の批判もある。しかしその批判は制度による結果  生じた型であり,直接師範学校を卒業した教員自身のものでないことをはっきリ認識する必要があ

 る。

   戦争中,時の政府の言い分を鵜呑にして反発しなかった 、という事はよくきかされるが,よく  考えれば,数の上では,半数にも及ばず,師範学校卒以外の人の数が絶対数としても多く,それら  の人々のことを述べず「師範型」の教員云々というのは片手おちであると思う。

  C I Eの報告の中に 戦前の中等教員養成制度については,文理科大学,高等師範学校,女子高  等師範学校があって,中等学校や大学からは高度な水準の教育を受けた学生が卒業し,これが最も  優れた教師となっている とある。これらよりもう一度,制度よりくる人間のタイプと,それ以外  の要因による人間のとりうるタイプを考慮し,これからの教員養成について考えたい。

・ 第(1)報にも述べた様に,現職教育については多くの問題をか㌧えている。C I Eの勧告の中にも

  日本の現職教育は多くの場合,文部省が著作した国定教科書の内容を授けることに限られ,これ

 によって教師がその授業によって独自性・創造性を練習するような機会は与えられていない。さら

 に重要なことは,現職教員の研修の機関において学位をとるような進んだ学習をする機会を与えら

 れていない。そのため経済的に余裕のある教師は教職を去って高等教育の学校に入学し,惜しい人

 材を逸している 、ことを指摘している。現在,学術博士号について考慮され,解決にむかいつつあ

(10)

るが,教育大学を卒業し,大学院を他大学において終了し,学位を取得した学生が再び教員養成大 学の教員にもどることなく,惜しい人材を逸しているのに似ている。この点についても考慮されね ばならない。だとし,もう一度教員全体の数の上で不足(現在も)していては現職教育で教員の質 の向上を同時に考えてゆくこともなかなかむつかしい。数の問題が解決し,質の向上が素直に考え られる教員養成制度が一日も早く実現してほしいと望む。引続き日本の教員養成と諸外国のそれと 比較検討するため,日本の歴史的現実と諸外国の訪問視察を今後も続ける。

(前報において日本学術会議が理科教育に協力された事につき報告するとしたが後にゆずる)

6.参 考 文 献

 1.戦後日本の教育改革  2.世界の大学

 3.近代化と教育

 4.日本教員資格制度史研究  5.日本近代教育100年史  6.奈良県師範学校50年史  7.世界の大学問題  8、日本の大学  9.世界の大学  10、世界の教育

 11. Education in Japan

 12、日本教育の危機

 13.その他(前報記載)

海後宗臣編

NHK海外取材班

永井道雄著 牧 昌見著

国立教育研究所 奈良県師範学校編

I DE大学教育研究会編 永井道雄著

中央公論語集部編 城戸幡太郎他編 文部省編 矢川徳光著

東京大学出版

日本放送協会出版社

東京大学出版

風間書房

文唱宣

明新杜

東京大学出版

中央公論社

中央公論杜

共立講座

文部省

新評論社

(11)

参照

関連したドキュメント

(県立金沢錦丘高校教諭) 文禄二年伊曽保物壷叩京都大学国文学△二耶蘇会版 せわ焼草米谷巌編ゆまに書房

現実感のもてる問題場面からスタートし,問題 場面を自らの考えや表現を用いて表し,教師の

[r]

記述内容は,日付,練習時間,練習内容,来 訪者,紅白戦結果,部員の状況,話し合いの内

The Development and the Using of Web Site for Supporting the Students to Assist in the Classes 加藤 隆弘 松能 誠仁 松原 道男.. Takahiro KATO Nobuhito MATSUNO

バックスイングの小さい ことはミートの不安がある からで初心者の時には小さ い。その構えもスマッシュ

大谷 和子 株式会社日本総合研究所 執行役員 垣内 秀介 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 北澤 一樹 英知法律事務所

鈴木 則宏 慶應義塾大学医学部内科(神経) 教授 祖父江 元 名古屋大学大学院神経内科学 教授 高橋 良輔 京都大学大学院臨床神経学 教授 辻 省次 東京大学大学院神経内科学