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英語教育100の基本(その2)

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(1)

 学習する主体は学習者であるが、授業の計画を立て、授業を進めていく主体は教師である。

授業をリードし、コントロールできるのは教師である。そのような立場にある教師にとって 基本的で重要な事項をおよそ100項目にわたって述べてみたいと考えている。

 それらの基本的な事項は、次の四つの分野から成っている。英語教育プロパーの分野、英 語教育に関連する英文法の分野、同じく英語音声学の分野、さらにはその他英語一般に関す る分野からである。

 英語教育プロパーの分野については、主として、筆者自身のこれまでの学習者として、か つ英語教師としての自己体験を基にして検討を加え、まとめたものである。もちろん、その 一部には、筆者が過去に見てきた英語教師の研究授業や教育実習生の授業を通して気付いた ことがきっかけになっていることも多々あるけれども。

 英文法と英語音声学の分野に関しては、英語教育と直接的に関連する事項、もっと言えば、

英語教育に役立つと思われる事項を取り上げていくつもりでいる。

 比較的よくまとまったものから発表することにしたので、当面は、項目の記載順序と分野 には関連性はない。最終段階では、すべての記載項目を整理し直し、分野別に分類して記載 することを予定している。

 本紀要の前号「英語教育100の基本(その1)」では以下の項目を扱った。

1 授業とは 2 学習者分析 3 教材分析 4 効率性の追及 5 学習指導案について 6 「学び易さ」を重んじること

7 帰納的方法がよいか演繹的方法がよいか

8 授業の終わりには必ず「整理」の時間を設けること 9 場面を想定すること

英語教育100の基本(その2)

大 塚   巌

(2)

10 直訳を旨とすべし 11 「説明」の重要性について 12 事例や例文について 13 英語教師の自己研修

 いかなる職業でもこの世に存する職業は、何らかの社会的使命をもっている。その使命を 全うするためには、日々の研修を必要としないものはない。英語の教師にしてもしかりであ る。

 英米人がその母語である英語を教えるのではなく、外国人であるわれわれ日本人が外国語 としての英語を教えるのであるから、考えてみれば、大変なことである。しかも、重層的で、

複雑極まりない構造をもち、おびただしい数の語彙をもつ英語、日本とはまったく異なった 文化的背景のもとに発達してきた英語、を教えるのである。英米などの英語圏で子供時代を 過ごし、そこで英語による学校教育 ・ 高等教育を受けた者でない限り、英語教師は、語学的 にも文化的にも常に不完全であることを自覚させられる宿命にあると言える。

 そのような宿命にある我々日本の英語教師には存在価値があるのであろうか。日本人であっ て、かつ、英語が教えられるという、その二重性にこそ英語教師の存在価値があるのである。

 英語を母語にしている人が英語を教えられるか、というと、必ずしも、そうではない。な ぜなら、言葉が使えること、言葉が分かること、言葉を教えること、この三つは、関連性は あるものの、別個のものだからである。

① 言葉を使える = 聞く ・ 話す ・ 読む ・ 書くことができる

② 言葉が分かる = 言葉の観察 ・ 記述 ・ 説明ができる

③ 言葉を教える = 「人」である学習者に4技能を身に付けさせる

 母語話者というのは、母語が使える、ということであって、必ずしも、母語が分かる、と いうことではない。分かるためにはそれなりの言語学的訓練が必要である。さらに、教える ということになると、「教える者」-「学ぶ者」という人間的要因が加わってくる。単なる技 能や知識だけではなく、指導技術を含めた全人的要素、いわゆる指導力というものが、問題 になってくるのである。

 まず、①「言葉を使える」能力、いわゆる、4技能について、教師の自己研修の観点から、

(3)

触れてみたい。4技能は次のように整理できる。

⑵ 4技能(four skills)の相互関係

話し言葉(spoken language)  書き言葉(written language)

A 理解(reception)   〈聞く(hear, listen)〉   〈読む(read)〉

B 表現(production)   〈話す(speak)〉   〈書く(write)〉

 話し言葉と書き言葉を比べてみると、話し言葉は瞬時的に進行し、時間的猶予が許されな い。一方、書き言葉は、読むにせよ書くにせよ、読み手 ・ 書き手に充分な時間的余裕が与え られている。別の言い方をすれば、〈読む〉〈書く〉という行為を、音声を通じて瞬時的に行 うのが〈聞く〉〈話す〉という言語行為である、ということである。

 特殊な環境にある人を除き、日本の多くの英語教師にとっては、日常生活で英米人と接す る機会は少ないであろうし、話し言葉の能力を高めることが困難なのは致し方ないであろう。

一定の水準に達した英語の学力を持ち、かつ、英語の音声の特質、調音の仕方に通じていれ ば、いわゆる「慣れ」によって、話し言葉は操れるようになるものである。したがって、今 以上に話し言葉に上達しようと思うならば、話し言葉に触れることももちろん必要であるが、

言語行為に時間的余裕の許される書き言葉に重きをおき、その訓練を重ねておく、というこ とが、実行もしやすい賢明な方策のように思われる。

 切羽つまれば、意外と話せる、ということがある。〈聞く〉ことと違って、〈話す〉ことは 自分のペースでやっていける。要は、英作文をするようなつもりで話せばいいのであるから、

一定レベルの作文力のある人であるならば、話すことはできるはずである。ただ、日本のよ うに英語が第二言語ではなく外国語である地においては、日常の生活において、あるいは切 実な必要性から、目標言語を使う機会はまれであるので、極力、機会を見つけて、話をせざ るを得なくなるような環境に身を置く、ということも考えてよいことである。

 次に、「理解の面」と「表現の面」を比べてみたい。四つの技能の間には、相関性あるいは 相乗効果といったものは認めることはできようが、必ずしも、一対一の対応関係はない。「自 分で調音できる音声は聞き取れる」とか「自分で話せる内容はかなりの速度で話されても分 かる」とか言われるが、これは経験的に見て事実である。つまり、「表現」できることは、必 ず、「理解」できるのである。

 「表現」という言語行為は、「理解」の面に比べて、より能動的であり、より多くのエネル ギーを必要とする。したがって、当然、「表現」能力を高めようとする努力や訓練にはそれだ けの困難が伴われるわけである。しかし、このことに取り組むことが、「表現」のみならず、

(4)

「理解」のキャパシティをも大きくし、かつ、「理解」を深くすることにつながるのである。

よく、「英作文をするようなつもりで英語を読め」とか、「書くのと同じようにゆっくり時間 をかけて読め」とか言われるが、これも主旨は同じである。

 ②の「言葉が分かる」能力、言い換えれば、言葉を観察し、記述し、説明する能力、これ は、正しく、言語学 ・ 英語学の分担領域である。「英語学を学ぶのは何のためか―英語がよく 分かるためである」と言ってよい。教員養成の過程で得た音声学、英文法、英語史、等の英 語学の知識は、あくまでも、基礎的教養であって、日々接する英語の教材を資料と見なし、

自分なりの言語観、文法観を形成しながら、自分なりの分析 ・ 説明を心がけていく、という 姿勢が望ましい。教育的見地から見た英語学的素養の問題については各所ですでに触れてき たので、ここではこれ以上扱わないことにする。

 日本人でも、英語の4技能に優れていて英米人とかなり自由に意志の疎通ができる人もい れば、また、英語についての言語学的知識が豊富な人もいる。そういう人が教え方が上手か というと必ずしもそうではない。英語教師としては、英語の駆使力と英語についての知識(合 わせて「英語力」とも呼ぶことができる)が基本であるのはもちろんであるが、これに加え て、③の「言葉を教える」ことに関する指導力が問題になってくるのである。

 指導力を向上させるための心得を挙げるとすれば、まず第一に、「授業改善を常に念頭に 持っている」ということである。もし、教師が、Wilga Rivers(1981:7)が次のように言って いるが如き教師であるならば、それは好ましい教師ではない。

⑶ …… teachers teach as they were taught by teachers who taught as they were taught.

〈……教えられたように教えていた教師に習った教師は次には自分も教えられたように 教える……〉

 教師は、昔、自分が教えられたような教え方で教えることに甘んじているようであるなら ば、進歩はありえない。自己の授業を工夫 ・ 改善しなければならないのである。そのために は、研究授業や公開授業に参加すること、あるいは日頃の他の英語教師の授業や英語以外の 教科の授業をできるだけ多く観察して、優れた授業の要件を知ること、が一つの方法である。

授業を観察するに当たって注目すべき点としては、次のようなことがある。

① 授業の雰囲気、授業全体の流れとリズム

② 教師の話し方(速さ、間の取り方、無駄の無さ、明晰性、等を含む)

(5)

③ 教師の働きかけに対する生徒の反応の様子(特に、生徒の主体的活動を引き出すこ とに成功しているかどうか)

④ 発問の仕方(どのような意図で発問が行われるか、クラス全体に対してか個別的か、

等)

⑤ 生徒の反応に対して教師は適切なフィードバックをしているか(特に、答えの取り 上げ方、正解の与え方、誤答の場合の処理の仕方)

 その他、日頃から授業改善についていろいろな問題意識を持っていて、その問題について の解決を見つけるつもりで授業観察に臨めば、得るところは多いはずである。

 指導と言え授業と言え、教育というものは、須く、上記③と⑤に示したように「教師の働 きかけ→生徒の反応→教師によるフィードバック」がスムーズに、うまく行われているか否 かが一つの眼目である。

14 英語の母語話者とは

 英米などの英語圏で子供時代を過ごし、そこで英語による初等、中等、および高等教育を 受け、そのような環境の中で認識(知識)と思考様式(思考力)が習得され、そして現に英 語圏で責任ある社会人として生活している者のことである。それに対して、第二言語として、

あるいは外国語として、英語を使用している者の場合は、認識と思考様式の習得が英語以外 の自己の母語によって行われたのであり、この点が、英語の母語話者の場合とは顕著に異なっ ているのである。

 認識と思考という知的活動が英語という言語と切り離せられないほど密接に結びついてい るのが英語の母語話者である。英語以外の言語で認識と思考が培われた我々日本の英語教師 が英語の母語話者に近づくのは至難の技であり、また、英語教師は、語学的にも文化的にも 英語の使用者として常に不完全であることを自覚させられる宿命にあると言える。

 そのような宿命にある我々日本の英語教師には存在価値があるのであろうか。13 英語教 師の自己研修 の冒頭の部分で述べるところがあったように、日本人であって、かつ、英語 が教えられるという、その二重性にこそ英語教師の存在価値があることを思い、日本人とし ての教養を深め、英語教師としての自己研修を積むことが求められるのである。

(6)

15 話し言葉に上達するには

 言葉は、多くの民族の場合、音声と文字の二つの媒体によって表現される。未開民族は文 字というものを持たないから、音声だけに頼るわけであるが、文明が進展し、文化が高度化 するとともに、文字の重要性も高まると言える。

 母語の場合はともかく、外国語を用いる場合には、文字によるよりも、音声による方が、

その言語行為ははるかに難しい。書き言葉は、読むにせよ、書くにせよ、読み手にも書き手 にも時間的余裕が与えられていて、読み直し、書き直しができる。一方、話し言葉は、瞬時 的に進行し、一刻の猶予も許されないのである。

 話し言葉の能力と書き言葉の能力は、基本的には、同じであって、〈読む〉〈書く〉という 行為を、音声を通じて行うのが〈聞く〉〈話す〉という行為である、とすることができる。

 特殊な環境にある人を除き、日本の多くの英語教師にとっては、日常生活で英米人と接 する機会は少ない。したがって、話し言葉の能力を高めることが困難であるのは致し方ない であろう。一定の水準に達した英語の学力を持ち、英語の音声の特質や調音の仕方に通じて いれば、話し言葉は「慣れる」ことによって、かなり操れるようになるものである。

 したがって、今以上に話し言葉に上達しようと思うならば、当然話し言葉に対するそれな りの訓練は必要であるが、言語行為に時間的余裕が与えられている書き言葉をさらに練磨し、

言葉に対するセンスを磨いておく、ということも、我々日本人に取っては一つの現実的な方 策のように思われる。

 切羽詰まれば、意外と話せるということがある。〈聞く〉ことは、確かに、難しい。しか し、〈話す〉は、〈聞く〉ことと違って、自分のペースでやっていける。要は、英作文をする ようなつもりで話せばいいのであるから、一定レベルの作文力のある人であるならば、話す ことはできるはずである。ただ、日本のように英語が第二言語ではなく外国語である地にお いては、目標言語を日常の生活において、あるいは切実な必要性から、使う機会はまれであ るので、極力、機会を見つけて、話さざるを得なくなるような環境に我が身を置く、という ことも考えてよいことであろう。

16 評価について

 日常営まれる授業は、教師、学習者、教材の三つの変数から成り立っていると考えられる。

この三つの変数の上に立って最適な指導法が組み立てられるべきものである。特に、学習者

(7)

については、その実態を正しく把握しておくことが必須である。このために行われるのが学 習者に対する評価である。

 評価の方法としては、次のようなものが考えられる。

[評価の方法]

⑴ テスト

① 授業時間内の小テスト

② 中間テスト、学期末テストなど

⑵ テスト以外

① 授業中の観察

② 指名による発表活動

③ ノート ・ 宿題の点検

④ 授業外で行う個人面接

 授業中の観察は、生徒を生きた姿で観察できるわけで、生徒の反応や、表情や態度から、

よく理解したかどうかを知ることができ、また、特に、発音や聞く力 ・ 話す力をみる上では、

授業中の観察は欠かすことができない。

 読む力 ・ 書く力等、英語について学力そのものを的確に掴むことができるのは、テストで ある。英語という教科において行われるテストの形式には様々なものが考えられるが、主な ものを挙げて分類すると、次のようになる。

[テストの種類]

⑴ 主観テスト(問題の作成は比較的容易であるが、正解が一つとは限らず、正確に採点す ることが困難である)

① 英文和訳(全訳 ・ 部分訳)

② 和文英訳(全訳 ・ 部分訳)

③ 要約(全体要約 ・ 部分要約)

④ クローズテスト

⑤ 種々の設問(指示物 ・ 因果関係 ・ 理由等を問うもの)

(8)

⑵ 客観テスト(問題の作成は困難であるが、正解の数は限られるので、採点は容易である)

① 真偽テスト

② 空所補充テスト

③ 選択肢型テスト

④ 結合型テスト

⑤ 配列型テスト

⑥ 整序問題

⑶ その他

①「書き取りテスト(dictation test)」

②「聞き取りテスト(listening comprehension test)」

(上記二つのテストはテクストに当たるものが音声形式で与えられる)

 クローズテスト(cloze  test:「空所補充テスト」とも訳される)に触れてみた。クローズ テストは、ある一定の長さをもつ文章の中に空白を作り、その空白を埋めさせるテストで、

語彙、文法構造、意味 ・ 内容、情報構造等、すべてを含んだ英語の総合的な力を見ることが できる。したがって、全般的な英語の学力を測定するいわゆる学カテスト(proficiency test)

として、きわめて有効である。もちろん、クローズテストは、工夫を施すことによって、あ る一定期間の学習の到達度を測定するいわゆる到達度テスト(achievement  test)としても 用いることができる。採点が比較的容易なので、便利である。

 テストは、目標がどの程度達成されたかをみるためのものであるが、ただそれだけで終わっ てしまってはならない。テスト結果をフィードバックすることである。教師は、生徒に対し てフィードバックすると同時に、自分に対してもフィードバックしなければならない。つま り、生徒の学習の効果が充分に上がっていなかったことを知れば、自分の指導法を反省し、

指導法の改善を行わなければならないのである。

 また、テストは、学習者に対して、学習の動機付けと方向付けを与えるものでもある。学 習者は、テストにおいて、良い結果を得ようとするであろうし、また、良い結果が得られれ ば、学習がさらに促進されることにもなる。「音声面は、ペーパー ・ テストにそぐわないが、

テストすることに意義がある」と言われるが、これは、「テストは学習を方向付ける」という 意味においてである。したがって、テストにはこのような様々な側面があるということを考 慮し、テストの内容は慎重に作られなくてはならない。

(9)

17 直訳を旨とすべし(この項目は、前号の 10 直訳を旨とすべし に加筆 ・ 修正を施 し、再録するものである。)

 「9 場面を想定すること」の項目の中で、文脈のない用例の訳について触れたが、これに 反して、高校レベル以上の授業で、ある程度の文脈をもつテクストを訳読(read  through  translation)する場合について述べてみたい。この際に注意すべきことは、一足飛びに、ま してや当てずっぽうに、「意訳」を求めてはならない、ということである。基本的には、先 ず、文の構造と語句の意義を確認し、文脈と絡めながら、つじつまの合う意味を求めて、直 訳していくのである。この場合、文の一語一語を忠実にたどりながら訳すので、逐語訳とも 言われる。そうすることが、少なくともまだ学習の段階にある生徒にとっては、必要である。

そしてその直訳されたものが日本語として熟した表現でなかったり、場面に即した適切な日 本語文でなかったりした場合に、意訳を求める、ということが基本的姿勢でなければならな い。そのような読み方―英文の意味だけにとらわれた読み方ではなくて、英語の形式に重点 を置く読み方―の積み重ねが、英語をよりよく理解し、使用できることにつながるのである。

 授業の一環としての訳読作業は「訳読」といっても、訳をすることが目的ではなく、訳は あくまでも補助的なものであって、日本語を介しないで英語を英語として分かることが「読 む」ことの学習の目標である。英文の意味を分からせるための補助手段として、母語で意味 を示した日本語訳が使われる、というように考えるべきである。

 訳読の作業では、上滑りの意訳で終わってしまってはいけない。ぎこちない日本語であっ ても先ず直訳、ないし逐語訳を奨励すべきであり、始めから滑らかな名訳を求めるようであっ てはならない旨を述べてきた。熟練した教師なら、生徒の訳を聞けば、直訳式日本語を聞け ばなお更のこと、生徒が英文を真に理解したかどうか、どこを過っているのか、何を指導し たらよいのか、は分かるものである。

 さらに、訳をする際に留意すべきことは、できるだけ前から順に訳し下ろしていくという ことである。もちろん、英語と日本語とでは語の並び方に根本的な違いのある場合もあるか ら、一概には言えないけれども、やむを得ない場合を除いて、極力、訳し上げはしないよう にすべきである。母語話者、あるいは、英語が外国語である人でも、英語で思考している

(thinking in English)状態にある場合には、英文を読んでいるときには、前から順に理解し ていっているはずである。もちろん、記憶の限界を越すような複雑さをもつ文である場合は 別であるが。

 以下に、訳し下しの例をいくつか示しておきたい。a.~c.においては特に1行目の文の 訳に注意されたい。

(10)

⑴ 訳し下ろしの例

a-1.John is absent today because he has a severe cold.

    ジョンが今日休んでいるのはひどい風邪を引いているからだ。

a-2.Because he has a severe cold, John is absent today.

    ひどい風邪をひいているからジョンは今日休んでいる。

b-1.Hell probably say no, though its worth asking.

    彼は多分断るだろう。それでも頼んでみる価値はあるが。

b-2.Though she gave no sign, I was sure she had seen me.

彼女はその様子を見せなかったが、彼女が私を見ていたことに間違いはないと 思う。

c-1.Mary is talkative, whereas(while)her sister is quiet and reserved.

    メリーは話し好きだ。一方で、彼女の妹はおとなしく控えめだ。

c-2.Whereas(While)Mary is talkative, her sister is quiet and reserved.

    メリーは話し好きだけれども、妹はおとなしく控えめだ。

d.He ran on and on until he was completely tired out.

  彼はどんどん走り続け、ついにくたくたになった。

e.Not until we lose it do we know the value of our health.

  健康を失ってはじめて我々はその価値が分かる。

f.It was yesterday that I met him in the park.

  昨日のことだった、彼に公園で出会ったのは。

g.It may be necessary that we should buy a new one.

  必要かもしれません、新しいものを買うことが。

h.Wild flowers such as primroses are becoming rare.

  野生の花、例えば、サクラソウは数が少なくなってきている。

(11)

i.Look at the mountain whose top(the top of which)is covered with snow.

  あの山を見てごらんなさい、頂上が雪で覆われている山を。

j.Enter Detroit at your own risk.

  デトロイトへは自己責任で。(ミシガン州デトロイトは治安の悪いことで有名)

k. Two bombs exploded near the crowded finish line of the Boston Marathon on April  15, killing at least three people and injuring more than 140 in a bloody scene of  shattered glass and severed limbs that raised alarms terrorists might have struck  again in the United States.

ボストン ・ マラソンの混雑するゴール付近で4月15日、2度の爆発が起き、少なく とも3人が死亡、140人以上が負傷した。現場は粉々のガラスと切断された手足で血 に染まり、米国でテロリストが再び攻撃したのではないかという恐怖を引き起こし た。(2013年4月26日の The Japan Times ST に掲載された訳)

 情報構造の観点からすると、訳し下しすることによって、英語による情報の流れと日本語 による情報の流れが一致することになる。英語であれ、日本語であれ、通例、「情報の流れ」

は、まず、旧情報が示され、それに新情報が追加されるという形で〈話し〉〈書く〉という表 現活動が進行していくからである。

 その際、新情報が無理のない形で追加されていけば、聞き手は理解しやすいのであるが、

それに反して、例えば、新情報が一気に多量に追加されたりすれば、聞き手は理解に苦しむ わけである。

 同時通訳というものがどういうから繰りで行われているのか、筆者はよく知らないが、お そらく、訳し下ろしの精神を基本にしているのは間違いないと思う。

 訳し下しの前提になっているのが、いわゆる直読直解である。英語であれ日本語であれ、

母語話者は、書き言葉では直読直解、話し言葉では、直聞直解(ちょくぶんちょっかい)を 行っているのである。したがって、英語の学習においても、日本語を介しないで、英語を直 読直解、直聞直解できるようになることを目指すべきである、ということである。話し言葉 は、瞬時に消えていく。直聞直解でなければ間に合わない。書き言葉で直読直解を練習する ことが、話し言葉の理解力の向上につながることは間違いない。

 優れた翻訳ということになると、さらに、もう一つ別の要素が要求されてくる。それは、

翻訳語(英語から日本語であれば日本語)の表現力である。翻訳をするには、先ず、原文の

(12)

正確な意味 ・ 内容を把握することから始まり、それを過不足のないよう、情報構造と文体に も気を配りながら、熟した、自然な翻訳語で表現しなければならないからである。

 以下に、直訳と日本語の構造が顕著に異なる意訳の例をいくつか示しておきたい。一行目 が直訳、二行目が意訳である。

⑵ 直訳(逐語訳)と意訳の例

a.An apple a day keeps the doctor away.

  1日に1個のリンゴは医者を遠ざける。

  1日にリンゴ1個で医者要らず。

b.Brevity is the soul of wit.

  簡潔は機知の精髄。

  言は簡を尊ぶ。

c.John is easy to please.

  ジョンは喜ばせるのがやさしい。

  ジョンは気がいい。

d.John is difficult to please.

  ジョンは喜ばせるのがむずかしい。

  ジョンは気むずかしい。

 以下、無生物主語構文

e.The next morning found him penniless again.

  翌朝は彼が再び無一文であることを見いだした。

  翌朝、彼は再び無一文になっていた。

f.This picture always reminds me of my happy childhood.

  この写真はいつも私に幸せだった子供時代を思い出させます。

  この写真を見るとかならず幸せだった子供時代を思い出します。

g.Rain prevented me from coming to school.

(13)

  雨は私が学校へ来ることを妨げた。

  雨のため私は学校へ来ることができなかった。

h. Another year of hard study will surely enable you to pass the entrance examination.

あと1年の熱心な勉強はあなたが入学試験に合格することをきっと可能にしてくれ るでしょう。

あと1年一生懸命勉強すればきっと入学試験に合格しますよ。

i.This ticket allows you to break your journey at intermediate stations.

  この切符は途中の駅で下車することを許してくれます。

  この切符だと途中の駅で下車することができますよ。

j.Machines help us to produce more food with less work.

  機械は、我々が少ない労力でより多くの食料を生産することを助ける。

  機械の助けによって、我々は、少ない労力でより多くの食料を生産することができる。

18 「説明」の重要性について(この項目は、前号の 11「説明」の重要性について に大 幅な加筆と修正を施し、再録するものである。)

 母語を身につけることを習得する(acquire)と言い、外国語を身につけることを学習する

(learn)と言って、母語を身につける場合と外国語を身につける場合とを区別することがあ る。外国語の学習(learning)が母語の習得(acquisition)と最も異なる点は、学習者が直接 的に接する第一次言語資料(Primary Linguistic Data)がきわめて限られるということであ る。学習者が触れる言語資料が少ないがゆえに、これを補い、それによって学習を促進させ ようとするのが、教える側の教師の「説明」である。

 入門期よりも、学習の段階が進むにつれて、外国語の学習における説明の重要性は増すよ うに思われる。

 科学的な説明におけると同じように、射程距離が大きく、一般性の高い、いわゆる、「簡潔 な説明」というものが、先ず、望ましい。次には、前提のない「ゼロからの説明」を心掛け ることも大切である。ある説明をするためにさらに別の説明を必要とするような、また、理 論の体系や理論の細部に言及しなければならなくなるような説明は、外国語の実際的な学習 や教育においては、不向きである。文法的思考力を養う、というようなことでなければ、通

(14)

例は、「形式」と「意味」が結び付けられれば充分なのであるから。

 学習者に説明を求められた場合、「理屈を考えないで暗記しなさい」で片付けてしまった り、「これは英語らしい表現だからこのまま覚えなさい」の一言で終わってしまうようなこと は、極力避けるべきであって、理屈で押していけるところまで押していく、という姿勢が教 師には必要である。教師に、深くて、広い、英語学的あるいは言語学的素養が求められると ころである。

 教師の説明は、英語に現れる様々な言語現象をどのような見方で捉えていったらいいかを 学習者に暗黙のうちに知らしめ、学習者が自主的、主体的に行なおうとする規則化、一般化 の方向付けをするものであるから、この点においても、外国語の学習においては、教師の説 明は極めて大きな重要性をもっている、と言えるのである。

 理屈で押していけるところまで押していって説明をすることの例は枚挙にいとまがない。

ここでは、ある英文があって、それがどうしてこれこれしかじかの意味になるのか、という 問いに答える形で、「理屈でいけるところまでいく」という説明の例を以下に示してみたい。

⑴ a.John is three months / twenty years old.(ジョンは生後3か月だ/20歳だ)

  b. My house / My car is ten years old.(私の家は建てて10年経った/私の車は買って 10年経った)

形容詞 old は「生まれてから、あるいは作られてから、…… の年月を経た」という意味 で、old の前の数詞+名詞はどの程度の年月を経ているかを示している。なお、程度表 現について詳しくは 23 程度表現 を参照されたい。

⑵  Awhale is no more a fish than a horse is. / A whale is not a fish any more than a horse  is.(鯨が魚でないのは馬が魚でないのと同じだ/鯨は馬と同様魚ではない)

no は強い否定を意味し、more は much の比較級。副詞の much は「真実性の度合い」

を表わす副詞である。本文の逐語訳は「鯨が魚であることの真実性の度合いは、馬が魚 であることの真実性の度合いより高いことはまったくない」である。馬が魚であること の真実性の度合いは常識的に見てゼロである。したがって、鯨が魚であることの真実性 の度合いもゼロである、ということになる。ゆえに、(鯨が魚でないのは馬が魚でないの と同じだ)となるのである。

類例:

(15)

A bat is no more a bird than a mouse is. / A bat is not a bird any more than a mouse  is.(こうもりが鳥でないのはねずみが鳥でないのと同じだ)

He can no more swim than a hammer can. / He cannot swim any more than a ham- mer can.(彼はかなづちと同様に泳げない)

⑶ He is not so much a scholar as a writer.(彼は学者というよりはむしろ作家だ)

副詞の much は「真実性の度合い」を表わす。「彼が学者である真実性の度合いは彼が作 家である真実性ほど高くはない」→(彼は学者というよりはむしろ作家だ)

⑷ He is more lucky than clever.(彼は抜け目がないというより、ついているのだ)

=He is not so much clever as lucky.

=H is rather lucky than clever.

次の英文a.b.c.の中の more も、much の比較級で、この much は、上述の⑶の much と同じく、「真実性の度合い」を表わすと解するのがよいと思われる。接続詞 than より前の命題の真実性の度合いの方が than より後の命題の真実性よりも高いと言ってい るのである。

類例:

He is more a fool than a rogue.(彼は悪党というより間抜けだ)

He was more frightened than hurt.(彼は怪我をしたというよりむしろ恐怖を抱いたの だ)

⑸ a.He cannot so much as write his own name.「彼は自分の名前すら書けない」

b. He went out without so much as saying goodbye.「彼はさよならも言わずに出て 行った」

much は「大したこと、重要なこと」という意味の名詞。上の二つの文の逐語的な訳は

「彼は自分の名前を書くというほどの重要なことをできない」「彼はさよならを言うとい うほどの重要なことをしないで出て行った」であろうか。

(16)

⑹  more than……と less than……に no あるいは not が付いた次の四つの言い方には、微妙 な意味の違いがある。その意味の違いはどのように説明したらよいのか。

a.no more than one thousand dollars

no は more than……という思いに対する強い否定。例えば、He is no fool.(彼は馬 鹿なんかじゃない、利口だ)の no も強い否定。

「千ドル以上と思うかもしれないが、とんでもない」→「千ドルしか」

=only one thousand dollars

b.no less than one thousand dollars

no は less than……という思いに対する強い否定。

「千ドル以下と思うかもしれないが、とんでもない」→「千ドルも」

=as many as one thousand dollars

c.not more than one thousand dollars not は普通の否定。

「千ドル以上ではない」→「千ドルまたはそれ以下、多くて千ドル」

=at most one thousand dollars

0     500     1,000    1,500   ……

否定されていない領域 否定された領域

d.not less than one thousand dollars not は普通の否定。

「千ドル以下ではない」→「千ドルまたはそれ以上、少なくとも千ドル」

=at least one thousand dollars

0     500     1,000    1,500   ……

否定された領域 否定されていない領域

(17)

⑺  次の四つの英文は二つの行為ないし状態の同時性を表わしている。それぞれの文はどう してそのような同時性を表わすことになるのか。逐語的に意味を捉えていけば、英文の右 の(   )内に示した意味にたどり着くことはさほど難しいことではない。

a.Be off as soon as you have finished it.(それが済んだらすぐ出かけなさい)

soon は「早く」という意味。逐語的意味「それが済むのと同じくらい早く出かけな さい」→(それが済んだらすぐ出かけなさい)

b. He had no sooner seen me than he ran off. / No sooner had he seen me than he ran  off..(彼は私を見たとたんに逃げ去った)

soon は「早く」という意味。no は比較級 sooner を強く否定。逐語的意味「彼が逃 げ去るよりも彼が私を見た方が早いなんてことは決してない」→(彼は私を見たと たんに逃げ去った)

c. He had scarcely begun his speech when(before)the door opened. / Scarcely had  he begun his speech when(before)the door opened.(彼が演説を始めるか始めな いうちに戸が開いた)

scarcely は「やっと、ようやく、かろうじて」という意味。逐語的意味「戸が開い たときに彼は演説をかろうじて始めるところだった」→(彼が演説を始めるか始め ないうちに戸が開いた)

d. I had hardly spoken to him when he was gone. / Hardly had I spoken to him when  he was gone.(私が彼に話しかけるかかけないうちに彼は行ってしまった)

hardly の意味は「ほとんど …… しない」。逐語的意味「彼が行ってしまったと き、私は彼にほとんど話しかけていなかった」→(私が彼に話しかけるかかけない うちに彼は行ってしまった)

⑻  次の疑問文 Can you……? Could you……? Will you……?が「依頼」を表すのはど

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うしてであろうか。

a.Can you pass me the salt, please?

b.Could you tell me the time, please?

c.Will you open the window, please?

 この文の発話者は、私に塩を取ってくれる能力だけを聞いているはずはない、また、

私に時刻を教えてくれる能力だけを聞いているはずはない、また、私に窓を開ける意思 があるかないかだけを聞いているはずはない、と推測し、さらに、もし能力や意志があ るならば、pass me the salt, tell me the time, open the window という行為はこの文の発 話者に利益を与えるものであるから、この文の発話者は、自分にその行為をして欲しい と思っているに違いない、つまり「依頼」をしているに違いない、と聞き手は推論を進 めるのが一般的であろう。Can  you……?等は、推論の結果の「依頼」を表す表現とし て確立したと考えられる。

⑼  助動詞 must と have  to は以下の英文a.b.c.に見られるように微妙に使い分けら れることがある。

a. You must be back home by eight.((親が娘に対して)8時までに家に帰らなくては いけませんよ)

b. Dormitory students have to be back by eight.((寮長が寮生に対して)寮生は8時 までに帰らなくてはいけないことになっていますよ)

c. Judging from circumstantial evidence, we have to conclude that he was the mur- derer.((客観的情勢などにより)状況証拠から判断すると、我々は彼がその殺人犯 であったと結論せざるをえない)

 そういうことはあっても、以下では単純化して、must と have to の基本的意味は「義 務的」であるとして考察を進めていくことにする。以下のd.とe.にあるように、

must go と have to go はともに「行かなくてはならない」であるのに、f.とg.にお けるように not が付加されると、どうして must not go は「行ってはならない」となり、

dont have to go は「行く必要はない」となるのであろうか。

(19)

d.You must go.(あなたは行かなくてはならない)(義務:obligation)

e.You have to go.(あなたは行かなくてはならない)(義務:obligation)

f.You must not go.(あなたは行ってはならない)(禁止:prohibition)

g.You dont have to go.(あなたは行く必要はない)(義務の免除:exemption)

 否定語 not が何を否定するかに注目したい。f.の must  not  go においては、not は go を否定すると分析し、意味は「行かないことが義務である」→「行ってはいけない」

(禁止)となる。他の助動詞 may, should, ought などでも、not が助動詞を否定するので はなく動詞を否定するという同様の分析が可能である。

h.He may not come.(「彼は来ない可能性がある」→「彼は来ないかもしれない」)

i. He should not(ought not to)go.(「彼は来ないことが義務だ」→「彼は来るべきで ない」)

j.You had better not go.(行かないほうがよかろう〉

 一方、g.の dont have to go では、not は have to go 全体を否定すると分析し、意 味は「行かなくてはならないことはない」→「行く必要はない」となる。

⑽  次の英文a.の下線部must be……はどうして「……であるに違いない」を意味し、

英文b.の下線部cannot  be……はどうして「……であるはずがない」を意味するの か。

a. There is a rumor that our teacher is leaving. Yesterday she told us that she had  got  engaged  to  a  young  businessman  working  in  New  York,  and  so  the  rumor  must be true.〈その噂は本当であるに違いない〉

b. There is a rumor that our teacher is leaving. She once said that she loves our school  and us students more than anyone else, and so the rumor cannot be true.(その噂 は本当であるはずがない)

 まず、a.については、must は義務ないし必然を表わす助動詞で、must  be……

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は「……でなくてはならない→……に違いない」という意味になり、「確かな証拠に基づ いて推論された肯定的見解」を表わす。

 一方b.については、can は可能性を表わし、cannot  be……は「……である可能 性がない→……であるはずがない」という意味になり、「確かな証拠に基づいて推論され た否定的見解」を表わす。

⑾ 次の英文a.b.c.は、なぜ「私は真夜中になってようやく出発した」となるのか。

a.I didnt start until midnight.

b.It was not until midnight that I started.(強調構文)

c.Not until midnight did I start.(倒置文)

 前置詞ないし接続詞の until と共起できるのは一般に継続を表わす動詞であるが、瞬間 的な意味合いをもつ動詞でも、否定語 not の存在する文脈では、until と共起できる。例 えば、上記a.は「否定された状態が …… まで続く」というように解し、したがっ て「私が出発しなかった状態が真夜中まで続いた」という意味になる。b.は「私が出 発したのは真夜中までなかったことだ」という意味になり、c.は「真夜中までなかっ たことだ、私が出発したことは」となるであろう。

⑿  not only A but also B と B as well as A はよく同義だと説明される。前者の not only A  but also B は、一語一語忠実にたどればその意義は容易に了解できるであろうが、後者の B as well as A についてはどうであろうか。次の英文b.と英文d.を見られたい。

a.It was not only dark but also foggy.(暗いだけでなく霧もかかっていた)

b.It was foggy as well as dark.(霧がかかっていた、暗い上に)

c. He gave us not only clothes but also food.(彼は私たちに衣類だけでなく食べ物も与 えた)

d. He gave us food as well as clothes.(彼は私たちに食べ物を与えた、衣類はもちろん)

 まず問題となるのは、B as well as A の well の意味である。筆者は、それは「十分な 理由をもって(= with good reason)、妥当性をもって、もっともで、当然で」という意

(21)

味の well と見てよいのではないかと考える。したがって、 B as well as A の意義は「B の妥当性はAの妥当性と等しい」→「Bである、Aと同様に/Aの上に/Aはもちろん」

となるのである。

 B as well as A について付記しておきたいことがある。次の下線を施してある money  as well に関しては、一般に、辞書では、この as well は too と同じ、と記載されている ことが多い。意味上はそれで何ら問題はないけれども、ではなぜ too と同義になるので あろうか。

a. He gave us clothes, and money as well.(彼は私たちに衣類を与えた。そして同様に お金も)

b. He gave us clothes, and money as well [as clothes].(彼は私たちに衣類を与えた。

そして[衣類と同様に]お金も)

 英文a.の money as well は、英文b.money as well [as clothes]の[    ] の as clothes が省略されたもの、つまり、B as well は as A が省略されたもの、という ように、英語の形式に即して説明するのがよいと思われる。英語の母語話者は、まさに 英語の形式に即して意味を了解しているに違いないからである。

 類例:He insisted on directing the play and on producing it as well.(彼はその演劇を 演出すると言い張った。そして同様にそれをプロデュースすることも)

⒀  助動詞 may, might が、「十分な理由をもって(= with good reason)、妥当性をもって、

もっともで、当然で」という意味の well を伴って、may(might)well do という形で用い られることがある。might の方が may より控え目な表現である。

a. It may well be true.(それは妥当性をもって本当かもしれない → それは多分本当か もしれない)

b. You may well need your sweater if it gets a little colder.(もう少し寒くなれば妥当 性をもってセーターを必要とするかもしれない → もう少し寒くなれば多分セーター を必要とするかもしれない)

c. She may well be proud of her son.(彼女は自分の息子を当然自慢してよい → 彼女 が息子を自慢するのも当然だ)

d. You may well be surprised that at the news.(あなたがそのニュースを聞いて当然

(22)

驚いてもよい → あなたがそのニュースを聞いて驚くのも当然だ)

⒁  助動詞 may, might が、(ⅻ)で扱った「十分な理由をもって(= with good reason)、妥 当性をもって、もっともで、当然で」という意味の well を伴って、may(might)as  well  do 1 as do 2という形で用いられることがある。「do 2するのは do 1するのと同じぐらいの 理由をもってしてよい」 → 「(do 1するのは普通では不条理で考えられないことであるし、

十分な理由はない。したがって)do 2するぐらいだったら do 1したほうがよいくらいだ」

a.You may(might)as well throw your money into the sea as lend it to him.

  (彼にお金を貸すくらいだったらお金を海に捨てたほうがよい)

b.You may(might)as well throw money away as spend it in gambling.

  (ばくちにお金を使うくらいなら捨てたほうがましだ)

c.You may(might)as well go abroad as not.

  (どちらかと言えば外遊したほうよい)

d.You may(might)as well give me some candies.

  (キャンディーをくれたっていいでしょう)

19 事例や例文について(この項目は、前号の 12 事例や例文について に大幅な加筆 と修正を施し、再録するものである。)

 ある規則やそのほかの文法的、構造的事柄を説明するために引き合いに出される事例や例 文は、問題となっている論点を浮かび上がらせるような、平易なものを、精選して示すこと が重要である。「平易なもの」としての条件としては、用いられる語彙が既習のものであるこ と、例文である場合は文脈の補充をあまり必要としないこと、特殊な場面を想定することを 要求しないこと、などが挙げられる。「事例や例文を精選して示すべし」というのは、外国語 の学習においては、事例や例文は、母語習得の際の第一次言語資料と同じ役割を果たすもの であるが、さらされる言語資料の量は母語の場合より著しく少ないが故に、精選された良い 事例や例文を示しなさい、ということである。

 重要な文法事項や構文については、教師は、いつでも示せるように、一定の例文のストッ クを持っているのが望ましい。

 事例の数が限られている場合には、できるだけ網羅的に示すのがよい。例えば、ⅰ変母音 複数形、ⅱ -ng で終わる形容詞の比較級と最上級の発音の例、ⅲ変則定形動詞、ⅳ easy 形容

(23)

詞、ⅴ eager 形容詞、ⅵ likely 形容詞、ⅶ happen 動詞、ⅷ直後に that 節を取る前置詞、ⅸ 等位接続詞、ⅹ関係副詞、第2文型、第4文型、第5文型の動詞、種々の機能語(function  words)の品詞別の単語の数、特に等々である。事例の数が限られている場合には、事例を 逐一示していって最後に、「事例は以上のみである」という主旨のことを明言するとよい。例 示していった最後に、不用意に「~など」という言葉は使わないようにしたい。

Ⅰ 事例の数が限られていて、できるだけ網羅的に示すのがよい場合:

⑴  母音を変えて複数形となるものは変母音複数(mutation plural)と呼ばれる。以下、六 つがその例である。Man を含む複合語 gentleman, policeman, Englishman など、また woman を含む policewoman, Englishwoman なども -men, -women となる。

a.[ӕ]―[e]:  man―men

b.[u]―[i:]:  foot―feet, tooth―teeth, goose―geese c.[au]―[ai]:  mouse―mice, louse―lice

⑵  -ng で終わる形容詞で、比較級と最上級を作るため語尾 -er, -est が付いた場合、その発音 が、閉鎖音の[ɡ]が付加されて、[ɡə]、[ɡist]となるのは、young, long, strong, cunning の四つである。(cunning には more, most を付ける比較級と最上級もある。)一方、-ng で 終わる動詞の場合は、行為者を表す -er が付いても、閉鎖音の[ɡ]は付加されない。

a.young[jʌŋ]―younger[jʌŋɡə]―youngest[jʌŋɡist]

b.long[lɔŋ]―longer[lɔŋɡə]―longest[lɔŋɡist]

c.strong[strɔŋ]―stronger[strɔŋɡə]―strongest[strɔŋɡist]

d.cunning[kʌniŋ]―cunninger[kʌniŋɡə]―cunningest[kʌniŋɡist]

  Cf. sing[siŋ]―singer[siŋə](歌手)

    long[lɔŋ]―longer[lɔŋə](憧れをもつ人)

⑶  否定文、疑問文、倒置文などを説明する上で非常に重要な動詞として、24個の変則定形 動詞(anomalous finite verbs)がある。否定文は、変則定形動詞の前に not を置き、疑問 文は、主語の前に変則定形動詞を置く、というように。A. S. Hornby はかつて変則定形動

(24)

詞を twenty-four friends of notと呼んだことがある。定形動詞の「定形」とは、人称、

数、時制によって「形」が「定められた」という意味である。変則定形動詞の元になって いるのが、12個の変則動詞(anomalous verbs)である。

a.変則定形動詞 (24個):

am, is, are, was, were, have, has, had, do, does, did, shall, should, will, would, can,  could, may, might, must, ought, need, dare, used

b.変則動詞 (12個):

be, have, do, shall, will, can, may, must, ought, need, dare, used

⑷  形容詞の中で、It is easy to solve the problem. と The problem is easy to solve. のよう に、この二つの構文を取りえる形容詞は easy 形容詞と呼ばれる。無数にあるわけでなく、

筆者の調べた限り次の形容詞がそれにあたる。

awkward, convenient, dangerous, difficult, easy,(in)expensive, good, hard

(=difficult), impossible(*possible), nice, painful,(un)pleasant, safe, simple

(=easy), tough(=difficult), tricky, useful, useless

⑸  形容詞の中で、He is eager to enter college.  He is eager for his son to enter college.  He  is eager that his son(should)enter college. の構文を取り、「熱意のある」ないし「嫌がっ て」という意味をもつ形容詞は eager 形容詞と呼ばれる。無数にあるわけでなく、筆者の 調べた限り次の形容詞がそれにあたる。

a.ambitious, anxious, eager, impatient, keen, solicitous, willing b.hesitant, loath, reluctant, unwilling

⑹  三つの形容詞 likely, unlikely, certain は、it を主語としたa.の構文と従属節の主語を主 節の主語としたb.の構文に用いられ、likely 形容詞と呼ばれる。

    likely

a.It is  unlikely  that he will succeed.

    certain

(25)

    likely

b.He is  unlikely  to succeed.

    certain

 uncertain もこの中に含めてよいように思われるが、以下のc.d.に見られれるよう に、it を主語とした構文と he を主語とした構文に用いられないので、likely 形容詞とは されない。また、形容詞 sure も一見、likely 形容詞に含めてもよいように思われるが、

e.に示したように、it を主語とした構文に用いられないので、likely 形容詞とはされな い。ただし、it を主語とした構文が否定文であったり、疑問文であったりした場合には、

容認可能であるとされている。

c.*It is uncertain that he will succeed.

d.*He is uncertain to succeed.

e.*It is sure that he will come.

f.He is sure to come.

g.It is not sure that he will come.

h.Is it sure that he will come?

ⅶ  動詞 happen, chance, turn out, seem, appear は、it を主語とした構文(以下のa.c.

e.)と従属節の主語を主節の主語とした構文(b.d.f.)に用いられ、この五つの動 詞は happen 動詞と呼ばれる。

a.It happened(chanced)that I saw him.

b.I happened(chanced)to see him.

c.It turned out that she had known the solution all along.

d.She turned out to have known the solution all along.

e.It seems(appears)that he is tired.

f.He seems(appears)to be tired.

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