﹃栄 花 物 語 ﹄ に お け る 藤 原 朝 光 像
︱ そ の 叙 述 の 特 色
︱
川 田 康 幸
一 ' 序
本 論 で は 開 院 大 将 ・ 藤 原 朝 光 に 対 す る r栄 花 物 誌 巴 で の 叙 述 の 特 色 ' 描か れ 方 の 特 徴 に つ い て の 考 察 を 加 え た 。 朝 光
の 父 は 右 大 臣 師 輔 の 二 男 ' 従 1 位 関 白 太 政 大 臣 に 至 っ た 藤 原 兼 道 ' 掘 河 殿 と 号 し た 。 母 は 醍 醐 天 皇 の 皇 子で あ る 有 明 親
王 の 女 ・ 正二 位 に 叙さ れ た 昭 子 (能 子 ) 女 王 で ある 。 い づ れ 劣 ら ぬ 素 晴 し い 出 自 で あ る 。こ の 朝 光 に 関 し て 関 根 慶 子 氏
は '
父 の 最 愛 の 子 息 で tr 栄 花 」 二 に 「故 堀 河 殿の 御 た か ら は こ の 大 将 の 御 も とに ぞ み な わ た り に な る 」な ど と あ り ' 「大 鏡 J 三 に は 「す べ てい み じ か り し 御よ お ぼ えに て 御 ま じ ら ひの 程 な どこ と の ほ か に きら め き tや な ぐ ひの 水 晶
の は ず もこ の 殿 の 思ひ い で 給 へ る な り 」 と あ っ て ' 父 在 世 中 は は な や か に 時 め い た が ' 父 の 支 え を 失 う と 次 第 に 勢
力 を 失 墜 する と い う 結 果 に な っ た の は ' 時 代 の 傾 向 で も あ っ た ろ う 。 (朗 細 等 絹 乱 撃 粥 離 解 Jg J. # ) 旺 一 と 記 す 。 朝 光は 村 上 天 皇 の 天 暦 五 年 (九五 一 ) に
誕生。父 の 庇 護 ・ 引 き 立 て の 下 ' 円 融 天 皇 の 天 延 二 年 (九 七四 ) に は 旺 二 十四 歳 で 参 議に 任 官 。 翌 天 延三 年 (九 七五 ) に 従 三 位 中 納 言 ' 貞 元 二 年 (九 七 七 ) に は 二 十 七 歳 の 若さ で 従二 位 権 大
納 言 左 大 将 に 至 る の で あ る 。
旺三
貞 元 二 年 十 1 月 八 日 に 父 ・ 関 白 太 政 大 臣 兼 道 が 菱 去
する。す る と 朝 光 の 目 覚 し い 昇 進 も 停 止 し て し ま う 。 1 粂 天 皇 の
永 延 三 年 (九 八 九 ) に は 左 大 将 と い う 顕 官 を 辞 し ' 正 暦 六 年 (九 九 五 ) 三 月 に 四 十 五 歳 で 菱 去 す る 。 ま さ に 父 の 支 え ・
引 き 立 て に よ っ て 栄 進 L t 父 の 死 に よ っ て 栄 光 に 包 ま れ た で あ ろ う そ の 一 生 の 幕 も 降 り て し ま っ た 。 朝 光 の 人 生 は ま さ
に こ の 様 な 一 生 で あ っ た と 言 っ て 過 言 で は な か ろ う 。 前 半 生 の 二 十 七 年 間 は 日 を 見 張 る よ う な 栄 光 に 抱 か れ て い た か ら
こ そ ' 後 半 生 と の 落 差 は 大 き か っ た 。 後 半 生 の 十 八 年 間 ・ 充 実 す べ き ≡ ‑ 四 十 代 の 壮 年 期 は ' 朝 光 に と っ て ほ ほ 余 世 と
言 っ て よ か っ た の で は な い か 。 r栄 花 物 語 」 の 中 で 開 院 大 将 ・ 朝 光 に 言 及 す る 箇 所 は ' 松 村 博 司 氏 が r栄 花 物 語 全 注 釈 」 (角 川 書 店 ) の 中 で 分 け た
節 の 数 に よ れ ば ' 十 六 節 に の は る 。 巻 第 二 「花 山 た づ ぬ る 中 納 言 」 の 中 に 九 節 ' 巻 第 三 「さ ま ざ ま の よ ろ こ び 」 と 巻 第
四 「み は て ぬ ゆ め 」 の 各 巻 に 三 節 づ つ ' 巻 第 八 「は つ は な 」 の 中 に 一 節 の ' 全 十 六 節 で あ る 。
巻 第 二 の ︹四 ︺ 節 で は そ の 個 有 名 は 記 さ れ ず ' 兼 道 の 子 女 と い う 体 で あ る 。 二 二 ︺ 節 は 兼 道 の 黄 圭 と 途 方 に ‑ れ る
朝 光 ' 二 五 ︺ 節 は 中 宮 娘 子 の 崩 御 と 嘆 き に 沈 む 朝 光 が 描 か れ て い る 。 ︹二 〇 ︺ 節 は 内 裏 の 焼 亡 と 里 内 裏 と な っ た 開 院 ' ︹三 六 ︺ 節 か ら ︹四 〇 ︺ 節 に 至 る 五 節 で は 朝 光 の 女 ・ 桃 子 (姫 子 ) の 入 内 の 顛 末 が 語 ら れ る 。
巻 第 三 ︹二 ︺ 節 で は 兼 家 に 見 捨 て ら れ ず に 春 宮 大 夫 に 補 さ れ た こ と 。 二 六 ︺ 節 で は 源 倫 子 の 結 婚 と 狂 言 回 的 役 割 を
与 え ら れ た 朝 光 。 ︹三 〇 ︺ 節 で は 九 条 殿 ・ 師 輔 の 子 孫 の 繁 栄 と そ の 中 の 一 人 が 朝 光 と い う 描 か れ 方 を す る 。
巻 第 四 二 ︺ 節 で は 円 融 院 の 御 葬 送 と ' そ の 折 に 和 歌 を 詠 じ た 朝 光 。 即 ち 円 融 院 の 近 臣 と し て 措 か れ て い る 。 二 九 ︺
で は 病 に 冒 さ れ て 左 大 将 を 辞 し た 件 ' ︹三 五 ︺ で は 流 行 病 を 罷 っ て 没 す る 様 が 措 か れ て い る 。 ︻軒 光︼ 巻 第 八 ︹七 八 ︺ 節 で は 朝 光 に 対 す る 回 想 で '
「殿もこ と に 若 ‑ よ り 覚 え こ そ お は せ ざ ‑ し か ど ' め で た う の の し ‑ 袷
朝光︻F光︼
し 開 院
の大将は ' 大 納 言 に て こ そ は う せ 給 ひ に し か ' こ
の殿はか ‑ 命 長 ‑ て ' 大 臣 ま で な り 給 へ れ ば ' い と め で た し 」
と ' 顕 光 と の 比 較 の な か で 語 ら れ る の で あ る 。
巻 第 二 の ︹三 六 ︺ 節 以 降 の 桃 子 入 内 の 顛 末 と ' 巻 第 三 の 二 六 ︺ 節 の 倫 子 の 結 婚 で は ' 朝 光 の 後 妻 ・ 故 延 光 大 納 言 の
北 方 の 係 わ ‑ を 措 き ' そ の 「妻 儲 け 」 に 失 敗 し た 貴 公 子 ・ 朝 光 と い っ た 描 か れ 方 を す る 。 こ の 部 分 は 別 に 塙 を 改 め た い 。
今 回 は そ の 他 の 部 分 に 焦 点 を あ て て t r栄 花 物 誌 巴 で 描 か れ る 朝 光 像 を 考 え た O そ こ で は ' 父 を 失 っ て 途 方 に ‑ れ る 朝
光 ' 姉 ・ 中 宮 塩 子 を 亡 ‑ し て 悲 嘆 す る 朝 光 と い っ た 描 か れ 方 を す る 。 誠 に み じ め と い う か ' 不 様 と い う か ' ひ 弱 な 貴 人 ・
大 納 言 で は な い か 。 あ る い は 病 に 冒 さ れ 左 大 将 を 辞 し ' 流 行 病 に よ っ て 死 亡 す る と い っ た 体 な の で あ る 。 あ と は 円 融 院
の 近 臣 ' 寵 臣 と し て 生 き た 点 が 措 か れ て い る 。 本 論 で は ' 父 を 失 っ て 以 降 の 朝 光 か ら 円 融 院 と の か か わ り に 焦 点 を あ て
て t r栄 花 物 試 巴 で の 叙 述 の 特 色 を 考 え た み た .
二 ㌧ 朝 光 の 官 歴 ・ 祖 父 に 倣 っ て
r栄 花 物 語 」 巻 第 八 の 朝 光 の 回 想 部 分 で 語 ら れ る ' 若 い 時 か ら 「め で た う の け し 」 ら れ て い た と す る 朝 光 の 官 歴 を ま
ず 検 証 し た い 。
旺四
朝 光 は 村 上 天 皇 の 天 暦 五 年 (九 五 一 ) に 誕 生 す る 。 時 に 父 ・ 兼 通 は 二 十 七 歳 の 左 兵 衛 佐 で 従 五 位 上 で あ
った。祖 父 の 旺 五 師 輔 は 村 上 天 皇 の 寵 臣 で あ り 、 四 十 四 歳 の 若 さ で 既 に 右 大 臣 任 官 五 年 日 と い う 顕 官 ・ 要 職 に あ
った。叔 母 ・ 安 子 は 既 に 旺 六 皇 太 子 ・ 意 平 親 王 (当 時 二 歳 ) の 母 と し て 、 村 上 天 皇 の 後 宮 で は 不 動 の 地 位 と ' 絶 大 な 権 力 を 有 し て い た と 思 わ
れる。旺 七 素 平 親 王 は 天 暦 四 年 (九 五 〇 ) 五 月 に 誕 生 L t 生 後 二 ケ 月 の 同 年 七 月 に は 立 太 子 を 済 ま せ て
いた。ま た 母 ・ 昭 子 (能 子 )
女 王 は 、 醍 醐 天 皇 の 皇 子 ・ 三 品 兵 部 卿 有 明 親 王 の 女 と い う ' 大 層 高 貴 な 出 自 の 方 で あ っ た 。 朝 光 は こ の 様 な 素 晴 し い 環
境 の 下 に 誕 生 し た の で あ り ' ま さ に 朝 光 の 前 途 は 洋 々 と し て お り 、 祝 福 さ れ て い た と 言 え よ う 。
朝 光 は 以 上 の 様 な 家 庭 環 境 の 下 に 生 ま れ 育 ち ' 祖 父 ・ 師 輔 の 菟 去 し た 翌 年 の 応 和 元 年 (九 六 1 ) に は 十 1 歳 で 童 殿 上 t] < が 許 さ
れた。そ の 後 応 和 三 年 (九 六 三 ) 正 月 に は 中 宮 (叔 母 ・ 安 子 ) 御 給 に よ ‑ ' 十 三 歳 の 若 さ で 叙 爵 さ れ る と い う ス
ピ ー ド 出 世 で あ る 。 そ の 後 康 保 三 年 (九 六 六 ) 九 月 に は 侍 従 に 補 さ れ ' 村 上 天 皇 の 晩 年 に ' 帝 の 側 に 近 侍 す る 名 誉 を 辛
に す る 。 安 和 二 年 (九 六 九 ) 閏 五 月 に は 右 兵 衛 権 佐 に 補 さ れ ' 八 月 十 三 日 に 新 帝 (円 融 天 皇 ) の 昇 殿 が 許 さ れ た 。
こ の 円 融 天 皇 の 御 代 に ' 堀 河 殿 ・ 兼 通 並 び に そ の 一 族 の 人 々 は 我 が 世 の 春 を 詣 歌 し た の で あ る 。 兼 通 の 兄 ・ 摂 政 太 政 丘 九 大 臣 伊 声 が 天 疎 三 年 (九 七 二 ) 十 1 月 1 日 に 菟 去
する。こ れ を 受 け こ の 年 の 閏 二 月 に 参 議 か ら 権 中 納 言 に 昇 進 し た ば か
り の 兼 通 に 政 権 が 移 っ た の で あ る 。 即 ち 十 1 zE :l l+ 七 日 に は 大 納 言 姦 ず に 完 に 内 大 臣 に 補 せ ら れ ' 関 白 の 詔 が 発 せ ら れ た の で
如禦関 白 と な っ た 兼 通 の 最 初 の 仕 事 は ・ 女 ・ 娘 子 の 入 内 ・ 立 后 で あ っ た . 翌 天 緑 四 年 (九 七 三 ) 春 二 月 二 旺 十 丁 十 九 日 に ' 二 十 七 歳 の 娘 子 は 入 内 し 麗 景 殿 に 住 む 。 時 に 帝 は 十 五 歳 。 姓 子 は 四 月 七 日 に は 女 御 ' 七 月 1 日 に は 立 后 L t
中 宮 と 呼 ば れ る こ と と な っ た 。
旺十二
円 融 天 皇 は 天 緑 三 年 (九 七 二 ) 正 月 に
元服をL t 十 1 月 に 兄 ・ 摂 政 太 政 大 臣 伊 デ が 没 し た 。 す る と 途 端 に 満 を 持 し て
い た の か ' 兼 通 は 電 光 石 火 の 如 き 早 手 回 し ' 手 際 の よ さ で 翌 年 女 ・ 娘 子 の 入 内 を 図 っ た の で あ る 。 そ し て ま た た く 間 に 旺 十 三 杜 十 四 立 后 に 至 っ た 。 加 え て 十 月 に は 娘 子 や 朝 光 の 母 ・ 昭 子 女
王を正 三 位 に 叙 し て し
まう。こ の 辺 も 誠 に 強 引 と い う か 、 手 際
が よ い 。 昭 子 女 王 に 対 し て は 翌 天 延 二 年 (九 七 四 ) 十 一 月 十 三 日 に は '
選 子 内 親 王 叙 =1 11品 .。 昭 子 女 王 正 二 位 。 詔 。 (鞄 本 紀 )
円 融 天 皇 の 同 腹 の 末 妹 ・ 遺 子 内 親 王 の 叙 品 と 同 時 に ' 正 二 位 に 叙 し て い る 。 お 手 盛 り と 言 っ て 過 言 で は あ る ま い 。
表 Ⅰ (師 輔 ・ 朝 光 対 照 表 ) 荏 午
八 歳 七 良 六 読 五 読 読 四 四 読 義 壷 読〇 読 九 読 七 読 六 読 義 坐 令
承 承 承 承 平 承 延 延 延 延 延 延 延 延 午 節 輔
平 平 平 守 良 長 八 午 長 長 長 @ 皐 喜
五
午 四 年 壷 奉 7 午 t : 九 午 七 午 六 午 四 午 奉 7 午 C 年
八′■■ヽ ー ヽ
ブ L九 九 九 九
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九 九 生 . ZE. 九 九五 正 正
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>旦 月 七 月 月 星 月 月 旦 七 月 月 九 月 月 五 月 日
日 日 育 六 日 七 日 日 日 日 日 日
〇日 日 日
参 従 右 正 兼 蔵 右 莱 壁 雀 天 皇 受 従
右昇 侍 為左 従 捕 質
読 四 中 五 近 人 少
五 兵殿 従 令大五
宕 中 将 iD 7 1 : ○ 元 蔵 人
畢 位 下 棉 位
芙ヨ下管A悠紀囲丁言江
介頭 棉
位上 節佐義 皇 家 臣位 醐 天 巷 馳 慶東下 慧窮 自
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七 匹 q 七 月 天 練 午 四 ‑ 九 . ヒ天 * 毒
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月 月 正 月 七 旦 七 月 旦 正 月 正 月 正 旦 育
八月 五 月 正 月 日
〇
日 八 日 七 日 七 日 天 日 七 日 日
6日 八 日 七 日
元日
〇日 育
毛日
〇日 七 日 七 日
参 蔵 栄 従 左 基堀 正 中 兼 蔵 従 栄 右 昇 右 昇 侍 従 捕 蛋
人 四 三 宮 人 五 ′ ヽ n , . r t . ・ 従 冒 上 五
宕 中 頭 江 守 位 下 鷲 亮
介i 7 ̲ 1 a : ○ 権 亮 江
権位 上 中
権棉
託始 衛 権 育 泉
位下 逆蓋こ の 間 朝 光 は 天 緑 元 年 (九 七 〇 ) 十 二 月 に は 右 少 将 ' 翌 年 の 正 月 の 県 召 の 除 目 で は 備 中 権 介 を 兼 ね た 。 こ の 天 疎 二 年 旺 十 五 (九 七 一 ) は 桃 子 が 誕 生 し て
いる。摂 関 家 の 一 族 ' 特 に 九 条 家 流 に 生 を 受 け た 明 光 に と っ て は ' 待 望 の 女 児 の 誕 生 で あ っ
た ろ う 。 翌 天 緑 三 年 (九 七 二 ) 正 月 に は 従 五 位 上 に 昇 叙 。 父 ・ 兼 通 が 関 白 と な っ た 次 の 年 ' 天 緑 四 年 (九 七 三 ) に は '
姉 ・ 藍 子 の 立 后 と 同 様 な 目 覚 ま し い 昇 進 を 朝 光 は す る 。 即 ち 正 月 八 日 に 蔵 人 ' 三 月 二 十 日 に は 近 江 権 介 を 兼 帯 L t 挺 子 証 十六 立 后 と 同 時 に 中 宮 権 亮 に 補 さ れ ' 七 月 に 娘 子 の 内 裏 へ の 遷 御 を 質 し 正 五 位 下 に 叙 さ れ て い る 。 ま た こ の 年 ' 朝 経
の誕生を 見 ' 一 気 に 陽 光 が 堀 河 殿 の 一 族 に 差 し 込 ん だ よ う な も の で あ ろ う 。 翌 天 延 二 年 (九 七 四 ) 正 月 に は 一 宮 (資 子 内 親 王 )
御 給 に よ り 従 四 位 下 ' 二 月 七 日 に は 近 江 守 を 兼 帯 L t 翌 八 日 に は 蔵 人 頭 ' 四 月 十 日 は 二 十 四 歳 の 若 さ で 参 議 に 任 官 し て 旺 十七 旺 十 < し ま う 。 当 時 と し て は 誠 に 若 い 参 議 で あ る 。 父 ・ 兼 通 は 四 十 五 歳 で の 参 議 任 官 で
あり'祖 父 ・ 師 輔 と い え ど も 二
十八歳で あ っ た 。
加 え て 注 目 す べ き 点 は ' 朝 光 の 参 議 任 官 に 至 る 間 歴 任 し た 官 職 は ' 全 て 祖 父 ・ 師 輔 が 参 議 に 任 官 す る ま で に 経 験 し た 兼 Ⅰ 事 照 官 職 と 瓜 二 つ ' 二 重 写 し に な っ て い る 。 非 常 に 類 似 し て い る 点 に 気 付 か さ れ る で は
ないか。参 議 に 任 官 す る に あ た り 、 師 輔 は 従 四 位 下 の 頭 中 将 で 外 宮 の 近 江 介 を 兼 帯 し て い た 。 孫 の 朝 光 も 同 じ ‑ 従 四 位 下 の 頭
中 将 で あ ‑ 外 官 は 近 江 守 を 兼 帯 し て い た 。 細 か ‑ 論 え ば 祖 父 と 孫 は ' 左 中 将 と 右 中 将 あ る い は 介 と 守 と 少 し つ つ 異 な る
点 は あ る 。 だ が 二 人 共 近 衛 府 の 中 将 で 蔵 人 所 の 頭 を 兼 ね た 貴 公 子 中 の 貴 公 子 ' い わ ゆ る 「頭 中 将 」 で あ り ' 共 に 近 江 国
の 国 司 を 兼 帯 し て い た 。
ま た こ の 「頭 中 将 」 に 至 る 官 職 歴 任 の 具 合 も ほ ぼ 瓜 二 つ と い っ て よ い 程 類 似 し て は い な い か 。 師 輔 は ま ず 最 初 に 侍 従
に 任 官 す る 。 そ の 後 右 兵 衛 佐 ' 右 少 将 と そ の 職 を 経 て 蔵 人 頭 を 兼 ね ' そ の 後 少 将 か ら 中 将 に 昇 進 し て 「頭 中 将 」 と し て
天 皇 に 近 侍 し 、 参 議 に 至 っ た 。 l 方 朝 光 も 師 輔 同 様 ' ま ず 最 初 に 侍 従 に 任 官 す る 。 そ の 後 右 兵 衛 佐 ' 右 少 将 と そ の 職 を
経 て 蔵 人 を 兼 ね ' そ の 後 少 将 か ら 中 将 に 昇 進 す る 。 蔵 人 所 で も 五 位 蔵 人 か ら 頭 に 昇 進 し て 「頭 中 将 」 に 至 り 参 議 に 昇 進
し た の で あ る 。 祖 父 と 孫 は ほ ぼ 同 じ 官 暦 を 経 て 参 議 に 任 官 し た と 言 っ て よ い 。 祖 父 は 五 位 蔵 人 を 経 ず 最 初 か ら 少 将 で 頭
に 任 ぜ ら れ ' そ の 後 近 衛 中 将 に 昇 進 し て い る 点 は 孫 ・ 朝 光 と は 少 し 異 な る 。 朝 光 は 近 衛 中 将 に 任 ぜ ら れ た 後 ' 頭 を 兼 ね
た の で は あ る が 。 と は 言 え ' 師 輔 ・ 朝 光 共 に 文 官 の 蔵 人 所 で 職 を 奉 じ ' 並 び に 武 官 の 近 衛 の 中 将 を 兼 務 し 「頭 中 将 」 と
い う 文 武 両 道 を 兼 ね た 顕 官 に 至 っ た 点 は 同 じ で あ ろ う 。
朝 光 が 歴 任 し た 官 職 は 正 に 祖 父 の 師 輔 が 歴 任 し た も の で あ り ' そ の 任 官 の 順 序 も ほ ぼ 同 じ と 言 え る 。 関 白 兼 通 に と っ
て は 師 輔 が い た か ら こ そ 摂 諒 の 臣 に 至 る こ と が で き た の で あ る 。 兼 通 は 最 愛 の 息 子 ・ 朝 光 に ' 堀 河 殿 に 集 う 兼 通 の 子 孫
に と っ て の 師 輔 の 役 割 を 願 っ た の で は な い か 。 歴 任 し た 官 職 並 び に そ の 順 序 を 師 輔 に 倣 う こ と は ' 朝 光 に 師 輔 と 同 様 の
1 族 繁 栄 を 蘭 し た 祖 と な っ て 欲 し い と ' 切 実 に 願 っ た で あ ろ う 兼 通 の 意 志 の 発 露 を 強 ‑ 読 み 取 る こ と が で き よ う 。 兄 ・
伊 ヂ 没 後 の そ の 子 供 達 の 姿 を 兼 通 は 目 の 当 り に し て い る 。 そ の 上 兼 通 は 兼 家 と い う ' 最 強 の ラ イ バ ル で も あ る 弟 が い る 。
虎 視 耽 既 と 兄 の 摂 抜 臣 の 地 位 を 弟 は 狙 っ て い る 。 兼 通 と し て は 何 と し て も そ の 企 ら み を 阻 止 す る 必 要 が あ っ た の で は な
い か 。 兼 通 は 自 身 の 没 後 の 堀 河 一 族 の 繁 栄 を 図 る 為 に も ' 最 愛 の 息 子 ・ 朝 光 を 祖 父 ・ 師 輔 に な ず ら え た い と 切 実 に 願 っ
た の で は な か ろ う か 。 そ れ が 参 議 任 官 に 至 る 朝 光 に 対 す る 補 任 の 軌 跡 で は な か ろ う か 。 偉 大 な 祖 ・ 師 輔 に 朝 光 を あ や か
ら せ ' 朝 光 に 師 輔 の 様 な 栄 光 の 立 場 を 将 来 さ せ て や ‑ た い と 願 っ た 結 果 と 言 え る だ ろ う 。 兼 通 は ラ イ バ ル へ の 権 力 移 行
を 何 と し て で も 阻 止 し た か っ た の で あ る 。
兼 通 は 世 人 に 対 し て 朝 光 の 中 に 偉 大 で あ っ た 師 輔 の 影 を 見 さ せ る よ う ' そ の 任 官 を 仕 組 ん だ の で は な か ろ う か 。 朝 光
は 偉 大 な 師 輔 の 再 来 な の で あ る 。 加 え て 参 議 任 官 時 の 年 齢 は ' 偉 大 な 祖 ・ 師 輔 よ り 四 歳 も 朝 光 の 方 が 若 い 。 朝 光 は 師 輔
よ ‑ 能 力 が あ っ た か ら こ そ ' 参 議 任 官 が 若 か っ た と 人 々 に 知 ら し め た か っ た の で あ ろ う 。
旺 十九 朝 光 は 参 議 任 官 の 翌 年 ' 天 延 三 年 (九 七 五 ) 正 月 に は 上 首 五 人 を 超 え て 従 三 位 権 中 納 言 に 任 ぜ ら れ た 。 ち な み に 師 柿 牲 十 の 方 は 参 議 任 官 後 三 年 を 経 た 天 慶 元 年 (九 三 八 ) 六 月 に 上 首 七 人 を 超 え て ' 従 三 位 権 中 納 言 に 任 命 さ れ て
いる。大 納 言
に 任 官 す る の も 朝 光 の 方 が 期 間 が 短 い 。 朝 光 は 二 年 後 の 貞 元 二 年 (九 七 七 ) 三 月 に 従 二 位 に 補 さ れ 、 四 月 に は 権 大 納 言 旺 十 l 旺 十 に 任 命 さ れ た 。 時 に 朝 光 は 二
十七歳。一 方 師 輔 は 四 年 後 の 天 慶 五 年 (九 四 二 ) 三 月 ' 三 十 五 歳 で 大 納 言 に 至 っ た
のである 。
権 大 納 言 に 至 る ま で の 朝 光 の 昇 叙 ・ 昇 進 の ス ピ ー ド に は 目 を 見 張 る も の が あ っ た 。 人 々 は そ こ で も 再 度 師 輔 を 超 え た
も う 一 人 の ' 若 き 師 輔 の 再 来 を 見 る の で あ る 。 兼 通 は 息 子 朝 光 の 為 に ' 及 ぶ 限 り の 万 全 の 態 勢 を 整 え よ う と 努 力 し た の
で あ る 。 だ が こ の 様 な 父 の 必 死 の 願 望 に も か か わ ら ず 人 知 の 及 ば ぬ 所 が あ る 。 即 ち 人 の 「生 」 と 「死 」 で あ る 。
そ の 1 つ は 兼 通 自 身 の 早 す ぎ た 死 で あ る 。 い ま 1 つ は 1 族 の 女 性 達 ・ 姉 塩 子 と 女 桃 子 に 親 王 の 誕 生 を 見 る こ と が で き
な か っ た 点 で あ る 。 朝 光 は 帝 の 外 戚 に は な れ な か っ た の で あ る 。
三 ' 父 と 姉 と 女 早 過 ぎ た そ の 死
兼 通 は 貞 元 二 年 (九 七 七 ) に 己 の 死 期 を 悟 っ た の か ' 強 引 と も 言 え る 人 事 を 断 行 す る 。 そ れ は ま ず 四 月 に 入 っ た 二 十
一 日 に '
詔 以 恵 大 臣従
二位源 案 明 朝
臣。正 四 位 下 行 右 兵衛 督同 昭平 朝 臣 等 .負 . 親 王 .. 印 叙 品 。 案 明
二品 . 昭 平 四 品 .
両 壁 略 J)
と ' 左 大 臣 従 二 位と い う 太 政 官 で は 兼 通 に 次 ぐ 次 序 の 源兼 明 を 親王 に 戻 し ' 二
品に叙 す と いう 荒
っぽ い 強 引 な 人 事 を 行
う 。 そ し て 空 い た 左 大 臣 の 席 へ ' 同 二 十 四 日 に '
任 大 臣 宣 命 。 右 大 臣 藤 原 朝 臣 頼 忠 男 左 大 臣 .O 叙 =正 二 位 .。 大 塾 11n 源 朝 臣 雅 信 男 右 大 臣 .。 諸 卿 相 卒 向 JrK 臣 第 .。
有 .闇 路 .。 (閑 裾 略 ])
と ' 右 大 臣 藤 原 頼 息 を ' ま た そ の 空 い た 右 大 臣 の 席 へ 大 納 言 源 雅 信 を 任 命 す る 。 同 日 こ の 外 ' 中 納 言 藤 原 為 光 も 大 納 言 旺 二十 1]T に 昇 進 L t 朝 光 も 権 大 納 言 に 任 ぜ ら れ た の
である。こ の 日 の 除 目 は 昇 進 し た 人 々 の 歓 心 を 買 う と 共 に ' 朝 光 を 大 納 言 に
虐 ず る 為 の 強 引 と も 言 え る 人 事 で も あ っ た 。
そ の 後 十 月 十 1 日 に は ' 弟 ・ 兼 家 の 右 大 将 を 取 ‑ 上 げ 治 部 卿 に 定 め ' 関 白 を 左 大 臣 頼 忠 に 譲 る と い う 除 目 を 断 行 し た 。
令 レ固 =諸 陣 .。 於 工程 芳 坊 .有 =除 目 .。 右 近 大 蒋 藤 原 案 家 任 .海 部 卿 .。 種 中 納 言 藤 原 済 時 任 =右 近 大 路 .。 以 ..大 挙 頭 高 階
異 人
成息 l任 .瀧 登 種 守 .。 以 二左 衛 門 佐 藤 原 道 綱 l任 =土 佐 種 守 l。 以 .屈 原 朝 臣 宣 雅 奄 二左 衛 門 佐 l。 奏 = 除 目 .TLl 。 太 政
大 臣 召 =大 内 記 菅 原 資 忠 .仰 云 。 以 恵 湖 臣 可 レ声 関 白 万 機 l者 。 (閃 裾 略 ‑)
諸 陣 が 厳 重 に 固 め ら れ た 後 ' 桂 芳 坊 に 於 い て 兼 家 の 外 に そ の 子 道 綱 ' 及 び 所 縁 の 高 階 成 息 が 国 司 に 股 し め ら れ た の で あ
る 。 兼 通 は 弟 ・ 兼 家 の 勢 力 を 殺 ぐ 為 に こ の 左 降 的 人 事 を 行 い ' 頼 息 を 抜 擢 し た の で あ る 。 頼 忠 は か つ て 村 上 天 皇 朝 で 師
輔 の 対 抗 馬 で あ っ た 小 野 宮 実 頬 の 二 男 で あ っ た 。 皮 肉 な 見 方 を す れ ば ' 九 条 家 対 小 野 宮 家 の 対 立 が ' 兼 家 対 頼 忠 の 対 立
と い う 形 で 急 浮 上 L t 兼 家 が 当 然 師 輔 の 再 現 を 演 ず る 立 場 と な る 。 兼 通 が 必 死 で 作 り 上 げ た 師 輔 = 朝 光 と い う 構 図 が '
兼 家 に 取 っ て か わ ら れ た と も 言 え ま い か 。 頼 忠 は 兼 通 の 恩 に 報 い た の か ' 十 一 月 三 日 に 左 大 将 を 辞 し ' 十 二 月 十 日 に そ 旺 十 El の 後 任 と し て 朝 光 を 任 命 し た の
である。十 一 月 八 日 に 父 ・ 兼 通 を 亡 ‑ し た 朝 光 の 栄 花 も ' こ の 任 左 大 将 ま で で あ っ た 。 兼 通 は 堀 河 一 族 の 最 大 の ラ イ バ ル 兼 家
の 息 の 根 を 完 全 に 止 め る こ と な ‑ 没 し た の で あ る 。 兼 家 は 太 宰 府 等 へ 左 降 さ れ る こ と は 無 ‑ ' た だ 右 大 将 を 取 ‑ 上 げ ら
れ た だ け で 大 納 言 と し て 都 に 残 り ' 朝 議 に 列 す る こ と が で き た 。 兼 家 に す れ ば 朝 議 に 列 す る こ と が で き れ ば 十 分 。 兼 家
は ' 小 野 宮 家 対 九 条 家 の 対 立 を 円 融 天 皇 朝 で 演 ず る と い う ' 一 方 の 旗 頭 の 地 位 を 得 た の で は な い か 。 復 権 の 機 会 は ど の
よ う に で も 作 れ た の で あ る 。 兼 通 の 死 は そ の 意 味 で 早 す ぎ た の で あ る 0
一 方 ' 父 ・ 兼 通 や 弟 ・ 朝 光 の 期 待 を 一 身 に 集 め て 入 内 し た 短 子 に ' 叶 わ ぬ も の が 一 つ あ っ た 。 そ れ は 円 融 天 皇 の と の
間 に 親 王 の 誕 生 無 ‑ し て 死 を 迎 え る と い う ' 悲 し い 結 末 し か 用 意 さ れ て い な か っ た の で あ る 。 師 輔 に 倣 う こ と に 汲 々 と
し て 兼 通 が 昇 進 さ せ た 朝 光 に は ' 師 輔 の 地 位 ・ 権 力 を 彼 の 没 後 も 保 証 し た 女 ・ 安 子 に 該 当 す る 女 性 が 結 果 と し て 存 在 し
な か っ た 。 娘 子 は 安 子 に は な れ な か っ た の で あ る 。 安 子 は 村 上 天 皇 の 女 御 と し て 冷 泉 天 皇 や 為 平 親 王 を 生 ん だ 後 ' 天 徳 証 二十 五 二 年 (九 五 八 ) 十 月 に 立
后する。安 子 は そ の 地 位 が 盤 石 と な っ た 上 で 立 后 し た 。 そ の 後 も 円 融 天 皇 を も 儲 け る と い う '
子 宝 に 恵 ま れ た 中 宮 で あ っ た 。 安 子 の 意 向 は そ の 死 後 も 息 子 ・ 円 融 天 皇 を 動 か し ' 兼 通 が 関 白 に な れ た と い う の は ﹃大
錠 L に 詳 し い . 安 子 の 威 光 は 死 し て 益 々 輝 い た と 言 っ て も 過 言 で は あ る ま い .
一 方 娘 子 の 方 は 先 述 し た 如 ‑ ' 父 ・ 関 白 兼 通 の 威 光 の も と 天 緑 四 年 (九 七 三 ) 二 月 に 入 内 ' 七 月 に 立 后 と い う 素 早 さ
で 最 高 位 ま で 昇 ‑ つ め た 。 だ が 父 ・ 兼 通 の 死 を 迎 え る と ' 翌 年 の 貞 元 三 年 (九 七 八 ) 四 月 十 日 に ' 関 白 を 譲 ら れ た 頼 忠
が ま ず 女 を 入 内 さ せ る 。 即 ち '
左 大 臣 二 女 連 子 入 .報 庭 .〇 准 二女 御 ]。 被 レ免 レ輩 。 (問 絹 略 」)
と ' 故 兼 道 に 掌 を 反 す よ う に 、 頼 忠 は 連 子 を 入 内 さ せ た 。 す る と す か さ ず 兼 家 も 女 ・ 詮 子 を 入 内 さ せ る の で あ る 。
大 聖 口藤 原 案 家 郷 息 女 初 入 =接 庭 .. 侯 .海 壷 .。 軸 管 (碩 捷 肥 翫 j 証 二十 六 時 に 詮 子 は
十七歳。円 融 天 皇 は 二 十 歳 の 若 々 し い 天 皇 に 成 長 し て い た 。 三 十 二 歳 と な っ て 後 見 を 失 い 、 ま だ 親 王 の 誕 生
を も 見 な い で い た 中 宮 娘 子 の 悲 し み は 如 何 ば か ‑ か 。 推 し 量 る こ と さ え で き ぬ 程 の 傷 手 を う け た と 思 わ れ る 。
翌 年 天 元 二 年 (九 七 九 ) 六 月 三 日 中 宮 娘 子 は 堀 河 院 で 息 を 引 き と っ て し ま う 。
寅 刻 。 皇 后 藤 原 娘 子 崩 =干 堀 河 院 .0 年 望 。
(甑 本 M
)夜 明 け 前 に 父 の 後 を 追 う よ う に 亡 ‑ な っ た と 言 え る だ ろ う 。 享 年 三 十 三 歳 ' 父 の 死 後 二 年 に 満 た ず 一 生 を 閉 じ
た.朝 光
に と っ て は 誠 に 不 幸 な 出 来 事 で あ る 。 と は い え 朝 光 に と っ て ま だ 一 緒 の 望 み を 残 す 女 が い た 。 天 緑 二 年 (九 七 二 誕 生
の 桃 子 が い た の で あ る 。
永 観 二 年 (九 八 四 ) 八 月 花 山 天 皇 が 受 碑 。 十 二 月 五 日 桃 子 は 入 内 す る 。 局 は 伯 母 故 中 宮 娘 子 ゆ か り の 麗 景 殿 に 給 う
こ と と な っ た 。
大 納 言 朝 光 卿 第 妄 桃 子 初 参 内 。 以 =藍 屋 衰 徹 所 .. (閃 境 略 ])
だ が 桃 子 も 幸 せ と は 程 遠 か っ た 。 花 山 天 皇 は 二 年 後 の 寛 和 二 年 (九 八 六 ) 六 月 に 突 然 脱 履 ' 出 家 す る 。 桃 子 そ の 人 も そ
の 三 年 後 ' 永 延 三 年 (九 八 九 ) 五 月 二 十 九 日 に '
左 大 将 女 御 ' 午 時 許 逝 去 云 々 、 千 時 十 九 (町 境 ])
誠 に あ っ け な ‑ 十 九 歳 で 人 生 を 閉 じ て し ま う 。 十 四 歳 で 入 内 L t わ ず か 五 年 で 没 し た 。 ま さ に 絵 に 書 い た よ う な 薄 幸 の
女 性 で あ る 。 あ ま り に 惨 い 現 世 の 縁 と か 言 い よ う が な い 。
朝 光 は 女 ・ 桃 子 を 亡 ‑ し た シ ョ ッ ク が 余 程 激 し か っ た の か ' あ る い は 病 気 が 重 か っ た の か ' ほ ほ 一 ケ 月 後 に 左 大 将 を
辞 し て し ま う 。 即 ち
左 大 将 従 去 十 九 日 俄 況 重 病 ' 且 暮 難 期 ' 乃 今 日 上 辞 大 賂 壷 宮 大 夫 之 表 云 々 ' (lr碓 Tf ..欄 節
。)十 九 日 よ り 急 に 病 が 重 ‑ な り ' 旦 夕 も 期 し 難 し い 状 況 に 追 い 込 ま れ ' 左 大 将 と 春 宮 大 夫 の 辞 表 を 提 出 す る 。 桃 子 を 亡 ‑ 旺 二十 七 し す っ か ‑ 気 落 ち し て い た の で あ ろ う 。 辞 表 は 一 旦 型 通 り 反 却 さ れ る が ' 翌 二 十 五 日 に は 受 理 さ れ 許 可
される。七 月 十
旺十<
三 日 に 左 大 将 に は 兼 家 の 息 子 ・ 内 大 臣 道 隆 が 早 速 に 補 さ れ た の
である0将 来 を 嘱 望 さ れ て い た 貴 公 子 ・ 左 大 将 朝 光 は ' 左 大 将 に 補 さ れ た 十 二 年 後 ' ま だ 三 十 九 歳 で 病 に よ ‑ 左 大 将 を 辞 し て
し ま う 。 女 を 亡 ‑ し た 絶 望 感 が 言 語 を 絶 す る 程 深 か っ た こ と を 示 す 。 別 な 言 い 方 を す れ ば ' 朝 光 自 身 桃 子 を 亡 す こ と で
将 来 の 摂 詩 の 臣 へ の ' 1 接 の 望 み を 完 全 に 断 ち 切 る こ と が で き た と l亨 見 る だ ろ う 。 だ か ら こ そ 左 大 将 と い う 重 責 を 辞 す
る こ と も 可 能 で あ っ た の で は な い か 。
世 は す っ か り 叔 父 ・ 兼 家 に 移 っ て お り ' そ れ は 動 か し 難 い 事 実 を も 伴 っ て い た 。 即 ち 時 の 帝 ・ 一 条 天 皇 も ' 東 宮 ・ 居
貞 親 王 も 全 て 兼 家 の 女 達 の 腹 に 生 ま れ た の で あ る . 兼 家 亡 き 後 は 道 隆 等 が 兄 弟 間 で 摂 詩 の 臣 を 争 っ て ゆ ‑ の は 疑 う 余 地
の 無 い こ と で あ っ た 。 そ の 中 に 朝 光 が 加 わ れ る 可 能 性 は ほ ぼ 零 と い っ て よ か っ た 。 三 年 前 の 寛 和 二 年 (九 八 六 ) の 花 山
院 脱 尾 と い う 兼 家 の 策 謀 に よ り ' そ の 時 点 以 降 朝 光 の 将 来 は ほ ほ 完 全 に 閉 じ た ' 幕 を 下 し て し ま っ て い た と 言 え る の で
は あ ろ う が 。
朝 光 に あ っ て は 父 ・ 兼 通 在 世 中 の 貞 元 二 年 (九 七 七 ) ま で は ' 官 位 等 に つ い て は 祖 父 ・ 師 輔 に 似 せ る こ と は 如 何 の よ
う に も な っ た 。 だ が 父 ・ 兼 通 の 死 と ' 姉 姓 子 と 女 桃 子 に 親 王 の 誕 生 を 見 る こ と が で き な か っ た 点 に 関 し て は ' 如 何 と も 糸 回Ⅰ 事 尽 な し 難 か っ た の
である。左 大 将 を 辞 し た 後 は 正 暦 四 年 (九 九 三 ) に は 按 察 傍 も 去 り ' 正 暦 六 年 (九 九 五 ) 三 月 二 十 日 ' 四 十 五 歳 で 朝 光 は そ の
栄 光 と 失 意 の 人 生 を 閉 じ た の で あ る 。 そ こ で 次 に r栄 花 物 残巴 の 中 で 措 か れ た 朝 光 像 に 焦 点 を あ て て ' そ の 特 色 に つ い
て 考 え て み た い 。
四 ' そ の 1 ・ 嘆 ‑ 朝 光
「栄 花 物 語 J で 朝 光 に 言 及 す る 部 分 は ' 巻 第 二 「花 山 た づ ぬ る 中 納 言 」 か ら 巻 第 八 「は つ は な 」 に か け て 都 合 十 六 ケ
節 で あ る 。 そ の 特 色 は 巻 第 二 「花 山 た づ ぬ る 中 納 言 」 に ほ ぼ 出 尽 す 。 そ の 1 つ は 第 ︹四 ︺ 節 か ら 二 五 ︺ 節 の 繰 り 。 そ
こ に は 第 ︹三 六 ︺ 節 か ら ︹四 〇 ︺ 節 に 至 る 一 部 も 含 ま れ る 。 他 の 一 つ は 第 ︹二 〇 ︺ 節 で 語 ら れ る 特 色 で あ る 。
そ の 1 ' 第 ︹四 ︺ 節 か ら 二 五 ︺ 節 は ' 兼 通 の 政 権 取 得 か ら そ の 死 ' 並 び に 娘 子 立 后 か ら そ の 死 ま で を 描 ‑ 。 第 ︹三
六 ︺ 節 か ら ︹四 〇 ︺ 節 は 桃 子 の 入 内 か ら そ の 寵 愛 の 衰 え ま で を 描 く 。 そ こ で は 父 ・ 姉 を 失 っ た り ' 女 の 突 然 の 寵 愛 の 衰
え を 嘆 き 悲 し む 朝 光 が 措 か れ る 。 そ こ で は 兼 通 を 祖 と す る 堀 河 殿 の 一 族 の ' 栄 光 か ら そ の 没 落 の 予 兆 を 措 ‑ 。 ︹ 一 五 ︺
節 ま で の 叙 述 の 中 心 は ' 兼 通 と そ の 弟 ・ 兼 家 の 争 い に 焦 点 が あ り 、 そ こ に 中 宮 娘 子 が 関 わ る の で あ る 。 朝 光 そ の 人 に 関
す る 叙 述 は そ の 内 容 が 薄 い 。
第 ︹四 ︺ 節 で は 天 緑 四 年 (九 七 l二 ) ︹十 二 月 二 十 日 は ' 天 延 と 改 元 ︺ 七 月 一 日 の 睦 子 立 后 が 叙 述 の 中 心 で ' 朝 光 は 多
勢 い る 兼 通 の 息 子 の 一 人 で し か な い 。 即 ち '
梅子
か か る 程 に 年 号 か は り て 天 延 元 年 と い ふ 。 よ ろ づ に め で た ‑ て お は し ま す 。
女御い つ し か 后 に と お ぼ し 急 ぎ た り 。 伊デ ︻師 貞 ︼ は じ め
の摂政殿 の '
春宮の 御 世 の 事 を 見 果 て 給 は ず な ‑ ぬ る 事 を ぞ ' 人 も あ は れ が ‑ 聞 え け る 。 か ‑ し て そ の 年 の 兼通 追子 七 月 一 日 '
摂政殿
の女御后 に ゐ さ せ 給 ひ ぬ 。 中 宮 の 御 有 様 い み じ う め で た う 、 世 は か う ぞ あ ら ま ほ し さ と 見 え さ せ ︻円 出 ︼ ︻脊 子 ︼ ︻姓 子 ︼ 給 ふ 。 み か ど へ
言mの宮 の 御 方 '
中宮の 御 方 と か よ ひ あ り か せ 給 ふ 。 内 わ た り す べ て 今 め か し ' 堀 河 殿 と ぞ ' こ の
鮎が
殿 を ば 聞 え さ す る , 今 は 関 白 殿 と ぞ 聞 え さ す め る o そ の 御 男 君 達 四 五 人 お は し て , い と 今 め か し う ・ 世 に あ ひ
め で た げ に お ぼ し た り 。
(体TN
To窮娼摺髄釈 二 こ
)と ' 短 子 の 立 后 と そ の 後 の 円 融 天 皇 の 様 子 を 描 い て い る 。 こ こ で は 「そ の 御 男 君 達 四 五 人 お は し て 」 と ' 朝 光 そ の 人 を
取 り 上 げ た 叙 述 は さ れ て い な い 。 た だ 兼 通 の 息 子 達 が 「今 め か し 」 ‑ ' 時 流 に の っ て 「め で た げ 」 で あ っ た と ' 堀 河 一
族 の 得 意 の 絶 頂 期 の 様 子 を 記 し て い る 。
荘二十九
挺 子 立 后 後 、 十 五 歳 の 円 融 天 皇 は 四 歳 年 上 の 姉 ・ 言 m資
子親王の 部 屋 ' あ る い は 十 二 歳 年 上 の 中 富 娘 子 の 部 屋 を あ ち
こ ち と お 尋 ね に な っ た と 記 す 。 円 融 天 皇 は こ の 姉 ・ 資 子 内 親 王 を と て も 大 切 に 取 り あ っ か い ' 目 を か け た と 思 わ れ る 。
即 ち 円 融 天 皇 は 元 服 を 済 ま せ た 二 ケ 月 後 の 天 緑 三 年 (九 七 三 ) 三 月 二 十 五 日 に 資 子 内 親 王 を '
資 子 内 親 王 於 二昭 陽 殿 車 藤 花 宴 .。 天 皇 臨 御 。 宴 託 o 内 親 王 鼓 二 1 品 .. (閉 域 略 し)
と ' 昭 陽 舎 ・ 梨 壷 で 藤 花 宴 が 行 な わ れ ' 円 融 天 皇 の 臨 御 が あ り ' そ の 後 一 品 に 叙 し て い る 。 ま た そ の 年 の 十 二 月 十 六 日
こ ま 、
勅 賜 ]育 子 内 親 王 年 爵 年 官 .o 又 本 封 之 外 加 =千 戸 .。 (附 境 略 ])
と ' 資 子 内 親 王 は 年 官 年 爵 を 賜 わ っ た 上 に ' 食 封 も 本 封 に 加 え て 千 戸 と い う 封 戸 を 賜 わ る の で あ る 。 破 格 の 待 遇 と 言 え
よ う 。 こ の 資 子 内 親 王 に 対 す る 特 別 待 遇 は ' 十 一 月 に 関 白 内 大 臣 と な っ た 兼 通 と ' 円 融 天 皇 の 相 談 の 上 で 執 行 さ れ た も
の で あ ろ う 。 円 融 天 皇 は 兼 通 に 諮 っ て こ の 勅 を 発 し た の で あ り へ こ の 一 件 で 兼 通 は 元 服 し た ば か り の 若 い 天 皇 と ' そ の
姉 ・ 資 子 内 親 王 の 歓 心 を 買 っ た の で は な い か 。 兼 通 は 妹 ・ 安 子 所 生 の 姉 弟 の 心 を ぐ っ と 掴 ん だ と 言 え る 。 兼 通 は こ の 一
件 で 円 融 天 皇 や 内 親 王 の 支 持 を 取 り つ け ' 短 子 の 入 内 ' 立 后 へ と 駒 を 進 め た の で あ ろ う 。 兼 通 は 後 宮 に 隠 然 た る 勢 力 を
有 し た で あ ろ う 安 子 所 生 の 内 親 王 の 支 持 を 取 り つ け た れ ば こ そ ' そ の 親 し さ を 世 に 顕 示 す る 為 に も '
二 月 廿 日 , 莞 帝 女 姦 王 参 入 , 内 大 塾 募 入 , 私 製 酎 (罰 信 卿 )
と ' 天 緑 四 年 (九 七 三 ) の 娃 子 入 内 の 折 に は ' 安 子 所 生 の 選 子 内 親 王 と 同 輩 す る こ と が で き た の で は な い か 。 挺 子 入 内
に あ た り ' 安 子 所 生 の 内 親 王 の 支 持 を 取 り つ け る こ と は ' 娘 子 立 后 に 大 き な 影 響 力 ・ 効 果 を 発 揮 し た と 思 わ れ る 。 ま た
翌 天 延 二 年 (九 七 四 ) 正 月 七 日 の 叙 位 の 儀 で は ' 朝 光 は 言 m 資 子 内 親 王 御 給 を 受 け 正 五 位 下 か ら 従 四 位 下 へ と 昇 叙 し た 。 r栄 花 物 試 巴 で は 第 ︹四 ︺ 節 以 降 ' 兼 通 治 世 下 の 摂 関 家 の 争 い に 焦 点 を あ て 筆 を す す め る 。 主 た る 内 容 は 兼 通 と 兼 家
の 兄 弟 の 争 い で あ り ' そ の 後 宮 対 策 で あ り 朝 光 登 場 の 場 は な い 。 朝 光 が 次 に 措 か れ る の は 第 ︹ 二 一︺ 節 ' 兼 通 売 圭 の 場
面 で あ る 。 そ こ で は '
か か る 程 に ,
触群殿 御 心 地 い と ど お も り て , 頼 し げ な き 由 を 世 に 申 す . さ い つ 頃 内 に 参 ら せ 給 て , 東 三 条
の知炉を
ば な ‑ な し 奉 り 給 て き 。 「今 1 度 」 と て 内 に 参 ら せ 給 て ' よ ろ づ を 奏 し 固 め て 出 で さ せ 給 ひ に け り . 何 事 な ら ん と
ゆ か し け れ ど ' ま だ 昔 な し 。 か ‑ て 十 一 月 四 日 准 三 宮 の 位 に な ら せ 給 ひ ぬ 。 同 月 八 日 う せ 給 ひ ぬ 。 御 年 五 十 三 な り 。
忠 義 公 と 御 い み な を 聞 ゆ . あ わ れ に い み じ 。 か く 幾 ば く も お は し ま き ざ り け る に , 東 三 条
の知邸言 を あ さ ま し う 歎
か せ 奉 ‑ 給 ひ け る も 心 憂 し . 小 野 富 の 頼 忠 の 大 臣 に 世 は 譲 る べ き 由 盲 奏 し 給 ひ し か ば , そ の ま ま に と 加 が ど お ほ
し め し て ' 同 じ 月 の 十 一 日 ' 関 白 の 宣 旨 蒙 り 給 て ' 世 の 中 骨 う つ り ぬ 。 あ さ ま し ‑ 思 は ず な る 事 に ' 世 に 申 し 恩 へ
‑ 。 明 言 よ ろ づ に お ぼ し 歎 ‑ 。 朝 光 の 権 大 納 言 , 顕 光 の 中 納 言 な ど , あ は れ に お ぼ し 惑 ふ 。 (頴 詔 娼 琴 ) )
と ' 朝 光 に 関 し て は ' 父 ・ 関 白 を 亡 ‑ し て 可 哀 想 な 位 打 ち 粒 が れ て い る と 簡 潔 記 す 。 こ の 節 の 叙 述 の 中 心 は あ ‑
まで も '
兼 通 の 弟 ・ 兼 家 に 対 す る 兄 と も 思 え ぬ 酷 い 仕 打 ち の 非 難 に あ る 。 r栄 花 物 語 」 の 筆 者 は 兼 通 の 弟 に 対 す る 仕 打 を 「大 納
言 を あ さ ま し う 歎 か せ 奉 り 給 ひ け る も 心 憂 し 」 と か ' 「あ さ ま し ‑ 思 は ず な る 事 に ' 世 に 申 し 恩 へ り 」 と ' 世 間 の 噂 話
と い う 形 で 非 難 す る 。 r栄 花 物 語 」 で は ま さ に こ の 点 の 叙 述 に 重 点 が 置 か れ て い る 。 後 に 取 り 残 さ れ た 堀 河 殿 の 子 供 達
に 対 す る 描 写 は ' 実 に 淡 淡 と し て い る 。 「 よ ろ づ に お ぼ し 歎 ‑ 」 と か 「あ は れ に お ぼ し 惑 ふ 」 と 簡 潔 に 記 す の み 。
そ こ に は 父 の 死 と い う 一 族 存 亡 の 秋 に ' 何 の 手 立 て も 無 ‑ た だ 荘 然 自 失 状 態 で あ っ た 朝 光 達 が 措 か れ て い る だ け で あ
る 。 父 の 死 に よ り ' 前 途 に 何 の 展 望 も 持 て な ‑ な っ た ' ひ 弱 な 貴 人 ・ 朝 光 像 を 読 み 取 る こ と が で き る の で あ る 。
こ の 朝 光 速 に 追 い 打 ち を か け る 棟 に ' 最 後 の 頼 み の 綱 と も い え る 姉 ・ 中 宮 塩 子 も 父 ・ 兼 通 を 追 う よ う に 崩 御 す る 。
か か る 程 に 天 lR l l年 に な り ぬ 。 埜 訂 み じ う 時 め か せ 給 ふ 。 中 宮 月 来 御 心 地 あ や し う 悩 し う お ぼ し め さ れ て , よ ろ
づ 宮 司 も ' 又 公 よ り も ' 御 祈 の 事 さ ま ざ ま に い み じ け れ ど ' 六 月 二 日 う せ さ せ 給 ひ ぬ 。 あ へ な う ' あ さ ま し う あ は
れ に い み じ う お ぼ し き こ え さ せ 給 ヘ ビ か ひ な し 。 世 の 人 例 の 口 安 か ら ぬ も の な れ ば ,
「GTJ)
1粂 殿 の 御 幸 の ま す ぞ , &21チ 月息 梅 壷 の 女 御 后 に 居 給 ふ べ き ぞ 」 な ど い ひ の の し る 。 か ‑ て 相 撲 も と ま り て ' 世 に も の さ う ざ う し う 息 ふ べ し 。 関 白 」n rl T 殿 は 中 宮 の 御 事 ど も を 行 な ひ き こ え 給 ふ 。 た だ 今 の 世 の 御 後 見 に お も は し ま す 。
堀河殿 の 御 心 を も さ ま ざ ま お ぼ し 切尤 t(光 め し 知 り ' 何 事 を も 扱 は せ 給 ふ な る べ し 。 権
大納言・
中納言な ど い み じ う お ぼ し き 欺 き 給 ふ 。
(唱 頑 潤顎 F .J d l(
)16蒜 P )
こ の 第 二 五 ︺ 節 に お い て も ' 朝 光 は た だ 単 に 「 い み じ う お ぼ し き 歎 」 ‑ だ け の 人 物 な の で あ る 。 な す こ と も 無 く ' た
だ 荘 然 と し て い る ひ 弱 な 権 大 納 言 像 が ' 朝 光 に 与 え ら れ た 役 割 で あ る 。 朝 光 は 何 等 主 体 的 な 行 動 を お こ さ な い 。 二 五 ︺
節 で は 「お ぼ し 歎 」 ‑ だ け の 朝 光 速 に 比 L t 兼 家 達 の 元 気 な 姿 が 強 調 さ れ て い る 。 梅 壷 女 御 ・ 詮 子 が 「 い み じ う 時 め 」
い て い る と 記 す 。 そ し て 世 人 の ロ を 借 り て 詮 子 が 立 后 し そ う だ と 発 言 さ せ る 。 非 常 に 元 気 が よ ‑ 鼻 息 も 荒 い 兼 家 達 と '
意 気 消 沈 し て い る 朝 光 速 の 姿 を 対 照 的 に 示 す 。 加 え て 兼 通 の 恩 顧 を 忘 れ ず 何 か と 葬 送 の 手 配 を す る 頼 息 が 措 か れ て い る 。
第 ︹三 六 ︺ 節 か ら ︹四 〇 ︺ 節 は 、 女 ・ 桃 子 の 入 内 か ら 突 然 の 寵 愛 の 衰 え の 顛 末 を 描 ‑ 。 こ の 桃 子 に 対 す る 寵 愛 の 衰 え
に 対 し て も 朝 光 は な す す べ も な く '
知 桝 殿 も ・ 「内 へ 参 れ ば 胸 い た し 」 と て , か き 寵 ‑ 居 給 ひ ぬ .
と ' 家 に か き 龍 っ て い る だ け の 朝 光 な の で あ る 。 ま さ に 朝 光 は 為 す 術 も 無 い の で あ る 。 (娼 萌 誌歓 環 F .J 聖 二 些 靴 .<
)四 ' そ の 2 ・ 円 融 天 皇 ゆ か り の 朝 光
「栄 花 物 語 」 巻 第 二 の 第 ︹二 〇 ︺ 節 で は ' 朝 光 の 住 む 開 院 が 里 内 裏 と し て 円 融 天 皇 の 使 用 に 預 か っ た と 記 す 。 こ の こ
と は 開 院 を 里 内 裏 と し て 使 用 で き る 程 ' 開 院 の 主 ・ 朝 光 と 円 融 天 皇 の 関 係 が 親 密 で 深 か っ た こ と を 示 す と い え よ う 。 ︹二 〇 ︺ 節 で は '
か か る 程 に , 又 こ と し 内 裏 焼 け ぬ O
加がど開 院 に わ た ら せ 給 ふ 。 開 院 は 故 堀 河 殿 の 御 領 に て , 朝 光 の 大 納 言 の み ぞ
住 み 給 ひ け る ' ほ か に わ た ‑ 給 ひ ぬ 。 (領 頂 ∃ 韻 Jo)
と ' こ と し (天 元 三 年 ︹九 八 〇 ︺ ) 内 裏 が 焼 亡 L t 円 融 天 皇 が 開 院 に 渡 御 し た と 記 す 。 だ が こ の 天 元 三 年 十 l 月 の 内 裏
焼 亡 と す れ ば , 円 融 天 皇 の 開 院 遷 御 の 記 録 は な く , 円 融 天 皇 が 開 院 に 移 る と い う 記 事 は 貢 花 物 語 」 独 自 の 掌 で
如窮。で は 何 故 r栄 花 物 語 」 の 作 者 は 帝 が 開 院 に 遷 御 L t 里 内 裏 と し た と 記 し た の で あ ろ う か 。 「栄 花 物 語 」 の 記 事 が 何 等 か
の 錯 誤 だ と す れ ば ' そ れ は 円 融 天 皇 と 開 院 大 将 朝 光 の 関 係 の 親 密 さ ' 深 さ で は な か っ た か 。
二 年 後 の 天 元 五 年 (九 八 二 ) 十 一 月 十 七 日 の 夜 ' 同 様 に 内 裏 が 焼 亡 し た 。
夜 寅 穀 。 内 裏 焼 亡 。 火 起 .電 旦 耀 殿 北 廟 .。 天 皇 先 出 = 御 中院 .。 次 御 二八 省 院 小 安 殿 .。 (関 根 略 」)
天 皇 は ま ず 中 院 に 出 御 し 火 を 避 け ' そ の 後 南 方 に 火 を 避 け 小 安 殿 に 移 る . そ し て そ の 月 の 内 に 再 び 遷 御 が あ り ' 職 曹 司
に 天 皇 は 落 ち つ く こ と と な っ た 。 そ し て 十 二 月 二 十 五 日 に '
天 皇 自 二職 曹 司 奉 等 堀 川 院 ]O 件 院 為 .儀 院 .O 公 家 被 レ造 レ之 . (問 稚 略 」)
と ' 円 融 天 皇 は 堀 河 院 に 遷 幸 す る の で あ る 。 こ の 堀 川 院 は あ ら か じ め 後 院 と し て 手 を 加 え ら れ て い た の で あ る 。 ま た こ
れ に 先 立 つ 天 元 五 年 六 月 五 日 に は ' (濃 ) 以 左 大 将 烏 後 院 ・ 堀 河 院 等 別 首 ' 以 左 近 中 将 正 晴 ・ 下 官 等 馬 堀 河 院 別 普 ' 胴 .* Bg 後 左 大 将 以 下 参 弓 場 殿 令 奏 慶 ' (防 壁 ])
と ' 朝 光 が 後 院 ・ 堀 河 院 の 別 当 に 任 ぜ ら れ て い た 。 ま た こ の 時 ' 同 じ ‑ 別 当 と し て 英 資 等 も 堀 河 院 の 別 当 に 任 ぜ ら れ た 。
こ の 後 当 然 の 如 く 朝 光 は 円 融 天 皇 退 位 ' 院 別 当 と し て し ば し ば r小 右 記 」 の 中 に 記 さ れ る の で あ る 。 円 融 天 皇 は 退 位
後 の こ と を 考 え て ' あ ら か じ め 堀 河 院 に 手 を 加 え ' 朝 光 を 別 当 に 任 じ て い た の で あ る 。
こ の こ と は ﹃栄 花 物 語 」 巻 第 四 「み は て ぬ ゆ め 」 の 冒 頭 第 二 ︺ 節 の 叙 述 に 通 じ る の で あ る 。 即 ち t
か ‑ て こ の 円 融 院 の 御 葬 送 へ 紫 野 に て せ さ せ 給 ふ 。 そ の 程 の 御 有 様 思 ひ や る べ し 。 「 ひ と と せ の 御 子 日 に ' こ の 辺 朝光 の い み じ う め で た か り し は や 」 と お は し 出 づ る も ' あ は れ に 悲 し け れ ば ' 開 院 の
左大将'
紫 の 雲 の か け て も 思 ひ き や 春 の 霞 に な し て 見 ん と は
(中 略 ) 世 の 中 諒 闇 に て ' も の の 栄 な き 事 ど も 多 か ‑ . (顎 )te e 弦EE tr n 建 .
)と ' 円 融 院 の 葬 送 を 描 ‑ 。 そ こ に は ま ず 最 初 に 円 融 院 を 偲 ぶ 朝 光 の 歌 が 記 さ れ る の で あ る 。 ﹃栄 花 物 語
Jの
作者 は 亡 き
円 融 院 を 偲 ぶ に 最 も ふ さ わ し い 人 物 と し て ' 開 院 左 大 将 を 考 え た の で あ る 。 事 実 ' 開 院 左 大 将 朝 光 並 び に 堀 河 殿 の 一 族
と 円 融 天 皇 は と て も 深 い 結 び つ き を 有 L t 両 者 は 厚 い 信 頼 関 係 が あ っ た と 思 わ れ る 。
先 述 し た ご と ‑ ' 円 融 天 皇 は 譲 位 に 先 立 っ て 堀 河 院 を 後 院 と 定 め ' 別 当 に 朝 光 を 任 命 し て い る 。 堀 河 院 は 故 兼 通 の 家
で あ ‑ ' 円 融 天 皇 に と っ て は 思 い 出 の 深 い 里 内 裏 で あ っ た と 思 わ れ る 。 即 ち ﹃栄 花 物 語 」 巻 第 二 の 第 ︹九 ︺ 節 に は '
か か る 程 に 内 も 焼 け ぬ れ ば ' み か ど の お は し ま す 所 見 苦 し と て ' 堀 河 殿 を い み じ う 造 り み が き 給 て 、 内 裏 の や う に
造 り な し て ' 内 い で ‑ る ま で は お は し ま さ せ ん と て 急 が せ 給 ふ な ‑ け り 。 (顎 )R Z f 誌 瑚r l淵 誰 。
)と ' 内 裏 焼 亡 後 の 円 融 天 皇 の 遷 御 し た 所 が 見 苦 し い の で ' 兼 通 が 大 層 力 を 入 れ て 堀 河 院 を み が き た て た と 記 す 。 そ し て
内 裏 の よ う に 造 り あ げ た 堀 河 院 に ' 円 融 天 皇 と 挺 子 が 移 り 住 ん だ の で あ る 。 そ し て 「堀 河 の 院 を 今 内 裏 と い ひ て ' よ に 旺 ]]]十 l め だ た う の の し り た り 」 (領) 頂 讃 盛 ) と 記 す 。 こ れ は 貞 元 六 年 (九 七 六 ) 五 月 十 盲 の 内 裏 の 火 事 を 受 け た 後 の 処 旺 三十 旺 三十 三 置 で ' 同 年 七 月 二 十 六 日 に 円 融 天 皇 の 堀 河 院 へ の
遷御が行 な わ れ た の で あ る 。 そ の 後 八 月 四 日 に は 内 侍 所 も 堀 河
院に移旺 三 十 四 旺 ]]]十 五 ‑ ' 同 十 三 に は あ ら か じ め 朝 光 の 三 条 院 (堀 河 家 ) に 移
り住む。こ れ が 「里 内 裏 の 初 め と
なった」の で あ る 。
中 宮 娘 子 に と っ て は 自 分 が 生 ま れ 育 っ た 所 で あ ‑ ' 懐 か し さ に 心 和 む も の で あ っ た ろ う 。 円 融 天 皇 に と っ て は 見 る も
の 全 て が 物 珍 し ‑ ' 新 鮮 な 驚 き と 喜 び に 満 た 世 界 で あ っ た の で は な い か 。 特 に こ の 年 の 内 裏 焼 亡 以 降 六 月 に 入 っ て か ら
天 変 地 異 が 続 き へ 七 月 十 三 日 に は 「改 =天 延 四 年 烏 貞 元 々 年 .O 依 東 沖 地 震 .也 」 (範 ) と 年 号 を 貞 元 元 年 と 改 め た り
し て い る 。 地 震 等 が 頻 発 し 不 安 な 心 理 に あ っ た と 思 わ れ る 円 融 天 皇 や 中 宮 娘 子 に と っ て ' 久 々 に 心 休 ま る 時 を 過 ご せ た
の で は な い か 。 こ の 様 な 点 を 考 慮 に 入 れ る と ' 堀 河 院 で 接 す る 塩 子 は ' 内 裏 等 で 接 す る 中 宮 娘 子 と は 異 な ‑ ' 生 き 生 き
と し た ま っ た く 別 の 新 し い 魅 力 的 な 一 面 を ' 円 融 天 皇 に 示 し た の で は な い か と 思 わ れ る 。
塩 子 の 父 ・ 兼 通 に と っ て も ' 我 が 屋 敷 を 里 内 裏 に 提 供 す る の で あ る 。 荏 い 所 に 手 が 届 ‑ 以 上 の ' 行 き 届 い た 世 話 を 心
懸 け た こ と は 言 う ま で も な か ろ う 。 そ の 為 に '
太 政 大 臣 従 二 朱 雀 院t 遭 コ 坐 開 院 一 。 件 所 右 京 大 夫 藤 致 忠 所
領也 。 而 大 相 国 堀 川 院依 =天 皇 遷 幸令 下近 也 。 今 花 以 降 。
三 箇 日 有 t優 勝 ,。 (. rRE=R SC1 贈一 朝 )
と ' 未 雀 院 に 移 って い た 兼 通 は ' 堀 河 院 の隣 の 当 時 藤 原 致 忠 の 所 領 で あ っ た 開院 に移 る の で あ
る。こ れ は隣 に 移り ' 堀
河 院 の 帝 や 中 宮 の 世 話 を す る 為 以 上 の 効 果 も 考 え て の こ と で は あ た ろ う が 。 余 程 開 院 に 移 れ た こ と が 嬉 し か っ た の か '
三 日 間 に 亘 る 饗 膳 が 行 な わ れ て い る 。 円 融 天 皇 に と っ て は ' 堀 河 院 と は 正 に 大 い な る プ ラ ス の 評 価 を 有 し た 場 所 ' 居 心
地 の よ い 場 所 で は な か っ た か 。
ま た 円 融 天 皇 は 天 緑 三 年 (九 七 二 ) 正 月 に 元 服 を L t 翌 年 の 二 月 に そ の 披 庭 に 入 っ た の が 娘 子 で あ る 。 娘 子 は 早 ‑ ち
七 月 に は 立 后 L t 朝 光 が 中 宮 権 亮 に 任 ぜ ら れ る 。 朝 光 の 役 目 は 当 然 中 宮 娃 子 と 帝 の 世 話 係 的 な も の に な ろ う 。 円 融 天 皇
の 後 宮 の 中 心 に 娘 子 が 座 る こ と に な っ た 。 ま た そ こ に は 言 M 資 子 内 親 王 が い て ' 新 し ‑ 入 内 し て き た 中 宮 挺 子 に 暖 か な
眼 差 し を 送 っ た で あ ろ う 。 頼 息 女 ・ 連 子 や 兼 家 女 ・ 詮 子 の 入 内 は ' 兼 通 死 後 の こ と で あ り ' 中 宮 娘 子 は そ の 間 帝 を ほ ぼ
独 占 で き た の で あ る 。 青 年 期 の 一 番 多 感 な 十 五 歳 か ら 二 十 歳 ま で の 五 年 間 ' 円 融 天 皇 は 中 宮 娘 子 と 過 ご し た の で あ る 。
円 融 天 皇 に と っ て は 唯 一 の 皇 子 ・ 懐 仁 親 王 の 生 母 で あ る 詮 子 と は 異 な っ た 次 元 で ' 娘 子 は 円 融 天 皇 に と り 忘 れ 得 ぬ 女 性
で は な か っ た か 。 加 え て 姉 ・ 言 m資 子 内 親 王 に 対 す る 手 厚 い 保 護 ・ 経 済 基 盤 の 確 立 ' 即 ち 年 官 年 爵 と 食 封 千 戸 の 加 増 は 、
堀 河 殿 ・ 兼 通 の 諒 解 な く し て 可 能 で あ っ た と は 考 え ら れ な い 。
円 融 天 皇 に と っ て 堀 河 殿 の 一 族 は 何 等 悪 い イ メ ー ジ が 湧 か な い 人 々 で は な か っ た 。 堀 河 殿 の 一 族 は 全 て を 恕 し て ‑ れ
る ' こ の 上 も な く 優 し い 母 の よ う な 立 場 に あ っ た の で は な い か 。 朝 光 は 円 融 天 皇 に と っ て は 八 歳 年 上 の ' 何 で も 相 談 で
き 願 い を 可 能 な 限 ‑ 適 え て ‑ れ る 兄 の よ う な 立 場 に あ っ た の で は な い か 。 円 融 天 皇 と 堀 河 一 族 の 紐 帯 は 切 ろ う と し て も
切 る こ と の で き ぬ 位 強 か っ た と 思 わ れ る 。
以 上 の 様 な 点 を 考 慮 す れ ば ' 堀 河 院 と 開 院 を 朝 光 と い う 線 で 結 べ ば ' 「栄 花 物 語 」 の 作 者 が 堀 河 院 と 開 院 を 混 同 し た '
あ る い は あ え て そ の 違 い に 意 を 払 わ な か っ た こ と も 十 充 考 え ら れ る の で あ る 。
五 ' 結
開 院 大 将 藤 原 朝 光 。 彼 は 父 ・ 堀 河 殿 関 白 太 政 大 臣 兼 通 最 愛 の 息 子 で あ っ た 。 兼 通 は そ の 朝 光 を ' 堀 河 一 族 の 「師 輔 」
に 育 て た い と 考 え た 。 師 輔 は 兼 通 の 父 で あ ‑ ' 先 帝 ・ 冷 泉 院 や 今 上 ・ 円 融 天 皇 の 祖 父 で あ っ た 。 帝 の 外 戚 が 摂 政 ・ 関 白
あ る い は 内 覧 の 地 位 に あ ‑ ' 政 権 を 担 当 す る 当 時 に あ っ て ' 帝 の 阻 父 ・ 師 輔 は そ の 息 子 達 の 栄 花 ・ 繁 栄 を 約 束 し て く れ
る 偉 大 な 祖 で あ っ た 。 兼 通 は 堀 河 一 族 か ら 権 力 が 離 れ る の を 恐 れ ' 朝 光 を 師 輔 に 倣 わ せ た い と 考 え た 。 そ こ で ま ず 行 な っ
た の が ' 朝 光 の 補 任 を 師 輔 に 倣 っ た の で あ る 。 だ が 中 宮 挺 子 は 中 宮 に は な れ た が 、 安 子 の よ う に 帝 の 母 と は な れ な か っ
た 。 娘 子 は 皇 子 の 無 い ま ま こ の 世 を 去 っ た の で あ る 。 ま た 朝 光 の 女 ・ 桃 子 も 兼 通 の 死 後 で は あ る が 入 内 す る 。 だ が 桃 子
も 安 子 に は な れ ず ' 皇 子 を 生 む こ と な ‑ 没 し た の で あ る 。 父 ・ 兼 通 の 願 い も む な し ‑ ' 政 治 権 力 は 全 て 弟 ・ 兼 家 並 び に
そ の 子 供 達 へ と 移 っ て し ま う の で あ る 。 「栄 花 物 語 」 で は こ の 様 な 朝 光 を ' ひ 弱 な 貴 公 子 ・ 貴 人 と し て 描 ‑ の で あ る 。 父 ・ 関 白 兼 通 の 死 ' あ る い は 姉 ・ 中 宮
挺 子 の 死 に 際 L t 朝 光 は た だ 嘆 き 悲 し む だ け の 大 納 言 ' 左 大 将 な の で あ る 。 事 実 ' 彼 は 何 も で き な か っ た の か も 知 れ な 1 0
ト∨一 万 円 融 天 皇 と の 関 係 に お い て は ' 関 白 兼 通 は 非 常 に 良 好 な 間 柄 で あ っ た 。 そ の こ と は 円 融 天 皇 と 朝 光 の 関 係 に も 生
き て い た 。 ﹃栄 花 物 語 」 の 作 者 は ' 円 融 天 皇 と 朝 光 の こ の 良 好 な 関 係 を よ ‑ 示 し て い る の で あ る 。 円 融 天 皇 が 開 院 を 里
内 裏 に し た こ と が 請 書 に 見 当 ら ず r栄 花 物 試 巴 独 自 の も の で あ る O と す れ ば ' 堀 河 院 と 開 院 を 混 同 し た と も 考 え ら れ る
が ' 一 方 ' 円 融 天 皇 と 朝 光 の 親 密 な 関 係 を 強 ‑ 浮 き 立 た せ る 為 の r栄 花 物 語 」 作 者 の 作 為 で は な か っ た の か と も 考 え ら
れ よ う 。 よ り 効 果 を 出 す 為 の 。
註 一
註 二
註 三
註 四
註 五
註
六註
七註
八註 九
註 十
註 十 一
註 十 二
註 十 三 r公 卿 補 任 」 天 延 二 年 「藤 朝 光 」 条 尻 付 t r大 鏡 裏 書 」 第 三 巻 50 「大 納 言 朝 光 卿 事 」 等 よ り 逆 算 。
参 議 任 官 以 降 は r公 卿 補 任 J 、 r大 鏡 裏 書 」 に よ る 。 r日 本 紀 略 j t r公 卿 補 任 」 貞 元 二 年 「藤 采 通 」 条 。 r公 卿 補 任 J 安 和 二 年 「藤 案 通 」 粂 尻 付 t r大 鏡 裏 書 」 第 三 巻
41「忠 義 公 事 」 に よ る 。 r公 卿 補 任 」 天 暦 元 年 ‑ 天 暦 五 年 「藤 師 輔 」 条 。
蛮子
r日 本 紀 略 l 天 暦 二 年 1 月 二 十 七 日 条 に よ れ ば 「是 日 。 下 ,聖
宝女御預 年 給 .宣 旨 上 。」 と 、 既 に 年 給 に 預 か っ て い る 。 r日 本 紀 略 冷 泉 院 践 酢 前 抄 記 」 に よ れ ば 、 天 暦 四 年 五 月 二 十 二 日 誕 生 、 同 年 七 月 二 十 三 日 に ' 「於 外 祖 右 大 臣 第 .〜
為 =皇 太 子 l。 」 と ' 師 輔 第 に お い て 立 太 子 を 執 り 行 っ て い る . 「公 卿 補 任 」 天 延 二 年 「藤 朝 光 」 粂 尻 付 。 以 下 天 延 二 年 参 議 ま で は 同 条 に よ る 。 「日 本 紀 略 し 同 日 粂 ' 「公 卿 補 任 」 同 年 「藤 伊 ヂ 」 条 。 r公 卿 補 任 j 天 唾 二 年 「藤 菜 通 」 条 。 r日 本 紀 略 」 に よ れ ば ' 天 緑 三 年 十 1 月 二 十 七 日 は 「任 内 大 臣 」 の み で ' 関 白 と な っ
た の は t l l年 後 の 天 延 二 年 三 月 二 十 六 日 の こ と と す る 。 r日 本 紀 略 ] 同 日 条 。 以 下 立 后 ま で r日 本 紀 略 」 に よ る . 「日 本 紀 略 し 天 線 三 年 正 月 三 日 条 。
r尊 卑 分 脈 」 、 r大 鏡 墓 室 巻 第 111 44 「中 宮 短 子 事 」 戎 云 に よ る 。 娃 子 の 母 に つ い て は r大 鏡 轟 き 同 条 や r大 鏡 J に よ
れ ば 朝 光 と 異 な り ' 元 平 親 王 女 と あ る 。 天 緑 四 年 (九 七 三 ) 七 月 二 十 日 の r日 本 紀 略 」 に よ れ ば ' 皇 后 娘 子 が 堀 河 院 (自
宅 ) よ り 内 裏 に 遷 御 し た 時 に ' 朝 光 は 従 五 位 上 か ら 正 五 位 下 に 昇 叙 し て い る 。 こ の 中 宮 が 内 裏 へ 遷 御 す る に 当 り ' そ の 家
の 子 で あ る ' 中 宮 同 腹 の 男 子 が 昇 叙 に 与 か る 。 そ の 例 は ' 天 元 五 年 五 月 八 日 の 公 任 の 昇 叙 の 例 や ' 寛 和 二 年 七 月 九 日 の 皇
太 后 詮 子 の 内 裏 入 御 の 際 の 道 隆 の 昇 叙 の 例 を 見 る と ' 全 て 中 宮 や 皇 太 后 の 同 腹 と い う こ と で 昇 叙 に 与 か っ て い る 。 と す れ
ば ' 朝 光 と 短 子 は 同 腹 と 見 た ほ う が よ い 。 ま た r権 記 」 長 保 二 年 四 月 七 日 条 の 「皇 后 初 入 内 日 有 賞 例 」 の 中 に 「従 内 大 臣
註
註
註
註
註
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註
註
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註 註
註
註 十 四 十 五 十 六 十 七 十 八 十 九 二 十 二 十 一
二 十 二
二 十 三
二 十 四
二 十 五
二 十 六
二 十 七
二 十 八
二 十 九
三 十 第 遷 御 内 裏 ' 藤 原 朝 臣 朝 光 叙 正 五 位 下 ' 皇 后 弟 也 ' 十 月 十 四 日 ' 究 位 昭 子 女 王 叙 正 三 位 、 后 母 也 」 と あ る の を 見 れ ば 明 ら
か で あ る 。 r日 本 紀 略 ] 天 緑 四 年 十 月 十 四 日 条 。 r小 右 記 」 永 延 三 年 (九 八 九 ) 五 月 二 十 九 日 条 に よ れ ば 「左 大 将 女 御 ' 午 時 許 逝 去 云 々 、 千 時 十 九 」 と あ り ' 逆 算 。 r公 卿 補 任 ] 長 和 四 年 ( 1 〇 一 五 ) 「藤 朝 鐙 」 条 よ り 逆 算 。 r公 卿 補 任 J 安 和 二 年 (九 六 九 ) 「藤 簾 通 」 条 。 r公 卿 補 任 」 東 平 五 年 (九 三 五 ) 「藤 師 輔 」 条 。 r公 卿 補 任 」 天 延 三 年 「藤 朝 光 」 条 。 r公 卿 補 任 」 天 慶 元 年 「藤 師 輔 」 条 。 r公 卿 補 任 J 貞 lfe 1 1年 「藤 朝 光 」 条 。 r公 卿 補 任 」 天 慶 五 年 「藤 師 輔 」 条 。 r公 卿 補 任 J 貞 垂 1年 「藤 烏 光 」 ' 同 「藤 朝 光 」 条 。 r日 本 紀 略 J 同 日 条 . あ る い は r公 卿 補 佐 ] 同 年 「藤 頼 忠 」 ・ 「藤 朝 光 」 条 に よ る 。 r日 本 紀 略 し 同 年 十 月 二 十 七 日 条 。 r日 本 紀 略 ] 長 保 三 年 ( 1 0 0 1 ) 閏 十 二 月 二 十 二 日 条 に 「東 三 傑 院 崩 二千 行 成 卿 第 l。 年 四 十 .J と あ り , 逆 算 。 ま た 道
子 は 寛 仁 元 年 二 〇 一 七 ) 六 月 1 日 に 六 十 一 歳 で 崩 じ て お り ' 当 時 二 十 二 歳 で あ っ た . r日 本 紀 略 J に よ る 。 r公 卿 補 任 j 永 延 三 年 「藤 朝 光 」 条 。 に よ れ ば 二 十 七 日 。 r公 卿 補 任 ] 永 延 三 年 「藤 道 隆 」 条 。 r小 右 記 ] 長 和 四 年 四 月 二 十 六 日 条 に 「春 秋 六 十 二 と あ り ' 逆 算 o r栄 花 物 語 全 注 釈 ] ( 1 ) ‑ 二 四 〇 頁 。 「開 院 」 項 。
証 三 十 1 r日 本 紀 略 ] 同 日 条 に よ れ ば 「子 魁 。 内 裏 有 レ火 。 火 出 レ白 .七 番 殿 西 面 I。 但 中 量 外 舎 屋 不 レ焼 。 天 皇 出 レ 自 = 玄 輝 門 .0 ■ ■丁 御
二桂 芳 坊 .。 依 =火 気 蛾 .。 天 皇 運 」御 職 曹 司 .。
中宮。 皇 太 子 御 二縫 殿 寮 鹿 ‑。 一 品 資 子 内 親 王 出 = 同 寮 .。 」 真 夜 中 に 仁 寿 殿 よ
り出