I 《夕映えの海岸風景》(図1)BS,Kat.242
リューベックのベーンハウスにあるこの油彩画は 22 × 31cm の小品である。オスロ国立画 廊所蔵のフリードリヒのスケッチブック(オスロ・スケッチブック)中にこの絵に使われたと 覚しい四つめ錨(図2),ボート上の二人の漁師及び二棟の家(図3),魚網及び梁(図4)を 描きとめた 1815 年に成った3点の素描が含まれているが,この絵とほぼ同一の風景がドレー スデン銅版画館所蔵のペン画《グライフスヴァルト近傍ヴィーク湾に浮ぶ帆船》(図5)に見 出される。
ズモーフスキーはこの絵を,1834 年4月 23 日にライプツィヒで催されたゴットフリート・
ヴィンクラー蒐集 Slg. Gottfried Winckler の競売カタログに見える 404 番の作品「漁師小屋と 広げられた網のある朝焼けの海辺。前景に二人の漁師が乗った小舟」と同一視した1)。絵の寸
フリードリヒに帰せられた諸作の真贋に関する論考⑸
─ BS 所収の油彩画 ─
風 巻 孝 男*
(平成18年9月29日受付;平成18年11月10日受理)
要 旨
フリードリヒに関する研究書や画集には彼の作とは認めがたい多くの作品が依然として掲載 され続けている。私はこれまでそのような作品の数々を C. G. カールス等他の作家に帰する試み を行ってきた。
本稿では BS(Helmut Börsch-Supan・Karl Wilhelm Jähnig, Caspar David Friedrich, Gemälde, Druckgraphik und bildmäßige Zeichnungen, München 1973)所収のフリードリヒの作とは思 われない以下のような油彩画を取り上げ,真作か否かを論及したい。I 《夕映えの海岸風景》(図 1),Ⅱ 《バルト海の漁船(夕べの海上)》(図13),Ⅲ 《霧靄》(図15),Ⅳ 《棚引く雲(リーゼン ゲビルゲに懸かる雲)》(図20),V 1901年のフリードリヒの生家の火災で損傷を受けた5点の 油彩画: 《難破船の見える岩だらけの海岸》(図25),《月下の北地の山岳風景》(図28),《シュター ルガールト城》(図31),《猟師のいるハルツ風景》(図33),《ウッテヴァルダー・グルント(ザ クセン・スイスの岩の峡谷)》(図34),Ⅵ 《滝のある樅の森》(図36),Ⅶ 《山の湖のある朝の風景》(図 40),Ⅷ 《バルト海の岸辺の大岩の間の漁船》(図41),Ⅸ 《二人の男のいる夕景色》(図43)。
KEY WORDS
C.D.Friedrich フリードリヒ(1774〜1840) C.G.Carus カールス(1789〜1861)
J.Chr.C.Dahl ダール (1788〜1857) J.Fr.Boeck ベック(1811〜1873)
Ölgemälde 油彩画 Echtheitsfragen 真贋の問題
* 芸術系教育講座
法9 × 13 ライプツィヒ・ツォルは 23 × 30.1cm であり,リューベックの絵とほぼ一致する2)。 この油彩画は,使用されたフリードリヒのスケッチの存在と同時代の競売カタログに記され ている作品であることから,彼の作であることを疑う研究者は皆無である。ベルシュ=ズパン は 「 彩色と運筆は 1816 〜 18 年頃の成立を弁護する 」 として,キールにあるフリードリヒの油 彩画《ノイブランデンブルク》3)を引合いに出しているが,それは恐らくオレンジいろに耀く 空の色調の類似を論拠としてのことと思われるが,前者は赤みが強く,後者は黄いろみが強い というように,両者の色調は異なっているのである。彼のリューベックの絵についての解釈は 次のようである。「……絵のイデーから考えて,日没である可能性が高い。家屋,船,漁具,
即ち人間によって作られ,人間の生活に役立つ諸対象によって形成されたその動的な構図は,
騒がしさと活動性の表現である添景人物と呼応しているように見えるが,自然の情感によって 和らげられている。港,復活への期待の徴表としてのひともとの花が傍らに咲く四つめ錨,そ して恐らくは家々もまた,終末論的シンボルである。4)」 ベルシュ=ズパンはこのようにリュー ベックの絵が日没時の情景を表わしたものであろうと推測し,タイトルを 「 夕映えの海岸風景
」 としているため,本稿ではそのタイトルに従うことにするが,淡い紫いろや黄いろを混えた 淡紅色の空と地上の全てが赤く染まる色彩表現はフリードリヒの絵では《朝焼けの葦の中の白 鳥》5)に見られ,当時の記録にあるようにこの絵は多分早朝の情景を表わしたものと思われる のである。
この絵は確かにフリードリヒ風ではあるが,当時の彼の揺るぎない,繊細にして力強い,し かも変化に富んだ筆線と比較して,弱々しく,単調であり,諸対象全てが柔和にして脆弱であ る。2棟の家屋にしても,水面に突き出た石塊や小舟にしても,堅固な質感を欠き,薄っぺら な感じがする。魚網はフリードリヒ特有の精確さがなく,粗雑に描かれている。1816 〜 18 年 頃フリードリヒは故郷の海に取材した数多くの油彩画小品を制作しているが,このような単調 で粗雑な筆線を示す作例は見出し難い。それゆえ,この絵はフリードリヒの作品を模した他者 のコピーではないかとの考えが浮んでくる。
この絵の空と類似した色調を示すフリードリヒの作品を敢えて挙げるとすれば,1816 年秋 のドレースデン展及びベルリーン展に出品されたポツダムにある《港の光景》(図6)という ことになろうが,両者を詳細に観察すると,やはり色調の違いが明らかになる。リューベック の絵では一そう赤みが強く,空のみならず地上の全てのものが鮮やかな茜いろに染まっている。
色調の違いはあれ,リューベックの絵と非常によく似た空の描法を示す油彩画として,ベルリー ン国立画廊所蔵の《グライフスヴァルト港》(図7)が挙げられる。久しくフリードリヒの代 表作の一つと見做されて来たこの絵は,フリードリヒの《港の光景》とほぼ同寸で,港に停泊 する帆船も彼の表現と見紛うほどによく似ている。著しく異なるのは,前景で展開されている 人々の日常的な生活の営みである。ベルシュ=ズパンは 1906 年の世紀展 Jahrhundert- ausstellung 以来フリードリヒ作として知られているこの絵を 1973 年にこの画家の作品リスト から外したのである。彼の見解は次のようである。「その絵は,特に前景の水面や魚網,また 添景人物に,フリードリヒにはありえない曖昧さや柔弱さを見せている。背景はそれに反して しっかりと描かれている。筆跡はそれゆえ,統一性を欠き,不確かである。そこには,フリー ドリヒ特有の画面作りの計画性が見られない。添景人物――ボートに石を積んでいる,もしく は降ろしている二人の男及び一人の漁夫――は,物語性のある諸々のモティーフで画面を豊か にすることにのみ貢献している。それら人物は,フリードリヒのこのような大きさの添景人物
が担っているような意味を有してはいない。寓意的な意味内容をもたない前景の描写と同じ傾 向を何艘もの船が示している。入江は双方向の船の往来で混雑している。フリードリヒでは日 が落ちた夜の入港は死を暗示する。しかし同時刻の出港はこうした意味づけと矛盾する。前方 の外洋船はこの絵の中心的モティーフであり,フリードリヒの着想であるとすれば象徴的に解 釈される筈である。がそれは不可能である。その大型の船が,一本の(それも弛んで垂れてい る)ロープで結ばれている手漕ぎ舟によって曳航されているのかどうかも判然とせず,想像す ることすら困難である。この種の芸術的自由は,フリードリヒであれば,象徴的な意味によっ て動機づけられている筈である。真ん中の船とその右後方の船に見られるような同形態の並列 に際しては,フリードリヒでは同時刻の出帆を暗示するものとして動きの同方向というものが 伴う。ここではそうした手法がただ動きが止まったように感じられる遠近法の図解に資してい るにすぎない。グライフスヴァルトの町のシルエットは,港の構成に於いて右方で絶ち切られ ているように見え,あっさりと処理されているがために,《月下のグライフスヴァルト》6)及 び《グライフスヴァルト近傍の草地》7)に於けるように,終末論的意味に近づいてはいない。
上弦の三日月は,ここでは C 字形に弧を描いて下方の小舟の膨らんだ帆に呼応しているに過 ぎないのと,町の教会と関連していないことから,キリストのシンボルと解することは殆どで きない。
その絵は,特に前景と空の造形に於いて,《人生の諸段階》(図8)を前提としているように 思われる。恐らく 1835 年頃には既にグライフスヴァルトに持って来られた絵である。国立画 廊の油彩画は,思想的内容と関連した形の機能を理解することなく,フリードリヒの表面的な 形や気分を模倣したものである。画家としてシュトラールズントのヨハン・ヴィルヘルム・ブ リュッゲマン Johann Wilhelm Brüggemann が考えられる。8)」
私はベルリーンの絵の作者を,グライフスヴァルトの画家でフリードリヒの絵のコピーで知 られ,フリードリヒの家族との親交があったヨハン・フリードリヒ・ベック Johann Friedrich Boeck(1811 〜 1873)であるとした9)。グライフスヴァルト美術館所蔵の彼の油彩画《グライ フスヴァルトの港》(図9)とベルリーンの絵とを比較して見るならば,両者の類似性が即刻 明らかになる。両者には縦長と横長の相違はあるが,画面構成が酷似し,前景は幾人かの人物 のいる岸辺で占められ,入江を挟んだ向う岸にニコライ教会の塔がひと際高くそそり立つグラ イフスヴァルトの町が望まれる。ここで注目すべきは,この二つの絵に現われたニコライ教会 の塔とその左側に隣接した聖母マリア教会の形態が完全に符合することである。ここには同一 作者による形態の同一性が認められるのである。画面中央部に置かれた主要モティーフとして の大型帆船の右側の遠景が曖昧模瑚とした暗示的表現に留まっていることも両者に共通してい る。夕焼け空の色調及び描法もほぼ一致している。日常的な生活を営む複数の人物の画中に於 ける役割も同じである。これら活動的な人物の導入によって画面には活気が生まれ,日常的生 活感が色濃く表出されることとなった。このような著しい類似性は同一の作者にして初めて生 ずるものである。
リューベックの油彩画(図1)に於ける添景人物は上述の2点に描かれた人物と比較してそ れほど活発な動きを伴ってはいないが,フリードリヒの油彩画《日暮れのグライフスヴァルト 港》(図 10)に見られる洗濯女と同様,日常的生活を営む添景として画中に置かれている。94
× 74cm のかなり大きなこの油彩画は嘗てハンブルクのクンストハレにあったが,1931 年ミュ ンヘンのグラスパラストの火災で惜しくも焼失した。港には大小の帆船,小舟,建造中の船等
が蝟集し,沖合いの眺望を塞いでいる。船縁や船上には何人もの人影が見られるが,それらは フリードリヒ特有の象徴的な意味の担い手としての人物ではなく,洗濯女と同様,日常的な生 活を営む人々である。ベルシュ=ズパンはこの絵を,象徴的内容がカムフラージュされた 1819 〜 25 年頃の非対称に構成された景観画的な風景画に属するとしている10)。洗濯女のモ ティーフは,1823 年にドレースデン・アカデミー展に出品されたベルリーンのシャルロッテ ンブルク宮所蔵の油彩画《風車のある風景》(図 11)にも見出される。この時期に散見する日 常的な生活感情の漂う写実的傾向の強い景観画的風景は,カロリーネ・ボムマーとの結婚によ るフリードリヒの生活の変化と関係があるように思われるが,そのような平穏な現実的風景の 中にもこの画家の特性は依然として残存し,画中のそこここに人生のはかなさや死,救済を意 味する様々な象徴が隠されているのである。例えば,《日暮れのグライフスヴァルト港》(図 10)には天空に向ってそそり立つ十字架の墓標のごとき帆船のマスト,さては前景の錨や岸辺 に咲く草花が描かれ,《風車のある風景》には,右方に廃墟と復活を象徴する白樺の木やピラミー ド,前景に死のシンボルとしての水面,左方の遥か遠くには教会が望まれる。
《風車のある風景》には,リューベックの《夕映えの海岸風景》に登場するあのボート上の 二人の漁師が見出される。この二人はリューベックの絵の人物に比して,かなり小さく描かれ ているが,二人の乗るボート同様,明暗が注意深く捉えられ,頗る細緻に象られ,巨匠らしい 手際よい運筆を示している。両者を比較して見れば,リューベックの絵のボートと二人の人物 がいかにぎこちなく,粗雑に把握され,形態に魅力を欠いているかが分かるであろう。《風車 のある風景》のボート上の二人は,小さく描かれているにも拘わらず,広げた網が繊細な線で 明確に描き込まれているのに対し,リューベックの絵では魚網は省かれ,二人の行為が何を示 しているのか不明である。
この油彩画の対幅として制作された同じくシャルロッテンブルク宮にある《田舎の平地》(図 12)には,リューベックの画中に描かれているのとよく似た藁屋根の白壁の家が見え,これら 2点とリューベックの絵との密接な関係が浮び上がる。しかしリューベックの絵の家々は,ボー トや二人の人物同様,質感に乏しく,薄っぺらな感じがし,シャルロッテンブルク宮の2点に 見えるどっしりとした家々や写実的に捉えられたボート上の二人の人物と著しい描法の相違を 示している。
リューベックの絵は既述の通り,フリードリヒのスケッチの数葉(図2,3,4)を前提とし ていることは確かである。しかしその絵とスケッチにみられる諸対象の形は正確には一致せず,
多少の任意な改変が認められる。例えば画面左端の2軒の家に着目してみると,リューベック の絵の中の家々は陽光を受けた外壁が窓を持たないのに対し,フリードリヒのスケッチ(図2)
やペン画(図5)では2,3の窓が描かれている。四つめ錨や魚網の形も油彩画とスケッチで は少しく異なっている。これらの相違は,油彩画とスケッチの作者が異なることに由来するよ うに思われるのである。
リューベックの絵の空は,およそ以下のように表現されている。水平線上は淡い赤紫色を呈 した帯状の薄雲で蔽われ,その上方はオレンジいろに変じ,やがて高空の淡紫色に紛れてゆく。
下方の薄雲と同色の断雲がオレンジいろに染まる中空のそこここに棚引いている。上述のベッ クの油彩画(図9)及び彼の作と思われるベルリーン国立画廊の絵(図7)に於ける空もこれ と殆ど同じ手法で表現されているが,それらの空の描法は,フリードリヒの 1835 年頃に成っ た油彩画《人生の諸段階》(図8)に倣ったものであることは間違いない。こうした空の表現
はフリードリヒ晩年の作にのみ認められるものである。してみると,リューベックの絵の制作 年を 1815 〜 18 年とする諸説は全て無効となる。
ヨハン・フリードリヒ・ベックはベルリーン・アカデミー出身の画家で,1834 年以降,故 郷グライフスヴァルトで活動する。彼がフリードリヒの《人生の諸段階》を見たことは想像す るに難くない。その絵は,グライフスヴァルト在住の親族のために描かれたもので,ベルシュ
=ズパンが言うように 1835 年頃には既にその町に存在し,以後久しく親族の子孫の許にあっ たからである11)。フリードリヒの親族との親しい付き合いがあったベックはその絵に触発され,
フリードリヒと見紛うばかりの空を描いた。リューベックの《夕映えの海岸風景》は,彼がフ リードリヒの現存しない油彩画を模して制作したか,若しくはフリードリヒのスケッチを利用 して制作した油彩画であると推測されるのである。
Ⅱ 《バルト海の漁船(夕べの海上)》(図13)Kat.268
シュヴァインフルトのゲオルク・シェーファー蒐集のこの《バルト海の漁船》は作者を特定 するための論拠に乏しい油彩画小品である。ズモーフスキー12)及びベルシュ=ズパン13)は,
この絵の左方に見える櫓で漕ぐボートとオスロ国立画廊にある 1818 年8月4日付けのフリー ドリヒのスケッチ(図 14)に描かれたボートとの類似性を指摘しているが,スケッチ中の何 艘ものボートの中に符合するものは皆無である。ベルシュ=ズパンのこの絵についての見解は 次のような至って簡略なものである。「どちらかというと単調な描法から,1820 年頃の作品に 属する。空の彩色は《霧靄》(図 15)を想起させる。思想内容は不明瞭である。沈む太陽がそ の絵に控えめながら死の象徴的な意味を付与している14)。」
ベルシュ=ズパンはこの絵とハンブルク・クンストハレの《霧靄》の空の彩色の類似性を指 摘しているが,暗灰色の雲を境に下方の部分が赤紫色に染まり,上方の一部が黄色みがかって いる空の色調は両者に共通しているようにも思われるが,描法は著しく相違し,《バルト海の 漁船》では暗灰色の帯状の雲と断雲がうっすらと茜いろに染まる海上の空に棚引く様子が至っ て単調に,平面的かつ静止的に表現されているのに対し,《霧靄》に於いては,複雑な動きを 示す雲が薄墨でぼかされたかのように描かれている。後者は次のⅢで取り上げるように,フリー ドリヒ作が疑われる作品である。
《バルト海の漁船》の描法及び個々のモティーフは確かにフリードリヒ風ではあるが,ベル シュ=ズパンが「思想内容は不明瞭である」と述べているように,この絵にフリードリヒ的思 想を求めても無駄である。海上に突き出た杭に繋留されている画面中央の帆舟は出帆するとこ ろか,帰ってきて帆を降ろしているところなのか? 右方の帆を張った舟は中央の舟とは別方 向に進んでいるように見える。左方に見えるオールで漕ぐ二人の乗るボートは何処に向かって いるのか。朝なのか夕なのか。どんよりと灰いろがかった空の下方は少しく黄いろ味を帯び,
海上に近づくにつれて薔薇いろに変じ,そこには太陽の光りが暗示されているが,暗灰色の帯 状の雲が明るんだ下方の空に掛かり,太陽を覆い隠している。太陽の大部分が暗色の雲に隠れ ている表現はフリードリヒの絵に見られるが,完全に覆い隠されるような表現は見出し難い。
さらにこの絵では海上は暗く,この画家通有の陽光や月光の反映が全く表現されていない。以 上のような理由から,この絵はフリードリヒ作ではありえず,空の表現から推して前述のグラ イフスヴァルトの画家ヨハン・フリードリヒ・ベック,あるいはカール・グスタフ・カールス
の名が作者として浮び上がるが,灰いろがかった色調はベックの前述の絵とは異なるし,静止 的な画面構成はカールスとは異質であり,作者の特定は困難である。
Ⅲ 《霧靄》(図15)BS, Kat.269
ハムブルク・クンストハレ所蔵のこの絵は,1842 年にベルリーンで催されたゲオルク・ア ンドレアス・ライマー Georg Andreas Reimer の遺品の競売カタログ中,6番の作品「霧の中 の荒涼とした風景,前方に藁葺きの小屋,その中に坐る一人物,周囲に烏が群がっている」15)
と同定された。ハンブルクの絵とライマー・コレクション中に見える絵が同一であることは,
画中に描かれた諸対象と競売カタログの記述の一致からして確かであろう。しかし表現上の特 徴がフリードリヒとは異なることから,彼以外の作者を想定すべき作品と考えられるのである。
ライマーはフリードリヒの作品を数多く所有していたことで知られるが,カタログ中にはその 画家以外の作品が圧倒的に多く,しかも作者名が記されていないことから,ハムブルクのその 絵を彼の作品であると断定すべき根拠は何一つとして無いのである。
この絵をフリードリヒ以外の作者に帰した研究者は見当たらない。制作年については,1820
〜 30 年とする説が多く16),ベルシュ=ズパンは 1818 〜 20 年頃と推定している17)。ベルシュ
=ズパンの見解は次のようである。「《海辺の婦人》(図 16)及び《雪中の修道院墓地》18)を想 起させる潤いのない,薄塗りの賦彩法から,恐らく 1818 〜 20 年頃の制作であろう。モティー フは《烏のいる荒れ模様の薄暮の風景》19)(油彩,消失)と似ている。その前に農夫が坐って いる粗末な藁小屋……は地上的存在の貧しさと死の期待を意味する。帽子を手に抱えたその農 夫は,一頭の馬が連れて来られ,馬車で家路につくことを待ち望んでいるかのようである(de Prybram-Gladona)。夕暮れ時の,秋めいた気分がこの絵のメランコリックな性格を強めている。
烏は死を告げる使者である。こうした思想は,帰ってくる漁船を描いたいくつかの小品,《夕 べ》20),《漁師のいる月夜の海岸》21),《海辺の婦人》(図 16)と似ている。背景のぼんやりと かすんだ空間は彼岸を表わしている22)。」
ベルシュ=ズパンは《海辺の婦人》(図 16)とリューベックの絵の描法及び思想の類似性を 指摘しているが,両者は寧ろ対立的な表現を示しているのである。先ず第一に,前者にはフリー ドリヒ特有の線的な形体把握が顕著に認められるのに対し,後者では彩画的な表現が支配的で ある。前者では,前景に散在する岩や繁草,魚網,岩上に腰を下ろして遠くを眺める婦人,沖 を行く何艘もの帆船,小波に蔽われた海面,これら全てが線の集積によって表現されているの に対し,後者はこうした線的表現を毫も示さず,単調な彩画的表現に終始している。次に,《海 辺の婦人》には,永遠性への憧憬の気分が画面一杯に揺曳しているのに対し,《霧靄》では藁 小屋を背にした男は,永遠性を憧れることもなく,現世的領域に閉じこもっているように見え る。前者には晴朗な開放感が,後者には陰鬱な閉塞感が感受される。藁屋根の小屋は,フリー ドリヒではごく初期にのみ見られるモティーフであり,1818 〜 20 年頃に取り扱われることは 考え難い。
ここで,この絵と似た表現内容を有するフリードリヒの油彩画《粗朶を集める人のいる秋の 風景》(図 17)に着目し,両者を比較してみよう。22 × 30.5cm の小品であるその油彩画は,
以前ダルムシュタットの個人蔵であったが,1931 年ミュンヘンのグラースパラストの火災で 焼失している。この絵についてベルシュ=ズパンは次のような見解を述べている。「様式的に《ド
レースデン近傍の丘と耕地》(図 18)と似ていることから,恐らく制作年は早くても 1824 年 頃であろう。間近に迫った冬に備えて燃料としての粗朶をひきずって家に運ぶ男は,人生の労 苦のために身を屈め,死を間近にした人間を象徴している……。収穫を終えた畑に下りてくる 烏の群は,死の使者と考えられる(《霧靄》図 15 参照)。背景のかすんで見える家々は,人生 行路の目的地として,地上的存在のアトリビュートというより,むしろ《バルト海眺望》23)
に於けるように来世のシンボルである……24)。」この絵に於いては広大な畑はあくまで平坦で,
前方と靄にかすんだ後方とが区切られているように見え,現世的領域と来世的領域とが暗示さ れている。こうした畑の表現は《霧靄》(図 15)と酷似しているが,真っ平な地平線を示す前 者に比して,後者では右方に向かって盛り上がっているように見える。前者の静止的に対し,
後者はいたって動的である。このことは空の表現についても言えることである。前者に於いて は空はどんよりと曇ってはいるものの,目立った雲はなく,それとは対照的に後者の空は,多 彩な変化を見せている。夕べの茜色に染まる雲に白雲と暗雲とが紛れ,ぼかしの技法によって 柔和に溶け合い,頗る動的な表現を示している。この彩画的に賦彩された雲の表現はフリード リヒとは異質であり,ブレーメン・クンストハレ所蔵のカールスの 1820 年に成った油彩画《月 下の巨石塚》(図 19)にそれとよく似た描法を見出すことができる。《霧靄》では,靄にかす む畑の後方の部分が幾重もの帯状の筆線によって輪郭が強調され,左方遠くにかすむ山にして も輪郭が強調されているため,距離感が明確に感じられない。空の下方部と同色のうっすらと した暗青色に薄い赤紫を交えた後方の広大な畑は,靄に煙る畑というより,盛り上がった海面 のようにさえ見え,変化に富んだ空の繊細な表現とは対照的に,甚だしく粗雑である。前景の 藁小屋や人物はフリードリヒ風であるとしても,描法は線的要素を殆ど有しない彩画的特徴を 示している。以上のような諸特徴から《霧靄》は,フリードリヒ的モティーフを取り入れたカー ルスの作と推定されるのである。
Ⅳ 《棚引く雲(リーゼンゲビルゲに懸かる雲)》(図20)BS, Kat.276
ハムブルク・クンストハレ所蔵のこの油彩画は 18.3 × 24.5cm の小品であり,1811 年6月 29 日にブロッケン山頂でフリードリヒが一枚の用紙にスケッチした三景のうちの一景(図 21)
に基づいて制作されたものであると考えられている25)。
フリードリヒが2点のブロッケン山をモティーフとした油彩画を制作したことが,1821 年 7月 21 日にハルバーシュッタット在住のケルテ Dr Wilhelm K rte に宛てた彼の書簡から知 られる。「二枚の絵,幅 101/2Zoll ×縦 8Zoll (s chs. Zoll = 18.8 × 24.6cm),二枚共,ブロッ ケン山頂の想い出,値段4ルイドル26)」ベルシュ=ズパンはハムブルクの絵がこの二枚のう ちの一枚であるとし,1842 年のライマー蒐集のオークションに出された Nr. 83 の絵「荒涼と した山嶺,その間を帯状の霧が棚引く。7Zoll × 9 Zoll (rhein. Zoll = 18.2 × 24.7cm)」と同 一であるか,もしくはそれと対を成す作品であると推定している。彼はまた 1828 年にハルバー シュタットで展覧された Nr.87 の絵「雲霧を透かして遥か遠くに見える平らなブロッケン山頂」
と同じモティーフであることを指摘している27)。彼はハムブルクの絵について,次のように 述べている。「素描(図 21)から,モティーフがブロッケン山の眺めであることが確定する。
1937 年のブレスラウの展覧会では未だその絵はリーゼンゲビルゲ風景として通用していた。
その絵は,ヴェーゲナー Wegener が既に認めているような思想的発言をただ暗示的にのみ伝
えている 20 年代の景観画的風景画 vedutenhafte Landschaft に属している。空が水面に映ず る緑の草地の中に収まっている池は,死,即ち断崖をもって終わる地上的なものの領域に於け る神的なものを示唆する。恐らくその池は,遠く雲間に見える河流と関連づけて眺めることが できよう。遠方は,生命あるものにはただ予感されるに過ぎないパラダイスである。ひょっと してフリードリヒはこの絵を《霧中の山の礼拝堂》28)と結びつけようとしたのかも知れない
29)。」
ハムブルクの《棚引く雲》は,フリードリヒの素描(図 21)からブロッケン山頂を描いた ものであることが明らかになるが,その絵をこの画家に帰することは以下の点からして疑問で ある。先ず第一に,その絵はフリードリヒとは異質な,或る種の硬さを感じさせるということ である。それは描法に由来するものと思われ,ベルリーン,シャルロッテンブルク宮にある 1821 年に成った彼の油彩画《エルベ渓谷の霧》(図 22)と比較してみれば,彼の描法との違い が分明となる。シャルロッテンブルク宮のその油彩画では,前景とその延長として考えられる 小橋の奥の中景はなだらかな丘陵で構成されているが,畑地を思わせる平坦な地面は,淡い暗 緑色や赤褐色等様々な色彩を呈する平行に走る幾筋もの線条によって極めて繊細に形成されて いる。こうした繊細な表現は,画中に描かれた全ての対象――地上に布置された草花,木々,
石橋等々――に看取されるところである。遠方の木立や山は湧き立つ霧に蔽われ,霧は空一面 を覆う雲に紛れて行き,雲間から差し込む陽光が中景を照らしている。諸対象の繊細な表現と 霧,雲,陽光の表現によって画面全体の渾然たる統一が齎されている。フリードリヒは例えば
《霧海を見下ろす旅人》(図 23)に見られるように,湧き立つ霧のモティーフを屢ば扱ってい るが,彼の絵では霧はうっすらと,頗る繊細に揮毫され,そのモティーフの導入によって常に 絶妙な遠近感が生み出されている。
《棚引く雲》に於ける諸対象の描法は,《エルベ渓谷の霧》に比して,単調にして粗雑である。
遠くの山々に懸かる雲は所々白さが優って白雲が浮き立って見え,遠近感が明確に表現されて いない。彩画的手法で粗雑に描かれたそれらの雲は,カールスの油彩画《巡礼者の休息》(図 24)に酷似したものを見出すことができる。これらの雲は先に触れたカールス作と覚しい《霧 靄》の雲と著しい相違を見せているが,様式の多様性こそカールス絵画を特徴づけているもの なのである。《棚引く雲》に窺える色彩感覚もフリードリヒとは異なるように思われる。岩の 多い画面前方の部分は赤褐色を基調とし,陰に犯されて黒ずんで見える。その奥の円形の池の ある地勢が平坦な部分に至ると,赤褐色に鮮やかな黄緑いろが混入する。この赤褐色と黄緑い ろの混淆は,フリードリヒには見出し難く,《モンタンヴェルからのモンブラン山系眺望》30)
や《教会墓地》31)等カールスの絵に屢ば見られるところであり,いわばカールス好みの色彩 である。このような赤と緑を基調とした色彩の対比のみならず,青紫色を基調とした遠くの山々 と棚引く白雲の対比は,鮮やかな色感を生み出しているが,その賦彩の仕方は,単調かつ粗雑 であり,諸対象が硬直したかのような堅牢さを呈している。こうした色感や諸対象に窺える堅 牢さもカールスに結びつくものである。以上のような理由から《棚引く雲》はカールスの筆に なるものと推測され,彼によるフリードリヒの作品の模写とも考えられるのである。
V 1901 年のフリードリヒの生家の火災で損傷を受けた5点の油彩画: 1《難破船の見える 岩だらけの海岸》(図 25)BS, Kat.307,2《月下の北地の山岳風景》(図 28)BS, Kat.310,
3《シュタールガールト城》(図 31)BS, Kat.515,4《猟師のいるハルツ風景》(図 33)BS,
Kat.516,5《ウッテヴァルダー・グルント(ザクセン・スイスの岩の峡谷)》(図 34)BS, Kat.517
これら5点の油彩画は損傷甚だしく,何点かにはプフルークラート F. Pflugradt の素人っぽ い加筆も認められ32),作者の判別は極めて困難である。それにも拘らず,ベルシュ=ズパン はこれら5点をフリードリヒの作としているのであるが,その殆どが彼の作風とは異なり,他 の作者に帰して然るべきもののように思われる。ズモーフスキーは,フリードリヒの生家が 20 年代のかなりの数のダール風の dahlartig 油彩画を所蔵していたことに言及し,それらの作 品は,フリードリヒとダールとの関係の深さを物語る貴重なドキュメントであると語ってい る33)。彼は5点の作品を挙げているが,そこには《月下の北地の山岳風景》(図 28)を除いた 本稿で扱う4点と別にもう1点の油彩画が含まれている。その油彩画はベルシュ=ズパンのリ ストからは除外されている《二人の漁師のいるアルコナの眺望》(図 35)であるが,画中に描 かれた人物の特徴から,ダールの作と推定すべきものである。このように保存状態の悪さ,加 筆,ダール等他の画家の作品の混在により,作者の特定が困難なものばかりであるが,フリー ドリヒ絵画の特性に照らして彼の真作か否かを判断したい。
1 《難破船の見える岩だらけの海岸》(図 25)BS, Kat.307
ハノーファー,ガレリー・コッホG alerie Koch 所蔵のこの油彩画は,火災による損傷が甚 だしく,フリードリヒの筆致は窺うべくもない。ズモーフスキー34)やベルシュ=ズパン4)は,
この油彩画について 1823 年にフリードリヒが兄アドルフに贈ったもので,1824 年1月1日の 手紙のなかで言及している「嵐の風景」の絵である可能性を指摘しているが,その手紙には絵 の情景の記述が見られず,それが果たして難破船を扱ったものか否か全く不明である。
嵐の中で岸の巨岩に打ち当たる難破船のモティーフは,1817 年の油彩画小品《嵐の岸辺》(図 26),1835 年頃の油彩画《月下の難破船》(図 27)と共通点を有している。しかし両者ではどっ しりとした巨岩が画面に安定感を齎しているのに対し,ハノーファーのこの絵ではいくつもの 大きな岩が乱雑に集積し,高波に翻弄される難破船と相俟って,動的で安定感を欠いた画面が 形成されている。一つ一つの岩は触覚的に把握され,立体感が強調されているが,このような 捉え方は,フリードリヒよりもむしろダール乃至カールスに当てはまる。構図の不安定,対象 の触覚的把握は,フリードリヒ絵画とは対立的な特性である。
2 《月下の北地の山岳風景》(図 28)BS, Kat.310
ドイツ,個人蔵のこの油彩画は 23 × 30cm の小品で,フリードリヒの生家の火災で甚だし く損傷を受けたが,その数年前にその絵を見たアウバート Aubert は,既に「状態が非常に悪い」
(Notiz 覚え書)と記している36)。
ベルシュ=ズパンは《日没の北地の冬の風景》37)(油彩,小品,消失)及び《月下の北の海》
(図 29)との類似から,1822 〜 25 年頃の作と推定し,次のような見解を述べている。「《ルガ ルトからのヤスムントの入り江眺望》のタイトルは誤りである。ノルウェー若しくはグリーン ランドの風景が考えられているのかも知れない。悪い保存状態が解釈を困難にしている。植物 もまばらな前景の山は,察するに地上的存在の貧しさを象徴している。渓谷と川の流れが海へ 注ぐ河口とが死のシンボルであるのに対し,月はキリストを意味する38)。」
出自がフリードリヒの生家であることは,フリードリヒ作とする決め手には決してならない。
この絵の表現形式及び表現内容は彼のものとは異質であるように思われる。ベルシュ=ズパン はこの絵と《月下の北の海》(図 29)との類似性を指摘しているが,入江を扱っていることを 除けば,両者の共通点を見出すことは甚だ難い。表現形式に於ける両者の著しい相違は先ず構 図法に現われている。《月下の北の海》では前景,中景,後景の区分は放棄され,それら諸景 はいわば一体化して広大な入江を形成しているのであり,半ばシルエットと化した背後の岬,
島,大岩が入江と遥かなる遠方との境を形成しているに過ぎない。ここでは現世的領域として の人生の艱難を暗示する岩の多い入り江と帆を降ろした船の見える人生航路の終着点を意味す る前方の岸辺,それに来世的領域としての遠方の二領域が対置されているだけである。それに 対し《月下の北地の山岳風景》は,フリードリヒとは異質な前,中,後景の三景によって構成 され,海に突き出た一際高い山が主要モティーフとして中景に置かれているのである。中景に 主要モティーフを置き入れるこのような画面構成は,カールスの絵に屢ば見受けられるところ である。この絵の前景の山頂には目に付くモティーフとして豊かな葉を有した闊葉樹が生い 立っているが,これと酷似した表現がカールスの油彩画《海辺の尖岩》39)(図 30)に見られる。
月明りの風景もカールスの最も好んだモティーフである。以上のような理由から,《月下の北 地の山岳風景》の作者はカールスである可能性が高い。
3 《シュタールガールト城》(図 31)BS, Kat.515
ビュッツォウ Bützow の E. クラーゼン蒐集 Sammlung E. Clasen にあるこの油彩画は 31 × 25cm の小品で,火災による損傷甚だしく,更に F. プフルークラートによる素人風の補筆40)
によって,作者の特定は困難である。この絵についてのベルシュ=ズパンの解釈は以下のよう である。「表現されているのは下方の城門の外部正面で,フリードリヒは少し違った位置から ではあるが,実際に描写している(図 32)。制作年の提案の助けとなるような様式の判断は最 早不可能である。その画面の大きさが 20 年代及び 30 年代に於いて標準的な大きさとして屢ば 現われるということだけは確かである。そのイデーは《教会墓地》41)を想起させる。橋は現 世から来世への移行を意味する。その門は死の入り口であり,《冬の塔の入り口》42)と比較さ れる43)。」
ベルシュ=ズパンがこの絵のイデーとの類似性を指摘している《教会墓地》は,フリードリ ヒの作ではなく,カールスの手になるものであることを私は既に論証している44)。縦長の画 面一杯に収められている城門は,どっしりした堅牢な建造物である筈なのに,薄っぺらな感じ がし,上下の窓の位置がずれていることもあって,不安定な印象を与える。これは素人の作品 に類するもので,あえて作者名を挙げるとすれば,カールスといったところである。
4 《猟師のいるハルツ風景》(図 33)BS, Kat.516
この油彩画も火災による甚大な損傷に加え,F. プフルークラートによって上塗りされたこ ともあって,作者の特定は難しいが,ここで取り上げる5点の中ではフリードリヒ作の可能性 の最も高いものかも知れない。ベルシュ=ズパンの見解は次のようである。「実際にハルツの 風景が表わされているのかどうか,判断できない。添景人物が猟師なのかどうかも疑わしい。
寧ろ《リーゼンゲビルゲ(日の出前)》45)に於けるように旅人を扱っているように思われる。
初期の素描《広葉樹林の中の田舎家》46)を別にして,猟師は一度だけ《樫の木と猟師の見え
る風景》47)の中で,不自由な,自然に服従する人間という意味に於いて登場するに過ぎない。
ひょっとするとその絵は,30 年代の山岳風景に属するものかも知れない48)。」
5 《ウッテヴァルダー・グルント(ザクセン・スイスの岩の峡谷)》(図 34)BS, Kat.517 リンツのノイエ・ガレリーにあるこの油彩画は,91.5 × 70.5cm と,ここで取り上げる5点 の中では最も大きい作品であるが,この絵も火災と F. プフルークラートによる補筆のため甚 だしく損なわれている。ベルシュ=ズパンにしても,「それらモティーフがフリードリヒに由 来するものかどうか疑わしい」49)と語っているように,動的な構成,ロマン的な物語性,月 明かりの幻想的な風景と,どれもがフリードリヒとは異質な特性を示していることから,彼の 作ではないことは自明であり,カールス作の可能性が高い。
Ⅵ 《滝のある樅の森》(図36) BS, Kat.362
近年ハンブルク,クンストハレの所蔵するところとなったこの油彩画の裏面には二度にわ たって「ダール(Dahl)」の記名があり,ダールによって記されたものと考えられている。こ のようにフリードリヒの作品に「ダール」と記名された作例として,1818 年7月1日の舟の 素描50)が挙げられている。かつてしばらくの間ダールが所有していたものと考えられているが,
この絵はダールの絵画所蔵品目録には掲載されていないということである51)。
ベルシュ=ズパンはこの絵が 1828 年にドレースデンで展覧された《滝》と同一であるとし,
同展に出品された《初雪》(図 37)と対を成す作品である可能性を指摘している52)。このとき のフリードリヒの2点の出品作について『アルティスティシェス・ノティツェンブラット』は 次のように伝えている。「我がフリードリヒ教授の2点の小さな絵は,紛れもなく彼がかくも 適切に把握することを心得ている陰鬱な自然のポエジーを有している。1点は,集積した岩間 から湧き出る泉,もう1点は,丈高い唐檜の密集する森で,ほっそりと伸び立つ樹幹が殆ど視 界を塞いでいる。薄霜と初冬の雪片が暗い梢や針葉の樹冠に宿っている……53)。」
フリードリヒの《滝》に関する記事は,その絵を《滝のある樅の森》と同一視するには余り に簡潔に過ぎる。「 集積した岩間から湧き出る泉 」 の記述から,その絵は滝を扱ったものとい うより,彼の油彩画《山中の十字架》(図 38)ないし《森の中の十字架》(図 39)に見られる 岩間から湧き出る泉と類似したモティーフを扱ったものであったと推測されるのである。この 2点に於ける岩や湧き出る泉の描き方は彼に固有の線的表現を示し,ハムブルクの《滝のある 樅の森》に於ける彩画的描法とは著しく異なっている。この2点では,水源と覚しき所に十字 架があり,その背後に樅の木々や聖堂がそそり立っているように,象徴性が強く感受されるの に対し,ハムブルクの絵には象徴的気分は感じられず,自然の再現が主眼とされているように 思われる。またその絵を《初雪》と対を成す作品とするベルシュ=ズパンの見解は,両者を比 較すれば分かるように,画面の寸法の違い(《滝のある樅の森》45 × 35.2cm, 《初雪》43.8 × 34.5 ㎝)のみならず,描法の違いからも否定される。特に描法の違いは,両者が同一時期の同 一作者の作品であることを完全に否定する。《滝のある樅の森》には,確かに樅の木々,草,
前景の沼や水中に倒れる古木等,フリードリヒ風の表現が散見される。しかしそれらの多くが フリードリヒとは異質な描法を示し,樅の木々や岩には彼特有の様式化が見られず,極めて写 実的である。画面前方左側に配された数本の樅の木々と背後の木々とが融合し,前後関係が明
確に把握されていない。このような不明確さは彼とは異なるものである。中でも彩画的な手法 で描かれた数々の岩は,ダールの岩の表現との類似性を有し,この絵はダールの手になる可能 性が高いのである。
Ⅶ 《山の湖のある朝の風景》(図40)BS, Kat.382
ミュンヘンの美術商 S. Lodi 所蔵のこの油彩画は 79 × 94cm のかなり大きなもので,画面左 下に誤ったサイン「C. Friedrich」が記されている54)。一見してフリードリヒの作とは思えな いこの絵は,トラウトショルト Trautscholdt55),ズモーフスキー56),ベルシュ=ズパン57)ら によってフリードリヒの真作とされている。
ズモーフスキーはこの絵について次のように語っている。「フリードリヒはここでは他者の 手になるスケッチを利用した。それがカールスの素描であったのか否かについての答えは当分 の間差し控えざるを得ない。画面構成の主要モティーフはメンヒ Mönch とアイガー Eiger を 有するヴェッターホルン山系 Wetterhorngruppe を表わし,それも多分インネルトキルヒェン Innertkirchen からの眺めである。カールスはこの地を 1821 年の彼のスイス旅行の間訪れては いない。 それとは別に 1828 年に彼はローゼンラウイバート Rosenlauibad とマイリンゲン Meiringen の間の該当する地域に7月 30 日滞在した。けれどもその日のことは,一枚のシャ イデック Scheideck からの山岳眺望が知られているだけである58)。」ベルシュ=ズパンはその 絵がカールスのスケッチを利用したものと考え,湖は彼が 1828 年7月 30 日に滞在した地域に 存在しないためにフリードリヒが任意に付け足したものであろうと推測し,次のような見解を 付け加えている。「構図は多くの類似点から《秋》59)を想起させる。それは,より少ない教権 的厳格さ及び一そう多くの景観画的性格によって,1824 〜 25 年の高山風景(《高山(スイス の風景)》60)及び《ヴァッツマン山》61))とは区別される。濃く塗られた彩色法とより粗雑な 描法は,20 年代の終わり頃の成立を証明している。服装からして土地の人には見えない杖に 拠る男のモティーフは,その姿勢に於いて《リーゼンゲビルゲの廃墟》62)を想い起させる。彼 が牧人として,或いは旅人として捉えられているのかどうか,疑問が残る。彼は左方の暗がり から脱け出て,石だらけの道を経,湖に向って傾斜する陽の当たる草地に歩み出たのである。
彼の背後の岩塊は信仰のシンボルとして解釈され( 特に《虹のある山岳風景》63)を参照のこと),
その男とシンメトリーをなして対応する右方の樅の木々は,信心深いキリスト教徒を意味する
(《山中の十字架(テッチェンの祭壇画》64)を参照のこと)。死をシンボライズする湖の向こうに,
添景人物の丁度真上に家々が認められる。それら家々は《芸術家のアトリエからの眺め,右の 窓》65)乃至《ドレースデンのアウグスト橋》66)の中で語っているように,人間は彼本来の我 が家を永遠なる生の中に見出す。死の比喩としての水面が彼をその家から分け隔てている。左 方から射し込む光りが向こう岸を掠め,明澄な現実として彼岸を浮び上がらせている。 山々は 神のシンボルである。左方から右方へ向って下がって行く前景の線は,背景に於いて高まって ゆく山の輪郭線と呼応している67)。」
この油彩画には,確かにフリードリヒ的モティーフが散見する。前景の湖畔に生い立つ木々
――葉をつけた落葉樹と葉を落とした木々との対比,そそり立つ樅の木々――,フリードリヒ 晩年の油彩画《リーゼンゲビルゲの廃墟》68)に描かれた自画像と解せられる人物とよく似た 杖に拠る人物,岩塊,等々である。しかしながらそれらモティーフの扱い方はフリードリヒと
は異なっている。ここでは彼の絵に屢ば登場する葉をつけた木々,葉を落とした木々,樅の木々 が湖畔の同じ位置に単に並列されているに過ぎず,このことからもこの絵はフリードリヒ風な 気分の表出を狙った模倣的作品と言わざるを得ない。杖に拠る人物はここでは数頭の牛と共に 描かれていることから,あたかも牧人の役を担う伝統的な風景画に於ける添景として画中に導 入されたもののように思われる。その画家の生涯に於いて最も重要な場所,リーゼンゲビルゲ 山地とエルデナの廃墟とを合成した油彩画《リーゼンゲビルゲの廃墟》は,晩年の「懐旧の風 景」に属するものであり,弟クリスティアンと共に描き入れた自画像は,それらの場所を懐か しむ彼の姿に他ならない。《山の湖のある朝の風景》はフリードリヒが訪づれたこともないス イスの風景に材を取ったもので,彼の「懐旧の風景」に属する類のものではなく,随ってその 添景人物は彼の自画像である筈もない。
《山の湖のある朝の風景》に於ける立体感が強調された写実的描法にしてもフリードリヒの 平面的,線的描法とは異質である。遠くの山々は,右方から左方へ向うにつれて次第次第に遠 のき,左端の湖に落ち込んだ山裾が前景との繋がりを明示しているように,前,中,後景を意 識した現実的空間表現が達成されている。山々は,カールス特有の触覚的表現を示し,個々の 岩肌が立体感を強調して描かれているため,前方へ迫り出しているように感じられ,特に右方 の山の重量感が他に優り,画面の安定感を損ねている。木々の筆触にもカールスを想わせるも のがあり,彼のフリードリヒ風絵画を特徴づけているフリードリヒ的モティーフの並列及び誤 用からしても,この油彩画はカールスに帰せられて然るべきであろう。
Ⅷ 《バルト海の岸辺の大岩の間の漁船》(図41)BS, Kat.396
カール・フォン・ロルク Carl v. Lorck によって 1941 年メクレンブルクのバセドウ城 Schlo Basedow にて発見され,同年彼は『芸術(Die Kunst)』誌上に「カスパール・ダーフィト・
フリードリヒの 5 点の新発見の絵」と題する論文を寄せ,この絵を含めた 5 点の油彩画を図版 入りで公表している。そこではこの絵は《バルト海の岸辺の漁師》と題されている。その後こ の絵についての消息は不明である。絵の大きさはロルクの記述から小品であることが分かるだ けである69)。 色彩に関しても,カラー図版が存在しないため,ロルクの次のような記述から想 像するしかない。
「その絵の色彩は特異なものであった。深みのある,また丹念に塗られた色彩の三和音が画 面を支配していた。即ち暗紫色,橙いろ,それに暗褐色である。三つの巨大な暗褐色の花崗岩 が暖かみのある褐色の前景から海の水平線を越えて紫いろの雲に覆われた天空の中へと突き出 ている。ステースル(支索にかかった三角帆),ジブ(船首の三角帆)及び大帆を有した一艘 の漁船が画面中央部の岸の近くに碇を下ろしている。何人もの人々が甲板や舟の前に描かれて いる。特に外套を羽織り,ビレッタ帽を被った二人の男は,観者に背を向けて漁船の方を見て いる。太陽は雲の下方深くに,帯状になった黄紫の空からその輝きを見せ,赤みを帯びた黄い ろい微光を船の帆や紺青の海の小波の上に投じている。フリードリヒ以外に誰がこれほどまで に単純なモティーフを描きえたであろうか? 同時に誰がこれほど素朴に,丹念かつ綺麗な画 面を生み出す筆跡を有しているだろうか? 彼以外の誰が,一枚の小さな絵の中に,海辺のこ のような極度に寂しげな場所への,また荒涼たる不毛の地へのそれほどまでに敬虔な愛を置き 入れることができたであろうか。ダールでは決してありえない。多くの個々のモティーフは,
フリードリヒの真作に於いて特徴的に繰り返されている。ビレッタ帽を被り,後ろ姿で画面の 内側を向く二人の男は,頻繁に,例えばベルリーン国立画廊の《日の出の海の二人の男》70), ドレースデン,19 世紀画廊の《月を眺める二人の男》71)に登場している。丸みを帯びた海岸 のいくつかの花崗岩の塊は,ベルリーン国立画廊の《海辺の月の出》72)に見られる画面構成 に於ける岩塊の位置と特によく似ている。三つの帆のある船影は全く同種の装備でベルリーン,
ヴルスター蒐集 Sammlung Wurster の《海岸の二人の漁師》73)に表現されている。
色彩の印象深い三和音は,国立画廊の《海辺の月の出》の中で非常によく似た色調で繰り返 されている。両者共,雲の濃い暗紫色が,オレンジの色調をいわば対照的に描き出している。
両者共,暖かい暗褐色が,全体が暗い中にあって,重苦しくなく,輝きながら,筆跡に於いて 頗る軽妙に,また流麗に賦彩されている。両者共,細長い帯状の海面は,紺青と混ざることに よって達成されるような特有の遣り方で,冷たい緑青へ向ってきらきら光っている。――バル ト海の夕べを知っている観者にとって頗る自然に近い色である。
水面を照らす微細な,淡黄色の,厚く上塗りされた線条の光りは,同様にその絵にも存在す る。
それはそうと,新発見の絵で目新しいのは,花崗岩の塊の他に見られない奇妙な形である。
それらの岩塊は,その重量と不可解な,いわば強風で曲がったかのような形態に於いて,倒れ 掛かり,威嚇するような特別の性格を有し,その海岸一帯に漂う孤独と荒涼の本質的特徴をい や増しにしている。われわれは,その作品の本来の対象に,あの魂の層に触れ,その画家の,
自然を前にして抱く感情が,油彩画の中で再び振動する。自然の無言の異様さが,自然を見て の芸術家の感動が,表現に持ち来たされている74)。」
この絵についてのベルシュ=ズパンの見解は次のようである。「色彩の豊かさ,省察の顧慮は,
晩年の作―― 1830 年以降――と推測させる。小さい添景人物は, 《月下の海岸》75)及び .《バ ルト海の夕べ》(図 42)と比較される。ロルクによって既に注目されたように,海岸の風景は 花崗岩の巨大さによって新たに把握されている。信仰の象徴としての岩の言わんとするところ は,それが天空に向ってそそり立つ様子から明らかとなる。繋留された船は,《バルト海の夕べ》
と同様,人生の終焉を意味する76)。」 ベルシュ=ズパンはこの絵とフリードリヒの《月下の海岸》
及び《バルト海の夕べ》に於ける添景人物とを比較しているが,両者の共通点は小さな人物群 であるということだけであり,両者は寧ろ対立的な本質的特性を示しているのである――前者 は極めて動的で,向う方向もまちまちであるのに対し,フリードリヒの2点の油彩画にみえる 人物は全てが静止し,観者に背を向け,遥か遠くを眺めている。
この油彩画は所在不明であり,カラー図版も存在しないことから,ロルクの公表した図版と 彼の記述に頼るしかないが,不安定な構図や多数の人物の導入による物語性は,フリードリヒ とは異質なものであり,彼の作とは見做し難いものである。構図の不安定は三塊の巨岩の奇妙 な形態と主要モティーフの一平面上への左右不均衡の並列によって齎される。ここでは主要モ ティーフである巨大な花崗岩や漁船,そして何人もの人影が,全て同一平面上に横並びに布置 されているのである。船上や船の手前の何人もの人影は,ハムブルク,クンストハレ所蔵のフ リードリヒ初期の油彩画《氷海の中の船》77)に於ける忙しく動く人々を想起させるが,彼の 後の作品ではこうした物語性は完全に払拭されている。それら人物は象徴的な意味を担ってい るものではなく,或る現実的な出来事に関与している人々であり,日常性や物語性を演じてい るに過ぎない。これらフリードリヒとは異質な要素の悉くが,カールスと結びつくように思わ