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オーストラリア・アボリジニ社会再編成の人口論的 考察

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オーストラリア・アボリジニ社会再編成の人口論的 考察

著者 小山 修三

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 13

号 1

ページ 37‑68

発行年 1988‑07‑30

URL http://doi.org/10.15021/00004330

(2)

小 山   オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジニ社 会 再 編成 の人 口論 的考 察

オ ー ス ト ラ リ ア ・ ア ボ リ ジ ニ 社 会

再 編 成 の 人 口 論 的 考 察

小 ・ 山 修 三*

Aboriginal Population Dynamics : An Overview

Shuzo KOYAMA

Radcliffe-Brown estimated that at the time of European settlement there were about 250,000 aborigines in Australia (1930). Applying population increase rates derived from the Jomon Period to an original founder population of twenty and an increase ratio of 0.0005, the aboriginal population would have reached 250,000 in about 30,000 years. The decline of the aboriginal population began at the end of the 18th century, with European settlement, and destruction continued such that by the beginning of this century the whole population was in danger of extinction. Censuses indicate that recovery of the popula- tion started only after 1920. Compared with other indigenous populations which had a similar historical experience to the aborigines, the rate of recovery of the aboriginal population was very rapid. This surprisingly high rate was due mainly to a growth in the population of people of mixed descent, particu- larly in urban areas, rather than among the remote populations of full-blood, which did not start to increase until somewhat later.

The development of a pan-aboriginality during the 1970s further increased the rate of population increase, as many people of mixed descent reasserted their aboriginal identity.

1.ア ボ リ ジ ニ 社 会 と ア ウ トス テ ー シ ョ ン運 動

n.ア ボ リジ ニ の 人 口 A.人 口 論 的 ア プ ロ ー チ

B.人 口 変 動 の 歴 史

1.自 然 増 加 期(35,000年 前 一1788) 2.崩 壊 期(1788‑1921)

3.回 復 期(1921一 現 在)

*国 立民族学博物館第4研 究部

(3)

皿.ア ボ リジニ 社 会 の崩 壊 と復 興 A.崩 壊 の 要 因

B.人 口増 加 へ の プ レコ ンデ ィ シ ョ ン ー人 口増 加 1・ 外 的要 因

2・ 内 的要 因

IV.伝 統 的 ア ボ リジニ社 会 の変 容

一 ノーザ ンテ リ ト リー の歴 史 A.開 拓 の時 代

'国立民族学博物館研究報告  13巻1号

B.ミ ッシ ョ ンと リザ ー ブ C.伝 統 社会 の再 生 へ の基 盤

V.ア ウ トス テ ー シ ョ ン蓮 動 と社 会 再 編 成 A.ア ウ トス テ ー シ ョン運 動 の勃 興 と制度

B.伝 統 社 会 の確 立 C.芸 術 と社 会 の復 興 VI.異 文 化 接 触 の顛 末

1.ア ボ リ ジ ニ 社 会 と ア ウ トス テ ー シ ョ ン 運 動

  伝 統 的 部 族 社 会 が 西洋 文 明 国家 と対 峙 した と き,人 口が 減少 し,社 会 崩 壊 が お こ り, 文 化 的 活 力 を失 い衰 退 あ る い は絶 滅 す る と い う現 象 は近代 世 界 史 に み られ る一 つ の普 遍 的 パ タ ー ンで あ る。 オ ース トラ リア大 陸 の 原 住 民,オ ース トラ リア ・ア ボ リ ジニ の 運 命 もそ の 範 疇 か らもれ る こ とは な か った。 い や,む しろ彼 らが 自然 に ち らば る食 物 を集 め る狩 猟 採 集 民 で あ り,数 家 族 か ら 構 成 さ れ る 集 団(ホ ル ド[RADCLIFFE‑

BROWN  l930a])で 生 活 す る とい う人 類 の も っ と も古 い社 会経 済 段 階 に あ った た め に崩 壊 の プ ロ セス はい っそ う速 く激 しか った と い え る。

  1788年 オ ース トラ リァ が 英 国 の植 民 地 と な っ て以 来,1960年 代 ま で の歴 史 を ま とめ た ロ ウ リ ィー の著 作[ROWLEy  l970]は ア ボ リジニ社 会 の崩 壊 に い た る悲惨 な過 程 と,完 全 に手 詰 ま り とな って将 来 に展 望 の な い暗 い現 状 とを 描 きだ して い る。 そ れ を み るか ぎ りア ボ リジニ は 終極 的 に は 白人 社会 に吸 収 され 消 滅 す る と考 え ざ るを え な い。

その 理 由 と して は1960年 代 ま で の ア ボ リジニ は 白人 との 混 血 が す す み,都 市 部 で は ス ラム に住 み,小 さ な町 で はそ の縁 辺 部 の 住 民(fringe  dweller)と な って い た こ と, ま た,純 血 の 多 い ア ーネ ム ラ ン ドや砂 漠 地 方 な どの大 保 護 区(Reserve)で は,人 々 が 主 と して ミ ッ シ ョンの つ くるセ ッ ル メ ン トに集 中 して 白人 社会 に寄生 した生 活 を して いた た めで あ る。 セ ッル メ ン トに蝟 集 した人 々 は,本 来 の領 地 を はな れ た た め狩 りや 漁撈 や 採 集 を 中心 とす る生 活 活 動 が で きな くな り,食 糧 は 白人 か らの 配給 にた よ って い た。 そ の結 果,生 業 に密 着 して い る社会 組織,信 仰,儀 礼,神 話 な どの 伝 統 を 急速 に失 い つ つ あ っ た。 ま た彼 らの生 活 観 や 自然観 は,ミ ッ シ ョ ンに よ る キ リス ト教 の教 化 活 動 に よ り根 底 か ら激 し くゆ るが され る と と もに 白人 社 会 の 教 育    英 語,数 学, 技 術,宗 教     を教 え こま れ た 若 者 と老 人 を 中心 とす る成 年 層 の 意 識 およ び行 動 の ギ

ャ ップ は ひ ろ が る ばか りで,伝 統 的 技 術 や精 神 が次 世 代 に ほ とん ど手渡 され な い と い

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小山  オース トラ リア ・アボ リジニ社 会再編成 の人口論 的考察

う状 態 に お ち い っ て い た 。 つ ま り60年 代 の ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 状 況 は,も し幸 運 に も 彼 らが 人 種 と して 滅 亡 す る こ と が な く て も,そ の 社 会 の 内容 は 伝 統 と は ま っ た く 関 係 の な い,オ ー ス トラ リ ア の 最 下 層 の 白 人(poor  whitc)と 同 じ も の に な る だ ろ う と予 想 さ れ た の で あ る 。

  と こ ろ が,1970年 代 に な る とア ボ リ ジ ニ 社 会 に突 然,予 想 外 な 動 き    そ れ ま で の 集 中 化 と は 逆 の 分 散 化(decentralization)  が お こ つ声 ・ ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の 保 護 区 ア ー ネ ム ラ ン ドで は,人 び と は 小 さ な グ ル ー プ を つ く っ て ミ ッ シ ョ ン や オ ー ス ト

ラ リ ア 政 府 管 理 下 の 施 設 の 整 備 さ れ た セ ッ ル メ ン トを は な れ,自 分 た ち の 領 地 に む ら (outstation)を つ く っ て 住 み は じめ た の で あ る 。 そ の 動 き は 同 じ ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の 中 央 砂 漠 地 帯 か ら西 オ ー ス トラ リァ へ,さ ら に オ ー ス ト ラ リ ァ の 他 の 地 域 へ と ひ ろ が っ て い っ た の で あ る 。

  ア ボ リ ジ ニ 社 会 を ま も り,彼 らの 生 活 を 向 上 さ せ よ う と い う姿 勢 を 伝 統 と して と り つ づ け て き た オ ー ス トラ リア の 人 類 学 者 は こ の 動 き を ア ボ リ ジ ニ の 社 会 運 動 と して と ら え,ア ウ トス テ ー シ ョ ン運 動(Outstation  Movement)と よ ん で 注 目 し,こ れ が ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 文 化 復 興 に ま で つ な が る と して 高 い 評 価 を あ た え た 。 た と え ば ク ー ム ス は 早 く も1973年8月,第45回ANZAAS会 議 の 人 類 学 部 門 の 会 長 講 演 で ア ウ トス テ ー シ ョ ン 運 動 に つ い て の 概 略 と見 通 しを の べ,そ の 結 果 を1974年 に 発 表 し て い る [CooMBs  l978]。 ま た1974年 に は ア ボ リ ジ ナ ル 研 究 所 で 隔 年 に お こ な わ れ て い る ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 文 化 変 容 研 究 会 で の 主 要 セ ッ シ ョ ン と して ア ウ トス テ ー シ ョ ン運 動 が と り あ げ ら れ,各 地 か ら の 実 例 報 告 が お こ な わ れ て い る[BERNDT(ed.)  1977]。 そ の 後,ア ボ リ ジ ニ 社 会 研 究 の た め の 補 助 金 も ア ウ トス テ ー シ ョ ン 運 動 に 関 す る 調 査 研 究 に 重 点 的 に わ り あ て ら れ る よ う に な っ た 。 そ の 結 果70年 代 後 半 か ら 人 類 学 ・社 会 学 な ど を 中 心 に ア ウ トス テ ー シ ョ ン に か か わ る 大 きな 分 野 が 形 成 さ れ て い っ た 。 ま た ア ボ リ ジ ニ 社 会 に 働 く白 人 た ち の 間 に も こ の 問 題 に 対 す る 関 心 が 高 ま っ て い っ た [GILLEsPIE,  CooKE  and  BoND  1977]。 筆 者 ら が1980年 に ア ー ネ ム ラ ン ドに 調 査 に 入 っ た の は こ の よ う な 社 会 的,学 会 的 状 況 の な か だ っ た 。 そ の 後 文 部 省 科 学 研 究 費 の 補 助 に よ っ て,1982,・984・1986年 に 調 査 を お こ な い ・ .日本 で ア ボ リギ ニ 華 術 展 を お こな うな ど1)彼 らと の接 触 が つ づ いて い るが,つ よ く感 じる 事 は1980年 代 に ア ボ リジ ニ 社 会 が質 的 に も精 神 的 に も著 し く充 実,発 展 して き た こ とで あ る。 彼 らの 社 会 が崩 壊 か ら立 ち な お り,再 編 成 され,文 化 的 に復 興 しつつ あ る ことが わ か るの で あ る。

  本 論 文 で は オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジニ 社 会 を人 口 とい う視 点 か らと らえ よ う と し

た 。 この 場 合,人 口 は単 な る量 と して で はな く文 化 を支 え る力 とみ な して い る。 す な

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国立民族学博物館研究報告  13巻1号 わ ち人 口量 を 「一 定 の 行 動 や 思 考 の パ タ ー ン(=文 化)を 共 有 し支 え て い る集 団」 の 力 の係 数 と考 え るか らで あ る。 そ の た め の 切 り口 と して最 近 の 社 会 現 象 と して の ア ウ トス テ ー シ ョ ン運 動 を と りあ げ,人 口 の 時代 的変 動 か らア ボ リジニ 社会 の崩 壊 と復 興 の プ ロセ ス を考 え る こ と に した い。

豆.ア ボ リ ジ ニ の 人 口

A.人 口 論 的 ア プ ロ ー チ

  ア ボ リジニ社 会 の 歴 史 的 人 口に つ い て い わ ゆ る人 口学 的 研 究 は ほぼ 不 可 能 で あ る。

な ぜ な ら,オ ース トラ リァ連 邦 憲 法 には 「オ ース トラ リァ に お け る公 式 の 人 口調査 か らfull‑bloodア ボ リジニ2}は 除 く」 と明記 さ れ統 計 か ら除 外 され て い るか らで あ る (こ の条 項 は1967年5月27日,国 民 投 票 に よ って 廃止 さ れた)。 そ の た め人 口学 研 究 に必 須 な デ ータ    出生,死 亡,移 出,移 入    の具 体 的 な 数 は ま った くわ か らな い。

基 本 的 な 人 口量 で さえ も単 な る推 測 値 や 状況 証 拠,断 片 的 な記 録 に た よ らざ る を え な い状 態 で あ る。 した が って こ こで の べ よ うとす る の は,正 統 的 な人 口 学 で は な く民 族 人 口学 とで もよぶ べ き分 野 な の か も しれ な い 。

1)1980.6‑7  国 立民 族 学 博 物 館 海外 標 本 資 料 収 集(小 山修三)

  1982.7‑10  昭 和57年 度 科 学 研 究 費補 助 金 海 外 学 術調 査 「オ ー ス トラ リア原 住民 社 会 の 計 量       人 類 学 的研 究 」(小 山修 三 ・松 山利 夫)

  1983.9    「オー ス トラ リア ・アボ リジ ニの 芸 術 」(於 じゅ ら く染色 資 料 館)・ 「ア ー ナ ベ ラ       の バ テ ィ ック」(於 ギ ャラ リー じ ゅ ら く)

      *豪 日交流 基 金 の 援 助 に よ る この 展覧 会 の ため 中 央砂 漠 ア ー ナベ ラの原 住 民 芸       術 家 ユパ テ ィ,ニ ュカ ナの 二 人 と ク ラフ ト ・ア ドバ イザ ー のW・ ヒ リヤ ー ド       女 史 が来 日 した 。

  1984.7‑11  昭和59年 度 科 学 研 究 費補 助金 海 外 学 術 調査 「オ ー ス トラ リア原 住民 社 会 の再 編       成 」(小 山修 三 ・松 山 利 夫 ・藤 原 宏 志(宮 崎大 学)・ 杉 藤 重 信(甲 南大 学))   1985.6    国立 民 族 学博 物 館 研 究公 演 「狩 人 の 夢一 オー ス トラ リア ・アボ リジ ニの 歌 と       踊 り一 」(於 民 博 講堂)

      *オ ー ス トラ リア政 府 ア ボ リジニ 省(DAA),豪 日交 流基 金 の依 頼 と協 力 に よ り,       ガル プ リル主 宰 の ラマ ンギ ング ・ダ ン シ ング グル ー プ4人 お よ び マ ネ ー ジ ャ       ーJ.ク ロ フ ト氏(DAA)が 来 た 。公 演 内容 を ビデ オ に 作成 した。

  1986,7‑8「 特 別 展   国 立 民 族 学博 物 館 出品  狩 人 の夢   オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジニ の 世       界 」(於 神 戸 市 立博 物 館)

      *ア ボ リジ ニ芸 術 家 ナ イ ア メ ラ父 子,ウ ヌ ウ ン,ブ ル ンブル ンお よ び ク ラ フ ト       ・ア ドバ イザ ーD.ベ ネ ッ ト,S・ コ リンズ, G.ゴ ジ ュ ワ氏 が来 日。 岩 壁 画       の 製作,講 演,演 奏会 な どを お こな った 。

  1986‑8《1987)2  昭和61年 度 科 学研 究 費 補 助金 海 外 学 術 調査 「オ ース トラ リア ・ア ボ リジ       ニ社 会 の経 済 変 容 」(小 山修 三 ・松 山 利夫 ・杉 藤 重 信 。現 地 参 加:窪 田幸 子(甲       南 大 学)・ 河 内ま き子(東 京 大 学))

2)純 血 ア ボ リジ ニの意 で あ るが,原 住民 の意 と とるべ きか 。 政府 のfull‑bloodの 定 義 につ いて

は 後述 。

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小 山  オ ー ス トラ リア ・アボ リ ジニ社 会 再 編 成 の 人 口論 的 考 察

  ア ボ リ ジ ニ 人 口 の 内 容 と 構 成 は ま こ と に あ い ま い で あ る 。 表1‑aの 数 値 は 主 と し て ジ ョ ー ン ズ に よ る[JoNEs  l970]。 も っ と も 早 い1788年 の 値 は ラ ド ク リ フ ・ブ ラ ウ ン の 推 定 で あ る[RADcLIFFE‑BRowN  l930b]。 ま た1966年 以 前 の 値 は 政 府 統 計 で あ る が,1901年 お よ び1921年 の も の に つ い て は,西 オ ー ス トラ リア 州 と タ ス マ ニ ア で は 「ア ボ リ ジ ニ は 存 在 しな い 」 と い う州 政 府 の 見 解 に よ っ て,混 血 ア ボ リ ジ ニ は ヨ ー ロ ッパ 人 と して 登 録 さ れ て お り ,ク ィ ー ン ズ ラ ン ド州 の ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー で は, full‑bloodア ボ リ ジ ニ が 統 計 の 対 象 か ら は ず さ れ て い る な ど 州 に よ り 基 準 が 異 な っ て い る。

1921年 度 以 後 は,政 府 は 集 計 は し な い が ア ボ リ ジ ニ に つ い て の 資 料 を で き る だ け 集

表1‑aア ボ リ ジ ニ の 人 口 推 移

州 年 1788i) 19012) 19213) 19474) 19665) 19816)

ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ

ビ ク ト リ ア

ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 南 オ ー ス ト ラ リ ア 西 オ ー ス ト ラ リ ア

タ ス マ ニ ァ

ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー 首 都 特 別 区(ACT)

40,000      8,065      6,067 11,500        521        573 100,000     26,670     15,454

10,000      3,070      2,741 52,000     5,261     17,671   2,500        0        0

35,000     23,363     17,973     ‑        ‑         0 251,000     66,950     60,479

11,560     13,613     37,758 1,277     1,790     9,087 16,311     19,003     35,664 4,296     5,505     9,476 24,912     18,439     30,749 214        55     2,544 15,147     21,119     28,680 100        96       755 73,817     79,620    154,713 POfficial  Year  Book  of lhe Commonweallh  of/Aecslralia  No ・23(1930)に 載 せ ら れ たRadcliffe・

Brownに よ る 推 定 値

2,0fficial  Year  Bo。 々 。f tlie C。mm。n  Weallh  of.Australia  No .11901‑7か ら 作 成 3)Official  Vear  Book  of the  Common〃 診α〃んof  Auslralia  No,171924

4)Staslislicians  Re?ort  on  tke  l947  Census 5) Census  of the  ()ommonweallk  of  Auslraliα  1966 6)1981セ ン サ ス に 対 す るE・K・Fiskの 訂 正 値

表1‑b人 口 増 加 率

州 期 間

ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ

ビ ク ト リ ア

ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 南 オ ー ス ト ラ リ ア 西 オ ー ス ト ラ リ ア

タ ス マ ニ ァ

ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー 首 都 特 別 区(ACT)

1788‑1901    1901・‑1921    1921‑1947    1947‑1966    1966‑1981 一 〇。0142

‑O . 0274

‑O.0117

‑0 .0105

‑0 .0203

‑O .0604

‑0 .0036 十 〇.0000

‑0.0117

一 〇.0142 十 〇.0048

‑O .0273

‑0 .0057 十 〇.0606 十 〇.0000

‑O .0131 十 〇。0000

‑O .0051

十 〇.0248 十 〇.0308 十 〇.0021 十 〇,0173 十 〇.0132 十 〇.1679

‑0 .0066 十 〇.1387 十 〇.0077

十 〇.0086

→‑0.0178 十 〇.0080 十 〇.0131

‑0 .0158

‑0 .0715 十 〇.Ol75

‑0 .0021 十 〇.0040

十 〇.0680 十 〇.1083 十 〇.0420 十 〇.0362 十 〇.0341 十 〇.2556 十 〇.0204 十 〇.1375 十 〇.0443

(7)

国立民族学博物館研究報告  13巻1号 め る よ う に 調 査 官 に 指 示 して お り,1924年 か ら は ア ボ リ ジ ニ の 特 別 セ ン サ ス を 毎 年 お

こ な う こ と を き め て い る[JONES  1970:5]の で ア ボ リジ ニ 人 口 統 計 の 精 度 は あ が っ て い る。 し か し実 際 に 統 計 と して の 精 度 が 高 くな る の は1961年 セ ン サ ス か らだ と い わ れ て い る 。 そ れ で もfull。bloodア ボ リ ジ ニ 人 口 の 精 度 に つ い て は 西 オ ー ス トラ リア で 80%,ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー で89%(他 の 州 は100%)だ と さ れ て い る。 そ の 理 由 は 遠 隔 地 に 住 む ア ボ リ ジ ニ は,移 動 民 で あ る た め 居 住 地 の 固 定 が む ず か し く,し か も 白人 (行 政 官)と の 接 触 を で き る だ け さ け よ う と し て い た た め 調 査 も れ が 多 い と考 え ら れ て い る 。 表1の 数 値 は こ れ ら の 定 義 の 不 明 確 さ や 調 査 も れ に つ い て ジ ョ ー ン ズ が 補 正 した も の で あ る 。1981年 セ ン サ ス は 統 計 的 条 件 が よ う や く と と の い 精 度 が 高 い と い わ れ る が,資 料 の あ い ま い さ は 依 然 残 っ て お り,フ ィ ス ク[FISK  1984]が 修 正 を 加 え た 数 値 を 使 っ た 。

  ア ボ リ ジ ニ 人 口 値 が 不 正 確 で あ る の は,ア ボ リジ ニ の 混 血 化 の 進 行 に と も な い 「誰 を ア ボ リ ジ ニ と よ ぶ の か 」 と い う定 義 が あ い ま い だ と い う 理 由 が 大 き い 。

  1961年 ま で の セ ンサ ス で は ア ボ リ ジ ニ は1)ful1‑bloodと2)half‑casteの 二 つ の カ テ ゴ リ ー に わ け ら れ て い た 。1961年 セ ン サ ス 記 入 用 紙 の 注 意 書 は 次 の よ う に か か れ て い る。 「ヨ ー ロ ッパ 人 は,出 生 地 の 如 何 に か か わ ら ず,ヨ ー ロ ピ ア ン と か く。 非 ヨ ー ロ ッパ 人 は そ の 属 す る 入 種 を か き入 れ る こ と    ア ボ リ ジ ナ ル ,中 国,ネ グ ロ,ア フ ガ ン等 々 。 も し混 血(half‑caste)で あ れ ば 片 親 が ヨ ー ロ ッパ 人 の 時,人 種 にH.  C と か く。 た と え ばH.C.  Aborigina1,  H.  C. Chinese等 々(指 示 を み よ)」 そ の 指 示 に は 次 の よ う な 説 明 が つ け ら れ て い る。 両 親 が 非 ヨ ー ロ ッパ 系 で しか も 異 な る 人 種 の と き父 親 の 人 種 を か き 入 れ る こ と(H.Cと は か か な い こ と)… … と あ る 。ま た,

「父 親 が ア ボ リ ジ ニ,母 親 が ヨ ー ロ ッパ 系 で な い と き(half‑casteの 意 味 か?)は full‑bloodと す る 」 と い う 定 義 や,両 親 がhalf‑casteの 場 合 に つ い て の 説 明 は な い な

ど,人 種,と く に 混 血 の 場 合 の 定 義 が 混 乱 し不 明 確 だ った の で あ る 。

  さ ら に 問 題 を い っ そ う 複 雑 に し た の は 連 邦 政 府 お よ び 州 政 府 に 皮 膚 の 色 や 顔 つ き が

白 人 に ち か い ア ボ リ ジ ニ を で き る だ け 白 人 と し て 認 め よ う と す る 態 度 が あ っ た こ と で

あ る。 た と え ば 西 オ ー ス トラ リア 州 で は,1936年 の 法 令 で は1/4以 下 の 混 血 は 白 人 で あ

る が 特 に 原 住 民(native)と 認 あ る 場 合 も あ る と い う 措 置 を お い て い る な ど で あ る 。

一 方 ,混 血 側 も ア ボ リ ジ ニ で あ る か 白 人 で あ る か の 選 択 の 態 度 が 人 種 偏 見,土 地 所 有

権,賃 金,社 会 福 祉(老 人,寡 婦,身 体 障 害,医 療 保 証 な ど),選 挙 権,通 婚,酒 の

入 手 な ど に つ い て の 権 利 や 制 約 が か らん で 時 代 に よ っ て 微 妙 に変 わ っ た よ う で あ る 。

  1981年 の セ ン サ ス で は 分 類 を ア ボ リ ジ ニ(aboriginal)の 一 種 だ け と し 「全 面 的 又

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小山  オース トラリア ・アボ リジニ社会再編成 の人 口論的考察

は 部 分 的 に ア ボ リ ジ ニ の 血 を う け,自 分 を ア ボ リ ジ ニ と認 定(ldentify)す る と と も に,ア ボ リ ジ ニ ・コ ミ ュ ニ テ ィ で あ る と 自 ら認 定 す る 集 団 内 で そ の 一 一員 で あ る こ と が 認 め られ て い る も の 」 と した 。 つ ま り ア ボ リ ジ ニ を 形 質 的(ま た はbiological)に と らえ る の で は な く,ア イ デ ン テ ィ テ ィ に も と つ く社 会 集 団 と して と らえ よ う と して い る の で あ る 。

  しか し以 上 の よ うな 資 料 的 限 界 を み こ む と し て も,な お そ の 数 値 は 過 去200年 の ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 激 し い 人 口 の 変 動 の 様 子 は 十 分 よ み と る こ と が で き る で あ ろ う。

B.  人 口変 動 の 歴 史

  オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジ ニの 人 口変 動 を 時 代 的 に概 観 す る と大 き く三 期 にわ け る こと がで きる。 第 一 期 は オ ース トラ リァが 植 民 地 化 さ れ る前 の先 史 お よ び原 史 時 代 の 自然 増 加 期,第 二 期 は1788年 か ら1920年 代 ま で の 激 減期,第 三 期 は1920年 代 か ら現代 (1981年)に み られ る回 復 期 で あ る。 以下,各 期 に 特徴 的 な変 動 曲線 を 中心 にの べ る

こ とに す る。

  1.  自 然 増 加 期(35,000年 前 一1788年)

  オ ー ス ト ラ リア 大 陸 に は 少 な く と も35,000年 前 に ア ボ リ ジ ニ の 祖 先 と 目 さ れ る 人 類 が 存 在 して い た[KIRK  l  981]。 そ の 後,彼 ら は 採 集 経 済 の 段 階 に と ど ま り な が ら, 大 陸 の 変 化 に とん だ 環 境 に 適 応 して い っ た 。 イ ギ リス の 植 民 が は じ ま っ た1788年 の 時 点 で の 人 口 を ラ ド ク リフ ・ブ ラ ウ ン は 約251,000と 推 定 して い る 。 大 陸 全 体 の 人 口 密 度 は0.03人/km2で あ る 。 し か し こ の 値 は 当 時 の 人 類 学 会 の 第 一 人 者 で あ る ラ ド ク リ フ ・

ブ ラ ウ ン の 学 識 経 験 か ら く る も の ら し く,推 定 の 根 拠 お よ び 詳 細 は つ ま び ら か で は な い 。 こ れ に 対 し テ ィ ン デ ー ル[TINDALE  l960]は,領 域 数 と 部 族 数 の 平 均 か ら約30 万 と い う人 口 を 割 り 出 し て い る 。 テ ィ ン デ ー ル の 部 族 地 図 に よ る と ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 州 か ら,ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ 州 の 海 岸 線 に そ っ て は し る 東 部 大 分 水 嶺 山 脈 の 森 林 地 帯 や 北 部 海 岸 地 帯 は 密 度 が 高 く,中 央 砂 漠 部 で は 低 い な ど 地 域 の 環 境 に よ っ て 大 き な 差 が み られ る(図1,表2)。

  ア ボ リ ジ ニ は 単 に 自 然 環 境 に 適 応 す る の で は な く,火 を 放 っ て 森 を 焼 き ひ ら き生 産

力 を あ げ る と い う驚 くべ き技 術 を も っ て お り,今 日 の 砂 漠 や 北 部 海 岸 地 帯 の 疎 開 林 な

ど の 環 境 は そ の 結 果 に ほ か な ら な い と い う こ とが わ か っ て い る[JONEs  l969]。   し

か し,考 古 学 資 料 に み ら れ る 物 質 文 化 の 発 達 お よ び 変 化 は ほ と ん ど な い 。 た と え ば こ

の 大 陸 に は 弓 矢 は つ い に あ ら わ れ る こ と が な か っ た 。 こ れ は 後 氷 期 に オ ー ス トラ リ ア

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国立民族学博物館研究報 告   13巻1号

図1  オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジニ の部 族 領 域

大 陸 が成 立 して以 来 他 地域 との文 化 的 な交 流 が ほ とん どみ られ な い とい う孤 立化 が そ の も っと も大 き な原 因 の 一 つ で あ ろ う。

  先 史 時 代 の 人 口量 や動 態 につ い ての 実 数 は も ち ろん 求 む べ くもな い が,遺 跡 数 か ら の 推 算 お よ び シ ミュ レ ー シ ョ ンモ デル に よ る復 元 方 法 が あ る[KOYAMA  l978;小 山

・杉 藤  1984]。  しか し前 者 の 方 法 は オ ース トラ リア の遺 跡 発 見 数 が未 だ少 な く,後

表2ア ボ リ ジ ニ の 部 族 と 人 口

部 族数 推 定 部族人 口

ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ

ビ ク ト リ ア

ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 南 オ ー ス ト ラ リ ア 西 オ ー ス ト ラ リ ア ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー 全 オ ー ス ト ラ リ ア

61 27 200 43 126 114 571

40,000 11,500 100,000 10,000 52,000 35,000 248,500

656 426 500

̀233

413

307

435

[TINDALE  1960],[RADcLIFFE‑BRowN  1930b],[JoNEs  1970]に よ る 。

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小 山    オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジ ニ社 会 再 編 成 の人 口 論 的 考 察

者 の 方 法 も ダ イ ナ ミ ッ ク モ デ ル の 構 成 の た め の 資 料 が 不 足 して お り,数 式 に よ る ス タ テ ィ ッ ク ・モ デ ル を つ か っ た シ ミ ュ レ ー シ ョ ン だ け が 可 能 で あ る 。

  技 術 レ ベ ル が 低 く,他 文 化 か ら の 刺 激 の ほ とん ど な い 採 集 社 会 で は 人 口 の 動 態 は 長 い 年 月 の な か で ゆ っ く り と 増 加 し,自 然 環 境 のcarrying  capacityと の 均 衡 状 態 が で き あ が っ た あ と 停 滞 す る 単 純 な ロ ジ ス テ ィ ッ ク 曲 線 を つ く る こ と が 予 想 さ れ る3)。 そ の モ デ ル に つ い て は 考 古 学 情 報 か ら次 の よ う な 制 限 要 因 を 付 す る こ と が で き る 。   オ ー ス トラ リ ア 大 陸 の 地 形 は 氷 河 期 以 来 変 化 が 大 き か っ た が,沖 積 層 の 形 成 を ふ く

め 現 在 の か た ち に ち か くな っ た の は 約6,000年 前 の 海 進 期 の ピ ー ク以 後 の こ と で あ る 。 そ して そ のcarrying  capacity(K)は ラ ドク リ フ ・ブ ラ ウ ンや テ ィ ンデ ー ル め 数 値 か ら30‑25万 人 あ た りで あ る と考 え られ る。 ま た オ ー ス トラ リア 大 陸 に,現 代 ア ボ リ ジ ニ の 物 質 文 化 に つ な が る ふ た つ のAustralian  Small  Tool  Traditions(中 央 部 の ポ イ ン ト文 化 お よ び 南 部 の バ ッ ク ドブ レ イ ド 文 化)が 定 着 した の が 約5,000年 前 で あ る[MULVANEY  l975]。

  そ こで35,000年 前 に20人 の 集 団 が あ り,そ れ が 順 調 に の び て,約5,000年 前 に carrying  capacityに ち か づ い た と仮 定 して 年 率 を シ ミ ュ レ ー トす る と0.0004の 年 増 加 率 で1788年 と ほ ぽ 同 じ人 ロ レ ベ ル に達 す る計 算 に な る  (図2)。 ち な み に こ れ は 日 本 の 縄 文 時 代 早 期 か ら前 期 に か け て の 九 州 地 方 の 人 口 増 加 率 と ほ ぼ 同 じで あ る 。 よ く 発 達 した 旧 石 器 時 代 的 社 会 の 人 口増 加 率 と い え る よ うで あ る 。

図2先 史 時 代 の 人 口 曲 線

3)N(t)  ==Kl(1十(K/IV(to)‑1)*e‑「(卜'o》)

  N(to),初 期 人 口 値;Nω,  t時 間 後 の 人 口 量;彦,時 間;r,人 口 増 加 率(減 少 率);e,自 然 対 数

  の 底,K,  carrying  capacity

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国立民族学博物館 研究報告  13巻1号

  2.  崩 壊 期(1788年 一1921年)

  1901年 の 統 計 は オ ー ス ト ラ リア 政 府 に よ る 第 一 回 の 人 口 調 査 の 結 果 で あ る が,前 述 した 資 料 的 な 欠 陥 を 考 慮 して も 実 数 は も と の 人 口 の 約20%に す ぎ な い。 年 増 加 率 で は マ イ ナ ス1%と い う す さ ま じ い 崩 壊 ぶ りで あ る(図3)。

  人 口 変 化 を 地 域 別 に み て い く と も っ と も 目 に つ くの は タ ス マ ニ ア 島 で,1963年 に 純 血 の 原 住 民 が 全 滅 して い る 。 開 拓 が は じ ま っ て か ら80年 た らず の 期 間 で あ っ た 。 タ ス マ ニ ア で は 最 初 の 四 半 世 紀 の う ち に利 用 可 能 な 土 地 が ほ と ん ど 農 牧 地 に か え ら れ,逃 げ 場 の な い 小 さ な 島 の 狩 猟 採 集 民 は 急 速 な 滅 び の 道 を 歩 ん で い っ た の で あ る。

  本 土 に く らべ 開 発 が お くれ た タ ス マ ニ ア(Van  Diemen's  Land)で は 立 法 に よ り開 拓 の た め に 自 由 人1人 あ た り5人 の 囚 人 を つ け られ,労 働 力 は 充 分 で あ っ た 。 そ の た め 他 州 の よ う に 原 住 民 を 労 働 力 と し て くみ こ む 努 力 が さ れ る こ と な く,開 拓 者 は 原 住 民 の 食 糧 獲 得 の 場 を 奪 う に と ど ま ら ず,み れ ば そ の 場 で 撃 ち 殺 す と い う害 獣 と 同 じ扱 い を した 。 タ ス マ ニ ア で の 開 拓 者,囚 人,軍 隊,警 察 な ど に よ る 集 団 虐 殺,暴 行,環 境 破 壊 な ど の 記 録 は お び た だ し い[RYAN  1981;MILLER  1985]。

  こ れ に 対 し原 住 民 に 加 え ら れ た 保 護 の 記 録 と し て は1831年 頃 か ら生 き残 り の 原 住 民 を 集 め て,ブ リ ン ダ ー ス 島 な ど の 小 さ な 島 に 保 護 区 を つ く り,そ こ に 強 制 的 に 移 す 作 業 が あ っ た 。 しか し そ こ で の 生 活 条 件(と く に 衛 生 面)は 極 端 に わ る く,病 に た お れ る も の が 相 つ い だ 。 こ の 間,残 余 の タ ス マ ニ ァ 人 の 数 の 記 録 を つ な い で み る と1831年 203人,1835年 約130入,1838年 約80入,1843年50人 余,1847年40人 余 と み え,年 々 そ の 数 が 着 実 に 減 少 して い る様 子 が わ か る 。 そ して1863年,最 後 の 純 血 タ ス マ ニ ア 人 で

図3  ア ボ リジ ニの 州別 人 口変 動(1781‑1921年)

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小 山   オー ス トラ リア ・ア ボ リ ジニ社 会 再 編成 の人 口論 的 考 察

あ る老 女 タ ル ガ ニ ー 二 が死 亡 した の で あ る 。

  一 方,本 土 で も 開 拓 の 進 行 は タ ス マ ニ ア 以 上 に 早 い速 度 で 進 行 して い た 。 ア ボ リ ジ ニ 人 口 の 減 少 は1920年 代 ま で つ づ く。 州 別 に み る と,開 拓 の 先 進 州 で あ る ビ ク ト リア 州 は ほ ぼ 全 滅 状 態 で95%減(実 損34,000人),ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ 州 で は85%減(実 損100,000人),ク ィ ー ン ズ ラ ン ド州 は85%減(実 損850,000入,減 少 の 比 率 は も っ と

も高 い)と い う激 減 ぶ り で あ る。 つ い で 南 オ ー ス ト ラ リァ 州 は,73%減(実 損7,259 人),西 オ ー ス ト ラ リア 州 は66%減(実 損34.329人)が あ り,比 較 的 に 少 な い の は ノ

ーザ ン テ リ ト リ ー の34%減(実 損17 ,000人,そ れ で も 比 率 と して は タ ス マ ニ ア と ほ ぼ 同 じ で あ る)で あ っ た 。

  残 存 人 口 数 は そ の 母 数 と後 背 地(農 業,牧 畜 に 適 さ な か っ た 地)の 大 き さ と相 関 が つ よ い よ う だ 。 実 損 価 の 高 い ニ ュ ー サ ウス ウ ェ ル ズ,ク ィ ー ン ズ ラ ン ド両 州 の ア ボ リ

ジ ニ 人 口 が あ る 程 度 残 っ た の に く らべ,タ ス マ ニ ア や ビ ク ト リア 州 で は ア ボ リジ ニ が ほ ぼ 全 滅 す る事 実 は も と も と母 数 が 少 な い こ と の 上 に,島 と か 狭 い 平 地 と い う地 理 的 環 境 が 大 き く原 因 して い る。

  3.  回 復 期(1921年 一 現 在)

  ア ボ リジ ニ の 人[コは1920年 代 か らふ た た び 増 加 期 に は い る 。 全 体 の 増 加 の 様 子 は 1960年 ま で 年E$O.  01%の ゆ っ く り した 増 加 で あ っ た 。 しか しそ の 後 は 急 速 な 伸 び に な

っ て81年 に い た る(図4)。

  州 別 に み る と そ の 傾 向 が も っ と も激 し くあ らわ れ て い る の が ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ

州,ク ィ ー ン ズ ラ ン ド州,西 オ ー ス ト ラ リ ア 州 で あ る 。 ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ 州 で は

1921年 か ら81年 ま で の60年 間 に 人 口 量 は6.・2倍に 増 え る が,40年 代 ま で や や 高 い伸 び,

そ の 後,60年 代 ま で 伸 び は 停 滞 気 味 だ が80年 代 に む か っ て 急 増 す る 。60‑80年 代 の ク ィ

ー ン ズ ラ ン ド州 も ほ ぼ 同 様 の 曲 線 を し め す が ,こ の 州 の 北 部 は ヨ ー ク半 島 を 中 心 と し

た 都 市 化 して な い ア ボ リ ジ ニ の 多 い 地 域(1961年 の 統 計 でfull‑blood約30%)が あ り,

人 口 の 母 数 が も と も と大 き い た め 実 質2万 の 増 加 だ が,率 と して は ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ

ル ズ 州 ほ ど で は な い 。 西 オ ー ス ト ラ リ ア 州 は20年 代 か ら伸 び た 人 口 が40年 代 か ら60年

代 に か け て 減 少 す る 。 そ の 原 因 は1949年 の 推 定 数 が 大 き す ぎ た た め だ と 言 わ れ て い る

[JoNEs  1970]。66‑81年 の 伸 び は 年 率3.4%(実 質1.2万 人)と 前 二 者 ほ ど で は な い 。

南 オ ー ス ト ラ リア,ビ ク ト リア 州 は20年 代 の 母 数 が 小 さ い た め か 増 加 率 の 伸 び が 低 調

で あ る。 し か し ビ ク ト リア で は 約16倍(実 質8,500人 増)と い う大 き な 増 加 で,倍 率 で

は ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェル ズ 州 を 上 回 って い る 。

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国立民族学博物館研究 報告  13巻1号

図4  ア ボ リジニ の州 別 人 口変動(1921‑1981年)

皿.ア ボ リジ ニ社 会 の崩 壊 と復 興

A.  崩 壊 の 要 因

  ア ボ リジニ 社 会 の 崩壊 は格 段 に社 会 エ ネル ギ ーの 高 い西 洋 文 明 との 接触 の結 果 で あ った こ とは 明 白 で あ るが,問 題 は ア ボ リジニ 側 に も存 在 して いた。 そ の第 一 の原 因 は 彼 らの 社 会 の規 模 の 小 さ さ と組織 の脆 弱 さで あ る。 イ ギ リス の 植 民 地政 策 は 前代 の ス ペ イ ン,ポ ル トガ ル な どの征 服 政 策 の よ うに単 な る暴 力 的 支 配 を め ざ した もので はな か った 。 た と え ば北 ア メ リカ の植 民 政 府 は原 住 民 側 と使 用 地 につ いて借 款 契 約 を かわ す こ とか らは じめ て い る。 ア メ リカ東 海 岸 の イ ロ コ ワ族 の 場合 は,部 族 連 合 の上 にた つ 酋 長 会 議 が そ の 機 関 とな った。 イ ロ コワ族 は堅 固 な 焼 畑農 業 経 済 の 基盤 を も って い た た め人 口 量 が 多 く,階 級 制 ま で あ る発 達 した社 会 で あ った 。

  これ に対 し狩猟 採 集経 済 の ア ボ リジニ社 会 の 基 本 的生 活 単位 は数 家 族,数 十 人 の ホ

ル ドで,そ れ が 集 ま って100〜2,000人 の 規 模 の 部 族 を つ くるの だ が,部 族 は む しろ言

語 集 団 とい うべ き も の で,政 治 的 な ま とま りを もつ もので は なか った 。 した が って

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小 山  オ ー ス トラ リア ・ア ボ リ ジニ社 会 再 編 成 の人 口論 的 考 察

植 民 地 政 府 に対 応 した の は ホ ル ドの規 模 を 出 な い小 さな 集 団 で あ り,そ の リーダ ー も egalitarianの 原 則 で 選 び だ され た個 人 で あ り,世 襲 制 にみ られ るよ うな時 間 的 な連 続 性 を もつ リーダ ーは な か った。 しか も,彼 らの 土 地 所 有 権 は ホ ル ドの成 員 の うち幾 人 か の 共 同 所 有 物 で あ って リーダ ー個 人 の も ので はな い。 そ の た め 土 地 に 関す る同意 や 契 約 が 取 りか わ され た と して もそ の受 け手 が不 明 確 な まま,開 拓 民 の利 潤 追 及 だ け に導 か れ るか た ちで 開拓 が進 行 して い っ たの で あ る。

  第 二 に 狩猟 採 集 民 は食 資源 に対 して もつ 独 特の パ タ ー ンが あ る。彼 らは資 源 が豊 富 に産 す る土 地 に 集 ま り,そ の供 給 が充 分 で あ るか ぎ りそ こに滞 在 す るが,ふ つ うの状 態 で は 季 節 的 な変 動 が あ り,期 間 的 に も短 い。 と こ ろが 開拓 者 の キ ャ ンプ や ミ ッ シ ョ

ンの セ ッル メ ン トに は小 麦 粉,砂 糖,茶,牛 肉,衣 料 の ほか彼 らの も っ と も好 む タバ コ とア ル コー ル ま で が ほ ぼ常 時 存 在 す る。 白人 の所 在 地 は彼 らに と って も っと も豊 か な狩 場 で あ り採 集 地 に ほ か な らなか った の で あ る。 そ の 結果 彼 らは本 来 の 活 動 を や め fringe  dwellerと して 充 足 す る こ と にな り,そ の た め放 置 され た狩 場 や 採 集 地 の 生 態 系 は 乱 され,生 産 力 が お ち る と い う悪 循 環 が で きあ が る。 しか も食 糧 が経 済 その もの で あ るた め,彼 らの社 会 で は食 糧 が 他 の どん な もの に もか え難 い もの で,も とも と個 人 所 有 の 明確 で な い土 地(近 代 的 な土 地所 有権 とい う意 味 で)と 一 食 を簡 単 に交 換 し

て しま う こと さえ あ った の で あ る。

  第 三 に ア ボ リジニ の 財 に対 す る特 異 な観 念 が あ る。 彼 らは獲 物 を ホル ドの な か で 分 配 す る こと が原 則 で,資 本(Capital)蓄 積 の概 念 が な い。 ま た交 換 は互 酬 性(reci‑

procity)に も とつ く間 接 的(indirect),あ る い は遅 延 的(delayed)な もの で 白人 の貨 幣経 済 の 直 接 的(direct),即 時的(immediate)交 換 には 実 質 的 に も心 理 的 に も適 応 で きな か った の で あ る。

  最 後 に も っ と も致 命 的 で あ った の は,狩 猟 採 集 社 会 人 口が 食 資 源 の 量 に対 して な る べ く低 くお さ え られ て い る とい う人 口的 要 因 で あ る。 そ れ に もか か わ らず 人 口量 は気 候変 動 や災 害 の場 合食 資 源 が激 減 して しば しばcarrying  capacityが 下 が り人 口 量 が そ れ を こえ る傾 向 が あ る。 人 口量 がcarrying  capacityを こえ た場 合,極 端 に栄 養 状 態 が わ る くな り,病 気 に対 して抵 抗 力 が よわ くな る。 そ の た め開拓 民 が も ち こん だ 彼 らに未 経 験 の(免 疫 の な い)結 核,は しか,天 然 痘,梅 毒 な どの 流 行性 の感 染 症 が 猫 獄 を きわ め,人 口が 大 きな 損 傷 を うけ る こ とに な った の で あ る。

B.  人 口 増 加 へ の プ レ コ ン デ ィ シ ョ ン  人 口増加

1921年 の 統 計 で ア ボ リ ジ ニ 人 口 は 最 低 値 を し め す 。 つ ま り1910年 代 の 後 半 か ら20年

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国立民族学 博物館研究報告  13巻1号 代 前 半 の 期 間 は オ ー ス ト ラ リア 大 陸 で ア ボ リ ジ ニ と い う 人 種 が 絶 滅 す る か 再 生 す る か の わ か れ め(critical  phase)だ っ た と い え る。 事 実 こ の 頃,一 般 的 オ ー ス トラ リア 人 は ア ボ リ ジ ニ は ダ ー ウ ィ ン の 進 化 論 の"自 然 淘 汰"の 法 則 に よ り 消 滅 す る の で そ れ も し か た が な い と 考 え て い た よ う だ 。 し か し1921年 以 降 人 口 は 急 速 に 回 復 に む か っ た 。 と い う こ と は,ア ボ リ ジ ニ 人 口 の 崩 壊 を お し と ど め る よ う な 外 的,内 的 条 件 が この 頃 で き あ が っ た と 考 え て よ い だ ろ う。

  1.  外 的 要 因

  プ レ コ ンデ ィ シ ョ ン の う ち 外 的 な も の と し て ア ボ リ ジ ニ 保 護 の た め の 政 策 が と と の っ て きた こ と を 考 え る こ と が で き る 。 イ ギ リス の 植 民 地 統 治 政 策 は原 住 民 も英 国 王 の 臣 民 と して の 権 利 を も ち 保 護 を う け る 資 格 を あ た え て い た 。 原 住 民 を 入 植 者 の 労 働 力 と して くみ 入 れ,文 明 と宗 教(キ リス ト教)を 習 得 さ せ る と い う 名 目 が あ っ た の で あ る 。 し た が っ て,植 民 地 の 総 督(governor)は 実 際 的 に も 潜 在 的 に も原 住 民 の 英 国 民

と し て の 権 利 に 対 す る 信 託 統 治 の 最 高 責 任 者(trustee)と 定 め ら れ て い た 。

  た だ し そ れ は"た て ま え"で,ま ず 優 先 さ れ る の は 入 植 者 の 人 権,財 産,信 条 で あ り,そ れ が 危 険 に さ ら さ れ た 場 合 は こ れ を 守 る 義 務 が あ る 。 た だ し こ の 「危 険 」 の 定 義 は あ ま り に 簡 略 に か か れ て い た た め,そ の 運 用 に つ い て は ど の よ うな 解 釈 も 可 能 で あ っ た 。 入 植 者 の 原 住 民 に 対 す る 掠 奪,殺 人 な ど の 暴 力 が 許 容 さ れ た 要 因 は こ こ に あ る 。

  し か し法 的 に 定 め られ た ア ボ リ ジ ニ 保 護 の 措 置 は 後 手 に ま わ りな が ら も 次 第 に 整 備 さ れ て い っ た 。 た とえ ば1836年 か らは 各 州 の 警 察 長 官 が ア ボ リ ジ ニ 保 護 官(protector ofAborigines)と して 任 命 さ れ て い る 。 ま た,翌37年 に は 原 住 民 委 員 会(Select  Com‑

mittee  on Aborigines)カsつ く ら れ て い る 。 こ の 委 員 会 は こ の 頃 よ う や く明 らか に な っ て き た ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 惨 状 に 目 を む け,ア ボ リ ジ ニ に つ い て 警 察 に よ る 統 治 を や め て,ミ ッ シ ョ ナ リー を 保 護 者 と し,彼 ら の 領 地(狩 猟 場)を 保 全 し,(学 校 を つ く っ て)子 供 を 教 育 して,ア ボ リ ジ ニ の 文 明 化 を す す め る べ き で あ る と い う意 見 を 答 申 して い る。

  し か し,そ の 結 果 が で る の は1857年 以 後,各 州 で 保 護 官(protector)が 廃 さ れ, Commission  of Crown  Lawが つ く られ た 時 か ら で あ る 。 こ れ に よ っ て ア ボ リ ジ ニ 保 護 は 警 察 の 暴 力 支 配 か ら は な さ れ,人 道 主 義 的 な ミ ッ シ ョ ン の 手 に う つ る き っ か け が つ く られ た の で あ る 。

  ミ ッ シ ョ ン が ア ボ リ ジ ニ 統 治 の 責 任 者 と な る と い う 政 策 の 背 景 に は な が い キ リ ス ト

教 団 体 の 活 動 の 結 果 が あ っ た 。 原 住 民 の キ リ ス ト教 化 は 植 民 地 づ く り の 大 き な 理 由 の

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小 山   オ ー ス トラ リア ・ア ボ リジニ社 会 再 編 成 の 人 ロ論 的考 察

一 つ で あ っ た た め ,キ リ ス ト教 会 は 植 民 地 の 開 始 と と も に オ ー ス トラ リ ア に 入 っ て い る 。 し た が って 原 住 民 の 教 化 の 努 力 も そ の 時 点 か らは じ ま っ て お り,1827年 に は ア ボ リ ジ ニ へ の 伝 道 を 目 的 と す るChurch  Mission  Societyが つ く ら れ て い る 。 初 期 の ミ ッ シ ョ ン の 活 動 を ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ 州 で み る と,1824年 パ ラ マ ッ タ で ア ボ リ ジ ニ 用 の 学 校 が で き,1833年 リバ プ ー ル で35校,生 徒1,200人 が い た な ど の 記 録 が あ る。

  1839年 に は 最 初 の ア ボ リ ジ ニ の た め の バ ン テ ィ ン デ ー ル ・ミ ッ シ ョ ン(Buntindale Mission)が 設 立 さ れ,1840年 代 か ら は へ き 地 に ミ ッ シ ョ ン を た て る こ と が さ か ん に な っ た 。 各 地 の ミ ッ シ ョ ンか らの 報 告 が 集 ま り は じ め る と ア ボ リ ジ ニ 社 会 が い か に 悲 惨 な 状 態 に あ る か が 明 ら か に な っ て き た 。 ミ ッ シ ョ ン は そ の 周 辺 に 保 護 地 区 を つ く っ て 白 人 を 排 除 し,農 業 や 牧 畜 を 導 入 し て ア ボ リ ジ ニ の 自 立 を め ざ す と い う活 動 を 展 開

して ゆ くの で あ る 。

  こ の よ う な ミ ッ シ ョ ン 活 動 は キ リス ト教 徒 を 中 心 と す る 都 市 部 の 中 流 層 イ ン テ リ に ア ボ リ ジ ニ 保 護 を 求 め る人 道 主 義 運 動 を ひ き お こ し た 。 一 方,オ ー ス ト ラ リア の 人 類 学 も こ の 頃 よ う や く 学 問 的 体 系 と 組 織 が と と の って き た 。 人 類 学 者 は ア ボ リ ジ ニ 社 会 に 入 っ て 生 活 を 共 に す る こ と が 多 い 。 そ の 経 験 か ら物 質 文 化 に と ぼ し く,そ れ が 未 開 劣 等 と い う イ メ ー ジ に 重 な る彼 ら の 社 会 が 親 族 組 織 や 神 話,絵 画,彫 刻 な ど は 特 異 で は あ る が 高 度 な 発 達 を み せ て い る こ と を 知 っ た 。 ま た ア ボ リ ジ ニ の 生 活 は 自 然 と調 和 の と れ た 合 理 的 な も の で あ る こ と を 発 見 し た 。 そ の 結 果 ア ボ リ ジ ニ の も つ ゆ た か な 人 類 の 文 化 遺 産 を 絶 滅 さ せ て は な ら な い の だ と い う世 論 に う っ た え た の で あ る。

  キ リ ス ト教 徒 と人 類 学 者 が つ く り あ げ た 世 論 の 最 大 の 業 績 は 当 時 ま だ 白 人 との 接 触 が す す ん で い な か っ た ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー を 連 邦 政 府 の 直 轄 地 と し(1863年),そ れ に よ っ て 他 州 で の 歴 史 の 轍 を ふ む こ と を 防 い だ こ と,ア ー ネ ム ラ ン ド,中 央 砂 漠,キ ン バ レ ー 地 方 の 大 保 護 区(Reserve)を 設 立 させ た(1920年)こ と が あ げ られ る だ ろ う 。 そ れ は メ ル ボ ル ン で 開 か れ た 進 歩 的 政 治 家,教 会 指 導 者 お よ び リ ン ネ 学 会 員 な ど で 構 成 さ れ る オ ー ス トラ リ ア ・ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド科 学 振 興 会 議(Australian  and  New Zealand  Association  for the Advancement  of Science)の 勧 告 に も と つ く も の で

あ った 。 白 人 と の 接 触 が ま だ 浸 透 す る 前 の ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー と西 オ ー ス トラ リ ア州 に 広 大 な 未 撹 乱 の 地 と そ こ に あ る伝 統 的 ア ボ リ ジ ニ 社 会 を 法 律 に よ っ て 残 した こ と は そ の 後 の ア ボ リ ジ ニ の 人 口 と 文 化 の 復 興 へ の 大 き な 礎 と な った の で あ る。

 2.  内 的 要 因

  つ ぎ に内 的 な 条 件 を考 え て み よ う。 あ る グル ープ の 人 口が 順 調 に増加 して い る時,

そ の グル ープ の人 口構 成 は堅 固 で質 が高 い こ とが予 想 され る。 具体 的 に 出産 適 齢 期 の

(17)

国立民族学博物館研究報告  13巻1号

女 子,お よ び そ の 予 備 層 の 充 実 で あ る 。 グ ル ー プ の 年 令 コ ー ホ ー ト図 を つ く る 時,若 年 層 ほ ど 大 き い い わ ゆ る ピ ラ ミ ッ ド型 が 理 想 的 で あ る 。

  1921年 を 境 に上 昇 に む か っ た 入 口 の 動 態 は"普 通 程 度 の(moderate)増 加"を し め す と 評 価 で き る。 しか し そ れ を"純 血 ア ボ リ ジ ニ(full‑blood)"と"混 血 ア ボ リ ジ ニ(half‑caste)"と い う カ テ ゴ リー に 区 分 して み る と,1961年 の 時 点 で,前 者 は20〜25

%程 度 の 減 少 で あ る の に 対 し後 者 は238%と い う大 き な 増 加 で あ っ た[JoNEs  I970]。

こ の 事 実 は い わ ゆ る混 血 ア ボ リ ジ ニ が 「増 加 に む か う 条 件 を そ な え た ポ ピ ュ レ ー シ ョ ン グ ル ー プ 」 と して1920年 前 後 に 成 立 した こ と を し あ して い る 。 混 血 ア ボ リ ジ ニ は, 保 護 区 のful1‑bloodア ボ リ ジ ニ の よ う に,政 府 の 保 護 を加 え られ る こ と な く,白 人

と の 接 触 の 結 果 自 然 に 成 立 し,そ の ま ま み す て ら れ た か た ちで 社 会 経 済 的 に 白 人 社 会 の 最 下 層 部 に く み 入 れ ら れ て い っ た 。

  混 血 集 団 は 単 一 民 族 と し て の 集 団 的 拘 束 力 が な く,他 の 民 族 集 団 と の 間 の 婚 姻 と 再 生 産 の わ くが と り払 わ れ て お り,実 態 の 把 握 が 困 難 で あ る 。 と く に ア ボ リ ジ ニ の 場 合 は 人 種 差 別 と い う 社 会 的 制 限 が つ よ く働 い て い た 。 そ の た め セ ン サ ス の 実 数 が し ば し ば 大 き く ず れ る の で あ る 。 都 市 部 の ア ボ リ ジ ニ が 混 血 集 団 で あ り,非 都 市 部 の ア ボ リ ジ ニ 社 会 が そ うで は な い と い う 「経 験 的 に 明 ら か な 事 実 」 を 証 明 す る たtoに 以 下 の 検 定 を お こ な う こ と に す る 。

  1961年 セ ン サ ス で は 居 住 区 に つ い て 都 市(urban),非 都 市(rural)の 項 目 が あ る 。 そ こ で(full‑blood  Aborigines),(part‑Aborigines)を 都 市,非 都 市 に 細 分 し,各 州 で の 純 血 対 混 血(混 血 率)お よ び 非 都 市 対 都 市 の 比 率(都 市 化 率)を 取 る(表3)。 つ ぎ に 両 者 の 相 関 を 求 め る と相 関 系 数 はr=0.9と 高 く,混 血 ア ボ リ ジ ニ の 集 団 が 都 市 部 で 成 立 し て い る こ と を し め す 。

  混 血 ア ボ リ ジ ニ の 年 令 構 成 に つ い て1961年 の セ ン サ ス に も とつ い て ジ ョ ー ン ズ は 全 オ ー ス ト ラ リア(All  Australian),ア ボ リ ジ ニ(Aboriginal),混 血 ア ボ リ ジ ニ(half一

表3  ア ボ リジニ の 分類 と住 居 区域 の比 率

Full/Part Rural/Urban

ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー 西 オ ー ス ト ラ リ ア ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 南 オ ー ス ト ラ リ ア

ビ ク ト リ ア

ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ー ル ズ

6.66 1.00 0.79 0.78 0.16 0.11

8.51

5.34

2.78

3.11

1.11

1.55

[RowLEY  1970:376,  Table  2,3】 に よ る 。

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小 山  オース トラ リア ・アボ リジニ社会再編成の人口論的考察

        表4  ア ボ リジニ お よ び オー ス トラ リア人 の年 令 構 成 年 齢 集 団(歳)

0‑一一14 15‑‑29 30‑44 45‑一一59 60十

  計 年齢 中央値

Half-Caste Aboriginal All Australian

51.1 24.0 14.0   7。2   3.7 100. 0

19.6

38.2 24.2 18.5 11.4   7.7 100.0

22.6

30.2 20.6 20.8 16.1 12.3 100.0 29.4 [JONES  1970]に よ る 。

caste)人 口 の 年 令 構 成 の 対 比 表 を つ く って い る(表4)。 こ れ に よ る と オ ー ス ト ラ リ ァ全 体 の 人 口 構 成 は 若 年 層 の 比 率 が 低 く,高 年 令 層 が 高 い細 長 い 三 角 型 を つ く る の に 対 し,混 血 ア ボ リ ジ ニ で は 若 年 層 の 比 率 が 高 く,年 令 が あ が る に し た が っ て 率 が 小

さ くな る す そ の ひ ろ い ピ ラ ミ ッ ド型 を と る。ア ボ リ ジ ニ 全 体(half‑casteとaborigina1 の 合 計)の 年 令 構 成 の 比 率 は 中 間 的 だ が 型 は ピ ラ ミ ッ ドに ち か い 。 オ ー ス ト ラ リア は 全 体 と し て は 成 長 率 の 低 い先 進 国 型 で あ る の に 対 し,混 血 ア ボ リ ジ ニ は 典 型 的 な 途 上 国 型,あ る い は 先 進 国 の な か の マ イ ノ リ テ ィ 集 団 に 特 徴 的 な か た ち に な っ て い る 。 さ ら に ロ ウ リ ー は1965年 これ に 対 す る 追 跡 調 査 を ニ ュ ー サ ウ ス ウ ェ ル ズ 州 の 小 さ な 町 の 183世 帯 と 南 オ ー ス トラ リァ 州 の エ ア 半 島62世 帯 に つ い て お こ な っ て い る。前 者 は15才 以 下55.8%,後 者56.3%で 混 血 ア ボ リ ジ ニ 集 団 は 人 口 学 的 に み る と な お 成 長 中 だ と考 え て い る[RowLEy  l970:386‑388]。

IV‑.伝 統 的 ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 変 容       ノー ザ ン テ リ トリー の歴 史

A.  開 拓 の 時 代

  ノ ーザ ン テ リ ト リー は ア ボ リ ジ ニ の 人 口 の 動 態 が 他 の 州 と異 な る 。 変 化 の か た ち は 同 じ で あ る が,タ イ ミ ン グ に約30年 の ズ レ が あ る 。 こ の 地 域 はful1‑bloodあ る い は rura1型 の ア ボ リ ジ ニ 人 口 が 卓 越 して い る と い う特 徴 を も つ,つ ま りそ れ は 伝 統 的 な ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 残 る 場 所 な の で あ る 。 こ の 章 で は ま ず ノ ーザ ン テ リ ト リ ー で の 歴 史 的 変 化 を と りあ げ る 。

  オ ー ス トラ リ ア の 開 拓 は 農 業 ・牧 畜 を 中 心 に 基 本 的 に は 南 か ら北 へ の 伸 長 と い う か

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国立民族学 博物館研究報 告  13巻1号 た ち で お こ な わ れ た 。 ノ ーザ ン テ リ ト リ ー は 大 陸 最 北 部 に あ る 遠 隔 の 地 で,開 拓 線 の 到 達 が お くれ た 。 熱 帯 下 に あ る北 海 岸 部 や 乾 燥 度 の つ よ い 中 央 砂 漠 は 農 業 牧 畜 に と っ て 環 境 条 件 が わ る く入 植 者 に は 興 味 の うす い 地 で あ った た め で あ る。

  ノ ーザ ン テ リ ト リー の 開 拓 は,英 国 人 に よ っ て 海 岸 線 を 中 心 に は じ め られ た4)。 イ ン ドネ シ ア,シ ン ガ ポ ー ル 方 面 と の 貿 易 拠 点 港 を つ く る た め に 軍 隊 を 送 り こ み 同 時 に, 農 地 を ひ ら い て 自 立 し よ う と し た の で あ る 。 そ の は じ ま り は1820年 代 で,メ ル ビ ル 島

の ダ ン ダ ス 砦(Fort  Dundus  1824‑29年),コ バ ー グ 半 島 の ウ ェ リ ン ト ン砦(Fort Wellington  1827‑29年),エ ッ シ ン ト ン港(Port  Essington  1837‑49年)な ど が つ

く られ た が な が つ づ き す る こ と な く放 棄 さ れ て い る 。

  い ず れ も ア ボ リ ジ ニ の 襲 撃,サ イ ク ロ ン,船 の 難 波 に よ る補 給 の と だ え,や せ た 土 地 と きび し い気 候,マ ラ リア の 蔓 延 な ど の 悪 条 件 が 重 な っ た か ら で あ る 。 し た が っ て こ の 間 イ ギ リス 人 が 残 し た も っ と も大 きな 功 績 は チ モ ー ル 諸 島 か ら水 牛 を も ち こ ん だ こ と ぐ ら い だ と い わ れ て い る 。 水 牛 は 野 生 化 して 現 在 ア ー ネ ム ラ ン ドの 風 物 詩 と な る と と も に ア ボ リ ジ ニ の 貴 重 な 食 資 源 と も な って い る 。

  ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の 本 格 的 な 開 発 は オ ー ス トラ リ ァ 人 に よ っ て 陸 路 か ら お こ な わ れ た 。1840年 代 の 中 ご ろ か ら 内 陸 地 方 の 探 険 が 活 発 に な り,Leickhardt(1844‑45年;

ロ ー バ ー 河 か ら西 進 して エ ッ シ ン ト ン港 へ)を は じ め と して,Greogry(1855‑56年;

グ レ ー トサ ン デ ィ 砂 漠 か ら ロ ー バ ー河 ま で),Stuart(1860‑62年;中 央 砂 漠 か ら ロ ー バ ー 河),Mackinly(1861,65‑66年;西 ア ー ネ ム ラ ン ド)他 ,多 くの 探 険 が 記 録 さ れ て い る 。

  1870年 に な る と ダ ー ウ ィ ン(現 在 のPalmerstone地 区)の 町 が つ く られ ア リス ・ ス プ リ ン グ ス に は 交 通 用 中 継 所 が つ く ら れ た 。 つ い で ダ ー ウ ィ ン と ア デ レ ー ドが 大 陸 を 縦 断 す る 電 信 で 結 ば れ る(1872年 に 完 成)。 そ の 電 線 の 架 設 工 事 に 併 行 し てGiles

(1872年),Goss(1873年)な ど に よ る 中 央 砂 漠 部 の 探 険 が お こ な わ れ た。 後 日 探 険 の 記 録 が 公 刊 さ れ,オ ー ス ト ラ リア 内 陸 部 の 自 然 や ア ボ リ ジ ニ の 生 活 が ひ ろ く一 般 に 知 られ る よ う に な る。

  ダ ー ウ ィ ン(町)の 設 置 と電 信 線 の 完 成 に よ って ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の ア ボ リ ジ ニ 4)ア ー ネ ム ラ ン ド沿 岸部 の ア ボ リジニ の異 国人 との接 触 は 白人 が は じめて で は な い。 少 な くと も17世 紀 に は マ カ サ ンとよ ばれ るセ レベ ス 島の マ レー 系 チ ャイニ ー ズ が ナマ コを と りに はい っ て お り,処 理 場,コ メ,タ マ リ ン ドな ど の植 物,ル ピア(金),ブ ンゴ ワ(親 分)な どの 単語, 土 器,陶 器 な どの 遺 物,フ ン ドシ,カ ヌ ー,タ バ コな ど の利 用,そ れ に混 血 な ど の事 実 が 知 ら れて い る。

  しか し,マ カ サ ンとの接 触 は季 節 的,局 地 的 な もの で 白人 の 場合 の よ うな 大 きな社 会 的 影 響

はな か った よ うで あ る[MAcKNIGHT  1976]。

(20)

小 山  オー ス トラ リア ・ア ボ リ ジニ社 会 再 編成 の人 口論 的 考 察

社 会 は 開拓 の波 に さ らされ る こ と にな った。 しか し,こ の ころす で に タ ス マ ニ ア,ビ ク ト リア州 の原 住 民 社会 は ほぼ 全 滅 して いた の で あ る。 ノ ーザ ンテ リ トリーの 地 は農 業 に は不 向 きで 牧 畜 に利 用 され る こ と が多 か った。 と くに,水 資 源 の限 られ た 砂 漠 地 帯 で は 家 畜 の 水 の利 用 は原 住 民 の生 活 を圧 迫 した 。北 海岸 部 で は サ トウキ ビ栽 培 な ど 農 業 も試 み られ た が 成功 しな か った。 他 に は金 を 中心 とす る探 鉱 者,水 牛 の猟 師,ナ マ コ と りの 漁夫 な ど が 入 った が そ の人 数 は少 な く,利 用 場所 も散 在 して い た ので ア ボ

リジニ 社 会 にあ ま り大 きな イ ンパ ク トを あた え る こ と はな か っ た。 そ れで も局 地 的 な 殺戮 や 病 気,労 働 力 の収 奪,混 血 な ど に よ って ア ボ リジニ 社 会 は確 実 に撹 乱 され て い った 。 ノ ーザ ンテ リ ト リーの 実質 的 な 開発 が1850年 代 とす る と,1921年 統計 ま で の間 は70年 にす ぎな い。 しか しそ の 間人 口 は も との33%ま で 減 り,社 会 崩壊 が 早 か った こ と がわ か る。 開拓 に か か わ る 技 術 的 進歩,と くに鉄 道,電 信 な どの 交 通 通 信手 段 の発 達 に よ る機 動 力 の 向 上 が原 因 だ ろ う と考 え られ る。 そ の結 果 ア ボ リジニ は 交通 拠 点 や 白人 居 住 地 にひ き よせ られ,そ の 周辺 に寄 生 して,末 端 労 働 者,物 乞 い,売 春婦,と な って い った[HILLIARD  l968]。 しか し一 方 で 通 信 の 発 達 は ア ボ リジニ 社 会 の士 気 の 低 下,劣 悪 な 生 活 の 実 状 を 南 部 の 中 流階 級     イ ンテ リ層 に克 明 に伝 え られ る こ と に な り,人 道 主 義 的 ア ボ リジ ニ保 護 運 動 が お こ り,保 護 区 が設 定 さ れた 事 はす で にの べ た とお りで あ る。

B.  ミ ッ シ ョ ン と リ ザ ー ブ

  ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の 保 護 区 は1920年 に 中 央 砂 漠 部(連 邦 政 府,西 オ ー ス トラ リア, 南 オ ー ス ト ラ リア 州 の 協 力 に よ る)と ア ー ネ ム ラ ン ド ・オ ー エ ンペ リ近 辺6,144  km2 が お か れ,1923年 に は デ イ リ ー 河10,240km2,さ ら に1931年 に は ア ー ネ ム ラ ン ド全 域79,360km2が つ く ら れ て い る 。 そ の 後,南 オ ー ス5ラ リア,西 オ ー ス トラ リア 州 で も 小 さ な 保 護 区 が 相 つ い で 設 立 さ れ た 。

  保 護 区 で の ア ボ リ ジ ニ 保 護,統 治 活 動 は 実 質 的 に キ リ ス ト教 会 の 手 に ま か さ れ た た め,区 内 に は さ ま ざ ま な 教 派 が ミ ッ シ ョ ン を つ く って い る 。 ア ー ネ ム ラ ン ドで は ロ ー バ ー 河(1907年 ア ン グ リ カ ン教 会)が も っ と も 早 く,バ サ ー ス ト島(1911年 カ ト リ ッ ク 教 会),ゴ ル バ ー ン島(1916年 メ ソ デ ィ ス ト),グ ル ー ト島(1921年Church  Missionary Society),エ ル コ 島(1922年 メ ソ デ ィ ス ト),ミ リ ン ギ ン ビ 島(1923年 メ ソ デ ィ ス ト),

オ ー エ ン ペ リ(1925年CMS),イ ル カ ラ(1935年 メ ソ デ ィ ス ト)が つ づ い て い る 。

砂 漠 で は ハ ー マ ン ス ブ ル グ(1877年 ル ー テ ル 派),ア ー ナ ベ ラ(1937年 プ レ シ ビ テ リア

ン),フ レ ゴ ン(1961,プ レ シ ビ テ リア ン)な ど が あ る 。 こ れ らは ミ ッ シ ョ ン ・タ ウ ン

(21)

国立民族学博物 館研究 報告  13巻1号 に 成 長 し,今 日 で も行 政,経 済,文 化 の 中 心 地 と な って い る(図5参 照)。

  保 護 区 の 設 立 の 目 的 は ア ボ リ ジ ニ 社 会(full‑bloodとruralと い う 分 類 に 入 る人 口 か ら構 成 さ れ た)を か こ い こ む こ と に よ って 守 る こ と に あ っ た 。 そ の 目 的 は 一 応 成 功 した と い え る 。 保 護 区 の 外 に お か れ た ア ボ リ ジ ニ 社 会 が 急 速 に 崩 壊 して い くな か で, 保 護 区 で の 人 口 は 時 間 的,空 間 的 に 充 分 な 余 裕 を も ち,伝 統 的 ア ボ リ ジ ニ 社 会 回 復 へ の 土 台 と な っ た 。 しか し,か こ い の な か で の ミ ッ シ ョ ンの 同 化(aSSimilatiOn)へ の 努 力 は あ ま り順 調 に は す す ん で い な い 。 ミ ッ シ ョ ンの 一 方 的 な お しつ け に 対 す る 住 民 側 の 反 発 が 予 想 外 に 大 き か っ た の で あ る 。 と こ ろ が,太 平 洋 戦 争 と い う 社 会 環 境 の 大 き な 変 化 が そ れ に拍 車 を か け た 。 開 戦 後 ま も な く(1942年2月),ダ ー ウ ィ ン,キ ャ サ リ ン な ど に 日本 軍 に よ る 空 襲 が あ り,オ ー ス トラ リ ア 政 府 は 日本 軍 が 本 土 に上 陸 す る の は 確 実 と考 え,南 部 か ら数 万 の 軍 人 を お く り ダ ー ウ ィ ン を 中 心 に ノ ー ザ ン テ リ ト リ

ー を 防 塞 と して 強 化 し よ う と し た 。

  そ の た め 深 刻 な 労 働 力 不 足 が 生 じ,ア ボ リ ジ ニ も 白 人 と ほ ぼ 同 等 の 条 件 で 雇 用 さ れ る こ と に な っ た 。 保 護 区 か ら も多 く の 男 た ち が 徒 歩 で ダ ー ウ ィ ン に 集 ま っ た と い う。

(こ れ に よ って そ の 後 彼 らは 保 護 区 と ダ ー ウ ィ ン と の 間 を,経 済 状 況 に よ っ て,自 由 に往 き来 す る今 日 の 行 動 の 土 台 が で き た と い う。)

  こ の 経 験 に よ っ て ミ ッ シ ョ ンで の 寄 生 的 な 生 活 で は な く条 件 さ え と と の え ば 白 人 と 同 等 の 生 活 が 可 能 で あ る と い う 自 立 的 精 神 が ア ボ リ ジ ニ 社 会 に ひ ろ ま っ た 。 こ れ が 後

日 の 同 化 政 策 か ら 自 立 政 策 へ の 転 換 の 大 き な 原 因 に な っ た[小 山   1987b]。

  オ ー ス トラ リア 経 済 は 第 二 次 世 界 大 戦 と と も に 活 況 を 呈 し,戦 争 後 も そ れ が 継 続 し た 。 ヨ ー ロ ッパ の 穀 倉 か ら世 界 の 農 業 の 中 心 地 の 一 つ と して の 地 位 を 確 立 し て い っ た の で あ る。 ノ ー ザ ン テ リ ト リー も太 平 洋 地 域 の オ ー ス トラ リァ の 前 線 と し て 強 化 さ れ た あ と経 済 成 長 の 波 に の っ て,最 後 の フ ロ ン テ ィ ア と して 活 気 が あ っ た 。 農 業 の ほ か 鉱 山 開 発 の 大 プ ロ ジ ェ ク トが 相 つ い で 計 画 さ れ て い る 。

  保 護 区 に お け る ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 統 治 は 戦 後,ミ ッ シ ョ ン か ら連 邦 政 府 へ と うつ さ れ て い っ た 。 た と え ば,1949年 に は マ ニ ン グ リダ に 交 易 所(trading  Post)が 設 立 さ れ て い る。 交 易 所 を 中 心 と し て,未 開 拓 だ っ た ア ー ネ ム ラ ン ド 中央 部 の 殖 産 と そ の 地 域 で の ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 福 祉 向 上 を は か っ た も の で あ る 。 マ ニ ン グ リダ は そ の 後,紆 余 曲 折 の 歴 史 を 経 て1957年,連 邦 政 府 直 轄 の セ ッ ル メ ン ト と な っ た 。 こ れ を モ デ ル と

し て 他 の セ ッ ル メ ン トを ミ ッ シ ョ ン経 営 か ら地 方 自 治 体 と す る試 み が は じま っ た が, そ の 完 了 に は1970年 代 い っ ぱ い を 必 要 と し た 。

  ノ ー ザ ン テ リ ト リ ー の ア ボ リ ジ ニ の 人 口 は1950年 代 か ら よ う や く上 昇 に 転 じ る 。 保

参照

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