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子どもの生活を育てる学級文化活動

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子どもの生活を育てる学級文化活動 一鈴木孝雄実践に生活科の原点を探る一

新 井 孝 喜*

(1994年10月12日受理)

Case Study of Takao Suzuki s Children Life Centered Curriculum

  Takayoshi ARAI

(Received October l 2, 1994)

1. はじめに一目的と方法一

 本稿は,学級の文化活動を重視した鈴木孝雄の教育実践の全体構造を明らかにし,これに基づき,

今日の小学校低学年での生活科教育のあり方を考察することを目的とする。

 生活科は,子どもの生活経験を素材として,子どもの興味・関心を生かし,学校内外の生活そのも のを豊かにしようとする教科である。その際室外での友達との遊びや自然との接触の機会が減少 している現在の子どもの生活の変化は,学校教育の中に積極的にナマの人や自然とのかかわりを持 ち込むことを必要としている。人やモノとの接触の機会が豊富に提供され,楽しく,意欲的な生活 を送れる状態が,小学校とりわけ低学年の生活の豊かさを保障するのである。

 それは,学校が地域や家庭での子どもの遊びや生活を代替する場所となることを意図するのではな く,学校生活そのものが,子どもが主体的に学ぶ環境となることである。ここで「環境」が意味す るのは,物理的な条件だけではなく,フォーマル・インフォーマルを問わず様々に結ばれる人間関 係を含む。たとえば,図書や動植物のような子どもの学習を支える物的資源や,係・班といった子 どもが人間関係を結んでいくための組織が,あるいは,掲示物や席順までもが,子どもが学級生活 を送る環境であり,これらがその生活の内容と質を規定している。そしてこの環境には,教師が意 図的に提供するものだけではなく,子どもが自発的に用意したり,家庭や地域の生活から持ち込ま れたものも含まれており,それらの様々な構成要因が,学級の文化を形成している。

 換言すれば,学級文化とは,学級生活を送るために子どもと教師双方によって提供される有形無形 の環境構成要因をいう。教師は,自らの教育活動を成立させるために,この学級文化を創造し,統 制しようとする。家庭や地域の生活では得られない体験や,教師が価値あると認あているような文 化内容が,学級文化には意図的に盛り込まれることになるのである。

 もちろん,そうした文化内容やその文化を生み出す活動は,子どもたちが自分の手で学び,自分た

*茨城大学教育学部学校教育講座教育学教室(〒310水戸市文京2丁目1番1号)

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ちの力で作り上げていかなければならない。教師は,学級文化を構成する重要な要因の一つではあ るが,文化を創造し,共有し,獲得していくのは,あくまでも子どもたち自身である。その意味で,

今日望まれている学級文化は,教師と子どもとが対等の高さで,お互いに作りあっていくものであ る。それは教師の指導性を否定することではなく,教師もまたその学級を構成する一員としての立 場から,指導性を発揮するという役割が求められている。

 以上のような学級文化を育てるための様々な活動の総称は,学級文化活動と呼ばれてきた。それは,

子どもの自主性や自発性を援助する活動であり,生活科をはじめとして,子どもの生活を豊かにす るための今日の学校教育に求められているものであるといえる。本稿で検討する鈴木孝雄の実践は,

その一つのモデルを示している。

 鈴木孝雄は,1932年に愛知県に生まれ,1960年代から70年代にかけて東京都内の小学校教員を勤め た。後,1978年に脳腫瘍のため逝去した。彼は,はじめ横浜市立大学経済学部へ進学したが,教職を 志したため中退し,東京学芸大学に再入学(1958年に卒業)したという経歴を持っている。動物飼 育や学級新聞の発行を軸とする彼のダイナミックな実践は注目を集め,実践記録r学級文化活動と 集団づくり 学級新聞 ブタとアヒル の物語』(1967年)1),r−一年生の四季一その生活と学習一』(1977 年)2 等をはじめとして,多くの実践記録を遺している。

 彼の実践については,池田貞雄が前出の『学級文化活動と集団づくり』の解説をしている他3),中 野光による高度経済成長期における子どもの遊びを軸とした「創造的実践」の一つとしての紹介4),

そして,田村真広による生活科の先駆的実践としての位置づけからの検討5),等の先行研究がある。

池田は,r学級文化活動と集団づくり』の内容を,「要求と見通し⊥「活動と組織⊥「労働と学習」,

「大人と子どもと青少年の結びつき」の4点からまとめ,鈴木実践を「子どもの人間要求をほりおこ し,組織化する」ことの具体化であると評価している。中野は,1960年代後半から1970年代にかけて の子どもの生活の変化の中で,学校教育に積極的に遊びを位置づけ,「ガキ大将」の存在を復権させ,

教師自らがガキ大将となった実践として,鈴木実践を描いている。そして田村は,低学年教育や学 校外教育に遊びを取り入れた鈴木のカリキュラムを検討し,学級文化活動が親との新たなかかわり を生みだし,社会認識を育てることにつながっていることを指摘している。これらの先行研究は,生 活と教育との結合を志向する「生活教育」の実践として鈴木の実践を取り上げている。日本におけ る児童中心主義,新教育運動は,戦前のいわゆる大正自由教育や戦後の経験主義やコア・カリキュ ラム運動として展開してきたが,生活教育への志向も,その流れの一環である。本稿でも,こうし た鈴木実践の教育実践史的な位置づけを踏襲し,彼の設定した学級文化活動を特徴づけたい。

 そして,本稿では,鈴木の実践報告をもとに,おおむねその発表年代に沿って,以下の3点の研究 課題を設定し,実践の全体像を明らかにしたい。

 ①鈴木の学級文化活動は,どのような活動から成り立っていたのか(1960年代後半の実践)。

 ②学級文化活動は,低学年ではどのように組織されたのか(1970年代の実践)。

 ③学校外の活動に生かされた文化活動はどのような内容であったのか(板橋青空学校の実践)。

 これらの課題を,教師の指導性と子どもの自発性に着目して,鈴木が重視した遊びと文化の質とい う点から検討していくこととする。

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2.飼育活動と学級新聞づくり一学級新聞「ブタとアヒル」の物語一

 1960年代の高度経済成長の中で,地域生活も自然環境も大きな変貌をとげていた。子どもたちは学 力競争に取り込まれ,テレビ文化に浸り,からだ全体を使って人や自然とかかわる生活を失いつつ あった。日本社会全体が経済発展の論理に彩られ,生活はそれに従属させられようとしていたので ある。好奇心旺盛で,遊びやいたずら好きな子どもの姿が,見えなくなりつつあった。

 そうしたなかで,当時東京都板橋区立志村第六小学校に勤務していた鈴木孝雄は,動物飼育を入り 口に,子どもたちが豊かな文化を獲得し,集団をつくり,さまざまな問題解決の力を身につけてい く実践を試みたのである。

 当時,学級集団づくりには,全国生活指導研究協議会(全生研)の提唱する集団主義教育の理論と 方法が大きな影響力を持っていた。「班・核・討議づくり」として定式化されるこの生活指導の目標・

方法論は,民主的集団としての学級を組織的に形成することに寄与した6)。それは,集団の基礎的単 位として班をつくり,そこを足場にリーダーを育て,集団の自己管理能力を高めるという学級集団 づくりの手続きであった。

 しかし,この定式化された学級集団づくりの手続きは,理念としての民主的な子どもの人格形成へ の志向とはうらはらに,集団の力,集団の価値を優先させがちになってしまうという実践的な問題 を内包している。実践的には,集団が有する価値の過度の強調,あるいは手続きとしての集団形成 の優先という陥穽がある。当然,個は集団を離れては存在しえず,個の確立は,他者と人間関係を 結び,集団を形成していく中でなされるものであるが,しかし,個の価値は,既定の集団によって 決定される性質のものではない。教師や一部のリーダーによってつくられ,指導される集団が学級 のすべてなのではなく,学級集団には,個々の子どもが選び,自分でつくっていくという側面も必 要なのである。

 そうした点で,鈴木は,集団主義の理論と方法にも学び,その実践に取り組みながら,それが,集 団の規律の点検および活動内容の学習運動への傾斜という点で限界をもつことを感じたという。彼 は,「子どもたちの自主的創造的な文化活動をとおして集団づくりをすすめる」ことを試みたのであ る7)。『学級文化活動と集団づくり』は,「集団の質的向上と文化的な成長をねらう多様な実践的活動 内容を子どもたちに与え」ようとした,小学校高学年での実践の記録である。以上のような問題意 識からの文化活動を軸とする子どもの生活づくりの実践は,子ども主体の発想に立った,生活と教 育の結合を求める実践の今日的なスタイルを生み出した一つの原型であるともいえる。

 鈴木が学級づくりの足場とした基礎的単位は,学級内クラブであった。動物園クラブの子どもたち を前に,鈴木は「どうせやるならでっかいことをやれ」という。毛虫や金魚を育てるのではなく,ブ タや牛でも飼えというのである。動物園クラブには,何かおもしろいことができそうだという期待 をもった,勉強はきらいでも動物なら,という子どもたちが集まっていたのである。彼は,「動物園 クラブを突破口にして,私の願いを学級全体に拡げていこう」と考えた。鈴木の「願い」とは,「子 どもが本来持っているイタズラのちえと行動をひきだしたい」というものであった。

 こうした鈴木の実践の出発点は,組織だった班やリーダー集団をつくり,その集団自治の能力をも とに学級集団をつくるというものとは,異なっている。すなわち,集団の正義や教師の価値をまず 掲げるのではなく,実践を動かしていく手がかりを,子どもの意欲や興味に求めているのである。

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 こうした鈴木の呼びかけに応えて子どもたちは,はじめにヘビを飼う。ヘビの小屋を作り,餌のカ エルをとりに行った。動物の飼育がおもしろいということに気づいた子どもたちに対して鈴木は,め ずらしい,人をびっくりさせたいという単なる興味に基づく取り組みから,飼育という仕事を通し て,「集団が何を考え,どのように団結を高め,どう自己変革をしていくか」を大切にする段階へと 移行させたいと考えた。そして,徐々に大きな動物を扱うことをめざしたのである。

 子どもたちは,次は,アヒルのヒナを買い求あ,自分たちで穴を掘り,池を作った。小屋の製作は 手に余るので,工務店経営の親に協力してもらうが,そのための費用は,廃品回収で賄うこととし た。その過程で,子どもたちは多くの困難に直面する。池づくりでは場所が悪いと学校側に場所変 更を迫られ,持ち回りのヒナの飼育では家庭から悪臭を訴えられた。しかし,子どもたちは,学級 での話し合い,学校側や親とのねばり強い交渉を通して,問題を解決していく。

 4月に動物園クラブの子どもたちの興味から出発した飼育の活動は,半年足らずの間に学級全体を 巻き込んで大きく発展し,10月末に,アヒル小屋と池が完成したのであった。

 鈴木は,この実践を進あるにあたって,飼育活動が,①学級全体を巻き込んだ長期的な取り組みを 可能にし,②学校の管理体制に気づき,改善のための行動に結びつき,③問題の解決のためには学 級集団の団結が要求される,という3点の見通しを持っていたという8)。長期的な取り組みとそこか ら出てくる切実な要求が,問題解決のための集団をつくっていくというのが,鈴木の見通しの構造 である。もちろん,長期的な取り組みを可能にし,切実な要求を生み出したのは,子どもたちが自 分の手で何かを成しとげたいと強く願ったからに他ならない。飼育活動は,自分たちが望み,自分

たちの学校生活の中心となったから,エネルギーを注げたのである。

 また鈴木は,この活動を通して子どもたちが学び,教師が教えられたことを,①シゴトへの自信が ついた,②学級集団の連帯の大切さを知った,③(学校の管理体制などに対して)要求を実現する ために闘う中で自由を獲得した,④(親の協力を求める,経費を稼ぐなどで)大人の社会の一端に 触れた,⑤父母の集団づくりの大切さを知った,⑥教師集団の中に学級文化活動の意義を訴えるこ

との重要性を知った,という6点にまとめている9)。

 一方,子どもたちが飼育を軸として学級集団を確かなものとしてつくっていく間に,親たちも子ど もたちの取り組みを支援するためにサークルをつくり,積極的に学習を進めていった。そうして蓄 積された力が,学校生活を改善・充実させるための様々な要求実現の運動を生みだしていった。教 育扶助を受ける運動や,全校に呼びかけて展開された「脱脂ミルク反対闘争」は,その例である1°)。

給食のミルクをおいしいものにしてほしいという身近な子どもの願いから出発して,学級内部でも,

また親の集団としても,義務教育無償の運動や日米安保条約の問題が話し合われた。生活の中での 願いや要求は,大きな社会状況と無縁ではありえず,親も子どもも,なぜ問題が生じるのかを知り,

社会認識を深めていった。飼育活動を通して,問題解決のためにどうすればよいかを学んだ子ども たちは,自らの意見や要求を声に出し,解決に向かう行動を起こしたのであった。

 こうした子どもたちの学級集団としての成長を支え,親と教師とを結んでいたのが,学級通信・学 級新聞であった。鈴木は,日記や作文の指導を通して子どもや親と向き合い,学級と家庭との結び つきを強めていった。彼は,実践の軸としてきた飼育活動から,めざす学級像を描き,学級通信を ブタとアヒル と命名し,これを学級の愛称とした。「アヒルは現在の学級像を示し,ブタは,将 来これを飼いたいという理想像を表現している。ブタの飼育には高度のエネルギーが要求される。そ

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れに耐えるような力を持った質の高い学級集団を作ろうではないかという夢が託されている」とい うのがその理由であった11>。

 学級新聞には, ブタとアヒル として,鈴木が発行する学級通信(子ブタ)と子どもたちがつく る班新聞・学級新聞(親ブタ)の2種類があり,さらに読書クラブの読書新聞 鬼女 の計3種類が あった。三つの新聞は,それぞれが切磋琢磨しながら内容を充実させ,また子どもたちも学級から の紙面への要求に応えようと熱心に編集会議を行い,鍛えられていく。

 6年生になって,子どもたちはヤギを飼うようになった。また,三つの新聞も活発に発行されてい る。こうしたクラブの活発な活動は,その他のクラブにも影響を及ぼしていった。読書の活動や誕 生会などの行事づくりを通じて,子どもたちは競って豊かな学級の文化を作りだそうとしていった。

年度末に新聞発行の予算が底をついたとき,子どもたちは地域に新聞を販売してその資金を確保し ようとするまでになる。そして,親も学級の思い出を劇として残し,子どもたちとともに歩んだ2年 間を振り返った。

 子どもの遊び心を巧みにとらえて出発した ブタとアヒル 学級の2年間は,子どもたちに,文化 を育て,しごとを生みだし,日常生活の苦しさの裏にある社会的矛盾を直視しようとする目を育て ていくものであった。子どもたちは,交流を重ねるなかで大きな影響を受けた戸塚廉2)に感謝し,「お やこ新聞」板橋支局をつくることを提案した。そして,中学生になっても ブタとアヒル の新聞 づくりをしようと呼びかけた者もいた。

 学級文化活動は,受験と管理の体制に縛られるこれからの学校生活をも,仲間とともに乗り切ろう とする集団の力を子どもたちに育てたのである。

3. 「遊びと労働の教育」年間プランー低学年のカリキュラムー

 r学級文化活動と集団づくり』を出版してから10年後,鈴木は,その間の低学年教育の実践をまと め,r一年生の四季』を著した。飼育や遊び,そしてモノを作る活動や,誕生会などの行事といった,

高学年でダイナミックに展開された鈴木の学級文化活動は,低学年でもその趣旨を生かして実践さ れている。子どもの興味に出発して,そこから学習を深め,人間関係を拡げていくという点では,低 学年でも同様の実践の志向を見ることができる。

 まず,子どもの感覚に直接訴える鈴木の実践を象徴する場面を描写してみたい13}。

 小学1年生の5月である。休み時間が終わって子どもたちが教室に戻ってきたところで,鈴木が言

う。

 「今日の勉強は外でします,さあ,桜の木の下に集合。」

 子どもたちから大きな歓声があがる。先を争って外に飛び出し,列を作る。桜の木を背にしてそん な子どもたちを見ながら,鈴木はおもむろに,「今から,先生がかわいい毛虫をみんなに一ぴきずっ あげます」と宣言する。

 「キャッ」,「こわい」と逃げようとする子。まるで怒られているように,「ごめんなさい。やめて。

やめて」,「もうしません」と謝る子もいる。

 一方で,「おれ平気だ⊥「ちょうだいちょうだい」といってさわぐ子がいる。逃げ出した子を追い

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かけていくような,いたずらっ子たちである。

 鈴木は,順番に全員に毛虫を手渡し,子どもたちは,こぶしの中に1ぴきずつの毛虫を入れて教室 に入っていく。教室で,「もう,こわくなくなったでしょ」という鈴木が問いかけても,逃げ出した 女の子は,とんでもないとばかりに首をふる。教室の中は大騒ぎになっている。「さあ,手を開いて」

と鈴木が呼びかけると,子どもたちは一斉に手を開く。こわさのあまり,握りつぶしてしまった子 も何人かいる。さっそく鈴木は,ポケットから替えの毛虫を出して,再度手渡していく。

 1970年代,東京の子どもたちはもはや,外でどろんこになって遊ぶようなこともなくなっていた。

そうした状況を何とかしようと,低学年でも鈴木は,遊びや豊かな自然との接触を教室に持ち込も うとしていた。彼は,5月の生活目標を「毛虫はぼくらの友だちだ」と設定し,上のような場を設け たのである。

 こうした,かなりインパクトのある毛虫との「出会い」の後,子どもたちは,自分の腕をコースに して,毛虫の競走をする。何回か競走を繰り返すうちに恐怖心も消え,目を輝かせて毛虫に声援を 送るようになるという。自分の毛虫に名前をつけ,レースに熱中する。あれほどいやだった毛虫が,

「友だち」のようになったというのだ。

 嫌悪感の消えた子どもたちは,毛虫を家に持って帰って親に見せたり,自分で観察したりしてくる。

親からは,非難の抗議文も寄せられる。これに対して鈴木は,幼い頃には興味を示して触ろうとし た経験があるはずなのに,それを「ダメなこと」,「さされる」などと禁止されることによって,そ の積み重ねで,「こわい」,「気持ち悪い」と思うようになったのだと反論する。

 実際に見て,自分の手で触れたものだから,「わかったこと」もたくさん出てくる。「頭のところ の毛が,ほかのとこより長い」,「しわしわがいっぱいある」と,細かな観察ならではの発見がある。

翌日には,毛虫の毛が何本あるか調べたという子どもがいて,引き抜かれた毛がセロテープでてい ねいに一枚の画用紙に張り付けてあったという。子どもが本来持っているはずの好奇心に働きかけ る鈴木の実践スタイルは,高学年での取り組みとはまた違った,低学年ならではの子どもらしさを 引き出すことに成功しているといってよいであろう。

 そして,毛虫に続いて,子どもたちは,トカゲやカナヘビを採集し,観察し,艀化させようとし,

育てようとしていく。100匹あまりのトカゲが捕まえられ,子どもたちは,その数を足し算で求めよ うとする。自分が楽しんでいる素材だから,学習にも集中するのである。

 以上の毛虫の例は,鈴木の年間の活動計画の一環としてなされたものである。彼は,低学年での諸 活動を,表1のように,「 遊びと労働の教育 年間プラン」として構想しているIa)。

 ここでは,「あそび」,「行事」,「文化的実践活動」,「手づくりの諸活動」,「労働(動物,植物)」,

「社会科教育(および読みもの教材)」の項目が立てられ,季節や連続性を意識した活動の系統が位 置づけられている。右の「社会科教育」の単元を,「生活科」のものに置き換えれば,今日でも十分 通用する豊富な内容が配列されているといえよう。

 鈴木は,このプランを自らの実践の経験から導き出した。自分が重視し,中心に据える遊びや労働 を基礎におきながら,教科や行事との対応が意識されているのである。季節に応じた活動の配列や 学校・地域の行事が,相互に関連づけられており,「遊び」と「労働」という活動領域で,学校教育

に全体としての子どもの生活を位置づけようとしていることがわかる。

 そこには,遊びを重視して子どもの意欲を引き出し,学習への入り口とし,行事や文化的実践活動

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によって家庭や学級の人間関係を豊かにし,手づくりの諸活動や労働で,モノや自然に直接触れる という構造をみることができる。単発的,断片的なお仕着せの活動ではなく,子どもの興味を出発 点に,長期にわたる取り組みと各種の行事が有機的に結びついているのである。

4. 学校外での遊びと学びを支援する一板橋青空学校の実践一

 以上見てきたような鈴木の実践は,学校(教室)という空間を離れた場合,さらにダイナミックに 展開されることになる。ここでは,地域の活動に発展した姿として,鈴木もスタッフとなって夏休 みに開かれた「板橋青空学校」のカリキュラムを示し,検討したい。

 板橋青空学級は,1975年に設立された「板橋少年少女組織を育てる地域センター」の活動の一環と して計画されたものである。他地域で行われている青空学校の成果を知った母親たちの要求によっ て,地域の教育関係者やボランティアの他,父母・祖父母の協力も得て実施された。5日間の日程で,

4日目から5日目にかけてテント合宿が組まれている。参加者は,子どもが120名程度であり,これ に数十名の大人のスタッフが協力するという体制になっている。会場は,板橋区内であるが,埼玉 県との県境の荒川の土手をサイクリングするなど,残された自然環境を活用して,都内でもこのよ

うな取り組みが可能であったとされている。

 表2は,第2回の日程表である15)。

表2板橋青空学校日程表

7    8    9   10   11   12   1    2    3    4    5    6    7    8    9

1 開校式

ヌ編成

講座① 昼食

わらぞうり ネわない

2 18

講座② かまばを

ォつく

昼食 縄文式土器 テくり

魚とりサイクリング 3 19

ゆき 魚とり

昼食

箸づくり かえり

4 20 土器をやく

昼食 講座③

粉ひきと

、どん打ち

テント

ヘり 夕食 きもだめし

5 21 朝めし

テくり

さようなら

換会

閉校式

講座① 稲作と日本のあゆみ

〃②土器の発見とやきものの文化

〃③ 火の発見と食べ物のれきし

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 参加した子どもたちは,稲作の歴史を学ぶのに続いて,その後の5日間履くわらぞうりを作る。生 活の中で藁がどのように用いられているかを,コトバだけではなく,実際に体験するのである。

 そして2日目には,講座で土器の発見について学んでから,縄文式土器づくりに挑戦する。窯場を 設け,粘土をこね,細長くのばして,まいていく。前日の縄は,ここで文様をつけるのに利用され,

また,作った土器は,宿泊キャンプ時に食器として使用する。一連の活動や講座は,相互に関連づ けられ,まとまりのあるものとなっている。

 テント合宿のキャンプでは,サイクリングで,夕食のおかずを採りにいき,またその途中で竹薮で 竹を切り,竹箸とコップを製作することとされている。「原始共同社会的体験をさせる中で, 食べ ことの重みと 力を合わせる ことの大切さを実感させたい」というのである16)。縄文式のどん ぶり,竹箸,竹コップという手製の食器には,自分たちで挽いて粉にするところから作った,手打 ちのうどんが盛られる。すべての活動が,本物を用いた手づくりのものなのである。

 この中で子どもたちは,遊びながら,そして労働を介して,人間の歴史を学び,自然や他者との接 触を深めていく。ここにも,鈴木実践の特徴である,子どもらしさを土台に据えて,遊びを軸にし た学びの構造を見ることができる。板橋青空学校には,5日間の日程で,内容としてはきわめてダイ ナミックな活動が準備されていたのである。

5.おわりに一成果と課題一

 以上見てきたような鈴木実践は,子どもが本来持っているはずの好奇心や遊び心を学校の中に取り 戻そうとしたものである。そのために彼は,子どもの興味に訴える学習場面の設定と,学習過程へ の積極的な介入を行っている。「どうせやるならでっかいことをやれ」という子どもへの挑発も,か なり強引に求めた毛虫との接触も,「教える」ための活動の設定ではなく,子どもの意欲を引き出す ための彼なりのスタイルである。別の言い方をすれば,彼自身が,子どもと同列に学級文化を作り 出している姿が,これらの子どもへのアプローチなのである。教育実践を楽しんでいるといっても よいであろう。その意味で,鈴木を評して「ガキ大将になった教師」という中野光の表現は,正鵠 を射ているといえる17)。

 そして彼が教師として優れていると評価できるのは,そのように子どもの主体的な活動に出発して,

子どもとともに学級文化を作り上げながら,それを豊かな文化へと方向づけている点である。これ は,「人間発達における素体験の復権」ということもできる18)。子どもたちが失った遊びや手しごと,

そして動物飼育などの活動を学校で新たに創造したのが ブタとアヒル 学級であった。

 当然鈴木がここで試みたような動物飼育の意義は今日でも失われていない。都市化や情報化が進 行し,子どもたちの生活の中で,人や自然とのかかわりが大きく変化している。学校教育もまた,実 生活との遊離を指摘されて久しい。学校は,教育内容としても,活動の組織としても,抽象的な知 識を伝達し,子どもを管理する場となってしまっている。むしろ,そんな今日だからこそ,鈴木の ような「本物」を重視する姿勢が必要なのであり,例えば,子どもの遊び心を刺激し,子どもと同 じ目の高さで問題解決にあたり,親や地域と連携しようとすることは,今日の学校でも多様な形で 追求されるべきであろう。

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 生活と教育とを結びつけるという場合,教材を子どもの生活に即して編成するという,直接的に教 育内容をいわば生活化していくという方向とともに,学校もまた子どもの大切な生活場面であるこ とを強く意識し,学校生活そのものを豊かにするという方向がある。鈴木の実践は,本物の生き物 との出会いを学校の中に組織することによって,子どもたちの文化を豊かにしようとしたという点 で,後者の方向性を追及したものである。教育内容の生活化は,教育内容編成あるいは教育方法上 の問題として重視されなければならないが,学校生活そのものをより豊かなものとするには,子ど もの学校生活に本物の文化を作り出すということが必要である。生活科は,今日の学校教育におい て,そのような学級文化活動の一つの舞台となる可能性を持っている。

 また,教師の指導性という点で言えば,鈴木は,取り組みの過程で度々子どもへの問題提起をし,

時には厳しく叱るなど,教師としての指導力を発揮している。しかし,飼育活動が子どもの学級文 化づくりへの多様な参加の糸口になっていたり,あるいは「毛虫はぽくらの友だちだ」の取り組み でも,その後の観察や発見という学習の過程が子どもに任せられていたりすることからわかるよう に,鈴木の教育観・指導観は,教師が準備した筋道を子どもに通らせ,ある教育的な価値や内容を 子どもに伝達するというものではない。当時も現在も,決して教師は一方的に子どもや親を組織し,

指導する存在ではありえない。鈴木実践の白眉は,学校を子どもらしい体験のできる場所にしよう とした出発点と,国民が獲得していくべき民主的な学級集団づくりや科学的な社会認識の獲得とい う目標とが,子ども文化の創造と遊び・労働を介して密接に結びついている点である。そこには,与 えるのではなく,引き出すことができるという,子どもの発達に対する絶対的な信頼感と未来への 期待があるといえよう。

 したがって鈴木の教育実践のダイナミックさは,学年や実践の場を変えても失われることがない。

低学年や学校外教育でも鈴木は,子どもが本物の自然に触れ,豊かな体験をしていくことを主眼に おいているのである。遊びもしごとも学びも,すべて子どもの主体的なものである。子どもが生活 の主人公にならずして,豊かな学びを育てることはできないであろう。子どもの遊びやしごとが,子 どものなかに学びを育てていく,その過程を教師が徹底的に信頼し,一緒に学級の物語を編んでい くことが,生活科のみならず,すぐれた教育実践を生み出す一つの要素なのではないだろうか。

 本稿では鈴木実践の構造を明らかにし,今日の生活科の実践にとって必要だと思われる継続的な活 動の配列(飼育や学級内クラブ)と実際性(「本物志向」)を持っている実践モデルとして提示する ことを目的としていたため,個々の実践について原資料を用いて詳細に検討することができなかっ た。今後は,特に学級通信をはじめとする実践資料の収集や関係者への調査など,鈴木実践のさら なる発掘が課題となる。

1)鈴木孝雄r学級文化活動と集団づくり一学級新聞 ブタとアヒル の物語一』(明治図書,1967).

2)鈴木孝雄r一年生の四季一その生活と学習一』(草土文化,1977).

3)池田貞雄「解説・『ブタとアヒル』の集団づくり一鈴木学級の実践から学ぶもの一⊥鈴木,前掲書所収,

 pp.239− 247).なお,鈴木の所属していた教育研究団体・日本生活教育連盟の40年史でも,彼の実践は,

(11)

 1960年代後半から1970年代の連盟の動きを代表するものの一つとして高く評価されている.池田「現  代生活教育運動の新展開」および西村誠「学校と地域に活力を」,日本生活教育連盟編『子どもの生活  をひらく教育一戦後生活教育運動の40年』(学文社,1988),pp.87−91,123−135.

4)中野光r新訂版・戦後の子ども史』(金子書房,1994),pp.155−162.

5)田村真広「先駆的実践から学ぶ」,中野光他編r生活科教育一生活教育からのアプローチー』(学文社,

 1993), pp.16−30.

6)1960年代の集団主義に基づく全生研の理論については,r学級集団づくり入門第二版』(明治図書,1971)

 にまとめられている.

7)鈴木,前掲r学級文化活動と集団づくり』,p.236.

8)同上書,pp.38− 39.

9)同上書,pp.39− 41.

10)同上書,pp.66−71, pp.112−133.

11)同上書,pp.52−53.

12)静岡で『おやこ新聞』を主宰.rいたずらっ子バンザイ』(あすなろ書房,1970)等の著書がある.6年  生の冬休みに,鈴木学級の子どもたちは,戸塚との交流旅行を持った.

13)鈴木,前掲r一年生の四季一その生活と学習一』,pp29−40,および鈴木孝雄「子どもらと生活をつ  くるとき」,日本生活教育連盟編r生活教育』第29巻第1号(草土文化,1977年2月),pp.38−45.

14)鈴木孝雄「遊びと労働の教育一私の年間プランー」,r生活教育』第26巻第6号(日本標準,1974年  6月),pp.6−7.

15)鈴木孝雄「板橋青空学校の実践から」,r生活教育』第27巻第9号(日本標準,1975年9月), pp.40

 −47.

16)同上,PP.42 一 43.

17)中野,前掲書,p.155.

18)鈴木孝雄・中野光「対談・自然と人間とのつきあいをゆたかに⊥r生活教育』第29巻第2号(草土文  化,1977年3月),p.10.

参照

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