秋 田県平鹿地方 にお ける リンゴ栽培 の存続基盤
伊 藤 太 郎
キー ワー ド:秋 田県平鹿地方 リンゴ栽培 自然基盤 経営基盤
Ⅰ は じめに
リンゴ栽培 の地理学的研究 には、内山
( 1 9 7 2 )
に よる機能地域的研究、市川( 1 9 5 8 )
による リンゴ栽 培地形成 の研究、相沢( 1 9 8 6 )
による リンゴ栽培景 観 の家屋景観 と耕作景観か らの考察がある。本研究 は、秋 田県南部 の平鹿地方を対象地域 とし、
リンゴ栽培導入か ら今 日までの存続基盤 を明 らかに す ることを 目的 とす る。研究 の方法 は、現地 におけ る野外観察 と リンゴ栽培農家 と関連の行政 。研究機 関における聞 き取 りと資料収集 による。
Ⅱ 秋 田県および平鹿地方 における リンゴ栽培
「秋 田農林水産統計年報」 によると
、2 0 01
(平成1 3 )
年 における秋 田県の耕地面積1 5 4, 0 0 0 ha
の うち、果樹園 は
1 2, 6 0 0 ha
を占める。秋 田県で リンゴ栽培が始 まったのは
、1 8 7 5
(明治8
)年か らである。以後、鹿角地方、平鹿地方 に リ ンゴの苗木が払 い下 げ られ、両地方で大規模栽培が 始 ま った。 しか し、病害虫や天候の被害 に遭 い、 リンゴ栽培 の本格化 には数年かか った。第二次世界大 戦後 は、食料不足 によ り リンゴ栽培が拡大 した。栽 培技術が改良 され、現在では農作業 の機械化で時間 労働性が高 まった。秋 田県庁 は
2 0 0 0
(平成1 2 )
年か ら果樹栽培 に 「樹種複合」 を薦 めている。 その こと もあ り、 リンゴ以外の果樹栽培が徐々に増えている。秋 田県 の リンゴの栽培面積 は
1 9 7 0
年前半 を境 に減 少 し、2 0 01
(平成1 3 )
年の栽培面積 は最盛期の7 0%
、 収穫量 は5 0%
まで減少 した。Ⅲ 平鹿地方 における リンゴ栽培地 とその自然基盤
1 .
果樹栽培地 の分布平鹿地方 の果樹栽培地 は、 奥羽 山脈 の主 に標高
1 0 0‑2 0 0 m
の西側 山麓郡 に広が る (第 1図)。傾斜地 を中心 に栽培 され、 リンゴの着色 と生育 には好条 件である。土壌 は強粘質で、土砂災害 はほとん ど起 こらない。果樹栽培 はほとん どが リンゴで、 その他 に洋 ナ シ、 モモ、 ブ ドウ、 オ ウ トウがある。 このよ うに広大 な果樹園が広が っている一方、果樹栽培 を やめた場所 も増 えた。 これは、道路の開発や 自然災 害、農家 の労働力の不足 による。
2.
栽培地 の景観果樹栽培地 は山麓部 中腹か ら田園地帯 に広が る。
リンゴ栽培地の所 々には矯性台木が植 え付 け られて いる。棲性台木 の形 は従来のマルバ性台木 とは樹形 が異 な り、 リンゴ栽培地では目立っ。
リンゴ以外で は南部 の平野部でオ ウ トウ栽培 の ビ ニール‑ ウスが点在する。田園地帯の縁の中で ビニー ル‑ ウスの白い色が映え際立っ 。
北部で はブ ドウが栽培 されている。 ブ ドウは栽培 は棚式で、遠 くか らその栽培地 は一枚 の械塩 のよ う に見え る。
農家 は長年 の経験 と努力か ら生育 に適 した栽培地 と栽培技術を作 り上 げ、作業効率を向上 させて きた。
現在 の栽培地 の景観 にそれが見受 け られ る。
Ⅳ 平鹿町醍醐地区明沢集落 における リンゴ栽培の経営基盤
1
. 栽培農家の農業経営 1)農家 と果樹栽培明沢集落 は平鹿町南東部 に位置す る。 リンゴ栽培 をやめる農家 もあるが、周辺集落 に比べて リンゴ栽 培 に熱心 な農家が多 い。
明沢集落では
5 0
軒 の農家が リンゴ栽培をす る。 リ ンゴ栽培農家 の平均年齢 は約6 0
歳、農家一戸当た り の果樹園面積 は約1 3 0 a
で あ る。 農業従事者 は平均2‑3
人で、使用機材 はほとんどが個人所有である。後継者 はわか らないと回答 した農家が多 く、 はとん
‑ 5‑
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第 1図 秋 田県平鹿地方 における果樹栽培地域
( 2 0 0 3
年) (現地調査、 および秋 田県横手市発行1
万分の1
白地図 (昭和54
年編集、平成4
年修正、平成14
年一部修正)秋田 県平鹿町発行5
千分の 1白地図 (昭和55
年測量)秋田県増 田町発行1
万分の 1白地図 (昭和45年編集、昭和57年一部 修正) と国土地理院発行2
万5
千分の 1地形図 「横手」(平成11年修正測量)「十文字」(平成11年修正測量)「浅舞」
(平成
9
年部分修正測量)「西馬昔 内」 (平成8
年部分修正 測量) より作成)‑6‑
どは経済的理 由による。息子 に継がせ ると回答 した 人 は自分 の体力 を理 由 と していた (第
1
表)。農家 の所有果樹園 は‑か所 に集中す る場合 と数か 所 に分散す る場合が あ る (第
2
図)。農家 は、栽培 面積 を広 げる余裕 や、減反政策 による水 田転換 により リンゴ栽培地 を拡大 した。
栽培面積 を広 げる農家 に対 し、 リンゴ栽培 をやめ た農家 は大体が山間部 に位置す る。 自分 の体力を考 えて リンゴ栽培 をやめた人が多か った。
2)
リンゴ栽培暦リンゴ栽培作業 は年間を通 じてある。 また、他果 樹や水稲 を取 り入れている農家 もお り、農作業、特 に収穫期 には多忙 になる。収穫期が終わ ってか ら、
農家 によっては知人への リンゴ発送作業がある。 ま た、積雪期 には枝の雪降 ろ しがあ り、休む暇がない (第3図、第 4図)。
3)
リンゴ栽培農家 の経営事例 (1)果樹専業農家果 樹 専 業 農 家 の事 例 と して農 家
a
を紹 介 す る (第 1表)。 この農家 は1 9 3 5
(昭和1 0 )
年 か ら果樹栽 培 を始 めた。経営耕地面積 は2 8 0 a
で、栽培樹種 は リンゴ2 1 5 a
、洋 ナ シ6 0 a
、 モモ5a
であ る。栽培従 事者 は本人 とその妻、息子 の3
人。 「大学卒業前 か ら家 を継 ぐ事 を決 めていた」 と息子 は言 っていた。「作業 は年間通 じてあ るか ら大変 だ けど、 自分 の果 樹園 は比較的平野部 にあるか ら作業 は楽でいい」 と 言 う (第2図、第 3図)。
2.
補助的な機関果樹栽培 には農家だけでな く、各種機関 も関わ っ ている。平鹿地域振興局農林部指導普及課が リンゴ 栽培農家 に対 して栽培技術 の指導 を、秋 田県果樹協 会が新品種 の払 い下 げを行 っている。 また、農家か らは生育状況や新品種 に対す る意見 を もらい、研究 や技術指導 に役立 て る。 このよ うに農家 や各農業機 関が一体 とな って取 り組んでいる。
Ⅴ むすぴに
平鹿地方 の リンゴ栽培地 は傾斜地を中心 に広が る。
日射 を充分 に受 けることがで き、樹木 の生育 と果実 の着色が良 くな る。
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第
1
表 秋 田県平鹿町醍醐地区明沢集落 におけるりん ご栽培農家 の農業経営( 2 0 0 3
年)農家番号 性別 年齢専業.(※1兼)薬 栽培(※2開 始年) 経営耕地 果樹歯面面積(8) 積 (8) りんご栽培(a)面辞 廃園面稚 水 田 農兵従事者 最強従事者(a) (a) 釈 (年齢)内 故拙者 (
S
※4)̲S動 力散布抱!U3作燕台車毒4n 材(台 姓)草刈投 選抜車 軽 トラック 応粟の所有粒村 a ;こ GO歳 15* 1935年 280 280 2150 0
3 本人.辛 (息子 (3547)). わからない 10
3 2 1 2 大人b 早52
歳 甘 辛 1 9 1 0 年 頃
295 250 240 0 45 4 本人.貫父親 (A(779)、母5t4)8), わからない1 0
2 2 0 2 本人 d 男 72丘 +I 1930年頃 250 250 250 90 0 3 本主人、光(人の妻(74)、72) わからないC 早 1960年岨 250 250 200 50 0 2 本人、要
f 男 I.; lE∴ 1950年 頃 270 170 160 0 100 2 本人、宰(46) わからない
1 0
1 01
1 本人■ 明 80歳 せ *
1 9 5 7 年
頃 300 150 120 20 150 4 不息子
人子( の .
貰t書( 5 2 )
74、
4)、9 息 )息 子 に 継 が せ る 1
1 1 20
2 大人 h gi 76i昆 E =:,, 1 9 4 4 年 岨260 ー50 140 40 110 2 本人 、 要( 7 2 )わ か ら な い
0 0 2 2 0 0 茶人
I 宇l 63昆 E当 ‑‑ 1 9 1 0 年
岨 210 ー40 ー30 60 70 2 .本人 、 幸 ( 6
0)わ か ら な い 1
0 1 1 1 I 本人
, J ; ; 4 7 歳 青 菜
1975年250 130 一oo ー0(※5) 120 3 本人、父(忠(68)72)、 わからない 1
1 2 2 1 1 大人
k 明 6 5 昆E は .
ー955年 100 100 lo o
0 0 2 本人、菅(66) わか らない 0
1 1 1 0 1 ‡人
I l= 65畳 E T :上= 1930年岨 一oo 100 80 0 30 2 本人、電(63) わからない
1
0 1 1 0 1 茶人rn 明 72丘 尊 重 1920年岨 100 80 80 50 20 2 二本人.普(72) わからない
1
1 1 1 1 1 S^∩ 負 69歳 尊 薬 1930年 頃 190 70 65
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120 3 本人.の*(息38)子 わからない 0 I1
1 0 1 *^0 a 49歳 ★★ 1955年 ー15 55 55
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60 3 歳本)人母、魚要((8490) わからない 1 00
1 0 1 本人D 輿 65歳 EM:‑ 1920年岨 170 50 50 0 120 2 わか らない
1 0
01 0
1 茶人0 顎 71昆 E .‑3‑ 1910年 岨 70 50 50 100 20 1 本人 わからない 1
1
1 1 0 1 本人「 窮 41歳 兼 集 1970年 頃 50 40 10 0 40 3 本人放、免婁(7(40日、)わからない 0
0 0
1 0 0 本人(※8)(聞 き取 り調査 よ り作成) 症
※
1
「専業 ・兼業」 の区分 けは本人が専業か兼業かで区別 した。※
2
栽培開始年 はその農家で最初 に リンゴ栽培 を始 めた年 を意味す る。農家記号でh
、 j、kの栽培開始 は本人が
リンゴ栽培 を開始 した年 を意味す る。※
3
農業従事者 は常 に農作業を している人 のみを数え、休 日の手伝 いやパ ー トの合間に作業を している人 は除 いた。※
4
農業機材 の「 S. S
」 は 「ス ピー ドスプ レヤー」 を示す。※
5
農家記号 jの廃園 に した面積 は現在 は休閑地 とな ってお り、実質的な栽培 をされていないので今回 は廃園の面 積 にいれた。※6 農家記号でnの労働力内訳で息子 は現在働 きに出てお り農業 と兼業 している。
※
7
農業記号pの労働力内訳 で秋 の収穫期 には シルバ ー人材 セ ンターか ら何人か手伝 いに来ている。※8 農家記号rの農業機材 の所有 で実際に使 っている機材 は本家か ら借 りて作業 してお り、 この場合、 自分 自身が 所有 している農業機材 を載せた。
※
9 「 ‑
」 は不明を意味す る。第
2
図 秋 田県平鹿町醍醐地区東部 における明沢集落在住果樹栽培農家の果樹栽培地 の分布( 2 0 0 3
年) (農家の聞 き取 り調査、 および秋 田県平鹿町発行 1万分 の 1白地図 (昭和5 5
年測量) よ り作成)‑ 7‑
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鞭 ' く)' 耗 脚 枝の片付け
施肥.植付 け, 接 ぎ木 リ 枝の雪降ろ し
ン マ メ コ パ テ の ゴ 巣づ くリ
徒長枝管理
〇・・.ll.・.・.・・●
こトー.一・・.‑.旦 皇 旦旦‑ ● 早生種収穫 中生種収穫晩生種収梅
除草作業 C 秋肥 ;
枝の雪降 ろし 枝の片付け
マ メ コ パ テ の 施肥.植付け 巣づ くリ
モ 枝の雪降ろし モ マ メ コ /〈チ の
巣づ くLJ
枝の片付け 施肥.植付け
L TL ‑一一一● 作業はじめ 作雑おわり
第
3
図 秋 田県平鹿町醍醐地区明沢集落 における果樹栽培農家の農業作業暦事例( 2 0 0 3
年) (リンゴ、洋 ナ シ、 モモを栽培 して いる場合)(農家の聞き取 り調査より作成)
0‑‑.一・・.一旦皇旦
L
早生確収穫 中生種収穫 晩生種収穫
こし.一・一一一一
●
CLlll.
一・ . ‑ .
一〇・・・・・.一・.一・一一● O‑一一‑‑‑‑C 内定 =o」吐一
〇点正.
ニ 讐 誓 し ♂ 誓 」
ゴ 各 種捕習金
チ シ
モ モ
コ メ
防除作業、除草作業
C 托E
壬 C
. PiNL作JL NtT什 Jt 壬〇 中fI =
。腰芝 竺 け cw
c
順 手c
F梢 ffJ 、片耳作1壬
C RE 壬育苗作業 施肥 田植 え
管理作業 (水管理 、草刈 り)
稲刈 り 調整作 業 I (乾燥 、脱臥 出荷 )
枝 の雷 降 ろ し
C
⊂トー.一・一‑ ●
作薬はじめ 作業おわり
第
4 図
秋 田県平鹿町醍醐地区明沢集落 における果樹栽培農家の農業作業暦事例( 2 0 0 3
年) (リンゴ、洋 ナ シ、 モモ、 コメを栽培 して いる場合)(農家の聞き取 り調査より作成)
リンゴ栽培農家 は労働力の高齢化や作業条件の悪 さ、 リンゴ価格の低迷 による収入低下を問題 とする。
このような状態を要因 として、 リンゴ栽培農家の意 欲減退 も伺える。 しか し、他品種や他樹種を導入 し、
消費者の需要 もふまえ、時期的労働力の分散や高収 入を獲得を目指 している。 また、農家だけでな く、
リンゴ栽培 に関わる行政 ・研究機関が協力 し平鹿地 方 の リンゴ栽培 を発展 させ よ うと努力 してい る。
「味な ら平鹿 の リンゴが一番だ」 と多 くの人が言 う
。
これが農家の自信 とな り、今 日まで存続 して きた理 由の一つである。
本研究を進めるにあた り、現地調査では平鹿町醍 醐地区明沢集落の リンゴ栽培農家の方々の他、 リン
‑8‑
ゴ栽培に関わる行政研究機関の方々のご協力を得た。
また、秋 田大学教育文化学部地理学研究室の篠原 秀一先生 にご指導をいただいた。
以上、末筆なが ら御礼 を申 し上 げます。
文 献
相沢朋彦
( 1 9 8 6 )
:横手市南部 にお けるりん ご栽培 地域 の農業景観,卒業論文,1 1 6 p.
市川健夫
( 1 9 5 8 )
:善光寺平 における リンゴ地帯 の 形成 について,地理学評論,3 1 ,1 4 2‑ 1 5 2 .
内山幸久( 1 9 7 2 )
:長野盆地 における リンゴ産業 の機能的構成,地理学評論