挿 入 節 に つ い て
古 賀 恵 介
*
1.挿入節の扱いの問題点
挿入節(parenthetical clause)と呼ばれる現象がある。下記のように、
I
think
などの節が、主節位置ではなく、文の途中や最後に挿入され、その文の内容に対する蓋然性・情報源・発話様態などを表す現象である。ここでは、こ のような挿入節を含む文全体を「挿入節文」、その中の挿入節以外の部分を
「主文」と呼ぶことにしよう。
(1)a. The game is over, I think.
b. This information, we hope, will be useful.
従って、(1a)のような場合、文全体が挿入節文、The game is overの部分が 主文、I thinkの部分が挿入節ということになる。(1b)のように挿入節が文の 途中に現れる場合は、主文が途中で分断されているということになる。
挿入節文は、(2)のような、同じ節を主節に持つ複文構造と対応関係が成立 することが多いので、直観的には、後者から主節が何らかの形で“格下げ”さ れて派生する、というふうな発想で捉えられることが多い。
*福岡大学人文学部助教授
(2)a. I think that the game is over.
b. We hope that this information will be useful.
実際、生成統語論における初期の挿入節の研究においても、that節などの補 文を含む複文構造から何らかの変形操作により主節を移動させて挿入節文を導 き出すという分析がなされたことがある。(e.g. Kajita(1968)
, Ross(1973)
) しかし、補文を含む複文構造からの派生を仮定した場合、以下のような問題が 生ずることがこれまでの研究でわかっている。第一には、補文をとる述語は数多くあるが、その全てが挿入節になり得るわ けではないということである。例えば、以下に示すように、
(3)a. It's likely that many of the applicants are women.
b. *Many of the applicants are women, it's likely.
(4)a. It's possible that the railways will be improved.
b. *The railways will be improved, it's possible.
((3)(4)稲田(1989: 177)
-
)蓋然性を表す節は挿入節としては用いられない。 その他にも、 一般に、
I regret
などの真性叙実述語(true factive predicate)は挿入節としては用い られないことが知られている。(岡田(1985)、稲田(1989))それゆえ、この 種の述語の挿入節化をブロックする条件を付け加える必要がある。第二の問題は、上で述べた性質とは逆に、補文をとらない述語が挿入節とし て使われることがあるということである。例えば、chuckleや
accuse
といっ た動詞はthat
節のような定形補文を取らないが、挿入節として用いられるこ とがある。(5)a. He would do it, he chuckled.
b. *He chuckled that he would do it.
(6)a. Leander was the man, he accused.
b. *He accused that Leander was the man.
((5)(6)岡田(1985: 220)
-
)従って、(5a)や(6a)のような挿入節文を(5b)や(6b)に該当するような基底構 造から派生させることには問題がある。
第三の問題としては、そのままの形では元の補文構造にならないようなタイ プの主文が存在するという事実がある。
(7)a. Damn it, John thought, the son of a bitch had done it again.
b. *John thought that damn it, the son of a bitch had done it again.
(8)a. Down with Theodocius, I insist.
b. *I insist that down with Theodicius.
((7)(8)
- Okada
(1977: 155))(9)a. What difference does it make, it might be objected.
b. *It might be objected what difference it makes.
(10)a. How else, Anderson argues, can there be an effective check on
the probity of government.
b. *Anderson argues how else there can be an effective check on the probity of government.
(11)a. Beyond that you could not go, for how can any creature, you
might assume, let another know how he is feeling or what he
is thinking about.
b. *Beyond that you could not go, for you might assume how any creature can let another know how he is feeling or what he is thinking about.
((9)(11)- ,
岡田(1985: 217))主文が(7)(8)
-
にみられるような間投表現や(9)(11)-
のような修辞疑問文になっ ている場合がその典型であるが、その他にも、(12)a. Wasn't there, he hinted delicately, any woman?
b. *He hinted delicately whether there wasn't any woman.
(岡田(1985: 217)
(13)a. Will this be acceptable, I hope?
b. *I hope whether this will be acceptable.
(岡田(1985: 222)(12)(13)のように、挿入節の述語が取り得る補文タイプと主文の文タイプが
-
一致しない場合などがある。ここでもまた、(b)の基底構造から(a)をそのま ま派生させることはできない。第四の問題点は、一つの挿入節文の中に複数の挿入節を埋め込むことができ るということである。
(14)a. Americans, I think, use the word
bug, quite abstractly, it seems to me, for pretty well any kind of insect.
(岡田(1985: 222))
b. *I think it seems to me that Americans use the word bug quite
abstractly for pretty well any kind of insect.
この場合も、(14b)のような形では、基底の複文構造は成り立ち得ない。
第五の問題は、上の第四点と関連するのだが、文の一部のみを“修飾”する ような挿入節があるということである。
(15)a. Let us assume, uncontroversially I believe, that a grammar
consists of rules of various categories.
b. *I believe let us assume uncontroversially that a grammar consists of rules of various categories.
(岡田(1985: 223))この場合も、(14)同様に、基底レベルでの複文構造は成立し得ない。
基底構造からの派生という操作に固執するならば、以上の五つの問題を解決 するような策が講じられなければならないが、今のところ、岡田(1985)のよ うに、動的文法理論の考え方に基づき、例外的挿入節の派生過程を補うという
(理論の簡潔性という点からはかなり面倒な)手法以外には、有力な方策は見 られないようである。
その一方で、“変形操作”によって派生させるのではなく、基底構造におい て元から副詞句として挿入されていると仮定する考え方も行われた。(e.g.
Jackendoff
(1972), Okada
(1977))変形操作を仮定しなければ、基底構造と 表層構造との間の齟齬の問題は一応回避できる。しかし、その場合でも、では 一体どのような条件下でどのような節の挿入が可能となるのか、という問題が 残る。つまり、同じ問題が形を変えて残るだけのことであって、上で取り上げ た五つの特異的な事象を適切に説明できる理論的仕組が必要となってくること に変わりはない。そして、それを明らかにするには、挿入節の意味的機能と形 式上の特徴を総合的に扱える理論が必要なのである。以 上 の よ う な 問 題 意 識 を 基 底 に 据 え て 、 本 稿 で は 、 認 知 文 法 理 論
(Langacker(1987; 1991; 2000)) に筆者独自の修正を施した三層構造仮説
(古賀(2004; 2005))をもとに、挿入節の統語的特徴と意味的機能を総合的に
説明する理論を提示したいと思う。
2.意味の三層構造
2.1 三層構造仮説
まず、本稿のベースとなる、意味の三層構造仮説について簡単に触れておく。
Langacker
の創出した認知文法理論は、言語表現の意味をその概念構造に求め、概念構造は人間の一般的な認知機能を基盤にして成立しているという仮定 の下に、文法をはじめとする言語に関わる諸現象の解明を目指す理論である。
そして、本稿の分析も、原理的には認知文法の理論的枠組を前提としてはいる が、いくつかの基本的な点に関して、既存の認知文法理論とは異なる筆者独自 の仮定を加えた「三層構造仮説」という修正理論に基づいて分析を行う。その 仮説のポイントは以下の通りである。
1.
言語の意味は、語から文に至るすべての単位において、客体描写(指 示される対象物)・認識態度(対象に対する話し手の認識のしかた)・ 伝達態度(聞き手や発話の場面に対する態度)のという三つの認知領 域にまたがる三層構造をなしている。2.
いかなる言語表現単位も、この三層の中の一つまたは複数の領域にプ ロファイルを持つ。古賀(2004)でも議論したように、ポイント1は従来からの認知文法理論と矛 盾するものではないが、ポイント2は真っ向から対立する。なぜなら、従来か らの理論では、言語表現のプロファイルは意味構造の中の客体的な部分にのみ 与えられると仮定しているが、三層構造仮説では、客体描写のみならず、認識 態度層・伝達態度層(この両者を合わせて主観性領域と呼ぶことにする)の中 にプロファイルを持つ言語単位も存在する、と仮定しているからである。どち
らの立場がより妥当なものであるかは簡単に決まるものではないが、 古賀
(2004; 2005)では、間投表現や一語文の意味構造の問題を取り上げて、主観性 領域にもプロファイルを認める方が理論としての説明力が高まるということを 示した。従って、ここではその優劣についての議論はしない。
挿入節文を取り上げるにあたっては、《文の意味》がいかなる構造を持って いるかを取り上げねばならない。従来からの認知文法が仮定する文の意味構造 では、 述語 とその 補部・ 修飾部 の内容 が具現 化され たもの (述語 の
full instantiation)が、発話場面認識(話し手・聞き手を含む発話場面全体のイ
メージ)であるGround
と結び付けられる(grounding)ことにより、文の意 味構造が完成すると考えている。これは、一般的な意味論で仮定されている文 の意味構造と大きく異なるものではない。ごく大雑把に言えば、「述語のfull instantiation」とは一般に言う「命題内容」に相当し、「grounding」とは、
命題内容に様々なモダリティーを結びつける心的機能に相当する。認知文法理 論と一般の意味論が大体同じような意味構造イメージに辿り着くというのは、
ある意味では、至極当然のことである。なぜなら、理論以前の言語直観のレベ ルで言えば、命題内容とモダリティーが文の意味の中の質的に異なった部分を なしているということは極めて明瞭だからである。
三層構造仮説もまたそのラインから大きく逸脱するものではない。具体的に は、文の意味を以下のような三層で捉えている。(古賀(2005))
3.
客体描写: 事態描写4.
認識態度: 中核事態確定・事実性判断・時間的位置づけ15.
伝達態度: 発話態度(主張、発問、要請、その他)1中核事態確定とは、文の中核となる述語になれるかどうか、言い換えれば、定形動詞と して機能するかどうかを確定する、ということである。また、事実性判断と時間的位置づ けは、それぞれ蓋然性判断と時制認識に相当する。
3は命題内容に相当し、 4-5は広義のモダリティーに相当する。 古賀
(2004)でも触れたが、文の意味構造が客体的な命題内容とそれに対する話し 手の主観的認識から構成されている、とする考え方は、日本語研究(伝統的国 語学)でも、「陳述論」という形でかなり早い時期から存在しており(大久保
(1982))、しかも、その「陳述」と呼ばれる主観的認識領域を《命題内容に対 する認識》と《聞き手に対する認識》とに分けて階層構造的に把握するという 発想は、現在の日本語学の諸研究にも受け継がれている。(e.g. 寺村(1982)、
益岡(1991)、仁田(1991))また、英語研究者の中にも、英語の文の意味構造 の研究に関してそれと同様の枠組を提唱している人たちがいる。(e.g. 澤田
(1993)、中右(1994))そして、本稿が立脚する三層構造仮説もこの線に沿うも のであり、文の意味の三層構造に関する言語直観を認知文法の枠組の中で捉え 直してみようとする試みである。
ただ、本稿の三層構造仮説と、従来からの三層構造論および
Langacker
流 認知文法理論の文構造論との間には重要な違いがあるということもはっきりさ せておかねばならない。従来からの三層構造論は、いずれも、三層構造の各層に属する要素を一義的 に決めてしまおうとする。その結果、ある要素が複数の層にまたがるような性 質を示した場合、分類に支障を来したり、論者によって分類が食い違ったりし てしまう。例えば、《時制》というカテゴリーは、事態が成立する時点と発話 時点の間の時間的なズレを表すという客体描写的な側面と、事態成立時点を話 し手の位置する(現実的あるいは観念的な)時間的立場から眺めるという認識 態度的な側面の両方を備えているのだが、それを無理に一方だけに分類してし まうと、他方の側面を切り捨ててしまうことになる。また、英語の法助動詞が 表す法性(root modalityや
epistemic modality)には、「状況がこのように
なっている」ということを表す客体描写的な側面と、それに対応する話し手の 意志や推量を表すという主観性領域表現としての側面の両方が含まれているのだが、これまた、一方にのみ分類してしまおうとすると、他方の側面を切り捨 てるような強引な議論をしなければならなくなる。これに対して、本稿の三層 構造仮説では、「すべての表現単位は三つの層を備えており、そのうちの一つ または複数の領域をプロファイルする」と考えるのであるから、分類上の無理 な議論をする必要はなくなる。
また、Langackerの考え方では、文全体のプロファイルは具現化された述 語構造(≒命題内容)であって、それと
Ground
を結びつける関係(ground-ing)それ自体はプロファイルされないと仮定している。だが、本稿では、古
賀(2004; 2005)で述べた理由から、文の意味構造の中の発話態度(伝達態度 の一種)こそが文全体のプロファイルであると考える。階層構造的に言うと、事態描写を認識態度の諸領域が包摂し、更にその全体を発話態度が包摂する、
ということになる。例えば、以下の例において
(16)a. Mary has gone out for lunch.
b. Is she coming back soon?
c. Please call again in the evening.
(16a)の文のプロファイルは、Langackerの考え方では「メアリーが昼食に出 かけた」という事態ということになるが、本稿の考え方では、その事態を伝え る話し手の発話態度(ここでは《主張》)ということになる。また、(16b-c)
もそれぞれ、事態描写そのものではなく、それらを中身とする《発問》・《要 請》という話し手の態度こそが文全体のプロファイルである、ということにな る。発話態度を文のプロファイルとする考え方の一つのメリットとして、以下 のように明示的な客体描写を含まないような“文”の意味構造をも自然に説明 できる、ということがある。
(17)a. Hello!
b. Oh, boy!
この種の“文”は動詞はおろか一切の対象指示的(つまり客体描写的)表現を 含んでいないので、
Langacker
の理論で言えばプロファイルは存在しない(あるいは、そもそもこれらは文ではない)ということになってしまう。しか し、本稿の三層構造仮説に従えば、これらの文のプロファイルはそれぞれ《挨 拶》と《感嘆》という発話態度である、ということでまったく無理なく説明す ることができる。(詳細は古賀(2005)参照)
2.2 複文の意味構造
複文構造では、節が上位の節の中に一部として埋め込まれている。従属節が 定形節(finite clause)である場合、原則として従属節自体もそれ独自の発話 態度を持っているが、上位要素の意味の一部の中に組み込まれていて、複文構 造全体から見れば、あくまで一部、いわば部品の一つとなってしまっている。
従って、それが文全体の発話態度になるわけではなく、文全体の発話態度は、
原則的にはあくまで主節が表す。これは具体例で考えてみれば実に明々白々の ことである。例えば、Langacker(1991)も言うように、
(18)Toni believed that this gun was loaded.(Langacker(1991: 500))
(18)の文は
Toni
がある事柄を信じていたということを主張する文であって、その信念の内容である「この銃に弾が入っていた」ということを主張する文で はない。
ただ、その一方で、従属節が、その内容上の重要性のため、発話としてある 程度の独立性を獲得していると考えられる例もある。
(19)a. The evidence for a bribery conviction is overwhelming,
although the senator is really innocent.
b. You are not going to the movies, because I order you to stay in the barracks.
c. It gives me great pleasure to say that I hereby christen this ship the USS Ambivalence.
d. This car, which I promise to buy you when I can afford it, is a great value for the money.
(Langacker(1991: 500))(19a)では、従属節が主節の内容に対立するような独立の主張を行っているよ うに感じられるし、(19b-d)では従属節の中に、通常は独立文で現れるはずの 遂行文(performatives)が用いられている。定形従属節にはそれ独自の発話 態度があり、それが複合構造の中に埋め込まれて背景化しているだけのことで あるから、それが、様々な理由で前景化してくるということは、あっても何ら おかしなことではない。そもそも、認知文法で言うプロファイリング(前景化)
というのは、概念構造の中のある一部分に際立ちを与え、他の部分を抑えると いう心的機能なのであるから、通常は抑えこまれている《従属節の概念的際立 ち》が何らかの理由で高められ、その独立性が増すということも十分起り得る ことなのである。
一口に従属節と言っても、実際には副詞節・関係節・補文の三種類があり、
その主観性領域のあり方にも違いがある。(19)の例からもわかるように、副詞 節と関係節の主観性領域は原則として話し手自身のものであるが、補文に関し ては注意が必要である。なぜかというと(18)の例からもわかるように、補文は 主節主語の信念や発言の中身を表しているからである。(18)で言えば、「この 銃に弾が入っていた」というのは
Toni
の考えであり、話し手がそう思ってい るかどうかはまた別の話なのである。これは、(20)のように、(20)Toni believed that this gun was loaded, but actually it wasn't.
補文の内容を後から否定したとしても、別に矛盾を起こすわけではないという 事実からもわかることである。認知文法理論では、このような関係を説明する のに代理話者(surrogate speaker)という概念を仮定している。(Langacker
(1991: 253))思考・発言の補文を含む複文構造では、補文の内容は代理話者 の思考・発言内容を現実話者の立場から再解釈したものである。従って、補文 の認識態度のうち時制は現実話者の立場からのものとなる(いわゆる時制の一 致)が、事実性判断や発話態度(主張)は代理話者のもののままである。2
代理話者は、(20)のように話し手以外の人物であることもあれば、以下の例 のように話し手自身であることもある。
(21)a. I thought the gun was loaded(but it turned out it wasn't)
. b. I think the gun is loaded.
「話し手自身」といっても、(21a)の場合は過去の自分であり、その思考が現 在の自分と一致している必要は必ずしもない。(21b)のような場合は、まさに 今現在の自分のありさまを、一旦自分の外側に視点を移して、その外側の立場 から描写している。このような表現法を「自己客体化」と呼んでおく。
補文をとる述語のうち、補文の事実性判断や発話態度のあり方を客体化して 表すタイプのものは「断定述語」(assertive predicate: Hooper(1975))と呼 ばれ、特殊な性質を持っていることが以前から知られていた。それは、「その 述語を持つ主文自体は付加的であり、補文の内容を断定するのに用いることが
2(20)のように補文が《発言》ではなく《思考》を表す場合に、その補文の主張を「発話 態度」と呼ぶのには抵抗があるが、今のところ他によい術語を思いつかないので、このま ま「発話態度」と呼んでおく。この点は将来的にまた考え直してみたい。
できる」(稲田(1989))という性質である。これはまさに、この種の述語が補 文の主観性領域(具体的には、事実性判断と発話態度としての《主張》;この 両者をカバーするのが「断定」という概念である)のあり方を客体化して表現 しているからにほかならない。I think のように自己客体化の形で用いた場合 にその特性が顕著に現れる。すなわち、形式上は文全体の主節でありながらも、
実質的には、補文の断定のあり方にモダリティー上の様々な色合いをつけるか のような機能を果たすのである。そのことを如実に示すのが、以下のような例 である。
(22)a. I think this car needs a tune-up, doesn't it?
b. I suppose the Yankees won't lose, will they?
c. It seems that the train will be late, won't it?
3d. I know you've been waiting a long time, haven't you?
(稲田(1989: 181))
付加疑問は文の発話態度に結びついてそれを修飾する表現なので、複文の場合 であれば、通常は主節の主語と助動詞に呼応する形で形成されるべきものだが、
これらの例では、補文の主語・助動詞と呼応している。補文の発話態度が、事 実上、文全体の発話態度になっているからである。
一人称以外の断定述語が用いられた場合であっても、自己客体化の場合ほど 顕著ではないが、補文の断定が文全体の断定として働く場合がある。
(23)a. Did he consider my application?
3
seem
の場合、話し手自身は明示的な表現としては現れていないが、概念上の代理話者 としては存在していると考えるべきである。もちろん、to meという形でそれを明示化す ることもできる。b. No, he says he wants to hire a woman.
c. No, he wants to hire a woman, he says.
(稲田(1989: 176))(23b)は(23a)に対する返答であるが、「主文(he says)は付加的であり」(23c)
のように「格下げしたり、削除してしまっても意味的にほとんど影響はない。」
(稲田(1989: 176))これは、本稿の立場から言えば、補文の発話態度が、元々 は話し手以外の代理話者のものであるとしても、現在の立場に一致する限りに おいて、現実話者の発話態度であるかのように振舞う、ということである。
(もちろん、常にそうなるわけではなく、そうなることもある、というだけの ことだが。)
また、叙実述語(factive predicate: Kiparsky & Kiparsky(1970))と呼ば れる種類の述語も存在する。これは、補文内容の事実性を前提とし、それに対 する人間の心的作用を叙述する述語である。大きく分けて、補文内容の情報取 得過程を表す半叙実述語(semi-factive predicate: Kartunnen(1971))と、
その情報に対する心的反応を表す真性叙実述語(true factive predicate)の二 種類がある。断定述語と叙実述語の関係をわかりやすいようにまとめておくと、
以下のようになる。(Hooper(1975: 92)
,
岡田(1985: 184-185),
稲田(1989:177))
断定述語の分類
●
強断定述語:say, claim, report, state, tell, affirm, assert, etc.●
弱断定述語:think, believe suppose, expect, imagine, guess, etc.●
半叙実述語:know, find out, discover, learn, note, notice, realize,etc.
非断定述語の分類
●
非叙実述語:be(un)likely, be(im) possible, be(in) conceivable;
doubt, deny, etc.
●
真性叙実述語:regret, resent; be glad/sorry/surprised; be odd/strange, etc.
叙実述語のうち、knowに代表される半叙実述語は、補文内容が代理話者にとっ て事実として受け入れられ(てい)るかどうかというところに焦点を当てた表 現になっている。そのため、補文の事実性判断のあり方を表す表現として解釈 でき、断定述語として働くことができる。それに対して、regretに代表され る真性叙実述語は、補文内容の《事実としての受け入れ》の如何ではなく、そ の事実に対する心的反応のあり方を描写する表現になっている。そのため、補 文の事実性判断や発話態度を描写する表現として解釈することはできず、断定 述語として働くことはできない。
3.挿入節について
3.1 「挿入」の本質と挿入節一般
本稿で扱う挿入節も含めて、「挿入」という現象一般について少し考察して おく必要がある。(認知文法的な考え方からすれば) 文法現象として挿入
(parenthesis)の本質は《文構築の中断》ということにある。我々は、英語の 文を発する際には、英語の標準的な文構造の雛形に基づいて個々の必要な情報 を配列していくわけだが、一つの文の構築を途中で中断し、関連した内容の別 の叙述を付け加えることがある。これが《挿入》である。言語に限らず、我々 は日常的な行動においても、何か一つの行動の途中で別の行動に移り、また元 の行動に戻るというようなことを頻繁に行っている。挿入というのは、文構築 という言語表現過程でそれと同じことを行っているに過ぎないのである。では、
何のためにそんなことをするのかと言えば、まさにその中断をする箇所で、主 文に関連した情報を付加するためである。例えば、主語を述べた後、動詞句の 前に別の表現が挿入されているとすれば、それは、動詞句よりも前に挿入部を 聞き手に提示しようとする態度の表れであり、話し手のそのような態度をも含 めて文解釈を行って欲しいという、聞き手に対する要求なのである。従って、
中断それ自体が一つの伝達態度表現としての性格を持っているということに注 意すべきである。
文法的ステータスという点から言うなら、《中断》それ自体は名詞句や副詞 句のような統語構造上の成分ではない。あくまで文構築にあたる際の心的操作 の一種である。従って、機能的に見て、主文の内容に関連する情報を付加する という働きをしていれば、挿入要素の形式は、以下の例にあるように、かなり の自由度がある。
(24)a. The man was so fat that his hips ―
this is the truth
―were almost touching both sides of the escalator.
b. His most dramatic stories
―have you ever heard any of them?
―
are about his trip up the Amazon.
c. Willie
(he's my brother)is always up to tricks.
d. The headmaster was very angry with us(it wasn't the first time) for our breach of the school rules.
(江川(1991: 497))(25)
a. Christmas has become, naturally and rightly, the special festival of the home.
b. My life, more than that of anyone I know, has been spent in solitude and wandering.
c. He had a vague notion, if he ever formulated it, that nice
women were timid.
((a)(c)
- ,
江川(1991: 499))d. Mr. Campbell, a lawyer, was here last night.
(Quirk
et. al
(1985: 1304))e. He is, or at least believes that he is, a major composer.
(Quirk
et. al
(1985: 976))主文と挿入部の文法的関係は、(24)のように相互に独立した文どうしであるこ ともあれば、(25)のように挿入部が主文に対して何らかの統語的関係を担って いる場合もある。ただ、三層構造仮説の観点から重要なのは、前者のタイプは、
主文と挿入部がそれぞれ独自の発話態度を持った独立文どうしなので、一方が 他方に文法的に従属しているわけではないが、後者のような挿入部は、そのよ うな独立の文となることができないという意味で、主文に対して文法的に従属 した立場にある、ということである。(ただ、その従属の種類や度合は様々で ある。)
本稿の主題である挿入節も《挿入》の一形態なのだが、主文との間の文法的 関係はというと、(24)のように完全に独立しているわけではないが、(25)のよ うなケースに比べると独立性が高い。つまり、両者の中間的な性質を持ってい るということができる。
挿入節文は主文と挿入節から構成されるが、挿入節文の主文の方は独立文に 相当する要素である。つまり、あくまでそれ自体独立の発話態度を持つ単位で なければならない。それゆえ、不定詞や動名詞のような純然たる非定形節が挿 入節文の主文となることができないのはもちろんであるが、
(26)a. I imagine John's being a Methodist.
b. *John's being a Methodist, I imagine.
(27)a. I believe him(to be)
honest.
b. *Him
(to be)honest, I believe.
(28)a. I heard him sing/singing an Italian song.
b. *Him sing/singing an Italian song, I heard.
((27)(29)
- ,
岡田(1985: 203))仮定法(現在・過去)の節でさえ容認されない。
(29)a. He demanded/insisted/suggested that she go.
b. *She go, he demanded/insisted/suggested.
(30)a. I wish I were at home.
b. *I were at home, I wish.
(31)a. I would rather you came.
b. *You came, I would rather.
((30)(32)- ,
岡田(1985: 191))これらの仮定節は、現代英語では従属節の中で用いられるのみで、独立文とし て用いられることはないが、それは、これらがそれ独自の発話態度を担うこと ができないからである。
第一章で取り上げた問題のうち、第三の問題はまさにこの点に関連している。
(32)a. Damn it, John thought, the son of a bitch had done it again.
b. Down with Theodocius, I insist.
c. What difference does it make, it might be objected.
d. How else, Anderson argues, can there be an effective check on the probity of government.
e. Beyond that you could not go, for how can any creature, you
might assume, let another know how he is feeling or what he is thinking about.
f. Wasn't there, he hinted delicately, any woman?
g. Will this be acceptable, I hope?
これらは、主文を基底構造の補文から派生させようとする(つまり、挿入節と 主文が補文構造相当の文法的関係を保持していなければならないと考える)か ら問題になるのである。主文がもともと独立文としてのステータスを持ってい ること、挿入節は主文構築の中断によって導入されたものであり、次節以降で 詳述するような意味的機能を適切に果たしている限りにおいては多様な形式が 容認されるということがわかれば何ら問題ではなくなる。
それから、一口に挿入節と言っても、従来からの研究(Reinhart(1975)
他)で、話者指向型(speaker-oriented)と主語指向型(subject-oriented)
の二つの種類があることがわかっている。本稿の立場から言うと、この二つの 挿入節の意味的違いをもたらしているのは、以下で詳しく述べるように、主文 の発話態度のあり方である。話者指向型挿入節文の主文は現実話者の発話態度 を表しており、主語指向型挿入節文の主文は代理話者の発話態度を表している のである。ただ、後者の場合、客体描写と時制は現実話者の立場からのもので あり、それが発話態度の立場(代理話者)と乖離しているという点に特異性が ある。
3.2 話者指向型挿入節
挿入節の典型として一般に取り上げられるのは、話者指向型挿入節である。
この種の挿入節は、主文を発話している途中あるいはその最後に、現実話者が 自分を外側から眺める視点に立場を移し、主文の主観性領域(具体的には、事 実性判断や発話態度)のあり方を客体化して節の形で表し、主文への従属要素
として付加したものである。従って、現実話者の立場自体が二重化しており、
主文の発話態度も、挿入節の発話態度も現実話者のものである。(現実話者と しての立場を保持したままでの自己客体化と言ってよいであろう。)ただ、後 者は前者を外側から眺めてコメントするような関係になっているため、挿入節 が主文に対するモダリティーを表す従属要素として振舞うことになるのである。
この種の挿入節と、モダリティーを表す文副詞(probablyなど)との統語的・
意味的類似性が指摘されるのはこのためである。(e.g. Jackendoff(1972)、岡 田(1985))
話者指向型挿入節は、 具体的には、 以下のような諸形態で現れてくる。
(Quirk
et al.
(1985: 1114-1115))●
主文の認識態度(事実性判断)を表す挿入節この種の挿入節は、主文の断定のあり方やその根拠に関わる認識過程を客体 化して表すもので、大きく分けて、主文の内容を断定する自らの立場の主観性
(主文の内容が客観的に確認された事実であるわけではないということ)を示 すことで断定緩和的に働くものと、自らの確信的態度を示すことで断定強化的 に働くものがあることはよく知られている。
主観性明示:
(33)a. I think, I believe, I guess, I expect, I feel, I presume, I assume,
I understand, I suppose, I consider, I suspect, I can see, it seems, it appears
b. I hope, I wish, I fear
確信明示:(34)a. I'm sure, I'm convinced, I have no doubt, there's no doubt, I
don't doubt
b. I know, I see, I remember
4更にそれに加えて、主文の内容の情報源を示すタイプがある。
情報源明示:
(35)a. I'm told, I have read, I have heard, one hears, they tell me, they
allege, they say, it is said, it is reported, it is claimed, it is rumored, it has been claimed, I remember
b. He wants to hire a woman, he says.
このタイプは、形式上は必ずしも話し手自身のあり方を表すものではないが、
《情報源明示》という機能を果している限りにおいては、かなり多様な形式が 許されるのである。また、断定の強さという点から言うと、このタイプは断定 緩和的にも断定強化的にも働く。なぜなら、主文内容の「真実性に対する責任 を他者に転嫁することにより断定を弱めることもできる」し、「権威筋を持ち 出すことにより断定を強めることもできる」(岡田(1985: 176))からである。
それゆえ、このタイプの挿入節の中には次節で取り上げる主語指向型に近い性 質を持つものが含まれると考えられる。
●
主文の発話態度を表す挿入節話し手の発話態度を客体化して表現する挿入節の場合、その述語の特性に応 じて、主張・注意喚起・承認などの機能を果す。
(36)a. I daresay, I venture to say
4
I remember
は「私の記憶では確かにこうだ」という事実性に対する確信を表すこともあれば、「私の記憶によればこうなのだが」という情報源の限定にも用いることができる。
よって、確信明示と情報源明示の両方に入れておいた。
b. I claim, I must say, I must tell you, I have to say c. I don't deny, I agree, I admit, I must admit
また、発問・要請を表す挿入節は、疑問文・命令文と結びつく。
(37)a. Are you honest, I wonder.
b. Be honest, I urge you.
(岡田(1985: 172))更には、話し手ではなく、聞き手のあり方を表しているものもあるが、
(38)you know, you see, you realize, you can see, you may know, you
may have heard, you must admit
これは実際には相手に対する注意喚起の機能を果たしているという意味で、話 し手の発話態度を間接的に表現したものと考えればよいであろう。
聞き手に対する働きかけという点で言えば、以下のように、挿入節に命令文 が使われたり、付加疑問がついたりすることもある。
(39)a. Consider carefully these two accounts which, remember/let it
be noted, are in no way merely different terms for the same
thing.
(岡田(1985: 213))b. We'll live under the ice cap for months, you realize, don't you?
(Ross(1973: 166))
このような例から、挿入節は補助的地位になっているとはいえ、節としての特 質を失ってしまったわけではなく、また、それ独自の発話態度も(主文の発話
態度と矛盾しない限りにおいて)保持することができる、ということがわかる。
ここまでの例で挿入節に用いられている述語を見ればわかるように、話者指 向型挿入節の大半は断定述語が用いられている。これは、断定述語がまさに補 文の断定を行う主体の主観性領域を客体化して描写するものだからである。そ れに対して、非叙実述語は挿入節としては用いられない。
(40)a. *Many of the applicants, it is likely/possible/probable/con-
ceivable, are women.
b. It is likely/ possible/probable/conceivable that many of the
applicants are women.
(岡田(1985: 187))(40b)のような非叙実述語は、客観的に見た、補文内容の実現可能性の多寡を 述べるだけであって、それを断定する主観的態度を表しているわけではない。
そのため、挿入節として用いると、主文の発話態度と矛盾しているかのように 感じられるのである。ただ、likelyに関しては個人差があるようで、岡田によ れば、このような可能性述語を容認する話者もいるようである。
(41)a. John would like fewer courses and, it is likely, more pay.
(Emonds(1976: 49))
b. Many of the applicants, it is quite likely, are women.
(岡田(1985: 187))
このような話者においては、likelyが
seem
と同様の主観的断定の客体化表現 として解釈されているものと思われる。真性叙実述語もまた、話者指向型挿入節としては用いられない。
(42)a. *Many of the applicants, it is odd/interesting/strange, are
women.
b. It is odd/interesting/strange that many of the applicants are
women.
(岡田(1985: 188))叙実述語のうち、半叙実述語(know, find out, notice, etc)は、補文内容の
《事実としての受け入れ》のあり方を描写するものなので、主文の断定を補強 する要素として挿入節化できるが、真性叙実述語の方は、取得した情報(事実)
に対する心的反応を表すものなので、挿入節に用いてしまうと、主文の断定の あり方を補助的に描写するのではなく、それ独自の主張を持つ独立文を付加し ているかのような感じを起こさせ、容認性を下げてしまうのである。但し、以 下のように複合表現化して、認識態度・伝達態度を表すものとして解釈できる ようになると、容認性が上がる。
(43)a. *He failed, I regret, in the examination.
b. He failed, I regret to say, in the examination.
(44)a. *This factor, it is interesting/reasonable, affected sales.
b. This factor, it is interesting/reasonable to note, affected sales.
((43)(44)岡田(1985: 192)
-
)(45)a. There are, I regret to say, more worthless books than priceless
ones.
b. The crisis, it is reasonable to hope, will soon be over.
c. Linguists, who are certainly interested in communication, I
think it is fair to say, have been more interested in describing
the rules of language rather than the consequences of lan-
guage, particularly across cultures.
(岡田(1985: 173))(46)
I'm glad to say, I'm happy to say, I'm pleased to say, I'm delighted to say, I'm happy to tell you, I'm sorry to say, it pains me to tell you, it grieves me to tell you.
(Quirk et al.(1985: 1114))
この中で
regret
は、岡田によると、(47a)のように単独で用いられることもあるが、
(47)a. He is, I regret, unwell.
b. I regret the fact that he is unwell.
c. I regret to say that he is unwell.
(岡田(1985: 193))その場合も、(47b)のような
regret
の本来の意味ではなく、(47c)のような拡 張された意味で解釈されるとのことである。3.3 主語指向型挿入節
前節で見た話者指向型挿入節とは性質を異にする挿入節の存在を(代名詞照 応の問題と絡めて)最初に理論的に指摘したのは
Reinhart(1975)である。
彼女によると、
(48)a. Ortcutt is a spy, Ralph believes, but he isn't.
(Reinhart(1975: 146))
b. #Ralph believes correctly that Ortcutt is a spy, but he isn't.
c. Ralph believes that Ortcutt is a spy, but he isn't.
(48a)の挿入節文には二つの解釈があり、Ortcutt is a spyが話者自身の断定
を表すと考えると、(48b)と同様にこの文は成り立たなくなるが、話者ではな
く
Ralph
の断定を表すと解釈すると(48c)が成り立つのと同様に矛盾が生じない、というのである。前者は話者指向型挿入節の解釈であり、後者の解釈がこ こで問題にする主語指向型挿入節である。5
この例からもわかるように、 主語指向型挿入節の最大の特徴は、 主文が
(“主文”でありながらも)現実話者ではなく代理話者の発話態度を表してい るということである。つまり、主文は代理話者の立場、挿入節は現実話者の立 場、というふうに発話態度が乖離しているのである。しかも通常の補文構造の ように一方が他方に文法的に従属しているわけではない。実はこの点で、主語 指向型挿入節文は、伝達部を挿入的に用いる直接話法の文とよく似ている。6
(49)a. "Ortcutt is a spy," Ralph said.
b. Ortcutt was a spy, Ralph said.
直接話法の引用部の中は、完全に代理話者の世界であり、その立場からの発言
5なお、主語指向型挿入節文の代理話者はいつも挿入節の《主語》として現れるとは限ら ないが、ここでは、この種の挿入節のタイプを代表する名前として「主語指向型」という 言い方を採用しておく。
6直接話法には、伝達部先行型と挿入型があり、両者には伝達動詞の許容範囲に違いがあ ることがわかっている。後者の方が許容範囲が広いのである。
(i)
a. *The dealer recommended; 'Try the more expensive one.' b. 'Try the more expensive one,' the dealer recommended.
(ii)
a. *The children giggled, 'We see something you don't.' b. 'We see something you don't,' the children giggled.
(iii)
a. *They agreed: 'What passes for cookery in England is an abomination.' b. 'What passes for cookery in England is an abomination,' they agreed.
(Banfield(1982: 47)
伝達部挿入型が伝達場面の描写に専用の語法であり、挿入(文構築の中断)の一形態であ るという点に注意すべきである。これに対して、前者はそれ以外の用途にも用いられる汎 用的な形式である
(iv)a. How could any president say, 'I cannot tell a lie'?
b. *'I cannot tell a lie,' how could any president say?(Banfield
(1982: 47)つまり、挿入型は先行型に比べて、伝達部と引用部の文法的なつながりが緩やかなのである。
である。いわば、話し手が代理話者に成り代わってその立場から発言している のである。それゆえ、事態描写・認識態度(事実性判断や時制)・発話態度の すべてが代理話者の立場からのものとなっている。これに対して、主語指向型 挿入節文が違っているのは、事態描写(直示的要素などを含む)と時制が現実 話者の立場からのものになっているということである。統語的な特性もよく似 ていて、下の例にあるように、
(50)a. "Ortcutt," he said, "is the spy who stole the document."
b. Ortcutt, he said, was the spy who stole the document.
(51)a. "Ortcutt is a spy," said Ralph.
b. Ortcutt was a spy, said Ralph.
どちらも発言者を表す節を主文の途中に挟み込むことができるし、主語・動詞 を倒置させることもできる。また、第1章で取り上げた問題の一つである、補 文をとらない動詞が挿入節に用いられ得るのはなぜかという問題も、直接話法 文との類似性を考えると自然に説明できる。
(52)a. "I will do it," he chuckled.
b. He would do it, he chuckled.
c. *He chuckled that he would do it.
(53)a. "Leander is the man," he accused.
b. Leander was the man, he accused.
c. *He accused that Leander was the man.
伝達部挿入型直接話法の文では、補文をとらない動詞であっても、発言の様態 を表すものとして解釈できる動詞は伝達部動詞として用いることができる。こ
の種の伝達部は伝達場面描写専用の語法として用いられており(註6参照)、
伝達部と引用部との間に間接話法のようなきっちりとした統語的従属関係があ るわけではないので、直接には《発言》を表さないような動詞を使った場合で あっても“saying”の意味を補って解釈されるものと思われる。これと同じ ことが主語指向型挿入節でも成り立っているのである。
(52a)の代名詞
I
とそれに対応する(52b)のhe
の関係にも注意すべきである。というのも、主文と挿入節の間の代名詞照応に関しては二種類のあり方がある ことがわかっており、それが、挿入節に二種を仮定する根拠の一つになってい るからである。7
(54)a. Johni
would be late, he
isaid.
b. He
iwould be late, John
isaid.
(Reihhart(1975: 136))(55)a. Johni
will win, he
ibelieves.
b. He
iwill win, John
ibelieves.
(Knowles(1980: 396))(a)のような通常の照応に加えて(b)のような逆行照応(backward anaphora)
が可能になっている原因は、(b)の代名詞が単なる三人称関係ではなく、代理 話者において成立している一人称関係(e.g.(52a)の
I)を現実話者の立場か
ら再解釈した三人称関係(e.g.(52b)のhe)を表す代名詞だからである。こ
のようなタイプの代名詞はlogophoric pronoun
という名前で知られており、以下のような補文における逆行照応現象に見られるものであることが既に
Kuno(1987)によって詳細に取り上げられている。(認知文法理論における
7
Postal
(1971: 18)では以下のような判断が示されているが、(i)
He
iwas safe, John
ithought.
(ii)*Johni
was safe, he
ithought.
これは、(ii)が時制から考えて、話者指向型挿入節文とは考えにくいためであろうと思わ れる。
照応現象一般の取り扱いについては
van Hoek(1997)を参照のこと。)
(56)a. That hei
was the greatest boxer in the world was repeatedly claimed by Ali
i.
b. ??That Ali
iwas the greatest boxer in the world was repeatedly
claimed by him
i.
(Kuno(1987: 109))以上の点を勘案すると、主語指向型挿入節文は、伝達部挿入型直接話法を基 本的雛形としながら、その客体描写と時制に関しては間接話法の性質を取り入 れた一種の混成語法であると考えることができる。
(57)a. "I will do it," John said.
b. John said that he would do it.
c. He would do it, John said.
このように考えると、「直接話法と間接話法の中間に当たる語法で、小説によ く見られる修辞的な技法」(綿貫&ピーターセン(2006: 516))として一般に知 られ てい る描 出 話法 (represented speech) ある いは 自由 間 接話 法 (free
indirect speech)とのつながりもよくわかってくる。
(58)a. She was confused. She asked him, "What can I do?"
b. She was confused. She asked him what she could do.
c. She was confused. What could she do?
((a)(c)
- ,
綿貫&ピーターセン(2006: 516))d. She was confused. What could she do, she asked him.
(58c)と(58d)を比べてみればわかるように、描出話法は、主語指向型挿入節文 から挿入節を省略したものなのである。実際、Banfield(1982: 76)は挿入節 のついたものも描出話法として分類している。つまり、描出話法と主語指向型 挿入節は本質的に同じ意味構造を持っていると言えるのである。
ここまで、話者指向型挿入節と主語指向型挿入節の意味構造的な違いを見て きたが、この二種は、それぞれの典型例においては区別が容易に可能であるが、
場合によっては、話者指向型なのか、主語指向型なのかが判然としない場合も ある。前にも述べたが、情報源明示機能を持つ話者指向型の中には、形式上は 主語指向型と同じものがあり、そのようなケースで区別の基準となるのは、主 文の発話態度がどれだけ現実話者あるいは代理話者の立場を反映しているかと いうことになるからである。例えば、ジャーナリスティックな文章でよく使わ れる挿入節文は、そのようなものの典型例であろう。
(59)Following a low carb diet could cause serious health conditions,
doctors in the US have warned.
(http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/4814314.stm)
因みに、上で取り上げた照応の方向性に関しては、報道の英語では両方のタイ プが見られるということを、岡田(1985: 226-227)が以下の例を挙げて指摘 している。
(60)a. What Kennedyi
has always thought, he
isaid, is that the
purpose of the American intervention was solely to help the
South Vietnamese retain their independence from their
northern neighbors.
(Newsweek, Dec. 11, 1967)b. He
icould not, the President
iinsisted, pick and choose among Congress's overruns and keep his "credibility."
(TIME, Aug. 24, 1970)
(60a)の方が、発言者の言葉を書き手が再解釈して、その立場から文章にして いるような感じがすることは確かだが(Kennedyと
he
を入れ替えてみるとそ のことがよくわかる)、このように代名詞照応で区別できる例は極めてまれで ある。しかし、このことは話者指向型と主語指向型の区別そのものが無意味で あることを意味するわけではない。3.4 その他の問題
第1章で述べた五つの問題のうち、第1・第2・第3の問題はすでに取り上 げた。残る第4と第5の問題は、結局のところ、挿入節が主文の一部のみを修 飾することがあるというところに帰着する。
(61)a. Americans, I think, use the word
bug, quite abstractly, it seems to me, for pretty well any kind of insect.
b. Let us assume, uncontroversially I believe, that a grammar consists of rules of various categories.
(61a)は
it seems to me
がquite abstractly
を 、(61b)はI believe
がuncontroversially
をそれぞれ修飾しているわけだが、これは「発言している自分を外側から眺める」という立場の移行が、文中のある語句に限って局所的 に起こっているということを示している。一つの文の構築の途中で、その一部 の語句のみに関して立場の転換が起こるということは何か異常なことのように 思われるかもしれないが、我々の通常の言語活動をよく反省してみると、さほ
ど異常なことではないということがわかる。例えば、話し言葉でよく見られる
if you like
やif you will(どちらも「そう言ってよければ」の意味)という
挿入句は、自分の使う語句が一般的なものでなかったり、自分の言わんとする ところが正確に伝わるかどうか不安を感じたときに、そこに相手の注意を喚起 するために使うフレーズであるが、(62)a. Well it's a-
it's a very wonderful collaboration, George and that marvelous orchestra that we've used from the very earliest days in "Star Wars." The London Symphony is part, really, of the "Star Wars" family, if you like, and it's been a privilege and a lot of fun over all these years to continue with this project.
(http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0205/15/lt.15.html)
b. "And then we'll fall back into the pre-9/11 mindset, if you will, that in fact these terrorist attacks are just criminal acts and that we're not really at war. I think that would be a terrible mistake for us."
(http://www.cnn.com/2004/ALLPOLITICS/09/07/cheney.terror/)
そのような場合、その部分の自分の言葉遣いを相手の立場から見直してみよう とする立場の転換が行われていることが看て取れる。また、報道の英語でよく 見られる、以下のような部分引用も、
(63)a. Mr Zapatero said he was hopeful but any peace process after
so many years of horror would be "long and difficult".
(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4835436.stm)
b. Turkey's most senior Muslim religious figure, Ali Bardakoglu, welcomed the Pope's statement, and described his respect for Islam as a "civilised position".
(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5353208.stm)
節全体ではなく、その語句の部分のところだけ、代理話者の立場に移行してそ の立場から表現しているものであると言うことができる。以上の例でもわかる ように、(細部の構造の違いはあれ)文構築の途中で一部の語句に関してのみ 別の立場に移行して表現を行なうということは、挿入節の例に限らず、よく行 なわれていることなのである。
とすれば、(61)のようなある部分の語句にのみ関わる自己客体化が行われる こと、また、それが、複数の挿入節の出現を可能にすることは何らおかしなこ とではないということがわかってくる。
4.ま と め
本稿では、以前に筆者が提案した三層構造仮説に基づき挿入節の意味構造を 分析し、様々な事実を取り上げながらその諸特性を説明してきた。最後に本稿 の議論のポイントを以下にまとめておく。