雑 録
ペ ッ ク 氏 の 累 進 税 論
松 野 賢 吾 内 容 一
︑ 正 義 の 意 義 二
︑ 課 税 と 華 業 者 三
︑ 課 税 と 貿 本 四
︑ 給 付 能 力 の 理 論 超 し て
﹁ ペ ッ ク 氏 の 累 進 政 論
﹂ と 云 ふ
︒ ロ W h i t e 琶
︵
− P e n 誓 T a H a t i O ロ へ ロ d W e
− f a r e
.
− 豊
. P い r t
. I
︻ T h e D i s
・ t r i b u t d
. n O f t 訂 T a H 出 u r d e n
. の 紹 介 で あ る
︒ 氏 の 累 進 我 論 は セ リ グ マ ン の 所 説 牽 援 用 し っ ゝ
︑ 而 か も 自 ら 呼 び て 滑 患 者 僚 剰 誼
︵ T h e O r y O f c O n S u m e r S
︶ s u 旦 u s
︶ 又 は 捕 利 用 説
︵ T 訂 O r y O f n e t u t i
− i t y J と 画 す る 箪 誼 を 提 唱 す る に 在 る
︒ 其 累 進 税 に 閻 す る 所 論 の 主 た る 部 分 は 囲
. 給 仕 能 力 の 理 論 で あ る
︒ 二
︑ 課 椎 と 企 業 者 二 三 ぺ タ グ 氏 の 累 進 税 諭
課機と貸本の二幸は累進税論としては直接関係無きが
如くなるも.−我国政府の現下募債主義に封し徴税論の
遍頭しっゝあるに際しての参考にもと︑敢て煩を厭は
す 忠 箕 に 紹 介 し た ︒
二二旦義の意義
国家機路は其れ自らの男の存在に非すして︑祉食生
活の磯路である︒従って其が鹿骨の利用を檜進する限
りは正常祀せらるべきや固よりである.而して租磯の
賦課は国家存在の手段にして︑課税の正常なることは
国家の職能に於て之を蔑見しなければならない︒囲家
の 職
能 は
祉 骨
の 編
制 帥
敢 曾
利 用
︵ s
O C
i a
一 u
t i
一 i
t y
︶ を
最 高
程度に引上けることに存する︒然らば課税の目的は純
財攻上に存するや︑或は赦合的なりや︑換言すれば課税
の目的は必要なる公経嚢を支緋するに春するや︑或は
富の公平なる分配其他産業を規制し滑登を限定するに
存するやに闘しては財政箪上申ある所である︒ペック
氏は此問題に関して日く﹁是等租税の目的の間には衝
突あるを見ない︒凡そ租税は三つの目的を有する︒印
財政的︑経済的︑祉合的是である︒是等三つの目的は
二二 五
商 業 と 経 済
相互に協調するものである︒課税の財攻的目的は同家
を維持するに在るべく図家の目的は枇舎の一拍利
ι存す
る︒而して課税の枇合的目的は祉舎の一騎利や増進する
に在る
Jされば課税の財攻的見解並に枇合的見解の生
宇るは目前の目的と終極の目的との差兵あるに基く﹂
( 同 士 二 七 七 頁
ll
一 七
八 頁
) と
︒ ロ
ツ ツ
は ﹁
租 税
の 第
一
目的は歳入を皐ぐるに存し︑枇合攻策的目的の如きは
重要なる意義を有するものでない﹂︿詰
1﹀となすけれ
共ベツク氏に従へば寧ろ枇曾攻策を行ふこと・)そ租税
の終極の目的とする所にして︑純財政的租税は目前の
目的たるに過ぎ?とするのである︒租税は国家牧入を
目的とするものと云ひ得ない誇ではないが︑其目的た
るや買は手段にして.依りて以て図家
ω目的を港行す
るに在る︒岡家機関の職能として舵曾攻策なるものを
認 む
ゐ と
せ ば
︑ 罪
︑ 目
的 遂
行 の
匁 に
︑ 組
税 徴
牧 を
震 す
﹃ }
と
は 砕 同 然 で あ る と 云 は ね ば な ら な い
1 9
パステイプルの如
く﹁富の不平等身矯正する方法として租税を用ふるは
大なる借越である︒主ハ確かにして.而して一般に承認
せらる
h一戦能は公共事務に針して遁蛍なる資金を供給
す る
に 在
る ﹂
︿ 詰
2 )
と
な し
︑ 或
は エ
l
ピルヒの加く﹁若
二一
一六
し貧寓の調節上各個人の財・産関係に干渉することが必
要ならば︑現今の流通経済的組織を改め.此の祉合的︑
閥民経湾的目的の匁に特殊なる機関及制度を設くるが
可 で
あ る
﹂ (
詰
3
﹀となすが如きはペツク氏に従へば課
税の終極の目的を忘却せるものであると云ふのである︒
註L H
︒ 門
N
山 岡 山 口
μ
ロ
NJ 4
門 出 回 目 ロ 川 の
tp
・ ・ ・
pωωH0話 ︒
ι 出
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町 ロ
巴 目 ︒ 町
山 口
PRO‑HCH4
・ 勺 ・
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何} }め
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一 一 ヨ ロ
ロ ロ
N
三 回
国 内 ロ 川
の
tpF
巴 出
・ ∞
・
・
M g社命円風一者は富の不平等は文化の附随物であるとなし
た︒不平等は其機舎の培大と共に培巡する︒軍事上
ω勝利も経済上の成功も不平等に向って進むものであ
る︒経済的優越は有能なる人に機舎を血之︑刺殺は富の
菩積に基く不平等に永久性や典へる︒故に現代に於て
は枇合的政治的には卒等なるにも拘はらホ
J .
富と貧と
の 針 立 が 存 し 是 い か 枇 合
ω脅威となってゐる︒きればベ
ツク氏は此経済的不平等矯正の必要を認め﹁或程度迄︑
此の増加しつ﹄ある現代の不平等は防止せられねばな
らない︒不平等は経済的進歩の結果にして︑其原因とな
るのではない
3唯一歩の原因は協調せる力に依る能率の
増進︑並に分業と愛明︑換言すれば牧穫滋培の法則を可
能ならしむる所の組織化せられたる生産力に基く能率
の増進に在る﹂(同書一七八頁)となし生産に於て枇舎
の参興することな認めてゐる︒従って彼は其位産の結
果たる富の分配に於ても枇曾方舟考慮せざるべからざ
る所以を述べ.殊に富者にればたる程其枇曾力の恩返
を受くること十八なる事を認めてゐる︒彼に従へば富の
分配は他人としての個人と個人としての個人との聞の
分配に非?して︑個人十枇曾と個人十一枇舎との防の分
配である︒巾は自己の努力のみを以て其富を生産する
に非宇乙も亦自己の努力のみを以て州産するに非?
巾も乙も共に現存の枇合組織の上に︑叉祉合組織と共
に行動することに依りて.甲に依る富の増大は︑乙に
依る富の増大よりも或は大となり或は小となるのであ
る︒故に巾と乙との分配に於ては︑甲の努力或は乙の
努力のみなら守枇曾刀をも考慮しなければならない︒
輩出産に於て枇舎は大なる要素たるが故である︒
如何なる程度に於て枇舎が要素となるやは大規模経
営 に
於 て
之 を
見 る
や }
得 る
︒ ﹁
印 一
段 業
管 理
者 は
熟 練
な る
多
くの持働者︑精巧なる機械︑其他市場.平和枇合秩
序等全枇九百組織を自己の手中のものとなして︑生・産に
ペYグ兵の累進税論
従事するものなる守看取しなければならない︒きれば ベツク氏はホップハクス氏の言を借用して日︿一
1令
枇
合的要素を取去らば︑難被告発がれて知識や}獲得せる
ロビンソン・クルソ
lは存せざるべく︑唯木の根︑木
の賢.毒誌を食して生息する一個の野賢人を見るのみ
で あ
る ﹂
( 同
主 二
七 九
頁 )
と ︒
きれば岡家は富の八 γ 配に干渉し︑其分配を改修し︑
財の不平等を減少せしむる事が正蛍であると云ふので
あ る
J
而して富の不平等は物質的教養と枇曾的中.産力
の増加に基く所の経糖機曾
(2 05 E付
3 ︒
2E Lq )
の
増加に依りて生宇るものなれば﹁此小平等の改修は枇
舎の協調
ω匁に必要にして︑此改修は富の不卒等を作
りたると同一のカ郎集周カ
(n
o
一
r a i q )
に 依
' り
て 行
はれなければならない﹂となし︑会経費部課税の力に
よりて此改修を質現すべきを述べてゐる(同書一八
O頁
)ο
経済的不卒等を矯正する鍔に課税の方法在用ふると
云ふは必歩しも旧来唯一税の根嫁として夫の補償説或は枇
合主義説を承認するものではない︒単に富の分配を一
般一拍祉の主義に依りて要求せらる与程度に改修する所
二二七
商 業 と 経 部
の凶家行局川冶埋由付くるに止まる︒印︑枇合協調を口
的として富の分配を改修する図家は分配上の正義
2Z 1r E7 6
一
5苧4 0
)
を行ふものであると云ふに在る︒
税率を決定するに蛍りて図家の目標とする所は其租税
が比例税にると︑系譜税たるとや向はホノ.正義への到
達に在る︒故に租税負投の遁蛍なる配分の決定は正義
の怠議如何に依わて定まるとなし︑引緩ま正義守∞待︒)
の 意
義 h
‑ 考
究 す
る ︒
アリスト
lトルに依れば正義とは平等の一であるコ
されば正義を理解するには卒等とは何ぞやを知らねば
ならない︒平等とは種々の異なれる意義に用ひらる︒
或は絶封的の意義に於て用ひられ︑或は相封的の意義
に於て用ひられる
J或は天賦.能力の平等の意義に用
ひられ︑或は欲的五.椛利の平等の意識に用ひられる︒
凡ての人が生れ乍らにして同等なる天賦の才を典へら
れると云ふ窓義に於ける平等は論議の蝕地なきもので
ある︒反之︑凡ての人が同等の椛利を有すると意義に
於げる平等は険討するの償値ある主張である︒﹁椛利と
は第三者の承認の下に存する他の人叉は枇舎への要求
︿ ロ
η F
S
︒ ロ
ロ
253238り 笠
可 )
換 言
す れ
ば 枇
舎 の
承
二二八
認 す
る 人
的 要
求 で
あ る
︒ ﹂
( 同
書 一
八 一
一 良
) 更
に ホ
ッ プ
ハ
ウス氏の言を引用して一式ふ﹁人類に特有なる特性に基
き凡ての人は或程度の平等なる基礎的標利を有する︒
例へば法律の前の平等.印人格並に財産な保護する権
利の如くである︒叉特定人に針する特殊関係に於ける
平等とは相頁間に於ける平等なる義務.並に斯る関係
に入る事に封し︑選'搾を行ふ機舎の卒等を意味する﹂
( 同
書 一
八 一
一 良
) と
︒ 椛
利 の
平 等
と は
絶 叫
判 的
な り
や に
封
し答へ日ふ﹁若し吾人が凡ての人類に共通なる一定の
来礎傑件を除外すれば.人知は各々異なるものなるを
後見する︒果して然らば平等とは比例守
5旬 ︒ 吋 門 一
O
ロ
) と
云ふ事となる︒此に於て個人の権利は功積父は功罪に
針し相封的なるものとなる﹂(同書.一八一頁)と
ο郎 ︑
権利の平等とは絶封的なる観念じ非宇して︑相針的な
る観念なる事を述べてゐと︒而して其功罪は努力又は
宜︑努力の到達に依りて郎.日常用語ぞ用ふれば費用
の版則叉は利用の版別に依りて計量せられると云ふ
c要するに平等とは相封的観念にして︑徳利は個人の功
績の標準に正比例して奥へらる込時は大過なきを得る
と 云
ふ に
在 ゐ
︒
唯.個人の功罪に比例する権利には考肢を抑ふべき
一事がめる︒其は各人の必要
( 5 0
仏ω
﹀
是 で
あ る
︒ 俄
仇 り
に平等を以て個人の必要のみに基礎を置くべきものと
すれば.個人の富
ω程度には左杭差別無かる可き事と
なる︒何となれば必要とは有功なる機能の遁蛍なる
維持に封する設備を意味するものにして︑人類の必要
は炭汎なる範囲迄.殆ん
E同一なるが放である︒印肉
般的健康︑並に能力の朕態.心的並に霊的後展の機舎
と云ふが如き人類の必要は各人略同一である︒されば
ベツク氏は個人の功罪に到して受くる報酬には最低限
度の存するを認めてゐる︒唯然し必要のみに従ふ平
等の原則を排し.ホップハウスと共に必要と功罪とを
析哀して︑例へば持働に針する報酬を割首つるには弐
の三知を考慮しなければならないといふ︒印川一府却され
た る
労 力
︐ ω 匁されたる弊働に認むる偵値内
w持働提
供 者
の 必
要 是
で あ
る (
同 事
一 一
二 八
二 頁
) と
な し
是 等
諸 制
に
封しでは︑枇合善と云ふ事守考慮して決しなければな
らないと云ふのである︒
一定の功絞を提供し.叉は能力を有する人に針して
報酬を決定するに除しては.其人をして最大の生・尿カ
A
Yグ氏の累遊説諭
ふることを容認してゐる︒而して其報酬
ω幾動は漸進 を護揮せしむる潟に.消費したろ費用以上に利用を輿
的なるべく︑其漸進的なる幾動は其報酬を受くる者と
枇舎との双庁の利純によりて決せらる=所の限界貼に
至りて静止すべきものであるとなし此個人の受くる
報酬に封して制限を輿ふる事は.枇舎が生産に於て大
なる要素たることを考ふることによりて正首班せら
るべきものであると云ふのである︒郎ベツク氏は前惑
の 如
く 枇
舎 を
以 て
中 一
・ 尿
ω
一大要素であるとなすものな
るが故に︑個人の受くる所得は従って枇舎に依りて制
限を受くべきものであるとする︒新くて人の受くる報
酬には段低にも最高にも制限を泣かるべき事となる
J郎︑最低報酬は﹁産業組織の全能力を護持するに賞︒
て一雇傭せらる﹄最も無能なる持働者の生活を維持する
に足る報酬である﹂(同書一八三頁
l一八四頁¥最高
報酬は﹁報酬守受くる者と枇舎との双方の利食の震に
希望せらる
h限 界 貼 ﹂ ( 同 書 一 八 三 瓦 ) で あ る ︒
之 ゆ
伊 品
一 比
す る
に ︒
へ ツ
ク 氏
に 従
へ ば
正 義
と は
枇 命
日 善
に 基
礎 を
置 け
る 原
則 を
平 等
に 適
用 .
す る
こ と
で あ
る ︒
換 ‑
一 一
目 す
れば個人の椛利や枇合善の見地より槻察し一は必要
二二九
商t
業 主 経 部
や基礎とし一は功罪叉は能力を基礎として定義せんと
す る の で あ る ︒
斯く氏は正義を定義して︑之巻債値判断の基準とし
て課税攻策に採り入れんとする︒租税の公正なりや︑
不公正なりやは︑モルも云へるが如く.一般的にして
最も漠然たる正義の観念(のめ
HO ur
円一
m g E ε
ら を 解 析
するニとに依りて確賀に判定し得る所である(詑
1﹀ ︒
カール・マンは﹁財攻壊は経涜外の様︑準ぞ排斥し.従
って倫理の外来的支配
25B白百 耳目
E P )
在取り去ら
ねばならない︒況んや租税正義の概念は租税経済の最
高目標並に租税配分の基準として不遁蛍として‑説明せ
られる︒││正義の概念は只形式的に定め得るのみに
して︑賢質的に定め得るものではない︒従って財攻事
上の問題に之守用ふる乙とは担否せらる可きである﹂
︿ 註
コ ﹀
と し
て ゐ
る
ο
然し乍ら.マーシャルは﹁租税の
配分は厚生︑倫明の問題と者られねばならぬ﹂ハ詰
S﹀ と
云ふ︒凡ての政策は債値の問題にして︑財政
LN策も亦
理念.蛍震を現貫.存在に賓現せんとする努力に外な
らない︒ペツク氏も正義の意義を右の如く定めて.之
を租税に賢現せんとする
Jエlペルヒも亦﹁租税に於
二三
Q
ける正義を'貨現することが質際上の租税政策の任務で
あ る
﹂ と
一 去
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ゐ る
ハ 詰
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一 一
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詑 詰 .1. 3
二︑課税と企業者
ベツク氏は右の如く正義を定義付けて之を課税に適
用して考察せんとする︒凡そ現代文明固に於ては理論
並に寅際に於て累進税卒を採りつ
hあるが氏は累進税
の根擦としてセリグマンの所設を援用して日ふ﹁累進
税主張の三黙は最低生活費の免除.所得の限界利用の
法則並に所得の限界費用
ω法則是である︒更に詳言す
れば此の所論は弐の如くなる︒郎︑比例税は最低生活費
を免除すること鋭︑ぎが伐に貧者の消費に封し温度の犠
牲を課すること﹄なゐ︒最低生活費守越ゆる過剰所得
は不念の欲望
ω充足め震に治史せられる︒更に生産費
を考慮に容る﹄時は富者たればたる程富む事容易なる
が故に累進税に導かれ.ざる身得ない﹂(同書一八五
l一
八六頁)と︒印ち
.
m
未提税の恨践としては所謂平等犠
牲訟と特椛京課税とを併用するものである︒思ムに前
訟は要するに各人が租税
LT
徴牧せらる﹄に依りて感守
る苦痛を平等にせんとする主張にして︑後誌は財の獲
得方面をも考慮して.富者は盆
hN富みて財を獲得す
ること容易なるが故に・課税を泉準となすべしと云ふに
在る︒前訟は個人の感箆に其基礎ケ泣く主観的見地に
して.後設は資本集中の傾向を個人の苦痛如何に関せ
中阻止すべしとする枇曾的見地である︒此雨一誌に封す
る批難は既に多くの財政堅苦に於て設かる︑所の如く
(例へば土方成美氏著﹁財攻阜の某一礎概念﹂第十二章第
三筒参照)雨設を併用するも其批難を兎がる﹄もので
はない︒泉荘一税の根協に関するベツク氏の所論は和主
僚ら.ざるものがあると云はねばならない︒
そは兎に角.累進殺の宜行上の困難として通常難ぜ
ら る
L所は川企業心の妨害となること.削資本の蓄積
を妨ぐることのこである︒後者に関しては次辛に説明
すること
hし前者に閲して本辛に説明せんとするつ
A
Yグ兵の果進税論
累進税反針論の第一の主張は次の如くであるつ印
利潤は企業心の誘因にして有能なる経営に封する持
貨とも一去ふべきものなる心︑累進税を課して利潤巻徴
愛するは企業者の事業と才能の生産物を取り去るに等
しい︒累進税は企業と企業心とを慮別し生産終管の
組織者として枇合的に貢献すること大なる企業者を鼠
なる金貸業者に碍落せしむるも
ωであると云ふに在る
(同書一八六頁)︒此所論には疑も無く理由の存する
ことである︒現代産業組織に於ける一要素にる企業経
管は失第に重要性や州市ぶるに至つに︒印.中一産油程が
分業となり複雑となるに従ひて.各種の生産の要素を
最も有功に聯結︑集中し組織し︑貝関聯せしむるは ・次第に閃難となり来つ亡︒企業経管が現代産業に於け
る中心的.中編的要素にして.其終管者が大なら報酬
冶受くるは然るべき所である︒ベツク氏は斯くの如く
一感企業者の利潤終得を承認する︒然し乍ら企業者の
貢献は枇舎を背景として存するものなるを論じで日ふ
﹁ 産
業 の
統 帥
へ の
名
SZoごR 5 H q )
の時代に於けるが
如く︑個人の経験と能力に基く経営方法の濁占は今や
存せぎるに歪つに︒科接的終管法は︐次第に個人の知識
一一一一
一一
商 業 と 経 済
並に経験の集合となりつ
hあ ・
る ﹂
一 同
書 一
八 七
頁 )
と ︒
更
に誌や弐で日く﹁静的なる枇合服態に於ては利潤は消
滅すること一般に終演皐者間に認めらる
h所 で
あ る
︒
換言すれば利潤の獲得は動的枇舎に於てのみ可能であ
る︒利潤獲得を可能ならしむる原因は枇命日告して動的
ならしむる力に存する﹂と︒印利潤獲得のカを奥ふ
るは枇舎であるとして企業利潤の祉合より受くる恩恵
を強調する︒而して利潤獲得の原因たる枇舎をして動
的ならしむる諸積のカとして︑シーガ!の所論を引用
して次の如きものを皐けてゐる
d川w物使幾動︑句珍奇
商品の出現.幼虫産方法の改善
. ω
気候其他自然的傑
件の幾化︑同新領土並に自然富源の開拓︐同生産に於
ける他の要素の所得率の幾化(同書一八八頁).是等の
ものは或は自然的環境の影響に依り︑或は枇合服態の
愛化に基く︒例へば気候の礎化は向然的環境の幾化に
して.物債受動は人口の増加.並に生活程度の上井と
云ふが如き枇合要素の愛化に基く︒企業以外の他の生
産要素たる地代並に賃銀の幾化は主として人口の土地
面積に針する割合の幾化に影響を受ける︒珍奇商品の
出 現
︑ 生
産 方
法 の
改 善
は 企
業 者
の 天
才 ︑
化 鼠
一 ・
者 の
研 究
︑
一一一一
一一
一
護明.経営者の経験等に基く日記等諸種のカは枇曾的
なるものが多い︒物慣受動︐護明︑技術の愛化は新し
き利潤の機舎を作り此機舎が企業者に濁創の係地を
提供するものである
J氏は云ふ﹁生産なる見地より之
を見る時は利潤は増進しつ﹄叉幾化しつ
hある枇舎の
欲望を充足すろ鍔にか一産過程を調整する溺創に針する
報酬である
3放に高級なら企業能力は特別なる報酬を
受くるに足る﹂(問主一八九頁)と︒斯く企業者の溺創
カが利潤獲得の理由たるを述べてゐる︒然し乍ら事情
を動的たらしむる所の諸種の力たる移民.人口増加.
護明︑改良.枇合
ω欲望
ω援 化
の 如
き は
主 と
し て
一 枇
九 百
現象にるか︑然らぎれば企業者の貢献ょのも寧ろ技術
家の貢献に基くものである︒きれば企業者の利潤獲得
は大部分枇舎の恩恵に依るものと云はねばならない︒
市場の状況.天然富源の供給︑技術上の後明は率ろ枇
舎の意義重姿なるものにして之等の幾化冶認めて之
を滴用する企業は枇舎に比すれば其重要性は小であ
る︒企業者は現代枇合現象の一特色たる弊働力を雇入
れ.金融業者︑教育家︑後明家の久しきに瓦る協力の
結果たる有形叉は純一形の力や使用する︒斯く親中れば
﹁一私人の貢献する所は最高に見積るも︑社合並に白
然的環境の貨献する所に比すれば比較的に小である﹂
( 同
書 一
九
O一 良
) と
云 は
ざ る
身 得
な い
s
企業者が右の如く枇舎の附山富山岳受ぐること大なるに
拘はら宇.企業者が
f小相静岡に大なる所得を獲得するは
如何ぞや︒其は蓋︑彼の特殊の機能が彼をして法外に
利盆ある地位に泣くのである︒企業者は経径の主脈者
として利潤達成に必要なる計栄町を立て生産と流通の二
方面に於ける一切を指導する
ο斯くて宜現したる総牧
金より一切の畏用邸.原料機械並に工場の減債見積
獄︑資本利子︑持賃等を差引きたる残高は企業者所得
印利潤大るのである︒其大さは得る所の債格と支挑へ
る費用との大小に依存する︒科路一主に護明に依りて速
度を加へられたる動的過程は常に枇命日事情の竣動率を
増加し︑新くて偽剰獲得の傑件を大ならしめ確定的
ならしむるのである︒企業者が大なる利潤や獲得する
は︑企業者の斯くの如き特殊地位の然らしむる所であ
然し乍ら企業者の交くる大なる利潤の獲得も枇舎の る ︒
擁設に依る事多きを忘れてはならない︒企業者は危険
A
Yグ氏の累進税論
によりて軽減せらる
hものあるを知らねばならない︒ 負換する特殊の危険である︒乍然其危険負携も枇合力 投機的性質を帯びるに至る︒此の利潤危険は企業者の に拘はら宇︑利潤は未確定たるが匁.企業活動は自ら ぞ負携する︒勢賃︑利子の如き一切の費用は確定せる
枇合力は企業者利潤の作らる
h事情を増加すると共に
他方叉企業危険な減少する︒例へば企業有は保険制
度に依りて危険負擦や軽減する︒各種の報導機関は企
業者をして景気企務測する知識を奥へる︒一枇曾化せら
れ.集中せられたる銀行業は不景気に基く恐慌を緩和
する︒﹁斯くて危険負搭者︑利潤獲得者たる者の損失は
長小限度となる﹂とペツク氏は一去ふのである(刷書一
九 一
一 良
) ︒
枇合力に依りて損失の可能性は減少する時︑一方に
於ては枇合事情の幾化並に技術的改良の促進に依りて
利潤獲得の可能性は増加する︒経済の中心たる企業者
は増加しつ﹄ある枇舎の生日威力の大部分を我物とす
る︒企業者は﹁枇合的に獲得せられたる富印.自己の
経消的生産の必然的誘因に非ざる所の冨を自ら獲得す
るのである﹂(同書一九二頁︒)
一一一一
一一一 一
商 業 と 経 済
企業者は其枇舎に封する貢献以上に利潤冶獲得する
ものである︒或る場合に於ては宅も一枇合的機能を行ふ
事無く富や獲得する場合がある︒土地培債並に不労所
得が是である︒此穣のものは移民.人口の自然増加等
に基くものにして.其根本に於て枇命目的なるムのであ
る︒戦時利得の知合︑財産所有者の弊力の提供無く︑
戦争に依りて異常なろ需要密生じたるが鴛獲得せられ
たる利潤にして殆んか)総べて枇舎の恩恵じ蹄す可き
ものである︒濁占利潤も亦其に相官する枇舎への奉仕
なくして獲得せられたる不妙所得に局する︒
右の如く企業者の利潤の中には蛍然枇舎に返却せら
る可き部分がある︒利潤の一部を枇舎に復蹄せしむる
に二つの方法を考ふる事を得る︒一は自由意思に依る
寄贈にして.一は強制的なる和税賦課である
u此二者
の俊劣を考ふるに白山立忠に依る寄贈は強制的なる
租税納付に比して劣ること同よりである︒第一に寄贈
は財攻腐の租税賦課の場合の如く祉合的必要に従ふ﹃}
とがない︒第二に企業者利潤の或部分は枇舎の産物た
るに拘はら宇︑之を課税より除外して.私人の自由に
委 ね
る は
公 正
で な
い (
同 市
一 一
二 九
七 頁
) ︒
而 し
て 企
業 者
の
二三四
利 潤
は 如
何 な
リ 心
部 分
冶 以
て 一
枇 舎
の 産
物 と
者 る
べ き
か ︑
従って如何なる引何度に於て租税の徴牧をなす可きか︒
其計量は甚詑閃難なる問題である︒↑協同と相互扶助
の複雑なる服態に於ては個人的要素の貢献を介離す
ることの困難なること.宛かも現代戦争に於て一個の
武人の勤功冶評倍するの困難なるに等しい︒﹂(同書二
0 0
頁)
三︑課税と資本
前辛に於て述べんと欲せし事は︑若し企業者が其租
税支抑の後︑命生産替用を越えて治ミ剰僚を有する限
り︑課税旧来迩とするも企業心を減少せしむるものでな
いと云ふに在る︒右の所論は叉五日人の採り来れる主義
の観念に一致する点のである
J・次に累進税に関する批難は資本一帯積に関して向けら
れる︒印其批難に依れば高度の累進税は大所得の獲得
を防止し︑所得の平等を鷲らすものにして︑所得の中︑
蓄積せらる﹄部分を減少するものであると云ふのであ
る︒資本菩積の重要は古き自由主義経演閣一者の立論の
基調である︒其所論に依れば大なる剰儀所得のみより
大なる新企業が起され.経済の愛展が行はれる︒累進
税は存個人の所得の不平等を減少することによりて資
本の菩積守減少するものなるが故に︑累進税の資際上
の限界は新税に依りて資本苔積を止むる事を始むる一
定貼である︒若し其税率︑が此鈷守越ゆる時は枇曾的害
惑となる︒蓋.枇舎の進歩は資本の寄積に負ふ所多き
が故であると云ふのである︒斯くの如く剃依所得を
擁護する議論は枇舎に於ける経済的不卒等を是認する
こ と
hなゐ︒大所得の多くは相続.偶渡所得其他の不
労所得に基くものなるに︑日疋等は経済的唯一歩の原因と
して正蛍現せられるのである
Jベツク氏は有力なる経
液型者にして斯種の議論をなす者ありと
Lて.フリデ
イ 氏 の 次 の 如 き ・
7一 口
を 引
用 す
る
J
﹁大所得︑大利潤への重
課は投資に利用せらる﹄資本を減少し.戎程度に於て
図留の培迩を折ける︒大所得重課は一方に於℃小所得
の兎税となり︑小所得を受くる人の貯苓力は増加する︒
││然し乍ら此階級の行ふ所の増加せる貯者は一般投
資市場に税はる
h事無く大部分は貯寄者自身の要求
たる住宅︑家具︑白動車の如︑き耐久的商品に投ぜられ
る︒されば新しき租税は図富の培迩を妨け資本の投資
AYグ氏の累進枕論
市場への流出を減少せしむるニとは疑無き所であるつ 資本増加は過去一世紀聞に於ける吾人の関心事の一に して租税重課か資本増加を防害する限り之等の組 税は最も批判的なる吟味に服せねばならない﹂
m同書
二
O三頁!二
O四 頁
﹀ と
っ
右の所論の如く果して茶進税は資本苓積を防害する
ものなりや
J此に二個の代表的場合を考へょう︒印.
米国に於ける経済的平均人と百一両砲の大所得者の場合
とを比較して考察する
ο米国所得税か純然大る比例税
率を課せらるゐものとし︑所得税が聯邦政府唯一一
財
ω .源と仮定する
u一九二二年に於ける聯邦牧入三千二百
高弟にして︑之を全図戸数にて除する時は一戸の支排
ふ租税一品は一四五曲抑止なる︒然るに一戸平均の所得高
は二千二百砲に過ぎない︒斯くの如き事情の下に於て
は一戸の所得は家族坐活設並に租税支携によりて消失
し.資本菩積の機合従て経済的後肢の機舎は著しく少
いと云はねばならない︒次に大所得者の場合を考ふる
に其所得一品百一向弼に封する所得税卒六・七%が課せ
らる
hものとすれば︑和税高六一向七千弗を差引きて其
所得者の蓄積すべき剰俄は九十高弗や越える事とな
二三五
商 業 と 経 済
る︒此俄剰は金利の騰落に比例して仲縮自在なる投資
々金供給の源となるのである(同令官二
O五 頁
l
二
O六
頁)
右の結論は恐らくは経済界の賓際家に依りて承認せ
ら る
h
が如く忠はれる︒右の所論にして安蛍なりとす
れば.図高の護展に妨害無からしめんが鍔には泉進
税には一定の限界存し.従って会経費一品にも限度の存
すること
hなり︐而かも終演上の不平等を是認しなけ
ればならない事となる
J殊に必要なる資本菩積を得る
が匁には低き税率が必要であるとすれば吾人が果進
税の根践として採り来れる一小等犠牲説或は特楳重謀説
は之を放棄せざるべからぎる可く正義の目標たる壮
合的並に政治的理想を捨てざる可からぎるに一宇一る︒此
理想を達成せんとすれば資本蓄積は不可能となる︒
此論理的矛盾を解決する符にベツク氏は弐の如く一説
明 せ
ん と
す る
︒
所得の不平等なる件以態の下に於では資本菩積は大な
る祉舎の浪費を含むものである︒其浪費は消費と生産
の二方面に起る︒郎︑所得の不平等なる時代に於ては
者修日聞の需要多くなるが銭.資本は生活必需品に投下
一 一 一 一 一 六
せられるよのも︑者修品の生産に多く投下せらる
hに
至る︒其生産物の大部分はラスキンの言を用ふれば
J4
・
35
に非守して自任である︒一方に於ては労働者
の自渡的努力︑枇合協調心の快乏となり︑罷業︑怠業に
陥h
りて牛一産を害し.生産の浪費となる︒叉極端なる浪
費者︑有閑者が存するが故に階級闘争を助長し生産を
撚鈍する︒ベツク氏は﹁枇合的平等の欣態の下に於て
は.人類はより愉快に人生の困窮と辛苦とに耐ふるを
得るであらう﹂と云ひ詩人ゴールド・スミス氏の
1豪者.高債な饗宴を.振舞ふ王侯無かりせば田子は己
ザダメ
が惨めさも.人の運命と見しならむ﹂子大畑交七氏の誇
に依る︒同氏著枇曾的財攻堅三六四頁)と云ふ古き詩
を引用してゐる
J更 に
諾 在
沖 八
で 臼
く ﹁
大 な
る 天
然 富
源
分業︑産業に於ける力の愛化の行はる
h現代に於ては
大なる笥は集めらる
h事迅迷にして叉容易である︒然
し乍ら枇舎は・次第に枇合上の平等に針する熱墜によっ
て刺戟せられる︒故に古き
J包
gSF一 円
︒ =
の 機
績 と
資本蓄積の浪費的なる欣態は革命の原因たる可く.少
く共民衆は生産油棋に於て必要的要結たる枇合協力を
拒否し叉は協力に不熱心にるに至るであら︑フ﹂(同)
( 同
菩 二
O
九頁)と︒更に所得の不卒等は資本蓄積に取
りて必要なりとするも.資際に於て資本過剰或は坐産
過剰となるの結果を中一歩る︒査資本増加に針する枇
合的必要の限度に闘しては探測を詐さゾるものあるが
匁.資本一帯積と消設との間
ω均衡を撹飢するに至るが
放である︒故に資本の苓積の廊崎には笛の不平等を必要
とするとの議論に針してはホプソンと共に所得の浪費
的なる分配は資本の浪品質的なる利用となると答ふるを
得 ゐ
っ 資
本
ω浪設的利用は尚品が消賛せらる
Lよ り
も ︑
大なる活皮を以て生産せらるこ争となる︒蓋.中.産力
は消費カよりも俊勢なるが故である弓資本過剰に封し
ては二つの辛制力な考ふる事を得る︒郎︑物債の下落
と金川の低下とが是である︒然し乍ら此二つの指制作
用は緩没にして比不完全不充分にるを発がれない︒
物低下落は出産と消費との均衡を保持するに充分で
はない
Q何となれば物債の下落する場合︑消費者は其
下落の科.皮に正比例して.其商品の購入を増加するも
のではない
J官 一 a .
各階級の消費の程度は物促の援動に
従って仰紛自在なるものではない︒物債の下落が現在
の生産の歩調を減少するに至る迄は生
J屈と消費との均
ペYグ兵の同議選税論
衡は行はれ得ざるも
ωである
J金利の低下も資本菩積
を減少せしむるの力を有するものでない︒蓋︑資本蓄
積の大部分は金利の高低に関心を排ふ﹃)と少き大所得
者に依りて鍔さる
hものなるが故である(同書二一
O頁
l一 一
一 一
一 良
) ︒
ベツク氏は更にモ!ルトンの説明を引用して右の意
見を敷附する︒凡そ資本法制積
ω耗 度 は 消 防 百 培 加 の 程 度
に依る︒資本創建の過程は事情によりて異にするもの
がある︒印資本創造は川原始時代︑仰米園開拓時代︑
切現代分業祉舎の三つの場合によりて其の過程を具に
するも
ωである︒未立交換の行はれざる原始時代に於
て個人が資本そ用ひて自己の生産力守増進すべき場合
を考ふるに.彼は消費品の製遣にのみ時を費すを得な
い︒必宇や其努力
ω一部は資本財の創造に用ひなけれ
ばならない︒・次に米岡開拓時代に於ては人々は消費品
の牛一産に従事する守得ざる期節を利用して資本財生
産の錦に用ひに
u郎農夫は耕作父は牧穫守錯し待ざ
る時期を法びて.或は土地在改良し︑農業用家屋を建
築し︑或は道路を作ることに費したのである︒此雨者
の航態に於ては資本創造に作用するものは消費には
二三七
商 業 と 経 済
非宇して勤勉叉は怠惰である︒雨時代に於ては資本投
下に依る生産過剰は起らない︒何となれば資本財は主
として之を創造せる人によりて所有せられ︑叉使用せ
ら る
h
ものなるが故である︒反之︑現代の如き分業祉
舎に於一しは右の二つの場合と地在異にするものがあ
る︒印.資本創遣は更に複雑にして械度の後展となっ て現はれる︒現代分耕太枇曾に於ては甲は乙の鍔に中.産
をなし︑乙は中の府却に生産を行ふ︒若し甲が富者たら
ん事れぞ士山し︑叉は賂来老年時代に封する配慮の鍔に消
費節約在先さんか︑乙の生産物に封する需要守減中る
こ と
h
なり︑従って乙
ω生・産は減少する︒同様に乙が
叉貯菩を志したならば︑甲の生産金減少する事となる︒
斯る事情の﹁に於ては貯蓄は生産力の増加や結果せホノ
して︑却って中乙雨者は生産者として俄暇を多く有す
ること
aな る
u
印此説明によりて明なるが如く消費と
資本創造とは相互依存の関係を有する︒凡ての人が多
くの貯菩をなして消去するニと少ければ.生産物の市
場が失はれる
3宜に現代分業生産時代に於ては消費が
支配的要素や占める(同書二一二頁
i一 二 三 頁 ) ︒ 其 最
も著しき例は大戦時代に於て之冶見るを得る︒米岡商
二三八品に針する欧洲諸国の需要が米閣の生産高を増加し.
従って資本の急激なる創遣を資した︒印.一九一六年
に於ける米岡の貯蓄金高は平年の三倍となり︑一九一
七年︑一九一八年に於けら貯蓄金高は克に増加しに︒
猫り米図のみなら?英国に於ても戦時品への需要増加
の結果婦人︑子供に至るまで就業した︒民衆の購買力
増加の錦戦時品以外の商品も亦生産の増加を惹槌した
のである︒戦争突後直後に於ては米岡に於ては質素倹
約を奨励し井︑結果消費の減少となりて現はれ.数週 の後に販貰並に生産の減少を来し資本創活も従って
減少した︒於日疋乎︑失業緩和.利潤保障の目的を以て
事業促進運動が始められに︒斯くの如く消費の減少は
全質業界冶遁じて直ちに打撃を受くること大なるもの
で あ
る (
同 書
一 一
一 六
頁 )
︒
以 上
の 所
論 を
略 一
一 一
一 目
す れ
ば 富
の 不
平 等
は 必
宇 し
も 資
本
苓積の誘因となら?.却って弊働者の反感は枇合協力
守害し資本投下の部分的増大は生産地刺従って不景
気へ導くこととなる︒殊に消費こそ現代産業の支配的
要素なるが故に所得配分の一般化を必要とすると一去ふ
に 在
る ︒
之 を
要 す
る に
消 廷
の 減
・ 砂
に は
一 {
一 止
の 限
度 が
存
す る
ω
︒ 資本創造を妨害せざるやう生産と消費との問
の遁蛍なゐ均衡を得る貼を以て其限度とする︒セリグ
マンは同様なる怠見を述べて日ふ﹁富岡とは岡民の消
技大にして且其の種類多く︑将来の生・尿に用ひらる﹄
資本︑並に一渦利︑文化の培逃せる朕態に還元せらる可
き所の物質的刺僚の存する図是である﹂ハ註
i)
と .
ベ
ツク氏も云ふ﹁資本者裁の主にる安素は禁欲.節約又
は消投の減少じは非守して︑原料より精製品への創造
を通じて投資界より目以終消技者へと滑かに而して規則
的に商品をして流入せしむる所のお安の規則性と披張
とである﹂(同書一二八頁
l一 二
九 頁
) と
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出 ・
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ベツク氏は以上により企業者の租税負捻が必宇しも
企業者自身の損失とならざるのみならす︑却って其企
業の維持の匁
ι必要なることを説明した︒斯く経済的
見地よりして累進税の必要なる所以在述べ来れるベツ
ク氏は一見に進んで枇合的に観察するも泉進税賦課の正
岱なるを少しく力一読する︒凡そ貯帯は之を供給する側
に於ける制欲叉は犠特を必要とするものである︒然る
に大なる利潤冶獲得する者は一定金高の貯苓をなす場
ペYグ氏の累進税論
合に提供する犠牲は比較的小なるに.賃銀生活者又は 俸 給 生 活 者 が 一 定 金 一 品
ω貯苓をなす場合に提供する犠
牲は比較的大である︒而して凡ての貯蓄に針しては共
惑にして一定なる市場債絡にる金利の存するものであ
る︒此の不公平は呆唯一税の賦課によりて一部分補償せ
らるべきである(同書二二
O頁
l二 二
五 頁
) ︒
消設印市場換午一目すれば枇曾的要素が凡ての企業の支
配的要素大るが如く貯蓄に針しでも.亦個人的見解よ
りも祉曾的見解を容れざるそ得ない︒﹁租税の納付は
本質的に個人的現象たれ共︑貯蓄の集積は主として枇
舎的現象である円枇合組織は生産と消費の分野に於け
る
Jが如く資本菩積の分野に於ても亦人類努力の能率を
増進せしむるものである(同書二二六頁)︒此に企業者
が尚業銀行より受くる恩恵を想ひ起きなければならな
い︒商業銀行の特質は小額を預りて其の十数倍に相蛍
する信用を創建するを得るに在る︒モールトンに従へ
ば銀行制度は貯蓄
ω能率を十六倍に増加すと云ふ︒斯
くて銀行制度は坐・産物を消費者に移縛するに充分なる
資金と投資の目的の震に必要なる資金とを提供し.個
人の信用と能率の増進︑並に市場の繁栄を来さしめて
二三九
時 業 と 経 済
企業者の傍に民衆の購買力巻増進する︒ベツク氏は語
を次いで日ふ﹁累進税は長期を通じて見たる政策であ
る︒其の貴行は例へば銀行業の完全なる枇合化と云ふ
が如︑き各方面に於ける壮合攻遣を意味する﹂(同書二二
八 頁
l
二 二
九 区
) と
叫
四.給付能力の理論
以上数字に依りて正義の怠義を定め︑弐で租税を重
課するも必示しも企業心を一式微せしむるものに非守︑
叉必中しも資本菩積を妨害するものに非ざる所以を説
明した︒ベツク氏は弐に課税率は如何なる山何度ゆ倍以て
可とするやに論及する︒
租税負搭の配分に闘し主なる所設一一つある︒租税を
定むるに常りて川納税者に典へらる﹄同家給付の費用
を以てせんとする説(費用説¥帥納税者が岡家給付よ
り受くる利盆を以てせんとする説(利盆説
) . ω
図民の
給付能力を以てせんとする説(給付能力説)︑是等三訟
の存すこと既に知らる﹄ーが如くである︒費用説は同家
給付と租税納付とを頁買の如く観るものにして之や適
用するを得ない︒蓋.・図減給付と租税一品とは等侵値関
二四
O
係に立つものに非ぎるが故である︒利盆説も亦採るを
得ない︒音︑個人の岡家給付より受くる利盆は之を計
算すること困難なるのみならす︑例へば慈議口事業の如
く給付の戎程の方式は捻税能力無き人に奥へらる
hも
のなるが故である︒第三の説たる給付能力に従って課
税すべしとの設は財攻草者に依りて一般に承認せらる
る所である︒然らば如何にして給付能刀を測定するを
得るや︒多くの財政恩来日は此問題研}取扱ふに蛍りて
納税者が其租税を支抑ふに常りて受くる犠牲を計量
し.以て机税同擦の配分守推諭せんとするのである︒
而して此犠牲に針する税方によりて見解を異にするも
の凡そ三ある︒印最小犠牲
(E
O).E自己回目立国内
平等
犠牲
(OAS‑自立 問の
O)
︑ 比
例 的
犠 牲
へ 司
33
邑O
ロ包
s a m B )
是である叫是等三個の犠牲訟は何れも其結論として系
浩一税じ導くものにして.只其茶準税率の刑判度に闘し異
なれる見解を持するのみである︒印平等犠牲説は一戦皮
の累進率・を結果し比例的機牧説は平等犠牧誌に比す
れば梢高度の呆浩一卒を主張すること
hな り
目 以
小 犠
牲 設
は最低生活設を高く見積り︑而かも最大所得の徴畿を
傑件として著しく高度の旧来進率冶結果すること﹄な
る(同書二三五頁
) J
是等三つの犠牲読を以下検討せん
と す
る ︒
最小犠牲説と同様なる長迩の方式を主張するものに
枇曾主義訟がある︒枇合主義設は人類の必要を強調す
る︒必要とは既惑の如く有功なる機能の遁岱なろ維持
に封する設備をな味するものにして︑人類
ω必要は皮
汎なる範囲迄均等なるものであると云ふのである
J従
って功過じ従ふ比例と云ふ事を考慮せ中絶封的意義じ
於ける平等を主張する事となる︒是ペツク氏の採り来
.れる正義の翻怠に反する所である︒
一枇合主義設よりも夏に精密にして大所得の徴穫と云
ふ同一方向を採る所論はエツデヲ
lス︑並じヵ!パ
lに依りて主張せらるよ以小犠牲設である︒エツヂワ
lスはベンタムの功利主義より出愛して凡ての攻策は最
大多数の日以火幸福を其目的と匁すべく其最大幸一附は
課税
ι基く純利用
ω全部が最大限度でなければならな
い︒芯はえ不利用の全部が最小限たることを意味する︒
此見地よりして.各納税者
ι取りての限界的不利用を
平等ならしめねばならない︒印︐全般として最小犠牲
( 一
g m ご
o 昆虫色問︒︒﹀となゐ︒結論として﹁問題の論現
ペYグ氏の累進税論
的解決は大所得は一定の水準迄其所得を引下けられね ばならない︒﹂印方︒富者は貧者
ω利誌の匁に富の完全
なる平等が淫せらる﹄貼迄課税せらる可きである﹂と
一 五
ふ に
在 る
ハ 詰
1)
︒然し乍ら斯くの如き結論を導き出
したるエツヂワ
lスも賢際人として客観的事情を考慮
するの必要を認めたる時.其主張に針し柏総踏せざる
を得なかったと云ふ(同書二三七頁
ν︒此所論に封する
ベツク氏の反封は彼の採り来れる正義の観念に一致せ
ざる貼に存する
u印︑若し其主張の如く富に於ける完
全なる平等が課税の方法に依りて保設せらるミものと
せば絶封的平等冶結果しベツク氏の枇舎善のす.場より
引出されたる正義観の要貼たる相封的比例的平等に背
反すこと﹄なる
J叫 一川
1 . 間 内 一 r HO J 4 cz
ご
EH FO 町ロ 円︒ 吋]
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o﹁ 吋 ha pz c‑ MZ Hw gz
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JF J)
・J1HF}一{ωO
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主張せらる
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︑ き
日 以
小 犠
牲 説
は 全
閥 民
の 富
の 完
全
なる平等に遣すると云ふが如︑き方法に依りて賢際上遁
用し得らる﹄ものではない︒立ハは最大宮者の所得を第
二の富者の所得の貼迄低下せしめ得るに過ぎない︒之
や明にする匁に先づ或枇舎に於て三人の富者ありとせ
二回