資金理論と連結会計
今田正
I は じ め に
連結財務諸表の会計的特徴は,周知のどとく,法律的には個々に独立した 会社が,株式の取得を通じて支配・結合関係にある場合において,その作成 の根拠が成立するとされるところに,その出発点がある。
すなわち,連結財務諸表は企業集団を単一の経済的実体とみなして,個別 財務諸表では表わしえない企業集団としての財務的情報の提供を行なうもの
(1)
であるとされ,連結財務諸表は幾つかの会社を結合して,これを単一の企業
° e ° ° ° ° ° ° ° °
とみなしたとき,各会社の個別財務諸表を基礎に,これに一定の連結会計手 続をはどこすことによって作り上げられる,いわば純会計的概念に屈するも のである。ここに,連結会計は,連結財務諸表作成の基本的前提のもとに,
連結諸概念,連結会計手続を包括した−体系として存立し,それ自体の論理 体系として組立てられているのである。したがって,またここに,これら連 結諸概念,連結会計手続をいかに一貫した連結会計基準として論理的体系化 をはかるかという点で,そこにさまざまな論理=観点が採用されるのであ る。
ところで,いま,パッチロ(J.W.Pattillo)に依れば,一般に,情報シ ステムとしての会計学は多くの観点のうちのいづれかひとつに基礎をおいて いる。会計学には実在的人格であるか擬制的人格であるといった観点,ある いは資金のような非人格的な観点がある。さらには,他の観点,たとえば
「活動概念」,「操作概念」あるいは「組織理論」のような観点も主張され ている。実在的な人格の観点は所有主理論において明示されており,また,
企業実体を,それ自身擬制的な人格として措定するエンティティ説が主張さ
(2)
れるとともに,非人格的観点を主張する資金理論が存在するのである。
連結会計においても,個別会計におけると同様に,連結財務諸表がいくつ かの会社を一つのものに統合して表示すべき仮構的実体は,その法律的側面 ではなく,経済的現実
( e c o n o m i cr e a l i t y )
であるという基本的前提のもと に,連結財務諸表がいかなる観点から作成されるべきかという点で,ととに また所有主理論,エンティティ論,資金理論といった連結財務諸表会計基準 の論理的体系化をはかる上から各種の主体論が存在するo
ここにとりあげるヴァッター
( W . J . V a t t e r )
資金理論は,まさに,このよ うないわば連結会計主体論の一つをなしているo
なかんず、く,資金理論はそ の操作主義的方法にもとづく資金概念を中心概念として,前二者の所有主理 論,エンティティ論に対する批判をもって,連結会計基準に新たな方法と論 理を提供しているのであるo
すなわち,連結財務諸表はすでに,それ自体,連結財務諸表会計実務として存立しているD したがって,乙乙に連結財務 諸表論の展開においていかなる主体論=観点を採るかは,いかに論理的整合 のもとに連結会計理論あるいは手続の体系化をはかるかというととである
o
ウ*アツターが述べるごとく
i
資金理論アプローチは,その基本的側面で『エンティティ論』ないし『所有主理論』の観点に対して多くの点で異るよ うにみえても,実際は,資金理論は従来の会計手続ないし体系に大きな変化 を伴うものではない。しかし,事実上,資金理論は既に最良と考えられてい る会計実務により一層の論理的基礎を提供するとともにさらに資金理論の適
( 3 )
用によって改良される会計上の側面が存在する」のである。
なかんずく連結会計は,ヴァッター資金理論の展開において,特にその資 金概念の具体的適用例を示すものである。かくして,乙乙l乙,連結会計論に おける資金理論の検討を行なうことは,連結財務諸表の会計的性質を検討す ることを意味するとともに,それはまた,資金理論そのものの論理的性質に ついての究明の意味をもつものといえよう。
本稿では,以上のような視点から,以下,資金理論アプローチによる連結 会計の諸問題の再検討を試みる
o
(註)
(1) 企業会計審議会「述結財務諸表に関する意見書」昭和42年,参照。
( 2 )
飯岡透,中原章吉共訳『パッチロ財務会計の基礎』同文舘,昭和4 5
年,7
頁。( 3 ) Vatter
,W. J .
,The Fund Theory of A c c o u n t i n g and I t s I m p l i c a t i o n s f o r
F i n a n t i a l R e p o r t s ( C h i c a g o : The U n i v e r s i i y o f Chicago P r e s s
,1 9 4 7 )
,P. 3 9 .
(飯岡透,中原章吉共訳『パッター資金会計論』同文館,昭和4 6
年〉E ヴァッター資金理論における「資金」の概念
資金理論の連結会計への適用における中心概念は,その「資金」の概念に 求めることができる。すなわち,連結会計におけるエンティティ論が支配=
従属関係にある会社集団を「経済的実体」とみなして,関係会社群を単一の エンティティと仮構することに連結財務諸表作成の根拠を求めるのに対し て,資金理論は会社集団をもって一個の資金とみなすことによって連結財務 諸表作成の根拠をうるのである。かくして資金理論アプローチによる連結会 計の検討は,まず,このヴァッター資金理論における「資金」の概念の内容 が検討されなければならないのであるO
ヴァッターによれば,要するに
r
資金理論は,会計記録および会計報告 が適用させられるべき注志の範囲(areao f a t t e n t i o n )
を 限 定 す る 乙 と か らはじまるO このことは,会計単位として取扱う乙とのできる活動分野ー乙 こで資金とよぷーを財務活動や営業活動のあらゆる分野からひきだすという( 1 )
問題である」。このように,資金理論はその操作主義的方法に基づき,資金 をもって資金理論の論理的枠組の統合をはかる中心概念として設定するので あるO
操作主義的方法によれば,操作的概念は,そのあらゆる概念がその操作に もとづいて定義されなければならない。すなわち
r
一般に,し可かなる概念 の意味も一組の操作にほかならない。すなわち,概念はそれに対応する一連 の操作と同義である……t h ec o n c e p t i s synonymous with t h e corresponding
(2)
s e t of o p e r a t i o n s . J
0したがって,経済的活動において,特定の目的や状況にもとづいた会計操 作にしたがって,いかようにも資金単位が設定されてくるのである
o
ところで,まず資金理論は従来の担益理論に対する,いわばアンチテーゼ
として,なかんずく従来の会計理論の統合的枠組として成立している所有主 理論,企業実体理論に対して,操作主義的方法にもとづく基礎的概念の構造 たる資金理論を新しい論理の体系としてっくり上げることにその役割があ る。そこで,ヴァッターが彼の資金理論の展開にあたって強く主張するのは 従来の会計理論の論理的枠組の基礎をなす人格概念,これを基礎とする所有 概念あるいは法律概念にかえて,企業の経済活動の単位の運動をあきらかlこ するところの資金概念を提示するところにある。すなわち,彼は,会計理論 が人格
( p e r s o n a l i t y )
や人格的意味あい( p e r s o n a li m p l i c a t i o n )
にたよる ということは,よし習慣であるとしても,あらゆる数量的分析が目的とする 客観性に寄与するものとはならないとし,会計をもって数量的方法の特殊分( 3 )
野とみなすのである。また,会計は会計上の操作をなんらかの「単一の価値 をもった理論」あるいは「単一の人格」に論理的枠組の基礎を置くこともで
( 4 )
きないとして会計操作の多元性を説くのである
o
かくして,彼によれば,所有主理論的見解もまた企業実体理論的見解もと もに人格から出発することによって会計理論の基本的な問題を解決する乙と
(5)
はできなかった。また
r
所有主」の概念も「企業実体」の概念もまたすべ ての要求を充足し,あらゆる実務に適合しえないというのであるo
ヴァッターに従ってみれば,とくに「企業実体
J ( b u s i n e s s e n t i t y )
概念 についていえることであるが,企業単位の概念というのは注意の範囲を限定 する手段にすぎないというo
したがって,限定された営業活動でも会計の基 礎となりうるのである。だからこういう会計単位は,また人格的意味をもた ないものでなければならない。と同時に,その単位は,その境界を明確にし うるものでなければならない。しかもこの単位は,さまざまの組織形態およ び各種の活動に適用せられ,また会計が達成せんとする手続や結果にたいし て明確な関連をもったものでなければならない。このような単位として見出(6) されるのが資金なる概念である。
このように,資金とは,一定の財務記録および報告書に包括される考察の 範囲をあらわしているという意味で会計の単位である
o
すなわち,資金と は,官庁会計や公共企業体会計におけるそれのごとく,操作の単位であり,関心の中心
( c e n t e ro f i n t e r e s t )
であるD そして,それはまったく非人格 的意味において会計主体= (資金実体)である。かくして,こういった会計 領域では,管理組織,特定の活動あるいは特定の目的といった諸要素にもと づいて資金実体が設定され,複式簿記の機構がそれぞれの単位ごとに適用さ( 7 )
れるのである。
このように,ヴァッターは操作主義的方法にしたがって,資金を操作の単 位として定義するのである
o
すなわち,資金とは活動や操作の領域,財務報 告の関連する関心の領域を限定する手段であるとするo
そこでは人格につい ての法的な,またはその他の形態が強調されるのではない。資金を設定する ということは,操作の領域の定義にほかならない。したがって,かかる資金 概念によれば,資金の勘定にはすべての資産項目だけでなく,当該資金に属 する持分のすべてをも含むのである。すなわち,資金の運用にはさまざまな 資産の調達および処分をともなうので資金勘定には資産の利用に対応する拘 束 (r e s t r i c t i o n s
)および制約(li m i t a t i o n )(
I持分」の定義)を記録する勘 定も必然的に含まれるのであるo
さらに加うるに,これらの勘定には収益,費用および利益の各勘定が属するのである。かくて,乙れらの勘定を総合す れば,当該資金の定義に相当する資金活動についてのすべてについて完全な
( 8 )
総勘定元恨の試算表が作成されると,ヴァッターはいう
o
以上が,ウ、、アツターの主張する資金実体概念の内容であるD ここでは,資 金実体という概念は人格的な概念でも,法的な概念でもあるいはその他の概 念でもない。会計上の単位はなんらかの人格的な志味をもつものとは切り離 されており,資金理論は,資金勘定をそのために記録し,報告をそれに関連 せしめるような人格を必要としないのである。そこでは,資金の概念は,人 格的思考に妨げられることもなく,評価,財務諸表の形式および内容,これ
( 9 )
らに関する問題に拘束されることはないのである
o
このように,資金理論で は,人格概念は排除せられ,資金単位が会計主体となる。しかも,この資金 単位は,営業の程類と状況,目的,活動,手続の様式に応じて任意に決定さ(10) れるものである
o
以上からも知れるごとく,ヴァッターは会計の関心領域すなわち,機能領
経 営 と 経 済
域として「資金」という概念をもちだしているのであるO しかも
I
資金」の概念は資金論理をささえる基礎的概念として位置づけられている。
まず,資金概念は,一連の企業活動を限定し規定する,すなわち会計の対 象たる関心の領域を特定すべき手段である。換言すれば,資金とは,活動や 操作
( a c t i o n so r o p e r a t i o n s )
の領域,すなわち,財務報告の関連する関心 の領域を限定する手段であるとするのであるo
かように,資金とは操作の単 位であり,会計の操作領域が会計の対象となるO
したがって,資金概念は会 計の認識対象を規定する基礎概念をなしているのと同時に,会計主体概念の 意味を有しているのである。ただし,資金理論のもとでは,従来の会計理論 の基軸をなす会計主体としての人格概念は捨象され,会計の対象をなすの は,限定された特定の活動ないし機能領域としての資金単位が資金実体とさ れ,会計単位を形成するのであるo
また,ここに会計単位とは,ある機能 的目的のために集められた用役可能性( s e r v i c ep o t e n t i a l s )
の集合体であ り,かかる資産の運用される活動領域である。そこでは,人格概念は排除さ れており,資金単位が会計主体となるo
しかも,この資金単位は営業の穏類と状況に応じて任意に決定されるという会計単位の多元性を主張するところ に資金理論の論理の基軸がある
o
かくして,資金理論にあっては,まず人格的主体概念が排除せられる結 (11) 果,会計は数量的方法,すなわち統計的手続の特殊分野とみなされ,会計と は,事実
( b u s i n e s sf a c t s )
を金額で数量化し,乙ういった数量化された資 料を体系的かっ要約的形式で報告するところに会計の機能があるとされるo
したがって会計は,財務諸表の利用者が自己の要求に促して利用できるよう 資料を提供すればよいという,会計が「統計」の論理として展開されるので ある
o
このように,資金理論は,会計理論から人格概念を排除しながら,た だこれらに替わるものとして操作的諸概念を設定することによって,会計を 評価,人格,所有,財務諸表の内容と形式から解き放なち,会計をもって統(12) 計の特殊領域とみる乙とも辞さないのである。
( 1 ) V e t t e r
,W. J .
,The Fund Theory of A c c o u n t i n g
,o p . c i t .
,P . 1 4 .
(2)Bedford
,N. M.
,Income D e t e r m i n a t i o n Theory: An a c c o u n t i n g frame‑
work (Massachusetts:Addison‑Wesley
,1 9 6 5 )
,P . 6 8 . ( 3 ) V a t t e r
,W. J
.,0 ρ . c i t .
,P . 9 4 .
(4)
I b i d .
, P P. 7 ‑ 8 .( 5 ) I b i d .
,P. 3 8 .
(6)I b i d .
, P. 10.( 7 ) I b i d .
,P. 1 2 . ( 8 ) I b i d .
,P. 1 2 . ( 9 ) I b i d .
,P P. 12‑13.
( 1 0 ) I b i d .
,P. 9 4 .
( 1 1 ) I b i d .
,P. 9 4 .
(1
2 )
長松秀志「ヴァッター資金理論(2)JW
駒大経営研究』第2巻第l
号,昭和4 5
年6
月,5 2
頁参照。E 資金概念の連結会計への適用
資金理論における資金概念はそれが現実の会計実務に適用されるとき,従 来の会計実務に対する新たな論理的基礎を提供するものとなる
o
前述からも知れるごとく,ヴァッターは,資金理論的観点は,エンティティ論 の一つの拡張されたものであるという。そこでは,会計の諸問題について人 格的思考は捨象され,むしろ統計的観点が主張される。したがって資金理論 のもとでは,会計の対象は所有主でもなければ株式会社でもない。一組の勘 定によって包括される関心の領域
( t h earea o f i n t e r e s t )
は,組織の法的 形態にとらわれないものであるo
すなわち,会計単位は活動( a c t i v i t i e s )
ないし機能( f u n c t i o n s )
との関連で規定され,これをもって資金実体とさ( 1 )
れるのである。
このような特定の操作
( o p e r a t i o n s )
の領域の意味における資金の概念の もとでは,その資金の定義に役立つ基準はしばしば怠志的さえあるが,一般 に特定の目的,活動,状況または手続の様式に従って設定が可能であるo
た とえば,会計目的に応じて資金を設定するときは,内部組織または製品の程 類,地域的な区分などを認識することが可能であり,営業活動の必要に応じ( 2 )
ての資金の設定が可能となるO 法人ごとに特定の資金単位を設定する必要も ないのである。このように資金概念の意味するところと,その適用はきわめ て弾力的である
o
かくして,会計単位としての資金の概念は種々の会計実務の分野に適用が 可能であり,なかんずく,このような資金概念が最も典形的に適用されるの は連結会計の分野である
o
すなわち,株式の取得を通じての関係会社集団と して株式会社群が存在する場合,連結会計は,ここに企業の法律的枠をこえ た「実体J
(経済的実体)を仮構し,その報告書の作成される単位は,それ自 体,法律上の人格をまったくもたない単位であるo
けだし,前述のように資 金理論の中心的概念= (資金)は,操作の領域,関心の中心,会計過程およ び財務報告書に含まれる関心の範囲に関するものであるo
連結会計では営業 活動の操作領域が,法律的「実体」を超えた資金実体として設定され,財務 記録および報告書に含まれる考察の範囲が会計単位を形成するということに なるo
すなわち,諸勘定は個々の会社の活動範囲を包括した個別の資金単位にお いて設定され,運用されるが,連結財務諸表は各個別の資金単位において記 録された資料をより包括的に,より大きな資金単位を包含するものとして作
( 3 )
成されるとして説明されるのである
o
したがってこのような論理のもとで は,財務諸表の連結においてなされる「修正」および「消去」の会計手続お よび諸概念は,簿記手続のなされる資金の基準から連結財務諸表の作成され る会社集団の拡大された資金の基準へ移行されなければならないということ( 4 )
から必然的に伴ってくる
o
このような観点からすればI
会計はそれぞれ法 律上の単位ごとに勘定が別個に維持されているのではなく,むしろ資金の区(5)
分とみなされる」のである
o
たとえば,製造会社,販売会社,金融会社が機 能的組織として子会社として設立され,あるいは投資会社,殖産部門あるい はその他の企業の「部門」が子会社として認められるということはよくある ことである。連結財務諸表論においては,関係会社を構成する会社と単一の 企業の部門とは同一にあっかわれるが,こういった組織は資金会計組織にほ(6) とんど同じように反映されるというのである
o
かくして,このような連結会計における資金の概念を基礎に,連結財務諸 表作成の過程では,当然に多くの会計概念が従来の個別会計における内容と 臭ったものとなる。たとえば,ヴァッターは
r
収益の概念は個別企業の観 点から連結の観点へ移行されなければならない。なんとなれば,個別会社の 意味での一定の『資金』にとっての収益は,連結の観点からは収益とはなら ないであろうo
同様に資産あるいは持分の意味も資産概念が広義に用いられ ることによって異ってくるし,さらにまた,所有主持分や利益の概念は通常( 7 )
の場合とはまったく異ってくる」という
o
このように,資金理論における連結財務諸表作成の過程では,もはや連結 概念は法律上の権利や義務とか法律上の実体とは切りはなされており,それ
らに照らして考察することでは解決されない。
たとえば,まずヴァッターはこういった事例のひとつとして,連結範囲 の定義の問題にふれている
o
ところで,エンティティ説にたつムーニッツ(M. M o o n i t z )
は持株基準も支配力影響力基準もともに制約条件が多すぎ るとして,これを批判しながらつぎのごとくいうo r
判断すべき急所はただ ひとつしかないのであるo
すなわち,一体的営業の範囲が存在するかどう̲‑r.ンクプヲイズ
か,もし存在するなら,構成単位を洩れなくとり入れ,そして,事業の一部 となっていないものをすべて取り除くようにするには,どこに境界線を引い
( 8 )
たらよいのかという点である」と。ヴァッターはこの主張を引用し,つぎの ごとくいうO こういった状況での実際上の問題は連結財務諸表の基準となる
「資金」を定義することである
o
たしかに,乙の問題は,ある程度退去怠的な 選択が行われなければけっして解決できない要素に依存するが,連結の範囲( 9 )
を規定するということは,資金を定義するという問題にほかならない,とい うのである
O
なんとなれば,前述のごとく,資金理論の主張するところによ れば,資金の定義は弾力的であるo
営業報告書および貸借対照表を,営業活 動に則した資金単位に分割表示することも可能であれば,ある目的のために は,部門別,地域別,商品別の領域が一定の目的に従って,人格的な,また は法的関係と関連なく報告されるD
同じように,ある目的のために別々の資 金として設立された多くの株式会社またはその他の企業形態は,他の目的を果たすように(適当な修正をほどこし) ,さらに大きな資金に結合するとと もできるのである。資金概念の内容をなすのは,活動ないし機能領域の観念 であり,会計操作の観念である
D
以上のごとく,資金理論にあっては,連結財務諸表作成の前提および迫結 会計手続は操作的資金概念によって,その論理的基礎を与えられるのであ る
o
すなわち,このような操作的概念のもとでは,連結会計手続,連結諸概 念は所有主理論やエンティティ説におけるごとく人格的なあるいは法律的思 考に妨げられることはない。たとえば,資金理論のもとではr
会社間相互 取引」の消去の会計手続は,いわゆる「内部利益J
,r
未実現利益」の概念 を必要としないであろう。もし資金の定義がかわるとすれば,資産,持分,収益および費用の概念は新しく従来と異なった状況にあうように適用されな ければならないのである。
それでは,以上のごとき資金理論に照らすとき,連結会計手続及び諸概念 は具体的にはいかに規定されるであろうか。以下,具体的な連結会計問題に ついて検討しよう
D
( 1 ) V a t t e r
,W. J .
,Corporate Stock E q u i t i e s 1 "
,Modern A c c o u n t i n g The‑
o r y ( e d . Morton Backer
,New J e r s e y : P r e n t i c e ‑ H a l l
,I n c .
,1 9 6 6 )
,P.
2 5 5 .
( 2 ) V a t t e r
,W. J .
,The Fund Theory 01 A c c o u n t i n g
,o p . c i t .
,P. 9 5 . ( 3 ) ( 4 ) I b i d .
,P P. 45‑46.
( 5 ) I b i d .
,P. 4 6 . ( 6 ) I b i d .
,P. 6 6 .
(7)I b i d .
,P. 4 6 .
( 8 ) Moonitz
,M.
,The E n t i t y Theory 01 C o n s o l i d a t e d S t a t e m e n t s (Blooming‑
t o n
,l n d . : American Accounting A s s o c i a t i o n
,1 9 4 4 )
,P. 4 3 .
白鳥庄之助 訳『ムーニッツ連結財務諸表論』同文舘,昭和39年,77
頁。( 9 ) V a t t e r
,W.J.
,o p . c i t .
,P. 4 7 .
百
資金理論による連結諸問題の検討
ウ。アツターが資金理論の観点から連結財務諸表論を展開するに際し特に強 調する点は,連結財務諸表と法律的概念とを結び、っけないという乙とであ る
o
まず,彼がこのような事例としてあげるのは「連結剰余金」勘定であ る。そ乙でまず,乙の「連結剰余金」勘定の検討からはじめよう。いまムーニッツによってみれば
i
連結剰余金とは,連結資産と連結負債 との差額として定義される連結資本が, (a)親会社発行済株式の額面ないし( 1 )
規定額と, (b)少数派持分との合計額をこえる金額である
J 0
具体的には,連 結剰余金の構成はi
対子会社投資に対する修正額をすべて控除したあとの 頂上会社剰余金・プラス・子会社取得日以降に当該子会社に生じた損益から 当該子会社の行なった配当を差引いた金額に対する頂上会社の持分・プラス あるいはマイナス・構成各単位に直接ほど乙しえない連結修正額となってい( 2 )
る
J 0
すなわちi
連結資産J
,i
連結負債J
,i
連結資本」などの用語が 一体的営業範囲全体にかかわるものであるのに対し,連結剰余金は,通常,単に支配グノレープのみにかかわるものであるにすぎない,のである。またず アツターも連結利益剰余金
( c o n s o l i d a t e de a r n e d s u r p l u s )
に 関 し つ ぎ の ごとくいう。i
第ーに,乙の勘定科目で表示される数字はr
支配』会社持分または親会社の持分だけで,勘定科目が示すように全体の剰余金ではな い。第二に,さらに重要な乙とは,連結剰余金には利益剰余金の額と法律上 配当目的に充てる乙とができると考えられる額との聞に一般に認められてい
( 3 )
る関係はまったく適用できないということである」と
o
このように,ヴァツ ターは連結剰余金の範曙には少数株主持分は含まれず,多数株主持分,す なわち支配会社持分を示すにすぎないと批判するのである口つまり,資金理論に従えば,連結企業(=資金)の観点からすれば,理論 的いって,あらゆる少数株主持分は「資本金
J ( " c a p i t a l s t o c k " )
と同様 に,利益剰余金をも構成するべき項目となるという。したがって,少数株主 持分をもって準負債( q u a s il i a b i l i t y )
の範障に一括する乙とは,実務上の( 4 )
便宜にすぎないというのである
o
つぎに述結利益剰余金についてさらに重要な問題は,それが,かならずしも,特に法律的な配当可能利益を意味しない ということである。すなわち,連結に含められるすべての会社クツレープの利 益が総計されるとして,かりにその各個別会社の金額が正確なものである としても,その全額がいわゆる「配当可能利益
J
(l e g a l l y ava i 1 a b l e f o r d i v i d e n d s
つを意味しない。たとえば,8 0 9 6
取得の従属会社剰余金の80%
が 配当可能とはならない。従属会社が配当宣言(少数株主持分を含めた〉を行 なって,はじめて,支配会社の持株に対応する従属会社剰余金が多数株主へ( 5 )
の実際の配当可能利益となるo
ヴァッターは,さらに,つぎのごとくいう
o
連結持分というのは,連結に 含められるいろいろな連結会社の利益剰余金の貸方残高および借方残高の代 数和であって,その単純合計が適切に真実を示すとはかぎらない。たとえ ば,かりにある従属会社が欠損であったとしても,それによって他の連結会 社(支配会社を含めて)がその利益剰余金残高ーっぱいの配当宣言を行なうこ とに何らの制限はないのであるo
したがって,剰余金持分の代数和はきわめ( 6 )
て非現実的な表示となってしまうと
o
彼は,さらにやっかいな問題として,累積欠損金があるかぎり当期剰余金 からの配当が禁止されているという場合に,欠損会社を従属会社として取得
( 7 )
したときの結果をあげている
o
乙の場合,取得
l
とともなう欠損金は,手続的には( c o n v e n t i o n a l l y )
,支 配会社の投資勘定と相殺消去されるが,他方,取得後l乙生じた利益は,法的 には従属会社には配当可能利益はないにもかかわらず,連結利益剰余金に含 められる結果になるo
乙の点に関連し,ヴァッターは,かかる配当可能利益 の議論の問題点は多数企業集団に法律的概念,配当可能性テストを拡大して いるところにあるというD しかしながら,ヴァッターは,会計人は,いまだ 配当についての法律的観点を克服しきっていないし,また連結財務諸表が表 示せんとするものが何であるかという乙とを明らかにしていない。この結( 8 )
果,連結財務諸表の利用者に混乱をもたらしているというD そとで,以上か ら,彼は,やっかいな乙とでも,多数株主持分と少数株主持分とを詳細に表 示することを主張するD
ただし,ヴァッターは「少数株主持分」の概念について
r
多数株主」と「少数株主」という言葉は,法律的には一定の株式会社の単位の外部におい ては無意味であるという
o
たとえば,彼のかかげる事例によってみれば,H
会社が
P
会社の普通株式の9 0
パーセントを所有してP
会社を支配し,さらにP
会社がS
会社の普通株式の8 0
パーセントを所有していると仮定しようo
乙 の場合,s
会社の外部株主ば少数株主であり, H会社の株主は支配株主ある いは多数株主である。だが,P
会社の外部株主は多数株主と少数株主との性 格を併せ有しているのである。さらに,株主持分の分類はすくなくとも部分 的には連結の範囲の確定のいかんによっているo
た と え ば 連 結 財 務 諸 表 がH
会社を除いて作成されるとすれば,P
会社の外部株主の立場は異ったもの になるo
すなわち,乙の場合にはP
会社の株主は無条件に多数株主となるか らである口乙うした場合,株主集団の分類は多数株主と少数株主とに簡単( 9 )
に分ける乙とはできない,ということである。乙のように,ヴァッターの 事例からも知れるごとく「多数株主
J
,r
少数株主」の概念は相対的であ るo
要するにヴァッターは,法律上の概念は連結財務諸表が包括するべき状 況に適用されないとして,連結会計手続および連結諸概念から法律的観念(l
e g a 1 i s t i c n o t i o n )
を排除するのであるDとの乙とを,さらに少数株主持分の存在と「関係会社間取引」にともなう 棚卸資産に含まれる「未実現利益」の消去手続についてみようD
と乙ろで,棚卸資産l乙含まれる「未実現利益」の消去についてのアメリカ 連結理論の主流的な理論は関係会社聞の取引にともなう利益(=内部利益)の
U O )
全額を消去するという主張であり,乙れは,また一般的実務でもあるo
ムーニッツは,この連結手続について
r
少数派持分というものは連結資産・負債 .全資本それぞれの大きさの決定に対してなんらの影響もおよぼすべきでは( 1 1 )
ない,……いいかえれば,この場合には,少数派持分の存在は無視される」
と述べ
r
未実現利益」の消去方法として,抑!卸資産に合まれる振替利益の 全額を,まず親会社棚卸資産から差引く一方,連結剰余金には手をつけずに おいて,従属会社の純利益から差引くことによって消去すれば,少数株主の 持分の計算は関係会社間振替利益を消去したのちの従属会社純利益について( 1
2 )
の少数株主持比率になる,と述べている。経 営 と 経 済
乙のムーニッツの方法につて,ヴァッターは,これが資産,負債,連結全 資本を一個の資金として取扱い,こういった項目は少数株主の性格とは無関 係に評価を行なうべきであると主張しているとみられるとしながらも,ムー ニッツの唱える方法についてつぎのごとく批判する。との場合,少数株主持 分は少数株主の法的請求権は財務諸表の連結によって影響されないという事 実にもかかわらず,少数株主持分は振替利益のうち少数株主持分相当分だけ 減額される。少数株主持分によって連結資産に課せられる拘束は,少数株主 持分の属する会社の「法律上」の持分以下であってはならないという
o
しか も,もし連結資産の減額が,少数株主の法的持分を変更することなく,全額が 多数株主持分にチャージされるとすれば,多数株主持分は「過少」に表示さ れることになるというのである。ヴァッターは,乙の矛盾点について,連結仰資金
( c o n s o l i d a t e df u n d )
の持分の表示については資産を同一の観点から みる必要があるとし,棚卸資産評価の基準として1"法的実体」の原価を強 調すると,持分についての「連結」の観点を支持できなくなると主張すると ともに,原価概念が「連結原価」一会社間振替取引によって生じた少数株主 持分を含むーへ転換されねばならないという(内部利益のうち少数株主持分に対 応する部分の原価性を認める)0ヴァッターによれば,以上のごとき問題は1"法的実体」の理論を連結財 務諸表l乙適用するところから必然的に生じる問題であるという
o
そこで,こ の問題は連結財務諸表をいかなるものとみるかという問題となるo
すなわ ち,資金理論によれば1"連結財務諸表は,その構成要素を集めたものと同 ( 14) じものではなくr
資金』の操作( o p e r a t i o n )
をあらわす財務諸表である」というのであるD 連結財務諸表は,関係会社ク勺レープの実質的な経済的一体 性
( e c o n o m i cu n i t y o f a f f i 1 i a t e d g r o u p )
を基礎としているにもかかわら ず,連結財務諸表はその構成会社の帳簿を修正することによって作成され る。すなわち連結財務諸表は,個々の会社の記録ではなくて,連結資金に対 して行なわれる一連の記録に示されるものを反映していると仮定されていH 5 l
る,というのである。
それでは,つぎに資金理論は「投資勘定の消去」の連結手続,すなわち支 配会社の従属会社株式の取得原価と,当該株式取得時における従属会社勘定 中,取得株式に対応する部分の簿価との間に金額のひらきがある場合,いわ ゆる「連結差額
J
(=述結調整勘定)についていかに論理化するのであろう か。まず,ヴァッターの説明するところにしたがえば,資金理論的には,連 結貸借対照表の作成において除去されるのは従属会社株式の取得にともなっていわゆる「買収された
J
(p u r c h a s e d " )
資本金および剰余金持分であ るo
このことの意味はエンティティ概念でもなければ,所有主概念でもな く,関係会社集団というより拡大された資金領域においては,従属会社に対 する「投資」は,すでに法律上の財務諸表に反映されている「買収された」所有主持分をそれが代表
( r e p r e s e n t s )
しているかぎりにおいて資産ではな いという事実を意味するものである。同じように, こういった所有主持分 は,r
投資」勘定に示されたそれに相応する額を超えて資金における資産を 拘束することはない。したがって,資産および持分要素の両方が除去されな ければならないということになるo
そこで,もし投資の原価が「買収され た」持分以上であったり,あるいはそれ以下であつたりすると,慣行的に「のれん
J
(宮go ∞ o d ι ‑ w i
山1 1 γ "
づ,ワ)ないし「消極のれんJ
(n e g a t 抗 i v ego ∞ o
小d ‑w
il1日l γ "
( 1
6 )
が示される,というのである。
乙のように,従属会社に対する投資原価と取得した持分の簿価との差額は 借方残高および貸方残高を生じせしめる。ところでムーニッツは,その原因 分析を主張して,その発生原因を三つ上げる。 (a)購入に伴って損益が発生す る, (b)従属会社の特定資産ないし負債の会計に誤りがあるか,あるいは従属 会社の特定資産の価値に増減が生じているが,乙の事実はまだ記録されてい ない, (c)継続企業としての従属会社の簿価と市価との聞に特定項目へ割り当 えない金額のひらきがある
o
ムーニッツは, (a)の差額損益観を否定して,(b)および、(c)の観点に立っている。彼は, この「差額」を資産・負債の評価 に不適切さがあるという観点から解釈を加える方法を理lこかなうものとし て,従属会社簿価の訂正を主張し,解釈不能残高を無形の要采(i
n t a n g ib l e
f a c t o r s )
をあらわすものとみなすという。原価が修正済みの待‑価をこえるl ' : m
経 営 と 経 済 場合,乙の無形の要素が出てくるのは,従属会社に記録されていないのれん があるためか,あるいは,従属会社が系例化された結果としてのれんを獲得( 1 百
するにいたるためか,そのいずれかであろう,という
o
このような処理方法に対して,ヴァッターは批判的立場からつぎのごとく 主張する
O
取得簿価( a q u i s i t i o nbook v a l u e )の消去にともなう借方,貸
方 残 高 に つ い てr
これらの残高は,単に取得価格(通常は,市場価格market"
またはすくなくとも取引価格b a r g a i n e d " p r i c e )
と 取 得 簿 価 と( 1 8 )
の差額にすぎない」として,直接にのれんや資本剰余金とすることを批判 する
o
すなわち,借方差額
( d e b i te x c e s s )
が実際IC,収益力に対して,あるい はその他の無形資産(in t a n g i b l e s )
に対して支払れた額であるかどうかは かならずしも明確でない。超過支払いがいくつかの原因を表わす場合もある というのであるo
いづれにせよ,ヴァッターは,連結差額は,原価による評 価の理論から生じるものであり,財務諸表の性格から生じるものではない。また,その結果生じる連結のれん,または消極のれんも貸借対照表を均衡さ せる「栓
J ( μ p l u g " )
にすぎないというのである仰o
確かに,取得価格というのは投資原価であるが,その原価は,ある条件の もとでは,無知
( i g n o r a n c e )
あるいは誤った判断(badjudgement)
にも とづく原価であるという疑問の余地があるo
あるいはまた,借方超過額は価 格水準の変動ないしは過年度の過大償却にもとづく特定資産の過大評価をあ らわすこともあろうo
また,これらの「差額」は市場の不完全さないしは売 却側での安売りの結果である場合もある。換言すれば,従属会社支配のため の株式への支払価格は将来の収益力の経済的評価といったものではなく,特凶)
定の売却者の限界利益
( m a r g i n a la d v a n t a g e s )
に影響されると乙ろもある のである。かくて,以上の分析からも明らかなように,連結lこともなう「のれん」あ るいは「資本剰余金」とは,取得時における力関係(f
o r c e s )を反映してい
るにすぎないのであって,これらのほんとうの性質はけっして取得簿価には 反映されていない,という。したがって,連結差額( r e s i d u a lv a l a n c e )
をもって慣行的用語法である「のれん」あるいは「資本剰余金」という分類を
¥ 2 1 )
行なうべきかどうかということについては疑問があるとして,これを批判す るのであるO
さらに,ヴァッターはつぎのごとくいう。
r
連結にともなう資本剰余金J
(ca p i t a l s u r p l u s from c o s o l i d a t i o n
つという用語についての妥当性につ いては,かねて会計人から疑問が呈せられてきたと乙ろであるo
すなわち,それは格安な買入れを意味するか,単lこ従属会社純資産の過大評価を意味す るものであるかもしれないということは,これまでも指摘されてきたところ である
o
もちろん,従属会社株式の取得ということは,これらの株式の除却( r e t i r e m e n t )
に相当するものであるという立場をとることも可能である。したがって取得原価と相殺されない簿価部分は取得以前の従属会社株主によ って企業にの乙された持分価値の額をあらわすであろう。要するに,連結に よってもたらされるものは,持分は新しい企業においては再整理がなされる のであって,構成会社のそれと同じではない。連結資本持分
( c o n s o l i d a t e d s t o c k e q u i t i e s )
の全体系が公表数値に用いられる簿価と本質的に具ってい四)
る,というのである。
以上からもあきらかなごとく,ヴァッターは,当該簿価に対して相殺され ない差額分は慣行的なのれんまたは資本剰余金の観念と混同すべきでないと いう立場をとる。したがって,用語法としても,借方および貸方差額とは,
連結財務諸表に反映されている資料の不完全さから生じる解釈不能な調整額 にすぎないということを明確にするものでなければならないとする口そ乙 で,ヴァッターは,借方,貸方差額について
r
連 結 の れ んJ (goodw i 1 l from c o n s o l i d a t i o n )および「述結にともなう資本剰余金 J ( c a p i t a l s u r p l u s from c o n s o 1 i d a t i o n )
に替えて「連結にともなう帰属不能借方(貸方)額」(u
n a s s i g n a b l e d e b i t s o r c r e d i t s from c o n s o l i d a t i o n " )
と い う 項 目 で仰
表示すべきことを主張する。したがってまた,この借方差額を,正当な理由 なくして償却すること,あるいは述結のれんに配分することに反対するので あるD
つぎに,少数株主持分が存在する場合の迎結差額(=述粘調持勘定)の計上
1 8 0
経 営 と 経 済額について検討しようO
ところで,従属会社に対する支配持分の取得において投資原価が簿価を超 過する場合,当然,従属会社の評価および持分相当額を再評価するという根 拠があるとする主張については先にも述べたごとくであるO たとえば,ムー ニッツはつぎのごとくいう。
r
取得に伴なう損益は存在しないものとすれ ば,取得された持分はこれに対して支払われた価格だけの値うちをもつもの だと結論せざるをえない。親会社の行なった現金支出は取得した持分の価値( 2 4 )
を正しく示すものとして是認されるのである」とO そこで,このようなムー ニッツの主張によって,支配会社の支出額こそ取得された持分の価値をもっ とも正しく示すものであるとする仮定にたったならば,し
1
かにこの基準を子 会社資本の評価に適用したらよいかという点が測定の問題となるのである。1
お )
いまこれをヴァッターの例示にしたがってみれば, 資本持分総額が
4 0 0
,0 0 0
ドノレである従属会社普通株の8 0 9 6
が親会社によって3 5 0
,0 0 0
ドノレで取得さ れたとすれば,従属会社の「のれん」の意味するところは取得された簿価(book v a l u e )
で評価されねばならないことになるO すなわち4 0 0
,0 0 0
ドノレ の8 0
パーセントは3 2 0
,0 0 0
ドノレで,乙れが取得持分の簿価であるD したがっ て,この取得にたいして適用される「のれん」は3 0
,0 0 0
ドノレであるが,これ は「のれん」総額の8 0
パーセントにすぎない。したがって従属会社全体とし ての「のれん」は3 0
,0 0 0
ドノレの1 0 / 8
,すなわち3 7
,5 0 0
ドノレであるD したが って,多数株主持分が3 0
,0 0 0
ドノレ,少数株主持分が7
,5 0 0
ドルということにずよる口
このような
r
連結のれん」の計上額を,株式持分比率にかかわらない,少数株主持分相当額の「のれん」分をも含めて計上するという主張に対して ヴァッターはつぎのごとくこれを批判する
o
前例の場合,それは,その
3 0
,0 0 0
ドノレが実際に「のれん」の8 0
パーセント の買入れ価格であるという論理的推断を基礎にしている。しかし,乙の仮定 は正しい場合もあれば,そうでない場合もある。前述のごとく,ヴァッター によれば述結差額はいくかつの原因によって生じるものであるから,かなら ずしも「のれん」を意味するとはかぎらない。さらに,乙の従属会社の再評価を行なうということは,実際に記録された持分と報告された少数株主持分 とに差異が生じることになる。ヴァッターは従属会社持分は可能なかぎり正 確に表示すべきであるが,連結財務諸表の作成において株主持分の評価調整 を行なう必要はないと主張し,連結会計から評価の問題を排除せんとするの である。以上,連結会計の諸問題について検討した。
閉
そこで,以下,ヴァッターの主張の特徴を彼の掲げる交互持株の計算例に したがって検討しよう。
いま,アマーク社
(Amerc
一以下A
社とよぷ) , お よ び プ リ テ ィ ク 社( B r i t i c
一以下B
社とよぷ)の貸借対照表をつぎのごとく仮定しようo
1 9 4 5
年1 2
月31
日におけるA ・ B
両社の貸借対照表A
会 社B
会 社諸 資 産 …H・H・...・H・...・H・.....・H・.
8 4 0
,0 0 0
ドノレ5 0 0
,0 0 0
ドルB
会社への貸付……・…・…...・H・.....・H・...1 0 0
,0 0 0
B
会社への投資(1,6 0 0
株)...・H・...・H・‑…1 6 0
,0 0 0
A
会社への投資( 4 0 0
株)...・H・...・H・‑……1 0 0
,0 0 0
合 計 ...・H・....・H・‑…・・l
,1 0 0
,0 0 0
ドノレ6 0 0
,0 0 O
ドル 流 動 負 債 ・ ・H・H・‑…H・H・...・H・...…..1 0 0
,0 0 0 1 0 0
,0 0 0
資本金(額面1 0 0
ドノレ)…・…H・H・‑…H・H・.2 0 0
,0 0 0 2 0 0
,0 0 0
利益剰余金....・H・‑……...・H・....・H・....・H・.8 0 0
,0 0 0 300
,0 0 0
合 計 ....・H・H・H・.....・H・.
1
,1 0 0
,0 0 0
ドノレ6 0 0
,0 0 0
ドノレ両社の投資勘定は原価でもって計上されている。
A
社のB
社への投資はB
社が設 立されたときに行われたものである。また,A
社のB
社への投資は1 9 3 3
年1
月l
日 に行なわれたものである。その時点でのA
社利益剰余金は2 0 0
,0 0 0
ドノレ,B
社の利益 剰余金は1 0 0
,0 0 0
ドノレであった。1 9 4 5
年1 2
月31
日現在の連結貸借対照表を作成する。ヴァッターは,以下三つの解法を示し比較検討する