は じ め に
1990年の東西のドイツが統一するにあたって,当時の西ドイツのヘルムー ト・コール首相は,東ドイツが「間もなく再び栄えた状況」になることを約 束して,統一後の東ドイツの状況に対して過剰な期待を抱かせた。しかし,
これは間もなく東ドイツ側の失望と西ドイツ側の膨大な負担増という現実と なった。ドイツの代表的な新聞『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は,
統一後20年の旧東ドイツには成功と失敗のふたつの側面があるとして,民主 共和国(DDR)時代に比べて大きく改善された例として,国内生産と所得 の増大,近代的に改造されたインフラストラクチャー,小綺麗に再建された 旧市街,環境破壊の少なさなどをあげているが,他方で旧東西ドイツ間には 依然として大きな格差が存在し,またこの格差解消の過程が,近年ほとんど 停止していることを指摘している(1)。
また,統一後の旧東ドイツ経済の再建には多大な旧西ドイツからの財政支 援が必要であったが,東西間の格差解消という名目で今日でも旧東ドイツ経 済の旧西ドイツからの支援への依存が続いているのである。依然として存在 する東西の格差の内容とはどのようなものか,なぜこの格差の縮小が進まな くなったのか。旧東西ドイツ間の格差問題を中心に統一20年後の旧東ドイツ 経済の現状を,国民経済計算の諸統計を考察しながら検討していこう。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済
佐 々 木 昇
−197−
( 1 )
Ⅰ 旧東西ドイツ間の経済格差の現状
まずドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済の現状を,主に国民経済計算に基 づく経済指標を考察することから始めよう。「東ドイツの再建(Aufbau Ost)」
を考える場合,旧西ドイツとの格差がまず問題となり,旧東西両ドイツ地域 の経済指標が比較される。第1表のように,旧東ドイツの人口一人当たりの 名目
GDP
は,統一20年後の2010年で旧西ドイツの約73%になっており,91 年の43%から大きく旧西ドイツの水準に接近してきた。しかし,この格差縮 小の過程が急速に進んだのは90年代の前半期までで,95年の67%から2000年 代の初頭までは格差にほとんど変化はなく,その後2005年に70%,2008年で 71%,さらに2009年に74%まで接近してきたが,2010年には73%に停滞して いるのである。このように90年代後半から2000年代初めの期間には格差縮小 は停滞し,その後の2010年までの期間でもわずかに格差縮小が進んだにすぎ ない。この一人当たり
GDP
の変化は,基本的に生産の増加と人口の変動に規定第1表 旧東ドイツのGDP(名目)の推移 人口一人当たり
GDP
就業者一人当たり
GDP
就業者1時間当たり
GDP
1991 42.9 44.5 44.3
1995 67.1 72.2 65.9
2000 67.2 75.7 70.1
2005 69.7 78.9 74.6
2006 70.3 78.9 75.1
2007 70.7 78.8 75.9
2008 71.3 79.5 76.6
2009 73.5 81.6 78.1
2010 72.5 80.1 76.8
注)旧西ドイツ=100とした数値,旧東ドイツにはベルリンを含む,旧西ドイツにはベル リンは含まない。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
−198−
( 2 )
−6.0
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 19992000 20012002
2003 2004
2005 2006
2007 2008
2009 2010
旧西ドイツ 旧東ドイツ
−4.0
−2.0
− 2.0 4.0 6.0 8.0 10.0
%
されている。まず生産の増加にについて考えてみよう。旧東ドイツ経済は,
90年7月の「通貨・経済・社会同盟」締結後の急速な崩壊の後,景気の底が みえたのが1991年頃である。その後の実質
GDP
の成長率をみると,第1図 のように90年代前半には,8〜9%の成長という急速な経済の回復基調がみ られ,93年にマイナス成長となった旧西ドイツを大きく上回った。しかし,90年代後半になると成長率は低下していき,旧西ドイツを下回るテンポにな り,その後,旧東ドイツと旧西ドイツの成長率はほぼ同じテンポで推移する ようになった(2)。また,1997年から2008年の間の年平均成長率をみると,旧 西ドイツの1.6%に対して旧東ドイツは1.1%にとどまり,旧東ドイツの成長 率は旧西ドイツを下回ったことが示されている(3)。さらに,2008年から2009 年にかけてのドイツの成長率の大幅な落ち込みは,リーマン・ショックによ る世界金融危機の影響をドイツも大きく受けたことを物語っているが,この
第1図 実質GDP成長率の推移
0
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより作成。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −199−
( 3 )
0.0 50.0 100.0 150.0 200.0 250.0
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 19992000 2001
2002 2003 2004 2005 2006 2007 20082009 2010
製造業 建設業 サービス業
時の景気の落ち込みは旧東ドイツよりも旧西ドイツの方が大きく,影響も深 刻だったことがわかる。上記のような生産面からみた旧東西ドイツの成長率 の推移から考えれば,90年代後半から2000年代初めの期間に格差の縮小が進 まなかった要因は,旧東ドイツの生産増加が旧西ドイツを下回ったことにあ り,2000年代に入ってわずかに縮小が進んだのは,生産というよりも人口の 変化にその原因があったといえるのである。
生産の増加をさらに主要部門ごとにみておこう。第2図のように,90年代 前半期の旧東ドイツ経済の急速な成長を支えたのは建設部門の急激な成長で あった。旧東ドイツでは統一後不足していたインフラストラクチャー整備や 住宅建設のための公的な建設需要が急増し,これに民間部門の建設投資も加 わって,建設部門に大量の資金が流入して建設ブームが生まれた。しかし,
90年代半ばになると建設部門の過剰能力が露呈し,しかも地方自治体が建設 投資を抑制したこともあって,これ以後建設部門の活動は急速に後退して
第2図 旧東ドイツの主要部門別実質総生産の推移(1991年=100)
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより作成。
−200−
( 4 )
いった。この建設部門の後退が終わったのは,ようやく2005年頃であった。
後退を続けてきたとはいえ,旧西ドイツとの比較でみれば,これまでの旧東 ドイツの建設業生産は公的な需要に支えられて旧西ドイツよりも多かった。
しかし,一人当たり生産額でみると,最近では旧西ドイツより多いとはいえ ない状況になっているのである(4)。
こうした建設業に代わって90年代後半からの成長を支えたのは製造業で あった。旧東ドイツの製造業は,統一直後の通貨の切り替えや市場経済への 転換と国営企業の民営化などの影響によって一時的に生産が大きく落ち込ん だ。しかし,92年になってようやく増加に転じた製造業は,その後急速に生 産を伸ばし,2007年の生産は,92年の2.5倍近くにまで増加を遂げた。2008 年と2009年にリーマン・ショックの影響を受けて製造業の生産も大きく落ち 込んでいるが,この時期を例外とすれば,92年以後の製造業の急成長が,旧 東ドイツの
GDP
の成長を支える大きな要因になったといえる(5)。他方,旧 東ドイツのサービス部門は,91年に比べると2008年の生産はほぼ1.7倍に増 加している。これは,製造業に比べると緩やかな成長である。とくに最近で は成長力が失われて,旧西ドイツのサービス業生産の成長を下回っている(6)。 このように旧東ドイツでは,製造業の生産は成長を続けてきたが,建設部門 は90年代後半以後後退を続け,さらにサービス部門でも成長が十分でなかっ たことが旧西ドイツとの格差縮小の停滞化を産み出す結果となったといえる のである。次にもう一方の要因である人口についても考察しておこう。国民経済計算 に基づくと,1991年の旧東ドイツ(ベルリンを含む)の人口は1800万人で,
旧西ドイツは約6200万人であった。第3図のように,旧東ドイツの人口は一 貫して減り続け,2010年までに約170万人,率にして10%近く減少した。こ れに対して旧西ドイツの人口は増加し続け,2010年には350万人ほど増加し て約6500万人になった。このことは,最近の旧東西ドイツ間の一人当たり ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −201−
( 5 )
80.0 85.0 90.0 95.0 100.0 105.0 110.0
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998
199920002001 2002 2003
2004 2005
2006 2007
200820092010
旧西ドイツ 旧東ドイツ
GDP
格差がわずかではあるが縮小したことは,旧東ドイツの生産が増加し て旧西ドイツに接近したというよりも,旧東ドイツの人口が減少した結果と して,一人当たりGDP
が旧西ドイツよりも相対的に大きくなって,格差の 縮小に導いたということにすぎない。旧東ドイツの人口減少についてさらに考察しておこう。ドイツの人口統計 によると,1989年末に約1570万人(東ベルリンを含む)であった旧東ドイツ の人口は2007年には約1370万人(ベルリンを含まない)に減少した。人口の 変動には,死亡や出生の自然的な要因と人口の移動にともなう社会的な要因 があるが,この期間の旧東ドイツの人口変動にとって大きな要因になったの は,人口移動であった。旧東ドイツの人口が最も大きく減少したのは「ベル リンの壁」崩壊後の1989から1991年の期間で,80万人の減少となった。この 期間に旧東ドイツを去った人数は100万人を超えており,この大部分は旧西 ドイツへ移動していった。その後,旧東ドイツの人口は一時的に増加に転じ
第3図 旧東ドイツの人口の推移(1991年=100)
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより作成。
−202−
( 6 )
たが,90年代末から再び人口の減少が続いている。この結果,旧東ドイツの 人口減とは逆に,旧東ドイツ住民の主要な異動先となった旧西ドイツの人口は 同期間に約6000万人から約6500万人に増加した(7)。
以上のように,生産と人口の変化を総合して考えると,一人当たり
GDP
の旧東西ドイツの格差縮小が90年代後半から停滞し,2000年代初めまでほと んど停止した状況であった要因は,旧東ドイツの人口減少と旧西ドイツの人 口増加にもかかわらず,旧東ドイツの生産が旧西ドイツを下回ったことにあ ると考えられる。またすでに述べたように,2000年代中頃から旧東西ドイツ の生産はほぼ同じテンポで進んでいるから,最近のわずかな格差縮小は,生 産要因よりも,旧東ドイツの人口減少によって一人当たりGDP
が相対的に 増加したことによるものといえるのである。Ⅱ 労働生産性の格差と雇用
旧東西ドイツの格差縮小の停滞について,生産の増加を規定する要因のひ とつである労働生産性についてさらに検討を加えてみよう。就業者一人当た り
GDP
で表した旧東ドイツの労働生産性は,91年は旧西ドイツの45%で あったが,2009年には82%にまで接近してきた。しかし,2010年には80%に とどまっている(第1表を参照)。就業者一人当たりGDP
の格差が,人口一 人当たりGDP
の格差よりも小さいのは,旧東ドイツの就業率(人口数に対 する就業者数の比率)が旧西ドイツに比べて10%ほど低いためである。旧東 ドイツの就業率は91年の47%がピークで,その後2006年までほぼ43%で推移 し,2010年には旧西ドイツの51%に対して46%までわずかに上昇してきた(8)。 ところが生産性を時間当たりで考えると,旧東西ドイツの格差は就業者一人 当たり生産性よりも大きくなる。旧東ドイツの就業者1時間労働当たりのGDP
は,91年には旧西ドイツの44%であったが,2010年には77%に縮小し ている(第1表を参照)。しかし就業者一人当たりGDP
に比べて就業者1時 ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −203−( 7 )
間労働当たりの
GDP
の格差が大きいのは,旧東ドイツの就業者が,旧西ド イツより約5%多く働いているためである。2010年の就業者の年間総労働時 間は,旧西ドイツの1407時間に対して旧東ドイツは1468時間で,旧東ドイツ の労働者は旧西ドイツよりも年間60時間も長く働いているのである(9)。以上のように,旧東西ドイツの労働生産性において依然として格差がある ことについては,いくつかの要因が考えられるが,まず構造的な要因を考え てみよう。旧西ドイツと比較した旧東ドイツの就業者当たり総生産を,部門 別に示したのが第2表である。旧西ドイツに比べて経営規模が比較的大きい 農業部門では,旧東ドイツの就業者当たり生産は旧西ドイツを上回っている が,それ以外の部門ではいずれも旧西ドイツを下回っている。とくに建設業 とサービス部門では大きな格差が存在する。2008年の旧東ドイツの建設業の
第2表 旧東ドイツの部門別就業者当たり生産
(旧西ドイツ=100)
1991 2008 農林業 44.6 108.3
鉱業 56.4 90.8
製造業 28.4 82.1
エネルギー・水道 46.6 88.3
建設業 56.0 77.0
商業・修理業 56.0 75.1 飲食・旅館 54.0 88.8 運輸・通信 40.5 81.6 金融・保険 64.7 85.0 不動産・企業向けサービス 39.8 73.5 行政・防衛・社会保障 61.8 93.0
教育 49.3 92.8
保健・福祉 67.8 89.6 その他の公的・私的サービス 67.9 67.8
家計 80.0 97.2
全部門 44.9 79.5
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
−204−
( 8 )
就業者当たり生産は,旧西ドイツの77%であり,商業・修理業が75%,不動 産・企業向けサービスが74%,さらにその他の公的・私的サービスが68%で,
部門平均の80%を下回っている。総生産の4分の1を占める不動産・企業向 けサービスの生産性が低いことや,比較的生産性が高い製造業の生産全体に 占める割合が小さいことなどが,旧東ドイツの労働生産性の低さの一要因に なっている。90年代初めから生産を急速に拡大してきた製造業は,旧東ドイ ツの産業全体の平均を上回っているものの,旧西ドイツ製造業の労働生産性 の約8割にとどまっているのである。
旧西ドイツ製造業に比べて旧東ドイツ製造業の生産性が低いことについて は,旧東西ドイツでは労働内容に差違があることが指摘されている。第3表 に示されるように,旧東ドイツの労働では単純な手作業,あるいは高技能な 手作業の比重が相対的に大きく,これに対して旧西ドイツでは高技能で手作 業ではない労働の比重が相対的に高い。これは旧西ドイツでは企業管理や研 究開発,またマーケティングなどの高技能の労働の比重が高いためとされて いる(10)。労働においてこうした差違が生まれる理由としてあげられているの
第3表 製造業就業者の作業内容構成(2006年)
(%)
旧西ドイツ 旧東ドイツ 単純手作業 28.6 30.1 単純非手作業 7.2 7.0 有資格手作業 27.9 32.9 有資格非手作業 21.3 16.0 マイスター・技術者 3.9 2.7 高度な技能作業 11.1 11.2 総 計 100.0 99.9 注)ベルリンは旧東ドイツに含む
出所)Brenke, K. & K. F. Zimmermann, “Ostdeutschland 20 Jahre nach dem Mauerfall : Was war und was ist heute mit der Wirtschaft?”, DIW Vierteljahreshefte zur Wirtschafts- forschung, 2, 2009, Tabelle 2.
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −205−
( 9 )
が,旧東ドイツには企業の本社,とりわけ大企業の本社が立地していないこ とである。ドイツ統一後,旧東ドイツの巨大国営企業は分割されて民営化さ れたが,その際,経営が存続可能とみなされた企業のほとんどは旧西ドイツ 企業または外国企業に買収された。そこで旧東ドイツの多くの企業は,買収 した企業の支社や営業所になり,ここでは本社の決定事項を実行に移す機能 だけになった。そのために本社機能と密接に関連する企業管理や研究開発な どの労働は旧東ドイツでは小さなウェイトしかもたなくなったのである。も ちろん旧東ドイツにも多くの自立経営の企業は存在するが,これらの多くは 民営化後に設立された小規模な個人企業にとどまっているのである。こうし た旧東ドイツ企業の実態を示す指標のひとつとして経営規模の相対的な小さ さがあげられる。ドイツ製造業企業事業所の雇用者規模別の構成を示したの が,第4表である。これによると,旧東ドイツ製造業就業者のほぼ3分の2 が雇用者250人未満の事業所で働いていた。これに対して旧西ドイツでは同 じ事業所規模で働いていた就業者の割合は3分の1強にとどまっている。事 業所規模が小さいということは,それだけ規模の利益が得られないというこ とであり,企業間の十分な協業やネットワークを活用して生産性の向上を実 現できないということを意味する(11)。
第4表 製造業事業所の就業者規模別構成(2007年)
(%)
事業所就業者数(人) 旧西ドイツ 旧東ドイツ
1〜49 9.9 17.0
50〜99 11.7 18.5 100〜249 19.8 27.2 250〜499 16.1 15.5 500〜999 13.5 9.7 1000以上 29.1 12.2 総 計 100.0 100.0 注)ベルリンは旧東ドイツに含む
出所)Brenke, K. & K. F. Zimmermann,op. cit., Tabelle 3.
−206−
( 10 )
旧東ドイツ経済の研究者であるドレスデン
IFO
研究所のラグニッツ(J.
Ragnitz)は,上のことを以下のように総括している。すなわち,旧東ドイ
ツでは付加価値集約的な生産活動が弱く,輸出指向も弱く,大規模生産によ るコストの優位性も実現できない。しかし90年代後半に旧東ドイツの生産性 ギャップにとって決定的なものであるとされた,例えば旧東ドイツの就業者 の職業能力の低さや不十分なインフラストラクチャーなどは,今日ではほと んど問題にならない(12)。生産の増加については,これを長期的に規定する生産能力について,さら に検討してみよう。旧東ドイツの投資活動が90年代後半以後停滞することは 後述するが,このため新しい生産能力を形成するテンポも遅い。第5表のよ うに,旧東ドイツの人口一人当たり資本ストックは91年には旧西ドイツの44
%であったが,2008年までに76%まで増加しているが,2000年代に入ってか らはゆっくりとしたテンポで増加してきている。ただ資本ストックの増加テ ンポは旧西ドイツと比べて相対的に速く,新しい設備への更新が進んだため,
旧西ドイツの資本ストックよりも設備の近代化度(純資本ストックの粗資本 ストックに対する比率)は大きい。2009年の設備の近代化度は旧西ドイツの 59.3%に対して旧東ドイツは65.1%になっている(13)。さらに工業部門の資本
第5表 旧東ドイツの資本集約度と資本の生産性
(旧西ドイツ=100)
一人当たり 資本ストック
就業者当たり資本ストック 資本ストック当たり総生産 全 体 工 業 サービス業 全 体 工 業 サービス業 1991 43.8 45.5 59.3 44.2 98.6 62.9 115.5 1995 55.4 59.6 77.3 55.8 121.1 86.2 133.5 2000 69.5 78.3 99.5 73.4 96.7 70.5 106.1 2005 74.8 84.6 115.9 78.2 93.2 66.6 102.4 2008 76.4 85.2 118.7 78.9 93.3 66.4 101.8 注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −207−
( 11 )
集約度(就業者当たり資本ストック)をみると91年では旧西ドイツの水準の 約6割であったが,2008年には旧西ドイツを約2割上回る水準に達している。
このような急速な旧西ドイツの水準を上回る資本集約度の上昇は,政府の投 資促進政策によるところが大きい(14)。しかし他方で,旧東ドイツの工業部門 の資本の生産性(資本ストック1単位当たり総生産)は,90年代半ばの旧西 ドイツの9割近い水準から,2008年には3分の2の水準まで低下し続けてい る。これは明らかに労働生産性を上回って資本集約度が引き上げられたこと を物語っている。こうした工業部門に対して旧東ドイツのサービス部門では,
資本集約度は徐々に大きくはなってきているが,2008年でも旧西ドイツの水 準に比べて2割以上も低い。この原因と考えられるのは,旧東ドイツの賃金 水準が旧西ドイツに比べてまだ低く,それだけ相対的に労働集約的な生産が おこなわれていることである。この結果は,旧東ドイツのサービス部門の資 本の生産性が旧西ドイツを上回っていることに現れている(15)。
旧東ドイツにおける急速な資本ストックの増加は,資本集約度の上昇とな る一方で,十分な雇用の拡大には結びつかなかった。旧東ドイツの就業者数
(ベルリンを含む)は,95年の768万人から,2000年までに715万人に,50万 人以上も減少している。この後2010年までに747万人へと,30万人ほど就業 者は増加しているが,95−2010年間に20万人程減少した。これは,この期間 300万人の就業者が増加した旧西ドイツと対称的である(16)。旧東ドイツの失 業者数は97−2007年間には150万人前後で推移したが,その後2010年までに 100万人程に減少した(17)。こうした労働市場の推移を失業率で示すと第4図 のようになる。失業率も90年代後半から2006年までは17−18%で推移し,そ の後12%まで低下した。しかし,旧西ドイツとの格差は歴然としており,旧 東ドイツの失業率は西ドイツのほぼ2倍近い率で推移しているのである。旧 東ドイツの人口は減少しており,また就業率も旧西ドイツに比べて低いこと を考えると,旧東ドイツの高い失業率は,就業可能人口が増加したためでは
−208−
( 12 )
0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20%
1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003
2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010
旧西ドイツ 旧東ドイツ
決してなく,雇用機会の大幅な不足によるものであるといえる。このことは,
就業構成にも反映されているのである。第6表のように,旧東ドイツと旧西 ドイツの就業構造の違いは,旧東ドイツでは製造業の就業者比率が相対的に 小さいことと,逆に公的・私的なサービス業の就業者比率が大きいことであ る。また建設業でも比率は小さくなったとはいえ,まだ旧西ドイツに比べて その比率は高い。旧東ドイツの製造業就業比率は,旧西ドイツに比べて小さ いだけでなく,減少してきていることは,この部門が急速に資本集約度を引 き上げてきたことと密接に関連している。また90年代前半の建設ブームに よって就業者が拡大した建設部門は,90年代後半からのブームの崩壊によっ て就業者比率は大幅に減少した(18)。結局,生産的部門で雇用が吸収できない ために,旧東ドイツでは教育や社会保険などの公的サービス部門においてよ
第4図 旧東ドイツの失業率の推移
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Bundesagentur für Arbeit,Arbeitmarkt in Deutschland- Zeitreihhen bis 2010, 8.1 Tabelle.
より作成。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −209−
( 13 )
り多くの雇用を吸収せざるを得ないという現状にあるといえる。
Ⅲ 旧東ドイツにおける所得と需要
それでは,次に旧東西ドイツの所得格差について検討してみよう。所得税 や社会保険料負担控除前の粗所得を比較すると,第7表のように1991年の旧 東ドイツ人口一人当たりの粗所得は旧西ドイツの49%にすぎなかったが,95 年には68.7%まで接近した。しかし90年代後半以後この格差の縮小は全く進 まなくなり,2008年では67.8%であった。ただし,地域的に取引される家事 に関連したサービスや家賃などは旧西ドイツに比べて旧東ドイツの方が安い から,実質的な所得格差はもう少し小さいと考えられる(19)。この粗所得に,
貨幣で支払われた社会的給付を加えて,そこから所得税と社会保険料負担を 控除すると可処分所得になる。旧西ドイツを100とした旧東ドイツの一人当 第6表 旧東ドイツの就業者構成の推移 (%)
農林漁業 工 業 内
建設業 商業・運輸 金融業・
企業サービス
その他の 製造業 サービス
旧東ドイツ
1991 5.8 27.6 24.4 9.8 21.7 7.3 27.9 1995 3.2 16.2 14.4 15.6 22.6 10.8 31.6 2000 2.8 15.1 13.9 11.2 23.5 13.8 33.6 2005 2.4 15.0 13.9 7.6 23.7 15.8 35.5 2009 2.3 14.9 13.9 7.2 23.5 17.1 35.1 2010 2.2 14.8 13.8 7.2 23.3 17.4 35.0
旧西ドイツ
1991 3.4 29.8 28.3 6.6 24.8 10.3 25.0 1995 2.8 25.9 24.5 6.8 25.3 12.1 27.1 2000 2.3 23.4 22.3 6.1 25.5 15.1 27.7 2005 2.1 21.5 20.6 5.2 25.5 16.5 29.1 2009 2.1 20.4 19.5 5.1 25.3 17.3 29.8 2010 2.1 19.9 19.0 5.1 25.2 17.6 30.2 注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
−210−
( 14 )
たり可処分所得は,91年の59.2から2008年の78.3まで増加したが,粗所得と 同じように90年代後半以後はまったく増加していない。粗所得に比べて可処 分所得において旧西ドイツとの格差が小さいのは,税と給付の再分配効果が 働いたからである。旧東ドイツの一人当たりの貨幣で支払われた社会的給付 は,旧西ドイツを10ポイント以上上回っており,2000年では20ポイント以上 も多かった。こうした多くの給付を受けている一方で,租税の負担は旧西ド イツの半分程度しかない。旧東ドイツでは社会的給付を受ける人が多いだけ ではなく,旧西ドイツに比べて年金家計のなかで女性の年金受給が多いこと が,年金受給家計の収入を大きく改善する要因になっているのである(20)。他 方,旧東ドイツの資産所得は旧西ドイツの4割以下に低迷している。
このような旧東ドイツの所得水準の高さは,生産を上回る需要を可能にし ているのである。国民経済計算に基づいて域内需要と域内総生産を比較する と,第5図のように旧東ドイツの域内需要は不断に域内生産を上回っている。
この図は一人当たりで示したものであるが,この超過額をみると94年の1000 億ユーロを最大にして,その後徐々に減少してきているが,数字が公表され ている最近の額でも約170億ユーロに達している。超過額を率で表すと91年 の47%が最大で,その後2007年の7%まで低下してきている(21)。現在の旧東 第7表 旧東ドイツ可処分所得の構成 (旧西ドイツ=100)
粗所得
内 訳
社会保障 給 付
所得・
資産税
社 会 保険料
可処分 雇用者 所 得
報 酬
自営業者
所 得 資産所得
1991 49.2 59.0 26.9 26.0 86.2 24.8 60.3 59.2 1995 68.7 77.9 49.8 45.4 110.2 55.1 84.2 77.9 2000 67.5 77.1 56.8 38.6 121.5 48.1 86.9 80.5 2005 66.8 76.3 65.1 37.1 115.8 52.2 82.1 78.8 2008 67.8 77.6 66.8 39.1 112.7 54.9 81.0 78.3 注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −211−
( 15 )
0 5 10 15 20 25 30 35 10億ユーロ
19911992199319941995199619971998199920002001200220032004200520062007
旧東ドイツ GDP 旧東ドイツ域内需要 旧西ドイツ GDP 旧西ドイツ域内需要
ドイツには十分な域外製品との競争力がなく,域外へ商品を売って所得を得 ることが十分にできていない(22)。このため,域内需要の超過分は旧西ドイツ からの財政的な支援によって埋め合わせるほかないのである。同じ第5図に よって旧西ドイツの生産と需要をみると,ここでは旧東ドイツとは逆に不断 に生産が需要を上回っている。これは旧西ドイツが強い輸出競争力を持って いて,対外的に大幅な貿易黒字を実現していることを示している。こうして 得られた旧西ドイツの所得の一部が,旧東ドイツに移転給付されているので ある。実際に,連邦政府や旧西ドイツ諸州および社会保障給付による支払い によって旧東ドイツの域内需要の相当部分がまかなわれている。この移転額 は年間700億ユーロから800億ユーロにのぼり,これは旧東ドイツ域内需要の 約5分の1に相当するのである(23)。
統一後の20年間に旧西ドイツから旧東ドイツへの財政支援の総額は,公式 第5図 旧東ドイツの域内需要と域内総生産
注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより作成。
−212−
( 16 )
には明らかにされていないが,1.6兆ユーロに達するとも見積もられてい る(24)。旧西ドイツから旧東ドイツへ移転された資金がどの分野に支出されて いるのかをみると,その大半が消費的分野に支出されたことがわかる。ハレ の
IWH
研究所が試算したところによると,第8表のように2003年の旧西ド イツ諸州から旧東ドイツ諸州への粗移転的給付額は1160億ユーロだったが,この内最も大きなウェイトを占めたのは,失業保険や年金などへの支出であ る社会的給付の45%だった。これに次ぐのが財政収入に乏しい旧東ドイツ諸 州への財政支援の21%であり,これら消費的支出の総支出に占める割合は3 分の2に達する。他方で投資的支出は経済発展のための支出が9%で,イン フラストラクチャー支出は13%と,この両者で20%強を占めたにすぎない。
ちなみに,この年の粗移転的給付額から旧東ドイツ諸州の連邦税負担を差し 引いた純移転額は,830億ユーロであった。これは旧東ドイツの
GDP
の32%に相当し,その域内需要の22%を占めた。すなわち旧東ドイツ域内需要の約 5分の1は,旧西ドイツの諸州からの移転によって支えられたことになる。
こうした旧東ドイツの旧西ドイツからの移転給付に依存した関係については,
第8表 旧西ドイツから旧東ドイツへの転移給付(2003年)
10億ユーロ %
粗移転的給付 116 100
内訳
経済支援 10 9
社会的給付 52 45
インフラストラクチャー 15 13 旧東ドイツ諸州財政支援 24 21
その他 14 12
旧東ドイツの連邦税 33
純移転額 83
対旧西ドイツ
GDP
比 4対旧東ドイツ
GDP
比 32対旧東ドイツの域内需要比 22
出所)IWH-Pressemitteilung 21/2003.
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −213−
( 17 )
2003年以後の詳しい数字が公表されていない(25)。しかし旧東ドイツのこうし た旧西ドイツからの移転によって支えられた消費的支出の大きさと,また投 資的支出の少なさについては,旧東ドイツの国民支出の構成からも推測でき る。第9表は旧西ドイツを100とした旧東ドイツの国民支出の構成である。
旧東ドイツの政府支出は95年以後低下してきているものの,依然として旧西 ドイツの規模を上回っている。他方,旧東ドイツ経済の成長を中長期的に促 進するものとして考えられる粗投資は,95年には旧西ドイツの1.5倍近くに 達していたが,2007年には旧西ドイツの4分の3程度に大きく減少している。
これには旧東ドイツにおける住宅建設投資の大幅な後退が強く反映されてい るが,工業分野での投資活動も停滞していることを物語っている。他方,旧 東ドイツの家計貯蓄は,91年には旧西ドイツの4割にすぎなかったが,95年 に7割に達して以後,これも停滞し2007年でも65%にとどまっているのであ る。ここからも旧東ドイツの需要過多と貯蓄不足の姿をみることができる。
所得の大きさを規定するのが賃金であるが,旧東ドイツの賃金は91年には 旧西ドイツの55%程であったが,95年には既に70%以上に達していた。他方 でこの時の時間当たり生産性は旧西ドイツの66%程度であったから,生産性 に見合わない賃金上昇のために多くの企業が倒産して,とりわけ工業部門で 雇用が失われた。この結果が,前節で考察した旧東ドイツの高い失業率で
第9表 旧東ドイツ国民総支出の構成
(旧西ドイツ=100)
個人消費 政府支出 粗投資 国内需要 貯 蓄 1991 62.1 81.8 68.8 67.3 36.9 1995 77.8 110.4 143.4 97.2 72.5 2000 81.0 106.8 101.6 90.1 68.4 2005 79.7 103.4 80.7 84.4 67.5 2007 79.7 102.5 76.9 83.4 64.8 注)旧東ドイツにはベルリンを含む。
出所)Arbeitskreis VGR der Länderより算出。
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( 18 )
あった。しかし,その後の旧東ドイツでは賃金協約の拘束力が失われて,全 事業所のうち,協約賃金を受け入れるのは25%のみとなっている。他方で旧 東ドイツの協約賃金は旧西ドイツの97%の水準にまで上昇し,東西の格差は ほとんどなくなっている。しかし,現実は,旧東ドイツにおける賃金協約の 実態を反映して,実効時間賃金は旧西ドイツの78%にとどまっている(26)。こ のため,東西の賃金コスト差は,統一当初の急速な賃金上昇によって,旧東 ドイツの賃金コストは旧西ドイツを上回っていたが,2000年代に入るとこの コスト差が逆転して,旧東ドイツの賃金コストが旧西ドイツを下回るように なっている(27)。前掲のラグニッツは,この旧東ドイツの賃金水準の推移は矛 盾をはらんでいるとして,高水準の雇用を確保するには旧東ドイツにおける 賃金水準は高すぎるが,他方で若者や高度な技術を身につけている人々の流 出を食い止めるためには旧東ドイツの賃金は低すぎると指摘している。この 結果として,旧東ドイツでは人的資本が流失する一方で,雇用のない人々に 対する多額の移転的社会給付が必要となっているのである(28)。
む す び
一人当たり
GDP
で計った旧東西ドイツの経済格差は,2010年の時点で旧 東ドイツは旧西ドイツの73%まで縮小してきた。しかしこの格差の縮小が急 速に進んだのは90年前半期までで,この後半期以後は,格差の縮小はほとん ど進まなくなった。この原因は,人口の変動というよりも,旧東ドイツの生 産停滞にあった。この生産の成長を規定しているのが労働生産性であるが,この労働生産性においても90年代後半以後格差縮小は進まなかった。これに は,生産性が相対的に低い建設業やサービス業の産業全体に占める比率が大 きいだけでなく,逆に旧東ドイツの生産増加をリードした製造業の比重が小 さいという構造的な要因があるほか,旧東ドイツの製造業では単純な手作業 を内容とする労働の比重が大きいことや,旧西ドイツに比べて企業規模も小 ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −215−
( 19 )
さいために規模の経済も生まれないといったことも,生産性格が縮小しな かった要因であった。
こうした生産状況にもかかわらず,旧東ドイツの協約賃金は旧西ドイツの 水準に急速に接近した。しかし所得水準には,この協約賃金水準は十分反映 されることはなかった。すなわち,労働生産性に見合わない高賃金は,企業 を倒産に追い込むか,賃金協約に拘束されない状況を生みだしたからである。
この結果,旧東ドイツの賃金コストは旧西ドイツよりも低くなった。このた め最近の旧東ドイツの粗所得は,旧西ドイツの68%程にとどまっているので ある。このように相対的に低い所得水準のもとで,旧東ドイツでは社会的給 付が所得に追加されることで社会的な需要が充足されることになっている。
このためには西の諸州からの財政的な移転が不可欠なもとして続いているの である。この額は年間700億ユーロから800億ユーロに達し,旧東ドイツ域内 需要の約5分の1をまかなっている。
旧東ドイツが,旧西ドイツ諸州からの移転的給付に依存せざるを得ないも う一つの要因は,高い失業率にある。旧東ドイツの失業率は,2006年まで17
%を超える非常に高い水準で推移しただけではなく,常に旧西ドイツのほぼ 2倍の高さで推移している。この要因は,統一時の計画経済から市場経済へ の移行期における旧東ドイツ経済の急速な崩壊と,その後の製造業の過程に みられる急速な資本集約度の引き上げによる雇用吸収力の大幅な低下にある ものと考えられる。旧東ドイツの賃金水準は,雇用を維持するには高すぎる 一方で,人的資源の流出を食い止めるには安すぎるのである。
しかし,旧東西ドイツの経済格差の縮小が進まなくなったことについては,
統一後10年が経過した時点で既に議論の焦点になっていた。東西の格差が固 定化して,旧東ドイツ経済の旧西ドイツからの財政移転への依存が続く事態 については,新たな「メッツォジョルノ(Mezzogiorno)」として
H. -W.シ
ンによって指摘された(29)。「メッツォジョルノ」とは,南北間の経済格差が−216−
( 20 )
大きいイタリアでは,北部の経済力に見合った協約賃金が,イタリア全体に 適応されるために,経済力の劣る南部では,賃金水準が高すぎるために雇用 が進まず,経済発展も停滞して南北間格差が固定化するというものである。
シンの主張は,このイタリアの南北経済格差問題をドイツの東西格差問題に あてはめようとするものであるが,両者には生まれた背景などに違いがあり,
イタリアの議論を直ちにドイツに当てはめることはできないが,格差の背景 を説明するひとつの手がかりにはなり得るといえる。また最近の議論では,
ドイツの東西間の格差縮小はこれ以上進まないというのが主要な見解になっ てきているように思われるが,この東西間の経済格差問題を,統一にともな うドイツの特殊な問題として捉えるよりも,むしろ地域的な格差問題として 捉えようとする方向に議論がシフトしてきているようにも思われる。
K
.ブレンケと
K.ツィンマーマンは,地域的な格差は旧西ドイツのなかでも存在
するとして,十分に実証された訳でもないとしながら,人口密度と一人当た り生産量の関係に注目して,旧東ドイツの一人当たり生産が旧西ドイツに比 べて小さいのは,人口密度が小さいからであると指摘している(30)。さらに,
この格差は東西それぞれの地域内にも存在している。旧東ドイツは民間の研 究開発は確かに弱いが,しかし旧東ドイツのなかでもチューリンゲン,ザク セン,ザクセン−アンハルトの南部では革新的な企業が立地し,またドレス デンでは半導体産業が誘致され,イエナでは光学産業が成長している。こう した状況について,政府やいくつかの研究機関は,2020年までにこれら旧東 ドイツの地域は,構造的に弱体化した旧西ドイツの諸州,ザールラント,シュ レスヴィッヒ−ホルスタイン,ラインラント−プファルツ,ニーダーザクセ ンなどに追いつくのではないかと推測しているのである(31)。
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −217−
( 21 )
注
( 1 ) “Die Reindustrialisierung des Ostens ist geglückt”, Frankfurter Allgemeine Zeitung, 02, Oktober 2010.
( 2 ) Brenke K. & K. F. Zimmermann, “Ostdeutschland 20 Jahre nach dem Mauerfall : Was war und was ist heute mit der Wirtschaft?”, DIW Vierteljahreshefte zur Wirtschaftsforschung , 2
‐2009, S.36.
( 3 ) Ragnitz, J., “Ostdeutschland heute : Viel erreicht, viel zu tun”, ifo Schnelldienst 18/
2009, S.4.
( 4 ) Brenke K. & K. F. Zimmermann, op. cit., SS.37
‐38.
( 5 ) Ebenda, S.38.
( 6 ) Ebenda, S.40.
( 7 ) Ragnitz, J., S. Scharfe & B. Schirwitz, Bestandsaufnahme der Wirtschaftlichen Fortschritte im Osten Deutschlands 1989
‐2008, ifo Institut fur Wirtschaftsforschung, Dresden, Juli 2009, SS.4
‐8 & Ragnitz, J., “Demografische Entwicklung in Ost- deutschland : Tendenzen und Implikation”, DIW Vierteljahreshefte zur Wirtschaftsfor- schung, 2
‐2009, SS.111
‐114.
( 8 ) Ragnitz, J., op. cit., S.4.
( 9 ) Arbeitskreis Volkswirtschaftliche Gesamtrechnungen der Länder, Reich 1, Band 1.
(10) Brenke K. & K. F. Zimmermann, op. cit., S.45.
(11) Ebenda, SS.46
‐47.
(12) Ragnitz, J., op. cit., S.4.
(13) Arbeitskreis Volkswirtschaftliche Gesamtrechnungen der Länder, Reich 1, Band 4.
(14)
この点については,Sinn, H. -W., “Germany’s Economic Unification : An Assess-ment after Ten Years”, Review of International Economics, 10(1), 2002, pp.121
‐122
を 参照。(15) Ragnitz, J., op. cit., S.6.
(16) Arbeitskreis Volkswirtschaftliche Gesamtrechnungen der Länder, Reich 1, Band 1.
(17) Bundesagentur für Arbeit, Arbeitmarkt in Deutschland- Zeitreihen bis 2010, 7.1 Ta- belle.
(18) Ragnitz, J., op. cit., S.6.
(19) Ebenda, S.4.
(20) Ebenda, S.4.
(21) Arbeitskreis Volkswirtschaftliche Gesamtrechnungen der Länder, Reich 1, Band 5.
(22)
ラグニッツは,旧東ドイツの輸出比率について90
年代中頃の10% 以上から,
最近では
33% に上昇したが,まだ旧西ドイツの 46% にはおよばないとしている
(Ragnitz, J.,
op. cit., S.6.)。
(23) Ragnitz, J., op. cit., S.5.
(24) “Special Report, Germany”, Economist, Mar. 11th, 2010.
(25)
ハレのIWH
研究所の資料のほか,Jansen, H., “Transfers to Germany’s eastern Lander : a necessary price for convergence or a permanent drag?”, ECFIN Country Fo- cus, Vol.1, Issue 16, 2004.
を参照。(26) Ragnitz, J., op. cit., S.9.
−218−
( 22 )
(27) Brenke K. & K. F. Zimmermann, op. cit., SS.39
‐40.
(28) Ragnitz, J., op. cit., S.9.
(29) Sinn, H. -W., op. cit., p.123.
(30) Brenke K. & K. F. Zimmermann, op. cit., SS.50
‐54 & S.59.
(31) Frankfurter Allgemeine Zeitung, 02, Oktober 2010.
ドイツ統一20年後の旧東ドイツ経済(佐々木) −219−
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