1
論文審査の結果の要旨
氏名:後 藤 範 章
博士の専攻分野の名称:博士(社会学)
論文題名: 鉄道交通ネットワークと地域社会の構造変動
―「東京」の巨大都市化に関する社会学的研究―
審査委員:(主 査) 教授 好 井 裕 明 ㊞
審査委員:(副 査) 教授 久保田 裕 之 ㊞ 教授 山 北 暉 裕 ㊞
一橋大学特任教授 町
村 敬 志 ㊞本論文は、鉄道や駅の開業など鉄道交通ネットワークが当該地域にどのようなインパクトを与える のかについての緻密な実証研究である。現代日本では、たとえば郊外にある大規模ショッピングモー ルへ行くには自家用車が必須であり、日常的な移動手段を考えると「車社会」だと言える。ただ大都 市圏では明らかに様相が異なっている。特に東京大都市圏では、通勤・通学者の約
8
割が鉄道を利用 しているのである。こうした事実に対して、鉄道の歴史や鉄道と社会を概括的に記述し説明する書物 はあるものの、社会調査から得られたデータに基づく実証的な解明はほとんどなされていない。鉄道 がなかった地域に鉄道(通勤新線)が敷設され駅が開設されると、いかなるメカニズムやプロセスを へて、地域社会に具体的にどのような変化が引き起こされるのであろうか。本論文は、この問いに真 正面からかつ実証的に答えようとするものであり、まず鉄道交通の社会学として独創的でありかつ貴 重な成果だと評価できる。本論文は、研究課題に関する理論的検討を加え、研究方法の明確化をはかる第一部(6章構成)と 交通インパクトの社会学的効果に関する
10
次にわたる調査データの実証的分析の第二部(6
章構成)と全体の総括とさらなる課題をまとめた終章から構成される。
本論文の主たる調査対象地は、
1985
年に国鉄(現JR
東日本)埼京線が開通し3駅が開業した埼 玉県戸田市と、2005
年に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX
)が開通し1駅が開業した同県 八潮市である。両市とも東京都に隣接しながら、市域に鉄道が走らず駅もなかったため、東京の都心 部へのアクセシビリティが周囲と比べて相対的に低い「陸の孤島」と言われていた地域であった。そ れが、両市に「東京」の中心部に直結する通勤新線が開通し、交通インパクトが発現することによっ て「陸の孤島性」が減ずると共に「東京」に組み込まれていく。具体的には、戸田市の歩みと地域特性を押さえた上で、長期にわたる調査から得られた精緻なデー タをもとに分析を施し、埼京線開業後の戸田市の社会変動について検証されている。開業することで、
中心都市への接近可能性が一気に増大し、地域間職業間の移動性と流動性も高まり、「新来住層」が増 加した。そうした変化と連動し、日常生活が広域化し、地域コミュニティの連帯性が高まり、地域の 居住性にも大きな影響を及ぼしたのである。結果として埼京線開業後に転入してきた「新来住層」が 開業後
20
年を経て「土着層+旧住民」をボリュームの上で凌駕するという新旧住民の住民構成上の「転換」が、戸田市の地域社会構造の「転換」に形を与えたという知見が得られている。また八潮市 の社会変動も検証され、
TX
(つくばエクスプレス) 開業後の八潮市は、戸田市の歩んできた道のり を後追いするように歩んでいるが、新旧住民の住民構成上の「転換」はなされておらず、社会変動の 度合いやスピードも穏やかなものに留まっていることが明らかにされている。交通が都市化に及ぼす影響についてはこれまでも一般的な指摘はなされてきたものの、交通要因を 他の諸要因から分離することは容易ではなかった。本論文は長期にわたる定点観測という過去に例を 見ない研究に取り組むことによって、ただ鉄道ができて街が変わったという印象的な記述ではなく、
実証データに基づく精密な分析から交通要因の影響を確定した。地域社会学の成果としても極めて説 得性が高いと評価できる。
2
また本論文は戸田市と八潮市という地域社会の分析にとどまることはなく、両地域を包含する巨大 都市「東京」の構造変動の究明をも射程に入れている。「東京」の成長と拡大の過程を「巨大都市化」
と位置づけ東京都特別区部(23区域)をはるかに越えた「東京」の超広域化が推し進められるプロ セスとメカニズムの解明も目指している。
具体的には、第一部で、巨大都市「東京」の空間的歴史的変動を捉えるための基礎作業が行われて いる。地域社会学において地域の範域確定という重要課題があるが、本論文では国勢調査データ分析 をもとにして「東京」の範域確定が試行されている。この範域確定という作業は、「東京」を常識的発 想で捉えるのではなく、「東京」という空間を実証的論理的に確定し、地域社会の構造変動を究明する うえでの必須であり、地道であるが極めて意義ある分析と言える。そしてその範域画定にとって重要 な位置を占めるのが鉄道交通による通勤・通学流動であり、これによって交通インパクト研究に道を 大きく開くことができたのである。また国勢調査データを用いて独自に開発された「東京」への組み 込まれ度を測定する尺度を用い、「東京」の空間構造の
1960
年~1990
年の変動過程が明らかにされ ている。また「東京」の人口移動と流動についても、明治初めから今日に至るまでの東京府・都の人 口推移を基にして6
期に時期区分し、「東京」の歩みが一様ではなく「転換」がいくつも果たされな がらも「巨大都市化」のあり方には変化が認められず、このことが「東京一極集中」を量と質の両面 で加速させていると説明されている。こうした分析は、「東京」の巨大都市化を社会学的に分析する基礎を確立しており、研究のさらなる 展開可能性を十分に推測し得る成果として評価できる。
今一つ、評価すべき点がある。それは都市・地域社会調査におけるマルチメソッド・アプローチが 丁寧に検討され、量的な統計調査と質的調査だけでなくビジュアル調査をも入れ込む必要性を主張さ れ、たとえばビジュアル(写真)調査によるデータ分析を基にし、住宅地図や都市計画図等も活用し ながら、戸田市と八潮市のマクロな変動にミクロな変動を重ね合わせて考察し、物理的な土地利用上 の「転換」と社会構造上の「転換」とが連動するプロセスとパターンとメカニズムの解明が試みられ ていることである。「東京」の巨大都市化のような極めてマクロでありながら他方で住民の日常の微細 な質的部分にまで考察が必要となる研究課題にとって、新たな方法の開発は重要であり、本論文にお いて量と質とビジュアルの混合研究法をめぐる方法論的な検討が試行されている。
他方、課題も残されている。一つは、八潮市が今後どのような構造変動が起きるのかをさらなる継 続的調査で明らかにすることである。戸田市は
30
年にわたる調査により、鉄道交通ネットワークに よる地域への影響や構造変動の様相が分析されている。しかし八潮市ではまだ15
年の調査であり、継続的調査による分析の可能性が残されている。
今一つは、近年数多くの「東京」をめぐる都市社会学的研究成果が出されている。本研究は、そう した成果とどのような関連にあるのだろうか。「東京」の地域社会学を今後も進めるうえで、関連研究 や隣接する社会学成果とのつながりを考えることは、必須の作業と言える。
また、本研究が試行している量的調査・質的調査・ビジュアル調査の混合された研究法は、さらに どのような形で洗練され本研究にとどまらず、多くの地域社会学的研究の有効なる研究手法として確 立していくのか。これを洗練させる作業は、研究方法の洗練という社会学調査における重要な課題と 言える。
ただこうした課題は、すべて本研究が成しえている独創的な成果があって初めてみえてくるもので あり、本研究の価値を低めるものでは決してない。鉄道交通インパクト研究やそれを手がかりとした
「東京」の地域社会学的研究は、後藤氏の
30
年にわたる継続調査に象徴される真摯な研究姿勢と確 固たる問題関心が貫かれた優れた成果である。今後さらに調査研究を深められ、ライフワークとしての完結を期待したい。
よって本論文は,博士(社会学)の学位を授与されるに値するものと認められる。
以 上