新 潟 県農 工 銀 行 の設 立 と展 開(1899〜1922年)
第 一 次 合 併 行 の設 立 か ら終 焉 まで
早 川 大 介
TheEstablishmentandtheDevelopmentof theNiigataagriculturalandindustrialbank
(1899‑1922)
Hayakawa,Daisuke
Abstract
ThepurposeofthisstudyistoexaminethebusinessoperationoftheNiigata agriculturalandindustrialbank(theNokoGinkoofNiigata‑ken).TheNoko Ginkowasestablishedduringtheperiod1898‑1900ineachprefecture.In Niigataprefecture,itwasestablishedin1899andtakenoverbytheHypothec bankofJapan(theNihonKangyoGinko)in1922.Inthispaper,wedivide23 year‑historyofthisbankintothreeperiodsandshowthedevelopmentofthis bankfrombeginningtoend.
は じめ に
1新 潟 県 農 工 銀 行 の 設 立 過 程 2創 業 後 の 停 滞 期(1899‑1909年)
3農 工 債 券 の 発 行 と業 務 の発 展(1910‑1918年)
4第1次 大 戦 後 か ら 日本 勧 業 銀行 との合 併 へ(1919‑1922年) お わ りに
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は じ め に
本 稿 の 目的 は,1899年6月 に 設 立 され,1922年6月 に 日本 勧 業銀 行(以 下, 勧 銀 と略 記)と 合 併 した新 潟 県 農 工 銀 行(以 下,新 潟 農 銀 と略 記)の23年 間 の 活動 に つ い て 実 証 的 に検 討 す る こ とで あ る。
農 工 銀 行(以 下,農 銀 と略 記)は,1897年 〜1900年 の 間 に北 海 道 を 除 く46府 県 に設 立 され た特 殊 銀 行 で あ る。 そ の後,1921年 に制 定 され た い わ ゆ る 「 勧 農 合 併 法 」 に基 づ いて 順 次 勧 銀 に合 併 され 同行 の 支店 とな り,最 終 的 に1944年9月 の5農 銀 の合 併 を 以 て消 滅 した1。
勧 銀 に よ る農 銀 の 合 併(勧 農 合 併)は,4次 に わ た っ て 進 行 した こ とが 知 られ て い る。 本 稿 で 検 討 す る新 潟 農 銀 は最 初 に勧 銀 に合 併 した グ ル ー プ(第 一 次 合 併 行)に 属 す る2
。 戦 後 間 も な く勧 銀 が ま とめ た 『日本 勧 業 銀 行 史 』 に よ れ ば,第 一 次 合 併 行 は,一 般 に債 券 発 行 の 募 集 能 力が 乏 し く,自 行 貸 付 よ り も勧 銀 の 代 理 貸 付 に依 存 して お り,利 益 率 の 低 い 「 経 営 的 に弱 い農 工 銀 行 」 で あ る と評 価 され て い る3。第 一 次 合 併 行 の 個 別 研 究 は,設 立 過 程 を の ぞ い て ほ とん ど行 わ れ て お らず4,そ の 沿 革 に つ い て も6府 県 の 農 銀 が 行 史 を刊 行 して い る に と ど まる5。 この よ う に第 一 次 合 併 行 の 実 態 は ほ とん ど明
らか され な い ま ま,弱 小 の農 銀 と して 一 括 に把 握 され て き た とい え よ う。
これ まで の 農 銀 研 究 の 主 た る関 心 は,「 不 動 産 銀 行 」 化 の過 程 とそ の 実 態 の 把 握 に あ っ た 。 個 別 農 銀 の 実 証 研 究 は,管 見 の 限 り,池 上 和 夫6,高 嶋 雅 明7,植 田 欣 次8,横 山憲 長9の 研 究 が 挙 げ られ る。 特 に植 田 は,精 力 的 に史 料 を発 掘 し,一 連 の研 究 で 農 銀 の 貸 付 や 農 工 債 券 の 発 行 の 実 態,預 ヶ金 の 運 用 を通 じた 地 方 金 融 市場 との 関 係 な ど農 銀 の 業 務 を多 面 的 に検 討 し,農 銀 研 究 の 実 証 水 準 を 飛 躍 的 に 向上 させ た 。 以 上 の 研 究 の 対 象 は,い ず れ も第 二 次 合 併 以 降 ま で 存 続 す る農 銀 で あ る。 農 銀 の 「 不 動 産 銀 行 」化 は,1910年 頃 か ら主 と して 大 都 市 所 在 の 農 銀 で 起 こ り始 め,両 大 戦 間 期 に本 格化 す る。 そ
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新 潟 県 農 工 銀 行 の 設 立 と展 開(1899〜1922年)
れ故,1920年 代 前 半 に勧 銀 と合 併 し消 滅 して し ま う第 一 次 合 併 行 に つ い て は史 料 的制 約 と も相 侯 っ て射 程 に 入 って こな か った の で あ ろ うlo。
これ らの 研 究 史 を踏 まえ 第 一 次 合 併 行 を検 討 す る意 義 を2点 指 摘 して お き た い。 第 一 に,第 一 次 合 併 行 の 多 様 性 につ い て で あ る。 第 一 次 合 併 行 は すべ て が 「 経 営 的 に 弱 」 か っ た の だ ろ うか 。 渋 谷 隆 一 は,す べ て の 第 一 次 合 併 行 の 代 理 貸 付 依 存 度 が 高 か っ た わ けで は な い と し,秋 田農 銀 の 事 例 を踏 まえ な が ら勧銀 との合 併 を選 択 す る過 程 で 「 経 済 的 契機 」(不 動 産 金 融 に お け る普 通 銀 行 との 競 合)と 「 政 治 的契 機 」(政 党 問題)が あ っ た こ とを指 摘 した11。 ま た本 稿 で検 討 す る新 潟農 銀 に つ い て は,『 新 潟 県 史 』 の なか で 後 述 す る勧 銀 の 合 併 資 料 を用 い なが ら,第 一 次 合 併 行 の なか に あ っ て例 外 的 に経 営 が 順 調 で あ っ た こ とが 指 摘 され て い るiz。『日本 勧 業 銀 行 史 』 の指摘 は第 一 次 合 併 行 全 体 の傾 向 と して は妥 当で あ ろ うが,個 別 事例 に即 して検 討 す る必 要 が あ ろ う。
第 二 に営 業府 県 の地 域 経 済 や 金 融 市 場 との関 係 に つ い て で あ る。 各 地 域 の 金融 市場 の実 態 に接 近 す る た め に は普 通 銀 行(都 市 銀行 ・地 方 銀 行)の 分 析 の み で は 不 十分 で あ る。 渋 谷 が 指摘 す る よ うに不 動 産 金融 を め ぐ る農 銀 と地 銀 との 競 合 関係 もあ ろ う し,農 銀 の預 ヶ金 運 用 を通 じた地 方銀 行 との 関 係 も 考 え られ よ う13。伊 牟 田 敏 充 の 指 摘 した 「 重 層 的 金 融 構 造 」 仮 説 を 踏 ま え な が ら,農 銀 の 活 動 を地 域 金 融 市 場 の 中 に位 置 づ け る必 要 が あ ろ う14。
本 稿 で は,以 上 の 課題 に応 え るた め の基 礎 的作 業 として,新 潟 農 銀 の創 立 関 係 資 料,『 営 業 報 告 書 』,勧 銀 資 料,大 蔵 省 『 銀 行 局 年 報 』 等 を用 い て,同 行 の設 立 か ら合 併 まで の23年 間 の 活 動 の 素描 を試 み る15。以 下 で は,第1節 で 新 潟 農 銀 の 設 立 過 程 を確 認 した後,第2節 〜 第4節 で23年 間 を3つ の 時 期 に 区分 し,各 時 期 の 資金 調 達(農 工 債 券 ・預 金),資 金 運用(特 に年 賦 貸 付 金) につ い て検 討 す る。 そ して最 後 に勧 銀 へ の合 併 の過 程 を確 認 す る。 な お,本 稿 で は貸 付 業 務 に限 定 し,余 裕 金 運用 を通 じた地 方 銀 行 との 関 係 につ い て は 別 稿 で 論 じ る。 役 員 の 変遷,主 要 勘 定,農 工 債 券 の 発 行 の 一 覧 は文 末 の(別 表1〜4)を 参 照 され た い。
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1新 潟 県 農 工 銀 行 の設 立 過 程
(1)農 工 銀 行 設 立 委 員 会 の 設 置
1897年6月8日,大 蔵 大 臣 松 方 正 義 は,「 農 工 銀 行 法 」(1897年4月20日 法 律 第83号)に 基 づ い て 農 銀 を設 立 す る た め に各 府 県 に 「 農 工 銀 行 設 立 事 務 手 続 」16を内 訓 した 。 各 府 県 知 事 は これ に基 づ い て 設 立 委 員 を選 定 し,同 年ll月27日 に 静 岡 農 工 銀 行 が 設 立 免 許 の公 布 を受 け た の を 皮 切 りに1898 年 に か け て順 次 開 業 して い っ た17。
新 潟 県 で農 銀 設 立 の 準備 が本 格 的 に始 まっ た の は,す で に 多 くの府 県 で 開 業 して い た1898年8月 で あ った 。 設 立 に 出遅 れ た最 大 の 理 由 は,1896,97 年 と2年 連 続 で 大 規 模 な水 害 に見 舞 わ れ,県 財 政 は逼 迫 し,県 庁 で は この 間
そ の 対 応 に 追 わ れ て い た か らで あ っ た18。1898年8月19日,新 潟 県 知 事 勝 間 田稔isに よ り24名 の 委 員 が任 命 され た(第1表)20。 「 農 工 銀 行 設 立 事 務 手 続 」 に よれ ば設 立 委 員 は,「 全 管 下 ヲ通 シ 各 郡 市 二 於 テ資 産 名 望 若 クハ 経 験 ヲ有 ス ル モ ノ凡 ソー 人 県官 一 人 ヲ標 準 」 とす る とされ,各 郡 市 か ら1名 な い し2名 が 選 出 され た21。 主 な 顔 触 れ は,新 潟 市 長 鈴 木 長 蔵22,市 島徳 次 郎 を は じめ とす る県 下 の 有 力地 主,衆 議 院 議 員,県 会 議 員 な どの 政 治 家,第 四 銀 行,六 十 九 銀 行,長 岡 銀 行 な どの 県 下 の 有 力 銀 行 の役 員 な どで あ っ た 。 「 県 官 」 と して 県 内 務 部 長 床 次 竹 二 郎 が 選 出 され,設 立 委 員 長 とな った23。
設 立 委 員 会 は,9月7日 〜10日 に新 潟 県 庁 内で 開 催 され,銀 行 名 称 を 「 新 潟 県 農 工 銀 行 」 と し新 潟 市 に店 舗 を置 く こ と,資 本 金 を100万 円 とす る こ と,
「 農 工 銀 行 補 助 法 」(1897年4月 法 律 第84号)第1条 に基 づ い て 資 本 金100 万 円 の うち30万 円(額 面20円 ・15,000株)は 政 府 か らの 交 付 金 を 元 に新 潟 県 が 引 き受 け る こ と,創 立 費 予 算 を4,000円 とす る こ と等 が 決 定 さ れ た24。
そ して 株 式 の 募 集 に 際 して は,「 な るべ く一 般 人 中流 以 下 の 人 々 よ り募 集 す る趣 旨 を以 て 五株 ま で 申込 み た る分 は 総 て 配 当 し五株 以 上 の分 は案 分 比 例 を
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新 潟 県農 工銀 行 の設 立 と展 開(1899〜1922年)
(第1表)新 潟県農工銀行設立 委員
氏 名 住 所 備 考 地 価(円)
床 次竹 二郎 新潟県内務 部長
鈴 木長蔵 新潟市上大川前通 九番 町 新潟市長 1,160
八木朋直 新潟市上大川前通 五番 町 第四銀行 取締役 ・新潟 商
業銀行専務 取締役 1,521
真嶋桂次郎 北蒲原郡濁川村 73,454
市島徳次郎 北蒲原郡天王村 貴族院議 員 451,087
本間新作 中蒲原郡新 関村 日本石油株 式会社取締役 59,135
片 山恭平 ?
山 田平太郎 西 蒲原郡小 吉村 北越商業銀 行監査役 91,373
佐藤宗弥 南 蒲原郡新潟村 県会議員 6,296
源川 万吉 南 蒲原 郡三条町 三条銀行 専務取締役 ・三
条貯金銀行 取締役 2,926
平 田次 八郎 東 蒲原 郡津川 町 県会議員 10,412
岸宇 吉 古志郡長岡町 第六十 九銀 行頭 取 1,114
吉川庄蔵 古志郡黒条村 古志郡長 4,835
三輪潤 太郎 三島郡与板町 衆 議 院 議 員(憲 政 党)・
与板 銀 行 専 務 取 締 役 ・長 岡銀 行 監 査 役
11,487
山 口権 三 郎 刈羽郡横沢村 長 岡銀行 頭取 35,371
酒 井文吉 北魚沼郡下条村
小 出銀行 取締役 会長 ・掘 之 内銀行 取締役 会長 ・小 出荷 為替合資 会社取締役
17,511
蕪木八郎右衛 門 中魚沼郡十 日町村 16,357
本山健治 東頸城郡元保倉村 11,637
山岸俊蔵 中頸城郡津有村 3,500
笠原克太郎 中頸城郡潟町村 衆議院議 員(自 由党)・ 直
江津積塵銀 行 取締役会長
磯谷健治 西頸城郡木浦村 1,760
渡辺三左衛 門 岩船郡関谷村 151,737
田辺九郎 平 佐渡郡赤泊村 1,902
出 所:新 潟 県 告 示 第226号(「 新 潟 県 公 報 」 第446号,1898年8月19日)。
注:住 所 ・備 考 欄 は,商 業 興 信 所 「日本 全 国 諸 会 社 役 員 録(第6回)』,『 新 潟 県 史 』 資 料 編 15(近 代 三)1982年,『 議 会 制 度 七 十 年 史 衆 議 院 議 員 名 鑑 』1962年 に よ る。 地 価 は, 小 池 謹 一 郎 編 『 北 越 一 市 十 五 郡 金 満 家 ・一 名 新 潟 県 地 価 持 一 覧(第 三 版)』1900年(渋 谷 隆 一 編 『 都 道 府 県 別 資 産 家 地 主 総 覧(新 潟 編2)』 日 本 図 書 セ ン タ ー,1997年 所 収) に よ る。
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以 て 配 当 す る」 こ と と した25。 な お定 款 の 作成 は 通 常 創 立 認 可 を受 け た 後 で あ るが,「 再 び会 議 を 開 か ざ る を得 ざ る」 為,大 蔵 省 か ら参 考 と して 回 付 さ れ た雛 形(農 工 銀 行 定 款 参 考 案)を も とに作 成 され た。10日 の 委 員 会 で 定 款 認 可 申請 書 が 調 印 され,12日 に大 蔵 大 臣 に 申請 書 が 提 出 され,30日 に大 蔵 大 臣 よ り定 款 の 認 可 を 受 け た26。
10月25日,委 員 会 で の決 定 に 従 って 「 新 潟 新 聞 」 を は じめ 県 下 の 各 新 聞 に 株 主 募 集 広 告 が 掲 載 され た。 募 集 範 囲 は,「 新 潟 県 内 の 各 市 町 村 並 に新 潟 県 内 に原 籍 及 住 所 を 有 す る もの 」 に 限 定 さ れ,申 込 期 限 は 「 明 治 三 十 一 年 十 一・ 月一 日 よ り同 年 十 二 月 二 十 日 まで の 五 十 日間 」,申 込 方 法 は,「 株 式 申込 人 は一 株 に付証 拠 金 弐 円 の割 合 を 以 て 申 込株 数 に該 当 す る金 額 を 設 立 委 員 長 床 次 竹 二 郎 宛 の郵 便 為 替 券 又 は設 立 委 員長 床 次 竹 二 郎 指 図 払 の 左 に 指 定 した る 各銀 行(県 下 の 全 銀 行 一 引用 者)の 預 り金 手形 を 申込 書 に添 へ 当 事 務 所 に 差 し出 さ るべ し」 とされ た27。
設 立 委 員会 で は,年 内 に株 主 募 集 を終 え た うえ で 準 備 を整 え,「 遅 くと も 明 年 一 月に は開 業 し得 可 し」 とい う計 画 で あ っ たが,株 主 募 集 は 関係 者 の 予 想 を超 え て難 航 した。 設 立 委 員 会 の 開 催 とほ ぼ 時 を 同 じ く して,9月6日 〜 7日 に か け て新 潟 県 下 は 再 び大 規 模 な水 害 に見 舞 わ れ た28。 県 下 は 「 両 三 年 以 来 水 轟 害 ヲ被 リ タ ル疲 弊 未 タ癒 ヘ サ ル 」 状 態 で あ り,「 会 社 熱 流 行 ノ 渦 中 二 陥 リタ ルニ 懲 リ株 式 組 織 モ ノ トシ 云 ヘ ハ 玉 石 之 ヲ混 視 シ テ 嫌 悪 ス ル ノ傾 」 が あ り株 式 の 募 集 は困 難 を極 め た。 設 立 委 員 会 や 県 が 株 式 募 集 に奔 走 した が 期 限 日で あ る12月20日 まで に満 額 に至 らな か っ た 。12月26日 に1899年1 月25日 まで1ヶ 月 期 限 を延 期 した が,そ れ で も集 ま らず 最 終 的 に 「 募 集 期 限 ヲ無 期 」 と して,よ うや く1899年4月 に至 っ て満 額 に 到 達 した29。
1899年 末 の 株 主 の状 況 を み る と,前 述 の よ う に最 大 株 主 は,15,000株 を 引受 け た新 潟 県(知 事 名 義)で あ った 。 株 主 は 県全 域 に分 布 して お り,清 水 門 吉(南 蒲原 郡)の1,000株 を筆 頭 に市 島徳 次 郎(北 蒲原 郡),市 川 ム ロ(南 蒲原 郡),多 額 納 税 者 で あ っ た佐 藤 伊 左 衛 門(北 蒲 原 郡)30な どの 蒲原 平 野 の
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新 潟 県 農 工 銀 行 の設 立 と展 開(1899〜1922年)
大 地 主 や 鍵 冨 三 作(新 潟 市)な どの有 力 商 人 な どが 大 株 主 とな っ た(第2表) (第3表)。
(第2表)株 主分布
1899年 末 1910年 末 1919年 末
株数
人 数
株数 人数 株数人数
新潟県知事
15,000 1 15,000 1 15,000 1
新潟市
2,719 87 4,103 93 4,976 111
北蒲原郡
... 240 5,603 195 5,554 182
中蒲原郡
1,214 125 2,825 119 3,375 119
西蒲原郡
2,466 509 3,367 :・ 3,121 243
南蒲原郡
3,277 224 3,580 145 3,454 115
東蒲原郡
86 20 157 12 15 6
三 島郡 1,926 664 2,213 212 2,126 198
古志郡
3,249 611 2,112 243 2,153 217
うち長 岡 市 一 一 984 43 1,192 46
北魚沼郡
・.・ 181 :1: 72 771 66
南魚沼郡
939 56 441 28 480 28
中魚 沼郡 751 390 399 114 406 97
刈 羽 郡 2,114 671 1,616 259 1,064 176
東頸城郡
757 231 609 78 551 59
中頸城郡
4,660 297 2,730 171 2,189 119
うち 高 田市 一 一 一 一 254 12
西頸城郡
1,539 859 500 130 464 107
岩船郡
1,670 196 1,958 122 1,515 96
佐渡郡
2,674 841 1,939 217 1,619 97
県外
5 1 40 4 1,167 12
合計
50,000 6,204 50,000 2,501 50,000 2,121
出所:新 潟県 農工 銀 行 『営業報 告書 』 各期。
注:比 較 の ため に長 岡市 ・高 田市 は それぞれ 旧所属 の 郡 に合 計 した。
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一61一(第3表)新 潟県農工銀 行有 力株 主(上 位10名)
1899年 末 1909年 末 1919年 末
南 蒲原 郡 清 水 門吉 i,000 新潟市 鍵 冨 三作 1,101 新潟市 鍵 冨 三作 1,680 北 蒲原 郡 市島徳次郎 600 南蒲 原郡 清水 門吉 1,000 中 蒲原 郡 吉 田久平 1,002 南 蒲原 郡 市 川 ム ロ 500 北 蒲 原郡 斎藤彦 太 郎 755 南蒲原郡 清 水 門吉 1,000 新 潟市 鍵 冨三 作 300 中蒲 原郡 吉 田久 平 569 北 蒲原 郡 斎藤彦太郎 755 北 蒲原郡 佐藤伊左衛門 300 北蒲原 郡 真嶋桂次郎 535 北 蒲原 郡 真嶋桂次郎 558 中頸城 郡 笠原 恵 300 西 蒲原 郡 山 田助 作 511 西 蒲原郡 山 田助 作 551
中頸城郡 保坂潤治 300 南蒲原郡 市川只 次 500 北 蒲原郡 原藤衛 517
新 潟市 八木 朋 直 250 北 蒲原 郡 中 野 リユ 402 南蒲原郡 市川 辰雄 500 北 蒲原郡 真嶋桂次郎 250 北 蒲原 郡 市島徳次郎 400 北蒲原郡 市島徳厚 400
北 蒲原郡 斎藤美誠 250 刈 羽郡 山 口達 太郎 300 新潟市 山際操 320
出所:新 潟県農 工 銀 行 『 営 業報 告書 』各 期。
注:左 か ら住所,氏 名,所 有株 式数。 最大 株主 は一 貫 して新 潟 県知 事(15,000株)。 太字 は 農工銀 行 役 員。
(2)新 潟 県 農 工 銀 行 の 設 立
1899年5月21日,創 業 総 会 が 新 潟 県 会 議 事 堂 で 開 か れ た 。 設 立 委 員 長 に よ り設 立 に 関 す る事 務 報 告 の後,定 款 の変 更 が 議 決 され,役 員選 挙 が 実 施 さ れ た31。 役 員 の 選 任 に つ い て は,「 定 款 」 に お い て 以 下 の よ うに 定 め られ て い た32。
第20条 当銀 行 二 取 締 役 七 名 監 査 役 五 名 ヲ置 ク
第21条 取 締 役 ハ 株 主 総 会 二 於 テ五 十 株 以 上 ヲ所 有 ス ル株 主 中 ヨ リ選 挙 ス ル モ ノ トス 其 任 期 ハ 三箇 年 トシ満 期 二 至 リ再 選 ス ル コ トヲ得
第22条 監 査 役 ハ 株 主 総 会 二 於 テ 参 拾 株 以 上 ヲ所 有 ス ル株 主 中 ヨ リ之 ヲ 選 挙 ス ル モ ノ トス其 任 期 バー 箇 年 トシ満 期 二 至 リ再 選 ス ル コ トヲ得
この 規 定 に従 っ て,取 締 役 に は鈴 木 長 蔵(新 潟 市),市 島徳 次 郎(北 蒲 原 郡),本 間 新 作(中 蒲 原 郡),山 口権 三 郎(刈 羽 郡),吉 川 庄 蔵(古 志 郡),佐
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新 潟 県農 工 銀 行 の 設 立 と展 開(1899〜1922年)
藤 伊 助(岩 船 郡),山 田平 太 郎(西 蒲 原 郡)33の7名 が選 出 され,監 査役 に は 岡 村 貢(南 魚 沼 郡),本 山健 治(東 頸 城 郡),佐 藤 宗 弥(南 蒲 原 郡),後 藤 五 郎 右 衛 門(佐 渡 郡),上 野 貞輝(中 頸 城 郡)の5名 が 選 出 さ れ た(別 表1)34。
6月3日,取 締 役 の 互 選 に よ り5月 末 で 新 潟 市 長 を 辞 職 した 鈴 木 長 蔵 が 初 代 頭 取 に就 任 した35。
以 上 の 過 程 を経 て 新 潟 農 銀 は,6月13日 に大 蔵 大 臣 か ら営 業 免 許 が 交 付 され,同 年9月20日 に徳 島 県 の 阿 波 農 工銀 行 に次 い で 二 番 目 に遅 い45番 目 の 農 工 銀 行 と して営 業 を開 始 した36。
2創 業 後 の 停 滞 期(1899‑1909年)
新 潟 農 銀 の 貸 付 金 の 推 移 を み よ う(第1図)。 創 業 時 か ら徐 々 に 増 加 は み られ る もの の,1910年 頃 まで は100万 円 以 下 で ほ ぼ 横 ば い で あ っ た。 後 の 勧 銀 の調 査 に よれ ば,創 業 時代 の 新潟 農 銀 は,経 営 方 針 が 消 極 的 だ っ た こ と
(第1図)貸 付金の推移
出 所:(別 表3)よ り作 成 。
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に よ り 「 業 務 は遅 々 と して 発 展 せ ず 全 く静 止 の 状 態 」 で あ った と い う37。以 下 で は,ま ず 「 農 工 銀 行 法 」 に 則 して 農 銀 の 業 務 を確 認 した後 で 創 業 期 の貸 付 金 の 内 訳 を み る。
(1)農 工 銀 行 の 業 務 の 概 要
施 行 時 の 「 農 工 銀 行 法 」 に よれ ば,農 銀 は,「 農 業 工 業 ノ改 良 発 達 ノ為 資 本 ヲ貸 付 ス ル ヲ以 テ 目的 トス ル株 式 会 社 」 と され(第1条),そ の 事 業 につ
い て は 以 下 の よ うに規 定 され た(第6条)。
① 年 賦 償 還 貸 付(「 三 十 箇 年 以 内 二 於 テ 年 賦 償 還 ノ方 法 二依 リ不 動 産 ヲ抵 当 トシ テ 貸 付 ヲ為 ス コ ト」)
② 定 期 償 還 貸 付(「 年 賦 償 還 貸 付 ノ五 分 ノー 二相 当 ス ル金 額 ヲ限 リ不 動 産 ヲ抵 当 トシ テ五 箇 年 以 内 ノ定 期 償 還 貸 付 ヲ為 ス コ ト」)
③ 無 担 保 公 共 貸 付(「 市 町 村 又 ハ 法 律 ヲ以 テ組 織 セ ル 公 共 団 体 二 対 シ 無 抵 当 ニ テ本 条 第 一 号 第 二 号 ノ貸 付 ヲ為 ス コ ト」)
④ 二 十 人 連 帯 貸 付(「 二 十 人 以 上 ノ農 業 者 又 ハ 工 業 者 申 合 セ 連 帯 責 任 ヲ以 テ借 用 ヲ申 出 テ タ ル トキ ハ其 ノ信 用 ノ確 実 ナ ル モ ノニ 限 リ五 箇 年 以 内 二於 テ定 期 償 還 ノ方 法 二依 リ無 抵 当貸 付 ヲ為 ス コ ト」)
そ して貸 付 目的 につ い て は,① 開 墾,排 水,灌 概 及 耕 地 土 地 の 改 良,② 耕 作 道 路 の 築 造 又 は 改 良,③ 殖 林 事 業,④ 種 苗,肥 料 そ の他 農 工 業 用 原 料 の 購 入,⑤ 農 工 業 用 の器 具,機 械,舟 車,獣 畜 の 購 入,⑥ 農 工 業 用 建 物 の 築 造 又 は 改 良,⑦ 前 各 項 の 他 の農 工 業 の 改 良,と い っ た 農 工 業 の長 期 資 金 に 限 定 され た(第7条)38。
融 資 対 象 が 長 期 の た め,資 金 調 達 も対 応 して 長 期 性 の もの に限 定 さ れ た 。 預 金 は定 期 預 金 の み で あ り(「農 工 銀 行 ハ 定 期 預 リ金 ヲ為 シ又 ハ 地 金 銀 有 価 証 券 ノ保 護 預 リ ヲ為 ス コ トヲ得 」(第22条)),こ れ に加 え て農 工債 券 の 発 行 が 認 め られ た(「 農 工 銀 行 ハ 資 本 金 四分 ノー 以 上 ノ払 込 ア リタル トキハ 払 込
一64一 10
新 潟 県 農 工 銀 行 の 設 立 と展 開(1899〜1922年)
金 額 ノ五 倍 ヲ限 リ農 工債 券 ヲ発 行 ス ル コ トヲ得 但 シ年 賦 償 還 貸 付 金 総 額 ヲ超 過 ス ル コ トヲ得 ス 」(第26条))39。
ま た,農 銀 は 府 県 の 金庫 業 務 を委 託 され る こ とが 多か っ た ので,公 金 預 金 につ い て 関説 して お く。 府 県 の公 金 取 扱 に 関 して は1900年 まで は 各 府 県 の 規 則 で 定 め られ て い た 。1900年 に前 年 の 「 府 県制 」の全 面 改 正 を受 け て,「府 県 制 郡 制 二依 ル 費 目流 用 並 財 務 二 関 ス ル 件 」(1900年3月 内 務 省 令 第7号) が 公 布 され た。 その なか で 「 府 県 二 属 ス ル 現 金 ノ出 納 保 管 ノ為 府 県 金 庫 ヲ置 」
く こ と とされ(第18条),「 金 庫 事 務 ノ取 扱 ヲ為 サ シ ム ヘ キ銀 行 ハ 府 県 知 事 之 ヲ定 ム 」 と され た(第20条)。 各 府 県 で は 国 立 銀 行 ・普 通 銀 行 に 金 庫 業 務 を 委 託 して き たが,「 農 工 銀 行 設 立 以 来 府 県 ト同 行 ノ関係 密 接 ナ ル ヨ リ之 力 取 扱 ノ事務 ヲ委 ネ ン ト欲 シ農 工 銀 行 二 於 テ モ亦 之 力 取 扱 二 当 ラ ン コ トヲ希 望 シ 」 た た め 双方 の利 害 が 一 致 し,多 くの府 県で 農 銀 に 金庫 業 務 を 委 託 す る よ うに な り,1903年6月 時 点 で は全 国46行 中32行 が 府 県 の金 庫 業務 を 委 託 さ れ て い た40。 後 述 す る よ うに預 か っ た公 金 の 一 部 は 県 との契 約 に よ り運 用 が 許 され た の で,農 銀 に とっ て は安 定 した資 金 源 に な っ た 。
(2)創 業 期 の 資 金 調 達 と貸 付 業 務
以 上 を 踏 ま え て創 業 期 の資 金 調 達 を み よ う(別 表3)。 定 期 預 金 は ご く僅 か で あ り,1908年 まで は10,000円 以 下 を 推 移 し て い た。 新 潟 県 の 本 金 庫 業 務 は三 井 組,第 四 銀 行 を経 て,1902年4月 よ り新 潟 農 銀 に委 託 され た41。
1913年 時 点 で の 「 新 潟 県 金 庫 事 務 取 扱 契 約 書 」 に よれ ば,新 潟 農 銀 は 「 県 金 庫 保 管 現 金 ノ十 分 ノ五 以 内 ノ運 用 ヲ許 」 され,「 利 子 トシテ 年 額 弐 萬 円 ヲ 其 年 九 月 及 翌 年 三 月 ノ両 期 二納 付 ス ル モ ノ」 とされ た 。 運用 分 は定 期 預 金 と して 経 理 して い た と考 え られ る42。そ して 農 工 債 券 も他 の多 くの地 方 所 在 農 銀 と同 じ く発 行 す る こ とが で き な か った 。 っ ま り,創 業 か ら約10年 間 は ご く僅 か な預 金 と自己 資 本 の範 囲 内 で業 務 を お こ な うほ か な か っ た の で あ る。
次 に 貸 付 金 の 内 訳 を み よ う。 貸 付 金 の 太 宗 を な す の は 年 賦 貸 付 金 で あ る (第4表 ・第5表)。 上 述 の よ うに 年 賦 貸 付 金 は農 工 業 者 に対 す る不 動 産 抵 当
11 一65一
..
N
(第4表)年 賦貸付 金内訳(借 主別)
単位:金 額(円)
十噌﹂ 額金
0 7 5 1 5 3 5 1 8 8 2 1 7 7 8 1 6 7 5 1 8 5 70934770442505535092788453934448452189670476722,,,9,,,,,,,,,,,99,9,,,,1947536015243647109607719394949670923397875638224455667677766666677
ノ
数 503625619009260324719966646221965740668902674123456678890000011123 口,,豊,,,,,,,11111豆llll
りた
0 8 7 5 7 3 8 6 0 5 2 9 6 8 1 0 3 3 3037679025520399485203683NNO95884045678
あ口 ,,,,,,,,,,,,7,,9,,●53193210874341443212221111111且l11
社
1
会業N額金 0000087545519058234802303765815916279653190368754081448291702,,,,,,,,.,,,,,,,,,,53‑9642075418378417222122221111355554 数口
0 0 0 0 1 置 1 1 2 2 2 2 2 2 3 3 2 3 4 4 4 4 4
りた
3 1 5 4 8 0 6 3 8 3 8 1 8 4 0 1 7 8 0 5 8 453550686738123810265395439643444354311099901
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1
保担有 者業H額金
0 5 2 7 8 6 1 5 5 3 5 9 7 8 8 3 1 8 7 2 7 1 965392511280055180929987767301623895069508573,曾,,,,,,,・・99,,,,,9,9曾25031885103682598661661249000122121198777777111111且‑ll
数口
0 5 8 0 8 3 4 8 9 2 4 2 4 3 4 1 1 8 2 0 5 4 4134677788888888788776
りた O12446765098661840087664210
仕
あ ロ ー
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0 0 0 0 1 2 4 4 6 7 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0098661840087664210,,,・,P9,,211111111
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1
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0 2 3 4 6 7 3 7 3 3 6 6 1 9 5 0 3 6 4 1 1 2 50380821963035811596968656177001643202171666445,,,,●,9,,,,,,●9,,●,,,,,169447517889938028514931805261612557009764NMO6223344555556655555566
数
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下上下上下上下上下上下上下上下上下上下上下上下
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数口 皿69備講講鵬麗翻鵬m濫藩螂蟹,,,,,,,,,,1111111111
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0 6 3 1 3 4 6 3 6 5 2 5 1 8 7 2 7 1 1 4 0 9 6
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5 9 12 17 17 18 18 18 19 23 26 32 39 53 49 48 51 57 59 66 66 69 65
理整地耕 りたあロー
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額金
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数口
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数口
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数口
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出 所:新 潟 県 農 工 銀 行 『営 業報 告 書 』 各 期 。
新潟県農工銀行の設立 と展開(1899〜1922年)
貸 付 と無 担 保 貸 付 に大 別 され る。1899年 下 期 は,開 業 後 間 もな い こ と も あ り,農 銀 の業 務 の周 知 が 不徹 底 で あ り農 工 業 者 か らの貸 付 申込 みが ほ とん ど な か っ た43。 そ の た め公 共 団 体 へ の無 担 保 貸 付 の 比 重 が 高 い が,1900年 以 降 は農 工 業 者 へ の 有 担 保 貸 付 が7割 〜8割 を 占 め て お り,そ の 過 半 は農 業 者 へ の 貸 付 で あ る(第2図)。 貸 付 金 の使 途 は,開 墾 ・排 水 が 最 も大 きな 比 率 を 占 め て お り,農 業 改 良 ・植 林 が これ に 次 ぎ,1902年 か らは 旧 債 償 還(旧 債 の借 換)も 増 加 して い る。
工 業 者 ・工 業 会 社 へ の 貸 付 は開 業 か ら2年 目か ら増 加 し始 め,あ わ せ て2 (第5表)年 賦貸付金内訳(使 途 別)
単位 二円 農業
年末 開墾排 水
灘 ノ劉 殖林1蟹 騨1幣1建 難 造農業改良ll日 債腿1小 計
1900年 zi7,00s
一
27,635一 一 一 25,995 一
270,6381901年 269,733 35,504
50,998 一 5,119 一 51,112 一
412,4161902年
310,139
62,03531,189 一
7,308一 44,44T
52,861 507,9791903年
327,085 31,407 34,843 za,ioi
7,2559,174 106,619 72,000
616,4841904年
533,990 z,000 20,22且 34,646
11,281 6,770一 87,377
695,7851905年
504,369 1,865
33,04521,787 6,709
12,77272,901 90,979
744,4271906年 532,847
・.:.: 61,409 一
5,98818,184
59,542 80,953 80b,7911907年
533,950 1,560
34,035 24,367 7,078 16,87266,448
72,900 757,2101908年
509,944 12,125 78,145
5.46313,984
17,320 50,91768,215
766,1131909年 512,366 20,215 101,735 46,369
zo,aio 一
18,622 75,483 795,2001910年 592,452 1,258 56,857
70,872
172一 158,7且3 88,094
968,418工 業(水 産 業)
年 末 原料購入1器畿 他 建物築造 其他 工業改 良 旧債償還 水産i小 言+ 合計
1900年 18,802
一 一 一 一 一
is,soa 289,4401901年 84,673
一 一
24,51̀L一 一
109,185 521,6101902年
一 2,700 66,372 一
49,827一
118,899 626,88b1903年
一
2,566 46,69548,222 2且,038 一
118,521 738,2791904年
一 一
95,645一
36,648一
132,293 828,0781905年 3,752
8,480
96,785一
29,937一
138,954 883,3811906年
一 3,600 ;,,,, 12,554
15,955一
121,758 927,b49且907年
一 4,772 50,996 27,247 13,542 一
96,5b7 863,76T1908年
一 4,000 107,217 ;.. 8,280 一
128,436 894,5491909年
一
8,330107,802 一 7,7且0 一
123,842 919,0421910年 一
7,66241,251 6'1,132 13,968 1,736
126,749 1,09b,167出所:『 銀 行局 年報 』各 年版 。
13 一67一
(第2図)年 賦貸付金借主構成 出所:第4表
割 程度 を 占 め て い る。 工 業 向 け の貸 付 金 は,1口 当 た りの金 額 で み れ ば農 業 向 け の貸 付 金 よ り も大 き い。 使 途 別 にみ れ ば建 物 の 建 造 費 用 が 最 大 の比 率 を 占 め,旧 債 償 還,器 具 購 入 費 な どが これ に次 ぐ。 た とえ ば1907年 下 期 の 『営 業 報 告 書 』か ら貸 付 対 象 の 判 明 す る もの を み れ ば,製 油 業(計3口,19,500円, 工 場 新 築21棟 ・器 械 器 具80,257点),醤 油 製 造(計1口,2,900円,工 場 新 築6棟 ・器 械 器 具1,037点),味 噌 製 造(計1口,8,700円,工 場8棟 ・器 械 器 具2,249点),瓦 製 造(計1口,1,000円,建 物5棟 ・工 場 敷 地 買 入2反9 畝ll歩)で あ る44。
無 担 保 貸 付 の 中 で 比 率 が 高 い の は 当 初 は公 共 団体 で あ るが,1903年 下 期 よ り耕 地整 理 が 登 場 し,徐 々 に増 え始 め1910年 に は2割 程 度 を 占め る に至 っ て い る。 上 述 の よ う に,当 初 無 担 保 貸 付 は公 共貸 付 と二 十 名連 帯 貸 付 の みで あ った が,1903年 よ り耕 地 整 理 が 年 賦 貸 付 の 対 象 とな っ た。 耕 地 整 理 とは, 形 が 不 統 一 で,多 くは湿 田状 態 に あ る既 存 の水 田 を 区 画 整 理 し,乾 田化 し,
・: 14
新 潟 県農 工 銀 行 の 設 立 と展 開(1899〜1922年)
用 水 ・排 水 を 良 好 に し,農 道 を整 備 す る 目的 で行 わ れ る土 地 改 良 の こ とで あ る45。1899年3月 の 「 耕 地 整 理 法 」(1899年3月22日 法 律 第82号)に 基 づ いて, 土 地 所 有 者 の採 算 に お い て共 同 で 事業 を 実施 す る こ とに な り,「農 工 銀 行 法 」 も併 せ て改 正 され,耕 地 整 理 が定 期 貸 付 の 対 象 と な っ た(1900年3月9日 法 律 第40号)。 そ の後,「 耕 地 整 理 法 」 の 改 正 に伴 い,1902年3月 の改 正 を経 て,1903年6月 の 改 正 で耕 地 整 理 事 業 に資 金 を供 給 し易 くす るた め に定 期 貸 付 に加 え て年 賦 貸 付 が 新 た に認 め られ た(1903年6月 法 律 第10号)。 そ して 1909年3月 の 「 耕 地 整 理 法 」 の 全 面 改 正(1909年4月13日 法 律 第30号)で 公 法 人 と して の 性 格 を 持 つ 耕 地 整 理 組 合 が 認 め られ た こ と に伴 い,「 農 工 銀 行 法 」 も同時 に 改 正 され,「 耕 地 整 理 法 二依 リ耕 地 整 理 ヲ執 行 ス ル 場 合 二 於 テ耕 地 整 理 組 合 ヨ リ借 用 ヲ申 出 タル トキ 又ハ 共 同施 行 者 力 連 帯 責 任 ヲ以 テ 借 用 ヲ申 出 タル トキハ 無 抵 当 ニ テ 本条 第 一 号 、第 二 号 ノ 貸 付(=年 賦 貸 付,定 期 貸 付 一引 用 者)ヲ 為 ス コ ト」 とな っ た(1909年4月13日 法 律 第33号)46。
勧 農 両 行 の 「 唇 歯 輔 車 」 の 関 係 を論 じ る際 に最 大 の 論 点 とな る の は 農 銀 の 資 金 難 を解 消 す る た め に1900年3月 の 「 農 工 銀 行 法 」 改 正 に よ り実 施 さ れ る こ と とな っ た代 理 貸 付 で あ る(1900年3月10日 法 律 第40号)47。 代 理 貸 付 とは,農 銀 が 「日本 勧 業銀 行 二 対 シ債 務 者 ノ為 二 債 務 ノ保 証 ヲ為 ス コ ト
ヲ得 」 る制 度 で あ る(第24条)。 農 銀 は勧 銀 の 代 理 と して 自 らの 責 任 と費 用 で 調 査,貸 付,管 理,取 立 の業 務 を代 行 し,勧 銀 に 対 して は 債 務 者 の た め に 保 証 人 とな る とい う もの で あ っ た。 勧 銀 に とっ て は貸 付 の コス トを低 減 させ る こ とが で き,農 銀 に とっ て は 資 金 が不 足 して い る な か 勧 銀 か ら代 理 貸 付 手 数 料 が 支 払 われ るの で 双 方 に とっ て メ リッ トが あ っ た 。1901年 に 静 岡,宮 城 農 銀 が 勧 銀 と契 約 した の を皮 切 りに,1903年 に は33行,1910年 に は46 農 銀 す べ て が 代 理 貸 付 を実 施 し,資 金 難 の なか で 自行 貸 付 を越 え る代 理 貸 付
を お こ な う農 銀 も発 生 し た48。 新 潟 農 銀 は,1906年7月13日 に 勧 銀 との 間 で 代 理 貸 付 契 約 を結 ん だ49。 初 年 度 の代 理 貸 付 額 は40,500円 で 貸 付 金 総 額 の4%程 度 で あ っ た。 そ の後 漸 増 して い くが1910年 時 点 で も14%程 度 に と
15 .・
どま った(別 表3)。
以 上 で 確 認 した よ うに創 業 期 の新 潟 農 銀 は,勧 銀 の 代 理 貸 付 に は ほ とん ど 依 存 せ ず,「 全 く静 止 ノ状 態 」 と評 され た よ う に 自 己 資 本 の 範 囲 内 で 農 業 関 係 の 長 期 資 金 の融 資 を 細 々 と行 っ て い た 。 節 を改 め て1910年 以 降 の 新 潟 農 銀 の 展 開 を み よ う。
3農 工 債 券 の発 行 開 始 と業 務 の発 展(1910‑1918年)
1910年 代 に 入 る と新 潟 農 銀 の貸 付 金 は 急 激 に拡 大 した(前 掲 第1図)。 こ れ を 可 能 に した の は 農 工 債 券 の 発 行 に よ る資 金 調 達 難 の 解 消 で あ る。 全 国 46農 銀 の 貸 付 金 残 高 は,1909年 の4033万 円 か ら1912年 の1億790万 円 へ と2倍 以 上 に増 加 した 。 日露 戦 後 の 「 金 利 革 命 」 と呼 ば れ る金 利 の 低 落 に よ り多 くの 農 銀 で 債 券 発 行 に 踏 み 切 り,1909年 の412万 円 だ っ た発 行 残 高 は, 1912年 に は14.2倍 の5884万 円 と な っ た50。 以 下 で は,ま ず 「 農 工 銀 行 法 」 の 改 正 と新 潟 農 銀 の業 務 体 制 の変 容 につ いて 確 認 した あ とで,農 工 債 券 の 発 行 と貸 付 金 の 内 訳 を み る。
(1)1910年 ・1911年 の 「 農 工 銀 行 法 」 の 改 正
この 間 の 主 要 な 制 度 改 正 を 確 認 し よ う。1910年4月 の 「 農 工 銀 行 法 」 改 正 で,預 金 業 務 が 拡 張 され た(1910年4月4日 法 律 第36号)。 産 業組 合 の 余 裕 金 を預 金 と して 受 け 入 れ る た め に定 期 預 金 以 外 の預 金 の取 扱 が 可能 に な っ た(第22条)。 但 書 で 「 定 期 預 リ金 以 外 ノ預 リ金 ノ総 額 ハ 払 込 資 本 金額 ヲ超 過 ス ル コ トヲ得 ス」 とい う制 限 が 設 け られ,余 裕 金 に 関 して 規 定 した 第23 条 で 「 預 リ金 四 分 ノー 以上 ハ 国 債 証 券 若 ハ 大 蔵 大 臣 ノ許 可 ヲ受 ケ タ ル 有価 証 券 ヲ買 入 レ又 ハ 大 蔵 省預 金 部 若 ハ 大 蔵 大 臣 ノ認 可 ヲ受 ケ タ ル銀 行 二預 入 ル ル
コ ト」 とい う制 限 が 設 け られ た51。
ま た,翌 年3月 の 改 正 で 農 銀 の 貸 付 対 象 は 大 幅 に 拡 張 され た。(1911年3 月24日 法 律 第27号)。 す で に 一 部 の 農 銀 で 行 わ れ て い た 目的 外 貸 付 を追 認
一70一 16
新 潟 県 農 工 銀 行 の設 立 と展 開(1899〜1922年)
す るか た ちで 第1条 か ら 「 農 業 工 業 ノ 改 良 発 達 ノ為 資本 ヲ貸 付 ス ル ヲ以 テ 目 的 トス ル 」 とい う文 言 が 削 除 され,貸 付 目的制 限 が 撤 廃 され た 。 そ して,第 6条 に 「 工 場 財 団 及 工 場 二 属 ス ル 敷 地 又 ハ 建 物 ヲ除 ク ノ外 市 制 施 行 地 及 勅 令
ヲ以 テ 指 定 ス ル 市 街 地 二 存 在 ス ル 宅 地 又 ハ 建 物 ヲ抵 当 トス ル 貸 付 金 額 ハ 払 込 資 本 金 額 及 農 工 債 券 発 行 額 ノ四 分 ノー ヲ超 過 ス ル コ ト ヲ得 ス 」 と い う条 項 が 加 わ り,制 限 付 きで は あ っ た が 市 街 地 貸 付 が 認 め られ た。 新 潟 県 下 で は この 時 点 で の 市 制 施 行 地 は 新 潟 市,長 岡 市(1906年4月 施 行)の み で あ り,1911年4月29日 勅 令 第132号 で 中 頸 城 郡 高 田 町 が 市 街 地 に指 定 さ れ た (1911年9月 市 制 施 行)。 ま た,産 業 組 合,漁 業 組 合,森 林 組 合 及 び 同 連 合 会 に対 す る無 抵 当貸 付(年 賦 ・定 期)が 新 た に加 わ っ た(第7条)52。
(2)新 潟 県 農 工 銀 行 の 業 務 体 制 の 変 容
当 該 期 に は 株 主 構 成 ・役 員 構 成 に 大 き な 変 化 が み られ る。 大 株 主 を み れ ば,創 業 時 に 民 間 で 第3位 で あ っ た 鍵 冨 三 作 が 民 間 で 第1位 とな り (300→1,101),真 嶋 桂 次 郎(235→535),北 蒲 原 郡 安 田 町 の 斎藤 家(第10 代 美誠 一 第ll代 彦 太 郎)(250→755)も 大 き く持 株 数 を 増 や して い る。 そ
の結 果,上 位 株 主 は蒲 原 平 野 の地 主 に よっ て 占 め ら れ る よ う に な っ た(前 掲 第2表 ・第3表)。
また,1909年 か ら10年 にか け て役 員 の構 成 も大 き く変化 して い る(別 表 1・ 別 表2)。1909年5月22日,設 立 か ら約10年 間 に わ た っ て頭 取 をっ とめ て きた 鈴 木 長 蔵 が 死 亡 し,同 月26日 の 臨 時 取 締 役 会 に お い て 取 締 役 の 山 田 平 太 郎 が後 継 の頭 取 とな り,新 潟 県 会 計 課 長 の 山際 操53が 常 務 取 締 役 に就 任 した54。 と こ ろが 翌1910年9月8日,山 田平 太 郎 が 中 ノ ロ川 の 汽 船 沈 没 事故 で 死 亡 した た め 同 月27日 の 取 締 役 会 に お い て 常 務 取 締 役 山 際 操 が 頭 取 に就 任 した。 山際 は 以後 勧 銀 へ の 合 併 まで12年 間 頭取 を つ とめ る こ とに な る55。
(3)農 工 債 券 の 発 行 と預 金 の 増 加
以 上 を踏 ま え て1910年 以 降 の 資 金 調 達 の 動 向 を み よ う。 当 該 期 に 特 筆
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一?1一す べ き は 農 工 債 券 の 発 行 の 開 始 で あ る 。 新 潟 農 銀 は,「 県 下 二 於 ケ ル 農 工 業 ハ 漸 次 改 良 発 達 ノ機 運 二 向 ヒ 随 テ 資 金 需 要 者 益 々 増 加 ノ 現 状 二 鑑 ミ 」 て,
1910年9月10日,第1回 農 工 債 券 発 行 を 発 表 し た 。10月10日 に 募 集 を 締 め 切 り,10月31日 に 全 額 払 込 済 と な り,ll月1日 に 発 行 した56。 発 行 総 額 は20万 円 で 利 率 は5.5%,償 還 年 限 は1914年1月 よ り10年,応 募 者 内 訳 は, 公 共 団 体65,600円,会 社75,600円,個 人58,800円 で あ っ た 。 そ の 後,毎 年 発 行 を 行 っ た(別 表4)。
1916年2月 の 第13回 農 工 債 券 ま で は 資 金 需 要 に 応 え る た め の 発 行 で あ っ た 。 後 述 す る よ う に 資 金 需 要 が 減 退 し て 期 限 前 償 還 が 増 加 し た の を 受 け て, 1917年4月 〜1918年12月 の 間 に6.0%の 農 工 債 券 を5回,計146万5000 円 を 発 行 し,第9回 〜 第12回 の7.5%の 高 利 債 券 の 償 還 を 行 っ た(第3図)。
(第3図)農 工 債 券 発 行 ・償 還 高 出 所:『 銀 行 局 年 報 』 各 年 版 。
注:定 期 預 金 利率 は,6月,12月 の 最 高 ・最 低 値 の 平 均 。
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新 潟 県農 工 銀 行 の設 立 と展 開(1899〜1922年)
農 工 債 券 の 引 受 け につ いて 近 年 植 田 欣 次 が 証 券 会 社 の 関 与 につ いて 指摘 し て い る57。新 潟 農 銀 で も,1915年8月 の 第ll回 発 行 に際 して,「 東 京 朝 日新 聞 」 に広 告 を出 した。 取 締 役 西 脇 済 三 郎 が1910年 に東 京 に 設 立 した 西脇 銀 行,紅 葉 屋 商 会,小 池 合 資 会社,福 島 商 会 が 取 扱 店 で あ る こ とを示 して お り, 新 潟 県 内 の み な らず東 京 で の債 券 の募 集 を行 っ て い た こ とが うかが え る58。
また 農 工 債 券 の 発 行 とほ ぼ 時 を 同 じ く して 大 幅 な 預 金 の 増 加 が み られ る (別 表4)。 新 潟 農 銀 で は,定 期 預 金 の充 実 を 図 る た め1909年 上 期 よ り長 期 定 期 預 金 の 取 扱 い を 開 始 した59。1910年 下 期 時 点 で は,普 通 定 期 預 金 金 利 が6か 月 未 満 年 利4.5%,6か 月 以 上5%乃 至5.3%な の に 対 し,長 期 定 期 預 金 は期 限 が 最 低3か 年 で 年 利5.3%,5か 年 で5.5%,7か 年 で6.0%,10か 年 で6.5%に 設 定 され て い た60。 また,農 工 債 券 の 発 行 を 円 滑 にす る た め に
1912年3月 よ り債 券 応 募 特 約 定 期 預 金 の 取 扱 い を 開 始 し た61。具 体 的 な条 件 は不 明 で あ るが,定 期 預 金 契 約 者 が 農 工 債 券 に優 先 的 に応 募 で き る よ うに設 定 され た もの と考 え られ る。
また,前 述 の1910年 の 「 農 工 銀行 法 」 改 正 で,預 金業 務 が拡 張 され た こ と を受 けて,新 潟 農 銀 で は 当座 預 金 及 び特 別 当座 預 金 の取 り扱 い を開始 した62。
四 分 の一 につ い て は運 用 の制 限が 設 け られ たが,残 りの四 分 の三 につ い て は 特 に制 限 が 設 け られ なか った た め農 銀 の 貸 付資 金 の 充 実 に大 き く貢 献 した。
(4)貸 付 金 の構 成
1910年 代 に 入 り新 潟農 銀 は 資金 調 達 難 か ら解 放 さ れ,貸 付 金 は1912年 に 200万 円,1915年 に400万 円 を超 え た。 そ の 後1916年,17年 と横 ば い で 推 移 し,1919年 まで は漸 減 して い っ た(前 掲 第1図)。 こ の間 に資 金 調 達 難 が 解 消 さ れ た こ とや,上 記 の 法 改 正 を受 け て,1912年 に 「 農 村 ノ資 金 ヲ及 ブ限 リ潤 沢 二 且 ツ簡 易 二 融通 セ シ ム ル政 府 ノ主 旨 ヲ奉 シ 」 て,大 蔵 大 臣の 認 可 を得 て 県 内 各 町 村 に借 入 申込 所 を設 置 した。 新 潟 農 銀 は す で に 県 内各 地 の 銀 行 に 代 理 店 を 委 託 して い た が,各 市 町 村 単 位 に 窓 口 を設 置 す る こ とで 農 銀
資 金 へ の ア クセ ス は向 上 した63。
19 一?3一
償 還 額 を 上 回 っ て い る が,16年 下 期 か ら は 新 規 貸 付 額 を 超 え る 額 の 償 還 が 起 こ っ て い る こ とが 確 認 で き る。 こ の 間 の 新 潟 農 銀 の 『営 業 報 告 書 』 の 営 業 概 況 に 関 す る記 述 は 以 下 の 通
りで あ る。
当 該期 の 年 賦 貸 付 金 の 新 規 貸 付 高 ・償 還 高 の 推 移 を確 認 し よ う(第6表)。
新規 貸 付 の 発 生 と と も に既 に貸 付 け られ た分 の償 還 もお こる の で,新 規 〉償 還 で あ れ ば 残 高 は 増 加 す る し,そ の 逆 で あ れ ば 残 高 は 減 少 す る。1916年 上
期 ま で は 新 規 貸 付 額 が
(第6表)年 賦 貸付 金貸付 ・償 還高
「 本 行 年 賦 償 還 貸 出 ノ 利 便 ハ 漸 ク普 及 セ ラ ル ル トー 般 金 融 緊 縮 ノ 状 態 ト相 持 ツ テ 益 々本 行 資 金 ノ需 要 ヲ増 加 セ リ」(1913 年上 期)64
「 農 村 二於 ケ ル起 業 心 ノ逐 年 発 達 セ ル トー・
般 金 融 緊 縮 ノ状 態 ト 相 持 ッ テ益 々本 行 資 金 ノ需 要 ヲ増 加 セ リ 殊 二八 月 二 十 七 日 ノ
単 位:円
当期貸付高 当期 期末残 高
口数 金額 償還 高 口数 金額
1910年
上 n.a. n.a. n.a.
1,3481,015,867
下
154192,561 113,260
1,4111,095,166
1911年
上 247
327,430 154,6161,563
1,267,979下 ,・ 283,360 120,664 n.a. 1,578,225
1912年
上 n.a.
253,000 127,306 2,677 1,703,919下
371 340,670 141,764 2,942 1,902,8251913年
上
528 716,370 127,453 3,399 2,491,741下
527446,250
134,5763,772 2,803,415
1914年
上
637 534,200155,484
4,362 3,182,130下
406243,020
143,001 4,6463,282,149
1915年
上 .・.
518,433189,768 5,267
3,610,815下
411 322,752 194,432 5,5773,737,093
1916年
上
599 486,440283,677 6,024 3,939,856
下
240219,475
289,502 6,104:.・
1917年
上
319376,350
379,514 6,165 3,866,664下
168409,500
486,964 6,0713,789,200
1918年
上
157220,100
361,562 5,9543,647,738
下
80 172,750419,738
5,622 3,400,7491919年
上
64 131,100 347,952 5,345 3,183,897下
115 463,440 309,462 5,1163,337,875
1920年
上 192
604,400 316,797 5,081 3,625,477下
189 575,400 241,363 5,105 3,959,5141921年