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15 フラタニティ 自民党総務会とはなにか西川伸一なに延びても正午には終えざるを得ない 昼食の出る会合がどの出席議員にも必ず設定されているので 出席者がいなくなってしまうからだ また 開催に必要な定足数は定められていない 後述する議決の全会一致の慣例があるためには 定足数は規定できないのだ だれが出

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日本政治の特質 特集   はじめに   自 民 党 の 最 高 機 関 は 党 大 会 で あ る( 党 則 27 条 )。 た だ、 党 大 会 は 原 則 的 に 年 に 一 回 し か 開 催されない(同 28条) 。そこで、 「党の運営及び 国会活動に関する特に重要な事項を審議決定す る」機関として両院議員総会がある(同 33条) 。 何をもって「特に重要な事項」とするかは、そ の時々の執行部の判断による。   それでは「特に重要」でない事項はどうなる のか。党則 38条は「総務会は、党の運営及び国 会活動に関する重要事項を審議決定する」とし ている。つまり、自民党の意思決定は、事柄の 重要度に応じて、党大会→両院議員総会→総務 会とその場を変えていく。これらのうち、総務 会こそ常設の意思決定機関なのである。元首相 で、総務会長を一九六八年一二月から一九八〇 年 七 月 ま で 断 続 的 に 九 期 歴 任 し た 鈴 木 善 幸 は、 こ う 述 べ て い る。 「 党 に お け る 党 大 会、 こ れ は し ば し ば 開 け ま せ ん か ら、 総 務 会 と い う の は、 党 大 会 に か わ る 党 議 決 定 機 関 と い う わ け で す ね」 (鈴木、一六一頁) 。鈴木の総務会長通算在 職日数は一八一五日にも及び、自民党史上最長 である(鈴木、巻末の「鈴木善幸関係年譜」な どを参考に算出) 。   総務会は自民党の党運営と国会活動にとって 不可欠の会議体である。そこで本稿では、ほと ん ど 知 ら れ て い な い そ の 内 実 を 解 明 し て い く。 なお、 文中で総務会に関する典拠のない記述は、 ソースを伏せることを条件に私が得た情報に基 づいている。   1   総務会の開かれ方   どこでいつ開かれるのか   自民党本部六階に総務会室がある。細長い楕 円形のテーブルに三〇席以上の椅子が配置され ている。さらに、会議室の四面の壁を背に多く の椅子が並べられている。国会閉会中はここで 総務会が開かれる。一方、国会開会中は国会内 の第十五控室で開催される。国会内には、登院 した議員が本会議や委員会に出席するために待 機する部屋として議員控室がある。各会派への その割り振りは、各会派の所属議員数に依って いる(浅野・河野、八五頁) 。   自民党は結党以来、民主党政権期を除く期間 で常に比較第一党なので、割り当てられる部屋 数は多い。第十五控室は他会派に譲られること なく、自民党の総務会室用の部屋としてずっと 使われている。   総 務 会 は 原 則 と し て 毎 週 火 曜 日 と 金 曜 日 の 一一時から開催される。招集者は総務会長であ る( 党 則 40条 2項 )。 特 段 の 議 題 な し と 総 務 会 長が判断すれば開かれない。一方、臨時総務会 が設定されることもある。直近では二〇一五年 一〇月七日(水)の第三次安倍晋三内閣の改造 に先だって、午前中に臨時総務会が開かれてい る(二〇一五年一〇月八日付『朝日新聞』 )。   開催時間はたいてい一五分ほどである。どん

自民党総務会とはなにか

西川伸一

Nishikawa Shin-ichi

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なに延びても正午には終えざるを得ない。昼食 の出る会合がどの出席議員にも必ず設定されて い る の で、 出 席 者 が い な く な っ て し ま う か ら だ。また、開催に必要な定足数は定められてい ない。後述する議決の全会一致の慣例があるた めには、定足数は規定できないのだ。   だれが出席するのか   総務会のメンバーを総務とよぶ。定員は二五 名 で あ る( 党 則 37条 )。 全 員 が 自 民 党 所 属 の 国 会議員である。   総 務 の 定 員 は 一 九 五 五 年 一 一 月 一 五 日 の 自 民 党 結 党 時 は 四 〇 名 と 党 則 で 決 め ら れ た。 一九六〇年七月一四日の第八回臨時党大会にお ける党則の一部改正で三〇名に減員され、それ 二 〇 〇 九 年 の 総 選 挙 で、 自 民 党 公 認 候 補 者 の 当 選 は 一 一 九 名 に す ぎ な か っ た。 後 述 の と お り、総務と兼職できないと党が定めている役職 が数多く存在する。それらを補していったあと に総務の選任手続きに入る。その際、所属議員 数が激減していたため、衆院議員に割り当てら れている総務の員数を満たすことができなかっ た。そこで、二〇〇九年一〇月一三日の総務会 で二五名への減員が了承され、二〇一〇年一月 二四日の第七七回党大会での党則の一部改正に よってそれが追認された。   自民党は二〇一二年の総選挙で二九四議席を 獲 得 す る 大 勝 を 収 め、 二 〇 一 四 年 総 選 挙 で も そ の 勢 力 を 維 持 し た。 そ こ で、 総 務 の 員 数 を 二 〇 〇 九 年 の 下 野 以 前 に 戻 す べ き だ と 声 が 上 がってもよさそうなものである。けれども、な ぜかそのようなことはなく、二五名のまま今日 に至っている(党則 37条) 。   総務会にはこの二五名のほかに、次の自民党 ポストにある国会議員も出席する。ただし、総 務でない彼らには議決権はない。 副 総 裁・ 幹 事 長・ 政 務 調 査 会 長・ 国 会 対 策 委 員 長・ 選 挙 対 策 委 員 長・ 組 織 運 動 本 部 長・ 広 報 本 部 長・ 参 議 院 議 員 会 長・ 参 議 院 幹 事 長・ 参議院政策審議会長 ・ 参議院国会対策委員長 ・ 青年局長・女性局長   総裁も出席することがある。上記の臨時総務 会には安倍総裁が出席して、幹事長以下主な党 役員の留任が諮られた。   さらに、副幹事長の総務会担当と国会対策副 委員長の総務会担当と総務会担当の事務局の職 員 が 陪 席 す る。 彼 ら は 総 務 会 室 内 の 楕 円 形 の テーブル席にはつくことはできず、壁を背にし た席に座る。ちなみに、職員は会議記録はとる が、 総務会としての正式な議事録は存在しない。   堀 内 光 雄 元 総 務 会 長 に よ れ ば、 「 総 務 会 は 自 民党議員ならば誰でも室内に入って会議を傍聴 できるし、誰もが番外発言と称する意見を述べ る こ と が で き る 」( 堀 内、 六 〇 頁 )。 と は い え、 傍聴を希望する議員はあらかじめ総務会長にそ の旨を申し出るのが慣例になっている。 また 「番 外発言」をする場合も、総務会長に事前通告し て お く こ と が 一 般 的 で あ る。 そ れ が な け れ ば、 総務会長は「番外発言」を無視する。   2   総務の構成と任期   だれが総務になるのか   二五名の総務はどのように選任されるのだろ うか。 党則 39条はそれを次のように定めている。 自由民主党本部 写真:Wikipedia より党、三一、 になった(自由民主 の一部改正で三一名 党大会における党則 月一三日の第六七回 ろが、二〇〇一年三 わらなかった。とこ から四〇年近くも変 五〇、 五七 頁 )。 そ の 後、 民 主 党政権を誕生させた

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日本政治の特質 特集 一   党 所 属 の 衆 議 院 議 員 の 公 選 に よ る 者   一 一 名 二   党所属の参議院議員の公選による者   八名 三   総裁の指名による者   六名   よ り 具 体 的 に は、 「 一 」 に 基 づ く「 公 選 」 は 衆 院 の 比 例 代 表 選 挙 区、 す な わ ち 比 例 代 表 ブ ロックごとに置かれている一一のブロック両院 議員会(党則 77条)によって選ばれる。たとえ ば、北海道の小選挙区と比例ブロックのいずれ かで当選した衆院議員と参院北海道選挙区で当 選した参院議員は、北海道のブロック両院議員 会に所属する。各ブロック両院議員会が 「公選」 した総務が任期を迎えれば、そこで後任が「公 選」されるのである。ついては、ブロック両院 議員会長の判断が大きく作用する。以前にはそ こに出身派閥の均衡も考慮された。   「 二 」 は 参 議 院 執 行 部 が 選 ん で い る 。「 三 」 は 実 質 的 に は 、 総 裁 、 幹 事 長 、 総 務 会 長 の 三 人 で 指 名 す る 議 員 を 選 考 す る 。 総 務 就 任 を 希 望 す る 議 員 は 多 く 、「 一 」 の 枠 で 自 分 の 所 属 する ブ ロ ッ ク か ら 「 公 選 」 さ れ な か っ た 議 員 を 救 済 す る こ と も あ る 。 現 在 の 六 名 は 全 員 が 衆 院 議 員 で あ る 。 後 述 の と お り 、 総 務 会 長 は 必 ず こ の 枠 で 選 ば れ る。   だれが総務になれないのか   党、政府、国会の以下の役職に就いている者 は、総務と兼職できないと定められている。 《 党 》 総 裁、 副 総 裁、 幹 事 長、 幹 事 長 代 行、 幹 事 長 代 理、 選 挙 対 策 委 員 長、 副 幹 事 長、 人 事 局 長、 経 理 局 長、 国 際 局 長、 情 報 調 査 局 長、 政 調 会 長、 政 調 会 長 代 行、 政 調 会 長 代 理、 政 調 副 会 長、 部 会 長、 組 織 運 動 本 部 長、 団体総局長、 広報本部長、 国対委員長、 財務委員長、 党紀委員長、 両院議員総会長、 衆議院議員総会長、人事委員長 《政府》大臣、副大臣、大臣政務官 《国会》常任委員長、特別委員長   ただし、国会の常任委員会の中にはあまり開 催されない常任委員会がある。その委員長に就 い て い る 者 は、 総 務 会 長 が 兼 職 を 認 め て い る。 一方、ここには挙がっていないが、衆参両院そ れぞれの議院運営委員会(議運)の理事は総務 と兼職させないように配慮されている。という のも、議運の定例理事会は毎週火曜、木曜、金 曜の一一時からであり、総務会が開催される曜 日・時間と重なってしまい、総務会に出席でき ないためだ。   総務の任期   党 則 80条 に よ れ ば、 「 役 員 の 任 期 は、 総 裁 に ついては三年とし、 その他はすべて一年とする。 た だ し、 重 任 を 妨 げ な い 」。 自 民 党 で は 国 会 議 員ならば必ずなんらかの役員に就く。 もちろん、 総務も役員ポストである。従って、総務の任期 は党則上は一年である。ところが実際は総務会 が任期の区切りになるので、ぴったり一年には ならない。総務が不在の期間も存在する。   最近の例で示せば、現総務の着任は二〇一五 年一〇月二七日だが、前任者の離任は同年九月 二四日である。翌年九月二五日から一〇月二六 日 ま で の 空 白 期 間 は ど の よ う に 対 処 し た の か。 たとえば、二〇一五年一〇月七日午後に安倍首 相は第三次内閣の改造を行った。同日午前中に 臨時総務会が開かれ、首相は幹事長以下の執行 部人事を固めた後に内閣改造に着手した。しか し、前述のとおり、九月二四日で総務の任期は 終わっている。   そ こ で 適 用 さ れ る の が 次 の 党 則 81条 で あ る。 「 役 員 は、 そ の 任 期 が 満 了 又 は 終 了 し た 後 で も そ れ ぞ れ の 手 続 を 経 て 後 任 者 が 決 定 す る ま で は、 引 き 続 き そ の 職 に 在 る も の と す る 」。 こ の 規定によって、一〇月七日の臨時総務会には前 総務が出席した。   二〇一二年九月二六日は自民党総裁選が行わ れ、谷垣禎一総裁に代わって安倍が総裁に選出 された。党則 80条 5項によれば「総裁が新たに

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選任された場合は(略)役員の任期は、終了す る も の と す る 」。 そ こ で 総 務 の 任 期 も こ こ で 終 了した。ではなぜ新総務の選任までこのときは 二〇日もかかったのか。   総 裁 が 代 わ れ ば、 幹 事 長 以 下 主 要 な 役 員 も 交 代 す る。 上 述 の 総 務 と 兼 職 で き な い 役 職 に も 異 動 が 生 じ る。 こ れ ら を す べ て 整 え た あ と 総 務 の 人 選 に 入 る の で 時 間 が か か る の で あ る。 二〇一五年一〇月七日の内閣改造のあと新総務 が選任されるまでやはり二〇日かかっているの も、同様の理由による。   ま た、 二 〇 一 二 年 一 〇 月 一 六 日 に 選 任 さ れ た 総 務 は、 三 か 月 あ ま り の 任 期 し か な か っ た。 二〇一二年一二月一六日の総選挙で自民党は大 勝した。新首相を指名するための特別国会の召 集日は一二月二六日であった。その前日に臨時 総務会が開かれ、幹事長以下の主要な役員が選 任された。翌日組閣がなされ、総務と兼職でき ない役職も順次決めていって、翌年一月一〇日 に留任と新任の総務が補された。これが三か月 の理由である。   ただし、党則 80条 6項に「総裁以外の役員の 任期については、その補欠の場合には、前任者 の残任期間とし」とある。一月に補された総務 の 任 期 は、 「 前 任 者 」 が 選 任 さ れ た 二 〇 一 二 年 一 〇 月 一 六 日 か ら 一 年 後 の 二 〇 一 三 年 一 〇 月 一五日までの残任期間にあたる一〇か月あまり となった。   食い違う総務会長の任期と総務の任期   もちろん、総務会長も役員であるから任期は 一年である。党則第 40条 5項に「総務会長及び 副 会 長 は、 総 務 会 に お い て 互 選 す る 」 と あ る。 なので、総務会長は総務でなければならず、か つ総務によって互選される。   現職の二階俊博総務会長は二〇一四年九月三 日 午 前 の 臨 時 総 務 会 で「 総 裁 の 指 名 に よ る 者 」 の選任枠で総務となり、同時に総務会長に互選 された。同日午後の第二次安倍内閣の改造に先 立つ人事である。臨時総務会でのその諮り方は おおよそ次のとおりである。招集者および議長 は二階の前任の野田聖子である。野田の議事進 行の下、総裁が二階を総務に指名し、野田に代 わる総務会長に推薦する。野田が「総裁による 総務会長のご推薦にご異議ございませんか」と 出席総務に諮る。異議なしとなり二階が総務会 長に「互選」され、野田が総務会長席から退席 して二階がそこに座る。このように、新旧総務 会長の離着任の日付は同日となる。   一方で総務は、党、政府、および国会の総務 と兼職できない役職が固まってからでないと決 められない。そこで、総務会長の任期とは必ず 食い違うことになる。   3   総務会の機能   党の運営に関する重要事項   党運営の要は幹部人事である。これに対して 総務会に与えられている権限は強い。自民党の 執行機関の一つに役員会がある。党則 25条 2項 によれば、役員会は次の八名で構成される。 総 裁、 副 総 裁、 幹 事 長、 総 務 会 長、 政 策 調 査 会 長、 選 挙 対 策 委 員 長、 参 議 院 議 員 総 会 長、 参議院幹事長   中でも、幹事長、総務会長、政調会長、およ び選対委員長を党四役という。幹事長、政調会 長、および選対委員長は「総務会の承認を受け て、 総裁が決定する」 (同 9条、 46条、 52条 7項) 。 一方、総務会長は前出のとおり総務会で互選さ れる。つまり、手続き上は総務会長の決定権は 総裁にはない。総裁は意中の総務会長候補者を 総務会に推薦するのみである。幹事長、政調会 長、および選対委員長についても、総務会が承 認しなければ、総裁は決定できない。   一 方 、 党 則 上 の 規 定 は な い が 、 執 行 部 と い う 場

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日本政治の特質 特集 合 に は 現 在 で は 次 の 一 〇 ポ ス ト を 指 す ( 二 〇 一 五 年 一 〇 月 七 日 付 ウ ェ ブ 版 産 経 ニ ュ ー ス )。 副 総 裁、 幹 事 長、 総 務 会 長、 政 調 会 長、 選 対 委 員 長、 国 会 対 策 委 員 長、 幹 事 長 代 行、 組 織 運動本部長、広報本部長、総裁特別補佐   これらのうち、組織運動本部長と広報本部長 は上述の党四役と同じ選任手続きを経る(党則 17条、 21条 )。 国 対 委 員 長 と 幹 事 長 代 行 に つ い て は、 「 総 務 会 の 承 認 を 受 け て、 幹 事 長 が 決 定 する」 (同 24条 2項、 10条) 。   要 す る に、 「 総 務 会 の 承 認 」 が な け れ ば、 党 の幹部人事は進まないのである。そこで、新内 閣発足や内閣改造とそれに連動する党役員人事 が行われるときは、まず総裁出席の下、臨時総 務会が開催される。   国会活動に関する重要事項   自民党が政策を議案として国会に提出するに は 「政務調査会の議を経なければならない」 (同 42条 2項 )。 ま ず 政 策 の 立 案 は、 政 調 会 に 置 か れる各部会で行われる。各部会から出される政 策案は、これも政調会に設けられている政調審 議会で審議決定される(同 45条 1項) 。そして、 「 政 調 審 議 会 に お い て 決 定 し た 政 策 に 関 す る 事 項は、速やかに総務会に報告しその決定を経な ければならない」 (同 45条 5項) 。   この「速やかに」は、政調審議会の定例開催 曜日・時刻が毎週火曜と木曜の一〇時であるこ とによって担保される。火曜日の政調審議会で 決定した政策は直後の同日一一時から開催され る総務会に、木曜日の場合は翌金曜日の総務会 にかけられる。   た と え ば、 安 保 法 制 を 構 成 す る 一 一 法 案 は、 二〇一五年五月一一日(月)の関連部会、一二 日(火)一〇時からの政調審議会で決定をみた あと、ただちに同日一一時からの総務会で「審 議 決 定 」 さ れ た。 こ れ で「 党 内 手 続 き を 経 た 」 ことになり、党議拘束がかけられる。自らの内 心に忠実に「党議にそむく行為」を冒せば、党 規律規約に基づく処分を受ける(同 92条) 。   4   総務会の議決方法   全会一致の「良識」   党則 41条は「総務会の議事は、出席者の過半 数で決し、可否同数のときは、議長の決すると こ ろ に よ る 」 と 定 め る。 し か し、 実 際 に は 全 会 一 致 を 慣 例 と し て き た。 そ の 理 由 に つ い て、 二〇〇一年から二〇〇四年まで総務会長を務め た堀内光雄はこう説明する。 「 自 民 党 総 務 会 は、 多 様 な 意 見 を 持 つ 議 員 の 意 見 を 集 約 す る 場 で あ り、 政 権 を 支 え る 与 党 の 最 高 意 思 決 定 機 関 で あ る か ら、 異 論 が 続 出 し て も 最 後 に は 全 会 一 致 の 原 則 を 守 っ て き た。 こ れ は、 国 民 政 党 と し て の 自 民 党 が 約 四 十 年 に わ た っ て 維 持 し て き た 良 識 で あ り、 議 院 内 閣 制 の わ が 国 の 政 治 が 安 定 し て い た 基 盤である」 (堀内、五五頁) 。   前 出 の 鈴 木 は 総 務 会 長 在 任 中、 総 務 会 で 採 決 に 至 っ た の は 二 回 の み だ っ た と い う。 一 つ 目 は 沖 縄 の 国 政 参 加 選 挙 を め ぐ る も の だ っ た。 一九六九年一一月二一日の佐藤栄作首相とニク ソン米大統領による共同声明で、一九七二年に 沖縄の施政権がアメリカから日本に返還される ことが確認された。国会内では、返還が事実上 決まったことから、沖縄返還協定の批准前でも 沖縄代表の国政参加を可能にすべきだとの気運 が生まれた。一方、自民党内には批准ののちと するのが筋だという「正論」も唱えられた。   そこで鈴木総務会長は結論を急がず、衆参そ れぞれの法制局長と内閣法制局長官からなる三 長官会議を設けて検討させた。国会で認めれば 批准前でも認められるというのがその結論だっ た。 「 そ こ で 私 は 総 務 会 に 三 長 官 会 議 の 結 論 を 報告して、国会承認すれば違法ではない。 (略)

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憲法上疑義がないんだから、これは国政参加を 認めるべきだと、我党はこれを支持しようとい うことで採決した。満場一致でしたね」 (鈴木、 一六三 ─一六四頁) 。   二つ目は、一九七二年の日中共同声明に基づ き一九七四年四月に北京で署名された日中航空 協定の国会承認をめぐる問題である。これに党 内 の 親 台 派 議 員 が 猛 反 発 し た。 鈴 木 は「 徹 底 的 に 論 議 を 尽 く し て も ら う 」 方 針 を 堅 持 し た。 「とうとう、 〔親台派の〕藤尾君も玉置君も音を 上 げ て ね、 私 の と こ ろ へ み え て、 「 我 々 は 反 対 は崩しませんが(略)我々が席を立つから、そ の時、総務会は採決なり何なり結論を出して下 さ い 」 と( 略 )。 そ し て、 そ の 両 君 に 自 発 的 に 総務会の席をはずしてもらって、満場一致とい うかたちで日中航空協定を党議決定した」 (同、 一 六 五 ─ 六 六 頁 )。 両 者 は 総 務 会 が 全 会 一 致 の決定を守るために気を利かせた。この事態を 想定して、総務会の定足数は設定できない。   異例の挙手採決   ところが、 二〇〇五年六月二八日の総務会で、 この慣例がついに破られた。久間章生総務会長 が郵政民営化関連法案の修正案をめぐって、挙 手による多数決採決に踏み切ったのである。そ の総務会を閉じる際に、久間は「なお総務会と して決定をしましたので、衆議院の修正だけで なく、本会議においても、参議院も含めて党議 拘束されますので」 と述べた (堀内 、一一二頁) 。 ただ、堀内は「挙手の数は数えておらず、採決 に際し、賛成何名、反対何名とははっきり表明 できなかった」と指摘する(同、一一三頁) 。   これ以降は挙手による採決はなく、 従来の 「異 議なし」方式が続いている。前出の安保法制を 構成する一一法案が了承された二〇一五年五月 一二日の総務会では、法案に反対する村上誠一 郎総務が採決前に途中退席した(二〇一五年五 月一三日付『朝日新聞』 )。   むすび   二〇一六年二月一日に死去した政治学者の京 極純一は、名著『日本の政治』の中で日本型意 思決定の特徴を「和の方式」とよんでいる。そ こ に お い て は、 「 決 定 に 関 す る 伝 統 的 な 制 度 に おいて、成員全員に平等な参加資格があり(参 加 の 政 治 )、 ま た、 全 員 が 拒 否 権 を も つ( 全 員 一致)上に、票決を用いて、対立ないし多数派 少数派分化を、成員の眼に見えるように、表示 することは、できる限り、回避すべきこととさ れている」 (京極、二〇八頁) 。   ま さ に 自 民 党 総 務 会 そ の も の で あ る 。 京 極 の 次 の 指 摘 も 、 総 務 会 を め ぐ る党 内 文 化 を 言 い 当 て て い よ う 。「 〔 票 決 に よ っ て 〕 集 合 体 な り 集 団 の な か に 「 シ コ リ が 残 る 」 こ と は 避 け が た い 。 し た が っ て 、「 和 」 を 尊重 す る 人 々 は 根 回 し ( 事 前 工 作 ) に よ る 対 決 の 回 避 に 熱 心 と な る 」( 同 、 二 一 〇 頁 )。   決定の要所に全会一致が議決慣例の総務会を 必ず置くことで、党内政治の「和の方式」が担 保 さ れ て い る。 「 自 民 党 総 務 会 と は な に か 」 と い う 本 稿 タ イ ト ル の 答 え を 一 言 に ま と め れ ば、 「和の方式」の維持装置となるのではないか。      ( に し か わ ・ し ん い ち / 明 治 大 学 教 授 )   引用・参考文献 浅 野 一 郎・ 河 野 久 編 著( 2014 )『 新・ 国 会 事 典   第 3版』有斐閣。 東 根 千 万 億( 2004 )『 等 し か ら ざ る を 憂 え る。   元首相鈴木善幸回顧録』岩手日報社。 京極純一( 1983 )『日本の政治』東大出版会。 自 由 民 主 党 編 纂( 2006 )『 自 由 民 主 党 五 十 年 史   資料編』自由民主党。 鈴 木 善 幸〔 述 〕( 1991 )『 元 総 理 鈴 木 善 幸 激 動   の日本政治を語る』岩手放送。 堀 内 光 雄 ( 20 06)『 自 民 党 は 殺 さ れ た ! 』 W A C 。

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