〈
書 評
〉OBEYESEKERE
,Gananath
:The
Cult
Of
the
Goddess
Pattini
,xviii,
62g
PP
.,ills
.,col
.plates
,bibliogr
.,Chicago
andLondon
:Thc
University
of
Chicago
Press
,1984
.安 藤
充
1
は じめにプ リ ン ス トン大 学 人類 学 科の オベ ーセーカ ラ教 授 はこ こ で あ らた めて
紹 介
す る まで も な く, ス リ ラ ン カの 人 類 学 的研
究の第
一人者で ある 。 教 授の研究
の 全体像
お よび業績
につ い て は本 誌 創刊号の 赤池論文 (赤 池1988
)が報 告 し て い る。「パ ッ テ ィ ニ 女
神
の祭
祀 』 と題 する 本 書は,著 者
が1955
年
に着 手 して以来
約
20
年
間にわ たるパ ッ テ ィニ 女神祭
祀研究
の集
大成 で あ り, その ス ケール は あ ま りに広大で 「数 冊の 本をひ とつ に まとめ た く らい 」 と本 書カバ ーに オフ ラ バ テ ィ ーが 言 を寄せ てい る ほ どで ある。刊行
か らすで に10
年
経っ て お り,その 間 に数多
くの論 評が加え ら れ て い るuそ して さ らに
Contribution
tolndian
Sociology
誌(
vol .2111
,
1987
)
が ス リ ラ ン カ人 人類学 者 の2
人の 巨人, オベ ーセ…カラ とタ ン バ イア の特 集 を組 ん だ折, オベ ーセー カ ラ 自身
に よ り本書
に対 する 「再考
」 が寄
せ ら れて い る。した が っ て 専 門研 究 者で ない 者が更 に書 評 を行 うの は い さ さ か時 期はず れ ,見 当はずれ か の 感 もあ ろ うが, こ れ まで に寄せ ら れ た批
評
や, 上 述の 著 者 本人 の コ メ ン トも含めて 報 告 する こ とで,特
に本 誌の 主 た る読 者層で あろ う ヒ座仏 教研 究者
の方
々 がス リ ラン カ人類 学研究
の 端 を知 り,仏教 学 ・人
150
バ ーリ学皇 こ教 文化 学類学
相互 に刺 激 を もた らす.助 にな れ ば幸
い で ある。2
本 書
の構成
本 書は
600
頁 あ ま りが6
部 ・15章
に分
け られて い る。各章
の見
出 し は次の よ うになっ て い る。 第一部1
バ ッ テ ィニ 祭 祀概 論2
神 々 の 世 界 第二部3
ガ ンマ ドウ ワ奉 納4
主要な儀 式5
パ ッ テ ィニ 神 話群6
神 話の 層 位 学 第三部7
王権の宇宙8
ガ ジャ バ ー フ とセ ン ク ッ トゥ ワ ン 第四部9
ア ン ケ リヤ儀 礼 第1
郡10
母
神
と社会構
造11
処 女 ・妻 ・母12
ア ン ケ リ ヤ の 機 能 第六部ユ
3
『シ ラ ッ パ デ ィハ ー ラム E と 『マ ニ メ ーハ ラ イ 』 の 女神
14
嘆 きの 母と死 神15
ヒ ン ドゥ ー女神
パ ッ テ ィニ先に も述べ た よ
う
に , 総 合 研 究 的 色彩の 濃い 本書は 一つ の 結 論に む か っ て 集 約 して い く類の 研 究 書で はな く,各
部 各 章が 単独 論 文 と して成 り立 ち得 る もの で, 全体を有機
的な連 関を もっ て紹 介
するの は容
易で は ない 。章
題を 一一 瞥 した だ けで は全体
像 をつ かみ難い と思われ るの で , まず 本 書の 骨 格を紹 介 したい 。オベ ーセ ーカ ラ が 「パ ッ テ ィニ 祭 祀」 と
呼
ぶ 儀 礼には二種
ある。 一つ が 「 ガ ン マ ドゥ ワ 」 (gammaduva
)
, もう
一つ が 「 ア ン ケ リヤ」(
ahke!
iya
)
であ
る。 ガ ン マ ドゥ ワ 儀 礼は収 穫の祭
と して 村で 例 年 行われ る儀 礼で ある。 この 儀 礼 を他の 神々 の 祭 祀 と結びつ ける地 域 もある が , 西部 州 ・南部 州 ・サバ ラ ガ ム<ie’一一’一評>OBEYESEKERE , Gananath:Thc
Cult
of thc Goddess Pa ttini 151 ワ州で はパ ッ テ ィニ女神
の祭
祀と関 連づ けられて い る 。 ガ ンマ ドゥ ワ儀 礼に つ い て は第
3
・4
章で約250
貞 に もわた り民 族 誌 的記述 , 関 連 す る テキ ス ト ・ 訳 ・注 解を お こ なっ て い る。 ア ン ケ リ ヤ は 「鹿の 角 引 き」 と知 られる儀礼で , こ れ につ い て は第
9
章
で詳細
に観察報告
が な されて い る,,こ うし た
儀礼
の詳細
な観察
・関連テ キ ス トの 収 録をベ ース に して, オベ ー セ ーカ ラ は第…部
でパ ッ テ ィニ 祭 祀の概 要紹 介 と ともに , ス リラ ンカ文化伝
統 史の 再構 築 (
第
ユ章)
, ス リラ ン カ諸 神 格 と ブ ッ ダの 関わ り(
第
2
章)
を 論 じる。 ガ ン マ ドゥ ワ儀礼
の詳細
を収録
したの ち 第5
章で はパ ッ テ ィ ニ女
神 に まつ わ る神話 の テキス トを か かげ解 釈 を加 える。 第6
章は民俗
的な女 神キ リア ン マ の 地位
を パ ッ テ ィ ニ 女 神が とっ て か わ る こ と を神 話
の 層 位 学(
mythic stratigraphy ) の方法 論
を用い て論証 する。第三
部
で扱
うの は先
述 のパ ッテ ィニ 祭 祀に関連 する テ キス ト中の神 話の う ちの チ ョ ーラ(
= カ リ カ ー ラ)
1
三神 話(
第7 章)
とガジ ャ バ ー フ伝
説(
第8
章)
で, こ れを歴史的史実
とする従
来の 解 釈 を批 判 す る。 こ れ に続い て神 話 解 釈 をめ ぐる神
話化
・脱神
話 化の プ ロ セ ス を論 じる。第五 部で オベ ーセ ーカラ は心理分
析
・精 神 病 理 学の 手 法 を用い , 女神
一 母 神 祭 祀 を投 射体系
とみ て, パ ッテ ィ ニ 神 話(
第10
章, 第11
章)
とア ン ケ リ ヤ 儀 礼(
第12章)
に対 して ス リ ラ ン カ社 会の コ ン テ クス トで 解釈
を ほ どこ す。第六
部
はパ ッ テ ィニ祭
祀の 起 源を探 求 して , 最 占史 料で ある タ ミル 叙事
詩 に もとつ く考
察(
第13章)
, 南イ ン ド ・ケ ー ラ ラ にお け る同祭
祀 の 変 容の検 証 (第14
章) をお こない , ス リラ ン カ における受
容 と変容の プロ セ ス を論 じ る(
第15
章)
。この よ うに,本研 究は豊 富な民 族 誌デ ー タを武 器 に,文献 学 ・歴 史学 ・神
話
学 ・精 神 病理学 等々 の方法 論 を用い て学際 研 究 の成果 を示 した もの で ある とい える。」
52
3
本 書
の概
要
△ 冊 一 門 = q 概部
一第
章
1
第 パ ーり学 仏 教 文化 学 ・シ ンハ ラ文 化の 中心の 変 遷 再 考オベ ーセーカ ラ がパ ッ テ ィニ
祭
祀研 究の 調査 対象
と した の は シ ンハ ラ低 地 地 方 と サ バ ラ ガ ム ワ の6
つ の伝 承
, 具体
的 に は, 西部
州 のRabaliya
とHcyiafituduva
, 南 部 州のMatara
,Sinigama
お よ びUrubokka
, そ して サバラ ガム ワ州の
Ratnapura
の6
地 域であ る。こ こ で オベ ーセ ーカ ラ は西 部 ・南部が シン ハ ラ文 化
伝
統にお い て重 要な役 割をは た し て きたこ と を検
証す る。 ・…般 に はキ ャ ン デ ィ 下国に こそ真の シ ン ハ ラ文
化の 伝 統が ある と さ れ る が, キャ ンデ ィ の 中高 地 地 域は12
世紀 まで は 広野, 森 林で , キャ ン デ ィ ー 王 国の 中核
はシ ン ハ ラ仏教文
明の枠外
にあ り, 宮 廷 文明は外の コ ッ テ か ら も た ら さ れ た。 ま た キャ ンデ ィ再 興の 王 とい わ れ る ラ… ジ ャ シン パ 」II
; (1635
−87
)の孫
の 死(
1739
)で 王 統が 絶 える とそ の 王 妃の 弟が 南イ ン ド ・マ ドゥ ライの ナーヤ ッ カル朝
か ら呼ば れて 宮 廷は ヒ ン ドゥー化 し. キ ャ ンデ ィの 文化 e 政治は ナーヤ ッ カル朝の エ リー ト ら に席 巻 され た 。他 方西 部 e 南
部
州にあた る地域(
占典 的 地 域 分 類で い うマ ーヤー ラタ)は ,11
世紀以後外
国貿
易の 発展
で 脚光 を浴び る よ うに な り, その 経 済 的 吸 引力に よっ て , よ り古
くか ら文
明 の 発 展 をみて い た東 部(
同ル フ ナ)や北 部 (同ラ ジ ャ ラ タ)
の権力
の 中心が 西 部 ・南部
に移さ れ,13
世 紀 以 降, 諸王の都 が お か れる こ ととな る。 シ ンハ ラ 仏 教 文 明が 継続 し て繁 栄 す るの は こ の 地 に お い て で あっ た、,・パ ッ テ ィニ
祭
祀の 司祭パ ッ テ ィニ 祭 祀 を司る の はカプラー ラ
(
kapurala
)
と呼 ばれ るゴ イガ マ ・ カー ス ト出身のdeva
司祭
で あ る。 オベ ーセー カ ラの 調査 した6
地 域で は , カ プ ラ ーラ は世 襲の 規 制を有 し て い るわけでは ない が 同家系
の 近親者が代々〈書 評>OBEYESEKERE , Gananath:The Cult of the Goddess Pattini 153
受
け継い で い る 。祭
祀自体女
性 を排 除す
る宗
教 的心 理 的 な 要 因が あ り, カプ ラーラ も ほ と ん ど男性の み で ある。 ガ ン マ ドゥ ワ儀 礼で は カ プ ラ ーラは女 装 して 神の シ ン ボル を携え る が, パ ッ テ ィ ニ のakarsarpa (
誘 引力)
に よ る エ クス タシー ・憑依
を体験
する。 そ こで 近親者
の 中で も憑 依 経 験が あ るような 者が カ プ ラー ラ に向
い てい る と され る傾 向が あ る。・テ キ ス ト
伝承
と儀 礼調 査
対象
地域
すべ て にpantis
kOlmura
と呼 ばれ る35
の 詩歌集が伝わ っ て い る。 オベ ーセ ー カ ラ は その4
つ の ヴァ ー ジ ョ ン の概 要 を表
に提
示 して い る が q その 主要部
分は, (1
)パ ッ テ ィ ニ神話
,南
イン ド・チ ョ ー ラ王 カ リカー ラの神話
, (3
)ガ ジャ バ ー フ王 伝説
の3
部か ら な っ てい る。ql
はパ ッ テ ィニ 女 神の 醐 仕を仏教の 鋳 型に は め た もの , (2
)はシ ンハ ラ儀 礼で は現在
まっ た く演 じ られる こ とは ない が, (1
)と ともに南イ ン ドか ら伝
わ っ た もの とみ られ るc, (3
)は ス リラ ン カ史
上 の文化
英 雄の伝
説で , おそらくパ ッ テ ィニ神
話が ス リ ラ ン カ に定着
して か ら35
詩歌 集の 中に採
り入 れ られ た もの と推
測され る。こ れ らの テキス トはガ ンマ ドゥ ワ儀 礼のな かにい わば制 度
化 (
institution
− alized ) され てお り,本
来パ ッ テ ィニ祭
祀 と は独立 して い た ガン マ ドゥ ワ儀 礼がパ ッ テ ィニ祭
祀 を 中心 に統 合 さ れて い っ たこ と を物 語 っ て い る。・治療 体
系
として の ガン マ ドゥワ儀礼
ガ ンマ ドゥ ワ
儀礼
の主要な 同的の ひ とつ は ,村 人の 病気
の 原 因(
d6sa
) を 儀礼 的に治療
する こ とである。 つ ま り儀 礼 にか か わる村 人ら は信徒
で ある と 同 時に患 者(
5tura)
なの で ある。 どの ガ ンマ ドゥ ワ儀 礼で もSirasapada
が 歌 わ れ る が, こ れ は 「真 実
の力
」 (satyakriya)
に よ っ て 頭か ら 足 まで のd6sa
を な くすた め の 歌 で, ブ ッ ダの 生 涯 ・前世 の 物 語や ヴ ィ シュ ヌ神 ・パ ッテ ィニ 女神の 物語を内容 とす る もの で ある 。 第2 章
神々 の世 界 ・三界 とブ ッ ダシ ンハ ラの 民問の
伝
統に よ れ ば, 人 間 ・悪魔 ・神の 三界
のう
えに三界の 主 と して の ブ ッ ダが ある とい う構
造 になっ てい る。神
々 とブ ッ ダの 関係は, 地
154
バ ーリ学 仏 教 文化 学: 一 上の1
と覇王 (チ ャ ク ラヴ ァ ル テ ィ ン)
の 関係に な ぞ らえられる。 い か なる 神々 の儀 礼 も, 司祭が ブ ッ ダ ・ダン マ ・サ ン ガか ら avasara つ ま り権威
・権 力の 行仙
の許
可を得
て初めて執 行 さ れ得
る もの で ある。 ガ ン マ ドゥ ワ儀
礼 の 神 話で も,神
々 の力は ブ ッ ダの権威
の 庇護
の も とで行 使 される とう
たわれ る。 こ うし た 観念は南ア ジ ア の 王権に由
来 する varan(
権 威 ・権力
の保
証)
の 概念
に結晶
する。 地上の モの場 合,覇
王か ら副E
・地方支
配者
, 下級 役 人, 村 長へ と varan の委
譲が お こなわ れていく
こ とに よっ て , それぞれ の レベ ル で権 力の行使
が保 証 され る。 神々 の世 界で は, ブ ッ ダか ら varan を得
た神
々 が既にブ ッ ダな きこの 世におい て仏教の 社 会 倫 理 ・秩 序を守る とい う し くみ で説 明さ れ る。神
は菩
薩で あ り, パ ッ テ ィニ も男子
変 成 をとげて ブ ッ ダに な るとされ る。 ガ ン マ ドゥ ワで は人 間の 仏 教 的な善業
を神々 に 回向 する こ とで よ りはや く 神々 が ブ ッ ダに な れる とい うこ とが常
に言 及 され る。 つ ま り神々 は ブッ ダの 力とい う保証 を得て人間の 苦をのぞ き恵み を与 え,一方
人間は功徳
を回向
し て神
が ブ ッ ダ に なる助 力を与 える, とい う神 と人間の 互恵 関係が成 り立っ て い る。仏 教の 体 系に統 合 さ れ た神々 の 世 界 に働 く,属 性 変 容 あるい は相
対的
な地 位 .ヒ昇の メ カニ ズム を, オベ ーセ ーカ ラ は次の8
つ の 原理 で説明 す る 。A
:仏 教 的な慈悲
の徳が増 える ほ ど,懲 悪の属 性は減
る。B
: 慈 悲の 徳が増えるほ ど,信
者との 距 離は遠
ざ かる。C
:悲の 徳が増え るほ どtH
:俗 との 関 わ りが 薄 くな り, 世俗 に とっ て の 有用性が
減少す
る。D
;主要神
が さ らに遠 ざか る と,他
の神
々 が その 座 を得
る。 カ タラ ガ マ ・サ マ ン ・ヴ ィ ビ ー シャ ナが そ うであ っ た よ う に, 悪 魔か ら神の 地 位 へ の
L
昇が.般 的で ある。E
:悪 魔か ら神
へ の ヒ昇
の 際, その ア イデ ンテ ィ テ ィが神
的 ・悪魔 的
に二分 し,
前者
の 性 格が強 まる ほ ど後 者の 性 格が薄れる。F
: もと もと神
・悪 魔の 両 面 を備 え た神 格
が地 位 を上昇 させ る とき, 神<1彗:評>OBEYESEKERE , Gananath:The Cu重t of the Goddcss Pa亡亡ini 155
的側 面 が 強 調さ れ る。
G
:神 格が 階 層 を 上昇 する と き,ある時 点で 悪 魔 と神を具 有 した 異常な状 態に な る。
H
:劣 等の 神 格が神
の地位
に上 昇 する とき ,本
来の 蔑称 的名 称 に 別 名が与えた り, 捲 頭 辞を帯び た り,新 名称 を得た りす る。 第二 部
ガン マ ドゥ ワ
儀礼
と35
詩歌 集既 に述べ た よ うに , オベ ー セ ー カ ラ が 調 査 し た
6
地 域 すべ て にpantis
kOlmura
と して知ら れ る35
詩歌集
の伝
承がある。 今日で は こ れ らがすべ て 歌 わ れ た り演 じられ たりす
る わけで は な く, また この詩
歌集
に依 らない 儀 礼 も多
い 。オベ ーセーカ ラ は第
3
章 と4
章
で ラバ リーヤ伝承
に もとつい て ガ ンマ ドゥ ワ儀 礼の 次 第 を詳細 に記録
し , また関連 する詩歌 集の 詩節を英 訳し解 説 を加
えて い る。 ほ か の5
伝 承が ラバ リーヤ の もの と大 きく異なっ て い る場 合 には 逐 次 注解 して い る。第 5
童パ ッ テ ィ ニ 神 話
こ こ で は
35
詩 歌 集の な かでパ ッ テ ィニ 女 神 に直 接関連す る神 話を紹 介 し , 解 説を お こ な う。 主 要な物 語には , 「 マ ン ゴを射 抜 く話
」 (athba vidamana)
と 「 死 と復 活」(
maraiptiddima
)
の2
つ が ある 。前 者
は ,パ ッ テ ィ ニ が マ ン ゴ に姿 を変 えて パ ー ンデ ィ王 の額の眼 をつ ぶ す とい う話 , 後 者はパ ッ テ ィ ニ の 放 埒な夫が足 飾 り泥 棒の嫌
疑で王 に処 刑 さ れ るがバ ッ テ ィニ の 徳と力で蘇
る という話
である。 こ れ らシ ンハ ラ のパ ッテ ィニ 神 話は, タ ミ ル古 典 文 学 の 『シ ラ ッ パ デ イハ ー ラム』 中の神話
やス リ ラ ン カ東 海 岸の ヒ ン ドゥ ー ・タ ミ ルの 問で歌 わ れる もの とか なり類 似 して お り, み な同じ神
話や儀礼
の伝
統 に 出来 する もの で あろう
と考
え られ る。第 6 章 神
話の層位
学神 話の
伝承
は , 占来の 信 仰, 新た に生み出さ れ た信 仰, そ して外
来の信仰
体 系か ら摂取
さ れ た もの が 混 成 して で きあ が っ て い る。 その 成 立の過程 を解
156
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 明する には , 歴史 史料
に よ る検 証 と と もに,現存
の紳
話伝 承 を形 成 してい る 一層
」 の 様 子 をみ き わめ る方法
を工 夫 する必 要が あ る。 そ こ で オベ ーセー カ ラは, 神 話の 層位 学
(stratigraphy)
研 究の た め の方 法論
と して, (1
)象
徴 的言説 (symbolic statements
)
, (2
>残 存 物 (survivals)
, (3
)比 較(
comparison )の
3
つ を取 り上げて説 明す
る。 〔1
)は神 話を非人格的, 象徴 的な もの と し て,多
層の意
味か ら なる象徴
を全 休 論 的に解釈
する こ と, は現行の シス テ ム で 機 能を果た さ ない もの が 自然 ・文化の 特 定 条件下 で 生 き残る こ とが あ る こ と, (3
)は よ り大 きな文化 共有
地域で実 質 的 ・機 能的に類似 す る儀礼 を比 較 す る こ とで ある。これ をパ ッ テ ィニ 神 話の 分 析に適 用 し, パ ッ テ ィニ
信仰
の 変 容の 過程を分 析 す る。 「 十 :神
」(
dolaha
deviyo
)は ガ ン マ ドゥ ワ儀
礼で い わ ば集 合 的 な 一神 格 とし て信仰
さ れてい る。 しば しばその名
が喚起
され,供物
が奉納
され る。 しか し, ひ とつ ひ とつ の 神々 の名は めっ たに言 及 され ない し, そ れ ぞれ の 神 に関する神話
は ほ とんど伝わ っ てい ない 。 十二 神の12
とい う数お よび十 二神
信仰
とい う形 態は存 続 しなが ら, 信 奉 さ れて い る神
々 は時代
や地域 に よ っ て様々 の ヴ ァ リエ … シ ョ ンが ある。 しか も トニ神祭
祀 はの ちに十一.1JI
祭祀 に とっ てか わ られて い く。 しか しな が ら十二神
全部の 神が忘 却の 彼 方に追い や ら れ た わ けで は ない 。 よ り低い 地位
に落
ちて 生 きなが らえる もの もあれ ば, 室要神
の 地位
に ヒ昇 した もの もある。 その後者
がパ ッ テ ィニ 女 神で ある。 ス リ ラ ン カ中央州
の ハ ン グ ラ ンケ タ で はパ ッ テ ィ ニ よ り占い 母神 ・女 神キ リア ン マ が重 要な神 と して信 奉 されて い る。 こ れ をス リラ ン カ西 部 ・南 部の パ ッ テ ィ ニ 信 仰 と比 較 する と, 両 女神 には, 子 どもの 病気
との 関わ り(
治癒)
・ 豊穣
・ガ ンマ ドゥ ワ儀 礼で司祭
が そ の姿
に変装 ・乳を わ かす, とい っ た著
し い 類 似性がみ られる。 した がっ て パ ッ テ ィニ 祭祀は キ リ ア ンマ祭
祀 に とっ て かわ っ た もの で, 後 者の 要素
が前 者の なか に統 合吸 収され た とみ る こ とがで きる。 そ して さら にパ ッ テ ィ ニ は ,18
世紀
以降の キャ ンデ ィで は, 四方の 守 .護神
の ひ とつ にまで地位 を上 昇 させ てい る。<書評 >OBEYESEKERE , Gananath:Thc Cult of thc Goddcss Pattini
157
第三部
第
7
章王権の宇 宙 ・カ リカ ーラ神言舌
本 章
で取
り扱 う
の は ,35
詩 歌 集(
pantis
kOlmura
)
の第
ニ コ ーパ ス である,Soll (
チ ョ ー ラ)
の 善王 カ リカー ラ とパ ー ンデ ィの 悪{ (無 名)の 神 話で あ る。 テキス トの 英訳と解 説に続い て , こ の神話
お よ び関連 す る儀 礼 劇の解釈
を行
う際, オベ ーセ ー カ ラ は両 下が こ とご と く対 照 的に描か れてい る点に注 目する。1
呵者
の対比 は次の ように ま とめ られ よう、, カ リ カ ー ラ神性
な し,農
民 出 身のi
親 人民
のた め に水
路や堤 防 を.建設 人民に対 して尊 厳 と丁 重慣
習に した が い占
い 師に相 談 カー ヴェ リー築
堤 をお祭 りで祝 う ノe一 ン デ ィ.ヨ三神性
を もつ , 第r
の 眼 あり 自分の 宮 殿 建 設の た め に 人 民 を徴
用 収 容所 で ひ どい 扱い占
い師
を軽
蔑 独 裁 ドで 人々 が 苦 しむ一方, 南イ ン ドの カ リカー ラ
神話
では, 少 年 期に チ ョ ーラ朝
を継
い だ 王が親
族 による転 覆の 策謀で 監 禁 さ れ るが,持
ち前の 才 能 と友の 助けで再び 王位 につ くとい う展 開に なっ て い る。 南イン ドの歴史 家 らは, この 神 話 を 歴史
的事
実 を核
に し た もの とみ て い るが, オベ ーセ ー カ ラは こ れ に は批判的
で ある 。彼
に よれ ば,お そら くある タ イプの英雄
が 王 とし て伝 説 的に描か れ た もの で ,6
世紀
, お そ くと も8
餅 己まで に は カ ー ヴ ェ リー川築 堤の 偉 大な英雄 に まつ りあげられた もの であ る。南イ ン ド版と シン ハ ラ版で は善 王カ リカー ラ
対
三眼の悪
王 とい う対立 が 共 通 してお り, 南 イン ド にお ける神聖 王 の観念
の確立 とあい まっ て こ の神
話が シ ンハ ラ に伝
え ら れ たの で あろ うと思われ る 。 第8
章 カ リカ ーラ とセ ン ク ッ トゥ ワ ン ・ガジ ヤ バ ー フ伝 説『マ ハ ー ヴァ ン サ 』 に よ れ ば ガ ジャ バ ー フ王 は
2
世 紀 後半
の歴史上 の 人物
で ある。 一一一 方, タ ミル 文 学 史 ヒ初の 叙事
詩である 『シ ラ ッ パ デ ィハ ー ラ ム 』158 /H“一・リ斗坐柔ム教.文1イヒ学: の 中 に, ガ ジ ャ バ ーフ が セ ン クッ トゥ ヴ ァ ン:
E
の もとで お こ な わ れ たパ ッ テ ィニ祭
祀に参
列 し た との 記述 が あ る。 歴 史家たちは こ れ に も とつ い て 『シ ラ ッ パ デ ィハ ー一ラム 』 の ガ ジャ バ ーフ を 『マ ハ ー ヴァ ンサ』 中の歴 史上の 人物
と同一で ある とみ な し,作
品の年
代 比 定の根 拠に もし て き た。オベ ーセ… カ ラ は.こ の ガ ジャ バ ー フ伝 説 史実 化をパ ッ テ ィニ 祭 祀へ の 言 及 とい
う
面か ら批 判 する。 すな わ ち、4
,5
旧:紀の 島史には ガ ジ ャ バ ー フ 王の 南イン ド訪 問の 記 述は なく, また その 時代 にはパ ッ テ ィニ祭
祀が ス リラ ン カ で栄
えてい な か っ た とみ られ る。 しか し後代の シ ン ハ ラ歴史書 『ラ… ジャ ー ヴ ァ リーヤ」(
17
世紀)
に は, ガ ジャ バ ー フが激
の棒で海を2
つ に分 けて 」 南イ ン ド ・チ ョ 一一ラ 国に渡 り, 悪 王 を 退治
し 「捕虜
を解 放 した」後
, 仏鉢
や パ ッ テ ィニ 女神
の 足 飾 りを持ち帰っ た と記さ れて い る。 オベ ーセー カ ラの 解 釈で は, こ の ガ ジャ バ ー フ伝
説は古
い 「水
分 け」 の儀
礼の 起源を説明 す る た め に, ス リラ ン カ でパ ッ テt
二祭
祀 が優 勢 に なっ て か ら用い られ る よう
に な っ た もの で,10
−13
世紀
頃に遡 ら れ る もの の , 当 時はパ ッ テ ィ ニ 女 神 に直接結
びつ くもの ではなか っ た。 ・†直民 ネ申言舌先に紹 介した シンハ ラ歴 史書中の ガ ジ ャ バ ーフ伝 説は ,史 実 と して解 釈す る とすれ ば,
10
−13
世紀
に南
イ ン ドか らの 侵 略が 非 常 に激しい 頃 , 人民を隷
属か ら解 放 した英 雄の事
蹟 とい うこ と に なろ う。 確か に,12000
人 もの シン ハ ラ 人捕虜
を とっ てい た チ ョ ー ラ王 を征 伐 して 捕 虜 を解 放 する と と もに同数 の 南イ ン ド人捕虜
を連れ帰
っ て い る。 ま た その 際, パ ッ テ ィニ の 足飾
り, 四 大神の しる し, かつ て奪わ れた仏 鉢 を持 ち帰っ てい る。他 方
,南
イ ン ドが わ, 即 ち 『シ ラ ッ パ デ ィハ ー ラム 』 で の ガ ジ ャ バ ー フ は ,英 雄セ ン ク ッ トゥ ワ ン モに従
属 し,王の パ トロ ン 下で ス リ ラ ン カ にパ ッ テ ィニ祭
祀 を もた ら した と するの み で あ る。 詳細は後 述され る が, こ こ で オ ベ ーセ ーカ ラ は , パ ッ テ ィ ニ 祭 祀が ケ ー ラ ラ ・マ ラバ ール 地方
か らの 植民者に よっ て もた ら され た の で はない か とい う推 測を提 示す る。・ネ申言舌・
f
匕と月兇彳申言舌イ
ヒ〈1’tl:i’
LII 「〉ΩBEYESEKERE , G・n・腿 h・Tlt・C・lt・f・th・ G・ddess P・tti
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l59
ガジ ャ バ ーフ
伝
説を史
実とする従 来の 歴史
家の 見解
を否定
したオベ ーセ ー カ ラ は,史実
の神
話 化 ・神 話の脱神 話化 とい う概 念 を用 い て , 南イ ン ドの 学 者らの 間 に み ら れ が ち な神 話解釈
の あ り方を批判
してい る。神
話化 (
mythicization ) とはエ リ ア ーデの 用 語で , 歴 史 的 入物や事 件
が神 話 中の 英雄
やエ ピソ ー ド にかわ っ てい くとい うプ ロセ ス を経 る 。神 話化
が完
成する と史料 は完
全に神話 と な り, 別 個の 証拠が ない か ぎ りそこか ら史実
を 抽 出す
る こ とが不 可 能になる。脱
神 話化 (
demythicization
)
はオ ベ ーセー カ ラが新
たに提 示 した概 念で , バ ル1
・マ ンの い うdemythologizing
, つ ま り神 話の文字
ど お りの真実
を否
定 する こ と とは異
なる。 脱神 話 化には次
の3
つ の様
相が ある。1
宗
教信
仰の体
系で重 要な事件
や 人物の 実在性
が経 験 的に証
明で きると み なされ る 〔神の 存 在証 明 な ど
)
2
神 話
の 出来事
を歴 史 的実在
とみ なす(
『ラーマ ーヤ ナ 』 で ラ ーヴ ァナ が孔
雀
で飛来
する こ とを, 当時 すで に飛 行 機が あ っ た とみ な す こ とな ど
)
3
疑 問の
余
地 が ない宗教 的
世 俗 的イデ オロ ギ ー を含ん で い る とい う理由で
伝統
的な神 話を その ま まうけい れ るパ ッ テ ィニ
祭
祀に関連 して 言 えば , もはや儀礼
は行
わ れず 宗 教 的意
味 も失 っ てい るけれ ども , イン ドの学者
ら は, タ ミル 叙事
詩 中の パ ッ テ ィ ニ 祭 祀の 記 述 を史実
とみ なし, そ れ を も とに当時の 社 会文化 的状 況を真剣
に論
じてい る, とい う脱神
話 化の 傾 向が一般的 に み ら れ る。第
四 部オベ ーセ ー カ ラ に よ れ ば儀 礼 には
ideal
representations と catharsis の2
種 類がある。 前
者
は,司 祭に よ り歌 わ れ 上演 さ れる神
話や 儀礼で , 文化 ・宗 教 ・哲学 的
価値 を体 現 した, ま じめで 荘 厳な内容を もつ もの で あ る。参
加 す る聴 衆 も静粛で ある。 一方 ,後
者は しば しば野卑
で卑
猥な振 る舞
い を含 む と い う点が特徴
的で , 入々 の心理的 問 題や不安
をよ り直接 的に表
現 する もの でユ
60
パ ーリ学仏教 文 化 学 ある。聴
衆は儀礼に直接
, あるい は か け声
や笑
い に よ り代
償 的に参 加 する。 第9
章Ahkeliya
儀 礼こ の
儀礼
は 「鹿の 角 引 き 」(
horn
game
) と知 ら れ る儀 礼で ある。 鹿の 角 あ るい はそれ を模 した木
製の鈎 を2
つ 引っ か け あわ せ , 両端
につ な が れ た 綱 を2
チ ーム(
パ ッ テ ィニ 側 とその 夫側)
に分か れ た村
人が ひ きあ う。 絡め た 角が 折 れ た方が敗 者で,勝
ちチーム は負 けた側に悪 態 をつ く。 上述の 分 類に 従え ば, ア ン ケ リヤ儀礼
は観 衆
が カ タル シ ス 的に直接参加
する カ タ ル シス で あ る。 ガンマ ドゥ ワ儀 礼の パ ッ テ ィ ニ神話本体
とは実質
的 な関 連は ない けれ ども, パ ッ テ ィニ祭
祀を後
述の よ うに 「投 射 体系
」 と解 釈す る うえで重 要で ある と して, オ ベ ーセ ー カ ラ はパ ッ テ ィ ニ 祭 祀研究
の な かに この儀 礼の 調 査 と分析 を位 置づ けてい る。 北 中部 州, 北部 州 をの ぞい たス リラ ン カ全 土に伝
わ っ て い た儀 礼だ が, オベ ーセーカラは 東海 岸の パ ーナマ , 南 部 州 ・マ リ ド ゥー ワ, 西部 州 ・ビ ヤ ン ウ ィ ラ , 中央 州 ・ ドゥ ヌ ケウラ の4
地域の 儀 礼 を観 察 して40
ペ ー ジ にわ た り詳 細に報 告 して い る。 第五 部 第10
章 母 神 と社 会 構造投射体系
と は, 個人の 内 的な 不安 を既 存 の 文化
的信
仰の体系
に投 射 する こ とに よっ て , その 不安
と折 り合い をつ ける とい う, 心理 的な保
証を個
人に与
え る もの である。 オベ ーセ ーカ ラ はパ ッ テ ィ ニ 祭 祀 を投 射体 系
の ひ とつ とみ て , 社 会の 価 値観
→ 女 性の 役 割→ 母子の 関係→ 子供
の信
仰 心 とい う因果 関係 を想 定 し,女性
の役割
や母子
関係に関わ る, 「理念
型」 と しての バ ラ モ ン 的 価値
観の 意味 あい を こ こ で 論 じる。ヒ ン ドゥ ー教 の 社 会 に おい て は,結婚時の 処女性 ・妻と して の 貞淑 ・未亡 人 と し て の
貞節
が女性 の 理 想 と さ れ る(
pativrata
)。 女性は父 親 に夫 と して の理 想像 を見 出 すが現 実は そ れ とは ほ ど遠い 。 そこで ク リシュ ナ(
北
イン ド)
やム ル ガン (南イ ン ド)な どの神
に敬 愛
の 対象
を求め る 、, 嫁と して は祖霊崇
拝の 継 承 者 と し て男 子の 跡継
ぎを 生 むこ とが絶対で あ る。 長男 と母親は と く<書評 >OBEYESEKERE . Gananath:The (:ul1 Qf thc Goddcss Pattilli 161 に強い
結
びつ きを もつ 。宗教 儀礼や 信仰に投 射 される母 親の イメ ージを オベ …セ ー カ ラ は次の
3
タ イ プに類 型 して い る、、聖なる牛
一
養
育 (乳,食 事 を与 える もの)
, 母パ ール ヴァ テ ィ
慈 しみ, 美
貌
,力添
え, 父親
の 妻カー リー一
一残 忍, ヒ ス テ リカ ル ,男を
去
勢 させ る, 突発 的な怒り北 イン ドに比べ て南 イ ン ドは,女性の 役 割 にたい す る重 圧が 弱い が, その 社 会 的 ・構 造 的要 因は
交
叉い とこ婚 にある。 小さい 頃か ら よ く知っ て い る嫁 ぎ先で適 応が容易
であるか ら で ある。 づ∫, ス リ ラ ン カ都
市 部 とくにコ ロ ン ボ周
辺 で はカ ー リー女神へ の 信 仰が隆盛で あ る が , こ れ も社 会の 価 値 観の 投 射で あ る と解釈
で きる、、 すな わ ち,植
民地 下で も た らされ た プロ テ ス タ ン ト 的倫
理観
がバ ラモ ン的価 値 観 を補 隙 した た め ,鷹揚
で あ っ た結 婚 ・性牛活の 倫理観
が厳
格 ・閉鎖 的にな り, そ れ に対
する欲
求 不 満が 都市 部の 女 性(
母親) と子 供の 関係
に表
出 さ れ,E
述の3
タイ プの うちカ ー リー型の 母親
の イメ ー ジが形
成 さ れて い っ たの である、, 第li
章処 女 ・妻 ・ 母親
パ ッ テ ィニ
神 話
に は , 古 典 タ ミル叙事詩
の 『シ ラ ッ パ デ ィハ ー ラ ム 』 , シ ンハ ラ版
, ス リ ラ ン カ東 海岸
の タ ミ ル ・ヒ ン ドゥ ー版 と異な る伝 承が あ る が , い ず れに も共通 する テ ーマ は , パ ッ テ ィ ニ = 処 女,マ ーデー ヴ ィ= 売春
婦(
遊 女 ), パ ーラ ン ガ(
コ ー ヴァ ラン)
一移
り気
な夫
とい う設 定で ある。こ こで オベ ・…セ ーカ ラは フ ロ イ トの
fixation
(病
的固着)
の 概 念 を援
用 し て, 遊女お よ び 遊女に対 する愛を解 釈 する。 母親
は女性の モ デ ル で あ り, 理 想 的な妻 を母親の イメー ジ に形作
る。 近親
相姦
の タブ ーの 意 識は強
い の で, 母親に対 する病 的
固着
が強い と ,父 親に よる懲罰
と して の 去 勢の 不安 , 性的 不 能の 不安か ら, 妻 との 性 的 関係は妨げ られ る。 そこ で愛 情 と性 欲は分 離 さ れ ,母親の 対極 に位 置す る 遊女
を性 欲の 対象
とす
るの で ある 。 こ うした感情
は, パ ッ テ ィニ神話
にお い て は, パ ーラ ン ガ が妻パ ッテ ィニ と性交
渉 を もた ず, 遊女
とは関係をもつ として 「投射
」 さ れて い る。i62 パ …リ学 仏 教 文化 学
した が っ てパ ッ テ ィニ は
妻
で あ りかつ 処 女である とい う矛盾
を抱え るの で あるが ,実は神 話 におい て は物 語の コ ン テ クス トの 中で こ れ が 回避され て い る/−t タ ミル版
で は,彼
女は結
婚 した ときにわずか5
才
で あ り, 夫パ ー ラン ガ は結 婚 ま えに彼 女を捨
て て 遊女の もとへ 行っ た と される。 ま た ス リラ ン カ版 で は , 幼 児婚
の 習慣
が ない た め か , バ … ラ ン ガが性的 不能で あ るこ とがパ ッ テ ィニ の 処 女 性保持
を示 して い る。 また遊 女マ ーデ ー ヴ ィ の存在
がパ ッ テ ィ ニ と夫との性
交 渉の 必 然 性 を解 消 して い るの で あ る。・パ ッ テ で二 と西ア ジア の 母
神祭
祀こ こ まで オベ ーセ ー カ ラは ス リ ラン カ の パ ッ テ ィニ 祭 祀を
南
イ ン ド由来
の 儀 礼 とし て考 察 して きた が, さ ら に その 源 泉 を追 求 し て ,古代 西ア ジアの 母 神 祭 祀との 比 較を行 う。紀 元 前
5
o
年
こ ろか ら古代
西ア ジア で は さ まざ
まな母神 祭
祀が隆
盛で , 地 中海 地 域 全土 に広が り, キ リス ト教の 時 代が始 まっ て も300
−400
年 続い た と されて い る,, そ れは, ヘ ー ラ, ア フ ロ デ ィ ーテ, ア ル テ ミス な どの 女神 と , ア ッ テ ィ ス , オシ リス , ア ドニ ス などの 夫, 恋人,息
子 と して の男神
を奉 祀 する儀 礼で あ る。 オベ ーセー カ ラ はパ ッ テ ィニ と夫
パ ー ラ ンガ との 関係と比 較 し,母 神が しば しば母 で あ り処 女で ある とみ ら れ たこ と, そ して 男神
, と くにア ッ テ ィ ス とア ドニ ス が 去勢 して お り, 死 後 復 活 する と さ れて い るこ と に注目 し て い る。 西 ア ジア に お ける こ の 祭 祀 も母 子 関係の 心 理の 投射
と解釈 され る,, 第12
章ア ンケ リヤ
儀
礼の機 能 パ ッ テ ィニ 神 話の 分 析 と同様 に,第9
章で詳細 に報 告 したア ン ケ リ ヤ儀 礼 を 「投 射体 系
1 と捉えて, こ の儀 礼の 機能
を解明 す るの が本章
で ある。ア ン ケ リヤ 儀礼の 角引 きの 戦い で 勝っ た チ ーム が 相手に浴びせ る歌は, 排 泄物や性 器 セ ッ クス に関連 する, …見
卑
猥で 汚 い 内容で あるが , それ は, 社 会 的タ ブ ーや心 埋 的 不安
の カ タル シ ス的 発 現なの である。 た と え ば ,パ ッ テ ィニ神 話
との 関連で言
え ば, 性 的不 能の 不 安は, 「ペ ニ ス =.・丁 大 砲 」 とい う よ う な表現 の 巨 根 願 望 とし て あらわ れ, ま た, 去勢
の 不安
は, 女性 器破損
の.<をt}:、・層
F
>OBEYESEK旦旦野, Ga阻an越
k
−!−pe
Cutt of thc Goddcss Pattini 163願 望の 歌の 中に みて とれ る。
オベ ー一セ ・一カ ラ は さ らに, ス リ ラ ン カ社 会に お け る 「恥 」 (
1
負jja
)
の 意識 の投射
と して, ア ン ケ リヤ儀 礼 を解 釈 する。 恥 およ び 「恥へ の 恐れ 一(
1alja
−baya )
の 感 覚は, 子 供 の 頃か ら 父親に よっ て教 え込まれ て お り, その た め 侮 辱や 自尊 心 をそ こな わ れ る こ とに対 して突発的な怒 りを覚
える 一方
,名声
や地位
な ど白尊
心を高
める誘惑
には弱い 。 また席 次 など相 対 的地 位 に敏感
で あ る、,角
引 きゲ ーム で勝 者 側が侮 辱 的な歌を浴びせ る の は, こ うした珊 の 意 識を背 景に してお り, 公衆の面前で相 手に恥をか か せ る こ とによっ て勝者
側 は公に 自らの 地 位 を相対
的に高
めるの で ある., 第六部オベ ーセー カ ラ は,
先
の章
でパ ッ テ ィニ 祭 祀の 心 理 分析 的解 釈 をお こ ない , 西ア ジ ア の 母神祭
祀 との 類似 性 を指 摘 した。 こ こ で は さ ら に, そ れ を足 が か りに, パ ッ テ ィ ニ祭
祀の 西 アジア起 源の 卩∫能性 を探っ て , 交易
ル ー トを通 じ た西 ア ジ ア〜南
イン ド〜ス リ ラ ン カ とい う展 開 を仮 説 として 立論
し , そ れ を 検証 して い く。パ ッ テ ィ ニ 祭祀 に関する現
存
最 古の 資 料である2
つ の タ ミル叙事
詩 『シ ラ ッ パ デ ィ ハ …ラム』 と 「マ ニ メ ーハ ライ』 によっ て こ の祭
祀の杜会文化的背
景 を考察
すれ ば ,パ ッテ ィニ 女 神の 神 話 的伝 記の ル ーツ は , ヒ ン ドゥー教で はない イ ン ドの 宗教
すな わ ち仏 教や ジ ャ イナ教
にあ る とい える。 この 祭 祀 を信 奉 した人々 は非
ヒ ン ドゥ ー教 徒の , 南イ ン ド対外貿易
を支
配 し た商
入階 級で あっ た,、 しか し8
世紀か ら13
世紀にかけて, イン ドに お い て は仏 教 と ジ ャ イ ナ教は衰退 し た。 その後パ ッ テ ィニ祭
祀は, イン ドで の信奉者
の 移住 と ともに伝播
して い っ たが,移住
に関する史 料お よび伝 えられ てい るパ ッ テ ィ ニ 祭 祀の様 相を もと にその プ m セ ス を推 定 すれ ば ,次の ように まと め ら れ る 。1
南 イン ドを追われ た仏 教徒 は ス リラ ン カ西海
岸
に移住 し, パ ッ テ ィニ 祭紀 を もた ら した 。 こ こ で テ キス トの
翻訳
が な され, 儀 礼が新 天 地むけに ア レン ジ され た。
(
第13章)
164
−∠tf
:’:1乏学仏一教 文 化 学2
南 イ ン ドでは, パ ッ テ ィニ 祭 祀が カ ー リー, ドゥ ル ガー,バ ガ ヴァ
テ ィー とい っ た人
気
ある ヒ ン ドゥ ーの 女 神祭
祀に吸収
されて い っ た 。(
第
14
章)
3
南イン ド ・ケーラ ラか らの 移住 者がス リ ラ ン カ東 海
岸
に定住
しヒ ンドゥ ・一教を信
奉
し た。彼
らが信奉 し たの は ヒ ン ドゥ ーの女神祭
紀であ
るが ,南イン ドの ように カ ー リー と同
化
する こ と な く, 民俗神
の 性格
をほ ぼ保っ た。
(
第15章)
4
若
干
の コ メ ン ト本 書が 「広
範
な民 族 誌 ・テ キス ト ・史 料 を ま とめ てさ ま ざ ま な角度 か ら分 析 ・解 釈 し,簡潔
・明 晰な文章
で 記す とい う傑 出 した知
的業績
」(
Fuller
,p
.774
)で ある こ と は, お そ ら く疑い の 余 地は なか ろ う。 しか しそ の ス ケ ー ル の 大き さ は 諸 刃の剣で あ ると もい える。 文献 研 究 者に とっ て は, 人類 学的展 望 が 理解の幅
を広 げる可 能性 を示 すで あろ うし(
Lambek
,p
.294 )
, 民 族 誌 デ … タ に対
して歴史
学 ・社 会 学 的解釈
と心
理分析
の手法
をう
ま く結
びつ けて い る点 (Kapferer
,p
,178
)
な ど, 真の 意 味で 学 際 領 域の研 究 に対 す るオ リ エ ン テ ー シ ョ ン を提 示 してい る (Houtart
,p
,136)
とい える。 しか し他
方, 膨 大な情 報量 と広範す ぎ るテーマ は, 本 書の 方 向性 を見 失わせ, 特 に儀礼
の 長 大な記述 はや や もす れ ば ご くわずかな専 門家に しか熟 読 され ない か も しれ ない(
Fuller
,p
.774
)
。オベ ーセ ー カ ラ
自身
の コ メ ン トに よ れ ば, 本 書の 中心はパ ッ テ ィ ニ 儀礼
の テキス ト(
儀 礼の 記 述, 詩歌 集, 神 話 )にあ る。 すで に ほ とん ど行わ れ な く なっ て きたパ ッ テ ィニ 祭 祀が完 全にな くな らぬ ように文章
に残
し , テキス ト の 翻訳 を収 録 した。 そ し て, テ キ ス トによっ て開
か れ る意味
のIUJ
界
の あら ゆ る限 りの 側 面を探 求 したい とい うネ イテ ィ ブの人 類 学 者 と して の 動 機 を もと に, 歴 史 学, 心 理 分 析 な どの手 法
を 用 い て 分 析 を ほ ど こ し た の で ある(
Obeyesekere
1987
,p
.99)
。こ う し た彼の 戦略 も, テ ーマ の 統…性 の 欠 落の ゆ えに うま く機 能 し な か っ
<書評>OBEYESEKERE ,