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Academic year: 2021

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Author(s)

佐々木, 祐

Citation

コンタクト・ゾーン = Contact zone (2017), 9(2017): 242-

263

Issue Date

2017-12-31

URL

http://hdl.handle.net/2433/228323

Right

Type

Departmental Bulletin Paper

Textversion

publisher

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242 <要旨>  アメリカ合衆国への「不法移民」問題は、現代社会の大きな課題の一つであり続け ている。それは受け入れ国だけでなく、送り出し国(とりわけメキシコおよび中央ア メリカ諸国)の社会にも重大な変化をもたらしている。本稿では特に中米出身の移民 たちの存在に着目して論じることによって、「北」へ向かう国際的な人の移動が生み出 した諸効果について、調査によって得られた情報を利用しながら分析する。  これまで比較的論じられることの少なかった中米移民ではあるが、移民者全体にお けるその割合は年々上昇しつつあり、またメキシコにおける重層的な暴力や周縁化に も曝されていることが近年明らかとなっている。彼らの通過経路となるメキシコにお ける特異な空間構成について分析した後、移民を生み出す「移動の文化」と「暴力の 文化」について考察する。さらに、メキシコにおける多様な経験を通じて「移動を続 ける者」と「滞留する者」という分化が進展していることを指摘し、その具体的な様 相についても記述する。

「縦深国境地帯」としてのメキシコ 

― 中米移民をとりまく空間編成と社会関係についての試論

佐々木 祐

Contact Zone 2017 特集論文① キーワード:メキシコ,中央アメリカ,移民,暴力,支援 SASAKI Tasuku 神戸大学大学院人文学研究科 

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1 はじめに

 アメリカ合衆国大統領選において共和党のドナルド・トランプ候補が次第に存在感を強 めつつあった 2016 年中旬、メキシコのインターネット界では次のジョークが飛び交った。

トランプが壁を作るというのなら、チャポに投票してトンネルを掘ってもらおう! Si Trump hace el muro, voten por el Chapo para que haga el túnel.

 米墨国境における規制強化と「不法移民」の一掃を叫ぶトランプが米大統領になるのな ら、最高レベルの警備警戒レベルにある刑務所から 1.5km にも及ぶ地下トンネルを掘っ て脱獄した麻薬王ホアキン・「チャポ」・グスマンをメキシコ大統領にしてやろう、という 痛烈な皮肉である。またそこには、対米従属的な政策を打ち出す現大統領エンリケ ・ ペ ニャ ・ ニエトへの苛立ちや不信感もこもっていることだろう。 さて、現在われわれはトランプ大統領の誕生という悲喜劇あるいは悪夢を目撃している わけであるが、だからといって移民たちにとってオバマ政権が「よりマシ」だったこと になるのかどうかはわからない。実際、2009 年から 2015 年までの期間、およそ 250 万人 以上の不法滞在外国人が国外退去を命じられており、これは歴代政権のうちの最高記録 である。またそれとは別に、税関・国境警備局 (U.S. Customs and Border Enforcement) に よって拘束された移民の数は、2000 年代と比べて激減しつつあるとはいえ、それでもな お 2015 年度には 33 万人を超えている1

 オバマ政権の決して「温情的」とばかりはいえない移民政策2により、米国に「不法

に」3入国しようとする者の数は確かに減少しつつある。だがその一方で、単身で国境を

渡ろうとする女性の割合が増加していること ( Feminization of Migration ) や4、両親を伴

わない未成年者 (Unaccompanied Alien Children- UAC) の姿が目立つようになっているこ となど、移動する人々の間には新たな局面が生じつつある。また、かつては米国南部国境 を経由しての不法入国者・滞在者の大半を占めていたのがメキシコ人だったが、近年では グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルといった中央アメリカ各国出身者の割合が増 えていることも明らかとなっている。実際、2016 年における米国南部国境における外国 人拘束者数は、メキシコ出身者が 190,760 人であるのに対し、中米出身者が大半を占める それ以外の諸国出身者は 218,110 人となっている(図 1)。  本稿ではこうした状況をふまえ、米墨国境「壁」のさらに南に広がる空間を対象に、そ

1 米国南部国境のみにおける拘束者数。 U.S Border Patrol: Total Illegal Alien Apprehensions by Month より。 2 もちろんオバマ大統領は、未成年の不法入国/滞在者やその家族、あるいは犯罪歴のない不法滞在者

に対しては強制送還を免除するなど、融和的な政策を実施しようとしていたことも事実ではある。 3 正当な入国・滞在手続きを経ない undocumented migrant / migrante indocumentado の訳語として、本

稿では日本において広く使用されている「不法移民」を便宜的にあてることにするが、そこに「非合 法」あるいは「犯罪」といった意味合いを持たせる意図は全くない。

4 Gabrielle Oliveira, The Impact of Mexican Maternal Migration on Children s Future Ambitions , Migration Policy Institute HP より。

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244 こを移動する人々・滞留する人々・連帯する人々の現状について考察してみたい。まず は、その「空間」の多重的な構成について概観した後、とりわけ中央アメリカからそこに たどり着いた者の経験をもとに仮説の構築を行う。また論述にあたっては、2013 年およ び 2016 年の現地調査によって得られた情報を利用しつつ、従来ともすれば見過ごされが ちであった当該事例について今後の分析のための基礎的な知見を提供することをめざす。

2 メキシコ・「縦深国境地帯」の空間編成

2-1 「深さ」をもった国境領域  2009 年に公開された映画『闇の列車、光の旅』(Cary Fukunaga 監督)は、こうした移 民たちの経験を描いた作品である。ホンジュラス出身の少女サイラはより良い生を夢見て 父親らとともにメキシコに不法入国し、そこからアメリカ合衆国を目指す。移民たちを食 い物にするギャング(Mara Salvatrucha )たち5の襲撃や入国管理局の手入れにおびえな がらも、彼らは巨大な貨物列車にしがみついて、あるいは徒歩での移動を繰り返しなが ら、3,000km 以上先の「北」へと向かう。フィクションではあるが詳細な取材調査に基づ 図 1 米国南部国境における外国人拘束者数 (U.S. Customs and Border Protection:

U.S Border Patrol Apprehensions From Mexico and Other Than Mexico より筆者作成)

5 Mara Salvatrucha (MS) の起源は、80 年代・90 年代に内戦状態にある中米エルサルバドルからアメリカ 合衆国に避難した若者たちの自衛組織にあるとされる。彼らもまた、移民をめぐる暴力の産物であり 「犠牲者」でもあるのだ。

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245 いたこの作品は、複数の映画祭で高く評価されるとともに、こうした中米移民たちをとり まく衝撃的な現状を浮き彫りにした。  メキシコ国内においては人種主義的なイデオロギーによって一段「劣った」存在として 顧みられることもなく、そして米国側にとっては不法移民の「群れ」のなかの副次的な 「その他」として、二重の意味で不可視化され、固有の顔や名前を奪われた彼らが、いま この瞬間も被り続けている厄災。本作品の原題 Sin nombre (「氏名不詳」)は、そうした 現実を静かに、だが力強く証し立てている。  この厄災の一つの帰結は映画公開の翌年、きわめて悲劇的な形で再びわれわれの目前に 突きつけられることとなった。2010 年 8 月、メキシコ北東部タマウリパス州サン・フェ ルナンドの廃墟で、中米出身者を中心とする移民 72 名の死体が発見される。メキシコ最 大の犯罪カルテルの一つであるロス ・ セタス (Los Zetas ) によって金品を強奪された彼 らは、組織への協力と情報提供を拒否したために監禁され、ひとまとめに「処刑」された という[Farah Gebara 2012: 94]。「北」へ向かう移動者たちのたどる経路はまた、米国へ と麻薬や武器を移送する密輸ルートと重複し、そうした犯罪組織が暗躍する「暴力の空 間」に包含されてもいるのだ。  本章では、メキシコという領域の上を幾重にも被覆する異なる社会層について概観 し、その編成について考えてみたい。その際必要となるのは、「国境」を、国民­国家の 分割線としてではなく、コンフリクトと交通、主体の交錯と変容に満ちた「国境 - 領域

Región Fronteriza」としてとらえる視点である[Castillo 2002]。上述の悲劇において端的 に示されたように、ここは国家の主権とは異なる位相での関係性が生起する特異な空間で ある。さまざまな連結線・分断線と迂回路が重層的に組み込まれ、ある「深さ」をもった この領域を、ここでは「縦深国境地帯」と呼ぶことにする。 2-2 「延伸された空間」としてのメキシコ  図 2 は、中米移民たちの主要移動手段の一つである貨物列車(通称 La Bestia :「野 獣」の意)のルートである。大部分がパスポートを持たない中米移民にとって、飛行機は もちろん長距離バスといった通常の移動手段はほとんど選択されない。後に見るように メキシコ国内にあまねく配置された入国管理局 (Instituto Nacional de Migración - INM)の チェックポイントや、バス車両内における入管局員・警察のパスポート臨検や摘発に遭遇 し、収容・送還される事態を避けるためである。  もちろん、不安定な貨物列車の天蓋や連結部にしがみついての移動は、安全でも望まし いものでもあるわけはない。飢えと渇き、不眠と疲労に満ちたこの行程は、つねに転落事 故や轢死の危険と隣り合わせであるだけでなく、彼らを対象とした犯罪組織(や、時に一 般市民)の襲撃や INM 局員による摘発の危険性にも曝されている。もちろん、そうした 摘発や襲撃に遭遇した場合、移動手段は直ちに変更を余儀なくされる。それは後に述べる ように、さらに危険で過酷な方法とならざるをえない。また、こうした事故や犯罪の犠牲 となった「氏名不詳者」Sin nombre たちに関する公式な統計は、ほとんど存在しない。  貨物列車の運行スケジュールは公開されていないため、いつ出発するとも、またいつ停

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246 6 「南部国境プラン」:2008 年以降、米国での恩情的滞在許可を目的に中米各国からの未成年移民が急増 したとされ、2014 年に「人道的危機」が宣言される。それに対応するため、同年 7 月にメキシコ大統 領 E・P・ニエトが打ち出した移民対策方針。実施のために創設された「南部国境地域移民総合対策調 整局」は翌年にあえなく解散。 7 Secretaria de Gobernación(メキシコ内務省)外国人登録および送還報告より。 8 1990 年に創設された、米墨国境地域における犯罪の犠牲者となった移民(メキシコ人も含む)への支 援組織をその起源にもつ。 車するともわからない「野獣」たちの動きを頼りに、線路脇で、あるいは車両の天蓋で中 米移民たちは「移動の生」を生きる。彼らにとってメキシコとは、「南」と「北」を結ぶ 冷酷な鉄の軌道を軸に延伸された空間として、まずもって意識されているだろう。  一方で、こうした連結路を分断するようにして、メキシコ全土には上述した入国管理局 のチェックポイントが配置されている(図 3)。中米移民をテーマにしたドキュメンタリー

La Bestia (2011 年、Pedro Ultreras 監督)のなかで、チアパス州タパチュラにおいて移

民支援施設を運営する Flor María Rigoni 神父は、その様子を「まるで、あばただらけのこ どもの顔だ」と形容する。また、街道や線路沿いには随時臨検所がもうけられ、移民たち を待ち受ける。密林地帯を陸路で、あるいはタイヤチューブを使った筏で河川を越えてメ キシコに入国した彼らは、その後もこうした「罠網」を回避しながらの移動を余儀なくさ れるのだ。  「北」へ向かう移民の流れは、こうした無数の阻害物によってさらに細かい迂回路へと 分岐してゆく。それは、トラックの狭苦しいコンテナに潜んでの、あるいは犯罪組織が跋 扈する「暴力の空間」や無人の荒野を通っての徒歩移動によって達成される。とりわけ、 2014 年以降の Plan Frontera Sur 6 実施によって、メキシコ南部国境地域での移民取り

締まりが再編・強化された。実際、INM によって強制送還された移民の数は次のとおり であるが7、2014 年以降確実に取り締まりが強化されていることが見て取れる; 2013 年 -80,902 人、2014 年 -107,814 人、2015 年 -181,163 人、2016 年 -136,420 人(1 月∼ 11 月・ 暫定値)。ちなみに、2016 年のこのデータのうち中米(グアテマラ、ホンジュラス、エル サルバドル)出身者は実に 132,562 人にのぼる。そのうち女性は約 25%であり、また未成 年者(17 歳未満)は約 22%を占める(さらにその 4 割が 0 歳から 11 歳の幼児・児童)。  こうした対策により、La Bestiaへのアクセスはより困難なものとなりつつあり、また、

MarasやZetas といった犯罪グループによる襲撃(彼らはこれをcobro del impuesto「税の 取り立て」と呼ぶ)を避けるため、移民たちのたどる迂回路はさらに細分化され、より多 様で見えにくいものへと変化したと指摘されている。

 タマウリパス州における上述の集団殺害事件をきっかけに、メキシコにおける移民たち の窮状が世界的に知られるようになり、また中南米各国首脳からも非難や対応要請が寄せ られるようになってから、メキシコ当局も一方では柔軟な方針を打ち出したかのように見 える。たとえば、2011 年には INM が統括する人道支援機関 Grupo Beta (「ベータ・グ ループ」)8が再編・組織され、メキシコ南部および北部諸州に 22 のユニットが配備され

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247 人々への人道支援(水・食料の配給、情報提供、救急医療活動、失踪者の捜索など)を行 うことにあるとされる(移民法第 71 条)。とりわけ近年では移民のなかで女性や未成年者 が増加しつあることはすでに指摘したが、人権侵害の対象となりやすいこうした人々の保 護や救援にベータ・グループは一定の成果をあげている。  だが一方で、結局のところ不法移民摘発を目的とする入国管理局によって管轄されてい るために、救援対象者の所在地や情報を INM 当局に通報する、あるいは結果的に INM 収容施設への入所を誘導する、といった、所定の目的や業務形態からは逸脱した事例もし ばしば報道されている。移民を待ち受ける罠網は、このように「飴と鞭」の両面に及んで いるわけである。 図 2 貨物列車を利用してのメキシコ国内移動経路概略(筆者作成) 図 3 INM の主なチェックポイント(筆者作成)

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248 2-3 支援と変容の空間  さて、こうした移動と迂回、暴力と陥穽に満ちた空間には、さらにもう一つの層が重ね 書きされている。移民たちの流れに寄り添うようにして、メキシコ全土にはおよそ 70 の 移民避難所や無料宿泊所といった移民支援施設のネットワークが存在する(写真 1)。キ リスト教組織や NPO・NGO などによって運営されるこれらの拠点において、彼らは数 日間の休養と当座の食料や衣料・医薬品の提供を受けることができる。また物質的な支援 だけでなく、移動経路に関する最新の情報や各地の支援施設・組織に関する資料も手に入 れることも可能だ。そしてなによりも、目的を同じくする者たちと過ごすことにより、 「北」を目指す大きな潮流のなかに含みこまれた共同的・集合的な存在として、自らを位 置づけ直すことができるわけである。こうして出会った仲間たちと新たにグループを組 み、より安全な移動を期待して集団での行動に入る者や、予定していたルートを変更して 歩みを進める者も多い。もちろん前述の集団殺害事件が示すように、それは必ずしも所期 の効果を保証するものとは限らないのだが。  移民支援施設での経験は、一方で当初のプランを大幅に変更する契機ともなりうる。こ の点については第 4 章においてより詳しく記述するが、過酷な旅を続けるよりもむしろ、 こうした組織の支援を受けつつメキシコ国内における居住や就労を選択する者が増加しつ つあるのだ。あるいは、米国移住を断念するわけではないが、状況が好転するまでさしあ たりはメキシコでの生活を続けようとする者もいる。人々はこのネットワークを経由する ことで、「移動し続ける者」と「滞留する者」の二者へと次第に析出されてゆくのである。 写真 1 貨物鉄道路線と移民支援施設配置図 チアパス州・パレンケ El Caminante 内壁画。 白いラベルには各地の支援施設の情報が書き込まれている。(2016 年 8 月・筆者撮影)

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249  またここは、マジョリティ/ホストとしてのメキシコ人たち自身にも生成変化を促す場 でもある。移民たちに対する周辺住民の態度は必ずしも好意的なものばかりとは限らない が、市民による食料や衣服、建設資材の継続的な提供・寄付や協力によってこうした施設 は成り立っている。不可視化され匿名化されていた移民たちを、顔と名前を持った存在と して認知してゆくための実践が、ここでは生起している。またそれは、「いつか移住せざ るをえないかもしれないわれわれ」と移民たちとを、地続きの存在としてとらえ直す、気 づきのプロセスでもあるだろう。この変化を最もよく体現しているのが、ベラクルス州に て移民支援活動を続けるラス・パトロナス (Las Patronas) の女性たちだ。 ラス ・ パトロナスを始めたときには、みんなにずいぶんと後ろ指をさされたわ。 「不良ども (delincuentes) に食事を与えるなんて」「あんな奴らを招き入れるなんて 物騒なことを」「気は確かか? 狂ってる!」ってね。 でも私たちの村からだって、大勢が移民していった。向こうで家族を持った人もい る。そんな人たちに、一本の水も、一口の食べ物も、誰も与えてくれなかったとした ら悲しいじゃない? なのに、私たちにはなにも見えていなかった。それか、(中米移民たちを)見ても、 ただ「おお、可哀想な若者たち、神様どうかお守りください」と言うだけ。これまで は、それでおしまい。 ノルマ・ロメロ9  ラ・パトロナ村に住む女性・主婦たちを 中心とするこのグループは、1990 年代後 半より村はずれの線路を貨物列車に乗って 通過する移民たちに、食料や日用品を手渡 しする活動を続けている。列車が通過する ほんの数秒間の邂逅ではあるが、移民たち にとって彼女らはまさにLas Patronas(「守 護聖女たち」)として映っただろう。また 彼女たちは、La Bestia を降りて移動する ことを選んだ者たちなどを対象に簡易無料 食堂も運営している。一般のメキシコ市民 によるこうした食料・物資提供拠点は他に も存在し、移民と地域住民を結びつけるた めの貴重な場であり続けている。  人々は、社会的な諸関係や経路が幾重に 9 活動開始時からの中心的メンバー。スペイン公共放送(RTVE)作成のドキュメンタリー番組 El paso de La Bestia (2016 年)から。 写真 2 La72 (4 章参照 ) における食事提供 (2013 年 12 月・筆者撮影 )

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250 も上書きされることで構成されるこの縦深国境地帯を通過しながら、遅滞と暴力、そして また出会いや援助に繰り返し遭遇し、その都度移動者として生きる自らの主体を再構築し てゆく。それは国家の思惑から逸脱するだけでなく、そこを通過する者や彼らを受け入れ る者たち自身にとっても予期しえない、意図せざる相互変容という局面を伴いながら不断 に進展している。  またメキシコ社会にとっても、そうした人々は大規模な移民という社会的潮流に呑み込 まれつつある「われわれ」の、ありえたかもしれない/ありうる自画像として次第に認知 されるようになっている。2013 年、「北」を目指す移動の過程で行方不明 (desaparecidos) となった連れ合いを求め、43 人の中米移民の母や妻・恋人たちがメキシコ全土を行進 した。忘却と不可視化に抗し、愛する者のゆくえを探し続ける彼女たちのスローガンは

Todos Somos Migrantes (われわれはみな移民だ)であった。国を去った者だけではな

く、連れ合いを待ち望む者たちも、そして彼女たちの声が差し向けられているメキシコ人 たちさえも、みな潜在的な移民としての「われわれ」を構成してしまっているのだ。

3 「移住の生」を駆動するもの

去って行った者たちは、ここに残った者よりもずっと苦しいの。 そして、残った者は、戦うのよ。

Los que se van sufren más que los que se quedan y los que se quedan, luchan.

ぼくはアメリカには行きたくない。だけどここにいたら、殺される。でも、弟が 12 歳になるまでには戻ってくるって、そうママに約束したんだ。

Yo no quiero ir a los EE.UU, si me quedo me matan, pero voy a regresar por Ricardito antes de que cumpla los 12 años, se lo prometí a mi mamá

    映画 Voces Inocentes 10より 3-1 構造的暴力の前史  本章では、「北」へ向かう移動の潮流を駆動し続けるいくつかの要因について考察する。 すでに述べたように、アメリカ合衆国へ越境しようとする人の総数は近年減少しつつあ る。不法移民をめぐる米国内の環境変化と、米墨両国政府による取り締まり体制の強化な どがその理由であると思われるが、一方で中米各国から脱出する者の数はむしろ増加傾向 にあることも確認できる。こうした逆風に抗うように送り出される移民たちがおかれた構 造的位置について、特にホンジュラスの事例をとりあげながらまずは概観していきたい。 10 『イノセント・ボイス:12 歳の戦場』(2004 年 Luis Mandoki 監督)。1980 年代のエルサルバドル内戦

における子供たちや家族の絆をテーマにした映画。脚本を担当した Oscar Orlando Torres の幼少期の 実体験に基づいている。

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 1980 年代から 90 年代にかけて、内戦あるいは準内戦状態にある中米諸国を脱出し、米 国への亡命を希望する者の波がメキシコを直撃した(特にグアテマラ、エルサルバドル、 ニカラグア)。この事態に対応するため、Comisión Mexicana de Ayuda a Refugiados(メキ シコ難民支援委員会 COMAR)の設立が大統領令によって急遽宣言され、内務省・外務 省などが共同で運営にあたることとなった。こうした国外避難を生み出した内戦と社会的 暴力には、アメリカ合衆国が推進した中米政策、とりわけ低強度紛争(いわゆる「汚い戦 争」)戦略が大きく関わっていたことは言うまでもない。この政策が中米各国に残した社 会的分断とトラウマは、現在でも完全には癒やされてはいない。  2000 年代に入ると、内戦そのもののほとんどは和平プロセスを経て沈静化し、荒廃し た社会の再建が緊急の課題となった。だが、ここで新たに問題となったのは、貧困と治安 悪化である。2014 年のメキシコおよび中米諸国(コスタリカ、ベリーズを除く)の貧困 率(全国平均)は以下のようになっている [CEPAL 2015: 49]。  ホンジュラス:62.8%   グアテマラ:59.3%   メキシコ:53.2%  エルサルバドル:31.8%  ニカラグア:29.6%  さらに、ホンジュラスでは農村部における窮乏率(生存に必要な最低限の食料・物資が 入手できない者の割合)が 51.8%にまで達し、中南米のなかでも最低のレベルを記録して いる[CEPAL 2015: 49]。また、中米移民たちがさしあたり目指すメキシコにしたところ で、理想的な状態からはほど遠いことにも注意しなくてはならないだろう。  治安の状況についても見ておくなら、これもホンジュラスの事例が参考になるだろう。 2006 年に大統領に就任したマヌエル・セラヤは、従来の親米的な政策の見直しやベネズ エラのチャベス大統領が主導する新たな国際政治・経済ブロック ALBA11への参加表明 など、左派的な施策を打ち出していった。こうした姿勢は国内にも多くの反対派やサボ タージュ行為を生むこととなり、行政・経済活動の機能不全や治安の悪化が進展するよう になった。2009 年のクーデターによりセラヤ大統領が失脚すると状況は急激に悪化し、 2011 年には世界最悪レベルの、殺人件数 7,101 人(人口 10 万人あたり 86.5 人12)を記録 することになる。市民生活領域への軍の投入による地域の軍事化などの強圧的な手段13 よってやや状況は改善したとされるが、2010 年から 2015 年までの間に公式発表だけでも 37,440 人が殺人によって命を落としており、ホンジュラス第二の都市サン・ペドロ・スー

ラ(San Pedro la Sula)は依然として世界で最も危険な都市の一つであり続けている14

11 Alianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra América (「我らが米州諸人民のためのボリバル主義同 盟」)。アメリカ合衆国主導の自由貿易圏構想に対抗して結成された。略称の ALBA はスペイン語 で「夜明け」を意味する。

12 世界平均は 6.2 人。

13 2012 年から 2015 年 10 月までの間に、治安目的に 4 億ドルの予算が投入されている。2016 年 2 月 2 日付 BBC Mundo 紙 Cómo Honduras dejó de ser el país más violento del mundo ?

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252 この殺人件数は同国での死亡者数の実に 57%を占めており、また人口 10 万人あたりの殺 人件数で見てみると、2011 年の記録からは幾分改善されてはいるものの、2015 年におい ても依然として 56.7 人というきわめて厳しい暴力水準が継続している15  貧困と暴力は緊密に結びつきながら、社会の諸局面や個人の選択を規定している。暴力 は、ホンジュラスを麻薬密輸の中継地点として利用する麻薬カルテル (narcotraficantes) の存在によって担保されている。先の見えない貧困から脱出する一つの有効な手段が彼ら の一員として犯罪行為に手を染めることだ。そして、それをよしとしない者が取りうる数 少ない解決策の一つが、移民することなのだ。ただし悲劇的なことに、タマウリパス州で 殺害された前述の移民 72 人にとって、犯罪組織への一度目の拒否は自国からの脱出を、 二度目の拒否は自らの死を意味することになったわけであるが。  この意味において、ドラッグと移民とは犯罪組織の活動の二つの「産物」なのであり、 同じ「北」を目指して、重複したルートをたどって移動してゆくのである。また歴史的・ 社会的に構造化された暴力の状況は、エルサルバドルやグアテマラにおいても、またメキ シコにおいてさえ基本的な部分で共通している。 3-2 「移動の文化」と「暴力の文化」  以上の概観をもとに、やや異なった角度から状況を考察してみよう。人の国際移動を経 済指標や治安状況を説明変数とする単純な関数として説明する立場はもちろん採用しがた い。ある者は「アメリカには行きたくない。だけどここにいたら殺される」というジレン マを引き受け続けながら、またある者は「去って行った者たちは、ここに残った者よりも ずっと苦しい」と知りながら移動を選択し、そしてそうでない者たちは「ここに残った者 は、戦う」と宣言するのだ。  出て行くのか・残るのか、という選択肢が日常的な生の局面で特権的かつ中心的な位置 を占めてしまうこうした状況のことを、ここでは「移動の文化」(culture of transition)と 呼んでみたい。  その背景について考えてみる。まず、中米社会にも依然として存在し続ける都市と農村 の間の断絶は、よりよい生のために質的に異なる空間を移動してゆくことをほとんど当然 のものとして人々に強いてきた。また、内戦や近年の社会的暴力、また圧倒的な貧困のも とでは、生きることそれ自体のために移動の経験が都市・農村を問わずに蓄積されてき た。歴史的に、生活の基本的な部分に移住という要素が組み込まれ、またそれが実際にき わめて有効な生の選択肢の一つとして社会的に継承されてきたわけである。  さらに、移住者から本国に送金される仕送りの存在は、地域社会において共同体や親族 の構造そのものをも大きく変容させるほどのインパクトを持つようになっている[García Zamora & Orozco coord. 2009; Arias Cubas 2015]。家庭生活の改善や地域の発展のために は、もはや移民とその仕送りは必要不可欠なものとして構造化されつつある。その結果、

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253 親族関係や交友関係を契機とした移住連鎖 (chain migration) が多くの事例で観察されるよ うになっている。このように、親密なもの、ローカルなものの内部やその近傍に、人の国 際移動という要素がすでに抜きがたく入りこんでいるわけである。  これらの歴史的・社会的与件のもと、本来であれば多様であるはずの行為の選択肢が、 次第に整序されながら、「移動・移住」という軸へ向かって収斂してゆくのだ。経済や治 安を含む社会的な諸条件は、「移動の文化」という解釈軸を経由することではじめて、個 人や集団移動を規定する要因へと転化しうる。このプロセスを通して、自らの生へ向けら れた本来自由であったはずのまなざしは、おのずと「北」へと水路づけられてゆくことだ ろう。またそれは、2 章で述べたように、中米移民たちにとってメキシコを「鉄の軌道を 軸に延伸された空間」として意識する視座を与えることになる。  この「移動の文化」をある意味で担保しているのが、暴力であることも想起しやすいだ ろう。移民の波を生み出す中米諸国では、「正当な」手続きを経ずに、国家あるいはそれ 以外の主体による権力/暴力執行が容認・日常化されている状態が継続している。「死の 部隊」、「強制的失踪者desaparecidos forzosos」、権力濫用、自警団、私刑、Maras やZetas

といった犯罪組織名、これらの単語は中米における全般的な社会不安を彩っている。こう した状態は、かりに「暴力の文化」とでも呼びうるものだ。それは社会における錯綜した 予見不能な現象を、その内部におかれた人々に諦念をもって「理解」させるものである。  そして同時にそれは自らの暗さと恐怖によって、「移動の文化」により一層の輝きと希 望とを、逆説的な意味において備給し続けるものでもあるだろう。  2006 年にフェリペ ・ カルデロン大統領が就任してから激化した、いわゆる「麻薬戦争 (La guerra contra el narco) 」によって、大量の殺人と社会の機能不全が進展しているメキ シコにおいても、きわめて類似した「移動の文化」/「暴力の文化」の影響が明確に観察 しうることもここで述べておかなければなるまい。また、INM 局員の恣意的な法執行や 人権侵害も、こうした文脈のもとで理解可能である。メキシコを移動する移民たちは、そ うした社会における不安定要素の一つ、国内の治安を攪乱する「敵」として措定されてゆ くのである [García Aguilar 2011: 94]。また、当座の生活費を身につけながら移動する移民 たちは、犯罪グループはもちろん、一般のメキシコ市民による収奪や暴力にも曝され続け ている。こうして、不安定な法的身分は、移動の過程にある彼らを暴力の文化の末端へと (被害者として、あるいはその対抗的な行使者として)送りこむのである。  本節では、メキシコ・中米の経緯や状況をたどりながら、社会的な諸条件を移住行為へ と変換するプロセスに関する仮説を簡単に述べてみた。次章では、より具体的な事例もと りあげつつ、そうした視座を検証するための予備的な作業にとりくむ。

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4 移動し続ける者たちと滞留する者たち

4-1 移動と移動の狭間から

 第 2 章でも述べたように、2014 年のPlan Frontera Sur 実施以降、貨物列車La Bestia を 利用しての移動はより一層困難なものとなった。だが、彼らの移動の大きなうねりは依然 として上述の鉄道軌道に併行した流れとしてある。なぜなら、ほとんどの支援・避難施設 はこの経路に沿って設置されているからであり、また蓄積された移動の経験と狡知やそれ を提供する仲介業者たち (coyote あるいはpolleroと呼ばれる) のネットワークもやはり、 そこに配置されているからである。この意味で、移民の水路を分断し壅塞しようとするア メリカ合衆国 - メキシコ政府の企図は十全に達成されているとは言いがたい。「北」を目 指す者たちにとって、メキシコは依然として鉄の軌道を軸に延伸された領域としてそこに 存在し続けているわけである。  そうした移民たちを受け入れる施設の多くは、原則として滞在期限を 3 日と定めてい る。だが、素早い移動をつなぎ合わせて北を目指そうとするこの流れの近傍に、それとは 異なる「淀み」が生じていることも確かである。たとえば、グアテマラ国境にほど近いタ バスコ州・テノシケ (Tenosique) にある La 72 16は、移民たちがメキシコに入って最初 にたどり着く支援施設の一つだ。筆者は 2013 年 8 月、同所に 2 週間ほど滞在して調査を 行った。中米出身者を中心とする男女 100 名程度がここに逗留し、停車場から昼夜問わず に出発する貨物列車に乗り込むチャンスを待つ17  さて、そうした人々とは別に、明らかに異なる行動を取る者たちもいる。炊事や物品管 理を担当する男性たち、所在な げに日を過ごす女性たち、そし て、施設内を走り回る子供たち や幼児。そのほとんどは、すで に数週間から数ヶ月の間ここに 滞在し続けている。彼ら・彼女 らは、移動を続けることより も、さしあたりメキシコ国内で 生き延びることに賭けようとし ている者たちである。  「移動の文化」は、悲惨な現 状から逃れるための数少ない選 択肢として移民することを人々

16 正式名称は La 72: Hogar - Refugio Para Personas Migrantes 。1990 年代末から同教区のカトリック教会(フ

ランシスコ会)が中心となって運営している避難所。2010 年の移民 72 人殺害事件を受け、2011 年 4 月に 施設名を現在のものに変更した。

17 すでに述べたとおり、2014 年以降はこうした手段を選択することはより困難になっている。だが、現在も同 所に滞在して移動を続ける人々の数に衰えは見られないという。

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255 に強いるわけであるが、それは国を出てからの日常になんら具体的な保障や展望を与えて いるわけではない。故郷と同じ「暴力の文化」が蔓延するこのメキシコにあって、当初の 動機を維持し移動を反復してゆくための確たる根拠は、実はどこにもない。縦深国境地帯 はすでにその最前線において、滞留する人々、逡巡する人々を産出・漏出し続けているの である。  たとえば、同所にすでに 3 ヶ月以上滞在し、主に炊事を担当していた A(20 代後半・ エルサルバドル出身・男性)は、自身の現状を「ここを出て先に行くかどうかはまだわか らない。くにには戻る気はないけど、どうするか、考え中かな。もう少ししたら、ここを 出るかもしれないけど、わからない。ただ、ここにいれば誰かのためになれるし、友達も できたし…」と説明する。あるいは、ホンジュラスで小学校教員だったという女性(20 代半ば)は、母語であるスペイン語ではなく、あえて英語で次のように語る。「女性一人 でくにを出るなんて、ふつうじゃないわよね。これから一人で旅を続けるなんて、危険す ぎるし。それはわかってる。だけど、そうしなきゃならなかった。とにかく、ホンジュラ スを出なきゃならなかった。合衆国なんて行きたくないけど、あそこじゃ生きていけな い」。そして「まだ少し前にここに着いたばかりだし、これからどうするかはまた明日/ いずれ(mañana)考えればいいかな」と笑った。また、二人の息子(10 歳・11 歳)とと もにホンジュラスを出、数週間ここで日を送る女性(30 代)は、とりあえずここで友人 の到着を待っているという。「後のことは、彼が来てから相談する。できれば合衆国に入 りたい。だけど、子供たちもいることだし、どうなることやら。たぶんすごくたいへんよ ね…」。  こうした発言にみられるように、「ここではないどこか」への脱出という喫緊の目的を 達成してはじめて、「これから」が現実の課題として立ち現れる。「暴力の文化」において は、自らに強制された空間的桎梏を乗り越えることが、個人の時間意識に先行してしまっ ているわけである。  さて、こうした逡巡や熟慮を経て、留まることを選ぶ者たちの「戦略」は多様である18 警察・INM の手が及ばないある種のアジールとしての施設内で、積極的に管理運営業務 に関わることで自らの居場所を確保しようとする者(もちろん、これは管理者の恩情や 「お目溢し」によって例外的に可能となっているに過ぎない)。施設を出て、法的位置づ けがあいまいで不安定な日雇い労働に従事する者。そして、滞在許可や難民資格を得るた めの長い法的手続きに入る者。もちろん、そのどれをも選択せず、闇へと姿を消してゆか ねばならなかった者たち(desaparecidos )もいることだろう。北へ向かう移動の大きな 流れは、こうした多様な滞留や還流を生み出しながら進展しつつあるのだ。 18 こうした者たちのうち、とりわけ女性および性的少数者たちが選択する行為とその背景についてはきわめて 重要な問題であるが、これについては稿を改めて論じることにしたい。

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256 4-2 留まる者たちをめぐる法的状況  Casa Tochán は、メキシコシティ西部の庶民的な街区にある。80 年代にはグアテマラ からの難民を一時的に収容・支援する施設として機能していたこの場所には、ノーベル平 和賞受賞者であるキチェ系先住民女性リゴベルタ・メンチュウも滞在していたことがあ るという。90 年代以降はほとんど廃墟同然で放置されていたが、2011 年に諸人権団体が 合同で組織した「ロメロ大司教人権連帯委員会 (Comité de Solidaridad y Derechos Humanos

Monseñor Romero)」19が中心となって整備を行い、法的身分を求める主に中央アメリカか らの移民たちの支援・滞在施設として活動を開始した。筆者は 2016 年に二度にわたって 同所での調査を実施した。本節および次節ではそこで得られた知見をもとに、滞留する移 民たちの状況について概観する。   Tochán は、ナワトル語(Nahuatl)で「我らの家」を意味する。移動とは異なる手段 での脱出を模索する移民たちは、上述した支援施設などの紹介を受けてここに入所する。 定員は 14 人で男性限定、手続き完了までおよそ 3 ヶ月の間、生活に最低限必要なサービ スの提供(食事、衣服、医療など)を受けることができる。とはいえ、ほとんど常に定員 はオーバーしており、また多くの場合、法的処理は遅延し差し戻されるため、この滞在期 間はあくまで目安でしかない。  彼らが利用しようとする法的身分について簡単に説明しておく。2011 年に制定され、 2014 年に大幅に改正された「難民、補完的保護および政治的亡命に関する法(Ley sobre refugiados, protección complementaria y asilo político)」では、次のように規定されている。

第 13 条 難民とは本邦に滞在しかつ以下の条件に該当する全ての外国人を指す: I. 人種、信仰、国籍、ジェンダー、特定の社会集団への帰属、あるいは政治的信条の ために迫害を受ける正当なおそれがあり、国籍を有する国の外部にあって、その国の 庇護を受けることができない、あるいは上述の理由からそれを望まない者(後略)。 II. 暴力の拡大や外国の侵攻および内戦、大規模な人権侵害あるいは公共の秩序を大 幅に撹乱する諸事情により、自らの生命、安全および自由が脅かされたため、その出 身国を脱出した者。  また、この法によって難民とは認定されなかった者に対しても、救済措置として次の条 項が定められている。 第 2 条

VII. 補完的保護 (protección complementaria):本法に規定する難民としては認定され

19 オスカル・ロメロ (Óscar Arnulfo Romero y Galdámez) はエルサルバドル出身の神父。軍事政権による人権 侵害を告発し続けたが、サンサルバドル教区大司教であった 1980 年、ミサ執行中に参列者の目前で銃殺 された。

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257 ないものの、その生命が脅かされる、あるいは残酷で非人道的かつ非情な拷問、処遇 または刑罰に処される可能性のある他国への送還を行わなくてよいよう、内務省が与 える保護。  本法の基本原則は、対外的なイメージに配慮して; I. 送還を行わない II. 差別的待遇の禁止 III. 児童に特に配慮する IV. 家族の統合を尊重する V. 非正規入国の非処罰化 VI. 秘密の厳守 とされている。もちろん、2-2 で見たように毎年 10 万人以上が送還され、移民がしばし ば事実上の犯罪者として処遇されている現状は、この法の現実的な相貌を明らかにしてい るわけであるが。  また、「移民法(Ley de Migración)」52 条に基づき 2012 年に定められた「入国手続処 理大綱 (Lineamientos para trámites y procedimientos migratorios)」によって、上述手続きを 継続中の者や、メキシコ国内での犯罪被害者、単身未成年者(17 歳以下)などには緊急 の滞在許可である「人道的理由に基づくビザ(Visa por Razones Humanitarias)」を申請す ることが可能であるとされている。この有効期限は 1 年間であり事情によっては延長可能 であるが、支援関係者によると、成年の中米移民に対してはほとんどの場合、許可が下り ないとのことであった。  こうした手続きを管轄するのが、3-1 でも触れた「メキシコ難民支援委員会 (COMAR)」 である。最近の難民申請とその認定状況の概略を以下に示す20 20 COMARホームページより。 表 1 最近の難民申請とその認定状況の概略(COMAR 年次報告より筆者作成)

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258  米墨両国国境地域での取り締まり強化と並行するように、難民申請者が急増しているこ とがここからはっきり確認できる。また、このうちホンジュラス、エルサルバドル、グア テマラ出身者の占める割合はどの年も 9 割前後である。困難な移動を繰り返し、複数の支 援施設のネットワークを経由する過程で、アメリカ合衆国への入国ではなく、法的な身分 を確保しての生き延びという、さしあたりの可能性に賭けようとする者がこうして産出さ れつつあることがわかる。  規定によれば、申請に対する手続き開始から 45 就業日以内に結果が通知されることと なっている。だが、実際には数ヶ月経過しても全く進展・応答がないこともしばしばであ り、自らの申請の処理状況を知るためにも、移民たちは定期的に COMAR 窓口への訪問 を行わなくてはならない。手続きの過程は COMAR のホームページでも確認できること になっているが、筆者が調査中に確認しえた限りでは、何らかの情報が反映されているこ とはまれであった。  こうした手続きの遅滞が COMAR・政府の意図的なものであるかどうかはもちろん言 明できない。ただ、上記データの「手続完了者数」を見る限り、所定のプロセスを終えぬ まま再び不安定な法的立場に追い込まれている者が相当数存在することがわかる。上で確 認したとおり、難民申請のための入国だと(事後的にでも)申し立てている場合、非正規 滞在自体は処罰の対象とはならない。だが、こうした司法プロセスの外部におかれてしま えば、移民自身がよって立つ法的根拠はきわめて薄弱となってしまう。その場合、異議申 し立てや再申請という、より困難で望みの薄い手段を選択するか、あるいはそれまでに形 成された諸関係資本を活用しながら、さらなる非法状態を生きるしかない。  難民申請手続は国内 32 カ所に開設された INM の避難センター内においても進めるこ とができる。だが、事実上の収容所・拘置所であるこうした場において、滞在のための申 請を継続することはきわめて困難である。実際、劣悪な環境と過酷な待遇、そしていつ果 てるともしれぬ手続きと処理遅延の連鎖に絶望し、所内における自殺者が増加しているこ とが報告されている21  さて、司法プロセスという手段での生き延びを選択した彼らは、Casa Tochán で暮らし ながら、予想しうるリスクを分散するためにさらにいくつかの戦略を講じる。  最も一般的なのは、人間関係を利用しての就労である。彼らの多くは建築現場における 日雇労働や、飲食店における雑役といった、正式な雇用契約を必要としない労働に従事 し、週あたりおよそ 1,000 から 1,500 ペソの収入を得ている22。衣服や携帯電話、あるい は娯楽のためにさしあたりは必要とされるこうした労働であるが、ここで形成された雇用 主との関係は、申請手続きが遅滞あるいは却下された場合の生き延びに必要不可欠なもの となる。実際、比較的安定した雇用を確保した者のうち一部は、煩雑な手続を一時断念し メキシコ国内での下層労働者として生きる道を選択する。もちろんこの場合、施設に滞在 21 たとえば、2016 年 6 月 30 日付 Univisión Noticias 報道など。 22 1 ペソは調査時点でおよそ 6 円。また、法定最低賃金は一日約 80 ペソである。

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259 する権利は失われ、自分で住居を確保して生活してゆくことが求められる。だが、そうし た移民たちは筆者の滞在中にも頻繁に施設を訪れ、友人たちと歓談、あるいは仕事の斡旋 を行っている。このようにして生成・蓄積された関係・コネは、移民たちに共通の資本と して利用され、滞留する生のさらなる根拠となるわけである。  また、盛り場やパーティに積極的に顔を出し、メキシコ人との出会いを探し求める者も いる。あるホンジュラス人男性(20 代前半)は、ここでの最大の滞在目的を「カノジョ を探すこと。メキシコ人の。ホンジュラス人でなけりゃ、だれでもいい。でもまあ、難し いだろうけどね」と打ち明けた。恋愛は、それ自体が目的であると同時に、メキシコにお いて生き延びるための足がかり、方策としても意識されているのだ。だが一方で、人種主 義の根強く残存するメキシコにおいて、それが困難な方策であることもまた、確実に認識 されている。  もちろん、こうした試みが成功する保証はどこにもない。また、メキシコでの生活とい うオプションが、アメリカ合衆国への入国という当初の目的を完全に書き換えてしまうほ どの魅力を持っているわけでも、もちろんない。「まだ合衆国へ行く気はあるか」との筆 者の質問に対し、それをはっきりと否定した者はごくわずかだ。多くは一瞬口ごもり、あ るいは当惑したように笑いながら、「とりあえずは Por ahora」「まだいまは Todavía」「多

分 Tal vez」と語り始める。縦深国境地帯での生活と経験を通じ、彼らは「未決」の生を 送ることを、半ば強制的に選択させられているわけである。  Casa Tochán での支援を受けながらも、最終的には複数の申請を却下され続けた 20 歳の エルサルバドル人男性は雑談の場で皆にこう訴える。 メキシコで 2 年間、2 年間待ってこのありさまだぜ。La Bestiaにしがみついて 19 日 間、飲み食いしないで 4 日間歩いてきて、それでこの結果。これだけ待って、進展な し、展望なし(Sin avanza, sin perspectiva)、そればっかり。もう、帰りてえよ。なあ、 帰ろうぜ。こっちもむこうも、おんなじゴミ溜め(porquería)さ。  仲間とチェスを指しながら彼の語りを聞くともなく聞いていたもう一人のエルサルバ ドル人男性は、盤面の駒を進めつつぽつりとこうつぶやいた。「前進あるのみ、さ(Solo pádelante, va)」。

5 おわりに

 本稿では、中米諸国からアメリカ合衆国へと向かう強力な潮流の存在と、メキシコを覆 う独自の空間・社会配置によって、それが複雑に屈折させられている現状について論じ た。そうした流れは、いわゆる「アメリカンドリーム」という誘因によってではなく、む しろ緊密に絡み合いながら作用する「移動の文化」と「暴力の文化」によって駆動されて いるという仮説を示した。それは、出身国における厳然たる暴力状況からのなかば必然的 な帰結として生じた社会的行為であり、メキシコを北へ縦貫する磁場へと人々を投入す

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260 る。だが、この縦深国境地帯は、無数の迂回路や連結路、支援や逃散のネットワークや公 的・私的な分断線によって複雑に構造化されている。この空間をくぐり抜けながら、人々 は改めて移民として移動を続けることを決意し、あるいはそこに滞留しながら生きる可能 性を探るようになる。  この両者はもちろん、截然と区別されているわけではない。困難な旅を続けながら、ま たそこで出会う多様な主体との経験を交換しながらも、移動のすぐ隣には滞留の可能性が 寄り添い続けている。また、留まる者たちにとっても、かつての自分、あるいはありえた かもしれない自分としての移民たちの流れに接することで、その生はいつでも移動の相へ と再転換されうるものとして意識されている。  この状況は、即自的な存在としての国外移動者が、移動と停滞を繰り返すことによって 対自的な存在に変換されてゆく過程としても描くことができるだろう。また、アメリカ合 衆国入国という当初の「希望」が繰り返し遅延され修正・変更されるなかで、メキシコに おける「不法移民」というきわめて不安定な自分の意志と身体もまた、不断の検証や再編 成に曝されることになる。  彼らは無論、受動的な被害者や妄動的な群れではなく、また同時に自らの生を勝ち取る ロマン主義的な主体でもない。社会的・歴史的に編成された移民たちの背景に留意しなが ら、この縦深国境地帯における個別の行為連鎖に焦点すること。それは、そこに生きる彼 ら・彼女らの生活世界の構造化と相互変容の様態を理解するために不可欠の作業であろ う。 写真 4 Casa Tochán 内壁画(2016 年 8 月・筆者撮影)

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U.S. Customs and Border Protection ホームページ  https://www.cbp.gov/newsroom/media-resources/stats

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263 Mexico as a Frontier Zone In-depth :

An Essay on Spatial Formation and Social Relationships Surrounding Central American Migrants

Tasuku SASAKI

Keywords: Mexico, Central America, migration, violence, solidarity

The problem of undocumented migrants has been one of the biggest issues in contemporary society.

It causes profound social transformations not only in the countries that take in immigrants but also in the countries from which they are sent, as well (especially Mexico and Central America).

This essay utilizes fieldwork data to describe the existence of Central American immigrants and analyze various effects brought by the global movement of people. The situation of Central American migrants had not been given much attention in the past. However, their population has been on the rise recently and their victimization occurring through violence and marginalization in Mexico has come to light.

This paper analyzes their peculiar spatial organization and then discusses the problems of the culture of violence and the culture of transition .

Furthermore, this paper argues that the diverse experiences of migrants in Mexico have been dividing them into two groups? those who keep moving and those who choose to remain , while offering a detailed description of the circumstances surrounding both.

参照

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