25日(毎月l回25日発行)ISSN ogJg-4543
9
1
9
9
3
NO. 6
部落のいまを考える④ 失われた時を今 畑辺初代 ひろば⑥ こぺる刊行会 同和行政をどう 「見直すJ
ぺきなのか 熊 谷 亨f
被差別部落一千年史』に関する 岩波書店文庫編集部の見解 平田賢一 第四回 『こぺる』合評会から「差別は人間存在の根源にかかわる」とされながら、 状況は、いよいよ不透明の度を増しつつあるようにみ えます。なによりも紋切り型の物言いになれて、わが 身の内外に冴えない雰囲気が漂い、しなやかな発想が できなくなっていることに気づかぬわたし。そんな自 分を振り返り、差別・被差別関係を新たな視点でとら えかえす場として、交流会はもたれてきました。 今年も「自分以外の何者をも代表しない」ことを前提 に自由で閥達な議論ができたらと思っています。みな さんの参加を心からお待ちしております。 講 演/師岡佑行(京都部落史研究所所長) 「歴史が語りかけるもの」 日 程/9月4日出 14時 開 会 14時30分 講 演 16時 分 散 会 21時 懇 親 会 9月 5日(日) 9時 分 散 会 11時 全 体 会 12時 解 散
人間と差別をめく守って
Ni
i
ー四ーー圃 RI第
1
0
回 部 落 問 題 全 国 交 流 会
日 時/9月4日 出 午 後2時∼5日(日)正午 場 所/本願寺門徒会館(西本願寺の北側) 京都市下京区花屋町通り堀川西入る柿本町 ff075-361 4436 交 通/京都駅より市バス9・28・75系統 西本願寺前下車 費 用/8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) 4,000円(参加費のみ) 申込み/干603京都市北区小山下総町51 京都府部落解放センター3F 京 都 部 落 史 研 究 所 山 本 尚 友 ft075 415 1032 葉書か封書に住所・氏名(フリガナ付)・電話・宿泊の 有無を書いて、申し込んで下さい。 締 切 り /8月25日側 五条通 門徒会館 堀 l 通II.
.
西 本 願 寺 七条通 ーーーーーーーーーー 匡亙3
・各地で発行されたピラ・パン フなどを多数ご持参ください。 また第 1日目の夜には恒例の 懇親会を予定しています。各 地の名産・特産の持ち込み大 歓迎ですので、よろしく。 至京都南インター 九条通.
.
.
部 落 の い ま を 考 え る ④ はじめに
失われた時を今
畑辺初代
私は部落に関しては、もやもやした感情や揺れ動くイ メージを持っていて、それらを大切にしたいと考えてい る。たとえば同和推進校に勤めていた友人が、﹁やっと、 あの学校から出られてほっとしたわ。とってもやりにく い。生徒がたばこを吸っているのを見ても、、地区の生徒 だったら、注意したらだめなのよね。管理職や同和加配 の先生が飛んでくる。ふつうは﹃たばこを吸ってはいけ ない﹄とまず言って、それからそれぞれの生徒の家庭環 境などを尋ねて指導していくわけだけど、そういう指導 ) ができない。最初から、注意してはならないとされる生 徒がいるのだから、しんどかったわ﹂と語るとき、私は 途方にくれてしまう。 友人のもどかしさがよくわかるのだ。こんな特別な扱 いは、当の生徒が生きる自信を身につけていくうえでプ ラスにはならないと友人自身は思っているのに、無関与 ぶらねばならないのだもの、見えない壁の前で足踏みし ているようなしんどさだと思う。それに人聞は他者との 衝突・出会い、それらがもたらす内面的危機を克服し、 乗りこえつつ成長するものなのに、部落の生徒にはそう した機会自体が少なくなってしまわないかと気にもなる。 部落民というだけで、一部の先生が真綿でくるむように 1親切で、あとの先生は見て見ぬふりだとしたら、生徒自 身の自己イメージは貧困となり、社会的に生きることを 困難にしていくのではないか。 また、教師にとっても、集団でたばこを吸っている生 徒たちを見て、ある生徒には注意でき、ある生徒には注 意できないとしたら、それはほとんど指導を放棄するに 等しい。注意された生徒は自分に対する教師の指導だけ でなく、他の生徒に対するその教師の指導も見ている。 教師の注意の違いが、生徒の具体的状況によるものなら、 生徒たちは納得もし、かえって生徒相互の関係が深まつ t ていくことにもなろう。だが、注意の違いが、部落民で あるかどうかだけに因るなら、教師の指導はかえって生 徒相互の関係を歪めてしまい、﹁あいつと一緒にたばこ を吸っていたら、注意されないですむ﹂という状態にや がて移行したり、逆に、注意されない生徒に対して、嫉 妬を感じたり、無関心になっていく場合もあるのではな いか。熱心な教師であればあるほど、徒労感が蓄積して いくような気がするのだ。でも、だからといって、友人 が学校のそうした状況を変えていこうとしたら、大変な 苦労が要るだろうことも幾分かは推量できるのだ。 こんなふうにあれこれ想像してみるのだが、ほんとう のところはよくわからない。だから、﹁その学校に一度、 非常勤講師の希望でも出して行ってみょうかしら﹂とふ と思ったりする。友人の言っていることを疑っているわ けではないが、ほんとうに状況を変えていく可能性がな いものかとこだわっでしまう。な、ぜ、こだわるかといえ ば、状況に対する意見の違いがその場で表現されず、相 互確認の機会を喪失したまま、逆にあきらめが深まって いるように見えるからだ。友人は﹁何百年も差別を受け てきた人たちだもの、こういう過渡期もやむを得ないの かもしれない﹂と自分に言い聞かせてみたり、﹁地区の へ き ち 親からの支えがあれば、僻地配転を覚悟してでも教育委 員会に意見を言、つけれど、それもないものね。どうしょ うもない﹂と嘆いてみたりしながら、しかし、その学校 から出られたことに安堵しているのは確かなのだ︵これ もまた人間の自然な感情だ︶ b 関心を抱いているのに、 通路が見出せない、そんなもどかしさ。なにやら未消化 で不燃焼なオリのようなものが、部落と非部落の聞にし ん
L
んと積もってきて、改めて関係を見つめなおすこと がすでに遅いような状態が、ひろがっているのではない かという危倶さえちらつく。薄紙を一枚一枚はがしてい くような遅々とした歩みでいい、なんとか互いをへだて 2ている黒いオリをそれぞれの声をたよりにして掘りすす んでいけないものだろうか。 私がはじめて出会った部落民、その人の残した波紋 私には、部落が問題になるたびに、いつも心に浮かん でくるはるか遠い過去の経験がある。互いが、それぞれ の被害意識という甘酸っぱい殻の中に閉じこもり、そこ からしか相手を見ることができなかったために、かえり みるとチクリと煽く経験だ。 もう一一七年も昔、愛知県から大阪外大に入学して、半 年もたつた頃、私は九上級生の勧めによって、四年生の ある男性と交際を始めた。当時の外大生の中ではちょっ と目立つ同どの上品な人で、成績も抜群だった。﹁何故、 ドこの先輩、私と付き合いたいのかなあ﹂と半信半疑でい るうちに、ショッキングな出来事が起きた。 友だち数
λ
と、ある集会に参加するために街を歩いて いた時のことである。彼は、 f 友人と語らいながら十数 メートル先を歩き、私は同じ語科の友人と、彼女がくれ たベロベロキャンデーをなめながら、 f 最後尾を歩いてい た J ふと、先を歩いている彼が私の方をふりかえると、 あ っ と い う 聞 に 私 の 前 に 、 ゃ っ ー で き て 、 く わ え て い た 飴 の 榛をひっぱったのだ。飴は地面に落ち、 よ く食
べ 太 っ て し、 た が 苦 は なっ
て しミ な か っ た。
別 あっけにとられ て い る と 、 ﹁こんなものを食べるから太るんだ﹂ と い 、 っ 彼 の 声 が 聞 こ え た 。 ︵ 当 時 、 私は何でもおいしくって、 の こ と 、 つまり生きていること自体がやたら苦しくって、 容姿や体格のマイナス面は自分の眼中にさえ入らなかっ た ︶ 。 たったこれだけのこと。今なら、﹁いいじゃん、太っ ていても﹂と笑うかす﹁ああ、勿体ないなあ﹂とぐずぐ ず惑るか、どちらにしても当時ほどの衝撃にはならない だろう。−けれども、そのときの私は何も言えず、ただ走 然と立ちつくL
てじまったのだ。今にして思えば、未熟 の極みで、自分を叱り飛ばしたい気分にもなるが、起こ った事に圧倒されてしまったのだ。そして、その人に強 い嫌悪感を感じるようになってしまった。 けれど、もし、この事件につづくもう一つの出来事が なかったら、この事件そのものも記憶の彼方に消え去っ て い た に 違 い な い 。 もう一つの出来事というのは、﹁どうしても−話したい ことがある﹂と呼び出された私が、喫茶店でぞの人から、 3﹁僕は部落民なんや。そやから避けるんか?﹂と打ち明 けられ、たずねられた事だ。私は彼が部落民であること をこの時まで知らなかったし、そもそも﹁部落﹂という 言葉を、この日はじめて私は聞いたのである︵私はそれ までの学校教育の中で、江戸時代の身分としての械多・ 非人については教えられていたが、そうした身分が部落 という名で呼ばれ、現に存在じでいるという事実は知ら なかった︶。てっきり、あの飴の一件を謝ってもらえる と思ってついて行った私は、この彼の言葉に走然として しまった。﹁部落って、何なの?﹂と思わず聞き返し、 彼はいろいろと説明してくれたが、内容はまったく覚え ていない。そんなことより、わけのわからない切り札を 出して、自分のやったことをはぐらかしているように見 えて、よけいに苛立ちと失望を強くしたのだ。﹁あなた はずるい。嫌いです﹂と言い放ち、喫茶店から走り去っ た。以来、顔を合わせることもかたくなに拒みつづけた。 数カ月を経ずして、彼は大学を卒業していった。大手 の商社に入社したと人伝てに聞いた。自分の目の前から 彼がいなくなって、正直ほっとしたのだが、その後、 ﹁部落って何だろう?あんなくらいイメージでしか語 れないものだろうか?﹂ということが妙に気になりだし た。私の非難を封じこめ、逆にわけのわからないレッテ ルを貼った、その当の言葉である﹁部落﹂の意味を知り ね たいと思ったのだ。感情を摂じ曲げられた痛みと重たさ に引きずられるようにして、部落問題に関する書物をよ みあさり、いろいろな人に﹁部落って何なの?部落民 ってどんな人?﹂とたずねたりした。当時は﹁江戸幕府 によって部落はつくられた﹂という説がほとんどで、ま た﹁部落イコール貧困﹂という説明ばかりだったせいも あって、書物が描く部落民像と彼とが少しも重ならない ︵彼の家は代々医者で、経済的にも裕福に見えた︶。ます ま す わ か ら な く な っ た 。 部落差別の過酷な実例も知ったのだが、それらが彼の 語り口の暗さの十分な条件のようにはどうしても思えず、 ﹁私だって貧乏で障害者の弟がいるけど、ああいう時に、 ﹃私には障害者の弟がいるから、あなたは私を避ける の?﹄なんて、聞きはしない。部落って、貧困や障害者 の家族がいることよりも重たいことなのだろうか?﹂と 自分に引き寄せて考えてもみたが、疑問は消えなかった。 結婚差別が深刻だと読んで、﹁うちの親も部落民との交 際や結婚には反対するだろうか?﹂と推量して母にたず ねたりもしたが、﹁変なことを聞くねえ。その人の人間
いいに決まっている﹂と単純そのものの答 えにほっとしたり、失望したり。やがて、いくら自分の 周辺や自分の心の中を捜しても、﹁部落民だから避けた﹂ と彼から見倣される理由を発見できず、﹁彼は私のこと を何も知らなかったのマはないか。知りもしないのに、 ﹃部落民だから避けるのか﹄なんて、不当ないいがかり をつけたのだ。部落の外に住んでいる部落民って劣等感 が強くて女性差別意識が強いのかしら。それとも彼だけ なのかな﹂という疑念と怒りがむくむくと湧いてきた。 会いに行って抗議しようかと何回も思ったが、いまさら という気持ちもあり、自分の問題として心にじまいこん だ 。 今にして思うと、こうして語っている﹁事実﹂の全体 が、ずいぶん自分勝手な解釈かもしれない。はやいはな じが、彼が飴の榛をひっぱったのも、太っていた私を心 配するあまり、とっさに身体が動いてしまっただけかも しれない。だから、わたしがそのことによって彼を嫌い になったといくら言っても、彼はただポケッとするばか りだったのだ。また、﹁僕は部落民なんや。そやから避 けるんかっ・﹂とたずねたのも、私が急に避けはじめた理 由
C
見当がつかず、彼なりに捜しえた唯一の理由だった だけかもしれない。きっと彼は彼なりに、自分が部落民 であることを消化し、あの出来事すらすっかり忘れてい るだろう。でも、はっきりいえることは、彼との出会い と、出会いの残した波紋を自分なりに追求したこの私自 身が、﹁部落外に住む部落民は劣等感が強いかもしれな い﹂と最近まで想像していたことであり、部落に関する 多くの書物もこの想像の修正にはあまり役立たなかった ことだ。もちろん、一人を見て全体を判断する愚は知っ ているつもりだから、部落外に住む部落民に出会ったか らといって、マ﹂の人も劣等感が強いにちがいない﹂と か す 避けるほどではないが、ちりとて微かな疑いは最近まで た し か に 存 在 し た の だ 。 ところで、何故、﹁部落民一般﹂ではなく﹁部落外の 部落民﹂と限定していたかといえば、部落に住む部落民 は実際に会ったことがなく書物を通じて思い描いていた だけだからだ。書物に出てくる部落民はみなまぶしいほ ど輝いていて、彼とは異質に見えた。だから、﹁彼が劣 等感が強かったのは部落に住んでいなかったからだろ う﹂と、これまた勝手に想像したのだ。このようにして、 私は﹁部落に住む部落民イコール人閥解放の闘士、部落 外に住む部落民イコール劣等感の強い人﹂という偏った 5憶測を、多少の心地悪さを感じながらも、二
O
年ちかく 心に浮かべていたのである。 私事をだらだらと書いてすみません︵読んでくれてあ りがとう︶。何故、こんなことを書いたかというと、と の経験はたえず自分の脳裏にあって、部落解放運動への 疑問を生みつづけたからだ。運動の是非という次元では ない。運動とあの出来事とのつながりが見えないもどか しきを感じつづけてきたのだ。たとえば、私の所属する 真宗大谷派︵以後、教団と略す︶は﹁差別者の自覚﹂を 強調するが、あの出来事のなかで、私が差別者と自覚す ることがどういう意味を持つのか、いくら考えてもわか らない。そして、もしゃ、部落解放運動やそれに呼応す る団体のあたえる解放のイメージには、あの出来事に類 する経験への通路、すなわち出会いの唯一性を抽象的社 会イメージに還元しないでその場で聞くことへの通路が 欠落しているのではないかと疑ってきた。他者への回路 が拡がらないことは差別・被差別のどちらに身を置くに せよ、人間の不幸ではあるまいかとボンヤリとした疑問 を抱きながら、傍観してきた。差別の出立する契機であ り]同時に差別を超える契機ともなる、個と個の出会い の 場 を 簡 単 に 忘 れ た ぐ 一 な い の で あ る 。 さらにいえば、あの出会いは、彼はいっそう部落民と一 しての被差別意識に囚われ、私は女としての被差別意識一 に囚われる tという結果に終わったが、もし私が、彼の行一 為に対する抗議をまっとうに伝える力を持っていたら、一 新しい彼の顔を見出していたかもしれず、さすれば、彼一 の部落民の名のりやそれが私に与えた波紋も違っていた一 にちがいない。ふりかえって悔やむのは、この一点だ。一 そじて、この一点を喪失した場には、自分の生きがたさ一 あ ら か じ − ばかりに目を奪われ、他者への回路を予め閉ざしてい一 た自分が見える。自信も他者への信頼も欠落していた白一 分こそが問題であったと思うのだ ι 一 こうした自己閉塞を越えつつ、自己への信と他者への一 信頼が、一枚の布の縦糸と横糸のように、一λ
の人間の一 人生の内容として織りあげられていくことが、人間解放一 のほんとうの希望ではなかろうか。よく﹁部落民も部落一 差別という点では被差別者で、男性であるならば女性に一 対して差別者だし、韓国・朝鮮人に対しては民族差別者− だ﹂などということが、 J 教団で語られるが、﹁そんなに一 まで人聞を細分化せねばならぬのか﹂と悲しくなる。こ一 んな姿勢は、差別と平等についての呪文にひっかかって一 いるよ今に思うじ、差別の鎖をより重く複雑にからみ合一わせていく要素にもなるように思えてならない。大切な のは、被差別感を感じた者が当の相手に向かって、自ら の思いをていねいに伝えることができるかどうか、他者 ヘの尊敬を失うことなしにそうした努力を担えるかどう かなのではないか。そのとき、両者を隔てる黒いオリは か 私 U の人生の大切な内容に意味を変貌しはじめるので は な い か 。 過剰な敬意の背後にあるもの 私の所属する教団は、一九六七年の難波別院輪番差別 事件いらい十数回の糾弾を受け、糾弾を契機として、 、﹁教化基本条例﹂にも﹁僧侶、寺族および門徒は、同和 問題に関する正しい認識に基づき、その解決を自らの課 題とし、もって同信同朋の実をあげなければならない﹂ と定めている団体だ。この教団は、昨年三月末日迄の約 四カ月で﹁部落解放基本法﹂制定要求第二期署名を七三 万人余集めたが、その運動の実施ぶりは、署名運動のた めの教区臨時組長会の実施率一 O O パ ー セ ン ト 、 教 区 、 組、各寺院ごとの割りふりの決定、各単位ごとにグラフ を作成して到達度をはかるというかなり徹底
L
たもので あ っ た 。 ところで、この運動期間中、私は一 f O 本に近い電話を ,見知らぬ僧侶や坊守︵僧侶の妻︶から受けた。内容はい ずれも﹁署名には賛同出来ない︵あるいは、疑問が多す ぎる︶のだが、⋮署名に取り組まないと村八分︵僧侶社会 から排除されること。葬式などはたいてい複数の僧侶で 読経するので、排除は仕事にも影響する︶に会いそうだ。 どうしたらいいだろうか﹂というものだった。電話の主 は市役所や学校に勤めている兼職の僧侶ないしその妻で、 部落問題に平生から関心を持っている人が多かった。私 は別に教団内によく知られている人物ではないし、﹁基 本法﹂への態度を公表した覚えもない。自分も決めかね ているというのが正直なところだ。にちかかわらず、電 話番号まで捜してかけてきたのは﹁疑問があっても、う か つ に 言 っ た ら 何 と 一 一 一 口 わ れ る か わ か ら な い 。 畑 辺 さ ん な ら﹃南御堂﹄︵大谷派難波別院の機関紙︶に、教団の部 落問題への関わり方に批判的な意見を書いていたから、 話しができるかもしれない﹂と期待があってのことだ。 いわば、誰でもいいから自分の意見を開陳して話ーしあ ってみたかったというわけだ。異論を述べにくい状況が 推測できる。では、教団の方針に賛同して署名を集めた ?僧侶たちはどうかといえば、﹁こういう署名をはっきり わからないまますすめることに跨賭していたが、成立の 見込みなしと聞き、安心して集めることができた﹂とか、 ﹁﹃部落解放基本法という名称だけど、実質は人権基本 法﹂と言ったら、簡単に集まった﹂とか、﹁署名用紙を 回したら自然に集まった。寺が進めているということで、 あまり疑問も出なかった。説明しないで済んでほっとし ている﹂という声が実に多い。署名の正当性や必要性に ついて確信を持っている入は少数で、﹁あまり考えたく ない。どう考えていいのかわからない﹂という気持ちが、 多くの教団入の正直な本音のように窺えた。表向きの大 きな成果の裏に、﹁同和はしんどい﹂﹁何故、こういう事 をしなければならないのか﹂という疑問や疲れがたしか に広がっているように思う。そして、その原因の半ばは 教団の姿勢にあるのではないかと私は考えている。仲介 者がかえって壁になっているように思えて仕方がない。 なかでも問題だと思うのは、教団指導部による同盟・ 部落民の神格化とそこから生じる異見の封じ込めだ。 ﹁糾弾は如来の糾弾﹂とか﹁部落民による糾弾は人間性 の原理に目覚めた人々による人間覚醒の叫ぴ﹂とされ、 同盟批判や糾弾の疑問視はタブ!とされている。同盟や 糾弾への疑念を公式の席で口にしだ者一は、つるし上げら れる場合もあるが、多︽は、口にしたときの場の空気の 急な冷え込みと、けっ
L
て応答されないという事実をと おしてタブーに触れる。口にしない者は、口にした者を 急に包んだ空気を見て、タブーを知る。しかむ、不思議 なことに、あとになって、応答すべき立場にいながら応 答を避けた人々に、個人的にたずねてみると、﹁あんた の言うことはよくわかる。自分も本当はそう思ってい る﹂などの返事がかえってきたりもするのだ。公式の場 での絶対化と、日常の場での批判や陰口が並存している の だ 。 もともと、如来とか人間性の原理という言葉を相対的 他者、しかもある組織にまるごと適用することが奇妙な 現象であり、二通りの解釈を派生する事がらだ。少しで も真宗に触れた人間なら内﹁いつから教団は偶像崇拝に なったのだろう?﹂と驚くほどの言葉なのだ。何故なら、 ﹁完全に人間性の原理に目覚めた人間など、この世にい ないし、いなくていい。相互に生き難さの根にある我執 を指摘しあい、自覚を、つながしあえる関係ニそ大切。死 の寸前まで未完成が有り難い﹂というのが、在家仏教と しての真宗の立場だし、加えて戦前・戦中を通じて﹁天あ ら ひ と が み 皇は阿弥陀如来の化身である﹂︵これは現人神概念を仏 教に翻訳したものだが、それでも﹁天皇は如来だ﹂とま では言わなかったのに:::︶と語って自主規制・戦争協 力してきた歴史への苦い反省も公にされているので、多 くの人はこの言葉をどう受け取っていいのか迷うのだ。 ある門徒婦人は、﹁真宗門徒は﹃廃仏の天皇は二代と つづかぬ﹄と言い伝えてきたのに、部落民を如来と呼ぶ なんて、部落民を廃仏の座につけることじゃあないの。 教団は部落民に冷酷ね﹂と語ったが、こういう見方も可 能なほど∼この言葉は、意味深なのだ。だから、かえっ て日常の信のありようにようて、まったく異なる反応を 生み出す。﹁同盟の方針に沿って頑張れば、親驚のよう になれるかもしれない﹂という憧れを助長する場合もあ れば、逆に神格化の背後に同盟と教団の尋常ならざる関 係を感じて、足踏みする場合もある。 同盟・部落民の絶対化のもとに、過剰な依存も正当化 される。﹁私たち真宗大谷派が同盟と緊密な関わりをも っていることはまちがいありません。とりわけ難波別院 輪番差別事件に対する糾弾以降、私たち大谷派がひきお一 こしたいくつかの差別事件・事象に深ぐ関わって、教団 の差別性を糾してくれたのは、なによりも同盟でありま した。ここで強調したいのは、同盟に何か野心があって 糾弾がなされたのではないということであります。︵中 略︶私たちの解放運動の未熟さゆえに、同盟を中心とし た被差別者の解放運動の助力を必要とする現実があるこ とも忘れてはならないと思います﹂︵﹃部落解放基本法制 定要求第二期署名運動の総括﹂真宗大谷派同和推進本部 ﹃真宗﹄一九九三年五月号所収︶というわけだ。また事 実、差別に関する教団内の多くの意見対立が、﹁同盟に 報告できるように﹂﹁同盟に来てもらおうか﹂と﹁同盟 という権威﹂を強調することによって、やっと調整され て き た の で も あ る 。 いわば、﹁同盟という権威﹂は、教団内の不信や対立 を各々の個別性をみつめながら越えていく契機と
L
て で はなく、逆にいっそう内部の関係を歪める形で一時的な 秩序維持の道具として、教団に不可欠な存在になってい る よ う に さ え 見 受 け ら れ る 。 だ か ら 、 ﹁ 同 盟 と い う 権 威 ﹂ はいき への拝脆だけは、教団内左派から法主派まで超党派だ。 私は不思議でならなかった J まるで聖書のバベルの塔の 話 を ほ 、 つ ふ っ と さ せ る よ う な 光 景 が 現 出 す る の だ か ら 。 じ かL
W
彼らのことはさしあたりは置こう。善意もあろ うし、与えられた役割と一体化しているだけの場合もあ 9るだろうし、動機も多様だろうから。問題は、蚊帳の外 にいる者が、同盟や部落民の人格に触れる以前に、グ抑 圧するまなざし d を直観し、部落問題自体にうさんくさ さ を 感 じ る と い う 一 点 だ 。
﹁
偏
見
﹂
の封印は通路を閉ざしはしまいか ﹁何故、大谷派にいるだけで差別者と呼ばれなければ ならないのか﹂﹁部落問題に関わらない僧侶は反真宗的 とはひどい﹂﹁これ以上、あるべき人間像で強迫される のは嫌だ。自分に部落民の恋人や友人が出来てから J 部 落問題を考えたらいけないのかなあ。だってほんとうに わからないのだもの﹂。こんな声をよく聞く。部落問題 を自己抑圧の道具の位置から解放する事が先決だと思う。 今 ま で ﹁ 偏 見 ﹂ ー の レ ッ テ ル を 貼 っ て 封 印 し て き た も の に 、 ていねいに耳を傾けることが必要だ︵少なくとも、真宗 大谷派に闘しでは︶と思う。 はやいはなしが、﹁大谷派民属する者はみんな差別者 だ﹂というのも被差別者の﹁偏見﹂だと私は思う︵こう 、いう考えが必要な時期も勿論あっただろうが︶。この言 葉の裏には﹁あえて誤解でもかまわない。関係を絶対化 ノ 、 pり できればいい﹂というような聞い意志・被差別者の差別 者への絶望を感ずる。これでは人聞は覆い隠されてしま うのではないか。せめて一人一人を見て、﹁あなたはこ ういう点で差別者だ﹂と言って欲しいと心底願う。何故 なら、その時はじめて、部落民と非部落民が他ならぬ グあなたがとして真向かいになれるかもし か わ た し u と れ な い か ら 。 また、﹁部落問題に関わらない真宗の僧侶は反真宗的 活 動 を す 、 る 者 ﹂ f という考えもわからない。真宗を熟知し て発信しているかのごときこの言葉主の語られる真宗も 部落問題もわからない。真宗とは単に自分の煩悩を凝視 する方法ではない。自分の煩悩を凝視することだけで生 きられるようなら、親鷲は比叡山に止まったにちがいな い。また、部落問題とは単に政治の問題、すなわち一般的 規範をど、つつくるのかという次元だけの問題なのか。も っと多様な問題群ではなかろうか。単に封建遺制の問題 でもなければ、近代日本の問題でもない。それら一切が 多様な形をとって現在ただ今の人聞を規定し、人と人と を規定してくる深い呪縛性の問題でもある。罪は部落・ 非部落を包んで存在しているのだと思う。ならば、人間 の原点にたちかえる共通の努力を背負って立つしか、本- r 当に責任を来たすことにはならないと私は思う。 それゆえ、どこから部落問題に入ってもいいのではな いか。僧侶でも、政治的次元だけで関わる人がいてもい い
L
、まったく運動とじての部落問題に関わらない人も いてもいいはずだ。関わる関わらないを越えた次元の問 題、﹁今、自分は何を価値として生きでいるか﹂という 次元の問題としてとらえる視点も大切だ。だから、ある 固定じた枠の中でのみ部落問題と関わる事が真宗だと言 葉をもって責めるなら、それは真宗ではないと言わざる をえない。真宗とは政治でも道徳でもないのだから。ま た 、 4 帽ぬい他人に責任を負う義務。を課すことのできる 資格を持つ者は誰もいないし、いてはならない筈だ。人 は応答において生まれかつ死ぬものだから。 かくいう私、今年の三月、藤田敬一氏に誘われて、 = 尽 都 市 集 会 ︺ ︵ 同 盟 京 都 市 協 な ど が 主 催 ︶ に パ ネ ラ ! と ふ ︿ して参加じた。長い間に膨らんだ思い・相互確認の機会 を得ぬまま心にしまいこんでいた思いがいっぱいあった。 ﹁ 言 え ば 、 糾 弾 さ れ る か な ? ﹂ と も 思 っ た が 、 ﹁ そ れ で も 言おう﹂と決めた。教団の塀の中からだけ、部落民や同 盟を見て月あれこれ思い悩んでいるよりもましなように 感じたのだ。非難や批判を受ければ、そのときはもっと 直接的に、一ん一人の顔・人格を感得できる 01M 誰 で も 一 一 ない誰か d として差別者のレッテルを貼られているより一 も、、つんと生産的だと思ったのだ。あの昔の自己閉塞の一 上塗りをこれ以上つ事つけることだけはもう御免だった。一 長く運動に一生懸命関わってきた人には、耐え難い言一 葉だったにちがいない。それなのに、じっと聞いて下さ一 った。最後に、私は﹁出落問題にやみつきになりそう﹂一 と思わず口走っていた。自分の意見が肯定されたか、否一 定されたかは二の次だった o 長いあいだ酌めていた思い一 ︵偏見︶を語り、是非はともあれ受け止めてくれる人が一 いる。そのことで身体が解かれていくような悦びを感得/一 した。﹁偏見﹂を口に出して言える、受けとってくれる一 他者が今此処にいる。﹁偏見﹂を媒介にしたこの自他関一 係は、もう冷たい他人の関係ではない。教団の中からは一 見えない世界だった。こういう自他関係が聞かれること、一 それは﹁偏見﹂の内容がどうであれ、何と悦ばしいこと一 であろう。もしかしたら、﹁偏見﹂は人が出会っていく一 上 で 、 か け が え の な い 素 材 な の か も し れ な い 。 一 r こんなわけで、部落問題をよく知らない身もかえりみ一 ず、おもいっきり私見を述べてみた。書くとは恥をかく一 ことなり。非難も批判も歓迎です。どうかよろしく。一 11ひろば⑥
同和行政をどう
﹁
見
直
す
﹂
熊
谷
予− /’J この三月、京都市は﹁同和行政の見直し案﹂を発表し、 七月には﹁具体案﹂が明らかにされました。おもな内容 は、平成九年度をめどに個人施策事業を段階的に改定、 かっかそうよう 見直していくというものですが、どうも隔靴措淳の感を ぬぐえません。たしかに個人施策の見直しは必要ではあ りますが、あわせて論議しなくてはならない、京都市の 同和行政の課題があるように思えるのです。 京都市は、頓挫したとはいえ、大規模な住宅建設計画 を立案するなど戦前から同和事業︵全期間をこう呼ぶべ きかはわかりませんが︶に取り組んできた歴史をもって い ま す 占 オ l ルロマンスをきっかけとして予算も飛躍的 に伸び、﹁格差の是正﹂﹁低位性の克服﹂による実態の改 善が差別の解消をももたらすであろうと考えられ、事業 が す す め ら れ で き ま じ た 。 今日、部落の住環境、仕事、教育の状況は大幅に改善 さ れ て き た わ け で す が 、 ﹁ 格 差 の 是 正 ﹂ ﹁ 低 位 性 の 克 服 ﹂ と差別意識の解消が直結しなかったとい、つニともまた明 らかなところです J 一 思うに、これまで部落解放運動が行なってきた行政闘一 争は、基本的に部落民の生活擁護闘争であり、実施され一 てきた事業もそれを内容としてきました。﹁物取りに終− わってはならない﹂ということから、﹁差別糾弾闘争と一 生活擁護闘争の有機的結合﹂、あるいは﹁解放︵運動︶一 が目的、事業︵要求︶が手段﹂といった位置づけがされ一 てきましたけれども、経済闘争に過剰な意味付与をすべ一 き で は な い と わ た し は 思 い ま す 。 一 だからといって、これまでの同和事業が差別解消にど一 って無意味であったとか、﹁部落解放は物を取るための− のうが 能書きであった﹂などということではありません。かっ一 ての部落の実態からすれば、﹁やって当然﹂の事業であ一 ったのであり、それが二疋の成果をあげ、これから本格一 的に差別をなくすための取り組みが始められるべきなの− だと思います。救貧対策ではない、差別の解消そのもの一 をねらいとした運動、行政、そして一人ひとりの取り組−ぺ
き
な
の
か
12みが求められているのだと思います− 長い同和行政の歴史の中で、多くの人が努力を重ね、 たくさんのお金が投下されてきました。この五年間だけ で も 、 京 都 市 の 同 和 事 業 決 算 の 平 均 額 は 一 一 一
O
億円にも のぼっています。いろい万な問題があるにせよ、これが r 無駄金とは思いませんし、それなりの成果をあげている はずです。世界的にみても、差別問題やマイノリテイ対 策に関わって、住環境・教育・仕事等これだけの費用を 投入し、二疋の成果をあげたプロジェクトというのは少 な い の で は な い で し ょ 、 っ か 。 ところが、京都市が策定した﹁新京都市基本計画﹂に は、﹁人権の尊重﹂がその冒頭に掲げられ、﹁同和問題の 早期解決﹂が述べられています。けれども、﹁人権が尊 重される社会はよい社会である﹂と言っているだけで、 ↑同和行政が﹁二十世紀におけるまちづくりの総仕上げと 二十一世紀における新しい挑戦の基礎づくり﹂︵問計画 より︶の中でどのような役割を果たしてきたのか、いく の か 、 よ く わ か り ま せ ん 。 また、京都駅の改築にともなう駅ピルの﹁高一さ﹂をめ ぐる論争がいまも続いています。しかし、京都駅に隣接 する七条部落の将来がその論議の中で語られるのを聞い たことがありません。こうした事態こそが、これまでの 同和行政の基本的な欠陥であると思うのです。 最後に、今後の京都市の同和行政の具体的な課題です J が、わたしは住宅の建て替え| l それが次なるまちづく りであろうと思っています。 京都市の部落、特に北部は、住宅地区改良法を用いた 全面改良方式で環境改善が進められてきました。初期に 建設された改良住宅は、これから続々と建て替えの時期 を迎えていきます。部落内居住者 H 改良住宅居住者と言 ってもいい部落もあり、いずれにせよなんらかの行政的 な手だてをとらなくてはなりません。これを機会に、こ れまでの﹁安かろう、悪かろう﹂から、同和事業の成果 としての広範な所得階層の形成に見合った、高品質な住 宅を供給することをめざすべきだろうと思います。︵例 えばこれを同和事業などと言わず、二一世紀の住宅建設 モ デ ル 事 業 と 位 置 づ け て も い い と 思 、 つ の で す が ︶ そのためには真の意味での住民主導の論議を部落の中 で起こし︵そのとっかかりをつくるのは行政の役目でも ある︶、その中で住民自身が地区内施設や個人施策のあ り方についても論議していくべきだろうと思います。 わたし自身の問題意識で一言えば、その中で﹁差別とい う概念をいったんカツコにいれて部落を論ずる﹂ことが 可能になるのではと、考えています。 13﹃ 被 差 別 部 落 一 千 年 史 ﹄ に 関 す る
岩波書店文庫編集部の見解
平田賢
一 九 九 二 年 二 一 月 一 六 且 、 岩 波 書 店 か ら 発 行 さ れ た 岩 波 文 庫 ﹃ 被 差 別 部 落 一 千 年 史 ﹄ ︵ 高 橋 貞 樹 著 沖 浦 和 光 校 注 ︶ k に 関 し ま し て 、 本 誌 ﹁ ひ ろ ば ﹂ で は 創 刊 号 よ り 三 号 に か け て 、 師 岡 佑 行 さ ん の 問 題 提 起 に は じ ま っ た 沖 浦 和 光 さ ん と の 議 論 を 掲 載 し て き ま し た 。 師 向 さ ん の 反 論 の あ と 、 六 月 J に は 、 こ の 企 画 を 担 当 さ れ た 岩 波 書 店 文 庫 編 集 部 の 平 田 賢 一 さ ん に 、 編 集 部 と し て の ご 所 見 を お 願 い い た し ま し た が 、 こ の た び ご 返 事 を 裁 き ま し た の で 掲 載 さ せ て い た だ き ま す 。 こペる編集部御中 ﹃こぺる﹄誌上で三回にわたっで掲載されました、高 橋貞樹﹃被差別部落一千年史﹄︵岩波文庫︶のタイトル をめぐる師岡佑行、沖浦和光両先生の見解を拝読しまし た。この本の刊行を企画した岩波文庫編集部の担当者と しての所見をという貴編集部よりの要請がありましたの で、簡単に一言申し述べます。 14 この書物が、被差別部落や被差別民衆の歴史に関する 古典であり、水平運動史に大きい影響を及ぼしたことは、 誰もが認めるところです。L
かし、ニの書物は、ご承知 のように、初版発行直後に発禁にあって、それ以後極め て入手困難で、簡単には読めない状態でした。その意味 で、水平社結成七O
周年の今日、岩波文庫の一冊として 刊行され、広く読まれることになったのは、出版史のみ ならず社会的にも大きな意味があると考えております。一 岩波書店は、社全体の方針として、古典的著作や学術 書等を刊行する際、歴史的意義があ力、学術研究上で必 要と認めたものについては、いわゆる差別語もそれを避 けることなくそのまま掲載しています。しかじ、、同時に、 その差別語のもつ意味、その現代的解釈と学術的理解を 注記等で明示し、社ならびに編集部の立場を表明しできま
L
た。そのような観点から、今回﹃特殊部落一千年 史﹄という原題をもっ高橋貞樹の著作の出版にあたって も、編集部において当初より慎重な検討を重ねました。 本文中の﹁特殊部落﹂等のいわゆる差別語については、 前記の基準に拠って、注記を施すことにしました。しか し、タイトルについては本文と異なり注記をすることは もとよりできることではありません。広告で書名が大き く出ますが、その場合、 J この言葉の差別性が見過された ままひとり歩きしてしまう可能性があります。そのよう な事情を勘案し、その言葉自体が差別を助長することを 倶れて、今日一般的に用いられている﹁被差別部落﹂と いう言葉を用いて、﹃被差別部落一千年史﹂というタイ トルにして刊行するニとに決定しました。 原題のまま刊行するという考えにも一理ありますが、産
量
究
室
方色
を見 と
る\'時尋
問 の広過
か 去
に ぽ差 ら
別 び .ffi に想 現
を 在 も に つ おて け
、 る 差 一 別 般 を助長する側に立って用いられてきたことは、 やはり事 実として認めざるをえないとおもいます。 最後に、岩波文庫の表記について一言しておきたいと おもいます。岩波文庫は、古典を現代に普及するために 読みやすいテキストを提供することにつとめています。 その際、表記の変更はおこなっていますが、原文の削除 や改変等はおこなっておりません。 ﹃被差別部落一千年史﹄の﹁凡例﹂でもふれています ように、このような方針は本書にも適用されております。 すなわち、原本そのままの復刻ではなく、読みにくい漢 字をひらがなに改めたり、新たにふりがなを付したり、 送りがなを整理する等、読みやすくするための変更をお こなって、現代的普及版として出版したのであります。 以上簡単ですが編集部の見解を申し述べました。 一九九三年八月二日 岩波書店文庫編集部 平 田 賢 15第四回マ﹂ぺる﹄合評会から 過度な行政闘争依存型の部落解放 運動に対して、今日少なくない人々 から運動のあらたな展開・再生を求 める声が上がっている。この状況に 応えるように部落解放同盟はオ l ル ロマンス以降の行政闘争の成果と課 題を踏まえ、それを乗越える第三期 部落解放運動の課題︵反差別国際闘 争・対策事業依存の克服・自力自闘 等︶を提起した。同盟は第一期を差 別糾弾闘争主導型の時期、第二期を 行政闘争主導型の時期と位置付け、 さ き の 第 三 期 へ 繋 が る と 捉 え る 。 この時期区分が妥当か、否かの問 いを一時棚上げしても、第三期の部 落解放運動の在り方が問われている ことは紛れもない事実である。灘本 論丈はこの聞いへの思い切った問題 提 起 と し て 発 表 さ れ た 。 彼によれば、第三期の解放運動は もはや行政対策依存型の他力でなく、 部落民一人一人の自力こそが間われ ているとされる。さらに、﹁かつて の部落差別は、部落のもっさまざま なマイナスを理由にその行為をある 程度理屈づけしたり正当化すること が で き た ﹂ 、 が し か
L
二十数年にお よぶ対策事業の実施はこの﹁正当 化﹂の根拠を解消してしまった、と 見る。自力︵個々人の自覚︶こそ主 眼 と さ れ る 所 以 で あ る 。 ﹁若い人が、職場や地域で、結婚 で 差 別 に 直 面 し た と き に 陥 る 危 険 は 、 自分が被差別者であるというマイナ スのアイデンティティーに飲み込ま れ る と い う 危 険 で あ る ﹂ ﹁ し か じ 、 、第三期は、差別と向かい合った部落 民が、一人で勇気を奮い立たせなく ではならず、また相手のこころの内 部で部落がなんら差別するべき対象 でないことを了解させなくではなら ない﹂と部落民自身の課題が指摘さ れる。しかし、合評会︵七月三二 日 ︶ で は 灘 本 さ ん が 自 明 の ご と く 、 展開した自力・自覚を促される被差 別部落民の主体的力量︵主体的能力 の有無︶への疑問が提起された。部 落差別は今日部落民の主体的力量の ﹁弱さ﹂としてもあらわれているの ではないか、と。彼の答えはその力 をつけるのが第三期の解放運動の課 題 で あ る と 、 明 快 で あ る 。 が 何 故 、 第二期までの行政闘争で部落民にそ の力がつかなかったのか、部落差別 は何を部落民から奪ったのか、疑問 は っ き な い 。 ︵ 住 田 一 郎 ︶蜂のムサシ
前
川
む
一
︵
勝
彦
︶
大阪の万博時代
パンダ担いでかたき討ち
その男の耳に
﹁
蜂
の
ム
サ
シ
﹂
の
歌が聞こえてくる・
. .
拭いがたい差別意識に
迫ろうと試みた
小説七篇を収録
定 価 一 一0
5
円 ︵ 税 込 ︶ この作品集を推薦します。住井すゑ/寺本知/吉田明
お近くの書店でお申し込み下さい。お急きの方は、ジ ユ ン ク 堂 書 店 京 都 店 ま で 。 ︵ 刊 山 口 七 五 1 ニ 五 一 一 空 白 一 南 浦 ま で ︶ 干112東京都文京区小石川 2の24の7斉藤ビル1階 TEL 03 3818 9270柘植書房
鴨水記 マ蝉の声にいまひとつ元気 がなく、百日紅の花にも燃 え立つ勢いが感ぜられない のは、この曇天のせいでし ょうか。やはり炎天の夏空 が あ っ て の 風 情 か と : : : 。 そう思いつつ、暑さも厳し くなると、ついか暑い/\ H と不平がましくなってしま い ま す 。 マ今月のメイン論文は、す でにご推察いただけたこと と思いますが、真宗大谷派 の僧侶、畑辺初代さんにお 願いしました。畑辺さんは、 宇治田原で、智讃庵という 庵︵いおり︶を結んでいら っ し ゃ い ま す 。 ﹁ひろば﹂をこ執筆いた だいた熊谷︵くまがい︶亨 さんは、京都の隣保館にお 勤 め で す 。 岩波書店の平田さんから、 お願いしていたご見解を寄 せていただきましたので掲 載いたしました。 マ合評会は毎回、二十人余 の方々が出席して下さって います。今回も、読者の方 からの反論やご意見を募っ たら:::との感想が出され ました。ぜひご投稿をお願 いします。特に﹁ひろば﹂ は、自由で気軽な意見交換 の場として編集しておりま す。もちろんメイン論文で も 結 構 で す 。 マ皆様の、あちこちでのお 誘いがあってのことと思い ますが、購読者の方も増え ています。この七月末日で、 購読者の方、一一四三人、 一 二 二 O 部、寄せられまし た基金、六七五口、三一三七 万五千円です。ありがとう ご ざ い ま し た 。 ︵ 森 ︶ ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 九月二五日︵土︶ 午後二時より 守 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー j 第二会議室 団 O 七 五 | 四 一 五 | 一 O 三 O 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上Jレ四丁目鶴山町14阿件社 Tel. 075 256 1364 Fax 075 211 4870 定価300円(税込)・年間購静科4000円 郵 便 振 替 京 都 1-6141 第6号 1993年9月25日発行乙
べ
〈
マ
5
者 か ら H それは差別ではないか ’ とか H 差別の拡大 ・ 助長につ ながる H と指摘されても平然とし、 H 差別とはなにか 、 なぜ こ れ が 差 別 になるのか H と議論をたたかわせられる人はめったに いない。まして H ある言動が差別にあたるかどうかは 、 その痛 み を 知 っている被差別者にしかわからない 勺 差別する側に立っ てい る 者 に 、 被差別者の思いなどわかるはずがない 仰 といわれ て 、 なおかつ対話を試みようとする人はめずらしい﹂ 。 ︵ 本文よ り ︶ このような立場・資格が、差別 ・ 被 差 別 の双方から固定化 ・ 絶 対 化 されているとしかいいようがない現 実 は、実は 、 差 別 | 被 差 別 の隔絶 さ れた関係の反映ともいえる 。 い ま 、 大きく変貌を遂げつつある被差別部落の現実を直視し 、 既 成の 理 論や思想の枠組みそのものの検討を、自由な対話をと おしで積み重ねられてこそ、この隔絶された関係の蘇生への道 が開かれるのではないだろうか 。