KIMURA Toshimichi, Politics and Civility in theEarly Modern England

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KIMURA Toshimichi, Politics and Civility in the Early Modern England

白川, 俊介

日本学術振興会特別研究員

https://doi.org/10.15017/22991

出版情報:政治研究. 58, pp.181-183, 2011-03-31. 九州大学法学部政治研究室 バージョン:

権利関係:

(2)

木村俊道著

﹁文明の作法 i

初期近代イングランドにおける政治

と社交

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︿ ︾ 西 洋 史 ラ イ ブ ラ リ ー ⑩ と

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本書は︑﹁文明﹂とは何か︑あるいは﹁近代﹂とは何か︑と

いう壮大な荷いに答える一つの手掛かりとして︑政治思想史

の観点から︑初期近代イングランドにおける﹁文明の作法﹂

の系譜を究明しようとするものである︒

序章で精織に論じられているように︑著者によれば︑ヨー

ロッパにおける﹁文明﹂という一言葉の理解には︑ルネサンス

〉 ら

八役紀までの初期近代までとそれ以降では︑ある思想 史的な転換があるという︒初期近代の人々は︑﹁文明﹂を(近代以降に住まうわれわれがさも当然かのごとくそう考えるよう

に)

巳己

N即位︒ロとして理解していたのではない︒そうでは

なく︑当時の人々は文明という語として円守山口々を用いてい

たの であ る︒

門町三口々は︑﹁野蛮﹂や﹁粗野﹂と対置される意味を有する

が︑それだけではない︒人間の具体的な所作や振る舞いに大

いにかかわるものであり︑作法の洗練や礼儀正しさを意味す

るも ので ある

︒﹁ 礼節

﹂ ( n c c

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正﹂

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語的

)・

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( HU

山口 口巾 吋印 )な どと いう 語と 密接 に関 連し

︑必 ずし も

近代以降の円笠宮山氏︒ロを経験しない他の文明にも適用可能

な指様であった︒本書では︑これらの語棄などによって一不さ

れる作法の総称を﹁文明の作法﹂と呼んでいる︒重要なこと

にそれは︑﹁自由﹂や

‑181‑

といった抽象的原理ではなく︑

具体的な人間の生活世界に埋め込まれたものである︒つまり︑

丘三口々とは日々の入部の営為(社交)を支える文化資本やハ

ビトゥスであり︑他者との持続的な交際や共存を可能にする

﹁袈

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や﹁

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る︒

近代以前のヨーロッパにおいて︑そうした丘三口々は君主

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の 宮 廷や 文 明 社会 を 舞 台と し て 絶え 間 な く 洗練 さ れ

︑再 生 産 さ れ てい た

︒ ここ で 著 者は

︑ 初 期近 代 イ ン グラ ン ド を主 な 対 象 と し︑

︵ 一︶ 宮 廷の 政 治 学︑

︵ 二︶ 作 法 書の 世 界︵ 三

︶︑ 政 治 教 育 とし て の 大陸 旅 行

︑︵ 四

︶外 交 の 作法

︑︵ 五

︶ 文 明化 さ れ た 共 和国

︑︵ 六

︶ チ ェス タ ー フィ ー ル ドの

﹁ 世 界﹂

︑ とい う 六 つ の 主題 に 基 づい て

︑﹁ 文 明 の作 法

﹂の 歴 史 的な 展 開 を政 治 思 想 史 の立 場 か ら論 じ て いる

︒ 第 一章 で は

︑﹁ 文 明の 作 法

﹂を 涵 養す る﹁ 学校

﹂で あり

︑ そ れ を 発信 す る 場所 と し ての

﹁ 宮 廷﹂ の 思 想 史的 な 重 要性 が 強 調 さ れて い る

︒さ ら に

︑ル ネ サ ンス 期 の 宮 廷社 会 を 中心 に 育 ま れ た﹁ 文 明 の作 法

﹂ が︑ 一 八 世紀 に な る と︑ 新 た に﹁ 文 明 社 会

﹂︵civil society

︶ へと 拡 散

・継 承 さ れ たこ と が 指摘 さ れ る

︒ 第 二章 で は

︑﹁ 文 明の 作 法

﹂の 伝搬 と 普 及 にお い て﹁ 作 法書

︵courtesy book

︶が 果 たし た 役 割が 注 目 さ れる

︒ 特 にル ネ サ ン ス 期イ ン グ ラン ド は 辺境 の 後 進国 で あ っ たこ と か ら︑ 一 八 世 紀 にい た る まで

︑ イ タリ ア や フラ ン ス の 作法 書 が 絶え 間 な く 受 容さ れ て いた の で ある

︒ し かし な が ら︑

﹁ 実践 知

﹂と し て の﹁ 文 明 の作 法

﹂は 作 法 書 を 読 むだ け で は身 に 付 かな い

︒ そこ で

︑ 第 三章 で 注 目さ れ る の が

︑﹁ 文 明の 作 法

﹂を 理 解し 身 に つけ る 過 程と し て の﹁ 大 陸

旅 行

﹂︵grand tour

︶で ある

︒ヨ ー ロ ッ パの 宮 廷 や都 市 を 巡り

︑ 他 者 と交 際 す る大 陸 旅 行は

︑﹁ 文 明 の 作法

﹂の 身 体 的 な習 得 を 目 的 とし た 政 治エ リ ー ト教 育 の 総仕 上 げ の 過程 だ っ たの で あ る

︒ 第 四章 で は

︑﹁ 文 明の 作 法

﹂が 実践 さ れ る 場と し て の﹁ 外交

︵negotiation

︶に つ い て考 察 さ れて い る

︒ この 時 代 の外 交 の 舞 台 は宮 廷 社 会で あ り

︑そ こ で 展開 さ れ た﹁ 文 明 の作 法

﹂は

︑ 他 者 と共 存 し

︑ヨ ー ロ ッパ の 主 権国 家 秩 序 を維 持 す るた め に は 必 要な ツ ー ルだ っ た ので あ る

︒ 第 五章 で は

︑﹁ 文 明の 作 法

﹂と

﹁ 共 和 主義

﹂︵republicanism

︶ と の 相克 が 注 目さ れ る

︒そ の う えで

︑ ハ リ ント ン の

﹃オ シ ア ナ 共 和国

﹄ や ヴェ ネ ツ ィア 神 話 の再 解 釈 が なさ れ

︑ それ ら が 君 主 国の

﹁ 文 明の 作 法

﹂を 新 た に共 和 国 に 導入 し よ うと す る 試 み であ っ た 可能 性 が 指摘 さ れ る︒ 第 六章 で は

︑チ ェ ス ター フ ィ ール ド 伯 の 思想 史 的 な再 評 価 が 行 われ る

︒ 彼の

﹃ 息 子へ の 手 紙﹄ は

︑ 初 期近 代 ヨ ーロ ッ パ の 宮 廷を 発 信 源と す る

﹁文 明 の 作法

﹂ の 系 譜の 一 つ の集 大 成 と し て理 解 さ れう る

︒ とこ ろ が 彼は

︑ 多 く の批 判 と とも に

︑ 忘 却 され て い くこ と に なる

︒ こ こに 著 者 は

﹁文 明

﹂ の転 位 を 看 て 取る の で ある

︒ 終 章で 述 べ られ て い るよ う に

︑﹁ 文 明

﹂の 転 位と は

︑civility

⎜182⎜

(4)

として理解されていた文明から︑広三口N

目︒ ロへ と向 かう 動き

である︒著者によればそれを暗示するのが一八没紀末ごろの

﹁エ チケ ット

﹂( 伶片 山門 ちえ 芯) とい う諾 の登 場で ある

︒こ の語 の

登場は︑丘三口々という諾においては不可分であった﹁政治﹂

と﹁社交﹂の分断を合意し︑それによって︑いわば﹁作法﹂

という語棄をそぎ落としたものとして

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N

注目

︒ロ

とい

う詩

句も同時期に設場してくるわけである︒以降︑﹁文明の作法﹂

は後退し︑剥き出しの暴力や感情︑別議︑イデオロギー︑個

人と大衆が前聞に出てくるようになる︒そうであれば︑デモ

クラシーやナショナリズムへと向かう近代の思想史は単純な

進歩の歴史ではなく︑他者との共同生活を成立させる﹁文明

の作法﹂の喪失という一つの大きな逆説と矛盾を内に抱えて

いた︑と著者は論じる︒

183 

﹁文明の作法﹂の思想史は現代のデモクラシーやナショナリ

ズムが︑実は︑それらを支えるつの文明が擦なわれ︑忘却

される過程で新たに登場してきたことを︑われわれに語り伝

えてくれる︑という著者の結論は極めて示唆的であり︑本誕百

lま

や﹁文明﹂を考察する上で︑必読の書だと言えよ

(白

俊介

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