精神的孤獨に就いて

全文

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

精神的孤獨に就いて

ルネ・カナ 須川, 彌作

https://doi.org/10.15017/2557030

出版情報:文學研究. 20, pp.84-111, 1937-08-07. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

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この利己的な精紳的孤凋の形式は︑仙紀の兇の心に多かれ少かれ浸み込んだ︒人糞は感情の無力にして無限を抱擁す

るに至らざると共に︑想像力も薄弱にして新に夢の仙界ぞ作りなすことが出來ないのを知った︒ロマンチスム淀噸弄

した場合のフロペールはこの事涯をよく見てゐた︒人も知る如く︑この車れた人は雅猛なろ愉悪の念を有し︑特にロ

マンチスーョの人堂が誕術を犠牲にしてまで熱附を支持したこと︑即ち彼の陽氣な戯れに秘して︑﹁あらゆる砿類の

H﹂を称する﹈・国寓国騨日○目の下に藝術ぞ居った事淀許容しなかった﹂この善良なる巨人をして多くの眞理と噸

罵を云はしむるには︑命話をルネの血統をひくものの上にもって來れぱよい︒ミュッセが特に彼を激怒させた︑即ちそ

の書翰集はいかに巧に彼がミュッセの悪口をいってゐるかを我等に見せてくれる︒︵後の第五章参照︶・そしてこの故

に疑ひもなくポヴァリー夫人はファンタジオに似てゐるのであるワファンタジオの孤凋なるはその心を浪斐したためで

あり︑叉ポヴァリー夫人のはあ去りに室想に耽ったからである︒二人共念感受性及び想像力は一時は魂を昂揚させる

丈皐研究第二十粒 精紳的孤濁威に就いて

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須ル

川ネ

彌・

作力

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〆、

分庇盈

ドlIj

八四︵二二六四︶

1

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﹁母への手紙﹂︵一八五一年︶﹁居ない人掩の事は忘れ勝ちだと仰しやるが︑そんな事は何でもありません︑魂の交渉

といふものはそんなものです::古い共感のおかげで人燕は感怖の通じ合ふことを信じてゐ交すが︑そん巌事はあり

ません︒人糞は自分がその必要があれば感術が通じ合って按ひの手となるだらうと思ったりしました︒ところが︵今

は︶親しい人の耳にでも︑最早あなたの言葉は通じないとも稲します︒男から男へ︑女から女へ︑心から心へ何とい

ふ深い淵でせう!﹂そして叉﹁凡ての物は一つ一つ何れも無限のものです︒いとも小さい石と雌も人の思噸を惹きつ

けること︑恰も人が刺のことを老へるのと同様です︒二つの心臓を重ね合って鼓動させても︑そこには深淵があるの

です︒命も何もかもそこでは案しいのです︒魂は何も出來ません︒自身の寂奨も破ることが出來す︑ただ寂翼と共に

ゆくのみです︒沙漠の中に迷ひこんで如何ともならないのです.?︒:﹂︵﹁ある友へ﹂︑一八五二年︶︑そして又﹁私はど

精肺的孤濁感に就いて︵承前︶八五︵一三六笂︶

かもしれないが︑そのために不用意にも同じく激發されて起る無限の渇望を癒すに無力であるのがわかった時は既に晩かった︒ファンタジオは怖熱が蜻熱の上に崩れるのを感じ︑ポヴァリー夫人は彼女の夢が﹁傷つい燕の如く﹂に墜落してゆくのを見る︒心術は必ずしも感怖を更新州來ないであらうし︑想像力が新しい事を創るとも限らない︒とにかく魂を滿たすに急なれば︑魂の限界はすぐに見えて来る︒そして何れも正しく同じ称獅の孤柵である︒

次いでフロペールの小説は大鵬に於て︵作者の態度が︶非人僻的であるから︑明らかに人物の粘祁的孤凋は著者に

對しては何でもないし︑寧ろ鐙質考の女性や﹃感怖識育﹂の中のあのフレデリック・モローの如き落伍者の屈性とな

してゐる所から見て︑うぼベールがかかる感蜻を殆ど一顧もしなかったことが示されよう︒

その書翰集の到る所に左の如き文章がある︒ J1

1

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ヂ○○

文學研究第二十輯八六︵一三六六︺

こへゆくのだかわからないが︑果しのない寂奨の中を歩いてゆくやうです・・⁝・﹂︵﹁G・サンドヘ﹂︑一八七五年︺とも

云ってゐる︒かかる欺きの反響は﹃聖アントアンヌの誘惑﹄の中にもある︒この賑者は大きな宇宙の中に迷ってしま

ふ︒彼の感性︑智力︑心情も何にもならない︒凡てのものが彼の前ぞ通ってゆく︒いろいろの形や︑物が行進してゆ

くが︑Eれは人を啼す幻燈である︒アントアンヌの信仰する榊すらも︑他の祁変と共に消え失せる︒眞に残るものは

科學だけであるが︑科學は魂の深い所までは入ってゆかない︒我等の周嗣には堅涜な現寳はなくて︑永久の幻影であ

る︒だからアントァンヌは孤立した人であり︑だから︑彼は自然の中に融合し生きとし生けるものに将接に結び付き

度いと夢想するのである︒フロベールの孤渦は秤學的意味に於て宇宙と向ひ合ってゐる︑そしてこれは又同様に彼の

輕蔑するプルジュワと︐蕊術家の孤凋との對立である︒ファゲ氏は椎を﹁閉居してゐる文學僧︑但し少しく総猛な所あ

り﹂と評したのはうまい事孝云ったものである︒彼は人間を獅蔑してゐた︑そのために彼はその殻の中にもぐり込ん

でゐた︒然し輕蔑しながらも彼は人間から眼をはなすことが出來なかった︑即ち彼は人間の愚かしい意慾と苦慨を有

し︑叉同時に自己の孤稠の喜びと悲しみぞ有してゐたのである︒ただ彼は驚くべき群作能力か一持ってゐた︑一度︑響き

上けるべき作品に眼浄据ゑると︑彼は他人ほど人生の孤立が感じられなかったのである︒とはいへ︑彼のかかった

病︑郵術家のこの孤稠は︑他の人逹に哨感染していったのである︒故にこの鮎から見て彼は人類の珍らしい見本であ

註︵一︶﹁私は飛びたい︑泳ぎたい︑わめきたい︑吠えたい︒翼があるといいのだが::・・永い鼻があるといいのだが⁝・§・物

の奥底まで降りてゆきたい︑物そのものになりたい○﹂

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つ一︶ファゲ氏﹃フロベール噂﹄国四号①号版︒

ルコント・ド・リールは獅躍的︑特に宗識的孤凋をいひ表はした鮎に於て︑叉人類の一つの見本であるといへる︒

孤立はヴィ−−の作に於けるが如く︑ルコント・ド・リールの詩の根祇に幟はってゐる︒﹃夷狄詩喋﹄︵︲詞胃2町亀&ミ︑︑匂

一八五九年︶診作らしめたものと﹃魏命﹄瀞作らしめたものとは近い︒そし一L人堂が雨詩人の名を結びつけるのは理

曲のないことではない︒ルコント・ド・リールの︑生きる上に獣だとして︑苦捕に超然たらんとする意力の樋には︑

何かしら高くとまった所があり︑この熊度に類似のもの薪求めれば︑主づヴ4−−の傲慢に沈獄を守ったそれであら

う︒二人ともしっかりした魂孝有してゐたから︑生存の悲惨に面しても一極のあきらめ涕自ら作り得たし︑叉自尊心

が吸いので︑自らを苦痛よりも狸いものに老へようとしてゐたことはよく似てゐる︒多くの人が絶望の叫びをあげて

倒れる際に11而もこれはロマンチックの人が祷なした事であるが二人は信仰の動揺︑同感の破滅︑詩人の心に

巳が

とりて特に苦い日常生活の悶惑の裡庭ありながら努めて平然として心の激動を外に表はさなかった︒:・・・との鮎では︑

ルコント・ド・リールはヴィ−−より成功してゐるやうである︒とは瓢へ彼唾それだけ感性がないといふのではな

い︑彼の中には稀なる慨仙ぞ有する杼怖詩人があった︒ただ彼は悲歌を作るに街って︑好んで時の經過がその悲哀の

苦味の上に働きかけるのを侯って手話つけた︒そしてこれがヴィニーであると︑まだわなわなとして生共しい悲哀に

象徴の衣をやっと被らせて我等の前に供するに反し︑ルコント・ド・リールにあってはその苦悩も感受性のやさし

い︑目立たぬ動き位なものにしてしまふことが性交である︒

■L註︹一︶私は徒女といひ︑榊にとはいはい︒ルコント・ド・リールには又ロマンチスムの作家の傑作に見るが如き澱勵の永

精榊的孤猫感に就いて︵承前︶八七三二六七︶

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丈騒研究露二十韓八八つ三六八︶

い︑かなり波測のある一諏のリリスムもある︵呪︐い斌︑妃へのはげしき淵望︑脹鉦主義︶・⁝・・そんな例は一つならずあ

にがる︒然も其仙の鮎では︑差別ははっきりしてゐる・ルコント・ド・リールの悲欧は苦さ︑をののきといったものがない︒

彼はラマル|ラース風の孤凋︑流諦の地に恩寵も詩も知らぬ︑祁鞄殺すものである人問に交って生きる苦痛を知った︒

彼としては人川がその近くに刺を感じることの川來た仙界の初めの時代に戻り︑若き人間が若き宇宙の中に成長して

ゆくの海見たかったのである句彼は同映いが短い幻︑夢の雌もかなしい︑よいものであるエデン溌愛腓するカインであ

る︒彼の想像力は彼を失った樂閲の方へ辿れてゆき︑その蛾色︑美しさ瀞見せる︒そして彼の心がこの思ひ出にょつ

千・落ちつくと︑その孤凋も亦和らけられる︒この過去への復蹄が錨昂であらうとそれは問ふところではない︒昔のエ

デン︑今日の地上︑何れも夢の夢ではないか?.かくて流抽の歎きは︑喜悦の讃歌となり了り︑嘗て人糞が速き樂園

に對して有し得る限りの最もよき︑蛾も優しい忠ひ出となったのである︒

︵一︶おお︑イアヴェの卿よ︑エデンよ無上の樂鯛よ︑↓てこの前車の上にイヴは好んで座せり︑おお・イアヴェの判よ︑王

捺柵の下︑無心に眠る美

森の中に遊ぶ総よ︑雑よ 無心に眠る美

聖なる河よ︑叉︑靜け誉天上より

我等が許に下り來し汝︑妙遮る膣の天使よ 夕︑日輪のもやの中に泳ぐころその数しれぬ聖餐杯の中なる満き香りを彼女の方に吹琶送る○ おお生ける杳鯉なる汝こそ

しき獅子よ

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︑.尚かかる詩に於て︑エデンの撚濡は一脈の渚新の調を典ふるに力がある︒

人川は時を経てこの初めの時代のエデンぞ探し常てたらうか?.人間は妓早︑樂園には花たしく復蹄するとは信ぜ

られないやうにルコント・ド・リールには恩はれて来た︒械樋山のクリストの如く苦しみ悩む人が榊を求めて眼を上

げても何にもなら底いごルコント・ド・リールは榊糞は夢であり︑この夢によって人は永い間その孤猫を紛らして来

たと信ずる︒かくてその最後のもの︑股も愛されたナザレ人も他のものと同じくなりゆく︒苦しむ心の歎きに對して

ゆは︑叉信考の切なる所内に對しても天の高き所よりの答はない︒而して︑ヴィニーについで︑ルコント・ド・リール

は魂の宗教的孤凋為繰返して述べる︒

二旱 昌エ

ナザレ人よ︑﹁時﹂の挑むままに

精祁的孤猫感に就いて︵承前︶ ●■●①■●■●●■■■◆■●■r■■●●■b■■0■●口●P4缶B■g■●■◆旬自■■■●●g■申■■︒■●9町●■巳■■●■早口等■■■eF かくて二千載にして一の祁は淌耗せられたり︒而もその亥の中には何等生れ出づるもののうどめくを認めず︒未知の力を蟄感し︑

︵ご﹁人間の経り﹂oとの識の思想は非常に悲観的である︒アダムはあまりに苦しみ世の重みに堪へかねて死を希

ふ︒而して栗さんとする時に歯り︑彼は未來の後箭が叫ぶのを聞く

我等は汝の刑罰︑汝の血統なり︑我等は汝の刑罰︑汝の肌

吾はいま︑最後にあたり汝をたたふ︒

死せよ︑我等は生きん!

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八九︵一三六九︶

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我等が礎は問暗く︑好とて叉遼し︑

︿一︶いくばくの暖り泣きの孤天の下に失はれしととか

註へご﹁呪咀﹂・第六軍ルコント・ド・リールの三つの宗教的態度参照︒

この詩の中には確かにヴィ一Iに於けると同様に激しい絶望がある︒然るに詩人はその宗激的な悲惨浄他の苦悩と

︑同様︑努めて抑へようとしてゐる︒假令﹁狼の死﹂︵一八Ⅲ三年︶が﹁夜の冷き風﹂扇ミ︑.︒ミ幕奇ミミの中

の数行に寄與してゐるやうに見えるとしても︑叫び詫も放たで死にゆく傷つける狼のストイシスムは彼にだけのもの

ではない︒若し訴へることなしに苦しむのが大きな魂のなすことなら︑苦しまないことはそれに勝らら︒即ち絶鼈は

倣捜と同じく室しいものである︒ルコント・ド︒リールは永久なる室虚の諏學によって︑安心の地に到逹した︒次い

で彼の魂は歴史の示す所により︑祁糞がつぎつぎに現はれては消え︑その度毎に信考の心に悲惨.なる忠ひを起させる

のを見るにも馴れて來た︒彼はその苦悩に何等例外的なもののないのを理解し︐イエスをまづ耐のパンテオンの中に

敬共しく安澄して十字架上に於けるその犠牲ぞ讃へ︑次いで今は亡びた諸宗教の信者に同怖を寄せた︒

註︹ご我等は祁への熱燗を捨てたり!

・・・⁝今後は如何な為祁のために姿と墹を燃やすべきかり.

破壊せられしいづれの祭亜に祁純の酒を注ぐべきかソ.

文學研究第二十輯

現れざるものなるを︑待つ心のみ逸りておお︑ボールよ︲汝こそダマスの通にて雲よりほとばしる恩はい掘光に出向ひしなれ︑

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九○二一二七○︶

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汝の︑祁の雁に來りて鱒を吹まんとす︒ 1

精細的孤鎚感に就いて︵承前︶ Q一口云ふを止めよ︑天は耳を傾けず︑地は汝を恥悪す︑

膳されざれぱかくも涙を流して何するものぞ︑

死にあたりて︑血のしたたる口に︑刀を噛み︑

もの云はい傷つける痕の如くあれ︒

へ四︶力︑誇り︑絶望︑何れも庶榮ならぬはなし︒

︵﹁サタンの総り﹂︶

︵五︶汝は廻堂の痩骸の上 ︵一ロ無關心に滿たされし︑物に勅ぜぬ心を

己れに有する者は幸幅なるかなO⁝・・・

いのちはとの陰醗なる心の阿函にをののくも益なし︒:⁝

祁秘なる焔の群なす魂は 汝の來りて座せしは︑古の汝の同類の後をうけて赤き・水き毛をもち︑汝の純なる背き空の下なればなり︒ 鉛色の醜色をなし︑額に花を巻きて狂ひしサチュルヌ祭の群の飛びかかりその笑ひ雛もて汝︑卿の悩みを刺るを見聞をせん︒

︵﹁サン・ジルの峡︐こ

九一︵二二七こ

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︵﹁ナザレ人﹂︶

そしてルコント・ド・リールの自然に對しての孤凋をいはうとすると︑またヴィニーに戻らなければならない︒さ

にがりながら﹁リヤーヌの泉﹂奇罰ミきご向ヘミ︲莞届ミミ胃の中には﹁牧人の家﹂の中にと同じ感動.特に岡じ苦みを見

出さない︒ヴィ−−は自然孝雄悪する︒自然か我らを輕蔑するからである︒ルコント・ド・リールは自然の岬蔑を一

つの徒として受け容れてゐる︒﹁樫の賞は死し︑人は落ち・・・:.﹂と死に臨んでハロルドが云ってゐる︒呪って何にな

らうぞ?︑自らを慰め︑特に感歎のこゑを放つ方がより好い︒自然は無關心であるが︑美しい︒その鯉は閑却して︑

外形だけぞ讃へようc歴史家の態度を以て諸宗教を味はひ︑藝術家として自然を理解しなければならない⁝⁝ルコン

ト・ド・リールはこの無關心さをあ室り永くは呪ってゐられなかった︑その美しさに魅せられたからである︒自然は

いかに人を鞭蔑してゐるや弓に見えても︑彼はなほそれに敬意を表してゐる︒彼は自然が﹁匂ってゐる﹂とい2L歎

いたり︑その眼に向って﹁他の所へ脱線をすべて鱒ぜよ!﹂といふやうな人ではない︒彼は自然の美しさを刺聖なも

のとしてゐる0

やはらかい匂ひは潤された榊物から超ちのぼり

も︑宅私の心が話しかけた聖なる自然の方へゆく

丈畢研究第二十帆

かくてローマの樅力の誇らかなる時にも

耐ひにb叛ける批の捲りにも

人類の︑時と︑永遠のうちに泣く限り人類の︑時と︑永逮︵

汝は欺かざりしなり︒

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九二Q三七二︶

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彼は向然が苦しめる心に注ぎこむ意救しない静けさあるために自然を愛する︑それ故に壯寵なる森にあっても生き

ろ悲しみ今毎慰められないで死んだ人を泉の中に見つけて驚くのであるc

註へこおお満堂しき森よ︑原姑の流液さよ︑

満抑崎孤蝿感に就いて︵承前︶九三へ一三七一舌

註︹こ⁝⁝森は匂ひ商いその蔭に

何ものにも測れない一背樂を奏でながら

私には耳傾けず︑その砿闘心な光榮を課かに揺すった︑

人々が苦しみそのため妬んだりするのも知らないで︑

.⁝・・自然は人間の悲しみをあざ笑ふ・⁝︒.

︵﹁リヤーヌの泉﹂︶

つ一︶波以前には︑私は美しく梢に匂ってゐた

私は風の吹く室まに秘の髪の毛をすっかり任せてゐたO

︵﹁牧人の家﹂︶ ℃︑もも汝の岬々しい蔭の下︑︑微笑のためいきに︑明るい波の胴を州きながら休らふことの楽しさよ!没は髭ひもなく茂金なす海の津には生れなかった

︑︑︑︑そして汝は抑堂しい様柵の下には育たなかった

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人は﹁牧人の家﹂の結末にある夢を恩ひ出す︒詩人はその女の友を誘つ︾て車の家に乗らせ︑共に世界をめぐらぅと

する.﹁物いはい大きな國交が長く披がるであらう︒﹂彼はまたこの忘恩の大地にあった亡き人滝に共に思ひを走ら

せること溌その友に求める︑﹁⁝⁝我掩はすべてが暗い時に彼らのことを語り合はう︒﹂この鎭靜の夢︑ヴィニーが描

いたこの二重の夢︑これを宵現することになったのはルコント・ド・リールである︒彼はその眼の前に﹁鍬せる大き 私は敬ふ︑おお靜かな平和よ︑そして汝︑浦らかな思吹きょ︑また汝︑空と木左の枝から降って來たもの︑心の休息︑喜びと苦捕の忘却なるものよ︑私は敬皐︑おお我らの悩みには閉ざされた聖殿よ︒

ルコント︒ド︒リールはヴィ一一Iの一段と穂・かになったもののやうに私には見える︒彼が殆ど何も語らなかった

﹁愛﹂は措かう︒けれども﹁呪咀﹂さへミ鳶高宛は﹁撤瀧山﹂を恩はせ︑﹁リャーヌの泉﹂は﹁牧人の家﹂を恩はせ

る︒ルコント・ド・リールの比較的な靜かさは何に山米するのであらうか?.

註︵こ二三の作︑ぺ渇等ミミ琶角さ︑電尽︺奇雪辱肴︑言などの中に於ては例外︒これらの作については後に語ることがぁ

丈駆

おお歌を歌ふ木の紫を撫でる風よ︑

その喜べる波に光のたはむれ為泉よ︑

緑の丘に花さくエデンょ!

↑っぺ/○

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第二十恥九四︵二二七四︶

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な國糞﹂︑印度︑ギリシャ︑壯大なる熱帯︑雪のスカンヂナビヤなどの︑大きな景を拙げてみせる︒⁝;.そして特に彼

は︑死んだ人︑亡くなった民族︑印度人︑古代ギリシヤ人︑に忠ひをはせ︑彼らの生活︑彼らの魂に興味をもって彼

らの眠りをさまして歩いた︒⁝⁝少しの平靜が歴史及び歴史によって彼にもたらされる︒

高踏派の時代にあっても︑かかる猟澗の苦悩によって︑人だの魂がどれ程までに苦しめられたかを誰披立てるもの

は︑一八六九年に出た詩集﹃孤凋﹂尊尋へへへ胃であ︽︒︒かなり特殊な迦捕を除いて︑シュリーI・フリュドム氏のこれらす

ぺての小さ左詩は︑人間が苦しむ種共の孤獅を狩徴づけてゐる︑それは人間の感蝿と郡性との岐初のめざめに始まり.︑

﹁老年﹂国更慧匂鳥に至るものであるが︑詩人はこの老年から鍾靜を期待し︑またはこの上なき孤立として﹁臨経﹂

堅腎琶母を恐れてゐる・彼はあまりにも幼くて寄病舎に入れられ︐﹁沙洩の如・き寄宿舎の涯室に在って﹂母親の愛撫を

得られないために枕心下で畷り泣く子供達の悲しみを述べる︒又此の度は︑壯大な多のサロンの中︑或は豪寺な夏の別

莊に︑子供のないためっ主らなく日を逢ってゆく富める姉人の孤柵や︵﹁彼女等の一人足﹄s恥︑§﹄︶・三ィ

︑︑−−ズ﹂を恩はせる︑天才人の群衆中に在る悲哀や︵﹁海﹂奇↑鼠︑.叉は﹁人糞が遊竺毎節§ドョ︸員ミヘミ︶・I染陸と

理想への思慕及び一種しラ孟弓︲女瓜蔵る流諦山感怖︵﹁しるし﹂縁員電馬︶やl届夢を避現し得ずして︑向

上の努力をなすに拘らず常にプルジュワ生荊の凡脈なる伽に陥る藝術家の猟立︵﹁劫荊﹂b︽ミミミざらなどがごちやど ちやに出てゐる・確かに︐此のみじめさの或るものは少くとも我等の知るところである・にも拘らず︑之等の小詩は︑そ

︑もも︑︑︑︑の鋭き締祁分析と猫創なろ象徴とによって︑常に新しさを有してゐる︑例へぱ︑いはれなき喜びに突如として心滿たさ

仁がれて職ぴ︑この喜び去って俄に製ひ來ろ寂奨の苦き有様を描いてかくも繊細を極めたる詩人は他に之を見出し得ない︒

粘耐的孤猫感に就いて︵承前︶九五Q三七悪

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1白叫■■■■■■■■■■炉皿

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文學研究第二十郷

私は︑掴みやうのない蝿樵な魅〃の下

朗らかなる心をもって︑時折︑nがさ時折︑nがさ

註︵二﹁大きなる遁﹂︑﹁白賜﹂︑﹁ヴァルス﹂︑﹁地と森﹂○

つ一︺家語緬番をしてゐる私のあはれな乳母を

との名のなぎ星よ︑いづくより来る沙

恐らくは︑榔々としてさ迷ふ幸輻の

ある人の心に納るを︑拠って一脚間︑ との岬間的な喜びの光よ︑

︑︑人の日にはちらとしか見えぬ程に開く此の樂蜘ょ︑

通年の夜の中に心の底をいよいよ噛くなしてゆく

昔の曲をその口から極く低く

死に臨んだわたしの望みであると

云って下さい 捜しに行って下.さい

そして︑素朴で︑鮒測で︑

心を打つやさしい曲

ひ■ ●●凸■●●申●●9句

歌って群墓のが

我等が心の中に光ったのであらう︒

言葉蝋は少いながらも

九六へ二二七六︶

l︲#■■Ⅱ■■四■q日■■.jlIIIl71−1︐01I4111IlIIqIlllIj グダ

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女をこの仙に捜すに一生涯

註︵ご﹁湛放﹂︒ そして私はその祁母の歌を巻きながら

幼い日の方にゆくでせう

然しながら︑魂の祁秘なところをかく美しく処せてくれたけれど︑シュリーⅡプリュドム氏は︑後︑その・﹃室しき

愛怖﹄爵ミミ萄罵︑き・目●っ身が示す如く︑ここでは︑まだ︑特に懸愛の詩人である︒ルコント・ド・リールにあって

は︑孤立が繊愛から生じる慨み以外の動機から起って居るが︑﹁孤柵﹂の詩人にあっては︑婦人の極めて特姓な不

安.及び繊冴愛するうちに︑あらゆる心の孤凋の細かな記述があるのを感じられる︒即ち自分を愛してゐない人の事

を恩ひ切ることが川来ず︑たまたを愛してくれる人がゐても︑疲れのせゐか︑嫌悪の怖のためかで︑その方へ心が往

かなかったり︵﹁ソネット﹂等ミミ︶︑又は非術に熱烈な愛の後︐年が經つにつれ表面は薄ちついたやら蕨氣のする

ものの︑心の奥では常に昔の悲しみを泣いてゐたり︵﹃鋪乳石﹂僧自縛へ冬同ミ唇︶︑又は︑自分を愛してくれ式弓な

女をこの仙に捜すに一生涯卒愛ししかも見出し得なかったりするのである︒

私は愛する美しい人をあとに鏡して

緒祁的孤猟感に就いて︵承前︶

L

私達の心は一つに左

按女は趣の額に手を近いて 私連を二人だけ残しておいて下さい

乱壷の心は一つになるでせう

ふるへる調子で歌ふでせう

その時彼女は恐らく私を瀞に愛する

ただ一人の人でせう 昭可4古■咄■■JI︑IlrIj四日凸p

九七︵二二七七︑︶

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文畢研究第二十輯九八つ三七八︺

洗調に赴く人の身の上をなげく⁝⁝

されど︑そを思うて泣く愛人ももたぬ身は

服令︑その身敵幽にありとも︑醜に悲し︑

ああ︑日夜︑己が家の中に

なくてはかなはい愛する人を捜すととよ

屯︑麓は少くして︑孤独のみ多し

然り︑とれとそは雌悪の遡放︑祁叫に在っての魑放

⁝・・・生れし土地へのやさしき愛捕が

共に在らぬ人をいよいよ︑心になつかしきものたらしめ⁝⁝

この最後に梁けた孤澗︑その對象物を見出さぬ心の流訓は又︑この詩人によって我等の魂の捷として述べられて

ゐ︑その心理厄早くも愛の形而上學になり了ってゐる︒和似たる︑或は相理解する二つの心といふものはない︒愛は

時折︐打ちとけてもいいといふやうな希離を見せるが︑之は全くの幻影である︒といふのは︑愛人の何れもが︑早く

もlあまりに早くもlその澗立とその孤澗に復師すらではないか?.そして稚愛に就て眞なることは︑あらゆる

人術についても虞である︒魂か柑近つくことは決してない︒この哲學は﹁銀河﹂幹ミ母旧ミ證恥の中に見事なる象

徴として現はれてゐる︑即ち

星に︑私はある夜云った︑

﹁君等は幸娠さうでない﹂

■︲joJT冊1J10Ⅱ

(17)

註︵ご﹁遠く﹂b︑ご青.

私は彼女から蓮く生琶てゆく苦しみを受容する

⁝・・・私は望みなく彼女を愛する︑あたかも星を愛する人が︑

星は無限なるものに腕することを感じてゐながら︑愛する如くにC

この簸後の詩にはシュリーI・フリュドム氏の詩才の特異なものが見えてゐる︒星は明らかに孤澗な魂の象徴であるが

同時に︐そのもの自身として詩人の興味老ひいたのは︑星も亦魂であるからであ為︒非常にイデアリストである詩人

は︑彼を取りまくもの凡ての裡に魂を感ずる︒︵﹁古き家﹂母玲討ご蚤萄﹄罵身S圏参照︶︒かくて︑この時から︑この

滞榊的孤猟感に就いて︵承前︶九九︵三七九︶

君等の如く︑魂の一つ一つは︑近いやうに見える姉妹とは遠く錘き永速の孤猫なものにして︑夜の沈獣の裡に燃える︒

塁が云上に﹁我等はひと︐りである

我等の何れも︑君が近いと思って君が近いと思って

その所では見る人もない﹂

私は彼等に云った﹁わかつ

飛等は魂に似てゐるから︑ だから︑すっきりと︑愛らしい光も 1141句︲IlIIIlIjlIⅢ︲︲lIlr︲1111︲トーIIIlil

ゐる他の姉妹とは

111

I

(18)

丈畢研究第二十韓一○○︵二二・八○︶

生き生きした自然全僻は︑彼には孤凋に洲たされたもののやうに見えて來た︒彼はあらゆる者︑無生物にまで︑孤立■廿︑え

といふものを推し披けて行った︒尤も愛冊のある彼は無生物にも︑生命を與へてゐろが︒彼の心はヴィルギリウス風

である..⁝.

彼は﹃孤柵﹄の一つの中で︑人間は︑肉冊を結びつければ︑魂も結びつくものかしらと考へてみた.:・・・がそれすらも

彼にはつまらない夢想としか見えない︒母親は息子を接吻するが而も彼女にはっきり感じられるのは息子は生れ落ち

た時から熾親と離れて居り︑母の愛撫も息子を録に付けることにはならないことである︒二人の友は抱き合ふが︑そ

のために魂が一緒にはならないそして特に愛︑愛人の懇︑肉僻の愛は心孝近づけ合ふことが出來ない︒

固︽ぐCロm﹀で﹈白めロ︺巽壹①戸胃①巨〆①三ぐ○ぬ詐曾︺・門①︑言三砲口①匡﹃︑ 註へご親しぎ壁がその中に眠る

■ⅡⅡ■■ⅡⅡ0ⅡI4lIlIlⅡⅡⅡ111111■〃116︲IIlll 父なる魂のいぶきがいま尚その古きひだを動かす青琶光の中に︑魂の燃えゆくが︑ 叉大座蝦の幕にはこの故に︑古き家屋の焔にかける時︑燃木の 古き家屋の

夢みる人には感じられる︒ 残骸を

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■■■Ⅱ■■召いl80lIlIlIIj■■1Jq0jJⅡⅡⅡ■ⅡⅡ1日■DIIIU8I

(19)

註︲こ﹁愛撫﹂

眼の奥に︑無限の忠ひをとめるととがないc

︵琴照︑︺﹁肉体と魂﹂

粘祁的孤猫感に就いて︵承前︶ ︵前略︶ 宅臼︻Qの三戸四﹃B一QmQm醒一厨鼻色①皿島ご国どの唾ご盲めずの二①︑︾ショヘ昌訂皇5行ごこい臼昏烏8妙の目角叱八﹈⑦目①Eケーv

〆訓○mご同騨mmO胃昇岸扇いくP買昇Q︾湧く○頁戸圃か一かぐC的の︵の匡円︑

圃庁く○m原ぐH⑦︑ロ︾○冒弓ごロ凸匡①m①ず風毎戸①H①巨言①ユー⑦︑︒

友よ︑君等の抱擁も室しい︑

覗線を深く交し︑手を堅く握ること︑いづれも宴し︒

魂まで道は瓜直にひらけてゐず︑ お里女よ︑君がその腕に浴の最も純なるもののかたわれなる子供を抱きしめても何にもならない︒子供は子供であり︑恩を忘れた者である︑もはや君自身ではない︒そして.決して︑決して︑君の所へは戻らない︒君は子供を生んだ日に子供に訣れをつげてゐる︒

ああ︑心を挙中に納め得ず

1

6

一○一︵二二八こ

101

N刈呵4111

(20)

h

P 之等の句は︑ギー・ド・モーパッサンの小説の題僻にそのままならう︒これは正しく﹃モンⅡトリオール﹄や﹃ある一生﹄や﹃我等の心﹄の根抵をなす一種の糒祁的孤凋である︒

い主︑ここで小説家モーパッサンの一般的研究をしようといふのではない︒私は軍に︑彼が必ずしも好んで常に卑

事を語るがっしりした者ではなく︑叉その卑談の中に時折病的な︑不安なる肉感のあるを指摘してみたいと恩ふ︒

特に凡ての彼の小説の奥にある肉僻の愛は︑◆ソラ氏の得意の︑勝ち誇ってそれを自己のものとするのではない︒モー

・勺サンはシュリーlプリュドム氏が﹁愛撫﹂の中に示したのと正に同じき精祁的苦悩をそこに入れてゐる︒眞率な

る一致︑心地よく自己を投け出して信頼するものとされてゐる睡愛も︑彼には︑宿命的な孤立が︑對者を所有する際

にまで感ぜられて︑心の期待矛欺く︑常てに友らない祁秘の加くに見えろ︒かくして肉僻の愛は・彼の小説の中では 相交はるとと能はず︒ 互ひに親しきものたるを知りながら 曇りて透明ならざるその牢獄より 燃ゆる媚に似たり︒

さりながら︑憐れむべき魂よ︑

相鵬るるととなくして︑厚き燗厚き硝

文學研究

幸なるものよ︑胸︑血の通へそのときめきは︑開かれなむ

呼べど金なく

.11!︲︲︲↓︑︲111■■■■101UⅡ■■■■■︒一口︒0.−1■ロ■o1II11II1lIllll1lI︲1111l1lI1l妙︑J11111111・■■■■■■■■■日日■Ir

舘 二 十 斡

血の通へる胸

子の下にはげしく

一○二︵二二八二︶

lbI1I7lⅡ■且■■■■■Iq1lq■■■■I1I00qjq︲0011Ⅱ1︲

(21)

奇異な傾値を示してゐる︒即ち︑凡ゆる愛の苦悩は人がその愛する着の心まで入ってゆくことの州來ねのを︑征情に

もはっきり確かめさせられ・た結果であり︑一時の激昂によって生じ↑ル熱儒は︑早く肖簔へて激しい繩望となってしま

ふo志す所は一つの魂となh切ってしまふことであるが︑眼前に在るものは常に︑二つの見知らぬ人であった︒モー

︒今サンは唾食︑人生に於ける二つの魂の距りの遠さは︑天空に於ける﹁二つの星﹂の如しとなして居る︵﹁ある一

生﹄︶・要するに彼の小説中の彼の哲學は︑釉女簡蝿ではあるがかなり痛烈な所がある⁝;︒︵以下中略︶︒

そしてこれはまた﹃モンートリオjル﹄に於けるクリスチアーヌの苦しみである︒この震利的な金融業薪の芳妻は︑

夫瀞嫌ってはしないが︑愛しもせずにゐるらちに︑非常に利己的なポール・プレ|ろ↓−1某に遇って眞の熱情を知り

附す戸ゞ某はすぐに彼女矛総てる︒この某に遇ふまでクリスチアーヌは孤凋である︒彼女は人今婦愛し得るが︑その謬備

を持ってゆくべき人を見川さなかったからっ次に出す一節には優しくも悲しいところがある︑﹁クリスチァーメは森

の中で迷ったやうに︑泣きたくなってしまった︒彼女は手桶に肱をついた︒室氣妓清交しかつたつ大きくて叉︑虚し

い天には︑遠く月が︑ひとり淋しさうに︑いま︑夜の青味を帯びた高い所に上って︑木の葉の茂りや山交にそのつれ

ない光を注いでゐた︒あたりはどこも眠ってゐた・⁝・そしてこの淋しい天にぽついんとかかった光︑叉︑夜のしじま

の中にあてもなく聞えるこの弱い昔は彼女の心に非術な孤凋の感浄起さしめ︐彼女は経に畷h泣き川してしまった︒

彼女は恐ろしい病にかかった人のやうな苦悩と︑恐ろしさに冊の髄まで戦い士︒そして彼女は突然自分もこの批にひ

とりだと氣がついた・・⁝.おお︑何と彼女は柵りであり︑失はれたこと淀感じたのであらう!﹂とりだと氣がついた・・⁝.おお︑何と彼女は如

註.︵一︶彼女の聴いてゐるヴィオロン・

締祁的孤獅感に就いて︵承前︶ III1ll11ll側

’ 11

11II

一○三︵三一八三︶

(22)

文學研究第二十輔一○四︵一二八四︶

然し︑この弧獅も彼女が一と度プレーラ−1のものとなって苦しんだのに較べれば︑まだまだである︒かくて彼女

は男女の仲には深い蝦のあるのを見てとる︒そして︑以前の如く束の間の孤柵感ではなくなって︑あらゆる愛の下に

︑︑は孤立が隠れてゐることを思老し始める︑﹁彼女は自分がこの世にすっかり見放されたのだときめてしまった︒彼女

はあらゆる人間は事件に際して列んで歩いてゆくだけで︑二つの存在淀眞に結び合せるものはないのがわかった︒彼

女はすっかり信頼してゐた人の裏切った事のために︐他人は︑計り知り雌き明日から明日への︑或は長く︑或は短

く︑或は樂しく︑或は悲しい人生の旅で川辿ふ縁なき隣人であるに過ぎないと感じた︒彼女はこの男の腕の中で︑彼

と一緒になり︑その中に入って行ったと思った時︑叉︑二人の心身が一つの心身となり了ったと信じ切った時です

ら︑二人は︑やや近づいて︐榊砿な自然か人間を一人一人別に作って包んで世いた如何ともすることの出來ない外包に

一寸鰯れたのに過ぎないのがわかった︒人生に於ける存在をして天案の星の如くに互ひに遠いものたらしめたとの目

に見えぬ柵は何物も破ることが川来なかったし︐今後も出來ないのがわかった︒彼女には祉界の初めからの絶えざる

無力な努力︑包装を破って︑中で︑︑番久の囚はれ者︑永久に孤澗な人間の魂がぢたぱたしてゐるのを救ひ出さうとす

る努力が縦けられてゐるのを知った﹂︒︵以下略︶︒

この歎行は特に懸愛に開してゐるけれども︑又あらゆる我等の感怖及びあらゆる人生に對する哲學がそこに見られ

る︒モーパッサンは﹃ある一生﹄の中で︑夫婦の愛と母性愛の二つの幻影に欺かれた女の惨潅たる生活を示した︒彼

女は母として︐妻としての夢に欺かれた︒恐らく祁母として持つ希望にも欺かれよう︒ここで経るこの害は精刺的孤

澗の悲しい印象を残してゐる︒.

111

(23)

111

淡に見えた︒釜自然は私にこれっきり永遠に愛されなくならうとしてゐると告けてゐるやうに恩はれた:.:もう愛さ

れてはゐないのであった︑あらゆる人糞にとって他人なのであった﹂︿大塚幸塊課︶︒同じく後に祭ける︵節一章﹁優

れた人について﹂︶あの驚くぺきジュリアン・ソレルに於ける耕榊的孤凋の叫び雛も亦注目すべきである︒ポードレ

粘祁的孤獅感に就いて︵承前︶一○五︵三一八五︶

私がここ迄引用したのは︑作考にして精祁的孤猫が一つの哲學的組織︑一つの人生の見方の如きものとなってゐるもののみであった︒然し同じ感附のしるしは多くの他の人にも見川し得るであらう︒精祁的孤凋が多少とも今慨紀の人心及び作物に混入してゐることを示すために︑術一三の名を梁けよう︒

・ハンジャマン・コンスタンはその小説﹃ァ夜ルフ﹄の中の殿・ヘージに︑破局の後に來ろ心の苦しみではなく︑破局

の近いの諾感じて︑やがて襲ひ来る孤立を恐れる氣持を課してみせた︒之は奇異にも利己主義に似た︑凝った心持

で︑破局をこちらから願ひ︑持ちかけるくせに︑マダム・ド・スタールが望んだやうな︵﹃デルフィーヌ﹄︶世間の

承知しない趣愛關係を平氣でなしとげる程の剪氣もないのである︒﹁束縛を受けずひとりで横切りたいとあれほど度

度願ってゐた批間といふ沙漠の中に︑私はやがて彼女無しに生きてゆかうとしてゐた︒私は自分を愛して呉れた女を

滅茶滅茶にしてしまってゐた︑倦むことのない愛で以てどこまでも慕ってゐて呉れたあの心︑私の心の伴侶を︑滅茶

︑b︑もも︑ももb︑もも︑B滅茶にしてしまってゐた︒すでに孤柵感か私を襲ってゐた︑エレノールはまだ生きてはゐたが︑もはや彼女に私の考

︑︑もも︑b︑︑︑b︑巳︑︑︑︑へを打ち明けることは出来なかった︒私は既に地上でただひとりであった︒私はもはや彼女が私の周囲に披けてゐて

呉れたあの愛の球園氣山中に生きてゐなかった︒呼吸する室氣は一入ざらついて見え︑出辿ふ人糞の顔はひとしぼ冷

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文學研究第二十卿一○六△一二八六︶

−ルはいくつかの詩︵﹁信天翁﹂﹁呪禰﹂︶の中にヴィ一Iの特意な︑人糞からは嫌はれ.地上の流諦人の如く自己

を感じてゐる詩人の孤立ぞとhあけてゐる︒そして彼は縦愛に於ける孤澗︵﹁告白﹂︶︑死んだ人共の孤立︵百二十

四︑﹁大いなる心の下郷﹂等︶︑地平線のかなたに生かしむろ希望と惣像との喪失︵﹁虚空の味﹂︶等の或るテーマ

を探川してゐる︒もつと簸近の作の中には十九仙紀の人心に孤凋感が徐々に透耀してゆくのを示したものがある︑即

ちアロークール氏の﹁赤裸交な心﹄︑アナトール・フランス氏の﹃紅き両合︐一中の数行︑ポール・マルグリート氏の幾ぺ1

ジかがそれである︒マルセル・プレヴ術氏は此の思想卒以てその小論﹃秘悶﹄︵一八九七年︶の主柵となした⁝⁝﹁何

故︑今初めて︑娘︑も亦私とはちがった老へを有する者︑私にはわからない秘密を右する者であることが︑私にはわか

ったか?・・・・⁝この他人の生禰の祁秘︑我だの思考や生活に鯛れたりする他人の恩はくの祁秘︑今迄にこれがかほどに

堪へ難い雌迫を私に加へた事は厳かった︒これは到る所︑我等の周囲︑凡ての心の中︑凡ての眼の中にある⁝⁝我交

でない︑ものは皆︑我等に對して︑その秘将を持ってゐる︑私は困窮してとの仙にひとりである︒みなひとりであを︒

﹁私はひとりでない﹂と云ってゐる君はさう思ってゐるだけである︒私は昨日かうであった︒いまは少くとも私は私

の孤柵を友に生きてゆかなければ友らないと知った.⁝・・凡ての魂は一つの秘剛を︑もつ・﹂

註へことの叫びは純然たる利己的のものであるoアドルフは愛することが出來ない︒それに愛されて哨幸幅でない︒彼

は決断の酬來ぬ男心稗佃と與論の押隷である︒彼は利己主義である︑彼にはエレノ¥︲ルの愛は兵面日な識ではな

く︑鎖である︒泓はこの番の中に凋落してゆく愛の描窟を見出し得ない︒といふのはアドルフは︑嘗て心から執

蒜したことが砿いからである︒彼は有頂天にならうともしなかったから︑エレノールを得るとそれを告白してゐ

る︒即ち﹁時間になった::..などと考へないで︒⁝:ただ自發的に彼女の僻にゆくことが出来たら︑私は一段の樂

lL

4

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1 1 1 1 同 じ 感 怖 は 佛 蘭 西 以 外 の 閏 の 或 る 作 品 の

︑ 特 に 佛 剛 西 思 想 に 刺 恢 さ れ た 作 者 の も の の 中 に 見 え る ︒ 之 等 に は 非 常 な

猫創的なものはない︒とはいへ凋逸の詩人レーナウの非幣に美しい哀歌がある︒︵﹁詩﹂一︑二︶︒

﹁お前は既に愛も川もなく︐砿野に︑恥を知らぬ不幸の傷を︑倣れる沈鰍と無残にも人に知られぬ苦しみどに包ん

で︑たったひとりなのか?︑あらゆる快訴な希紫は︑怜哨猟師にとって山の頂で犬が失はれて吠え雛が消え︑叉冬

を避けて烏がゐなくなったやうに︑お前にとっては消滅してしまつたのか?.若しお前が砿野に一人であったなら︑

如何なる力に押されて器をつかんで︑腕に押しつけ︑又自己の孤凋に齢き雌怖の岩に恐れをなして稗じて苦しむ腕を

糀紳的孤猫感に就いて︵承前︶一○七︵一三八七︶

しさを味うてゐたであらう.⁝・・けれども私は︑弱い︑恩を知る︑そして女に畦された男に湖ざなかったo何ら心 から逃局娠刺に麦へられてはゐなかった︒.⁝・・私たちは矢鱈に愛撫し合ひ︑愛を語った︑だが愛を語ったのは︑

ほかの事を語り︿県のが恐かったからである○・⁝・・愛して愛されないのは恐ろしい不幸であるoけれどもはや愛

してゐない女から熱烈に恩はれることは避に大きな不幸であるO﹂エレノールは彼にいふ︑﹁あなたは愛を持って

ゐると樫っていらっしゃるけれど︑本雷はお燗だけなのですわ○﹂

︵二︶﹁マルタン伯岬はいふ︑ポール・ヴァンス氏は魂と魂は通じないと知って篝に病んでゐるo役は考へる時も︑番

きものをする時も︑ひと仇といふ氣持になる︒何をしても︑人はとの缶にひとhである︒とれが彼の意見であ

る︒それは尤もである︒人間同志はわかったやうで︑決してわかってゐないO﹂

三一︶例へぱ下の瞳行はモーパッサンを思はせる︑﹁身をかがめて︑彼は彼女の頭をかかへてぢっと眺めたo蕊れゆく日の

下︑彼はその妻の雌に︑鈍のやうに目汀が映るのを見た︒︒⁝:何故彼は︑此の美しい褐色の月の奥まではひれな

いのかしらソ.何政︑繩女を知らうとしてゐるのに︑この鈍の中で出何つたのは︑自分自身なのであらうソ...⁝.

彼は互ひが千里も離れて居り︑その魂を合はした時ですら︑二人で決して一人になれないのを感じた.:⁝

111

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11

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︵﹃試練の日﹄

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I

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文學研究第二十鮴一○八︵二二八八︶

風にさしむけるかを知ってゐようJ風はエトランジェである︒汝にはつかめない︒石は死んでゐる︒冷くざらざら

した石に慰めの言葉泥求めても無駄である︒お前は見扮てられたと感じる︑蕎蔽の傍でも︒祷薇はやがて︑お前のこ

たなぞは知らすに︑ただ自らの死にのみかかはって︑色がさめてゆくのが見えよう︒もつと進んでごらん︐色だのも

のが通り過ぎる長い暗い道で︑お前に挨拶したものは︑どれもこれも絶滅してゆく︒ここかしこ︑腱屋から脱線が川

てゐろが︑やがて窓が童剛の見てゐる前で閉まり︑腱屋はくづれ︑お前は溌僻ぞ斑えるぅ愛もなく︑利も難い︒逆は

忌はしく︑通りハ突風は寒い︒矛↑してお前は?:・宇宙全僻は︑やけに悲しい︒﹂

ジュネーヴの人アミエルの日記はこの研究に役立つ︒その一八五六年十月二十七日の項にからある︑﹁我盈は常に孤

凋である︒我糞の本営の歴史はいつになっても他の人からは殆ど読み解かれることがない︒この悲劇の妓も優れた部

分は凋自である︒⁝:・涙︑悲しみ︑あてはづれ︑侮辱︑悪い老へ︑いい老へ︑決心.不決心︑黙脳︑すべて我舞の秘密

である︒その殆ど全部は︑たとひ我麹がそれを話さうとしても書いて見ても︑通じやうがないし傳へることが出来な

い︒我盈自身の一番大事なところに決して現れることがない︒親密な間柄に於ても出口を見出さない︒我共の意識に

も確かに一部分しか出て來ない︒殆ど刺のうちにしか活動を始めない︒恐らく榊によってしか拾ひ上げられないであ

らう︒といふのは我交の過去は我糞にとって永劫に他人だからである︒l我盈のモナドは他のモナドから︹奇蹟的E

影響を受けることがある︒しかしそれでもその中心までは他のモナドの影響が及ばすにゐる︒そこで我袋自身は結局

我共自身の祁秘の外に留まる︒﹂︵河野與一課︶・

目を露西亜人に鱒じると︑トルストイは﹃アンナ・カレ一ナ﹄の中で﹁私は常に私の魂の聖堂と他人の魂︑私の妻

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1

のそれすらもの間に一つの柵を感じるであらう﹂といひ︑ツルゲ|雨エフは﹁他人の魂とは︑曙い森です﹂︵﹁貴族 1

の典﹄︶と云ってゐろcデンマーク人ヤコプセンは﹁物の奥には人間は常にひとりであるといふ悲しい眞理があっ

た︒魂の融合といふのは嘘に過ぎない︒何物も決してすっかり自己を與へてくれない︒諸君ぞ膝の上に抱き上ける母

親も︑あてにする友も︑君の傍に眠る妻も⁝・・・﹂と書いてゐる︒これにはモーパッサンの影響がある︒尚モーパッサン

の影響はイタリヤ人ダンヌンチオの数頁の中にも見られる︒

註︵己小挽﹃生と夢との間﹄レミュザ夫人課︵阿里評論︑一八九八年一月一日︺・同じ小溌に於けるニイエル・リーネ

の魂の岬剖を見よ︒﹁役は全くひとりになった︑もはや親類もなければ︑その心に親しい友もなかった︒けれど

も更に大きな孤立が彼の上に型ひかかってゐた・⁝・・彼の才腱は到るところ何時でも彼に從ふとは限らなかった︒

彼はその意見︑その確倍︑その共感で自らを韮ってはゐなかった.⁝・・彼はそとから深い薄雁を礎えるのであっ

た.⁝・・なぜなら人はその作品と同化するととが川來る祷だと彼は信じてゐたからO﹂

つど﹃死の勝利﹄の中に於て︒とれは椛成が悪く︑非常に混雑して統一がなく︑心理描篤が極めて奔弱で︑毛・−パッ

サンとどうとの影癖の見える杼碕的長鯆小詑である︒しかしこの作品は官能的なもの皇圃樂と匂ひとm重要性︑

愛の陶琳︶によって俄仙が︵しかも甚だ︶ある︒l孤濁感については︑就中發端の︑イポリートに對するジ︒

ルジュの次の併白を見よ︒﹁お前は僕にとっては知られざる女だ︒他のすべての人間と同じく︑お前は催にはは

ひれない一つの枇界を内にもってゐて︑どんな冊熱を以てしても僕はそれに近づくことは出来ないだらうお前

Lろしの感兇︑お前の感愉︑お前の思想の一部分しか催は知らない︒言莱は不完全な印だ︒魂は傳へられない︒お前の

魂を︑お前は僕に典へる力はない︒陶離の法悦瞳にあってさへも︑僕らは二人だ︑いつでも二人だ︒隔てられ︑

他人同志であり︑心は孤貌な二人だ︒僕はお前の額を接吻する︑然もとの額の下には僕に向けられたのでない考

粘榊的孤猫感に就いて︵承前︶一○九Q三八九︶

︑1llllIlIjqI小別旧l︲4■101■日■■l1jⅡ10︲j1j■01j■jII■11IGO■11■■■■■■■■■■0

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己を他と異ったものと感じたり︑信じたり︑凋立の紫みぞ果しなく持って見た卜︑ルソーの夢︑﹁小さな木の一角 十九枇紀人の或る者は︑他人なしで幕してゆけると老へたため︑耽會に於延孤立の味を管むるに至った︒倣挫で自 以上の引例により︑十九枇紀には︑大鵬三つの孤柵の形式があったことがわかる︒

丈學研究第二十戦二○へ一三九○﹀

へが恐らく動いてゐる︒供はお前に話しかける︒然し侯の文句の一つは︑催との綴の思ひ川でない他の時の恩ひ

出を恐らくお前の裡に目蝿哉させる︒一人の男が通り過ぎ︑お前を眺めるOするとお前の心の小ではとの小さな

出来部が仙・かの感動を津むのだが︑僕はそれを提へることは出來ない︒そして僕は現在の瞬間がお前にとって

は︑お前のこれまでの生活の反映で脳らされるのでないかどうかをいつになっても知らない・・・⁝催はお前の傍に

ゐる︑僕はお前がゐるといふだけで︑時として感じるえもいはれぬ幸祗に没される氣がする︑催はお前を愛撫

し︑お前に話し︑お前の言韮をきき︑身を投げ川すo−翠にして一つの老へが僕を凍らせる︒催は無がっかなか

ったが︑むかしお前が礎えたことのある感じの幻をお前の記憶に蘇らせたのではなかったらうか!・・・⁝お前と艇

との間の何か知らない一致の錨砥的な感描が陵に典へてゐたあの熱燗に一畢にして消える︒お前は逃げ去り︑縦

には近づけないものとなる︺かくして伐は恐ろしい孤独の中にひとりで止まる︒むつまじく幕した十ヶ月室一十

〃月は︑もはや何の役にも立たない︺お前は供がまだお前を愛してゐなかった時分と同じく隣のない女に見え

る︒⁝・かくて︑かういふ時と︾て︑心の力が無益にも惨め腱緋ひ果されるあの永い苦しい沈獣が幾らの上に落ちる

のだ︒僕はお前に訳く︑﹁何を老へてゐるのだい?﹂するとお前は答へる︑﹁あなたは何を考へていらっしゃる

の?﹂僕はお前の老へを知らず.お前は僕の老へを知らない︒刻々に瀞は伽られてゆき︑それは洲のやうな深さ

になる︒⁝・・﹂︹需一里の課︶

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1.

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を廻はす﹂ことが出来ると考へたりしたことは︑それ等の人糞を躯って一麺の流諦吻中に隔離してし主つたoその流

諦は側めこそ勝ち誇ったものであったが︑次第に悲しいものになっていった︒

︑︑も

も︑︑︑も叉或る者は︑人登から離れて︑刺や︑自然や︑慰める婦人にその誠を披瀝した︒これら④人糞は生命の形式や︑失

はれた文明に開心を持った︒こ上でも亦彼等の﹁同怖﹂は﹁孤柵﹂に経ってゐる︒

最後のものは︑外界を輕蔑し自分自身にのみ同冊を向けんと決心した︒即ち絶えずその感蜻と夢を愛へてゆく際に

彼等の魂がとり得る多様な形式に同怖拷向けるのである︒彼等は仙界に感動の諸動機を求めて︑例へぱ女によりも愛

に興味ぞ抱いた︒然しその感動︐その夢︑その思想は︐恰も彼等が身を落ちつけることの出来ない對象と同じく︑彼

等自身の性質に縁なき客として︑心や頭脳の中を通り過ぎて行ったりし馬かくて自らを前にしての各人の孤立︑精

この三つの形式の孤猫は座食浸潤し︑交錯し合ってゐる︒その述絨には何等論理的なところがない︑単なる分析の

手段である︒それらの各女によって示される考察は次の如くである︒但し︑術も非常に一般的に作られる.次の定義に

は敢て岡執するものでない︒﹁締川的仏拙とは︑各仙人はその我の裡に閉ぢ込められた者の如くであり︑凡て存在す

るものは彼のはひれないものであるのが︑痛ましくも確信されたものである︒だからこの孤猟は︑あらゆる時代の人

の知るところである︑親しさと雌哨事怖によっては突然破れることがあるとの信念を仮定する一時的な孤澗の印象と

は全く異ってゐる・﹂︵序文鯵り︶ 祁的価獅の最も近代的な形が生れた︒

締榊的孤猫感に就いてへ承前︶

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一一一○一二︐九一︺

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