• 検索結果がありません。

、、 「遊休資金」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "、、 「遊休資金」"

Copied!
40
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

﹁遊休資金﹂

、 つ

lll

宇 野 弘 蔵 氏 の 所 説 に よ せ て ー ー ー

﹁遊休資金の存在自身は︑恰も貨幣の蓄蔵白身が貨幣の支払手段としての機能の実質的基礎をなしたと同様に︑資

本にとっても所謂商業信用を可能ならしめる基礎をなすのである﹂(宇野弘蔵﹃経済原論﹄︑下巻︑二三五ページ︑岩波書底︑

昭和

二七

年三

月︑

この

審物

は旧

﹃原

論﹄

下巻

と略

記す

る)

﹁資本の再生産過程における準備金乃至蓄積資金は勿論のこと︑資本が一定の期間商品︑或いは貨幣としてあると

いう

こと

自身

も︿

これ

ら﹁

準備

金﹂

﹁蓄

積資

金﹂

﹁一

定の

期間

商品

或い

は貨

幣と

して

ある

﹂資

本は

宇野氏にとっては﹁遊

休資金﹂の具体的な諸形態である││小林)︑他の産業資本に対する信用を与え得る基礎をなすものである﹂(旧﹃原込書︑

下巻

︑二

三六

ペー

ジ)

﹁要するに商業信用は個々の産業資本が︑その利潤の根源をなす剰余価値の生産に直接役立たない種々なる遊休資

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

i¥ 

(2)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

j¥ 

金を相互に融通することによって︑そうでない場合には無用に遊休せしめることになる資金を︑生産過程に資本とし

て投

ぜし

める

いわば個別資本聞の相互扶助関係に外ならない﹂(旧﹃原論﹄︑下巻︑二四

Ol

一ぺ

!ゾ

)︒

﹁資本の再生産過程に伴う遊休資金の存在は商業信用の基礎をなすのである﹂(旧﹃原論﹄︑下巻︑二四二ページ)︒

以上の引用文からあきらかな上うに︑宇野氏は︑﹁遊休資金﹂は商業信用の基礎をなすものであるとし︑

また商業

信用は﹁遊休資金を相互に融通すること﹂による﹁個別資本聞の相互扶助関係﹂であるとしている︒

また

︑宇

野氏

は︑

﹁こ

れが

(﹁

遊休

資金

ll

小林)銀行の如き金融機関に集中せられ︑その必要に応じこれが融通さ

れるということになると︑産業資本家の聞に行われる商業信用は銀行と産業資本家との聞に行われる銀行信用とな

る﹂(旧﹃原論旬︑下巻︑二四二ページ)とのぺ︑﹁遊休資金﹂は銀行信用の基礎をもなすものとしてとらえている︒

このように︑宇野氏は︑﹁遊休資金﹂を商業信用︑銀行信用の基礎をなすものとして位置づけているのであるから︑

﹁遊休資金﹂とはなにか︑それはどういうものであるか︑それにはどういう種類︑具体的な形態があるか︑それほど

のようにして形成されるのか︑ということを宇野氏はどのように説明しているかを検討し︑考察しておくことは︑字

野氏

の﹁

利子

論﹂

﹁信用論﹂を考察するために欠くことのできない重要なことである︒

そこで︑本稿においては︑宇野氏は︑﹁遊休資金﹂をどのように規定しているか︑その種類は具体的にどういう形

態のものとしてとらえているか︑その形成をどのように理解しているか︑などのことについて考察することにする︒

前稿﹁︿資金﹀について﹂においてのべたように︑宇野氏は︑﹁資金﹂とは﹁貨幣としての貨幣しにあたるとし︑そ

(3)

れは﹁流通手段としての貨幣と異つ﹂た貨幣であり︑﹁直接の流通過程から分離︑独立された貨幣﹂であり︑﹁何時で

も商品を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂(旧﹃原論﹄︑下巻︑二二一一ページ)貨幣であると規定している︒そし

て︑宇野氏は︑﹁遊休資金﹂については︑﹁自由に処分し得る資金﹂(旧﹃原論﹄︑上巻︑一六四ページ﹀︑﹁自由に利用し得

られるいわゆる遊休資金﹂︿旧﹃原論﹄︑上巻︑一七一ページ)︑﹁如何様にも使用し得る貨幣として資金をなす﹂(泊﹃原

論﹄

︑上

巻︑

O二ページ)というようにのべている︒つまり︑﹁自由に処分し︑利用し︑使用しうる資金L︑これが﹁遊

休資金﹂であるとしている︒これだけのことでいえば︑﹁遊休﹂とは﹁自由に処分し︑利用し︑使用しうる﹂状態に

あるということになるが︑はたして宇野氏が﹁遊休資金﹂としてあけている具体的な諸形態は︑すべて﹁自由に処分

し︑利用し︑使用しうる﹂状態にあるであろうか︒

また

︑一

資金

とは宇野氏によれば︑﹁貨幣としての貨幣﹂

であ

り︑流通の外部にひきあげられている貨幣であり︑﹁何時でも商品を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂貨幣

であるが︑宇野氏があげている﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態がすべて宇野氏の﹁資金しにあてはまるであろうか︒

そこで︑まず宇野氏は︑﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態としてどのようなものをあげているかについて整理してお

くこ

とに

する

第一︑﹁資本の生産規模が拡大されて来ると︑個々の資本の再生産過程に必ず生ずる遊休資金も増大せざるを得な

ぃ︒巴に第二篇第二幸二B︿資本の回転期間と資本の前貸﹀においても明らかにしたように︑流通期間の延長︑短縮

は前貸資本量の増減を必然的に伴うのであるが︑資本量の増大と共にその増減も加重されざるを得ない︒また生産手

段の価格の変動︑労働賃銀の騰落︑商品生産物の価格の変動等の影響も増大し︑これに備える準備金も増加されなけ

れば

なら

ない

さらにまた固定資本の償却資金は勿論のこと︑剰余価値の資本化による蓄積資金も生産規模の拡大と

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

(4)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

;1

共に一方では剰余価値量の増大として︑他方ではその資本化の標準的大いさの増大によって︑増大せざるを得ない︒

勿論︑かかる遊休資金はそのままでは何等の剰余価値の生産にも役立つものではないが︑しかし資本の再生産過程の

維持と拡大とには欠くことの出来ない費用をなすのであって︑その増加は︑資本家的生産の負担の増加を意味するも

のとして︑当然にその節約が問題となって来る﹂(旧﹃原論﹄︑下巻︑二三四│五ページー

この引用文において︑宇野氏が﹁遊休資金﹂の具体的な形態としてあげているものは︑つぎの四つである︒すなわ

ち︑第一は﹁流通期間のための前貸資本﹂︑第二は﹁生産手段の価格の変動︑労働賃銀の騰落︑商品生産物の価格の

変動等﹂にそなえる準備金︑第三は﹁固定資本の償却資金﹂︑第四は﹁蓄積資金﹂の四つである︒

なお︑この引用文においては︑﹁遊休資金﹂は︑﹁資本の再生産過程の維持と拡大とには欠くことの出来ない費用を

なす﹂とし︑したがって﹁遊休資金﹂の﹁増加は︑資本家的生産の負担の増加を意味﹂し︑﹁当然にその節約が問題

となって来る﹂とかかれているが︑﹁遊休資金﹂として宇野氏があげている具体的な諸形態が﹁費用をなす﹂もので

あるかどうか︑そしてそれらの増加が﹁資本家的生産の負担の増加を意味﹂するかどうか︑さらに﹁遊休資金﹂は︑

﹁当然にその節約が問題となって来る﹂のかどうか︑大いに疑問である︒これらの問題は︑あとで宇野氏があげてい

る﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態を検討したのちにとりあっかうことにする︒

第二︑﹁巳に第二篇第二章︿資本の流通過程﹀で明らかにしたように︑個々の資本は︑自己の全資本を剰余価値の

生産をなす生産過程に投ずることは出来ない︒資本の一部は常に貨幣或いは商品の形態をとる流通資本としてあるの

であるが︑このことは準備金︑償却資金︑蓄積資金等の存在と共に個々の資本の聞に或る程度までその貨幣或いは商

品を互に融通し合うことを可能にするのであって︑支払手段としての貨幣もここに新なる基礎を与えられる﹂(旧﹃原

(5)

論﹄

︑下

巻︑

二三

二ペ

ージ

第一節においてみたように︑宇野氏は︑﹁商業信用﹂を﹁個々の産業資本が:遊休資金を相互に融通する﹂︑﹁個

別資本聞の相互扶助関係﹂としてのべているであるから︑﹁個々の資本の間に或る程度までその貨幣或いは商品を互

に融通し合うことを可能にする﹂のは︑﹁遊休資金﹂である︒したがって︑この引用文においても︑宇野氏があげる

﹁遊休資金﹂の具体的な詩形態をとらえることができる︒ここであげられている﹁遊休資金しの具体的な諸形態は︑

第一に﹁資本の一部は常に貨幣或いは商品の形態をとる流通資本﹂︑第二に﹁準備金﹂︑第三に﹁償却資金﹂︑第四に

﹁蓄積資金﹂である︒第三の﹁準備金﹂は︑第一の引用文における﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂をさしている

のであろうと思われる︒第三一︑第四は︑第一の引用文においても︑その言葉どおりにでているので問題はないであろ

ぅ︒この引用文における﹁遊休資金しの第一の形態は︑﹁資本の一部は常に貨幣或いは商品の形態をとる流通資本﹂

となるが︑ここでは﹁遊休資金﹂が問題であるのであるから︑﹁或いは商品の形態をとる﹂とというように商品をふ

くめてとらえることはできない︒

第三︑﹁資本の再生産過程における準備金乃至蓄積資金は勿論のこと︑資本が一定の期間商品︑或いは貨幣として

あるということ自身も︑他の産業資本に対する信用を与え得る基礎をなすものである﹂

/

!

日円 原

論 ﹄ ︑

下巻

︑二

三六

ペー

ジ)

﹁他の産業資本に対すろ信用しとは︑宇野氏においては﹁商業信用﹂であり︑﹁商業信用﹂の基礎をなすものは︑

宇野氏にとっては﹁遊休資金﹂であるから︑この引用文においても宇野氏があげる﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態を

とらえることができる︒この引用文においてあげられている﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態は︑あげられている順に

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

八五

(6)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

八六

いえば︑第一に﹁資本の再生産過程における準備金﹂である︒この﹁準備金﹂は︑第一の引用文にでている﹁価格の

変動等にそなえる準備金﹂であるのかどうかあきらかでないが︑第一︑第二の引用文における文章との関連︑

また

﹁蓄積資金﹂と並記されているところから︑ここでの﹁資本の再生産過程における準備金﹂は︑﹁価格の変動等にそ

なえる準備金﹂をさしているととらえてよいであろう︒第ニにあげられている

﹁遊

休資

金﹂

の具体的な形態は︑﹁蓄

積資金﹂である︒そして第一一一は︑﹁資本が一定の期間商品︑或いは貨幣としてある﹂と表現されているものであるが︑

これは第二の引用文において第一にあげられている﹁資本の一部は常に貨幣或いは商品の形態をとる流通資本﹂にあ

たると考えられるであろう︒もっとも︑まえにものぺたように︑﹁遊休資金﹂が問題であるから︑﹁商品﹂は除外しな

ければならない︒なお︑とこでは﹁遊休資金﹂の具体的な形態として︑第一︑第二の引用文においてあげられていた

﹁固定資本の償却資金﹂があげられていない︒

第四︑﹁資本の再生産過程は︑すでに述べてさたように︑多かれ少かれ遊休貨幣資本を常に伴うものである︒先ず

第一には︑商品資本Wの生産資本

W

‑ P

への転化の過程における一時的存在として︑第二には固定資本の償却資金

として︑第三には蓄積資金として︑そして最後に価格の変動等に対する準備金としての貨幣資本としてし(宇野弘蔵

﹃経

済原

論﹄

︑一

九七

│八

ペー

ジ︑

岩波

全書

︑一

九{

ハ四

年五

月︑

この

書物

は新

町原

論﹄

とす

る)

この文章は新版吋経済原論﹄からの引用文であるが︑ここでは﹁遊休貨幣資本﹂の具体的な語形態として︑第一に

﹁商

品資

Wの生産資本

W:

::

pへの転化の過程における一時的存在として﹂の貨幣資本︑第ニに﹁固定資本の償

却資金﹂︑第三に﹁蓄積資金﹂︑第四に﹁価格の変動等に対する準備金﹂の四つの形態をあげている︒この引用文にお

いては︑﹁遊休資金﹂という言葉を使用しないで﹁遊休貨幣資本﹂としているが︑あげられている﹁遊休貨幣資本﹂

(7)

の具体的な諸形態をみれば︑ここで﹁遊休貨幣資本﹂といっているのは︑第一︑第二︑第三の引用文における﹁遊休

資金﹂であることはあきらかである︒すなわち︑宇野氏は︑﹁遊休資金﹂とは﹁遊休貨幣資本﹂のことであるととら

えているということになる︒しかし︑宇野氏は︑﹁資金ー一とは﹁貨幣としての貨幣﹂であると規定しており︑それは

けっして資本の性格をもっ概念としてはつかわれていたのではないから︑こういうことと関連させて考えてみると︑

﹁遊休資金﹂を﹁遊休貨幣資本Lととらえるごと自体に問題があるということになるであろう︒このような問題につ

いては︑あとでとりあっかうことにする︒

以上︑宇野氏の﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態をとらえるために︑宇野氏の旧版﹃経済原論﹄お上び新版﹃経済原

論﹄から四つの文章を引用したのであるが︑これら四つの文章において言葉どおりにでている﹁遊休資金しの具体的

な諸形態は︑﹁固定資本の償却資金﹂および﹁蓄積資金﹂の二つの形態である︒﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂

は︑第二の引用文においてはただ﹁準備金﹂となっており︑また第三の引用文においては﹁資本の再生産過程におけ

る準備金﹂︑第四の引用文においては﹁価格の孟動等に対する準備金﹂となっている︒しかし︑﹁価格の変動等にそな

える準備金﹂が﹁遊休資金﹂の一つの具体的

η

形態としてあげられていることはあきらかである︒残された一遊休資

金﹂の具体的な形態は︑第一の引用文における流通期聞を通過するあいだ資本の生産過程が中断されないために必要

とされる﹁流通期間のための前貸資本﹂︑第二の引用文における﹁資本の一部は常に貨瞥・::の形態をとる流通資

本 ﹂ ︑

第三の引用文における

﹁一定の期間貨幣としてある﹂資本︑第四の引用文における﹁商品資本

Wの生産資

W:

::

pへの転化の過程における一時的存在として﹂の貨幣資本などというように︑それぞれことなった表現でも

っていいあらわされている形態である︒そして︑四つの引用文のうち第一および第二の引用文においては︑それは宇

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

i¥ 

(8)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

/¥ /¥ 

野氏の旧版﹃経済原論﹄の第二篇第二章﹁資本の流通過程﹂においてあきらかにしているとされている︒そこで︑こ

の第二章﹁資本の流通過程﹂においてどういうことがのべられているかや)考察してこの宇野氏のあげる﹁遊休資金﹂

の具体的な形態をとらえ︑それが﹁遊休﹂しているかどうか︑そして︑またそれが宇野氏の﹁資金﹂の規定にあては

まるかどうかを検討することが必要である︒宇野氏のあげている﹁遊休資金﹂の具体的な諸形態のなかで︑まずさい

しょにこの形態についての考察を節をあらためておこなうことにする︒

なお︑﹁固定資本の償却資金L︑﹁蓄積資金し︑﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂という﹁遊休資金﹂の具体的な諸

形態は︑宇野氏の旧版﹃経済原論﹄︑新版﹃経済原論﹄からの四つの引用文においてあきらかなように︑それらがあ

げられている順序はまちまちである︒すなわち︑第一の引用文においては﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂︑﹁固定

資本の償却資金﹂︑﹁蓄積資金﹂の順にあげられており︑第二の引用文においては﹁準備金﹂︑﹁償却資金一︑﹁蓄積資

金﹂の順にあげられており︑第三一の引用文においては﹁資本の再生産過程における準備金﹂︑﹁蓄積資金﹂

1 l

i

ここで

ほ﹁償却資金﹂ほあげられていない

1

i︑第四の引用文においては﹁固定資本の償却資金﹂︑﹁蓄積資金﹂︑﹁価格の変

動等に対する準備金﹂という順にあげられている︒﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂は︑資本の再生産過程におけ

る流通過程が外部の市場の情況によって影響されるということから形成されてくるものであろから︑より具体的な関

係をあらわしているものである︒資本の再生産過程を純粋に考察する場合には︑このような具体的な関係は捨象して

考察することが必要である︒これに対して﹁償却資金﹂︑﹁蓄積資金﹂と宇野氏がいっているものは︑資本の再生産過

程における必然的な契機にもとづいて形成されるものである︒そこで︑本稿においては︑これら三つの﹁遊休資金﹂

の具体的な諸形態を﹁固定資本の償却資金﹂︑﹁蓄積資金﹂︑﹁価格の変動等にそなえる準備金﹂という順序で考察する

(9)

﹂と

にす

る︒

宇野氏は︑旧版﹃経済原論﹄上巻第二篇第二章二﹁資本の回転﹂の﹁B資本の回転期間と資本の苛貸﹂において︑

つぎのようにのべている︒

﹁例えば九週間の労働期間を要する生産物がコ一週間の流通期聞を有するものとして労働期間中毎週一

OO

鶴の流動

資本が投ぜられるものとするll!との場合︑固定資本︑労働期聞を超過する生産期間︑さらにまた剰余価値は︑問題

を複雑にするだけであるから︑それらはいずれも均しいものとしてこれを考慮外において考えると

11

1九

OO

聴の資

本価値は九週間の労働過程の後は生産物として流通過程に入るわけであるが︑これが再び生産過程に復帰するには三

週間が必要である︒そこでとの三週間の聞は︑さらに三

OO

拐の資本によって労働過程が継続されなければならな

ぃ︒もしそれができなければ生産の規模が縮小されるか︑或いは流通期間中生産過程は中断されるととになる︒そこ

でもし中断なく行われるとすれば︑この事業では資本は九

OO

萌で

なく

一︑

OO

鶴を要するわけである︒労働期

問九週間︑流通期間一一一週間︑合計一二週間に毎週一

OO

酵の資本が投ぜられることとなるからである︒

ところがこの一︑ニ

OO

誌の資本は︑この場合の仮定によると毎週一

OO

萌を投ぜられるいいすぎないのであるから

il

事実上は固定資本︑労働期間を超える生産期間によって︑もっと複雑な関係にあるが

ll i生 産 過 程 に あ る 資 本

は︑最初の週一

OO

孫︑次はニ

O O

J

肪というように増加して最後に九

OO

萌となって︑流通過程に入るわけであっ

て︑少くともその一部分は後の三

OO

穫と共に貨幣形態のまま留まっている﹂︒

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

j¥ 

(10)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

7 ;

:

流通期間の延長は追加資本を必要とし︑その短縮は資本の遊離を来たすということになる︒しかもこのいず

れの場合にあってもつねに一部分の資本は貨幣形態に腎まるのであって︑決して全資本が生産資本として生産過程に

あるということにはならない︒もちろん︑実際上はこの関係は極めて複雑なものとしてあらわれ︑貨幣資本が例えば

いかなる時期に生産資本に転化するかは︑生産過程の性質にもより︑市場の情況にも影響せられる︒しかしいずれに

しても貨幣形態の資本がつねに準備されてなければ労働過程が継続的に行われるということはないのであって︑これ

はまさに資本主義に特有なる現象である︒そしてまたこの遊休貨幣資本の存在こそ後に第三篇で述べる近代的な信用

制度の基礎の一部をなすものである﹂(旧﹃原論﹄︑上巻︑一七六│八ページー

宇野氏は︑資本の再生産過程は生産過極と流通過程とを交互にくぐりぬけてゆく過程であるから︑﹁決して全資本

が生産資本として生産過程にあるということ﹂はできず︑剰余価値を生産する生産過程を中断することなく連続的に

おこなうためには﹁つねに一部分の資本は貨幣形態に留まる﹂のであるということをのべている︒そして︑この﹁貨

幣形態にとどまっている資本﹂は︑﹁遊休貨幣資本しであるとしている︒

第二節において引用した四つの引用文のなかで︑それぞれ﹁遊休資金﹂の一つの具体的な形態としてあげられてい

る第一の引用文における﹁流通期間のための前貸資本﹂︑第一一の引用文における﹁資本の一部は常に貨幣或いは商品

の形態をとる流通資本﹂︑第三の引用文における﹁一定の期間商品︑或いは貨幣としてある﹂資本︑

おける﹁商品資本

W

の生産資本W・

; p

への転化の過程における一時的存在として﹂の貨幣資本は︑それぞれ表現は 第四の引用文に

ことなっているが︑﹁つねに一部分の資本は貨幣形態じ留ま﹂っている貨幣資本をいいあらわしているものである︒

しかし︑ここでは﹁遊休資金﹂が問題であるから︑第二の引用文︑第三の引用文におけるように︑﹁商品﹂をふくめ

(11)

ることはできない︒

ところで︑この﹁つねに一部分の資本は貨幣形態に留ま﹂っている貨幣資本は︑﹃資本論﹄の規定によれば﹁蓄蔵

貨幣の第一形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣である︒

﹁蓄蔵貨幣としての貨幣の集積︑すなわち︑今日では資本のうちつねに貨幣形態で現存していなければならない部

分の︑支払手段および購買手段の準備金としての集積︒とれは蓄蔵貨幣の第一形態であって︑資本制的生産様式のも

とで再現し︑また総じて商業資本が発展すれば︑少なくとも商業資本のために形成される︒いずれも︑国内的流通に

も国際的流通にも妥当する︒この蓄蔵貨幣は︑たえず流動するのであって︑たえず流通に流れこみ︑たえず流通から

帰っ

てく

る﹂

(﹃

資本

論﹄

︑第

三巻

ω・8

0・

長谷

部訳

︑青

木版

︑囚

五一

二ペ

ージ

)︒

また︑この﹁蓄蔵貨幣の第一形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣は︑﹁準備貨幣資本﹂ともいわれている︒

﹁購買手段および支払手段の準備金は︑機能している貨幣資本

l

時期をことにして継起的に機能をいとなむ諸部

i

分からなる

li

の一部分である(したがって︑過程中にある資本価値一般の一部分の定在形態である)︒生産過程の

継続中にたえず準備貨幣資本が形成される︒というのは︑きょう支払をうけとったが︑こちらから支払うのは後日の

こともあり︑きょう多量の商品を売ったが︑こちらで多量の商品を買うのは後日のこともあるからである︒︑だから︑

このあいだ中流通資本の一部分がたえず貨幣形態で実存する﹂弓資本論﹄︑第二巻︑

ω

・∞

ゲ長

谷部

訳︑

青木

版︑

一一

二ベ

l

ジ ) ︒

宇野氏は︑この﹁準備貨幣資本﹂を﹁遊休貨幣資本﹂としてとらえているのであるが︑ほんとうに︑

いる貨幣資本であろうか︒

﹁遊

休﹂

して

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

(12)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

経済学演習講座円経済原論﹄

なくて︑もはや単なる貨幣なのではないか﹂という﹁問題﹂に対して︑宇野氏は︑ の旧版において︑﹁遊休貨幣資本とはどういう意味か︒遊休している貨幣は資本では

つぎのように﹁解答﹂している︒

﹁商品資本︑貨幣資本も商品︑貨幣以外の機能をなすわけではない︒商品︑貨幣も資本の運動過程においては商品

として機能し︑貨幣として機能しつつ資本となるのである︒遊休貨幣資本もたんに貨幣として存在するのであるが︑

前貸資本の一部分として︑資本の運動過程のうちにあるので貨幣資本たるにすぎない︒遊休というのは︑資本の本来

の目的をなす価値増殖過程に対していうことであって︑遊休資本も資本たることに変りはない︒何時でも生産資本と

して生産手段や労働力の購入にあてられうるものとして待機しているわけである::;﹂(悶演習﹃原論﹄︑一七0

ペ ー

ジ ー

﹁遊休資本﹂とは︑﹁機能していない資本﹂であるということになるが︑宇野氏は︑﹁遊休というのは︑資本の本来

の目的をなす価値増殖過程に対していうこと﹂であるとのべているのであるから︑﹁機能していない資本﹂とは︑価

倍増殖に直接︑参加していない資本と理解していることになる︒つまり︑宇野氏は︑価値増殖過程に参加している資

本は﹁機能している資本﹂であり︑価値増殖過程に参加していない資本は﹁機能していない資本﹂であると理解して

いるのである︒こういう理解のもとにおいては︑価値増殖過程に参加している資本︑すなわち現実に価値増殖過程の

なかにあって機能している生産資本のみが﹁機能していろ資本﹂となり︑この形態以外の資本︑すなわち貨幣資本︑

現実にはまだ生産資本として機能していない﹁潜勢的生産資本

L

(生産在荷﹀︑商品資本は︑いずれも﹁機能していな

い資本﹂ということになる︒

しかし︑﹁機能している資本﹂と﹁機能していない資本﹂とをこのように区別して考えることは正しくない︒価値

増殖を連続的におこなうことによって︑はじめて資本は資本であることができるのであるが︑価値増殖がおこなわれ

(13)

る生産過程をたえず中断されることなく連続的におこなうためには︑生産資本として現実に機能している資本ととも

に︑貨幣資本︑﹁潜勢的生産資本﹂(生産在荷)︑商品資本が同時にあいならんで現存していなければならない︒その

理由は︑資本制生産はそれ自身の性格から流通をふくんでいるのであり︑資本の再生産過程は︑生産過程と流通過程

とを交互に︿ぐりぬけてゆ︿過程であり︑生産過程と流通過程との統一としておこなわれろからである︒

て︑価値増殖がおこなわれる過程である生産過程をたえず連続的におこなうためには︑つねに﹁潜勢的生産資本﹂

(生産在荷)を準備しておかなナれまならな︑し︑生産諸要素土G│W¥叫の子為こよってもた︑りされるのであるか

l i b

‑ / p f l  

らつねに貨幣資本が現存していなければならないし︑また生産過程において継起的に新たに生産された剰余価値をふ

くむ商品資本は

W G

の行為によって貨幣資本に転形されなければならないが︑この転形は継起的におこなわれるの

したがっ

で︑資本の一部分はつねに商品資本の形態において現存していなければならない︒

貨幣資本︑﹁潜勢的生産資本﹂ハ生産在荷﹀︑商品資本は︑直接︑価値増殖には参加していないが︑しかし︑これが

現存することによってのみ︑たえず価値増殖がおこなわれる生産過程を連続的に遂行することができるのである︒し

たがって︑資本の再生産過程のなかにあって︑貨幣資本︑﹁潜勢的生産資本﹂(生産在荷)︑高品資本の諸形態にある

資本は︑生産資本とともに﹁機能している資本﹂であると考えなければならない︒

それでは︑本来の意味において﹁機能していない資本﹂︑すなわち﹁遊休資本﹂とは︑どういうものとして理解し

なければならないのであろうか︒本来の意味における﹁遊休資本Lは︑資本の再生産過程から排除されており︑この

過程の外部にでている資本であると理解しなければならない︒したがって︑本来の意味における遊休貨幣資本とは︑

資本の再生産過程において生産過程の連続性を維持するために︑他の諸段階との関連によって生産資本に再転形すぺ

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

(14)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

さ貨幣資本として機能していない︑資本の再生産過程から排除され︑分離されており︑その外部に存在している貨幣

資本

であ

る︒

宇野氏は︑﹁遊休貨幣資本もたんに貨幣して存在するのであるが︑前貸資本の一部分として︑資本の運動過程のう

ちにあるので貨幣資本たるにすぎないLとのべていろが︑遊休貨幣資本は︑﹁前貸資本の一部分﹂ではなく︑﹁資本の

運動過程のうちにある﹂資本ではなく︑資本の再生産過程から排除され︑分離され︑その外部に存在する貨幣資本で

では︑資本の再生産過程の外部にある貨幣がなぜ遊休貨幣資本と規定されるのかというと︑それが遊休貨幣資

ある

本と規定されるのは︑ぞれが﹁資本の運動過程のうちにある﹂ので貨幣資本と規定されるのではなく︑ぞれが資本の

再生産過程における必然的あるいは偶然的契機にもとづいて形成され︑そしてそれが一定の期間が到来した場合︑

定の大きさにたつした場合︑あるいは資本の再生産過程が外的な諸事情によって撹乱された場合︑これらの場合に

は︑資本の再生産過程にふたたびもどり︑生産資本に転形すべき貨幣資本として機能することが規定されている︑す

なわち資本の再生産過程においてふたたび充用されるべく規定されているからである︒したがって︑宇野氏の﹁遊休

貨幣資本﹂についての理解は玉しくないということになる︒

ところで︑宇野氏が﹁遊休資金しの具体的な詰形態の一つとしてあげている﹁つねに一部分の資本は貨幣形態に留

ま﹂っている貨幣資本︑すなわち﹁準備貨幣資本﹂は︑資本の再生産過程のなかにあって︑購買手段および支払手段

の準備金として存在している貨幣資本であり︑それは生産資本に転形すべく機能している貨幣資本である︒それは︑

資本の再生産過程から排除され︑分離されており︑その外部に存在している貨幣資本ではない︒したがって︑﹁つね

に一部分の資本は貨幣形態に留ま﹂っている貨幣資本︑﹁準備貨幣資本﹂は︑けっして遊休貨幣資本ではない︒

(15)

宇野氏は︑﹁つねに一部分の資本は貨幣形態に留ま﹂っている貨幣資本︑﹁準備貨幣資本﹂を﹁遊休貨幣資本﹂とし

てと

らえ

それを﹁遊休資金﹂の一つの具体的な形態としてあげているのであるが︑それはけっして遊休している貨

幣資本ではない︒

このように︑﹁準備貨幣資本﹂は遊休貨幣資本ではないが︑そればかりでなく︑この﹁準備貨幣資本﹂は︑賃幣と

しても︑宇野氏の規定する﹁資金﹂にあてはまらない︒

宇野氏は︑﹁資金﹂を﹁貨幣としての貨幣﹂としてとらえ︑それは流通の外部にひきあげられている貨幣であり︑

﹁何時でも商品を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂貨幣であると規定しているのであるが︑﹁準備貨幣資本﹂

は︑購買手段および支払手段の準備金として存在している貨幣資本であり︑それは資本の再生産過程のうちにあるの

であって︑流通からその外部にひきあげられている貨幣資本ではない︒﹁準備貨幣資本﹂の一部︑すなわち支払手段の

準備金としての貨幣資本は︑支払手段として機能し︑それは貨幣としては︑貨幣としての貨幣であるが︑購買手段の

準備金としての貨幣資本は︑流通手段として機能する︒したがワて︑﹁準備貨幣資本一をすべて︑貨幣としては︑

幣としての貨幣であるととらえることはできない︒また﹁準備貨幣資本﹂は︑貨幣としては︑流通手段あるいは支払

手段としての貨幣の一部分であり︑

した

がっ

て︑

それは流通貨幣量の一構成部分をなしているから︑﹁何時でも商品

を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂貨幣ではない︒つまり︑﹁準備貨幣資本﹂は︑貨幣として宇野氏が規定

する﹁資金﹂にはあてはまらない︒したがって︑﹁準備貨幣資本﹂は︑宇野氏のいう

﹁資

金﹂

ではないというととに

なる︒このごとについて︑もうすこしくわしく説明すろことにしよう︒

﹁準備貨幣資本﹂は︑資本の再生産過程のなかにあって︑生産資本への再転形をおこなうべく規定されている資本

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

九五

(16)

﹁遊

休資

L

につ

いて

九六

価値ではあるが︑まだ生産資本への転形をおこなっていない︑その準備の段階にある貨幣資本である︒ところで︑貨

幣資本は︑貨幣の諸機能をはたしうるだけであって︑他のなんらの諸機能をもはたすことはできない︒それは︑貨幣

であって︑たんなる商品でもなく︑また生産をおこなうがための諸要素でもない︒貨幣が貨幣資本となるのは︑それ

が資本の循環との関連によって規定されている諸段階の一つの状態におかれている場合である︒したがって︑貨幣資

本の諸機能は︑それが資本であるということから生じるのではなく︑それが貨幣であるということから生じるのであ

G l

w

へ耐という行為によっておこなわれる︒この再転形は︑資本の再生産過

程そのものの諸条件にもとづいて時期をこと心げて継起的におこなわれる︒

G I

w

八叫という行為がおこなわれる場

合には︑貨瞥資本は購買手段あるいは支払手段という機能をばたす︒貨幣資本が購買手段として機能するか︑支払手

段として機能するかということ土︑GIW¥叫がどのような形態でおこなわれるかということに依存している︒そし

l / P  

E︑

¥ ム

て︑貨幣資本は生産資本に転形され︑貨幣資本の形息をぬきずてるG│W/加という行為

ε

おこなっていない貨幣

形態にとどまっている貨幣資本︑すなわち﹁準備貨幣資本しは︑購買手段あるいは支払手段としての機能をおこない 貨幣資本の生産資本への再転形は︑

うる状態にあるが︑現実には購買手段あるいは支払手段として能動的に機能していない︒それは購買手段あるいは支

払手段として機能することを準備している段階にある貨幣資本である︒

つま

り︑

それは購買手段および支払手段の準

備金として存在している貨幣資本である︒それが︑購買手段の準備金として存在するか︑あるいは支払手段の準備金¥AZ

ι臣 ︑

として存在するかは︑GIW/加カとdような斤主においておこなわれるかあるいはどの上うな形態においておこ

ということに依存しており︑それぞれの準備金が形成される契機はあいことなっている︒

なわ

れた

か︑

(17)

ところで︑購買手段ちょび支払手段の準備金として休息状態にある貨幣は︑流通していない︑﹁非流通手段﹂とし

ての貨幣である︒わたくしは︑流通していない︑﹁非流通手段﹂として存在している貨幣を広義の蓄蔵貨幣としてい

るので︑購買手段および支払手段の準備金として存在している貨幣資本︑﹁準備貨幣資本﹂は︑

貨幣

とし

ては

広義

の蓄蔵貨幣であるということになる︒まえにものべたように︑﹃資本論﹄においては︑﹁準備貨幣資本﹂は︑﹁蓄蔵貨

幣の第一形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣であるともされているが︑この場合の﹁蓄蔵貨幣﹂は︑広義の蓄蔵貨幣である︒

したがって︑﹁準備貨幣資本﹂は︑貨幣としては︑流通の外部にあって︑流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨

幣︑わたくしのいう狭義の蓄蔵貨幣ではない︒

購買手段の準備金として存在する貨幣は︑それが流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨幣であるというかぎ

りにおいて広義の蓄蔵貨幣であるというのであって︑貨幣の形態規定としては︑それは流通手段という形態規定のも

とにおかれており︑流通手段として機能する貨幣の一部分である︒また支払手段の準備金として存在する貨幣も︑

れが流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨幣であるというかぎりにおいてのみ広義の蓄蔵貨幣であるというの

であって︑貨幣の形態規定としては︑それは支払手段という形態規定のもとにおかれており︑支払手段として機能す

る貨幣の一部分である︒

﹁準備貨幣資本﹂は︑購買手段および支払手段の準備金とじて存在している貨幣資本である︒したがって︑﹁準備

貨幣資本﹂は︑貨幣としては︑流通していない︑﹁非流通手段﹂として存在しているので広義の蓄蔵貨幣であるとも

いうことができるが︑貨幣の形態規定においては︑それは流通手段としての貨幣︑あるいは支払手段としての貨幣の

一部分である︒﹁準備貨幣資本﹂は︑貨幣としては︑流通の外部にひきあげられており︑流通していない︑﹁非流通手

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

九七

(18)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

/¥. 

段﹂としての貨幣︑貨幣としての貨幣の一つの形態である蓄蔵貨幣︑狭義の蓄蔵貨幣ではない︒

宇野氏は︑﹁資金﹂とは流通の外部にひきあげられた︑流通の外部に存在している貨幣であるととらえているので

あるが︑以上のべてきた土うに︑﹁準備貨幣資本﹂は流通の外部にひきあげられている貨幣資本ではなく︑購買手段

あるいは支払手段の準備金として存在している貨幣資本であるから︑これは貨幣としては︑流通手段あるいは支払手

段としての貨幣の一部分であり︑それは流通貨幣量の一構成部分をなしている︒したがって︑この﹁準備貨幣資本﹂

を︑貨幣としての面において宇野氏のいう﹁資金﹂の具体的な形態としてとらえることはできない︒また﹁準備貨幣

資本﹂は︑たんなる貨幣ではなく︑貨幣資本であるから︑たんなる﹁貨幣としての貨幣﹂にあたる﹁資金﹂という言

葉でいいあらわすことはできない︒

宇野

氏は

みずから規定した﹁資金Lにあてはまらないのに﹁準備貨幣資本﹂を﹁資金﹂

とし

てと

らえ

しかも

﹁準備貨幣資本﹂はけっして遊休なとしておらず︑機能している︑充用されている貨幣資本であるにもかかわらず︑

そして﹁遊休資金﹂の具体的な形態の一つとしているのであるが︑このようなことはあ﹁遊休﹂しているととらえ︑

きらかにあやまりである︒

﹁準備貨幣資本﹂は︑遊休貨幣資本ではなく︑資本の再生産過程の外部にでている貨幣資本ではない︒

したがっ

て︑﹁自由に処分し︑利用し︑使用しうる﹂ような貨幣資本ではない︒それは購買手段お上び支払手段の

備金とし

て生産資本に再転形すべく規定されており︑機能しつつあり︑充用されている貨幣資本である︒

また

それ

は︑

﹁何

時でも商品を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂ものではなく︑貨幣としては︑流通手段として︑あるいは支

払手段としての貨幣の一部分であり︑能動的に流通していないというにすぎず︑休息状態におかれているのであっ

(19)

て︑流通貨幣量の一構成部分をなしており︑﹁流通に投ぜられる﹂というように規定することができないものである︒

したがって︑﹁準備貨幣資本Lは︑けっして﹁遊休資金﹂の一つの具体的な形態であるとはいえないことになる︒

本節においては︑宇野氏が

﹁遊

休資

金﹂

の具体的な形態としてあげている﹁固定資本の償却資金L

︑﹁

蓄積

資金

﹂︑

﹁︑国格の変動等にそなえる準備金﹂についてみることにする︒

︒﹁固定資本の償却資金﹂

宇野氏は︑﹁固定資本の償却資金一についてつぎのようにのべている︒

︐﹁かくして固定資本の回転ば︑流通資本の数回の回転をもって行われ︑その価値は一部分ずつ流動資本の一回転毎

に貨幣に実現せられ︑いわゆる減価償却による資金を形成しつつ行われる︒すなわち資本は固定資本としては一方で

は依然として生産資本として機能しながら︑他方ではすでに貨幣資本としても存在し︑二重の存在を与えられるわけ

である︒したがってかかる貨幣として実現せられた資本は︑一定の期間は生産過程自身になんらの影響を与えること

なくして白由に利用し得られるいわゆる遊休資金として︑事業の運営にも︑金融市場にも一定の役割を演ずるものと

もな

るの

であ

る﹂

ハ旧

﹃原

論﹄

︑上

巻︑

一七

一ペ

ージ

)︒

﹁かくして固定資本は︑貨幣資本の循環による資本の一回転では︑新なる生産物に移転せられ︑回収される流動資

本部分の価値と共に︑その価値の一部分を貨幣として回収されるにすぎないのであって︑それはいわゆる償却資金と

して積立てられて︑固定資本の更新にあてられることになるのである﹂(新﹃原論﹄︑九一1

二ペ

ージ

)︒

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

九九

(20)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

00

固定資本は︑その独自的な回転から︑その更新︑再生産をおこなうまでのあいだ︑その価値を貨幣形態において積

立てておかなければならないということが必然的に生じてくる︒この貨幣形態において積立てられワつある固定資本

の価値が固定資本の減価償却基金である︒したがって︑固定資本の減価償却基金は︑固定資本の独自的な回転にもと

づいて必然的に形成されなければならない︒

固定資本の減価償却基金の形成は︑現物形態における固定資本の助力によって生産された商品が販売されて貨幣に

転形されると同時に︑商品にふくまれている固定資本の磨損価値部分も貨幣に転形されることになるが︑この固定資

本の磨損価値部分である貨幣を流通の外部にひきあげることによっておとなわれる︒

償却

基金

は︑

W G

によって転形された貨幣の一部分を構成する固定資本の磨損価値部分を購買にもちいないで︑ いいかえれば︑固定資本の減価

の流通を中断せしめて︑流通の外部にひきあげることによって形成される︒ここに︑資本の再生産過程における必然

的な契機

ι

もとづいて︑固定資本の減価償却基金の形成という具体的な形態をとった資本制生産のもとにおける貨幣

蓄蔵がおこなわれるということをみることができる︒

﹂の固定資本の減価償却基金の形成︑積立ては︑一定の年数からなる再生産期間︑つまり不変資本のなかの固定的

な詰要素が旧来の現物形態のまま生産過程において機能しつづける期聞がおわるまでのあいだくりかえしつづけてお

こなわれる︒固定資本の再生産期聞がおわったときに︑その減価償却基金として積立てられていた貨幣は︑

一き

ょに

流通にはいり︑新しい労働手段の購入にあてられる︒すなわち貨幣形態から現物形態に再転形される︒だが︑

つぎ

は︑ふたたびこの新しい労働手段のつぎの更新のための準備として減価償却基金の積立てがおこなわれなければなら

ない︒したがって︑固定資本の減価償却基金は︑固定資本の現物形態が更新され︑填補されるまでのあいだ︑貨幣形

(21)

態でその更新︑填補のための準備として存在するということになる︒

この貨幣形態において存在する固定資本の減価償却基金は︑まえにのべたように︑流通の中断によって形成される

のであり︑流通からその外部にひきあげられており︑流通していない︑﹁非流通手段﹂として貨幣である︒したがっ

て︑それは広義の蓄蔵貨幣である︒しかし︑それはたんに広義においてのみでなく︑流通の外部にひきあげられてお

り︑流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨幣であるから︑狭義においても蓄蔵貨幣である︒

すな

わち

固定資

本の減価償却基金としての貨幣は︑狭義の蓄蔵貨幣の形態にある︒また︑それは︑﹃資本論﹄における言葉でいえば︑

﹁蓄蔵貨幣の第二形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣であり︑﹁蓄蔵貨幣の第二形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣の一つの具体的な

形態

であ

る︒

固定資本の減価償却基金としての蓄蔵貨幣は︑園出足資本を現物形態で更新し︑填補するためにもちいられるべ︿規

定されている蓄蔵貨幣であるから貨幣資本である︒

しか

し︑

それは︑資本の再生産過程のなかにあって︑生産過程を

連続的におこなうために機能しつつある貨幣資本ではない︒なぜなら︑生産過程においては︑固定資本の現物形態が

労働手段としてその機能をはたしている︑つまり固定資本の減価償却基金が充用されることなしに生産過程は連続的

におこなわれている︑したがって価値増殖がおこなわれているからであろ︒したがって︑固定資本の減価償却基金と

して存在する蓄蔵貨幣は貨幣資本であり︑しかもそれは︑資本の再生産過程から排除され︑分離されており︑その外

部に存在して︑不変資本のうちの固定的な諸要素が旧来の現物形態のまま生産過程において労働手段として機能しつ

づけているあいだは︑遊休し︑失業している貨幣資本である︒固定資本の減価償却基金として存在する貨幣資本は︑

遊休貨幣資本である︒副定資本の減価償却基金は︑遊休貨幣資本の一つの具体的な資本形態である︒

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

(22)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

宇野氏は︑固定資本の減価償却基金を﹁償却資金﹂というようにいい︑そして︑それは﹁遊休資金﹂の一つの具体

的な形態であるとしている︒宇野氏が理解している﹁遊休﹂は︑第三節においてのべたように︑価値増殖過程にくわ

わっていないという﹁遊休﹂であるが︑このような意味においても固定資本の減価償却基金ば︑﹁遊休﹂しているで

あろう︒しかし︑﹁遊休﹂についての宇野氏の理解は︑けっして

E

しいものではない︒固定資本の減価償却基金とし

ての貨幣資本が遊休貨幣資本であるのは︑ぞれが資本の再生産過程から排除され︑その外部にでているという本来の

意味において遊休しているからである︒

宇野氏は︑固定資本の減価償却基金を﹁償却資金﹂というように﹁資金﹂という言葉をつかっているが︑宇野氏の

規定によれば︑﹁資金﹂とは︑﹁貨幣としての貨幣﹂であり︑﹁流通手段としての貨幣と異つ﹂た貨幣であり︑﹁直接の

流通過程から分離︑独立された貨幣﹂であり︑﹁何時でも商品を購入し得るものとして流通に投ぜられる﹂貨幣であ

る︒固定資本の減価償却基金は︑貨幣としては︑狭義の︑貨幣としての貨幣である蓄蔵貨幣であるから︑それは宇野

氏の﹁資金﹂の規定にあてはまる︑したがって︑固定資本の減価償却基金は︑貨幣としては︑宇野氏の﹁資金﹂にあ

てはまるかも知れない︒しかし︑固定資本の減価償却基金は︑遊休貨幣資本であって︑たんなる貨幣ではない︒した

がって︑固定資本の減価償却基金を﹁償却資金﹂とし︑それを﹁遊休資金﹂の一つの具体的な形態としてとらえるこ

とは︑それが資本であるという性格をみすごす危険性があり︑たんに﹁貨幣としての貨幣﹂である﹁資金﹂という言

葉をもちいることは適当でない︒固定資本の減価償却基金は︑遊休貨幣資本であるのである︒

宇野氏は︑固定資本の減価償却基金は︑つ一定の期間は生産過程自身になんらの影響を与えることなくして自由に

利崩し得られる﹂としている︒たしかに︑固定資本の減価償却基金は︑一定の期間は本来の意味において遊休してい

(23)

るのであるから︑一時的には他の用途に流用し︑利用することは可能である︒しかし︑他の用途に流用されたとして

も︑固定資本の現物形態を更新し︑填補する時点においては︑貨幣形態で回収されていなければならない︒

︒﹁蓄積資金L

つぎに︑宇野氏が﹁遊休資金﹂の一つの具体的な形態としてあげている﹁蓄積資金﹂についてみよう︒

宇野

氏は

つ︑

ぎの

よう

にの

ぺて

いる

﹁貨幣に実現された剰余価値は資本家の自由に処分し得る資金である︒個々の資本家はその如何なる部分を消費資

金に︑又如何なる部分を蓄積資金に充てるかは個人的な意思によって決定するわけであるが︑此の資本家の個人的意

思なるものが︑決して抽象的に考えられるように自由なるものではない︒少くとも社会的にあらわれる現象としては

歴史的に資本主義の発展にしたがって呉って来る︒個々の資本家は資本の人格化されたものとして此の分割を決定す

るものと考えてよいのである︒事実︑資本主義の発展は︑一般的にいって個々の資本家もその資本の絶えざる増加以

外によっては︑資本家として留まることを得ないという事情を形成するのであって︑個々の資本家の自由なる意思に

よる

蓄積

が︑

実は外部からの強制的法則として作用するものによって行われることになるのである﹂

(旧

﹃原

論﹄

︑上

巻︑

O五

│六

ペー

ジ)

﹁剰

余価

値は

かくの如くに資本の再生産過程から分離された︑如何様にも使用し得る貨幣として資金をなすわけ

であ

る﹂

(旧

宮原

論﹄

︑上

巻︑

O二

ペー

ジ)

﹁生産過程において労働によって新しく生産された価値は︑

w

Gの過程において始めて流通することになるので

あるが︑先きに述べたように︑労働力に投ぜられた可変資本部分は︑不変資本部分のようにこの新生産物にその価値

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

O

一 二

(24)

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

O四

を移転せられるわけではない︒しかし資本の流通形態規定から不変資本部分と同様に貨幣として回収されるものとせ

られるのであって︑剰余価値部分はこれによって資本の価値増殖分として確定される︒そしてまたこの剰余価値部分

は ︑

w i

G

に対して

g

として

G

の過程によフて貨幣に実現されると共に︑資本の流通と分離しうることになる︒費木

分離されると︑それは資本家の個人的消費のために支出されることにもなるし︑また資本Gに一部また全部を加えら

れて資本の流通に入ることにもなる︒前の場合は資本は従来の生産過程をそのまま繰り返えすものとして所謂単純再

生産をなし︑後者はヨリ大なる資本による生産ま始めるものとして拡張再生産をな寸わけである︒勿論︑いずれの場

ム口にしても剰余価値gは︑資本の流通から離れて︑自由に使用しうる資金をなすわけであって︑多かれ少かれ貨幣形

態に留まるものとしてよい︒そしてそれはその問︑後に述べるように︑銀行を通して前述の流通上の余剰資金と共に

資本家社会的に利用されることになる︒しかしここでかかる資金の形成の前提をなす資本の流通過程かhりすれば︑屡

とにはならないことが明らかになる︒資本は︑勿論︑ 々誤り解されるように資本の運動が剰余価値gの実現を窮極目標とし︑剰余価値が貨幣のままに蓄積されるというこ

Gをヨリ多くの価値物たるGに実現することを目標とするもの

では

ある

が︑

Gが再び資本としての運動を続けられるのと同様に︑gもGに加えられて拡張再生産をなすのが原則で

ある︒それは単にヨリ多くの貨幣の蓄蔵を目標とするものではない︒拡張再生産をなすものとしての資本の蓄積がそ

の目的をなすわけである︒しかしまたこの資本の蓄積が行われるにしても︑剰余価値部分が多かれ少かれ資本家の個

人的消費に充てられることは当然である︒かくて資金としての貯蓄は︑いわばその一時的姿態にすぎないのである﹂

(新

﹃原 論﹄

︑九

l四

五ペ ージ

﹀︒

宇野氏が﹁蓄積資金Lという言葉でもっていいあらわそうとしているものは︑﹁新たに蓄積された未投下貨幣資本﹂

(25)

である︒﹁新たに蓄積された未投下貨幣資本﹂というのは︑生産の規模を拡大するために︑資本の再生産過程におい

て機能すべく規定されている貨幣資本であるが︑まだこの過程において貨幣資本として機能していない︑つまりこの

過程で充用されていない︑投下されていない積立てられている貨幣化された剰余価値である︒

資本制生産の全性格は︑第一には︑投下された資本価値の増殖によって︑したがって︑できるだけ多くの剰余価値

そして第二には︑資本の生産によって︑

定されている︒実現された剰余価値の全部が資本家によって個人的に消費されるならば︑再生産は以前とおなじ規模 の生産によって規定されており︑つまり剰余価値の資本への転化によって規

においておこなわれるにすぎない︒すなわち︑単純再生産が進行するにすぎない︒しかし︑このように実現された剰

余価値のすべてを資本家が個人的に消費するために資本制生産をおこなうということは︑資本の自己目的と矛盾す

る︒この矛盾は︑実現された剰余価値を既存の資本にくわえて生産の規模を拡大して︑その運動をつ@つける拡大再生

産によって解決される︒資本制生産にとっては︑この拡大再生産こそが本来の発展形態であり︑拡大再生産は資本制

生産にとって一つの法則となっている︒生産の規模を拡大し︑拡大再生産をおこなうためには︑資本を追加しなけれ

ばならない︒したがって︑資本家は︑実現された剰余価値の全部を個人的に消費することをしないで︑その一部分を

﹁追加資本﹂としてもちいなければならないということになる︒

ところで︑実現され︑貨幣化された剰余価値の一部分が︑ただちに既存の資本価値に追加され︑ごうして既存の資

本といっしょになって再生産過程にはいりこみうるかどうかということは︑gのたんなる存在とは無関係な事情に依

存し

てい

る︒

﹁第一の事業とはべつに創業される第二の独立的事業における貨幣資本としてgをやくだたせようとしても︑

g  が

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

O五

(26)

つ遊

休資

金﹂

につ

いて

O六

これに充用されうるのは︑gがこの事業に必要な最小限の大きさを有する場合のみであるということはあきらかであ

る︒また

g

を最初の事業の拡張に使用しようとしても︑Pの質料的詰要国の関係やそれらの価値関係のために︑

l土

やはり一定の最小限の大きさをもたなければならない︒この事業で作用するすべての生産手段にほ︑質的な相互関係

ばかりでなく︑一定の量的な相互関係︑比率的な大きさがある︒生産資本にはいりこむ諮要因のこのような質料的関

係およびそれによって担われる価値関係は︑gが生産資本の増加分としての追加的生産手段および労働力に

1 1

また

は前者のみに││転態されうるものとなるためにもたなければならない最小限の大きさを規定する﹂(﹃資本論﹄第二

巻 ︑

ω・

寸∞

!?

長谷

部訳

︑青

木版

︑一

O九

ペー

ジ)

生産の規模を拡大するためには追加的生産手段および労働力が必要とされるが︑これらの諸要因には﹁質料的関係

およびそれによって担われる価値関係﹂がある︒gを坐産の規模を拡大するために﹁追加資本﹂として使用しようと

しても︑この技術的に指定されている生産手段および労働力の質料的関係およびそれによって担われる価値関係のた

めに

gは一定の最小限の大きさをもたなければならないということになる︒したがって︑実現された剰余価値の一

部分は︑資本化されるものであっても︑しばしばいくつかの資本の循環の反復によってはじめて現実に﹁追加資本﹂

として機能することのできる大きさにたうすることがある︒資本化されるべき

g

が事業を拡張するために必要とされ

る最小限の大きさをもたないかぎり︑資本の循環によって継起的に生みだされるgの総額が既存の資本といっしょに

なって機能することができるまで︑資本の循諜は︑何回か反復されなければならない︒そこで︑gは︑現実に﹁追加

資本﹂として機能することができる大きさにたつするまで積立てられていなければならないということになる︒ここ

じ︑資本化されるべきgが一時的に積立てられなければならないという必然性がある︒

(27)

生産の規模を拡大するための実現されたgの積立は︑生産過程において生産された剰余価値をふくむ商品資本

( W )

が貨幣資本

( G )

に転形され︑その剰余価値部分であるgの一部分を流通の外部にひきあげることによっておこなわ

いい

かえ

れば

︑ W G

によって実現された剰余価値の一部分を購買にもちいないで︑流通を中断せしめること

れる

によっておこなわれる︒ここにおいても︑資本制生産のもとにおいて貨幣蓄蔵が必然的におこなわれるということを

みることができる︒したがって︑積立てられているgは︑流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨幣であるか

ら︑それは広義の蓄蔵貨幣の形態にある︒しかし︑それはたんに広義においてのみでなく︑流通の外部にひきあげら

れており︑流通していない︑﹁非流通手段﹂としての貨幣であるから︑それは狭義の蓄蔵貨幣である︒

このように︑積立てられている

g

は︑狭義の蓄蔵貨幣の形態にあるが︑それはたんなる蓄蔵貨幣ではなく︑﹁追加

資本﹂として機能しうる大きさにたっすれば︑資本の再生産過程のなかにはいりこみ︑現実にこの過程において機能

している既存の資本価値といっしょになって生産の規模を拡大するために生産資本の諸要素に転形されるべき使命︑

目的をもっている貨幣資本である︒しかしながら︑それがこのような目的によって規定されている貨幣資本であると

いっ

ても

それはまだ資本の再生産過程にはいりこんでおらず︑この過程において貨幣資本としては機能していな

ぃ︑まだ機能する能力をもっていない貨幣資本である︒したがって︑積立てられているgは︑資本の再生産過程から

排除され︑分離されており︑この過程の外部にあって︑﹁追加資本﹂として機能することができる大きさにたつする

までのあいだ遊休している︑失業している遊休貨幣資本である︒積立てられているg︑すなわち﹁新たに蓄積された

未投下貨幣資本﹂は︑遊休貨幣資本の一つの具体的な資本形態である︒また﹃資本論﹄においては︑この﹁新たに蓄

積された未投下貨幣資本﹂は︑﹁蓄蔵貨幣の第二形態﹂にぞくする蓄蔵貨幣の一つの資本形態とされている︒

﹁遊

休資

金﹂

につ

いて

O七

参照

関連したドキュメント

Appeon and other Appeon products and services mentioned herein as well as their respective logos are trademarks or registered trademarks of Appeon Limited.. SAP and other SAP

資本準備金 28,691,236円のうち、28,691,236円 (全額) 利益準備金 63,489,782円のうち、63,489,782円

繰延税金資産は、「繰延税金資産の回収可能性に関する適用指針」(企業会計基準適用指針第26

 固定資産は、キャッシュ・フローを生み出す最小単位として、各事業部を基本単位としてグルーピングし、遊休資産に

“Breuil-M´ezard conjecture and modularity lifting for potentially semistable deformations after

”American Time Use Survey”(2016)及び Eurostat ”How Europeans Spend Their Everyday Life of Women and

所得割 3以上の都道府県に事務所・事 軽減税率 業所があり、資本金の額(又は 不適用法人 出資金の額)が1千万円以上の

当第1四半期連結会計期間末の総資産については、配当金の支払及び借入金の返済等により現金及び預金が減少