るスペイン無敵艦隊の脅威
著者 勝山 貴之
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 100
ページ 1‑22
発行年 2019‑03
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000412
-1590年代におけるスペイン無敵艦隊の脅威-
勝 山 貴 之
序.
1592年9月、エリザベス女王は、グロスターシャーにあるチャンドス男爵 ジョン・ブリッジズ(John Brydges, First Baron Chandos)の屋敷スードリー城
(Sudeley Castle)を訪れたことが記録に残されている。城では、スペインのア
ルマダ海戦における勝利を記念し、3日間にわたって華やかな祝宴が開かれ た。宴席では、まず仮面劇が催され、国を守る守護神としてエリザベスの存 在が讃えられた後、数々の豪華な料理が供されたという。
女王が地方の豪族を訪れるのは、地方を視察するという名目と共に、地方 の有力者との結びつきを強化し、宮廷を中心とした中央集権支配を推し進め ていくことも念頭にあった。滞在費用は地方豪族の負担となるため、女王の 視察は相手の経済力を推し測る上での重要な指針ともなりえた。かたや地方 豪族側としても、女王の来訪は地方における自分たちの権威を高め、同時に、
王室との関係を深めることができる絶好の機会であった。祝宴における華麗 な余興や贅を尽くした料理の品々は、当然のことながら、その裏に政治的意 味合いを秘めていたのである。(Sim 126-27 )
シェイクスピア劇『空騒ぎ』の第1幕1場では、凱旋してくるスペイン領 主ドン・ペドロ(Don Pedro)とそれを出迎えるメシーナの名家の長レオナート
(Leonato)の姿が描かれる。「わざわざ厄介者のお出迎えに参られたか」(I. i.
96) と声をかけるドン・ペドロに対し、レオナートは大歓迎でこの新たな為
政者を迎えている。ここにおけるスペインの領主とそれに応えるメシーナの 名家との関係もまた、その陰にある政治的思惑は同様であろう。まず材源を 繙きながら、両者の政治的支配関係を確認しておくこととする。
喜劇『空騒ぎ』の主たる材源は、アリオスト(Ariosto)とバンデッロ(Bandello) だとされている(Bullough 2)。アリオストの物語 “Orlando Furioso” の第五歌が、
スコットランドでの出来事を描いているのに対して、バンデッロの物語 “La Prima Parte de le Novelle” はシチリアのメシーナを舞台としており、シェイク スピア作品との間に、より深い結びつきが認められる。バンデッロのノベラ の出だしは、おおよそ次のようなものである。
. . . In the end King Piero defeated King Carlo’s fleet, and took him prisoner;
and, the better to carry on the war, he withdrew the Queen and Court to Messina, that being the city nearest to Italy, with an easy crossing thence into Calabria.
While he was holding Court most royally there, and all was joy because of his victory, joustings and balls being held daily, one of his knights, a baron of great esteem much beloved by King Piero because he was of great personal valour and had carried himself nobly in the recent campaigns, fell deeply in love with a young lady, daughter of Messer Lionato de’ Lionati, a nobleman of Messina. (Bullough 112-13)
シェイクスピア作『空騒ぎ』の幕開きの状況は、バンデッロの物語の出だし と酷似している。劇の冒頭、レオナートのもとへ、アラゴンの領主ドン・ペ ドロが凱旋し、しばしメシーナに逗留するという知らせが届けられる。登場 人物ドン・ペドロの名は、バンデッロのノベラにある王ピエロを思わせるば かりか、レオナートの名もそのまま使われている。シェイクスピアが舞台を 取り巻く状況としているのは、材源の「王ピエロがメシーナに堂々とした王
宮を構えるかたわらで、民衆は戦勝に湧き、日々、馬上試合や大舞踏会が催 された」との記述であろう。そこに描かれているのは、凱旋してくるスペイ ン軍人たちの勇姿と、祝祭に湧くメシーナの民衆たちの様子である。
しかしシェイクスピアは、材源にあったレオナートの娘に恋をする誉れ 高きスペイン人男爵サー・ティンブレオ・ディ・カルドーナ(Sir Timbreo di
Cardona)を、イタリヤはフローレンス出身の若者クローディオ(Claudio)に、
更に劇のもうひとりの主要人物ベネディック(Benedick)はイタリヤのパデュ アの若者へと変えられている(I. i. 11-36)。シェイクスピアは材源における詳 細な歴史的事実には目をつぶり、スペインのアラゴン領主ドン・ペドロの戦 にイタリヤ各地の若者が加わったことを、それとなく観客に伝えているので ある。
こうしたスペインとイタリヤの主従関係は、先にも引用したとおり、舞台 に登場したドン・ペドロがレオナートに「わざわざ厄介者のお出迎えに参ら れたか (“are you come to meet your trouble?”)」(I. i. 96) と声をかけることから も窺われる。ドン・ペドロの台詞からは、自らの来訪がメシーナの住人にとっ ては「煩わしい事柄 (“trouble”)」(97)であり、心から歓迎されていないのでは、
という不安が感じ取れる。メシーナの人々にとって、アラゴンの領主は為政 者といえども、よそ者であるスペイン人に他ならないからである。
しかしメシーナの人々が、むしろスペイン人ドン・ペドロの逗留を、表 面的には盛大な祝宴をもって迎えようとしていることは、登場人物の台詞 からもわかる。「晩餐には必ず参上する、何しろ大掛かりな準備をしてく れているようだから(“I will not fail him at supper; for indeed he hath made great preparation.”)」(I. i. 277-78)、「今夜は宴会がある。いよいよ仮装となった ら、私がお前の役を演じるのだ(“I know we shall have revelling to-night; / I will assume thy part in some disguise,”) 」(320-21)など、これらの台詞はドン・ペド ロのために華やかな祝いの宴と仮装舞踏会が設けられていることを物語るも のである。
歓迎の祝典や豪華な宴席が為政者との取引に他ならず、その裏に政治的意 味合いが隠されていることは、エリザベス女王の地方豪族訪問からも明らか であろう。メシーナの上流階級であるレオナートは、新たにシチリアを統治 することとなるスペインのドン・ペドロを歓待し、新体制の中での自分たち 一族の地位を確かなものにしようとするのである。
スペインの領主に対するレオナートの歓迎が、その陰に政治的意味合いを はらんだものであるのに対して、ベアトリスはそうした政治性に絡め取られ ることを言葉巧みに回避する。彼女にふさわしい男性について、「いっその こと、私ではどうだな」と戯れに語りかけたドン・ペドロに対して、彼女は「普 段使いにもうひとり夫をお許しいただけるのならともかく、ご領主様では毎 日使うにはあまりにも高価すぎて」(II. i. 327-283) と冗談で切り返す。宴の 持つ政治的意味合いに勢いを得て、ドン・ペドロが思わず戯れに発した言葉 を、ベアトリスは相手の機嫌を損じないようにしながらも、巧みに返したの である。たとえ戯れであろうとも、メシーナの全ての住民を自分の支配下に 置こうとするドン・ペドロに対する、ベアトリスの毅然とした反撃である。
劇は、スペイン人によるシチリア支配という複雑な国際情勢を、アラゴン の領主ドン・ペドロの凱旋とそれを迎えるメッシーナの住民という単純な図 式に置き換えながらも、そこに政治的意味合いを持ち込もうとする登場人物 と、片やそれを巧みにかわし、好戦的なスペインの政治支配に組み込まれる ことをよしとしない登場人物を、見事に観客に提示しているのである。
この小論では、まずシェイクスピアが材源をもとに、凱旋してくるドン・
ペドロとそれを迎えるメッシーナの人々の様子を描きながら、「戦」のイメー ジが巧みに「食」のイメージへと置き換えていることに注目してみたい。ス ペインに象徴される「戦」のイメージとメッシーナに象徴される饗宴のイメー ジは、作品の中で重要な好対照をなしているからである。更に、シェイクス ピアがこの13世紀の物語に16世紀の歴史上の人物ドン・ジョンを登場させて いる点も無視することはできない。フェリペ二世の異母兄弟であり、オース
トリアを統治していたドン・ジョンは、レパントの海戦でトルコ艦隊を撃破 した後、しばしシチリアに滞在したと言われる。そしてこのドン・ジョンこ そは、メアリー・ステュアートとの結婚を通して、スコットランドとイング ランド両国の支配を目論んだ張本人として、またアルマダによるイングラン ド侵攻を画策した影の人物として、エリザベス朝イングランド人に恐れられ た存在であった。作品に影を落とす1590年代のスペインの脅威と、それに対 する英国民の心情を考察していきたい。
Ⅰ. 「食」への言及と比喩
さて、劇の冒頭から、ドン・ペドロの使者を迎えるのは、ベアトリスの巧 みな舌戦である。彼女は、舌戦における好敵手ベネディックの戦場での功績 を使者に尋ねる。「あの人は、この戦で何人の敵を殺してお召し上がりになっ たのかしら。何人殺したの。あの人の殺した相手は全部ご馳走になるお約束 だったものですから(“I pray you, how many hath he kill’d and eaten in these wars?
But how many hath he kill’d? for indeed I promis’d to eat all of his killing.”」(I. i.
42-45) ベアトリスの台詞は、諺にかけて相手の大言壮語をからかったもので
ある。諺の「殺したものを全て食らう」(Dent A192.2)が「どうせ殺せるわけ がない」との反語を意味することから、ベアトリスは戦場におけるベネディッ クの勲功は無きに等しいはず、と嘲笑したのである。更にベアトリスは、ベ ネディックが腐りかけた兵糧を大急ぎで食べたに違いないと冗談を重ね、彼 の手柄はまさに彼が「太っ腹」の「大食漢」であるがゆえだろう、と嘲笑う。「殺 戮」と「食」という一見たわい無いことば遊びではあるが、劇における重要 なイメージの置き換えである。というのも、スペイン軍が戦場でおこなう殺 戮とは対照的に、イタリヤのメシーナは生を謳歌する「食」のイメージに溢 れているからである。ベアトリスはベネディックのことを、からかうには「お あつらえ向きの食べ物(“such meet food to feed it”)」(I. i. 121) と馬鹿にし、ベ
ネディックはベアトリスを「大嫌いな料理(“a dish I love not”)」(II. i. 274) と 喩える。台詞の中に次々と繰り出される「食」のイメージは、メシーナの祝 祭の雰囲気を盛り上げると共に、登場人物の気質も物語る。
ドン・ペドロの異母兄弟ドン・ジョンは、こうした祝祭の雰囲気にただひ とり馴染めない。ドン・ジョンは言う、「俺は食い気が起れば食うし、他人 様の都合を待ってはおれぬ。(“I...eat when I have stomach, and wait for no man’s leisure;”)」(I. iii. 14-15) 宴に加わり、人々と食を共にすることによって、束の 間のひと時を祝い楽しむことを拒絶する彼は、おおよそ社交とは無縁の人間 である。当然のことながら、常に人々との舌戦を楽しみ、賑やかな笑いさざ めきを求めるベアトリスは、ドン・ジョンを忌み嫌っている。「あの方、い つも不愉快な顔をなさっている。お顔を見ただけで一時間ほどは胸焼けして しまう(“How tartly that gentleman looks! I never can see him but I am heart-burned an hour after.”)」(II. i. 3-4.) 劇中では、「食」のイメージを通して、人々の気質 が語られ、比喩を通して祝祭にふさわしい人物かどうかが観客に伝えられる のである。
Ⅱ. 軍鼓と軍笛
メシーナでの祝祭が陽気なイタリヤ人の気質を前面に押し出すのとは対照 的に、スペイン人達の気質には、「戦」のイメージがつきまとう。ドン・ペ ドロの率いるスペイン軍に参加したイタリヤの青年たちも、戦場での功績に よって評価され、軍隊ならではの男同士の固い友情で結ばれている。クロー ディオがドン・ペドロの目に留まったのは、その若さにも関わらず戦場で「獅 子なる奮迅の働き (“the feats of a lion”)」(I. i. 15)を見せたことによるものであ り、武勇の誉によって頭角を現し、主君の寵愛を勝ち取るのに成功したから である。同じくベネディックもまた、戦場での働きは目覚しい。伝令が、「あ の方もまた今度の戦では大変なご貢献でした。(“He hath done good service. . .
in these wars.”)」(I. i. 49)と伝えている通り、「名将(“a good soldier”)」(53)であ ることから、彼もまたドン・ペドロが一目おく存在である。
そうしたクローディオとベネディックは、まさに義兄弟と呼べる間柄で、
ベアトリスに言わせれば、「地獄の悪魔のもとへでも、一緒に旅に出よう (“young squarer now that will make a voyage with him to the devil”)」(82-83)と言 いかねないほどの固い絆で結ばれている。イタリヤ人とはいえ、スペインの 軍律に生きる彼らは、当然のことながら色恋沙汰には全く関心がなく、二 人は共に恋愛感情を馬鹿にし、恋に盲目になる連中を嘲笑う (II. iii. 7-11)。 ベネディックにとって、恋など彼の身には絶対に起こり得ぬことであり(I.
i. 249-53)、また戦に赴く際のクローディオとて女性の存在など目に入らな
い。「今回の戦に向かおうとする際には、兵士としての目であの人を見てお りました。(“When you went onward on this ended action, / I look’d upon her with a soldier’s eye”)」(I. i. 297-98) スペインの軍規と色恋沙汰は互いに相容れない 存在なのである。
しかしそうした軍隊精神を重んずる二人も、ひとたび恋に落ちれば、その 冷静さを失い、全く異なる一面を覗かせる。無二の親友ベネディックですら、
恋をしたクローディオの変貌ぶりには驚きを隠せない。彼に言わせれば、か つてのクローディオは、流麗な音楽より軍楽の音を好み、流行の上着よりも 甲冑に夢中になるような男だったという。そればかりか兵隊らしい簡潔な物 言いの男だったにも関わらず、今は修辞家と成り果て、「あいつの言葉遣い ときたら、まるで華やかな宴会のごとく、次々と珍しい料理が出てくる (“his words are a very fantastical banquet, just so many strange dishes”)」(II. iii. 20-21) かのごとくだと苦言を呈する。クローディオの心から戦への想いが去ると、
その心の隙間にヒーローへの想いが忍び込み、凱旋を祝う宴は、クローディ オの軍鼓や軍笛への憧れを、宴に供される料理に書き換えてしまったのであ る。言い換えれば、クローディオは、しばしスペインの軍規を忘れ、生まれ ながらのイタリヤ人気質を取り戻したのであろう。
Ⅲ. スペインのオレンジ
『空騒ぎ』の中には、果物オレンジへの言及が見られる。シェイクスピア の全作品を通して、オレンジへの言及は非常に少なく、『コリオレイナス』
と『冬物語』でそれぞれ一度ずつ言及されるのみである。そのことを考えると、
『空騒ぎ』の作品中でオレンジに対して二度の言及がなされる点は印象深い。
一度目は第2幕1場293行目で、クローディオを喩えるベアトリスの台詞 の中で使われる。
The Count is neither sad, nor sick, nor
merry, nor well; but civil count, civil as an orange,
and something of that jealous complexion. (Underline mine)
こ こ で い う “civil”は、「 深 刻 な(“grave”)」、「 行 い が 真 面 目 な(“sober in
behavior”)」を指し、同時に、ほろ苦いオレンジの産地として名高いスペイ
ンのSeville地方とかけたものである(Kanelos 58)。当時の綴り字法では “civil”
と “Seville”は同じように綴られたことから、観客にはこのことば遊びが容易
に理解されたはずである。またオレンジの色が嫉妬の色とされる黄色っぽい ことから、あるいはSeville地方のオレンジが緑がかった色合いであることか ら、「緑の嫉妬の目をした怪物(“greeneyed monster”)」との連想を呼んで、嫉 妬の表情とかけたものだという。オレンジがSeville地方というスペインとの 連想を招くことは重要である。ベアトリスは、「深刻な」、「真面目な」伯爵 クローディオと呼びながら、同時に「スペイン側についた」、「スペイン的価 値観に染まった」という意味を、揶揄したとも考えられるからである。確か に、クローディオがドン・ペドロの寵愛を得て、スペインの支配勢力の中に 完全に組み込まれてしまっていることは、誰の目にも明らかである。
オレンジをその産地であるスペインと結びつけることは、当時の人々から すれば決して突飛な考えではなかった。1604年イングランドとスペインの和 平を祝うために催されたホワイトホールの宴会で、ジェイムズは主賓であっ たスペイン・カスティリアの大臣(the Constable of Castile)に枝に実った6つの オレンジを差し出し、「スペインの果物は今やイングランドの地に根付いて いる」と語ったといわれている。おそらくオレンジは、イングランドで果物 の栽培を行なっていたサー・フランシス・カルー(Sir Francis Carew)の領地 において刈り取られたものであったのであろう。ジェイムズは、スペインと イングランド両国の間には、しっかりと大地に根を張った友好関係が存在し ていることを伝えたかったのかもしれない(Kanelos 62-3)。ジェイムズはスペ インと和平交渉を締結し、19年に及ぶ両国の対立関係は終わりを迎えた。ジェ イムズの贈ったオレンジの意味を誰もが理解したように、オレンジとスペイ ンの連想は、当時ごく一般的なものだったのである。
こうしたことを考慮すると、婚礼の場である第4幕1場でクローディオが 再びオレンジに言及する意味も理解される。クローディオが、貴重な宝物ヒー ローを頂戴する代わりに、レオナートに何を差し上げたら良いか、と皮肉な 問いかけをすると、ドン・ペドロが「何もない。娘をお返しする以外にはな。
(“Nothing, unless you render her again.”)」(IV. i. 29) と口を挟む。この主君のこ とばを捉えて、すかさずクローディオは言う。
Sweet Prince, you learn me noble thankfulness.
There, Leonato, take her back again.
Give not this rotten orange to your friend;
She’s but the sign and semblance of her honor.
Behold how like a maid she blushes here!
O, what authority and show of truth
Can cunning sin cover itself withal! (IV. i. 30-36, underline mine)
主君のことばに感謝の意を示すクローディオは、スペイン軍の道徳律を重ん じる軍人らしく物事を白か黒かで判断する。彼がオレンジに喩えてヒーロー を断罪するのは、いかにも「スペイン風に染まった」彼らしい比喩でもある わけである。オレンジは皮を剥いてみなければ、中身の味はわからないこと から、欺瞞の象徴ともされた。まさに外面はおいしそうに見える果実のごと く、ヒーローの内面の堕落は測り知れないというのである。しかし逆手に取 れば、これこそ外面に囚われて、物事の本質を見抜くことができないという クローディオの欠点とも言える。ドン・ペドロもクローディオも軍人の定め で、自分が目にしたこと(目にしたと思い込んだこと)しか信じはしない。
風評や夜陰にまみれて垣間みた服装に惑わされ、軍人の誇りである名誉心に 頑に固執するあまり、たとえ愛を誓い合う恋人であっても、相手の言い分に は一切耳を傾けようとしない。そればかりかドン・ペドロもクローディオも 共に、ひたすら自分の名誉が、そして男性としての誇りが、傷つくことを恐 れるのである。スペインの軍人気質に染まったクローディオに対する、ベア トリスのオレンジにかこつけた皮肉が、見事に呼応する箇所である。
Ⅳ. スペインとの決別と劇の大団円
これより先、劇の展開の中でクローディオとベネディックの振る舞いは大 きな違いを見せる。あれほど女性を恋することはありえないと断言していた ベネディックであったが、周囲の策略からベアトリスが自分に思いを寄せて くれていることを耳にするや、たちまち彼女を恋い焦がれてしまう。その点 においては、ベアトリスとても同じである。二人は互いの熱い胸の内を打ち 明け合う。
Bene. By my sword, Beatrice, thou lovest me.
Beat. Do not swear by it, and eat it.
Bene. I will swear by it that you love me, and I will make him eat it that says I love you not you.
Beat. Will you not eat your word?
Bene. With no sauce that can be devis’d to it. I protest I love thee. (IV. i. 273-79)
愛の告白においても、二人は諺にかけて「誓う」と「食べる」の掛け合いを 繰り広げながら、「食」のイメージを重ねる。ベネディックは、クローディ オのように、自分が目にしたことだけを証拠に、自分の判断を過信してしま うようなことはしない。彼は、愛するベアトリスのことばに耳を傾け、彼女 の苦悩を理解し、その苦しみを分かち合おうとするのである。そればかりか 彼女のためなら、たとえ相手が自分の親友であろうと、決闘を申し込むこと も厭わない。「ようしわかった。誓う。奴に決闘を申し込む。(“Enough! I am engag’d, I will challenge him.”)」(IV. i. 331) ベネディックは、主君ドン・ペド ロと袂を分かち、領主に暇を申し出る。「ご領主様、常日頃のご愛顧につい て誠に感謝いたしております。お暇をいただかねばなりません。(“My lord, for your many courtesies I thank you. I must discontinue your company.”)」(V. i.
188-90) 彼は、一度はスペイン軍と共に戦ったイタリヤ人でありながら、軍
人としての誇りにのみ生きようとするスペインの呪縛から、ベアトリスへの 愛によって、解き放れたのである。
無実のヒーローが辱められたことに、レオナートはもちろん、叔父アントー ニオも激怒する。
Ant.
. . . What, man! I know them, yea,
And what they weigh, even to the utmost scruple-
Scambling, outfacing, fashion-monging boys, That lie and cog and flout, deprave and slander, Go anticly, and show outward hideousness, And speak [off] half a dozen dang’rous words How they might hurt their enemies-if they durst-
And this is all. (V. i. 92-99)
アントーニオの怒りは、メシーナの人々がスペイン軍人たちに対して抱いて いたありのままの感情に他ならない。「外見はいかにも恐ろしげに、物騒な 言葉を吐き散らす、相手になる奴がいれば、斬って捨てんばかり」といった 軍人たちの様子を、彼のことばが見事に伝えている。誰かれ構わず好戦的な スペインの軍人たちと、誰に対しても誠実であろうとし、情愛をもって接し ようとするメシーナの住人は、当初から異質の存在であった。レオナートが 示した友好の政治的意味合いの陰に、それとは裏腹な民衆の素直な感情が隠 されていたのである。
しかし劇の結末では、こうした好戦的なスペイン人たちの勢力がかき 消されてしまう。ロンドンの夜警を彷彿とさせる警吏たちの活躍により
(McEachern 24)、陰謀に加担したボラーチョ(Borachio)は自白に追い込まれ、
陰で指示をしていたドン・ジョンは逃亡先で捕縛される。もはやメシーナの 平和を脅かす闇の力は存在せず、ヒーローに対するクローディオの誤解は解 け、再び二人の結婚式が執り行われることで、劇は大団円を迎えるのである。
クローディオとヒーロー、ベネディックとベアトリスという二組のカップル が誕生し、祝宴の雰囲気が最高潮に達するなか、ドン・ペドロの存在感は誰 の目にも色褪せて見える。彼に与えられた台詞の数は少なく、花嫁が死んだ はずのヒーローであったことに対して驚きの声をあげた後は、ベネディック をからかうことばをかけるだけの役を充てがわれている。そしてそのからか いすらも、逆にベネディックから「ご領主様、お寂しそうですね。奥方をお
迎えなさいませ、まず奥方を。(“Prince, thou art sad, get thee a wife, get thee a
wife.”)」(V. iv. 122)とやり込められてしまうのである。劇の最後を締めくく
る台詞は、ドン・ペドロの口からではなく、ベネディックから「さあ、高ら かに鳴らせ楽器を。(“Strike up, pipers!”)」(V. iv. 128)と発せられる。スペイン の支配的勢力は、メシーナの祝宴の楽の音の中に見事に包摂され、かき消さ れたのである。
Ⅴ. 歴史上のドン・ジョン
シェイクスピアが『空騒ぎ』の材源としたバンデッロのノベラでは、サー・
ティンブレオ・ディ・カルドーナ(劇中のクローディオ)を陥れるのは、メシー ナに住むもう一人の若い貴族サー・ジロンド・オレリオ・ヴァレンジアーノ (Sir Girondo Olerio Valenziano)なる人物である。サー・ジロンドもまた レオナー トの娘フェニシア(Fenicia、劇中のヒーロー)に想いを寄せていたことから、
彼は嫉妬にかられ、愛し合う二人の仲を裂こうとしたのである。しかしシェ イクスピアは、このメシーナの若者の存在を消し去り、材源には存在しない、
全く新しい人物を登場させている。劇中において、ドン・ペドロの異母兄弟 とされるスペイン人ドン・ジョンである。
このドン・ジョンとは、歴史上の実在人物ドン・ファン・デ・アウステリ ア(Don John of Austria、1547?-1578)であり、エリザベス朝イングランド人に はよく知られた存在であった。彼は、スペイン王カルロス一世(神聖ローマ 皇帝カール五世)の庶子であり、カルロスの後継者フェリペ二世の異母兄弟 にあたる。1571年、ドン・ジョンはローマ教皇ピウス五世により神聖同盟軍 司令官に推挙され、この年の10月にレパントの海戦で神聖同盟連合艦隊を指 揮して、オスマン・トルコ軍を撃破した。キリスト教連合を勝利へと導いた 英雄であるにもかかわらず、異母兄フェリペとは徐々に険悪な仲となり、や がてドン・ジョンはフェリペの自分に対する処遇に失望と不満を覚えるよう
になった。
庶子という出自である以上、ドン・ジョンが自国の王になる望みを抱くこ とは許されなかった。道を断たれた彼は、たとえ戦争という手段に打って出 ても他国を支配し、その国の王位を手に入れることを画策し始める。ドン・
ジョンが、ネーデルランドから軍を率いてイングランドに攻め込み、シェ フィールド城に幽閉されていたスコットランド女王メアリの略奪を計画、更 にメアリとの結婚を通して、自らがスコットランドとイングランドの両国の 君主となることを目論んでいるとの噂が流れ出した。信憑性のあるこの噂を 耳にしたフランス王シャルル九世は、既に1574年の時点でエリザベス女王に 忠告を与えている。イングランドの差し迫った危機を回避するためには、ド ン・ジョンとの対立を避け、両国間に同盟体制を築くことが得策であると、
シャルルは女王に進言していたという。
フランス王の予想どおり、ドン・ジョンはアルマダによるイングランド侵 略を提案し、スペイン政府もその計画に沿って、1576年には彼をネーデルラ ンド総督の地位につけた。イングランドにおけるカトリック勢力の復興とい う大義名分もあり、ドン・ジョンとスコットランド女王メアリの婚姻につい て、フェリペも容認する姿勢を示したのである。ドン・ジョンの飽くなき野 心や、疑り深く、容易に相手を信用しないうえ、目的達成のためには手段 を選ばない性格は、イングランドの人々の間に伝わり、悪の枢軸として恐 れられた。ジョン様は常に「悪だくみばかりを考えておられるから(“Whose spirits toil in frame of villainies.”)」 (IV. i.180)というベネディックの台詞が思い 起こされる。
1578年8月、軍事行動中に体調を崩したドン・ジョンは、その後、病に苦しみ、
そのまま10月には帰らぬ人となった。若干31歳の若さであった。しかしイン グランドの人々にとって、アルマダの侵略を陰で画策し、イングランドとス コットランド両国の王位を手に入れようとした彼の名は、決して忘れること のできない脅威として、記憶に刻まれたに違いない。シェイクスピアが『空
騒ぎ』にドン・ジョンを登場させたのは、こうしたスペインの脅威を観客の 脳裏に蘇らせるためでもあったのであろう。
結:1590年代後半のイングランドとスペイン
『空騒ぎ』の創作された1590年代後半のイングランドとスペインの関係を 知ることは、この作品を理解する上で重要である。というのもエリザベスの 老齢化と共に、次期王位継承者問題を巡って、イングランドとスペインの間 では新たな火種が生まれつつあった。
1595年、R.ドールマンという著者名を冠したロバート・パーソンズ(Robert Parsons)の『次期イングランド王位継承をめぐる会議 (A Conference about the Next Succession to the Crown of England )』が、アントワープから密かにイン グランドに運び込まれた。この書は、共和主義思想をもとに、いかに君主を 選ぶべきかを議論し、次期イングランド王位継承者候補について、真正面か ら論じたものであった。書物の中では、幾人かの王位継承候補の名が挙げら れ、それぞれの適格さが検討された後、スコットランドのジェイムズ六世を さしおいて、スペイン王女インファンタこそが最も相応しいイングランド王 位継承者として名指しされていた。言うまでもなく、カトリック信仰を擁護 すると共に、スペインとイングランドの連携を推し進めようとするイデオロ ギー性の強い書物であると言えるであろう。それは、エリザベスの身に何か あれば、イングランドはスペインの支配下に置かれる可能性をあからさまに 予見していた。
イングランド国内では、王位継承問題を論ずることが固く禁じられていた ことから、この手の書物が出回ったこと自体が大問題であった。またイング ランド王権への忠誠を誓うカトリック穏健派からも、自分たちの立場を危う くする可能性のあるパーソンズの見解に、異を唱える声が挙げられた。この 書物がエセックス伯爵( Robert Devereux, 2nd Earl of Essex)に献呈されていた
ことも、政府側の警戒を強めることとなった。果たして、伯爵への献呈によっ て、この書が国内のカトリックに対しても理解を示す伯爵を、自分たちの勢 力に引き入れることを目的としたものであったのか、それとも女王エリザベ スと伯爵の中を裂き、イングランドを分断することを目的としていたのか、
今となってはパーソンズの真意は明らかではない。書物はたちまち発禁処分 となり、焚書とされることが決定された。
1595年8月7日にリスボンにおいて、スペイン国王が新たな無敵艦隊を準備 しているとの報せが届いた。艦隊は、10隻の大帆船とその他30隻ほどの帆船 からなり、10000人以上の兵力を備えているという。
It is reported that a new armada is preparing by the King of Spain at Lisbon.
There are ten Biscayan ships and thirty others, and some not yet come in;
and enough biscuit prepared for 10,000 men. (Harrison 40)
更に同年8月22日の記録によれば、イングランド本土またはスコットランド へのスペイン軍上陸が翌1596年に計画されている、との噂が流れていること が記されている。1588年のスペイン来襲より遥かに大規模な侵略となる可能 性が危惧された。 (Harrison 41)
枢密院において、エセックスはスペインに対する軍事攻撃を主張する急先 鋒であった。1596年7月から8月にかけて、エセックスは海軍大将チャール ズ・ハワード(Charles Howard)と共にスペイン南端に位置する港カディスを 襲撃し、勝利をおさめた。このカディス急襲によって、伯爵の名は反スペイ ン勢力の中心人物としてキリスト教圏に轟くこととなる。1597年3月、伯爵 は武器士官(Master of Ordnance)に、そして同年12月には軍務伯(Earl Marshal) に任命され、自他共に認めるイングランド軍の最高指揮官となったのである (Gajda 5)。
カディス侵攻直後の、1596年10月にはスペイン側の不穏な動きが密かにエ
リザベス女王に伝えられ、女王は即座に国土の防衛に当たるよう臣下の者 に命令を下している。沿岸部の兵力41,000人、内陸の兵力2,8000人の、総勢 69,000人が、スペイン軍の侵攻に対する備えとして守備態勢に入った。
Because of this news out of Spain many preparations are being made for the defence of the realm. Certain knights and gentlemen residing about London are by the Quee’s special command to return for the defence of their counties. Three of four ships with all diligence to be put in readiness and sent towards Tilbury hope to give intelligence. From Hampshire and Wiltshire 900 men are to be sent to the Isle of Wight. At Plymouth and other ports along the south coasts the fireworks to be in readiness. . . . The numbers to be put in readiness are 69,000; from the maritime counties 41,000 men and from the inland 28,000. (Harrison 147)
エリザベスを苦しめたのは戦費の問題であった。スペインとの間に新たな戦 争を始める余力は、イングランドには残されておらず、国家の防衛だけで手 一杯というのが現状であった。
1597年10月には、スペイン国王が死去したのではないかという噂が流れ、
臨終の床で国王は息子に、自国の受けた屈辱を晴らさずにイングランドとの 和平を決して結ぶことのないようにと誓わせたという。スペイン国王の遺言 とも思えることばを聞き知ったイングランドは一層警戒心を強めた。エリザ ベスはこの報せに、各地の兵力を維持するため、有力貴族たちに更なる資金 提供を要請している。スペイン艦船がイングランドの沿岸に姿を見せるたび 毎に、イングランドではいよいよ開戦との噂が流れ、民心を騒がせた。
その頃、ロバート・セシル(Sir Robert Cecil)は、1596年6月に国務大臣
(Secretary of State)に任命され、父より受け継いだ政治手腕を活かして、エリ
ザベス政権の中枢的な役割を果たすようになっていた。エセックス伯爵がカ
ディス侵攻のための不在期間に進められた人事であった。セシルは、エセッ クスのようにスペインと反駁することによって悪戯にスペインを刺激するの ではなく、融和路線を取ろうとしていた。当然のことながら、1598年前半には、
セシルを中心にスペインとの和平協定を模索しようとする枢密院のメンバー と、軍事強硬派のエセックスの間には大きな溝が生まれつつあった (Gajda 7)。
末期を迎えたエリザベス政権において、対スペイン政策を巡って、政府内 には大きな意見の対立が生まれていたのである。パーソンズの書物の登場ば かりか、エセックス伯爵のカディス攻略の報せを受けて、イングランド国内 では再びスペインとの間に戦争が巻き起こるのではないかとの噂があちこち で囁かれ、民心は動揺していた。かつての悪夢である無敵艦隊が再び来襲す るとの風評も、それなりの信憑性を持ったものに思えたはずである。
正確な時期はわからないものの、シェイクスピアが『空騒ぎ』の執筆に手 を染めたのは、おおよそ1598年頃とされる。この年の9月13日にスペイン国 王が逝去するが、その報せがイングランドに伝えられたのは11月4日付けと なっている。両国の外交関係の流れに微妙な変化の訪れを告げる報せであっ たことは確かであるが、次期国王となる王子がどのような態度に出るか、ま だまだ予断を許さないところであった。(Harrison 316)
『空騒ぎ』は、まさにこうしたスペインとイングランドの風雲急を告げる 政治状況の中で、執筆された作品なのである。おそらく『空騒ぎ』の初演当 時、劇場に詰めかけた観客たちの心の内には、スペインの来襲という迫り来 る危機に対しての不安が渦巻いていたことであろう。劇の結末は、スペイン の脅威が、二組のカップルの誕生により、雲散霧消してしまうことを描いて いるかに思える。策略をめぐらせて恋人たちの仲を裂こうとする悪の枢軸ド ン・ジョンは捕縛され、スペイン軍を率いるアラゴン領主ドン・ペドロの存 在感も希薄である。戦争の血生臭い雰囲気は、メシーナの「食」のイメージ に書き換えられ、祝宴の賑わいのなかにかき消されてしまう。イングランド の民衆にとっては、政府内の好戦派にも融和派にも与することなく、迫り来
るスペインの脅威に対する不安を祝祭の雰囲気の中に葬り去りたかったので あろう。シェイクスピアはそうした民衆の心情を見事に把握していたに違い ない。劇を締めくくるベネディックの「さあ、高らかに鳴らせ楽器を」とい う呼び声に続く、若者たちの恋の結末を祝う楽の音は、メシーナばかりでな く、イングランド人の心の中に響き渡り、人々の心からもスペインの脅威を 吹き飛ばしてくれたことであろう。
参考文献目録
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(この論文は、2017年12月、京都女子大学にて開催された日本英文学会関西 支部大会における招待発表に加筆したものである。)
Synopsis
Much Ado about Nothing and the Image of “Food”:
The Menace of the Spanish Armada in the 1590s
Takayuki Katsuyama
In the last years of Elizabeth’s reign, rumors of yet another war with Spain seized England with anxiety. Hearing that armies had been stationed at the main seaports along the English coastline, many people naturally credited the rumors, and feared that the Spanish Armada would sail again into English waters and invade the country.
In about 1598, Shakespeare, turning his hand to a new play, Much Ado about Nothing, was well aware of the apprehensions that must have haunted his audience. By introducing a real character, Don John, into the play––a character who does not figure in the sources with which he worked––
Shakespeare skillfully exacerbated those apprehensions. Don John de Austria (1547?-1578) was a much-feared prince in England: not only had he been the author of an attempt to rule both England and Scotland through marriage with Mary Stuart (circa 1576); he had also played a crucial role, behind the scenes, in preparing the Spanish Armada.
The play draws a fine contrast between the imagery of battle, symbolized by the presence of the Spanish soldiers, and the imagery of the feast held by the people of Messina. As the drama unfolds, a parade of images associated with “food” subsumes and gradually displaces images associated with war.
Through the dramatist’s masterly control of imagery, combat is transformed into the act of eating. Consequently, the belligerence represented by the
Spanish soldiers wanes and vanishes as the play draws to a close. Borachio, an accomplice in the plot to thwart the marriage of Claudio and Hero, confessed his crime; and Don John, who had egged him on, is arrested as he attempts to flee. The threat which had menaced the peace of Messina is thereby neutralized. Claudio’s misunderstanding of Hero is now put right, and the drama reaches a denouement through their marriage. Moreover, the marriage of Benedick and Beatrice––who had, throughout the play, fought a
“merry war” with words––heightens the atmosphere of festivity, which now reaches a climax. On the other hand, it is notable that Don Pedro, the Prince of Aragon, is given so few lines to speak in the closing scenes of the play;
his presence is much diminished.
Surely Shakespeare shared the feeling of the English people in hoping to fend off Spanish conquest. Benedick’s line “Strike up, pipers!” ends the play, and the music it evokes, echoing in the theater, banishes the fear of Spain not only from the hearts of people of Messina on stage, but also from the hearts of the English men and women in the theater.