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学に進学した中国出身学生の語りを通じて

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学に進学した中国出身学生の語りを通じて

著者 日野 みどり

雑誌名 コミュニカーレ

号 2

ページ 119‑139

発行年 2013‑03

権利 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013141

(2)

香港の大学に進学した中国出身学生の語りを通じて

日 野 みどり

はじめに

中国と香港の関係は、香港の主権が中国に返還される前から今に至るまで、

中国地域研究における重要な課題のひとつである。主権返還以来 15 年、返 還前の大方の予想を裏切って、「一国二制度」下の中港関係はおおむね安定 した状態を保ってきた。香港は、政治面では倉田(2009)が指摘するように 中国政府の漸進的な政策決定や穏健な民主化の「実験場」として機能し(倉 田 2009:345-348)、経済面では周知のとおり中国依存を強めている。他に も標準中国語を学び活用する機会の増大、人的往来の増加など、香港は順調 に中国に同化しつつあるように見える。

教育の分野においても、主権返還以来、香港の高等教育は中国内地1のそ れと急速に距離を縮めつつある。それは主として、1)香港の大学が中国内 地の優秀な学生を受け入れる動き、2)香港の大学のキャンパスを中国国内 に拡張する動き2、3)中国出身の教員を採用する動きの 3 点に大別しうる。

このうち1)は、中港双方の協議を経て返還翌年の 1998 年から香港の各大 学で実施され、当初は限られた省・自治区のみを対象としていたが、2012 年の時点では中国全土が受け入れ対象となっている。

周知のとおり、近年の世界を覆うグローバル化の潮流は、あらゆる地域に、

またあらゆる領域に及んでおり、教育分野も例外ではない。香港もまた、教 育の「国際化」を重点戦略に掲げている。香港特別行政区教育統籌局は 1999 年、香港以外出身の学生の比率を学生総数の 4%以下から 8%以下に緩 和し、さらに 10%以下、そして現在の 20%以下へと急速に拡大した3。し かし興味深いのは、この「国際化」の内実が、圧倒的に内地学生の数の増大

『コミュニカーレ』2(2013)119-139

©₂₀₁₂ 同志社大学グローバル・コミュニケーション学会

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に依存している事実である。香港教育学院が 2009 年 3 月に出した報告書に よれば、2007 年度に香港の大学が特別行政区大学教育資助委員会(University Grants Committee, UGC)の助成を得る課程に受け入れた海外からの学生の うち、実に 92.57%が中国内地出身だという。ちなみに、残りの 4.76%がそ の他アジアからの学生で、アジア以外からの学生は 2.67%にすぎない(Cheng [et.al.] 2009:42)4

2004 年 7 月には、香港教育統籌局局長と中国教育部部長の間で「内地と 香港における高等教育の学位証書を相互に承認することに関する備忘録」が 交わされ、中港双方の学位が互いに認められることとなった。これにより、

中港両地の大学による学生受け入れの相互交流がいっそう進展する(李 2007:23)。教育の「国際化」を掲げつつも、その主眼が対中国内地に置か れていることが明らかである。

「国際化」という語の意味を厳密に捉える向きからは、香港が中国の一部 である以上このような「国際化」とは語義矛盾ではないかという疑問が出る かもしれない。しかし実態はこの通り、中国内地との交流深化をもって国際 化と解することが行われており、かつ現地において語義と実態の不一致に対 する疑問などはたえて聞かない。このことはつまり、香港にとって自らと中 国の関係が――中国への返還というオフィシャルな手続きを経てなお、返還 前からと同様に――多様・多義的であることの傍証であり、それは同時に、

香港にとっての中国内地の「他者性」認識の印ともいえよう。香港人の対中 国認識の多様性・多義性を主権返還前から研究してきた筆者にとって、こう した微妙でかすかな「他者性」を深層に秘めつつ進行する「一体化」という 現象は、主権返還 15 年後の現時点における重要な考察の対象に他ならない。

さて、香港大学が標榜する内地出身学生受け入れの目的は次のとおりであ る。

国際的な大都市・香港は、中国と西洋の文化が交わるところです。

異なる文化の背景を持つ学生たちを集めて学びと生活を共にすれば、

異文化の衝撃と融合のもと、学生にも学校にも好影響を及ぼします。

内地の学生を受け入れることは、香港大学の国際化のレベルをさら

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に上げることにつながります。内地の学生には、努力家で良く学び、

学問の基礎がしっかりしているという特長があります。スピーディで 融通が利き、インタラクションに優れた香港の学生の特長とは、互い に影響を与え合い、補い合う関係にあります。

内地の学生は中国・香港の両地の理解と交流を促進し、両地の文化 を通じ合わせるプラットフォームを構築する存在です。両地の未来を 担うリーダーがここで出会い、知己となるチャンスを、この場は提供 します(香港大学n.d.:24)。

「香港は東西文化の結節点」という中国内地で共有されるロジックを起点 に、「内地の学生に国際的な教育環境を提供し得る」こと、「内地の学生が本 学の国際化のレベルをさらに上げる」ことを謳っている。香港の大学がこう した旗印のもとに内地の優秀な学生を積極的に受け入れるとき、それは大学 にとって何を意味し、いかなる戦略となりうるのか、という問題を立てるこ とができる。同時に、内地出身学生にとって香港の大学という選択は何を意 味するのかという問題も射程に収め得るだろう。さらに、この現象が今後の 中港両地の関係にいかなる影響を及ぼすかという問いも立ちあがってくる。

筆者は、2009 年度から 2011 年度まで科研費共同研究プロジェクト「北東ア ジアから東南アジアを結ぶ華人ネットワークについての研究」の一環として、

香港と中国の高等教育が一体化へ向かうプロセスについて調査を行った。内 地学生の選抜や入学後の教育・学生指導など大学側の戦略や教育運営にかか わる問題については、研究チームとして出版準備中の別稿にて論じた。本稿 では、内地出身学生の側に焦点を当て、彼らの語りの一端を記録し紹介したい。

本研究にかかわる調査は、2010 年から 12 年にかけて実施した。基礎資料 収集のほか、以下の聞き取り調査を行った。

・香港大学(以下HKU)・香港中文大学(以下CUHK)の入学・学生生活の 事務担当者各 1 名への聞き取り調査(2011 年 2 月)

・HKU教員 1 名への聞き取り調査(2011 年 2 月)

・HKU・CUHKの内地出身学生 18 名への聞き取り調査(2011 年 2 月・2012 年 2 月)

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学生 18 名の内訳は、香港で学部課程を学ぶ/学んだ人 12 名(うち 3 名は 卒業)、大学院から香港で学ぶ/学んだ人 6 名(うち 1 名は修了)である。

概要を表1・2に示す。

表1 内地出身学生インフォーマント一覧【学部】

(イニシャル)氏名 性別 大学 専攻 学年 香 港

在住期間 出身地 1 ZC 女 HKU 科学/ファイナンス 2 1年半 吉林省 2 ZJC 男 HKU 経済/金融 3 2年半 上海市 3 LYJ 男 HKU 機械工学 2 1年半 広東省 4 WLT 男 HKU 政治学/心理学 2009年に卒業、就職 5年半 浙江省 5 DM 男 HKU 経済学 大学院(M2)在学中 5年半 江蘇省 6 PY 男 CUHK IT 大学院(D3)在学中 7年半 広東省 7 ZL 女 CUHK ビジネス 3 2年半 河南省 8 LYW 女 CUHK 会計学 2 1年半 上海市 9 HC 男 CUHK ビジネス 3 2年半 江西省 10 XRH 女 CUHK ビジネス 3 2年半 雲南省 11 ZFY 男 CUHK コンピュータサイエンス 3 2年半 遼寧省 12 SZ 男 CUHK 食品・栄養学 4 3年半 広東省

データは調査実施時点(1 ~ 6:2011 年 2 月、7 ~ 12:2012 年 2 月)

表2 内地出身学生インフォーマント一覧【大学院】

(イニシャル)氏名 性別 大学 専攻 学年 香 港

在住期間 出身地 1 WYZ 女 HKU マスメディア 2010年に修了、就職 1年半 広東省 2 CT 女 CUHK 物理学 D4 3年半 湖南省 3 GYY 女 CUHK ビジネス D2 3年半 広東省 4 SW 女 CUHK 教育学 D2 1年半 江蘇省 5 LX 女 CUHK 英文学・言語学 D3 2年半 江蘇省 6 MJF 男 CUHK 人類学 D3 3年半 甘粛省

データは調査実施時点(2011 年 2 月)

どの事例も興味深く示唆に富むライフ・ヒストリーであるが、本稿では特 徴の異なる 4 つの事例を紹介し、簡単に分析する。

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事例1:「自由、自己管理、独立」

HC氏(男性、表1の 9)は江西省出身。2009 年に香港中文大学に入学し、

ビジネス専攻で学ぶ 3 年生である。

香港の大学に進学を決めるまで

高校時代から香港に行きたがっている友人はいましたが、僕は違いました。

けれど、香港の大学が内地の学生を受け入れるようになると、テレビで紹介 されるようになり、母がそうした番組を僕にも見せました。大都市では高校 で香港の大学の説明会があったようですが、僕の住む町にはそういう機会は ありませんでした。同級生で香港に進学したのも僕ひとりです。

大学では物理かビジネスを学びたいと思っていました。北京大学にも合格 の可能性があり、大学から電話もかかってきましたが、物理専攻に入学でき る確約はありませんでした5。中文大学からも電話があり、香港ならビジネ スの分野は実績があると考え、ビジネスを選んだんです。

母は僕が香港へ行くことを希望していました。父は僕にまかせていました。

親戚の中には、内地で人脈を築くことが重要だといって、内地の大学への進 学を勧める人もいました。僕自身は、束縛されるのが嫌いなので、香港が向 いているように思いました。それまで香港について抱いていたのは、開放的 で自由なイメージです。内地にはそれがありません。香港に来てから、それ が正しかったことがわかりました。

適応のプロセス:言語・学業・自律

大学の基礎課程では、広東語の授業が必修でした6。それと、寮のルーム メイトが 3 年間ずっと香港の学生でしたから、広東語には 1 ~ 2 年で困らな くなりました。

英語での授業には、当初困りました。先生の話すスピードが速すぎました が、先生はこちらの理解度など気にかけてくれません。事前にテキストをしっ かり読み込んで授業に臨むと、内容がわかるようになりました。それは今も 同じです。勉学についてうるさく言われない環境ですが、自分で主体的にや らないといけないようになっているんです。

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英語への適応について言えば、1 年生の時は 30 ページほどの英文を読む のに 3 時間かかっていましたが、今は 1 時間半で読めるようになりました。

内地なら毎日宿題が出ますが、ここではすべて自分で生活を管理しなけれ ばなりません。メールチェックの習慣もそうです。大学からの指示や情報は すべてメールで来るので、毎日必ずメールを見るよう指導されます。見ない と自分が不利益を被ります。内地の大学は、こういうメールの使い方をして いません。

内地の大学は、高校と同じクラス制ですから、クラスメイトとは毎日顔を 合わせます。でも、香港のシステムでは、授業の時以外に他の学生と会う機 会がありません。努力しないと同級生と親しくなれないので、なじめない人 もいるかもしれません。

香港人学生との人間関係

内地の大学の寮生活は、4 年間ずっと同じ仲間で、絆を作りやすいです。

それに対して香港では、すべてひとりで独立した生活を送らなければならず、

自己管理が必要です。

香港の学生との付き合いについては、仲良くはできますが、なお距離感が あります。心のうちを語れない感じですね。休日に遊ぶのは、内地出身の友 人とです。街に出かけてぶらぶらしたり、映画を見たり、バスケットボール などをしたりします。長期休暇には中国国内を旅行したりもします。僕は内 地に彼女がいるので、長期休暇は彼女と一緒に過ごします。

僕は香港で働いた経験がないので、香港人の生活がどのようなものかよく わかりません。彼らの文化を否定する気はありませんが、彼らと一体感を持 つのは難しいと思います。友人に聞いても、香港を自分の場所とは思わない と言いますし。香港の学生と同じアイデンティティを持つのは難しいですね。

将来の進路と自己評価

両親は、大学院進学を希望しています。僕自身は、まず香港で就職して経 験を積んでから、MBAに進学するかどうか決めたいと思っています。内地 は就職が厳しく、学歴が必要なので、両親はそれを考えていると思います。

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将来については不確定要素が多いけれど、機会があれば外国へも行きたいで す。

母は僕の香港進学を望みましたが、正しい選択だったかどうか気にしても います。僕自身は、香港の自由さが気に入っています。ここで学ぶのは楽で はないけれど、ずいぶん成長できたと思うので、後悔はしていません。

事例2:困難を経て、成長へ

DM氏(男性、表1の 5)は江蘇省の出身。2005 年に大学入試を受けて香 港大学へ進学し、2010 年に卒業した。その後、香港大学の大学院で学んで いる。

香港への進学を決めるまで

僕は高校卒業までずっと地元で育ちました。卒業後の進路についてはっき りした考えがあったわけではありません。ただ、両親が、香港の複数の大学 がやって来て開催した宣伝活動を見に行き、情報を得てきたんです。両親も 香港の大学についてあまり知りませんでしたが、よい大学があるらしいとい うことになりました。

僕自身は、香港大学が中国の統一大学入試の対象でなく、内地の大学と並 行して受験できたため、「滑り止め」として受験しました7。同時に、香港に ついて知っていることは限られていたものの、香港は公平で公正な競争社会 だと思っていました。そこが中国にない美点だと考えていたんです。そこで、

国際的な教育環境のもとで、相対的に開かれた公正かつ透明な教育を受けた いと思いました。

2005 年に大学入試を受けました。中国の統一入試を受験したほか、香港 大学と香港科技大学にも出願しました。この 2 校は、内地の統一入試とは別 に入試を行っていたからです。香港大と科技大の両方に合格したほか、内地 の大学にも合格したので、どうするかずいぶん考えましたが、最終的に香港 大学を選びました。この間、両親は僕の考えを尊重してくれ、いっさい意見 を差しはさみませんでした。

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未知の社会・文化への不安

香港に来る前の不安要因は、香港人や香港社会との距離ですね。つまり、

厳しいが公平・公正な競争社会だろうという認識のほか、香港は金銭至上社 会で、人と人との関係が希薄なのだろうと思っていました。また、言葉や文 化の壁があるとも感じていました。香港に来てからは、慣れて適応した部分 もありますが、言葉や文化の壁はやはりありましたね。特に、広東語を使い こなして人間関係に順応することは難しかったです。

人間関係への適応困難

学業面の適応は、比較的容易でした。すべてが英語で行われる授業への対 応は、最初はたいへんでしたが、間もなくなじみました。

生活面では、文化や言葉の違いに困りました。発展の遅れた地域から発展 している地域に来た人間に対する偏見があります。香港は広東語を話す社会 なので、言葉も通じません。そのうち、人付き合いを負担に感じ、他人と交 わらなくなりました。克服には時間がかかりましたね。いわゆる大学生らし い活動に加わる機会を逸しました。大学時代の生活を振り返って残念に思う 点は、そこです。住んでいた学生寮ではさまざまな活動がありましたが、香 港の学生と共通の関心を見出せず、そういう活動の何が楽しいのかわからな くて、興味を持てませんでした8

香港の学生にとって、僕たち内地学生の存在は一種の競争相手ないし脅威 だと思います。彼らの目には、内地出身学生は彼らのパイを奪いに来た存在 とみなされ、敵意を持つとまでは言いませんが、多かれ少なかれ、彼らの資 源を圧迫していると思われていたでしょう。余暇を過ごす仲間も、自然と内 地出身の学生が多くなりました。香港の学生との接点は少なかったですね。

変わったのは、大学院に入り、TA(ティーチングアシスタント)として 働くようになってからです。香港の学部生を指導しつつ同僚と接する環境に 身を置き、経験を積むと、香港人との付き合いにもずいぶん慣れてきました。

自己評価

いま思えば、人間関係をうまく作れなかった時期については、若干の後悔

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が残ります。反面、この大学の教育の質には満足しています。また、公平な 競争が保証されていることも評価できます。例えば、香港大学の職員に視覚 障碍のある人がいます。学生センターの偉い人です。障碍があっても関係な く、仕事ができれば認められ、昇進し、尊敬されるんです。香港には差別が ないことの表われですよ。

さまざまな人や考え方がある環境に身を置いて、いろいろな種類の人と接 触したことが、最も大きな収穫だと思います。視野が広がりました。香港は 何でもある社会で、自分と違う存在もいます。友人になれる相手もいれば、

友人にはなれないけれど、その存在を知り、認め合って尊敬し合える相手も いるでしょう。そのように考えられるのは、自分の成長の印かなと思います。

事例3:内地と香港のはざまで

XRH氏(女性、表1の 10)は、香港中文大学でビジネスを専攻する 3 年生。

雲南省出身。

香港の大学に進学を決めるまで

私より 2 つ上の学年から、香港の大学が雲南省で募集を始めました。それ で、香港の各大学が私の高校に宣伝に来ていました。1 年上の先輩が中文大 学に進学していたので、中文大のいいところについて聞いていました。香港 大学や城市大学のようにキャンパスが狭苦しくなく、広くてきれいだとか、

そういう話です。ビジネスを学ぶなら中文大がいいとも聞きました。私の高 校から中文大に進学した先輩が、毎年母校に来て宣伝をするんです。私には、

とてもよく聞こえました。それで、高二の時から香港の大学に行きたくなり ました。

高校の先生は、進学後の不適応例が出始めているという情報を得て、香港 の大学にあまりあこがれすぎないようにと注意しました。また、内地で進学 すれば人脈という資源が強みになる、ともおっしゃいました。私は、香港と 内地のどちらにも善し悪しがあると思っていました。香港で受けている教育 は、内地の学校では望めません。国内の大学は教育の質があまりよくないん です。

(11)

私の高校は売り手市場で、入試のときにはいろんな大学の入学担当の先生 が高校の隣のホテルに詰め、成績が出るとすぐ、高得点の学生に勧誘の電話 をかけてきます。私は、北京大学、復旦大学、人民大学の先生と話し、他に も何校もの先生と話しました。復旦とは、中文大も志望していることを話し た上で協定書も交わしましたが、最終的に香港に決めました。中文大のほか、

香港の別な大学からも合格をもらいましたが、父の意見で中文大にしました。

父は香港進学への挑戦に賛成でした。母はどちらでもいいという意見で、50 万元の奨学金をいただけるのだから行ってみればと言ってくれました。

大学生活への適応

大学生活は忙しいです。自分で自分の時間や生活を管理しなければいけま せん。毎日、緊張の連続です。長期休暇の間も、サマーコースや交流活動な どがあり、忙しいです。プレッシャーの大きい生活ですが、選択肢も多いで すね。でも、しんどい生活です。内地の大学なら、何をするか全部誰かが決 めてくれますから。内地の学生は楽ですよ。香港では、自分で自分の道を決 めないといけません。しかも、私たち内地学生にはハンデキャップもありま す。たとえば、広東語の能力などです。

香港人学生との人間関係

香港の学生との交流は少ないですね。育った環境も違えば、理念も生活ス タイルも違うので、彼らの生活に入って行くのは難しいです。会えばあいさ つをしたり、寮で少しおしゃべりをしたりする程度のつきあいですね。休み の日に遊びに行くときは、内地出身の学生どうしで出かけます。誕生パーティ をするのも内地学生どうしで、香港の学生を呼ぶことはありません。

こんなこともあります。内地と香港では、スターの名前とか映画の題名の 翻訳が違っていて、ある映画についてさんざん会話を交わした末に、ようや く何の映画のことを言っていたのかわかったりします。つまり、話が通じな いんですね。

彼らのことを理解はできるし、受け入れることもできますが、それでも、

彼らの中に溶け込むのは難しいです。

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香港、内地、自らの位置

香港という場所は、個人の能力と価値を重視するところです。内地のよう に、指導教員に可愛がられれば何でもうまくいく世界とは違います。私は、

どちらにも善し悪しがあると思います。私自身は、香港でもやっていける能 力はあると思います。香港は楽な場所ではないけれど、得るものも多いです ね。内地は楽ですが、それなりです。

香港の人たちと内地の人間は、価値観が違う面があります。政治の話はで きません。「内地には香港の助けが必要」と信じ込んでいる香港人のことは、

受け入れがたいですね。

内地の妊婦が香港に出産しに来る事件では、内地人に対する香港人の批判 が高まっています9。そのために私も居心地が悪く、困っています。内地の 妊婦には、お金があるなら欧米に生みに行ってほしい、お金がないなら分を わきまえて内地で生んでほしいと言いたいです。香港人の内地人批判を聞く と、自分たちが責められているようで恥ずかしくなります。私たちは、内地 と香港の両方の事情がわかりますから。

事例4:言論の自由と向き合って

WYZ氏(女性、表2の 1)は、福建省と安徽省出身の両親を持ち、広東省 広州市で生まれ育った。2005 年、北京の大学に進学してメディアを専攻し、

2009 年に卒業後、香港大学大学院で引き続きメディアを学ぶ。2010 年から 香港のテレビ局で働いている。

香港の大学院に進学を決めるまで

大学院に進学したのは、内地では就職の競争が激しかったからです。修士 号が必須だと誰もが考えていました。実は、学部卒業の時点で、私は内定を もらっていたんです。北京、上海、広州、よいオファーを複数いただきまし たが、修士を学ぶ必要があることはわかっていました。でも、内地の大学院 では有用なものを学べず時間を浪費するだけだから、学ぶならアメリカか香 港だと考えました。そして、私は中国に特化したジャーナリズムを志望して いました。そこで、香港でメディア専攻のある 3 つの大学院を受験しました。

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選んだのは香港大学です。理由はふたつあり、一つは内地での知名度と評価、

次に入学試験です。香港大学の入試は、電話で簡単な面接をするだけの他大 学と違い、筆記試験に加えて先生が内地に出向いて面接をするなど、しっか りしていて科学的だと思えました。こういう選考で選ばれた人たちとなら共 に学ぶ価値があると考えたんです。

香港での学び

大学院で学び始めると、それはすばらしいものでした。内地では決して学 び得ないことを数多く学びました。その多くは社会科学に関することで、中 国で現在起きていることや将来起きることをどう考えるか、その検討の自由 度の高さや範囲の広さは驚くべきものでした。内地では、知識として知って いる事柄であれ、それについて議論することはありえませんでした。それは なぜ起きたか、当時の社会状況はどうだったかなどについて内地で意見を交 わす機会は皆無でしたが、香港では誰もが議論をしています。つまり、議論 する自由がここにはあったんです。

こういう環境は、私の価値観の根幹を揺るがし、すべてを根本的に変えま した。影響を受けたのは、一つは大学院の先生方、それに香港社会そのもの です。毎年 6 月 4 日に、天安門事件に抗議する集会がビクトリア公園であり ますよね。あれに参加して、衝撃を受けました。十何万人もの参加者がいた んです。確か 12 万でした。これだけの数の人が、同じ思いのもとに集まっ て活動することに感動しました。信念を感じたんです。内地の人々にはこの ような信念はありません。信じているのはマネー、お金だけです。

根底から変わったのは、中国に対する認識も同じです。私はメディア専攻 でしたから、内地にいた時から他の人よりは多くを知っていたんです。例え ば、外国人監督が撮った天安門事件のドキュメンタリー映画を寮の学生全員 で見たこともあります。でも、それについて意見を交わすことはありません でした。真剣な学術的議論として語り合うことはなく、うわさ話としてひそ ひそと話すだけでした。議論しなかった理由は、何かを恐れるというより、

内地と香港では報道それ自体の性質や社会的意義がまったく違うからでしょ うか10

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香港での仕事

香港で就職することにしたけれど、就職活動は思いのほか苦労しました。

いろいろな局に応募し、何か月もかかって、やっと今のテレビ局に職を得ま した。働いてみると、香港のニュースに携わるのはいろいろと難しいです。

何が難しいかというと、香港の社会の文脈を体得していないことでしょうね。

例えば、香港の大学入試とか、「3・3・4」学制への改革とか、言葉の意味は わかりますが、深いレベルでは実感できません。香港で育って経験していな いから、実感が持てないんです。もちろん、同僚とチームを組み、得意分野 を中心に担当する仕組みはありますが、やはり大変ですね。

けれど、オフィスのポリティクスにはとても満足しています。違う意見を 述べる自由があるからです。上司に“I disagree(私は同意しません)”と言っ ていい。これは内地では考えられません。意見を言える環境のほうがプロ フェッショナルですよね。みんなで良い仕事をするためには重要だと思いま す。

自己評価、香港への評価

香港で学んだ選択は、悪くなかったと思います。大卒後にすぐ大学院に進 学する人のほとんどが就職という選択を考えていませんが、私はそうではな く、就職の内定をもらいながらそれを捨てて進学を選んだので、取捨という か得失についての意識があります。その意味で、特に損失はありません。

香港については、同業者どうしでよく話すんですが、香港は中国の民主に とって最後のとりで、または処女地です。経済面では、香港の貢献はもはや 少ないかもしれない。でも政治面では違います。法制、民主、それに社会全 体の雰囲気、道義性やマナーなど、内地に影響を及ぼせればいいですよね。

実際には難しいんですけど。でも、法をまじめに重んじる姿勢、順法意識は、

内地はほんとうに香港に学ぶべきだし、香港は内地に教えるべきです。民主 については言うまでもありません。自分の社会に責任があるという意識を皆 が持ち、政治におかしなことがあれば声を上げる、これが責任ですが、内地 にはそういう責任感を発揮する人はほとんどいません。だって、それはあま りにも危険を伴いますから。

(15)

この聞き取り調査の後まもなく、彼女は香港のテレビ局を辞め、中国内地 に転職したという。彼女が香港で学ぶそもそもの目的は、就職する上での競 争力としての学歴を高めるためだったのだから、その意味では初志貫徹した とも言えるが、香港での経験が彼女のその後にどのような影響をもたらすの か、興味深い。

おわりに

以上、香港の大学が中国内地において認知され、内地の優秀な学生の教育 の場として選ばれるようになったプロセスを見てきた。それは、香港の大学 を選び、かつ香港の大学に選ばれた内地の学生たちが、香港での学業と生活 を経験するプロセスであり、またその経験者が年々増加し蓄積されるプロセ スでもある。

内地学生たちの語りからは、彼らが香港という選択を主体的に行い、自分 の可能性を伸ばす進路として香港の特徴を前向きに捉えていたことがわか る。また、香港での学業を通じて内地の大学にない学びを享受し、彼らが満 足していることも窺える。前項各事例の見出しに示したとおり、4 つの事例 は比較的特徴の異なる 4 人の語りを紹介したものである。事例1・3からは、

香港の大学が学生に求める自律性と自己管理は、学生に対する管理監督の行 き届いた内地の学校にはない要素であることがわかる。彼らはとまどいなが らもそれに適応し、「楽ではない」「しんどい」と言いながらそうした自己管 理能力を身に着けつつある。他方、彼らと香港人学生との関係はおしなべて 表面的・限定的で、事例2のように一時的な適応困難をきたした人もいる。

これは極端な事例であるが、本稿に紹介できなかった他の事例でも、香港人 学生との関係の取り方に壁を感じるという声は非常に多かった。事例2では、

本人が環境の変化を契機に香港人との関わり方の殻を破り、かつての自分の 姿を冷静に総括して、異文化に身を置いて自分を相対化することや自己と他 者をともに尊重することを学んだ自らの成長を実感している点が印象深い。

また事例3は、自分を中国内地と香港の両方に通じた存在と位置付けた上で 両者の関係を自分の言葉で語っている点が特徴的である。実は、こうした視 点を持つ人は全体の中でもまれであった。例外は事例4であるが、この例は

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メディア専攻ゆえの特異性が際立つ。

本稿の冒頭で、主権返還以降、香港の高等教育が中国のそれと「急速に距 離を縮めつつある」と記したが、その前の段階の中等教育をも含む形で、香 港の教育制度は中国との一体化を深めている。2 点指摘すると、第一に学制 改革がある。植民地時代から続いたイギリス式の中等教育制度が 2009 年か ら高校 3 年制に改まり、2012 年から大学が 4 年制になって、「3・3・4」学 制への移行がなされた。これは香港の教育制度にとって一大改革であり、イ ギリスに倣った制度を排して中国の学制に合わせたことは、明らかに教育制 度の一体化を強めた。第二に、内地の大学も香港の優秀な学生を取り込み始 めている。2012 年 2 月、内地の 63 大学が統一入試免除で香港の学生を受け 入れるプログラムが初めて実施された。北京大、清華大、復旦大など有名校 も含まれたこのプログラムには、10 日足らずで約 5000 名が出願したという

(『明報』2012 年 3 月 2 日付、『文匯報』2012 年 3 月 2 日付)。

本稿で紹介した内地出身学生たちの物語は、その意味で、個人的体験であ ると同時に、中港両地の教育が一体化する過程をよく映し出す。歴史的に見 れば、香港に近代的教育制度が形成された 1920 ~ 30 年代以来、香港の学校 には、当時の中華民国の制度に沿って教育を行い、中華民国の教育機関と同 等と認められていたものがあった。これは中華民国が建国以来展開していた 華僑政策の一環であり、海外華僑の主な集住地区に領事館と国民党支部が置 かれたほか、自国教育機関の言わば「海外校」にあたる華僑学校(僑校)の 設置も重視された。この僑校が、本国の公文書に登録された学校である(日 野 2008:379-380)。イギリスの植民地であったにもかかわらず現出したこ の状況は、1941 年 12 月、日本軍の香港占領とそれに続く軍政施行により教 育が事実上崩壊するまで続く。つまり、僑校に関する限り、中港両地の教育 制度はすでに一体であったともいえ、従って、本稿が扱った「高等教育の中 港一体化プロセス」とは、歴史が断絶を経て日本軍政以前の状況を取り戻す 過程であるようにも見える。

しかし、当時と現在で大きく異なるのは、当時の中国が中華民国であった のに対し、現在の香港が属する中国は社会主義の中華人民共和国だという点 である。2012 年、両地の教育の一体化と逆行する動きが起きた。「徳育及国

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民教育」科目の新設をめぐる香港特別行政区政府と市民の鋭い対立である。

2010 年に当時の曽蔭権政権下で必修科目「徳育及国民教育」の小・中・高 校への導入が打ち出され11、2012 年 4 月には教育局が 3 年以内の必修化を 前提に同科目のガイドラインを発表した。「国民」が香港特別行政区基本法 に記されていない概念であること12、中国への愛国思想を強調する内容であ ることなどから、児童・生徒の親をはじめ、大学生、教員団体、さらに多く の一般市民がこれを「洗脳」と受け止めて激しく反発する。7 月 29 日には 1 万人を超える抗議デモが行われ、その後も政府庁舎前での座り込みやハン ガーストライキなどが続いた。7 月に就任した曽蔭権の後任・梁振英行政長 官は説得に務めたが、市民の納得は得られず、9 月 8 日、梁長官は同科目の 必修化を撤回し、次いで 10 月 8 日、科目ガイドラインの棚上げを決定した

(『ウィキペディア』、『香港政府新聞網』)。科目そのものの撤回こそ避けたも のの、政府の大幅な譲歩に他ならない。香港の親中派の支持にもかかわらず、

多くの市民の爆発的な拒否反応はそれをはるかに上回った。つまり、香港人 が共有する価値観と北京のそれとの間にはなお相当の距離があることを、こ の事件は露呈した。冒頭に述べたとおり、主権返還以降、安定した中港関係 が持続してきたが、にもかかわらず、両者の間にはなおも価値観の相違に起 因する摩擦が存在する。「徳育及国民教育」科目の問題はそれが顕在化した 典型例であろう。

これに関連して、本調査からは、両者の大学教育のあり方の相違も確認さ れた。独立した思考と批判的精神を重視するか、知識の獲得を重視するかと いった教育方針、学生の自律性形成を優先するか、管理監督を優先するかと いった教育思想、あるいは学術の自由度、学術界と社会の関係のとり方など において、双方の相違は明らかである。特に、権力批判の精神や思想・言論 の自由をめぐる問題は、事例4に顕著にみられるように、重要かつセンシティ ブな問題である。両地の教育の一体化が進む過程において、これらの相違が 今後どのような意味を持ちいかなる作用を及ぼすか、注意深く考察を進める 必要がある。

(18)

謝辞

聞き取り調査の計画と実施にあたって協力して下さった香港大学教務処招 生主任・馬納氏(Ms. Phyllis Ma)、香港中文大学教育学院教育行政与政策学 系・黎萬紅准教授(Prof. Lai Manhong)と大学院生各位にお礼申し上げる。

また、聞き取り調査に応じて下さった学生各位に深く感謝する。

本論文のもとになる調査は、日本学術振興会科学研究費の助成を受けて 行った(課題番号 21310155、代表者:谷垣真理子)。

参考文献

倉田徹(2009)『中国返還後の香港』名古屋大学出版会

中野嘉子(2011)「高校の逸材 争奪戦」『読売新聞』2011 年 1 月 5 日

日野みどり(1998)「香港人であることと中国人であることと――香港の社会変 動とアイデンティティー」瀬川昌久編『香港社会の人類学』風響社、pp.195- 231.

――――(2008)「訳者あとがき」張慧真・孔強生著(日野みどり訳)『日本占領期 香港の子どもたち――学びと暮らしのオーラルヒストリー』凱風社、pp.373- 386.

Cheng, Yin Cheong (et.al.) (2009) A Technical Research Report on The Development of Hong Kong as A Regional Education Hub. Hong Kong: The Hong Kong Institute of Education.

香港大学(n.d.)「Admission of Undergraduate Students from the Mainland/内地本 科生入学計画 2011」

香港中文大学(2010)「2011 年度内地本科生招生手冊」

香港中文大学(2011)「2012 年度内地本科生招生手冊」

李子遅(2007)『去香港上大学』広西人民出版社

「5000 港生報内地大学 清華復旦受歓迎」『明報』2012 年 3 月 2 日

「内地免試招港生 迫爆上環確認中心」『文匯報』2012 年 3 月 2 日

「統計数字」『大学教育資助委員会(University Grants Committee, UGC)』ウェブ サイト(http://cdcf.ugc.edu.hk/cdcf/statIndex.do?language=TC#)(2012 年 10 月 23 日閲覧)

「徳育及国民教育科」『ウィキペディア』

(http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B7%E8%82%B2%E5%8F%8A%E5%9C%8 B%E6%B0%91%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A7%91)(2012 年 10 月 23 日閲覧)

(19)

「梁振英:擱置国教科課程指引」2012 年 10 月 08 日『香港政府新聞網』

(http://www.news.gov.hk/tc/categories/school_work/html/2012/10/20121008_124150.

shtml)(2012 年 10 月 23 日閲覧)

1 香港における中国の呼称は、「大陸」「内地」に大別される。「大陸」は香港人 が中国について否定的な言及を行う際に用いられることが多く、背景には中国 の一党独裁体制や個人の権利の抑圧、官僚の腐敗、立ち遅れた社会・文化的環 境などへの嫌悪感がある。主権返還前には「大陸」が用いられることが一般的 であったと言ってよい。それに対し、「内地」は中国を「内」つまり中心と位 置付け、香港を「外」つまり周縁とみなす用語法であり、この語を用いる場合 は中国を否定的にとらえるニュアンスはほとんどない(日野 1998:214-216)。

主権返還以降、この呼称は増える傾向にある。そして、本稿で論じる大学生受 け入れに関してはもっぱら「内地」が用いられている。すなわち、ここでの中 国は「歓迎すべき優秀な人材の源泉」という文脈でとらえられている。

2 香港バプティスト大学(香港浸会大学)は 2005 年、北京師範大学と共同で 広 東 省 珠 海 に も っ ぱ ら 内 地 学 生 を 教 育 す る 聯 合 国 際 学 院(United International College)を開設している。香港中文大学は 2010 年 2 月 6 日、

深圳市当局との間で深圳キャンパス建設についての覚書を交わし、2011 年 7 月 4 日には「香港中文大学(深圳)」の開設に向けた協議書に署名した。また、

香港大学は 2011 年 12 月に深圳研究院を開設している。

3 香港以外の学生の比率をこれ以上増やさない理由は、学部生の教育課程はほ ぼすべて香港政府の補助金すなわち税収で賄われているためである。なお、

大学教育資助委員会(UGC)の統計によると、2011 年度の学士課程学生は 58,412 人である。

4 なお、大学院生に限れば、中国内地学生の受け入れは 1980 年代末から 90 年 代初めにはすでに行われていたが、そこでとられていたのは内地の学生が個 人的な人脈を通じて香港の教員に直接連絡し、個別に受け入れを認めてもら う方式であった。つまり、受け入れは教員ないし各学部が個別に行っており、

全学で統一の受け入れシステムや戦略があったわけではなかった。これに対 し、1998 年以来の学部生の受け入れは、中国・香港双方の政府の合意を受け、

大学ぐるみの事業として進められた点が大きく異なる。

5 内地の「大学入試後に大学から受験生に電話がかかって来る」ことについて は、後出の事例3を参照。

(20)

6 香港中文大学は、内地出身学生の 1 年次を「基礎課程」という内地生専用プ ログラムに充てている。文科、理科、工科、商科の 4 コースあり、専門科目 のほか一般教養科目や外国語科目がある。広東語は第 1 学期の必修科目で、

1 年後にはほとんどの学生が広東語を聞いて理解できるようになるが、話す スキルには個人差があるという。なお、香港大学は 1 年次を内地の提携大学 で学ばせる(「委託養成」)。英語の運用の訓練には力を入れるが、広東語を 学ぶ科目は開講されない。

7 香港大学は教職員を内地に派遣し、独自の入学試験を行う。これに対し、香 港中文大学は中国内地の統一大学入試に参加している。

8 これに関連して、香港大学の別なインフォーマントの発言を紹介する。「香 港の学生と僕らとは、重きを置くものが違います。例えば、住んでいる寮(ホー ル)ごとにサークル活動がありますが、香港の学生はこれにたいへん力を入 れます。勉強は二の次で試験は全滅しようとも、寮の活動を優先したりしま す。僕は学業のほうが大事です。活動にもできるだけ参加しますが、すべて を投げ打ってまでは取り組めません。そのうち、みんなもだんだんこいつは こうだとわかってきて、寮のメンバーとも仲良くしています。でも、中には 会ってもあいさつしてくれない人もいます」(LYJ・男性)

9 2012 年 2 月の聞き取り調査当時、夫婦とも香港居住権を持たない内地の妊 婦が、子どもの香港居住権を目当てに臨月に香港へ駆け込んで出産する事例 が頻出した。香港の医療資源を圧迫する、香港の妊婦がしわよせを受けるな どのほか、駆け込んだ妊婦と医療スタッフの言葉が通じないなどの問題があ り、大きな社会問題となっていた。実際には、香港で出産しても、子どもに 香港の居住権が与えられることはない。

10 中国では、報道は中国共産党のプロパガンダ機能を担うものだと明確に規定 されている。つまり、権力批判を前提とするジャーナリズムではない。これ に対し、香港の報道は批判的精神に満ちた自由なものでありうると同時に、

資本主義原理に基づくむき出しの商業性と競争を前提としてもいる(倉田 2009:163-169)。

11 2007 年に香港を訪問した胡錦濤・中国国家主席が「青少年に対する国民教 育の重視」を強調したことが背景にあるという。

12 基本法には、香港人について「居民(住民)」の語があるのみである。また、

「公民」という語および概念は広く香港社会に定着している。しかし「国民」

の語および概念はこれらと異なり、国家イデオロギーへの従属・忠誠といっ たイメージに直結するようである。

(21)

Towards Integration of Higher Education in Hong Kong and China:

Narratives of Mainland China Students Studying at Universities in Hong Kong

Midori Hino

keyword: Hong Kong; China; post-handover; higher education; integration;

discrepancy

Since the handover of Hong Kong to China, education in Hong Kong has been rapidly closing its gap with that of mainland China. One of the major changes since 1998 is seen in the eagerness on the part of the universities in Hong Kong to accept excellent students from mainland China, on the basis of agreement between the two governments. This paper introduces four interviews of mainland Chinese students studying at two most prestigious universities in Hong Kong.

Through the analysis we discover a process of advancing integration of higher education between the two sides.

By way of analysis of the narratives of our interviewees, one learns that the mainland students made their own independent decision in choosing to go to Hong Kong as a possible place to improve and fully fulfill their potential. In this sense, one finds that the interviewees are generally satisfied with their decision making, as they fully enjoyed the advantageous education in the Hong Kong universities that mainland institutions would not be able to provide. On the other hand, one finds their social relationship with local Hong Kong students being generally limited and superficial.

The process by which mainland Chinese students accumulate their academic and daily life experiences in Hong Kong, as well as the fact that the number of such students is increasing year by year, is precisely the very process

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by which the higher education systems of both Hong Kong and mainland China are fast moving towards integration. Nevertheless, one should notice that there are still differences, or contradictions, between the two sides, regarding the values placed on educations and its background; in particular on the issues such as freedom of academic study, spirits of criticism, and tension between academism and power. One might continue to pay attention to a question: What would the increasing numbers of mainland students who study in Hong Kong bring on China- Hong Kong relationship in the long run?

参照

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