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著者 勝山 貴之

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『真夏の夜の夢』における東洋と西洋 : 母系社会 による挑戦と父系社会の復権

著者 勝山 貴之

雑誌名 主流

号 78

ページ 1‑24

発行年 2016‑10‑31

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000119

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『真夏の夜の夢』における東洋と西洋

─母系社会による挑戦と父系社会の復権─

勝 山 貴 之

Ⅰ.序

『真夏の夜の夢』のなかでオベロンは,タイターニアが溺愛するインドの 稚児を引き渡すよう求める.しかしオベロンの要求を頑に拒むタイターニア は,その理由を次のように説明している.

The fairy land buys not the child of me.

His mother was a vot’ress of my order, In the spiced Indian air, by night, Full often hath she gossip’d by my side, And sat with me on Neptune’s yellow sands, Marking th’ embarked traders on the fl ood;

When we have laugh’d to see the sails conceive And grow big-bellied with the wanton wind;

Which she, with pretty and with swimming gait, Following (her womb then rich with my young squire) Would imitate, and sail upon the land

To fetch me trifl es, and return again, As from a voyage, rich with merchandise.

But she, being mortal, of that boy did die, And for her sake do I rear up her boy;

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And for her sake I will not part with him. (II. i. 122-37) 1

台詞の中では,タイターニアの信奉者であった人間女性が,様々な品を彼女 に捧げ,仕えてくれたことが語られる.しかしその女性も哀れな人間である が故,お産で命を落とし,忘れ形見として稚児がただひとり遺された.せめ てもの供養として,妖精の女王はその稚児をそばにおくことにしたのだとい う.タイターニアの語りは,稚児の産みの母については明らかにするもの の,父の存在は明かされない.母を亡くした稚児は父に託されるのではな く,赤児を身罷った母親に代わり,タイターニアのもとで養育される.稚児 の出生をめぐる男性の存在は全く言及されず,その養育にあたって男性の介 在は許されない.女たちから生まれ,女性たちの中で養育されるという母系 社会の関係を,タイターニアは語っているのである.これは,男性である父 親の存在を重視する父系社会からの逸脱であり,当然のことながらそこには 長子相続に代表されるような,男性を中心とした血統の維持・継承はありえ ない.

オベロンにとって稚児の譲渡は,彼の家父長的権威を,そして男性中心社 会の秩序を維持していくうえでの象徴的行為であり,タイターニアが最も大 切にする所有物をわが物とすることで,妖精の王は家父長社会の長としての 彼自身のアイデンティティーを確立できる.同時に彼は,稚児を「狩りのお供

(“Knight of his train”)」(II. i. 25),「名誉ある小姓(“my henchman”)」(121)

としての自分に仕えさせたいという意向を表明している.“henchman”とは,

『オックスフォード英語辞典』も示すように,「行列や行進に際して王侯の傍 らに付き従う小姓(“A squire, or page of honour to a prince or great man, who walked or rode beside him in processions, progresses, marches,

etc.”)」 のことを指すが,たとえ幼い子供であろうと,地位と階級を与えら

れる名誉ある役職である.オベロンは,稚児に地位と名誉を与え,自らの組 織する階級社会に組み込むことを目論んでいる.それは父親の存在を排除さ

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れた母系社会の稚児に,父系社会における居場所と役割を与えることによっ て,階級社会の一員として己の存在を意識させ,家父長社会のヒエラルキー に取り込むことを意味するものである.タイターニアがかけがえのない思い 出として語った母系社会は,稚児をオベロンに引き渡すことによって,父系 社会の掟により,上書きされることを求められているのである.

『真夏の夜の夢』において,父系社会と母系社会の対立が重要な主題と なっていることは,今までも批評家たちの注目を集めてきた.2 しかし,ギ リシャを舞台とするこの作品には,インドの稚児への言及やアマゾン族が登 場し,ギリシャと対峙する異文明・異文化が語られていることも忘れてはな らない.それぞれの文明・文化の地理的位置関係を考えるなら,そこには西 洋と東洋という二つの文化圏の衝突が見出せる.この小論では,ギリシャか ら眺めた東洋世界の有り様に注目しながら,作品における母系社会の挑戦と 父系社会の復権について再考してみたい.

Ⅱ.インドの女系カースト

しばしばシェイクスピアとインドとの関係が論じられる際に,インド北部 のムガル帝国が話題にされる.しかし英国人として初めてムガル帝国を旅し たラルフ・フィッチ(Ralph Fitch)や,ジェイムズの長男ヘンリー王子に よってムガル帝国に遣わされた初の外交使節トマス・ロウ(Thomas Roe)

の残した旅行記に,女系社会についての記録を見出すことはできない.3 むし ろ当時のインドにおける女系社会の様子は,南部のヒンドゥー教ヴィジャヤ ナガラ帝国に関する記録の中に存在する.(図1)

ヴィジャヤナガラの社会の様子は,15・16 世紀の西洋キリスト教徒に驚 きをもって伝えられている.なかでも主人が死ねばその妻たちも生きたまま 火葬にするサティの習慣,寺院における公認の売春制度,女性の処女性を不 浄のものとする考え方,妻が複数の夫を持つとする結婚制度などは,西洋人

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にとって全く理解し難いもので あった.4 おそらくヴィジャヤナ ガラ帝国の人々の結婚制度につい て西洋人の記した最初の記録は,

ヴェニス人のニコロ・コンティ

(Nicolò Conti)によるものであ ろう.コンティは 15 世紀半ばに インドを旅し,1444 年にヴェニ スに帰国しているが,彼の旅行記 には「この地方(Calicut)の女 性たちは数人の夫を持つことを許 されており,それゆえある女性た ちは十人あるいはそれ以上の数の 夫を持っている」という記述が見 いだせる.そして,誰の子供かの

判断は妻に委ねられ,「生まれた子供たちは,妻の意のままに夫に割り当て られる」という(Conti 20).コンティの旅行記はもともとラテン語で記さ れたものであったが,ポルトガル語やイタリヤ語など他言語に翻訳された.

またコンティの同時代人で,14 世紀から 15 世紀にアジア西半を支配してい たティムール王朝の外交使節アブド・ウル・ラザーク(Abd-er-Razzak)も,

1441 年にカリカットを訪れた際,「彼らの間には,定められた階級の男たち がおり,その男たちに対してはひとりの女性が多くの夫を持つ習慣となって いる」との記録を残している(Abd-er-Razzak 17).その他,ジェノヴァ商人 ヒエロニモ・ドゥ・サント・ステファーノ(Hieronimo de Santo Stephano)

もまた,15 世紀末のヴィジャヤナガラの様子を,「女たちは,それぞれの望 みに応じて 7 人から 8 人の夫を持つことが法的に認められている」と伝えて いるのである(De Santo Stephano 5).

図1 北部ムガル帝国と

南部ヴィジャヤナガラ帝国

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一夫一婦制を重んずる西洋人にしてみれば,東洋の一夫多妻制度も不可思 議に映ったはずであるが,ヴィジャヤナガラの社会に存在する一妻多夫制度 は,まさに驚異以外の何ものでもなかった.家系の継承に,女性の意見が尊 重され,女性たちによる選択が反映されるのである.プロスペローやリア王 といったシェイクスピア作品の登場人物たちは,自分の子の本当の素性を知 るのは,産みの母である妻のみであると口にしていることが想起される.5 当時の家父長社会に隠された男性の不安,すなわち子供の素性に関しては女 親のみが知るものであり,男親は女親のことばを信じるほかないとする恐怖 が,まさにヒンドゥー教インド社会の不思議な慣習に顕在化した形で存在し ているように思われる.

デュアルテ・バルボサの旅行記

15 世紀から 16 世紀において,ポルトガルの官僚デュアルテ・バルボサ

(Duarte Barbosa)の記した『オリエント見聞録(Livro do que da relacao do que viu e ouviu no Oriente)』は,当時のヴィジャヤナガラ帝国の様子を 克明に伝えている(Rubiés 201-22).1500 年頃,バルボサは叔父の仕事の 補佐を務めるためにインドに渡った後,マラバル海岸地方で使われていたマ ラヤーラム語を習得し,通訳として活躍した.その後,ポルトガル政府の役 人となり,アルブケルケのもとで外交交渉にもあたったという.おそらく 1514 年から 1516 年にかけて,彼は自らが見聞きしたヴィジャヤナガラ帝国 の様子を様々に書き留めたのではないかと思われるが,1516 年に原稿を残 したまま,突然ポルトガルに帰国してしまう.おそらくこの残された原稿か ら,16 世紀に出回ったバルボサの旅行記のスペイン語版やイタリヤ語版が 作成されたと考えられている.6

バルボサの原稿は,ヴィジャヤナガラ帝国の政治,経済,軍備については もちろん,文化・風習の面からも人々の生活を描いている点で,当時の帝国 の様子を物語る貴重な資料である.彼の旅行記は,ヴィジャヤナガラにおけ

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る一妻多夫制度について,より明確な情報を我々に与えてくれる.バルボサ によれば,マラバルにはナイア(Nayres)と呼ばれる人々のカースト階級 が存在し,この名で呼ばれる者たちは王侯たちを敵から警護し,ひとたび戦 闘が始まれば兵士として戦場で戦うことを使命としていた.彼らに結婚は許 されず,定められたカーストの女性たちと愛人関係を持つことだけが許され た.王はナイアの戦士に,家族とのしがらみから解放され,戦場での戦いに 全身全霊を捧げることを求めたため,彼らの戦闘意欲を挫くことになりかね ない結婚の制度を禁止したのであった.また女性たちは,結婚という形をと らない社会制度のなかで,多くのナイアの戦士を愛人に持つことによって,

自らの名声を高めることができた.バルボサの記録には次のような記述が見 いだせる.

These men are not married, their nephews (sisters’ sons) are their heirs. The Nayre women of good birth are very independent, and dispose of themselves as they please with Bramenes, and Nayres, but they do not sleep with men of caste lower than their own . . . Thenceforward the mother goes about searching and asking some young man to take her daughter’s virginity; they must be Nayres, and they regard it among themselves as a disgrace and a foul thing to take a woman’s virginity. And when anyone has once slept with her, she is fit for association with men. Then the mother again goes about enquiring among other young Nayres if they wish to support her daughter, and take her as a Mistress so that three or four Nayres agree with her to keep her, and sleep with her, each paying her so much a day; the more lovers she has the greater is her honour. . . . Any children they may have stay with the mother who has to bring them up, for

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they hold them not to be the children of any men, even if they bear his likeness, and they do not consider them their children, nor are they heirs to their estates, for as I have already stated their heirs are their nephews, sons of their sisters . . . the Kings of the Nayres instituted it in order that the Nayres should not be held back from their service by the burden and labour of rearing children. (Barbosa 2:40-42)

バルボサ以前の 15 世紀にヴィジャヤナガラを訪れた西洋人たちは,自分た ちが目にしたヒンドゥー社会の様子を,キリスト教社会における一夫一婦制 という結婚制度に置き換えて理解しようとしたため,そこに誤解が生じ,妻 が多くの夫を持つことを許されるという一妻多夫制の伝説を生み出したと考 えられる.バルボサの旅行記によって,ナイアというカースト制度の内情が 明らかになったものの,彼の説明をもってしても西洋人にとっては理解し難 い内容であったであろう.女性の処女性を不浄とする考え方,公認の愛人制 度,父性の存在を無視した子供の養育の仕方,あるいは財産相続権が女兄弟 の家系によってなされることなど,家父長制を重んずる西洋社会とは全く異 なった社会制度がここには描かれているからである.ヴィジャヤナガラにお ける一部のカースト内の掟は,西洋の父系社会にとって驚きであるととも に,自分たちが基盤とする社会制度を根底から覆す脅威や不安として西洋人 の目に映ったにちがいない.

残念ながら,バルボサの原稿が 16 世紀に英訳されたかどうかについては 明らかではない.現在,われわれに伝えられているのは,ポルトガル語で書 かれた彼の原稿が再発見され英訳された 19 世紀以降のものである.7 しかし バルボサのヴィジャヤナガラ帝国に関する原稿は,ヴェニスの文官であり地 理学者でもあったジョバンニ・バティスタ・ラムジオ(Giovanni Battista Ramusio)によってイタリヤ語に翻訳され,彼の編纂した三巻本『航海と

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旅行(Della navigationi et viaggi)』(1555-59 年出版)に収録されている.

またポルトガルの年代記作家フェルナオ・ロペス・ド・カスタンヘダ(Fernao Lopes de Castanheda)も,バルボサの書物をもとに『ポルトガル人によるイ ンドの発見と征服の歴史(Historia do descobrimento & conquista da India pelos Portugueses)』を執筆した.カスタンヘダの書物の中で,先ほどのバ ルボサが記したヴィジャヤナガラ帝国のナイアの女性の様子は,ほぼ同じ形 で語られている.そしてこの書は,1582 年に英訳され英国で出版されてい るのである(Castanheda 36).もちろんこうしたインド南部のヴィジャヤ ナガラ帝国の様子は旅行記ばかりでなく,港町の盛り場で,船員たちや交易 商人から口承伝説としてロンドンの人々の間に広まったに違いない.文字と して残された記録以上に,こうした口承伝説が人々の異文化への理解や偏見 に大きな影響を与えたことは,充分考えられることである.ヴィジャヤナガ ラのような異文化における男女関係のありかたや,女兄弟の家系による財産 相続権が,自分たちとは逆の価値観を有するヒンドゥー教インド社会の様子 として,様々な旅行記や口承伝説を媒介に,英国社会に伝搬していた可能性 を否定することはできない.

Ⅲ.アマゾネス王国

父系社会と母系社会の対立,そして西洋と東洋の対立は,アテネにおける 人間世界でも繰り広げられる.『真夏の夜の夢』の冒頭,シーシュースは自 らの婚礼を待ち侘びていることを口にし,「剣をもってあなたの愛を求め,

あなたの愛を勝ち得たのも力づくであった」(I. i. 16-7)と語る.アマゾン 族の女王とシーシュースの出逢いは決して穏やかなものではなく,この婚礼 は抵抗するアマゾン族を武力で支配することによって手にしたものなのであ る.8

アマゾン族の伝説は,ホーマーの『イリアッド』に言及されたのを初めと

(10)

し,ヘロドトスの『歴史』やその他多くの歴史家の書物に登場する.しかし アマゾン族の国の位置については,歴史家によって異なり,定説はない.バ ルカン半島の北部に位置するトラキア,あるいはアナトリア西部,または黒 海の南岸ポントス,更に黒海北部のコーカサス山脈地域を定住地としてあげ る歴史家もいる.こうした定住地域の不確かさが,アマゾン族がギリシャ人 の想像の産物であったとする説のもとともなっている.現在の歴史学や考古 学の研究では,おそらくギリシャ人がアマゾン族と考えたのは,ユーラシア から中国南端までの広大な地域を生活の場としていたスキタイ人(Scythians)

ではなかったかとする説が有力である.スキュティア(Scythia)と呼ばれ るのは,トラキア,黒海,アナトリア北部,コーカサス山脈,カスピ海および,

中央アジアに広がる地域を指す.(図2)ここには多様ながらも文化的類似性を もった遊牧民ある

いは半遊牧民とし て暮らす多くの部 族 が 点 在 し て お り,ギリシャ人は これらの部族民を 総称してスキタイ 人と呼んでいた.

農耕に従事しな がら都市生活を送

るギリシャ人からすると,スキタイ人の暮らしは,想像を絶するものであっ たと思われる.遊牧民であったスキタイ人は,男女の性別を問うことなく,

同じような服をまとい,馬術を身につけ,弓矢を操ることを当然のこととし ていた.ギリシャ人が,女性は家にいて家事をすることを当然としたのに,

彼らの目にするスキタイの女性たちは男性と全く変わらない生活を送ってい るかに映ったのである.こうした両民族の生活様式の違いは,スキタイの女

図2 スキュティア

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性が男まさりであり,男を凌ぐ武勇を備えているといった,歪曲され誇張さ れた伝説を,ギリシャ人のなかに生み出していくこととなる(Mayor 34-51).

やがて伝説は,ヘロドトスをはじめ多くの歴史家に記され,中世のマンデ ヴィルやルネッサンス時代のモンテーニュへと受け継がれた(Herodotus 271-3, Mandeville 116-7, Montaigne 819,962-3).語り継がれた伝説のなか で,アマゾン族は女性だけによる国家をつくりあげ,弓矢の技を極めるため に片方の乳房を切り落とすのだと言われた.更に近隣の国の男たちと交わ り,子をもうけるが,女の子だけに武術を教え,男の子が生まれると殺す か,不具にすることによって戦うことができないようにし,家事に従事させ たと伝えられたのである.ここには父権制社会を構成する家父長制と長子相 続制の逆転の姿が,言い換えれば父系社会の陰画ともいえる母系社会の有様 が見いだせる.

何世紀にも渡って伝説が語られるなかで,ギリシャ人の想像したアマゾン 族の国家は地理的な位置を変え,マルコ・ポーロ(Marco Polo)はアフリ カ に あ る と し, コ ロ ン ブ ス を は じ め サ ー・ ウ ォ ル タ ー・ ロ ー リ ー(Sir Walter Raleigh)は新大陸にあると記している.更に,1580 年にインド北 部のムガル帝国を訪れたイエズス会士モンセラート(Montserrat)神父は,

インドの町ランディガーナにも女性だけの町が存在することを報告している

(Loomba, “The Great Indian Vanishing Trick” 173).男性たちの想像のな かで,アマゾン族に象徴されるような女性支配の国は,常に男たちの政治支 配の及ぶことのない周縁の地であり,未開の辺境地であった.自分たちの築 いてきた文明の光の届くことのない,周縁の地の薄闇のなかこそ,自分たち が忌み嫌い,恐れの対象とする存在が潜む場所として相応しかった.男性た ちは自分たちの支配のヒエラルキーの逆転を,自らの不安と恐怖の対象とし て,辺境に君臨する部族であるアマゾン族伝説のなかに語り継いだのであ る.女性のセクシュアリティの自由奔放さに警鐘を鳴らし,既存の制度から 逸脱した女性のセクシャリティを男性支配の周縁の地,すなわちヒエラル

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キーの裾野に置くことによって,自分たちが歴史のなかで造り上げてきた社 会の構成秩序をより堅牢なものにしようとしたのである.

『真夏の夜の夢』においても,法と秩序を重んずるギリシャの文明はヨー ロッパ文明の頂点を極め,それに比してギリシャ支配の周縁に位置する国の 民族は,美においても劣ったものとして位置づけられている.このことは,

オベロンの魔法にかかったライサンダーがハーミアに対して,肌の色の黒い

「エチオピア人」や「浅黒いタタール人」と蔑みの言葉を投げかけることから も理解される(Raman 269).エジプトおよび紅海に接するアフリカ北東部 の民族であるエチオピア人,あるいはジンギスカンに率いられてアジアおよ び東ヨーロッパを席捲したモンゴル系・トルコ系タタール人にしても,ギリ シャにおける美の基準においてはギリシャ人に敵うことはないと台詞は語 る.ギリシャ人にとって,肌の色の白さは何よりも尊く,褐色の肌をした他 の周辺民族に比して,自分たちが遥かに秀でた存在であることを証明するも のであった.劇世界では,西洋ギリシャを中心にその支配の周縁に位置する,

あるいはその支配の外に位置するアマゾン族,エチオピア人,タタール人は,階 級のなかに序列化されるとともに,インドもまたこれらの国と同等に置かれ,あ るいは地理的には

その裾野に繋がり,

文 明 の ヒ エ ラ ル キーの頂点に君臨 する西洋ギリシャ の支配を迫られて いることが,語ら れているのである

(Stone 99-100).

(図3)

図3 ギリシャと東洋

世界図の一部,オルテリウス『世界劇場』より

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Ⅳ.父系社会ギリシャの揺らぎ

妖精界におけるオベロンとタイターニアの対立や,人間界におけるシー シュースとヒポリタの支配関係が,劇世界におけるマクロコスムを形成する とするなら,ギリシャ市民イージーアスの家庭騒動は,これらの衝突のミク ロコスムとなっている.自分の眼鏡にかなった青年ディミートリアスと娘の 結婚を望むイージーアスに対して,恋人ライサンダーとの結婚を願うハーミ アは,家父長社会の掟とそこから逸脱する女性という構図を描き出す.伝統 的な制度からの逸脱を許さないイージーアスは,父の求めを頑に拒む娘に,

アテネの法に訴えてでも自分の言うことを聞かせようとする.「アテネにい にしえから伝わる法に訴えます.娘は私のものですから,私は娘に命じま す.この紳士のところへ嫁ぐか,それとも死罪となるか,法によって直ちに 決めさせたいと思います.」(I. i. 40-45)アテネの法律は,父権制社会の秩 序として,父親が娘に対してあらゆる権限を有することを謳っている.父親 が娘の結婚相手を定めたなら,娘は当然ながらその判断に従わなくてはなら ない.アテネの司法を預かる者として,公爵シーシュースもアテネの法律を 盾にイージーアスの側に立ち,ハーミアに諭して言う.

To you your father should be as a god;

One that compos’d your beauties; yea, and one To whom you are but as a form in wax, By him imprinted, and within his power, To leave the fi gure, or disfi gure it. (I. i. 47-51)

家父長制における父親の権威は,神にも喩えられる絶対的なものであり,家 族の他の構成員たちがそれに逆らうことはあってはならない.ハーミアが,

恋人ライサンダーのことを,父親が「私の目で見て判断してくれればよいの

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に」と切に訴えても,むしろハーミアが父親の判断に従い,父親の目でディ ミートリアスを見なければいけないと,公爵に切り返されてしまう(I. i.

56-7).ハーミアは,家父長社会に生きる女性に課された宿命として,自分 自身の自由意思を持つことは許されず,父の判断を支持するアテネの法に従 うほかないのである.

シーシュースの説得のことばには,ハーミアを造り出した父への言及は見 られるものの,母への言及はない.父系社会においては,家系の継承におけ る男性の存在が重んじられ,そこに女性の存在が語られることはない.これ は,母系社会であったアマゾン族やヴィジャヤナガラの一部のカーストの女 性を中心とした子孫の継承とは真逆の文化形態であることはいうまでもな い.父と恋人との間で難しい選択を迫られたハーミアの困惑に,アマゾン族 の女王ヒポリタはさすがに同情を寄せるものの,彼女がハーミアの弁護にま わることはない.沈黙を守りながらも,表情を曇らせるヒポリタに,シー シュースは「さあ,元気をだして」(I. i. 122)ととりなしている.シー シュースのやさしい慰めの言葉は,このアマゾン族の女王が心の内に秘めて いる母系社会への郷愁と自らの部族に対する回想を,言葉巧みに父系社会の 倫理観に包摂してしまう.まさに東洋は,シーシュースの帝国支配によっ て,西洋の論理のなかに組み込まれ,異議申し立ての言葉を失ってしまうの である.

家父長制を標榜する父系社会の倫理観を謳うアテネであるが,そうした伝 統的価値観に綻びが見られることも事実である.従来であれば父の定めた青 年のもとへ嫁ぐことがあたりまえであったのかもしれないが,こうしたしき たりもイージーアス自身が「いにしえより伝わる法律」と口にしているよう に,時の流れのなかで時代と齟齬をきたすようになりつつある.ハーミア は,父の選んだディミートリアスに対して,「処女としての特権を好きでも ない夫に捧げ,その頸木に私の魂をかけられたまま一生を過ごすよりも」,

独身で生きてこの世を去るほうが望みであるといって憚らない(I. i. 80-

(15)

82).

他方イージーアスは,自分がディミートリアスを気に入っている以上,

「私のものは私の愛する者に与えたい,娘は私のものなのだから,彼女に対す る私の権利は,ディミートリアスに授けることとする」(I. i. 96-98)と断言す る.イージーアスは台詞の中に,「所有する(“hath”)」,「与える(“render”)」,

「財産を授ける(“estate”)」などの語を使用することで,自分の財産権が ディミートリアスに渡されることを暗に示しているのである(Raman 260). これはまさに男性から男性へと財産が譲渡される家父長制の相続を物語る.

家父長制における財産相続は,男性の家系の中に閉じているのである.

しかし作品のなかには,女性の財産相続を語る台詞が挿入されていること も無視することはできない.絶望するハーミアにライサンダーは,自分たち に残された希望を語る.

A good persuasion; therefore hear me, Hermia:

I have a widow aunt, a dowager, Of great revenue, and she hath no child.

From Athens is her house remote seven leagues;

And she respects me as her only son.

There, gentle Hermia, may I marry thee;

And to that place the sharp Athenian law Cannot pursue us. (I. i. 156-63)

ライサンダーの未亡人の叔母は,女性でありながら財産を相続し,アテネの 法律が課されることのない治外法権の地に住んでいるという.アテネの家父 長制を揺るがせかねない女性の権利が,まさに目と鼻の先に存在するのであ る.ライサンダーの台詞は,男性の長子相続制を標榜するアテネに女性の財 産相続という現実を突きつけ,アテネの法の限界を露呈させる.

(16)

こうした女性の財産相続の話題は,既に劇の冒頭のシーシュースの台詞の なかでも言及されていた.自分たちの婚礼の日が待ち遠しくてたまらないこ とから,シーシュースは思わず自分の内心を口にしている.「この古い月が かけていくのが,なんとゆったりした足取りに思えることだろう.私の願い を長引かせるばかりだ,まるで継母や未亡人がいつまでも生きながらえて若 者の財産を使い果たしてしまうように.」(I. i. 4-6)台詞に言及されるとお り,女性の財産相続は,男性の相続権の前に立ちはだかり,速やかな相続の 流れに竿をさす存在である.家父長制と長子相続制によって裏書きされてい るアテネの社会も,その周辺や内側に,女性の権利の存在という大きな矛盾 を抱え込んでいることが窺える.ギリシャの抱えている内なる矛盾は,まさ にギリシャが対峙するアマゾン族やヒンドゥー教インドによって表象される 母系社会の逆転を彷彿とさせるものである.西洋ギリシャが,東洋に見出し た母系社会という不安と恐怖は,自らの内に巣くう脅威と自己矛盾の投影で もあったのである.

Ⅴ.父系社会の復権

劇の前半で描かれた西洋父系社会と東洋母系社会の対立,そして父権制の 強制とそれに対する抵抗と逸脱は,やがて劇の結末において,父権制社会の 規範のなかに回収されていく.魔法の花の魔力によって怪物と化したボトム を愛したタイターニアも,我が身を恥じて,素直にオベロンの求めに応じる こととなる.

And that same dew which sometime on the buds Was wont to swell like round and orient pearls, Stood now within the pretty fl ouriets’ eyes, Like tears that did their own disgrace bewail.

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When I had at my pleasure taunted her, And she in mild terms begg’d my patience, I then did ask of her her changeling child;

Which straight she gave me, and her fairy sent To bear him to my bower in fairy land.

And now I have the boy, I will undo

This hateful imperfection of her eyes. (IV. i. 53-63)

オベロンの台詞が示すように,東洋の真珠とも思えた露の玉は,いまやその 輝きを恥じらいに変え,自らの傲慢さを省みて,恐れおののいている.東洋 の持つ誘惑的な魅力は,いまやオベロンの権力の強大さを思い知らされ,自 ら彼の前にひれ伏したといえる.そしてタイターニアもまた,かつては譲り 渡すことをあれほどまで頑に拒んでいたにもかかわらず,溺愛する稚児をオ ベロンに素直に差し出している.オベロンの象徴する父権制の支配の下に,

東洋も,そして東洋との絆を守り通していたタイターニアも,もはや何ら反 発や抵抗を示すことなく,従順に組み敷かれたのである.

四人の若い恋人たちの恋の縺れも,魔法が覚めやると,再びライサンダー とハーミアは相思相愛の間柄に,そしてディミートリアスと,かつては彼の 許嫁であったヘレナも元の鞘におさまり,二組のカップルができあがる.愛 する人を取り違えた青年たちのせいで,ハーミアと大喧嘩となったヘレナ は,眠りに落ちる前,幼い頃のハーミアとの固い絆を思い出していた.

Is all the counsel that we two have shar’d, The sisters’ vows, the hours that we have spent, When we have chid the hasty-footed time For parting us – O, is all forgot?

All school-days friendship, childhood innocence? (III. ii. 198-202)

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「双子のサクランボのように(“Like to a double cherry”)」(III. ii. 209),「身 体はふたつに見えても心はひとつであった(“with two seeming bodies, but one heart”)」(III. ii. 212)と思えるような仲の良い二人であったはずなの に,とヘレナは女同士の絆を強調する.それほどまでに固い絆を引き裂い て,男性と組みするハーミアに対して,「私と同じく,すべての女があなた を非難することでしょう(“Our sex, as well as I, may chide you for it,”)」

(III. ii. 218)と,彼女のことを女の敵とまで呼んだヘレナであったが,彼女 の激しい糾弾の声も恋人たちの和解の喜びのなかにかき消されてしまう.混 沌とした森の出来事から一夜明けると,ヘレナは愛する恋人のディミートリ アスを取り戻し,夫となる人の腕のなかで,彼女もまた父系社会の倫理に取 り込まれていくこととなるのである.ヘレナとハーミアの間に存在した永遠 とも思われた女同士の絆は,二人の間には何者も介入することはありえない とすら思われたにも関わらず,解消され消滅することによって,それぞれ見 つけた男性の庇護のもとに包摂された.女同士を基盤とした同性の絆は断ち 切られ,連綿と続く伝統的家父長社会の呪縛の鎖へと繋がれたのである.

互いに愛し合う二組の恋人たちの成立を確認したシーシュースは,ただひ とり憤るイージーアスを宥めながら,恋人たちに結婚の契りを結ばせること を宣言する(IV. i. 179-81).そればかりか,シーシュースは,自分自身の婚 礼と,この若者たちの婚礼を,盛大なる宴席を設けて,共に祝福することを 提案する.「さあ,我々と共に一緒にアテネへ向かおう,三組の恋人が晴れ て結ばれる披露の宴を張ろうではないか.行くぞ,ヒポリタ」(IV. i. 184- 6).シーシュースの提案にアマゾン族の女王ヒポリタも,若者たちと共に,

婚礼の宴へと足を速めることとなる.彼女もまた,シーシュースによって象 徴されるギリシャの父権制社会の一員となったのである.ヘレナとハーミア の幼き日々の女同士の絆が解消されてしまったように,ヒポリタのアマゾン 族に象徴される母系社会への記憶も忘却の彼方へ忘れ去られ,もはや回想さ れることはない.女同士の絆を基盤とした母系社会の痕跡はことごとく拭い

(19)

去られ,父系社会という牙城の堅牢な石組みのなかに,組み込まれたと言え るであろう.

強制ではなく自らの意思による服従

女性たちが男性支配に組み敷かれていく様を辿ってきたが,家父長制の復 権が結婚という形で実に巧みに演出されていることを見落としてはならな い.シーシュースは,自らが力づくでアマゾン族の女王ヒポリタを組み敷い たことに言及しながらも,「婚礼の儀は全く異なる雰囲気で行ないたい,華 やかに,賑やかに,楽しい祭り騒ぎの気分のなかで」(I. i. 18-9)と語って いる.ヒポリタは,勝ち戦の捕虜としてアテネに連れてこられたのではな く,あくまで公爵の花嫁としてシーシュースの宮廷に迎えられたのである.

ヒポリタも,そうしたシーシュースの思いやりを喜んで受け入れる.また若 い恋人たちもそれぞれ相思相愛の仲であることを確かめ合い,結婚の儀式に 臨むのであって,誰ひとりとして自らの意志に反して結婚を強いられるもの はいない.人間たちは,父系社会の倫理観を拒むどころか,一切の疑いを抱 くことなく,むしろ婚礼という形を至福として受け入れている.女性たちに とって,父系社会への参入は,彼女たちに忍耐や苦痛を強いるものではな く,幸福と繁栄への道程とされるのである(Loomba 180-1).

劇の最終場では,オベロンとタイターニアも縒りを戻し,ふたりが共に,

結婚の契りを交わした三組の恋人たちの新床を訪れて,彼らの結婚生活を言 祝ぐこととなる.「われら二人は新床を訪れ,祝福を授けよう.そこに生ま れる子らに永遠の幸せあるように.三組の夫婦ともども永遠の愛情あるよう に.」(V. i. 403-8)父系社会の倫理観に基づく結婚が,皆に幸せをもたらす ものとして,劇の大団円を締めくくる.ライサンダーの叔母のことはもはや 完全に忘れ去られ,女性の財産相続権問題も,二度と言及されることはな い.東洋の母系社会は穏やかに西洋の父系社会に吸収され,階級社会のなか にそれぞれの居場所を与えられることにより,母系社会が体現した脅威は見

(20)

事に包摂された.同時に,東洋の象徴する交易の富もまた,インドの稚児が オベロンに手渡されたように,西洋の帝国主義のなかに組み込まれ,インド の富に対する西洋の嫉妬と不安は,大団円において安堵と満足に変わったの である.

Ⅵ . 結:英国社会における遺産相続

劇は,周縁に位置する国々に対するギリシャの覇権を物語るとともに,ヒ ンドゥー教インドやアマゾン族に見られる女系社会を,ギリシャの父系社会 に回収し包摂する過程を示すものであった.しかしインドとの交易を通して その富の掌握を目論む西洋の姿勢や,父権制社会に抗い,自らの自由意志の もとに行動しようとするアマゾン族を,男性社会の権力構造のなかに組み敷 こうとする西洋の態度は,当時の英国社会の姿を描く写し鏡ともなってい る.劇のなかで何度か取り沙汰されながらも,結末ではもはや言及されるこ とのない女性の相続権問題は,ギリシャではなく,むしろ近代初期の英国社 会に大きな変化をもたらしつつあった問題だからである.

16 世紀の英国では,遺産相続に対する考え方に変化が見られたという.

従来の長子相続制においては,父親の土地・財産は家督を継ぐこととなる長 男に受け継がれることとなっていた.しかし男性長子のみを射程に入れたこ の制度では,長子相続制を堅持するのが難しい現実が,そこにあったことも 事実である.女子の遺産相続を正当化しない限り,女の子にしか恵まれな かった夫婦の場合,あるいは男子が若年齢で死去した場合も含めて,財産相 続に問題が生じた.男性の長子相続法だけでは,家庭内に女の子がいても,

遠縁の親戚筋に遺産が渡る可能性があったからである.更に,宗教改革によ り修道院が廃止されたことによって,貴族社会の女性は結婚の道を選ぶこと が,将来の唯一の選択肢として残されることとなった.当時の貴族社会で は,娘の結婚に際して持参金を添えることが当然の慣わしであったため,娘

(21)

を嫁がせる父親はこの持参金の準備も考えに入れておかなくてはならなかっ た.花嫁が持参金を有していることが,求婚する側の男性にとって重要な結 婚の動機ともなっていたからである.これに関しては,『尺には尺を』にお いて,アンジェロが持参金を失ったヘレナとの結婚を無効としていることな ども,想い起こされるであろう.そしてこの持参金の額がエリザベス朝や ジェイムズ朝において,著しく高騰したと言われている.社会の変化に伴い 様々な経済的な圧迫を感ずるなか,貴族たちが自分たちの財産管理に一層気 を配り始めていたことは容易に想像できる.こうした諸状況を踏まえて,男 性直系長子に遺産相続を限定した考え方から,遺言などがあれば女性であっ ても財産相続の対象と成り得るとする考え方への移行が,一般に受け入れら れるようになりつつあったとされる.イージーアスがハーミアとともに財産 をディミートリアスに譲ろうとすることも,こうした女性の財産権への問い かけを裏に秘めたものであるし,シェイクスピアの作品の中では,何より

『リア王』の土地分配の例が頭に浮かぶであろう.そして遺産相続者となっ た女性が一生独身であった場合,あるいは結婚しても夫に先立たれ未亡人と なり,子供がいなかった場合などは,彼女の遺言次第で財産が渡る先が決め られることとなった(Jardine 78-87).ここに未亡人に対する辛辣なシー シュースの発言や叔母の遺産に期待を寄せるライサンダーの言葉が導き出さ れることとなるのである.

女性の遺産相続は,男性の長子相続を基盤にした社会において,非常に複 雑な意味を持っていた.近親者の女性に財産を譲渡したいという思惑は,父 系社会の理念を根底から揺るがしかねない危険性を孕んでいたのである.な ぜなら,財産相続によって自らの経済力を手にした女性は,同時に自分の遺 産を誰に譲るかといった遺言の作成も含めて,様々な意味で家庭内におけ る,あるいは家系に対する発言権も持つこととなったからである(Jardine 88).家父長制社会はその根幹部分において,父系社会のなかに母系社会へ と通ずる矛盾を抱え込み,男性たちがその縺れに一抹の不安を感ずるように

(22)

なっていたことは否定できない.近代初期英国の父系社会の内包するこうし た不安は,アマゾン族伝説やヒンドゥー教インドに象徴される逆転の世界と して,男性中心文化の周縁に確かに存在し,そこから家父長社会のヒエラル キーを突き崩してくるかに見える,ある種の脅威として感得されたのかもし れない.それは自分たちの社会の内に潜む不安の投影された幻影であり,内 なる恐怖の顕在化が生み出した風評であったのかもしれない.だからこそ,

その破壊的エネルギーを家父長社会の掟のなかに取り込み,結婚という和解 の方策によって,表面的に巧みに吸収し包摂することは,男女両方の観客の 拍手喝采に繋がったのであろう.父系社会による母系社会の回収と西洋によ る東洋に対する覇権という二つの主題を,恋人たちの結婚による大団円へと 昇華させていくシェイクスピアの円熟した作劇術が認められる.

註

1

William Shakespeare, The Merchant of Venice, Riverside Shakespeare, ed.

Blakemore Evans, 2nd ed. (Boston: Houghton Miffl in Company, 1997). シェイクス ピアの作品に関する引用は,すべてこのテキストによるものとし,以降は,幕,場,

行数のみを示すこととする.

2

Montrose 等の論文を参照のこと.

3

Ralph Fitch と Thomas Roe の旅の記録については,E. F. Oaten, Sir William Foster, J. Horton Ryley, Michael Edwardes, Ania Loomba 等を参照のこと.

4

特に,未亡人を生きたまま火葬に処する Sati の慣習は,西洋人の関心を集め,様々な

書物のなかに語り継がれた.Pompa Banerjee, Burning Women: Widows, Witches, and Early Modern European Travelers in India (New York: Palgrave Macmillan, 2013). 参照のこと.

5

Prospero の台詞,“Thy mother was a piece of virtue, and / She said thou wast my daughter” (I. ii. 56-7),および Lear の台詞(II.iv.130-2).

6

1516 年に一旦原稿はできあがったものと思われるが,その後も Barbosa 自身による

推敲と加筆がなされたと考えられる.おそらく著者によるものと思われる複数の原稿 が残されていることがその事実を物語っている.Rubiés 205. の脚註参照のこと.

1524 年にスペイン語翻訳版が出版されており,このスペイン語版から Ramusio はイ

タリア語に翻訳したものと思われる.Rubiés 208-9. の脚註を参照のこと.

(23)

7

ポルトガル語で書かれた Barbosa の原稿は,ようやく 19 世紀初頭になってリスボ ンで発見された.この原稿をもとにして,1813 年にポルトガル語版が編纂された.ま たスペイン語版の原稿は,バルセロナとミュンヘンに現在保存されている.Mansel

Longworth Dames の編纂は,1813 年のポルトガル版をもとに新しく英訳され出版さ

れたものである.この論文における引用箇所は,Dames 版に依拠した.

8

Amazon 族の伝説では,シーシュースではなくヘラクレスによって倒されたことに

なっている.

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参照

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