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ニュルンベルクのバイエルン産業博物館新館と 1900

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1 拙論「ニュルンベルクのバイエルン産業博物館の歴史と附属美術工芸マイスター・コースの歩 み」『長崎大学教育学部紀要』第3集 2017年3月 273-286頁。

2 Bayerisches Gewerbemuseum zu Nürnberg, Denkschrift über das Projekt eines Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums zu Nürnberg, Nürnberg,1891(ページ数不記載).

3 Bayerisches Gewerbemuseum zu Nürnberg, Denkschrift zur Erinnerung an die Eröffnung des Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums Nürnberg am19.Juni1897, Nürnberg: G. P.

J. Bieling-Dietz,1897.

4 “Die Entwicklung des Nürnberger Kunsthandwerks im 19.Jahrhundert. Königliche Kunstgewerbeschule und Bayerisches Gewerbemuseum“, Claus Pese, Jugendstil aus Nürn- berg, Arnoldsche, Stuttgart,2007, S.12-21.

5 Silvia Glaser,“Kunstgewerbe und Industrie. Die Gründung des bayerischen Gewerbemuse- ums in Nürnberg”,Frankenland, Nr.57,2005, S.267-278.

ニュルンベルクのバイエルン産業博物館新館と 1900年頃のコレクションの構成について

針 貝 綾

Der Neue Bau des Bayerischen Gewerbemuseums in Nürnberg und die Konstruktion der Sammlung um 1900

Aya HARIKAI

1.はじめに

本稿では,拙論「ニュルンベルクのバイエルン産業博物館の歴史と附属美術工芸マイス ター・コースの歩み」(2017年)にまとめたバイエルン産業博物館附属美術工芸マイス ターコース設立の背景として,1897年に竣工した同博物館新館と当時のコレクションの構 成について明らかにするものである。

バイエルン産業博物館(Bayerisches Gewerbemuseum)の新館について当時書かれた 文献としては,『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』(1891年)と『バ イエルン産業博物館ニュルンベルク新館開場回想録』(1897年),当時の同博物館の年次 報告書がある。また,バイエルン産業博物館史に関する先行研究クラウス・ペーゼ著『ニュ ルンベルクのユーゲントシュティル』(2007年)の「19世紀におけるニュルンベルクの美 術手工芸の発展:王立美術工芸学校とバイエルン産業博物館」の章,そしてジルヴィア・

グラゼルの「美術工芸と工業 ニュルンベルクのバイエルン産業博物館創設」(2005年) にも新館についての言及がみられる。

本稿では,以上の文献や先行研究を参照しつつ,2016年9月にニュルンベルクのゲルマ ン国立博物館で収集した調査資料と2018年9月ミュンヘンの中央美術史研究所で収集した 資料を基に,ニュルンベルクのバイエルン産業博物館新館とコレクションの構成について

(2)

Denkschrift über das Projekt eines Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums zu Nürn- berg,1891.

7 Ebd.

8 “Entwurf eines Planes und der Statuten für das Kgl. Bayerische Gewerbs-Museum in Nürnberg. o. O. u. J.”,1869, zit. aus Germanisches Nationalmuseum, Ausst. Kat.Peter Beh- rens und Nürnberg: Geschmackswandel in Deutschland Historismus, Jugendstil und die An- fänge der Industrieform,Prestel-Verlag, München,1980, S.65.

まとめ,若干の検討を加える。

2.バイエルン産業博物館の基本的な機能について

後に帝国評議員,バイエルン産業博物館館長となるテオドール・フォン・クラマー

(Theodor von Kramer,1852-1927)と,当時バイエルン王国国会で産業の立法に関する 担当官を務めていたローター・フォン・ファーバー(Lother von Faber)は,1868年市 民とともに産業博物館設立委員会を結成した。同委員会が作成した産業博物館規約によ れば,同博物館の当初の活動目的は,「産業の発展,とりわけ国の生産品の製造を,形の 美しさと技術の完璧さに関して支援すること」であった

「バイエルン王立産業博物館ニュルンベルクの設計及び規約の構想」(1869年)には,

同博物館の活動内容として以下の項目が挙げられている。

1.産業及び美術工業の常設コレクション。そこでは素材,半・全工業製品,工具,器 具,原型,そして空間が許す限り,小さい機械,ならびに家具調度品と産業に関する 授業のための教材が展示される。

2.上に示した種類の新しく現れた工業製品とバイエルンの様々な地域で製造された最 も重要な商品の変化する見本のストック

3.工業および美術工芸製品の特別展 4.様々なバイエルンの工業地での移動展 5.閲覧室を備えた技術に関する専門図書館

6.工場主の委託に基づき,手ごろな報酬と引き換えに分析を実施し,新しい方法で試 験を行う実験室

7.産業に関する授業の,模型や素描の課題による支援 8.工業の諸個別部門のための技術専門学校の設立 9.講演

10.産業博物館と工場主との間の交流を仲介し,さまざまな国や工業地の専門のエー ジェントと連絡をとり,研究機関として役立つ雑誌を定期的に出版し,とりわけ問い 合わせ・案内所として役立つ事務所

1900年頃,バイエルン産業博物館のコレクションの柱は,生産品の「形」に関しては実物 を集めた「見本コレクション」(Mustersammlung)と意匠データを蓄積した「手本コレ クション」(Vorbildersammlung),そして生産技術に関する「科学技術コレクション」

(Technologische Sammlung)となるが,まだ1869年の時点ではこれらの呼称は使用さ れていない。2は後の見本コレクションに当たり,1は後の手本コレクションと科学技術 コレクションを含んでいる。同博物館はこれらの常設展示と特別展,バイエルン国内での

(3)

Denkschrift über das Projekt eines Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums zu Nürn- berg,1891.

10 Ebd.

11 Glaser, S.273. 12 Ebd.

13 Ebd., S.274.

移動展を実施し,コレクションに関する講演やコレクションを使用した授業の支援を計画 した。また,同博物館は今日まで存続している専門の資料を備えた図書室の他,実験室を 設置するとともに,工場主との仲介なども行う案内所あるいは事務所を設置し,そこでは 専門雑誌を定期的に出版することも当初考えられていた。「工業の個別部門のための技術 専門学校の設立」は,後のマイスターコースに繋がっていく。

バイエルン産業博物館の創立式典は,規約が作成された1869年のうちに行われた。しか し,同博物館の創立年は『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』(1891 年)では1871年になっている

3.バイエルン産業博物館新館構想と建設の経緯

バイエルン産業博物館の建物の建設については,設立当初の1869年には計画が始まった が10,同博物館の新館建設予定地が決まったのは8年後のことである。1877年,同博物館 の評議会は,新館のためにニュルンベルクの尼僧公園とペーグニッツ川北,カタリーナ通 り南,カタリーナ修道院西,マリーエントア墓地東に位置する土地を取得した11。最初の 産業博物館の設計図は,館長カール・フォン・シュテークマン(Karl von Stegmann,1832- 1895)と,同年にニュルンベルク美術工芸学校校長に着任した建築家アドルフ・グナウス

(Adolf Gnauth, 1840-1884)が練り上げた。その大建築の設計図は同年のうちにミュン ヘンに送られたが却下され12,次に1883年に提出された設計案も却下された13。同博物館 二代目館長となったクラマーは,1891年,ついにミュンヘンから賛同と予算の承認を得る ことに成功する。

『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』(1891年)によれば,同博物 館新館内部は以下のように構成される計画であった。地階の入り口を入ると左側に管理人 室,右側に荷物の保管室があり,横の階段からのみ出入りできる中1階には,管理室と見 本コレクションのための工房,館長の居住空間が配置され,1階(日本では2階に当たる)

は学芸員室以外の部屋はすべて見本コレクションに使用されることになっていた。2階に は職員室と設計室を備えた手本コレクションの部屋,図書室,製本室の設置が計画された。

それぞれの部屋の大きさは,1891年の段階の構想では,機械技術部門が旧館では98qm であったのが,3倍程度の277qm,科学技術コレクションが96qmから2倍程度の197qm,

大講演は207qmから316qmに,旧館にはなかった小講演室は60qmに,展示の核となる 見本コレクションは618qmから約2倍の1,120qm,手本コレクションは120qmから3倍 程度の396qm,製図室は117qmから2倍程度の268qm,図書室は38qmから3倍強の148 qm,図書閲覧室は60qmから3倍程度の173qm,工房は55qmから2倍弱の128qmに広げ られる予定であった。

『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』(1891年)には,「バイエルン

(4)

14 Denkschrift über das Projekt eines Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums zu Nürn- berg,1891.

15 Ebd.

16 Glaser, Ebd., S.273.

17 Jahresbericht des Bayerischen Gewerbemuseum in Nürnberg für das Jahr1900, Nürnberg, 1901, S. 1. 同年9月27日には,評議会で電気工学施設の建設も決議され,ミュンヘン王立工科大

学の技師Wilh.ヴンダーに監督が委嘱されている。

産業博物館は,すでにロンドンやウィーン,ベルリンにあるものを手本にした,単なる美 術工芸博物館」ではなく,ウィーンのように芸術と科学のための博物館と技術産業博物館 を分けるのではなく,それらの機能を一体にすべきであると謳われているため,同博物館 には,機械技術部門や科学技術コレクションのための部屋もあった14

講演室ではコレクションや新しい意匠,技術に関する講演が行われた他,見本コレクショ ンは,家具部門,金属部門,陶磁器部門等に分かれて作品が展示され,手本コレクション 室では手書きや写真による意匠データが,図書室では産業に関する技術や意匠等に関する 書籍や雑誌が閲覧に供されることになっていた。

『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』(1891年)には,同博物館の 基本的な施設として,常設展示や「閲覧室付きの専門図書室」の他,「複写や設計のため の製図室」も列挙されている15。同『報告書』には,見本コレクションの科学技術部門は,

空間の節約のために二つに分けられて暫定的に光の当たらない空間に納められ,来館者は 全く立ち入れず,教育講演でも使用が難しいと問題点が指摘されている。また,図版や図 面,複写を保存する手本コレクションにしても,閲覧室や収納庫がないことから,コレク ションを入れた箱の大部分は鍵をかけたままにしなくてはならず,職員にとっても,閲覧 者にとっても不便であった。ちなみに,手本コレクションの目録番号は1890年代末には1800 番,当時の貨幣価値にして54,800マルクに上った。このコレクションの量に対し,製図室 が手狭であったため,毎晩閲覧が謝絶される程であった。

バイエルン産業博物館の新館は,クラマー自身が設計を手掛けた。1892年7月10日に定 礎式,その2年後に上棟式,そして最初の新館構想から20年後の1897年6月19日,ついに 同博物館新館の竣工式が執り行われた16

その後,機械技術部門と科学技術部門,および小芸術の振興に役立つ機械と道具の展示 のための建物が1899年夏に着工され,1900年10月21日には国務大臣フォン・ファイニッ チュ男爵の臨席の下で,竣工式が華々しく執り行われた17

4.バイエルン産業博物館新館建築

バイエルン産業博物館新館として建設された建物は現存しており,現在ニュルンベル ガー・アカデミーの名称の下に,ニュルンベルク・プレス・クラブ,カール・ゲプハート 時計コレクション,ドイツ懐中時計協会,ニュルンベルク市教育センターのセミナー・ルー ムなどが入っている。第二次大戦で爆撃を受けたために,正面入り口上部の円蓋はなくなっ ているが,外装は創建当時の姿で修復保存され,廊下や階段などの共用部分もあまり変更 が加えられていない。ただ,この建物がもともと産業博物館であったことを示すものは,

1階(日本では2階)の旧見本コレクションの入口上部に埋め込まれた金文字 "GE-

(5)

18 Denkschrift zur Erinnerung an die Eröffnung des Neubaues des Bayerischen Gewerbemuse- ums Nürnberg,1897, S.33.

19 Glaser, ebd., S.277. 20 Ebd.

表1 産業博物館旧館・新館各室比較表 1897年

5,063qm 1,886qm

260qm 68qm

ハウスマイスターの住居

350qm 156qm

保管室

128qm 55qm

工房

42qm 16qm

司書及び助手の部屋

173qm 60qm

図書閲覧室

148qm 38qm

図書室

127qm 24qm

学芸員及び助手の部屋

268qm 117qm

製図室

396qm 120qm

手本コレクション

1,165qm 618qm

見本コレクション

326qm

− 館長の住居

280qm 121qm

管理室

60qm

− 小講演室

316qm 207qm

大講演室

197qm 96qm

科学技術コレクション

277qm 98qm

機械技術部門・材料試験施設

博物館新館 博物館旧館

WERBE MUSEUM" のみである(図1)。

1897年に完成したバイエルン産業博物館新館(図2)の構成は,表1の通りであった。

1891年の『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館計画報告書』に掲載されていた旧館・

新館各室比較表より詳細である18。変更されているのは見本コレクションの大きさで,1891 年時点よりも45qm広くなっていた。

(1)地階

地階入口には吹き抜けのエントランスホールと奥に階段室,入口左から時計周りに,管 理人室とクローク,住所録が置かれた部屋,機械技術部門及び特許文書室,小講演会室,

大講演会室,材料試験施設,機械化学技術部門が配置された(図3)。

機械技術部門は,『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館開場回想録』(1897年)に よれば,産業資料室のある技術案内所と,産業に関する権利保護のための技術課があり,

特許文書室を備えていた。グラゼルによれば,技術案内所では,商標保護(Markenschutz)

や意匠保護,特許権保護(Patentschutz)についての情報を得ることができた19。1876年 の意匠保護の導入によってドイツの商標は確固とした基盤を築くようになるのだが,産業 博物館の案内所でもしだいに国内と国外の仲介と技術革新が中心的問題となり,国内外か らの出入りがあった20

(6)

21 Ebd.

22 Ebd.

23 Denkschrift zur Erinnerung an die Eröffnung des Neubaues des Bayerischen Gewerbemuse- ums Nürnberg,1897, S.29.

24 Ebd.

25 Ebd., S.37. 26 Ebd., S.38. 27 Ebd., S.19.

28 Bayerisches Gewerbemuseum in Nürnberg,Bericht für das Jahr1902, Nürnberg,1902, S.

20.

機械化学技術部門内の化学実験室では,真鍮や鉄などの金属の腐食による加工実験など が行われた。グラゼルによれば,銀メッキや金メッキ,ニッケルメッキなど,まさに電鋳 における実験が多く行われ,大きな反響があったという21。また,陶土,金属,合金だけ でなく,食品や飲み水,ビールなどの嗜好品の研究もこの部門で行われたという22

階段室の天井画は,『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館開場回想録』によれば,

1897年当時,王立ミュンヘン美術アカデミーの教授H.ギジス(H. Gysis)が制作中であっ た。この天井画は,バイエルン摂政ルイポルト殿下(Seine Königliche Hoheit der Prinz -Regent Luipold von Bayern)の寄付により制作され,後に完成する予定であった23。ま た,階段室のバルコニーの左右には壁龕があり,そこには産業博物館の創設者であった帝 国評議員クラマーとファーバーの大理石製胸像が設置されていた24

(2)1階

『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館開場回想録』(1897年)によれば,見本コ レクションは「様々な国や時代の模範的な生産品の展示を通して,技術的,芸術的処理に おける違いを分かりやすい方法で見せること,消費者の場合のように,生産者の場合も,

趣味に目覚めさせたり,純化させたり,自身の創作活動に示唆を与えることを目的として」

いた25

9,000点ほどの見本コレクションは,古今東西の様々な作品を含んでいたが,家具部門,

金属部門(図6),陶磁器部門等に大別され,さらに可能な限り時代,素材および技術に 従って分類され,展示された(図4)。また,半製品および中間製品も,産業あるいは工 業製品の生産の発展の歩みを説明する箇所だけではなく,建築資材や設計事務所の建築模 型コレクションや,化学技術および機械技術部門の科学技術上の特別なコレクションにお いても展示された26

『1900年バイエルン産業博物館年次報告書』によれば,1900年にはドナテッロの着彩さ れた石膏像や刺繍の施されたイタリア・ルネサンスの椅子,18世紀フランスの照明スタン ド,19世紀フランスChaplainによるブロンズ製メダル,豪華な鍛金によるミニアチュー ルの銅杯コレクション,近代フランスやドイツの陶器やブロンズなどが購入された27。ま た,同博物館はこの年15世紀の着彩石膏像やアンピール様式の柱時計,18世紀フランスの 家具などの寄贈も受けている。1902年の報告書は,見本コレクションには教員に引率され て生徒たちがしばしば訪れたことと,講演で作品解説を行う際に作品が繰り返し使用され たことを報告している28。また,見本コレクションは,バンベルクやシュトラウビングで

(7)

29 Glaser, Ebd., S.274.

30 Silvia Glaser und Claus Pese,“Zarathustra in Franken”,(Hrsg.)Thomas Föhl u. Claus Pese,Peter Behrens: Vom Jugendstil zum Industriedesign, Weimarer Verlagsgesellschaft, Wei- mar,2013, S.301.

31 Ebd.

32 Ebd.

33 Ebd.

34 Ebd.

35 Jahresbericht,1900, S.27. 36 Ebd., S.28.

37 Ebd.

38 Ebd.

行われた小さな巡回展の際に展示されることもあった29

同博物館附属美術工芸マイスターコース等で学んだ生徒たちの作品も,見本コレクショ ンとして収蔵されたと考えられる。ドイツ近代における代表的な建築家ペーター・ベーレ ンスが担当した2回の美術工芸マイスターコース,1901年と1902年のマイスターコースで 学んだ生徒たちの作品のうち,69点が当時収蔵された30。ペーゼによれば,それらの作品 は生徒たちから寄贈されたのではなく,同博物館がそのつど生徒から購入していたのだと いう31

その後,経済状況が芳しくなかったなどから,1909年バイエルン産業博物館はバイエル ン国立産業施設(Bayerische Landesgewerbeanstalt)と改名して公法人となる32。この バイエルン国立産業施設の時代の1920年と1931/32年に,施設長はベーレンスの美術工芸 マイスターコースの生徒たちの作品の中から31点を売却した33。残りの作品のうち,26点 が第二次世界大戦中に破壊されてしまったが,12点は現在国立ゲルマン博物館の産業博物 館部門に受け継がれ,保管されている。また,1920年と1931/32年に売却された作品かど うかは明らかではないが,自由・応用美術のための『芸術』(Die Kunst)に掲載されて いたベーレンスの美術工芸マイスターコースの生徒たちの作品の多くは,1960年代以降,

美術商から個人コレクターの手に渡っていることを,ペーゼは確認している34

近代美術工芸の常設展示

1900年頃のバイエルン産業博物館の展示の目玉のひとつは,国内外の芸術家や手工業者 による近代美術工芸の最新作の常設展示であった。展示室にはオットー・エックマンの壁 紙が貼られ,間仕切り壁を作って小部屋に分けられた35。それらの部屋には,例えばドレ スデンのHaus und Herd展に出展されたライプツィッヒの宮廷家具工場F. A. シュッツ 制作による住宅インテリアが設えられた36。それは小市民のためのインテリアで,居間,

寝室,台所により構成されていた。これらの部屋には家具以外に,エックマンの最新の図 案による12枚の絨毯も展示された37。この絨毯はシュミーデベルクにあるイズミール統一 絨毯工場によって制作され,ニュルンベルクのS. A. ヘスライン社によって展示されたも のである。その他これらの部屋には,ニュルンベルクの写真愛好家協会により60枚の芸術 写真が展示されたり,シュトゥットガルトのゲオルク・シェットレの家具工場によるサロ ン家具のコレクションやたくさんの現代美術刺繍が展示されたりした38。また,ダルムシュ

(8)

39 Ebd., S.24. 40 Glaser, Ebd., S.275. 41 Ebd.

42 Jahresbericht,1900, S.20.

43 Ebd.

44 Cornelius Gurlitt,Die Baukunst Frankreichs, Dresden,1896.

45 Bruno Möhring,Architektonische Charakterbilder, Der Jahrgang III.,1902.

タットで製作された現代美術刺繍も展示されたが,これらは出版者アレクサンダー・コッ ホがヘッセンで開催した展覧会出品作であった。

(3)2階

産業博物館の2階には,手本コレクション,図書室,閲覧室,製図室,事務所があった

(図5)。恐らく,事務所の中には設計事務所があり,『1900年バイエルン産業博物館年次 報告書』によれば,1900年には博物館新館に関わる仕事だけでなく,パリ万国博覧会の準 備の他,107件の芸術的,技術的な依頼をこなし,281枚の図案と282枚の設計図が作成さ れた39

手本コレクション

『バイエルン産業博物館ニュルンベルク新館開場回想録』(1897年)によれば,手本コ レクションは,古今の技術や美術工芸の図版と模型で構成されていた。図版はカルトンに 貼られ,作品の種類にしたがって整理されてファイルに入れられ,陳列ケースに保管され,

誰でも陳列ケースから取り出して閲覧することができた(図7)。

また,このコレクションの中から,教育に相応しい手本として選定された図版,作品,

模型は,学校に提供された。1877年の年次報告にはすでに,「産業に関する授業の支援」

という点に鑑み,電鋳による作品のコピーや石膏像の学校への配布を通して,古代の陶製 容器の知識を広めていることが報告されている40。その他,マイスターの装飾的な作品も,

出版物を配布して教材として活用できるように図版を広く流布する予定もあったようであ る41

『1900年バイエルン産業博物館年次報告書』によれば,手本コレクションは貸出が行わ れていた。1900年に貸し出された手本コレクションの内訳は,540の製本された作品,2,541 葉の様々な作品,215枚の手本カルトンと7つの石膏模型であった。また,閲覧室では 14,382点の作品ないしはカルトンが使用された42

手本コレクションには出版された図版集も分類され,展示されていた43。1900年の年次 報告書には,例えばユーゲントシュティルの装飾画家であり,油彩によるロマン主義的風 景画を多く描いたアーノルト・リュオングリューン(Arnold Lyongrün,1871-1935)の『装 飾モチーフ』,フランツェン『応用美術』,『フォンテーヌブロー宮』,建築家・美術史家コ ルネリウス・グスタフ・グルリット(Cornelius Gustav Gurlitt,1850-1938)の『フラン スの建築芸術』(1896年)44,ホフマン『近代様式』,建築家・画家ベルレプシュ(Hans Edu- ard von Berlepsch-Valendas,1849-1921)の『装飾モチーフ』,シュミット『近代美術工 芸図案』,『近代装飾モチーフ』,『エンジニア』,建築家・都市計画家ブルーノ・メーリン ク(Bruno Möhring,1863-1929)の『建築学上特徴的な図』45,『記念碑及び基壇の図』,『縁

(9)

46 Eduard-Thomas Williamson,Les Meubles dʼart du mobilier national, Paris.

47 Bayerische Landesgewerbeanstalt Nürnberg, Alphabetisches Verzeichnis der Gegenstände und Stilgruppen der Vorbildersammlung, S.3-4.

48 Jahresbericht,1900, S.20. 49 Glaser, Ebd., S.275.

飾り』,『建築家』,『月刊建築学』,出版者フーゴー・バルベック(Hugo Barbeck, 1851- 1907)の『古ニュルンベルク』,マルコウ『彫刻美術館』,フルー『ミサ』,ランベルト&

シュタール『家具』,ウィリアムソン(Eduard-Thomas Williamson)の『芸術家具』46な どのタイトルが挙げられており,建築装飾や家具への関心の高さが伺える。

筆者は2017年9月のゲルマン国立博物館において,バイエルン産業博物館が作成した手 本コレクションの調査を行った。バイエルン産業博物館の後身となるバイエルン国立産業 施設が作成した,手書きによる『手本コレクションの作品と様式グループのアルファベッ ト目録』(Alphabetisches Verzeichnis der Gegenstände und Stilgruppen der Vorbild- ersämmlung)には,手本コレクションは様式によりエジプト美術,ギリシャ・ローマ美 術,ロマネスク美術,ゴシック美術,ルネサンス美術,バロック,ロココ,古典主義,19 世紀美術に分類されていた47。そして,地域により民族美術,アラブ・ペルシャ美術,イ ンド美術,中国・日本美術に,さらに対象の形状により分類されていた。

筆者は手本コレクションの中の近代美術工芸のカルトンを確認したが,それらが印刷さ れた写真によって構成されていることを確認した(図8,9)。これらは当時の美術工芸 の雑誌や書籍などの切り抜きから構成されていると見られ,手本コレクションが美術工芸 図案の,紙媒体によるデータベース化を目指していたと想像される。

手本コレクションは閲覧室と2つの製図室で閲覧することができ,1900年には延べ8,430 人が訪れたと報告されている48。また,グラゼルによれば,製図室では手本コレクション の図版と見本コレクションのオリジナルを同時に参照することが可能性であった49

現在ではほとんど顧みられることもないと思われるが,手本コレクションは当時,産業,

美術工芸の制作・教育・研究に従事する人々に参照され,様々なものの意匠を制作する際 に参考にするなどして利用されていた意匠によるデータベースと言うことができるであろ う。こうした研究の膨大な蓄積が,美術工芸の様式研究や美術工芸教育における形態学の 教材のベースになったと見られる。

おわりに

1897年に完成したバイエルン産業博物館新館は,『バイエルン産業博物館ニュルンベル ク新館開場回想録』(1897年)の検討により,博物館の各部門の延べ床面積が旧館のそれ の2倍以上に広がり,施設の機能が充実したことが明らかになった。それにより,旧館が 抱えていた諸問題を解決し,新しい時代の課題への対応が可能になったと考えられる。新 しい時代の課題とは,新しい産業の成果を見本コレクションに展示することに加え,パリ 万国博覧会など博覧会への出展や,新しい図案や図面などの作成,新しい技術や素材の研 究,特許に関わる手続きの支援など,社会からの要請に対応することである。1900年頃か らのバイエルン産業博物館の新たな専門領域のマイスターコース開設といった新たな試み も,新館の開館により,施設が充実したことが背景のひとつとして考えられるだろう。

(10)

図1 《産業博物館展示室入口》ニュルンベルガー・アカデミー内 2017年9月現在

図2 バイエルン産業博物館 1897年頃

また,本論では,資料調査により手本コレクションはもともと石膏像などの立体模型も 含む,古今東西の美術工芸の意匠のデータベースであり,生産者のために閲覧に供される だけでなく,学校に貸し出されるなどして,教育普及に活用されていたことも確認した。

図版典拠

図2,3,4,5,6,7 Bayerisches Gewerbemuseum zu Nürnberg,Denkschrift zur Erinnerung an die Eröffnung des Neubaues des Bayerischen Gewerbemuseums Nürn- berg am19.Juni1897, Nürnberg: G. P. J. Bieling-Dietz,1897.

図1,8,9 筆者撮影,2017年9月

付記

本稿は,平成30年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)(基盤研究(C)(一 般))(課題番号:16K02315)による研究成果の一部である。

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図3 《産業博物館新館地階平面図》

1.エントランスホール 5.小講演会室 2.管理人室およびクローク 6.大講演会室

3.住所録室 7.材料試験施設

4.機械技術部門及び特許文書室 8.機械化学技術部門

図4 《産業博物館新館1階平面図》

見本コレクション

1.ルネサンスの部屋 4.陶器部門 2.家具部門 5.テキスタイル部門 3.グラフィック 6.金属部門

(12)

図5 《産業博物館新館2階平面図》

1.閲覧室 4.製図室 2.図書館 5.事務所 3.手本コレクション

図6 見本コレクション金属部門 1897年頃

(13)

図7 手本コレクション 1897年頃

図8 手本コレクション67II-17(ペーター・ベーレンスの家具のカルトン)

(左上)《肘掛け椅子4種》,(右上)《革張り家具》《寝室》

(左下)《(上)居間,(下)婦人の部屋》,(右下)《居間》

(14)

図9 手本コレクション67II(リヒャルト・リーマーシュミートの家具のカルトン)

参照

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