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工藤光一先生を偲ぶ

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Academic year: 2021

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工藤光一先生を偲ぶ

吉田 ゆり子

工藤先生は、病気と闘い、とてもつらい痛みを 堪えながら、最期まで大学の教育と運営に対し、

強い責任感をもって関わり続けられた。東京外国 語大学は、1995年改革以来、専門課程を言語・情 報コース、総合文化コース、地域・国際コースと いう3つのコースに分けて学生のカリキュラムを 編制していた。学生の配置は、1対2対3、といわ れるように、地域・国際コースに所属する学生が 最も多かったが、コースで開かれている授業には 全く体系性がなかった。

2003年度に、地域・国際コースのカリキュラム 委員として、工藤先生をはじめとする先生方とと もに、授業の編制を調える仕事に携わることにな った。工藤先生は、外語大の二宮宏之先生のもと で4年間を過ごされた後に東京大学大学院に進学 された経験から、歴史学の専門性を身につけさせ る授業を設けたい、但し外語大らしい歴史学を、

という理念のもとに、「Cultural Area Studies」とい う言葉を造り、その入門・概論・専門という授業 編制を実現したいとおっしゃっていた。授業体系 を「国際平和研究系」「国際開発協力系」「国際社 会共生系」「歴史・アーカイブズ系」に分けた時、

外語大らしい地域研究を、端的に示してくれる理 想的な言葉に思われた。今も工藤先生の御遺志だ と信じ、「Cultural Area Studies」をどのように実現 したらよいのか考えている。

工藤先生は、私などがいうまでもなく、とても 誠実な方で明るく積極的な輝きを持った発言をさ れてきた。カリキュラムの責任者を2004年に引き 継いでくださった時、たいへんなご苦労をおかけ してしまった。その後、「もう委員会はいやだ」と まるで子供のような泣き声でおっしゃったのを耳 にしてとても驚いた。本当にお辛かったのだと思 う。

恩師の二宮先生が亡くなり、工藤先生ご自身の 健康もよくないご様子で、さらにご家族のことで もたいへんご心配されているお姿を見て、何もお 手伝いできないにも関わらず、とても気にかかっ ていた。その後、リンパに癌が転移しているにも 関わらず、すでに放射線治療は限度を超えてしま

った、場所が悪く手術もできない、というお話し をうかがい、ただただ、体力を温存して、何とか 治癒されることを祈るばかりであった。多摩の駅 でベンチに腰掛けておられる所にお会いし、病の 進行についてお話しをうかがうことがしばしばっ た。夏休み、冬休み、春休みと、長期に授業がな い時期が過ぎると、いつも工藤先生が大学に出て いらっしゃるか、お顔をみるまで気が落ち着かな かった。

去年の10月にお会いしたとき、とてもお痩せに なっていた。お声をかけられないまま 11月の入院 を迎えられ、その後、結局お顔を見ることも、お 声を聞くこともできなかった。いつも、教授会の 場では決まった席に腰をかけておられたが、今は その席は空いたままになっている。いつも大学の 授業と学生のことを心配され、誠実に大学の業務 をこなしてこられた先生に、教師として同僚とし て、心からの敬意と哀悼の気持ちを捧げたい。長 い長い病気との闘い、お疲れさまでした。どうぞ ゆっくりお休みください。

(よしだ ゆりこ・東京外国語大学大学院総合国際学研究院)

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