• 検索結果がありません。

ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩 壊(1) 中 村 平 八

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩 壊(1) 中 村 平 八"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1

〈論 説 〉

ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩 壊(1) 中 村 平 八

目 次

は じあ に 1予 備的考 察

12341234に

一一一} 一 一り

11112222わ2お註

ロシアの歴 史 ソ連 の歴 史 ソ連 の国家制度 ソ連共 産党

ソ ヴ ェ ト ・社 会 主 義 ・共 和 国 ・連 邦 の 崩 壊 ソ ヴェ トの崩壊(以 上本号)

社会主 義 の崩壊 共和 国 の崩 壊 連邦 の崩壊

は じめ に

1991年12月,ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 は崩 壊 した 。 この こ と は,わ れ わ れ20世 紀 人 に と っ て,ど の よ うな 意 味 を もつ の で あ ろ うか ・さ ま ざ ま な 意 見 が あ り う る が,ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦(ソ ヴ ェ ト連 邦・ ソ連邦・ ソ連 と略称) の 崩 壊 は,過 ぎ し20世 紀 最 大 の 歴 史 的 事 件 の0つ で あ り,後 世 の 歴 史 家 は,20 世 紀 の 歴 史 年 表 欄 に,二 っ の世 界 大 戦 と と も に,ソ 連 に お け る 「20世 紀 社会 主 義 」 の 実 験 の 失 敗 を,記 録 に 残 す で あ ろ う。

20世 紀,ソ 連 は東 側 社 会 主 義 陣 営 の総 帥 と して,ア メ リカ合 衆 国 に代 表 さ れ る西 側 資 本 主 義 陣 営 に対 峙 して き た 大 国 で あ った 。 米 ソ対 立 を 基 軸 とす る東 西 冷 戦 体 制 は,第2次 世 界 大 戦 後 の 国 際 関 係 を 全 面 的 に規 定 して き た。 ソ連 の 崩

(2)

2商 経 論 叢 第34巻 第1号

0361)

壊 は,東 側社 会主 義 陣営 の 敗北 を意 味 した。 したが って,ソ 連 崩壊 は各 方 面 の 専 門 家 の関 心 を集 め,す で に多 くの す ぐれ た論 稿 が現 れ,論 争 的著 作 も公刊 さ れ て い る。 わ れ わ れ もまた・ この 問題 に関心 を いだ いて お り,ソ 連崩 壊 に っ い て・ 私 見 を披 露 す る こ とに した い。

これ まで の ソ連 崩 壊 論 は,主 と して 「社 会 主 義 」 の崩 壊 に焦点 を合 わ せ た も の が多 い。そ れ は あ る意 味 で 当然 で あ る。なぜ な ら20世 紀 は,資 本 主義 批判 の 最 も有 力 な イ デ オ ロギ ーで あ り,体 制 で あ る社 会 主 義 が,ひ とび との関心 を集 めっ づ けて きたか らで あ る。ま こ と20世 紀 は,世 界戦 争 と民 衆 革 命 の世 紀 で あ り,た とえ ば東 側 の ソ連 邦 も中華 人民 共 和 国 も,世 界戦 争 の さなか,あ るい は 世 界戦 争 と関連 して・社 会 主義 を め ざす革 命 を契 機 に誕 生 した国 家 で あった。

こ う して,社 会 主義 を標 榜 す る国 家 が 現 実 に複 数 存 在 す る とい う条 件 の も と で,「 資 本主 義 」対 「社 会 主義 」 は,理 論 的 に も実 際 的 に も,激 しい論争 問題 の 一 っ に な ったの で あ る

ソ連 な ど東 側 の政 治家 や イ デオ ロー グ は,世 界 の社会 主義 運動,労 働運 動, 民 族 解放 運 動 を支援 し,社 会 主 義 の資 本 主義 に対 す る道 義 的 ・経 済 的 優位 を声 高 に主 張 した。これ に対 抗 して,ア メ リカ な ど西 側 の政 治 家 や イ デオ ロー グ は

, 世 界 各地 の反 共 ・反 社 会 主義 勢 力 を 支持 し,自 由 と民 主 主義 の点 で の,西 側 資 本 主義 の優 位 を 主張 した。

西側 の 自由放 任 経済(資 本 主義経済)と 東 側 ソ連 の計 画経 済(社 会主義経済)の 優 劣 を め ぐる問題 で は,当 初 西 側 は守 勢 に まわ り,ソ 連 の主 張 を部 分 的 に認 め

ざ るを え なか った。た とえ ば,西 側 が1929年 の大恐 慌 に打 ちの め され て い た と き・ ソ連 は工 業 化 をめ ざす5ヵ 年 計 画 を猛 烈 な勢 い で進 め て い た

。 西 側 の先進 国 や発 展 途 上国 の な か に は,と くに第2次 世 界 大 戦後 ,経 済 へ の政 府介 入 や政 府 の マ ク ロ経 済 政 策 を積 極 的 に是 認 す るケ イ ンズ主義 が 浸透 しfガ イ ドライ ン と して で はあ るが,東 側 の 「計 画経 済 」 を模 倣 す る国 も現 れ た

と ころが 当 の ソ連 経 済 は,1960年 代 に は い り 「計 画経 済 」の累 積 す る矛 盾 を 糊 塗 で きな くな り,改 革 の試 行 錯誤 を開 始 したが,80年 代 に はい り完 全 に行 き づ ま り,活 路 を,西 側 資本 主 義 の 自由放 任 の市 場 原 理 に もとつ く経 済 運 営 方式

(3)

0360) ソヴ ェ ト社会 主 義 共 和 国 連 邦 の崩壊(D3

に求 め ざ る を え な くな っ た。 しか し,市 場 社 会 主 義(marketsocialism)も し く は社 会 主義 的 市 場 経 済(socialistmarketecon。my)へ の 転 換 の 試 み は,中 国 を 除 い て,い ず れ の 社 会 主 義 国 で も失 敗 した。 そ の他 の 原 因 も加 わ って,ソ 連 お よ び 東 欧 に お い て,い わ ゆ る共 産 党 の 開 発 独 裁 体 制 は す べ て 崩 壊 し,同 時 に 共 産 党 国 家 も ま た 次 々 に消 滅 して い っ た。

本 稿 で は まず}ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩 壊 に つ い て 議 論 す る に あ た り,予 備 的 考 察 と して,ロ シ ア 史,ソ 連 史,ソ 連 の 国 家 制 度 お よ び ソ連 共 産 党

(1)

に つ い て,一 瞥 し て お く こ と に す る 。

1予 備 的考察

1‑1ロ シ ア の 歴 史

東 ス ラ ヴ 人 に よ る最 初 の 国 家 キ エ フ ・ル ー シ(キ ェ フ公 国)が 建 国 さ れ た の は,9世 紀 後 半 の こ とだ と され る。 ル ー シの 建 国 は 伝 説 の 霧 に つ つ ま れ て お り, は っ き り しな い。 だ れ が 建 国 した か に 関 して,ノ ル マ ン人 の リュ ー リク招 致 説 と ス ラ ヴ族 自身 に よ る建 国 説 の 二 つ が あ る。 ル ー シ の 国 の 歴 史 に お い て 第1に 注 目 され る の は,地 中 海 帝 国 ビザ ンチ ン(東 ローマ帝国)の 影 響 で あ る。 ル ー シ

は,黒 海 の 彼 方 に そ び え 立 つ ビザ ンチ ンか ら多 くの 文 物 を受 け と り,経 済 観 念 と と も に キ リス ト教(ギ リシア正教)を 受 容 した。 この こ と に よ って 東 ス ラ ヴ人 は,文 字 ・数 字 文 化 を もっ に い た り,産 業 の発 展 と正 教 の 信 仰 を つ う じて,ス ラ ヴ古 層 文 化 に ビ ザ ン チ ン地 中 海 文 明 が 表 着 し,両 者 は 融 合 して い っ た。

古 く は ル ー シ(ロ シァ とい う名 称 は15世 紀以後)と よ ば れ た 東 ス ラ ヴ人 の 国 は, 焼 畑 農 業 や 牧 畜 ・漁 業 ・林 業 を 生 業 と して お り,今 日で い う1次 産 品 の 産 出 国 で あ っ鍵 。 ビザ ンチ ンの 都 コ ン ス タ ンチ ノ ポ リス や 黒 海 周 辺 地 域 へ の 輸 出 品 目 は,穀 物 ・蜂 蜜 ・蝋 ・號 珀 ・木 材 ・毛 皮 ・奴 隷 な ど で あ り,ビ ザ ン チ ン側 は ブ ド ウ 酒 ・香 料 ・金 属 用 具 ・織 物 ・宝 石 細 工 ・書 籍 な ど を ス ラ ヴ 地 域 に も た ら し た。 ル ー シ と ビザ ンチ ン の貿 易 は,今 日的 に い え ば,水 平 貿 易 で な く垂 直 貿 易 で あ り,当 然,付 加 価 値 は ビザ ンチ ン側 の 物 産 が 高 か っ た。

キ エ フ は ドニ エ プ ル河 畔 の 商 業 ・行 政 都 市 で あ り,ド ニ エ プ ル 川 一 黒 海 一 地

(4)

4商 経 論 叢 第34巻 第1号

(359) 巾 海 を 交 易 ル ー トと して コ ンス タ ンチ ノ ポ リス な ど と っ な が り,こ れ と は別 に 二 つ の交 易 ル ー ト,す な わ ち ドニ エ プ ル川 … ロ ヴ ァチ 川 一 イ リメ ニ湖 一 ヴ ォル ホ フ川 一 ラ ドガ湖 一 バ ル ト海 と}ド ニ エ プ ル 川 … い くつ か の 小 河 川 一一ポ ロ ッ 久 ヴ ィ テ ブ ス クー 西 ドヴ ィナ 川 一一バ ル ト海 と い う ル ー トを っ う じて,バ ル ト 海 沿 岸 諸 国 と っ な が って い た。 ま た 後 世 の経 済 史 家 は,キ エ フ を,ヴ ォ ル ガ下 流 域 の ア テ ィ ル(ト ル コ系 遊牧民 の国 バザ ールの都,9世 紀,国 際貿 易 の中心 地 とな る)

と南 ドイ ツ の レ ー ゲ ンス ブ ル ク と を結 ぶ 内 陸 交 易 路 線 上 の 商 都 と して 重 視 して い る。

キ エ フ公 国 な ど 東 ス ラ ヴ の 諸 公 国 が 存 在 した 地 域 は,広 大 な ス テ ッ プ(草 原) で あ り,草 原 に は バ ザ ー ル に代 表 され る トル コ系 遊 牧 民 が 遊 牧 ・農 耕 国 家 を っ く って 暮 ら して い た 。 この 南 ロ シ ア草 原 で は,ル ー シ諸 公 国 と トル コ系 遊 牧 ・ 農 耕 国 家 との 戦 争,勢 力 拡 大 を め ざ す ビザ ンチ ン との 対 立 ,ま た ル ー シ諸 公 国 間 の 抗 争 が 展 開 さ れ た。 後 述 す る モ ン ゴ ルートル コ系 騎 馬 軍 団 と ル ー シ と の遭 遇 は・ 〈 タ タ ー ル の くび き 〉 と して,ル ー シ に強 烈 な影 響 を 与 え て ゆ く。 な お ロ シ ア史 家 が い う く タ タ ー ル 〉 と は,南 ロ シ ア草 原 に移 住 して き た ア ジ ア系 の ペ チ ェ ネ グ人 や ポ ロ ベ ッ人 ,ま た モ ン ゴル 帝 国 の支 邦 で あ る ジ ョチーウル ス(キ プチ ャク汗国)の 支 配 時 代 の モ ン ゴ ルートル コ人 を 指 した。

13世 紀 初 め,モ ン ゴ ル の 蒼 き狼 チ ンギ ス汗(1162頃 一1227)は

,モ ン ゴル ート ル コ 系 諸 部 族 を ま と め ,世 界 史 上 最 大 の帝 国 の 建 設 に着 手 した。1236年,チ ン ギ ス汗 の 孫 バ ト ゥ(1207‑55)は,15万 の モ ン ゴ ルートル コ系 騎 馬 軍 団 を 率 い て ロ シ ア に攻 め い り・ リ ャザ ン公 国 ,ガ ー リチ ・ヴ ォ ル イ ニ公 国,ヴ ラ ジ ミル 大 公 国 ・ キ エ フ大 公 国 な ど を 次 々 と征 服 し,支 配 下 に お い て い っ た。 バ トゥ軍 は

さ ら に・ ク リ ミア・ ザ カ フ カ ー ス,ポ ー ラ ン ド,ハ ンガ リー に ま で 軍 を 進 め た。 この 大 遠 征 の と き,ヨ ー ロ ッパ に,ア ジ ア を して 野 蛮 ・残 虐 ・脅 威 と す る

,い わ ゆ る 「黄 禍 論 」 の 種 子 が ま か れ た の で あ る 。

バ トゥ は,西 北 ユ ー ラ シ ア 草 原 に住 む トル コ系 キ プ チ ャ ク族 を モ ン ゴ ル の く ウル ス 〉 に 組 み い れ,ウ ラル 川 西 方 か ら ドニ エ プ ル 川 流 域 南 ロ シ ア草 原 に ま で ・ ジ ョチーウ ル ス(キ プチ ャク汗国)の 領 土 を 広 げ,ヴ ォ ル ガ河 畔 に サ ラ イ ・バ

(5)

0358) ソ ヴ ェ ト社 会 主義 共 和 国 連 邦 の 崩壊(1)5

トゥ と い う都 を お い た 。 汗 は,臣 従 す る ス ラ ヴ諸 公 に対 して は公 位 を安 堵 し, 貢 税 の義 務 を課 した 。 安 堵 さ れ た ロ シ ア の 諸 公 は,所 領 地 の 住 民 か ら租 税 と兵

員 を 取 立 て,汗 に奉 納 した 。 キ プ チ ャ ク汗 国 で は,モ ン ゴ ル系 と トル コ系 との 混 血 が 進 み,言 語 的 に も文 化 的 に も急 速 に トル コ化 して,14世 紀 の 前 半 に は ト

ル コ系 ム ス リム の 国 に な っ た。

モ ン ゴ ル帝 国 もそ の 支 邦 も,戦 争 と破 壊,殺 獄 と略 奪 に 明 け暮 れ て い た わ け で は な い 。 この 帝 国 は多 くの 民 族 ・文 化 ・言 語 ・宗 教 を 包 み こん だ 連 合 国 家 で あ り,そ れ ぞ れ の 国(ウ ルス)に は,遊 牧 民 も お れ ば 農 漁 民 もお り,商 人 もお れ ば 職 人 も い た。 草 原 も あ れ ば 耕 地 も あ り,オ ア シ ス都 市 も あ れ ば,河 湖 畔 都 市 ・港 湾 都 市 も あ った 。 モ ン ゴ ル帝 国 は,軍 事 国 家 で あ る と同 時 に 重 商 主 義 国 家,自 由貿 易 国 家 で もあ っ た。帝 国 の軍 事 的 安 全 保 障 の も と,ジ ャ ム(駅 伝制 度) の整 備,牌 符(旅 券)の 発 行,通 行 税(関 税)の 廃 止,銀 本 位 制 の 採 用,紙 幣 「交 砂 」 の 発 行,塩 の 引 換 手 形 「塩 引 」 の 通 貨 化,ウ イ グル 商 人 や ム ス リム商 人 の

「オ ル トク」の ネ ッ トワ ー ク の 利 用 等 を っ う じて,当 時 の地 中 海 商 業 を は るか に 上 回 る規 模 の ユ ー ラ シ ア国 際 商 業 を 発 展 さ せ た 。

広 大 な モ ン ゴ ル帝 国 に点 在 す る 諸 都 市,す な わ ち,大 汗 が 居 住 す る大 元 ウ ル ス(中 国)の 大 都(現 在 の北京),カ ラ コル ム,杭 州,泉 州,京 兆,成 都,広 州, オ ゴ タ イ汗 国 の エ ミル,チ ャ ガ タイ 汗 国 の サ マ ル カ ン ド,ブ ハ ラ,ア ル マ リ久 イ ル汗 国(フ レグーウルス)の タ プ リー ズ,ア ンカ ラ,バ ク ダ ー ド,ホ ル ム ズ,キ プ チ ャ ク汗 国(ジ ョチーウル ス)の サ ラ イ,キ エ フ,モ ス ク ワaさ らに 帝 国 の 外 の 東 地 中 海 の ビザ ンチ ンの 都 市 コ ン ス タ ンチ ノ ポ リス(後 の イ ス タ ンブー ル),ア

レ ッ ポ,ダ マ ス カ ス,ア レ ク サ ン ド リア な ど を 縦 横 に結 ぶ 一 大 交 易 圏 が 出 現 し た 。 モ ン ゴ ル政 権 と友 好 関 係 を 結 ん だ ウ イ グ ル 商 人 や ム ス リム 商 人 は,行 路 と 商 売 の安 全 を保 証 す る旅 券 を 携 帯 し,駅 伝 制 を利 用 して 陸 路 ・河 川 路 ・海 路 を 盛 ん に 往 来 し た 。 ヴ ェ ネ ッ ィ ア 人 マ ル コーポ ー ロ(1254‑1324)は,こ の 駅 伝 制 を 利 用 して は る ば る中 国 の 大 都 に 赴 きy大 汗 ク ビ ラ イ(1215‑‑94)に17年 間 仕 え

た 後,泉 州,南 海 を へ て 帰 国 し,『 東 方 見 聞 録(世 界 の記述)』 を あ らわ して,当

(3)

時 の中央 ア ジアや 中国 の繁 栄 ぶ りを今 に伝 え て い る。

(6)

6商 経 論 叢 第34巻 第1号

0357) 1240年 か ら1480年 ま で の240年 間 に わ た る モ ン ゴル の ロ シ ア 支 配 を

,ロ シ ア 側 は 〈 タ タ ー ル の くび き 〉 と よ ぶ。 ロ シ ア の 歴 史 家 に よ れ ば,こ の 間 ロ シ ア は,野 蛮 な ア ジ ア 的 専 制 国 家 の 支 配 下 に お か れ,暗 黒 と停 滞 の 時 代 を 強 制 され た,と す る。 た しか に こ の 時 期,エ ル ベ 川 以 西 の ヨー ロ ッパ で は

,農 奴 制 の 解 体 過 程 が す す みa数 次 の 十 字 軍 遠 征 の あ とを う け て,「 商 業 の 復 活 」,ル ネ サ ン ス,宗 教 改 革,「 大 航 海 時 代 」,産 業 革 命 とつ づ き,機 械 制 大 工 業 を 軸 と す る資 本 主 義 の誕 生 を準 備 して い た。 と こ ろ が 当 時 の ロ シ ア は,タ タ ー ル の 専 制 支 配 と重 い貢 税 に苦 しみ,社 会 進 歩 の 圏 外 に と り残 され,ヨ ー ロ ッパ に 対 して 「後 進 国 」 の 地 位 に 転 落 して い っ た,と い うの で あ る。

ロ シ ア の 後 進 性 の 原 因 と して,ロ シ ア の 歴 史 家 の よ う に,<タ タ ー ル の く び き 〉 を過 度 に 強 調 す る の は誤 り で あ る。 モ ン ゴ ル 帝 国 とそ の 分 支 国 は

,多 分 に 重 商 主 義 国 家 の 性 格 を 有 して お り,キ プ チ ャ ク汗 国 支 配 下 の ル ー シ も

,そ の 影 響 で 公 た ち は商 業 的 産 業 を 大 い に発 展 さ せ た 。 か く して モ ン ゴル 語 か らヤ ム シ チ ー ク(御 者,モ ンゴルの駅 伝制度 ジ ャムに由来),ト ル コ語 系 統 か ら タ ヴ ァ ー ル (商品),カ ズ ナ ー(金 銭 国庫),カ バ ラ ー(負 債,契 約),ペ ル シ ア語 系 統 か らバ ザ ー ル(市 場)な ど の 言 葉 が は い り,ロ シ ア 語 と して 定 着 して い っ た

。 わ れ わ れ の 見 解 に よ れ ば,タ タ ー ル 支 配 の 時 代 か らモ ス ク ワ ・ル ー シの 時 代 に再 編 強 化 され た農 奴 制 の1861年 ま で の 存 続 こ そ が ,ロ シ ア の 近 代 化,工 業 化 を 阻 ん だ 最 大 の 原 因 で あ っ た 。 い ず れ に せ よ,モ ン ゴル 帝 国 の 一 画 で あ った 時 代 の ロ シ ア の 利 害 得 失 に つ い て は,再 考 の 必 要 が あ る。

タ タ ー ル 支 配 下 の ル ー シ諸 公 国 の な か で,通 商 と軍 事 の 要 衝 を 占 め た モ ス ク ワ公 国 が 次 第 に 勢 力 を の ば した 。 モ ス ク ワ大 公 イ ヴ ァ ン3世(在 位1462 ‑1505) は,東 北 ロ シ ア の 諸 公 国 を 統 一 す る と と も に,ノ ヴ ゴ ロ トを も併 せ(1478),タ ター ル汗 に 対 す る貢 納 を 停 止 し,キ プ チ ャ ク汗 国 の 支 配 を 離 れ(1480)

,モ ス ク ワを 中 心 とす る 中 央 集 権 国 家 を っ く りあ げ た。 ロ シ ア 史 家 は,こ の1480年 を く タ タ ー ル の くび き 〉の 終 了 の 年 と して い る。 な お イ ヴ ァ ン3世 は

,1453年 に滅 亡 した ビザ ンチ ン帝 国 の 最 後 の皇 帝 の姪 と結 婚 し,ツ ァ ー リ(皇 帝)を 名 の り,

ビザ ンチ ン皇帝 の 紋 章 「双 頭 の 鷲 」 を 自家 の もの と し

,自 分 が ロ ー マ皇 帝 の 唯

(7)

0356) ソヴ ェ ト社 会 主義 共和 国連 邦 の崩 壊(1)7

一 正 統 の 継 承 者 で あ る と称 した 。

全 ル ー シ に君 臨 して 繁 栄 を誇 っ た キ プ チ ャ ク汗 国 は,15世 紀 に カ ザ ク汗 国, カ ザ ン汗 風 ア ス トラハ ン汗 国,ク リ ミア汗 国 な ど に 分 裂 し,衰 退 の 道 を 歩 ん だ 。 イ ヴ ァ ン4世(雷 帝,在 位1533‑84)は,カ ザ ン汗 国(1552)と ア ス トラハ ン 汗 国(1556)を 併 合 して,ヴ ォ ル ガ水 系 を 支 配 し,モ ス ク ワ大 公 国 の地 位 を 固

め,ロ シ ア帝 国 へ の 発 展 の 道 を 拓 い た 。 だ が ク リ ミア汗 国(1475年 同族 の オスマ ン ・トル コ帝 国の宗 主権 下 に はい る)は 依 然 と して 強 大 で あ り,17世 紀 末 の ピ ョー トル1世 の 時 代 ま で,モ ス ク ワ大 公 国 に貢 税 を 課 した。 な お イ ヴ ァ ン4世 は, 自分 の 帝 位 を正 当 化 す る た め,チ ンギ ス汗 の 直 系 の 子 孫 で あ る,キ プ チ ャ ク の ア フ マ ド汗 の 曽孫 シ メ オ ン ・ベ ク ブ ラ トヴ ィチ か ら ッ ァ ー リ位 を禅 譲 させ る と い う手 続 を へ て,正 式 に ッ ァ ー一リの称 号 を 用 い る こ と に した。

9世 紀 後 半 の キ エ フ ・ル ー シ の建 国 か ら く タ タ ー ル の く び き 〉 の 時 代 を へ て モ ス ク ワ ・ル ー シの 時 代 に い た る ま で,い くた の政 治 的 変 動 が あ った が,ル ー シ の 経 済 的 基 盤 は農 奴 制 農 業 で あ った 。 多 分 に奴 隷 制 の 残 津 を もっ ロ シ ア 農 奴 制(各 種賦役 や貢税 の賦課,農 民 の土地 緊縛 ・売 買 ・懲 罰 な ど)は,た び た び農 民 の 反 乱 や 逃 亡 に直 面 した 。 フ ロ プ カ の 乱(1603),ス テ ンカ ・ラ ー ジ ンの 乱(1670‑

71),プ ガ チ ョフ の 乱(1773‑75)な ど で 農 民 軍 は,地 方 の 重 要 都 市 を 占領 し,一 時 は首 都 へ 攻 め の ぼ る勢 い を み せ た 。貴 族(地 主)は 殺 害 さ れ,土 地 台 帳 は焼 か

れ,農 奴 は解 放 さ れ た。 しか し反 乱 が 敗 北 す る と,農 奴 制 を 強 化 す る た め の 反 動 的 強 権 措 置 が と られ た 。

12世 紀 の 『過 ぎ し歳 月 の 物 語 』 と い う年 代 記 に よ れ ば,キ エ フ ・ル ー シ の建 国 者 は リュ ー リク(弘 一879)だ と伝 え られ る。 リュ ー リク の 子 孫 が 公 位 に つ く

と い う伝 統 は,キ エ フ 大 公 国 の 分 裂 後 も つ づ き,ル ー シ の 諸 公 は す べ て, リュ ー リク朝 の 子 孫 で あ る と称 した。 時 代 は下 り1598年,イ ヴ ァ ン4世 の子 フ ヨ ー ドル の 死 に よ り,王 朝 と し て の リ ュ ー リ ク 朝 は 断 絶 し た 。 動 乱 の 時 代 を へ て,1613年 に ミハ イ ル ・ロ マ ノ ブ が 皇 帝 に選 ば れ,1917年 ま で っ つ く ロ マ ノ ブ朝 の 時 代 が は じ ま っ た 。

ロ マ ノ ブ家 出 身 の ピ ョー トル1世(大 帝,在 位1682‑1725)は,新 都 ペ テ ル ブ ル

(8)

8商 経 論 叢 第34巻 第1号

0355}

ク を 建 設 し・1721年 に 「全 ロ シ ア の イ ンペ ラ ー・トル 」 と な り,こ こに ロ シ ア帝 国 が 発 足 した。彼 は,帝 国 の 拡 大 を あ ざ して 軍 備 の 増 強 に つ と め ,そ の た め に, 人 頭 税 を 課 し,塩 ・酒 の 専 売 制 を し き,歳 入 増 を は か っ た。 大 砲 を は じめ 軍 服.帆 布 な ど の軍 需 物 資 を 生 産 す る た め に,ヨmッ パ か ら多 く の技 術 者 ・職 人 を 雇 い い れ,各 種 の 官 営 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア を 創 設 して ,官 有 農 奴 を そ こで 働 か せ た 。 商 人 に よ る マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア経 営 も許 さ れ,労 働 力 と して 農 奴 を 購 入 す る こ と が 認 め られ た。 ピ ョー トル の 娘 エ リザ ヴ ェ ー タ女 帝(在 位1741‑

62)の 時 代,ウ ラ ル の製 鉄 業 は大 い に 発 達 し,当 時 ロ シ ア は イ ギ リス の2‑3倍 の 銑 鉄 を 生 産 した 。1754年 に は 内 国 関 税 を廃 止y57年 に は保 護 関 税 を 実 施,商 工 業 の 振 興 が は か られ た 。 しか し,そ れ ら は い ず れ も農 奴 制 の も とで の 産 業 振 興 で あ っ た こ と に 留 意 す る必 要 が あ る。

ロ シ ア帝 国 の領 土 拡 張 は,上 述 の ピ ョー トル 大 帝 以 後,顕 著 に な っ た 。 北 部 お よ び 中 部 ヨ ー ロ ッパ 方 面 で は,北 方 戦 争 に 勝 利 して1721年 に バ ル ト海 の 帝 国 ス ウ ェ ー デ ンか ら エ ス トニ ア と リヴ ォ ニ ア(ラ トヴ ィア)を 奪 い ,1809年 に は

フ ィ ン ラ ン ドを 併 合,ま た3回 に わ た る ポ ー ラ ン ド分 割 に 参 加 して(1772 ,93, 95),ポ ー ラ ン ド東 部,リ トア ニ ア,ベ ロ ル シ ア,ド ニ エ プ ル 川 右 岸 の ウ ク ラ イ ナ を 獲 得 した。

南 部 の イ ス ラ ム地 域 に 目 を 転 ず る と,ロ シ ア帝 国 は,か つ て ビザ ン チ ン帝 国 が 支 配 した温 暖 ・豊 饒 の 「黒 海 ・地 中 海 」 地 域 へ の 進 出 を め ざ す 南 下 政 策 を も ち つ づ け て い た。 い ま そ の地 域 を支 配 す るの は,ビ ザ ンチ ン帝 国 を 滅 ぼ した ム ス リム の オ ス マ ン ・ トル コ帝 国 で あ っ た。 ロ シ ア は トル コ と た び た び 戦 い

,そ の 衰 退 に乗 じて 領 土 を拡 張 し,1783年 に ク リ ミア,1812年 に ベ ッサ ラ ビ ア を 併 合 して,黒 海 北 岸 地 方 を ロ シ ア領 と した 。ま た1829年 ま で に ザ カ フ カ ー ス の ほ ぼ 全 域 を 支 配 下 に お い た。 黒 海 はっ い に,ト ル コ の 海 か ら ス ラ ヴ の海 に 変 わ っ た の で あ る。

ロ シ ア は ま た ペ ル シ ア や トル コ と争 い,1813年 に北 ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン,r・ra 年 に 東 ア ル メ ニ ア を ロ シ ア領 に した。1g世 紀 後 半 に は トル キ ス タ ンに 軍 を進

め・中 央 ア ジ ァ を 手 中 に収 め た 。東 ア ジ ア で は,1598年 に シ ビル汗 国 を 征 服 し,

(9)

0354) ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共和 国連 邦 の崩 壊(1)9

シ ベ リア進 出 の 拠 点 を きづ き,極 東 へ の 膨 張 を め ざ し,ロ シア帝 国 の 勢 力 は}

べ̲リ ン グ海 峡 を 渡 って ア ラ ス カ に ま で 達 した(財 政 難iから1867年 同地 をア メ リ カに売却)。1860年 に は 中 国 か ら沿 海 州 を 奪 い,1904‑05年 に は朝 鮮 ・中 国 東 北 部 の支 配 を あ ぐ って 日本 と交 戦 した(日 露戦 争)。 ロ シ ア帝 国 は こ う して 全 方 位

に膨 張 し,多 数 の 異 民 族 を 支 配 下 に お く一 大 植 民 地 帝 国 に な った 。

19世 紀 な か ば,農 奴 制 農 業 と農 奴 制 工 業 に依 拠 す る ロ シ ア は,ヨ ー ロ ッパ の 工 業 帝 国 イ ギ リス,フ ラ ン ス に軍 事 的 に対 抗 す る こ と は不 可 能 に な っ た。 そ の こ と を 明 示 した事 件 は,ク リ ミア戦 争(1853‑‑56)に お け る ロ シ ア の 敗 北 で あ る。 わ ず か40年 ほ ど前 の1812年 に ナ ポ レオ ンの 大 軍 を破 り,ヨ ー ロ ッパ 随 一 を誇 った ロ シ ア軍 は,数 に お い て は るか に劣 る英 仏 軍 に 完 敗 した の で あ る。 敗 北 の 原 因 は,た ん に 軍 事 的 な も の で は な く,そ の 背 後 に あ る ロ シ ア の 政 治 ・経 済 の 後 進 性 で あ った 。 ロ シ ア の 後 進 性 は,農 奴 制 の 廃 止 を は じめ とす る抜 本 的

な 内 政 改 革 な し に,克 服 で き る もの で は な か っ た。

ロ シ ア の 大 改 革 は,19世 紀 末 か ら20世 紀 初 め に,政 府 主 導 の 工 業 化 を 軸 に 展 開 さ れ た。 工 業 化 の 目的 は 「富 国 強 兵 」 で あ り,欧 米 列 強 に伍 す る大 国 と し

て の地 位 を きつ く こ とで あ った 。専 制 側 に も,セ ル ゲ イ ・ウ ィ ッ テ(1849‑1915) の よ う な す ぐれ た 政 治 家 が あ らわ れ,さ ま ざ ま な 殖 産 興 業 政 策 が 打 ち だ さ れ た。 大 蔵 省 の 大 臣官 房 で は,若 い 官 僚 た ち が 研 究 会 を 開 き,後 発 工 業 国 ドイ ッ の経 済 学 者F・ リス ト(1789‑1846)の 『経 済 学 の 国 民 的 体 系 』を 勉 強 して い た 。

工 業 化 の 推 進 と財 政 資 金 の 獲 得 の た め に,高 率 保 護 関 税,消 費 税,酒 類 専 売, 発 券 銀 行 の 設 立,金 本 位 制 の 採 用,外 資 導 入 な ど の 経 済 政 策 が と られ た 。 そ れ

ら に よ り,ロ シ ア は1870年 か ら1913年 ま で の約40年 間,新 興 の ア メ リカ や ド イ ッ よ り低 か った が,先 輩 格 の イ ギ リス や フ ラ ン ス よ り高 い経 済 成 長 を 実 現 し た 。 上 か らの 工 業 化 は進 ん だ が,「 そ の 費 用 の 大 部 分 を 農 民 が 負 担 す る こ と に よ っ て 遂 行 さ れ た 工 業 化 は,そ れ 自 体 政 治 的 安 定 を 脅 か す も の で あ り,そ れ ゆ

(4)

え に また,工 業 化 政策 の継 続 を危 う くす る もので もあ った」。ロ シアの産業 構 造 は,農 業 の大 海 の なか に工業 の小 島 が点 在 す る とい う状 態 にあ った。 主 な輸 出 品 は原 料 や農 産 物 で あ り,工 業 資本 財 は輸 入 に依 存 せ ざ るを えな か った。 ロ シ

(10)

10商 経 論 叢 第34巻 第1号

(353)

ア経 済 は,ま さ に 植 民 地 型 も し くは 今 日 の途 上 国 型 の経 済 で あ った

中 途 半 端 な 農 業 改 革,高 物 価 ・重 税 ・低 賃 金 は,農 民 や小 生 産 者 ・労 働 者 を 苦 しめ た 。20世 紀 初 め,ロ シ ア の 国 内 矛 盾 は 爆 発 寸 前 に達 した。 ロ シ ア帝 国 は, 1914年 に始 ま る第1次 世 界 人 戦 に 参 戦 す る こ とで,こ の 矛 盾 を 回 避 しよ う と し た。 しか し,戦 局 は ロ シ ア に 不 利 で あ り,国 内 経 済 は悪 化 し,国 民 生 活 は窮 迫 した 。 ロ シ ア の 民 衆 は 「平 和 と土 地 とパ ン」 を 政 府 に 要 求 して 立 ち あ が っ た

。 ソ ヴ ェ トに結 集 した 市 民 ・兵 士 の 運 動 は,1917年 の 二 月 革 命 と な って 爆 発 し, ロ シ ア帝 国 は 滅 亡 した 。 こ う して,ロ シ ア の近 代 化,工 業 化,民 主 化,富 裕 化 の 課 題 は,同 じ年 の 十 月 革 命 に 勝 利 した ソ ヴ ェ ト国 家 に 引 き継 が れ た の で あ る。

1‑2ソ 連 の 歴 史

今 は昔,ソ 連 に プ ロ グ レ ス(進 歩)と い う名 称 の 出 版 社 が あ っ た。 プ ロ グ レス 社 は,広 く ソ連 以 外 の 国 々 に,ソ 連 の す ば ら しさ を 書 籍 と い う メ デ ィ ア を っ う

じて 知 ら しめ る機 関 で あ っ た。 本 に も本 籍 が あ る。 そ の こ と は 承 知 の 上 で,江 口朴 郎 先 生 を 監 修 者 に,江 口 門 下 の 木 村 英 亮(横 浜国立大 学教授)氏 や 岡 田 進(東 京外 国語大学 教授)氏 と と もに,プ ロ グ レス社 の 『ソ連 邦 の 歴 史 社 会 主 義 時 代 』 (増補第3版,モ ス クワ,1977年)を 翻 訳 し,日 本 に紹 介 した こ とが あ る

旧 ソ連 史 学 を 代 表 す る こ の 書 物 に よ れ ば,ソ 連 の 歴 史 は次 の よ うな 原 則 に も とつ い て 叙 述 され た。「ソ ヴ ェ ト社 会 史 は,ソ 連 邦 に お け る社 会 主 義 と共 産 主 義 の 勝 利 を め ざ す た た か い の 歴 史 で あ る。 そ れ ゆ え,そ の 時 期 区 分 の根 底 に あ る もの は,新 しい構 成 体 の成 立 と発 展 の 法 則 的 で 自然 史 的 な過 程 の 基 本 的 諸 段 階

(5)

で あ る」。 この よ う な 史 観 に た ち,ソ 連 の 歴 史 学 者 は,1917年 の 十月 革 命 を 「社 会 主 義 革 命 」 と規 定 し,ソ 連 史 を 社 会 主 義 お よ び共 産 主 義 の 建 設 史 と して 叙 述

した の で あ る。

ソ ヴ ェ ト連 邦 史 の 時 期 区 分 も単純 明 解 で あ り,次 の 二 つ の 基 本 的 な段 階 に 区 分 さ れ た 。第1段 階 は,「 資 本 主 義 か ら社 会 主 義 へ の過 渡 期 」で あ り,時 期 的 に は,1917年10月 か ら1937年 ま で 。 こ の20年 間 に 社 会 生 活 の あ らゆ る部 面 で

(11)

(352) ソ ヴ ェ ト社 会 主義 共 和 国 連 邦 の崩 壊(1)11

革 命的 変革 が行 わ れ,社 会 主 義 は資本 主 義 に勝 利 し,社 会 主義 社 会 の基 本 建設 は完了 した,と 主張 す る。第2段 階 は,「 社 会主 義 」 の段 階,す な わ ち 「共 産 主 義 の第1段 階」,時 期 的 に は1938年 以後 で あ る。 この段 階 はさ らに次 の二 っ の 小 段 階 に区分 され た。す なわ ちyX938年 か ら1958年 ま で の 「社 会 主義 の完 全 か っ最 終 的勝 利 」の時 期 と,1958年 以 後 の 「発達 した社会 主 義 お よ び共産 主 義 の

(s>

建 設 期 」 で あ る。

1937年 を 画 期 とす る根 拠 は,国 内 戦(1918‑21)と 戦 後 復 興 期(1921‑25)を 経 過 後,1926年 に 社 会 主 義 的 工 業 化 と農 業 集 団 化 の 課 題 が 提 起 さ れ,そ して この 二 っ の 課 題 が,第1次5ヵ 年 計 画(1928‑32)と 第2次5ヵ 年 計 画(1933‑37)の 完 遂 に よ って 達 成 さ れ た こ と,す な わ ち ソ ヴ ェ ト社 会 の 社 会 主 義 的 改 造 が 完 了

した こ と,で あ っ た。 社 会 主 義 的 改 造 と は 何 か 。 そ れ は 具 体 的 に は,す べ て の 経 済 活 動 が 国 営 企 業 お よ び 集 団 企 業 に よ って 営 ま れ る よ う に な り,ソ 連 の 階 級 構 成 に質 的 変 化 が 発 生 し,ブ ル ジ ョア ジ ー,地 主,富 農 な ど の搾 取 階 級 は一 掃

さ れ て,ソ ヴ ェ ト社 会 は,労 働 者 ・職 員(36.2%),集 団 農 場 農 民(57.9%),イ ンテ リゲ ン ッ ィア そ の 他(5.9%)の2階 級1階 層 か ら構 成 さ れ る社 会 に 改 造 さ

(7)

れ た こ と を 指 す 。

レー ニ ン(1874‑1924)の 階 級 論 に よ れ ばi階 級 と は 「① 一 定 の 歴 史 的 な 社 会 的 生 産 体 制 の な か で 占 め る地 位 の ち が い,② 生 産 手 段 に対 す る 関 係 の ち が い,

③ 社 会 的 労 働 組 織 の な か で の 役 割 の ち が い,④ した が って 社 会 的 富 を受 け と る 方 法 と分 け前 の 大 き さ の ち が い な ど に よ っ て 区 別 さ れ る人 間 集 団 の こ と」 で あ

C8)

。 と こ ろで,1930年 代 後 半 に登 場 した ソ ヴ ェ ト社 会 に っ い て,労 働 経 済 学 お よ び労 働 社 会 学 の 研 究 者 が,レ ー ニ ンの 提 起 した4つ の 基 準 に も とつ い て,少

しで も ま じあ に,国 有 企 業 や 集 団 農 場 の 調 査 研 究 を して み る な らば,準 階 級 と して の 党 国 家 官 僚 層 が 国 家 権 力 お よ び生 産 手 段 の 占 有 者 とな っ た,新 しい 「階 級 社 会 」 の 誕 生 を み て 取 る で あ ろ う 。 ま た マ ル ク ス 主 義 お よ び レ ー ニ ン主 義 の 古 典 の観 点 か らみ て も,1937年 に ソ連 社 会 が 「共 産 主 義 の 第1段 階 と して の社

く  

会 主 義 」 を 実 現 した,と は主 張 で き な い 。

し た が って,1938年 以 降 の ソ連 社 会 の 性 格 を め ぐ る ソ連 の 学 界 の 議 論 も ま

(12)

12商 経 論 叢 第34巻 第1号

0351)

た,学 問 的 に は信 頼 で きな い 。1938年 以 降 の ソ連 「社 会 主 義 社 会 」 を 二 っ の 小 段 階 に分 け,1958年 に 「社 会 主 義 の最 終 的 勝 利 」 を 実 現 した と か ,ま た ソ連 社 会 主義 の58年 以 降 の発 展 段 階 を,「 発 達 した 社 会 主 義 」 だ とか ,あ る い は 「発 達 した 社 会 主 義 の 端 緒 段 階 」 だ とか 主 張 す る旧 ソ連 の学 界 に お け る 議 論 は,初 め か ら終 わ り まで 虚 妄 の 論 議 で あ っ た と い わ ざ る を え な い

ソ連 の 崩 壊 過 程 に お い て,人 文 ・社 会 科 学 の う ち で 社 会 の信 頼 を 失 い

,根 本 的 変 更 を 迫 られ た の は,お そ ら く歴 史 学,と くに 自国 史 学 で あ ろ う。1991年 に ソ連 が 消 滅 して15の 独 立国 家 が 生 ま れ た と き,不 幸 な こ と に,ま ず 新 しい歴 史 教 科 書 が 必 要 に な っ た。 エ リツ ィ ン大 統 領 の ロ シ ア連 邦 で も,急 遽 新 しい ロ シ

ア現 代 史 の 教 科 書 が 作 成 され,ロ シ ア 教 育 省 が 推 薦 す る教 科 書 が 出 版 さ れ は じ め た 。 以 下 に9年 生(日 本 の中学3年 生 に相 当)用 と11年 生(高 校2年 生)用 の教 科 書 『20世 紀 ロ シ ア 史』 を 取 り あ げ,そ の 特 徴 を 検 討 して み た い。

9年 生 用 の 教 科 書 は,次 の9章 か ら構 成 さ れ て い る。 「第1章 大 過 程 の エ ピ ロ ー グ:1900‑‑1916年 の ロ シ ア。 第2章 展 望 を探 す ロ シ ア(1917‑一一一1927)。第 3章 ロ シ ア の ス タ ー リ ン的 近 代 化(1928‑1938) 。 第4章 第2次 世 界 戦 争 期 の ソ ヴ ェ ト連 邦(1939‑‑1945)。 第5章 ス ター リン主 義 の 絶 頂:1945‑‑1953年 の ソ連 邦 。第6章 非 ス タ ー リ ン化 の 最 初 の 試 み:1953‑19fiO年 代 半 ば の ソ連 邦 。第7章 体 制 の 危 機:60年 代 半 ば 一80年 代 半 ば の ソ連 邦 。第8章 体 制 の

u最 後 の チ

ャ ン ス":ソ 連 邦 の"ペ レ ス トロ イ カ",19$5‑1991年 。第9章 岐 路 に た っ ロ シ ア:1991‑1994年 」。 この 教 科 書 は,ス タ ー リ ン と ス ター リ ン主 義, 全 体 主 義 に注 目 し,章 の な か に 「ス タ ー リ ン主 義 の 政 治 シ ス テ ム」 とか 「全 体 主義 の 強 化 」 と い う節 を 設 け,ま た ソ連 史 全 体 を ,ロ シ ア の 「近 代 化 過 程 」,「工 業 社 会 へ の 移 行 過 程 」 に お け る 「民 主 主 義 」 と 「全 体 主 義 」 と の 闘 争 の 歴 史 と

(10)

し て 叙 述 し て い る 。

11年 生 用 の 教 科 書 は,以 下 の 全10章 か ら 構 成 さ れ て い る

。 「第1章 世 紀 の は ざ ま の ロ シ ア 。 第2章 ド ゥ ー マ 君 主 制 の 生 成 。 第3章 嵐 の な か の ロ シ ァ (1907‑‑1917)。 第4章 ロ シ ア の 革 命(1917年3月 一1921年3月)

。 第5章 全 体

主 義 体 制:形 成 と 絶 頂(1921‑‑1939)。 第6章 第2次 世 界 … … 大 祖 国 戦 争

。 第7

(13)

0350) ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国連 邦 の崩 壊(1)13

章 戦 後 の 最 初 の10年 間 。 第8章 国 家 と社 会50年 代 末 ・60年 代 初 。 第9 章 フ ル シ チ ョ フか ら ゴ ル バ チ ョ フ ま で 。 第10章 ソ連 邦 の 最 後 の 歳 月 。[補 章]20世 紀 最 後 の10年 間 の ロ シ ア(結 び に代 えて)」。 この 教 科 書 もま た,全 体 主 義 論 を 基 本 概 念 と して 用 い て お り,ロ シ ア の 全 体 主 義 体 制 お よ び全 体 主 義 社 会 の 形 成 終 了 期 を,1934年 か ら39年 の 時 期 と して い る。教 科 書 は,ソ 連 史 を全

(11)

体 主 義 の生 成 ・展 開 ・没 落 の 歴 史 と して 叙 述 して い る。

総 じて教 科 書 か ら は,「 大f月 社 会 主 義 革 命 」 に焦 点 を あ て た記 述 は削 除 さ れ,9年 生 用 教 科 書 の 歴 史 年 表 で は 「1917年10月25日 ペ トロ グ ラ ー ドに お け る武 装 蜂 起.臨 時 政 府 の 倒 壊 」,11年 生 用 の 年 表 で は 「1917年10月24‑25

日 オ ク チ ャ ブ リス キ ー ・ペ レヴ ォ ロ ー ト.臨 時 政 府 の 倒 壊 」,「1917年10 月25‑‑26日 第2回 ソ ヴ ェ ト大 会.平 和 に つ い て の 布 告,土 地 に つ い て の布 告,人 民 委 員 会 議 の 創 設 」 とな っ て い る。 ま た か っ て の ソ連 史 学 で 「ブ ル ジ ョ

ア民 主 主 義 革 命 」 と規 定 さ れ た1917年 の 「二 月 革 命 」 に つ い て み る と,9年 生 用 の年 表 で は従 来 と同 じ く 「1917年2月27日 ロ シ ア に お け る ブ ル ジ ョ ア 民 主 主 義 革 命 の 開 始.ペ トロ グ ラ ー ド ・ソ ヴ ェ トの形 成 」と記 述 さ れ て い る が,

11年 生 用 で は 「ペ トロ グ ラ ー ド労 働 者 ・兵 七代 議 員 ソ ヴ ェ トの 活 動 開 姶 ロ ジ ャ ン コを 長 とす る国 会 臨 時 委 員 会 の設 立 」 とな っ て い て,「 ブ ル ジ ョア 革 命 」 と い う用 語 は用 い られ て い な い。

さ て 新 しい ロ シ ア現 代 史 の 教 科 書 に お い て 重 要 な 役 割 を は た す 「全 体 主 義 」,

「全 体 主 義 社 会 」 と は何 か 。現 代 ロ シ ア の 歴 史 家 は,全 体 主 義 を どの よ う に認 識 して い る の か 。西 側 の政 治 学 者 や 社 会 学 者 は っ と に,「 全 体 主 義 」 を次 の よ うに 理 解 して き た。 「全 体 主 義 は,個 人 主 義 や 自 由 主 義 の 原 理 を 否 定 し,独 裁 政 党 が テ ロ リ ズ ム に よ っ て 国 家 機 構 を 手 中 に お さ め,全 社 会 生 活 を 規 制 す る。 ドイ ツ ・ナ チ ズ ム や イ タ リア ・フ ァ シ ズ ム の 政 治 原 理 や 国 家 体 制 が典 型 で あ り,ソ

(lz)

連 な ど共 産 主 義 国家 も また この範 疇 に は い る」。 上 記 の歴 史 教 科 書 を み るか ぎ り,ロ シアの学 者 の理解 も この定義 の水 準 を越 えて い な い。

わ れ わ れ は,「 旧 ソ連 社 会=全 体 主義 社 会 」論 に反対 で あ る。 全 体 主義 論 は, 一過 性 の社 会 現象 を と らえ た概 念 で あ り,国 家 の政 策 が っ くりだ した短 期 的現

(14)

14商 経 論 叢 第34巻 第1号 0349)

象 を特 徴 ず けた もの にす ぎな い。社 会 科学 の用 語 で 言え ばy全 体 主義 はす ぐれ て上 部構 造 に 関係 す る範 疇 で あ り,社 会構 成 体 の土 台 を規定 す るよ うな範 疇 で はな い。 た とえ ば,ド イ ッや イ タ リアで全 体 主 義 が隆 盛 を誇 った時 代,ド イ ッ 資 本 主義 や イ タ リア資本 主 義 は,上 部構 造 と して の全体 主義 に規 定 され なが ら

も,資 本 主 義,正 確 に は国 家独 占資本 主 義 と して存 続 した の で あ る。

わ れ わ れ の ソ連 史 に 関 す る認 識 を 示 そ う。1917年(1s) の 十 月 革 命 は,「 社 会 主 義 を あ ざ す 革 命 」 で あ った 。 十 月 革 命 後,国 有 化 セ ク タ ー を 中 心 に ,ま だ 幼 弱 な 国 家 ウ ク ラー ドを基 軸 とす る不 安 定 な多 ウ ク ラ ー ド制 の 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」 が 誕 生 した 。1930年 代 の 半 ば,多 ウ ク ラ ー ド制 の ソ連 の 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」は,た だ一 つ 国 家 ウ ク ラ ー ド 社 会 主義 の そ れ と は ち が う一 一 を もっ 社 会 経 済 と して の 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」 の 第2段 階 へ の 移 行 を は た した(そ の政治 的指標 は,共 産党 の開発独 裁体制,っ ま り党 国家体 制 の成立 ,そ の経 済 的指標 は,掌 甲等 官僚 罵ノ メ ンク ラ トゥーう 員 によ る生産 諸手段 の 占有で あ る)。

国 家 ウ ク ラ ー ドの 拡 大 ・強 化 を め ざ す ソ連 の 開 発 独 裁 体 制(党 国 家体制)は , 第2次 世 界 大 戦 の 勃 発 に よ って い っそ う強 め られ,大 戦 後 も多 少 の 緩 和 を と も

な い っ っ 継 続 し,ゴ ル バ チ ョ フ時 代 まで っ づ き,1991年 に 終 末 を 迎 え た。 ソ連 の開 発 独 裁 体 制(党 国 家体制)の 終 焉 は,国 家 ウ ク ラ ー ドを 基 軸 と す る 「特 殊 な 社 会 主 義 」,す な わ ち20世 紀 の 新 生 事 物 と して の 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」 の 終 焉 で あ っ た。

1917年 の 十 月 革 命 か ら1991年 の ソ連 消 滅 まで の 全 体 が 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」 の 時 代 で あ り,そ れ は次 の 二 っ の 段 階 に分 か れ る。す な わ ち1917年 か

ら1930年 代 後 半 ま で が 「社 会 主 義 を め ざ す 段 階 」 で あ り,30年 代 後 半 か ら 1991年 まで が 「国 家 ウ ク ラ ー一 ドの 拡 大 ・強 化 を 自 己 目的 とす る"国 家 主 義"の 段 階 」 で あ る。 第1段 階 か ら第2段 階 へ の 移 行 に お い て 決 定 的 役 割 を は た した

の は,ス タ ー一 リ ン 主義 に よ る 「党 国 家 体 制 」 の 確 立 ・強 化 で あ っ た。 第2段 階 に,基 本 的 生 産 手 段 の 国 家 的 ・準 国 家 的 所 有 が 確 立 し,こ れ に規 定 さ れ て 生 産 手 段 を 実 質 的 に 占 有 す る党 国 家 官 僚 層(準 階級 と しての 支配階層)と,生 産 手 段 を 形 式 的 に所 有 す る労 働 者 ・農 民 階 級(被 支配 階級)と い う二 っ の 階 級 が 生 ま れ ,

(15)

0348) ソヴ ェ ト社会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩壊(1)15

さ らに これ ら二 っ の階級 の再 生産 が行 われ た。 労 働者 ・農民 階級 と掌 甲蓼 官 僚 層(準 階級)と の矛 盾 を基 本 矛 盾 とす る 「発 展 途 上(国 型)社 会 主 義 」 は,こ の

(14)

階 級 矛 盾 を 止 揚 しえ な い ま ま,1991年 に崩 壊 した の で あ る。

1‑3ソ 連 の 国 家 制 度(ソ 連 邦,連 邦構成 共和 国,自 治共和 国)

ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 は,そ の 名 称 が 示 す よ うに,15の ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 か ら構 成 さ れ る連 邦 国 家 で あ っ た。 ち な み に 旧 ソ連 で 連 邦 構 成 共 和 国 と よ ば れ た15の 国 家 と は,主 と して東 ス ラ ヴ族(正 教徒)が 居 住 す る ロ シ ア・

ベ ロ ル シ ア(現 在 ベ ラルー シ),ウ ク ラ イ ナ の3共 和 国,ザ カ フ カ ー ス の ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン(主 に ムス リムが居住),グ ル ジ ア(主 に正教徒 が居住),ア ル メ ニ ア(主 に 正 教徒 が居住)の3共 和 国,主 と して ム ス リム が 居 住 す る中 央 ア ジ ア の ウ ズ ベ ク,カ ザ フ,キ ル ギ ス,ト ル ク メ ン,タ ジ クの5共 和 国,ロ シ ア と は別 の 歴 史 を もつ バ ル トの エ ス トニ ア,ラ トヴ ィ ア,リ トア ニ ア の3共 和 国,そ れ に主 と

して ル ー マ ニ ア人 が 居 住 す る モ ル ダ ヴ ィ ア共 和 国(現 在 モル ドヴ ァ)で あ る。

で は な ぜ 連 邦 国 家 の形 態 を と った の か 。 ソ連 が 継 承 した ロ シ ア 帝 国 は,陸 つ づ き の広 大 な植 民 地 を もっ 多 民 族 国 家 で あ り,帝 国 内 で は 東 ス ラ ヴ族 の ロ シ ア 人 が 優 越 的 地 位 に っ き,他 の 少 数 民 族 は差 別 ・抑 圧 さ れ,ロ シ ア は 「諸 民 族 の 監 獄 」 と よ ば れ て い た 。 そ の ロ シ ア帝 国 を 打 倒 して 登 場 した ソ連 邦 は,民 族 問 題 に格 別 の配 慮 を払 わ ざ るを え な か った 。 ち な み に,旧 ソ連 内 に居 住 す る大 小

(15)

の 被 差 別 民 族 の 数 は100以 上 に の ぼ る 。

新 生 ソ ヴ ェ ト権 力 の 国 家 形 態 は,諸 民 族 ソ ヴ ェ ト共 和 国 の 「1{OHΦe肥pau m,連 合 」,「 Φe且epaUHH,連 邦 」,「Com3,同 盟 」 の う ち の い ず れ か 一 っ で な け れ ば な ら な か っ た 。 ソ ヴ ェ ト権 力 は,当 初 理 念 と し て は 「同 盟 」 国 家 を 掲 げ た が,実 態 と し て は 急 速 に 「連 邦 」 国 家 に 変 質 し て い っ た 。

国 内 戦(1918‑21)の 終 了 後,ロ シ ア,ベ ロ ル シ ア,ウ ク ラ イ ナ,ザ カ フ カ ー ス の 四 つ の ソ ヴ ェ ト共 和 国 は,レ ー ニ ン の 「同 盟 」 構 想 を 支 持 し,1922年12月 の 第1回 全 同 盟 ソ ヴ ェ ト大 会 で,「 ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 同 盟 」 の 成 立 を 宣 言

し た 。1924年 に レ ー ニ ン が 死 去 し,や が て ス タ ー リ ン(1879‑一 一1953)が 指 導 権 を

(16)

16商 経 論 叢 第34巻 第1号 0347)

確‑̲す る と と もに,諸 ソ ヴ ェ ト共 和 国 の 「同 盟 」 と い う理 想 の 旗 は捨 て られ , 国 名 にCOK)3(同 盟)を 残 した ま ま,諸 ソ ヴ ェ ト共 和 国 が 支 邦 と して 加 盟 す る, 中 央 集 権 的 な 「連 邦 」 国 家 に な って ゆ く。

1925年 に ウ ズ ベ ク,ト ル ク メ ンの2共 和 国,1929年 に タ ジ ク共 和 国 が ソ連 邦 に加 わ り,1936年 に は ザ カ フ カ ー ス連 邦 が ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン,ア ル メ ニ ア,グ ル ジ ア の3共 和 国 に 分 か れ て ソ連 邦 に加 入 ,ま た カ ザ フ,キ ル ギ ス の2共 和 国 が ロ シ ア連 邦 共 和 国 か ら分 離 して,っ ま り連 邦 構 成 共 和 国 に格 上 さ れ て ,ソ 連 邦 に加 入 した 。 第2次 世 界 大 戦 中 の1940年 に は,カ レ ロ ・フ ィ ンaエ ス トニ ァ,ラ トヴ ィ ァaリ トア ニ ア,モ ル ダ ヴ ィ ア の5共 和 国 が 新 た に ソ連 邦 に編 入 さ れ,連 邦 構 成 共 和 国 は16に な っ た 。1956年 に カ レ ロ ・フ ィ ンは 格 下 さ れ て ロ シ ア連 邦 共 和 国 に 編 入,連 邦 構i成共 和 国 数 は一 っ 減 って15と な り,1991年 の ソ連 邦 崩 壊 ま で つ づ く。

15の 連 邦 構 成 共 和 国 は,憲 法 上 は そ れ ぞ れ 主 権 国 家 で あ り,連 邦 離 脱 の権 利 を 有 して い た が,実 態 は支 邦 に す ぎ な か っ た。 ソ連 憲 法 で 保 証 さ れ て い た連 邦 離 脱 権 の 行 使 は,離 脱 の た め の 手 続 を 定 め た 法 律 も な く,実 際 に は 不 可 能 で

Cis}

あ つ た 。 ソ連ti産 党 が 支 配 す る ソ連 国 家 は,連 邦 を 構 成 す る15の 主 権 国 家 と の

「合 意 」 と い う形 で,国 防 ・治 安 ・外 交 ・貿 易 な ど を独 占 的 に 管 轄 し,立 法 ・行 政 ・司 法 ・経 済 の 全 般 的 指 導 お よ び単 一 の 国 家 予 算 の 作 成 を 行 っ た の で あ る。

な お 旧 ソ連 に は,15の 連 邦 構 成 共 和 国 の うち の ロ シ ア,ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン, グ ル ジ ア,ウ ズ ベ ク の4共 和 国 の い ず れ か に 含 ま れ る全 部 で20の 自治 共 和 国

くユの

が存 在 した。 連 邦 構 成 共 和 国 と 自 治 共 和 国 とを 区 別 す る原 則 は,か な らず し も 明 確 で な い。 た とえ ば,旧 ロ シ ア共 和 国 内 の タ タ ー ル 自治 共 和 国 は,面 積6万 8000平 方 キ ロ,人 口364万(1989)で あ り,格 上 の連 邦 構 成 共 和 国 の エ ス トニ ア 157万,ラ トヴ ィア268万,ア ル メ ニ ア328万,ト ル ク メ ン353万(1989)よ り 人 口 は 多 か っ た が,位 置 づ け は 自治 共 和 国 で あ っ た。 歴 史 的 経 緯 や 外 国 と国 境 を 接 して い るか ど うか に よ って,タ タ ー ル は 自 治 共 和 国 に と ど め られ た の で あ る。15の 連 邦 構 成 共 和 国 も20の 自治 共 和 国 も と も に国 家 で あ り,そ れ ぞ れ最 高 ソ ヴ ェ ト,政 府,裁 判 所 を も って い た 。 連 邦 構 成 共 和 国 と 自治 共 和 国 と の主

(17)

0346)

ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国 連 邦 の 崩 壊(1)17

な違 い は,前 者 が ソ連 邦 か ら脱 退 す る権利 を もっ のに対 して,後 者 はそ の よ う な権 利 を もた な い,と い う点 に あ った。

次 に政 府 につ いて述 べて み た い。十 月革 命後,政 府機 能 を はたす 「内閣 」 に 相 当 す る人民 委 員会議 が創設 され,専 門別 の政策 担 当 の 「省 」 に相 当す る人 民 委 員部 が設 け られ た。 建国 当初,人 民 委員 会 議 は政 策 決定 の中心 機 関 に な った が,ス ター リン体制 が 固 ま る とと もに,政 策 遂 行機 関 に変 質 して い った。1946 年 に人 民 委 員 会 議 は大 臣会 議(閣 僚会議 とも言 う)y人 民 委員 部 は省 に改組 され

た。

1977年 制 定 の ソ連 憲法 に よれ ば,ソ 連政 府 す なわ ち ソ連 大 臣会議 は,ソ 連 の 国家 権 力 の最高 の執行 ・処 分機 関 で あ る(第128条)。 ソ連 大 臣会議 はyソ 連 最 高 ソヴ ェ トの連 邦 ソヴ ェ トと民 族 ソ ヴェ トの合 同会 議 にお いて組 織 され,そ の 構 成 員 は,ソ 連 大 臣会 議議 長(首 相),第1議 長 代理 お よ び議 長 代理,各 ソ連 大 臣 な らび に各 ソ連 国 家 委員 会 議 長 で あ る。 さ らに連 邦 構 成共 和 国 の大 臣会議 議 長(首 相)は,職 務 上 ソ連 大 臣会 議 の構成 員 に な る(第129条)。 大 臣会 議 に は国 有 企 業 を管 理 す る諸 経 済 関 係省 や国家 委 員 会(た とえば国家計画委員会)の 長 が 含 まれ た ため,大 臣 会議 構 成員 の数 は110名 以上 に のぼ る こと もあ り,合 議 体 の機 能 を は たせ な くな った。 そ こで 主 要 大 臣12名 か ら成 る大 臣会 議 幹 部 会 が 設 け られ,日 常 の政 策決 定 ・執 行 に あ た った(大 臣数 は1985年)。

ソ連 大 臣会 議 一政 府 は,共 産党 政 治 局,党 中央委 員 会,人 民代 議 員 大 会,最 高 ソ ヴ ェ トが決 定 した ことを履 行 す る実 務機 関 の色 彩 が濃 く,大 臣 も専 門 技術 官 僚 が多 か った。 ソ連 政 府 と共 産党 中央 委 員会 は,合 同決 定 の か た ちで,し ば しば重 要 な経 済 ・行政 上 の決 定 を行 った。 党 中央委 員会 に は,政 府 の行 政 機 構 に対 応 す る部 局 が存在 し,政 府 の人事 の み な らず,政 策 決 定 に も恒 常 的 に関 与 した。 ソ連 に おい て は,連 邦 政府 と政党 との関係 が真 剣 に議 論 され た こと はな い。「ソ連共 産 党;全 人 民 の利 益 を代 表 す る党 」 とい う偽 りの定 式 の もとで,多

くの未 解決 の問 題 を残 した ま ま,1991年9月 の ソ連 共 産党 の解 散 に と もな い, 12月 の ソ連邦 の崩 壊 と連 動 して,ソ 連 政 府 も消 滅 の道 を た ど った ので あ る。

(18)

18商 経 論 叢 第34巻 第1号 0345)

1‑4ソ 連 共 産 党

ソ連 共 産 党 の 前 身 は,1898年 に 創 立 さ れ た ロ シ ア社 会 民 主 労 働 党 で あ る。十 月 革 命 の 翌 年 の1918年 に ロ シ ア共 産 党(ボ リシェ ヴィキ),1925年 に 全 連 邦 共 産 党(ボ リシェ ヴ ィキ),1952年 に ソ ヴ ェ ト連 邦 共 産 党 に党 名 を 変 更 した 。 共 産 党 は,建 国 後 の ソ連 邦 を 事 実 上 支 配 して き た 唯 一 の政 党 で あ る。 こ の 党 の創 立 か ら国 家 権 力 の 獲 得 ま で は19年,レ ー ニ ン ら ボ リ シ ェ ヴ ィ キ 派 が 党 中 の 党 と し て 正 式 に旗 あ げ した1903年 の第2回 党 大 会 か ら数 え れ ば,結 党 後 わ ず か14年 で 政 権 の 座 に つ い た こ と に な る。 尚 早 の感 は い な め な い。

ソ連 共 産 党 は,「 労 働 者 ・農 民 ・知 識 人 の 最 も意 識 的 な 前 衛 」 で あ り,「 社 会 ・政 治 組 織 の 最 高 の 形 態 」 で あ る と さ れ,党 員 の 任 務 は 「共 産 主 義 の 物 質 的 ・技 術 的 基 盤 の 創 出 の た め に た た か う こ と」で あ っ た 。共 産 党 に は18歳 か ら 加 入 で き,コ ム ソ モ ー一ル や3名 の 党 員 の推 薦 を必 要 と し,党 費 を 納 め,党 組 織

に属 して 活 動 す る。 党 組 織 の末 端 は,企 業 ・施 設 ・学 校 ・軍 隊 ・コ ル ホ ー ズ な

(1$)

ど に 置 か れ る初 級 党 組 織 で あ り,3名 以 上 の 党 員 か ら構 成 さ れ る。 共 産 党 の 指 導 の も と に活 動 す る青 年 組 織 と して コ ム ソ モ ー一ル(全 連 邦 レー ニ ン共 産主義 青 年 同盟,14‑28歳)が あ り,ま た コ ム ソモ ー ル の 指 導 の も と で 活 動 す る少 年 少 女 組 i織と して ピオ ネ ー ル(開 拓 者団,10‑15歳)が あ った 。

ソ連 共 産 党 の世 界 ・国 内 情 勢 認 識 基 本 目標 お よ び任 務 を 定 め た 文 書 は,「綱 領 」 と よ ば れ る。 最 初 の 綱 領 は,ロ シ ア社 会 民 主 労 働 党 の 時 代 の1903年 の 第2 回 大 会 で 採 択 さ れ,ツ ァー リ専 制 体 制 と資 本 主 義 制 度 の 打 倒 を 目標 に 掲 げ た。

f月 革 命 勝 利 後 の1919年 の 第8回 大 会 で 第2の 綱 領 を 採 択 し,社 会 主 義 建 設 の 課 題 を 提 起 した 。1961年 の 第22回 大 会 で は,「 社 会 主 義 は わ が 国 で 現 実 の も の に な っ た」 と の ス タ ー リ ンの 認 識 を再 確 認 して,第3の 綱 領 を 採 択 し,ソ 連 の現 状 は 「共 産 主義 へ の前進 の段 階」 で あ る と規 定 した。(19)

ソ連 共 産党 の最後 の綱領 で あ る 「ソ連 共 産党 綱 領 新稿 」 は,1986年 の第27 回大 会 で採 択 され た。綱領 新 稿 は,「 ソ連 に お いて 基本 的 に社会 主義 社 会 が建 設 され た」,「社 会 主義 は完全 に最 終 的 に勝 利 した」,「プ ロ レタ リア ー ト独 裁 の国 家 は全 人民 の社会 主義 国家 に成 長転 化 した」 とい う ブ レジ ネ フ時 代 の認 識 を再

(19)

0344) ソヴ ェ ト社 会 主義 共 和 国 連邦 の崩 壊(1)19

度確 認 し,ソ 連 は 「発 達 した社 会主 義 の段 階」 に は い り,「 共産 主 義 へ の前進 」 を課 題 に して い る,槻 定 龍 な お党 大会 と して は最 後 とな った199・ 年 の第 28回 大 会 で,「 綱領 的宣 言 」と新 しい 「党 規 約 」を採 択 した が,翌 年 ソ連共 産 党 は消滅 し,「 宣 言 と規約 」 は机 上 の文書 に終 わ った。

共 産党 の最 高 の意 思 決 定機 関 は党 大会 で あ る。 大 会 に よ り選 出 され た中 央委 員 か らな る党 中央 委 員会 は,定 期 的 か っ 臨時 に中央 委 員会 総 会 を開 催 し,情 勢 分析 に もとづ き党 の方 針 を決 め る。 中央 委 員会 が党 の指導 を行 う ことにな って

い るが,実 際 に は中央 委 員会 総 会 で選 出 され る政 治 局 が党 ・国家 の 内政 ・外交 の最 高 決定 機 関 と して の役割 を はた した。 政 治局 の補 助機 関 と して 書記 局 が設 け られ,書 記 局 は中央 委 員 会 の20以 上 の部局 の政 策決 定 や活 動 を指 導 した。党 中央委 員会 の各 部 局 は,対 応 す る政 府 各 省 庁 や国 家委 員 会,国 家 ・社 会組 織 の 監 督 に あた った。

政 治 局 と書 記 局 は,党 と国家 の重 要 人事 を決 定 した。政 治局 と書記 局 の両 者 の頂 点 に立 っ のが党 書記 長 で あ る。 書 記 長 は,政 治局 員 や書 記 局 員 の人事,重 要 党組 織 の書 記 人事 をっ う じて,権 力基 盤 を固 あ,ソ 連 の政治 ・経済 体 制 の最 高 指 導 者 にな った。 この よ うな体制 は,1922年 に ス ター リンが党 書記 長 に就任 後 つ く られ て い った。政 治 局 お よ び書 記局 を筆 頭 に各 級 の党 機 関 は,国 家 ・社 会組 織 を含 む党 内外 の組織 に関 して,自 己が指 名 ・推 薦 の権 限 を有 す る職 名 表 お よ び有 資格 者 名簿(ノ メ ンクラ トゥーラ)を もち,人 事 をっ う じて国家 と社 会 全 般 に対 して 「指 導 的役 割 」 を はた した。 ノ メ ンク ラ トゥー ラの適 用範 囲 は,

ソヴ ェ ト社 会 の す べ て の分 野一 党 機構,国 家 行 政機 構KGB,外 交機 構 軍 機構,社 会 団 体,工 業 の企 業 長,農 業 の ソフホ ー ズ議 長 ・コル ホ ーズ議長, 研 究 所,教 育施 設 に及 ん で い る。ノメ ンク ラ トゥー ラ員 の数 は100万 人 弱,

家族 を含 めれ ば340万 人 と推 定 され,ソ 連 の全 人 口2億8000万 人 の12%弱 に

(21}

相 当 し た 。

政 党 が 国 家 や 政 府 を 批 判 し,ま た選 挙 を っ う じて 多 数 党 とな り,国 政 を担 う 仕 組 は,ソ 連 に は な か っ た 。 一 般 に 民 主 主 義 の も とで の 政 党 はTそ の よ う な役 割 を は た す た め に存 在 す る。 しか し,ソ 連 で は,0政 党 に す ぎな い 共 産 党 が ス

(20)

20商 経 論 叢 第34巻 第1号

(343)

タ ー リ ン 主 義 の 共 産 党 に 変 質 し ,ソ 連 共 産 党 は 連 邦 国 家 を 従 属 さ せ て,「 党 国 家, napTKpaTUUecKOerocyAapcTBo ,partcraticstate」 と い う ビ ヒ モ ス (化 け 物),し か も 個 人 や 団 体 や 周 辺 小 国 に た い し て 生 殺 与 奪 権 を も っ20世 紀 の ビ ヒ モ ス を 生 ん だ 。 この 掌 甲 …(22) 享は,昔 話 に聞 く秦 の 始 皇 帝,ロ ー マ の 皇帝 ネ ロ が 支 配 す る国 家 よ り も,あ る意 味 で は,恐 ろ しい国 家 に成 長 して い っ た。

こ の よ うな 掌 甲 …蓼 は,十 月 革 命 と ソ連 の 建 国 に貢 献 した トロ ッ キ ー(1879‑

1940)を 暗 殺 し,ジ ノ ビエ フ(1883‑1936) ,カ ー メ ネ フ(1SS3r‑一一一一193fi)aブ ハ ー リ ン(1888‑‑1938)な ど に代 表 され る古 参 党 員 を 「人 民 の 敵 」 と して 大 量 処 刑 した

。 ソ連 に 入 国 した 外 国 の 共 産 主 義 者 ,た とえ ば 日本 の 国 崎 定 洞(1894‑一一1937)や 山 本 懸 蔵(1895‑一 一i939),杉 本 良 吉(1907‑‑39)な ど を 「日本 フ ァ シ ス トの 手 先 」 と

して 銃 殺 した。 ま た 第2次 大 戦 後 は東 欧 社 会 主 義 諸 国 の 内 政 や 指 導 部 の 人 事 , ソ連 が 加 盟 す る国 際 団 体 の政 策 や人 事 にT渉 した

。 ブ レジ ネ フ時 代 に は,ソ 連 は 「兄 弟 国 」の 内 政 へ の 介 入 の 口 実 と して,「制 限 主 権 論 」な る もの を 提 唱 した。

こ の よ う な ソ連 共 産 党 の 絶 対 的 地 位 は ,ソ 連 憲 法 一 国 家 の 基 本 法 一 に よ っ て 保 証 さ れ た。 す な わ ち,1936年 制 定 の い わ ゆ る ス ター リ ン憲 法 は

,ソ 連 共 産 党 を,「 勤 労 者 の 前 衛 部 隊 で あ り,か つ 勤 労 者 の す べ て の社 会 的 な ら び に国 家 的 な 組 織 の 指 導 的 中 核 」(第126条)と 規 定 し,共 産 党 の特 権 的 地 位 を 憲 法 上

(23)

は じめ て 明 記 した 。1977年 制 定 の い わ ゆ る ブ レ ジ ネ フ憲 法 も

,ス タ ー リ ン憲 法 の こ の 規 定 を う け っ ぎ,「 ソ ヴ ェ ト社 会 の 指 導 的 か っ 響 導 的 な 力

,ソ ヴ ェ ト社 会 の 政 治 制 度 ・国 家 機 構 ・社 会 団 体 の 中 核 は,ソ 連 共 産 党 で あ る」(第6条)と し

(24)た。 ソ連 憲 法 は,ス ター リン主義 体 制 つ ま り共産 党 の党 国家 開 発独 裁 体 制 を , 法 的 に正 当化 す る役 割 を はた したの で あ る。

ペ レス トロイ カの時期 に開 催 され た ソ連 共 産 党 第19回 協 議 会(1987)は ,ソ 連 共 産 党 の権 力独 占 と い う特 権 的 地位 の放 棄,複 数 政 党 制 や政 治 的野 党 勢 力 の 容 認 な どの原 則 を採 択 したが,そ の 実 施 は遅 々 と して進 まず,実 現 した の は 1990年3月 の ソ連 人 民代 議 員 大 会 で の こ とで あ る。憲 法 第6条 は次 の よ うに修 正 され た。「ソ連 共 産党,そ の他 の政 党,同 様 に労 働組 合,青 年 そ の他 の社 会 組 織 な らび に大 衆 組 織 は,諸 ソ ヴ ェ トに選 出 され た 自組 織 出身 の 代 議 員 を っ う

(21)

(342) ソ ヴ ェ ト社 会 主 義 共 和 国連 邦 の崩 壊(1)21

じ,ま た そ の他 の形 態 で,ソ 連国 家 の政策 決 定,国 家 事 業,社 会事 業 の行 政活 動 に参加 摺 」.妥 協 的産 物 と して,や っ と騰 政 党 制 へ の道 が開 かれ たが・日寺

す で に遅 く,1991年 の8月 ク ー デ タ の 失 敗 を 契 機 に,同 年9月,ソ 連 共 産 党 は 消 滅 す る。

ソ連 共 産 党 に っ い て 述 べ る と き,こ の 党 の組 織 原 則 に つ いて 言 及 せ ざ る を え な い。1919年 に 開 催 さ れ た ロ シ ア 共 産 党 第8回 大 会 の 決 議 の 一 つ に,党 の組 織 問 題 に 関 す る もの が あ っ た。 「現 在,ウ ク ライ ナ,ラ トヴ ィ ア,リ トア ニ ア,ベ

ロル シ ア は 別 個 の ソ ヴ ェ ト/¥和 国 と して 存 在 して い る。 い ま の と ころ ・ 国 家 の 存 在 形 態 に つ い て の 問 題 は,こ の よ う に解 決 され て い る。 しか し,こ の こ と は, ロ シ ア 共 産 党 が 今 度 は独 立 の 共 産 党 の フ ェ デ ラ ツ イ ヤ を基 礎 と して 組 織 さ れ な け れ ば な ら な い,と い う こ とを 決 して 意 味 しな い。 … … ロ シア 社 会 主 義 連 邦 ソ ヴ ェ ト共 和 国 の あ らゆ る地 域 の す べ て の 党 活 動 を 指 導 す る単 一 の 中央 委 員 会 を も っ た,単 一 の 中 央 集 権 的 な共 産 党 の 存 在 が 必 要 で あ る。 ロ シ ア共 産 党 お よ び そ の 指 導 機 関 の す べ て の 決 定 は,そ の民 族 的 構 成 に か か わ りな く,党 の全 支 部 を 無 条 件 に 拘 束 す る。 ウ ク ラ イ ナ,ラ トヴ ィ ア,リ トア ニ ア の共 産 主 義 者 の 中 央 委 員 会 は,[ロ シ ア共 産]党 の 地 方 委 員 会 と して の 権 利 を 享 受 し,ロ シ ア共 産

(26)

党 中 央 委 員 会 に完 全 に従 属 す る」。

上 記 の決 議 が 採 択 さ れ た1919年 は,国 内 戦 と外 国 の軍 事 干 渉 の 時 期 で あ り, 生 ま れ た ば か りの ソ ヴ ェ ト権 力 は,地 主 ・資 本 家 権 力 の復 活 を め ざす 反 革 命 軍 と,ロ シ ア各 地 で 死 活 を か け た戦 争 を 行 って い た。 ロ シ ア 共 産 党 と他 の 三 っ の 共 産 党 が,各 自 ば らば らな 方 針 で 白 軍 と戦 争 を した とす れ ば,2年7ヵ 月 に お よ ぶ 国 内 戦 に勝 利 す る こ と は 困 難 で あ っ た 。 歴 史 的 に も,組 織 的 に も,旧 ロ シ ア 帝 国 内 の 共 産 党 の な か で 中 核 的 位 置 を しあ た ロ シ ア共 産 党 の 決 定 が,当 時 の ウ ク ラ イ ナ,ラ トヴ ィア,リ トア ニ ア共 産 党 を 「無 条 件 に 拘 束 」 し,ま た ロ シ ァ 共 産 党 の 決 定 に 「完 全 に 従 属 」 し た こ と は,戦 時 と い う異 常 な 状 況 に 照 ら し て,妥 当 な 組 織 方 針 で あ っ た と い え よ う。

と こ ろ が 第8回 大 会 の 党 の 組 織 問 題 に 関 す る上 記 の決 議 は,ス タ ー リ ン時 代 の ソ連 共 産 党 に受 け継 が れ,「 ロ シ ア 共 産 党 」 を 「ソ連 共 産 党 」 と読 み 替 え る こ

(22)

22商 経 論i叢 第34巻 第1号

(341)

とで,ソ 連 共 産 党 の組 織 原 則 にな って い った。連邦 共 産 党(政 治局,書 記局,中 央 委員会諸機関)が 最 高 の政 策決 定 機 関 にな りyそ の決 定 は,各 連邦 構城 共 和 国共 産 党 を 「無 条 件 に拘 束」 した。 各連 邦 構 成 共 和 国共 産 党 は,ソ 連 共 産 党 の中央 委員 会 に 「完全 に従 属」 した。 ソ連 共 産党 はか つて,各 連 邦構 成 共 和 国,す な わ ち各 民族 共和 国 の共 産 党 第1書 記 に ロ シア人 ,第2書 記 に民 族 人 を 当 て るな どの姑息 な策 を と った こ とが あ るが,ソ 連 共 産党 と各 共和 国 共 産党 との関係 に つ いて・ ま た各共 和 国 共産 党 間 の関係 につ いて,正 しい組織 原則 を打 ち立 て る

ことがで きな い まま,1991年 に終 末 を迎 え た の で あ る。

で は ソ連 共 産 党 内 の組 織 原則 は何 で あ ったか 。 そ れ は民 主集 中 制 で あ った。

民 主集 中制 は,党 内民 主主 義 と中 央集 権 制 とを統 一 した組 織 原則 と して,現 代 の政 党 一 般 に必 要 な組 織 原 則 で もあ る。 この よ うな組 織 原 則 を もた な い政 党 は,政 党 と はい え な い。 ま た内外 の重要 問 題 につ いて,そ の党 の見解,方 針, 政 策 が 四分 五 裂 で あ るよ うで はz国 民 は,そ の政 党 につ いて 支持 ・不 支 持 の判 断 の基 準 が な くな り,政 治 に参加 す る こ とが で きな い。 党 内民 主 主 義 す な わ ちすべ ての党 員 に選挙 権 被選 挙 権 リコー ル権,投 票 権,発 言 権 な どを保 障 し,民 主 的 に党運 営 が な され る こ とを条 件 に,「少数 は多数 に従 う」,「個 人 は組 織 に従 う」,「下級 は上級 に従 う」 い う民 主集 中制 の党規 律 は,ひ と り共 産 党 の み な らず・ ひ ろ く現代 の政 党 に と って必 要 な規 律 にな る。

上 記 の党 組 織 原 則 や規 律 にっ い て いえ ば,そ れ は,単 一 国 家 に存在 す る単 一 政 党 の党 組 織 原 則,党 規律 で あ って,ソ 連 の よ うな同盟 国 家 での 同格 の 複数 共 産 党 お よ び複 数 共 産 党 の結 合 体 の党 組織 原 則,規 律 に はな りえ な い。 また民 主 集 中 制 で あ るが,ソ 連 お よ び ソ連 共 産 党 の歴 史 的 事 実 に照 ら して検 証 す る と

き,ソ 連 共 産 党 は,中 央集 権 制 を重 視 し,民 主 制 の原 則 を遵 守 して きた とはい え な い。 ソ連 共産 党 は,ス ター リン主 義 の党 に変 質 して しま い,党 内民 主 主義 は失 われ,「書 記長 →政 治 局 ・書記 局 → 中央 委 員 会→ 下 部 党組 織 → 党 員 」とい う 位 階 制 的 な上 意 下達 の政 党,あ るい は ドイ ッチ ャー(1907‑67)の い う 「代 行 主 義」 の政 党 に変 質 して い った。 ソ連 な ど旧社会 主義 国 の無 告 の民 は,共 産 党 の お偉 い さん を 「oxK,や っ ら」 とよぶ に いた り,非 共産 党 に変 質 した名 ば か り

参照

関連したドキュメント

治的自由との間の衝突を︑自由主義的・民主主義的基本秩序と国家存立の保持が憲法敵対的勢力および企ての自由

通信の「メガ論争」、マウンテントップ方式vs低地方式

4 後 援 スポーツ庁 全日本中学校長会 全国都道府県教育長協議会 (申請中) 全国市町村教育委員会連合会 (公社)日本PTA全国協議会

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

(評議員) 東邦協会 東京大学 石川県 評論家 国粋主義の立場を主張する『日

1号機 2号機 3号機 4号機 5号機

 当社の連結子会社である株式会社 GSユアサは、トルコ共和国にある持分法適用関連会社である Inci GS Yuasa Aku Sanayi ve Ticaret

1990 年 10 月 3 日、ドイツ連邦共和国(旧西 独)にドイツ民主共和国(旧東独)が編入され ることで、冷戦下で東西に分割されていたドイ