金 子   馨 ﹃ 才葉抄 ﹄ 類従本系統 の 伝本 について

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(1)

一︑はじめに

平安時代後期の公卿・藤原教長︵一一〇九〜一一八〇?︶の

口伝を記した﹃才葉抄

﹄は

安元三︵一一七七︶年に高野山の庵

室にて口授されたと記される︒現在の﹃才葉抄﹄の伝本研究で

は︑最善本とされる阪本龍門文庫蔵﹃宰相入道教長口傳

﹄ ︵

以後

﹁龍門文庫本﹂︶などの四十七条本系統︑国書刊行会編﹃日本書

画苑﹄所収本などの八十八条本系統︑そして静嘉堂文庫などに

伝わる二十四条本系統の三種に大別されることが知られてい

る︒江戸時代に流布した﹃群書類従﹄所収本︵四十八条︑以後﹁類

従本

﹂︶

古写本とされる四天王寺大学恩頼堂文庫蔵﹃筆体口

﹄ ・﹃

教長卿口伝三十五条

﹄ ︑

鶴見大学蔵﹃才葉抄

﹄は

項目数

が異なるものの︑その内容が﹁教長口伝部分﹂と﹁口伝増補部

A﹂ と で

構成されているため︑四十七条本系統に分類される︒

これまで︑四十七条本の伝本研究は︑川瀬一馬氏によって︑

龍門文庫蔵﹃宰相入道教長口傳﹄が紹介された

ことによって︑ 1 キーワード才葉抄・藤原教長・藤原行能・藤原教家・太平御覧

要  旨

藤原教長︵一一〇九〜一一八〇?︶による書論﹃才葉抄

﹄は

五十本近くの諸本が伝来する︒本資料の伝本研究では︑諸本の

系統分類

問題

を含

めて

︑なお

検討 すべき 課題

も残

っている

が︑最善本とされる阪本龍門文庫蔵﹃宰相入道教長口傳﹄など

の四十七条本系統︑国書刊行会編﹃日本書画苑﹄所収本などの

八十八条本系統︑そして静嘉堂文庫などに伝わる二十四条本系

統の

三種

大別 される

︒さらに

︑ 四十七条本系統

伝本

は計

二十本

確認出来

るが

︑ 項目数

配列 などが

多岐 にわたるた

め︑龍門文庫蔵﹃宰相入道教長口傳﹄をはじめとする古写本系

統と︑江戸時代に流布した﹃群書類従﹄所収本などの類従本系

統との二つに細分出来る︒本稿では︑類従本系統の伝本十一本

を整理し︑校勘を試みるものである︒

金 子   馨 ﹃ 才葉抄類従本系統伝本 について

︱附校本︱

(2)

に前稿

に示し︑その内容と重複する部分があるが︑必要な範囲 7

で掲げておくことにしたい︒書誌情報は︑刊写年次︵不明な場

合は推定

︶ ︑

寸法︑装丁︑数量︑外題︑内題︑奥書等を取り上

げる︒なお︑本稿における書名の表記は︑各所蔵先の書名によ

る︒掲載順は︑所蔵先を五十音順に掲出し︑同所蔵内で複数の

伝本を有する場合は︑請求記号順に列記した︒

A︑ ﹃

群書類従所収才葉抄

  塙保己一︵一七四六〜一八二一︶が︑編纂した叢書﹃群書

類従

﹄の

巻第四百九十四に所収され︑藤原伊行﹃夜鶴庭訓抄

﹄ ・

尊円親王﹃入木抄﹄とともに収載される︒内題は﹁才葉抄一名

筆躰抄

﹂ ︒

奥書には︑﹁三月日  伊経

﹂ ﹁

右一巻千代丸依所望書写

之畢  承元三年五月八日行能

﹂と

藤原伊経︵?〜一二二七?︶・

世尊寺行能︵一一七〇〜一二五三?︶の本奥書が記される︒

また︑﹃才葉抄﹄本文の末尾に︑﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾

諾故事原誤寫不少﹂と︑屋代弘賢︵一七五八〜一八四一︶の

識語が記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

B238-1︑国立国会図書館蔵鶯宿雑記才葉抄﹄︵︶

  江戸時代後期頃の写本︒寸法︑縦二四

・〇

糎︑横一六・三糎

の袋綴二冊︵上下巻

︶ ︒﹃

才葉抄

﹄が

所収される下巻の外題は︑

﹁鶯宿雑記  二百廿四

﹂ ︑

内題は﹁夜鶴庭訓抄

﹂ ﹁

才葉抄

﹂ ﹁

木抄﹂などと記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

C2217才葉抄神宮文庫蔵入木道筆抄才葉抄﹄︵︶論字義 それ以後︑類従本と龍門文庫本との比較を中心に論が展開され

2

︒また︑鶴見大学蔵﹃才葉抄﹄が︑高田信敬氏によって紹介

され

︑黒田彰子氏によって翻刻・校勘などが進められた 3

︒さら 4

に︑黒田氏は﹁才葉抄の伝本について︱筆体抄︑筆法才葉抄

に及ぶ︱

﹂において︑﹃才葉抄 5

﹄の

諸本間の連関について言及し

ている︒その他

︑ ﹃

才葉抄﹄に関する先行研究は︑内容につい

て言及するものが多く

︑定本の確定が急務といえる︒ 6

四十七条本系統の伝本は︑先述したとおり項目数や配列など

が多岐にわたるため︑龍門文庫本などの﹁宰相入道口伝

﹂ ︵

以後︑

﹁古写本系統

﹂︶

類従本などの﹁才葉抄

﹂ ︵

以後

︑ ﹁

類従本系統

﹂︶

とに細分し︑校本を作成すべきであることを指摘した

︒そこで︑ 7

本稿では︑伝来する類従本系統の伝本十一本を整理し︑校本を

示すとともに︑諸本の前後関係等について考察したい︒紙幅の

都合上︑八十八条本・二十四条本など他系統の諸本との校勘は

別稿に譲る

8

なお︑行論の都合上︑前稿

における言及との若干の重複は避 7

け得ない︒この点については︑ご寛恕願いたい︒

二︑四十七条本類従本系統の伝本について

﹃才葉抄﹄の伝本は︑五十本近くの諸本が伝来する︒その内︑

四十七条本を書写した伝本は計二十本で︑類従本系統に分類さ

れる伝本は︑﹃群書類従﹄所収本を含め︑計十一本が確認できる︒

﹁古典籍総合目録データベース

﹂に記載される資料の中には︑ 9

群書類従

版本

も含

まれるが

︑ 区別 する 意味

書誌情報等

調査した成果を示す︒各伝本の書誌的な解題については︑すで

(3)

一巻は塙検校保己一集羣書類従第四百九十四雑部四十九に載

する所を令書写畢  文化六年二月日  永田孫右衛門暉周塩

﹂と

記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

GF90-255︑東京大学蔵才葉抄﹄︵︶

安政四

一八五七

︶年の

写本

寸法

縦二四

・〇

糎︑横

一七・六糎の袋綴本一冊︒外題は﹁才葉抄  全

﹂ ︵

表紙左肩に

書き題箋貼付

︶と

記され︑内題

は﹁

才葉抄  全

﹂ ︵ 一丁表

︶ ・ ﹁

葉抄一名筆躰抄

﹂ ︵

二丁表︶と記される︒奥書に﹁安政四己年七

月廿五日  竹内肇謹写﹂との書写奥書が確認できる︒本文は

漢字平仮名交じり文︒

H富山市立図書館山田孝雄文庫蔵夜鶴庭訓抄合刊才葉抄

︵3539︶

  江戸時代後期頃の刊本︒塙保己一編纂の﹃群書類従﹄巻第

四百九十四︒寸法︑縦二六・五糎︑横一八

・〇

糎の袋綴本一冊︒

外題は表紙左肩

に﹁

群書類従四百九十四  夜鶴庭訓抄葉抄入木抄

﹂と

題簽が貼付される︒

I東京都立図書館特別買上文庫蔵夜鶴庭訓抄合写才葉抄

︵1728︶

安政六

一八五九

︶年の

写本

寸法

縦二七

・一糎

︑横

一七・八糎の袋綴本一冊︒外題は表紙左肩に﹁夜鶴抄伊行卿

才葉集  世尊寺 十六﹂との書き題箋が貼付され︑内題に﹁夜鶴抄伊行

/才葉集  世尊寺 十六

﹂ ﹁

才葉集﹂などと記される︒﹃夜鶴庭訓抄﹄  

延宝六

一六七八

︶年の

写本

寸法

縦二四

・六糎

︑横

一七・三糎の袋綴本一冊︒外題

は﹁

入木道論字義才葉抄筆抄  合冊全

﹂ ︑

内題は﹁論字義

﹂ ﹁

才葉抄一名筆躰抄﹂と記され︑﹃論字義﹄など

と合写される︒巻末の奥書に﹁延寶六年八月十五日 宮本

雲臥子丈

﹂と

記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

D15-722︑国文学研究資料館田藩文庫蔵夜鶴抄才葉抄﹄︵︶

  江戸時代中期頃の写本︒寸法︑縦二六・六糎︑横一九

・〇

の袋綴本一冊︒外題は﹁夜鶴抄伊行卿/才葉抄  世尊寺十六﹂︵/は改

行︑

筆者補記

以下同

︶ ︑ 内題

は﹁

夜鶴抄

伊行卿

才葉抄

世尊寺

十六﹂などと記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

E︑センチュリー文化財団蔵夜鶴庭訓抄才葉抄

︵慶應義塾大学附属研究所斯道文庫委託︑202/073︶

  江戸時代中期頃の写本︒寸法︑縦二六・七糎︑横二

〇・

二糎

の袋綴本一冊︒外題は表紙

に﹁

夜鶴抄

﹂と

直書き︑内題

は﹁

鶴庭訓抄

﹂ ﹁

才葉集﹂などと記され︑本書

は﹃

夜鶴庭訓抄

﹄と

の合写本︒本文は漢字平仮名交じり文︒

F︑センチュリー文化財団蔵夜鶴庭訓抄才葉抄入木抄

︵慶應義塾大学附属研究所斯道文庫委託︑203/100︶

文化六

一八

〇九︶年の

写本

寸法

縦二四

・六糎

︑横

一七・一糎の袋綴本一冊︒外題

は﹁

夜鶴庭訓抄

﹂と

題箋が後

補される︒内題に﹁夜鶴庭訓抄

﹂ ﹁

才葉抄一名筆躰抄

﹂ ﹁

入木抄﹂

と記され︑﹃夜鶴庭訓抄

﹄ ﹃

入木抄﹄との合写本︒巻末に﹁右

(4)

いても底本通りとした︒

一︑平仮名・片仮名は︑現行の字体に統一した︒

一︑繰り返し記号︵踊り字

︶は

平仮名は﹁ゝ﹂︑漢字

は﹁

﹂ ︑

それぞれ二字以上の繰り返しは﹁〳〵

﹂で

統一した︒

一︑諸本に存する校異・付訓・清濁・注記・挿入・返り点・合

点などの類は︑可能な限り原本にしたがって忠実に示した︒

一︑朱書きについては︑該当部分の上

に﹁ ︿

﹀ ﹂を

付した︒

一︑誤写と想定される箇所や不審な箇所には︑﹁︵ママ︶﹂を付

した︒一︑頁移りを  ﹂  で区切って示した︒

一︑各項目の頭部に通し番号をアラビア数字で示した︒

一︑校異の掲出は︑相違する箇所に傍線

・番号

を付し︑各項目

末尾に﹇校異﹈として示した︒対校本の表記は︑

B国会図書

館蔵本を﹁国

﹂ ︑

C神宮文庫蔵本を﹁神

﹂ ︑

D田藩文庫蔵本を

﹁田

﹂ ︑

Eセンチュリー文化財団蔵本を﹁セ

E﹂ ︑ Fセンチュ

リー文化財団蔵本を﹁セ

F﹂ ︑

G東京大学蔵本を﹁東

﹂ ︑ I都

立図書館蔵本を﹁都

﹂ ︑ K個人蔵﹃才葉抄﹄を﹁個﹂とそれぞ

れ略した︒

H山田孝雄文庫蔵﹃才葉抄

﹄は

類従本︵刊本

︶ ︑ J早稲田大

学蔵﹃才葉抄

チ6-1303﹄ ︵ ︶は明治時代後期の写本︵版本写し︶

のため︑対校本より省いた︒

一︑漢字の新字・旧字・異体字︑平仮名と片仮名や仮名遣いの

相違の類は掲出から省略した︒

一︑漢字・仮名の別︑例えば﹁也↓なり﹂の類は︑掲出から省

いた︒ただし︑読みが複数該当するもの︑例えば﹁様↓さま・ との合写本︒巻末には﹁右安政六年己未歳抄寫竟  源清濟﹂

との書写奥書が記される︒本文は漢字平仮名交じり文︒

チ6-1303J早稲田大学蔵才葉抄﹄︵︶

  明治時代後期頃の写本︒寸法︑縦二三・七糎︑横一六・四糎

の袋綴本一冊︒柱に﹁国書刊行會﹂と刻され︑国書刊行会の

原稿とされる︒外題は表紙左肩に﹁才葉抄  全﹂との書き題

箋が貼付される︒内題

は﹁

才葉抄

﹂ ︵ 二丁表

︶ ・ ﹁

才葉抄一名筆躰抄

三丁表

︶と

される

︒ 奥書 より 類従本

書写 したとする

本文は漢字平仮名交じり文︒

K個人蔵才葉抄

  室町時代の写本︒袋綴本一冊︒外題は表紙右肩に﹁宰相入

道藤原教長卿口伝/才葉抄  名筆抄/藤原伊経及行能筆﹂と

記される︒内題

は﹁

才葉抄名筆躰抄﹂などと記される︒本文は

漢字平仮名交じり文︒本資料は︑神戸・岡本雅雄氏所蔵の一

冊として︑小松茂美氏著﹃日本書流全史

﹄ ︵

二三五頁

︶に

紹介

され

︑﹁

室町時代

古写本

﹂と 位置付

けられる

︒ 本稿 では

紙焼写真資料を拝見する機会に恵まれたが︑原本は未見のた

め︑寸法・本文料紙などの書誌情報は不明︒

三︑類従本系統の校本

︻凡例︼

一︑底本には︑﹃群書類従﹄版本︵架蔵

︶を

用いた

10

一︑可能な限り原本に忠実に翻刻するようにつとめ︑改行につ

(5)

ろかるへき也

﹇校異﹈①うつくしく見ゆる様に︵セ

E︶︑うつくして見ゆる

やうに︵田︑都︶

4一︑墨を筆にたふ〳〵と染て可書也 5一︑行の物の中に真文字も相加ふへき也道

風は左様に書たるを愛敬といふ

﹇校異﹈①行の物の事

に︵

セ F︶

6一︑文字不具なる事あるへからす篇小にして

作り大に外囲大にして 内をは小く書事也

あしき也道風佐理行成の手跡不具なる

字畫なきなり      ﹂

﹇校異﹈①ふくなる事︵田︑都︶  ②作り大きに︵東︶  ③内を

小く書事也︵国︑田︑都

︶ ︑

内をは小く書事︵セ

E︶ 7一︑長く引点は斜す又麗はよはき也少し

ゆるめて引也

﹇校異﹈①少しゆかめて引也︵田︑セ

E︑東︑都︶

8一︑頭の字は皆ひらみたる也それかよき也

9一︑文字はうるはしく書か見通しある也点をかた

よせなとしたるは一旦の愛にて始終は 見 やう﹂の類は掲出した︒

一︑ ﹁

侍る

や﹁

世中

世の

中﹂などの送りがなの表記

の相違は掲出を省略した︒ただし︑送りがなに相異が見られ

る場合は掲出した︒

︻校本︼

才葉抄  一名筆躰抄

宰相入道教長口傳

安元三年七月二日於髙野山 庵室密談

諱ハ観蓮  ④難波権大納言忠教卿 第六男参議正三位﹇校異﹈①才葉集︵田︑セ

  E︑都︶②ナシ︵田︑セ

  ③庵室蜜談︵神︑個︶④難波権大納言忠教公第六男参議正 E ︑都︶

三位︵東︶

1一︑筆は未染墨新筆にて文字を書は帯

とけひろけてあしき也墨をぬりて

乾て少し墨枕あるか能也

﹇校異﹈①未染新筆にて︵個︶

2一︑法性寺殿の御筆はかく人の右へひらみたる

3一︑文字は一字を取はなしても各々の文字なる﹂

躰に うつくしく見ゆるやうに可書也仍重

なる文字は高かるへき也並ふ文字は横へひ

(6)

ゆる〳〵さしのへたる筆にてみた〳〵と

なさす 書る物は見立有也強き筆にて

書たるは無見立也

﹇校異﹈①書物は見立有也︵セ

  E︶②書たる無見立也︵セ

E︶ ︑

書たるは見立なきなり︵セ

F︶

16一︑手書はつねに物を可書也不然は筆あしゝ

﹇校異﹈①筆あしく︵神︶

17一︑朝隆は能書也去ともおさなき物を書

出す也 18一︑真行草ともに前の点の先をうちて後

の点のはしめをは返すへき也

﹇校異﹈①前点の先

を︵

神︑個︶  ②後の点のはしめを︵セ

E︶ 19一︑文字は分て一字も真に書合字にても見よ かるへき様に書事は大旨の事也字により﹂

てゆかめて篇を書て吉字もある也よく〳〵

可意得也 20一︑前点は後点を兼る約束なれは真行草とも

に前点の 筆崎を受て後点の初を可書也

﹇校異﹈①真行草ももに︵田︶  ②筆先を受

て︵

セ F︶ ︑

筆先を

受歟

て︵

東︶ 弱りする也

﹇校異﹈①うるはして︵田︑都︶  ②見弱するなり︵東︶

10一︑未練の間は文字を高く可書也究竟に

なる時は少し平に成事也去は道風なとの 書たる物はわかき手のときは文字高き

なり 老後に至てはひらみて見ゆる也﹂

﹇校異﹈①老後に至りては︵セ

F︑東︶

11一︑申状諷誦願文は真に可書也廻文は行に可書也

12一︑法性寺殿の手跡は若年の時摂政なとの 時は能也後には筆ひらみて打付〳〵 書給によりて習ふ人の手跡損すへき なり何も此心を得へき也

13一︑点のをはりの筆をは必返すへき也ゝ

是か能也

﹇校異﹈①点のをはりの筆は︵神︑セ

E︑個

︶ ︑

点のおはりの

筆を

東︶

14一︑真の筆は立へき也行の筆はひらむへき也

15一︑筆を打立て後は行にまかせて可書也筆を

すまいて書つれは筆こはくみえてわろし﹂

(7)

25一︑手跡と形とは一也又人の心も見ゆへき也され

は異様に不可書 皆本文に有 ﹂

﹇校異﹈①されは異やうに︵国︶  ②みな本文なり︵東︶

26一︑我好むやうならすとてさうなく人の手を

謗事あるへからす 手にむ 無盡しんの様有又人の

心万差也但筆つかひ筆の品の善悪を

わきまふへき也如何にも手書の 書たる物を

早く書よしをして筆をはやくつかふ事

却てをそき様也相構て筆を立る所おる

引はつる所に心をかくへき也とかく能

書には目を付て可見也

﹇校異﹈①手 ︿筆勢むじんの様 有︵田︑都

︶ ︑手にむじんの様有︵セ ︿筆勢

E︶ ︑

手に無盡の様有︵個︶  ②書たる物︵東︶  ③却而をそき

様也︵神︑田︑セ

E︑セ

  F︑個︶④引つる所

に︵

セ E︶

27一︑物忩なれはとて散々に書事有へからす真

行草ともに何れもねはく書へし未練の手跡は﹂

物を早く書なして僻事ある物也何に疎草 に書物成とも筆の捨所に 心を懸へき也

﹇校異﹈①心をかくへき也︵国

︶ ︑

可懸なり︵東︶

28一︑未練の時左右なく物を書と披露すへからす

よく〳〵習練して手の品を書出してのち手

21一︑文字をはみる〳〵と可書也ハツキたるは見あしき

なり

﹇校異﹈①文字をは︵東︶  ②ハ ︿キたるは︵セ

E︶ ︑

但ウキた

るは︵田︑都︶  ③項目ナシ︵国︶

22一︑行成の手跡は筆に任せてかゝれたるとみえ

たり又法性寺殿の 筆は不然よつてをとら

せ玉ふ也

﹇校異﹈①筆は不然に︵セ

E︶

23一︑草は游たる筆を以やはらかなる筆にて書た﹂

字のやうに 書へき也

﹇校異﹈①字の様

に︵

国︶  ②可書也︵国︶

24一︑先物を書には静なる所にて心をしつめて可

書也物を急敷 書事なかれ急敷書たるはい たらぬ故といふ人有へし 是は故実をしらぬ

人也何事も思はてすると麁相にするとは

替事也殊更手は硯筆紙墨四の物相叶て

可成也此事は今の案にあらす 本文に

有  第一卒尓誤事多又文字落事一定有事也

﹇校異﹈①書事なるれ︵田︶  ②是を故実

を︵

東︶  ③本文に有

︿朱﹀本行ニ書入ヘシ︵田︑都︶  ④大字︵セ

E︶ ︑

第一卒尓の

時は誤る事多しまた文字落る事定てある事也︵東︶

(8)

取也心より愛敬のあるは難也 都而上古の能書 も皆満足する事は難也されは法性寺殿はむかし

の手書には道風佐埋行成此三人を能書と宣り

此三人に三徳三失有也道風は強く書て少し俗道

也強きは徳俗道は失也佐理はやさしくしてよはし

やさしきは徳 よはきは失也行成は打付に愛敬

有て手の少し正念なき也愛は徳無正念は失也﹂

故に太平御覧には 骨多肉少は 筋書肉多骨少

は墨猪力多して筋ゆたかなるは聖也力なく筋

なきは 病なりと云々

﹇校異﹈①近代皆行の物を︵セ

  E︶②少々文字は不具なれと

も︵セ

E︶ ︑

少しく文字不具なれとも︵東︶  ③只さは〳〵と

︵セ

  E︶④宋朝の歐陽は︵セ

  E︶⑤都て上古の︵神︑セ

F︑

東︶ ⑥此三徳三失有也︵セ

   E︶⑦よさきは失也︵都︶⑧骨

多肉少

きは

東︶ 

⑨筋書肉書骨少

は︵国︶ 

⑩病 なるゝこ

とゝ︵田︶

31一︑物を書には能々心を調て思量すへし荒

書事なし猶々可存事太平御覧には軍陣に

向て可成合戦思也云々 又云 羲之軍題衛夫人筆

陣圖曰夫紙者陣也 筆者刀䜜也 墨者鍪甲也

硯者城池也 心意師者将軍也 本領意者副将也結構者

謀畧也 颺筆者吉凶也出入者號令也屈折者殺

戮也 夫欲書先研墨凝神静思豫想字形之大﹂

小偃仰平直振動 下二筋骨相連意在筆前 然 本をも書又人にも見すへき也其人は能

書なるなれとも 少々しられて後は少し わろ

き事ありとも被思免也物わるく 被見被

沙汰ぬれは後に能書となる時も人の許す事 難也手書は分限を見へし世間に手書少し

非なる手書多き故に非手書はわろしと罵を﹂

いつも定て信する也されは昔の手書は手習し たる反古をも焼捨ける也但手の故実をも

習ひ 談議せん人にははつへからす相互に可談也

﹇校異﹈①物を書︵セ

   F︶②少ししられて︵東︶③一︑わろ

き事ありとも︵神︶︑わろき事めりとも︵田︑都︶  ④被見彼

沙汰ぬれは︵神︶  ⑤談儀せん人には︵国︶

29一︑額色紙形申文願文諷誦叡山四番帳戒牒一

品経等可書次第は廣く夜鶴庭訓といふ書に

みえたり是先達の仕をきたる事なれは 可信也

﹇校異﹈①申又願文︵セ

  E︶②一品性等︵田︑セ

E︑都︶

30一︑真の物は第一の大事也唐人は先是を習ふ也

我朝にもしかるか 近代は皆行の物を先に習へ

りされは真に達したる人稀也 少〳〵文字不具﹂

なれとも能書の様とて書様有 又只さは〳〵と

ゆかます文字の座もはたらかす書たる一の

品也 宋朝の歐陽か真は如此也是は少し愛を

(9)

学ひ又習たる文字計をおほえては 不習字はかゝれ

さる也大旨たにも得つれは自然に似事也手本の

意趣を 心得事は未練の時は難知先達に可習也 手跡にて人の心の程は被知也されは相構て異

様に不可書故に本文曰用筆在心々正則筆正と也

﹇校異﹈①本の筆遣

ひ︵

東︶  ②心得すして学

ひ︵

個︶  ③不習

字は不被書也︵セ

  E︶④心得事︵セ

E︶

35一︑手本をおほく可見也我習はぬ手ならねはとて

必不可毀也如何成手跡も 皆面白也所捨可知 又いかにも

我と不被書文字をは本を見て被書也縦又我習

ふへきならねとも手書の書つる物を見れは才

覚付也

﹇校異﹈①みな面白きなり︵東︶  ②文いかにも我

と︵

セ E︶

36一︑手本を数多可持也我好すちならねはと思ふ事

なかれ 打見よく書たれはおもしろく能候也能の

中には手か第一也 身の為人の為よしあしに付て

有難能書は大切也されは大國にも此道をこそ

もくせられ侍也

﹇校異﹈①思ふ事なりれ︵都︶  ②打見てかきたれは︵東︶  ③

身のため︵東︶  ④重

く︵

セ E︶

37一︑手本には古哥古詩を可書也但人の所望ならは新

哥新詩をも可書也消息も古き本にて可書 假 ﹂ 後作字云々一番に可知也

﹇校異﹈①又いはく︵セ

   F︶②羲之右軍︵東︶③筆刀䜜也

︵田

︶ ︑

筆刀䜜也︵セ

  E︶④墨兵甲也︵田︑セ

  E︑都︶⑤水

硯者城地也︵東︶  ⑥心意者将軍也︵田︑セ

  E︑都︶⑦本領

者副将也︵田︑セ

  E︑都︶⑧颺筆は吉凶也︵セ

  E︶⑨夫欲

書者先乾研墨︵セ

E︑田

︶ ︑

夫欲書先乾研墨︵都︶  ⑩令筋脉

相︵田︑セ

  E︑都︶⑪然而後作字︵田︑セ

E︑都︶

32一︑手本を習にはまつ本の筆つかひを可心得也本

の意趣を 心得すして筆にまかせて習つれは本に

むかふ時はかりにて我とかゝれぬ事也尤故実の

人に習ふへし何の手本を習ふにも此心を得へき也

﹇校異﹈①心得すりて︵田︶  ②人習ふへし︵セ

E︶ 33一︑手を習ふに本にも似たり我もよく書と思て本を

捨て雅意にまかせて書は 自然に損也いかにも

初心の間はよく〳〵可用意也去は 或先達の申は

四五十才に成て手は定ると申候ひしか此事さる﹂

事也筆もしたゝまり 功か入て後はともかうも

たるは不苦也

﹇校異﹈①手を習ふる︵個︶  ②書と思ふて︵個︶  ③自然に損

する也︵田︑セ

   E︑都︶④或は先達の︵東︶⑤切か入て後

は︵

国︶  ⑥云たるは不苦也︵セ

E︶

34一︑手を習ふには本の筆使意趣をこゝろへすして只

(10)

は︵

東︶  ⑥如此事

を︵

国︶ ︑

如斯の事

を︵

東︶  ⑦あしき調子

あしきすへきなり︵セ

E︶ ︑ あ し き

調子はかえつてすへき也

︵東︶  ⑧其事となくするは︵セ

E︶ ︑

其事となく事は︵東︶ ⑨如斯なり︵東︶

40一︑物語草子書事は能書のいとせさる事也夜鶴に

次第見えたり

41一︑手習せんには本に向てよく習て物くさからぬ程よ﹂

き筆墨料紙にて書へき也 必其習つる文字

ならねとも 筆なるゝ也又 本を持て習て 本をは

かた〳〵に置て 不見して書て本にあはせて

見へし只以本 習たる計にて不覚は徒事也

﹇校異﹈①本の文字形を習学て︵セ

  E︑都︶②物くさからぬ

程に︵田︑セ

  E︑都︶③必その習たりつる文字︵セ

E︶ ︑

習つる文字︵個︶  ④為筆馴也︵田︑セ

  E︑都︶⑤本様を習

て︵田︑セ

  E︑都︶⑥本をはかた〳〵に置て︵田

︶ ︑

本をは

傍に置て︵セ

E︶ ︑

本をかた〳〵に置て︵東︶  ⑦不見して暗

に書て後に︵田︑セ

E︶ ︑

不見して暗に書て︵都︶  ⑧習たる

て︵

国︶

42一︑手習するに不似文字を相搆て似せんと其字計に 心を尽しぬれは手習に退屈する也両三度も習 て不似は暫其所を閣て別の所を習て又帰て可

習也如此度々重ねたれは自然に似也 字消息はすへて書ましき也

﹇校異﹈①假名消息はすへて書ましき也︵セ

E︶

38一︑屛風書写なとは子細有事也道風の筆を見

しか綾の屛風に大きらかなる 下ゑをしたりし

頭をさしつとへて只行草に筆に任せて書

りと見ゆ大躰此躰無有也

﹇校異﹈①下点をしたりしに︵東︶ 

② 額

をさしつとへて︵田︑

E︑都︶

39一︑嬾からん時物書事なかれ文字あしきのみなら

  す 左様にしつけつれは手あしく成也吉筆料紙

にて 心のいさましからん折可書也非能書は此次第

をしらすしていつもたやすく書とのみ知て費書

する也去は手を執せん人は如何様に人云ともとかく﹂

すへりて書間敷也悪書つれは人に随て恥ある

人に随て書は我恥也我損也 如此事は誰も易知

事なれとも故実の多とは 如此の事をこそ申

侍れ手書ならさらん人も此心を可得也管絃なん

とするには あしき調子はかへてすへき也あしくとも

不搆卒尓に 其事となくする事は僻事也

諸道只 如此也

﹇校異﹈①物書なかれ︵東︶  ②左様にしつけすれは︵田︑セ

   E︑都︶③心をいさましからん︵東︶④人に随也書は我恥

也我損也︵セ

E︶ ︑

人に随て書はわかはち也︵東︶  ⑤如斯事

(11)

﹇校異﹈①草案僻事也︵国︶ 45

物を人に誂てあるに 料紙のあまりたらんをは

引放て不止也 料紙書餘りて不書して帰すは 手書の耻辱也

﹇校異﹈①一︑物を人に︵神︑個︶  ②書料紙墨の︵田︑都

︶ ︑

︿

  書   墨

の︵

  E︶③料帋書餘して︵セ

E︶ 46一︑色帋形に物書にはよく〳〵文字つゝきを草

案して可書也

﹇校異﹈①つゝれを︵田︑都︶

47一︑必手本にさし當て不習といへともつね〳〵心を懸

て見れは自然に随分と成也我書たる物をも 常〳〵見て善悪を可思量也

48一︑近来弘誓院殿の御筆を学事多以損失也其 教家

故は 地躰に自在をえて あそはされたるに筆勢を﹂

書たる 御筆ともゝ相交て我 筆勢の程をも

不弁御筆震てあそはしたるを習故一定損す

る也 地躰くせもなく筆もおさまりて後少筆

勢をやつすは故実也且は 涯分を計て手も

可習事也何様にも まつなをく可習也扨此御

筆は一旦習似する様にはおほゆれとも 始終は

は難也故実多き人は此様を捨て他筆を学

43一︑手習に貧福を不思又我も書人に物を書せん

にも能々入木之道をは可進也されは 南史曰 ③④江夏王﹂

鋒字ハ 宣頴髙 帝第十三子也年四歳好學書無

紙札乃倚井欄書々満則洗之已復書五歳髙

帝使鳳尾諾一學即工髙帝大悦以玉麒

賜之曰麒麟賞鳳尾異國例を以我朝

にも 額色紙形等書には必禄を賜事也餘准之

可知 委夜鶴に見えたり書人もかゝせん人も如此故

実を可知也 顔魯公奉勅額を 書絹百疋を賜と也

﹇校異﹈①書人に物を書せんも︵セ

E︶ ︑

人に物を書せんにも

︵東︶  ②宋史いわく︵田

︶ ︑

宋書曰南史列傳  巻三十三云︵セ

E︶ ︑ 宋書いわく︵都︶  ③頭注︿南史列傳巻三十三云江夏王鋒字宣頴髙帝第十二子也母張氏有容徳宋蒼梧王逼取之又

欲害鋒髙帝甚懼不取使居宅匿於張氏舎時年四才性方整好学書張家無紙紙札乃倚井欄為書書満則洗之已復更書如此者累月又晨興不肯拂窓塵上学為書字五才髙帝使学鳳尾諾一学即工髙帝大悦以玉騏驎賜

之曰騏驎賜之曰騏驎賞鳳尾矣﹀として︵田︑都︶  ④江夏王鋒字︵神︑セ

E︑個

︶ ︑

江夏玉鋒字︵東︶  ⑤宣頴髙 帝第十三子也︵国

︶ ︑

宣頴齊髙帝

第十三子也︵神

︶ ︑

宣頴髙帝第十二子也︵セ

E︶ ︑

宣頴髙齊帝

第十三子也︵東︶  ⑥此例を以我朝にも︵田︑セ

  E︑都︶⑦

額色紙形等書かは︵セ

   E︶⑧委々夜鶴に︵個︶⑨顔魯書奉

勅額を︵セ

  E︶⑩書絹布百疋を賜と也︵国

︶ ︑

書絹百疋を給

ふと也︵神︶

44一︑願文等の草案をは清書の許に留をく也清書

する故実には不審なる事といヘとも任草案可

書也是清書の誤にあらす 草案の僻事也 ﹂

(12)

どまる︒とりわけ︑﹃群書類従﹄版本の写しと考え得る伝本が

数本確認されるほか︑類従本の識語に見られる弘賢本と思しき

伝本がある︒

類従本系統諸本の前後関係を考察するにあたっては︑﹃群書

類従﹄版本の写しをより分ける必要があろう︒そこでまず︑類

従本系統の諸本に記される奥書・識語について着目したい︒類

従本の奥書には︑藤原伊経︵?〜一二二七?︶による

a﹁三月

日  伊経

﹂ ︑及び藤原行能︵一一七九〜一二五三?︶による

b﹁右

一巻千代丸依所望書写之畢  承元三年五月八日  行能﹂の二種

類の本奥書が記される︒これらの奥書は古写本系統の諸本には

確認できないが︑鶴見大学本に行能の奥書

︵ ﹁

五月八日  行能

﹂︶

が記される点には注意したい︒また︑

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章

及鳳尾諾故事原誤寫不少

﹂と

屋代弘賢︵一七五八〜一八四一︶

の識語を有する諸本が散見されるが︑この識語は︑﹃群書類従﹄

版本

に記

されるもので

︑ 弘賢識語

有無

類従本

との 関連性

︵版本写しか否か︶を示唆する︒

各諸本の奥書・識語を以下に列記する︒なお︑前後関係を考

察するために︑書写された時系列に合わせて掲出する︵書写年

次不明なものは︑奥書や料紙などから推定した︶︒

K

個人蔵﹃才葉抄﹄  室町時代頃写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

C

神宮文庫蔵﹃才葉抄﹄  延宝六︵一六七八︶年写

  a﹁三月日伊経﹂ 事也能々得心なしには争可損哉いつれの

筆もおそらく こゝろえては損する事成と

も此御筆は大事に侍也﹂

﹇校異﹈①弘誓院殿

の︵

セ E︶ ︑

弘誓院殿教家

の︵

東︶  ②地躰

筆に自在をえて︵田︑セ

  E ︑都︶③あそはされたるは︵東︶

④御筆

とも□

打交

て︵東︶ 

⑤筆勢

の程

をも 不并

︵田︑都︶ ⑥地躰てせもなく︵都︶  ⑦涯分を計とて︵田︑都︶  ⑧まつ

なを〳〵︵セ

  E︶⑨始終は難也︵国︑神︑田

︑セ

E︑ セ F︑東︑

個︶ 

⑩能々心得

なしには

国︶ 

⑪心 えて

する 事成 とも

︵国︶︑こゝろゑては損する事成ても︵個︶

   三月日       伊経

右一巻千代丸依所望書与之畢

   承元三年五月八日  行能

右才葉抄一巻以古寫本書寫以屋代弘賢蔵本校合畢

弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事 原誤寫不少據本書改正

﹇校異﹈①愿謹寫不少︵東︶  ②識語なし︵神︑田︑セ

E︑都︑

個︶

四︑類従本系統間の伝本の連関について

四十七条本類従本系統の﹃才葉抄﹄の異同は︑前に校本とし

て示した通りである︒異同内容を一瞥してもわかるように︑類

従本系統間の諸本の異同は誤写と思われる箇所など︑小異にと

(13)

G

東京大学蔵﹃才葉抄﹄  安政四︵一八五七︶年写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事原誤寫不少﹂

﹁安政四己年七月廿五日  竹内肇謹写﹂

I

都立図書館蔵﹃才葉抄﹄  安政六︵一八五九︶年写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

﹁右安政六年己未歳抄寫竟  源清濟﹂

J

早稲田大学蔵﹃才葉抄﹄  明治時代後期頃写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事原誤寫不少﹂

以上のように︑類従本系統には︑奥書

a・ bが一様に記され

ていることから︑伊経及び行能によって書写され︑それが塙保

己一の手を介して﹃群書類従﹄に収載された様子が窺える︒な

お︑先述したように︑

c弘賢識語が記される

B国会図書館本・

Fセンチュリー文化財団本・

G東京大学本は︑版本写しの可能

性が高いと言える︒特に

Fセンチュリー文化財団本には︑その

旨が奥書にも記される︒

類従本系統の諸本の前後関係について︑異同内容や異本注記

等をもとに整理しておきたい︒なお︑校本作成で除外したよう

に︑

H山田孝雄文庫本は﹃群書類従﹄版本︑早稲田大学本は新

写本︵明治時代末期写︶のため︑校勘から省略した︒

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

  ﹁延寶六年八月十五日  宮本雲臥子丈﹂

D

田藩文庫蔵﹃夜鶴抄・才葉抄﹄  江戸時代中期頃写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

E センチュリー文化財団蔵﹃夜鶴庭訓抄

・才葉抄

﹄  江戸時

代中期頃写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

  A﹃群書類従﹄所収﹃才葉抄﹄江戸時代後期頃刊

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事原誤寫不少﹂

B

国会図書館蔵﹃才葉抄﹄  江戸時代後期頃写

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事原誤寫不少﹂

文化六︵一八〇九︶年写 Fセンチュリー文化財団蔵﹃夜鶴庭訓抄・才葉抄・入木抄﹄

  a﹁三月日伊経﹂

  b﹁右一巻千代丸依所望書写之畢承元三年五月八日行能﹂

c﹁弘賢曰題筆陣圖一章及鳳尾諾故事原誤寫不少﹂

﹁ 右一巻

塙検校保己一集羣書類従第四百九十四雑部

四十九に載する所を令書写畢  文化六 年二月日  永田孫

右衛門暉周塩之﹂

(14)

第二十四条の末尾には︑﹁第一卒尓の時は誤事多又文字落事

一定有事也﹂との一文が記されるが︑類従本はじめ

C神宮文庫

本・

D田藩文庫本・

Eセンチュリー文化財団本・

I都立図書館

本は小字で注記として記される︒類従本の表記は漢文体で記さ

れるが︑

G東京大学本は漢字平仮名交じり文で記される︒

G東

京大学本は︑﹃群書類従﹄刊行よりも後の安政四年の書写のた

め︑

漢文 でなく

書き下

されて

されたと

われる

︒また

二十四条には︑

D田藩文庫本・

I都立図書館本には︑﹁本行ニ

書入ヘシ﹂との注記も朱書きで付され︑両本の近似性を指摘し

うる︒

さて︑ここで漢文で表記される箇所について︑いささか確認

しておきたい︒類従本系統の中で確認できる相違は︑第十五条

﹁書たるは無見立也

﹂と書かれるところ︑

Fセンチュリー文化

財団本は﹁見立なきなり﹂と書き下される︒第二十三条は﹁字

のやうに書へき也

﹂と記されるのに対して︑

B国会図書館本は

﹁可書也﹂と漢文表記で記される︒最後に第三十四条は︑﹁不習

字はかゝれさる也

﹂と記されるところ︑

Eセンチュリー文化財

団本は﹁不被書也﹂と前例同様︑漢文表記で記される︒

F本は

群書類従

刊行後

写本

E本は 刊行前

写本 であるため

漢文体で表記されるのが︑もとの様相を示していると言えよう

か︒しかし︑

B国会図書館本は︑版本写しの可能性がありなが

ら漢文表記で記されるため︑かならずしも漢文表記であること

が古体をとどめているとは言い切れない︒

以上のように︑注記など伝本間の近似性や前後関係が窺える

点に焦点をあてて︑類従本系統諸本の異同が著しい箇所を整理 類従本系統の異同は︑前に述べたように小異に留まるが︑類

従本巻末の識語に言及されるように︑第三十一条﹁題筆陣圖﹂

と第四十三条﹁鳳尾諾故事﹂の項目に異同が多い︒とりわけ︑

D田藩文庫本・

Eセンチュリー文化財団本・

I都立図書館本に

異同が確認できる︒類従本との大きな違いは︑

D田藩文庫本・

I都立図書館本の二本は︑類従本の第四十三条の本文に記され

る一文が︑頭注として記される︒さらに︑類従本の第三十一条

には︑﹁本 師者将軍也心 意者副将也﹂との異本注記が記される︒

D・ E・ I本は﹁心意

者将軍也本領

者副将也﹂と記され︑異本

注記の内容と一致する︒﹃太平御覧

﹄は

前者の内容と一致する

11

同様に︑四十三条でも注記が確認され︑類従本は﹁宣頴髙

第十三子也﹂と注記が記される︒

C神宮文庫本は﹁宣頴齊髙帝

第十三子也﹂と︑注記を本文として記している様子が窺える︒

G東京大学本は﹁宣頴髙齊帝第十三子也﹂と記されるが︑内容

より誤写と考えるべきであろう︒

なお︑本項目の冒頭︑類従本は﹁南史曰﹂と記されるが︑

D

田藩文庫本

は﹁

宋史曰

﹂ ︑

Eセンチュリー文化財団本

は﹁

宋書曰

南史列伝巻三十三云

﹂ ︑

I都立図書館本

は﹁

宋書いわく﹂とそれぞれ記される︒

﹃太平御覧

﹄は

宋書曰

12

記されるため︑後者三本がより原本

に近い表記といえる︒

この他︑注記に着目すると︑第二十一条は﹁ハツキたるは見

あしきなり﹂と記されるところ︑

D田藩文庫本・

I都立図書館

本は﹁但ウキたるは﹂と記される︒

Eセンチュリー文化財団本

は﹁ハ ︿ツキたるは﹂と記され︑本文は類従本と同じであるが︑

E本の注記には

D・ I本の本文を校本に用いた様子が窺える︒

(15)

することで

︑ 各伝本

特徴 について

検討 した

︒とりわけ

三十一条﹁題筆陣圖

﹂と

第四十三条﹁鳳尾諾故事

﹂の

項目におい

て︑

D田藩文庫本・

Eセンチュリー文化財団本・

I都立図書館

本が近似していることを指摘した︒他の項目の異同を一瞥して

も︑この三本と類従本との異同は概ね一致する︒また︑異同内

容から

D田藩文庫本と

I都立図書館本がより近い関係にあると

言えよう︒なお︑この三本は巻末識語や巻頭に記される別称﹁一

名筆躰抄﹂もなく︑それぞれに近似した本文を有する︒

次に︑四十七条本の配列に着目したい︒配列については︑︻表︼

四十七条本類従本系統

配列

﹂に

した

りである

︒また

類従本系統の諸本だけでなく︑古写本系統との連関がわかるよ

うに古写本系統︵龍門文庫本

︶の

配列も掲載した︒

表を見てもわかるように︑類従本系統の伝本においては︑一

部の伝本に相違がみられるが︑基本的には大きな違いはなく︑

類従本の配列に一致する︒しかし︑

Eセンチュリー文化財団本

は親本に錯簡があったのか︑著しく配列に異同が見られる︒ま

た︑

G東京大学本の第二十条において︑類従本の第二十一条の

一つ書きの﹁一

︑ ﹂が

欠落しているため︑区別なく一文として記

される︒逆に

C神宮文庫本の第二十八条・二十九条は︑本来一

つの項目であるが︑文章の中途

に﹁

一︑ ﹂

書き加えられている

ために︑項目が分割される︒しかし︑文章の内容を考えれば︑

これらは

誤写 であろう

︒ 龍門文庫本

との 配列

の違

いについて

は︑これまで︑先行研究にて指摘がみられるが︑類従本の配列

と完全に一致するものではない︒表にも見られるように︑龍門

文庫本には﹁一︑角ナル文字ハ﹂︵龍門文庫本第八条︶や﹁一︑

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

ዟ᭩㆑ㄒ ୍厒㏆᮶ᘯㄋ㝔Ẋ ୍厒ᚲᡭᮏ双厷厹 ୍厒Ⰽᕻᙧ双≀᭩ ୍厒≀可ே双ヽ叇 ୍厒㢪ᩥ➼叏ⲡ᱌可 ୍厒ᡭ⩦双㈋⚟可 ୍厒ᡭ⩦去召双 ୍厒ᡭ⩦厽 ୍厒≀ㄒⲡᏊ᭩஦ ୍厒Ꮓ厭只台 ୍厒ᒑ㢼᭩෗友叉 ୍厒ᡭᮏ双 ୍厒ᡭᮏ可ᩘከ ୍厒ᡭᮏ可厬 ୍厒ᡭ可⩦取 ୍厒ᡭ可⩦取 ୍厒ᡭᮏ可⩦双 ୍厒≀可᭩双 ୍厒┿叏≀叐➨୍ ୍厒㢠Ⰽ⣬ᙧ⏦ᩥ ୍厒ᮍ⦎叏᫬ᕥྑ ୍厒≀ᛊ友䜜叐 ୍厒ᡃዲ叡 ୍厒ᡭ㊧叉ᙧ叉 ୍厒ඛ≀可᭩双 ὀグ ୍厒ⲡ叐​叀召➹ ୍厒⾜ᡂ叏ᡭ㊧叐 ୍厒ᩥᏐ可叐 ୍厒๓Ⅼ叐ᚋⅬ可 ୍厒ᩥᏐ叐ศ叇 ୍厒┿⾜ⲡ叉口双 ୍厒ᮅ㝯叐⬟᭩ஓ ୍厒ᡭ᭩叐 ୍厒➹可ᡴ❧叇 ୍厒┿叏➹叐 ୍厒Ⅼ叏可叐 ୍厒ἲᛶᑎẊ叏 ୍厒᭩≀否୙㚸ஓ ୍厒⏦≧ㅕㄙ㢪ᩥ ୍厒ᮍ⦎叏㛫叐 ୍厒➹否 ୍厒ᩥᏐ叐厨召叐 ୍厒㢌叏Ꮠ叐 ୍厒ゅ吡ᩥᏐ否 ୍厒㛗厱ᘬⅬ叐 ୍厒ᩥᏐ୙ල友召 ୍厒⾜叏≀叏୰双 ୍厒ቚ可➹双 ୍厒ᩥᏐ叐୍Ꮠ ୍厒ἲᛶᑎẊ叏 ୍厒➹叐ᮍᰁቚ 㡯┠

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻥 㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜㻞㻤

㻞㻥㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻡㻜 㻠㻥 㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜㻞㻡

㻞㻥㻞㻠 㻞㻟 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞

㻝㻝 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝㻞㻜 㻞㻜

㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻤 㻠㻣 㻠㻢 㻠㻡 㻠㻠 㻠㻟 㻠㻞 㻠㻝 㻠㻜 㻟㻥 㻟㻤 㻟㻣 㻟㻢 㻟㻡 㻟㻠 㻟㻟 㻟㻞 㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻢 㻞㻡 㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻠 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻝㻜 㻥 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

㻠㻣 㻠㻢 㻠㻝 㻟㻤 㻠㻞㻟㻢

㻠㻡

㻠㻡

㻠㻟 㻠㻜㻟㻣

㻟㻥 㻠㻠

㻟㻢 㻟㻠 㻟㻡 㻞㻢㻟㻞

㻟㻟㻟㻝 㻟㻜 㻞㻥 㻞㻤 㻞㻣 㻞㻡

ᕬୖ卫

㻞㻠 㻞㻟 㻞㻞 㻞㻝 㻞㻜 㻝㻥 㻝㻤 㻝㻠 㻝㻣 㻝㻢 㻝㻡 㻝㻟 㻝㻞 㻝㻝 㻥 㻝㻜 㻤 㻣 㻢 㻡 㻠 㻟 㻞 㻝

【表】四十七条本類従本系統の配列

(16)

を検討する上で︑後世の加筆とされる項目内容の精査が必要と

なる︒

具体的に該当する項目を掲出すると︑中国宋代の類書﹃太平

御覧﹄を援引する項目︵類従本第二十四・三十・三十一・三十四・

四十三条

︶ ︑

及び口伝︵安元三年︶以降に活躍する弘誓院・藤原

教家︵一一九四〜一二五五︶について言及する項目︵類従本第

四十八条︶がそれにあたる︒これらの項目の有無やその内容が︑

諸本の連関を考察する伴となる︒類従本系統の諸本は︑一様に

これらの項目が書写されるため︑これらの項目の有無等から前

後関係について言及しえないが︑これらの項目がいつごろ加筆

されたものか︑先行研究に基づいて今一度検討しておきたい︒

﹃才葉抄﹄には︑法性寺殿・藤原忠通︵一〇九七〜一一六四︶

藤 原 朝 隆

︵一〇

九 七

一 一 五 九

︶ ︑ 弘 誓 院 殿

九 条 教 家

︵一一九四〜一二五五︶らに関する言及が見られるが︑忠通と

朝隆は教長よりも少し前に活躍した能書で︑教長がそれらの手

跡について言及していても不思議ではない︒しかし︑教家はこ

れまで先行研究でも指摘がなされるように︑﹃才葉抄﹄が口伝

された時︵一一七七年︶にはまだ出生しておらず︑後世の加筆

とされている︒では︑いつ頃加筆されたか検討を加えたい︒小

松茂美氏が﹃日本書流全史﹄において︑細かに考察されている

ので︑該当する箇所を以下に転載する︒

行能と教家とは︑互いに同時代に能書と謳われた人︒とす

ると︑この一項は行能によって︑加えられたとも考えられ

る︒盲断ではないのだが承元三年︵一二︶には︑教家はまだ 書物ハ不䦥也

﹂ ︵

龍門文庫本第十四条︶など︑類従本には含まれ

ない項目が見られる︒逆に︑後半部分には︑類従本に記される

項目で龍門文庫本には収載されていないものも確認できる︒

五︑類従本の特徴について

龍門文庫蔵﹃宰相入道教長口傳﹄をはじめとする古写本系統

の本文には︑前半・後半を区切る注記が記される︒該当部を以

下に列記する︒

a群書類従本⁝なし   b事或人口傳龍門文庫本⁝已上傳如斯草墅可用意

c恩頼堂文庫蔵﹃筆体口伝﹄⁝已上口傳如件 草墅仁ノ可用意事ハ

d恩頼堂文庫蔵﹃教長口伝三十五条

﹄⁝

已上如有口傳矣

e八十八条本系統⁝入木道之傳

右に挙げたように︑類従本をはじめ︑類従本系統に分類され

る諸本には︑前半・後半を区切る注記は見られず︑これまで龍

門文庫本の記述をもって︑前半・後半に分けられることが指摘

されてきた

︒恩頼堂文庫所蔵﹃筆体口伝 1

﹄ ︑ ﹃

教長口傳三十五条﹄

にも同様の注記が確認できる︒

﹃才葉抄﹄は︑教長口伝と考えた場合︑後世の加筆と考え得

る項目が散見される︒そのため︑従来の研究では﹁教長口伝部

分﹂と﹁口伝増補部分﹂とに分けることが指摘されているわけ

だが︑﹃才葉抄﹄の成立を考える上で︑または諸本の先後関係

(17)

家の誰かの手によって加筆された可能性も考えられるだろう︒

なお

︑ 龍門文庫本

記載 があることから

くとも 建長四

︵一三三七︶年までに加筆されたともいえる︒ただし︑康永四

︵一三四五︶年の奥書を有する四天王寺大学恩頼堂文庫蔵﹃筆体

口伝﹄には︑教家について言及する項目が含有していないため

断言しがたい︒これらは古写本系統の伝本がどのように成立し

たかを検討することによって︑浮き彫りにできないだろうか︒

に﹃

才葉抄﹄四十七条本には︑﹃太平御覧

﹄を

延引する箇所

が散見される︒従来︑これらの項目は後世の加筆とされてきた

が︑いつ頃加筆されたのか検討しておきたい︒﹃太平御覧﹄は︑

太平興国二︵九七七︶年に宋・太宗︵九三九〜九九七︶により編

纂の命が下り︑同八︵九八四︶年に︑李昉︵九二五〜九九六

︶ら

によって完成したとされる中国の類書である︒一千巻に及ぶ膨

大な資料の中には︑散逸した引用書も多く含まれる︒﹃太平御

覧﹄

は︑ ﹃

才葉抄

﹄が

口伝されるよりも前に編纂されており︑藤

原頼長の日記﹃台記

﹄の

康治二︵一一四三︶年

に﹁

御覧

﹂を

閲覧

した記事が見られる

︒しかし︑当時の社会情勢や公家日記等の 16

記録より︑和田英松氏は︑

此書

︵ ﹃

太平御覧

﹄︶

は︑

特に海外に出す事を禁じたものと

はれる

︑されば

︑ 頼長

康治元年二年

の間に︑

御覧 百三十八巻

閲読 した

事を

台記

に記し︑

藤原通憲

御覧

十四帙を︑廿九三十の両櫃に納めたるよし︑同蔵書目録に

記したる御覧は︑祖孝徴等が撰むだ修文殿御覧三百六十巻

であらう︒修文殿御覧は︑日本見在書目録にも見えて広く 十七歳の少年にすぎなかった︒とすると︑これは不合理で

ある︒結局︑現在のところ︑この一項は

(A)︿伊経書写時

﹀ ・

(B)︿行能書写時︑一二〇九年﹀以外の時期において︑この

部分に加えられたものという以外に手がかりが掴めない︒

︵ ︿

  ﹀括弧内︑筆者補記

13

また︑近藤康夫氏は︑教家や書写者の年齢等より行能ではな

いかと指摘するが︑教家が﹁弘誓院﹂と呼ばれる時期︵嘉禄元

︵一二二五︶年九月三日とする︶を勘案すると行能書写時ではな

く︑それ以後の加筆であると言及する

︒項目の内容に目を落と 14

すと︑﹁近来弘 誓院殿

﹂と

記される︒教家の手跡

が﹁

近来﹂流行

したのがいつか︑検討を付す︒尊円法親王著﹃入木抄

﹄の

項目に︑

法性寺関白出現之後天下一向此様に成て後白川院以来時分

如此剰後京極摂政相続之間弥此風さかりなり後嵯峨院比ま

ても此躰也其間に弘誓院入道大納言等聊又躰替て人多好用

歟凡法性寺関白の餘風也

︵ ﹃

群書類従﹄版本︶

と記され︑教家の手跡が流行するのは︑後白河院から後嵯峨院

まで︵後白河院即位一一五五年〜後嵯峨院没一二七二年︶と見

える︒つまり︑教家存命中から一二七二年となるが︑近藤氏が

指摘する﹁弘誓院﹂の呼称が伴となるならば︑一二二五年から

一二七二年

の間に

加筆 されたことになろうか

︒ 記録等

により

一二五三年までは行能の存命が確認できており

︑行能が書き加 15

えたとも考え得る︒また︑行能以降に経朝や定成など︑世尊寺

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