「お伊 勢 参 り」 追 体 験

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序 説1

豊驚i議鰯 潔

//

宝 来 講 は、 日本近世 史専 攻 の学 生(演 習

・講 読 生)を 中心 に、昭和61年(1986)に 始 め られ た 。歴史 を文献 の上 だ けで 語 るので はな く、体 験 に基 づ く視 点で文 献 を見 る こ と はで きな いか一 。 鎌 田ゼ ミ名 物 「農業 実 習 」 な ど と同様 、歴史 を追 体 験 す る 「実 験 歴 史学 」の一 環 と して 、江戸 時 代 の旅 を 再 現 して み よ うと始 め られ たわ けで あ る。

も ち ろん 、提唱 者 は鎌 田先生 で あ った。

参 加 資格 は特 に限定 して お らず 、卒業 後 も参 加 を続 け るOB、 ゼ ミ外 ・学 科外 の学 生 の ほ か、 学外 の参加 者 も多 い。 我 こそ は と思 う者 な ら、 だ れで も参加 可 能 で ある。

た だ 、宿 泊設 備 な どの問題 か ら、 毎年35人 程 度 が上 限 にな ってい る。歩 く旅 の ことゆ え 、 これ は仕 方 の ない と ころで あ ろ う。

「お伊 勢 参 り」 追 体 験

近世 の旅 で も っと も一 般 的 だ った もの は伊 勢 参 宮 で あ る。 近 世 に はたび た び、 「おか げ まい り」 と 呼 ば れ る伊 勢 へ の大量 群 参が 起 こ って い る。 ま た、 戸 主 や勤 め先 の 主人 、庄屋 な どの許 しを得 ず に参 宮 の旅 に 出 る 「ぬ け まい り」 もあ り、村 ぐ るみで 抜 け て行 っ た実 例 もあ る。 こ う した非 日常 的 状況 を 別 と して も、人 々 は 日々旅 費 を 積 み 立て て 、一 生 に 一度 は参 宮 した いと夢 に見て いたの で あ る。

これ ら近世 の人 々の動 き は、 完 全 に解 明 され て い る と は い い難 い。人 々 は、現在 よ りよ ほ ど困難 な 状 況の もとで旅 を して い る。 そ う まで して 出た い旅 とは何 だ っ たの か。 どん な魅 力が あ った のだ ろ う か。 追 体 験 で も これ を解 き明 か す こ とは困 難 か も しれ な いが 、 歴 史 を見 る際 に参 考 とな る こ とが あ る の で はな いか 、現 在 の視 点で だ け物 を考 え る よ りは前 進 が あ るの で は ない か、 と い うのが 「実 験 歴史 学 」の 旅 の 目的 地 に伊 勢 を 選 ん だ理 由で あ る。

以 上 か らいえ ば当然 の こ とだ が 、伊 勢 へ 参 宮 す る とい うこ と につ い て、宝 来講独 自の宗 教 的 な意味 は持 って いな い。 敬神 団 体 で はな い ので 、 他 の 宗教 に帰 依 す る人 、無 神論 者 の人 も、安 心 して参 加 し て いた だ いて大 丈夫 で あ る。

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〔参 宮 ル ー トと宝 来講 の コ0ス 〕

江 戸 時代 の 旅 を追 体 験 するに あ た って は、 「歩 く」 と い う こ とに重 点 を 置 い て い る。単 な る 旧街 道 の調 査 で はな く、歩 いて み る、旅 を して み る、 とい う ことか らの ア プ ロ0チ 、 とい う意 味で あ る。

奈良 か ら伊勢 神宮への ルー トは、別項の ように、李能越 の伊勢寒街道 、薗操越の伊勢韮街道 、議

みなみ

越 の伊 勢 南街 道 な どが あ るが 、宝 来 講 で は、三 街 道 の 中央 を往 く伊 勢本 街 道 を 通 る ことと した 。 これ は、北 街道 ・南 街 道 に くらべ て 改 修 が 遅 れ て い る 、新道 の建 設 率 が 低 い 、峠道 が多 いた めに 近 世 に近 い姿 で 残 され て い る部分 が多 い、 な どの条 件 に よ って い る。 また 、 現実 的な 問 題 と して、 自動 車 の通

かみ は せ

行 量が 比較 的 少 な い と い う こと もあ げ られ る。 奈 良 か ら本 街 道 に入 るまで は、 上街 道 ・初瀬 街 道 を通

はいばら

り、榛原 か ら伊 勢 まで はほぼ 一 直線 で 東進 す る。

み つえ つちや はら

日程 は4泊5日 と して い る。第1日 は奈 良 大 学 〜桜 井 市 初 瀬 、第2日 は初瀬 〜御 杖村土 屋 原 、第3 日は土屋原〜三重県簸請町橿臨 第4日 は横野〜伊勢市舞菅前 、そ して第5日 は外宮〜篤菅 と参拝 し、

す ず がわ

近 鉄 五十 鈴 川 駅 で ひ とまず 解散 、近 鉄 特 急、にて 奈良 へ(有 志 は大 学 まで)帰 る とい う行程 で あ る。

くらが り ほ うらい

第1回(1986)と 第2回(1987)は 、奈 良 市 宝来 町 に あ った 旧 キ ャ ンパ ス よ り出発 し、暗越 奈 良 街 道経

みささぎ

由で 上街 道 に入 って い た。 第3回(1988)か らは 山 陵 町の 新 キ ャ ンパ ス発 とな ったた あ、 散策 路 「歴 史 の道 」 を通 り、三 条 大 路2丁 目交 差 点で暗越 奈 良 街 道 に入 るよ う変 更 され た。 当初 、 な るべ く旧街道

うたひめ

を通 りた い と い う ことで 、 歌姫 街 道 経 由 も考 え られ たが 、 若干 の 迂 回 にな る こと、道 幅が 狭 く車 が 多 い とい うこ とで 、現 在 の コー スが 選 ば れた 。 ま た 、現在 の 日程 は、 旅 館 の所 在 地 に 大 き く影 響 され て い る。 各 日の 距離 の ア ンバ ラ ンス な ど 、

若 干 の問題 を残 して い るの だが 、解 決 の 方 法が ない とい うの が 現実 で あ る。

旧街 道 を歩 く部分 は、 江戸 時 代 の 道 を 忠実 にた どる ことを 基本 と して い る。 峠 道 に関 して は 、幸 い 旧道 が 残 され て い る と ころが多 いが 、 全 体 で見 れ ば 、 開 発 に と もな い旧道 の不 明 瞭 な部 分 、 現 在 で は 通 行 不可 能 な部分 、新 道 の開 通 で 新 道 を 歩 かな けれ ば な らな い部 分 な どが多 々あ る。 また 「江 戸 時代 の道 」 と い って も、

江戸 時代 の 間 に行 わ れ た新 道 工事 で廃 止 された道 もあ る。 こ う した 旧道 を 忠 実 に た ど るの は、 厳密 に い え ばか な り困 難で あ るが 、確 認 した 限 りにお いて は、 な る べ く旧道 を通 行す る よ う心 掛 け て い る。

荒れた峠道 を行 く

(第3回 飼坂峠西側)

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講札(吉 野 館)

〔「講 参 り」 とその襯 につ い て〕

中世 以 来 、社 寺 への参 詣 の 際 に は 、 「講 」 を 組 織 して 参詣 費用 を出 し合 った り、代 参 者 を 出 す の が例 で あ った。 伊勢 神 宮 に参 詣 す るため に 結 成 され た講 は 「伊 勢講 」 と いい 、多 くの 場合 は村単 位 だ ったが 、村 内 に何 組 か の伊 勢 講 を組 織 す る こと もあ った。

農耕 を中心 とす る村 共 同体 に暮 らす 人 々 は、

皇 祖神 で はな く、農 耕 の神 と して伊 勢 陣宮 を崇 敬 して いた。 積 立米 な どで旅 費 を 出 し合 い、 日 頃 は 「天 照大 御 神 」の神 号 軸 を 各 家 に巡 回 させ なが ら、共 同飲 食 な どの 行事 を 催 す 、 とい うの が、 農村 共 同体 に組 織 され た近世 伊 勢 講 の 一般 的な 姿 で あ る。 当然 、講 の最 大 の 行事 は伊 勢 へ の参 宮 だ が 、近 くて も10日前 後 、遠 い地 方 な ら1〜2ヵ 月 が か りとい うよ うな大行 事 に、 村 全 員で 参 加(「 羅 蓼 り」)す るわ けに もいか な い。 また 、村 ぐるみ で の逃 散 を警 戒 した 領 主 は、 戸 主 全 員が そ ろ って の 旅 行 は認 め ない場合 が 多 か った。 そ こで 大 部分 の 講 は、 くじな どで 順 番 を決 めて 代 表 を 出 し

だいさん

これ に全 員 の意 を託 す とい う形 を と った(「 代 参 」)。

宝 来 講 は 、実 際 に講 と しての機 能 を果 たす組 織 で は な いが 、近世 伊 勢 参宮 の 基 盤 とな った伊 勢講 、 ひ いて は村 共 同体 の形態 に もちな む意 味 で 、名 称 の み は講 参 りの ス タイル を と って い る。 「宝来1講 の名 称 は、 発 足 当初の大 学 が、 奈良 市 の西 部 、宝 来 町 に あ った ことか らきて い る。厳 密 な江 戸 時代 風 と す るな ら 「宝来 村 伊勢 講 」 で あ るが 、 現 代 的 な通 称 と して は 「宝来 伊 勢 講 」 「宝 来 講 」 と した。

キ ャ ンパ スが 奈 良市 北部 の 山陵 町 に移 転 した た め、 「宝 来 」 の文 字 に は講 の所 在村 名 とい う意 味が な くな って しま った が 、宝 来 キ ャ ンパ ス時代 に始 ま った行 事 と して 、 この名称 を う けつ い で い る。

の ぼ り

各地 か らの参 宮 者が多 か った江 戸 時代 に は、雑 踏 の な かで もは ぐれ ぬ よ う、講 の 幟 を作 って 持 ち歩 き、定 宿 と す る籏 罷 には、 講 耗(講 看板)を 表 に掲 げ て も らって逗留 の 目印 と して い た。 宝 来 講 で も これ らの再 現 を め ざ した。

幟 は大 小2種 類 を作 り、道中 で は先達 と殿 が掲 げ て 目印 と して い る。 国 名 ・村 名 な どを記 す の が一 般 的 だ が 、 お か げ年 な ら 「おか げ」 「伊勢 太神 宮 」 な どの文字 を入 れ た り した。 宝来 講 は 当初 「お か げ まい り再 現 」 と銘打 って い たた め 、 講参 り色が 強 くな って きた最近 で も、 幟 に は 「お か げ 」の 文字 が 入 る こ とが 多 い。

講札 は な が ら くな か ったが 、第6回(1991)実 施 を 前 に製 作 された 。 デ ザ イ ンは近 世 の もの を参 考 と して い る。 途 中 の定宿4宿 と、"諸 木 野 立 場"の 大 門 字屋 ・森本 家(本 文 参照)の 合 計5か 所 に掲 げ て もら って い る(製 作担 当は、63年 度 卒業OBの 吉 瀬 文 人)。

な お 、携 行 品 の 「再 現小物 」 と同 様 、 後世 の混 乱 を避 け るた め 、織 ・講 札 と もに 「実験 歴史 学!の 文 字 を 入 れ て あ る。

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編成 と運営

〔本 隊 の編 成 〕

宝 来 講 全 体 は、 さ ま ざまな役割 を持 っ者 で構 成 され て い る。 まず 、大 き く分 け る と、 出発 前 の仕 事 と出発 後 の仕 事 につ いて、 それ ぞれ役割 が あ る。 出発前 に して おか ねば な らな い仕事 と して は、本 隊 の運 営 の 基幹 に かか わ る部分(日 程 の決 定 、本 隊 の構 成 の決 定 、旅館 の手 配 、参 加者 との 連 絡 な ど) や 、 それ 以 外 の準 備(幟 ・柄 杓 な ど/』・物 の製 作 、 携行 す る医薬 品 ・食 品 ・飲料 な どの準 備)な どが あ る。

出発 後 の役 割 は さ らに細 か く分 かれ る。 まず 、 ほぼ全 員が 属す る本 隊 と、 この 本 隊 を支 え るサ ポ ー ト隊 に分 か れ て い る。 本 隊 は、道 中の さ ま ざま な事柄 に対 処 す るた め、 さ らに細 か く役 割 が 決 め られ て い る。

具 体 的 な役 割 分担 と して は、次の よ うな もの が あ る。

せんだち

【先達 】 い うまで もな く、 先頭 を道 案 内 しなが ら歩 く リー ダーで あ る。 また隊 全 体の 諸 問題 を 取 り ま とめ る役 で もあ る。 単 に先 頭を歩 くとい うだ けで な く、ペ ー スや時 間の 配分 も考 え る必 要 が あ る。

後 方 で遅 れ は じめて い る人 とは離れ過 ぎぬ よ うに し、 先頭 で どん どん ピ ッチを 上 げて しま う人 はお さ え る。 サ ポ ー ト隊 との 連絡 を取 った りで 、行 動 中 は忙 しい役 であ る。

しん が り

【殿 】 本隊 の最 後尾 を守 る。 この殿 の後 ろ は歩 くこ とが で きな い。調 査班 が 調べ おわ る まで 根気 よ く待 ち 、 ま た疲 れ や足 の痛 み な どで遅 れて い る人 を上 手 に追 い立て なが ら歩か な くて はな らな い。 自 分 の ペ ー スで は歩 け な い役 で あ る。後方 か ら、道 中で 起 き るさ まざ まな こ とを 見守 って い る。

なかじめ

【中締 】 隊 列 の中 間付 近 を守 る。列 が前 後 に 長 くな りす ぎた とき に必 要 とな る。

【救護 班 】 っ ね に救急 バ ッグを運 び続 け る、 宝来 講 の ナ イチ ンゲ ールで あ る。 靴 ず れ 、 まめ っ ぶ し な ど、道 中 で お世 話 にな る人 は多い。

【調 査 班 】 近 世 の旅 の姿 を明 らかにす るた め に設定 され た さま ざ まな調 査項 目 につ い て 、デ ー タを 集 め なが ら歩 い て い る(詳 細 は後述)。 そ の項 目 につ いて の調査 が終 了す れ ば 、次 回 か らはな くな る こ と もあ り、 固定 的 な班 分 けで はないが 、 これ まで に 存在 した調 査班 と して 、 「道標 ・常 夜 燈 」 「溝

・川 ・橋 」 「通 過時 間 」 「歩 数 」 「温度 」 「高 度(気 圧)」 などが あ る。 「溝 ・川 ・橋 」班 は、 ほ ぼ 調 査 を終 了 して 、最近 は設定 されてい ない。1

一 方、OBを 中心 とす る 「旧道調査班 」が新 た に活 動 を 開始 して い る。

〔サ ポ ー ト隊〕

本 隊 と は別動 で あ るが 「サ ポー ト隊 」を忘 れ る わ け に はいか な い。 食料 な どの調 達 や会 計 にっ いて 全権 を任 された 、宝来講 の命綱 で あ る。

江戸 時 代 、街 道 と して繁 栄 した道筋 も、現 調 査 風 景(道 標 ・燈 籠 班)

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在 の車交 通社 会の 中で は 、新 道 の 開発 の た め さび れ閑 散 と して い る。 以 前 は茶 店 や 旅籠 な どが あ って 賑 わ った と思われ る宿 場 や 立場 に も、 そ の面 影 は全 くな い。 そ の た め 、 現代 社 会 の 中 で江戸 時代 と同 じ旅 をす る ことは、非 常 に困難 ・不便 で 、 一息 っ くに して も、休 み 処 が な い。食 料 、 水、 また草 鮭 な ど、必需 品 の調達 も、 大 人数 と な る と困難 で あ る。

その解 決 策 と して 、 本 隊 とは別 にサ ポ ー ト車 を走 らせ る こと に した 。乗 務 す る者 は 「サボ0ト 隊 」 と呼 ばれ 、通 常 は2人 編 成。 この サ ポ ー ト隊 に、弁 当 の 調達 、 お茶 の 用 意 な ど を任 せ て いる。 いわ ば

「走 る茶店 」 「移 動 立 場 」 で、 本 隊 到着 前 に先 回 り して 、 休憩 場 所 や 昼食 を とる場所 を確保 して くれ て い る。 宝来 講全体 で 見 て も、 現 金 を扱 う回 数 が もっ と も多 い た め 、 通常 は このサ ポ ー ト隊 が会計 も 預 か るこ とにな って い る。

この ほか に も、途 中 参加 者 の 送迎 、体 調 を崩 して歩 け な い人 の 搬 送 な ど、多 くの役 目をにな って お り、 「近世 と現代 との 橋渡 し」 と い って も決 して過 言 で はな い。 宝 来 講 に と って は、 な くて はな らな い存在 で あ る。 また、 本来 背 負 わ な けれ ば な らな い着替 え な どの 荷 物 もサ ポ ー ト車 に積 んで も らって い る。 この点 は江 戸 期 とは少 し形態 が 違 うが 、社 会 の変 化 の なか で は、仕 方 の な い こ とで あろ う。

(別稿 「サ ポー ト隊 、 か く奮 戦 す 」参 照)

「実 験 歴 史学 」と して の取 り組 み

〔装束 や携 行 品〕

先述 した よ うに、 基本 は 「歩 く」 こと に置 いて い る。 江 戸時 代 の旅 人 に な りき る とい うこ とか ら、

装 束 も可能 な範囲 で 再現 、着物 に手 甲 ・脚 絆 、 菅笠 に 草鮭 履 き と い うい で た ちを 、代 表 数名 がす るこ とに して い る。

草鮭 につ いては、 ワラ を打 ち、縄 を な って 、 草鮭 を編 む とい う こ とか ら始 めて い る。 熟練 した もの は、各 々の 足 にあ った草 鞍 、 強 く長 もちす る草鞍 な ど改良 の工 夫 も凝 ら し、近 世一 般 の草鞍 との比 較 な ど も行 って きた。 また 、雨天 時 も歩 くこ とで 、晴天 時 の 草鞍 の 減 り方 との比 較 、 雨天 時の旅 の知 恵 な ど も発 見 す るよ う努 めて い る。

装 束 も追 体験 す る こ とに よ り、着 物 の 便 利 さ ・不便 さ 、笠 の 応 用 範 囲 の広 さな ど、発 見す る ことが 多 い。小 道 具 と して は、水 筒 が わ りの 瓢 壷 ・竹筒 、 伊勢 参 宮 時 独 特 の持 物 で あ る柄 杓 を作 り、携帯 す

せぎよう

る。 柄杓 は、道中 で 水 を飲 む と きに用 い るの は もちろ ん 、 施行 を 受 け る た めの 道 具 で あ った。 施行 と は、抜 け参 りを して い る人 々な ど のた め に、 沿道 で宿 や休 憩 所 の 提 供 、飲 食 物 の接 待 な どをす る こと で あ る。 これ によ って 、施 す側 も伊 勢 陣宮 に参 拝 した と 同様 の功 徳 を積 ん だ こ とに な る といい、道 中 さま ざま な と ころで見 られ た 。

これ らの 小道具 類 に は、 「宝来 伊 勢 講 」 の名 と、実 施 の年 を 記 して い る。 や は り これ らも、当初 は

「おか げ」 と入 れた ものが多 か った。 しか し、仮 に こ う した 「再 現 小物 」が 末 永 く保 存 され 、後世 に な って発 見 され た場合 、昭和 に もお か げ ま い りがあ った 、平 成 に も伊 勢 講 が 残 って い た、 など とい う 誤解 を生 む危 険 もあ る。 そ こで 、 「奈良 大学 」 「鎌 田研 究 室 」 な ど の名 と と もに、 「実 験歴史 学 」の 文字 を 入れ るよ うに して い る。講 札 に 「実 験 歴史 学 」 と記 して い る の も、同 じ観点 か らで ある。

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『新撰伊勢道 中細見記』に 「道中へ持参 すべ き品々」の大 略として、39品 目があげられて いる。衣 類、脇差、頭巾、三尺手拭のほか、

硯、算盤、秤や髪結道 具、蝋燭 ならびに付木 な ど当時の生活様式の縮 図を見 る思いだが、

中には綱三筋が含まれている。説明書きに物 干 し、荷物のま とめ用に使用する とあるが、

これは現在の宝来講でも通 用する、誠に重宝 なアイテムである。

この 「品々」には、宝来講でおな じみ のひ しゃくがない。路銀 も準備も十分の、 ごく一 般的な参 宮者 を読者 として考えていたからで あろ う。 しか し 「おかげ参 り」 「抜 け参 り」

のような、十分な準備のないままに出ていっ た と思われる場 合、何を持 っていったのだ ろ うか。

元禄11年、入野村(兵 庫県龍野市)の 「抜 け参 り」母子二人が、7日 目に守ロ市で行き 倒れた時の記録がある。これによる と死亡者 の遺 品は、衣類のほかひ しゃくと菅笠だけで あった。 これで六歳の娘 と参宮に出たのであ るからかな り無謀にも思 えるが、沿道の施行 で 「抜け参 り」でも旅は可能であ った背景 が 存 在する。その施 行を受けるために持 ち歩 い たといわれるひ しゃくは、ぎ りぎり最低限 の

「持参すべき品」であ ったのである。

〔デ ータ収集 な ど につ い て〕

これ も先述 したが 、宝 来 講 で は調査 班 を 置 い て 、種 々の デ ー タ も集 め なが ら歩 いて い る。 街道 にあ る道 標 ・常 夜燈 、 溝 ・川 ・橋 を調査 し、街 道 施 設 と して の道 標 ・常 夜 燈 の果 たす 役 割 、川 や 橋の幅 や 大 き さ、渡 りか たを考 察 す る。 また 、時 間 ・歩 数 ・気 温 ・高度 な ど を測 るた めの チ ェ ッ クポィ ン トを 設 けて、距 離 や草鞍 の 減 り方 、寒暖 の 差 、 昔 の 人 も したで あろ う野宿 の場 合 の夜 中 の気 温 、 峠の高 さ

・険 しさ な ど を 記 録 して い る

現 在は まだ 、綿 密 な 分析 を行 うと こ ろに まで 至 って いな いが 、デ ー タの集 積 と年 々 の経験 か ら、 さ ま ざまな仮 説が 出現 しは じめて い る。 川 ・橋 調 査 の積 み 重 ね か ら、近世 的 な渡河 の仕 方 か ど うか、 あ る程 度見 分 けが っ き始 め 、 それ が本来 の 旧道 を発 見 す る手 が か りに な った り も した。 第6回(1991)か

ら活 動 して い る旧道 調査 班 は、 これ ら集 積 され た デ ー タ と経 験 を基 礎 資 料 に して い る。川 ・橋だ けで な く、道標 や常夜燈 な どの 位 置 は、 旧道 を特 定 す る材 料 に な る。江 戸 時 代 の うち に付 け替 え られ た街 道 や、抜 け道 と して 使 われ て い た街道 な どの 推 定 も、 これ らが 材料 と な る。

今 後 の課 題 と して は 、街道 沿 いの建 築物 につ いて 、 資料 を集 め る必 要 が あ るだ ろ う。街 道 沿 いは 当 時 の一等地 で あ り、経 済 的 に も恵 まれ て いた た め か 、沿 道 の 家屋 に は贅 を 尽 くした もの や豪壮 な もの が見 か け られ る。 文化 財 と してだ けで はな く、 街 道沿 い の生 活文 化 の 面 か ら見 る こ と もで きよ う。

また 、江 戸 時代 の携 帯 用道 中案 内記 との 比 較 な ど もすす めれ ば 、近世 の人 々 の旅 行 観 ・歩行 観 ・地 方 観 な ど も分 か って くるの で はな いだ ろ うか 。

宝来講の輪郭 1 1

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サ ポ ー ト隊 、か く奮 戦 す

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随 璽 畷 馨

サポ ー ト隊 奮 闘!(第3回 隊 長 は筆 者)

現 代 に歴史 の旅 を再 現 す る にお いて は、 さ ま ざ まな困難 が付 きま と う。 と くに 「歩 く旅 」 を支 え た設 備 に は、近 代 文 明 の あ お りを受 けて消 滅 した ものが多 い。江 戸 時代 な ら 「御 隠居 、 あ そ こ に茶 店 があ ります よ。 ち ょっ と団 子 で も食 べて 行 きま しょ う」 「は っは っ は 、八 兵 衛 の 食 い意 地 に も 困 った もん で す な 」 と、 こ うい う気 楽 な会 話 が で きた よ うだ が 、現 在 で は伊 勢 へ の街 道 もす っか り さびれ て しま った。 特 に山 間部 の 旧道 で は、 渇 い た の どを潤 す に も、飲 料 の 自動 販売 機 す ら姿 が見 え な い。 また 、気 軽 に休 め ると ころが な い 、 とい うの は、足 を痛 め た者 の 治療 な どをす るに も不 自 由 で あ る。

歩 くこ とを前 提 に作 られ て い た旅 の道 具 も今 は少 な くな り、 荷物 も大 き くな りが ちで 、 これ をす べ て持 って歩 くの も大 変 な ことで あ る。 サ ポー ト隊 は、 こ うい った不 自由 さ をな るべ く解消 す るた め に 存 在 す る 、本 隊 に とって は縁 の下 の力持 ち、通 称 「動 く茶店 」 で あ る。

サ ポ ー ト隊 は、本 隊 の徒 歩旅 行 とは違 い、 ど っぷ り と近代 文 明 に つ か りき る分 野 で あ る。機 動 力 と い う利点 を生 か し、東奔 西 走 す る事 が多 い。

昼 食用 弁 当 の調達 、場 所 の確 保 、午後 か らは宿 との交 渉 な ど、 さな が ら旅 行社 の添 乗員 で あ る。 ま た、 随 時 、途 中参加 者 ・帰 還 者 の送迎 、食 品 ・医薬 品 な どの購 入 ・配 給 もお こな う。

以 下 、 サ ポ ー トの一 日を振 り返 って の諸 注意 点 で あ る。

まず 、前 夜 に本 隊 との合 流 予定地 点を打 ち合 わせ して お く必 要 が あ る。 当 日 は、本 隊 が地 点間 を移 動 す る間 に他 の職 務 を遂 行 して い くことにな る。

冬 の早 起 き はつ らい。朝 起 きる と、その 日に飲 むお茶 を沸 か し始 め る。昼 食 や 、途 中 で寒 さを しの ぐな ど、最 低204は 必要 な ので 、宿 で..::大 きい やか ん を拝借 し、 ひ た す ら沸 か し続 け る。 朝食 を と る頃 に は、 そ の 日の訪 問地(宿 、昼食場 所 、 最終 日に は赤 福本 店 な ど)に 電 話 を 入 れ、確 認 を と って お く。 朝食 が終 わ ると、 玄 関 に続 々 と荷物 が 集 ま り出す。 個人 の荷 物 は奥 へ、 コ ップ ・草鮭 ・懐 中電 灯 な ど は手 前へ 区 分 け して車 に積 ん で い くが 、 寝 ぼ けた状 態 で その 判 断 を す るの は至難 の技 だ 。

本 隊 が 出 発す る と、宿 の人 に礼 を述 べて 、 サ ポ ー ト車 も出発 で あ る。 さ っそ く調 達 ・配給 な どの任 務 遂 行 にか か る。

諸 物 品 購 入 に つ いて は、店 の 位置 な どを正 確 に把握 して おか な けれ ばな らな い。 と くに、都 市 部 か ら外 れ る榛原 〜大 石 間で は、商 店の種 類 ・軒 数 と もに少 な くな り、大 量 の 調達 に耐 え られ る商 店 はほ とん ど な くな るた め、 その 間 の調達 は、榛 原 、名 張 、松 阪 な どに委 ね る ことに な る。 医薬 品 ・リポ ビ タ ンDな どの 調達 の た めの 薬局 、 ア メ玉 ・チ ョコ レー トな どの 菓子 類 の ため の食 料 品店 ・ス0パ ー 、

「夜 」 に備 え て は酒店 、燃 料補 給 に はガ ソ リンス タ ン ドな ど も十分 な把 握 が必 要 で あ る。

さ まざ まな 調達 のな かで も、昼食 の調達 は最 大 の任 務 とい え る。弁 当 は、前 日 も し くは朝 一 番 に予 約 して お き、 本 隊 と接 触 しな が ら頃合 いを見 て調 達 に走 る。 その タ イ ミングが鍵 で あ る。

この よ うな遠距 離 調達 の 場 合、移 動 中 は本 隊 と大 き く離 れ る ため 、 敏速 且 つ安 全 、的確 に事 を運 ば

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な け れ ば な らな い・ また 、 自 らの移 動 時間 と と もに、本 隊 の動 き も計算 に入 れ た上 で接 触地 点を設定 して お か ない と・接 触 不 能 と い う事 態 を引 き起 こす。 本 隊 は どん どん進 ん で い るので あ る。過去の各 地 点通 過時 間を参 考 に 、本 隊 が どの あた りを歩 いて い るか の予測 、 サ ポー ト車 の現在 地 か らどの道 を 走 る と どの あた りで 出会 うの かな どの瞬時 の判 断 も必 要 とな って くる。

そ の た め には・ 周 辺 の 道路 状況(例 えば 、渋滞 多発 地 点、規 制 、工 事箇 所 、 山間部 の凍 結 な ど)も 把握 して おか な けれ ば な らな い。 渋 滞 に巻 き込 まれ て昼 食 に間 に合 わ なか ったで は許 されな い か らで あ る。 ま さに時 間 との勝 負 で あ り、 しか も安全 性 を問 わ れ る。

ただ ・ 状況 把握 にっ と め、一 寸 の怠 りな く準備 を進 め た と して も、 いか な る突 発事 故 が起 こる と も 限 らず ・ ス ケ ジュ ー ル通 りに いか な いのが通 例 であ る。 この よ うな場 合 、瞬 時 の判 断力 、決 断 力 が問 わ れ るの は い うまで もな い。

煙 魏

昼 食 場 所確 保 も重 要 な任 務 で あ る。2日 目の森本 家 、4日 目の相 可第 一 区公 民館 、5日 目の岩 戸屋 は固 定 して い るが 、1、3日 目が 問題 で あ る。例 年 は、1日 目在 原神 社 、3日 目伊勢 奥 津駅 で 、8畳 ほ ど もあ る ビニ ール シ ー トを広 げ て本 隊の 到着 を待 つ。 晴れ て いれ ば問題 はな いが 、雨が降 って くれ ば 青 空広 場 とは いか な い。第4回(1989)で は1日 目が雨 で 、在 原神 社 は水 びた し。 この 時 の サ ポー ト 隊(中 村 勝行 氏 ・福 田祐 子 氏)は 、代 わ りに と周辺 を探 しまわ って石上 児 童館 を見つ け て い る。第5 回(1990)に は・3日 目昼 前 ごろ か ら雲 行 きが怪 しくな り、 サ ポー ト隊(須 永和 子氏 、小 野 直 哉氏)が 伊 勢 奥 津 駅近 くの八 幡 生 活 改 善 セ ンタ ーに飛 び込 みで 交 渉 、場所 を確保 した。 この よ うな場 合に は、

判 断 力 ・決 断 力の ほか 、 交 渉 力 も求 め られ る。 それ ぞ れ 、大 変 な苦 労が あ ったで あろ う。

ちな み に・現 在 は固 定 して い る2日 目、4日 目の昼 食 地 点 も、数 々の 困難 ・変 遷 の末 に決 定 され た もの で あ る・第2回(1987)で は、2日 目、榛 原 の山 中 で みぞ れ に降 られ 、 サ ポー ト隊(今 井 吉 則氏 、 山下 英 子 氏)が 諸 木野 へ先 行 、軒 を借 りられ そ うな民 家 を捜 して 、飛 び込 ん だ先 が森 本家 で あ った。

サ ポ ー ト隊 か ら事情 を 聞 い た森本 夫妻 が 味唱汁 を用意 して くれて お り、本 隊 到着 と同時 に味 噌 汁40杯 が お そ ろ いのお碗 で 出 て きて 驚か され た。第4回(1989)で は、1日 目の ほか4日 目 も雨 が降 り、飛び 込 ん だ 先 は相 可 の長 盛 寺 。 た また ま法 事 と重 な り、厳 粛 な雰 囲気 とな って しま った。4日 目 は第5回

(1990)で もまた ま た雨 と な ったが 、前 回 の気 まず さか ら、 とな りの 相可 第一 区公民 館 に飛 び込 んで お 願 いす るな ど、 エ ピソ ー ドが多 数残 され て いる。

この よ うに走 りまわ るサ ボ0ト 隊 に も、特 権 は与 え られて い る。昼 食 メニ ュ0の 決 定 権 が それ で あ る。第3回(1988)で は、 隊長 の エ ビぎ らいに よ り、 メニ ューにエ ビフライが1回 も(あ の岩 戸 屋食 堂 で さえ)な か った こ と はい うまで もな い。

霧 弱

午 後 にな ると・積 載 して い る荷 物 を宿 に運 び込 む作 業 が待 って い る。 これ も本 隊 と はか な り離れ る た め ・遠 か らず近 か らず の地 点にて宿 に向か わな けれ ば な らない。 宿 に着 くと、まず 部屋 割 を確 認 す る。 第3回(1988)当 時 は 、 それ に合 わせ た荷物 を各 部 屋 に運 び込 ん で お り、体 力 との勝 負 で あ った。

運 び込 む 荷物 が少 々違 って いて も、 同 じ宿 の 中で あ るか らあ ま り差 し支 え はな い。If業 量見 直 しの結

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果 、現在 は玄関 に積 ん で お くこ とが多 いが 、 そ れ で も体 力頼 み にな るこ とは変 わ らな い・

ただ し、 まだ 本 隊が 必要 とす るお 茶の ポ ッ トや カ ップ、草 鮭 の 替 え、 杖 、懐 中電 灯 な どは積 んだ ま ま に して おか な けれ ばな らな いので 、 その 区 分 けが大 変 で あ る。 朝 、荷 物 を積 み込 む 際 に 区分 けを し て お けば、 こ こで役 に立 って くる。宿 に荷 物 を置 くと、休 む 間 もな く本 隊 に 向 け て 出発 す る。

冬期 の こ とで あ るか ら、夕 刻 に はか な り冷 え 込 む。 一 日中歩 き続 け た疲 労 もた ま って お り、 どう し て も本 隊 の行 き足 が遅 くな りが ちで あ る。 こ う した時 は落伍 者 も出やす くな るた め 、本 隊 に対 す るさ ま ざまな フ ォ ローが必 要 とな って くる。 日が 暮 れ れ ば懐 中電 灯 や上 着 が必 要 に な るので 、本 隊 が夕刻 に峠 を越 え る場 合 な どは、 その 前 に接 触 して おか な けれ ば な らな い。

宿 に と って返 し、本 隊 を 出迎 え る。全 員が 宿 に到着 、各 部屋 に分 散 して 玄 関 の混 雑 が 収 ま った ら、

最 後 まで積 載 して いた物 品 の うち、草鮭 の替 え な ど、翌 日の 用意 に必 要 な もの を 玄 関脇 に下 ろ して お く。 これ で よ うや く、運 行終 了 で あ る。

ただ、本 隊 ・先 達 とは、 翌 日の接 触 予定 地 点 につ い て打 ち合 わせ て お く必 要 が あ る し、 日に よ って は この あ と も途 中参加 者 ・帰還 者 の送 迎 な どに駆 り出 され 、な か な か気 が休 め られ な い のが 現実 であ る。 夜 は夜 で 、 そ の 日お茶 を飲 む の に使 った各 人 の コ ップ を洗 うな どの雑 用 も待 って い る。 さ らに、

会計処 理 も受 け持 っ た め、 そ の 日使 った 弁 当 代 、菓 子 代 、薬 品 代 な どの領 収 書 と金 額 とを照 合 ・計 算 し、合致 した と ころで や っと床 につ け る。 と ころが第3回(1988)の あ る夜 、 何 度 計 算 して も1,000円 足 りない。小 一 時 間、 あ た りを ひ っ く り返 して 騒 ぎ立 て た が 、結 局 は会 計担 当 の猿 渡 真 弓氏 が 、 自分 の ふ とんの下 敷 きに して い た、 とい う笑 い話 もあ った。

車 の運転 者 に と って 気 が か りなの は燃 料 補 給 とエ ン ジ ンの調 子 で あ る。 宝 来 講 で は1日 平 均120㎞

を走行 す る。燃 費 に もよ るが、 ガ ス欠 防止 の た め には早 め の給 油 が 肝要 で あ り、前 述 の よ うに ガソ リ ンス タ ン ドの把 握 は不 可 欠 で あ る。 山 間部 で ガ ス欠 が起 これ ば悲 惨 な結 果 に な る こ とは い うまで もな い。 また 、冬期 の朝 とあ って 、出発 時 エ ン ジ ンの調子 は よ くな い ことが多 い。 適 当 な 暖気 運 転 をす る な どの配慮 が必 要 で あ る。運 行 前点 検 な ど も心 が けて お けば 、 さ らに安 全走 行 が 期 待 で きる。

最 後 に、本 隊 は慣 れ な い徒歩 旅 行 を続 けて い るたあ 、特 に3〜4日 目 くらい にな る と、心 身 と もに 疲 れ果て て くる。 サ ポー ト隊 の側 もい ろ い ろ と気 を回 し続 けて きた た めか 、 この時 点 にな る とだんだ ん 気が立 って くる こと は否 め な い。 よ くあ りが ちな こ とだが 、 この 両者 が顔 を合 わ す こ とに よ って、

突 然一行 全体 の 心 が張 りっ めた よ うな状 況 に陥 りやす い。 しか し、 本隊 を 補助 す る はず の サ ポー ト隊 が 、本 隊の全 員 に余計 な気 を回 させ るよ うな行 為 は好 ま しい こ とで はな い。 少 しで も本 隊 に ホ ッとさ せ るよ うな行動 、 時 に は大 き く余裕 を 見せ る く らいの こと は必 要 で あ ろ う。

以 上、 サ ポー ト隊 の任 務 の 内容 と心 が け に つ いて 簡単 に述 べ た。 サ ポ ー ト隊 は本 隊 に い る他 の役割 とは違 い、常 に行 動 を別 と し、 自動 車 とい う機渤 力 を生 か して 、徒 歩 旅行 に不 便 な事 柄 を補 うとい う 特殊 な 内容 で あ る。 しか し、 山間 部 や峠 な どの 、 ほ とん ど け もの道 と化 した 旧道 な どに は入 って い く こ とがで きな い。 その なか で不 慮 の事 故 が 発 生 した場 合 は本 隊 の みで 解決 しな けれ ば な らず 、サ ポー ト隊 には ど うす る こと もで きな い。結 局 の と こ ろ、サ ポ ー ト隊 はあ くまで も 「補 助 」 で あ り、 これ に 頼 りす ぎるよ うで は歩 く資格 はな いので はな いだ ろ うか 。最 後 は 自分 自身 の 力 を最 大 限 に発 揮 して旅 を 続 け るこ とにな るの で あ る。

(第3回 宝 来講 サ ポ ー ト隊 長 佐藤 寛=現OB、S62年 度卒=)

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宝 来 講 の ため の…

土 木 用 語ζヲ1辞典

この 道 中記 に は、一般 に はな じみの 少 な い土 木 ・建 築 用 語 も多 く登 場 す る。 「道 」 の 状 態 にっ いて記 述 す る必 要 か ら、他 の簡単 な言 葉 に言 い替 え られ な い こ と もあ るの で 、用 語 の解 説 を して お こう。

【築 堤 】 ちくてい 読ん で字 の如 く、道 路 を通 す た め 谷 な どの 凹部 に築 かれ た堤状 の部分 。 平地 で の高 架 工 事 に も用 い る。 いわ ゆ る 「盛 土(もりど)」。 曲線 ・勾 配 の 緩 和 に効 果 が大 きいの で、 これ らに弱 い鉄 道 に よ く使 われ る。工 事 規模 が大 き くな るた め、一 般 道 路 で はあ ま り用 い なか ったが 、近 年 はバ イパ スな ど で多 用 され て いる(例:3日 目飼 坂 トンネル直 前 で 旧道 を遮 断 して い る国道 な ど)。

【切 り通 し】 きりとおし 尾根 や 峠な どの凸 部を 切 り開 い て道 路化 した部分 。「開削 」 と もい う。重 機 の発 達 で 、以 前 は考 え られな か った大 規模 な開削 が可 能 に な ったの で、各 所 で多用 されて い る(例:2日 目の 西 峠 、3日 目の桜峠 な ど)。

【切 り取 り】きりとり(「 切 り通 し=両 側 開 削 」 と区 分 して)片 側 開削 の こと。谷 沿 いの 道路 拡 張工 事 で は 、 必 ず とい って よい ほ ど使 われ る工 法(2日 目高 井 入 口、 旧道 ・国道 合 流 点付近 な ど)。

【法 面 】のりめん 築 堤 、切 り通 しな どの斜面 の 部分 (例:3日 目飼坂 トンネル直前 で 旧道 か ら国道 に上 が る斜 面 や 、4日 目玉 城 町体育 セ ンタ0手 前 の 「駆 け上 が りの坂 」 など)。ちなみ に築堤 の場合 、法 面 と 道 路 の 境 目(路 肩 の部分)を 「法肩 」 とい う。

【犬 走 り】1蝋 ω 切 り通 しな どの法 面途 中 にっ け られ た、踊 り場 状の 細 い平坦 部分 の こ と(例:3日 目飼 坂 峠東 口、 国道 合流 直後左 側 「茨 で通行 不 能 」 の 部 分)。低 い法面 で は省 略 され る こと もあ る。

【蛇 籠 】 じゃかご 竹 で編 ん だ籠 に石 を 詰 め た もの 。 大 蛇 の よ うに見 え るこ とか らこの名 が あ る。現 在 は竹 の 代 わ りに針 金製 の籠 を使 う。石 を積 んだ だ けの も の よ り崩 れ に くいた め、 築堤 ・堤 防等 の工事 で基 礎 に 用 い る。

【山岳 型 トンネル】さんがくがたとんねる 円形 の断面 を持 つ トンネ ル。高 い地圧 を分 散 させな が ら掘 り進 む た め に1撮 も有 利 な断面 形 状 。飼坂 トンネ ルな ど。

【函型 トンネル】 はこがたとんねる 天 井 が平 らで、側 壁 が 垂 直 に な った トンネ ル。一 度開 削 して トンネル部 分 を築 造 した あ と、上 に土 を被せ る。 トンネル とい う よ りは 地下 道 的構造 。上 に乗 る土 が多 くな る場 所 で は使 え ない。鍋 倉 峠の伊 勢 自動 車 道下 など。

【トンネル ポー タル】 トンネル 出入 口にあ る、 外 側 に 向 いた壁。

【橋 台 】 きょうだい 【橋 脚 】きょうきゃく【径 間(ス パ ン)】

な ど、橋 関係 の用 語 は 、右 図参 照 。

\J

通 し \

(籠 の 内部) 栗石

山岳型 トンネル

肇 型トン難

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旧道 調査 法概 論

「…現在 は通行 で きな いが 、 本 来 の 旧街 道 はこち らで あ る。 」本 文 で何 回 とな く繰 り返 され るこの 言 葉。 普通 の 道 はと もか く、 通 行不 能 の道 の場 合 な ど は、 い かな る方 法 で 旧道 と判断 して い るので あ

ろ うか。宝 来 講 が誇 る旧街 道 フ リー一クス集 団 「旧道 調 査班 」 の調査 法 を基 に説 明 してみ よ う。

〔まず は地 図 を見 る〕

最初 に、街 道 の経 由地 を確 定 す る。 近世 に刊行 された道 中案 内の類 を見 れば 、通過 す る宿 場 や集 落 の名 、峠 や河 川 の場 所 、茶 屋 の有 無 な ど、 かな り細 か い情 報 がっ か め る。裏 街道 ・間道(抜 け道)的 な道 に は こ う した史 料 が な い こと もあ るが 、主要 な街 道 な ら これが も っと も確 実 だ ろ う。五 街 道 な ど 幕 府管 理 の街 道 な らば、 さ らに詳細 な 「宿 村 大概 帳 」が 残 って い る。

当然の よ うだが 、次 に地 図 を見 る。第 一段 階 で使 用す るの は、現行 の25,000分 の1地 形 図(建 設 省 国土地 理 院発 行)で あ る。5万 分 の1は 細 い道路 の省 略 が 多 いた め、道 路 数 の少 な い地 域 で は有効 だ が 、街区 を形 成 して い る宿 場 町 な どで は信 用で きな い。

街 道 は、 今 日のバ イパ ス国道 とは違 い、 集落 を縫 うよ うに進 んで い く例 が多 い。不 自然 な 曲折 は少 な いが 、一 直線 に伸 び る こと もま た少 な く、 ち ょ うど フ リーハ ン ドで線 を引 い た よ うな 、細 か い曲折 を無 数 に繰 り返 す の が普 通 で あ る。 現 在 の国道 ・県 道 と主 要 経 由地 が似 通 って い る場合 は、 これ を丹 念 に追 って い くと、 そ の脇 に 旧街 道 が現 れ る。 国道 が 旧市 街 地 を避 けて通 った り して い る場 合 、 旧市

街地 の前 後 を見 て み る と、浅 い角度 で国道 か ら分 岐 して 旧

市街 地 を貫 い て い る道 が あ る はず だ。 それが 旧街 道 で あ る。

また、一 直 線 に 改修 され た現 国道 の 所 々 に、 ま るで 石狩 川 の半月 湖 の よ うな道 が残 って いた ら、 これ もほぼ間 違 い な く旧街道 で あ る。 この 「半 月 湖 」 は、短 い もの な ら数十m だが 、長 い もの で は数 百m、1㎞ 以 上 にな る もの もあ る。

国道 を改修 す る際 、線 形 を 直線状 に改良 す る こと、家 の立 ち退 きを避 け る こ との両 方 を狙 ったの で あろ う、 こ う した

「半 月湖 」 は 、集 落 を伴 って い る ことが多 い。

これで 大体 の 目星 を っ けた ら、 旧図 を参 照 す る。 ただ し、

25,000分 の1は15年 ほ と前 によ うや く全 図版 が揃 った と こ ろであ る。 旧図 とい うこと にな る と、大 部分 の地 域 で は5 万 分の1し か な い(明 治 前 期 に仮 製2万 分 の1地 図が 作製 され た一部 地域 の場合 は これを参 照 す る)。

もちろん最 初 か ら5万 分 の1の 旧図 で捜 す とい う方 法 もあ る。 しか し、明治 ・大正 期 の地形 図 で も、

す で に 旧街 道 が消 滅 して い る こと もあ り、 これ に頼 りす ぎ るの も危 険 だ。 回 り道 の よ うで も、 まず新 図で 目星 をっ け る とい うの は 、 旧図 に頼 りす ぎて 先入 観 を 持 つ ことを避 け るた めの方便 なので あ る。

当然 なが ら、 旧図 か ら先 に捜 す場 合 も、 現行 の地 形 図 と比 較 す る ことは必 要で あ る。

それで も、地 図上 だ けで 旧 街道 を確定 す るこ とはで きな い。25,000分 の1地 形 図で さえ 、道 の省略 が あ り、 これ らは現地 へ行 って み な い と分 か らな いか らだ。 宝 来講 で も、 こ う した事 情 で地 図 にな い 道 の発見 が 遅 れ て きた わ けで あ る。

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〔現地 調 査 で は…〕

調 査 の ポイ ン トは、 当然地 図 で確 認 で きな い もの 中 心 に な る。 す な わ ち 、地 図 にな い道 、家屋 の並 び方 と軒 や 玄関 の向 き、道標 ・常 夜 燈 の 所在 地 と碑 文 の指 示 方 向 、渡 河 の 仕 方 な どで あ る。

●地 図 にな い道 を捜 す

地 図 にな い道 の大 部 分 は、先述 の 「半 月 湖 」状 の 旧道 の うち の ご く短 い もので あ る(2日 目吉隠 付 近 な ど)。 沿道 に家 屋 が な いか、 あ って も2、3軒 程 度 の 場合 が 多 い。

同 じよ うな例 だが 、 地 図表現上 の 問題 と して 、集 落 の 中 を通 る細 い道 が省 略 され る ことがあ る。半 月 湖状 旧道 の、 少 し大規 模 な もの 、 と いえ る(2日 目角柄 付 近 、 同 黒岩 付 近 な ど)。

新 道 の 建設 で かな り長 い区間 が 旧道 化 して も、 通 る人 が な い と一 部 を残 して廃 道 とな る。 この 「残 され た一 部 」が 、や は り短 い 「半 月 湖 」 にな る(3日 目土 屋 原 堂前 付 近=61.2㎞ 付近 な ど)。 旧道 と

して 残 る部分 は、家 屋 が 建 って い る こ とが多 い。

まれ に 、新道 の両 側 に 「半 月湖 」 が続 き、新 道 と縄 をな った よ うな形 にな って いる こと もあ る(4 日 目津 留 付 近=103〜104kmな ど)。 この 場 合 は、 区 間の 延 長 距 離 も長 く、集 落2っ 、3っ を貫 いて い くこ と もあ る。

峠道 も廃道 にな った り、林道 とな った と ころが多 い。 こ う した道 は測 量 用 の航 空写真 に写 らな いた め 、地 図か ら消 えて しま う(2日 目西 峠 西 側 付近 、3日 目桜 峠 付近 な ど)。

● 家屋 の向 き を見 る

歩 いて い るとす ぐ気 がっ くが 、街 道 沿 いの古 い家 屋 は 、街 道 に 直接 面 して 玄 関 を設 けて い るこ とが 多 い。 縁 側 も道 に面 してお り、 いわ ば 「街 道 が庭 が わ り」 と い う状 態 で あ る。最 近 、 こ う した風景 は 少 な くな って きたが 、 それ で も2日 目の 山 間 部な ど、所 々で 昔 に近 い姿 を 目 にす る ことがで きる。

こ う した 中で、街 道 に背 を向 けて い る家 が あれ ば 、疑 問 の対 象 に な る(3日 目上多 気 の齋藤 家 、4 日目津 留 の岡 田家 な ど)。 大概 の 場合 、背 を 向 けて い る部分 の街 道 は新 設 され た もの で 、 もと もと は 家 の前 を通 って いた例 が 多 い。た だ この場 合 、 家 の前 に残 った 旧道 は庭 の よ うにな り、道 と して は残

らな い。 旧道 と確 認 され て も通 行 で きな い ことが大 半 で あ る。

● 道 標 ・常 夜燈

街道 を行 く旅人 を案 内 した道 標 や常 夜 燈 。 当然 これ らの場 所 か ら旧道 を知 る こ とが で きる。道 標 は

① 分 岐す る2本 の街道 を案 内す る もの(例:「 右 いせ み ち 左 松 坂道 」 な ど)、 ② 街道 の分 岐点 で は な いが 、里道 との分 岐 点 ・交差 点、街 道 の 曲 折 部 な どを案 内す る もの(例:「 右 いせ み ち」な ど)、

③ 街道 か ら離 れ て立地 す る集落 や社 寺 を 案 内 した もの(例:「 右 くわ ん おん 」な ど)に 大別 で き る。

それ ぞ れ に細 か なバ リエ ー シ ョンが あ るが 、 いず れ も旧街 道 に面 して建 っ のが 普通 で あ る。

しか し、例 外 もあ る。 「ぬ けみ ち」 「ちか み ち」 を示 す 道 標 で あ る。 これ らは、① 主要 街道 沿 い に 建 て られ て抜 け道 を指 示 す る場 合、 ② 抜 け道 沿 い に建て られ て主 要 街 道 へ の 方 向を指 示 す る場 合 、が あ る。 道 標が あ る道 、即 「街 道 」 と は いえ な いわ けだ が、 こ う した抜 け道 も江 戸時代 の道 には違 いが な く、 「古 い道 」 「旧道 」 を捜す 手 だ て と して は、 や は り道 標 の 力 が大 き い。

廃 止 さ れ た 旧 道 を 捜 せ!1 (尋は玄関の向き)

一二二=里 グ ノ

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奪 欝 野

。常 夜燈 は、 集落 の 中心 部 や入 口、主要 街道 の分 岐点 、 渡 し場 な どに建 っ。 分 岐 点や渡 し場 は、 も っ ぱ ら実用 目的 で あ る。分 岐 点で は、見落 と して通 りす ぎな い ため の 目印 と して 、 また道 標 を読 む た め の照 明灯 と して役 立 ち、渡 し場 は灯 台 と して の役 割 を持 って いた 。分 岐 点に建 っ常 夜燈 の 中 に は、竿 石 に道標 を刻 ん で 、両者 を兼ね た もの もあ る。

集 落 中 に神 社 が あ る場 合 な ど はその前 に も建っ が 、 この 場合 は碑文 を確認 し、純然 た る神 社 の常 夜 燈 か、街 道 を行 く人 々の ため に建 て られ た もの か、 検討 す る必 要 が あ る。竿 石 に 「太神 宮 」 「太一 」 な どの文 字 が あ れ ば、参 宮 者 の便 を図 った もの と考 え られ るだ ろ う。 「愛 宕 山」 な ど、他 の 参 詣地 を 示 す もの もあ る。渡 し場 な どに建 っ実用 目的 の常 夜 燈 に較 べ れ ば、 「献 燈 」 とい う性格 や遙 拝 の意 味 を込 め る もの も多 いが 、 これ も大 部分 が街 道 沿 い に建 って い る。 道 に灯 を と もす こ とは、道 にっ な が

る聖 地 に献 燈 した の と同 じ意 味合 い を持 っ の で あ ろ う。

ただ 、道 標 ・常夜 燈 は、道 の改修 に伴 って 原位 置 を離 れて い る こと も多 い。移 転先 の大 部 分 は、 神 社 ・寺 院 ・役 場 ・学 校 ・公 民館 な ど公 共 の場 所 だ が 、 まれ に個人 の邸 内 もあ る。 移転 して い る場 合 、 原 位置 の確 定 が 先決 で あ る。常 夜 燈 は と もか く、道 標 の場 合 は原 位 置不 明 だ と史 料 と して使 う こ とが で きな い。 また、街 道 に面 して立 って いて も、 そ こが 原位 置 と は限 らな い。 注意 が必 要 で あ る。

● 渡 河の方 法

街道 に と って峠 や川 は大 きな 障害 だ った が 、 「馬で も越 す 」峠 よ り、川 の ほ うが よ り難 儀 だ った だ ろ う。 街道 の管 理 者 も、 旅行 者 も、 な るべ くな ら川 をあ ま り渡 らな い コー スを と りた か った はず で あ る。谷 の 反対 側 は広 くて も、橋 を架 け るの が億 劫 な ばか りに狭 い側 を通 って いた道 さえ あ る。

自動 車 の 時代 とな って以 来、 車の 走れ る幅 ・車 の走 りや す い カー ブへ と改良 が進 ん だ。 拡 幅 用地 が 取 れ な けれ ば 、橋 を架 け川 の対岸 へ 新道 を付 け(2日 目山粕 付 近 な ど)、 蛇行 す る川 に沿 った 旧道 か ら、 蛇行 を串刺 しす るよ うな形 の新 道へ と変 更す る(3日 目奥立 川 付近 、工 事 中 の新 国道)。 こ うな ると何度 も何度 も川 を横 切 るわ けで、 これ は江戸 時 代 の コ ースで な い と疑 ってみ た ほ うが よ い。

さ らに 、江 戸 時代 か ら橋 が あ った と ころで も、今 と同 じ渡 り方 を して いた か ど うか は別 問題 だ 。現 在 で こそ橋 は堤 防 か ら堤 防へ架 け る。 ま た、 深 い谷 間 の小 川 で橋 脚 が 立て られ な いよ うな所 を渡 る と き も、一 気 に長 い橋 を架 け る。 しか し、 これ で は橋 の総 延 長 が 長 くな り過 ぎ る し、 水面 か らの高 さ も 必 要以上 に高 くな る。 当然 、工 費 もか さみ、 技 術 的 に不 可 能 にな る場 合 もあ るだ ろ う。

一部 の大 規模橋 を除 けば 、近世の橋の大部分 は、必要最小限度の長 さだ っただろう。 中洲のあ る広 い川 で は、橋 をふ た っ に分 けて架 けた例 もあ る。 深 い谷 川 な ら、 そ の谷底 まで 下 りて い って 渡 った り

(3日 目境 橋75㎞ 付近 な ど)、 上 流 まで ぐる りと捲 き込 ん で か ら渡 った り(3日 目杉平 入 口、 同飼 坂 峠東側 、 同 櫃 坂 な ど)す る。 こ う した観 点で道 を見 れ ば、 まだ まだ 旧道 が見 っ か るはず だ。

橋 の な い大 規模 河川 を渡 る際 は、渡船 が 用 い られ る。 渡 し場 こそ、川 の流 れの 際 まで下 りな くて は 役 に立 たな い。現 在 の橋 の前 後 に 、流 れ に向 け て下 る道 が っ いて い るはず だ(4日 目津留 橋 付 近)。

海 に近 い地 域 で は、 水面 と地面 の標 高差 が そ うな い こ と も多 い。 この場 合 は、堤 防上 へ 上 が って 橋 を 渡 る新道 と別 に、堤 防 に突 き当た って途 切 れ た よ うな旧道 が 残 る ことに な る(4日 目宮 川付 近)。 堤

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防 が なか った当 時 は 、 旧道 か ら川が 見通 せ た こ とだ ろ う。

● 聞 き取 り調 査 ・文 書 調 査

そ して 、最 終的 に は これ で あ る。旅 籠 を経営 して いた 家 や、 本 陣 ・問屋 場 の位 置 、新道 の建 設時 期 な ど、人 々の記 憶 や 伝 承 に残 る部 分 と、道 の現 状 とを照 合 す る。現 況 か らで は想像 っ か な いよ うな話 を 聞 き出せ れ ば、 大 成 功 。 問題 なけれ ば 、 これ で 旧道 確 定 で あ る。 た だ、確 定 に結 びっ かな い ばか り か 、 これで 問題 が こ じれ る こと もあ り(2日 目山粕 、4日 目横 野 な ど)、 人 々の記 憶 に頼 る こと は一 長 一短 と もいえ る。

近 世 の 文書 や村 絵 図 な どを見 て、 「街 道」 「往 還 」 な どの道 筋 を確 認 す る方 法 もあ る。 しか し、史 料 が 残 されて いな い村 もあ る。 旧街道 を遠 く離 れ た役 場 や 資料 館 に寄 託 ・寄贈 して い る こ と もあ る。

歩 きなが らの調査 、十 分 な時間 が とれ ない調査 で は、 こ こまで 手 を 回す こと は無 理 で あ ろ う。

〔調 査 に役 立 つ街 道 雑 学 〕

これ らの ほか、 地蔵 、 道祖神 、 庚 申塔 、馬頭 観音 、水 神 ・山神 な ど も街道 沿 いに あ る ことが多 い。

そ れ ぞ れ、意 味 は多 少 違 うが 、道 が神仏 や霊 魂 の通 る所 と も考 え られ て いた ため 、 この よ うな信 仰施 設 も街 道 沿 い に多 い の で あ る。境 に は精 霊 ・悪神 が た む ろ して い る と考 え られ て お り、 それ らの侵 入 を 防 ぐため、 村境 の街 道 沿 いに は神社 や祠 が設 け られて いた。 また 、街道 沿 いで と くに多 く見 か け る 地 蔵 は、 も と もと現 世 と来 世 の境 を越 えて 自由 に行 き来 す る仏 と考 え られて いた。 これが 元来 の道 祖 神 と習 合 した結 果 、村 境 ・国境 な どの 「境 」を守 る仏 と され たた め 、街道 沿 いに も多 く建 て られ たの で あ ろ う。 もちろん 、 こ う した もの も旧道 確定 の 要 素 にな る。

近 代 以後 の もの、 中央 集権 制度 の象 徴 と思 われ る よ うな もの も、意 外 と役 に立 っ ことが あ る。 代 表 的 な例 は、郵 便 局 と道 路 元標 で あ る。 郵 便制度 は明 治4年(1871)の 創 業で 、業 務 の性 格 か ら旧街 道 に 面 して局 を設 け る と ころが多 か った。 一方 、道路 制度 は 明治6年(1877)以 降 逐次 整備 され、 この過 程 で 街 道 の 里程 管 理 の た め に設 け られた のが 道路 元 標 で あ る(43頁 参 照)。現在 の形 式 は大 正11年(1922)

に定 め られ た もの だ が 、 元標 を置 く規定 その もの は明治6年(1873)の 太政官 達 の なか にあ り、明 治 初 期 の街 道 を教 えて くれ る ことが多 い。

ただ 、両者 と も時 代 の 変化 に伴 って状 況 が変化 して い る。 歩 く道 で あ った 旧街道 に も 自動 車が 増加 し、郵 便 集配業 務 に影 響 す るよ うにな ったた め、 と くに普 通 集配 局 は郊 外 のバ イ パ ス沿 いな ど に移 転 す る例 が 多 い。 道 路 元 標 もまた道路 制度 の変 化 で用 を な さな くな り、 旧道 に取 り残 され た まま とな っ た 。現 在 で は失 わ れ た もの も多 い。

この ほか に、 役場 、 公民 館 、集会 所 、駐在所 な ど も旧街 道沿 い に多 い。 これ は 、 こ う した施 設 が 、 問屋 場 、 代官 役 所 、 伝 馬所 、本 陣 、高札 場 な ど、近 世 の 公 的 建物 の跡 地 に設 け られ る ことが多 か った た め で あ る。 そ の す べ て が街道 沿 いの施 設 だ った わ けで はな いの で 、即 、役 に 立っ指 標 とはな らな い が 、注 目 して み る価 値 はあ る。

そ ん なわ けで 、 旧道 調 査班 は また今年 も目の色 を変 え な が ら歩 く。 車道 か ら斜 めに分 か れて い く細 い道 を見 て は 「旧道 や!」 と叫 び、 民家 に飛 び込 ん で は話 を 聞 く。路 傍 の石 を見 て は道 標 か と疑 り、

地 蔵 を見 て は光 背 に地 名が 刻 まれて い な いか と撫 で まわ す 。成 果 が あ る とき もあれ ば 、空振 りに終 わ る こ と もあ る。 こ う した 中か ら旧道 が ひ とっ 、 ま た ひ とつ 、見 っ か って くるの で あ る。

(旧道 調査 班 樋 ロ 肇=現OB、S61年 度 卒=)

宝来講の輪郭 19

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宝来講で の経験か ら

〜歩 く旅 の経 験 的 知識 〜

〔まめ〕

まあ は韓 よ り靴 の ほ うが で きや す い。 少 々意外 に感 じるが 、 これ が現 在 の結 論 で あ る。 まめ には、

大 き く分 け て 「血 まめ 」 と 「水 泡 まめ 」 のふ た っ が あ る。 この うち 「水 泡 ま め」 は、 歩 くこ とその も の でで き るわ けで はな く、蒸 れ ・濡 れ 、長 時 間 にわ た る摩擦 な どが 原 因 で で きて くる。草 鞍 よ り も靴 の ほ うが 、 こ う した条件 を多 く持 って い るた め、 言 って み れ ば必 然 的 に、靴 の ほ うが 多 くまめが で き

るわけで あ る。

ただ、 必 ず しもそ うな らな い とい う こ と も、 過 去 の経 験 か らわ か って い る。 草鮭 の 利点 は、軽 い こ と、蒸れ な い ことであ り、 これ を生 かせ な い と草 鞍で もまめ はで き る。 た とえば 、底 が密 着 しない よ うな履 きか た を して いれ ば 、軽 くて 密着 しやす い とい う利 点 を生 かす こ とが で きず、 足 の裏 との摩 擦 が増 えて まめ がで きる。 慎 重 にな り過 ぎて 、足 袋 の下 に何 枚 も重 ね履 きを して歩 け ば、 靴 と同様 に蒸 れ て しま う。 ま た、血 ま め は草 鮭で 予 防で きる メ カニ ズ ムで はな い。

逆 に言 え ば 、靴 に も、足 を保 護 で き る こ と、 底 が厚 く シ ョッ クを 吸収 しや す い こ と、な どの利 点が あ るわ けで 、 これ を うま く使 えば 、 まめ を作 らず に済 む わ けで あ る。

〔温度 と体 力 〕

気 温 が体 力 に大 き く影 響 す るこ とは よ く知 られ て い るが 、宝 来 講 の よ うに一 日中歩 いて いる よ うな 旅 だ と、 ま さ にその通 りだ と思 い知 らされ る。

宝来講 は1〜5回 目まで2月 下 旬 に行 な わ れ た。 近世 に も農 閑 期 に参宮 す る例 が 多 か ったので 、そ の再現 と もいえ る。「 般 的 にいえ ば 「厳 寒 期 」 にあ た るわ けだ が 、 意 外 に も、 歩 き続 け る旅 で はそれ ほ と寒 さを感 じな い ことが 多 い。 立 ち止 まれ ば た しか に寒 いが 、 峠越 え で は汗 も出 る ほ どで あ る。

と ころが 、初 めて3月 の 実 施 とな った第6回 、 そ れ まで の 日程 との 差 が 、 い ろい ろ な形で 現れ て き た。 まず 、1、2日 目は暑 さ との戦 い?で あ る。 気温 は20℃ を突 破 、歩 くに は少 々高 す ぎ る気温 のた めか 、昼食 時 もゴ ロ ゴロ と転 が って 休 む ものが 多 くみ られ た。 初 瀬 に着 くころ に は、 胃が パ テて しま い、夕 食 を とるの も一苦 労 、 とい う姿 もあ っ た。3日 目 にな る と、一 転 して 冷 た い雨 と風 に追 い立て られ た。2月 実施 の過去5回 で も、5日 間 の 日程 中、 雨 ・雪 の 降 らな い こ と はなか ったが 、風 のな い 雨 な ら、 体 が多少 濡 れ て もそ うっ ら くは な い。 しか し、雨 と風 の セ ッ トメニ ュー は6回 目に して初 め て の体験 。 濡れ た体 に風 を食 らって は、体 温 は下 が る一 方 で あ る。 太平 洋 側 で は、 春 先 の雨 は旋 風を 伴 うこ とが 多 く、2月 と3月 で は同 じ雨 で も表 情 が 異 な る場 合 が 多 い。

春 に近 けれ ば何 で もよ い 、 とい うわ けで もな い ので あ る。 天 候 不 安定 な3月 は、 な るべ くな ら避 け た ほうが よ い、 とい うの が第6回 参 加 者 の 偽 ら ざる気 持 ちで あ ろ う。

〔食事 と歩 行 ペ ー ス〕

旅 の楽 しみの ひ とっ に 「食 べ る」 とい うこ とが あ る。 … はず な の だが 、 宝来 講 で は 、諸般 の事情 に よ り、5日 目を除 く各 日 と も、昼 食 は ほか ほか 弁 当 で あ る。 グル メ旅 行 か らはか な り遠 い旅 で あ る。

それ で も、歩 いて い る者 に と って、楽 しみの ひ とっ に違 い はな い だ ろ う。

食事 と歩行 との関連 にっ いて は、 ま だ詳 細 な デ ー タが 出て い るわ け で もな いが、 体験 的 にい うと、

食 事 前 に はぺ0ス が 上 が り、食後 はペ ー スが 落 ち る。過 去 の 参 加 者 に感想 を聞 い た と ころ、昼 食直前 の 区間 を 、 「長 い!」 と感 じて い る者 が多 い。 昼 食 を 意識 した地 点か ら昼 食 地点 まで の距 離感 、 とい

うのが 、 この 「昼 食 前 ダ ッ シュ」 の原 因 で あ ろ うか 。

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「ペ ー ス」が 上 が る、と書 いたが、あるいは 「ピッチ(一 定時間当た りの歩数)Jと い った ほ うが 的確 か も しれ な い。 歩数 計で 計 測 した と ころ、 これ に つ いて は ど うや ら相 関 関係 が あ りそ うで あ る。

単位 時 間 ごとの歩 数 を グラフに描 いて み る と、昼 食前 は 上 昇 して い た曲 線 が 、昼 食 と と もに下降 を始 め 、夕方 の 「到着 直 前 ダ ッシ ュ」で また上 昇す る。 だ れ しも満腹 時 は行 動 が鈍 る。 歩 くと い う もっ と

も単 純 な運 動 で も、 や は り同 じで あ るよ うだ。

〔価値 を再発 見 した アイ テム〕

最 近 は使 わ ない もの で も、近世 の よ うな旅 の なか で 、 価 値 を再発 見 す る もの もあ る。 た とえ ば笠 。 雨 の と きに 、傘 で はな く、頭 に つ け る笠が 重宝 す る こ と は、意 外 な再 発 見 で あ った。

長 く歩 くと きに は両手 を あけ てお いた ほ うが よい が 、傘 は片手 を固 定 して しま い、歩 く動 きを阻害 して 非常 に使 いづ らい。合 羽 の フ ー ドは歩 いて い る と後 ろ に脱 げ た り、 汗 で蒸 れ た りす る。 ま た聴覚 に与 え る影響 が 大 き く、車 の接 近 に気 付 くのが遅 れ る と い った悩 み もあ る。

その点 、笠 は両手 が あ き、頭 はむ れず 、五感 に は影 響 を与 え な い、 とよ くで きて い る。 また一見 耐 水 性が な いよ うに見 え る素材 は、水 を含 む と膨 らん で 隙 間 を埋 め、 実用 上 問 題 の な い程度 に は雨 を防 ぐこ とが 出来 る。 人 間 、頭が ぬ れ な けれ ば 、体 はそ う冷 え き らな い もので あ る。 これ で蓑 が あ れ ば完 全 なの だ が 、 まだ付 けて歩 いた もの はな い。

また、脚 絆 も案 外 重宝 す る。脚 絆 を ゲ ー トルの一 種 と考 えれ ば 、 もと もと は股 引 の裾 を固定 して 行 動 しや す くす るため の もので あ ろ う。状 態 の よ くな い道 で は、 根 や枝 、 っ るな ど に裾 を引 っか けて転 倒 す るよ うな事 故 を 防 ぐ役 目 もあ る。 この意 味 で の効 果 も大 きい が 、 もうひ とっ 、股 引(現 在 な らズ ボ ン)の 汚 れが 少 な くな る とい う副 次的効 果 が あ る。 膝 か ら上 とい うの は意 外 に汚 れ な い もので 、雨 の 日の泥 汚 れで も、脚 絆だ け を洗 え ば済 む場 合 が多 い。

〔草鮭 か ら見 る近世 経済 学〕

草鮭 は足 に悪 い 、 と思 い込 ん で きた人 は多 いだ ろ う。 第1回 実 施 前 も、取 材 の新 聞 記者 に は 「痛 い ん と違 うの?」 「足 、ず るず るに な るで 」 と脅 か され た もの で あ る。 しか し実 際 に は、靴で歩 くより は るか に きれ い な足 で帰 って くる こ とがで きた。 先 に もあ げ たが 、靴 との 対比 とい う ことで考 え るな

ら、必 ず し も 「草 鮭 全面不 利 」 で はな いの で あ る。

ただ 、草 鮭 に と って もっと も不 利 な ことは、 「不 経 済 」 で あ る、 とい うこ とで あ ろ う。 た とえ ば 、 熟 練 した編 み 手が 、上 質 のわ らを使 って編 む とす る。 そ れ で も、 ひ もか ら編 み だせ ば 、1足 の製 作 に 3〜4時 間程 度 はか か るだ ろ う。 時給600円 で計 算 して も、材 料 費抜 きで1足2000円 前 後 の履物 に な る。 これが 、地 道 の多 い区 間で2日 、現代 風 ア ス フ ァル ト道 路 で はわ ず か1日 しか持 たな い。 とい っ て 、土 産物 屋 で600円 で売 って い る よ うな草鮭 で は、 実 際 に歩 くこ とな ど無 理 に等 しい。 実 用 に な る 草 鮭 を作 ろ うと思 え ば、そ れ な りの手 の か けか たが 必要 に な る。

お そ ら く近 世 には、擦 り切れ る と ころまで徹 底 的 に履 き込 ん だで あ ろ う。 そ うで な けれ ば、年 柄 年 中 、草 鞍 を作 り続 けて いな けれ ば な らな くな る。 また 、地 道 の上 な ら、擦 り減 るの は遅 くな る。擦 り 減 った草 鮭 を履 い て いて も、 ア ス フ ァル ト道路 と違 って 歩 行 の衝 撃 は さほ どで もな い。一 方 、材 料 や 労 働 力の 面 か ら考 えれ ば、必 ず しも 「1足2000円 」 にな る とは限 らな い。 労 働 力 や労 働原 価 は、現 代 と同 じ計 算 で は考 え られな いわ け で あ る。 欠 けた 陶 器 を 焼 き接 ぐよ うに 、物 が な けれ ば あ る もの を最 大 限 に使 って い く以 外 、方法 が な い。

ただ 、そ う考 えて もなお 「不経 済 性 」 は残 る よ うに 思 わ れ る。 利点 ・欠 点 を 知 り抜 いた うえ で草鮭 を選 んで きたの だ と した ら、そ の 「知 恵 」に 、 もう少 し近 づ いて み な くて はな らな いだ ろ う。

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