博 士 ( 歯 学 ) 榊 原 典 幸
学位論文題名
Inhibition of Na+ ,K+‑ATPase by cisplatin and its recovery by 2‑mercaptoethanol in human squamous‑cell carcinoma cells
( 抗癌 剤シ スプ ラチ ンによ るヒ ト培 養扁 平上 皮癌細胞の Na+,K+‑ATPase活 性 阻 害 お よ び2‑mercaptoethanolに よ る 回 復 )
学位論文内容の要旨
【緒言】
cisplatin(以下CDDPと略す)は、現在まで、頭頚部癌をはじめ様々な癌の治療に 広 く 用 い ら れ て き てい る 抗 癌 剤 の ー つ で あ る 。 こ のCDDPとNa+,K+‑ATPaseと の関 係に つい ては これ まで に様 々な報告があり、大きく次の三つの点で重要であ る と 考 え ら れ て い る。 第 一 に 、CDDPの 細 胞内 への 輸送 に関 連し て、Na+,K+一 ATPaseは 直接 ある いは 間接 的にCDDPの細 胞内 への 輸送 に関与 して いる とい う点 であ り、第二に、CDDPと5−Fluorouracil(以下5―FUと略す)の併用療法に関連し て 、CDDPが 癌 細 胞 のNa+,K+‑ATPaseを 阻 害し て5−FUの抗腫 瘍効 果を 増強 する 可 能 性 が あ る と い う 点 で あ り 、 そ し て 第 三 に 、CDDPの 腎 毒 性 に 関 連 し て 、 CDDPが腎 のNa十,K十|ATPaseを 阻害 し、 これ が腎 毒性 の原 因のとなっている可 能性 があ ると いう 点で ある 。こ の様に、一方では取り込みに関与しているという 報 告 が あ り 、 他 方 で は そ の も の に よ り 阻 害 さ れ る と い う 報 告 が あ る な ど 、 CDDPとNa十,K十一ATPaseと の関 係に つい ては 様々 に報 告さ れているが、その詳 細に つい ては 未だ 明確 には され ていない。そこで今回、特に不明な点が多く、詳 細な 解析がなされていない、CDDPによるNa十,K十―.ATPase阻害機構について、
ヒト培養歯肉癌細胞株(Ca9−22細胞)より部分精製したNa十,K十 ̄ATPaseを用い て、その解明を試みた。
【材料と方法】
CDDPに よるNa+,K+‑虹Pase阻害 を詳 細に 解析 する には、Na十,K十―ATPaseの 精製が必要であると考え、通法に従い培養したヒト歯肉癌細胞株、Ca9―22細胞の 膜 分 画 をJ¢rgensenの 方 法 に 従 っ てSDS処 理し 、glycerol密度 勾配 遠心 によ り Na十,K十ぞ汀Paseを部分精製して、その酵素的性質を調べた。得られた至適酵素 活 性条 件を 用い 、ATPを 基質と して 、Na十,K十 一ATPase活 性と 部分 反応 であ る Na十ーバエ、Pase活性を、ロqPPを基質としてK十依存性ロ吋PPase活性を測定し、さ らに32PでラベルしたATPを用いて、Na十,K十イ汀Paseのりン酸化反応中間体(EP) 形成量を測定し、CDDPの阻害効果を調べた。
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【結果】
Ca9ー22細胞の膜分画から比活性1.2〜1.5ルmol of Pi/ mg protein /min (37℃ の酵 素 標品 を 得た 。 活性 の 回収 率 は約84%で 、 全ATPase活性 の70% 以上が
〇uabain感受性、すなわちNa十,K十イ汀Pase活性であった。酵素活性に必須な1jガ ンドに対する親和性を調べたところ、40mMNが(KO.5二ニ5mM)、8mMKナ(0.5 mM)、6mMMg2十(1.6mM) 、5mMATP(O.4mM)で活 性は飽和し、至適pHは7. 2〜7.5であった。
はじめにCDDP濃度 と阻害との関係について検討を行った。まず、CDDP濃度を 最大1mMまで変化させ、37℃で、30分間、Na十,K十ーATPaseとpreincubationした 後、 パrPase活 性 を測 定 した 。30分 間のCDDP処 理で は 、CDDPはNa十 ,K十―
パrPase活性を濃度依存的に阻害し、その変化は2相性を呈した。この結果より、
CDDPによるNa十,K十ぞ汀Pase活性の阻害は濃度のみでなく、反応時間も強く影響 する可能性が示唆されたので、次に反応時間との関係についての解析を行った。
CDDPとの反応時 間をO〜180minまで変えてpreincubationした後、ATPase活 性を測定したところ、Na十,K十ぞ汀Pase活性はCDDPとのpreincubation時間に依 存して阻害されることが示された。特に、30分間のpreincubationでは差のみられ なか っ た100MM以 下で も この 傾 向が 示 され た こと よ り、CDDPのNa十 ,K十―
ATPase活性阻害作用を解析する際、その濃度だけでなく、反応時間も考慮に入れ る必要があることが明らかとなった。
次に、CDDPがNa十,K十一A1甲ase反応機構のどの段階を阻害するのかをより詳細 に解析するために、部分反応であるNa十ぞ汀Pase活性とK十依存性ロqPPase活性に ついて、CDDPに よる阻害を検討した。Na十―ATPaseとK十依存性pNPPaseはとも にCDDPにより、濃度と時間の両方に依存して阻害されたが、Na十ぞ汀Paseの方が K十依存性ロ゛PPaseに比べて、より低濃度のCDDPで阻害された。この結果より、
CDDPはNa十の関与す る前半の部分、リン酸化反応中間体(EP)形成に作用する ことにより、活性を阻害することが示唆されたので、次にEP形成に対するCDDPの 効果を調べた。
EP形成量はCDDP濃度 に依存して 阻害され、Na十,K十イ汀Pase活性に対する CDDPの濃度依存 的阻害に、類似した結果を示した。次に、EP形成量に与える、
CDDPのpreincubation時間の 影響につい て検討した ところ、同じ濃度のCDDPで も、EP形 成 量はCDDPを 添加 し てか ら の時間 に依存して 減少し、Na十 ,K十一 j虹、Pase活 性の、CDDPとの 反応時間に 依存した低 下と同様の傾向を示した。
また、CDDPはglutathion(GSH)やMetauothioneinなどのSH基と結合するとい う報告があり、一方、Na十,K十一パrPaseは活性中心付近に、SH基を持つシステイン 残基が存在し、それが酵素活性に重要な役割を果たしていることが判っている。そ こで、CDDPが、Na十,K十イ汀Paseの活性中心付近のシステイン残基に結合するこ とにより、その酵素活性を阻害するのではないかと予想し、それを確認するための 実験を行った。実験にはSH基の保護剤として2−mercaptoethanolを用いた。まず CDDPとNa十,K十一ATPaseをpreincubationす る時に、あ らかじめ、4mM、8mM の2−merCaptoethanolを 加 え てお く と、 活 性が 保 護さ れ るこ と が解 った。
そ こ で 次 に 、CDDPが っ く こ と に よ っ て 活 性 が 阻 害 さ れ たNa十 ,K十 一 ATPaseに 、2―merCaptoethan01を加える ことでCDDPが解離され、Na十,K十ー
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ATPaseが 再 活 性 化 す る か 調べ る た め の 実 験 を 行 っ た 。500〃MのCDDPを添 加 して120分た っと 、活 性は約20% 低下 し、 更にincubationを続けると、時間に 依存 して 活性 は減 少し てい った 。そ こで 、こ の120分た った とこ ろで 、4mMあ るい は8mMの2―mercaptoethanolを添 加す ると 活性 は時 間に 依存 して ほば100
%近 く回 復し た。
【考察】
CDDPに よ る 阻 害 が 、 濃 度 と 反 応 時 間 の 両 方 に 依 存 す る こ とは 、CDDPの水 の 中で 起こ る構 造変 化と 密接 な関係 があ ると 考え られ た。Zwellingらに よれ ば 、CDDPの も つcis位 の2個 のCl( ク ロ ラ イ ド ) が 、 一 っ ず つ 、 順次 、H20 (水)に置き換わることにより細胞毒性をもつようになることが解っており、
これ をaquationと呼 ぶが、この変化は非常にゆっくりと進むことが報告されて いる 。今回 の濃 度と 時間の両方に依存した阻害、特に時間の因子に関しては、
このことが深く関与していると考えられた。
また 、CDDPの 細胞 内へ の輸 送に関 して は、 今回 の結 果と 過去 の報 告と を併 せ て考 え る と 、CDDPはNa+,K+ーATPaseが間 接的 に重 要な 役割 を果 たし て細 胞 内に 取 り 込 ま れ る が 、Na+,K+―ATPaseそ のも のをCDDPが阻 害し 、こ のこ と がCDDPの 殺細 胞効 果に 、臨 床的に マイ ナス の影 響を 与え てい る可 能性 があ ると考えられた。
CDDPに よ るNa+,K+‑ATPaseの 活 性阻 害機 構に つい ては 、EP形 成量 とNa+, K+‑ATPase活 性 が と も に 、CDDP濃度 と反 応時 間の 両方 に依 存し て阻 害さ れる こと 、およ びNa+―ATPaseの 方がK十依 存性 ロ寸PPaseに比べてより阻害されや すい ことか ら、CDDPはNa十,K十 ぞ汀Pase反 応機 構の中で前半の部分、EP形成 を阻害することによってNa十,K十一ATPase活性を阻害するということが示唆さ れた。
また、直接的な証明は得られていないが、CDDPにより阻害されたNa十,K十一 ATPase活 性 は 、SH基 の 保 護 剤 で あ る2−merCaptoethanonこより 、ほ ぽ100% 活性が回復したこと、Na十,K十|ATPaseでは、酵素の活性中心付近にSH基が存 在 し、 それ が酵 素活 性に 重要 な役割 を果 たし てい るこ と、 そし てCDDPがSH基 に親和性が高いという過去の報告とを併せて考えると、CDDHこよるNa十,K十一
」岨丶Pase阻害は可逆的であり、CDDPはNa十,K十イ灯Paseの活性中心付近のシス テイ ン残基 に結 合す るこ とに より 、そ の酵 素活 性を阻害すると考えられ、2― mercaptoethanoは 、 酵 素 の 活 性 中 心 付 近 の シ ス テ イ ン 残 基 からCDDPを 解離 させることにより、阻害されたNa十,K十―ATPaseを再活性化できる可能性が示 唆さ れた。 そし て、SH基 を持 つglutatMon(GSH)やmet甜lothioneinにより腎 毒性 が軽減 され るこ とはよく知られているが、そのヌカニズムのーつは、今回 示した機構と同じ機構で説明できるものと考えられた。
学 位 論 文 審 査 の 要 旨 主 査 教 授 福 田 副 査 教 授 松 本
博 章 副 査 教 授 久 保 木 芳 徳
学位論文題名
Inhibition of Na+ ,K 十―ATPase by cisplatin and.its recovery by 2‑mercaptoethanol in human squamous‑cell carcinoma cells
( 抗 癌 剤 シ ス プ ラ チ ン に よ る ヒ ト 培 養 扁 平 上 皮 癌 細 胞 の Na+ ,K゛‑ATPase活 性 阻 害 お よ び2−mercaptoethanolに よ る 回 復 )
審 査 は 審 査 担 当 者 が 全 員 一 堂 に 会 し て 行 わ れ た 。ま ず 、 論 文提 出 者 に研 究 内 容 の 説 明 を 求 め た 。 論 文 提 出 者 は 以 下 の よ う な 研 究 の 概 要 を 明 快 に 説 明 し た 。
cisplatin( 以 下CDDPと 略 す ) は 頭 頚 部 癌 を は じ め 様 々 な 癌 の 治 療 に 用 い ら れ て き て い る 最 も 重 要 で 効 果 的 な 抗 癌 剤 の ひ と つ で あ る 。 こ のCDDPとIXTa+,K+一 A1丶Paseと の 関 係 に つ い て は こ れ ま で に 様 々 な 報 告 が あ り 、大 き く 次の3つ の点 で 重 要 な 関 係 で あ る と 考 え ら れ て い る 。 第 一 に 、CDDPの 細 胞 内 へ の 輸 送 に 関 連 し て 、Na+, K+‑ATPaseは 直 接 あ る い は 間 接 的 にCDDPの 細 胞 内 へ の 輸 送 に 関 与 し て い る と い う 点 で あ り 、 第 二 にCDDPと5−FUの 併 用 療 法 に 関 連 し て 、CDDPが 癌 細 胞 のNa+,K+―ATPaseを 阻 害 し て5一FUの 抗 腫 瘍 効 果 を 増 強 す る 可 能 性 が あ る と い う 点 で あ り 、 そ し て 第 三 に 、CDDPの 腎 毒 性 に 関 連 し て 、CDDPが 腎 のNa十 .K十
‑ATPaseを 阻 害 し 、 こ れ が 腎 毒 性 の 原 因 と な っ て し ゝ る 可 能性 が あ ると い う 点で あ る 。 こ の 様 に 、 一 方 で はNa+,K+‑ATPaseはCDDPの 取 り 込 み に 関 与 し て い る と い う 報 告 が あ り 、 他 方 で はNa+, K+‑ATPaseはCDDPに よ り 阻 害 さ れ る と い う 報 告 が あ る な ど 、 両 者 の 関 係 に つ い て は 様 々 な 報 告 の さ れ か た を し て お り 、 そ の 詳 細 に つ い て は 未 だ 明 確 で は な い 。 そ こ で 今 回 、 特 に 不 明 な 点 が 多 い 、CDDPに よ るNa+,K十 ―ATPase阻 害 機 構 に つ い て 、 ヒ ト 培 養 歯 肉 癌 細 胞 株(Ca9−22細 胞 ) よ り 部 分 精 製 し た Na+, K+一 ATPaseを 用 い て そ の 解 明 を 試 み た 。
【 結 果 】
@ Ca9−22細 胞 の 膜 分 画 か ら 、 比 活 性1.2〜1.5Mmol of Pi/mg protein/min (37℃ ) の 酵 素 標 品 を 得 た 。 活 性 の 回 収 率 は 約84% で 、 全ATPase活 性 の70% 以 上 がOuabain感 受 性 、 す な わ ちNa+ ,K十一 觚 丶Paseであ っ た 。酵 素 活 性に 必 須 なり ガ
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ンドに対する親和性を調べたところ、40 mM Na+ (Ko.5二ニ5mM)、8mMKナ(0.5 mM)、6mXI Mg2+(1.6 mM)、5mM ATP (0.4 mNDで 活性は飽和 し、至適pHは 7.2〜7.5であった。
CDDPはNa+,K+ー ¥TPase活性を濃度 と時間の両 方に依存し て阻害した 。
◎Na+‑ATPaseとK+‑pNPPaseはと もにCDDPにより 、濃度と時 間の両方に 依存 して阻害 されたが、Na+―ATPaseの方がK+ーpNPPaseに比べて、より低濃度の CDDPで阻害された。
@ EP形 成 量 は CDDPの 濃 度 と 時 間 の 両 方 に 依 存 し て 阻 害 さ れ た 。
◎CDDPに よ り阻害さ れたNa+,K+一ATPase活性は、SH基 の保護剤で ある2― mercaptoethanolにより 、ほぼ100%活性が回復した。Na+,K+‑ATPaseでは、
酵素の活性中心付近にSH基が存在し、それが酵素活性に重要な役割を果たして いること、およびCDDPがSH基に親和性が高いという過去の報告とを併せて考え ると 、 こ の活 性 の回 復 は、Na+,K+‑ATPaseのSH基 に結合したCDDPを、2− mercaptoethanolが解離させた結果生じた可能性がある。
【結諭】CDDPは、歯肉癌細胞株(Ca9−22細胞)のNa+,K+ーATPaseを、濃度と時 間の両方に依存して阻害することが示され、その阻害の機構には、Na+,K+― ATPaseのSH基にCDDPが結 合することによる、リン酸化中間体(EP)形成の阻害 が深く関与していることが示唆された。また、この阻害は可逆的であることが示 唆された。
以上が提出論文の概要である。
続いて、口頭による試問が行われた。
まず、研究方法に関する詳細が問われた後、研究結果とその考察に関して質問さ れた。濃度依存性と時間依存性について。CDDPのNTa+,K+ーATPase活性に及ぽ す効果が濃度依存性を示す図の中で、その曲線が二相性を示す現象をどのように 解釈するか。また、結合部位がSH基なのかどうかなど様々な質問があった。さ ら に 、 本 研 究 の 今 後 の 発 展 性 、 臨 床 応 用 な ど に つい て も質 問 され た 。 これらの質問に対して論文提出者は明快かつ適切に説明、回答し、本研究につい て、その意味を十分理解すると共に、関連領域についても多くの文献等の検索を し、広い学識を有していることが確認された。
また、とくに、CDDPによるNa+,K+―ATPase活性阻害を2ーmercaptoethanolを 使って保護、あるいは回復させるという手法により、明快な実験結果を引き出し ている点が高く評価された。その後、久保木副査によって口腔生物学全般にわた る 見 識 を 問 う 論 述 試 験 が 行 わ れ た が 、 提 出 者 は 優れ た 成績 を 示し た 。 以上より、本論文提出者は博士(歯学)の学位授与に値するものと判定された。