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革・革製品 ‑‑ 飛躍の準備はほぼ完了 (特集 気が つけばバングラデシュ ‑‑ 芽吹く新産業)

著者 坪田 建明, 村山 真弓

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジ研ワールド・トレンド

巻 231

ページ 8‑9

発行年 2014‑12

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL http://hdl.handle.net/2344/00003319

(2)

8

アジ研ワールド・トレンド No.231(2015. 1)

バングラデシュの皮革産業は

ジュートと並んで独立当時から存

在していた伝統的な輸出産業であ

る︒その産業発展の歴史には︑良

質の原料が国内に存在することを

含めて︑ジュートと類似点がみら

れる一方で︑生産過程で排出され

る汚染物質の適正な処理がかねて

から問題であった︒この長年の問

題への解決策として︑専用工場団

地への移転が決定したのだが︑そ

れが現実味を帯びてきたのはよう

やく二〇一四年のことである︒

●植民地期から東パキスタン

期まで一九四〇年代まで︑後のバング

ラデシュを形成する東ベンガル地

方には革製造の工程がほとんど存

在していなかった︒そのため︑集

められた皮革は塩漬け︑または乾

燥された状態でカルカッタ︵現イ ンド︑西ベンガル州コルカタ︶などのなめし革製造業者に供給されていた︒ただし︑インド・パキスタンの分離独立直前の一九四六年に

︑ダッカのハジャリバーグ

Hazaribagh

︶に二つの近代的な なめし革工場が設立されている

一九六〇年代半ばまでは︑主に植

物染料を用いた国内市場向けの革

を製造していた︒

パキスタン独立当時︑東パキス

タン︵後のバング

ラデシュ︶には前

述の二工場を除く

と 革 製 造 工 程 が

なかったため︑イ

ンドからの移民や

西パキスタンの同

業者などが起業し︑

革産業に従事して

いくこととなった︒

このような人々が 移り住んだのが当時の最下層地域であったハジャリバーグである

チッタゴンでは︑カルル・ガート

Kalur  Ghat

︶地区も同様な発展

をしている︒なお︑この皮革産業

の地理的集中は現在でも同様であ

る︒図1は︑登録企業一覧を用い

た立地地図である︒

しかし一九六〇年代頃まで︑依

然として東パキスタンでは革製造

はあまり進まず︑塩漬けにした皮 やウェットブルー︵クロムなめしを行った最終工程の少し前の段階︶が西パキスタンなどへ送られていた︒

バングラデシュ独立前夜の一九

七〇年頃︑なめし革製造業者の多

くは非ベンガル人であった︒なめ

し革製造業者は全部で六〇社程度

であり︑中大規模な企業は三五社︑

小規模企業が二五社程度であった︒

そのうち︑中・大規模の企業の八

五%にあたる三〇企業が非ベンガ

ル人の所有であった︒

●バングラデシュ独立後︱国

営化と民営化︱

一九七一年のバングラデシュ独

立により︑西パキスタン系の非ベ

ンガル人が国外退去したため︑多

くの企業が放棄された︒皮革産業

における放棄企業数は三〇を超え

た︒基幹産業および放棄企業の国

有化を基本政策とした新政府は

皮革産業に関してもバングラデシ

ュなめし革公社︵BTC︶を設立

し︑皮革産業の維持を図った︒そ

の結果︑いくつかの工場は閉鎖さ

れ︑最終的には二四企業がBTC

の元で国営化された︒しかしその

後︑BTCの経営は厳しい状況が

続き︑一九七六年にバングラデシ

革・革製品

飛躍の準備はほぼ完了

  建

  真

︻第 1 部   豊富な自然・人的資源の活用︼

特  集

気がつけばバングラデシュ

―芽吹く新産業ー

(出所)登録企業一覧から筆者作成。

図1 なめし革工場の立地地図

[500,20000]

[200,500]

[100,200]

[50,100]

[10,50]

[0,10]

No data

(3)

9

アジ研ワールド・トレンド No.231(2015. 1)

革・革製品 ―飛躍の準備はほぼ完了―

ュ化学工業公社︵BCIC︶に吸

収合併されることとなった︒

一九七〇年代後半から一九八〇

年代にかけて

︑政府は民営化を

徐々に進めた︒企業数は順調に増

加し︑一九八九年にはなめし革製

造業者の数は二一四に達した︒立

地をみると︑九〇%はダッカであ

り︑そのほとんどがハジャリバー

グであった︒また︑六%はチッタ

ゴンのカルル・ガートにあった︒

零細企業によるウェットブルー

の輸出は好調であったが︑政府は

技術転換を促進するため︑二つの 制度を設けた︒税金の還付と輸出成果手当である︒ウェットブルーには輸出税が課される一方で︑より加工の進んだクラストや最終製品としての革などには税負担がなく︑しかも輸出成果手当が支給されるなど︑高付加価値製品への輸出優遇策が取られた︒一九八〇年代後半になると︑ウェットブルーの輸出自体を禁止する方向で議論が進み︑一九九〇年六月にウェットブルーの輸出禁止が確定した

これにより︑ウェットブルーの輸

出に依存していた革製造業者のな

かで︑必要な加工機器への投資が

出来ない企業などが多数倒産した︒

●チャイナプラスワンと環境

問題の解決

近年は政策の重点は︑なめし革

からさらに付加価値を高めた革製

品の輸出支援にシフトしている

革製品のおもな輸出先は︑イタリ

ア︑ニュージーランド︑ポーラン

ド︑イギリス︑ベルギー︑フランス︑

ドイツ︑カナダ︑スペインなどで

あるが︑皮革産業界でも︑今後の

見通しは明るいとみている︒その

大きな理由は中国での人件費の上

昇である︒ある企業の代表によれ

ば︑生産性の面ではバングラデシ ュはまだ劣るものの︑中国に比して四分の一という人件費の安さと製品の質の向上が︑アメリカ︑日本︑韓国など新たな市場からの引き合い増につながっている︒

他方︑輸出増加を阻む懸念材料

は︑なめし革工場による環境汚染

問題である︒ハジャリバーグ区で

は排水設備が皆無に近く︑かなり

前から環境団体がその危険性を訴

えていた︒それに対して︑二〇〇

一年に高等裁判所の判決が下り

ダッカ郊外のシャバール︵

Savar

への工場移転を政府に命じた︒当

初計画では二〇〇三年に実現する

見込みであったが︑実際には一〇

年以上の歳月がかかることとなっ

た︒その主な要因は企業移転の費

用負担割合であった︒二〇〇三年

時点では︑一七億五〇〇〇万タカ

の予算で二〇〇五年六月の完成を

予定していた︒ところが移転後の

操業に必須となる集中排水処理施

設の建設費用などがふくれあがり︑

最終的に一〇七億八〇〇〇万タカ

となった︒その後二〇一三年九月

にようやく企業と政府のあいだで

移転の合意がなされた︒集中排水

処理施設の完成は二〇一五年六月

にずれ込む見込みである︒二〇一

三年の費用負担合意を受け︑一四 八企業の申請が行われ︑そのうち一一二が受理され︑一五が建設に着手している︒なお︑争点であった費用負担割合は八五

% が政府

一五%が工場主となった︒依然と

して企業側が求める建築規制の緩

和や︑労働者の住宅確保等の問題

が未解決のままである︒

しかし︑残された時間は少ない︒

というのも︑EU︵欧州連合︶は

二〇一四年末までに排水処理設備

ができない場合︑環境基準を満た

せないという理由で︑バングラデ

シュの革製品を輸入規制の対象と

することを通告しているためであ

る︒EUが最大の輸出先であるた

め︑この通告は環境保護の面にお

いて効力を持ったといえる︒また︑

なめし革製造業者が移転しない場

合は操業停止措置を講じると首相

も述べており︑移転をめぐる問題

はようやく出口がみえてきたとい

えよう︒

この出口は︑バングラデシュの

皮革産業のさらなる成長への入り

口である︒

︵つぼた  けんめい/アジア経済研

究所

在ロンドン海外派遣員

・む らやま

まゆみ/アジア経済研究

所  新領域研究センター︶

(出所)登録企業一覧 2009 より筆者作成。

企業数 雇用者数 平均雇用者数

イギリス領時代    〜 1947     2      255 128

パキスタン時代 1948 〜 1970   37   2,012   54

バングラデシュ独立後

1971 〜 1975   34   2,337   69 1976 〜 1980   17   3,042 179 1981 〜 1985   14      856   61 1986 〜 1990   12      641   53 1991 〜 1995     9      505   56 1996 〜 2000   26   1,489   57 2001 〜 2005   28   1,742   62 2006 〜       2      133   67

記載なし     4      460 115

合計 185 13,472   73

表 1 年代別の創業時期と雇用者数

参照

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