ペーター・ガイス/ギヨーム・ル・カントレック監修
福井憲彦/近藤孝弘監訳『ドイツ・フランス 共通歴史教科書
【近現代史】ウィーン会議から 1945 年までのヨーロッパと
世界』(明石書店,2016 年)
川手 圭一 本書は,ドイツとフランスの間の共通歴史教科書として編まれたものの第2巻の翻訳である。 1945 年以降の現代史を扱う第1巻の和訳書は,同じ明石書店より 2008 年に出版されており,手 元に置く人も多いのではないだろうか。 私たちの多くは,それぞれの研究の傍ら,日常さまざまな形で歴史教育に深く携わっている。そ のなかで,中等教育段階における歴史教育,とりわけ世界史教育についてもまた,たとえ直接に関 わっていない場合であっても関心は高い。そこで本書評では,本書の内容紹介とともに,これを今 日の日本の歴史教育・世界史教育に照射させる形で,その意義と課題を考えてみたい。 本書の企画は,序文にも記されているように,ドイツとフランスの間で交わされたエリゼ条約調 印 40 周年を記念して 2003 年1月にベルリンで開催された独仏青少年会議に端を発している。し かし同時に,その歴史的背景を考えれば,1920 年代からの独仏間の歴史教科書改善の努力に遡る。 この独仏を含めた国際的な教科書改善運動の歴史については,本書の監訳者の一人,近藤孝弘がか つて詳細に分析したことで,日本でもその意義が広く知られることとなった1。 日本の研究者が,このような教科書改善運動に着目するきっかけになったのは,1982 年の夏に 日本の歴史教科書が東アジアの中で批判された「教科書問題」であった。このとき,この現代史研 究会を長く担ってきていた西川正雄は,西ドイツとポーランドの教科書会議とその成果である「勧 告」を紹介しつつ,かつて支配と被支配の関係にあった二国間が過去を克服し,相互理解を深める うえで,教科書改善のための国際協力が果たす役割とその意義を強調した2。しかし西川は,その さい同時に,国民によって異なる見解が相互に歩み寄るためには何らかの共通の土俵をつくり,こ れを拡げていくことが必要であるとしつつも,それは一つの教科書の作成を目ざすということでは ない,と指摘した。西川が危惧したのは,「国民による見解の相違は,置かれた状況が異なる限り, 残って当然のものではないか」ということであり,「ましてや意見の一致に熱心な余り,安易に妥 協したり争点を回避したりしてはなるまい」ということであった。 評者は,長年,この西川の指摘は非常に重要であると考えてきたが,本書の解説で近藤が指摘す るように,今日,国際的な歴史教科書改善運動で,共通教科書の作成はひとつの趨勢となりつつあ書 評
る。すでに和訳も2巻出版されたこの独仏共通歴史教科書に加え,ドイツ・ポーランド間の歴史共 通教科書も出版され始めている3。ここでは西川の危惧を踏まえた上で,まずは本書の内容をたどっ ていくこととしたい。 本書は全体が7部から構成されている。 第1部 民族の時代(1814~1914 年) 第2部 19 世紀および 20 世紀初頭における産業社会の形成 第3部 19 世紀および 20 世紀前半における文化の発展 第4部 ヨーロッパの拡大と植民地主義 第5部 第一次世界大戦 第6部 戦間期における民主主義と全体主義体制 第7部 第二次世界大戦 このように第1部~4部までは,19 世紀~20 世紀の始まりまでを扱い,第1部はドイツ・フラ ンス両国を軸にナショナリズムと国民国家の形成を中心とした政治史,第2部は同時代の社会経済 史,第3部は文化史,そして第4部はヨーロッパの植民地主義を取り上げている。第5部以降は, 通時的に,第一次世界大戦,両大戦間期,第二次世界大戦と続く。 言うまでもなく,本書は,高校歴史教育が自国史と世界史(「外国史」)に分けられている日本の 場合と異なり,自国史(独仏両国史)を中心に据えつつ,そこから同時代のヨーロッパ史,さらに は世界史を展望する形をとっている。可能な限りほぼ満遍なく世界の諸地域を扱おうとする日本の 世界史教科書とは異なり,ここでさまざまな地域の問題が抜け落ちることを論う必要はない。問わ れるのは,示される全体の歴史像である。本書には,植民地主義をテーマとしてヨーロッパと世界 の関係を問う視点,植民地主義の過去に向き合うという問題も入っている。 第1部では,ナショナリズムと国民国家の形成がテーマになっているためでもあるが,ドイツと フランスをできるだけ均等に記述しようとする配慮がみられ,それぞれの時代・テーマが対比的に 描かれている。2部,3部ではむしろ同時代のヨーロッパに通底する問題が示されたうえで,「ド イツとフランス 交差する視点」が入れ込まれている。それは,第5部の第一次世界大戦に関して も同様であろう。第6部では,最初に同時代のドイツとフランス両国が,「立憲民主制国家の危機」 というテーマで対比的に描かれた後で,「ナチス支配下のドイツ」が1章分を割いて記述される。 第7部でも,ユダヤ人に対する民族虐殺を始め,「ドイツ支配下のヨーロッパ」の諸問題を扱った 部分が,「第二次世界大戦中のフランス」の章よりもはるかに多くなるが,これは,事柄の重要性 から当然のことと言えよう。 先に西川が共通教科書作成に示した危惧を記した。共通の土俵を拡げつつも,国民による見解の
相違は残るという問題である。これは,歴史学における主体性と客観的記述の関係にも通じるが, 本書を読みながら,改めて考えさせられたことがある。それは,本書を一読すればすぐに分かるが, 非常に多くの資料が用意されていることである。基本的には本文記述の部分であっても,その見開 き2頁のうち,右の頁は,資料,地図,図版に使われており,他にも見開き2頁の〔資料〕部分が 随所に見られる。言い換えれば,本文記述は,これだけは踏まえておくべきこと,国際的にみてす でに共通理解になっていることが述べられる。もちろん,単に「事実だけでなくその解釈まで」含 めての記述である。しかし,本書には,それを遥かに上回る量で,それぞれのテーマに即した「資 料」があり,そのことによって「資料」に語らせ,それを生徒が考え,判断することが可能になっ ているのである。 日本では,戦後,家永教科書裁判などの問題があったこととも関わるが,中等教育段階における 歴史教育において,歴史研究者・歴史教育者の目は,とりわけ教科書記述の問題に向いてきた。「世 界史認識のため,どのような構成をとるか」「どのように記述するべきか」。無論,それは非常に大 事なことなのだが,今日言われる歴史的思考力を生徒が養うという観点から言えば,教科書の記述 自体とともに,資料も含めた教科書全体の構成がもっと問題になってよいのではないだろうか。 確かに,今日,日本の世界史教科書(「世界史A」「世界史B」)でも,教科書の中に資料を掲載し, 学習上の問いを投げかけるといった工夫は始まっている。しかし本書で特に注目できるのは,単に 豊富な資料を用意するだけでなく,資料をどのように読み解き,利用し,それを用いて考え,判断 するのかについて,いくつもの章で見開き2頁を使って「学習の方法」を設けて,解説しているこ とである。ちなみに,これは,既刊の『【現代史】1945 年以降のヨーロッパと世界』では設けら れていない。 それらは,それぞれ「文書資料を解釈する」「歴史画を分析する」「学術的解釈を分析する」「文 書館で資料を探して分析する」「統計データを理解し説明する」「論述課題に答える」「風刺画やポ スターをコメントする」「写真の分析」「歴史地図を読み解く」「時代の証人に尋ねる(オーラルヒ ストリー)」といった諸課題を取り上げており,それぞれの作業の意味,その進め方,分析方法を, その限界や問題点も含めて分かりやすくアドバイス・説明しているのである。 このような資料の扱い方を示すことで,たとえば,「〔資料〕帝国直轄地アルザス=ロレーヌ(1871 - 1918 年)」(第1部第3章),「〔資料〕ドイツ人とフランス人相互のイメージ」(第 1 部第 4 章), 「まとめ 第一次世界大戦 『ドイツとフランス 交差する視点:ドイツ人とフランス人の認識にお ける第一次世界大戦』」(第5部第 12 章),「〔資料〕ドイツとフランスの緊張のただ中にあったラ インラントとルール地方(1919~1923 年)」(第7部第 19 章)といった,両国間に横たわるテー マ,課題も取り上げることが可能になっていくのではないだろうか。 日本でも,長く歴史教育者の間で,歴史教育において歴史的思考力をいかに養うかをめぐり,そ
の方法と実践が模索されてきた。他方,今日の私たちを取り巻く状況をみれば,2016 年 12 月の 次期学習指導要領に関する中教審答申(中教審第 197 号)は,高校地歴科において,新たに必修 科目として「歴史総合」(2単位)を設置する一方,世界史を必修から外し,それぞれ3単位の「世 界史探究」と「日本史探究」を導入する方向を打ち出した。そのなかでは,「諸資料から情報を効 果的に収集し,読み取り,まとめる技法」,あるいは「考察・構想したことを適切な資料・内容や 表現方法を選び効果的に説明したり,それらを基に議論したりする力」を生徒が身に付ける必要も 示されている。自国史と世界史を分けない「歴史総合」の登場は,それ自体は歓迎すべきことであ るし,上記の「身に付けるべき力」に異論があるわけでもない。だが,「歴史総合」と「世界史探究」 は,その構成いかんによっては,世界(史)への視野が大きく損なわれかねないことが関係者の間 では危惧されている。 近年,日本の高校世界史は,「世界史未履修問題」や,内容への負担感からの世界史離れなど, 多くの問題に直面してきた。これに対しては,教科書の用語の精選などの新たな試みも始まってい る。だが,この『ドイツ・フランス共通歴史教科書』を前にしたとき,同じ中等教育段階の歴史教 科書として,日本の歴史教科書の内容は多すぎるのかと,素朴に思ってしまう。もとより,制度が 全く異なる中での単純な比較は控えるべきだし,何よりこの問題に関しては,大学の入試問題が大 きな障害となっている。しかし,2014 年 12 月の中教審答申(中教審第 177 号)以降,高大接続 の改革が問題となり,高校地歴科の新たな教科も始まる今,私たちは歴史教育のあり方を根本的に 問い直す絶好の機会に立っているといえるだろう。そのさい本書は,そのことを考えるさまざまな 材料を提供してくれている。 すでに述べた通り,1980 年代以来,日本でも国際的な歴史教科書改善運動,とりわけヨーロッ パにおける試みは関係者の間で広く知られるようになり,東アジアでも,同様の試みを実践しよう とする研究者・教育者の相互交流・会議が始まった。特に 1990 年代以降になると,制度面などの 実現の壁の前で,共通教科書作成というわけにはいかなかったけれど,それを前提とした共通教材 の作成が,日韓,あるいは日中韓の間で行われた4。それらは,確かに一定の成果を世に問うたと いえるのかもしれないが,その後,東アジアにおける国際的な歴史教科書改善運動はどのように進 んできているのだろうか。一部には,それを引き継ぐ出版もみられるが5,評者は寡聞にしてそれ を十分に辿ることができていない。歴史共通教科書の作成であるかどうかは別にして,本書が第二 次世界大戦前からの息の長い独仏間の歴史教科書改善の努力を背景にしていることを考えれば,東 アジアにおいても歴史教科書をめぐる対話と改善努力は一過性のもので終わることなく,不断の継 続的努力を必要とする。 評者は,共通歴史教科書作成については,長い間やや懐疑的であったが,少なくともこの『ドイ ツ・フランス共通歴史教科書』に関して言えば,その優れた特徴を認めざるを得ない。それはひと
つには,既に述べたように,本書が多くの資料を取り上げ,それを生徒自身が主体的に利用し,考 え,判断するといったつくりになっていることにある。しかし,このような共通歴史教科書が可能 となったのは,ある意味ではドイツ・フランスの間だからできたと,言えなくもないだろう。確か に,本書で取り上げる 19 世紀以降,ドイツとフランスの間にはいくたびかの戦争と対立があった。 しかし同時に,両国はその近代化の過程の中で多くの比較可能な面を持っていたのである。これに 対して,ドイツ・ポーランド間では共通教科書は近現代史をどのように描くことができるのか。い ずれにしても,私たち自身の問題も含めて,このような運動を注視し,それぞれが関わっていく必 要があるのではないかと考えている。 註 (1) 近藤孝弘『ドイツ現代史と国際教科書改善-ポスト国民国家の歴史意識』(名古屋大学出版会,1993 年)。 (2) 西川正雄「教科書改善の国際協力-西ドイツ=ポーランド教科書会議」比較史・比較歴史教育研究会編『自 国史と世界史-歴史教育の国際化をもとめて』(未来社,1985 年),305 - 330 頁。
(3) 現在,評者の手元にあるのは,ドイツ語版の,Gemeinsame Deutsch-Polnische Schulbuchkommission (Hg.), Europa: Unsere Geschichte, Bd.2, Neuzeit bis 1815 (Wiesbaden, 2017).
(4) その成果としては,たとえば,歴史教育研究会(日本)/歴史教科書研究会(韓国)編『【日韓歴史共通教材】 日韓交流の歴史:先史から現代まで』(明石書店,2007 年),日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひら く歴史:東アジア3国の近現代史』(高文研,2005 年),歴史教育者協議会(日本)・全国歴史教師の会(韓 国)編『向かい合う日本と韓国・朝鮮の歴史 前近代編』上・下(青木書店,2006 年)。