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〔評定所文書覚書(7)〕評定所文書にみる浦添: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

〔評定所文書覚書(7)〕評定所文書にみる浦添

Author(s)

金城, 功

Citation

浦添市立図書館紀要 = Bulletin of the Urasoe City

Library(8): 36-38

Issue Date

1997-03-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/23328

(2)

〔評定所文書覚書(7)

評 定 所 文 書 に み る 浦 添

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浦添市立図書館では現在「琉球王国評定所 文書』の編集刊行をすすめている。

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月末に、 『琉球王国評定所文書』第

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巻を刊 行し、編集は計画通り順調に進捗している。 『琉球王国評定書文書」に収録されている文 書記録は、咸豊

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年=安政

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年)の ものである。

金 城 功

御物奉行 右通有之候間無間違相達候様可被申渡候。 以上。 辰六月十六日 取納奉行 大田親雲上 宮平親方 それは、幕末期の文書記録であり、それを 牧港橋の南の方にある洞穴から我如古村に 通して異国船の渡来、異国人の滞在が琉球王 硫黄を持ち運ぶように指示されているが、異 国の諸々の面に影響を及ぼしていたことを知 国人に見られては困ることになるので、持ち ることができる。異国人の滞在が、当時の浦 運びの通路にあたる村々の辻々に遠目附を配 添間切にどうのような影響を与えたのか、 置し。異国人が行きかようようなことがあれ 『琉球王国評定所文書』第

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巻から浦添間切 ば、すぐに詰めている役人、運搬にたずさわっ に関する文書記録を抜き出して考えてみるこ ている人に知らせるようにしなさい。そのこ とにする。 とについて浦添間切へ通達するように取納奉 行へ伝えなさい、と御物奉行あての文書であ

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る。 『琉球王国評定所文書』第

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巻には、浦添 それをうけて御物奉行は、取納奉行に相違 間切についての文書記録が何点か収録されて なく浦添間切へ伝えるように、と文書を発っ いるが、その中から硫黄のことを取り上げて していることになる。 みることにする。 ( ア) 明十七日牧湊紅南表之洞

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我如古村江硫 碩持越被仰付候処、異国人目二懸リ候而 者差障候間、通路筋之村ヽ掟頭ヽ辻いI 遠目附置異国人来候ハヽ、早速右場書江 詰居候役ヽ井持越候者共江致通達候様、 浦添間切江可申渡旨取納奉行江可被申渡 候。以上。 辰六月十六日 見里親雲上 亀川親雲上 ( イ) -36-覚 夫五人 但、石細工勝手之者 右者浦添間切牧港湊紅南表之洞江格護被 仰付置候生硫確、明十七日硫碩焼方江渡 方被仰付候間、同日早朝さはくり井所 之掟頭ヽ宰領二而彼之所江差越居申口方 筆者罷下候ハヽ、引合相勤候様可相渡旨 取納奉行江可被申渡候。以上。 辰六月十六日 里見親雲上

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亀川親雲上 御物奉行 右通有之候間浦添間切堅可被申渡候。以 上。 辰六月 取納奉行 大田親雲上 宮平親方 石細工に秀でた者

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名を浦添間切から出す ようにとの文書である。

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日の早朝にさはく り等の宰領で、彼の所(牧港南表の洞穴)へ 連れていき、申口方筆者の指示で仕事に従事 させるようにとのことである。 『琉球王国評定所文書』第12巻の198Pと 199Pには、上記文書と同じ内容ののが収録 されている。牧港の洞穴から運び出した日に ちが違っているだけである。 1800年代の後半の時期には、牧港橋近くの 洞穴に生硫黄が保管されており、焼調えのた めに我如古村に運ばれていたことがわかる。 『琉球王国評定所文書』第12巻の262Pに は、我如古村での硫黄の焼調えのために必要 な物資の調達のことと共に、硫黄の精製がお こなわれたために生じた作物への被害のこと が記されているc即ち 役ヽ衆井焼人共多人数御差越御宿掠又者 御所望野菜・薪木其外諸雑費者勿論焼調 方之側、村中用水差支候上硫碩洗水田畠 杯,l流落作毛之障二茂相成候段、彼ノ村 申出趣有之候付、去子年一往御断之願為 申上事御座候得共御取揚無御座、云々 とある。 硫黄の焼調えのために、我如古村では、硫 黄の洗水が田畠に流れ込み、作毛に支障をも たらしていたことを伝えている。即ち硫黄の 焼調えのために生じた水によって農作物への 被害があったことを伝えている。今でいえば、 「硫黄公害」ということになる。 硫黄精製のために多人数の人々が集められ たため必要なものの調達で、宜野湾が困って おり、浦添・西原・宜野湾・中城の四ケ間切 で負担するようなことになっている。 浦添の牧港橋近くの洞穴に硫黄が保管され、 我如古村で硫黄の焼調えがおこなわれるよう になったのは、異国人の琉球滞在にその原因 があることが、文書を読めば分かって来る。 もともと硫黄の保存、精製は泊で行なわれて おり、異国人の滞在という異常な状況の中で 牧港での保管となり、我如古での精製となっ たことになる。 泊で硫黄の焼直しがおこなわれていたこと は、 「近世地方経済史料』第

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巻の「古老集 記類の二」 (360P)に、次のような記録が ある。 鳥島船之俵、毎年二三月比硫黄積登、五 六月比には飯来積入帰島いたし候。琉球 ヘ積渡候は、於レ泊焼直申候。 但飯米は人数高に1芯じ、船手より相渡 候事。 硫黄の焼直は泊において行なわれていたこ とが、上記の史料で分かる。保存のことにつ いては直接記されてないが、前掲の史料を素 直に読むと、生硫黄保存も同じく泊において なされていたことになる。 では何故硫黄を浦添の牧港の洞穴に保存し、 宜野湾の我如古村で精製したのかということ になるが、それは『琉球王国評定所文書』第 12巻に収録されている文書・記録にみること ができるように異国人の滞在にあったことに なる。王府は、硫黄の保存と精製を異国人の 目にとどかないところでおこないたかったこ とになる。その場所に選ばれたのが浦添であ り、宜野湾であったことになる。

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次に漂流朝鮮人とのかかわりで見ることに する。 (ウ) 漂流朝鮮人共召置候木屋之儀磯近二而冬 向寒気強可有之候間、泊頭取申談牧湊村 後去年唐人等召置候所江木屋作替召移候 様、最寄之間切江可被申渡旨御差因二而 候。以上。 辰十一月廿七日 御物奉行 阿波根親雲上 右通有之候間最寄之間切々々江堅ク可被 申渡候。以上。 十一月廿七日 嘉手納親雲上 嘉味田親方 取納奉行 (エ) 此節漂着朝鮮人之儀漁猟人之由二而釣具 等所持有之、就而者万一磯辺江走出漁猟 としてくり舟伝間等江乗り方ヽ漕出候儀 茂難計候間、右者共木屋近辺伝間くり舟 等格護方可入念旨、浦添.宜野湾間切江 可被申渡候。此旨御差図二而候。以上。 辰十一月廿七日 阿波連親雲上 御物奉行 (ウ) 漂着朝鮮人に提供している家は浜の側に あり、冬場に向うと寒さが厳しくなるので、 唐人が住まっていた牧港村の後の方に木屋を 作り移すことにした。そのことについて、浦 添に近い間切々々に伝えるようにとの文書で ある。 また、(エ)の文書は漂着朝鮮人は漁猟する人 たちであり、くり舟や伝間に乗って海にでる ようなことがあっては困るので、浦添とその 隣りの宜野湾間切にくり舟・伝間の管理をき ちっとするようにと、指示した文書である。 漂着した人たちは、普通泊に木屋を作り、 そこに住んでもらっているのだが、

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年辰 年に漂着した朝鮮人は牧港に宿泊所が与えら れている。前の年の卯年には中国人も牧港に とめおかれていたことが、

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ゥ)の文書から分か る。文書には直接的に異国人のことが記され てないが、他巻の文書・記録に目を通すと、 異国人とのかかわりで漂着した中国人や朝鮮 人を牧港に住まわせ異国人の目から隔離して いたことになる。

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硫黄と漂流朝鮮人にかかわる以外の浦添関 係記事が、 『琉球王国評定所文書j第

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巻に は収録されているが、あえて硫黄と漂流朝鮮 人を取り上げたのは王国時代に浦添はどのよ うな役割を担わされていたかを考えてみたかっ たためである。 結論を先にいえば、浦添間切は異国人の渡 来、滞在時に緊急避難所的な役割を担わされ ていたのではないかということである。 もともと泊で処理されていた硫黄や漂着人 の保護にかかわることが、異国人の滞在によ り泊周辺ではその業務の遂行ができなくなっ た。が、王府としては硫黄の保存。精製、漂 着人の保護の業務は放置できないものであっ た。ために、泊の役割を浦添に移したことに なる。その際、何故浦添なのかということに なるが、浦添が首里、泊から近いということ と共に、当時の交通事情からやすやすと異国 人が行けないということもあったのではない か。異国人が浦添に足をふみいれた場合でも 監視のしやすいということがあったものと思 う。 浦添には硫黄を運ぶための港もあり、泊に かわり得る条件を備えていたことになる。 『琉球王国評定所文書』を読む一つのきり ロとして異国人渡来・滞在時の浦添を紹介す ることにした。

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