研究ノート オリエント 60–2(2017):184–195
エジプト,ルクソール西岸アル=コーカ地区,
ウセルハト墓上部の石灰岩チップ層から出土した
新王国時代の土器群について
The Pottery from Layer of Limestone Chips
above the Tomb of Userhat at al-Khokha Area
in the Theban Necropolis, Egypt
高 橋 寿 光*
TAKAHASHI Kazumitsu
ABSTRACT This paper aims to examine the pottery dating to the reign of Amenhotep III in a layer of limestone chips which had accumulated above the tomb of Userhat, Overseer of King’s Private Apartment under Amenhotep III, at al-Khokha area in the Theban necropolis, Egypt, in order to understand how the pottery was used at the tomb. The chisel marks on the limestone suggest that the layer of limestone chips above the tomb of Userhat had been deposited as debris from the tomb construction. Furthermore, the location and direction of the layers show that the limestone chips origi-nated from surrounding tombs constructions, the most probably from the tomb of Userhat. Therefore, the pottery from this layer is assumed to be related to the tomb construction activities.
The pottery vessels from the limestone chips layer are classifi ed into two groups: the vessels associ-ated with the actual construction of the tomb, such as plaster containers and lamps, and the vessels related to the tomb construction rituals, such as red slipped lids and dishes, white washed bowls with burned traces and a blue painted pottery jar. It has been generally recognized that the ritual pottery vessels from tombs were used in funerary rituals or in cults carried out subsequently at the tomb. However, the pottery above the tomb of Userhat is related to the tomb construction activities, hence, it seems that those pottery vessels were used in the tomb construction rituals. Little is known about tomb construction rituals at private tombs so far, and the study of pottery above the tomb of Userhat has revealed new possibilities of tomb construction rituals.
キーワード:新王国時代,ルクソール西岸,土器の使用方法,墓造営の職人,墓造営の儀式 I.はじめに エジプト,ルクソール西岸のアル=コーカ地区に位置するアメンヘテプ3世時代のウセルハト墓 (TT47)における2010年度の発掘調査によって,墓上部に堆積する石灰岩チップ層から,同時期の 土器群が発見された(図1,2;近藤他2012, 9)。石灰岩チップ層は後世の攪乱を受けていないこと から,発見された土器群は当時の活動の様子をよく示していると考えられる。本稿では,ウセルハ * 東日本国際大学エジプト考古学研究所客員講師
ト墓上部から発見された土器群の検討から,土器群がどのように使用されたのかを明らかにするこ とを目的とする。 ウセルハトは新王国時代第18王朝のアメンヘテプ3世の「後宮の長官」などを務めた人物である。 その墓は当時の重要な墓のひとつとして知られており,宰相のラモーゼ墓(TT55)や王妃の執事 のケルエフ墓(TT192)などのような,アメンヘテプ3世治世後半に見られるレリーフ装飾と列柱 を備えた大型の高官墓である。 ウセルハト墓は,ラインド(A. H. Rhind)やカーター(H. Carter)などの報告により19世紀か らその存在が知られていたものの(Rhind 1862, 137; Carter 1903, 177–178, pl. II),その後,厚い堆 積に覆われ,正確な位置すら不明となっていた。2007年から早稲田大学エジプト学研究所によって
調査が開始され,2009年に約100年ぶりに再発見された(近藤他2010; Kondo and Kawai 2017 1 )。
II.石灰岩チップ層から出土した土器群の概要 1.土器群の出土状況 ウセルハト墓上部に堆積する石灰岩チップ層から出土した土器群は,後に述べるように,新王国 時代第18王朝後期のアメンヘテプ3世のマルカタ王宮,アクエンアテンのアマルナ王宮から出土し た土器に多くの類例を持つことから,アメンヘテプ3世からアクエンアテンの治世に年代づけるこ とができる。これはウセルハト墓の造営時期と一致している。また,石灰岩チップ層の下の層からは, 第18王朝中期の土器が出土しており,更に,石灰岩チップ層自体からも第18王朝後期以降に年代 づけられる遺物が発見されていないことから,この層は当時のままの手つかずの層である可能性が 高いと考えられる。 層を構成する石灰岩チップ自体に鑿痕が確認されたことから,この石灰岩チップ層は,周辺の岩 窟墓の造営のために石灰岩の岩盤を掘削し,掘削排土を廃棄した結果,形成されたものと考えられ た。石灰岩チップの堆積の様子を観察すると,東側(ウセルハト墓の前庭部側)から投げ込まれて, 小山状に堆積したという様子が観察された(図3)。 土器の年代,堆積場所や堆積の方向から,現在のところ,石灰岩チップ層はウセルハト墓造営の 際の岩盤の掘削排土の可能性が高いと考えられる(近藤他2012, 9)。従って,本稿では,石灰岩チッ プ層に含まれる土器群は,この掘削活動に関連するものと考えたい 2 。また,石灰岩チップ層から出 土した土器群は,一か所にまとまって出土するというのではなく,石灰岩チップ層全体から概ね偏 りなく出土している。 石灰岩チップ層からは,土器以外にバスケット片,縄,黒インクで人物が石灰岩片に描かれたオ ストラコンなどが発見された(近藤他2012, 9)。同じように土器とともにオストラコンが発見され ( 1 )ウセルハト墓の発掘調査は,科学研究費基盤研究(A)「エジプト,ルクソール西岸の新王国時代岩窟墓の形 成と発展に関する調査研究」(研究代表者:近藤二郎・早稲田大学教授)などの助成を受け,2017年1月までに10 回の調査が実施されている(調査隊隊長:吉村作治・東日本国際大学学長,現場主任:近藤二郎)。 ( 2 )その他,岩盤の掘削排土の由来の候補としては,2013年度に発見されたウセルハト墓前庭部に位置する岩窟 墓(KHT01)なども挙げられる(近藤他2015, 23–26)。更に,その他の周囲の未知の第18王朝後期の墓の掘削排 土に由来する可能性なども考えられるが,現状ではウセルハト墓と関連すると捉えたい。仮に掘削排土がウセルハ ト墓以外の墓に由来するものであっても,土器群が掘削活動に関連するものとして,論を進めていくこととする。
た例としては,サッカラのパセル墓,ティアとティアの墓などが挙げられる。これらの例では,土 器片に黒インクで人物の顔などが描かれたオストラコンが,プラスターや顔料の入った土器ととも に,同じ層から発見されていることから,墓を造営した職人,労働者に関連する遺物と考えられて
いる(Bourriau and Aston 1985, 47; Aston 1997, 94)。
2.土器群の代表的な器形 石灰岩チップ層から出土した土器群を整理した結果,以下の土器が代表的な器形として確認され た 3 。なお,どの器形の土器が何個体あるかという全体的なカウントは終了していないものの,これ までの整理の結果,ここで挙げる土器の構成は,概ね土器群全体の構成を反映していると考えられ る 4 。 蓋(図4.1) 口径:10.0 cm 高さ:2.1 cm 胎土:Nile B2 外面に赤色スリップが塗布されている。 皿形土器(図4.2) 口径:10.9 cm 高さ:2.4 cm 胎土:Nile B2 類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 1.c)などにある。 皿形土器(図4.3) 口径:12.9 cm 高さ:3.2 cm 胎土:Nile B2 内面から外面の口縁までに赤色スリップが施されている。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 1.g),アマルナ王宮(Rose 2007, no. 78)などにある。 皿形土器(図4.4) 口径:31.4 cm 残存部高さ:9.3 cm 胎土:Nile B2 白色プラスターが内外に付着していることから,プラスター容器として使用されたと考えられ る。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 1.l, m),アマルナ王宮(Rose 2007, nos. 112, 113) などにある。
碗形土器(図4.5) 口径:19.2 cm 高さ:7.1 cm 胎土:Nile B2
内外面に白色スリップが塗布されている。古代エジプトにおいて白色スリップは清めを意味 すると考えられ,しばしば儀式用の土器に用いられている(Hulin 1984, 165–177; Seiler 1995,
185–203)。内部には火を焚いた痕跡と燃えかすが付着しており,何らかの儀式の痕跡と考えら
れる。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 1.j),アマルナ王宮(Rose 2007, nos. 85, 86)など にある。
波状頸部壺形土器(図4.6) 最大径:8.6 cm 残存部高さ:10 cm 胎土:Nile B2
表面にはクリーム色のスリップが施されている。波状頸部壺形土器は,主にルクソール西岸の 岩窟墓の中庭やシャフトから発見されることから,墓における埋葬時もしくは埋葬後の儀式に 使用されたと考えられている(Seiler 1995, 187)。類例はルクソール西岸のクヌムメス墓(TT253)
(Rose 1996, pl. 65.81),センネフェル墓(TT99)(Rose 2016, fi gs. 264, 272.III.7)などにある。
( 3 )土器の胎土に関しては10倍のルーペによる観察を行い,エジプトの胎土分類システムのウィーン ・ システム
を参照し,記述を行った(Nordström and Bourriau 1993)。土器の器形分類に関しては,最大径と高さの関係の数
値に基づいた器形分類をもとに,エジプトの土器研究で一般的に用いられている英語名称を日本語に訳し,名称を 付した(Aston 1998, 41–52)。
(4 )土器の整理作業は,現在進行中であり,器形,胎土,表面調整などを基準とした土器の分類が完了している。
短頸壺形土器(図4.7) 口径:8.7 cm 最大径:14.3 cm 高さ:21.8 cm 胎土:Nile B2 外面に赤色スリップが塗布されている。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 3.f),アマルナ 王宮(Rose 2007, nos. 404, 405)などにある。 短頸壺形土器(図4.8) 残存部最大径:16.3 cm 残存部高さ:15.7 cm 胎土:Nile B2 クリーム色の下地のスリップに青,赤,黒による植物文様の装飾が施された「青色彩文土器」 である。施された文様はアメンヘテプ3世時代に特徴的な文様である(高橋2009, 106–110)。 類例はアメンヘテプ3世王墓(Takahashi 2016, fi g. 4.3),マルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 10.b), アマルナ王宮(Rose 2007, no. 407)などにある。 壺形土器(図4.9) 口径:9.6 cm 残存部高さ:4.9 cm 胎土:Nile B2 いわゆる「ビール壺」と呼ばれる壺形土器の口縁部である。ビール壺は供物用の容器として知 られている(Aston 2011, 219)。外面に泥の付着が見られる。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 3.a)などにある。 壺形土器(図4.10) 口径:12.6 cm 残存部高さ:8.2 cm 胎土:Nile B2 同じく「ビール壺」と呼ばれる壺形土器の口縁部である。内外面に泥の付着が見られる。土器 の内容物としての泥は,疑似供物であることが知られており(Bárta 2003, 30; Rzeuska 2011, 831),ここでもその可能性が考えられる。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 2.f),王家の 谷(Aston 2015, pl. 10.103)などに見られる。 壺形土器(図4.11) 残存部最大径:11.8 cm 残存部高さ:9.4 cm 胎土:Nile B2 同じく「ビール壺」と呼ばれる壺形土器の底部である。内部には灰色の物質(何らかの飲料物 の残滓?)が付着している。同じような内容物の付着はアマルナ王宮の出土例でも報告されて おり(Rose 2007, 100),ビール壺にしばしば見られるものである。 壺形土器(図4.12) 最大径:16.3 cm 残存部高さ:15.5 cm 胎土:Nile B2 「ビール壺」と呼ばれる壺形土器の底部である。底部には孔が空いている。内部には泥の塊が残っ た状態で発見され,同じく疑似供物の可能性が考えられる。 大型壺形土器(図5.1) 口径:15.2 cm 最大径:25.0 cm 残存部高さ:51.5 cm 胎土:Nile B2 外面にはクリーム色のスリップが塗布されている。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 3.g) などにある。 アンフォラ(図5.2) 残存部最大径:14.1 cm 残存部高さ:25.0 cm 胎土:Marl D ワインを納めるアンフォラの底部である。内外面,断面に煤が付着していることから,アンフォ ラの底部をランプとして再利用した可能性が考えられる。また,所々に黄色顔料の付着も見ら れる。アンフォラの類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g. 7.a, b),アマルナ王宮(Rose 2007,
nos. 587–590)などにある。また,土器をランプとして再利用した例は,サッカラのティアとティ アの墓からも出土している。墓を造営した職人,労働者に関連する遺物と考えられている(Aston 1997, 94)。 長頸アンフォラ(図5.3) 残存部最大径:19.2 cm 残存部高さ:18.9 cm 胎土:Marl D 片側に把手の付いたアンフォラである。内外に黒色の物質(おそらく樹脂?)が付着している。 頸部の付け根には意図的に削り整えた痕跡が見られる。ワインを入れる容器であったものを黒 色の物質を入れる容器として再利用したと考えられる。類例はマルカタ王宮(Hope 1989, fi g.
6.f),アメンヘテプ3世王墓(Takahashi 2016, fi g. 7.1),アマルナ王宮(Rose 2007, nos. 569, 570)などにある。 III.石灰岩チップ層から出土した土器群の使用方法 ウセルハト墓上部に堆積した石灰岩チップ層から出土した土器群の分析を行ったところ,使用方 法によって,以下の2つのグループに分けることができた。 1.墓造営の際に職人や労働者によって使用された土器群 1番目のグループの土器群は,プラスターを含む壺形土器(図4.4),煤の付着したアンフォラ(図 5.2),黒色物質が付着し再利用の痕跡のある長頸アンフォラ(図5.3)などである。これらの土器群 は,プラスターを含むことやワイン壺として利用されていたアンフォラがランプや黒色の物質を入 れる容器として再利用されていることなどが特徴であり,墓造営の際に職人や労働者によって使用 された土器群と考えられる。 類似した例は,ルクソール,王家の谷のアメンヘテプ3世王墓の外部から出土した土器群に見ら れる。アメンヘテプ3世王墓外部からも,顔料,プラスターなどが入った皿形土器,壺形土器やワ イン壺であったアンフォラをプラスター容器として再利用した土器などがあり,これらは王墓造営 の際に職人や労働者によって使用された土器群と考えられる(Takahashi 2016, 200–201)。また,サッ カラのパセル墓,ティアとティアの墓などでも,煤の付いたランプ,顔料やプラスターの入った 土器などがまとまって出土している。煤の付いたランプ,顔料,プラスターなどが入っていること などから,墓造営の際に職人や労働者によって使用された土器であると考えられている(Bourriau
and Aston 1985, 47; Aston 1997, 94)。
2.墓造営の際の儀式に使用された土器群 2番目のグループは,赤色スリップの施された蓋(図4.1),皿形土器(図4.2),赤色スリップの 施された皿形土器(図4.3),白色のスリップで覆われた碗形土器(図4.5),波状頸部壺形土器(図4.6), 赤色スリップの施された短頸壺形土器(図4.7),青色彩文土器(図4.8),ビール壺(図4.9-12),大 型壺形土器(図5.1)などである。 前述したように,白色のスリップで覆われた碗形土器の内部には火を焚いた痕跡と燃えかすが付 着し,波状頸部壺形土器,赤色スリップの施された土器,青色彩文土器,ビール壺などは,儀式用 の土器として知られているなど,儀式に用いられた土器群との関連が指摘できる。 更に,土器の構成を見ても,礼拝所おいて儀式に使用された土器群の構成に類似している。例え ば,新王国時代のサッカラのホルエムヘブ墓,パセル墓,イウルウデフ墓などの礼拝所と埋葬室に おける土器の構成の比較を行ったボリオウ(J. Bourriau)とアストン(D. A. Aston)によって,礼 拝所で儀式に使用された土器群と埋葬室で副葬品として使用された土器群との違いが指摘されてい
る(Bourriau and Aston 1985, 50–51; Aston 1991, 53–54)。
きる胎土で作られ,器形が小型から中型の蓋,皿形土器,壺形土器に限られていることから,貯蔵 のためではなく,儀式のために食べ物や飲み物を供えるための容器であったと考えられている。ま た,赤色スリップや青色彩文土器が約30∼70 %含まれている点も特徴として挙げられている。一 方で,埋葬室の土器群は,主に砂漠から入手するマール胎土で作られた大型壺形土器,瓶形土器, フラスコ,アンフォラなどの貯蔵用の土器で構成されていることが特徴である。その他,アブ・シー ル南丘陵遺跡の新王国時代の礼拝施設において儀式に使用された土器群も蓋,皿形土器,壺形土器, 赤色スリップの土器,青色彩文土器,大型壺形土器などで構成されており,2番目のグループの土 器群と類似している(高橋2008)。 以上から,2番目のグループの土器群は,墓における儀式に使用されたと考えられる。ここで, これまでの研究では,墓から出土した儀式関連の土器群は,埋葬時や埋葬後における埋葬儀式に使 用されたもの,と考えられてきた(cf. Bourriau and Aston 1985, 51)。一方で,ウセルハト墓の例では, 岩窟墓造営の掘削排土である石灰岩チップ層から出土している。造営活動に関連すると考えられる ことから,埋葬よりも前段階の墓造営の儀式に用いられた可能性が考えられる。 古代エジプト新王国時代における墓造営の際の儀式としては,王家の谷の王墓において,土器 などを定礎具として埋納する例があり,地鎮祭のような儀式が行われていたことが知られている (Weinstein 1973 5 )。ただし,これまでウセルハト墓のような高官墓において定礎具などは発見され ておらず,王墓以外の高官墓における墓造営の儀式については,あまり認識されてこなかった。ウ セルハト墓の例を踏まえると,王墓のように定礎具を埋納することはないものの,高官墓において も墓造営に伴って何らかの儀式があり,2番目のグループの土器群はその儀式において使用された 可能性が考えられる。 IV.おわりに 本稿では,アメンヘテプ3世時代のウセルハト墓上部に堆積する石灰岩チップ層から出土した同 時期の土器群を対象に,土器がどのように使用されていたのかを明らかにすることを目的として考 察を行った。考察に際しては,ウセルハト墓上部に堆積する石灰岩チップ層を,堆積状況などから ウセルハト墓に由来する掘削排土と判断し,そこに含まれる土器群が墓の造営活動に関連するもの と考えた。考察の結果,土器群を「墓造営の際に職人や労働者によって使用された土器群」と「墓 造営の際の儀式に使用された土器群」の2つに分けることができた。これまでの研究では,墓で発 見される儀式に使用された土器群は,墓の埋葬儀式に関連するものと考えられていた。ただし,当 遺跡の出土例では,土器が墓の造営活動に関連することから,墓造営に関連する儀式に使用されて いたと解釈した。これまでウセルハト墓のような高官墓の造営に関連する儀式については不明な点 が多く,新たな可能性を提示することができた。 ( 5 )その他,古代エジプトでは,神殿を建設する際の一連の儀式が図像資料からよく知られている。神殿の建 設に際しては,縄張り,基礎溝の掘削,基礎溝への砂の散布,日乾レンガの製作,定礎具の埋納,ナトロンの散 布,石材の設置,神殿の神への奉納,完成後の供物奉納などの儀式があったことが知られている(Cauville 2012, 263–268)。この中で,考古学的証拠としてよく発見されるのは,埋納された土器などの定礎具である。例えば,ル クソールのトトメス3世神殿における例などがある(Seco Álvarez et al. 2014)。
本稿では,ウセルハト墓上部に堆積する石灰岩チップ層を,堆積状況からウセルハト墓に由来す る掘削排土と判断し,そこに含まれる土器群が,仮に石灰岩チップ層がウセルハト墓以外の墓の掘 削排土であっても,掘削活動に関連するものと考えた。ただし,土器群が掘削活動に関連するとい う点については,完全に証明することは難しく,その他の可能性としては,他の第18王朝後期の墓 の埋葬儀式に使用された土器が,ウセルハト墓の掘削排土とともに廃棄されたという可能性も考え られる 6 。本稿ではこうした別の可能性も考慮に入れたうえで,土器群が掘削活動に関連すると考え, 墓造営の際の儀式に使用された土器群が存在する可能性を提示した。 本考察結果を踏まえ,これまで他遺跡において埋葬儀式に使用されたと考えられてきた土器群に ついても,その出土状況などを再検討することで,墓造営の儀式に使用された土器群と判断される 場合もあると考えられる。例えば,サッカラのティアとティアの墓では,岩盤の掘削排土に混じって, 顔料,プラスターの含まれた土器片,ランプなどとともに,蓋,壺形土器,青色彩文土器などが出 土している(Aston 1997, 94)。ウセルハト墓と類似した出土状況,土器の構成などから,墓造営の 儀式に使用された土器群が含まれている可能性が考えられる。 謝辞 本稿を著するにあたり,資料発表の許可をいただいた吉村作治東日本国際大学学長,近藤二郎早稲田大学教授に感 謝いたします。また,河合望金沢大学准教授,柏木裕之東日本国際大学客員教授にご助言いただきました。ここに記 して感謝いたします。 参照文献
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(6 )ただし,先に述べたように,ウセルハト墓上部の石灰岩チップ層の例では,層全体から出土しており,埋葬儀
式に使用された土器群の出土状況とは異なる。埋葬儀式に使用された土器群の出土状況は,サッカラなどにおける
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図1 ウセルハト墓と石灰岩チップ層の堆積場所(第9次調査終了時)
1 灰色砂層:砂とシルト状のナイル沖積土で構成される層。近現代の遺物を含む。 2 黄色砂層:砂, 5 cm 程度の石灰岩チップで構成される層。近現代の遺物を含む。 3 近代の構築物 4 石灰岩チップ層 1 : 5 ∼ 20 cm 程度の石灰岩チップ,砂,日乾レンガなどを含む層。主に第 19 王朝以降の土器が出土。 5 石灰岩チップ層 2 : 5 ∼ 10 cm 程度の石灰岩チップと砂で構成される層。硬くしまっており,ある時期に地表面として露出していたと考えられる。 6 石灰岩チップ層 3 : 5 ∼ 20 cm 程度の石灰岩チップと砂で構成される層。この層から,本稿で考察の対象とする第 18 王朝後期の土器が出土。 7 黄色細砂層:風成の自然堆積の層。この層の直上より,第 18 王朝中期の土器が出土。 8 岩盤:ウセルハト墓の前室 図 3 ウセルハト墓上部のセクション図