特集:デジタルアーカイブの実技
1.
はじめに
本稿では、歴史資料、特に紙資料のデジタル化の課 題について、いくつかの事例紹介とともに述べる。そ の際、被災資料レスキューや文化財修理とも関係させ て論じる。 なお、事例紹介部分の根拠について、2 の京都府行 政文書に関しては、京都府立総合資料館歴史資料課編 2008『京都府行政文書を中心とした近代行政文書につ いての史料学的研究(科学研究補助費(基盤研究(B) 17320101)研究成果報告書)』や福島幸宏 2009「京都 府行政文書の重要文化財指定と課題」『アーカイブズ』 36、3 の東寺百合文書に関しては、福島幸宏 2014「京 都府立総合資料館による東寺百合文書の WEB 公開と その反響」『カレントアウェアネス-E』259[1]や京都 府立総合資料館歴史資料課 2015「<業務報告>東寺 百合文書のデジタル化とウェブ公開について」『資料 館紀要』43、福島幸宏 2015「歴史資料のデジタル化 とオープンデータ化の実際と理念」『情報の科学と技 術』65-12 を参照されたい。歴史資料のデジタル化
–いくつかの事例をもとに–
Digitization of Historical Materials - Based on Some Case
Studies
抄録:歴史資料、特に紙資料のデジタルデータ作成とデジタルアーカイブ構築について、筆者が直接関わった、京都府行政文書と 東寺百合文書の事例を紹介しつつ、その課題を述べる。京都府行政文書は修理事業にともなってデジタルデータを作成し、東寺百 合文書は従来の蓄積を活かしてデジタルデータとデジタルアーカイブを構築した。さらに、被災資料レスキューの議論や博物館・ 文化財保護・歴史学で論じられている、文化財修理の現在の動向も紹介し、それらからデジタルアーカイブが学ぶことが多いこと を論じる。Abstract: The author will introduce the cases of Documents of Kyoto Prefectural Government and Toji Hyakugo Monjo, in which the author was
directly involved, and describe the issues involved in the creation of digital data and digital archives of historical materials, especially paper materials. For Documents of Kyoto Prefectural Government, digital data was created as part of the repair project, and for the oji Hyakugo Monjo, digital data and digital archives were created by utilizing the accumulated data. In addition, I will introduce the current trends in the cultural property restoration discussed in the discussions on disaster materials rescue, museums, cultural property protection, and historiography, and argue that digital archives have much to learn from them.
キーワード:歴史資料、デジタル化、京都府行政文書、東寺百合文書、被災資料レスキュー、文化財修理
Keywords: Historical documents, digitization, Documents of Kyoto Prefectural Government, Toji Hyakugo Monjo, Disaster Materials Rescue,
Cultural Property Restoration
2.
京都府行政文書の修理とデジタル化
2.1 京都府行政文書の文化財的修理 京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館) 所蔵の「京都府行政文書」のうち、1946 年度までの 15,407 点が 2002 年に国の重要文化財に指定された。 これにより、はじめて 20 世紀中盤までの紙資料が重 要文化財となった。特に、戦時中に作成され、紙質や 綴り方の問題から保存が特に困難と考えられる 1940 年から 1946 年の簿冊だけでも約 2,500 点を数えてい る点が特徴となっている。 2005 年度から 2007 年度にかけて、近代行政文書に ついて史料学・保存科学の両面からの本格的な研究を すすめるため、文部科学省科学研究費「京都府行政文 書を中心とした近代行政文書についての史料学的研 究」が実施された。この成果を基礎に、2009 年度か らは文化庁補助金を受けた修理事業が開始され、現在 まで継続して実施されている。 この修理事業の特徴は 2 点ある。ひとつは、対象資 料の代替化を修理メニューに加えたことである。修理福島 幸宏
FUKUSIMA Yukihiro東京大学 大学院情報学環
95 95過程でデジタル撮影を行って複製を作成し、それを閲 覧に供することによって原資料の劣化を防ぐ。もう 1 点は、日常の閲覧によって生じる消耗箇所への手当を 継続的に実施した点である。これらは、現在では特に 文化庁補助金事業による近代資料の修理事業の標準メ ニューとなりつつあるが、この事例が最初のものと なっている。 2.2 京都府行政文書の修理とデジタル化の課題 科研費研究や修理事業立ち上げの段階から、そして いくつかの報告[2]を参照すると現在まで、大きく 2 つの課題が継続している。 ひとつは、近代行政文書自体の特異性に起因する。 資料自体がこれまで文化財として取り扱われてこな かった多様で不安定な媒体と記録手段で構成されてい るのである。機械漉和紙・洋上質紙・ザラ紙・青焼・ 薄様等を媒体とし、墨・インク・鉛筆等で記録され、 また、現用文書として使用されていた関係上、100 年 以上前の資料であっても、ホワイト・マジック・スポ ンジ・ビニールなどの新素材によって形態変更が加え られている場合がままある。そして、紙数も多い。文 化財指定分だけでも約 350 万枚の紙から構成されてい るという試算を行ったことがある。また行政文書とい う性格上、権利保障のためにも日々の閲覧に供するこ とが前提となっている。膨大な量・「弱い」資料・日々 の利用などが、資料自体の特異性として指摘できる。 この点に対応し、資料運用の観点を加味して必要最小 限の補修とすること[3]、さらに、必要に応じて大胆な 形態の変更を行う、という従来の文化財修理と大きく 異なる方向が打ち出され、定着しつつある。 一方で、修理過程で作成されたデジタルデータが適 正に扱われているかについては心許ない面がある。京 都府行政文書の修理事業開始の段階から、複製化によ り原本の閲覧制御を行う、という目的もあって、あく まで修理作業の副産物という位置付けながら、閲覧目 的に利用できるデジタルデータが作成されてきた。こ れらはデジタルアーカイブに投入されている場合は、 公開されているという点で、最低限のデータ保存の動 機付と担保がなされていると推測出来るが、制限情報 の確認やデジタルアーカイブの整備状況によって、公 開できないまま、大量のデータがハードディスクなど で納品されたままの状態になっている場合も、京都府 のみならず、各地であるやに仄聞する。せっかくのデ ジタルデータが滅失の危機に瀕している状況があるの である。
3.
東寺百合文書のデジタル化
3.1 東寺百合文書のデジタルデータ化 続いて、東寺百合文書のデジタルデータ化と東寺百 合文書 WEB の構築について述べる。こちらは長期に わたる修理作業が行われていたため、全点を短期間に デジタル化し、web サイト構築にこぎ着けることが出 来た事例である。 対象となったのは、京都市南区の教王護国寺(東寺) に伝えられた文書群で、現在は京都府が所蔵する、奈 良時代から江戸時代初期までの約 1000 年間にわたる 24,147 点の文書である。1997 年に国宝となり、WEB 公開を経て、2015 年にはユネスコの世界記憶遺産(現 「世界の記憶」)となった。巨大寺院かつ有数の荘園領 主である東寺の運営のための事務書類の性格をもつも のであるため、複数の資料を同時に検討することで、 より意味が出る資料群である。 これらの資料にたいして、2013 年 1 月から 2014 年 2 月まで、休止期間を含むため実質 10ヶ月で、全資料 を対象に約 84,000 カットのデジタル化作業を行った。 資料の大きさに合わせて、A2 サイズのブックスキャ ナ 3 台と A1 サイズのブックスキャナ 1 台を、施設の なかの大型資料閲覧等を行うための部屋に持ち込ん で、作業を行った。 その際、実際には撮影作業を進行させながらの工夫 で最終的にたどり着いたものではあったが、以下の点 に留意したことが特徴と言えよう。ひとつは、なるべ く実用的な画像を作成するために、資料の背景に工夫 を凝らしたことである。多くの原紙が古い和紙特有の 紙色であったことから、それにあわせて薄いグレーの 台紙、それも 1 cm 単位の方眼が入ったものとした。こ れは、カラーチャートが随所に入っているとはいえ、な るべく紙色をわかりやすく伝えるためと、直感的に資料 のサイズを把握するため、さらに長時間にわたって資 料を閲覧する際、閲覧者の負担を下げるためであった。 次に、横に長い巻子仕立ての資料などを分割撮影する 場合は、デジタル化に先行して 1990 年代までに行われ ていたマイクロ撮影の際のカット割りを参考に行った。 もちろん裏面の墨付きなどを適宜確認しながらではあ るが、これによって作業効率を大幅に上げることが出 来た。この点、作業者が資料に触れる時間を減らすこ とにも繋がるため、資料保存のためにも重要であった。 つまり、貴重な文化財としての扱いを前提にしつつ も歴史資料として扱うことを重視し、さらになるべく 資料に負担をかけない方法を模索し、その際に従来の 成果を活用して、効率的にデジタル化作業を行ったも のである。 デジタルアーカイブ学会誌 2021, Vol. 5, No. 2 96 963.2 東寺百合文書 WEBの構築 前記の作業によって作成されたデジタルデータを投 入したのが、2013 年 12 月から構築を開始し、2014 年 3 月に公開した東寺百合文書 WEB[4]であった。 このデジタルアーカイブの特徴としては、当時から 各所で採用されていた、スクロールやページめくりな どの特殊な挙動をおこなわないこと、画像のダウン ロードはブラウザに依存し、かつ制限しないこと、さ らに画像の拡大縮小は「大中小」の 3 段階のみの最小 限の機能によったことなどであった。しかし、なるべ く画質の良い画像の搭載と表示のスピードについて は、限られた条件のなかで水準を維持することとし、 ベンダーの努力もあって概ね達成できた。特に工夫し たのはライセンスであった。当時、文化資源への適用 例が少なかった、クリエイティブ・コモンズ・ライセン スを採用して、利活用のルールを明示したのである[5]。
様々な議論を呼んだが、Library of the Year 2014 大賞を 受賞するなど、評価された点もあったと言えよう。 このデジタルアーカイブは、システムを作り込まな い一方で画像の質などを重視し、ライセンスの明示を 試みたことによって、大きな効果をあげたと総括でき る。しかしこれが短期間で可能となったのは、まずは 撮影可能な状態まで整理や修理がされてきたこと、何 度か目録が作られてきていたこと、マイクロ撮影が行 われていたこと、などの長年の蓄積を適切に活かせた からこそであろう。
4.
歴史資料デジタル化のこれから
4.1 被災資料レスキューとデジタル化 1995 年の阪神淡路大震災以降行われるようになっ た被災資料レスキューでは、歴史資料についても大量 のデジタルデータが作成されてきている。しかし、こ れらの活動やデータ運用に本来なら密接な関係を持つ はずのデジタルアーカイブ関係者が実際にコミットす る場面は限られてきた。 その問題意識から、2019 年 3 月のデジタルアーカ イブ学会第 3 回研究大会では、「災害資料保存とデジ タルアーカイブ」という企画セッションを行った[6]。 当日の討論では、若い世代にどのように課題を接続す るか、という議論が深まった一方、デジタルアーカイ ブ側が、まだまだ被災地やレスキュー関係者からの ニーズを把握仕切れず、要請にこたえる準備が十分で ないことも明らかになった。 しかし、例えば全国歴史資料保存利用機関連絡協議 会が岩手県陸前高田市で国文学研究資料館・法政大 学・陸前高田市と連携して行ったレスキューと、その 後の陸前高田市によって継続して行われた被災資料デ ジタル化の成果を考えると、被災資料のレスキューは、 歴史資料のデジタル化作業を凝縮した側面があること も確認出来る[7]。すなわち、被災した資料を撮影可能 な状態にまで整え、デジタルデータ化し、目録化する という一連の作業が、そこでは集中して行われている のである。 東日本大震災の発災から本年で 10 年ということも あり、様々な形で議論がおこるだろう。これらから学 び取れることが多いはずである。まずは小規模な単位 の限られた条件であっても、日常の営為としてのデジ タルアーカイブ構築がどのように可能か、その作業構 築について学びつつ、デジタルアーカイブの知見から の留意点を投げ返す議論が必要ではないだろうか。 4.2 文化財修理への関心の高まりとデジタルアーカイブ また、文化財保護法の制定以来の大改訂が 2019 年 に行われ、博物館法の改定も議論の俎上に上るなか[8]、 博物館・文化財行政・歴史学の分野で、文化財修理に ついての議論に改めて注目が集まっている[9]。 博物館では、2011 年に九州国立博物館で開催され た特別展「守り伝える日本の美 よみがえる国宝」で 文化財保存と修理に徹底して焦点があてられたこと、 そしてこの展示が大成功したことが嚆矢となったと考 えられる。その後も各地で様々な展示が行われ、特に 文化財修理のメッカである京都においては、京都府・ 京都府立大学・京都大学・国宝修理装潢師連盟など が、2016 年ごろから組み合わせを変えつつも連携し て、保存と修理を主題とした展示を連続して行ってい る。非常に興味深く重要な動向であるが、修理作業を 通じて蓄積されたデジタルデータは展示や図録に活か 図1 東寺百合文書(京都府立京都学・歴彩館所蔵)足利直義裁許状案 (ウ函57-4、1349年) デジタルアーカイブ学会誌 2021, Vol. 5, No. 2 97 97されているに留まるように見える。もちろん内部で蓄 積され修理等に活かされるものであるが、今後は様々 な主体がより使いやすくデータ運用することが検討さ れてもよいのではないだろうか。 歴史学の分野では、歴史学研究会が 2020 年 11 月号 と12月号で「特集 文化財の危機と歴史学」を組んだ。 これは、修理の問題も含みつつ、文化政策の動向、遺 構の保存活用、地域での資料保存活動、修理の用具・ 原材料・実技上の問題、公共性をめぐる議論、マイノ リティの文化、博物館の危機、文化財保護行政の課題、 など非常に広範なものであった。デジタルデータ作成 の手法の参考になるという点で、文化財修理について 踏み込んだ紹介と議論が行われていることも注目され る。しかし、デジタルデータを積極的に利活用して、 状況に棹さしていくという積極的な議論は、一部を除 きほとんど確認できなかった。実際に文化財を調査し、 修復する場面では、デジタルデータ抜きでは行えない 状況になっているにもかかわらず。 これら文化財修理や文化財保護の議論にも、デジタ ルアーカイブ分野がより積極的に参入していく必要が ある。
5.
おわりに
以上、事例を紹介しながらるる述べてきた課題は、 自治体史調査等によって大量に作成された歴史資料の デジタルデータの保存・活用の問題とも通底する。デ ジタルアーカイブの議論では、新たにデジタルデータ やデジタルアーカイブを作成することに注目が集まり がちだが、紹介した事例からは、過去に蓄積された データや日常業務によって意図的に生成させたデータ を、如何に確実に保存し活用するか、という議論も同 時に進める必要があると痛感する。 あわせて、被災資料レスキュー・博物館・文化財行 政・歴史学の関係者と議論するなかで、資料レス キューや文化財修理の論理と方法をデジタルアーカイ ブ関係者がより深く吸収し、文化財保護行政やアーカ イブズとデジタルアーカイブズとの新たな関係が生じ ることであろう。註・参考文献
[1] https://current.ndl.go.jp/e1561 (参照 2020-01-15). [2] 例えば、以下は多様な資料写真とともに参考になる。 地主智彦. 近年の歴史資料修理の成果と課題. 文化財修理の 現状と諸問題に関する研究会 報告書. 東京文化財研究所. 2020. [3] この点、図書館資料対象ではあるが、早い段階から以下で 指摘があった。 木部徹. ゲタのはきかた、 あずけかた. ネットワーク資料保 存. 2001, 65, p.4-6. https://www.hozon.co.jp/report/post_8840 (参照 2021-01-15). [4] 東寺百合文書WEB. http://hyakugo.kyoto.jp/ (参照 2021-01-15). なお、公開当初と2021年1月段階では、ページの構成やコ ンテンツの内容が異なっている部分があるが、データベー ス自体やライセンスは大きな変更はなく、行論には影響し ない。 [5] 館内調整の結果、「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」(CC BY 2.1 JP)を選択した。「京都府立総合 資料館所蔵」の記載をどのように求めるかが焦点となった ためである。もちろんこの方法が適切か、当時からも多く の声が寄せられた。ただ、この事例があったからこそ、そ の後の展開があると考えたい。もっとも現在もライセンス は当初のままであり、今後も検討が行われるべきであろう。 [6] 福島幸宏. 企画セッション (4) 「災害資料保存とデジタル アーカイブ」. デジタルアーカイブ学会誌. 2019, vol. 3, no. 3, p.286. [7] 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会東日本大震災臨時委 員会編. 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会東日本大震 災臨時委員会活動報告書 2011-2012年度. 2014. [8] これらの動向を見越した提言として以下がある。 日本学術会議史学委員会博物館・美術館等の組織運営に関 する分科会. 博物館法改正へ向けての更なる提言∼2017年 提言を踏まえて∼. 2020年 8 月27日 [9] また、現在の非常に高い水準にある歴史資料修理の技術を 知るためには以下を参照のこと。 一般社団法人国宝修理装潢師連盟. 装潢文化財の保存修理 東洋絵画・書跡修理の現在. 一般社団法人国宝修理装潢師 連盟. 2015.この記事の著作権は著者に属します。この記事はCreative Commons 4.0に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/ by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。
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