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寺山修司のテレビ・ドキュメンタリー『現代の主役 日の丸』 ──「あなたは祖国と家庭とどちらを愛していますか」──

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(1)

宇都宮大学教育学部紀要

 

第六十五号

 

第一部

 

別刷

   

平成二十七年(二○一五)三月

寺山修司のテレビ・ドキュメンタリー『現代の主役

 

日の丸』



――「あなたは祖国と家庭とどちらを愛していますか」――

 

 

 

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Terayama Shuji’s Television Documentary

The Leading Part of This Age, the Flag of the Rising Sun

“Which Do You Love Better, Your Fatherland or Your Family?”

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1   国鉄が技術の粋を結集した「夢の超特急」東海道新幹線が開通し、第 十八回オリンピック東京大会が開催されたのが昭和三十九年、戦後の日 本はここに高度経済成長の画期的な一到達点を迎えることになる。その 一方で世界を見渡すと、翌昭和四十年には、アメリカが北ベトナム領内 への大規模な爆撃(北爆)を開始、三千五百人の米兵がベトナム中部の ダナンに上陸し、泥沼のベトナム戦争へと軍事介入していく。これに対 し て 日 本 で は、 同 年 四 月、 「 米 国 は 北 爆 を 中 止 せ よ、 日 本 の 米 国 へ の 追 随 反 対 」 を 掲 げ る「 ベ ト ナ ム に 平 和 を!   市 民・ 文 化 団 体 連 合 」( ベ 平 連、代表=小田実)が第一回のデモを行い、市民による反戦運動を組織 していく。翌昭和四十一年五月には、中国でプロレタリア文化大革命が 始まり、混乱の十年が続くことになる。日本では同年六月、ザ・ビート ルズが来日し、日本武道館を熱狂と興奮のるつぼと化し、また九月には サルトルとボーヴォワールが来日、東京と京都で講演した。大衆文化が 社会を動かし、思想哲学が政治の季節を招き寄せる。   このような時代背景のなか、さまざまな質問を通して、市民の幸福感 を探ろうとしたテレビ・ドキュメンタリーが、TBS『あなたは……』 ( 昭 41・ 11・ 20 後 10時 30分 ~ 11時 30分 放 送 ) で あ っ た。 演 出 = 萩 元 晴 彦・村木良彦、構成=寺山修司、制作=吉兼実、音楽=武満徹、撮影= 岩月昭人ほか、インタビュアー=村木真寿美・古垣美和子・高木史子。 さ ま ざ ま な 職 業、 年 齢 の 男 女 八 百 二 十 九 人 に、 「 い ま 一 番 ほ し い も の は 何ですか」 「戦争を思い出すことがありますか」 「あなたにとって幸福と は何ですか」など十七項目を、駅、深夜喫茶、デモの横田基地、結婚式 場など、東京都内二十数カ所で、いきなり質問し、百数十人の代表的な 答えと表情で構成した街頭インタビュー集である。あらかじめ寺山修司 と萩元晴彦とが練り上げた十七の質問を、矢継ぎ早で機械的に、相手に ぶつけていくインタビューの方法をとっており、答える側は、次々と繰 り出される質問に、瞬時の対応を迫られることになる。したがって回答 内容もさることながら、回答者の即座の反応そのものが作品の見所とも な っ て い る。 作 品 は こ の 年 の 第 二 十 一 回 芸 術 祭 テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リー部門奨励賞を受賞した。   こ の イ ン タ ビ ュ ー の 手 法 に つ い て、 萩 元 晴 彦 は「 『 あ な た は ……』 の 制 作 意 図 」( 『 T B S 調 査 情 報 』 昭 42・ 2、 「 番 組 研 究   あ な た は …」 所 収)で、次のように語っている。     八二九人という素材を通して、テレビの視聴者に直接結びつくため には、インタビュアーは出来得る限り、情緒的であることを避ける必 要があった。     ぼくたちは、インタビュアーの女子学生に、相手からの聞き返しや

寺山修司のテレビ・ドキュメンタリー『現代の主役

 

日の丸』

         

︱︱「あなたは祖国と家庭とどちらを愛していますか」︱︱

守安

 

敏久

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  『現代の主役

 

日の丸』

――愛国心を問う――   T B S『 現 代 の 主 役   日 の 丸 』( 昭 42・ 2・ 9   午 後 10時 30分 ~ 11時 放送)は、制定されたはじめての建国記念の日を前に、街頭や職場など さまざまな場所で、さまざまな年齢層・職業の人々に問いかけ、日本人 の日の丸に対する意識、国家観、愛国心などを探ったテレビ・ドキュメ ンタリーである。演出=萩元晴彦、構成=寺山修司、撮影=岩月昭人、 インタビュアー=高木史子。放送日の『東京新聞』 (昭 42・2・9朝刊) テ レ ビ 番 組 欄 に は 次 の よ う な 紹 介 記 事「 『 日 の 丸 』 と 日 本 人 の 愛 国 心 / 現代の主役/十種類の質問で探る」が載っている。     昨年度の芸術祭に「あなたは……」で奨励賞を受賞した構成・寺山 修司、制作・萩元晴彦、インタビュー・高木史子のトリオでつくった 同手法の第二作。     十一日の建国記念の日を前に、日の丸をテーマにして日本人の愛国 心を掘り下げたドキュメンタリー。     萩 元 デ ィ レ ク タ ー は「 〝 あ な た は ……〟 で は い ま の 日 本 人 が 何 を 考 えているか、あらかじめねらいを限定せずに幅広い質問を出して答え を求めたが、こんどはねらいを絞った。これは次に放送を予定してい る国民の憲法意識をさぐる番組みの準備編ともいえるもの。テーマを 絞ると世論調査に近くなっていくのでその点は今後気を配っていきた い。とり終えて感じたことは〝日の丸〟肯定が意外に多く、ナショナ リズムが台頭しはじめているということであった」と語っている。     質問は①お宅には日の丸がありますか②誰が買ったものか③その日 の丸はどこに掲げればいいと思うか④日の丸はデパートの何売り場で 反論に対し、一切説明を加えることを禁じた。     イ ン タ ビ ュ ア ー と 相 手 と の 間 に、 い わ ゆ る 情 緒 的 な コ ミ ュ ニ ケ ー ションを成立させないように、訓練した。アナウンサーでなく、女子 学生でなければならなかった最大の理由はそのことである。     ぼくたちの得た当然の結論。インタビューのテンポは能う限り早く なければならない。そして、カットは絶対に割ってはならない。 (萩元晴彦「 『あなたは……』の制作意図」 )   インタビュアーは情緒を排して矢継ぎ早に質問し、その撮影は表情の クローズアップを基本として、カットを割ることなく、回答の時間進行 を そ の ま ま 視 聴 者 に 共 有 さ せ る こ と。 『 あ な た は ……』 は、 こ の 方 法 論 こそが先行した作品である。   『 あ な た は ……』 で イ ン タ ビ ュ ア ー の 一 人 に 起 用 さ れ た 高 木 史 子 は、 早 稲 田 大 学 教 育 学 部 社 会 科 の 一 年 生 女 子 学 生。 早 稲 田 の サ ー ク ル 劇 団 「 な か ま 」 の プ ロ デ ュ ー ス の 仕 事 で 寺 山 修 司 を 訪 ね た こ と が 起 用 の き っ かけになり、昭和四十二年一月に結成された「演劇実験室・天井棧敷」 ( 寺 山 修 司 主 宰 ) で も 制 作 部 長 を 務 め る こ と に な る。 さ ら に T B S の ニュース・ショー『おはようにっぽん』の「おはようアンケート」で同 様の街頭インタビュアーとして活躍す る (1) 。   そ し て 寺 山 修 司 と 萩 元 晴 彦 が 同 じ 手 法 で 再 び 取 り 組 ん だ テ レ ビ・ ド キュメンタリー、TBS『現代の主役   日の丸』でも、高木史子がイン タビュアーとして起用されている。

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3 な っ た ら、 そ の 人 と 戦 う こ と が で き ま す か 」「 殺 す こ と も で す か 」( 「 で は祖国に背きますか」 ) 「あなたの知っている軍歌をひとつ挙げてください」 「どんな歌ですか。 歌っていただけますか」 「あなたの戦友の名前を一人教えてください」 「その人は今どこで何をし ていますか」 「日の丸が日本の国旗であるということに誇りが持てますか」 「君が代が 日本の国歌であるということにも誇りが持てますか」 「建国記念日に日の丸を掲げますか」 「なぜですか」 「あなたが日の丸に対して言いたいことを一言でいってください」 「 最 後 に 聞 き ま す が、 こ れ か ら あ な た が 日 の 丸 を 振 る こ と が あ る と し た ら、いつ何のためにだと思いますか」     「インタビュー   萩元晴彦/なかなかに不屈の面 魂 (2) 」( 『サンデー毎日』 昭 42・ 3・ 12) に お い て、 萩 元 晴 彦 は、 「 ボ ク ら が や っ て い る の は ど う いう答えが返ってくるかでなく、質問にどう反応するかによって、日本 人 を 浮 か び 上 が ら せ る ん で す。 突 如 と し て こ う い う 質 問 を さ れ た と き に、グッとつまる人の表情、その時間を茶の間に出すというおもしろさ な ん で す が ね 」 と 述 べ、 「 こ の 種 の 番 組 は、 質 問 自 体 に つ く っ た 者 の オ リジナリティとオピニオンがあるんです」と主張する。そしてこのこと は、 「 地 球 儀 を 見 な が ら 私 は『 偉 大 な 思 想 な ど に は な ら な く と も い い か ら、 偉 大 な 質 問 に な り た い 』 と 思 つ て い た の で あ る 」( 『 歌 集 田 園 に 死 す』跋、白玉書房、昭 40)と語った寺山修司が共有する思考でもあった のだ。   作品は、大阪心斎橋筋の雑踏で、高木史子が次々と通行人に問いかけ 売っているか⑤日の丸を振ったことがあるか⑥あなたは祖国と家庭の どちらを愛しているか――など十種類を用意して約二百人にぶつけた もの。     場 所 は 佐 藤 首 相 の 選 挙 区 で あ る 山 口 県 田 布 施 町、 宇 部 市、 大 阪 心 斎 橋 筋、 東 京 新 宿、 浅 草 な ど で あ る。 画 面 に 出 る の は こ の う ち 二十四、 五人、取材期間は一月中旬から二月上旬まで。 (中略)     「 あ な た は 日 の 丸 を 持 っ て い ま す か 」 と い う 質 問 に は 八 割 ま で の 人 は持っていると答えている。そしてほとんどの人は日の丸を振ったこ とがある。中年以上の人は出征や入営のとき、そして若い人はオリン ピックや天皇の巡幸や首相の出迎えのときに――。 (『東京新聞』 )   相手によって質問もいくらか変えているようだが、寺山修司と萩元晴 彦が作った質問項目を順不同で列挙してみよう。 「日の丸といったら、まず何を思い浮かべますか」 「あなたの家には日の丸はありますか」 「いつ誰が買ったものですか」 「その日の丸はどこに掲げれば美しいと思いますか」 「なぜですか」 「 あ な た は 祖 国 と 家 庭 と ど ち ら を 愛 し て い ま す か 」( 「 で は 喜 ん で 戦 争 に 行 く こ と が で き ま す か 」「 で は あ な た は 喜 ん で お 子 さ ん を 戦 争 に 送 り 出 すことができますか」 ) 「日の丸はデパートの何売場で売っているか知っていますか」 「誰かに日の丸を振ってもらったことはありますか」 「いつ誰にですか」 「日の丸を振ったことがありますか」 「いつ誰のためにですか」 「日の丸の赤は何を意味していると思いますか」 「 あ な た に 外 人 の 友 達 は い ま す か 」「 ど こ の 国 の 人 で す か 」「 も し 戦 争 に

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に掲げると美しいと、はきはき答える。陸地への繋留間際で、揺れる小 舟の上での作業途中に、ふらつく姿勢で綱を引きながら、懸命に答える 小 学 生。 あ え て こ ん な 不 安 定 な 状 態 の と き に 問 い か け た こ の 場 面 は、 穿った見方をすれば、復興・発展を遂げようとする戦後日本において、 左右両陣営の狭間でいまだ国家観が揺れ動いている成熟途上のさまを、 この足元不安定な小学生に重ねたかのような比喩となっている。   同様に、六十代の男性が都会の街頭でインタビューに答えているが、 クローズアップで始まったそのカメラが引いていくと、その場所は大通 り横断歩道の中央分離帯上である。赤信号から青信号に変わるまでの束 の間がインタビュー時間だ。応答の最中も、右から左からと路面電車や 大量の車が前後を流れていく。前にも後ろにも進めない赤信号の中央分 離帯上という狭く不安定な場をあえて選んで、そこで問いかけている。 祖国を愛し、家庭を愛すというその男性は、しかし子供を戦争に送り出 す こ と は 絶 対 反 対 だ と い う。 右 で も な く 左 で も な く、 「 中 間 地 帯 」 に 身 を置く平和感覚が、場の象徴性とともに表現されている。   「 中 間 性 」 と い う こ と で い え ば、 ア メ リ カ 人 の 父 親 と 日 本 人 の 母 親 を 持つ二十代の青年が、深夜の街で訥々と、日本語で答えている。祖国と 家庭なら、家庭を愛すというその青年は、アメリカと戦争になったとし ても戦えないと答える。日の丸を振ったことはないが、一度振ってみた い と い い、 知 っ て い る 軍 歌 と し て『 異 国 の 丘 』( 作 詞 = 増 田 幸 治、 作 曲 =吉田正)を、一曲歌いきる。それは狭間に立った自らの所在を探るか のような、しみじみとした歌声だ。   「 祖 国 と 家 庭 と ど ち ら を 愛 し て い ま す か 」 と い う 単 一 の 質 問 を 次 々 と 通行人にぶつけていく場面もある。女性の回答はほとんど「家庭」であ り、男性はさまざまだが、しかし「祖国」と答えたひとも喜んで戦争に て い く 活 気 あ る 場 面 か ら 始 ま る。 「 日 の 丸 と い っ た ら、 ま ず 何 を 思 い 浮 か べ ま す か 」 と い う 問 い へ の 答 え は、 国 旗、 梅 干 し、 弁 当、 キ ャ ラ メ ル、 オ リ ン ピ ッ ク、 戦 争 …… と 老 若 男 女 さ ま ざ ま で、 「 日 の 丸 の 赤 は 何 を意味していると思いますか」の問いには、太陽、血、天皇などが挙が る。   街頭の雑踏での人間模様も興味深いが、一方、屋内でめまぐるしく働 いている最中のひとに、高木史子が果敢にマイクを差し出す様子も、熱 気を伝える。カフェらしき店内で、蝶ネクタイをした二十代の青年ウェ イターが、手に皿を掲げたまま逐次答えていく。アメリカ人の友人がい るという彼は、もし戦争になったら戦うことも殺すことも仕方ない、と 答える。番組後半部、特に力強い画面を生み出しているのは、ダンサー 群が行き交う公演楽屋の中で、演目交替のあわただしい束の間にインタ ビューを受ける着飾った二十代女性ダンサーである。祖国も家庭も両方 愛しているが、戦争には行かないという彼女は、アルゼンチンとブラジ ルの友人がいて、戦争になったとしても戦うことはできないという。こ れから日の丸を振ることがあるとしたら、オリンピックやアジア大会な ど平和のためだと笑顔で答え、手に靴を持ったまま急いでステージへと 向かっていく。背景には騒々しいダンス・ミュージックが流れ、行き交 うダンサーの人影に遮られて、ときにその美しい顔が隠れたりぶれたり もするが、画面はその華やかな応答を見届ける。   地方の浜辺の小さな港で、学生服の男子小学生にインタビューする場 面がある。小舟に乗った小学生は舟の綱を持って、いま繋留作業の最中 と い う 状 態 で、 不 安 定 な 立 っ た 姿 勢 の ま ま、 そ れ で も 律 儀 に 答 え て い く。 日 の 丸 と い っ た ら「 お 尻 」(?) を 思 い 浮 か べ る と い う 彼 は、 日 の 丸は自分が学校で買ったものだという。日の丸の赤は太陽であり、玄関

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郵政相「偏向番組」発言

――番組干渉と自主規制――   こ の 挑 発 的 な 番 組 内 容 に 対 し て、 放 送 開 始 直 後 か ら T B S に は、 大 量 の 抗 議 電 話 が か か っ て く る。 「 一 一 〇 番 ま で 騒 が せ た〝 日 の 丸 〟 ア ン ケート」 (『週刊新潮』昭 42・2・ 25)は以下のように伝えてい る (3) 。     建国記念日にちなんで、TBSテレビ『現代の主役』では、二月九 日「日の丸の旗」をテーマに約二百人を対象としたアンケート番組を 放送したが、 「右翼とおぼしき人々からの反響がものすごく」 、局側を 驚かせた。     番組の内容は、 「あなたは日の丸をお持ちですか」 「それは誰が買っ たのですか」など十の質問を、各地の道行く人々に浴びせたものだっ たが、放送開始と同時に、TBSの電話 20回線が全部ふさがってしま い、延々一時間半、夜勤の交換嬢、編成局員がその応対に当たった。     「 神 聖 な 日 の 丸 に ケ チ を つ け る 気 か!」 「 ど ん な コ ン タ ン で 番 組 を 作 っ た の か 」「 親 が 子 を 愛 す る の と 同 じ よ う に、 国 民 が 日 の 丸 を 愛 す るのは当然だ」といった電話が、なんと三百五十人あまり。中には興 奮 の あ ま り「 局 を 焼 き 払 う 」「 社 長 の 住 所 を 教 え ろ!」 と い う あ き れ た 過 激 派 も い た。 そ の う え、 一 一 〇 番 に「 放 送 を や め さ せ ろ!」 と いった御仁が三人もいて、 「放送史上、これははじめてのこと」 。     し か し、 制 作 担 当 者 は、 「 日 の 丸 の 強 い 否 定 論 者 は 一 人 も 登 場 し て い な い し、 公 平 に 老 若 各 世 代 の 声 を 反 映 さ せ た 番 組 な の に、 だ い た い、こういう電話をかけてくる感覚が異常ですよ」と首をかしげてい る。 (『週刊新潮』 ) 行くことはできない、とする。この刺激的な質問は、かつて「マッチ擦 る つ か の ま 海 に 霧 ふ か し 身 捨 つ る ほ ど の 祖 国 は あ り や 」( 寺 山 修 司 歌 集 『空には本』 、的場書房、昭 33)と作歌した寺山修司ならではの問いかけ であり、寺山は、後にエッセイ集で次のようにも述べている。    もし、誰かが私に、     「 祖 国 か 友 情 か、 ど っ ち か を 裏 切 ら な け れ ば い け な い と し た ら、 どっちを裏切るか?」    と質問したら、私はためらわずに、    「祖国を裏切る」    と答えるだろう。     一国の革命は、百国の友情を犠牲にしてきずかれるものではないの だから。    (寺山修司『人間を考えた人間の歴史』所収「トロツキー」 、 講談社、昭 47)   『 現 代 の 主 役   日 の 丸 』 は、 最 後 に 街 頭 で 高 木 史 子 が カ メ ラ に 向 か っ て、質問項目だけを列挙していき、あたかも視聴者自身に直接問いを突 きつけるような形のまま、そこに軍艦マーチがかぶって結ばれる。日の 丸と戦争との距離を探りながら、愛国心の正負両面を意識させる挑発的 なドキュメンタリーだ。

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  昭和四十一年、祝日法一部改正案が議会を通過し、自民党十年来の悲 願であった「建国記念の日」が二月十一日と制定され、翌昭和四十二年 に初めてその日を迎えることになった。当日は全国六百カ所で祝賀行事 が行われたが、これを戦前の「紀元節」復活であるとして反対する集会 も各地で開かれ、雪の東京では学者や学生によるデモ行進もあった。   世 界 史 的 な 視 野 で 愛 国 心 の 特 徴 と 歴 史 的 な 変 遷 を 辿 っ た 清 水 幾 太 郎 『 愛 国 心 』( 岩 波 書 店、 昭 25) は、 「 国 家 は 神 と し て 現 は れ る こ と に よ つ て 人 間 か ら 最 高 の 忠 誠 と 奉 仕 と を 要 求 す る こ と が 出 来 る 」 と し て、 国 旗・ 国 歌・ 行 事( 暦 ) が、 国 民 の 宗 教 的 熱 情 を か き た て て い く 祖 国 の 「 祭 壇 」 化 の 力 学 に つ い て、 次 の よ う に 説 い て い る( 引 用 に 際 し、 旧 漢 字は新字体に改めた) 。     国家を一望のうちに収めることは不可能であるが、風に翻る国旗は 誰の眼にも見える。吾々は国旗を神聖なものとして取扱ひ、その前に 脱帽し、拝跪し、黙禱する。教会の聖歌が吾々を敬虔な気持に誘ふや うに、国歌は厳粛な空気のうちで祖国に対する吾々の愛情と献身との 態度を一層鞏固ならしめる。教会に聖会暦( Annus Ecclesiasticus )が あるやうに、祖国はまた暦を有してゐる。それによつて一年間の生活 は規律を与へられ、或る日は建国の記念のために、他の日は戦勝の追 憶のために、また他の日は屈辱の思ひ出のために献げられる。暦はそ の国の光栄と運命と使命とを一年の歳月のうちに要約し、これを国民 の胸に刻みつけるものである。 (清水幾太郎『愛国心』 )   とすれば、この「建国記念の日」の制定は、戦後の日本国民の忠誠と 奉仕を新たに引き出すための、国家(政府)による祖国「祭壇」化の階   一つの政治的立場がかきたてる反感感情の「炎上」がここにある。そ の一方で、次のような番組評も新聞掲載されている。     新型の世論調査としてその意図を高く評価したいが、中にはどうか と 思 わ れ る 質 問 も 多 か っ た。 〝 祖 国 と 家 庭 の ど ち ら を 愛 す る か 〟 な ど は 愚 問。 〝 友 人 の い る 外 国 と 戦 え る か 〟〝 そ の 友 人 を 殺 せ る か 〟〝 祖 国 にそむけますか〟などに至っては、構成の寺山修司の神経を疑いたく なる。にもかかわらず、全体としてみると、現時点における日本人の 国家意識がたくまずして浮き彫りにされていたように思われる。     悪くいえば太平ムード充満といったところだが、その底に明治百年 を契機に台頭しはじめたナショナリズムの動きもかなりはっきりと看 取されたのは興味深かった。こうした現象は左右両派を退けて、中道 政治を躍進させた総選挙の結果にも通ずるものであろう。なお素材を 投げ出しただけで、NHK式の分析や解説をつけ加えなかったのもよ かった。 (浜野健三郎)    (「 〈見て聞いて〉日本人の国家意識を浮き彫り」 、  『毎日新聞』昭 42・2・ 11朝刊)     9 日 夜 の T B S テ レ ビ〝 現 代 の 主 役 〟「 日 の 丸 」 は、 い き な り 切 り 口上で矢つぎ早の質問、しかも機械的な連続くり返しが、逆におもし ろいリアルな効果を出した。飾りけのない素朴な返事の多種多様なう ちに、おのずと年代の傾向がうかがえた。建国記念の日を前に、タイ ムリーだった。 (東京都豊島区東池袋   桑田佳代子)    (「 〈 反 響 〉 タ イ ム リ ー な 『 日 の 丸 』」 、『 東 京 新 聞 』 昭 42・ 2 ・ 14朝 刊 )

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7 内容に文句をつけて、局の幹部を呼んであやまらせるというような ことは、ちょいちょいあると聞いており、スポンサーを通じての圧 力に至っては、あげるとキリがないほどだ。そうでなくても放送番 組の反動的な傾向が強まっている時でもあり、われわれとしては放 送法にある「公正中立な放送」を守るため、こんごとも政府による 番組への介入に強く反対してゆく。政府による直接介入は言論統制 にもつながるので、執行委員会で検討したい。 (『朝日新聞』 )   島津TBS報道局長は、TBS社長が郵政相に陳謝した事実はない、 と言っているが、他の誌紙とも総合して、実際はTBS社長が挨拶に出 向いて遺憾の意を漏らしたと推察される。TBS報道局長は、放送介入 に抵抗するどころか、番組について「失敗作」といって、自社の制作者 ( 萩 元 晴 彦 ) を 突 き 放 し て お り、 む し ろ 石 川 民 放 労 連 書 記 長 の ほ う が、 言論統制に抗議する気骨を見せている。松田浩『ドキュメント放送戦後 史 Ⅱ ―― 操 作 と ジ ャ ー ナ リ ズ ム ――』 ( 前 掲 ) は、 こ の 郵 政 相「 偏 向 番 組 」 発 言 に つ い て、 「 戦 後 例 を み な い 番 組 へ の 政 府 の 公 然 た る 介 入 の は じまりであり、放送への〝弾圧と操作〟の一歩エスカレートを意味して いた」と指摘している。   この一連の出来事によって、TBSでは、村木良彦が、五月の憲法記 念 日 に 向 け て 同 様 の イ ン タ ビ ュ ー 手 法 で 企 画 し て い た「 ド キ ュ メ ン タ リー・憲法第九条」が中止とな る (6) 。政府側の不当な番組干渉による揺さ ぶ り が、 放 送 局 の 自 主 規 制 を 生 ん で お り、 民 放 労 連 は 警 戒 を 強 め て い く (7) 。 梯でもあっただろ う (4) 。そこに日の丸を通して愛国心を挑発的に問い直す テレビ・ドキュメンタリー『現代の主役   日の丸』が放送されたわけだ から、政府は強い警戒を示すことになる。二月九日の放送後、十四日の 閣 議 で こ の 番 組 を 問 題 視 す る 声 が 上 が り、 小 林 武 治 郵 政 相 が 調 査 を 約 束。十五日に浅野電波監理局長と左藤放送部長がTBSに出向いて、同 番 組 を 視 聴 し、 事 情 聴 取。 十 六 日、 「 た ま た ま 別 の 用 件 で 」 小 林 郵 政 相 と会った今道潤三TBS社長が遺憾の意を表明。それを受けて小林郵政 相が二十一日の閣議で「建国記念の日にTBSとNETが放送したテレ ビ番組に偏向的な内容があったので、電波監理局に実情を調査させたと ころ、両社の幹部が遺憾の意を表明してきた」と報告し、行政指導の姿 勢を示し た (5) 。『朝日新聞』 (昭 42・2・ 21夕刊)には、以下のような関係 者の声が紹介されている。   島 津 T B S 報 道 局 長 の 話   あ の 放 送 の あ っ た 二、 三 日 後 に 郵 政 省 電 波    監理局長らが、あの番組をもう一度見せてくれ、と訪れ、その制作 意図についての質問があった。わたしは、一般大衆の日の丸につい ての感情は意外なほど健全だという点を指摘したかったが、その手 法としての質問の十数カ所がわたしの考えからみてもどぎついもの だった、と説明した。しかし、この失敗作についての陳謝は一般視 聴者に対して行われなければならないのであって、郵政大臣に対し てする理由は、どこにもない。一部の報道関係者から、TBS社長 が郵政相に陳謝したかという質問を受けたが、そんな事実はない。   石川民放労連書記長の話   問題の「現代の主役」を放送中、TBSに    は「 社 長 の 家 に 火 を つ け る ぞ 」「 日 の 丸 を ぼ う と く す る も の だ 」 と いった右翼ばりの電話がかかり続けだった。政府や自民党が番組の

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リ ス ト ン が パ タ ー ソ ン を ノ ッ ク・ ダ ウ ン し た こ の 対 戦 に つ い て、 メ イ ラーは、試合時間一分間につき一万語、計二万六千語でエッセイを書き 上げた。寺山修司は、エッセイの内容以上に、この表題「一分間に一万 語」の響きがことのほかお気に入りであった。寺山がラジオ番組『キャ スター』で、聴取者に「一分間ずつ勝手なことを演説させたり、プロテ ス ト さ せ た り し た 」 試 み は、 や が て T B S テ レ ビ『 マ ス コ ミ Q   私 は …』の生中継へと応用されていく。   T B S は、 昭 和 四 十 二 年 六 月 五 日 か ら、 毎 週 月 曜 日 午 後 十 一 時 十 五 分、テレビ・ドキュメンタリーの新番組『マスコミQ』を始めた。その 第一回が、新宿歌舞伎町に集った人々の「いいたいこと」を一分間ずつ 聞 い て い く 生 中 継『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 ( 昭 42・ 6・ 5 午 後 11時 15分 ~ 11時 45分 放 送 ) で あ る。 演 出 = 萩 元 晴 彦・ 村 木 良 彦、 構 成 = 寺 山 修 司、 イ ン タ ビ ュ ア ー = 緑 魔 子。 放 送 日 の『 東 京 新 聞 』( 昭 42・ 6・ 5 朝 刊)テレビ番組欄には次のような紹介記事「自由に現代の断面とらえる /まず、緑魔子が新宿から 30分/新番組み マスコミQ」が載ってい る (9) 。     これまで取り上げられなかった素材を通し、まったく新しい方法で 現 代 の あ る 断 面 を と ら え よ う と い う ド キ ュ メ ン タ リ ー。 放 送 形 式 も まったく規制はなく、スタジオ、生中継などテーマに応じて単発形式 で制作する。制作担当者も固定せず、同局の報道部員が持ち回りで当 たる。そして、大衆をとおして現代人のものの考え方を映像的に探り 出し、新しいテレビのドキュメンタリー手法を開発すること、の二点 が大きなねらいという。     第一回目は新宿からの生中継。緑魔子がインタビュアーとなり、夜 の新宿に行きかう人たち――遊んでいる若者、アベック、バーから出

 

  『マスコミQ

 

私は…』

『マスコミQ

 

続・私は…』



――一分間の「幸福論」 ――

 

  寺山修司は、 『街に戦場あり』 (天声出版、昭 43)所収「歩兵の思想」 のなかで、次のように述べている。     私 の 持 っ て い た ラ ジ オ 番 組「 キ ャ ス タ ー」 ( Q R ) の 中 で、 ノ ー マ ン・メイラーばりに「一分間に一万語」というセクションを設けて、 聴視者に一分間ずつ勝手なことを演説させたり、プロテストさせたり したことがあった。     ( な か に は、 日 常 生 活 が あ ま り に も 味 気 な い の で、 ラ ジ オ を 通 し て 一 分 間 笑 っ て、 日 本 中 に 自 分 の 笑 い 声 を ひ び か せ た い と い う 人 も い て、一分間「イヒヒヒヒヒ、ウフフフフフ………フフ、イヒヒ、ホホ ………」と繰り返したこともあった。 ) (寺山修司『街に戦場あり』 )     文 化 放 送『 キ ャ ス タ ー』 は、 昭 和 四 十 一 年 一 月 十 日 に 放 送 が 始 ま っ た、若いサラリーマン対象の朝のニュースワイド番組(同年十一月十二 日終了) 。月曜から土曜まで朝七時~八時の帯で、 「各界の第一線で活躍 する6名のキャスターによるバイタリティあふれる自由な発想と個性的 な オ ピ ニ オ ン が 人 気 を 呼 ん だ (8) 」。 手 塚 治 虫( 月 )、 寺 山 修 司( 火 )、 石 丸 寛(水) 、大島渚(木) 、秦豊(金) 、岡本太郎(土)の六名である。   ノ ー マ ン・ メ イ ラ ー『 一 分 間 に 一 万 語 』( 一 九 六 三、 邦 訳 河 出 書 房 新 社・山西英一訳・昭 39)は、一九六二年九月二十五日、シカゴで行われ たフロイド・パターソンとソニー・リストンの、ボクシング世界ヘビー 級タイトルマッチのルポルタージュである。第一ラウンド二分六秒で、

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9 紹介しよう。     新 番 組「 マ ス コ ミ Q 」( T B S テ レ ビ、 月 曜 夜 11時 15分 ) の 第 一 回 は、 「 私 は ……」 と 題 し て、 奇 抜 な 放 送 を や っ た。 東 京・ 新 宿 歌 舞 伎 町にカメラを据えて、集った人たちに、手当りしだい一分間の時間を 与え、話したいことをなんでも話せ、と呼びかけるのである。     場 所 柄 か ら、 ぶ ら ぶ ら 遊 ん で い る 若 い 人 が 多 い が、 彼 ら の 大 部 分 が、 「 大 阪 の ○ ○ 君、 も う 少 し 借 金 を 待 っ て く れ 」 と か、 「 お か あ さ ん、今日は遊んじゃってるけど、明日は帰るから」とか「緑魔子(聞 き手)さん、バンザイ!」ぐらいしか言えないのは、面白がって浮か れているのか、それとも思考が貧弱で他人に訴えるべき何ものも持合 わせていなかったのか。     やっと一人、反戦運動をしたということで帰国命令の出ているベト ナムからの留学生を守ろう、という呼びかけをする若い女性がいた。 洋服屋さんが登場し、流行の既製服に反対して注文仕立ての良さを説 き、既製服を好む精神は画一主義だから、やがては軍服を着てベトナ ム へ 連 れ て ゆ か れ る こ と に も な る ぞ、 と 言 う。 理 屈 は 飛 躍 し て い る が、このおじさんのが、スピーチとしてはいちばんうまい。     「 世 界 は う る さ す ぎ る。 一 分 間 だ け で も 沈 黙 が ほ し い 」 と 言 っ て、 一分間、カメラとにらめっこを続けた中年男もあっぱれだ。総じてこ の界わいに集る若者たちのおしゃべりは、饒舌(じょうぜつ)なくせ に無内容なことがわかった。この種の街頭中継は、予告してやるとヘ ンなのが集って困るから、不意打ちで続けてほしい。 (む)    (「 〈波〉若者たちの思考の貧弱さ」 、『朝日新聞』昭 42・6・7朝刊) てくるサラリーマンなどに「あなたに一分間の時間をあげますから、 みんなにいいたいことをいってください」と語りかけ、彼らの意見を 拾っていく。また、そのあいまをぬって、緑が〝わたしの新宿〟を語 る。     今 回 の 制 作 担 当 は 萩 元 晴 彦 デ ィ レ ク タ ー で 「 か つ て の 〝 あ な た   は ……〟 の 裏 が え し で、 質 問 を 用 意 し て 答 え を き く の で は な く 庶 民 に自由に語ってもらうものです。これによって日常的な時間の中で、 庶民は何を発言するか、発言すべき何かをもっているかを探りたい。 制作手法としては、ドキュメンタリーはフィルムでの構成という概念 を 破 っ て、 生 中 継 の 三 十 分 間 を ワ ン カ ッ ト で 構 成 す る こ と に な り ま す」と語っている。     な お、 緑 は、 こ う し た イ ン タ ビ ュ ー は 初 め て な の で、 さ る 五 月 二十九日夜、現地でリハーサルしたが、まずは上出来だったという。 (『東京新聞』 )   六月五日、新宿歌舞伎町のビヤホールの入口から、緑魔子が野次馬に も み く ち ゃ に さ れ な が ら 生 中 継 さ れ た『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 の 映 像 は、フィルムで残されているそうだ。村木良彦の意向で、生放送された 画面を、地方での再放送を口実に、TBSのスタジオでフィルム撮影し ていたのだ。この映像はその後一般公開されたことはないが、TBS・ B S i『 報 道 の 魂   あ の 時 だ っ た か も し れ な い 』( 演 出 = 是 枝 裕 和、 平 20・5・7放送)のなかに一部収録されており、その一端を窺うことが できる。切れ目のない三十分ワンカット構成で、アサヒビールなど提供 各社の文字CMも画面下部にテロップで流れる。当日の様子は、新聞に 後日載った番組評や読者の声などからも垣間見え る )(1 ( 。ここではまず二つ

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るなあ(時間が)ハハ……。どうも笑えないなあ。     男 ( 二 十 代 )  フ ァ ン だ か ら バ ン ザ イ を や ろ う よ。 緑 魔 子、 バ ン ザ イ!   そうだなあ、川口のストリップ劇場、あれはよかった。川口の ストリップ劇場バンザイ……。 (『サンデー毎日』 )   同誌によれば、 「狭いところに、四、 五百人も集まり、現場は大混雑。 途中からビヤホールのシャッターをおろし、その中から中継するという ありさまだった」とのこと。ところで、共同演出の村木良彦によれば、 「 構 成 に 再 び 参 加 し た 寺 山、 萩 元 ら と の 話 し 合 い の 中 で、 私 た ち は こ の 番組の中にフィクションの要素を多量に注入することに決めた。通行人 の中にひそかにあらかじめ発言を設定した人を混入する。その人たちの 発 言 が 本 物 の 通 行 人 た ち の 発 言 と ど の よ う に 交 錯 す る か を 試 み て み た かったの だ )(( ( 」という。おそらく「一分間沈黙する男」や「一分間笑い続 け る 男 」 は、 あ ら か じ め 仕 込 ま れ た 参 加 者 で あ ろ う。 「 一 分 間 笑 い 続 け る 男 」 は、 寺 山 修 司 の ラ ジ オ 番 組『 キ ャ ス タ ー』 ( 昭 41、 文 化 放 送 ) に も登場していた。寺山修司は「ドキュラマ論」 (『記録映画』昭 38・2) に お い て、 ド キ ュ メ ン タ リ ー の 使 命 が「 い ま あ る ま ま の 現 実 」 よ り も 「本来の現実」をとらえることにあるならば、現実に働きかけ、 「ものの 投入」という方法が選ばれねばならない、としてこう述べる。     「 何 を 投 げ こ む か?」 と い う こ と に そ の 記 録 映 画 作 家 の 独 創 性、 ア イデアの秘訣があるという事になるのである。 (中略)    ところで、ドキュラマとは何か。     と い う こ と が、 私 の 問 題 で あ る。 ド キ ュ ラ マ と い う 怪 物 的 な 造 語 は、分析すれば「 ドキュ 0 0 0 メンタリー」と「ド ラマ 0 0 」の結合であって、     街を行く人に一分間ずつしゃべらせるというTBSテレビ5日夜の 「 マ ス コ ミ Q 」 は 期 待 し て み た が、 借 金 の い い わ け や 催 促 に 利 用 す る もの、バーの宣伝、洋服屋の宣伝等々個人的な関心がほとんどで「現 代人のものの考え方をさぐる」などというねらいにはほど遠いものと なった。緑魔子も不手ぎわだった。この番組には、今後どんな悪用者 がとびだすかしれないと気になる。 (横浜市・中西一郎)     (「 〈マイクへ一言〉ねらいのはずれた新番組」 、  『毎日新聞』昭 42・6・ 10朝刊)     「〈サンデー・ジャーナル〉放送の音を止めた男   盛り場の『一分間自 由 発 言 』」 (『 サ ン デ ー 毎 日 』 昭 42・ 6・ 25) に は、 こ の 日 の 生 中 継 参 加 者の発言録が掲載されているので、いくつか抜粋してみよう。     女 ( B G ふ う )  高 校 中 退、 十 八 歳 が 売 り も の。 若 い 人 に い い た い ことは自己満足の動きが多いことです。もっと社会的な動きをやって ほしいと思います。     男 ( 三 十 代 )  た と え 一 分 間 で も い い か ら、 放 送 の 音 を 止 め た い。 雑音でそうぞうしいこの世の中で、カメラにまで騒がれたんではこれ 以上生活はできませんよ(彼はカメラに向かって、時間まで口をつぐ む) 。     男 ( 二 十 代 )  ア コ ち ゃ ん 見 て ま す か。 家 を 出 て 四 十 日 あ ま り、 家 族がみな心配しています。帰りにくい事情があるんなら、ボクの家に でも電話してください。あと、一時間すれば家におります。     男 ( 三 十 代 )  な に を や っ て も つ ま ら な い。 お も し ろ い こ と も な い し、せいぜい笑いたいと思う。ハハ……、ヘ……、ウフ……。まだあ

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11 年は、緑魔子時代到来の観さえある」と紹介されている。   『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 で の 緑 魔 子 は、 む し ろ 大 人 び た 魅 力 で イ ン タ ビュー進行していき、ちょうど飛び込んできた「イスラエルとアラブ連 合とが全面戦争に入った」との臨時ニュースも自ら読み上げた。しかし 初 め て の 生 放 送 で の 混 乱 ぶ り は、 「 司 会 者 緑 魔 子 の 珍 デ ビ ュ ー」 (『 週 刊 新潮』昭 42・6・ 17)が伝えている。     放送後十五分たったころ、何を思ったのか緑魔子、突然「じゃ、み な さ ん お 休 み な さ い 」 と 叫 ん だ も の だ。 が、 放 送 時 間 は ま だ 十 五 分 残 さ れ て い る。 い っ こ う に 終 り に な ら な い カ メ ラ に 驚 い た 緑 は、 「 そ れ じ ゃ、 も う 一 人 」 と あ わ て て マ イ ク を 向 け、 そ の 人 が 終 わ る と、 「 じ ゃ、 私 も こ れ か ら 一 杯 ひ っ か け て 眠 る こ と に い た し ま す 」 と ま た 結びの言葉。     そ れ で も 終 わ ら な い の で、 や っ と ま だ 時 間 が 半 分 も 残 さ れ て い る こ と に 気 づ い た の か、 「 実 は 大 ぜ い の 人 に 取 り 囲 ま れ て あ が っ た せ い か、終了時間を間違えました。これからまた始めます――」     ( 中 略 ) ふ だ ん か ら、 脱 ぎ っ ぷ り、 ベ ッ ド シ ー ン と、 何 で も 気 前 の いい女優で知られた緑魔子、失敗もケタはずれの気前の良さを見せた ものだ。 (『週刊新潮』 )   押 し 寄 せ る 野 次 馬、 飛 び 込 ん で く る 臨 時 ニ ュ ー ス、 進 行 役 自 ら の 勘 違 い ……。 こ の 混 乱 そ の も の が 新 宿 歌 舞 伎 町 の「 い ま 現 在 」 で あ る。 萩 元 晴 彦・ 村 木 良 彦・ 今 野 勉『 お 前 は た だ の 現 在 に す ぎ な い 』( 田 畑 書 店、 昭 44) は、 「 テ レ ビ は 時 間 で あ る 」「 テ レ ビ は 現 在 で あ る 」「 テ レ ビ は ジ ャ ズ で あ る 」「 テ レ ビ は 窓 で あ る 」「 テ レ ビ は 参 加 で あ る 」「 テ レ ビ 責任ある「ものの投入」者を持った記録芸術である……ということに なる。     そ れ は、 例 え ば 点 を 配 置 す る こ と に よ っ て 空 間 の 位 相 を 想 起 さ せ る よ う に、 「 も の の 投 入 」 に よ っ て、 現 実 の 実 相 を つ か み と ろ う と す る、一つの劇的で立体的な記録論のこころみである……ということに なる。 (寺山修司「ドキュラマ論」 、傍点原文)   ドラマティックな「ものの投入」があってこそ、新宿歌舞伎町の実相 を つ か む「 劇 的 で 立 体 的 な 記 録 論 」 と な る、 と い う の が 寺 山 の 思 想 で あ る。 佐 藤 忠 男「 〈 テ レ ビ 評 〉 他 人 が 困 る の を 見 る 楽 し さ   『 マ ス コ ミ Q 』 = T B S 」( 『 週 刊 朝 日 』 昭 42・ 6・ 23) は、 「 喋 る っ て こ と は む ず かしいし、人に言いたいことなど誰しも山ほどありそうでいて、実はそ れが、ちっとも整理されていないし、自分の言葉にもなっていない。そ ういうことが分るだけでも面白い」と評している。このように一分間と はいえ、参加者たちが発言することの困難に向き合っているとき、投入 された「一分間沈黙する男」や「一分間笑い続ける男」は、その困難に 対する批評のようでもあり、逆に失語状況の拡大構図のようでもある。 寺山をはじめとした制作者たちの実験的な試みは、 「何を投げこむか?」 という虚実錯綜の行方に託されたわけだ。   宮 崎 県 か ら 上 京 後、 東 映 に ス カ ウ ト さ れ て『 二 匹 の 牝 犬 』( 監 督 = 渡 辺祐介、昭 39)で映画デビューした緑魔子は、非行少女・家出娘・悪女 など、都会の裏通りの「あだ花」を演じ、主演映画『非行少女ヨー コ )(1 ( 』 ( 監 督 = 降 旗 康 男、 昭 41) で、 傷 つ い た 反 逆 の 青 春 を 鮮 や か に 刻 ん だ。 グ ラ ビ ア「 現 代 の 英 雄   緑 魔 子 」( 『 週 刊 文 春 』 昭 42・ 3・ 6) に お い て、 「 時 代 劇 全 盛 の こ ろ の 東 映 に は 錦 之 助 時 代 が あ っ た よ う に、 こ こ 数

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しかめられた生存証明」にこそ、人間相互を結ぶ市井の「幸福論」があ ると、寺山は考えている。   『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 新 宿 篇 の 成 果 と 反 省 を 踏 ま え て、 三 週 間 後 に 再び同じ手法で、赤坂篇が企画される。TBS『マスコミQ   続・私は …』 (昭 42・6・ 26午後 11時 15分~ 11時 45分放送) 、演出=萩元晴彦・村 木良彦、構成=寺山修司、インタビュアー=緑魔子。放送日の『東京新 聞 』( 昭 42・ 6・ 26朝 刊 ) テ レ ビ 番 組 欄 に は 次 の よ う な 紹 介 記 事「 音 と 画で赤坂の生の姿を/もう一度、緑魔子を使って/マスコミQ『続・私 は』 」が載っている。     この番組みの第一回で試みた「私は……」は、押しかけた思わぬ大 群 集 の た め、 緑 魔 子 の ひ と り 語 り を じ ゅ う ぶ ん 生 か す こ と が で き な かったが、こんどの「続・私は……」では彼女のパーソナリティーと カメラの動きを出すため、インタビューの場所を東京・赤坂に移し、 深夜の顔を浮き彫りにする。制作担当の吉兼実プロデューサーは「今 度 の ね ら い は、 第 一 回 の い わ ば 延 長 だ が、 緑 魔 子 の 体 験 談 を 織 り ま ぜ、彼女のひとり語りをできるだけ多く使い、完ぺきなものに構成し た」と語っている。     茶 の 間 の フ ァ ン が、 現 実 に 赤 坂 に い る よ う な 状 態 を つ く り 出 す た め、今回も生中継を用い、三十分の放送時間を一台のカメラで追う。     そして緑魔子が、芸能人や芸能人の卵、ファンの集まる飲食店や遊 び場の多い赤坂の姿を、あるがままに写し出す。そして、その人たち が何を考えているかを、一分間だけカメラとマイクを開放して話させ る。また緑魔子が、気のむく相手をつかまえて、ふたりで話し合う。 こうして、整理されない赤坂の日常的な断片を音と映像でひとつひと は非芸術・反権力である」などとテレビを定義していったが、その意味 で『マスコミQ   私は…』は、もっともテレビ的な「混沌とした現在」 の 中 継 表 現 に な っ て い る。 ま た 村 木 良 彦『 ぼ く の テ レ ビ ジ ョ ン 』( 田 畑 書店、昭 46)は、 「〈時間〉と〈想像力〉の同時進行がテレビジョンであ る 」 と い う 思 想 の も と、 「 フ ィ ク シ ョ ン も ノ ン フ ィ ク シ ョ ン も ひ っ く る めたトータルな現実、脈絡のない異質の要素の不連続な生起と衝突、不 定形な生命の燃焼とのかかわりあい、その緊張関係をプロセッシブな表 現としてとらえることが、さしあたってぼくらの起点になるのではない か」とも語っている。   寺 山 修 司「 彼 ら の 一 分 間 」( 『 時 代 の 射 手 』 所 収、 芳 賀 書 店、 昭 42) は、 『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 放 送 を 踏 ま え て 考 察 し た エ ッ セ イ で あ る。 登場した「一分間笑い続ける男」や「貸した金の催促をする女」につい てふれながら、無用にもみえるその「だらしない一分間」によって、彼 ら は 自 分 へ の 関 心 を 招 き 寄 せ よ う と し て い る の で あ り、 「 一 分 間 の 無 用 の『用』 」を通した「人間相互の『関心』 」こそは、大切な幸福の条件で あると、寺山は説いている。     「 一 分 間 の 思 想 」 に も「 一 光 年 の 実 践 」 と 同 じ 専 心 を よ せ る こ と の 出来る強い感受性が要求されているということである。だらしない一 分間が、画一的な一光年へ復讐しつづける姿勢の中にこそ、ほんもの の幸福のアリバイにいたるルートが見出されるべきではないのか? (寺山修司「彼らの一分間」 )   『 マ ス コ ミ Q   私 は …』 で の 一 分 間 は、 そ れ ぞ れ に 貧 弱 で 無 意 味 な 冗 舌 で あ っ た か も し れ な い が、 「 だ ら し な い 一 分 間 」 を 生 き る こ と で「 た

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13   このほか「画面は、現代の若ものをおおっているゆううつさを、なん ら た め ら う こ と な く と ら え て い た( 埼 玉 県 羽 生 市・ 塩 田 ゆ た か )」 と い う 読 者 評( 『 東 京 新 聞 』 昭 42・ 7・ 3 朝 刊「 反 響 」) な ど も あ っ た。 村 木 良 彦 に よ れ ば、 「 今 回 は、 緑 魔 子 自 身 の モ ノ ロ ー グ を 入 れ る こ と と、 渡辺貞夫に依頼して即興で音楽演奏をその場でやってもらうこととをつ け加えた。前回に懲りて、混乱した時の対策を万全にたてたが、場所柄 かさしたる混乱もなく、無事放送は終った」とい う )(1 ( 。ちなみに毎週月曜 日夜に放送された『マスコミQ』の昭和四十二年の視聴率ベスト3は、 ①『フーテン・ピロ』 (演出=村木良彦、昭 42・8・ 21放送)六 ・ 〇%、 ②『 続 ・ 私 は … … 』( 赤 坂 篇 ) 五 ・ 四 % 、 ③ 『 私 は … … 』( 新 宿 篇 ) 五 ・ 〇 % 、 だ と い う )(1 ( 。   かつてテレビドラマを書き始めたばかりのころ、寺山修司は「テレビ ド ラ マ が 終 っ た と こ ろ か ら   『 R 』 で 始 ま る 話 」( 『 C B C レ ポ ー ト 』 昭 36・1)で、次のように語っていた。     テ レ ビ・ ド ラ マ を は じ め て 書 い て、 僕 は 次 の 二、 三 の こ と を 確 認 し た。いま、テレビという形式が要求しているのはおそらく、既成のド ラマなどではない。というよりはむしろいわゆる「テレビ・ドラマ」 などは、テレビというジャンルにあって、もっとも非力なものにすぎ ないのだ、ということであった。     テレビのもっている事実を同時性によってつたえるということを台 石にして考えると、まずテレビ局などというものは不要になる。いく つかのテレビ・カーがあれば、それでいいのだという風に思えるので ある。     たとえばそれが新宿区四谷三光町の火事の中継であり、また、木挽 つ積み重ねるようにして浮き彫りにするのがこの番組みのネライであ る。 (『東京新聞』 )     そ し て 実 際 の 放 送 時 の 様 子 は、 番 組 評「 〈 見 て 聞 い て 〉 断 片 的 だ が 現 代世相の一面を」 (『毎日新聞』昭 42・6・ 28朝刊)によって窺うことが できる。     第 一 回 は 新 宿 で あ り、 押 し か け た 群 衆 の 整 理 が よ く で き な か っ た と い う T B S テ レ ビ「 マ ス コ ミ Q 」 の 二 回 目「 続・ 私 は ……」 は、 二十六日深夜、東京・赤坂一ツ木通の街頭で行なわれた。緑魔子が、 取巻く群衆の中から一人を選んで、一分間だけマイクを渡し何でも思 うことをその人に語らせて現代の世相をつくのがこの番組のねらいの ようだが、酔っぱらった青年が、もう一軒飲みたいんだが、そこへ行 けば女房はアパートのカギを締める時間になる、困ったもんだという 話。家出した娘を気づかい、悲しい思いを語る父親。お金のあるボー イフレンドがほしいという娘。中学時代からアルバイトをして大学を 出た青年の明るい苦労話。青年男女のため、社交ダンスパーティーを やっているという中年の男の話。ゲイボーイ、水虫に悩む娘など、十 数人にマイクが渡された。突然、人間がマイクを持たせられ、自分の 思ったことを一分間語るということは、いかにむずかしいことである かということが、みんなにわかっていない。またそれだけにおもしろ かった。断片的ながら、現代の世相の一面を語っていた。 (中山善三郎) (『毎日新聞』 )

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が掲載されている。     昨年、インタビュー形式のドキュメンタリー「あなたは……」で芸 術祭奨励賞を受けたTBSテレビ萩元晴彦ディレクター、岩月昭人カ メラマンらは七月から八月にかけアメリカ版「アメリカ人、あなたは ……」の取材を行なったが、このほどその編集を終え、九日の「マス コミQ」 (午後 11・ 15―午前0・ 00)と十二日の「現代の主役」 (午後 10・ 30― 11・ 00)の時間に放送することになった。     「 マ ス コ ミ Q 」 で は ア メ リ カ 人 に 対 し 自 由 と か ベ ト ナ ム 戦 争 と か 人 種差別とかの質問を出しその答えを集めて構成し、アメリカ人の意識 の奥をのぞこうというねらい。     「 現 代 の 主 役 」 で は、 日 本 に 対 す る 印 象、 原 爆 投 下 や 安 保 条 約 な ど に つ い て 質 問、 ア メ リ カ 人 が 日 本 を ど う 見 て い る か を 描 い た も の。 ニューヨークを中心に約三百人にインタビューした。     日本人取材班に対する関心は強く、質問に対しわきから〝おれはこ うだ〟と議論しだしたり〝ぜひおれにも聞け〟とカメラの前に出てき たりするほど積極的だった。     し か し〝 社 会 維 持 に 人 種 差 別 は 必 要 だ と 思 い ま す か 〟〝 原 爆 に 責 任 を感じますか〟などの質問には顔色を変える場面がしばしば。取材班 は〝 ジ ャ ッ プ 〟 と の の し ら れ た り〝 な ぜ そ ん な 失 礼 な 質 問 を す る の か〟と詰めよられたりした。     萩元ディレクターは、この取材の印象として「アメリカ人の考え、 日本人の考え、どちらが正しいかは別として、われわれが考える〝平 和 〟〝 祖 国 〟〝 戦 争 〟〝 幸 福 〟 な ど と 違 っ た 考 え 方 を す る 人 々 が い る と いうことを認識するのはムダではないと思います」と語っている。 町での野犬狩りの中継とモダン・ジャズの合成、それからきりかえる と神宮外苑のアベックの接吻その他の中継とワグナーの音楽……麻雀 屋の中継からボクシングはむろん、裁判、手術とオール実況の新局が で き た と 想 定 し た 場 合、 僕 た ち は 一 ば ん そ の 局 を 見 る こ と は わ か り きっている。 (寺山修司「テレビドラマが終ったところから   『R』で始まる話」 )   テレビドラマを書きながら、むしろその非力さを感じとり、逆に生中 継のドキュメントが持つドラマティックな同時性の威力を感じとること で、そこから寺山は新たなテレビ・ドキュメンタリーを構想していった のだ。テレビ・カー一台で駆けつければ、そこがたちまち「中継現場」 になるというその「劇的で立体的な記録論」は、やがて『マスコミQ   私は…』新宿篇・赤坂篇で豊かに検証されていった。

 

  『マスコミQ

 

アメリカ人・あなたは……』

 

 『現代の主役

 

私は日本人です』

――テレビによる人類学――   次 い で 再 び 寺 山 修 司 と 組 ん だ 萩 元 晴 彦 は、 『 あ な た は ……』 の ア メ リ カ 版 を 企 画 し て 現 地 取 材 を 敢 行、 ニ ュ ー ヨ ー ク 街 頭 で 問 い か け、 さ ま ざ ま な ア メ リ カ 人 の 意 識 と そ の 日 本 観 を 聞 き だ す 二 本 の テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー を 制 作 し た。 T B S『 マ ス コ ミ Q   ア メ リ カ 人・ あ な た は ……』 ( 昭 42・ 10・ 9 午 後 11時 15分 ~ 午 前 0 時 放 送 ) お よ び T B S 『 現 代 の 主 役   私 は 日 本 人 で す 』( 昭 42・ 10・ 12 後 10時 30分 ~ 11時 放 送 )。 い ず れ も 演 出 = 萩 元 晴 彦、 構 成 = 寺 山 修 司、 撮 影 = 岩 月 昭 人・ 村 木 知 之、 イ ン タ ビ ュ ア ー = 崎 山 美 智 子・ 山 部 紀 久 子。 放 送 を 前 に、 『 読 売新聞』 (昭 42・ 10・7夕刊)に紹介記事「アメリカ人はどう考える?」

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15 「日本といったら何を思い浮かべますか」 「日本で最も重要な人物は誰でしょうか」 「ゲイシャ・ガールを知っていますか」 「日本の家屋は何で出来ていますか」 「日本の政府は何主義でしょうか」 「カミカゼを知っていますか」 「それは何ですか」 「日本人は悲劇的ですか喜劇的ですか」 「知っている日本の都市の名を言ってください」 「ヒロシマを知っていますか」 「何についてですか」 「原子爆弾に責任を感じますか」 「なぜですか」 「日本人を見て心に痛みを感じますか」 「日本はベトナムに派兵すべきですか」 「日米安保条約を知っていますか」 「もし日本が攻撃されたら、日本のために命を賭けて戦えますか」 「ではアメリカの為なら」 「日本製品を何か持っていますか」 「日本人は何故小さいのでしょうか」 「日本人に言いたい事を一つ言ってください」   ア メ リ カ 人 の 国 家 観 や 幸 福 感、 戦 争 や 差 別 に つ い て 問 い か け る 一 方 で、日本について何を知っているかを、原爆からカミカゼ、ゲイシャ・ ガールに至るまで、聞き出している。   ア メ リ カ 取 材 を 終 え た ば か り の 萩 元 晴 彦 は「 『 ア メ リ カ の 映 像 』 を 探 る 」( 『 朝 日 新 聞 』 昭 42・ 9・ 15夕 刊 ) で、 「 そ れ は テ レ ビ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー を、 イ ン タ ビ ュ ー( そ れ も 同 一 質 問 の 反 復 ) と、 正 面 ク ロ ー ズ (『読売新聞』 )   『 寺 山 修 司 の 戯 曲 3』 ( 思 潮 社、 昭 45) に は『 あ な た は …… ア メ リ カ 版 』〈 ニ ュ ー ヨ ー ク 市 に て 取 材 分 資 料 の 一 部 〉 が 収 録 さ れ て お り、 必 ず しもそのまま放送分に対応しているわけではないようだが、この「顔し か う つ さ な い ア メ リ カ 旅 行 記 」( 寺 山 ) の 一 面 を 窺 う こ と が で き る。 そ の質問項目を抜粋して紹介しておこう。 「アメリカ人である事を誇りに思いますか」 「なぜですか」 「今ここで何をしていますか」 「ベトナム戦争をどう思いますか」 「徴兵されたら、喜んで行きますか」 「憎くもない人間を殺せますか」 「祖国と友情とどちらが大切ですか」 「幸福とは何ですか」 「今、幸福ですか」 「社会を維持するために差別は必要だと思いますか」 「日曜日には何をしますか」 「捨て子をどうしますか」 「愛されている確信はありますか」 「誰にですか」 「キスの時眼をあけていますか」 「アメリカの英雄は誰ですか」 「アメリカは自由の国だと思いますか」 「本当の自由とは何ですか」 「生き甲斐は何ですか」 「あなたは誰ですか」 「私は日本人です。日本を知っていますか」

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る。 〝 日 本 は ベ ト ナ ム 戦 に 参 加 す べ き と 思 う か 〟 と い う 質 問 に は、 圧 倒的に多くの人がイエス、もちろんと答えていたことは印象的であっ た。それにしても相手が知ろうが知るまいが、機関銃のように質問を ぶっつけていた日本の女性インタビュアの奮闘ぶりもまさにカミカゼ 的であった。 (古谷糸子)    (「 〈見て聞いて〉興味深いアメリカ人の日本観」 、  『毎日新聞』昭 42・ 10・ 14朝刊)     町角や遊び場や海辺で、だれかれとなくいきなり話しかけて、考え るひまもなく答えを強要するので、無礼といえば無礼な番組だが、そ う と う 正 直 な 反 応 が 記 録 さ れ て い る と 思 う。 「 日 の 丸 」 も 傑 作 だ っ た が、こんどの二本も傑作だと思う。     日本でもそうだったが、アメリカでも、インタビューを強要されて いやがるのは女性に多いようだ。しかし全体として言えばアメリカ人 は愛想がよく、ニコニコとよく答えている。ことに、なにを答えたら いいかと考えあぐねる様子が少なく、即座に答え、ちょっと気の利い たことを言おうとする。日本でつくったものと比較すれば、日本人が まだまだ、ひっこみ思案で、自分の判断を要領よくスピーディーにう ち出してゆく訓練に欠けていることがよく分るだろう。 (中略)     「 ヒ ロ シ マ を 知 っ て い ま す か?」 と い う 質 問 に、 間 髪 を い れ ず「 真 珠湾を知ってるか?」と答えた下町ふうの若者がいる。とたんに、そ の周囲にいたおなじような若者たちが、ざまあみろ不愉快な質問をし やがって、というような調子で喚声をあげた。     ここらは文書による世論調査ではちょっととらえられないナマな感 情のこもった反応であって、テレビの表現力を百パーセント生かした アップ、そしてモンタージュ否定という三つの要素で押切るという、昨 年の『あなたは……』以来の方法である。今回のアメリカ取材も、これ に終始した」とその方法論を語り、さらに「日米安保条約については、 知っていると答える者より知らない者の方が多いにもかかわらず、次の 『 日 本 の た め に 命 を か け て 戦 え る か 』 と い う 質 問 に イ エ ス と 答 え る ア メ リカ人が、意外に多い」との印象を述べている。   実際の番組の様子を垣間見るためにも、少し長くなるが、放送後の番 組評から二つ紹介しよ う )(1 ( 。     9日夜の「マスコミQ」と一連のドキュメント番組〝アメリカ人あ な た は ……〟 を 12日 夜 T B S テ レ ビ「 現 代 の 主 役 」 で 見 た。 前 者 は 〝アメリカ人であることを誇りに思うか〟 〝祖国と友情とどちらが大切 か 〟〝 ベ ト ナ ム 戦 争 に 召 集 さ れ た ら ど う す る 〟 な ど の ア メ リ カ 人 自 身 の 問 題。 後 者 は ア メ リ カ 人 か ら み た 日 本 観 で あ る。 ど ち ら も ニ ュ ー ヨ ー ク の 街 頭 取 材 だ が、 日 本 に 関 係 あ る だ け に 12日 の 方 が 面 白 か っ た。前の場合は予想どおりのアメリカ人らしい答えであったのにくら べて、日本人に対するナマの声は初めてというせいもあろう。     そ の 日 本 観 だ が〝 日 本 の 重 要 な 人 の 名 前 を 〟 と い う 質 問 に〝 サ ト ウ〟が二、 三人〝天皇〟が三、 四人〝東條〟と答えた人が一人といった ぐあい。都市の名前というのにも〝トーキョウ〟くらいがわずかに出 た程度だが、ヒロシマになると全部といっていいほど知っている。も ちろんアメリカが爆撃した町ということでだが〝その責任を感じてい る か 〟 と い う 質 問 に は 大 半 が〝 ノ ー〟 ――〝 戦 争 だ か ら 〟〝 戦 争 を 早 く 終 わ ら せ る た め だ 〟〝 真 珠 湾 の 方 が 先 だ 〟 な ど と い う 答 え だ っ た。 またカミカゼとなると〝自殺パイロット〟ということでよく知ってい

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17 ていることが、失敗の原因だったという。     も と も と 寺 山 氏 は 昨 年 放 送 さ れ た 「 現 代 の 主 役 ・ あ な た は ? 」 を は じ め 、 質 問 が ゆ き 過 ぎ た と 郵 政 大 臣 か ら お し か り を 受 け た 「 日 の 丸 」、 そ れ に ア メ リ カ で ア メ リ カ 人 の な ま の 声 を と ら え た 「 ア メ リ カ 人 あ な た は ? 」 な ど 、 多 く の 話 題 作 を 生 ん だ 張 本 人 で 、 と か く 現 政 権 の 政 策 批 判 の に お い が 強 い た め 自 民 党 筋 の ご き げ ん を 損 じ て い た 。 T B S と し て は 「 も ち ろ ん 必 要 な ら 参 加 し て も ら う 」 と い い な が ら ト ラ ブ ル の 誘 因 と な る 寺 山 氏 と 、 こ の へ ん で 縁 を 切 り た い と い う の が 本 心 の よ う だ が 、 当 の 寺 山 氏 は 「 い つ の 世 に も 新 し い 可 能 性 を 追 う 人 間 は 受 難 す る も の で 、 T B S に 抗 議 す る 気 は な い が 、 昨 年 ( ド ラ マ 「 子 守 唄 由 来 」) 一 昨 年 (「 あ な た は 」) と 、 敬 遠 な さ る ぼ く の 作 品 が 連 続 芸 術 祭 奨 励 賞 を も ら っ て い る ん だ か ら お も し ろ い ね 」 と 笑 っ て い た 。 (『報知新聞』 )   この記事がどこまで実態を反映しているのかは定かでない。ただ確か に昭和四十三年元旦、TBSは萩元晴彦をチーフ・ディレクターとして 三元宇宙中継「いま語ろう、世界の若もの」を放送した。東京のスタジ オ、西ベルリンのカフェ、ローマのスペイン広場に若者を集め、愛につ いて語り合う企画だった。音声回線が故障し、同時通訳も機能せず、大 混乱となった。司会者のひとりである東由多加(天井棧敷)が苛立って 叫び続け、視聴者の非難が殺到したとい う )(1 ( 。   と は い え 、 寺 山 修 司 の 「 シ ャ ッ ト ア ウ ト 」 な ど は 些 事 に も 等 し く 、 TBSは立て続けに全社を揺るがす出来事に見舞われ、労働組合総ぐる みで会社側と対決する、いわゆる「TBS闘争」へと突き進んでいく。   「TBS闘争」は(一)成田事件、 (二)田英夫『ニュースコープ』降 ところである。もっとも、ヒロシマと言われてそう露骨な反感を示す の は 無 教 養 そ う な 若 者 だ け で、 中 年 の イ ン テ リ ふ う の 人 は、 「 ヒ ロ シ マ に 責 任 を 感 じ ま す か?」 と 重 ね て 問 わ れ て も、 「 さ あ、 責 任 を 感 ず べきでしょうね。しかし戦争をしかけたのは君たちだよ」などと答え る。 (佐藤忠男)    (「〈 テ レ ビ 評 〉 い き い き と し た 反 応 が 魅 力   『 ア メ リ カ 人・ あ な た は…』 『私は日本人です』=TBS」 、 『週刊朝日』昭 42・ 10・ 27)   これは齟齬をも含めての異文化理解であり、放送を通した人類学の試 み で も あ ろ う。 「 偉 大 な 思 想 な ど に は な ら な く と も い い か ら、 偉 大 な 質 問 に な り た い 」( 『 歌 集 田 園 に 死 す 』 跋、 前 掲 ) と 語 る 寺 山 修 司 だ が、 「 偉 大 な 質 問 」 で あ る こ と が、 そ の ま ま 思 想 行 為 と も な る よ う な 実 験 を、テレビ・ドキュメンタリーの場で続けてきたことになる。しかし萩 元晴彦、村木良彦と寺山修司との、TBSでの先鋭的な共同作業も、や が て 終 わ り を 迎 え る こ と に な る。 『 報 知 新 聞 』( 昭 43・ 1・ 14朝 刊 )「 点 描」に次のような小さな記事が報じられている。     作家の寺山修司氏がこのほどTBSテレビから〝シャットアウト〟 され、同氏がタッチする番組みは、こんごすべて敬遠されることにな り そ う だ。 T B S 側 の 言 い ぶ ん に よ る と、 こ と し 元 日 未 明 に 放 送 さ れ、 さ ん ざ ん の 不 評 を こ う む っ た 宇 宙 中 継「 い ま 語 ろ う 世 界 の 若 も の」に、寺山氏の主宰する劇団「天井棧敷」の演出家、東由多加が出 演、とんちんかんな独走ぶりを披露したことが理由。この番組みは寺 山氏と直接関係ないのだが、スタッフの中に〝寺山的色彩〟が浸透し

参照

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